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マラウイから、訃報連絡が入りました。マラウイでは、なぜか家庭科も理数科の1科目なのですが、その理数科長。私たちが活動の相談をする、カウンターパートでもありました。卒業式の優秀生徒表彰にて、Mr. Machila(画面右) まだ42~3歳。お子さんが、高校に通っています。理数科長をしながら、彼らの年収に相当する学費を工面し、大学院に2年間、通っていました。同じ敷地にある、教員養成大学の講師もしていました。そのため、コミュニケーションをとる時間があまりありませんでした。私が赴任した時も、彼は、国家試験の採点のため、マラウイ1大きな都市に出張中で、会うまでに8週間かかりました。最初のミーティングで、彼から、家庭科にも国家試験があることを聞かされなかったので、さらに8週間、ちぐはぐな活動をしてしまいました。彼らにとって、国家試験は当たり前。私にとって、家庭科の国家試験があるなんて、思いもしなかった。そんなお互いの基盤の違いから、関係づくりにつまづきました。その後も、関係は決してスムーズではなく、彼の言い分が納得できず、彼を怒らせたこともありました。彼も、自分の生活向上のために必死だったことを配慮する余裕が、当時の私にはありませんでした。・・・申し訳なかったです。彼は以前、隣村の国立高校に勤務していました。その学校では、卒業にかかる国家試験を受験した生徒が全員合格、あるいは80点以上で合格した生徒を多く輩出した科目の担当者が、表彰されます。詳しくは→★彼の専門は生物ですが、コンピュータを担当していた時にも、ほとんどの生徒たちを80点以上、70点以上で合格させていたそうで、その進学校の先生たちも、彼の力量を評価していました。ひょんなことから、一度だけ、我が家で焼き肉をご一緒したことがありました。目のきれいな人でした。最後、メッセージをくださいましたが、誠実な人柄が伺える、整然とした文字が並んでいます。胃の病気で、入院した数日後のことだったそうです。彼は昨年にも、マラリアから肺炎を併発し、1週間ほど入院したことがありました。体調が万全では、なかったのかもしれませんね。南アフリカへの留学が決まった矢先のことだったそうです。以前にも、インドでお世話になった方が、胃潰瘍で亡くなりました。これが、途上国の医療の現実と、命の重みを改めて感じつつ・・・悔しいです。残念でなりません。まだ、信じられません・・・今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 29, 2009

昨日は、近隣の市までお出かけしました。乗り換えの駅から乗った電車は、満席でした。立っていると、後から、おばあちゃんがお二人、乗ってこられました。きょろきょろされたのですが、優先席にどっかり腰かけた10~20代とおぼしき男女、おじさまをはじめ、車内のだれも微動だにしないしばらくして、優先席に座っていた一人の男の子が立ち上がったのですが、おばあちゃんが別の方向を向いている間に、後から乗ってきた高校生とおぼしき女の子が腰かけてしまいました。おばあちゃんたちはあきらめて、電車を降りました。別の車両に移ったのか、次の電車まで待ったのか、定かではありません。なんだか、哀しいな~と思いました日本人が持っていたはずの、目上の人を敬う文化、弱者をいたわる文化は、どこに行ってしまったのだろう?と。普段、自家用車で移動することが多く、車内でのマナーを、親が伝える機会も減っているでしょうし、親以外の大人が、注意する機会もめっきり減りましたね。私も、見知らぬ子たちを注意する勇気はないです。逃げですけどね。もちろんお元気なお年寄りもいらっしゃいますが、彼女たちは、私たちよりも長い時間、生きてこられた歴史を抱えていらっしゃる。その重みに敬意を示し、席は譲ろうねと、将来、子どもができたら、自分の子にはそう伝えようと思いました。 マラウイでは、誰かが大きな荷物を持っていれば、子どもたちが運ぶのを手伝ってくれました。私の話すチチェワは、語学訓練で習った丁寧語だそうですが、子どもたちは私に対し、友達同士の言葉を遣っていたそうです。私「お元気でいらっしゃいますか?」子ども「うん、元気? キミは?」私「おかげさまで、元気にやっております」みたいな会話になっていたそうで、大人たちが叱っていました。親や通りがかりの大人たちが、子どもたちを叱ったり、頼みごとをしたり、地域で子育てをしているようでした。確かに、学校教育の内容も、科学技術、経済も、日本は世界でも有数でしょう。