伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2015年09月27日
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これより大きくて遺っているのは岡山県備前市の国宝、閑谷学校(しずたにがっこう)しかないようです。
この藩校は十代藩主、藤堂高兌(たかさわ)が津の有造館に続いて1821年に建設しました。
この人は後に名君と呼ばれ財政を建て直した立役者です。


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講堂、16歳以上がここで教育を受けそれ未満は南側にある施設有恒寮で学んだようです。



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この扁額は藤堂高兌が財政難を藩政改革で立て直した米沢藩、藩主、上杉鷹山を崇拝していてに懇願して
書いてもらったものです。


というのも藤堂高兌が藩主になった当時の津藩の年間収入は3万5000両でしたが支出は5万1000両で
それを見た高兌は愕然として「義倉積米」という制度を導入しました。

食費は四分の一に減額しました。 



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講堂の中、伊賀も安政の大地震に遭いこの講堂以外はほとんど倒れましたが講堂だけは無事だったそうです。


明治初年のデータ「一目でわかる江戸時代」小学館によると藤堂藩は表高は323、950石で上から11番目で
水戸藩と福井藩にはさまれている、年貢高は124、270石で家臣の知行高は29、411石、年貢高対比は23、7%
になり他の全14藩中最も低いのが津藩。
それは家臣が少なかったためで石高32万石程度の藩で比較すると、津藩士1,947人、福井藩士4,880人、
鳥取藩士6,908人、岡山藩士6,545人。津藩士は圧倒的に少ない。高虎が一代で築き上げ、
しかも短期間で急激に石高を伸ばしたことから、家臣の採用が追いつかなかったということか。


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講堂から見た庭。









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Last updated  2015年09月28日 11時17分18秒
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