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京浜急行電鉄 デハ230形:デハ236(保存車)廃車以来、永らく川口市の青木町公園に保存展示されてきた京浜急行電鉄230形(デハ236)ですが、予算不足から放置され荒れ放題になっていました。里親探しで募集をかけたところ、元の所有者であった京浜急行電鉄が手を挙げ、保存が継続されることに決まりました。平成29年5月24日、陸送により工場に無事到着したそうです。2017-05-25に当時の記事をエントリしてから早9年になりますが、今般、京急ミュージアムを初訪問し、復旧されてキレイになったデハ236に実に19年振りに再会することができましたので、リバイバル内容を含めて改めてエントリいたします。※撮影は、平成19年7月8日、川口市立青木町公園にて。地元で子供の頃に遊びに通った青木町公園。長い間訪問したことが無く、娘の水泳大会で数十年振りに行くことになり、保存されていることを初めて知りました。こちらは道路側からの撮影です。陽当たりが良いためか、塗装がかなり劣化しています。※特に赤系塗装は紫外線に弱いとのことです。園内側からの撮影です。撮り易い角度、スペースとなっています。こちらは日中に日陰となるためか、比較的良好な状態でした。しかし、保存状態は良好とは言えず、いたずらにより破壊されている部分も見受けられました。子供の頃はなかったと思いましたが、昭和54年4月に譲渡されてきたようで、当時既に高校生になっており、保存車があるのは全く知りませんでした。令和8年5月2日 京急ミュージアムにてピッカピカに輝くデハ236。ビル内に収蔵したため、風雨にさらされて劣化する心配はもうありません。訪問内容はマル鉄回顧録にて公開します。(リンク貼り付けまでしばしお待ちください。)
2026.05.04
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EF58牽引14系客車:臨時特急「はつかり51号」まだ東北新幹線が開業する前、急行列車でさえ「優等列車」と呼ばれるにふさわしい速達性を発揮していた東北本線では、特急列車の需要が相当ありました。特にお盆や年末年始の帰省客輸送においては、昼間は増発の特急列車、夜は夜行急行といった図式が当てはまっていたと言えると思います。その中でも、特急列車については増発に対応する編成数には限界がかなり近かったと見え、昼間の「つばさ51号」「はつかり51号」、そして夜行の「ゆうづる51号」「あけぼの51号」には14系座席車が使用されていました。今回ご紹介いたしますのは、14系座席車を使用していた「はつかり51号」です。昭和55年4月27日 蕨駅にてEF58114が牽引して蕨駅横を通過する「はつかり51号」です。東北本線の14系特急と言えば「つばさ51号」と言われるくらい、その歴史は古く、多客期には必ず運転される名物の列車でしたが、当時2往復しかなくて供給が不足していた「つばさ」に対し、5往復も設定されていた「はつかり」に臨時が設定されたときはかなり意外でしたし、14系のテールマークの珍しさにときめきを感じました。120km運転のできる電車特急に比較して当然ながら鈍足となりますが、東北新幹線開業の間近まで運転されていたことは意外なところだと思います。当時の蕨駅では、駅別扱いの貨物を取り扱っており、狭いながらも貨物ホームや側線が複数ありました。バックに建つのは住友セメントの工場であり、工場の撤退後大きなマンションが複数建ち、現在に至ります。昭和56年5月 蕨~南浦和間にて14系客車は6連を標準固定としているため、基本的には6連×2の12連で編成を組んでも良さそうですが、なぜかこの列車は10連が定番となっていました。東北本線の有効長を考えれば12連でも何ら問題ありませんので、おそらくは勾配区間における牽引定数と速度維持の兼ね合いではないかと思います。「はつかり51号」は、宇都宮運転所のEF58が受け持っていました。同じく14系を使用した臨時特急「つばさ51号」はEF651000番台が牽引していましたので、列車スタイル的には好対照であったと言えます。何故このように牽引機が区別されていたのかは良く知りません。EF58の活躍も最晩年となり、全国的にもこの「はつかり51号」やイベント的に設定されていた臨時「踊り子」が最後の特急列車牽引となっていました。583系:特急「はつかり」その1583系:特急「はつかり」その2485系:特急「はつかり」583系仙台車:団体列車 リバイバル「はつかり」583系:特急「ふるさと」14系座席車:特急「つばさ51号」
2026.05.03
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DD1611:臨時快速「いいやま菜の花まつり号」JR東日本で最後まで残っていたDD1611ですが、令和3年12月24日付で廃車になってしまったそうです。殆ど出会ったことのないDD16なのですが、過去に金町のHさんからご提供いただいた飯山線臨時列車の写真を再編集によりアーカイブさせていただくことにいたしました。※平成21年5月2日、金町のHさん撮影。平成21年5月2~4日、長野~戸狩野沢温泉間においてDD16が旧型客車4両を牽引する臨時快速列車「いいやま菜の花まつり号」が運転されました。飯山線入線ということでDD1611が登板となっています。桑名川付近にて森宮野原駅にて信濃白鳥付近にて小さなディーゼル機関車が大型の客車4両を従える画は滑稽ながら、大変趣きのある光景です。元々小貨物用の機関車であり、SGを持たないことから客車列車を牽引することは殆どありませんでした。大糸線では、急行「シュプール」をDE10とプッシュプルで引いた実績はありましたけど。国鉄時代では考えられなかったと思います。客車が残存しているものの、肝心の牽引機が絶滅状態となってしまったJR東日本。もう「国鉄」を語ることはできなくなりそうですね。毎度貴重な写真のご提供、ありがとうございます。DD1611牽引:「パノラマ八ヶ岳号」JR東日本 DD16303牽引:チキ工臨JR東日本 DD1611牽引:チキ工臨国鉄 ディーゼル機関車:DD1620(大宮工場)
2026.05.02
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ひたちなか海浜鉄道(茨城交通):キハ205ひたちなか海浜鉄道で永らく活躍していたキハ205ですが、さすがに部品調達も難しくなり、メンテナンスコストの関係もあっただろうことから、引退を余儀なくされたようです。元は国鉄キハ20系として活躍した車両で、水島臨海鉄道へ払い下げ、その後に茨城交通にやってきました。キハ205は水島臨海鉄道時代に冷房化されており、茨城交通~ひたちなか海浜鉄道のキハ20系同属の中で、最も長く活躍できた理由でもあると思われます。平成18年4月30日 平磯駅にてキハ205を最初に撮影できたのは、まだ茨城交通だった時代。最初のデジカメを買って撮影に出た、最初の日の写真です。平成20年8月9日 金上~中根間にて平成20年8月9日 中根駅にて平成21年4月26日 勝田駅及びその付近にて平成21年4月26日 中根駅付近にて以降はひたちなか海浜鉄道になってから撮影したものです。3セク化後は新車導入までは出来なかったものの、JR等から使用実績の高い、設備としても見劣りしない車両が調達できたため、令和6年10月の運転をもって引退となりました。昭和40年製造ですから、私の年齢とあまり変わりません。気動車でも60年近く働いたのですから、悔いは無い筈です。
2026.05.01
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キハ20・40・45・58系:水郡線水郡線は、水戸~郡山を結ぶローカル線で、かつては急行「奥久慈」が走っていました。私はこの水郡線を完乗したことはなく、ローカル線として撮影に行ったことも無かったですが、水郡線にSLが走ったとき、列車又はクルマで数回行ったことがあります。今日ご覧いただくのは、SL撮影の合間に撮った普通列車の写真です。昭和60年4月30日 水郡線 撮影場所不詳築堤を行くDC普通列車。キハ40×2+キハ45×2の4連です。キハ45は、キハ20系以降、通勤・通学にもローカル運用にも使える車両として、キハ20系生産終了以後製造された車両です。しかし、間もなく新鋭キハ40系各種が誕生したことにより比較的少数の生産に終わってしまいました。昭和60年5月8日 水郡線 撮影場所不詳こちらは別の日に撮影したキハ45ほか3連。キハ45が先頭なので、顔が良く判ると思います。高運転台でユニットサッシを伴い、当時新鋭のキハ40と似た印象の顔となっていますが、車体幅がキハ20系時代と同じく狭いため、ちょうど合いの子のような感じです。いわゆる過渡期のスタイルであることが想像できます。昭和60年5月8日 水郡線 撮影場所不詳上の写真と同日に撮影したものですが、こちらはちょっとバラエティーで、右先頭からキハ28+キハ25+キハ40×2の4連です。キハ40系の投入により活躍の場が完全になくなりつつあったキハ20系ですが、、まだ少々運用が残っていたようです。凸凹な車両がランダムにつながれた、ローカル線らしい雰囲気の水郡線でした。
2026.04.30
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銚子電鉄:犬吠駅前 元相模鉄道モニ2022今回は廃車体ネタです。犬吠埼は千葉県でも有数の観光地であり、犬吠駅は超ローカル線の銚子電鉄の中でも駅及び駅前の造りがまったく様相が異なります。広い駅前には2両の廃車体を使用したお店がありました。※撮影は、平成20年5月3日、銚子電鉄犬吠駅にて。台車こそありませんが、パンタグラフも上がった、なかなか良い状態です。この写真を撮った時は銚子電鉄に在籍した車両だと思ってましたが、帰宅後に調べたところ当該電車は元相模鉄道のモニ2022ということで、さらに時代を遡ると元国鉄のクモハ11054だそうです。確かに車体の側面を見ると、モハ30を思い起こさせる窓並びになっています。写真では判り難いですが、左側のパラソルの向こう側には銚子電鉄のデハ501も利用されていました。海が至近なため塩害が激く、かなり頻繁に塗り替えなどの対策も行われていたようですが、平成24年7月に2両とも解体されてしまったということです。鉄道車両が保存されるというのはファンとしては嬉しいことですが、野天での保存には莫大な維持経費が掛かってしまい、長く保存されるケースは稀と言えます。朽ちた車体を見たり、解体された情報を耳にする度に心が痛みます。銚子電鉄:デハ301+デハ501 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄:デハ801 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄 デハ1000形:デハ1002 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄 デハ1000形:デハ1001 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄:700形(デハ701・702) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ
2026.04.29
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185系:特急「踊り子173号」(大宮始発)特急「踊り子」は、東京又は新宿発着として設定されていましたが、251系「スーパービュー踊り子」の新宿発については、大宮~新宿間の延長運転を行っていました。そして大宮始発「スーパービュー踊り子」は、251系が検査などで不足する際、185系による大宮始発「踊り子」が設定される時があり、地元を通る唯一の営業運転185系「踊り子」として見ることができました。今回は、地元で撮影することができた185系による大宮始発「踊り子173号」をまとめたいと思います。平成20年8月23日 A5編成平成21年1月17日 A3編成平成21年7月4日 A1編成このくらいまでコンデジのみの頃で、あまり写りが良くありません。スカートが強化型になる前で、オレンジと緑のブロック塗装のみ。所属も田町でした。平成24年3月20日 A2編成平成25年7月28日 A7編成しばらく撮影していなかったようで、3年近く空白がありました。この間にスカートが強化型に換装されています。平成25年3月に田町車両センターが廃止となったため、この2枚でも所属が異なっていますが、編成番号がそのままのため、外観の変化はありませんでした。平成28年2月14日 A1編成またしばらく期間が開き、185系の塗装が///と変化しました。「踊り子」用の車両すべてが大宮総合車両センターの所属となり、東京又は新宿への送り込みが必要となった訳ですが、あまりにも乗車率が悪いためか、この年を最後に大宮始発の「踊り子173号」の設定は消滅してしまいました。251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.28
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国鉄・JR貨物:EF651058(EF652058)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651058(EF652058)です。1058号機は、昭和51年度に誕生した増備車で、昭和52年1月19日に落成しています。首都圏では旧型電機がまだ多く残っていた時代で、EF13やEF15などの置換えを目的に誕生しており、久し振りの増備となった同型は、PS22Bパンタグラフを搭載し、新しい時代を感じさせる外観となっていました。国鉄時代は新鶴見機関区へ配置となり、首都圏の貨物列車全般に活躍していました。詳細は不明ですが、民営化辺りで高崎機関区へ転属となり、また新鶴見機関区に戻っています。同機に関しては、残念ながら国鉄時代の写真が見当たらず、JR貨物更新色後のご紹介となります。平成21年10月18日 2082レ平成22年3月20日 2082レ平成22年9月26日 4094レ平成22年9月30日 2071レ平成22年10月31日 2082レ平成23年1月18日 新座駅にて ????レPF牽引の貨物列車の写真を撮るようになった初期の頃は、3色更新色から2色更新色への切替が行われてきている時期でしたが、この辺りの番号はまだ3色のカマが残存していました。平成23年12月16日 7071レ平成23年12月24日 4094レ同じ平成23年ですが期間が開いていますので、この間に検査入場し、2色へ塗装替えがされたようです。そしてこの翌年に2000番台に変更されEF652058となったようですが、平成27年には廃車になっていますので、2000番台になってからは一度も検査を通すことなく、この世を去ってしまったと思われます。この間、3年ほどの期間があった筈ですが、運悪く2058号機としての記録は残念ながら残せませんでした。
2026.04.27
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183・189系田町車→大宮車:団体・回送列車昭和50年代の直流区間を席巻した直流特急型車両の183・189系も、平成30年に波動運用から撤退し、終焉を迎えました。過去ログでもいくつかの183・189系田町車を使用した団体列車・修学旅行用列車をアップしておりますが、その他団体列車や回送列車には触れておりませんでしたので、資料性はあまりありませんがまとめておきます。※地元以外の撮影地のみ、撮影区間を掲載しています。平成20年1月6日 新小岩~金町間にて H81編成? 団臨列車平成21年6月13日 H81編成 団臨列車平成22年5月22日 大宮~宮原にて H81編成 団臨列車平成22年10月16日 H101編成 団体列車平成22年10月22日 編成番号不明 回送列車平成23年1月16日 H101編成 回送列車平成24年4月28日 H102編成 団体列車「深谷パンダ号」回送 回9561M平成24年5月13日 H101編成 回9574M平成24年5月19日 H101編成 団体列車 9832M平成24年5月19日 H101編成 団体列車 9835M平成24年6月15日 H81編成 回送列車平成25年5月18日 H101編成 団体列車 9835M他線で臨時列車等に運用が忙しかったためか、6連のH61編成は殆ど記録がありませんでした。これでも撮影をシカトしてしまった場面が多くあり、それほど見ない日はないくらいに活躍していました。田町車両センターの解消により、平成25年3月16日付けで全編成が大宮総合車両センターに配属替えとなりましたが、活躍自体はそれまでと変わらない状況でした。しかし、それもおよそ1年ほどで大宮車両センターの183系・189系はすべて廃車又は転属となり、最終一番の大所帯配置区もわずか1年で0配置となってしまいました。183系・189系 田町車:修学旅行臨(集約臨)
2026.04.26
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EF8198牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8198号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成20年1月14日 「北斗星2号」平成20年2月10日 「北斗星4号」平成21年5月23日 2レ98号機は、昭和49年3月16日新製の日立製。94~100号機に属するグループは、昭和48年度の最終製造で、95~100号機が富山第二及び酒田に3両ずつ配属され、この98号機は酒田機関区に配属となり、長岡運転所を経て田端運転所にやってきました。「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などで活躍し、EF510-500番台の導入さらにはJR貨物への譲渡後も「カシオペア紀行」や救援用として長く活躍し、令和6年6月8日付で廃車となっています。
2026.04.25
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マル鉄回顧録で、KATOから発売された415系セットの旧製品に関する記事を掲載しました。【Nステ:その11】KATO 10-417 415系「国鉄標準色」8両セット是非ご覧ください。
2026.04.24
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185系:特急「踊り子」(東海道線)特急「踊り子」シリーズで、今回は東海道線と新宿駅で撮影したものをプラスしてご紹介です。平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて A1編成これも寝台特急「富士」「はやぶさ」の撮影の際についでに撮れたもの。デジカメが入院していたため久し振りにF-1を使用したネガ写真ですが、残念ながらブレてしまいました。平成30年9月16日 品川駅にて C2+OM04編成 特急「踊り子102号」マクセルアクアパーク品川のチケットが手に入ったため、久し振りに家族で外出。品川駅に着くとちょうど「踊り子」の時間だったために撮影したもの。高輪ゲートウェイ駅の開業に向けた線路切替工事の過渡期であったため、記念撮影しておいたものです。平成29年5月9日 C2+A7平成29年6月9日 C2+A1平成29年6月22日 C5+A8列車はすべて特急「踊り子114号」です。2年間だけ大手町に通っていたため、東京駅で撮影する機会がありました。退社が少し遅れるとちょうど良かったので、東京駅へ寄り道しました。東京駅到着が17:45ですので、陽が長いとは言え夏至前後が限界です。走行写真も難しいため、アングルも毎度同じ。令和2年8月4日 新宿駅にて A7編成 「踊り子5号」令和2年12月24日 新宿駅にて A1編成 特急「踊り子5号」令和3年2月8日 新宿駅にて A6編成 特急「踊り子5号コロナ禍で時差通勤が続いています。本来ならちょうど新宿駅へ着く直前で発車してしまう「踊り子5号」ですが、東海道線のダイヤ乱れにより何回か撮影する機会がありました。185系:特急特急「踊り子」(伊東線)251系:「スーパービュー踊り子」251系:「スーパービュー踊り子」(回送編)EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.24
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マル鉄回顧録で、TOMIXから発売されたキハ181系セットの旧製品に関する記事を掲載しました。【Nステ:その10】TOMIX キハ181系セット(旧製品)是非ご覧ください。
2026.04.23
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東北本線:利根川橋梁の切り替え直後東北本線で、埼玉県~茨城県の県境には利根川が流れており、広大な川幅をまたぐ橋梁が掛かっています。おそらくですが、古くは単線非電化で、その後早いうちに複線化されたと推測されます。それは、上下線が離れており、架橋のスタイルが異なっていることから、ここに初めて行った時から想像が付きました。旧橋時代は、急カーブな上に上下線が大きく離れているため、有名撮影地として多くのファンが集まりました。近場の安直な撮影スポットでしたが、今となっては上下線の間に立ち入っただけで通報され、場合によっては逮捕されてしまいますから、隔世の感が否めません。ここに初めて連れて行ってもらったのが中学1年のとき。ただ、今のような簡単に写せるカメラではなかったため、ろくな写真がありません。昭和59年1月頃に撮影した利根川橋梁です。老朽化した鉄橋は新橋に切り替わり、カーブの解消と共に用済みとなりました。新橋は、直線で橋脚の少ない立派なトラス橋が架かりました。これらの写真は、かつてはあまり訪れたことの無い茨城県側となります。旧橋梁は、栗橋側の取り付け部では直線でしたが、古河側はややカーブしながら取り付いていたのを記憶しています。かつては旧型客車のデッキにドアを開けたまま座り、ガーターが足元に近づいてくるスリルを味わいながら乗ったものです。その頃はデッキから落ちて命を落とすような人は居なかったので、そのような行為をしていても注意を受けることはありませんでした。この写真を撮ったときは新線に代わって間もないですが、撤去工事の速さは凄まじいものでした。コレよりちょっと前に行ったとき、撤去済みのトラスやガーター橋の瓦礫の山積みが残っており、それらの写真もかなりの枚数で撮っていたのですが、それらのリバーサルが水難事故に遭い、すべて廃棄してしまいました。その頃は皆さんにお見せできる時代が来るとは思っていませんので、ためらうも思い切って処分してしまったのですが、数枚でも保存して置けば良かったと後悔しています。EF57と共に、多感な時期を一緒に歩んだ鉄道の光景でした。