けれど、家庭教育や社会教育は、マラウイの方が、しっかりしていると、改めて感じました。お互いに学び合いたいものです。 その後、しばらく走った後、空席ができたので、座っていました。また先の駅で、おばあちゃんが乗ってこられました。私が座っていた位置から少し離れていたのですが、やはり誰も動きません先ほどの思いもあり、おばあちゃんと視線を合わせてから、席を譲りました。「すぐ近くですから、いいですよぅ」「いえいえ、どうぞどうぞ」「ありがとうございます」そのおばあちゃん、降りる時にも、わざわざ私が立っていたところまで歩み寄り、「どうもありがとうございました」と、腰を折られました。もちろん、お礼を言われたくてしたわけではないし、大きな声で、むしろ気恥ずかしかったです。でも、そんなおばあちゃんのお姿は美しいと思いました。私たちよりも少し上の世代の方たちは、遠慮や感謝など、美しい文化を備えていらっしゃると思います。そこから学ぶべき点も多々あり、残していきたいと思ったできごとでした。年上の人を敬うのも、素敵な文化だと、近年、思うようになりました。今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 25, 2009

22(木)は、名古屋の小学校でマラウイのお話をさせていただく機会を頂戴しました。JICA国際協力出前講座なるものです。まず、マラウイの子どもたちと、日本の子どもたちの年上の人に対する態度、聞く態度が、全く異なることを忘れておりましたこれは軽く、逆カルチャーショックでしたもちろん、最初に彼らをひきつけられなかった、アイスブレイキングに失敗した、私の落ち度です終了後、校長先生から教えていただいたのですが、毎年、協力隊OVを招いてくださっているその学校、昨年度の講師の方は、ポテトチップスを用いたアクティビティをされたそうです。私もOV会で、その方のアクティビティに参加させていただきましたが、開発教育でよく行われる「貿易ゲーム」をポテトチップスを使ってさらに簡略化されており、世界の富の分配の不均衡を、非常にわかりやすく伝えていらっしゃると思います。昨年、彼の話を聞いた学年の子どもたちにとって、今年はポテトチップスをもっともらうぞ!と、意気込んでいたかもしれません。そういう期待に応えることができなかった、事前のリサーチ不足も大きかったですそして、高校生に話す時と、小学生に話す時、教室で話す時と、大人数に話す時、予想以上に、話し方を変える必要がありました。マラウイでは、他校では1クラス当たり週に5~6時間設定されている家庭科が、配属先は3時間でしたから、限られた時間にできるだけたくさんの分野を伝えるべく、詰め込み、まくしたてていました。久しぶりに日本語で、人前でお話しさせていただき、息継ぎの間さえ、忘れていた自分に気付かされました。もっと間をとり、聴き手に落とし込む時間が必要でした。貧しさや、かわいそうな子たち、自分とは違う人たち、劣る人たちといった印象を残さぬよう、彼らの優れた部分や明るさ、前向きさ、共存を強調したつもりです。が、シマ(マラウイの主食)を手で食べる話をした時、数人は露骨に嫌な顔をしていましたしね。ネガティブな印象を残してしまったのではないか、危惧しています。ポジティブさを伝えるには、聴き手を楽しませることが必要であり、例えば、ポテトチップスのような道具が有効かもしれませんね。最後、子どもたちの反応に、不安を抱いたままのまとめでした。以前、日記に書いたのは、この講演依頼をいただいた直後であり、いらなくなったものをあげるのはたやすいけど、 自分にとって大切なもの、大好きなものこそ、 周りの人たちと共有できるようになって欲しい違いを楽しんでほしい「ありがとう」「ごめんなさい」と素直に言える自分であって欲しいとの願いをこめましたが、説教臭くなってしまいましたねもっとシンプルに、メッセージを伝える必要があります。などなど、非常に学びの多い機会でした校長先生も、教務の先生も「すごく良かった」「子どもたちにとって、いい機会になったと思います」「あのプレゼンテーションを準備していただくだけでも、 相当な時間がかかったでしょう? ありがとうございました」とねぎらい、褒めてくださったんですけどね。私のなかでは、もどかしさが残りました。○○小の皆さん、ごめんなさいね。お話しさせていただいた内容の一言でも、数人でも、何か温かいものが心に残っていたらいいなと、願うばかりです。今回の学びを活かすべく、またこのような機会をいただけたらいいなと思います。今度はきっと、もう少し上手にお話ししますよ~伝えることって難しい今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 24, 2009

