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殴る・叩くこと以外に、顔をつねってきたり、
かなり大きな声で、尻上がりの調子で 「あ~~~~~っ」
と言ったり、
とにかく人前ではやらないでほしいと思うようなことが、増えてきていた
大きな声を出すことは、すごく恥ずかしかった。
どこにいても大きな声を出しているので、外に出た時は、周りの人が振り返り、変な目で見る。
買い物をしている時は、慌ててレジで支払いを済ませて、さっさと帰らなくてはならなかった
小さい頃は、まだ良かった。
どんなヘンなことをしても、「小さいから」という理由でごまかせる部分もあった。
でも小学校の高学年にもなって、手をつないで歩いたり、おかしな仕草や言葉を発しているのは、
もうごまかすことも、許されることも少なくなってきてしまった。
どこへ行っても、肩身の狭い思いをして「すみません」と謝りながら、
人目を気にしてかえでを連れ出すことに、私はとても苦痛を感じて疲れてしまっていた。
ハサミで広告(折り込みチラシ)を切ることも好きになった。
もともとけっこう器用なところがあって、
始めはハサミがうまく使えるようにと思って練習させていたんだけど、
だんだんエスカレートして、何でもかんでも切り刻んでしまうようになった。
姉妹の大事なノートやプリント、お便りなどは、その辺に放ってあったら最後!
人間シュレッダーかえでによって、ハムスターの巣材のようになってしまう
そして、そのハサミの親指を入れるところを、
自分のおでこにコツンと当てることがこだわりになった。
チョキチョキと切りながら、時々コツンとおでこに持っていく。
それもやっぱりエスカレートして、『 コツン
』が『 ゴツン
』になり、『 ゴンッ
』になり、
『 ゴンゴン
』『 ガツン
』というふうに、だんだん自傷がひどくなっていった。
尖っている刃の部分をぶつけるわけではなくて、丸い柄の部分を当てるんだけど、
自分でおでこに当てておいて、痛くてワーワー泣くこともあった。
自傷というのは痛くても自分では止められない行為のようだった。
自傷って、自分の存在が見えなく(わからなく)なっている時に、
自分に刺激を与えているのだと聞いたことがある。
それが理由の全てではないだろうけど、大きな声を出す事も、自己刺激なのかもしれない。
ハサミを隠しておいて、忘れさせようと思った事もあった。
でも、帰宅するとすぐに 「ハヒャミ」
と宇宙訛りの言葉で要求する。
「今日はハサミはないの」
と言うと、怒り出す。
そちらの方が大変なので、どうしても負けてしまって、ハサミが登場する。
なんでも、こういうところが私の弱いところで、ついついかえでに流されてしまって、
ちゃんと療育になっていない。
あとで思うと、もっと私がガンとして気持ちを徹底させていれば、
こうなってなかったんだろうな~ということがたくさんある
ハサミを手に入れたかえでは、いつものように嬉しそうに広告を切り始める。
それも決まった場所でしか切らない。
そこは和室なので、畳がすごく傷んでしまった。
切り刻んだ紙切れが、畳の縁の間に入り込んでしまうし、毎日の掃除も大変だった。
畳の表替えをしてもらってからは、小さいビニールプールを用意して、
この中でなら切っても良い、ということにした。
家で床屋さんをやる時に使うケープに、
切った髪の毛が散らばらないようにする縁がついているのがあるでしょ?
あんな感じで、紙切れがすぐに捨てられたらいいな~と思って、考えたものだった。
これはけっこううまくいって、水なしプールは、チョキチョキ用となった
私にしては、ナイスアイディア
この特技を、何かに活かすことが出来たら?と思ったこともあった。
キャンプに行った時にお会いした、切り絵の上田豊彦さんのように・・・
あのお母さんのように、子供を大らかに包み込んで見ていってあげたい、
な~んていう気持ちは、正直なところ、あまりなかった。
それより、疲れて果ててしまった私には、問題行動をやめさせることしか頭に浮かばなかった。
当時(かえでが5年生の時)、手書きでつけていた日記。
(平成14年)8月1日(木)
今朝から家の前で道路工事が始まった。
アスファルトを切る音がすごくて、
かえでが泣いて怒ってしまって大変だった。
ご機嫌直しにM(下の娘)も連れてドライブに出る。
途中、缶ジュースを買ったまでは良かったけど、
その後急に運転中に私に向かってきて、
Mが必死で止めてくれたけど、どうしようもなくて
車を停めて、落ち着くまで待っていた。
今度はMにまで向かっていくので、
慌てて止めさせたけど、
もうどうしていいのかわかんない。
帰りの車の中で、
かえでを殺して私も死のうと思った。
でもそんなことはやっぱり出来ないけど、
それくらい考えてしまった。
帰ってきてハサミでチョキチョキしてたら、
だいぶ静かになった。
これが一番好きなことなのかもしれない。
すごく辛くて担任に電話をしたら留守だった。
誰か私達を助けてください。
そして、早く道路工事が終わってほしい。
いつまでやるんだろう?
まったく毎日超暑い!
夏休みもまだ始まったばかりだけど、
早く2学期になってほしい!
養護学校に長期休暇はいらんわ!
このあと、担任が電話をくれて、私が泣きながら、
「私、このままではかえでを殺しちゃうかもしれない」
なんて言ったもんだから、担任が慌てちゃって、今度は副担任が電話をくれて、
「メイプルさん、へんなことを考えないでください!
すぐに行きますから!」
と言って、本当に来てくださったということもあった。
先生、ごめんなさいね、驚かせてしまって・・・
でも、それくらい切羽詰っていたということかな。
今では、辛いけど少し笑って思い出せるようになった。
まぁ、そういう現在も、似たようなもんだけどね・・・
小学校3年生の時のかえで
養・聾・盲学校の県の体育祭に参加した時の写真
大玉ころがしに出る順番を待っているらしい
「すでに戦う男の顔です」
先生の書いてくれたコメントが印象的だった