2026.04.23
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山陽新幹線:100系「こだま」※本記事は、2012-03-13に投稿したもので、当時の表現になっています。新幹線100系は、昭和60年から平成2年に掛けて製造された車両です。0系に代わる車両として誕生した100系は、2階建て車両の連結、シートピッチの拡大など、サービス向上に貢献しました。300系の登場により、その任を次第に譲ることになり、短編成化のうえ長らく山陽区間の「こだま」として活躍してきましたが、その役目もいよいよ終焉を迎えました。平成22年7月25日 岡山駅にて初上陸となった岡山駅。ホームに上がると、既に100系が既に停まっていました。残念ながらリバイバル色ではありませんでした。しかし、こうしてN700系と並べてみると、車体断面の違いが一目瞭然ですね。平成22年7月25日 岡山駅にて久し振りというか、変わり果てた塗装になってからは初めて逢った100系でしたが、感慨に浸る間もなく、西へと発車して行ってしましました。これが最後のショットとなってしまうかと思うと寂しい限りです。反対側の一番奥のホームにも4両編成の100系が到着したのですが、初めての岡山駅で列車の動きの勝手が全く分からず、結局は撮り逃してしまいました。100系は、私が山口線とかに行かなくなってから誕生した車両のため、全然乗ったことがなかったんですよね。それこそ、100系の東海道からの引退間くらいの時、既に娘が生まれていましたが、初めて東京~熱海間を乗車しただけで、これが最初で最後となっています。もちろん、写真なんて1枚も撮ったことがないんです。つまり、この写真が100系新幹線のファーストショットであり、結果的に最後の写真となってしまいました。
2026.04.22
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EF641000番台:EF641005EF64シリーズで、今回はJR貨物の1005号機です。平成23年8月14日 田端機関区にて平成25年5月12日 2082レ昭和61年10月9日 蓮田~東大宮間にて 上り荷物列車 最後の写真は、荷物列車末期の運用です。短期間ながら、EF58の運用を受け継いで荷物列車牽引の最期を飾りました。1980.8.20 新製2022年度 廃車
2026.04.21
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JR東日本 DE111043DE11シリーズで、今回はDE111043号機をご紹介したいと思います。平成24年11月10日 尾久車両センター同センターの公開で、正式に公開されていたものです。1043号機は、昭和49年11月7日誕生の川崎重工製。登場当初は厚狭機関区に配置された暖地向けのカマ。民営化に向けた整理により、昭和61年10月27日付で田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成29年2月20日付で廃車となったそうです。
2026.04.20
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189系:豊田車波動用として豊田区に配置されていた189系。晩年は、M50~52の6両3編成が配置されており、「ホリデー快速」や団臨などに使用されていましたが、さすがに老朽化により引退となっています。今回は、既にご紹介済みの臨時列車以外の写真をまとめてみました。M50編成特急「あずさ」として長野オリンピック開催の頃から中央本線を象徴する塗装として活躍してきましたが、幕張車の引退後は最後の1編成となりました。平成20年7月9日 新宿駅にて M50編成 試運転当時、あまり興味も持っていませんでしたが、たまたま午後からの仕事の時に新宿駅で発見し撮った写真です。団体列車かと思ったのですが、ヘッドマークが「試運転」になっていました。平成22年5月16日 蕨駅付近にて 珍しく貨物線を通った回送列車それまで撮影した列車はモモずきんのステッカーがあったので幕張車かと思っていたのですが、編成札が無いことからM50編成であることが判明しました。平成30年1月25日、豊田区に所属する189系M50編成が廃車のために長野送りになり、その回送を利用して「さよなら 189系M50編成 富士急行線・中央線ラストラン」として最後の営業運転を迎えることになりました。189系 M50編成(豊田車):快速「ホリデー快速富士山」183系:189系:快速「ホリデー快速河口湖」M51編成M51は、国鉄特急色となっていた編成です。平成26年1月18日 大月駅にて 豊田M51編成 団体列車富士急の撮影に行った際、自分の後を追ってきた団体列車がM51編成でした。往年の西側スター同士の並びでしたが、ほんの少しの切り遅れで残念な構図になってしまいました。平成28年10月22日 189系 豊田M51編成 9529M地元ではなかなか見ることのできない豊田車。この時も記録ではM52編成の充当を期待していたようでした。結果的には国鉄色でしたが、地元でのキャッチは貴重な機会でした。M52編成に続き、平成30年4月27日、国鉄色のM51編成がラストランを迎え、廃車回送を兼ねた団体列車として長野まで運転され幕を閉じました。189系:臨時特急「わかしお82号」189系 M51編成(豊田車):快速「ホリデー快速富士山」M52編成平成27年10月8日 新宿駅にて 189系豊田車 M52編成説明会の講師として出掛けた午後、新宿駅で偶然に出会ったM52編成。自分一人であれば間違いなく隣のホームへ行ったところですが、相方が居たため仕方なくこのシーンだけ。それでも電車が頻繁に発着するため、ほんの数秒という時間で撮影したものでした。M52編成は、元田町→大宮を経て豊田にやってきたH102編成からモハ2ユニットを除いたものであり、平成26年11月にグレードアップ色に塗り替えられました。平成30年4月22日のラストラン団体列車運転をもって引退となりました。現役時代のグレードアップ車も、急行「アルプス」のグリーン車で南小谷まで乗車した1回のみで、「あずさ」の写真は1枚も撮ったことがありませんでした。最後に何回かトライしましたが、この塗装は何故か縁がなく、M52編成として遭遇できたのも結局はこの1回だけでした。
2026.04.19
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国鉄 交直流型電気機関車:EF811EF81シリーズ、今回はトップナンバー1号機です。1号機は、昭和43年12月21日落成の日立製で、北陸本線糸魚川~直江津間の電化開業用として誕生した先行量産車です。日本海縦貫線の電化が進み、交流60Hzの北陸本線と、直流区間及び50Hzの羽越本線が存在することから、交直両用機関車として初めて3電源対応を搭載した画期的な機関車でした。EF81は、基本番台が152両製造され、他にもステンレスボディの300番台、民営化対応として500番台及び450番台が少数ながら追加製造されました。(400番台は基本番台からの改造のみ)EF81も製造期間が長かったため、基本番台でもいくつかの形態差が発生しています。特にトップナンバー1号機については、タイフォン1機が前面に配されており、電気機関車全体の中でも非常に特異なスタイルとなっていました。※残念ながら、比較的早いうちに撤去されてしまいました。昭和58年4月16日 EF811 米原駅にて配置が富山第二機関区で、民営化後も富山を離れることがなかったカマであり、出会い自体がかなり奇跡的であったと言えます。富山港線から飯田線への移動の際、急行「きたぐに」に乗って米原で乗り継ぎました。「きたぐに」から下車した直後、機回し線か回送線か分かりませんが、EF81がゆっくりと走ってきて、トップナンバーだったために慌てて撮影したものです。それにしても、移動でしたのでカメラもバッグにしまってあった筈で、良くも素早く撮影したものだなと思います。あまり寝ないでボーっとしていたのか、この写真を見てもどの位置からどの角度に向けて撮ったものなのか、今の米原駅とは配線もかなり変わってしまったようで、まったく検証できませんでした。同車は、平成16年3月31日付で廃車になったようですが、今でも富山機関区で眠っているようですね。
2026.04.18
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EF641000番台牽引:東北本線訓練運転地元でまだブルートレインが辛うじて健在だった時代、少なくなっていた客車列車の運転のため、予備のブルトレ車両を使用した訓練運転が頻繁に行われていました。殆どはEF81によるものでしたが、時折EF651000番台が充当されることも有り、EF510の登場に伴ってこれに代わって行きました。平成25年9月、何故かこの期間に限ってEF641000番台が訓練運転の先頭に立つ姿が見られるようになりました。訓練運転の主体は田端区であることから、牽引機には「あけぼの」の牽引で上京したカマを間合いで使用する形態が取られたようで、毎回ナンバーの違うカマが充当されたようです。平成25年9月14日 EF641051牽引 回9502レ平成25年9月15日 EF641031牽引 回9502レ訓練運転の日数は飛び飛びですが、比較的に長い期間行われたようです。平日の設定が多いため、記録できたのはこの2日間のみ。「北陸」や「あけぼの」でも金帯車を牽く機会のあった同機ですが、金帯が揃った編成を牽くことはなかったので、非常に貴重なシーンです。これで編成端にカニが連結されるとより良い画になったのですが、私が記録している限りでもそのような編成は殆ど無かったので、贅沢を言えるものでもありませんでした。
2026.04.17