今朝のNHK「おはよう日本」のワールドリポートで、「気候変動が及ぼす教育格差」というテーマで、マラウイが取り上げられていました。某先輩隊員が、吹き替え原稿を書かれたそうで、興味深く、拝聴しました。2005年の干ばつで、両親を亡くした少女、トコザニちゃん。体調のすぐれない祖母と、幼い弟妹たちを支えるため、家政婦などのお仕事をして月給五百円を稼ぎ、家事をし、薪拾いにも(片道?)6時間かかる。将来は、看護師さんになりたい夢を持っているが、仕事と家事に追われ、学校に行けない。地域の女性たちが、トコザニが学校に戻れるよう、祖母を説得に来たものの、彼女が学校に行ってしまったら、家事が困ると渋る祖母。女性たちが、家事を手伝うから、学校に行かせてあげてほしい。というような内容でした。先月にも、某民放局で、マラウイのレポートがありましたが、今日の方が、私が暮らした村の状況に近かったです。私の暮らした村には、マラウイ教育研究所や教員養成カレッジをはじめ、政府関係機関、魚の養殖場などもあり、わりと裕福なマラウイアンも住んでいました。英語を話す人も多いのですが、国道を挟んで向かい側の村に行くと、まるで英語が通じなくなります。それでも、今日紹介されていたカピエピエ村に比べれば、山も近く、川も流れており、ゆとりがあるのでしょう。我が家のハウスキーパーは、トコザニちゃんの6倍、マラウイアンの同僚が雇っていたハウスキーパーたちも4~5倍の月収を得ていました。都市部、幹線道路沿いの大きな村、カピエピエ村のような地区・・・マラウイ国内の格差は、日本国内の地域格差以上に大きいのかもしれません。「協力隊」と言っても千差万別なので、以下、個人的な感想です。世界最貧国の1つと言われるマラウイで暮らしたものの、私が活動させていただいたのは、マラウイのなかでも、かなり恵まれた環境でした。村では、トマトと小さな玉ねぎ、葉物の野菜、小魚、卵くらいしか手に入らず(★)、停電が多い(★)、水道を止められた(★)、電話線を盗まれた(★)とぼやいていましたが、トコザニちゃんから見れば、夢のような生活を送らせてもらっていました。たくさんたくさんいる、トコザニちゃんのような子たちの生活改善につながるようなことは何もできず、私にとっての協力隊は、異文化体験、自己満足でしかありませんでした。税金を使わせてもらって、何の成果も残せず、異文化体験?とのお叱りを受けるやもしれませんが、これまでにも書いた通り、青年海外協力隊の目的の第一義は「日本の青少年の育成」だそうです。世代的に、「青少年」と甘えていいものか、社会的な責任を果たしていない後ろめたさは感じております。協力隊で得た経験を、今後の人生に活かしていけるのか仮に、今後、途上国と関われるお仕事に就けなかったとしても、感覚や考え方は、以前よりは成長したような気がしています。お互いを傷つけ合ったり、足を引っ張り合ったり、かげ口でつながり合う、疑心暗鬼の関係ではなく、お互いのいいところをクローズアップし、誉め称え、励まし、成長し合える気持ちのよい関係を、周りの方たちとともに築いていきたいと、改めて思いました。トコザニは感謝の意。つまり、ありがとうちゃん。今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 19, 2009

私が教壇に立ち始めたころ、大ベテランの家庭科の先生から、こう言われたことがありました。「子どもを産んだこともない人に、保育なんか、教えられるはずがない」具体的な言葉は忘れましたが、そのような趣旨のご発言でした。 そう言えば、 「実際に家庭を作ったことがないのに、家庭科を教えられるんですね」 とのメールをいただいたこともあったなぁ・・・ 詳しくは→★ ん~。私ってば、敵を作りやすいのね当時は、家庭科の男女共修が始まった直後で、教科書にも、性に関する記載もありました。そこで、ベテランの先生方があまり扱われない、でも生徒は興味津々の、性の分野をあえて、重点的に扱うようにしました。そういう意味では、そのベテランの先生のご発言が、私を育ててくれたのかもしれませんね。片親、あるいは再婚されて、血の繋がっていない親だけど、自分は学校の教師になったことを、周りに誇示している方たちもいらっしゃいました。「自分が片親だから、生徒たちの悲しみがわかる」とおっしゃっていた方もいました。もちろん、そんなことを誇示しない先生もたくさんいらっしゃいますが。