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私の母親は、私に失敗を許さず、自分の描いたレールに外れそうになると異常なまでにぶちキレ、私の学校、交友関係に口をだし、それに反発すると暴力をふるう女です。
私が風邪などで具合が悪くても、仮病だといい、頭痛がひどくて吐きそうだ、といっても、「怠け病だよ」ととりあってくれず、無理やり学校に行かせ、それで勉強ができないとブチ切れて、挙句、唯一の息抜きだった部活をやめさせようと玄関口で立ちふさがり、顔を殴る女です。
母親は姑とうまくいかず、勝手に家を出て、父が私を迎えに来ても会おうともせず、その数日後、父は突然死しました。母がそばにいれば、仕事もしていなかったのだから、自宅で死んだ父は、救急車を呼んでもらえて、命が助かったのではないか、と思います。
母親は、そんな父を「愛していなかった。」と私に告げました。私の父は私が物心つく前に亡くなっています。遺品も残っていない。父の形見は写真1枚。そんな私に、父の悪口しか言わず、自分があなたを守った正義のヒーローだといい、感謝されて当然なのに親不幸な娘だ、と平気で言う母親のことが大嫌いです。
私は、それでも、母無しに生きていく方法を知らなかったので、何をされても母親に従うしかありませんでした。私にとって、母は神で、恐怖そのものです。同じ家で暮らすことができない。もし、一緒に暮らしつづけたら、私は犯罪者になり下がるかもしれない、自分が自分で居られない恐怖を抱えています。そんな苦しみから解放される唯一の方法は、自分の手首を切ることでした。痛みが、そういった思考を停止させてくれました。体から流れる血が、私の父から受け継いだ血、冷酷な母親とは違う血がきっと私にも流れているはずだ、と確認することができ、自分も一人の生きた人間なんだ、と確認することができました。リストカットが、私の命をつないでくれていました。
早く、家を出たかった。早く、結婚して、家庭を持ちたかった。
今は、その夢がかなって、幸せな家庭を築いています。
でも、それでも、母親の呪縛・マインドコントロールから抜け出すことができずにいます。
「結婚したら私の苦しみがわかる」
「子供を産めば、私を感謝するはず」
そういう母親の言葉が、うるさいくらいに、幻聴のように聞こえます。
私は、2人の子供を産んでも、母に感謝できない。母が私にしてきたことは、暴力で、愛情じゃない。母親は私を愛していない。母親は自分の人生をやり直したい思いが強く、私を進学校にあげることで幸せを感じていた。自分の人生を、身勝手に私に投影していた。私が小学校のとき、いじめにあっていたことや、リストカットのこと、私の悩みなどは一切、聞こうとしなかった。片親だから、しかたがないでしょ、と言って、話を一切聞かず、休みの日となれば、寝るか、ストレス発散のために大声で私を怒鳴りつけ、殴った。
中学1年から下宿させられると、平日に顔を合わせないで済むため、ある程度の安定が得られた。でも、土日になると車で会いに来て、下宿の階段を怒ったように駆け上がり、部屋に入るなりその週の勉強の成果を求められ、要求にこたえられないと縛り上げられる日々だった。
当然、夏休みになって、普通は下宿生はみんな家に帰るのだが、私は家庭に居場所がなかったため、クーラーもない部屋で親が会いに来ても必死で帰るのを拒んだ。
その後も、私が働いているのだから、投資した分の成果を出せ、といびる日々が続いた。
体も、頭痛と吐き気がおさまらなかったし、下宿先のご飯が体に合わず、毎朝気持ち悪かった。
テストの朝、テスト用紙が配られてすぐに、吐き気がおさまらなくて、トイレに行き、そのまま20分くらい戻ってこれずに、トイレで吐いたりした。
高校に入ると、制服のない学校だったので、一週間同じ服だったりした。
年頃で、そういうのは、ものすごく辛かった。
母は、勉強以外にお金をかけてくれなかった。
私が望むものは何も買ってくれなかった。普通の母親と娘のおでかけ話を友達からきくと、辛くていつも泣いていた。そういう話をすると、うちは母子家庭だから、とはぐらかされた。
でも、母は月収50万もあったのだ。その時は知らなかったから、しかたがないといつもしたがっていた。
大人になってから知った。
あの人は平気でうそをつく。
そして、自分の買いたいものしか、買わない。年頃の娘に、冬の着替えがセーター1枚なんて、耐えられなかった。私はいつも春先にやるフリーマーケットで自分の服を買っていた。50円とか、高くても500円までの服しか買えなかった。とても貧しい思いをした。自分で望んだわけじゃないのに、小学生のころから受験をさせられていた。泣きながら、無理やり机に縛り付けられて、そのためだけにお金を使っていた。小学校3年のころから、そういう暮らしだった。私が貧しいのは、そのせいだった。私だけじゃなく、祖父母もそういう暮らしを強要されていた。
9歳の女の子が、母親と離れて、80歳ちかい祖父母をアパートを借りて住み始め、中学から下宿して、ようやく大学3年になって、初めて、母と二人暮らしをした。人生の3分の1しか、母を知らない私は、母の存在自体が体に異変が起こるほど耐えられなくなり、1年で家を出た。
20歳になって、アルバイトを二つ掛け持ちして学費と教習所のお金を稼ぎ、足りない分は奨学金を借りた。就職して、結婚して、子供を産んだ。じゅうぶん、頑張った気がする。そろそろ、言いたいことを言わせてほしいと母に言った。いい子はもう疲れたって。
でも、母は昔のことなんて忘れた、もう大人なんだから、私に責任はない、と突き放された。
私はそれが許せなかった。
私は、ただただ、母に、謝ってほしい。
さみしい思いをさせてすまなかった。辛いのは、私だけじゃなかったんだね、と。一緒に頑張ってきたんだね。無理をさせたね、どうか許してほしい。私が間違っていた。
そう言ってほしいのに。
いろいろ、母と真剣に向き合ってきたけど、この願いは一生無理みたいです。
母は絶対に謝りません。
母は、私は被害者だといいます。
被害者なのに、善意で私を育てたのだから、感謝されることはあっても恨まれることはないといいます。
私の人生で、母に何か得たことは無かった。私の人生で、母がいて良かったと、思えたことはなかった。
母はいつも私を傷つけてきたし、これからも、そして、母が死んでも、私を苦しめるに違いない。
だから、私は、母など居ないと思うことにしていました。
でも、娘を生んだとき、娘の顔と、私の顔と、祖母の顔がそっくりで、母などいないなんて、言い聞かせられなかったし、嫌でも、娘と毎日向き合うので、母を忘れることができなかった。
娘が母に見えて、ノイローゼになった。
少し娘も大きくなって、顔もそれほど似てこなくなったので、ようやく普通に見れるようになったけど、小さいころは専門家に毎週きてもらわなければならないほど、私は頭がおかしくなっていた。
今も、母には会わない。
それは、私を守るためであり、私の娘たちを守るためでもある。
私はアダルトチルドレンなのだ。
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