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音楽に耳を傾けるということは自分を空にすることだ。空っぽの自分に音を満たすこと。逆に音で自分を満たすことにより、自分を空っぽにするということ。余分なあれこれをすっかり追い払って。自分を濁さない。実はそれはとても大事なこと。どうせなら美しいものに自分を明け渡したい。自分を濁すものは徹底的に排除したい。注意深く排除したい。
2010.09.30
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プロダクトアウト。ここ2年くらいの気づきや活動してきたことを1つ形にして外へ押し出すべき時期なのかもしれない。心してかからなければならない。しかし、自分の良さが流れ出るように、リラックスして。人生の"仕事"の1つとなるように、打ち込めたらいいなあ。転機というほどかどうかわからないけれど、覚悟してプロダクトアウトする時期なのかもしれない。
2010.09.29
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何か思い当たる。何なのかはわからない。しかしふと気づくのだ、"何かが壊れたのだ"と。それで無力化している。ダンスもストレッチも筋トレも走ることも、ヨガもセルフマッサージなど自分へのケアも、みんなみんなやる気力がなくて、放置されている。何故そうなってしまったのだろう。何が原因かわからない。"何かが壊れた"という言葉が自分の中に落ちてきた。
2010.09.27
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肩こりによる頭痛と気持ち悪さ。昨日は仕事中もつらく、帰りもしんどかった。胃が気持ち悪かった。一晩寝て今朝はまだ頭痛が残っていて、頭痛薬をのんだ。胃の気持ち悪さはおさまったが、たくさんは食べられない。昨日は久々に精神的に投げやり状態に陥った。すべてが面倒くさい。死んだら楽だな、面倒くさいことがなくなるんだな、と思った。楽しいことも嬉しいこともこれからあったとしても虚しく、いっときのものだと思えた。何も望みもなく、ただただ楽になりたかった。もう悩みたくないし、疲れたくない。何の気力もわかない。多分、ひどく疲れていたのだろう。
2010.09.25
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今日はバレエのレッスンをお休みし、オセローのちらしデザインに集中することにした。事情があり公演日程が来年に延びた分、締め切りも延び、表のデザインはざっくりやっただけで、しばらく手付けず状態だった。根を詰めすぎないよう、2時間やっては1時間休憩した。少しずつではあるが、洗練されていくのがわかり、やりがいを感じた。しかし、テスト印刷するとテクスチャーがつぶれて、いまいちパソコン画面で見えている効果が出ないのが残念。やりなおさなければ。そうした表現の部分は十分ではなくまだまだだけど方向性は見えてきて、だいぶ気持ちが楽になった。楽しくなってきた。飛び込んでのたうち回る前は、気が重いけれど飛び込んでしまうと、格闘しつつも少しずつは前進できるのでだんだん楽しくなる。もっともっといいものに仕上げていこう。
2010.09.12
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日曜のバレエのレッスンでは、基本的なところを個人的に注意された。デリエールでタンデュするときの骨盤や脚の使い方。しっかり位置をキープするところと、解放するところ。"解放"という言葉に反応した。力のいれすぎなのだろう。それをその言葉で先生からアドバイスされたのはとてもよかった。しかしレッスン後半は集中力が切れ、ステップが覚えられずにぼろぼろだった。情けない・・バレエレッスンの後、一緒にレッスンに出ていたA子と先輩のN山さんの舞台を見に行った。駒場東大前駅から歩いてすぐのアゴラ劇場へ。ワークショップ上がりの舞台ということで、ちらしからは内容もよくわからないものだったので恐る恐る行ってみたのだが、なかなか面白かった。舞台経験のある人、初舞台の人、年齢もさまざまのカオス状態ででもオムニバスでうまーく配役し、それぞれの人の良さを活かす演出がされていた。