病気や怪我に関しても、ご自身が罹っているか否かで、支援活動の重みや共感、説得力が大きく異なるようです。もちろん、実際に経験していない者にはわからない、悲しみや辛さ、よろこびもたくさんあるでしょう。辛いご経験から、繊細になっていらっしゃるでしょうし、周りの配慮が足りず、傷がさらに深くなり、警戒心が高まっていることもあるでしょう。でも、ジャンルは違っても、皆、それぞれ辛いことや悲しいこと、よろこびも抱えているはず。その度合いの比べっこは不毛だと思うし、経験がなくても、痛みや悲しみにより添い、よろこびを共有することはできると、信じたいです。でなければ、多くの支援活動が欺瞞、自己満足になってしまいますもの。 ま、ご自身の幸せを確認したり、わけるつもりで、 活動されていらっしゃる方もいるでしょうが。ご経験なさった重みや強みにはかなわないけれど、経験の有無でフィルターにかけられてしまうと、経験を持たない人間は、どこまでいっても共有できません。ご経験を振りかざされたり、悲劇のヒロインになってしまわれたり、周りから崇められ、英雄になってしまわれると、私は、逆に共感しづらくなってしまいます。ちっぽけな人間です・苦笑支えてくださっている方たちのご配慮に、感謝できる自分でありたいです。そして他人の痛みや悲しみに敏感でありたいし、より添い、よろこびを共有できる自分でありたいと思います。これは、自戒ですね。ひな人形の宣伝ヘリコプターが行き来しています。日本て、すごい今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 18, 2009

今朝は、久しぶりに、体の芯から、もわーっとした暗い闇が湧きあがってきて、全身に広がり、ふるえと、ずっしりした重みを感じました。ニュースで、震災当時の映像が流れていましたが、やはりまだ、見るのが辛いですね昨年末から、マラウイでのできごと、マラウイへ至るまでの自分、親との関係など、ずっとふり返っています。一枚一枚、心のかさぶたをはがしていくような感覚と言いましょうか。少しずつ、心のなかを整理しています。震災がきっかけになったことを、頭では理解していましたが、今朝は、感覚として、当時に引き戻されたような感じがしています。住んでいた家屋の被害も大したことありませんでしたし、怪我もなく、家族、友人も無事でした。発生前夜、翌日は大丸のバーゲンに行こうと思っていました。発生が早朝ではなく、数時間後だったら・・・?翌日、西宮北口まで線路を歩き数時間後にようやく梅田にたどり着いた時、バーゲン帰りの大きな荷物を持ったきれいなお姉さんの姿を見て、涙がこぼれました私も、ささやかな日常を奪われた一人だったのですね。しかし、大地震の発生直後、想像力や判断力が充分ではなかった自分を無意識のうちに、責め続けていたような気がします。その後、3年間、ボランティアに没頭してしまい、学業で成果を残すことができないまま、修士課程を終えました。呆れる親に対し、姫路在住の親の知人は、私のことをこう評価してくださいました。「目の前に倒れとる人がおるのに、 それを踏みつけていくような人間じゃなく、 『立ち上がりましょう、一緒に歩きましょう』 って手を差し伸べられる、あなたのことを誇りに思うよ。 ボランティアしたくても、自分の生活に必死で、 ボランティアできない人もいっぱいおるしね」彼女の言葉に支えられ、突っ走っていたような気もします。発生直後に、他の命を救えなかった無力感、自分が生き残ってしまった罪悪感を抱えたまま、贖罪のつもり、つまり自分の心の傷を癒すためのボランティアだったのでしょう。そんな状態だったからか、震災ボランティアを通じて、心の傷をさらにひろげ、学業も中途半端になってしまった後悔・・・そんなものを抱えたまま、生活のために定時制高校に勤務し、生徒たちに育ててもらい、マラウイへとつながっていったのですね。ずっと自分を責め続けてきた無力感や罪悪感、後悔・・・そんな感情を、そろそろ手放してあげてもいいのかなと、今日、思いました。いや、一生背負い続けるべきだと、お叱りを受けるやもしれませんが・・・いろんな思いが深まる1月17日。今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 17, 2009

