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2024.11.19
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カテゴリ: 我が家の行事



 我が家の墓地は上の写真にあるこの場所が私の知る限りでは2ヶ所目である。
私が物心ついた頃の墓はここから1kmくらい離れた北側にあった。
もっとも同じ山には違いない場所だが、以前は比較的一般道路に近い場所だったが、納骨堂の写真のあるここは海抜では100mを超す山の上に位置する。
ここに引っ越す前は納骨堂ではなく、個別の墓標があった。
そこからここに引っ越したのは私が鹿児島を離れて転勤族として他所で暮らしていた時だった。
そこが区画整理になり、そこも山の中腹まで広がる大きな墓地だったがここに引っ越すことになったのだ。蛇足ながらいまそこは一般の住宅の他、マンションがやまの中腹まで林立している。
そのため私の母と両親(私の父の弟夫婦)がその墓に一緒に入っていた私の従兄弟と話し合って、全てを取り仕切ってくれたのだった。そして納骨堂にして先祖代々のお骨をまとめてここに納めたのだ。
今回ここを墓じまいしたのは、2年前に亡くなった妻を納骨するために新しくお寺さんに納骨堂を買ってそこに妻を先に納骨していたのだが、そこに今回墓じまいをして、先祖も再火葬して納骨しよということにしたのだ。
しかし、母と話し合った従兄弟も昨年亡くなってしまったので、その息子と今回話し合いを持ったところ相手も引き取って別にしようと思っていたらしく、話し合いは計画どおりに順調に進み後顧の憂いなく遂行できた。


それともう一つ興味を持ったのは、生年が明治4年(1871)という廃藩置県の年であることだ。明治維新の年から4年目に生まれたということで、そのような時代に生を受けた祖父がわずか私の二代前だったのかと思うと感慨深い。
祖父が満6歳の明治10年(1877)に日本最後の内戦と言われる「西南戦争」が起こっている。2月に始まった西南戦争は9月24日の西郷隆盛の自刃を以って終結するのだが、わずか6歳、現代であれば小学校一年生に当たる祖父の周辺はどのようなものであったろう。
祖母は私が小学5年生の時に亡くなったので、曾祖父や祖父から西南戦争の時の様子や庶民の生活などのことを聞いていたかもわからないので、聞いておけば良かったと思うが、後の祭りである。


 墓地内には前の墓地から移したお地蔵さんも置かれていたが、これも今回の墓じまいでお願いした石材店において整理されてしまうのだろう。「長い間見守っていただいてありがとうございました。」と祈って墓地を後にした。





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Last updated  2024.11.19 17:42:09
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