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EF510-513・514牽引:寝台特急「北斗星」今回は、513号機と514号機が牽引する「北斗星」を集めました。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成23年1月9日 EF510-513平成24年6月15日 EF510-513平成25年4月27日 EF510-513平成25年5月26日 EF510-513平成26年1月13日 EF510-513 王子駅付近にて平成26年3月23日 EF510-513平成26年8月16日 EF510-513平成26年11月3日 EF510-513ここまでは513号機牽引の定期列車時代上り2レです。平成27年6月13日 EF510-513 8007レ平成27年6月27日 EF510-513 8007レ平成27年8月1日 EF510-513 8007レここまでは臨時化後の下り「北斗星」です。513号機も最後まで残っていたため、臨時化後の遭遇率は高かったようです。平成22年11月13日 EF510-514平成24年4月8日 EF510-514平成24年10月14日 EF510-514平成25年11月24日 EF510-514平成27年3月14日 EF510-514514号機も第2弾の譲渡組となっていますが、何故か「北斗星」に関してはコマ数が少なめでした。編成向きが途中から変わっており、上り列車に対しオハネフが上野寄りに連結されるようになりました。写真を見ると、オハネフ25+オハネフ24500番台があり、日によってオハネフ25+オハネフ25の日も比較的に見られたようです。次回は515号機牽引「北斗星」をもって完結となります。
2026.04.16
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185系:特急「踊り子」(国鉄時代)昭和56年10月、それまで伊豆方面の優等列車を担っていた特急「あまぎ」に、急行「伊豆」を取り込んだ特急「踊り子」が誕生しました。特急「踊り子」用の車両として185系電車が製造され、それまでになかった斜めストライプのデザインは鉄道ファンに衝撃を与えました。急行列車用に使用されてきた153系も185系で置き換えることとなったため、ドア幅を急行形普通車と同じ1000mmとし、客窓も開閉できる方式としています。185系は昭和56年1月に竣工し、田町電車区に配置されています。ただし、充当は完成の都度となっていたため、運用初日は東京発下りの普通列車(基本編成10連)によるものとなっていました。※Wikipediaの記載とは異なります。一方、特急列車は昭和56年10月のダイヤ改正まで引き続き183系1000番台による特急「あまぎ」が継続して運転されていたため、普通列車及び急行「伊豆」に順次使用され、特に急行「伊豆」については専用のヘッドマークまで用意されました。前置きが長くなりましたが、国鉄時代の185系特急「踊り子」の写真です。あまり色調が良くありません。昭和56年10月頃 品川駅にて A1編成登場間もない頃の特急「踊り子」。昭和58年5月14日 保土ヶ谷~戸塚間にて A8編成昭和58年12月1日 早川~根府川間にて C2編成斬新なデザインで登場した185系でしたが、シートが少し前に誕生した新快速用117系と同様のもので、スピードも急行時代と然程変わらず、ファンからの評価は厳しいものでした。併行して使用されていた183系による「踊り子」は、昭和60年3月(東北上越新幹線上野開業)の改正で余剰となった185系200番台により置き換えが完了し、「踊り子」は15連、12連、10連、7連という多彩な編成で運用されるようになりました。追記185系の形態について。外観についての変化ですが、写真はすべて国鉄時代オリジナルの姿で、運転台側面下部に小さなJNRマークが設置されています。スカートは活躍末期になってから強化型に換装されています。さらに、屋上にはアンテナが設置されるようになり、正面がちからはホイッスルカバーが見づらくなってしまいました。251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.15
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東京メトロ 日比谷線:03系 VVVF車昭和63年7月に運転を開始した営団地下鉄03系。それまでの日比谷線用3000系を置き換える目的で、平成6年度までに全42編成が製造されました。年度によって1次車~7次車があり、5次車の途中までがチョッパ車、これ以降がVVVF車、4次車までが字幕式サボ、5次車以降がLED式サボ、5扉車が3次車の途中~6次車の途中までと、ちょっとややこしくなっています。最後まで残っていた第36編成でしたが、令和2年3月4日、廃車のための回送が行われ、ここで東京メトロ03系は形式消滅となってしまいました。今回は、後半5次車途中~7次車までのVVVF車(第26~42編成)でまとめてみました。平成29年3月12日 姫宮~東武動物公園にて 第29編成平成29年3月12日 姫宮~東武動物公園にて 第30編成平成29年3月12日 松原団地駅にて 第31編成平成5年度導入の6次車で、直前の第28編成までが5扉車であったのに対し、ここからは3扉に戻されたのは、東武鉄道20070系と同様となります。平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 第36編成最後まで残っていた第36編成です。平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 第39編成平成29年3月25日 越谷駅にて 第39編成平成6年度導入の最終7次車で、形態・性能は6次車と同様です。令和2年2月末現在で、7次車第36編成が最後の1編成として残存するのみとなりました。ここでご紹介したほか、『東京メトロ日比谷線03系:東急東横線乗り入れの終焉』でもアーカイブ済みの写真があります。
2026.04.14
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DD51ディーゼル機関車:中京地区編DD51型ディーゼル機関車は製造数が多く、四国を除く各地に配置されたため全体数から比較してあまり写真を撮っていませんでした。そんなこともあって、出掛けていった地域で撮ったものをある程度の地域範囲ごとにご紹介しています。今回は、関西で撮ったものを含みますが、基点が亀山機関区辺りになるであろうことから、中京地域編としてまとめてみました。平成21年8月23日 四日市駅にて DD51857 2022年度廃車平成21年8月23日 四日市駅にて DD51892 2018年度廃車貨物列車撮影のために四日市へ出掛けた時に撮ったものです。現在最も一般的な塗装の更新機です。個人的にはあまり好きになれませんが、両数が激減している今となっては贅沢言っていられない状況になりました。この際に撮ったA更新機青塗装車にについては、過去ログ『DD51型ディーゼル機関車:A更新青塗装車(893号機、889号機)』でご紹介しています。平成20年5月24日 大宮車両所にて DD51856 2015年度廃車平成19年5月26日 大宮車両所にて DD51847 2015年度廃車いずれも大宮鉄道ふれあいフェアにおける公開時に撮影したものです。この頃は、西のDD51も大宮車両所にて全般検査を実施しており、時折このように地元では見ることができないDD51に出会うことがありました。しかし、DD51の検査は平成28年度をもってすべて終了し、もう見ることもなくなってしまいました。平成2年7月5日 紀勢本線 区間忘失 機番不明民営化されて間もない頃、紀勢本線の非電化区間遠征の際に撮った写真。目的はキハ82系「南紀」ですが、貨物列車も目的に入っていました。DD51の原色重連がワム80000を連ねる光景で、最後部にはタキ5450が1両だけ付いていました。当時は更新機など存在せず、当たり前の光景でした。昭和55年8月 京都駅にて DD511036 平成14年8月31日 廃車時は遡って昭和の国鉄時代。撮影したのは京都駅ですが、同車は新製時 から亀山機関区の配置で、平成3年に宮原に転属してきたようです。ということは、この時点では亀山機関区配置と言うことになります。関西の貨物事情には全く疎いので、東海道本線をこのようなDDの牽引が走っていること自体がピンと来ませんし、ましてや山陰本線の貨物列車であれば納得が行きますが、何故関西本線系の列車がここを走っているのか想像も付つきません。昭和52年3月30日 名古屋駅にて DD51713 1998年2月3日廃車 さらに遡り、名古屋駅で撮影したDD51の写真です。中京地区のカマと言っても、実際には昭和45年4月23日に新製され、佐倉機関区に配置された東の暖地仕様です。この写真は新製後たった7年後のことですから、かなり早い時期に名古屋地区へ異動となったようです。奥に停車しているのはおそらく関西本線の普通列車です。このDD51が牽いてきて機回しをおこなっているところかもしれません。それにしても、大都市名古屋駅のホームに屋根がなく、傘をさして列車から降りてくる光景というのも、今となっては想像を絶します。DD51ディーゼル機関車:DD511805DD51型ディーゼル機関車:A更新青塗装車(893号機、889号機)
2026.04.13
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EF651000番台(2次車):EF651018~1022EF651000番台は、先に誕生した0番台一般型や500番台の改良版として誕生したマイナーチェンジ車です。主な改良点は、寒冷地での使用に応えるために耐雪耐寒を装備しており、また、同じく寒冷地での重連運用を考慮して貫通扉が設けられ、すべての車両が重連仕様となっている点において、0番台一般型や500番台と大きく異なります。貨客両用の装備もあることから、PF型とも称されています。今回は2次車をまとめてご紹介。昭和44年度に製造された1018号機~1022号機が該当します。1019号機 昭和62年3月19日 蓮田~東大宮間にて初代レインボー塗装となったカマで、その後の2代目1118号機とはデザインが若干異なることは有名です。国鉄時代最末期、スーパーエクスプレスレインボーの誕生に合わせて塗り替えを実施いたいましたが、その内容はトップシークレットにしていたらしく、初日の運転まで誰も知らず、現地で構えていた鉄道ファンは度肝を抜かれたものです。写真はスーパーエクスプレスレインボーのお披露目運転の際に撮影したもので、同機同色としての初営業運転となった日のものです。1970.4.2 新製1998.9.1 廃車1020号機 昭和60年10月頃 蓮田~東大宮間にて画像がすごく荒れていて気分が悪くなります。(笑)ホキだらけの編成も、時代を感じさせます。1970.4.10 新製1997.9.2 廃車1021号機 昭和58年8月17日 大宮駅にてショボイ写真ですがご勘弁を。偶然撮っていた1021号機です。1970.4.16 新製1997.9.2 廃車1022号機 昭和57年7月頃 大宮機関区にてこちらも偶然写っていた1022号機です。昔はこんな風景でも「つまらない」と思って撮っていましたが、今となっては大変贅沢な光景ですね。1970.4.23 新製1999.6.7 廃車※EF651000番台(特に初期車)については、未撮影のカマが多いため、欠番表示は省略いたします。
