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私は昔から、救いがないほどの運動音痴で、スポーツ観戦にもほどんど興味がない。当然のように興味がわかなかった、あのトリノオリンピック。しかし、あのフィギュアの荒川静香選手には、非常に衝撃を受けてしまった。「金メダル」という爆弾で目が覚めた、ということもあるが、一番感心したのは、あの彼女の素晴らしい&ノーミスの演技を支えた底知れない「メンタル力」。「金メダルが取れるなんて思ってもいませんでした~」などと、インタビューでコメントしていた彼女をテレビで聞いていて、ふと、こんなことを思った。荒川静香選手の心は、まさに「ヨーガの境地」だったのでは!!!おいおい、スポーツ、という究極の「競争」の世界なのに、その対極みたいなヨーガなわけないだろう、スケートとヨーガなんて似ても似つかん・・・・アホかいな、とツッコミを入れたくなるかもしれませんが、まあ聞いてください。(荒川選手のイナバウアーのポーズは、ちょっとヨガっぽい 感じもするけどね・・・ま、それも置いといて・・・)ヨーガ、というのは、単に体を奇妙にひねる身体的エクササイズではありません。究極は、心の止滅や静寂を目指す、もっともっと深~い精神世界。荒川選手のコメントを、テレビで聞くにつれて、演技中の心の中では、おそらく、このヨーガ的心理状態に非常に近い何かが作用していたような気がしてしょうがないのである。オリンピックなんていう究極の舞台では、あまりのプレッシャーのために、「執着」と「恐怖」という、二人の最大の敵がむくむくと姿を現す。「勝っても負けても、どっちでもいいもんね~」なんていう、中途半端なアスリートは、オリンピックという大舞台にまで、勝ち上がってこれるはずがない。そこは、身体能力的に世界レベル&心理的にも世界レベルの「負けず嫌い」が集まる、非常に厳しい現場のはず。「今度こそ、1位を取ってやる!」 「なんとしても自己最高記録を出さねば」「この技でミスしたら、減点されちゃう」「いや、ミスするはずがない。こんなに練習したんだもの」「もし、転んだらどうしよう・・・」「神さま、奇跡を起こして・・・」「結果への執着」&「失敗への恐怖」が、怒涛のように押し寄せる。心のプレッシャーが、即座に体に伝わる。すると、いつもは絶対しないところで、うっかりミスをしてしまう。「心と体はひとつ」。最大の敵は、まわりのライバル選手ではなく、結局は「自分」。自分の心が生み出した、目に見えない敵・・・。荒川選手は、そんなことを、経験上から、十分理解していらしたのではないだろうか。私が大いに影響を受け続けている、有名な古代インドの聖典「バガヴァット・ギーター」にこんな一節がある。<あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。 行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ>ヨーガの目的とは、波打つ心の動きを止め、「結果」を放擲(放棄)し、「今」という瞬間に集中し、三昧の境地を目指すことである。そのために、あんな体に負担のかかりそうな、様々なポーズをとって、瞑想をする。全てのポーズは、瞑想を深めるためのツールなのだ。瞑想を深める最大の敵は、過去への悔いや結果への執着だ。荒川選手が目指したゴールは、おそらく、この「悔い」や「執着」を捨て去る、ヨーガ的な境地だったのではないだろうか?直前のショートプログラムの結果で、2日目のフリーが3位スタートだったということもこの「執着」から離れるのにふさわしい、居心地のいい展開だったのかもしれない。(最初から1位や2位につけていると、欲とプレッシャーで圧倒されて 身が持たない)もちろん、私は荒川選手じゃないので、心の中まで知るべくもないが、今回のトリノに臨む心境は、こんな感じだったのではないかと推測する。「今まで、精一杯協力してくれたコーチ陣や両親に、 最高の演技を見せて喜ばせたい。 メダルを取る取らない、勝ち負け、ではなくて、自分自身が納得いくように 最高の舞台で最高の演技をして、とにかく楽しんで滑りたい・・・」すでに昨年、世界選手権で有終の美を飾りって引退しようと考えていたのに、トリノに出るチャンスまでが与えられた。ならば、この最後のチャンスをフィギュアスケーター人生最高の体験にしよう、そのためには、結果にこだわりすぎず、「滑る」という、一瞬一瞬のプロセスを楽しんで、幸せな気分で演技しよう!あの8年前の長野の時のような、不完全燃焼だけはなりたくないから・・・世界トップレベルのアスリートだから、ライバルの演技や、審査員の目だとか、変更されて厳しくなった採点システムだとか、得する技だとか、勝敗の行方が気になって気になってしょうがないのは、当たり前。アスリートの世界は結果がすべて。いろんなことを計算に入れて勝負に挑むのは、本能のようなもの。しかし、今回の彼女は、そのレベルの悩みを捨て去ることに努めた。そして、「点数をむやみに減らさないこと」と、「とにかく自分らしく滑ること」にこだわった。得点にならないイナバウアーも、自分がやりたいから取り入れた。要するに、スルツカヤや、コーエンのように、彼女はガツガツしてなかった。これが、結果的には勝因になった。(あー、偉大なトップアスリートたちに対して、 まったくもって身勝手な邪推して、すいませ~~ん)執着を捨て去ろうとしていた何よりの証拠は、あのヘッドホン。確か、彼女は、自分の前に滑っていたコーエンの演技の最中に、ヘッドホンをかけて会場に入場してきた。「前の人の音楽や、観客の声援や拍手などが聞こえると、 雑念が入ってしまうので、自分の曲を聴いていた」と、答えていた。結果は、世界中の人が見ての通りの、まるで氷と一体化したような、流麗な演技。特に、例のイナバウアーのシーンは、競技の場であることを忘れさせられるような、神秘的なまでのオーラが漂っていた。そう、それはまさに、雑念から解放されスケートを思い切り味わう、三昧の境地。逆に、気の毒だったのが、スルツカヤ。最愛の母の病死、自身の長年にわたる持病との闘い、薬漬けの日々。生命とスケートへの執念、というか意地のようなものが、顔の表情からにじみ出ていたような気がする。<今度こそ勝つべきのは、この私よ、私なのよ。 この最後の五輪で、勝たなくては意味がない。 ここまで生き抜いてきたんだから、報われなくてはならないわ>(・・・・なんて想像するのは、まったく勝手な深読みだけど)だが、意気込みだけが空回りしたのか、まさかの転倒をしてしまった。そして、結果的に「トリノの女神は、荒川にキスをした」。(NHK刈屋アナの、会心の名ゼリフ!)表彰台でスルツカヤは、絶望と脱力が入り交じったような表情をしていた。荒川選手は、「金が取れるとは思ってもみなかった」「実感がわかない」と、何度もコメントし、無邪気な笑顔を見せていた。スルツカヤがあのセリフを聞いたら、どんなにか悔しがり、恨めしく思ったことだったろう。普通、トップ選手ならば、その金メダルという栄光こそ、のどから手が出るほど欲しいものであるはず。「やりました!(ついに、私が世界の頂点よ・・・) 本当にうれしいです!」なんていう、歓喜の言葉を、涙しながら口にする方が自然なのに、あの無邪気なまでの荒川選手の笑顔。執着を捨てていたから、自分でも、純粋に「まさか」と、びっくりしてしまったんだろう。「結果にこだわることなく、プロセスに専心する」「一瞬一瞬を、大切に生きる」「他人と自分を比べない」「自分が気持ちよくハッピーになることを実践する」「賞賛をおごることなく、ナチュラルに受け止め、ひけらかさない」荒川選手の姿勢は、勝利の喜び以上の大事なことを、私にたくさん教えてくれた気がする。荒川静香選手、おめでとう!あなたの金メダルの輝きは、物質を超えた聖なる光に変わって、私に届きました。
2006.03.02
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金縛りから開放されて、ふとんから起き上がった私は、のろのろとリビングを歩いていた。体の感覚がふわふわして変だ。やっぱりこれは夢で、実際には、私の体は起きてないんだ。しかし、夢の割にはかなりリアルな感覚。頭がしっかりさえてる。おー、ここは、まさにうちのリビングだな。あれっ?? でもテレビの置いてある場所が、全然ちがうじゃん。しかも、テレビの型番はかなり古いのか、チャンネルがダイヤル式になってる。うちのはこんなテレビじゃないぞ。・・・なーんて、いちいち一人ツッコミを入れてたら、突然「ぼよ~~ん」と、体が浮き上がり、天井にぶち当たった。右腕が半分、天井の壁にずぶりと刺さって、すぐにスパッと抜けた。その弾みで今度は、床にぼよ~ん!と、しりもちをつき、一瞬だけ、ズボッとおしりが床にめりこんだ。体がぶよんぶよんで、どうにもコントロールが効かない。右手の人指し指を、左手でひっぱると、みょーんとゴムのように伸びた。わーおもしろーい。体中がぶよぶよなゼリー状態なまま、次はすごい勢いでダダダダ~っと、北側のパソコンのある書斎部屋に駆け込んだ。あああああ。何やってんだ、あたし。あっれ~~? 風のような速さで、窓ガラスをぬるっと突き抜けて、外に飛び出したかと思ったら、ふわりと空に浮かんだ。目の前は一面、極彩色の朝焼け。あっら~、なんてキレイ!!!今までに一度も見たことのないほど、それは鮮やかな朝焼けだった。紫とオレンジがグラデーションになったような、幻想的な空。雲はひとつもなかった。そう、ちょうど、クリスチャン・ラッセンのリトグラフとか、藤城清司の影絵に出てきそうな風景。(どちらの作家も、特に好きなわけでもないのだが、 なぜかそんな光の風景が目の前に広がった)そう、ちょうど、イメージとしてはこんな感じの空・・・・↓ http://www.art4shige.com/cgi-bin/art/view.cgi?t=cgi_kakudai&k.ArtistCode=lssn&k.No=0044これよりもうちょっと紫の色合いが薄くて、雲と太陽を消したような感じ。右手の東の空には、白っぽい満月がぽかっと浮かんでいる。 眼下にはなぜか、一面の雪景色。人っ子一人いない。黒っぽい冬の枯れ枝の雑木林が、どわ~っと一面に広がり、枝にはこんもりと真っ白な雪が積もっている。(空は晴れ渡っているのに、雪積もってるなんて変じゃん!)雑木林自体は、幻想的ではなく、何の変哲もない普通の木だった。(うちのマンションの目の前は、実際は殺風景な広い駐車場。 確かに、雑木林が左端にほんのちょっとだけ見える)私は、小さい時からしょっちゅう空を飛ぶ夢を見るけれど、今回は、体感的には夢というレベルを超えた、ものすごいリアルな感覚だった。いつもは腕を、鳥のようにバタバタ動かさないと空を飛べないけれど、今回は、手を動かさないでそのまま宙に浮かんでいた。真っ白い雪景色と、鮮やかな朝焼け、というコントラストが圧倒的に美しく、夢の景色ながら、うっとりしてしまった。恍惚として景色を眺めながら、私は思わず手を合わせて祈っていた。<あ~神様。こんな美しい景色を見せてくれて、ありがとうございます>で、「明晰夢」は、自分の念力でシーンを変えられるんだいうことを思い出し、今度は、自分の行きたい場所を、勝手に頭の中で想像し、思い念じてみることにした。・・・・えっと、どこに行こうかなー。そうだ、ペルー! ペルーのマチュピチュに行きたい!すると、雪でこんもりした雑木林の中から、マチュピチュ遺跡の山頂部分がもわわ~~んと浮かんできた。 ひゃ~変なの!!!でも、このマチュピチュ、なんだか子どもがクレヨンで書いたみたいな、稚拙なマチュピチュだなぁ。ま、いかせん夢だからしょうがないか~。愉快になった私は、左腕にバイオリンを抱えて弾いた。(というか、左腕そのものが突然、みょーんと バイオリンに変形した感じ)変なメロディーをめちゃくちゃに奏でながら、楽しく歌っていた。(バイオリンなんて、一度も弾いたことないくせに)バイオリンを弾きながら、横でだんなのゴーゴーいう、うるさいいびきが聞こえていた。<うぉ~、これは、だんなのいびきだな。ちゃんと夢の中でも聞こえる!>バイオリンのメロディーが、次第に深みのある静かなマリンバの音に変わってきた。ポロン、ポロン、ポロロロン・・・幻想的な夢は、ゆっくりフェードアウト。あれ?はっと、目が覚める。現実の世界に戻った。さっきのメロディーは、毎朝、目覚まし代わりにセットしているマリンバ独奏のCDの曲だった。なんだ、この曲が夢に侵入してきたのか。目覚めたときの私の寝相は、やっぱり仰向けのまま、両ひざは体育座りのように折れ曲がり、両腕は肩の位置まで上がったまま、枕の上で止まっていた。普段、こんな変な寝相、あんまりしないんだけど。まだ体中が、じーーんとしびれているような感じがする。<あーそれにしても超気持ちいい夢だったー!>がばっと起きて、だんなを見たら、ぐうぐういびきをかいてまだ寝ている。さっき、夢の中で聞こえていたいびきと同じ音だった。私は、いつも寝起きは、低血圧と疲労でほとんど死んだようになっているのだが、今朝は、体中にものすごいパワーが、ぎんぎんにみなぎっていた。変なたとえだけど、気持ちいいHをした後のような、心地よさだった。こんなにきれいな夢見て、スッキリ爽快な目覚めのいい朝は、なんだか久しぶり。笑顔が出るほどハイテンション。いや~、ほんとに美しい景色だったなぁ。もう一回見たいなぁ。夢の余韻にひたりながら、ぼんやり電車に乗り、会社に行った。じーんとしびれを伴うような、もわもわした震えのような感覚と、空に浮かんだような錯覚がとれないまま、妙な気分で仕事をして、一日をすごしてしまった。・・・・いったい今朝の夢は、何だったのだろう。あの朝焼けはなに??雪景色の雑木林はどこ?? ずっとそんなことを考えていた。確かに、うちのマンションの北には、左端にほんの小さな雑木林の公園があるのだけど・・・・。ここの景色のイメージが、夢の映像になったのかな?最近大雪降ったとき、この雑木林で雪だるま作ったからかなぁ。夜、会社から帰り、そのひっそりとした小さな雑木林に立ち寄った。土の上をのそのそ歩き回って、頭上の木々の枝を眺めながら、しばらく考えこんでいた。<ひょっとして、夢を通じて、ここの木から何かメッセージを もらったのかな。まさかねぇ>・・・そして、ふと思い出した。うちのマンションが建設される前、ここがあたり一面、雑木林だったことを。今から、10年以上前、私が住んでいる11階建てマンションが建設されることになった際、この地域で反対運動が起きたという。近隣住民たちは、自分たちの日照権を奪われることと、建設に伴う雑木林伐採に反対したという。建設業者が折り合いをつけるため、敷地周辺の雑木林の一部を、伐採せずに取り残し、小さな公園にして、マンション横に温存することになったそうだ。まさか、それで、私は北の窓から飛び出して、朝焼けの光(日照権の象徴?)と一面の枯れた雑木林(伐採された木々?)を見たのかな?? いやーそれは、単なるこじつけだな。夢には、何らかの無意識のメッセージがあるという。夢の解釈が、たとえ自分勝手なこじつけであったとしても、そこから何らかの個人的な意味を感じ取ることができれば、それでいいのかもしれない。解釈があってるかどうかは、誰にも証明はできないけれど。じゃあ、あの満月と、バイオリンと、マチュピチュは何? うーん。
2006.02.02
