マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.10.06
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<東北歴史博物館特別展を観て2>



 展示目録の中に1枚の地図が載っていた。そこには色んな記号や、「仕切り」や説明が施されている。だがあまりにも専門的過ぎて、多くの読者は理解出来ないだろう。ただ言えるのは「大和朝廷」と「エミシ」には色んなせめぎ合いがあったと言う事実。文化と墓制の違い、農業の違い、時代による民族の移動と支配地の変遷などが浮かび上がる。エミシは国内統一の最後の砦だった。

 中央に「山道蝦夷」、太平洋側に「海道蝦夷」の名が見える。山道エミシは「東山道」の奥に住み、北端のエミシは「爾薩体(にさったい)」。初期は北上川を船で遡って攻め込んだ。一方海道エミシは「東海道」の太平洋側で、北端には「閉伊(へい)」がいたが、共に文屋綿麻呂に征伐される。なおこの際の「道」は「地域」の意味。



 上右は大和朝廷側の前進基地である城柵(じょうさく)が設置された場所を示す地図。上左はその設置年。日本海側は647年のぬたりの柵(新潟)、658年つきさら(新潟)、689年うきたむ(山形)、709年出羽柵、780年秋田城と北上する。出羽国(秋田、山形)は陸奥国からの分国。

 一方太平洋側には737年の多賀柵を嚆矢として海道、山道それぞれに前進基地が築かれて行く。この間780年には陸奥国府並びに鎮守府が多賀城に置かれ、それ以前には仙台市太白区郡山に多賀城の前身となる国府が置かれたと考えられる。やがて坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ、北上川を北上してエミシを攻め、盛岡市の志波城が803年に築かれる結果、エミシが朝廷に下ることになる。




 話は前後するが、斉明天皇4年(658年)越の国守阿倍比羅夫(あべのひらふ)は渡島(現在の北海道)のミシハセ(北方民族)を180隻の水軍で征伐。また飽田(あきた=秋田)周辺のエミシも征伐し、服従した恩荷(おんが=男鹿)を能代、津軽の郡領に命じた。後に将軍となって朝鮮半島に出兵し、663年百済と連合して白村江で戦い敗北する。東アジアは日本海を巡って揺れ動いていたのだ。


         <国府多賀城政庁跡地の発掘現場>

 多賀城は陸奥国府であると同時に、北辺の国庁としてエミシの懐柔に当たり、治安に努めた。新たに郡を置いて関東周辺から農民を移住させて農業を興し、税を治めさせた。このため、人と共に地名や神社も移って来た。多賀城裏面にある総社の宮には、移住者が信仰した各地の氏神など100社がまとめて分祀されている。また多賀社を国府の守護神として分祀し、これが多賀城の地名の起源となった。


               <多賀城政庁復元図>

 国府多賀城は小高い丘の上に建てられ、周囲を堅牢な塀で蔽われていた。城内には5万人もの兵士が駐留し、城下には整然とした大路が縦横に整備され、付属寺院が設置されていた。出土した土器に「観音」の名が見えることから、観音寺だと推定される。また陸奥国府鎮護と航行を守るため、陸奥国一之宮として塩竃神社が置かれた。城下には市が立ち、官人や兵士の食料や塩などが国内各地から届けられた。


              <政庁前での朝礼の様子>

 丘の上の堂々たる建物群は、服従したエミシにとっては異次元の世界に見えたことだろう。付属寺院の荘厳さ、政庁前における朝礼の儀式など、彼らにはすべてが驚きの光景だったに違いない。これが朝廷の威光か。これが律令国家の実態か。ほとんどのエミシは、心から恭順の意を示したことだろう。ところがやがてこの地で一大事件が発生する。<続く>





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Last updated  2019.10.06 00:00:17
コメント(16) | コメントを書く
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Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
yorosiku!  さん
エミシ、教科書では習わなかったような? (2019.10.06 09:23:24)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
yorosiku!さんへ

お早うございます!!
コメント、ありがとうございます。

そうですねえ。yorosiku!さんがまだ
学校に通っていることは、「えみし」は「えぞ」
と誤認されていたでしょうね。

でも「前九年の役」、「後三年の役」、征夷大将軍
坂上田村麻呂くらいは習ったはずですよ。
それから歴史学の上でも、考古学の上でも、
新しい発見や学説が起こって、徐々に古代東北の
実態が明らかになって来ています。