N山さんのラッパーは強烈に面白かった。歌あり、HIPHOPダンスあり。観劇後、A子と近くのカフェでワインを軽く飲み、おしゃべりした。お向かいのパン屋さんもすてきなのでパンとシュークリームを買い、半分こずつかじりながら、せっかくなので東大の敷地にもぐりこんだ。日は暮れかかり、ほどよい暗さで、東大関係に程遠い格好しててもパンをかじっていても、あまり目立たないのをいいことに「緑が多いね~」「重厚な建物だね~」などと言いつつ歩き回った。そしてお互いの芝居を始めた頃の話や学生時代の話などもした。楽しかった。
2010.09.05
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土曜日の走墨の稽古では、来年5月の走墨作品展の話が出た。課題の"道"をみなそれぞれ先生のアドバイスを頂き、方向を決めた。割とみんなのんびりしてるのかと思っていたら、ほとんどの人がかきたいものが決まっていたようだ。私も考え、迷っていたけれど、前回に引き続き八木重吉の詩を"道"にからめてかくことに決めた。自由作品もある程度、決まった。かきたかったけど、これまでかかずにきた文字。今回はやっとそれに挑戦だ。始まったなあ、また。思い切りやるぞ。いいものを創る。
2010.09.04
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Oさんが亡くなった。びっくりした。ショックだった。車の事故だったそうだ。元レーサーとして、車の中で亡くなったのはそう運命づけられていたのだろうか。52歳。若々しく、頼もしい落ち着いた姿が浮かぶ。心身ともに鍛えられた方ゆえ、死のイメージからまったく遠い存在だったのに。Oさん。最後にお会いしてから4年経った。後悔がないと言えば嘘になる。しかし私なりに精一杯関わった、それでいいではないか。また、いくつもいいことを教えて頂いた。レースでどんな困難と思えるときも、必ず通りぬける道がある、と。レーサーはその唯ひとつの道を探し出すことに全力を傾ける、ということ。かっこいい人だった。Oさんとのこと。勉強会や仲間の方の結婚式などでも顔をあわせたけれど、やはりOさんとは100km大会で毎回一緒だったことが大きい。100km大会のことを思い出したら、次々いろんな場面や人を思い起こしてしまい、眠れなくなった。100km大会は楽しかった。ありがたかった。会をやめてから、なんとなくみなさんにあわす顔がなくて封印してきた。けれど、お通夜で当時の会の方たちと久しぶりに顔をあわせると、みなあたたかく迎えてくれ、接してくださった。本当にありがたかった。そして当時のいろんな細かい場面がリアルに甦り、幸せだったこと、いい時間を過ごしたこと、学んだこと、お互いに励ましあい、認め合い、支えあった仲間だということを再認した。Oさんの言葉、して下さったこと、笑顔、など思い出した。2005年の大会で私が100km完歩できたとき、最後のヴィクトリー・ロードを一緒に歩いて下さったことも思い出した。そうだった。あのときは大会中、精神的にずっと助けられていた。ゴールのときもいてくださった。それを思い出したら、胸が震えるくらい、嬉しさと辛さが湧いてきた。そしてOさんに改めて感謝するとともに、翌年私のしたことが恐らくOさんの不興を買ったのだとずっと気にしてきたこと、後悔してきたこと、それはもう捨てよう、と思った。それよりOさんが私にくれたもの、してくれたこと、そのことがより大きくて、それに感謝し、出会って一緒に活動できたことに感謝し、悦べばいいのではないか。過去に親しかった人が亡くなると、心残りや哀しみや辛さや虚しさに襲われたりもするけれど、それと引き換えに、封印されていたものが解かれ、優しいあたたかい幸せな思い出がどっと戻ってくる。昨年も今年もそうだった。それが不思議。失うとともに取り戻すものがある。死に遭遇するとはそういうものなのだろうか。まだうまく心の整理ができてないけど、100km大会でのご縁に感謝し、いつまでもOさんはあのときのままの姿で私の中に残り続けます。ご冥福をお祈りいたします。
2010.09.01
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