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いや~、もうすっかりここのブログともご無沙汰してしまって。前回更新は8月・・・・ということは、もう半年も経っちゃったのか。あちゃー。前回の思わせぶりな「霊脳占いの話」、続きはどうなったんかい~!って気になっていた方、ごめんなさーい!!今まで、この日記にいろんな過去の記憶や思い出を書きつづっていたけれど、この数ヶ月、自分自身の中でいろんな心境の変化が起こり、文章で、記憶を掘り起こし、再構築する必要がなくなってしまった。心境が変わり、自然とパソコンから遠ざかり、ブログも、とんとご無沙汰になってしまった。もし、今まで読みに来てくれていた方がいらしたら、本当にごめんなさい。霊能占いの話は、またいずれ書くことにします。本当におもしろくて不思議な占い師さんでした。突然、今回思いついたように、ここに戻ってきたのは、今朝、なんだか奇妙な夢を見たからです。たいした内容ではないんだけど、個人的にあまりに鮮烈な夢体験だったので、忘れないうちに書いておこうと思って。。。このごろ、なぜかはわからないけれど、目が覚めても、夢の内容をはっきり覚えていることが多くなった気がする。夢の内容って、普通は起きたとたん、あっという間に忘れちゃうけれど、それが何でだか、起きてからもすらすらと順序だてて話すことができるのである。たいていは不条理で、わけがわからず、へんてこなストーリー。それと、夢の中で、「あ、これは夢だ~!!夢に違いない」と確信することも多くなった。こういうのを、夢の世界の専門用語では「明晰夢」というそうだ。夢の中でいったん「おー!これは夢だー!」と自覚できたとたん、思い通りに、すいすい動けちゃったり、やりたいこと、悪いことし放題、夢の中のシーンを、自分の願望どおりに変えることができたりする。きっと誰もが、こういう愉快な夢体験をしたことが何度かあるのではないでしょうか?片思いの人に会いた~い!! と、念じたら、夢の中で自分の目の前に現れて、相手とキスするぞ、するぞ、と思ったら、ちゃんとできちゃったり(ついでにHも、しちゃったり)魔法使いになったり、空を飛んだり、憧れの有名人と話せたり、お金持ちになったり、ごちそう食べたり、行きたい場所に旅をしたり。今朝見た夢も、まさにそんな「明晰夢」だった。でも、残念ながら、全然Hな夢ではなかった。まず私は、インドかどこか、アジアの国のマーケットのような、小汚いごちゃごちゃした通りを、急いで一人で歩いていた。必死になって、女子トイレを探していた。(せっかくの明晰夢の中で、トイレ探しかい! 情けな~)やっと女子トイレのマークを見つけてドアを開けると、そこは、とても汚くて狭い、ブルーのタイル張りの部屋だった。(膀胱が限界に近づく朝方に、トイレ探し回る夢って見ませんか? 私は、しょっちゅう見るんです)そのトイレの部屋には、なぜか、たくさんの女性が制服のような紺の服を着たまま全員立っていて、ニヤニヤしながら私のほうを見ていた。<あちゃ~、へんなトイレ!! こりゃまたあたし、 くだらない夢見てるんだわ~。だはは。これは夢よ、夢!夢! 夢の中では、どうがんばっても用は足せないから、やめよっと>トイレには入らず、そのまま道を前進して、マーケットから外に出た。・・・・汚い夢は、ここで終わった。ほっ。ふと気づくと、自分の体が布団の上で、仰向けになっていた。両足は体育座りのように折れ曲がり、両手が肩の辺りまで上がっている。どんな寝相になっているかは、自分でもはっきり自覚することができた。ああ、ちゃんと手足を伸ばして、大の字で寝たいのに・・・。でも、全然動くことができない。そう、いわゆる「金縛り」の状態というやつだった。「明晰夢」と、「金縛り」は、経験的にいって、紙一重である。私の場合、どっちも、うつらうつらしている朝方に体験することが多い。そのまま、じーっと静かに「金縛り」の状態を見つめてみることにした。最近、ヨガをやっているので、瞑想の練習と同じように、深呼吸をしてみようと思った。すったり吐いたりするおなかの動きが、ぼんやりと感じられる。というか、本当は自分の意志で呼吸をコントロールしているのではなく実際は、「勝手に動いていた」のかもしれないが。呼吸に集中することで、しだいに不思議と、金縛りが怖くなくなった。すると、だんだん体中がぶわ~っと波打つような、細かく震えるような感じになった。両方のこめかみの辺りが、じーーーんとしびれて、ちょっとむずがゆいような、変な感覚。寝ている部屋の天井が、うすぼんやりと見える。窓の外は明るい。すっかり朝だ。いつもの「金縛り」なんだけど、今日のは全然怖くない。・・・・お、これなら、そろそろ動けそうだな。 よしっ、いまだ! 起き上がろう!そう意識して、右回りにごろんと寝返りを打ったと思ったら、突然、ふわっと体が起き上がった。・・・・・・・・・わっ、これって、もしかして・・・体外離脱?気づくと、私は重い体を引きずってのろのろと、リビングを歩いていた。~つづく~
2006.02.02
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このあいだ、霊能系占い師に鑑定してもらったときのこと。2年も前に興味本位で鑑定予約したのだが、忘れた今頃になって、ようやく順番が回ってきた。K先生の事務所に向かう道すがら、私は、いつになく緊張していた。中央区のある一角にある、かなり古びたマンションの上階にその事務所はあった。知らなければ、普通のうちと見間違えるような、地味な表札がかかっている。ほんとにここでいいのかな?あまりにフツーのマンションだけど。おそるおそる、玄関のインターホンをピンポーンと鳴らすと、中から、どーぞー、と声がして、ドアがぎーっと開いた。イメージしていたよりも若々しい、普段着のK先生が部屋にいた。開口一番、軽やかな口調でこう言った。「あぁ、今日は、緊張されてますね~。かなり緊張されてる」・・・ぎゃ、バレたか。。。。「はい、初めてなので、すごく緊張してます・・・。今日はよろしくお願いいたします」雑談もそこそこに、小さな丸テーブルを挟み、先生と向かい合わせに座る。事務所は、ワンルームでこじんまりとしている。精神分析医とかコンサルタントの事務所といってもおかしくないぐらい、モダンな雰囲気で、無駄なものが何もない。初回の人は、まず先生が霊視して、最初の印象をしゃべることになっている。とりあえず、私からは何も質問しなくていいらしい。簡単に名前と生まれた年、月、年齢だけをシートに記入する。ミネラルウォーターの紙コップを差し出された後、いよいよ鑑定が始まった・・・・。目の前に座っている先生が目をつぶり、首を前に傾け、黙祷するようなかっこうになった。ますます緊張が高まる。。。ドキドキ。「しばらく、私だけ集中いたしますので、お待ちください・・・・・・・・・・」・ ・・・・しばしの沈黙・・・・。やだな~、なに言われるのかしら。ドキドキ。。。。なんだか知らない人に、裸をジロジロ見られている気分。先生が、おもむろに口を開いた。「うーーーーーん、あなたは、と・に・か・く、優しい方ですねぇぇぇ。でも、その優しさで人につぶされることもありますね。これだけは、ご自分の領域、誰にも負けない、というものを持ってらっしゃいます。だから、ご自分の領域と、相手の領域、ハッキリと分けて考えるといいんですよ。そうしないと、相手に凹むこととか言われて、つぶされちゃいますね・・・・」・・・・・ほめてるんだか、けなしてるんだか。漠然としているアドバイスだなぁ。でも、思い当たる節はある。たしかに私は、世話好き、というか、おせっかいな性格で、「自分と他人の線引きがとっても苦手」なのである。そういう性格が災いして、対人関係のトラブルを起こしていることが多い。数々の恋愛問題しかり、悪魔の美恵子夫人とのバトルもしかり。しかし、私の口からは、自分の情報は一切しゃべらないことにした。どうせ先生には、ある程度見えているのだろうから、いちいち過去の体験を口で伝える必要はないと思ったからだ。それに、正直、この先生の口から、どこまでご託宣がもらえるのか、試してみたい気持ちもあった。K先生は、ひとしきり私の性格について、説明をした後、さらりと話題を変えた。「それとですね・・・・今日は、どうしても悪いことをひとつ言わなきゃいけないんですが、これからは、婦人病の検査を毎年受けてください」は?? 性格の話から、いきなりもう「健康問題」なのね。「婦人病」って、この年頃の女なら、みなそろそろ関心持ち始める時期だよな。「いぼ痔に気をつけてください」って言われるよりいいけど。確かに、今、私は、婦人病とまでいかないが、生理前に体調をよく崩すので、目下、漢方で体質改善をはかっているところでもある。「先生、私も婦人病は、そろそろ気になってるんですよ。いつも、今年こそ検診受けなきゃって、思ってました。ちょうど今日の朝も思っていたところです」「なんだ~、わかってるんじゃないですか~! それ、当たりですっ、当たり!」うわっ、占い師さんに「当たりです!」って言われちゃった!私も、占いの才能、あるのかも?って違うか。先生は、こう続けた。「とにかく、検査は必ずしてください。できれば、来年あたりからお願いします。近いうちに手術で切ることになってますので」「へえぇぇっ・・・・・・手術、ですか???」そんなこと、さらっと軽く言わないで~。怖いよう。「ええ。でも内視鏡を使う程度の軽いものです。医者からは検査で『ガンかもしれない』なんて、散々脅かされますが、それほど重い病気ではありません」もうすでに、アドバイスではなく、お告げのレベル。といっても、K先生に言われると、怖いお告げでも、不思議に嫌味に感じない。ベテランのコンサルタントのごとき、理知的な口調なのである。「・・・・あと、お住まいなんですけどね・・・・。(しばし沈黙)今、住んでらっしゃるところ・・・・・ダメです!」「へっ???? ダメですか・・・・・さいたま、なんですけどぉ」驚きのあまり、座っていた腰が浮き、思わず中腰になりそうになった。ダメって、いきなり言われてもさぁ。。。まるで、脅しの連続じゃないか~(泣)。「いや、住んでる場所そのものが悪い、というわけじゃないんです。つまり『迷われてるのがダメ』なんですよ。気持ちが揺れてる状態だと、どんどん運気が下がります。金運も悪くなります。婦人病にもなります。今のところに住み続けるなら、住み続ける、移転するなら移転する、ってはっきり決めちゃってください!」先生、怖いこというなぁ。いきなり、引越し問題ですかぁ。実は、今の我が家の一番の懸案課題なんだよな。今の持ち家マンションを人に貸して、都心に引っ越そうかどうしようか迷っているところなのだ。「・・・・実は、今、都心に引っ越すか引っ越さないかで、夫と、もめてるんです。夫は、引っ越したいというんですが、私は、家賃とかお金のことが心配で・・・・」「今のところで、別にいいんじゃないですか。さいたま、いいところですよ。地震でもそんなに揺れないし。移転する理由も特にないわけですし」そ、そうなのかぁ。都心への引越し、あきらめようかしら・・・。あっ、なんだか、すでにお告げの世界にとりこまれそうになってきた。その後、「私の仕事運」「家族の健康運」などを聞いた。それほど大きな問題があるようでもなかった。確かに、今はあまり問題がない、安泰の時期ではある。2年前だったら、いろいろ相談したいこともあったのに、今みたいに安泰期に占いの鑑定をしてもらうのも、皮肉なものである。いや、安泰の時期だからこそ、こうやって冷静に、ご託宣に耳を傾けて、一人ひそかに、突っ込みを入れる余裕があるんだよな。あんまりどん底なときは、占いは危険である。・・・ある程度の初見鑑定が終わったので、私から、質問してみた。「・・・・先生、私、一番聞きたいことがあるんですけど、自分がこの世に生まれてきた理由、大げさに言うと、自分の使命のようなものがあるとしたら、それを知りたいんです。現実の職業とか、そういう次元とはちょっと別の何かを知りたい」先生には、現在の私の職業は、一切伝えていない。さて、K先生はここで、どんな答えを出すのか・・・?驚き?のお告げは、また次回に。~つづく~
2005.08.20
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待ちに待ったロス・バン・バンのライブ、やっぱり最高だった・・・!!東京にこんなにキューバファンがいたのか、と驚くぐらい、フロアは満杯。今まで、来日したキューババンドのライブを何度か見たことがあるけれど、今回ほど大入りで、身動きが取れない会場は、初めて体験した。次々に繰り出されるナンバー。Permiso, que llego van van , Sandunguera, Desupues de todo, Soy todo , Corazon(あとは、曲名がわからなかった・・・・詳しい方教えて!)キューバのバンドで一番面白いと思うのは、バンドにボーカルを複数従えていて、曲ごとにメインを取る人が交代することである。バンドが同じでも、ボーカルが変わるだけで、こんなにも雰囲気ががらっと変わるのか、と一粒で3度も4度も違う味が楽しめるのだ。ロベルトのドスの効いた、マッチョなボーカルもいいけど私は何より、ファンキーでロマンチックなマジートがお気に入り。ラテンおやじのダーティーさが売りだった、ペドロ・カルボがいないのが寂しかったけど。リーダーのファン・フォルメル氏もちゃんとベース弾いてるじゃん!お元気そうでよかった。・・・と思っていたら、いつの間にか若いお兄ちゃんにバトンタッチして、左の端っこのほうで、コロに回ったり、舞台の真ん中辺でプレーヤーたちにディレクション出していたり。やっぱりもう歳だから、フルでは演奏しなくなったのかな。なんせバンドを35年間も継続してきた男だ。今は実際の演奏しなくても、曲を書き、バンドを運営し、ああやってステージに立っているだけで、すごい存在感がある。すでに歩くキューバンポップスの象徴。左横のお立ち台の上で、キューバンダンスをデモしてくれた講師団ご一行様?のチームが、ライブの間中もノリノリで踊っていた。その一角だけ、本場ハバナのサルサテカ状態。日本人にはとうていまねできない、猛烈なデスペローテが全開。キューバだと、会場中すべてのお客さんが、あのLOCOなノリなんだけどな・・・。ラストのESTO TE PONE LA CAVEZA MALA とVAN VANでは、私まで頭がLOCOになってしまいそうになった。。しかし、ロス・バン・バンのみなさんは、いくら周りが盛り上がっても、さすがに一糸も乱れることなくタイトで完成度の高い演奏。きっちりハモるコーラス、ぐるぐるうねるコール&レスポンス。突っ走ることなく、スペイン語のわからない日本人ファンの乗せ方のツボも的確につかんでいて、なんだかすべてにそつがない。彼らの唯一の難点といえば、そのあまりに計算された「そつのなさ」だろうか。ああ、もっともっと聴いていたい。新アルバムのテーマソング「CHAPEANDO」がまだだけど、アンコールでやるのかな。でもあれ、内容的にアンコールでやる曲じゃないしな・・・。熱気とパワーに圧倒されている間に、すぐに2時間がたった。当然、2曲ぐらいはアンコールがかかると思ったのに、なんと1曲もなかったのが残念。なぜなんだ~?? あんなに会場が盛り上がっていたのに・・・・ショック。来日ツアーの初日ということで、パワーをセーブしていたのかもしれないが、ここ東京でしか聴けない私のようなファンにとってはもっとたくさん曲を聴きたかった。AZUCARとかQUE LE DEN CANDELA、QUE SORPRESAとかのヒットナンバー。DE LA HABANA A MATANZASみたいな、もろルンバっぽいやつも。帰りがけ、不完全燃焼気味な気分をなだめながら、荷物のロッカーへ向かった。人であふれる階段にボーっと並んでいたら、真横のドアが突然開き、リーダーのフアン・フォルメル氏が、よろよろ外に出てきて偶然私の目の前に出現。思わず、「He disfrutado muchisimo! Gracias!(楽しかったです。ありがとう)」といいながら、握手をしてしまった。アンコールがなくて不満だったけど、フアン・フォルメル氏を、最後に間近で拝めただけでも、よしとするか。ライブの曲では、個人的に、マジートがメインボーカルを取る、SOY TODOが何より一番よかった。歌詞が、ほとんどわからないんだけどなんだかものすご~く、神がかった曲だと思う。サンテリアの神様の名前が連呼されてるみたいだし。私自身、なぜかいつも宗教チックな音楽に惹かれてしまうのは、どうやら、なにかしらの意味があるらしい。ロス・バン・バンのライブ直前、銀座でやっと出会えた霊能占い師、K先生が過去世について語ってくれた。私の過去世は「西アフリカの黒人奴隷」ではなく、イスラエルあたりで生まれ育った、熱心なキリスト教信者だったとか。それ以外の過去世でも、キリスト教に限らず、「いつも何かしらの宗教に一筋の人物だった」そうだ。「マリア様に帰依していた時期もありますね。旧約・新約聖書も よく読んでらっしゃいました。 でも、過去世で宗教に凝りすぎて、とんでもない苦労をしてますね。 だから現世では、もう2度と宗教にはハマりすぎないように」との忠告。またまた~ぁ・・・・「・・・K先生、それって他の人でも結構そういうことって あるんでしょうか?」「いえ、そんなことはありません。宗教とは縁のない人の 方が多いですよ。 でも、あなたの場合、全部宗教にかかわってます(キッパリ)」現世の私の「神がかったものへの憧れ」を見抜かれたようで、ぎょっとした。占いの鑑定内容については、また次回に書いてみようと思う。たかが占い、全面的に信じているわけではないけれど、K先生からは、示唆に満ちたメッセージをたくさんもらい、有意義なひとときであった。占いのせいか、いまだに、マジートのボーカルのこんなコロが、頭の中でぐるぐる響いている。AY,DIOS, AMPARAME! (神よ、私にご加護を!)