東北から離れた地域で暮らしていたら、そんな動向も
きっとご存じないし、東北の人間でも歴史に関心が
ないと、「なにそれ?」と思う程度かもね。

私は50年近くこのことに関心を抱き、自分なりに
考えて来ました。こんな文章を書けるのも、そんな
長~いお勉強のお陰なんですよ。💛(^^)v
(2019.10.06 10:47:59)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
今日は~~
今日は☔で・・チクチクで気を紛らわして過ごします
娘が入院で・・今年はシルビア家は厄年の様です😭
お好きな分野に楽しんで来ましたね・・そして帰ってきてブログにと二度楽しめますね・・私、苦手な分野ですが二度三度読んで・・脳に刺激注入しましたよ・・
芸術の秋・・昨日、娘達と「郡山文学の森」に行ってきましたよ・・
爽やかな秋晴れで気持ちよかった・・ (2019.10.06 11:04:48)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
田舎のシルビアさんへ

今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

あらまあ大変。ご主人様が入院されているのに、
今度はお嬢様がですか。お疲れ様です。
どうぞお元気を出されますよう。(@^^)/~~~

お家におられるお嬢様は大丈夫なんですね。
シルビアさんを乗っけて温泉に連れて行ってくれる
お嬢さんですが。誰かが傍にいないと大変ですからね(;^_^A

私は好きな分野の勉強(?)には目がありません。
自由に考えて、古代の東北で暮らしていたご先祖様たちの
姿を勝手に想像してるんですよ。(^_-)-☆

昨日はプロ野球の楽天のCS。ラグビーW杯。
そして世界陸上の応援と、完全な寝不足状態です。(;^_^A

さて、今日もわが楽天を応援せねば。
世界陸上の方もね。

シルビアさんもどうぞお元気で。あまり無理はしちゃ
だめですよ。私は久しぶりのお掃除でした。(^^)v (2019.10.06 11:21:28)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
 未知だった東北の歴史入門の勉強のため昨日から楽しみに読ませていただいています。

 マックス爺さんの解説は専門家そのものです。
これを機にもう少し私も歴史のウイングを広げてみたいとは思うものの、薩摩、島津、西郷にはまりこんで身動きできない状況です。 (2019.10.06 12:00:06)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
こんにちは!
東北歴史博物館特別展見てマックスさん得るものがいいのでしょうね
もう思考力も衰えているこの頃です
朝はヒンヤリしますね
風邪ひかないように過ごしましょうね (2019.10.06 12:06:38)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
クマタツ1847さんへ

今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

ハハハ。素人は素人なりに歴史と対峙しています。
赤いころから貝塚、古墳、矢じりなどと出会い、
次第次第に歴史に引き込まれて行きました。

なるべく正確に歴史を理解するため、考古学、人類学、
文化人類学、民俗学、言語学、神話学などの分野にも
関心が広まりました。そして興味の範囲も、古代東北の
縄文時代、弥生時代、古墳時代へと広がり、
最近では幕末史についても関心が広がりました。

そして本だけでなく、旅をして現地を訪ねたり、ネットで
情報を得たりして自分の認識を広げて来ました。

適当な知識で安直に歴史を楽しむ爺さんです。
今後ともどうぞよろしくお願いしますね。(^^)v
(2019.10.06 12:25:51)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
すずめのじゅんじゅんさんへ

今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

自分が好きな分野の「お勉強」をしています。
「好きこそものの上手なれ」。恥をかきながらも
研鑽を重ねていますよ。(^_-)-☆

今日の仙台はかなり涼しくて助かっています。
プロ野球。ラグビー。世界陸上。その他の
応援で睡眠不足ぎみ。注意しないとね。(;^_^A

じゅんじゅんさんんもどうぞお元気でね🌸(^^)v (2019.10.06 12:31:08)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
エミシと一口に言っても地域によって違うのですね

多賀城・・塩釜神社へお参りに行った時に寄ったところだったかな・・
何にもなくって・・ここに建てられたであろう建造物を想像して楽しみました (2019.10.06 15:01:19)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
5sayoriさんへ