「見て見ぬふりできぬ」 日本人医師、ガザ入り(朝日新聞、2009/1/16朝刊) 山形県上山市の医師、桑山紀彦さん(45)が15日、パレスチナ自治区ガザに入った。ガザの福祉団体の招きを受け、病院で緊急医療支援にあたる。 ガザ側のラファ周辺では連日、激しい空爆が続いている。受け入れ団体側は自制を促したが、桑山さんは「見て見ぬふりはできない。爆撃にさらされる仲間を見捨てていないということを示したい」とガザ入りを決行した。 カンボジア、東ティモール、イラクなどの難民らの心のケアにあたってきた桑山さんは、5年前から頻繁にガザを訪れ、住民らと交流してきた。 桑山さんは「爆撃は怖い。でもガザには普通の人々が普通に暮らしている。戦争が好きなわけではない。日本の一民間人として、出来るだけのことをやる」と話し、空爆の間隙(かんげき)をぬって、ラファ検問所からガザに入った。 ガザ入り後、朝日新聞の電話取材に対し、桑山さんは「路上のいたるところに穴があいている。いつものガザではない」と話した。 桑山さんは、学生時代から難民キャンプや被災地、戦闘地での医療に携わり、NPO法人 地球のステージの代表理事もされていらっしゃいます。詳しくは→桑山さんのプロフィール桑山さんのライブを、二本松の訓練所にいた頃と、帰国後、名古屋・栄で行われたイベントにて、拝聴しました。今回の支援も、お医者さんであり、NPO法人の代表理事で、CDや著書なども発売していらっしゃる桑山さんだからできる活動だと、私は思います。あるサイトで、学生さんが、相談していらっしゃいました。テロの起こった某国でのボランティアに、自分は参加すると決めているのだけど、親が、安全と衛生を心配している。実際はどうなんでしょう? と。外務省の安全情報に関するページから得た情報に加え、以下のようなことを書かせていただきました。主催団体のHPにも、テロ状況に関する記載がありますね。 主催団体に、さらに詳しい現在の安全状況と、 万が一、テロ等が起こった場合、 あるいは体調を崩してしまった場合、どのような対応を とられるのか問い合わせてみるのもお勧めです。 こういう資料を集め、ご自身もご家族にも、 気持ちよく参加してほしいなと思います。 私もこれまで、インドやカンボジア、 アフリカでのボランティアに参加しましたが、 ボランティアの受入れ団体により、対応は様々です。 「ボランティア」という言葉で、無償の労働力を求め、 学びの薄い「スタディ」ツアーもあります。 インド到着直後、帰りたいと泣いていた学生さんもいましたし、2週間、部屋に閉じこもりきりで、 出てこなかった人もいました。 アジアやアフリカで、命を落とした人もいます。 命をかけてまで、ボランティアをする必要はないと、 私は思いますが、万が一が起こってしまった場合、 遺体を引き取りに来てくれるのは、家族ですから、 家族にはできるだけ説明をしておいた方がよいと思います。 蛇足ですが、6年ほど前、バリでテロが起こった際、 日本人観光客が巻き込まれました。 シンガポールの病院に搬送しなければなりませんでしたが、 彼女たちは旅行保険に加入していなかったため、 当時で1千万円ほどが、個人の負担となり、チャーター機の手配がとても大変だったと、 日系航空会社の現地事務所に勤めていた知人が言っていました。 「ボランティア」で行くのですし、健康・安全の点からも、 現地や周りの方たちに余分な負担をかけないよう、 保険の加入や予防接種、常備薬の持参など、 個人でできる限りの準備はしておいた方がいいと思います。 (現地で入手した薬は強すぎて、胃を壊したり、 じんましんが出たことも、あります) せっかくの機会ですから、○○さんが 存分に楽しめるよう、願っています。お返事はありませんでしたが・苦笑マラウイの同僚の弟さんが、ご病気のため、南アで亡くなりました。遺体を飛行機で運ぶのに、南ア~マラウイ間、2時間半の距離ですが、日本円にして35万円ほどかかったそうです。日本まで運ぶには、いくらかかるのでしょうか。絶対にあってはならないことだけど、万が一、流れ弾に当たって、しょうがいが残るような大けがをしても、命を失うことがあっても、家族がそれを受け止められる基盤を築いた桑山さんだから行けるのだと、私は思います。もちろん、経済的な負担のみならず、もし万が一が起こってしまった場合、家族や友人をはじめとする、周りの人たちへの影響、気持ちにも配慮すべきでしょう。なんて、エラソーなことを言っております私は、JICAに守ってもらいました任期中に、重篤な病気や怪我をした場合、日本での治療を受けさせてくれますし、命に危険がある場合は、チャーター機も用意してくださいます。私たちの任期中にも、ケニアやジンバブエなどの政情不安に伴い、首都や他国での待機や任国変更、任期短縮などの処置がとられました。