2005.08.15
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今日は、衆院解散のニュースに明け暮れた一日だった。参院での郵政法案の採決シーンを、リビングのテレビでボーっと見ていた。否決が決定的になった瞬間、各テレビ特番のアナウンサーは、興奮気味に「これで郵政民営化法案は否決されましたっ!!」と声をあげた。そろそろ、出勤の時間だ。ふと空を見上げると、空は灰色。遠くで雷鳴が轟き、突然土砂降りの雨になった。家からタクシーを呼んで、大雨の中、急いで駅に向かった。うちの会社は新聞社なので、今頃、夕刊の担当者たちは、紙面づくりにてんやわんやの大騒ぎのはずである。会社に着いたら、ちょうど、衆院が解散した直後の映像がテレビに映っていた。ありゃ~、冗談みたいな理由で、本当に解散しちゃったよ。今まで、解散総選挙なんて、自分には何の関係もないな~、と思っていた。郵便局の民営化だって、普段の生活上は、何の関係もないと思っていた。私は郵貯や簡易保険も利用してないし、郵便局にお世話になるときは、年に1度の年賀状を出すときか、郵便振込みをするとき。あとは実家の母親へ荷物をゆうパックで送るときぐらいである。郵便局が民営化されると、自分個人の生活に何がどう影響するのか、ぜんぜんピンとこない。ところが、今回の解散は、個人的に大いに関係がある。今、心から叫びたい、「変人・小泉のバカヤロ~!」と。なぜかというと・・・・夏休みがなくなる、からである。(しょぼい理由・・・)総選挙をやると、うちの編集セクションは、各選挙区の紙面づくりで繁忙期を迎える。投票日が終わるまで、スタッフ全員が大忙しになるのだ。先輩女性が、いつか言っていたセリフが思い浮かぶ。「総選挙はねぇ、うちにとっては最大のお祭りなのよ」それまで政治に無関心で、投票すらおぼつかなかった私が、30半ば過ぎて、初めて、選挙とリンクする仕事生活を送ることになった。席に座り、社内メールを開くと、こんな業務命令が入っていた。「今から9月にかけて、夏休みを申請してる方、選挙紙面準備のために勤務変更の可能性があります。場合によっては、お休みを返上して、出勤していただきます。申し訳ありませんが、各自、心積もりをよろしくお願いします」げげ~。マジですか・・・・。悪い予感はしてたけど、ほんとに休み返上になるとは。気分はすっかりダウナー。選挙戦で忙しくなるのは、候補者や政治家、選挙事務所の人たちだけにしてくんないかな。私の夏休みは、今のところ9月の初めから約1週間の予定だ。初のインド行きを決め、格安航空券を手配して、さっさと銀行振り込みで支払ってしまった。年に1度の海外旅行、心から楽しみにしていたのに、どうしてくれるんだ。飛行機代のキャンセル料誰が払ってくれるんだ。。。うちの部署のちょい悪系オヤジ、M氏は、私の顔を見るなり、ボソッとつぶやいた。「俺さー、今頃ホントはミラノに行ってるはずだったんだけどよう。 結局、ツアーキャンセルしちゃったよ~」「え~~~、Mさんもキャンセル? まさか解散のせいで?」「そう、小泉のせいだよ。 なんて、うそ。女房が具合悪くなっちゃってさぁ。 治療に付き合わなくちゃいけなくなったのよ。ミラノには愛人と行く予定だったんだけど、バレそうになったからやめちゃった」なんだ~、解散総選挙のせいじゃなかったんですね。病身の女房置きざりにして、愛人とミラノに行ったら、小泉もビックリの身勝手さですよね。最大のピンチは、仲良しの後輩スタッフY子ちゃんである。Y子ちゃんも、9月の始めに夏休みを予定している。しかも、選挙開票日の9月11日に、チャペルで結婚式をあげる予定を入れてしまったのだ。「マヤさん、どうしましょう。人生最大のイベントの日に、総選挙だなんてもうタイミング最悪~。でも、式は決行しますから来てくださいよ~。もしかして、式の後ウェディングドレスさっさと脱いで、夜、仕事しなくちゃいけないのかなぁ。そんなの絶対いやですぅ」世界貿易センタービルのテロの日に、結婚式を入れちゃうとは、Y子ちゃんも、なかなかいい根性をしている。9・11も、仏滅並みに結婚式会場が空いていたらしい。私も、インド帰りの翌日に、式に参上するつもりでいるのだが・・・。選挙戦の最中、私は無事インド逃亡できるのか。Y子ちゃんは、9・11に無事結婚式が挙げられるのか。ちょい悪オヤジM氏と愛人との関係は、今後どうなるのか?(って、これは関係ないか・・・)3人とも、やけくそ気分で、仕事に身をやつすことになるのか。国政の行く末よりも、そんなアホなことに関心が向かうこのごろである。~つづく~
2005.08.08
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ある日、携帯の着信画面に、見慣れない電話番号が入っていた。普段だったら、ワン切りか、単なるまちがい電話だと思って無視するのだが、会社からの電話かもしれないと思って、ふと、かけなおしてみた。夏に入って、勤務交代や他の部への応援勤務など、緊急の連絡が結構多いのだ。(電話音)・・・・ルールールー。カチっ。「・・・はい、お待たせいたしました。Kでございます」は・・・? 誰やねん、こいつ? やっぱり全然知らない男性の声だった。ワン切りだと、変な女の人の声が多いのに、男性は珍しいな。しかも、個人名だし、丁寧な感じの留守番電話だ。「・・・恐れ入りますが、ただ今、電話を受け付けておりません。 ご用件の方は○日の○時以降にお願いいたします・・・」そのまま留守番電話は切れ、ツーツーツー。なんだい、これ???? 「ご用の方は○日以降にかけなおしてくれ」という。ちょっと図々しくない? 自分から先にかけておいてよぉ。どこか遠くへ旅行中なのかしら。だいたい、Kって男、何者なの? 何で私の携帯知ってるの?苗字しか名乗らないし・・・、どこのKさんかもわからん。・・・ったく、あたしも最近、すっかりボケて物忘れが激しくなったからな。男の人のなんて、会った尻から忘れちゃってることあるし。あーん、でも、もしかしたら、せっかく、どこかで素敵な出会いをして携帯番号を交換していたかもしれないのに、あたしが忘れちゃったせいで、出会いが無駄になるかも・・・。Kさん、Kさん、Kさん、Kさん・・・・誰だっけ? うーーん、だめだ。思い出せない。・・・せっかくの、素敵な出会いが・・・(妄想)ま、大事な用事なら、相手からかけてきてくれるだろうから、ほっておくか。・・・それから、ゆうに1週間以上たった。結局、K氏からの電話は、一度もかかってこなかった。やっぱり単なる間違い電話とか、セールス電話だったのかな。このごろ、電話の詐欺とかも多いから、気をつけなくちゃね。つい最近の週末、スーパーの買い物からぷらぷら帰ってくる道すがら、とりとめもなくいろんな考え事をしているうちに、あっ!! と、急に思い出したのである。Kさんが、誰であるかを!!Kさんとは、その世界ではたいそう有名な「占い師の男性」だった。苗字だけだったから、思い出せなかったが、ものすごく当たることで有名な、あのK氏だ。彼のwaiting listには、常に1000人以上の顧客が予約待ちだという。そうか、あの着信電話は、やっと、お客としてお呼びがかかった、という連絡だったのだ。私がwaiting listに名前をエントリーして以来、あまりに月日がたちすぎてしまって、すっかり忘れていた。こんなチャンスはめったにない。急いでK氏の事務所に電話をかけなおし、鑑定の予約を入れた。K氏については、2年ほど前、ある男性作家のNさんとお会いしたときに、ふと噂を耳にしたのがきっかけだった。(この作家さんに出会ったきっかけも、結構奇妙なのだが、 今回は話が複雑になるので省きます。『○○の達人』の著者です)その作家Nさんと、数人の編集者たちで食事会をしていたとき、Nさんが、こんなことを言った。「僕はね、いつもKさんという人に、占ってもらってるんですよ。 ものすごくよく当たるんでね。信じる、信じない、なんてレベルじゃないですよ。 本人しか知らないようなことまで、Kさんは霊視できちゃうんだよね。 現在のことはもちろんだけど、過去世や未来世まで映像で見えるんだって。 相手が死ぬ年齢や、どうやって死ぬかも、はっきり見えるんだって」 ・・・・げっ、ほ、ほんまかいな・・・? こわ~。「だからね、Kさんの前では、隠しごとなんて一切できないですよ。 だって僕のうちの冷蔵庫の中身まで見えちゃうんだから」その話を聞いたとき、私は半信半疑だった。霊視とか、過去世とか、その手の世界がいまいち苦手なのだ。冷蔵庫の中まで、見える? 死ぬ時期まで、わかる? まさか~・・・。しかし、そのとき私たちがいた場所は、西麻布の割烹である。夜の宴席でこの手の話が出たら、信じる、信じないが問われているのではなく、「面白がる」か、「さりげなく流す」か、どちらかの態度をとるべきだろう。私は、お酒の勢いに任せて、すっかり面白がった。「え~っ、それ本当ですか? 見えすぎるのもなんか怖いですね~。 私、星占いは好きですけど、過去世とかは、 いまいちピンとこなくて。その占い師の方、そんなに当たるんですか。 興味ありますね・・・ぜひ会ってみたーい!」その作家先生が、親切にも、K氏へのアクセス方法を教えてくれた。ところが、その後、K氏の事務所に電話をかけても、いつもいつもお話中だった。きっと、予約の電話が鳴りっぱなしなのだ。あまりにずっと話中なので、ますますむきになってしまい、根性で何度も何度もかけなおした。ぴあのチケット予約の電話がつながらなくて、何度も何度も、かけ続けた学生時代を思い出した。2時間ぐらい粘って、受付時間ぎりぎりの夜10時ごろ、やっとK氏の秘書と名乗る男性と、電話がつながったのだった。(私も暇だな~)「えーと、今ご予約いただいても、あと2年ほどお待ちいただくことになりますが。 どういたしますか?」「えっ・・・はぁぁぁ、2年も待つんですか・・・。でも、ぜひお願いします・・・」「順番が回って来ましたら、必ずご連絡いたしますので。 きっと、再来年の夏ごろになるかと思います」あまりに何度もかけなおしたあげく、「2年待ち」といわれ、ぐったりした私は、K氏の秘書に自分の携帯番号を言い残して、電話を切ったのだった。・・・・あれから本当に2年の月日が経った。占い師K氏に会える日が、いよいよ来週に迫ってきた。K氏の事務所は、会社の近くにあり、秘書さんの説明で、すぐに場所がわかった。こんな目と鼻の先に、事務所を構えていたのか・・・。K氏の出身地は、私の住んでいる町と同じということもわかった。なんか、これもちょっとした偶然なのかしら・・・。占い鑑定の日は、なんと待ちに待ったキューバンポップスの老舗バンド、ロス・バンバンの来日ライブの日でもある。ロス・バンバンの来日だって、私は何年待ち続けたことか。キューバでロス・バンバンのライブを初体験したときは、頭から稲妻が突き抜けたような衝撃だった。あの衝撃を、再び東京で味わえることになるとは。待ちに待ったものが、同じ日に重なってしまったのも、何かの偶然だろうか?私のキューバ好きは、過去世と何かつながりがあるんだろうか?「あなたの過去世は、西アフリカから来た黒人奴隷でした」なんていわれたりして。ロス・バンバンの来日ライブルポと、占い師K氏の鑑定結果は、いずれまた。~つづく~
2005.08.04
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肌寒い日が続いたと思ったら、梅雨でじとじと、かと思ったら、急に夏本番の猛烈な蒸し暑さ。何だか妙に体が疲れてしまった。仕事の疲れも重なって体がだるかったので、近所のマッサージ屋に駆け込むことにした。デパートの中の「てもみん」は、買い物帰りの女性客が列をなしていたので、ギブアップ。行きつけのアジア癒し系足裏マッサージは、ちょっと前に行ったばかりだし、どこにしようかさまよっていると、「体の疲れが解消される店」という看板が目に留まった。脇に小さく「女性専用」と書いてあったので、ちょっと安心し、予約もせずにフラフラと入っていった。この店、たしか5年ぐらい以上前からあるのに、このご時世でもつぶれていない。まぁ、そこそこ評判のいい店なのだろう。雑居ビルの階段をのぼり、町の診療所のような簡素なガラス扉をおそるおそる開けると、「いらっしゃいませ~!」平日の昼下がりだったためか、客は私ただ一人。ほかに誰もいない。ソファに座ると、目の前に中国語風の漢字の名前の化粧水や、イスラエルの死海の塩入りボディージェルなどこう言っては申し訳ないが、センスのあまりよろしくない(つうか、かなりダサい)ボディーケア製品がずらりと並んでいる。壁際には、首のない黒いマネキンが立っていて、マネキンが磁気入り下着や脚サポーターを身につけている。・・・や、やば~っ。ちょっと変なサロンに入っちゃったなぁ。帰ろっかな~。でも店員さんの親切丁寧な応対でソファーに座ったまま、サービス内容の話を聞くはめになる。雑居ビルの中というわかりにくい立地、このダサい展示センスで何年もつぶれてないのが奇跡だと思った。私が都内で通っていたアロマサロンなんて、すでに3件も連続でつぶれている。マッサージ業界もかなり激しい競争と淘汰の時代を迎えているのだ。「当店は、足圧マッサージがメインなんです。足圧ってご存知ですか」若い女性が慣れた様子で、足圧のうんちくと、料金体系の説明をする。足の裏でぎゅっぎゅと体を踏んで、全身くまなく揉みほぐしてくれるとのことだった。相場と変わらない値段だったので、興味本位で受けてみることにした。「では、こちらへどーぞー」個室に入ると、なぜかカーペットの上に、普通のふとんが敷いてある。ピンクのギンガムチェックのパジャマに着替えさせられる。(今どき、サロンでふとんとパジャマかい。ダサ~)マッサージにはいる前に、「まず、両腕を真っ直ぐ上にのばしてください」とか、「前屈姿勢をやってみてください」とかいろいろ指示される。「お体が柔らかい方なんですね~」次に目の前に敷かれたふとんの上に寝かされ、「両足をそろえてうつぶせに寝てください」と指示される。「あ、両足が同じ長さですね~。本来は左足がちょっとだけ長いのが、 正常なんですけどね。左足の筋肉が少し縮まっているんでしょうね」<・・・え~、そんなこと初めて聞いたぞ~>「これは磁石入りのふとんなんです。とてもあたたまりますよ。 施術前にまず10分間、このふとんであたたまっていただきます」そして、いかにも田舎風なダサい柄のふとんに入り、掛け布団をかけられそのまま女性は出ていき、10分間放置される。 10分後「・・・どうですか、あたたまりましたか? 足圧マッサージをやってるのは、うちだけなんですよ。 独自に考案したもので、手のマッサージより広い範囲で刺激ができるので、 大変効果があります」中国式マッサージのように、マッサージ師がぶら下がりはしないが、足裏で強く踏み踏みしてもらうマッサージだった。足圧は、確かに気持ちが良かったのだが・・・しかし、やっぱり何だか奇妙だぞ、このサロン。怪しい香りがプンプン。足圧の後の、アロマオイルを塗布するときの手つきが、あまりにシロウト。足ワザは勉強したんだろうけど、手ワザはろくに教育を受けてないという感じ。・・・新しい客は、まだ誰も来ていない。マッサージ中に、何度も受付カウンターの電話が鳴り、別の若い女性が応対している。「もしもし、お疲れさまです~。では、その方の9000円の契約は いったん解除して、再契約をすればいいのですね。はい、わかりました」そんな内容をべちゃくちゃでかい声で話している。マッサージ屋へ予約の電話ならわかるけど、契約ってなんだ、契約って。やっぱり変だ。この店はどこかのネットワークビジネスの会員集め用アンテナショップなのか? サービスを受けた客は何か強制的に買わされるのか? 不安で胸が高鳴る。マッサージ終了後、ふくらはぎにラメ入りのレッグウォーマーをはめられ、またそのまま10分間、磁石入りふとんのなかで寝かされる。「あの、すいません、このレッグウォーマーみたいなのは、何ですか」「磁気入りの繊維でできていて、足をあたためる効果があります」このサロン、磁石好きと見た。私は磁石より、マッサージの力で体を温めてもらいたいんだけどな。不安な予測は軽く裏切られ、結局、何も押し売りされることなくサービス終了。その点は、悪質な業者ではなかったとわかり、安心した。出されたお茶を半分すすって、早々に支払いを済ませた。にこやかな笑顔に見送られてサロンを後にした。「体の疲れが解消される店」というより、「とても気疲れする店」だった。うちに帰ってきて、サロンのパンフレットに書いてあった会社の名前をネット検索し、サイトを一読してみた。このサロンの経営主体は、代替医療関連の製品や健康寝具を販売している聞いたことがない名前の会社だった。個人事業主を募り、委託販売をするシステムもあるらしい。私が寝かされた磁石入りふとんは、「磁気快眠セット」なる商品としてシングル3点セットで40万円、ダブルで60万円ほどで販売されているという。どひゃ~。60万円!「体の疲れが解消される店」は、「お金をガッポリ取る店」がバックに隠れていたのか?時として、私はこんな健康業界の不健康さに、辟易してしまうのである。
2005.07.18