2026.04.12
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京成電鉄3300形:標準色終焉京成3300形は、昭和43年に登場した通勤型電車で、車両の近代化により徐々にその数を減らして細々と運用されていましたが、最後に残った2編成が平成27年2月28日のさよなら運転を持って運用を外れることになりました。過去ログで数々の3300形をご紹介しておりますが、最後に、更新塗装の3300形の写真をまとめます。平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3333平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3344平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3348青電編成を探しに行った際、津田沼で撮影したもの。京成津田沼にを訪れたのは昭和55年以来でした。平成22年11月9日 京成金町~柴又間にて 3341平成22年11月9日 京成金町~柴又間にて 3348平成22年11月9日 京成金町駅にて 3320外回りの仕事でJR金町駅に来ましたので、時間調整で撮影。平成24年1月16日 京成金町駅にて 3348平成24年1月16日 柴又駅にて 3337平成24年1月16日 京成高砂~柴又間にて 3337平成24年1月16日 京成高砂こちらも現場回りの際に撮影したもの。現場は京成高砂だったのですが、帝釈天に寄り道してみました。この日は赤電復活塗装と、こち亀のラッピング塗装車に当たりました。私から見た京成電車というのは、やはり3100~3300形の赤電そのものですが、私鉄の写真を撮り始めた高校時代の車両たちも、残党と言えるのは東武8000系とこの京成3300形くらいしか見当たらなくなりました。そんな思い出の車両もいよいよ引退となり、京成ではこの時点でも残るは北総鉄道へのリース車両北総鉄道:7260形(7261F)だけになってしまいました。関連リンク『引退 京成電鉄:3312 ファイアーレッド編成』『引退 京成電鉄:3356 青電編成』京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3300形(非冷房時代)京成電鉄 モハ700形:行商専用列車 京成電鉄:青電2100形・210形北総鉄道:7260形(7261F)
2026.04.11
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EF641000番台:EF641004EF64シリーズで、今回はJR貨物の1003号機です。平成23年1月8日 3071レ平成23年2月23日 3071レ平成23年12月10日 8592レ シキ611平成25年3月17日 3071レ1980.7.30 新製2022年度 廃車
2026.04.10
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国鉄貨車 ワム60000ワム60000は、昭和36~38年に掛けて8580両も製造されており、いわゆる「黒屋根」貨車の中でもメジャーな形式でした。外観は国鉄後期の形式の標準的なスタイルで、先輩に当たるワム70000や、荷重を増やしたワラ1と同様で区別が付きにくい貨車です。前期車と後期車では微妙に外観差があり、特に前期車は側板周辺に出っ張りが見られることから「額縁」とも言われていたそうです。私も大宮操車場で働いていた時代は、この形態に興味を持っていて、外観上の識別店として認識していました。ワム63091ワム63529+ワラ15149いずれも大宮操車場のハンプ入換廃止直前に撮影したもです。他にも撮っていますが、いずれも後期車ばかりで、残念ながら特徴のある前期車の写真は見つかりませんでした。実はここからが本題。ワム60000の模型化に当たって一番気になる点があります。これは、実際に貨車に乗ったことがある経験がないと実感がわかない部分だと思います。それが、添乗ステップの位置です。様々な貨車の中でもメジャーな存在で添乗機会の多いワム60000ですが、個人的に一番の差異を主張したい点なんです。近年模型化されたワム60000は、添乗ステップが他の貨車と同じ一般的な位置に表現されています。最新ではTOMIXからの発売となっていますが、過去にも河合商会やポポンデッタからも発売されており、同様の形態で製品化されています。では、どのように違うのか実車をご覧いただきたかったのですが、上の2枚の写真のように、反対側しか撮っていませんでした。遠目ですが、ブレーキ側が見える写真が見つかりました。1番右側に写っているのがワム60000です。ワム68181拡大すると不鮮明になってしまいますが、最後期の番号の車両で、添乗位置も何とか判るようです。模型を良く観察している方からすれば一目瞭然だと思います。車体下の白い部分が添乗位置になりますが、ステップが完全に妻板から飛び出しているのが判ると思います。そのため、添乗手すりの右側も、車体外側に曲げて飛び出しているのです。入換手にとって、この点が他の貨車と一番違うところに感じます。実はこれ、長く添乗するには良い位置で、身体が車体外に垂直に立てるため、非常に楽な姿勢で添乗できるのです。通常の位置ですと、車体より内側に入ったステップに立つため、後ろに身体を反って添乗する必要があります。添乗には楽ですが、ブレーキを掛けるときはブレーキてこが左にシフトするため、他の貨車と比較して不安定な姿勢になるのが難点でした。ワム64088 大宮工場配給車代用最後に貴重なシーンを見つけました。配給車代用のワム60000に先輩が添乗しているシーンです。他の貨車と違い、完全に車体の後側に添乗しているのが判りますね。添乗位置に特徴のある貨車は他にも存在しますが、日常的に添乗する貨車でこのような添乗スタイルになるのはワム60000くらいしか思い浮かびません。実際の添乗経験がある貨車であるだけに、模型化においてこの特徴が表現されているかどうか、やはり気になるところですが、結果的にどの製品にも反映されていないのは非常に残念です。しかし、ボディの外側にこのようなパーツを表現するのは非常に難しいのは理解できますし、別パーツにしようものならコスト増も計り知れません。ワム70000などと共通パーツにすることでコストが収まっている点もありますので、ここは妥協するしかなさそうでね。
2026.04.09
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マル鉄回顧録で、TOMIXから40数年前に発売された初期のオハフ33と、これを種車に改造して製作した「オハシ30」の記事を掲載しました。【Nステ:その9】TOMIX 旧オハフ33&改造オハシ30是非ご覧ください。
2026.04.08
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E231系0番台:中央総武緩行線山手線から撤退したE231系500番台が転入したことにより、全ての209系500番台と、殆どのE231系0番台が撤退した中央総武緩行線ですが、カバーしきれなかった一部のE231系0番台が残存していました。コロナ禍の影響で運用が減少し、これにより余剰となった車両が中央総武緩行線に転入することになり、E231系0番台がとうとう撤退することになりました。6扉車撤退後は、正面の「6doors」ステッカーが剥がされた状態で運用されていました。私自身はステッカー取り付け時の写真かありませんが、これらの写真をこの機会にまとめにしたいと思います。平成19年4月1日 四ツ谷~市ケ谷間にて平成20年4月5日 東中野~中野間にて平成22年7月1日 阿佐ヶ谷駅にて 21編成平成22年7月1日 阿佐ヶ谷駅にて 81編成平成22年7月1日 阿佐ヶ谷駅にて平成22年7月9日 秋葉原~両国間にて平成22年12月7日 秋葉原~御茶ノ水間にて平成24年1月11日 三鷹駅にて 24編成平成29年12月14日 中野駅にて 81編成平成30年1月10日 秋葉原駅にて 42編成平成30年1月10日 秋葉原駅にて 37編成平成30年1月10日 秋葉原駅にて 41編成平成30年1月10日 秋葉原駅にて 39編成平成30年1月10日 秋葉原駅にて 31編成6ドア車が居なくなった後に現場回りの仕事に戻ったため、0番台の目撃・対面は数多くあったものの、なかなか写真に捉える機会がないまま終わってしまいました。E231系 サハE230-0番台:最後の6扉車209系500番台:中央総武緩行線101系:中央総武緩行線103系:中央総武緩行線(オレンジ色)201系:中央総武緩行線201系:中央快速線:東京乗り入れ各駅停車
2026.04.08
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253系:特急「成田エクスプレス」(東海道編)253系特急「成田エクスプレス」の続きで、今回は東海道方面で撮影したものをまとめます。500系「のぞみ」や「富士」「はやぶさ」の最後の頃、東海道方面へは結構出掛けたものですが、「成田エクスプレス」は大船までと行程が短いため、あまり接する機会はありませんでした。平成19年8月4日 西大井駅にて娘を連れてのポケモンスタンプラリー。移動待ちの時に偶然撮影したものです。平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて トップナンバー編成平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて「富士」「はやぶさ」や横浜線ヘッドマークを撮影しに行った際に捉えたもの。この時はデジカメが入院中で、F-1によるネガフィルムでの撮影でした。東海道方面では本数がそこそこありますが、大船までの区間での撮影は殆どない状態でしたので、枚数も稼げませんでした。
2026.04.07