震災で知り合ったNGO活動家のなかには、JICAや協力隊に対して、批判的な方たちも少なからず、いらっしゃいました。自分らは、国に守ってもらうことなく、身一つで、人助けをしているんだと。当時はそれがカッコ良く見えましたが、今、思えば、自分がどんなに気を付けていても、事故に遭うことも、病気にかかることもあります。外務省が退避勧告を出している地区に入ることが、かっこいいんじゃない。無保険で、突入することが、かっこいいんじゃない。「地雷を踏んだらサヨウナラ」は私も好きな映画ですが、あのような行為や、ボランティアを美化すべきではないと、私は思うのです。個人の責任で行く旅行も同様です。万が一が起こってしまった場合、周りの人や家族にできるだけ迷惑をかけない準備は最低限、しておいた方が良いと思うのです。1月17日。今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 17, 2009

早いもので、神戸で震災に遭ってから、明日で14年。震災が起こった年に生まれた子たちも、早、中学生なのですね震災に遭わなければ、マラウイに行くこともなかったかもしれません。震災で傷ついた心を、ずっと抱えていました。その後、定時制高校で、生徒たちと育ち合い、日本を飛び出せる勇気を、もらったのかもしれませんね派遣前訓練で、当時の青年海外協力隊事務局長より、「ボランティア」に関し、以下のように学びました。Oxford辞典には 「危険なことも自らすすんで行う人」広辞苑には 「志願者、奉仕者、社会事業」現代用語の基礎知識には 「社会をよくするための行動」などと表現されているが、共通しているのは「自発的」な行動である。さわやか福祉財団の堀田力さんは「ボランティアは成長すること」と言っている。ボランティアは国民の成熟度をはかる指標でもある。阪神大震災以降、ボランティア人口が増えたが、ボランティアの経験を社会に還元していく必要もある。この講演を聴いた報告書に、私は、以下のように記しています。「魚を与えて一日を養い、漁法を伝えて一生を養う」、すなわち一方的に与える「支援」ではなく、住民と一緒に活動する「協力」という言葉にも大いに共感した。阪神・淡路大震災では、日本人がボランティアに慣れていなかったこともあり、独りよがりの支援や自分のためのボランティアが横行していた。それらの反省を国際協力にも活かしていきたい。ODAのいちばん大きな問題は、現地のニーズに合っていないこと、つまり誰のための援助かという点だと私は思っている。マラウイOVの、「僕ならマラウイ人にやってもらう」という言葉が印象的だった。結果として自分の学びや経験につながることはあっても、ステップアップや売名等、自分への還元を第一義にしていたら、それは「ボランティア」としてどうなんかな?と私は思う。マラウイで、震災以上にひどい体験をしました。帰国後3ヶ月間、のんびりふり返る時間をたっぷりとれたことで、私なりに頑張り続け、心がずたずた、がちがちになっていたことに、気付くことができました。「心のケア」が流行った震災当時、ある心理学者がおっしゃっていました。「心は、関係性の総体。日常が奪われ、 それまでの関係性が崩れてしまったことがストレスであり、 関係性を修復したり、新たな関係性を作る手助けが求められている。 心、単体でケアしようとしたり、生半可な関わりをしてしまうと、 喪失を再現してしまう危険性もある。」友人も言っていました。「昔の友達に会いたくない時って、 当時の自分に引き戻されたくない時だよね。」心が、他人との関係から成っていることを、マラウイで実感しました。関係に傷つき、尊厳を奪われ、自らの命を断とうかと、がちがちになっていた心が、関係をさらにこわばらせました。そんな私の痛みにより添い、私の成長を待ち続けてくれたマラウイアンたちもいました。マラウイアンから、心の深さや豊かさ、ゆとりをわけてもらったような気がしています。明日は一人、静かに迎えようと思います今日もぽちっぽちっと応援ありがとうございます
January 16, 2009