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悪魔の美恵子夫人シリーズ、今回はいよいよ『最終回』。時は真夜中の2時。怒りに震えた私は、そのまま直接電話するか、美恵子夫人の自宅まで突撃して怒鳴り込む、という作戦も考えた。しかし、こんな真夜中だし、電話を鳴らしたり自宅に突撃したら、あっちのダンナさんをたたき起こすことになる。4つどもえで騒動になるなんて、おぞましい。そう思って、結局メールで気持ちを伝えることにしたのだ。私は、暴走しそうになる感情を抑えながら、なるべく丁寧な文章でこうメールを書いた。こんな時にも相手にバカみたいに気を遣ってしまう性分なのは情けない。「・・・美恵子さん、 今の今まで言うか言わないか、迷っていたのだけれど、 今回は、絶交も覚悟で書きます。 私の主人と2人で何度か会ったそうだけど、そういうことは不快なので、 もう2度としないでくださいね。お願いします。 あなただって、同じことをされたらイヤでしょう? 今までのメールで、恋愛相談にも、私なりに真剣にのったつもりだったけど、 あなたと私はあまりに価値観が違ったみたいで、意味がありませんでしたね。 私に内緒でこういうことをしていたことを知って、正直がっかりしました」すると、間髪入れずにこんな返事が返ってきたのである。「・・・ちょっと勘違いしないでください。 あなた、何を根拠にそんなことを言ってるの? どう解釈したのかわからないけど、とんだ誤解です。 私は、友人のダンナに手を出すほどバカな女ではありません。 あなた方夫婦のよりを戻す道具に、私を利用しないでください。 確かに2人きりで会ったのは、事実なので、それだけは悪かったです。 気分を害したのなら、ごめんなさい。 でも、そんなつもりは毛頭ないのでご心配なく。 私は、家族の幸せな生活のために精一杯頑張っています。 自分のダンナや子どもたちを愛しています。 そんな私の大切な幸せを壊そうとする人がいたら、絶対に許しはしません」ぬおぉぉぉ~、美恵子夫人・・・わけわかんない逆ギレ。こんなしらばっくれた反応が来たことに、私は心底驚き、さらに身震いした。美恵子夫人が、こんな深夜でも起きていることも驚きだった。彼女のメールはいつも携帯である。鬼のような形相で、携帯のキーを猛烈な勢いで連打しているパジャマ姿の美恵子夫人を想像してしまった。 <あなた方夫婦のよりを戻す道具に、私を利用しないでください>・・・・って、どういう発想からそんな言葉が出て来るんだろう。あきれて開いた口がふさがらなかった。別に利用なんてしてないよ。第一、うちの夫婦、全然仲悪くないし。「よりを戻す道具」なんて自意識過剰で、おこがましいってもんです。美恵子夫人は、自分が私たち夫婦に巻き込まれた被害者だと思ってるようですが、巻き込まれたのは私たちの方です。 <私の幸せを壊そうとする人がいたら、絶対に許しはしません>これには絶句。どこまで被害者妄想入ってるんでしょう、美恵子夫人。あなたは、自分の『幸せ』を声高に主張しておきながら、他人の『幸せ』は、いとも簡単に壊そうしたではありませんか。自分がしていることが、どれだけルール違反なことか全くわかってない。世の中には、こういう人が本当にいるんだ。最初、あんな風にメールでさんざん不倫の自慢話をされ、私は真剣にそれに答えてばかりいて、自分や友だちのバカな恋愛騒動の暴露までして、それを彼女は密かに嘲笑していたんではないか?もし、そのまま私が彼女と夫の密会の事実に気づかなかったら、私はずっと陰で、彼女にバカにされ続けていたにちがいない。そう思うと、今まで怒り半分、愉快半分だったのが、急にみじめな気分になってきた。泣きそうになりながらこうメールした。「美恵子さん、メールでは気持ちがうまく伝わらないから お互い誤解してる部分もあると思うけど・・・。 幸せになるために精一杯頑張っているのは、 私だって同じです。私だって家族のため、自分のためにこうやって毎日 一生懸命、夜遅くまで働いています。 今まであなたのことを友人として信用してきたから、 いろいろ本音で話せると思っていたけれど、今回は裏切られたという むなしい気持ちでいっぱいです。本当に残念です」そう書き終わって送信ボタンを押そうと思ったら、一方で、夫が別の部屋でもう1台のパソコンを立ち上げ、キーボードで何か打とうとしていた。美恵子夫人にメールを送ろうとしているのだ。「・・・美恵子さん、あなたと会っていたことを、 妻が気づいてしまいました。 これからは、もう会うのはやめましょう。ごめんなさい・・・」とか、そんなことを書いている。おいおい。「気づいてしまいました」ってのは何だよ~っ。まるで妻の私が悪者。「だってさぁ、そもそも、こんなことになったのは、 彼女がバカなメールを、おまえによこしてきたからじゃないか。 『妻が気づいたから、もうやめましょう』って言えば、 彼女も自分のバカさ加減に気づくと思うよ。 でさ、メールはこんな感じでいいかなぁ。直すところあったら言ってよ」送信ボタンを押す前に、文章を点検しろ、という夫。なぜ、夫は「僕は、あなたともう会いたくないから、やめましょう」と書かないのか。最後まで「いい人」でいようとするなんて、ずるいじゃないか。もうこうなると、誰が加害者で、誰が被害者か、わからなくなってきた。痴情のもつれなんていうのは、社会的には犯人がはっきりしているが、心理的には、誰が真犯人かわからないものなのだ。常に誰かと誰かが共犯関係だったり、全員が悪者だったりする。密会中は、夫と美恵子夫人が共犯関係にあり、今は、夫と私が共犯関係にある。いや、3人が3人とも心の中に、「自分だけは悪くない」と言い逃れする悪魔を抱えている。このまま行くと、泥沼の心理作戦になるんじゃないか・・・。私の頭の中は、スポーツ新聞の3面記事の見出しでいっぱいになった。「痴情のもつれから、妻が夫の交際相手女性を絞殺」「夫と交際中だった女が、真夜中に自宅を襲い、妻を刺殺」・・・私たち夫婦は、しばらく逡巡して、ほぼ同時に送信ボタンをクリックした。夫のところには、ただそっけなく「了解」とだけ、美恵子夫人から返事が来た。私あてに来た返信メールは、またもや逆ギレモードだった。「・・・もうこれ以上、傷つけるのも傷つけられるのもイヤです。 第一、あなた達夫婦はそうやって私のメールをこっそり見せ合って、 私のことバカにしてるんでしょう。信じられない。 それこそ想像しただけで不潔で吐き気がします。 私は、他人の恋愛話は必ず秘密にします。夫にも絶対に話しません。 それは最低限のマナーだと思います。あなたは、私の話を、 周りの飲み友だちや同僚に、おもしろおかしく話すんでしょうね。 それって最低!」 美恵子さん、私たち夫婦だってメールを見せ合ったことなんか、一度もありませんよ。恋愛話も絶対に秘密です。しかし、今回は自分の夫が巻き込まれていたというのに、黙ってほっとけるわけないでしょう。今回、美恵子夫人のメールを夫に見せたのは、恋愛相談の裏側に、密会の事実が隠れていたことがわかったからです。これ以上の事態が発生しないように、事前に自己防衛したんです・・・。・・・・と、いろいろ言い訳を考えたが、アホらしくなって、メールを返すのをやめた。メールなんかでは、真意は何も伝わらないのだ。もうかかわりたくない。さようなら・・・。世の中には、言葉を尽くしても、永遠に分かり合えない人間がいるのです。そもそも、こんな女を友人に持った自分がバカでした。パソコンのスイッチを切る。ブーンと電源が落ちる音とともに、私の怒りの火も一気にトーンダウンし、その替わりに何ともいえない自己嫌悪の感情が厚い雲のように襲ってきた。こんな風にもつれちゃって、これから先どうしよう。また彼女と顔を合わす機会があるというのに、どんな顔をすればいいのだろう。どうしてこんなことになったんだ。翌日、寝不足でフラフラする体で、会社に行った。パソコンで受信フォルダを空けると、またもや美恵子夫人からメールが来ていた。うんざりしながらも、また読んでしまった。受信日時○月○日 subject:感謝してます「マヤさん、きのうは、いろいろメールでごめんなさい。 あなたのご主人と会ってたことで気分を害したのなら、心から謝ります。 ごめんなさい。私は、あなたの普段のお仕事ぶりや、女性としての生き方を とても尊敬していました。傷つけるつもりはありませんでした。 あなたや、あなたのご主人のような素敵な方たちと出会えたことに、 とても感謝しています。これからも、この出会いを大事にしていきたい」・・・な、なんじゃこら。くらくら・・・。気持ち悪くて返す言葉も出ない。「感謝してます」って何じゃ~。彼女のメールには答えず、即座に消去した。このまま返信したら、私までつられて脳天気に「こちらこそ感謝してます。ありがとう!」なんて偽善的なことを書いてしまいそうだった。「美恵子夫人」とのメールバトルは、非常に不快で不気味だった。しかし、バトルを通じて、今まで気づかなかった夫の本性や私自身の性格上の弱さを発見することにもなり、意味のある出来事だったと思う。いっそ、気づかなかった方が、よかったかもしれないが。少なくとも、今後、彼女と同じタイプの人間に会ったら、すぐに気づいて遠ざけるぐらいの警戒心は養われた。そして、この騒動で、私は心から誓った。人の恋愛相談に、安易に乗るような偽善はやめようと。~つづく~
2005.06.30
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「・・・言おうかどうしようか、ずっと迷ってたんだけどね」夫が、おもむろに話し始めた。それまでうつぶせのまま上半身を浮かせていたのに、急にむくっと起きあがって、あぐらの姿勢になった。なにか大事な告白をするときのように、目に力が入っている。「最初、美恵子夫人から『一度会いませんか』ってメールで誘われて、 つい1対1で会っちゃったんだ。 それでいろいろ恋愛相談とかされて・・・・。 相談に乗るだけのつもりが、その後も何度も何度もメールが来て 『また会いたい』って。ここ2週間ぐらいずっとそれが続いてる」「・・・は、はあああぁぁぁ??」ちょいとそれ、どういうことですか、ダンナさん。私の知らない間に、お2人で秘密の逢瀬を楽しんでいたということ?いったい何で美恵子夫人が、うちの夫のメールアドレスを知ってるの?夫曰く、「ちょっと前、近所ぐるみでとあるイベントがあった時に、連絡用にお互いのメルアドを交換していた」らしい。それは確かに、つじつまの合う理由ではあった。「美恵子夫人には会ったけど、エッチとか、まずいことは何にもしてないから。 一切、彼女には手出してないから。 ホントだよ、仕事の打ち合わせの帰りに、1回だけ会ったきりだから」「ふん、1回だけなわけないっっっ。絶対ないっっ。 本当は何回会いましたか? さあ本当のこと言って。 1回きりなんてうそうそ。ほら、本当のこと言って楽になりましょ」男というのは、いつもそうやってギリギリまで『やってない』って言い訳する。二人で裸でベッドに潜って絡み合ってる最中に、奥さんに踏み込まれても、『オレは絶対浮気してない。凍死しそうだから温めあっていただけだ』って、バカないいわけするものよ。1回会っただけ、なんて絶対うそうそ。きっとホテルにでも行って昼下がりの情事を楽しんだのよ。このままいけば、泥沼の離婚騒動になるんだわ。夫は、まるで毒ヘビににらまれた、小さなアマガエルみたいになった。「・・・じゃあ、本当のこと白状するよ。 美恵子夫人に会ったのは今までに3回です。 ウソついてごめんなさい。 でも、3回とも、本当に何もしてない。お茶とか食事しただけ。 最初に会ったのは・・・ちょっと待って。今、手帳を出してくるから」ごそごそとかばんを漁り、手帳を出してきてめくりながら、夫は話を続けた。刑事にすごまれた逮捕者が、アリバイを証明するように淡々とした口調で語った。「え~っと・・・最初に美恵子夫人に会ったのは、○月○日です。 場所は新宿南口の○○○○。 あっちから『相談したいことがあるので会ってほしい』とか言われて。 近所で会うと変な噂を立てられるかもしれないから、 都内で会うことにしたんだ。 そしたらその日の直後から、さらにガンガンメールが来て、 『好き好き』とか『またすぐ会いたい』とか、しつこくてさぁ。 彼女、ストーカーみたいになるんじゃないかって思って、焦ったよ」・・・とか何とか苦し紛れのいいわけして・・・。本当は自分だって、美人妻の美恵子夫人と二人きりでデートできてときめいたくせに。男ってホントにしょうがない。ヘビににらまれたアマガエルは、シロなのか、クロなのか?「えっとそれから・・・、 2回目は○月○日、場所は○○、3回目は○月○日、場所は○○・・・」アマガエルは、秘密の逢瀬の日付と場所を、次々と白状した。なんと、この10日間で立て続けに3回も都内で会っていた。信じられない。アマガエルは、雨水の豊富なところへなら、どこへでもピョンピョン飛んでいく。「あのさ~、それって、 あなたが彼女にイエス、っていう返事をしたって意味じゃないの。 会うだけで、イエス、って伝えたことになるんだよ。 あなたは仕事柄、異性と二人でお茶したり食事することに抵抗はないかも しれないけど、相手はフツーの奥さんなんだよ。都内でこっそり会ったら 『浮気しましょう』って誘ってるようなものじゃない!」やっぱり、うちの夫が自分から積極的に誘惑して、ホテルとか行ったんじゃないのか。私は知っている。このアマガエルは若いとき、結構な遊び人だったことを・・・。昼下がりの都会で、ホテルへいそいそと駆け込む二人の姿を想像し、私は、強い疑心暗鬼にかられた。女にここまであからさまに据え膳出されて、最後まで食わないなんて、男が廃るってもんだ。「・・・だから~。ホントに信じてよ! そういうのは一切ないってば。 これだけは信じて。僕、やましいことは何もしてないから。 やましいことしてたら、こんなふうにおまえに話すわけないだろ」「でも、美恵子夫人に会ったこと、今までだまってたじゃない! 秘密で会ってたってことは、やましい心があったってことじゃない!」「会ったことを言わなかったのは悪かったよ~。 1対1で会ったのは、たしかに軽率だった。本当に悪かった。でも、 言ったらおまえと美恵子夫人の仲がこじれると思ったんだ。 それに、彼女が僕に本気になるとは思わなかったんだ。 僕は事態が大げさな事態にならないうちに、一人で彼女を説得して、 穏便にコトを納めようと思ったんだ」「僕は全然その気じゃなかった。一度手をつなごうとされたけど 『やめてください』って振り払ったぐらいなんだから」「・・・ちょっと待った。『手をつなごうとされて、振り払った』 ですって?」私は、あわててパソコンの電源を入れ、自分のメールソフトの受信フォルダを開いた。今までの美恵子夫人のメールをたぐって読み返した。彼女のメールの中に、気になったフレーズがあったからだ。受信日時○月○日 ○時○分 subject○○○○【最近つきあい始めたヤツはね、すごくそっけなくて、 そっちの方も淡泊な感じなの。 手をつなごうとしてもふりはらっちゃうぐらい。 アタシは男女は会う度に、お互いの理解を深め合っていくものだと 思うんだけどヤツは考えが違うみたい。 アタシの勘違いでした~って、自分から振ってやろうかしらん】「・・・ねぇ、これ、もしかしてあなたのことじゃないの? 彼女的には、あなたは『最近つきあい始めたヤツ』って ことになってるよ」と私。しかも、『そっちの方も淡泊な男』ということになっている。ねぇ、あなたのこと『淡泊な男』だってよ。笑えるね、アマガエル君。確かに、カエルの肉は鶏肉みたいに、淡泊な味らしいけどね。「これは美恵子夫人の妄想だよ。全然つきあってないってば。 手つなごうとされたから、僕はびっくりして 変なことするのやめてくれって、言ったんだ。 僕はそういう関係になるつもりなかったんだ。 なにより、この美恵子夫人のメールが、僕とは何もなかったっていう 一番の証拠じゃないか!」さっきは、しどろもどろに言い訳していのに、急に強気になるアマガエル君。首をもたげて牙をむいていた毒ヘビは、威嚇の力を少し弱めた。他のメールもたぐって、夫婦で画面をのぞき込んで読む。受信日時○月○日 ○時○分 subject ○○○○【・・・私、今日は結局元カレとエッチしちゃいました~。 生理中だったけど、気持ちよかったよん。 それに、実は、元彼と会った後、もう一人の彼とも会っちゃいました。 1日に2人もはしごして、多忙だったよ~】「・・・・ねぇ、この、はしごした『もう一人の彼』っていうのも、 あなたのことじゃないの?」「・・・そうだな。まちがいない。この日、確かに彼女と会ったよ。 僕に会った時、美恵子夫人が『さっき元カレに会って、Hしちゃった』 って言ってたよ。ははは。 元カレとのことで、ずるずるしちゃって困ってる、って相談もされた。 でも、僕のことを『彼』呼ばわりされたら、たまんないよ」アマガエル君が、シロかクロかという問題は、もうこの際、どうでもよくなってきた。浮気問題については、限りなく灰色だったけど、100歩譲って今回は許す。許せぬのは、このおぞましいばかりに大胆不敵で厚顔無恥な美恵子夫人の態度である。同時進行で複数の男性との逢瀬を楽しみつつ、友人の夫を陰で誘惑し、ついでに、妻の私に夫のことを「もう一人の新しいカレ」として、堂々とメールで自慢していたのだ。なんという悪魔女だ。<・・・暇は諸悪の根元なり> いや、違うな。こう言い換えよう。<暇な悪魔は、あなたの、すぐ足元で息をひそめている・・・>私は、この身近な悪魔の底意地の悪さに吐き気を覚えたが、あまりの浅はかさに、だんだんおかしくなってきた。愉快に笑い転げるしかなかった。愉快と不愉快は、案外、究極的には紙一重の感情なのかもしれない。美恵子夫人の不快なメール攻撃の理由が、これでよくわかった。 最初から恋愛相談なんかではなかった。妻の私への『挑戦状』だったのだ。こんなに大胆にアピールされて、だまって知らんぷりを決め込むのは、あまりにしゃくだ。私だって、たまには売られた喧嘩は買うぐらいのプライドはあるのだ。こいつ、私をなめとんのか~!!うちの夫に何するつもりじゃ~!! うぉぉぉ~っっ!!毒ヘビの怒りは、アマガエル君を離れて、一気に美恵子夫人に向かった。怒りと失望と復讐心で腹が煮えくりかえそうになり、暴走寸前。時は真夜中の2時。胸の高鳴りはピークに達していた。私は直ちに、美恵子夫人に「絶縁メール」を送ることを決心した。この後、真夜中に、悪魔との醜い「メールバトル」が展開されるのである。案外、私も暇な悪魔なのかもしれない。~つづく~