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国鉄 EF60500番台(一般色)EF60形電気機関車は、先に誕生していた新性能機関車であるED60形を基に、6軸のF型としてEH10と同等の性能を発揮させるものとして、昭和35年に誕生しています。F級新性能車の元祖として誕生したEF60は、10‰の勾配で1200tの貨物列車を引き出せる性能を備え、最高速85km/hを超える高速性能を備えました。昭和38~39年にかけて、それまでEF58がメインで牽引してきた東海道ブルートレインの任務を負うべく登場したのが、ブルトレ仕様の500番台でした。500番台は、ブルトレの牽引を目的としていたものであるため、登場時からブルトレ塗装が施されました。EF60500番台は20系客車との連結に対応するため、運転台に客車との連絡用電話を設置したほか、架線異常時にカニ22形のパンタグラフを降下させMGを停止するスイッチも搭載していました。しかし、EF60は元々牽引力に重点を置いて設計されていたため、高速連続運転には不向きであったっようで、ブルトレ牽引にあたっては故障も続発したようです。そこで、牽引力+高速性能に優れたEF65が開発され、ブルトレ牽引機の代名詞ともなったEF65500番台に道を譲り、本来の得意分野である貨物機としての道を歩むこととなりました。そのため、ブルトレ牽引機としての活躍は、わずか4年程度しかなかったようです。もちろん、その時代の同車は見たことありません。昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF60507牽引 貨物列車未だ中学生時代で、初めて撮ったEF60500番台。別に狙っていたわけでなく、偶然写っていました。隣に停まっているのは、高山本線の急行「のりくら」でしょうか。昭和52年頃 撮影場所不詳 EF60501単機撮影記録が無いのですが、おそらく大船駅辺りでなかったかと思います。トップナンバーに食指が動く頃でしたので、番号を見て慌てて撮った記憶があります。この時代は、EF60自体が東海道・山陽の貨物専用機であったため、私の住む地元では撮ることができない形式でした。500番台がかつてブルトレを牽いていたという知識は既に持っていましたので、500番代を見たときは何となく得した気分になったものです。昭和54年12月頃 浜川崎駅留置線にて EF60514511~514号機は、基本番台でいうと3次型にあたり、ヘッドライト2灯で側面フィルタも変化し、EF65と区別し難い外観になっています。この頃になると、首都圏で幅を利かせていたEF13やEF15の活躍に翳りが見え始め、淘汰が進むとともに東海道・山陽からEF60型が次々と流入してくるようになりました。昭和57年5月 府中本町にて EF60504牽引 南武線貨物列車首都圏での活躍が目立ってきたEF60。かつてEF15が運用されていた線区を殆どカバーするほど広範囲で運用されました。この時点ではまだED16でさえ最後の活躍をしていた頃ですが、EF60にとってもその活躍の終わりを迎えようとしている頃でした。これら500番台車は、0番台車もJR貨物に引き継がれることは無く、昭和62年3月までにすべて廃車となりました。国鉄 EF60500番台(特急色)
2026.04.06
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お知らせを忘れていたのですが、懐かしい「MODEMO 20m級 旧形客車」シリーズの記事をマル鉄回顧録にエントリしましたので、ぜひご覧ください。【Nステ:その6】MODEMO 20m級 旧形客車 普通列車 基本編成セット【Nステ:その7】MODEMO 20m級 旧形客車 急行・普通列車 増結編成セット【Nステ:その8】MODEMO 20m級 旧形客車 急行列車 基本編成セット
2026.04.05
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EF641000番台:EF641003EF64シリーズで、今回はJR貨物の1003号機です。平成21年4月4日 2073レ平成22年12月18日 隅田川~田端操間にて 2073レ平成23年6月28日 2073レ平成23年10月15日 大宮駅付近にて8592レ平成23年12月29日 2085レ EF641003+EF6410491980.7.25 新製2022年度 廃車
2026.04.05
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旧型国電 身延線:クモハユニ44801旧型国電時代の末期、身延線で活躍していた旧型国電群の中でも最も有名だったクモハユニ44。昭和9年、それまで横須賀線で使用されていた17m車モハユニ30の置換用として誕生した郵便荷物客車合造車モハユニ44を起源とします。5両が製造されましたが、44005は戦災廃車となり、戦災復旧車マニ7220となったそうです。残った4両は、昭和31年に身延線及び大糸線へと転出し、建築限界の狭小な身延線への入線にあたり、低屋根化工事が施工されます。改造にあたっては、17m車クモハ14と同様に全低屋根となり、全面窓の1枚化とともに原形がかなり失われてしまいました。これにより、クモハユニ44800番台となっています。(800~802←001~003)昭和56年7月23日 鰍沢口~落居間にて高校の夏休み、当時最後の旧型国電が活躍していた飯田線、大糸線、そして身延線を訪問した時に撮影した写真です。昔は風景主体の写真を良く撮っていたため、このように遠巻きで番号把握ができない写真が多くあります。この写真も車番などまったく読み取るすべはありませんが、運転席窓の特徴を精査した結果、後に富士駅で撮影したクモハユニ44801であることが判りました。以下は、富士駅で撮影した停車中のクモハユニ44801の写真です。※撮影は、昭和56年8月21日、富士駅にて富士駅で折り返し待機中のクモハユニ44801です。全低屋根で屋根が低く、42系のズラッと並んだ小窓で客ドアが後位に1つしかないためか、非常に長くスマートに見えます。この時代くらいだと、普通列車であれば真夏の非冷房も当たり前。窓全開で涼風を取り入れながら旅をするのは当たり前でした。発車先頭となる荷物・郵便室付近は、狭いスペースに載せ込む荷物や台車で溢れかえっており、写真を撮りに行くにもすごく狭くて窮屈な感じでした。荷扱いをしている作業員が2名写っており、到着した荷物をターレットに積み込んでいるように見えます。低屋根前面はサイドビューとはまるで別物の雰囲気で、クモハ14800を連想させる雰囲気を持っていました。狭いスペースにターレットや郵便用?の台車でしょうか、想像以上に多くの荷物が扱われていたようです。当時は走行写真を中心に撮影しており、駅撮りはあまりしていなかったのですが、この数年後には郵便事業も荷物輸送も鉄道部門から撤退してしまったため、特殊な車両と荷扱い風景を記録できて良かったな、と思う写真です。旧型国電 身延線:クモハ60旧型国電 身延線:クモハ51系旧型国電 クモハ51852:身延線旧型国電 身延線:クハ47旧型国電 モハ62系:身延線 アコモ改造車115系:身延線 ワインレッド色郵便・荷物合造車:クモユニ143(身延色・長岡運転所時代)
2026.04.04
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JR東日本 E231系:御殿場線※本記事は、2013-04-18に投稿したもので、当時の表現になっています。まだ記憶に新しいところですが、平成24年3月ダイヤ改正において、御殿場線からJR東日本の車両運用が撤退し、JR東海に染まりました。それまで細々と運用の残っていたE231系についても、今改正で消滅しています。平成24年2月19日 E231系 御殿場線 相模金子~松田間にて小田急線の撮影に行った際、時間的に運良く撮影することが出来ました。かつては急行「ごてんば」や普通列車でさえも定期の東京直通がありましたが、分社化と需要低迷の影響でしょうか、完全なローカル化路線になってしまいました。小田急直通の列車が走っていることがせめてもの救いといった思いです。
2026.04.03
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209系:京浜東北線(その2)先般、京浜東北線の209系について(その1)をご紹介いたしましたが、今回は(その2)として走行写真を中心にご紹介いたします。平成19年6月17日平成19年9月16日平成19年9月16日 田町駅にて地元では見ることができない、「快速 大宮」の表示。平成19年9月29日 平成20年7月12日 蕨~西川口間にて209系とE233系1000番台のすれ違いシーン。世代交代を予感させます。平成20年10月14日平成20年10月18日平成20年11月2日平成20年11月2日平成20年11月22日 西日暮里駅にて青空がキレイだったので記念写真。平成20年12月5日平成20年12月23日平成21年4月4日平成21年4月9日平成21年5月2日 蕨~南浦和間にてここは新規開拓地でした。平成21年5月5日 蕨駅付近にて強引に流し撮り。平成21年7月20日 西川口~蕨間にてもうかなり運用数が少なくなってました。見たら撮る!くらい貴重な感じ。平成21年9月20日 西川口~蕨間にて平成21年10月11日 西日暮里駅にてまた青空に惹かれ。平成21年10月11日平成21年10月18日平成21年12月12日平成21年12月29日平成22年1月16日編成数も最後は2本に。そして、209系も短い活躍に終焉を迎えようとしています。
2026.04.02
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真岡鐡道:モオカ63(その1)SLが走る第三セクターとして有名な真岡鉄道(真岡鐵道)。元国鉄真岡線として、かつては上野への直通急行まで運転されていましたが、地方交通線で廃止の対象となり、昭和63年3月31日をもって廃止。昭和63年4月から第三セクターとして存続することになりました。転換当初は特徴のないローカル鉄道でしたが、平成6年にC1266によるSL動態保存運転が始まり、鉄道ファンが好んで訪れる路線へと変化しました。一方、通常営業の車両については、国鉄からの引継ぎを行わず、バスの工法を取り入れたLE-CarⅡ8両が導入されました。その後さらに3両が増備され、計11両体制となっています。形式名は、導入時の和暦に由来するモオカ63と名付けられました。※撮影は、平成10年4月11日、北真岡~西田井間にて。「SLもおか」撮影の際に撮っていたものです。いずれも単行による運転で、列車によっては混んでいるように見えます。折しも桜満開となっており、沿道は花見客でごった返していましたが、花見客とSL撮影組で見ている先は真っ二つという感じでした。季節感の違いがあるため、2部作といたしました。その2へ続きます。
2026.04.01
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芝山鉄道3500形(京成リース車)芝山鉄道は、第一種鉄道事業者として日本最短の路線を保有する第三セクター方式の鉄道会社です。過去ログ『芝山鉄道3600形(京成リース車)』で芝山鉄道の車両をご紹介したことがありましたが、後継となった3500形3540Fによるリース車が、令和8年3月いっぱいで引退になるという発表がありました。そして、3月13日に同社から後継車が発表となり、まさかの「ターボ君」だというので驚きです。芝山鉄道の3代目車両は「3600形」に 「初代車両」と同形式、ただしデザインは変更 - 鉄道コム引退に合わせ、ここにまとめをしておこうと思います。※撮影は、令和6年5月14日、京成金町付近にて。この日の現場は金町でした。金町自体が久し振りの訪問。昼食を摂って一服後、京成金町駅へ向かうと発車待ちの編成がいました。いきなり遭遇してしまった芝山鉄道へのリース編成である3540F。直ぐに発車時間となるため国道6号線方向へ移動し、なんとか撮れそうな場所へ。仕事の開始時間までもう少しあるので、高砂から折り返しを待ちました。撮るところに困りましたが、かつては6号線渋滞の原因となっていた踏切で撮影。40年近く前に根城としていた頃には無かった、国道6号線の高架橋が邪魔になりましたね。その後も何回か金町の現場があり、京成線沿線の現場の際も見掛けたことがありましたが、写真に撮ることが出来たのはこの時が最初で最後となってしまいました。