木精占いなるものを、試してみました。清々しくエレガントで、優しく、感じやすく、涙もろいところがあります。でも、安穏な人生は望みません。試練が度重なるような人生を選び、魂が強く響くのを感じながら生きたいと願うでしょう。ヤナギは「心の潤いを忘れてはいけません」と教えています。感受性が強いために、人の心の奥まで読み、影響を受けやすいからです。損得計算ばかりする人、汚い言葉を使う人、あなたの魂を汚す人のそばで生きてはいけません。心が枯れてしまいます。あなたは愛する人の支えが無くては前に進めない人です。恋に翻弄されやすく、恋多き人と呼ばれたりしますが、真のパートナーを見つけるまでは、時間がかかるでしょう。恐怖心や焦りからの振る舞いですが、自分勝手な欲望が過ぎると、孤独のまま生きることになります。出会いを大切にし、救い救われる人生を歩んでください。あなたは突風が吹いても折れない、ヤナギの様なしなやかな精神力を持っていることを忘れずに。これを読み、涙がこぼれました。こそばゆいというか、合っていないところもありますが、胸に染みました。来週、小学生の皆さんに、マラウイのことをお話しする機会をいただきました。その準備に関し、同期に相談したところ、ある情報をくれました。その情報、私も持っていたのに、マラウイにいる間、活用することができませんでした。当時、知っていたら、村のお母さんや子どもたちとの関係も、さらに深まっていたかもしれないと、残念でした。人のせいにするわけではありませんが、私、こう見えて素直と言いましょうか。「チェワ語なんて覚えても、帰国後使えないし、ムダ」「マラウイアンは、猿」と、おっしゃってた先輩隊員たちの言葉を、無意識に吸収していたことに、改めて気づかされました。帰国後、他国に派遣されていた同期隊員たちと再会しました。うち一人は、2度目の隊員でした。彼曰く、1回目の隊員で、異文化へのなじみ方や、隊員との関わりなど、活動以外で消耗する部分との折り合いの付け方が、感覚でわかっていたので、2回目は活動に専念できたとのこと。経験が、人を育ててくれる。再度、隊員ができるのなら、活動も、現地での生活も、もっともっと楽しめそうな気がします。言葉は、励ましにも、武器にもなる。今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 15, 2009

マラウイから送った荷物が年末に無事、届いたことを、昨夜、飲み友達、Misheckに電話で報告しました電話をした時、彼はマーケットからの帰り道、家に向かって歩いているところでした。「あ、前からバンダが歩いて来た」と、電話を代わってくれました。 私 「Muli bwanji?」(お元気ですか?)ダグラス「Ndilibwino. Muli bwa?」(元気です。元気?) 私 「Ndilibwino!」(元気です。)久しぶりのチチェワの挨拶がうれしい 私 「Are you ヨッパライ?」ダグラス「No~ I’m not Yopparai」ダグラスとは、いつもこの挨拶でした 私 「Mukupita kuti?」(どこ行くの?) 以前、マラウイの東大と日本人は呼んでいる、 チャンセラーカレッジの学生さんと、 歩きながら話す機会がありました 日本語を教えてほしいという彼が、 「こんにちは」「ありがとう」の次に教えてほしいと言ったのが、 この「どこ行くの?」 もし私が外国語を習うとしたら、挨拶の次は、 「あなたのお名前は?」 「どこから来ましたか?」 あたりだと思うのですが、この日記でもご紹介した通り、 マラウイアンにとっては、挨拶の次に必ず来るこのフレーズダグラス「ここに立ってるだけ」 私 「へっ?」ダグラス「えへへ~。マーケット」 私 「何買うの?」ダグラス「チブク!」チブクとは、マラウイやザンビアなどで飲める、とうもろこしなどの穀類を発酵させたお酒。詳しくはこちらダグラスの主食ですちなみにこの時、マラウイ時間で夕方の4時頃。 私 「やっぱ、酔っ払いじゃん」ダグラス「No~ I’m not Yopparai」久しぶりのこのお気楽なノリに、癒されました10年前、インドの村にお邪魔した際にも、魂を村に忘れてきたようで、その後しばらく腑抜けになりました。当時はお手紙しか手段がなかったのに比べ、今はこうしてお電話できてしまうのですもの便利な時代になりましたねネットを日常的に使えるマラウイアンもいますが、彼らはアナログ今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 7, 2009