2005.06.24
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不倫奥さんからの恋愛相談の話を続ける。彼女との軽いメールのやり取りが、その後何度か続いた。そうだな、彼女は、元若乃花の花田勝の奥さんにちょっと似ているから、便宜上「美恵子夫人」と呼ぶことにしよう。私は、美恵子夫人の暴走する不倫の毒気にあてられたせいか、バカな内容のメールを書いてしまった。「美恵子さ~ん、不倫はとんでもないことでバレたりするから 気をつけた方がいいよ。 私の女友達で、ダンナさんに不倫がバレちゃってすごい 修羅場になった人がいるんだ。 不倫騒動の後、風水師のドクターコパに家を見てもらったときに、 『キッチンに盛り塩をすると、奥さんの浮気で家庭崩壊しない』 っていわれたんだってさ。それで、彼女は本当に盛り塩したらしい! ドクターコパに見てもらったのもすごいけど、キッチンに盛り塩 っていうのもすごいよね(笑)」「ドクターコパの盛り塩」の話は、れっきとした事実であるが、ここでこんな話を出したのは、ほんの軽い冗談のつもりだった。ちなみに、盛り塩をした奥さんとは、私の会社の元同僚女性である。世の中、いろんな人がいるもんである。(奥さんの不倫で困っている方、一度、盛り塩をお試しください。 効果のほどは、当方では保証しかねますが)・・・しかし、その「盛り塩メール」の後の、美恵子夫人の返信は、何とな~く私の方に刃を向けるような、トゲトゲしい文体になった。・・・美恵子夫人は、メールでこう息巻いた。「・・・あのね、とにかくアタシは恋愛体質なんだから、 しょうがないのよ! 盛り塩なんかしたって無駄無駄。 そのお友だちは、いい子ぶりっ子なだけ。 恋愛体質は治らないものなんだから何をしても無駄よ。 でも、アタシは今のダンナを一番愛してる。セックスもダンナが一番。 その次が元カレ、あと残りの男たちは以下同等って感じかな」普段はとても上品で、めったに言葉を荒げない人なのに、美恵子夫人のメールは、別人格のような文体に変わっていた。<複数の人と付き合っておきながら、そんな風に人を序列化して 切り捨てるようなことを言うなんて、一体何様なのかい?>と、私は心の中で思ってしまったのである。<人を序列化する人間は、いつか自分もそうやって序列化され、 切り捨てられてしまうんだよ>世間には、メール人格というものを持つ人が時々いる。美恵子夫人は、そういう類の人間だったようだ。私が心の中で< >で括って、一人つぶやいているようなことを、彼女は友だち宛のメールに、堂々と書いてしまうタイプの人間なのである。メールというツールは、お互いの表情が見えなくて、微妙なニュアンスが伝わらないから、相手がどんな感情を抱いてメールを書いているのか、受け手にはわからない。そのわからなさゆえに、誤解が生まれることもたくさんある。美恵子夫人と私のメールのやり取りは、単なる「誤解」のやり取りだったのかも知れない。最後の美恵子夫人のメールは、こんなふうに書かれていた。「・・・最近アタシがつきあい始めたヤツはね、すごくそっけなくて、 そっちの方も淡泊な感じで、手をつなごうともしないの。 アタシは男女は会う度に、お互いの理解を深め合っていくものだと 思うんだけど、ヤツは考えが違うみたい。 冷たくされて何だか悔しくって。 こんなことなら、いっそのこと『好きだったのはアタシの勘違いでした~ さようなら~』って、自分の方から振ってやろうか。 そうそう、うちのダンナね、近いうちに海外赴任が控えてるんだ。 これから私たち親子も英語学校に通うつもりなの。 将来、新しい体験ができると思うと楽しみだわ。 マヤさん、今まで恋愛相談につきあってくれてどうもありがとう!」<・・・な、な、なんなんだ。このメールは!!!>私は完全に混乱した。とどのつまり彼女の言いたいことは「私、モテモテであちこち大変、ウフフ」ということと、「一番愛してるのはダンナ。家庭も幸せ~」「海外行き控えてるから、ワクワク」っつう3大自慢話だったのだ。第一、自分の不倫問題とダンナの海外赴任がどういうつながりがあるのか。それに、男に冷たくされるぐらいなら、付き合うのをさっさとやめてしまえばいいのである。他にも彼氏がいるのに、なぜ、そんなそっけない男にこだわっているのか、まったく理解できない。しかも、最初は、自分から相談を持ちかけてきたくせに、「もうこの話は終わりねっ」と一方的に打ち切らんばかりの、締めくくりのご挨拶。私は会社でメールを読んだ直後、軽い吐き気に襲われた。いったい美恵子夫人とは、何者なのか。恋愛体質とかいいながら、四方八方に自慢話を振りまいて、ちょっとした心の病じゃないのか。相談といいながら いったい、私から何を得ようとしていたのか。子どもが二人いて主婦生活していながら、そんなに複数の男と同時進行でつきあえるのは、なぜなのか。よっぽど暇をもてあましているのか。出会い系サイトにでもハマったか。 ・・・・こんな人と、メル友を続ける暇は私にはない。もう2度と美恵子夫人に、返事は打つまい。時間が無駄な上に、不快な思いをするだけである。<・・・暇は諸悪の根元なり>そう心の中でのろいつつ、帰りのタクシーの中でも、美恵子夫人の最後のメール文が、ずっと脳裏をこだましていた。いったい何なんだ、あの人は・・・・わからん。こんなことで混乱している私も、相当暇といえば暇なのだが。家に帰ってきたあとも、やっぱりムカムカが収まらなかった。そのムカムカの理由が、自分でも実はよくわからなかった。<何でこんなにイライラするんだ。神経過敏になって 私の方が、被害妄想モード入ってるのかな。 もしかして私は、美恵子夫人のバカらしい自慢話に嫉妬してる? 自分が彼女の相手をしたから、こんなことになったんだ。 そもそも、メールに最初から返事を打たなければ、こんな不快な 気持ちにならなかった。 それとも、私の返信メールが彼女を不快にさせてしまったから 仕返しをされたのだろうか。 いずれにしても、このことは、さっさと忘れよう・・・>忘れようとすればするほど、逆にどんどん、美恵子夫人の心の闇に引きずりこまれるような気分だった。深夜、ふとんにもぐって寝入ろうとしていた夫の横で、私は、ふとこうつぶやいてしまった。「あのね・・・最近、美恵子夫人から、 久しぶりにメールが来たんだ。 恋愛相談とかいいながら、何とな~く私に敵意を 抱いてるような感じの文章でさぁ。 うまく言葉でいえないけど、微妙に攻撃されてる感じ。 読んでたらすっごい不愉快な気分になっちゃった。は~ぁ」夫にメールの詳細は伝えていない。ただ「変」「何となく敵意」「微妙に攻撃的」という、主観的な感想を言っただけである。うちは夫婦では同じパソコンを使っているが、デスクトップをマルチ設定にしている。パスワードがわからない限り、相手のデスクトップに入れないので、お互いのメールを盗み読みすることはない。夫婦間でメールを見せ合うようなことも絶対にしない。それまで、うつぶせでゆったり寝そべっていた夫は私の一言を聞いた途端、おもむろに上半身を起こしてこういった。「・・・ああ、あの美恵子さんね。彼女、ちょっと妄想的っていうか、 一人でドラマ作って自分で酔ってるところあるよね。わかるわかる」美恵子夫人は、夫婦共通の知人でもあったから、こういう時、夫に相談できるのは、ありがたい。「・・・・・実はさぁ、マヤ、 このこと、前から言わなくちゃ、ってずっと思ってたんだけど。 僕も、美恵子さんのメールのことで、ちょっと悩んでるんだ」・・・は~っ? 今、何て言いました?!なんでなんで、私の夫まで、美恵子夫人のメールで悩んでるの?「ちょっと~、それ、どういうこと?」その後、夫の口から、思いがけない発言が続いた。~つづく~
2005.06.17
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ここの日記、すっかりご無沙汰になってしまった。ラテンなネタとは関係ないんだけれど、このごろ、気になっていたことを書いてみる。昔からそうかもしれないが、今の歳になってなぜか恋愛相談をされることがやたら多い。それは、毎週のようにふってわいてくる。仕事で忙しくしている合間に、気づくと誰かの恋愛相談に引きずり込まれている。自分はもうanego年齢も、とっくに過ぎているはずなのだが・・・。前の部署で同僚だった20代の独身のN子ちゃん。一緒に、2度ほどサルサを踊りに行ったのがきっかけでかなり仲良くなった。「私、仕事絡みで出会った、ある学者に恋してしまいました。 でも、全然振り向いてくれないんです。 さりげなくメールでデートに誘っても返事がなかなか来ない。 やっぱり私のこと好きじゃないんだ~って落ち込んでると、 時々会ってくれる。でも肝心な話になると、そらされて冷たくされる。 私がステディじゃないのは明らかなんですけど、あきらめられない。 彼、私のことどう思ってると思いますか・・・」<・・・可愛い片思いなんだなぁ。肝心なことは 彼に直接聞いちゃえばいいのに>会社に行くと、廊下ですれ違いざまに話しかけてきたアシスタントのMちゃん。彼がいるけれど、二股をかけられっぱなし、というのが目下の悩みだそうだ。彼女の場合は、周りに人がいるところでも、バンバン大胆に相談してくる。「マヤさん、聞いてください・・・彼が体こわしちゃって 寝込んで、私、ずっと彼の家に行って看病してたんですよぉ。 困ったときだけ『おまえの方が好きだから一緒にいてくれ』って いうくせに、いまだに相手の女と別れてくれなくて・・・いつまで こんなことが続くのか考えると、悲しくなっちゃって」話している内に、廊下の真ん中で目をうるませ、涙を落とすMちゃん。マスカラが取れて黒い涙がツツーっと、頬を伝う。<Mちゃ~ん、涙が真っ黒で、怖いよ・・・>次は、大昔につきあっていた既婚者の30代男。いきなりメールで「久々に飲まない?」と誘われ、10年ぶりぐらいで再会した。1対1で飲もうなんて、ちょっとドキドキしてしまったけれど、さては彼から恋愛絡みの話が出るにちがいないと目論んでいたら勘は的中。やっぱり不倫相談だった。「オレさ、実はちゃんとした不倫って初めてなのよ。しかも相手は バツイチの先輩の女性でさぁ。 その彼女がさぁ、あんたと同じ大学で、 なんとなく性格とかしゃべり方まで似ててさぁ。 それで、あんたのことふと思い出して、久々飲みたくなったわけよ。 あんたにいろいろ聞けば彼女の気持ちとか、わかるかなぁと思って。 オレとの関係、どこまで真剣に考えてるんだろう・・・ このままずっとつきあってると、妻と離婚して彼女と 結婚することになるのかなぁ・・・」<あのさぁ、そんなことは彼女本人と相談してくれ。 つーか、あたし、一応、元カノなんで、複雑なんですけど>もちろん、< >の台詞は、私の心の中の本音である。本人と話すときは、こんな本音は口に出さずに、真剣に彼らの話に没頭している(ふりをしている)。何らかの落ちなり、共通回答が出るまで、それはそれは性根尽き果てるまで、彼らの恋愛ストーリーにとことん付き合う。ストーリーを否定したり、自分の意見は無理矢理押し付けたりはしない。恋愛で迷って、結論を踏みとどまっている人の背中は、さりげなく押してあげる。みんな、迷っているようで、本当はただひたすら、話を聞いてほしいだけなんだろうと思う。自分の恋愛を肯定してもらいたいから、誰かに相談するのだ。しかし、あまりに偽善的な自分の態度に嫌気がさし、「あたしは何やってんだろう」と嘆きたくなることもある。<恋愛に、第3者の認証や肯定なんていらんのだ。 やりたいヤツは勝手にやれ~>と叫びたくなる。こないだは、恋愛相談でいつものように偽善的な態度をとり、とんだバカをみた。近所で知り合った、ある30代の奥さん。こちらがフルタイムで働いているので、ほぼ専業主婦の彼女とはあまり会うこともなく、メールが来たのも半年ぶりぐらい。「マヤさ~ん、久しぶりに恋愛相談ですぅ。 私ったら、ダンナちゃんもいるのに、元カレとずっと縁が切れなくて、 今でもズルズルつきあってるの~。こんな自分が情けなくてイヤんなる。 今日もこれから元カレに会うの。恋愛体質だからしょうがないのかな」・・・半年ぶりにメールかと思ったら、また不倫相談かい。意図は何? この奥さん、30代前半で、すでに子どもが2人いる。自他共に認める、元お嬢さま系美人妻。いつもフェミニンな服装をしていてブランド物のバッグを欠かさない。他の奥さん友だち曰く、「生活臭が全然しない不思議な人」。彼女から、翌日もメールが来た。「・・・私、昨日は結局元カレとエッチしちゃいました~。 生理中だったけど、気持ちよかったよん。 それに、実は、元カレと会った後、もう一人のカレとも会っちゃいました。 1日に2人もはしごして、多忙だったよ~。実は他にもカレがいて 現在3人とつきあってます。これ、誰にも内緒よ・・」<おおお、あんた、やっぱ不思議な外見に違わず、 相当Hなヤツだったのか~。「自分はこんなにモテます」って、 あたしに自慢してどうすんのかい? モテるというより、単なる「ヤリマン」じゃないのかい。 あんた病気だよ、病気・・・>しかし、< >中の本音はぐっと抑圧して、私はまたしても、偽善的な相談役として、彼女に優等生ちっくな返事を書いてしまった。いわく「恋愛とは自分の意思ではなかなかコントロールの効かないものだよ。恋愛やセックスって、何かの代償行為であることもあるし、何かの不足を埋めようとするものなのかもしれないね。既婚者同士の恋愛は、相手の家族もあることだから、お互い暴走には気をつけた方がいいよ。最悪の場合、本当に大切なもの(今の家庭の幸せや子どもたち)を失うことになりかねないし。実は私も、一度不倫で痛手を負ったことがあるんだ。不倫をやめろとは言わないけれど、くれぐれも気をつけて・・・」・・・すると、彼女からこんな返事が来た。「マヤさ~ん、私、不倫が絶対バレない方法知ってるの。 今度、やり方教えてあげるわよ~。近いうちに一緒に飲もうよ」この女の不倫相談メールは、だんだんエスカレートし、相談と言うより、しだいに露悪的な告白文に変わっていった。露悪的な内容にもめげず、返信を続けてしまった私もかなりバカだったのだが。アホらしい顛末は、また次回で。なるべく早く書くようにします。~つづく~
2005.06.01
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年度末が近づくにつれ仕事で忙殺され、なかなか自由に身動きがとれない。気まぐれにマリンバを始めてみたものの、ろくに練習時間が取れなくて、まったく成長がないまま惰性でレッスンが続いている。昨秋のクラス発表会では、M子先生が編曲した「闘牛士の歌」を弾くはめになった。課題曲を決めるとき、「ラテンは好きだけど『コンドルは飛んでいく』は、どうしてもイヤです」とわがままを言ったら、ビゼーの「カルメン」の楽譜に変わった。スペイン風のアレンジで、出だしから装飾つき付点音譜とロールの連続。単音で弾くところが少ないという、初心者には難しい編曲で、冷や汗が出た。だけど、鍵盤が夢に出てくるまで練習したので何とか人様の前でも、曲らしく聞こえるものになった気がする。めげそうになっても、なんとか頑張れたのは、太陽のようにパワフルなM子先生のおかげだったと思う。M子先生は、ご自分の演奏も神懸かりなまでに天才的だが、(プロだから当然か)人を誉める天才でもある。毎回のレッスンで、曲にはいる前にウォーミングアップでドレミのスケールを叩く。「う~ん、ブラボー! すばらしい。完璧ですねっ!」いや、こんな程度で、ハデに誉められると恥ずかしいんですけど。適当におもちゃのピアノを叩いて、「ちゅごいですね~」とママに褒めちぎられる幼子の気分である。しかし、誉められる、というのは絶大な力があるらしく、ならばもっともっといい音を出してやろう、とやる気になるから不思議だ。M子先生は、親や師匠に誉められて伸びたタイプの音楽家なのだろうか。いや、音楽教室の人気の維持のためには、どんな生徒でも、誉めることが先決だからか。いや、M子先生はそんなケチくさいことを考えるタイプには思えない。どんな下手くそな音も、マリンバから生まれた音なら、愛おしくてしかたがない、といった感じなのだ。あいにく私は、人に露骨に誉められることがとても苦手で、誰かに持ち上げられるたびに窮屈な思いをするという損な性格なのだが。先生のピアノ伴奏で、ベートーベンのメヌエットをたどたどしく弾く。練習してないから、すぐに、簡単なところでつっかえる。そのたびに、ピアノ伴奏が止まる。また始めに戻って繰り返す。また同じところでつっかえる。伴奏が止まる。あ~ちきしょう。「またまちがえました。ごめんなさい・・・ 相変わらず練習サボってて・・・」「い~んです。練習なんかしないでください。今、この瞬間の 音を楽しんでください。マリンバの音を堪能してください。 それだけでいいんです。 こないだは、こんなに弾けなかったじゃないですか。 格段の進歩ですよ。じゃあ、私、横で伴奏に回りますよ。 隣で魔法をかけてあげます。絶対弾けるようにしてあげます」M子先生がピアノの席を離れて私の左横に立ち、マリンバの低音パートを軽やかに叩いて伴奏してくれる。先生が横についていてくれるだけで、いつもより上手く弾けているような気分になる。たいして上達もしていないのに、レッスン終了後はすっきり爽快。マリンバの優しい木の音色からパワーをもらい、足取りも軽やかに、そのまま近くの職場へ向かう。音楽を習うというより、M子先生とマリンバの音色に癒されに行ってるようなものだ。しかし、つい先日のレッスンの日、先生の癒しパワーがいつになく勢いを欠いているような気がした。いつもの明るい「ブラボー!」が出てこないし、心なしか笑顔に力がない。鼻をぐしゅぐしゅさせ、時々小さく咳き込みながら、伴奏の手を動かしている。私は楽譜はろくに読めないが、いつもの先生の雰囲気と違うのは気がついた。ああそうか、先生風邪ひいちゃったんだな。「うううん、これ花粉症です。私、ひどいんですよ」軽やかなはずのメヌエットは、私の弾く主旋律がもたついたせいで、途中で何度も止まりそうになり、先生の伴奏とズレまくった。先生、毎度すいません。毎回同じことを言ってますが、今度こそ、次回までに練習しておきます。あっという間にタイムアウト。次の生徒さんとバトンタッチする時間になる。帰り際に、M子先生が早口でもらした。「・・・実は今、母親が入院してるんです。 私も毎日病院に寝泊まりしてて。病院から外に出かけて、 病院に帰るみたいな生活なんですよ。 この調子だと、もう音楽を辞めなくちゃいけないかも・・・」「え・・・・そんなことになってたとは・・・音楽を辞めるなんて そんなこと、おっしゃらないでください。先生、 来月からもレッスンお願いしますよ」M子先生から、のちほどこんなメールが来た。「きょうはレッスン、おつかれさまでした。 マヤさん、実は私、今、大変壮絶な日々を送っております。 音どころか、生きる希望さえ失いかけています。 私の母は、末期ガンでほかにも転移があるらしく、 今入院している病院では、手が着けられない状態と いわれました。もう時間がありません。 恥ずかしながら、私は今まで母がいたお陰で、 音を奏でることができていました。 今、私は本当に生きる気持ちを失ってしまいそうな思いです。 奇跡が起きることを、ただひたすら信じ、今日もレッスンに来ていました。 どうか、お力をお借りできたらと心から思います」天才マリンバ講師の心に、重苦しい暗雲がたちこめている。~つづく~