今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

東北と言っても広いから、その住む場所によって
エミシの名前が違っていただけで、実態は一緒でしょう。

多賀城、今は何にもありませんが、とても
広い城域で、兵士が5万人も常駐していたのです。

塩竃神社へもさほど遠くありません。昔は
みな歩いていたのでしょうから。
多賀城付近の地下は全て遺跡が埋まっています。
当時は東北で一番の都があったのですから。

(2019.10.06 16:02:05)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
こ う  さん
こんばんは

A、Bの記号もありますね
専門的すぎても調べる楽しみがあって
好きな方は問題ないでしょうね
プロ野球にラグビー
バレーに世界陸上
観戦が忙しく寝不足になっちゃいますね^^ (2019.10.06 19:11:37)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
こ うさんへ

今晩は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

ああ、ありますね。
Aは古墳文化ですから、南から北へと
中央国家の墓制が北上する方向性。
Bは北海道にあり、「続縄文文化」とありますから、
日本の古墳時代でもまだ縄文文化のような採集生活が
中心だったエミシの文化が南下する方向性を
示しているのでしょう。

「せめぎ合い」と言ったのは、そのことです。(^_-)-☆
(2019.10.06 19:43:25)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
Kazu さん
Aさん,こんばんは~

楽天,美馬残念でした。明日の岸に期待するしかないですね。
昨日からのプレミアム商品券発売,失念しており本日購入すべく会
場へ。4か所すべて売り切れ,いやはや。

東北の歴史は,前九年・後三年の役からは歴史の教科書に載ってい
て,ある程度知識としてはありますが,その前はなかなか。
仏教も同じですが,知り始めると深く掘り下げていきたくなるので
しょうね。 (2019.10.06 21:12:24)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
Kazuさんへ

お早うございます!!
いつもコメントをありがとうございます。

プレミアム商品券って、名前は知っていましたが、
実態は良く分かりません。収入の少ない家庭が
配れるのかと思っていました。(;^_^A

楽天、昨日は残念でしたね。
あまり勝てる気がせず、茫然と眺めていました。
岸の粘りに期待したいです。ソフトバンクは
どこかでも点が取れますからねえ。

歴史の研究は飛躍的に進んでいるのです。
だから小学校や中学校時代の歴史のレベルとは
段違いで、新たな発見が積み重なっています。
考古学然り、人類学、医学の発展で,DNA解析は
完璧になりましたからね。

素人にはそんな最前線の知識はありませんが、
それでも歴史と言うものの深さと面白さに
こうして酔いしれている爺です。(^_-)-☆
(2019.10.07 06:46:33)

Re:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
山田 久夫 さん
多賀城、多賀柵は国府や鎮守府ではありません。賀美郡部内の城郭の城郭で今の大崎平野に端の宮沢遺跡が続日本紀にきされた多賀城だとおもいます。貞観の大津波で大崎平野は荒廃し百姓は去り九世紀終わりには廃絶してしまったものと考えられます。農地に適せず百姓は逃げ去り荒蝦夷の地に帰してしまったのです。
多賀城市の多賀城碑は偽物です。神亀元年に大野東人は按察使や鎮守将軍職についておりません。
大伴家持は城柵が名取以南十四郡から遠くはなれているので、多賀、階上に仮の郡を置く提言をしています。多賀は名取から離れた所、賀美郡に在ったのです。賀美を含む十郡は賊に与えられていました。 (2021.02.18 14:44:28)

Re[1]:古代東北に学ぶ 蝦夷~古代エミシと律令国家~(2)(10/06)  
マックス爺  さん
山田 久夫さんへ

驚きました。よくこんな古いブログの記事を
見つけましたね。コメントありがとうございます。


私は研究者でもないただの市民ですが、あなたの
おしゃってる意味が良く分かりません。

貞観の津波が大崎まで行きますかねえ。
では多賀城を50数次にも渡って発掘調査した
意味はなんなのでしょう。
多賀城の石碑に刻まれた恵美押勝の修復の
ことをどう解釈するのでしょう。

彼が乱を起こしたことで石碑は埋められてしまった
のですよね。それがたまたま江戸時代に農民によって
発見され、本物と判定されたのだと思います。
だからこそ南門も多賀城市によって復元再建
されるわけで、あれが国府ではないとすれば
一体どんな意味があるのでしょう。

もちろん鎮守府はやがて胆沢城へと移って行きますが
これは蝦夷との戦いの前線が北上したわけですが。
(2021.02.18 16:18:04)

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