2026.03.31
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EF81牽引:寝台特急「トワイライトエクスプレス」平成27年3月12日、日本最長距離を走る寝台特急列車が幕を下ろしました。平成元年、団体列車用としてJR西日本が満を持して誕生させた豪華寝台列車。平成3年度までに3編成を改造により落成、日本最長距離を走る豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」としての地位を築きました。ダイヤの関係から1日で3編成を要するため、予備車が無く、最後まで定期列車とはならずにいましたが、繁忙期にはフル回転で毎日運転としていました。このような運転形態は、東京~西鹿児島間に片道24時間の運転時間を要した寝台特急「富士」の再来を思わせるものでした。運転経路も料金的にも、そして日程的にみても関東在住の身からは縁遠い列車でしたので、私的にはまったく利用したことが無く、写真に記録したものもごくわずか。最後に北陸を訪れ、やっとそれなりに残すことが出来ました。平成23年5月4日 EF81114牽引 8002レ 安田~茨目間にて急行「きたぐに」を撮影のために訪れた際、時間が近い場所を選定しました。下り列車に合わせた立ち位置にしてしまったため、中途半端な構図にしてしまったのが残念。平成27年1月23日 EF8144牽引 9002レ 生地~黒部間にてスシ241EF81初期車が最後まで活躍した「トワイライト」塗装。誕生当初は新鋭機でしたが、その車齢は40年にも及ぶ古典機となってしまいました。そして、電車特急から改造された食堂車スシ24。その活躍は電車時代を遥かに凌ぐものとなっていました。平成27年1月23日 EF8143牽引 8001レ 津幡~倶利伽羅間にてこちらもEF81初期車が牽引する下り「トワイライトエクスプレス」。既に終焉となっており、有名撮影地には大勢の撮り鉄たちが訪れていました。スロネフ25「トワイライトエクスプレス」最大の売りであった展望スイート。昔で言う展望車の景色を2人占めできる至福の空間。先発の「北斗星」にはなかったスタイルです。この時は動画も撮影したのですが、再生数が余りにも少なくて笑ってしまいました。平成27年1月25日 EF8143牽引 9002レ 水橋~東富山間にて最後は立山連峰バックに撮りたかったのですが、生憎山側の天気が悪く、その姿を見せませんでした。スシ242こちらもAU12クーラを搭載した初期の食堂車。こちらも誕生してから40年が経過しています。撮影回数で言うと2回のみ。これ以外にも485系「雷鳥」の撮影で訪れていますが、運が悪く、上下列車とも運転の無い日でした。あまり縁がなく、個人的には思い入れのない列車なのですが、豪華列車旅を演出し、「乗る楽しさ」を世間に印象付けてきたその功績は、「北斗星」と並んで大変に大きいものと言えます。北海道新幹線の開業という節目がなければ、もしかしたら新車導入による継続運転もあったかもしれないですね。その後の北陸新幹線の部分開業により、新潟方面への直通列車すら設定の可能性が断たれてしまいました。
2026.03.30
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東京都交通局:都電6000形&装飾電車※本記事は、2012-01-29に投稿したもので、当時の表現になっています。平成23年10月、都営交通100周年を記念して花電車が運転されました。33年振りだそうです・・・というか、その33年前のとき、つばさ少年は都電荒川線沿いに居ました。何で情報を得てその場に行ったのかは全然記憶がありません。当時は鉄道誌か大きなニュースであれば新聞にでも情報が載らない限り、埼玉県民には知る由もありませんから。時間も分からず現地へ行くと、沿線にはかなりの人出があったように記憶しています。撮影地を探すためにとりあえず都電に乗ると、なんと後から花を飾った電車がついてくるではありませんか。せっかくお金を払ったのですが、1区間しか乗らずに飛鳥山で下車。※撮影は、全て昭和53年3月です。飛鳥山電停にて 6189これが後をついてきた装飾電車。この踏切、遮断機がなかったのかな?今見ると恐ろしいポジションです。飛鳥山交差点にて 6191同じ車両だと思っていたのですが、見ると番号が違いましたので、2両が装飾されていたのでしょうか?横にいる都バスや乗用車も懐かしいです。王子駅前電停にて 6191これが最後の締めで撮った写真でしょうかね。写真を撮った当時、これが花電車だと思い込んでいたのですが、翌々月くらいに発売された鉄道ファン誌に正規の花電車が載っており、非常にガッカリしたものです。「ながい間ご愛用ありがとうございました」なんて書いてあるので、まるで荒川線が廃止されそうな感じにも見えるのですが、イベントの趣旨は完全ワンマン化実施に当たっての企画のようです。ツーマン仕様で改造の実施予定の無い6000形は全廃、7000形はアコモ改造によりワンマン化、7500形はワンマン装置の取り付けによる改造が実施されることにより、事実上の「6000形さよなら運転」という見方が正しいようです。王子駅前電停にて 6129これが装飾の無い6000形の真の姿です。古き時代そのままのスタイルですね。この後、6000形は動態保存として金太郎塗装で長く生き残りましたが、先頃惜しくも引退しています。都電が各都道を網の目のように走っていた頃、この6000形は主力車両として23区内を駆け巡っていましたが、車掌さんの業務とともにその人生に終りを告げました。
2026.03.29
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マイクロエースから「DD14-333+DD14-334 標準色(ロータリーヘッドなし)重連セット」が発売となりました。発売予定発表からなんと1年9カ月?も掛かり、やっと製品化。なんだか仕上がりか何かで揉めていたような情報もありましたが、何とか発売となったようで。インプレッション的な内容でマル鉄回顧録にエントリしましたので、ぜひご覧ください。2026/03 DD14-333+DD14-334 標準色(ロータリーヘッドなし)重連セット
2026.03.28
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国鉄 EF60 0番台(一般色)EF60は、昭和35年から昭和39年に掛けて誕生した新性能直流型電気機関車です。ED60、ED61で開発された新性能を機軸にF型化したもので、それまでのEH10が発揮していた出力と同等の性能をF級で引き出すことができるようになりました。1、2号機が量産先行車、3号機以降は5次量産車までの区分が存在します。私としては、残念ながらクイル式で誕生した先行車や1次量産車のEF60時代の写真はありませんが、首都圏の旧型機の撤退により身近にEF60が走っていたこともあり、そこそこの記録が残っていました。今日は、EF60のうち、現在も保存機として活躍した19号機を除く0番台をご紹介いたします。昭和56年10月頃 西川口~蕨間にて EF60152次量産車です。私が撮った、現役時代たった1枚の15号機の写真です。既に原形は崩れ、シールドビーム化されております。EF15の淘汰に伴って、大挙して東海道・山陽筋から転入してきましたが、その活躍も束の間、59・2の貨物合理化により大打撃を受けることになります。昭和60年3月30日 高崎第二機関区 一般公開にて EF6015確か、この時点ではEF60の定期運用は消滅していたと思います。関東勢では3両のEF60が保留扱いとなっており、当時籍があったのは19号機、特急塗装に復元された501号機、そして、この15号機です。この15号機は、EF60のさよなら列車を牽いた機関車として名を残しています。昭和62年まで車籍はあったようですが、当時発売された記念オレンジカードによると、昭和61年11月9日のさよなら運転をもって引退となったようです。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF6017こちらも2次量産車です。この頃は未だシールドビーム改造は一般的に行われていないため、殆どがオリジナルのデカ目でした。昭和60年4月14日 南越谷駅にて EF6026こちらも2次量産車です。私としては珍しく武蔵野線内で撮った貨物。なんともさびしい編成ですね。越谷タ行きでしょうかね。昭和57年3月頃 西川口~蕨間にて EF6028こちらも2次量産車です。この頃になるとシールドビーム改造車が増え始め、当機のみならず初期の新性能車のほぼ全般に伝染していきました。したがって、オリジナルビームのカマに出会うことも稀になってきているため、興味のなかったEF60にもカメラを向ける機会が増えてきたように思います。昭和56年10月頃 蕨~西川口間にて EF6032こちらも2次量産車です。EF15の後ガマとしてやってきたEF60は、田端~蕨~川口や田端~大宮操のEF15が活躍していた駅別区間列車に頻繁に使用されていました。昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて EF6041こちらも2次量産車で、46号機までのラストに近い番号となります。有蓋車中心の編成ですね。後に見えるワキ5000も今となっては懐かしい貨車です。昭和55年8月 神足~山崎間にて EF6067こちらは47~83号機に該当する3次量産車となります。東海道・山陽時代はスノープラウを付けていないので、前面がスッキリしています。好みは分かれるところでしょう。昭和58年8月17日 大宮駅にて EF6098ほか84~99が4次車となり、このグループからシールドビーム化され、EF65とほぼ同スタイルに変わっています。EF15に代わって首都圏に進出してきたEF60は、EF65各番台と共に首都圏の貨物列車を青1色に染めていきました。昭和58年5月16日 瀬野~八本松間にて EF60107100~129の5次車の最終増備車です。山陰げで思いっきり露出アンダーになってしまいました。後にEF66を従えて、セノハチを高速で駆け下っていきました。昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて EF60124牽引 冷蔵貨物こちらも最終増備の5次車です。横から見るとEF65と殆ど区別が付きません。後にレサ10000系を連結した編成で、「ぎんりん」編成の返却回送でしょうか。空車で重量がない上、回送ですのでスピードも要求されていませんので、EF66を使用していないケースもあったのでしょう。昭和58年 大宮操車場構内にて 番号不明大宮操車場には、広大な着発線以外にも、通過列車のための本線が途中高架で設けられていました。専用貨物や特急(直行)貨物は、大宮操車場には停車せずにここを通過していきました。24時間の勤務が明ける頃、入れ替えが終わったハンプのDEは手を組んで大宮機関区に戻ります。一旦停止していると、通過線をEF60の牽く石油専用列車がゆっくりと通過して行きました。これら0番台車は、500番台車も含め、EF61200番台に改造されたもの以外はJR貨物に引き継がれることは無く、昭和62年3月までにすべて廃車となりました。EF6019牽引:一般貨物列車(国鉄時代)