2005.03.23
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キューバでお世話になった日系キューバ人のルミ子のうちも母子家庭だったがメキシコの小島さんのうちも母子家庭だった。小島さんとゆきちゃんに初めて会った瞬間、何の根拠もないが「あれっ、なんかどこかで会ったことある・・・」という錯覚に陥った。思えば小島さんは、私の母にどことなく似ていてゆきちゃんは、私の6歳年下の妹のようだった。妹に顔が似ているだけでなく、声も似ている気がした。しゃべるときの手の動かし方も似ていた。ゆきちゃんとメキシコのタクシーに乗って、あちこち街巡りをしているときも、なんだか妹と一緒に旅をしているみたいだった。単なる他人のそら似にすぎないのに、私は急速にゆきちゃんに興味を持ち、彼女のことをもっと知りたくなって、あれこれ個人的なことを聞き出してしまった。小・中は、日本人学校に通っていて、すごく楽しかったこと。高校がアメリカンスクールで、まわりにお金持ちの女友達が結構いること。アメリカンスクールに入って、必死で英語を勉強し、今はスペイン語と同じレベルでしゃべれること。日本のアニメやマンガが大好きで、日本に行くたびたくさんのマンガを買いだめすること。将来は、獣医かアーチストかアニメーターになるのが夢で、できれば、アメリカで働きたいこと。ママとは相性が悪いのが悩みで、2人で暮らすのが辛いこと。大好きなパパと、自分の将来の進路についてもっと話をしたいのに、ほとんど会うことができないこと。パパは日本人の大学教授で、今はメキシコ人女性と再婚して家庭を持ち、メキシコの別の街で暮らしていること。ゆきちゃんの家に招待され、彼女の部屋に入れてもらった。机に立てかけてあったパパの写真を見せてくれた。「ほら見て、パパってすごくやさしそうでしょう。 私、パパが大好き。将来はパパみたいな人と 結婚したいんだぁ」最初は幼い子どものように無邪気に、パパの自慢をしていたゆきちゃんの表情がふと曇った。「『一度パパの家族に会わせて』ってパパに手紙を書いて お願いしたんだけど、 断られちゃったの。何でだろう・・・。どうしてパパは 自分の家族を紹介してくれないんだと思う? パパの領域には、離婚した子どもの私は 近づいてはいけないの? ママは離婚したから しょうがないけど、私はずっとパパの子だよね。 なのに、パパと2人きりでも、最近は 自由に会えないんだよ。 パパは私のことが嫌いなのかなぁって、 落ち込んじゃうんだよね」「・・・・ううん、そんなことないよ。 パパには、いつか会えるよ。 ただ、今はいろいろ事情があって、 会えるタイミングじゃないってことだよ」・・・それ以外、私は、何も答えられなかった。両親が離婚した経験がある人だったら、気の利いた慰めの言葉の一つもかけてあげられたのかもしれない。しかし、痛みを分かち合えない人間が、表面だけとりつくろったことを言っても、彼女を傷つけてしまうだけだろう。「あのね、私こないだ変な夢見たんだ。 私のまわりで、クラスのみんなが、ぐるっと輪になって 『ゆきちゃんのうちは、パパがいない』って、 ばかにするように笑いながら、ささやきあっているの。 私が、みんなに近づいていくと、みんながさーっと離れて 話をしてくれなくなっちゃうの。 私、夢の中で泣いちゃって、 目が覚めてもずっと涙が出てた。すごく悲しかった」 世の中には、何も期待せずにこうして、ゆきちゃんと私のように自然に出会えてしまう関係がある一方で、ゆきちゃんとパパのように、会えそうで会えない間柄もある。人との出会いのタイミングは、自由にコントロールできるようで、まったくできないこともある。一番会いたい相手に、いつまでたっても会えないのは切ない。大好きなパパが、同じ国に住んでいるというのに。パパの新しい家族に会うつもりでいたゆきちゃんは、メキシコ人の奥さんにプレゼントするために、お小遣いでスカーフを買っておいたという。「・・・でも、そのスカーフ、あげられなかったから 結局無駄になっちゃった。 そうだ、よかったらマヤさんもらってくれる? 私には 似合わない派手な色なんだ。 持ってると、見るたんびにパパのこと考えちゃうからね。 捨てようと思ったけど、もったいないし。 もらってくれると助かる」ゆきちゃんは、引き出しから、スカーフを出した。向こうが透けるほど薄い、ふわふわしたオーガンジーのような素材で、ステンドグラスのように黒の線で仕切られた中に、黄色、きみどり、ピンクのパステルカラーが並んでいる。金色のラメの糸がところどころ光っている。無造作にしまい込まれていたせいか、しわくちゃになっている。「あ、これは、だいじょうぶだよ。アイロンかければ、 元どおりになるから。どう?すてきでしょ」そんなもの受け取れないよ、それに私の趣味に合わない、と、きっぱり断ればよかったのだけど、勇気がなくて、つい受け取ってしまった。ゆきちゃんのパパへの切ない思いがたくさんつまったスカーフは、しわくちゃのまま行き場を失い、ある日突然、通りすがりの日本人旅行客だった私の手元に、ふわりと舞い込んだ。その後、そのスカーフは、日本にやってきても、結局一度も使われることもなく、しわくちゃのまま、洋服ダンスの引き出しの奥にしまいこまれている。~つづく~
2005.02.20
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小島さん親子と一緒にお茶をしている間、ママが思いついたように言った。「そうそう、マヤさん、フリーダ・カーロの『青い家』を見ますか。お友達のルミ子さんが、こないだ取材にいらしたときもご案内したんですよ」ルミ子は、私の日本人の友だちで、東京でライターをやっていた。日系キューバ人のルミ子と、偶然同じ名前だったので、最初、どちらの「ルミ子」のことだか、戸惑ってしまった。日本人の友だちルミ子は、大学時代スペイン語を専攻していて、メキシコはじめラテンアメリカが大好きだった。それが高じて、ある雑誌の取材で、メキシコに来ることになり、その時、この小島さんが通訳兼コーディネーターとして何日もの間、ルミ子の取材に同行したという。そもそも私は、この日本人のルミ子に紹介してもらったおかげで、小島さん親子に出逢った。「・・・フリーダの家はですね、 街の中心からは、かなり離れていて、コヨアカンという郊外に あるんです。家といっても、中は記念館になっていて、 フリーダとディエゴの絵もありますよ。 よかったら車でご案内しましょう。 メキシコで絵を見るなら、私としては ほかのどんな美術館よりもまず、あそこを見てもらいたいわ」フリーダの家は、小島さんにとってとても特別な思い入れのある場所のようだ。「・・・でもね、マヤさん、私とママは、これから 香りのセラピーを受けに行かなくちゃならないの。 これから先生のところへ行く約束になってるから、 あとで、待ち合わせすることにしてもいい?」娘のゆきちゃんが、言った。まるで「ちょっとスーパーに特売の牛乳を急いで買いに行かなくちゃいけないのよ」というような、ごく気軽な口調で。「香りのセラピー」? いったい何だろう。メキシコでは、そういうものが流行っているのだろうか。香りのセラピーを受ける親子に出逢ったのは生まれて始めてだった。小島さんの運転する、かなりオンボロの白い日本車で、コヨアカンへ向かう。そのフリーダの「青い家」とやらの前に着き、のちの待ち合わせの場所と時間をもう一度確認して、私だけ車の外に出る。恥ずかしながら、当時の私は、フリーダ・カーロについては、ほとんど何も知らなかった。メキシコの有名女性画家、若い頃に大事故に遭い、不自由な体になり、メキシコの国民的有名画家ディエゴと結婚し、短い生涯を閉じたということ以外、知識はゼロ。友だちのルミ子が書いた雑誌記事を通して初めて名前と存在を知った。けれど、記事の中身まではちゃんと読んでこなかった。なんたって、メキシコはキューバのついでに来たようなものだからまさかフリーダの美術館に立ち寄るなんて、まったく予想してなかったのだ。小島さん親子は車で去っていった。私は、一人で「フリーダの青い家」に入る。狭いエントランスの天井には、巨大な張りぼての男の人の人形が二つ掲げてある。これはなんだろう?お祭りに使うピニャータの仲間だろうか。平日の昼間だったせいか、係員以外はあまり人がいなくて、がらんとしている。その名の通り、壁は目が覚めるような鮮やかな青、窓枠はレンガ色。悪趣味の一歩手前の、奇妙な配色の家だった。周りの喧噪がまったく嘘のようにしんと静まりかえる中庭、人が住んでいないのに、まるで誰か住人がすぐにでも飛び出してきそうな生々しいリビング、アトリエ、書斎、ベッドルーム。棚には細々とした装飾品や日用品やおもちゃや民芸品などが、ところせましと並べられている。あちこちに展示してある、ちょっと不思議な絵。眉毛のつながった、フリーダの自画像。鮮やかな色彩のスイカの静物画。壁に、ブリキに描かれた小さな絵がたくさん貼ってある。フリーダの絵は、美しさと明るさと、非現実性とグロテスクさと残酷と悲しみが渾然一体となり、一言では形容しがたい、魔力のようなオーラを放っている。ベッドの上には、ペイントで派手にいたずらがきされた包帯だらけの白いトルソーのようなものがのっていた。(これが、フリーダ・カーロの肉体に ずっとはりついていた、本物のギブスだったという)わからない、というのは無邪気なものである。その時は、私は、本当に何もわからず、展示品に何の脈絡も深い感動も覚えずに、ただひたすら「なんじゃこりゃ。わけわからん」とすべてをなげやりに眺めていた。こんなことならやっぱり、小島さんとここに来るべきだった。外国の美術館というのは、誰か詳しい人に説明してもらわないと、展示品の意味が全然分からない。その日の夕方、再び小島さん親子と会って、「フリーダの家は、いかがでした?」と聞かれたとき、私はどう反応していいやら戸惑い、どう答えたかは忘れたが、確かありきたりの感想を言ってお茶を濁したような気がする。数年後、サルマ・ハエック主演の映画「フリーダ」を観て、私は、自分がとんでもない損をしていたことがわかった。あーしまった、なんてこった・・・!言葉を失うほどの、フリーダの壮絶な人生。「青い家」が、本来どんなところだったのか、ベッドの上のいたずら描きされた、不気味なコルセットは何だったのか。壁に貼ってあったブリキ画は何だったのか・・・。あの鮮やかな色彩のスイカの静物画は、どういう意味だったのか。何でフリーダは、あんなに明るく美しい、グロテスクな残酷な、色気のある絵を描くことになったのか。一言で言ってしまえば、フリーダの美学とは何だったのか。「青い家」を一人で訪れたときには、まったく気づかなかったあらゆることが、映画を見ているうちに滝のように押し寄せてきて、全身が震え上がるほど興奮した。もう一度でいいから、いつかまたあの「青い家」を訪れて、すべてをしかと見届けなくては。「青い家」は、病床に着くことが多かったフリーダの人生観、世界観が凝縮しているところだったのだ。小島さんが、私に伝えたかったことは、あのコヨアカンのひとときのうちにすべて集約されていたのかもしれない。~つづく~
2005.01.17
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キューバから日本への帰路の途中、メキシコシティに泊まり、シティ在住の日本人親子に会った。お正月を迎えて間もない、1月の初めだったと思う。スペイン語通訳の小島さんは、メキシコ在住歴20年。高校生の一人娘のゆきちゃんは、スペイン生まれのメキシコ育ち。日本語はペラペラだが、日本に住んだことは一度もない。キューバのルミ子のうちも母子家庭だったが、小島さんもすでに離婚していて、母子家庭だった。連チャンで母子家庭に出逢ったのも、なんだか不思議だった。小島さん親子と、なぜかマヤ文明の教育映画を一緒に見ることになり、「子ども博物館」に連れていってもらった。ふと見ると、博物館のロビーに、かわいらしい小人の人形たちの飾り付けがしてある。何だろう、あれ・・・。童話のシーンか何かかしら?ゆきちゃんが、得意げに教えてくれた。「マヤさん、あれ見たことないでしょう? トレス・レイエス・マゴス っていうんだよ。ええっと、日本語で何ていうんだろう。 外国から、イエスの誕生を祝いに来た王様たち。 ねぇ、ママ! レイエス・マゴスって、日本にはないよね? メキシコでは新年になってから、もう1回 大きなクリスマスのお祝いがあるんだ」小島さん親子に教えてもらうまで、そんなことはまったく知らなかった。それ以来、毎年1月の今頃になると、東方の三博士のことをぼんやり想像してみたりする。スペイン語のトレス・レイエス・マゴスは直訳すると「3人の王様たち・魔術師たち」。イエス生誕の際に、東方の三博士(三人の賢者)がそれぞれ贈り物を携え、生まれたばかりのイエスがいるベツレヘムの馬小屋を訪れた、という聖書中の出来事に由来している。ガスパール博士は乳香を、メルキオル博士は黄金を、ベルタサル博士は没薬を、美しい箱に入れて捧げた。三博士たちは、当時のゾロアスター教の魔術師だったという説もある。三博士たちがベツレヘムに向けて旅をしていたとき、空には、ひときわ大きな星が輝き、博士たちを無事に、イエスの元まで導いたのだとか。クリスマスに大きな星を飾るのは、このベツレヘムの星を象徴しているのである。出来事の真偽はともかくとして、商業的なクリスマスに毒された日本人には、なかなかロマンチックなストーリーではある。スペインやメキシコなどカトリックの国では、12月25日にイエス降誕を祝った後、三博士たちが馬小屋を訪れた日として、年明けの1月6日に公現祭(エピファニー)というものを祝い、子供たちはもう一度、プレゼントがもらえるのだという。ゆきちゃんは、「日本のクリスマスなんて表面的でコマーシャライズされすぎるからきらい」と言い放った。「メキシコではね、1月6日にお魚の絵を描いた カードを送るんだよ。 お魚は、イエスのシンボルなんだって。 マヤさんにも、いつか送ってあげるね」翌年のお正月には、本当に鮮やかなブルーのお魚のカードが、私の手元に届いた。~つづく~
2005.01.07
