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事件から2か月程経った8月9日、遺体の身元が判明します。岡山から被害者の息子(養子)が上京してきました。そしてわかったのは、被害者の名前は三木謙一、65歳。お伊勢参りついでの気ままな関西旅行に1人で出かけたものの帰ってこず、家族が捜索願を出していたようでした。息子彰吉によると、謙一は東京に行く予定はなかったはずで、しかも「カメダ」という言葉に全く心当たりはないようでした
また、三木謙一は元警察官で、最後は島根県で20年ほど赴任。退職後は、地元岡山で雑貨屋を開き、今は彰吉夫婦が継いでいます。東北弁についても、三木は東北弁を使うことはなく、おそらく行ったこともないとのこと。三木が誰かに恨みを買ってなかったについても、「父は実に立派な人間で、誰からも恨みは買わない」と彰吉はきっぱり言います。
そこで今西は国立国語研究所の専門家から、有力な情報を得ます。それが東北弁に似た方言が、島根県出雲地方でも使われているということです。
そこで今西は、出雲に絞って「カメダ」の地名を探てみると「亀嵩(かめだけ)」という所を発見。ズーズー弁は語尾がはっきりしないのが特徴のため、「かめだけ」を「かめだ」と三木が言っても不思議はありません(と、専門家も言ってたし)。しかも三木は島根に赴任中、まさにこの亀嵩を中心に20年以上巡査をしていたことが島根県警の協力でわかります。今西はすぐ亀嵩に向かいます。
三木謙一の養子は、養父の警官時代を知りません。
もしかしたら、”警官”であることから、誰かの恨みを知らないうちに買っていて、今回の殺人事件に発展したのかも知れない――――そう、期待して今西は亀嵩にある村で聞き込みをするのですが、三木は非常に正義感が強く、真面目な人物だったようで、自分が逮捕した強盗犯にまで目をかけるような”お人好し”な人物でした。
実際、彼に刑務所に送られた前科者ですら「三木さんのお陰でまっとうな人生を送れている」と感謝されるような人ですから、三木謙一を知る全ての人から「あの人は人の恨みを買うような人ではない!」と断言されてしまいます。
本当によくできた人の様で、殊の外懇意にしていた桐原老人からは、「父子の乞食が村に来た時は、父親が病気だったため病院に送り、その子どもの面倒を三木夫婦がみた」というお話まで伺ってしまったのです。
一方吉村は、女が電車から撒いた白いものを、線路沿いでしらみつぶしに探します。すると、赤い色が付いたいくつかの白い布の破片が見つかり、その布切れを科学研究所に持ち込みます。すると布についていた赤色は血液と判明し、血液型はO型。三木謙一もO型でした。本格的に高木理恵子の捜索が開始されます。
三木謙一がなぜ東京に行ったのか。それがまだわかりません。旅行の最終目的地であった伊勢に着いたことは、息子彰吉に送られた絵はがきでわかります。そこで、今西は伊勢に向かいました。
そこでの聞き込みで、三木が泊まった宿の女中から、三木が滞在中、2日続けて同じ映画館に行ったことがわかりました。―――――もしかして、映画の出演者に今回の事件の謎を解く人物が映っていたのでは?と言う、今西の期待は呆気なく打ち砕かれます。
なぜなら、映画は入れ替えになっていて、三木が観た映画は初日と二日目では違ったものであり、それを知るだけで、映画の登場人物=三木の知る人物の線は消えた訳ですが、今西は重要な写真を映画館で見つけます。
今西は亀嵩から帰った後、三木が面倒をみたと言われる父子の乞食が気になり、桐原老人に手紙を送り情報を頼みました。すると返信が届き、その乞食の父親の方は本浦千代吉という名前で、しかもその生家の住所まで記されていました。今西はすぐその住所にある石川県上沼へ向かいます。
住所を訪ねると、千代吉の義理の姉から話を聞けました。本浦千代吉は、妻ふさとの間に、秀夫という息子がいました。しかしその秀夫が3歳の時、千代吉は病気にかかってしまい、妻ふさが家を出ていきます。その後千代吉も秀夫とともに村を去ってしまうのでした。昭和17年の夏のことでした。
さて、行方不明となっていた高木理恵子は、しっかりと都内に潜伏してしました。
彼女は和賀英良の愛人であり、彼の子供を身籠っていました。
和賀の出世のために日陰の身で甘んじるつもりの理恵子でしたが、お腹に宿った子供はどうしても生みたい様子。
しかし、和賀は冷酷にそれを却下します。
幾ら元大蔵大臣の娘との結婚が決まっているとはいえ、酷い仕打ちです。
その後、理恵子は流産をし、出血多量で死亡をしてしまいます。
身分を証明するものがなかったため、理恵子はしかるべき手続きを取り埋葬されますが、吉村はそこから確たる証拠をつかみ、犯人を追い詰める算段をしていました。
その頃、今西はある男の戸籍を調べるために大阪にいました。
その男は「和賀英良」、伊勢の映画館で飾られていた写真に写っていた人物です。
写真に写っていたのは、元大蔵大臣の田所重喜とその奥さんと娘、婚約者の和賀英良でした。
現地(大阪)で調べてみると、昭和20年3月の大阪の空襲で、英良の両親は亡くなっていました。しかし、実はその空襲で法務局も被災。そこにあった戸籍を消失した場合は、「本人の申し出を元に戸籍を再び作る」とのこと。その後、今西は英良が住んでいたとされる場所の付近を尋ねました。しかしその時、「和賀夫婦に子供はいなかった」ことを知ります。
「和賀夫婦に子供はなくて、奉公人(小僧)がいて、その小僧をとても可愛がっていた」と言う証言を今西は地元の古老から聞き取ります。
今西は地道な捜査の末、三木謙一殺害犯として和賀英良の逮捕状を請求します。それは奇しくも、和賀英良が『宿命』と言う曲を発表する日でした。
逮捕状の請求に際して、今西は事件のあらましを語ります。
それはあまりにも苛酷で残酷な父と子の”宿命”の物語でした。
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