伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2019年03月26日
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丸柱は伊賀焼きの里で古くは桃山時代、城主、筒井定次の時古田織部の指導を受け槙山の西光寺窯や丸柱の堂谷窯で焼かれました。この時代の伊賀焼きは古伊賀と呼ばれています。

作家の川端康成はノーベル賞受賞の記念講演「美しい日本の私」のなかでわび、さびといった日本文化を代表する焼き物として古伊賀を採りあげ絶賛しました。

それ以前は槙山に近い五位ノ木窯跡などで周辺の豊富な陶土と薪の燃料を利用しすり鉢、甕(かめ)壺など実用品が焼かれていました
槙山は元は真木山と書き東大寺の荘園で東大寺に材木を納めていました。
聖武天皇が眞木山郷に見事な大木が有る事をお聞きになり
「東大寺の造営に是非とも使用したい」と所望され
神社の前を流れる槇山川から木津川を利用して笠置へ
そこから陸上を東大寺に搬送・寄進したとの記述があります。




「大正館」は大正時代に建てられ、10年前までは実際に事務所として使われていました。電話も金庫もそのままに、大正ロマンの面影をたっぷりと残しています。現在はゆったりとこの空間を堪能出来る休憩コーナーとして開放されています(伊賀焼カップ付コーヒー有)。






2011年に国の登録有形文化財として登録された長谷園さんの「登り窯」
「登り窯」は天保三年(1832年)の創業時から昭和40年代(1970年代)まで稼動していたもので、かつてはこの16の部屋(窯)を焚き上げるには15〜20日間を要していました。この大きさ(16連房)の窯で、現存している登り窯は日本ではこれだけだといわれています。





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Last updated  2019年04月18日 14時59分46秒
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