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深夜、仕事帰りに銀座の街をぶらついていたら、クリスマスの飾りやイルミネーションが次々に取り外され、老舗店の入り口には、すでに立派な門松が立っていた。25日と26日の間で、これほどダイナミックに季節の風物が置き換えられるのは、日本ぐらいじゃないかと毎年のように思う。クリスマスの祝祭ムードは、イブの夜にピークを迎え、翌日にはすでに色あせたものになる。26日を過ぎると繁華街のイルミネーションたちは、示し合わせたように次々と息を止める。街のサンタたちもあっという間に舞台から姿を消し、干支のキャラクターたちが主役に押し出される。もみの木から門松へ、同じ常緑樹どうしで、静かに祝祭のバトンが手渡される。年末が近づくと、キューバのルミ子と過ごした、数年前の大晦日の夜を思い出す。せっかくのキューバの大晦日だから、どこかへ年越しライブでも観に行こうと思っていた。「きょうは私がおごるから、一緒にどこか行こうよ」ルミ子は、私の何度目かのしつこい誘いにも、首を縦に振らなかった。結局、2人ともどこへも行かず、ルミ子の家の暗いリビングでずっとテレビを見ていた。「サバダッソ」とかいう、普段は毎週土曜日にやっている歌謡番組の拡大版だった。早口でがなりたてる司会者のナビゲーションで、サルサバンドが入れ替わり立ち替わり登場。延々とライブを繰り広げ、バンドの合間には、なぜかへんてこなコントが入る。キューバ版紅白歌合戦みたいなものだろうか。コントの意味がわからなくて、しらける私の横でルミ子がゲラゲラと珍しく声を立てて笑っている。気に入ったバンドが登場すると、椅子から立ち上がって、一人で楽しそうに腰を揺らして踊っている。「ほらね、ルミ子も踊りたいでしょ? だったらライブ行こうよ~」「うーん、今日はいいわ。マヤ、行きたかったら行ってきていいよ。 でも今夜は、私の家に泊まるでしょ? エイーダの家に 帰る必要ないよ。うちはママと2人だし、新しい年を 一緒に迎えましょうよ」エイーダの家はゲストハウスになっていて、私は、そこに一晩25ドルで泊まっていたのだった。もちろん大晦日の夜もそこで寝るつもりだったのだが。「そうよ、マヤ、今日はうちに泊まっていきなさい。 私たちはいつも2人だし、遠慮することないのよ。 私たちは一緒のベッドに寝ればいいから、あなたは ルミ子のベッドに寝てちょうだい」と、ルミ子のママも私を強く促す。そうか、新年を一人っきりで迎えるのは、相当寂しいことなんだな。一人旅の私を、気遣ってくれているのだ。女が、知らない国を旅しながら、一人で年越しをするなんて、もってのほかなのだ。ルミ子が、私のライブの誘いを断ったのは、ママをおうちに一人ぼっちにしないためもあったのだとやっと気づいた。キューバ人は、一人ぼっちが苦手な国民である。この母娘は、この狭くて暗いリビングでテレビを見ながら、毎年年越しをしているのだろうか。・・・サバダッソが終わり、真夜中の12時が近づいてきた頃、アパートの隣の家からは、にぎやかな音楽が聞こえてきた。クラーベにコンガにボンゴ、木箱のような乾いた音、フライパンか何か、金属を叩くような甲高い音、そして恐ろしいほど大きな歌声。家族全員でルンバでも始めたらしい。その強烈なリズムを聴いた途端、私は色めき立った。「ほーらまた始まった。お隣さんは、いつもこうなの。 だんなさんがミュージシャンだからね」迷惑そうにため息をつき、顔をしかめるママ。好奇心を抑えきれない私は、何気ないふりをして廊下に出て、隣の家の前をウロウロする。開けっぱなしにしたドアから、とんでもなく楽しそうなパーティー風景が、ちらとかいま見える。家族みんなの視線が、一瞬私に集まる。スプーンで鍋をガンガン叩いていたのは、目の大きな小さな男の子だった。羨望を感じつつ、また何気ない振りをしてルミ子の家に戻る。「マヤ、Feliz ano nuevo. あけましておめでとう!」「おめでとうございます。日本語で、オショウガツ、だね」「明日は、ゆっくり寝てていいからね。じゃあおやすみ・・・」新年を迎えて、盛り上がるでもなく、ルミ子は眠そうにあくびをして、ママとともに奥の部屋に消えた。私はルミ子から借りたパジャマに着替え、ベッドに一人で横たわる。枕元の小さな窓が開いていて、隣のパーティーの音がぐっと間近に迫る。窓に乗り出して外の空気を吸うと、隣のうちだけでなく、近所のあちこちから、いろんな音楽やら騒ぎ声やらが聞こえてくる。まるで全室満室のカラオケ屋で、ぽつんと一人、隅っこのトイレに入ってるような感覚だった。ラジオなのかテープなのか、大好きな、グロリア・エステファンの「ミ・ティエラ」も、どこからか流れてきた。思わず一人で小声で歌ってしまった。祝祭の騒音につつまれ、やるせなさと切なさでいっぱいになりながら毛布をかぶり、無理矢理目を閉じた。~つづく~
2004.12.25
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映画「モーターサイクルダイアリーズ」の中で、エルネスト・ゲバラは、様々な境遇の人々に会う。チリの砂漠では、警察から追われている共産主義者の夫婦。「夫の祖父の土地に住んでいたのに、地上げにあって 追い出された。仕方なく職を探して放浪の旅をしてる」彼ら夫婦は鉱山に向かい、エルネストたちはそのあまりに劣悪な労働環境をかいま見て言葉を失う。マチュピチュに到着する前のアンデスの山奥で、インディヘナの農夫の嘆きを聞く。「小作農をやっていたけど、地主に追い出されたんだよ。 過去のことを嘆いててもメシは食えない。 子どもたちを学校へ行かせるために、とにかく働くしかないんだ」ペルーでインカ文明の遺跡群を見たあとエルネストは、こう疑問に思う。「なぜ、これほどまでのものを築き上げた文明が、 別の文明に滅ぼされたのだろうか・・・」ペルーでハンセン病治療に携わるペッシェ博士のすすめで、ペルー共産党創設者マリアテギの本を読みふける。ペルー・アマゾン流域、サンパブロのハンセン病患者の治療施設で、エルネスト・ゲバラは、痛烈な差別社会の縮図をつきつけられる。川の北岸が、医師や看護婦など医療従事者が働く建物、向こう側の南岸には、隔離されたハンセン病患者たちが住む共同体がある。なぜ患者たちは、こんな不条理な差別を受け、隔離され、尊厳を奪われた人生を歩まなくてはならないのか。ペルーを去る日の最後の晩、北岸の医療者の施設でエルネスト・ゲバラの24歳の誕生日が祝われる。白衣の医師や看護婦たちに見守られながら、バースデーケーキのろうそくを吹き消すエルネスト。「・・・向こう岸でも、お祝いしてもらう!」アルベルトの反対を振り切り、誰も泳ぎ切ったことがないといわれる大きな川を暗闇の中、無理矢理泳いでいってしまうエルネスト。ゼイゼイいいながら水をかく間、向こう岸にいる患者たちから、大きな声援が聞こえてくる。全力で泳ぎ切って、ついに向こう岸へたどりつく。普通の人では超えられない境目を、彼はがむしゃらに泳いで渡ってしまった。(誕生日の夜に、エルネストがアマゾンを泳いで渡った、 というのはどうやら映画の脚色のようだが、 確かに、エルネストは24歳の誕生日の数日後、 実際に自力でアマゾン川を泳いで渡ったそうだ)この映画の中に登場する、闇に包まれた「川」に象徴されているものは何か。国や地域の境、人種の違い、貧富の違い。ありとあらゆる「違い」から生じる不条理な差別、偏見、矛盾。そんな痛みをたくさん背負っているラテンアメリカ社会だろうか。エルネスト・ゲバラは、南米大陸の旅を通して、次第にその痛みを現実のものとして体全体で感じ取っていった。社会のあらゆる所に横たわる、大きな川。渡ると自分の命が危険にさらされるので、誰も超えようとしない暗い川。それを直視し、そこから逃げるどころか、飛び込んで思い切り泳いでいく。その原動力は、向こう岸へ住んでいる人々への愛だろうか。映画の中のエルネスト・ゲバラたちの旅は、ベネズエラで、あっけなく終わっている。「世界が一人の人間の人生を、ちょっとだけ変えた」という時点で物語が終わっている。実物のエルネスト・ゲバラの本当にすごいところは、この旅が終わったところで、新たな人生が始まってしまったことだ。旅から得た体験で目覚め、やがて「世界を変える」人になっていく。実話では、エルネストはアルゼンチンに帰国した後、ベネズエラでハンセン病の医師として働くアルベルトに会うため再び南米大陸を縦断して、現地へ向かおうとする。なのに旅の途中で気が変わって中米グァテマラに足が向いてしまう。グァテマラでエルネスト・ゲバラは社会運動に手を染めるが、クーデターが起き、米国派の政権が誕生。ゲバラは逮捕を恐れてメキシコへ逃亡する。メキシコでキューバから亡命中だったカストロらに出逢い、今度は理想を追い求めてカストロらと共にキューバへ船グランマ号で上陸。差別に苦しむ人たちの尊厳を回復するため、異国の地で革命を起こす。アルゼンチン出身の放浪医学生だったエルネスト・ゲバラは、カリブの島で革命の英雄チェ・ゲバラとなった。キューバ革命成功後も飽きたらず、今度は単独でボリビアに行く。革命政府の幹部になっても、さらにヒッピーのように旅を続けてしまう。というか、もうゲバラにとって旅、という概念を超えて、平和実現のための単なる「移動」にすぎなかったのだろうけど。ゲバラは思想を貫いたがゆえに、自らの死を早める結果となる。ボリビアの山奥で政府軍に捕まり39歳という若さで処刑されてしまう。遺骨は祖国アルゼンチンではなく、キューバに戻ってきて今はサンタクララに安置されているという。・・・もし、彼がずっとアルゼンチンに留まり、南米大陸を一度も旅しなかったらその後、どんな人生を歩んでいたのだろう。 その後、キューバはどんな国になっていただろうか。後に残された私たちは、社会に横たわる大きな川を、少しでも泳ぐことができるのだろうか。泳ぐ勇気がないなら、せめて川岸から向こう岸に住んでいる人々に思いをはせることは?私の場合、今までいくら異国を旅しても、向こう岸で何が起きているかも知ろうとせず、結局、自分の目の前のせまい庭で遊び回っているのとほとんど変わらなかったような気がする。~つづく~
2004.11.22
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「世界は一人の人間の人生を変え、また一人の人間は 世界を変えうる力を持っている」そんなことを強く思った一日だった。キューバ革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラがアルゼンチンの若き医学生だった頃の壮大な旅物語をやっとスクリーンで見た。映画『モーターサイクルダイアリーズ』。旅行好き、特に南米好きの者にとってはあらがいがたいほどの魅力に満ちたストーリー、映像、音楽。こんな映画に20代の時に出逢っていたらどんなによかったか。オンボロのバイクに二人乗りして、故郷アルゼンチンの首都、ブエノス・アイレスを旅立った医学生のエルネストと生化学者のアルベルト。お金持ちの白人ラテン学生が、ヒッピーのような、行き当たりばったりの珍道中を繰り広げる。何度もバイクが転倒して、2人とも車道に投げ出されては砂だらけになり、傷だらけになり、エルネストは時々、持病の喘息の発作を起こしたり、端から見るとあまりに無謀な旅でハラハラ。自分探しの真剣な冒険なのかと思うと、かわいい女を見つければここぞとばかり口説きまくる。貧乏旅行ゆえ、時には馬鹿馬鹿しいウソを交えて、詐欺まがいの作戦を繰りかえしては、知らない人に食べ物や寝床を無心する。小さな村のパーティでタンゴを踊ったり、酔っぱらって美人人妻ともめたり、いかにもラテン的なやんちゃぶりを発揮する。好奇心から始まったお気楽な旅だが、その後、様々な出逢いを経て、意味合いが変わってくる。お茶らけた雰囲気が、シーンを追うごとにだんだん重みを増し、浮ついた夢から厳しい現実の世界へと導かれていく。ふと気づくと、私までまるで彼らと一緒に旅をしているような気分になってくる。彼らの旅がペルーに入った頃から、スクリーンの世界が、私の心象風景とだぶってくる。道中でのいろいろな出逢いが、主人公エルネストの心に何かを刻み、と、同時に私の心の奥深くにうずくまっている何かを引っぱり出していく。医学生エルネストは、私がかつて愛していた日系ペルー人の元恋人エルネストと、どうしても重なっていく・・・。ペルーの青年、エルネストと出逢って間もない頃、名前の由来を聞いたら、こう答えた。「ボクの名前? ああ、ラテンアメリカの 有名な革命家の名前からとったんだ。 エルネスト・チェ・ゲバラって、マヤ知ってる? ボクのパパがそういう世界に憧れてたんだって」ほんの好奇心で、彼と一緒に行ったペルー。浮ついた気分で駆けめぐった、ナスカやクスコ、マチュピチュ、サクサイワマン、オリャンタイタンボ、リマやトルヒーヨの日系ペルー人の親戚宅。そこでかいま見た、厳しいあの国の現実。目の前のスクリーンの物語と、昔の旅の記憶とが頭の中で交錯し、いろんな思い出が一気にかけめぐった。知らないうちに涙がドバドバあふれてきた。単純にロードムービーを楽しむはずが、映画館を出る頃には、ぐったり疲れてしまった・・・。軽い青春映画だと思ってたら実は深くて、内面にぐっとくいこんでくるような重い作品だった。エルネスト・チェ・ゲバラにとって、南米大陸放浪の旅は人生を変えるほどの大きな体験だった。いや、彼は潜在的に人生を変えたいと思ったからこそ、アルゼンチンを飛び出したのだろう。そして、旅での様々な出逢いや気づきが、のちのキューバに大きな変化をもたらすきっかけとなった。映画の感想は、長くなりそうなので次回に。~つづく~
2004.11.16
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このごろ仕事で忙殺される毎日。深夜、くたびれ果てて帰ってくると、1日遅れで誕生日カードが届いていた。エルネストからだった。封筒を破くと、結構大きな花模様のカード。開いたら、真ん中のHappy Birthdayの文字が赤く輝き、ハイトーンのハッピーバースデーのメロディーが流れた。回転が早回しになったレコードみたいに、かなり早いテンポで。しかも、開いている間中、曲がずっと流れっぱなし。こんなハデなカード、どこで買ったんだろう?それに、このメロディーの音の高さはなに?============================Mi querida Maya,Muchas Felicidades en tu cumpleanos!Bueno, no solo en tu cumpleanos, yo de corazonte deseo muchas felicidades y exitos en tu viday el trabajo, pero como este dia es particulamenteespecial para ti me da mucho placer esta pequena muestra de mi carino y admiracion ya que te comsideroalguien igualmente muy especial para mi.マヤ、お誕生日おめでとう。誕生日の日だけでなく、君の人生や仕事でも幸せと成功を祈ってます。でも、この日は君にとって特別な日だから、この小さなカードを気持ちとして送ります。君は僕にとって、特別な人だから。Te deseo la pases muy bien en compania de tusamigos queridos y tal vez en alguna ocasion la celebramos juntos.親しい人たちと楽しく誕生日を過ごしてください。いつか二人で一緒に誕生日を祝えるといいね。De tu amigo siempre, Ernesto君の永遠の友達、エルネストより===============================手書きのスペイン語がなかなか読みとれない。ハッピーバースデーの曲が、何度も何度もリピートされてしまった。エルネスト、あなたと一緒にすごした誕生日は、何年前のことだったっけ。あの頃は、一緒にこの曲を口ずさんでニッコリ笑ってくれたよね。プレゼントにくれたアメジストのピアス、今でも時々身につけてるよ。今は、懐かしい手書きの文字と甲高い乾いた電子音だけが、2人の間をつないでいる。~つづく~
2004.11.14
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去年の秋から、マンツーマンで英会話を習っている。マンツーマンといっても、真面目なお勉強ではない。不規則な会社の勤務と両立できるところを探していたら、マンツーマン専門のとあるスクールが見つかり、そこに1年ぐらい通うことにした。「ボートに乗った男性講師と日本人女性」のモノクロ広告でおなじみのところ、といえば、スクール名がわかるかもしれない。肝心の英語力は、いつまでたっても趣味のレベル。しかし声を出して何かを「喋る」ということ自体が快感な自分にとって、英会話スクールは、リラックスサロンのような感覚でストレス発散できる場所。・・・というのは、不勉強な自分への言い訳なんだけど。スクールの方針なのか、人件費節減のためなのかはわからないが、私が通っているところには、いろんな国籍の英語教師が入り乱れている。彼らの出身地をたどっていくだけで、世界のすべての大陸を制覇できてしまいそうなほど、国籍がバラエティーに富んでいるのだ。今までの1年間で話したことのある講師たちの出身地は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドはいうに及ばず、アイルランド、ドイツ、南アフリカ、インド、香港、シンガポール、フィリピン、ケニアなど。しかも、外国育ちの日本人、なんていう変化球の講師までいるので、見かけだけではまったく何人か言い当てることができない。講師陣は、みな英語で高等教育を受けたか、もしくは英語で仕事を経験したことがある人材なので、それはそれは見事な英語を話す。(英語スクールだから当たり前か)「英語は世界の共通語」という大言語至上主義の主張には個人的には、あまり賛成できないけれど、英語を介して、かなりいろんな国の人たちと話ができるのは、やはり歴然とした現実であり、英語学習のいちばんのメリットでもある。ひとからげに英語、といっても、講師によって訛りがあったりするのがまた面白い。教科書そっちのけで、講師の生い立ちや体験談、お国自慢の話に脱線するのも楽しい。テキスト教材は、スクールが用意してくれたものもあるが、内容が真面目すぎてつまらないので、このごろなるべく自分で何か持っていく。興味の涌いた本や、子どもの絵本の英語版、ウェブサイトの情報、見たことのある映画やオペラの評論、CDの歌詞カードなど。堅物で大人しそうなイギリス人の男性に、英語のマザーグースを何曲も歌ってもらい、「すごく恥ずかしい。こんな恥ずかしい思いをした レッスンは初めてだ」と言われたこともある。そろそろコースの消化期限が近づいてきているので、サボっていた分の挽回を図るべく、連続で2コマのレッスンを予約することにした。「すみません、今日、どんな先生に当たりますか?」受付カウンターの女性に質問してみる。私は講師の指名料を払っていないので、どの先生に当たるのか当日にならないとわからない。「・・・えっと、1コマ目が香港出身の女性。2コマ目は、 日系メキシコ人の男性よ。あなたの好きなメキシコ。 あっ、でも、彼にはスペイン語で、話さないようにね。ふふふ。 ここは英会話スクールだからね」カウンターに座っていたマネージャー女性、オルガがニヤニヤ笑って言う。そういう彼女自身、いつも私にスペイン語で話しかけてくる。彼女の出身地は、中米グァテマラ。