今朝、見た夢 セミナーのお昼休みに、ATMに行ったのですが お金が引き出せない 30分くらい格闘したのですが、エラー続き 口座番号を入力しようとしたところ、 通帳に印字されていた口座番号のうち1つの数字が 「」と表記されていました こんなん、出せるわけないやんと、窓口に行ったのですが、 そこにいたきれいなお姉さんたちは皆、 クレジットカード勧誘のアルバイトで、らちがあきません 担当者をお願いしたところ、昼食中とのことで、 15分あまり待たされた挙句、もぐもぐしながら登場 「まだ食事中だから」 と、私のクレームに対し、へらへら笑っているだけ。 担当者のそんな態度に怒ったところ、 お昼用に買ってあったチキンバーガーが、 鞄の中でばらばらになってしまいました 「ハンバーガーもこんなんなってしまったし、 お昼休みももう終わってしまう」 と、訴えたのですが、相変わらず へらへら笑っているだけの担当者に怒り心頭・・・で、目が覚めました夢占いのサイト、夢ココロ占い、眠り男の夢占い事典によれば・・・ (以前は、夢を文章で入力すると、解析してくれるサイトを 愛用していたのですが、閉鎖になってしまいました)銀行・通帳:あなたがこれまでしてきた努力や経験を示します。それらが試される時が近付いてきているのかもしれません。あるいは今までを振り返り反省すべき点・改善していく点がないか見直すようにとのメッセージの場合も!いずれも努力は今後大きな幸運へとなりそうです。ハンバーガーは見つからなかったのですが、サンドイッチは、夢主の問題や経験を、曖昧なまま消化しきれないことを象徴します。いずれも、就職がなかなか決まらないことに対する焦りを暗示しているのでしょうか?ちなみに、キャッシュカードもクレジットカードも、対人関係のトラブルを暗示しているのだとかでも、怒る:普段の生活や誰かに怒りや苛立ちといった感情があるようです。また思うように物事が進まないのは自分のせい?と責め自分自身に対してのイライラや焦りがあるのかも。しかし運気は上昇の傾向です。問題を解決していこうとしていたり物事をよい方向にもっていこうとする意欲的なパワーがあります。状況の好転が期待できそうです!期待、期待夢の中の登場人物は、日本人のようでしたが、勤務時間中にもぐもぐ、とか、へらへら笑っているだけで、対応しないって、マラウイでは、日常的な光景なんですよね待たされたのがたった15分だったのは、かなり優秀でしたが数日前に見た夢では、 フランスで、あるレストランに向かっていたところ、 向こうからやってきたおまわりさんに 「そこまで、バスで100で行けるよう、交渉してあげるよ」 と、持ちかけられましたが、 「そこまでなら、50で行けるよ。 フランスも、アフリカも、おまわりさんは一緒だなぁ」と思っていました。このサイトによれば、警察官は法律に従い行動するもの。う~ん私の中の「警官」「銀行員」に対するイメージが、「一般」とは、ずれてしまったのかもしれない夢分析にも、アフリカ篇が必要かも今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 6, 2009

昨日は、父方のお墓参りに行ってきました。 家から公共交通機関を使っては行きづらく、 車でも片道1時間半ほどかかるので、 これまで機会がなく・・・ ようやく帰国の報告ができました。 3か月かかっちゃいましたね 無事、生きて、帰国のご挨拶をすることが できてよかったと、改めて思いました。 (ご挨拶の相手=ご先祖様は亡くなっていますが) お墓では、お花を入れておく筒の水が凍っており、 ちらちら雪も舞っていました。 同じ愛知県でも、平野部とはかなりの気温差です。 帰国後、初の雪でした 韓国で、初雪は、恋人とともにすごす、とても大切なもの。 残念ながら 親と一緒でしたが、 なんだか厳粛な気持ちになれた、3年ぶりの雪でした日本のからすは、真っ黒でした今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 3, 2009

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜りまことにありがとうございました本年もまた ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます2年ぶりの、日本のお正月です。以前にもご紹介しましたが、我が家では、愛知県の田舎の風習に習い、大みそかから、宴が始まります。スーパーで買ったお肉でしたが、マラウイで大好きだったレストランのステーキ並みにやわらかく、「ごった煮」と呼ばれる煮物には、里芋、大根、こんにゃく、はんぺん、ちくわなど、マラウイでは入手困難な“高級”食材の数々。お寿司高級日本酒、泡盛、芋焼酎、赤ワイン・・・と、改めて、幸せをかみしめております今日も朝から、頑張って飲んできます末筆ながら 皆様のご多幸とご健康をお祈り申し上げます日本て、素敵今日もぽちっぽちっとありがとうございます
January 1, 2009
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