伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2019年08月07日
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徳居町(とくいちょう)の西南にある曹洞宗(そうとうしゅう)の寺。応永(おうえい)21年(1414)頃に開かれたと伝わり、江戸時代には、伊賀一円の曹洞宗寺院を支配した格式の高い寺だそうです。

伊賀市 広禅寺の本堂の左脇に「小女良稲荷」があり会員の方に面白い民話があると教えてもらえましたので図書館へ行くとありました、掲載します。

こじょろうぎつね 上野市制施行50周年記念 図書
上野市 [1991]上野市民話編集委員会∥文 より

 いつごろのことやったやろかな。伊賀上野(いがうえの)の広禪寺(こうぜんじ)では、毎月一回、檀家(だんか)の人らが集まってな、方丈(ほうじょう)さんのありがたいお話を聞いたり、ごっつおをもってきてよばれたりして、楽しんでたんやげな。
 あるとき、年のころ十二、三歳(さい)のほっぺたの赤いかわいらしい女の子が、台所仕事を手伝いに来るようになったんやして。よう働く気だてのええ子やったんやげな。
「小女良(こじょろう)や、おくどさんを燃やしつけたら、おぜんの上をふいとくれ」
「はい」

「はい」
「小女良さんは、ほんまに、よう気のつくええ子やなあ」
 などとほめられ「小女良、小女良」と、近所の子どもたちにも好かれてたんやげな。かすりの着物をみじかめに着て、赤いたすきとまえだれをかけて、きりきりとよう働く姿(すがた)を見た人らは、心があったこうなる気さえしたんやして。
 小女良は、いつも朝はよ来て仕事をし、夕方になると、残ったごっつおをおみやげにもろて、うれしそうに帰っていくのやして。
「小女良のうちはどこ」
と聞いたら、
「長田(ながた)の山」
と答え、
「親はいるの」
と聞かれたら、いつも大きくうなずいてたんやして。


 ある日のこと。お寺の台所では、朝から、よいにおいがただよってたんやして。なべいっぱいの油あげを炊いて、いなり寿司をこしらえようとしてたんやして。

 小女良は泣きながら、
「お腹がすいて、おいしいにおいがしたさかい、つい……かんにんして……」
とあやまったんやけど、方丈さんは、これがくせになっては、と強くしかったんやげな。




 小女良は命からがら逃げたんやけど、あんまりにも一生けん命走ったんで、とうとう正体があらわれてしもたんやげな。小女良は、ほんとうは長田の山に住む狐(きつね)やったんやげな。後をふり向いても、もう方丈さんは、追いかけてきやへん。長田の山はもうすぐそこやったんで、ひと安心してゆっくり歩きはじめたんやげな。
 そのとき、一人の猟師(りょうし)が、鉄砲(てっぽう)をかついで通りかかったんやして。今日は、一日中山の中を歩きまわったんやけど、えものは一匹(いっぴき)もとれへんだ。すると、目の前を一匹の狐が歩いてるんやして。これはええこっちゃ、とばかりに鉄砲をうったんや。
 ズドーン
 この音を聞いてな、方丈さんはかけつけたんやんか。そやけど、小女良狐は、もううたれた後で、ぐったりしてたんやげな。
 あんなに気だてがようて、いろいろと手伝ってくれた小女良のことを思たら、方丈さんは悔(く)やまれてならへんだんや。そこで、お寺の中に小さな塚(つか)をたてて、手あつくほうむってあげたんやして。
 徳居町(とくいちょう)の広禪寺のお堂の左側には、今も小さなほこらが建っててな。お稲荷(いなり)さまをお祀(まつ)りし、小女良狐の小さな石碑(せきひ)がおさめられてるんや。そして、小女良稲荷と書かれた赤い小さなのぼりが、ときどき風にひらひらしてるんやそうや





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Last updated  2019年08月07日 11時39分31秒コメント(0) | コメントを書く


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