伊賀へいらっしゃい

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2020年06月23日
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伊賀市西蓮寺キリシタン燈籠



昭和5年に発見されたキリシタン燈籠、織部灯籠とされる燈籠

古田織部はキリシタンだった状況証拠は多いのですが断定はされていません。

織部灯篭は下方の基礎・基壇がなく地面に竿を直接生込んで設置します。こうしたことから一般的な
社寺の燈籠に比べてやや小ぶりで、比較的地味で庭の状況に合わせて設置されているので昭和5年まで発見されませんでした。

寺伝によると西蓮寺の西山上、比自山の観音寺から移したもの、とのことで文禄年間の伊賀上野城主、
筒井定次はキリシタンともいわれ、それを理由の一つとして後に改易されています。
耶蘇教伝来の文禄2年(1593)から改易された慶長13年(1608年)の間の建立と推定されます。




碑面上部の十字を模っていると思われる所にキリーク文字模様が刻まれいます。


「IHS・ FILIUS、・ PATOLI」イエズス会 息子 天の神
の頭文字「IFP」に見えるのですが。

大原三千院の織部灯篭に全く同じ模様が彫られています。






真盛上人本廟
真盛上人は嘉吉3年(1443)に現在の三重県津市一志町に生まれ、47歳の時西教寺において四十八日
別時念佛会を修し、西教寺を再興、中興の祖とされています。

50歳の時伊賀に来て九品寺に逗留し、西蓮寺において再び四十八日別時念佛会を修行中の四十六日目にこの場所で遷化(高僧の死亡を敬っていう語)された。



真盛廟御開帳 内部

真盛上人は死亡する三日前に死亡したならば、なきがらはこのまま西蓮寺に埋葬するよう弟子達に命じたのでこの地に埋葬されました。
その地に廟堂を建て堂内中央に石造五輪塔を安置しています。










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Last updated  2020年09月07日 17時19分19秒
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