2026.03.28
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JR貨物 DE101594DE10シリーズで、今回はDE101594号機をご紹介したいと思います。平成20年9月6日 八王子駅にて臨時特急「はまかいじ」を撮った帰り、八王子に戻るとちょうどDE10が入換をしていました。連結が終わるのを待って撮影。地元ではタンカーも見ることが出来ないので新鮮な光景平成22年5月22日 大宮車両所にておおみや公開にて、展示車両ではありませんが、検査待ちの同機を見ることが出来ました。1694号機は、日本車輛製で、昭和48年4月11日に小樽築港機関区に新製配置された北海道育ち。昭和57年11月20日に盛岡機関区に転属となり、民営化でJR貨物へ継承、組織改編のため長町機関区→仙台機関区→仙台総合と過ごします。平成18年12月27日に新鶴見機関区(川崎派出)の流れで平成25年度くらいまで活躍したようです。なお、耐寒装備は新鶴見機関区へ異動後すぐくらいに解除されたそうです。
2026.03.27
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ED1610牽引:「さようならED16」青梅線での運用を終える末期のED16。運用離脱直前に運転された日本テレビ企画列車ED163牽引+12系客車:団体列車「おもしろまじめ号」について過去ログでご紹介済みですが、今回はその1週間後に運転された最後のさようなら列車についてご紹介したいと思います。※撮影は、昭和58年3月26日です。ED1610牽引 下り「さようならED16」往路のさようなら列車で、残念ながら撮影地の記録がありません。新宿~奥多摩間の運転だと記憶していたのですが、新宿~御岳間のようです。さらに、列車の組成は品川で行われたらしく、他の方の写真を見ると品川駅発車待機から山手貨物線を走っている様子が記録されていました。西国分寺駅にて ED1610牽引 上り「さようならED16」復路まで待って、帰りながら西国分寺駅で撮影したようです。ホーム端には結構な数の撮影者が居た記憶があります。今ですと、運用(営業)離脱後にさようなら運転をセッティングすることが多くなっていますが、この時は本業の貨物列車にもまだED16が運用されており、あまり終期を感じさせられるような状況ではありませんでした。ED16 直流型電気機関車:南武線編ED16 直流型電気機関車:青梅線編国鉄旧型電機 EF15192(大宮工場保存車)・・・ED1610保存車この列車を牽引したED1610号機は、廃車後も大宮工場(後の大宮総合車両センター)で永らく保存されていましたが、残念ながら平成27年2月頃に解体されてしまったそうです。【3/25限定!30%OFFクーポン】廃盤予定 在庫限り 残り僅か【 テイジン 公式】 イブル スリーパー 卵型 たまご型 長方形 ベビー 赤ちゃん 新生児 キッズ 子供 ナイトウェア パジャマ 寝る コットン 綿 100% オールシーズン 1年中 通年価格:2,149円~(税込、送料無料) (2026/3/25時点) 楽天で購入
2026.03.26
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251系:河津桜トレイン(2016)「スーパービュー踊り子」用の251系は、春の梅・サクラのシーズンになると、各車両にラッピングを施して運転されていたようです。「河津桜トレイン」という企画だったそうです。ヘッドマークがないため、特に注目したことはなかったのですが、改正ごとに地元ネタが減って行った頃、平成28年だけはこれを少し追ってみました。同じシチュエーションで揃えられませんでしたが、調べましたら4編成全て記録ができていましたので、写真館で並べておきたいと思います。平成28年3月25日251系 RE-1編成 「ホームライナー小田原」平成28年3月20日 251系 RE-2編成 「スーパービュー踊り子1号」平成28年3月13日 251系 RE-3編成 「スーパービュー踊り子1号」平成28年3月27日 251系 RE-4編成 「スーパービュー踊り子1号」251系:「スーパービュー踊り子」251系:「ホームライナー小田原」251系:臨時特急「ビュー谷川」
2026.03.25
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EF641000番台:EF641002EF64シリーズで、今回はJR貨物の1002号機です。平成21年10月18日 2073レ平成22年12月19日 2073レ平成21年5月23日 大宮車両所にて 「あけぼの」ヘッドマーク1980.7.3 新製2022年度 廃車
2026.03.24
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JR東日本 DE111034DE11シリーズで、今回はDE111034号機をご紹介したいと思います。平成21年11月14日 尾久車両センターにて同センターの公開時に捉えていたものです。1034号機は、昭和48年9月19日誕生の川崎重工製。登場当初は大宮機関区に配置されたようですが、昭和49年度に武蔵野機関区に異動となり、武蔵野操車場で使用されていたようです。59・2貨物大合理化で武蔵野操車場が廃止となったため、田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成25年9月26日付で廃車となったようですが、平成26年にJR貨物機として車籍が復活、岡山機関区に配属となります。その後の活躍期間はあまり長くなかったようで、平成31年度~令和元年度くらいに除籍となったようです。
2026.03.23
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ゆりかもめ:国際展示場正門駅※本記事は、2019-02-22に投稿したもので、当時の表現になっています。株式会社ゆりかもめでは、平成31年3月16日から国際展示場正門駅と船の科学館駅の駅名を改称することとなりました。船の科学館駅では下車したことがなかったと思いますが、国際展示場正門駅は東京ビッグサイトへの便として何度も使用したことがあります。しかし、駅の写真を撮ったことは特になかったので、防災・社会福祉関連の施設見学行事で近くまで行った際、自由時間に乗り鉄がてら駅の写真を撮ってきました。※撮影は、平成31年2月21日です。東京ビッグサイトと反対側では駅舎に駅名が大きく記されていますが、何故かビッグサイト側にはありませんでした。反対側は逆光だったので撮らなかったのですが、やはり撮っておけば良かったですね。ゆりかもめにおける駅名表示はホームドアの上部に記されています。乗車券今はただ乗車するだけならきっぷを買うことは殆どなくなってしまいました。ゆりかもめの乗車券って、地紋がこんなに濃かったんですね。領収書ついでに領収書も発行しておきました。東京ビッグサイト駅と市場駅を往復し、出場の際に記念交付を申し出ましたら、特に何も表示されずにもらうことが出来ました。国際展示場正門駅は東京ビッグサイトに、船の科学館駅は東京国際クルーズターミナル駅に変更されます。平成31年3月15日 新橋駅にて追加画像です。駅名改称前日、新橋駅にて見つけた乗車案内。方面表示が「国際展示場正門」のままでした。ここは、深夜の付け替え対象だったのでしょうか?
2026.03.22
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209系:京浜東北線(その1)首都圏における103系初期車の置き換えを国鉄時代から着手しており、これに対して205系の導入が進められていましたが、民営化による経営の改善に加えバブル崩壊の影響も重なり、新たなる発想の車両を導入する必要性に迫られることになります。そこで『重量半分・価格半分・寿命半分』というコンセプトのもとに誕生したのが209系電車です。導入時は901系を名乗り、平成4年から京浜東北線で試用されることになりました。901系にはA・B・Cの3種類の編成が製造され、各編成とも製造者や使用される機器類が異なるものでした。本来は901系もご紹介できれば良いのですが、ちょうど私も結婚したばかりの頃であり、さらに住んでいた場所も今と違っていたため、写真に収める機会がありませんでした。平成19年1月7日 モハ208-901901系はその後量産された209系に合わせて改造が行われ、209系900番代、910番代、920番代として活躍を続けました。現在の住所に舞い戻ってからは、何度か乗車する機会に恵まれましたが、外観での差があまり無いため、撮影する機会もありませんでした。この写真を撮った頃も、試作車たちが運用を外れる直前でした。209系を撮るようになったのも殆どが置き換え間近となってしまいました。なんとか見れそうな写真や、話題になりそうなものを並べてみます。平成20年6月15日車内を撮る機会もなかなかありません。ちょうど乗った電車が空いていたこともあり、記録として撮っておきました。硬く座りにくい印象の座席も、この電車が最初でした。平成12年4月頃 赤羽駅にてさいたま新都心駅は、平成12年4月1日に開業したそうです。初めて209系の写真を撮ったと思いますが、既に誕生から7年くらい経っています。平成20年5月18日 北浦和駅にて浦和駅高架化工事により、大宮~北浦和間が折り返し運転となります。北浦和駅では折り返しのための設備がないため、2つの編成を北行線と南行線にそれぞれ封じ込め、大宮~北浦和間を1閉塞として運転させました。方向幕に「北浦和」がありませんので、京浜東北線と表示しているところで日常でない違和感を与えてくれます。平成21年9月5日 6扉車京浜東北線においても、朝夕の通勤時間対策として6扉車が導入されています。試作3編成を除く全編成に組み込まれました。平成21年11月18日片目で走っていた珍しいシーンです。今回は、やや話題的なところをご紹介いたしました。
2026.03.21
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