父親がドイツ人、母親がグアテマラ人という珍しい組み合わせのハーフで、元々、ドイツ語とスペイン語のバイリンガル。アメリカの大学を卒業してフロリダで働いていたので、アメリカ英語をパーフェクトに話す。日本人の彼氏がいるらしく、日本語も必死で勉強中なんだとか。彼女のような人は、一体、何語で夢を見るのだろう。いつも明るくて勢いのあるオルガ嬢の隣には、ブルーのアイシャドウがはえる美人スタッフ、林さんが、ちょこんと座っている。最初は、「はやし」さんなのかと思ったら、なんと「リン」さん、という、台湾人なのだった。「私、10歳まで家族でブラジルに住んでたんですよ。 母は台湾人と日本人のハーフで、母とは日本語で 話してます。父親は100%台湾人で、 ポルトガル語、北京語で話してますね。でも 私、まだ台湾に行ったことがないんですよ~!」まったく、本当に不思議な英会話スクールだ。・・・レッスン開始のチャイムが鳴った。1コマ目の講師、ジョリーは、中国大陸は広州の生まれ、香港育ちの20代女性。漢字の筆談交じりで中国の歴史を、英語でレクチャーしてもらっているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。香港人の英語は、非常に早口だが、発音が何となく日本人の英語に似ていて聞き取りやすい。・・・2コマ目開始のチャイムが鳴り、あわてて別のブースに移る。初めて当たる日系メキシコ人講師と、握手をかわした。「タカユキ」と名乗る、その男性は、父親が日系メキシコ人、母親がメキシコ人という組み合わせだという。彼の顔を見た瞬間、私は、しばし見とれたまま立ちつくしてしまった。・・・・顔が、エルネストにそっくりなのである。褐色の肌に、彫りの深い、かといってそれほど濃くない目鼻立ち、黒々とした眉毛とまつげ、小さな顔にとがったあご、おサルさんのように突き出た耳、声の出し方、表情を変えるときの眉の動き、シャイな笑顔・・・。単なる他人のそら似とはいえ、私は心臓が口から飛び出そうなぐらい緊張し、喋っているうちに、すっかり落ちつきを失った。マネージャー・オルガ嬢との約束を破り、つい彼に、片言のスペイン語で話しかけてしまった。「あの、私、メキシコとかスペイン語も興味あります。特に料理とか古代文明の遺跡が好きです・・・」すると、とたんに彼の表情が安堵の色に変わった。「ホントー? それはうれしいな。 このスクールで、メキシコのことを話題にしてくれた人は 君が初めてだからうれしいよ。 なんたって、メキシコはアメリカの一部だと 思ってる人もいたぐらいなんだから・・・」私が英語で頻繁にミスをするので、そのたびに、彼が、文法や単語の指摘をさらさらとメモに書いてくれる。そのメモの筆跡が、また不気味なほどエルネストにそっくりなのである!・・・・ああ、なんで? なんでなの?きっと、単なる他人のそら似、偶然の一致だろうな。プラス、自分の勝手な思いこみ。他人のそら似というだけで、こんなにドキドキするなんてホントにバカだ、と思いつつ、胸は高揚。その日は一日中、浮ついた気分ですごした。偶然の女神は、思いがけないタイミングでサプライズをくれるものである。彼に会いに、またスクールに行かなくちゃ。~つづく~
2004.10.31
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ルミ子は、私と初めてあったとき、まだ独身だった。ハバナ大学を卒業して、一度、キューバ人の男と結婚したそうだが性格の不一致で、1年ぐらいで離婚してしまったそうだ。マリーナヘミングウェーのある街、コヒマルのレストランでルミ子とランチを一緒に取ったときルミ子が身の上話をしてくれた。「キューバ人の男は、いい加減だからダメよ。 恋人の時はすごくやさしいけど、結婚した後が大変なの。 私、今ね、日本人の彼氏がいるのよ。 彼はアツシというの。彼はキューバに何度も来て 旅の本を書いたりしてる。おだやかでやさしくて、 インテリなの。 よかったら東京でアツシに、私からの手紙を渡してくれない? 必ず、返事をよこすように彼にいってほしいの。 彼、日本に帰ってから全然連絡をくれないのよね。 どうしてかしら・・・・」しかし、情熱的で自己表現が大胆で、恋愛体質のラテン女性と、口べたで静かな日本の男がつきあったらいったいどうなるのだろう・・・。アツシという男は、もしかしたら、キューバ人並みに体がムキムキで性格がアグレッシブで濃いヤツなのかもしれない。日本に帰ってきてまもなく、私はルミ子から聞いていた連絡先に電話をかけてみた。ルミ子さんから手紙を預かっているので、郵送で送りたい、という旨を伝えると、アツシは快く了解してくれた。旅行から帰ってきて、数週間後、アツシが書いた本が発売された。赤い表紙のソフトカバーの本だった。キューバの歴史や政治、文化、社会、キューバ人気質や日常生活のことまで、事細かに書いてあり、素晴らしい観察眼だと思った。旅のガイドブックや紀行エッセイは、現地に行く前に読むのも役に立つが、帰ってきてから読むのもいいものだ。体中に染みわたるように、ものすごい勢いで吸収できる。感慨に耽りながら、次々とページをめくっていった。本の中に、一枚の人物写真が載っていた。自宅のリビングで椅子に座って微笑んでいるその人物は、ルミ子だった。旅から帰ってきて、まさか本の中で彼女に再会するとは思いもしなかった。ハバナ在住の日系キューバ人として、彼女の複雑な生い立ちが紹介されていた。筆者の恋人として、ではなく、一人のキューバ人女性として、ルミ子は本の中にいた。取材対象としてのルミ子の存在は、アツシの旅の物語の中で、重要な役割を占めているようだった。その後、あるサルサイベントの会場で、アツシに会った。会場で、彼はテーブルの上にその赤い表紙のキューバ本を並べ、サルサを踊りにきたお客さんたちに自主販売していた。私のイメージとは違い、アツシは、アグレッシブでも濃いタイプでもなく、体も華奢で、真面目で穏和そうな、いかにも典型的な日本人男性、という印象の人だった。「アツシさん、この本、読みましたよ。すごくおもしろかった。 ルミ子も出てきて、びっくり~。 彼女、アツシさんからもお手紙がほしいといっていたので、 ぜひ連絡してあげてくださいね。 きっと喜ぶと思いますから」返事をくれないのよ・・・と悲しそうな目をしていたルミ子のことを思い出しながら、私は彼にそういった。アツシは、さわやかな笑顔を浮かべて、「あ、本買ってくれたんですか、ありがとうございます。そうですね、そろそろルミ子に返事を書かないとやばいです。でも今まで、執筆で忙しかったもんですから、なかなか連絡できなくて。またそのうちにキューバに行きますよ」と恥ずかしそうに言った。きっとルミ子は、このやさしそうな日本人のアツシと結婚して、東京に住むことを夢に見ていたのではないかと思った。その後、結局、アツシはルミ子に一度も返事をすることもないままいくつもの季節がすぎさっていった。ルミ子に国際電話をするたび、「ねぇマヤ、アツシはどうしてるか知ってる?」と寂しそうに私に尋ねた。赤い表紙のキューバ本は、結局、私がルミ子に国際郵便で届ける羽目になった。ルミ子は、この本の日本語を読みこなすほどの語学力はなかった。どんな気持ちで自分の写真を眺めたのだろうか。~つづく~
2004.10.30
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しばらくすると、ステージに人の気配がし、ミュージシャンたちがゾロゾロ入ってきた。赤や白やアロハのような柄シャツを着た若者、あるいは、スーツにテンガロンハットのような帽子をかぶった、ちょっと老けたひげおやじなど、みんな見事にてんでんばらばらの恰好をしている。白いエレキベースを手にしたひょろ長いやせ形のおやじが、左端に立ってなにやらあちこちに指示を飛ばしている。頭は白髪混じりで口ひげを生やしている。おお、あれが、リーダーのフアン・フォルメルか。フアン・フォルメル率いるロス・バン・バンがどんなに驚異的なバンドなのか、語り尽くすことは、日本人の私にはとうていできない。彼らの音楽の流れを追うだけで、この国のポップスの歴史が存分に語れてしまうほど偉大な存在なのだという。キューバでもし誰かに「今、ナンバーワンのバンドは何?」と聞けば自分のごひいきのバンド名を喜んで教えてくれることだろう。しかしこの一言を、最後に付け加えるはず。「あっ、でもロス・バン・バンだけは別格だけどね」ロス・バン・バンは、日本で言ってみれば、戦後の美空ひばりと、デビュー当時のピンクレディーと全盛期のサザンオールスターズを足してさらに、何年経っても浜崎あゆみ並みにパワーを発揮してる老舗ダンス音楽バンドと言えばその存在感と持続力がわかってもらえるだろうか。(こんな説明じゃかえって、わかりにくいか)日本には比較になるバンドがいないので、うまく説明できん。ロス・バン・バンが結成されたのは、私が生まれた翌年の1969年だという。キューバの伝統的なソンやチャランガにエレキベース、エレキギター、ドラムセットなどを導入してそれこそバンド名同様、バンバン新しいサウンドを作り上げていった。このバンドから独立して有名になったミュージシャンもたくさんいる。キューバ音楽だけでなく、ロックやジャズ、ブラジル音楽など、いろんな要素を混ぜ合わせた、究極のハイブリッド音楽。一時はビートルズみたいなサウンドだった時期もある。定期的にメンバーの入れ替えや、新しい音作りをして常に進化し続けているバンドだが、聴けば「ああ、これぞロス・バン・バンのサウンドだ」としかいいようのない独特のグルーブ感を放つ。客は、その響きを聴くやいなやたちまち狂喜して思い切り腰を振って踊り出すのだ。私は、その狂喜の瞬間を実際にこの目で見た。というか、実際に自分も体感した。演奏が始まって、テーブルで舞台に釘付けになったのもつかの間、周りがどっとステージ前にひしめいて、すごい勢いで踊り始めた。バンドがよく見えなくなったので、私もしかたなく人混みをかき分けて、ステージが見えるところまで出ていった。すると、たちまち知らないおじさんに手を引っ張られ、ふと気づいたら汗だくになって、踊りまくっていた。キューバのおじさんは、みんな踊りに年季が入っていてリードがものすごくうまい。髭づらではげてて、おなかも出ていて、顔を真っ赤にして、玉のように汗をたらしてるけどステップだけは、ものすごくスタイリッシュ。日本のおやじも、これだけ踊れれば、モテるよ多分。ボーカルが複数いるのが、キューバのバンドのおもしろいところだ。テンガロンハットのような帽子をかぶって、派手なシャツを着たこてこての年輩おやじボーカルが、ペドロ・カルボ。エロパワー丸出しの、ダーティーなハスキーボイスがぐいぐいおなかに響いてくる。もう一人のリードボーカル、一見ジャマイカ人のようなドレッドヘアの若い黒人ボーカルマジートがマイクを取ると、若い女の子たちが前に群がる。ペドロのような、いかれたエロパワーはないけれど、スリムでハンサムで、ラップするときのリズム感がめちゃくちゃクール。ペドロと、キャラも歌い方もうまい具合に住み分けて、幅広くファン対策をとってるのだろうか。さっきまで一緒にラムを飲んでいた、黄色い全身タイツの女サンドラを目線でさがす。一緒に来ていた背の高い黒人と、ペアで踊りまくっている。彼は、サンドラのボーイフレンドなのだろうか。サンドラも服が黄色くて背が高いだけに、人混みでひときわ目立つ。彼らは手をつないでくっついたかと思うと、急に手を離してゴムがのびきったみたいに、びょーんと離れたりするので人混みの中、2人の周りは半径2メートルぐらいの空間ができあがってよけい目立っている。サンドラのダンス自体も、かなりいかれていた。体の関節中にモーターでも入ったみたいに、くねくね自由自在に動くのだ。さすが、動きやすい全身タイツで装備してきただけのことはある。大きな動きなのに、早いリズムにピッタリ動きが合ってる。こんな夜遅い時間に、何曲もとぎれずに、息も上げずに踊り続ける女。まるで黄色いスポーツカーのようだ。ドイツ人おやじは、一人椅子に座り、人混みの後ろからステージを、所在なげに眺めている。さっきまで隣に座っていたキューバ人奥さんは、踊りの人混みに紛れてどこにいるのかわからない。取り残されたドイツおやじを、踊りに誘おうと手をさしのべたが、「いや、私は、まったく踊れなくてね」の一言でかわされた。ゲルマンおやじvsラテンおやじの戦いは、ラテンの圧勝に終わった。フォルメルがベースでチョッパーのソロを始めると、女の子たちがステージに両手をついておしりを持ち上げ、腰をがくがく上下させている。ステージから遠い我々は、デスペローテの嵐で応戦。じっくり音楽を聴くなんていう余裕はなくなり、忘我の悦楽に酔いしれていく・・・。・・・踊り疲れてテーブルに戻り、一休み。ふと気づくともう夜中の3時。「・・・あれっ、もうこんな時間だ。帰らなくちゃ」こんなときに時計を見ちゃうところが、なんとも日本人だ。「サンドラ、あたし、もう帰るね。今日はありがとう」「マヤ、何言ってるの! あたしたちが車で送って行くから 帰っちゃダメ。まだいなさい」ステージ前で踊り続けているサンドラが、振り返って怒鳴る。「いや、でも私一人で、タクシーで帰れるから」「ダメ~っ。最後までいなさい」ようやくライブが終わって時計を見ると、朝4時近くになっていた。サンドラたちと一緒にホテルを出て、駐車場に向かう。「あたしたちのアウト(車)で送るわよ。 ほら、これがうちのアウト。ふふっ、すごいでしょ」たしかに思わず絶句するほど、ボロボロの車だった。人数が多いので、後部座席に体をよじりながら、座らせてもらう。サンドラたちと、車の中で何を話したかはよく覚えていない。ゲラゲラ笑いながら、朝方のハバナを崩壊寸前のポンコツ車で走ったことだけは覚えてるのだが。以来、ロス・バン・バンをCDで聴くたび、汗だくの群衆と、サンドラの黄色い全身タイツと、ポンコツ車がセットになって頭に浮かんでくる。~つづく~
2004.10.13
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ラム酒にまみれた軍事施設のライブと同じ日だったと思う。ハバナへ戻り、夜はロス・バン・バンのライブへと場所を移した。多分、今までのライブ体験で一番忘れられない一夜だ。まだ時間が早いのか、人もまばらな薄暗いライブハウスに、一人で入っていく。誰も座っていない一番前のど真ん中のテーブルに陣取り、コーラをちびちびやる。東京では、一人でライブなんて行ったことがないのに、外国だと普段やらないことが、平気でできてしまう。日本人らしき人は、私だけみたいだ。ラムに濡れてレンズが曇ってしまったコンパクトカメラを、テーブルの上に置き、奇跡を祈る気持ちで、シャッターをそっと押してみる。やはり、うんともすんともいわない。いつ終わるともわからないライブまでの待ち時間をぼんやりもてあましていると、ふいにキューバ女性に声をかけられる。「すみませ~ん。ここの席、空いてる?」「ええ、私一人だからどうぞ」「じゃあ、全部、私たちが座っちゃうけどいいかしら?」「どうぞどうぞ、気にしないで」「あたしサンドラ、よろしくね」サンドラと名乗った、そのだみ声のキューバ嬢は、茶色いロングヘアで豊満なバスト、なんと全身タイツのようなぴちぴちの黄色い服を着ている。ノースリーブのボディースーツといえば、女性にはわかってもらえるだろうか。そう、それは一見下着のような密着感、ただし布は水着のような真っ黄色。腰にラメのベルトを締め、ベルトの上下にはくっきり贅肉が盛り上がり、下着の線が透けてみえる。キューバには、時々ダンサーか?と見まがうほどの派手な服を来た一般客に遭遇することがあるが、この真っ黄色の全身タイツには、恐れ入った。体の線丸見えだから、相当プロポーションに自信があるのかな、と思うと、意外とそうでもなかったり。同じテーブルに、全身タイツ女のサンドラと、褐色で目がくりっとした小太りの女性、スリムな黒人女性、背が高い白いシャツの黒人男性、頭がはげかかった白人男性の5人が一気に入り込んできて急ににぎやかになる。どっから来たの? 名前は?へぇ、マヤっていうんだ。マヤ、ハバナは初めて? どこに泊まってるの?友だちはどうして一緒に来ないの? 一人なんて寂しいわ。スペイン語、なんでしゃべれるの~、すごいね。ここは、外国人専用のライブなのかと思っていたら、どうやら彼らのしゃべり方を聞くと、キューバ人のようである。「あなたたち、みんなハバナに住んでるの?」「そうよ、セントロに住んでるの。 でも、あたしの姉さんがね、ドイツ人と結婚したのよ。 ほら、この人がだんなさん。姉さんがキューバに一時帰国していて 今日は最後のパーティなの。だんなさんがあたしたちを 招待してくれたのよ」サンドラが軽くあごで差した方には、かなり年輩らしい、ドイツおやじが、枝のように細い褐色のキューバ女性の肩を抱いてなにやら楽しそうに2人で話している。何語で話しているのだろう。端から見たら、若いヒネテーラが白人のじじい観光客をたぶらかしているようにしか思えない光景だったが、夫婦、というセリフがすべての免罪符になってしまう。本当に夫婦なのか、こんな2人が? まったく釣り合いのとれていない夫婦だ。愛の力は、年齢も人種も国も超えてしまったのか、もしかしたら、お金の力?・・・勝手な想像が頭の中を暴走するが、そんなことは失礼すぎて、とても質問できない。「へぇ、ドイツなんだ。素敵な国だよね」「そうよ~、それに彼は金持ちなのよね」サンドラが、耳元で聞こえないように私に言う。初対面から、ぶっちゃけ話をするのが、キューバ式。私は、もっとつっこんで聞きたい気持ちをグッとこらえて、ぬるくなったコーラを再びぐびりと飲む。「マヤ、あなた何飲んでるの」「え? えっと、私はコーラだけど」「コーラだけー! 何でラムを飲まないのよ。 じゃ、あたしたちのラムを飲みなさい」「いえ、でも私、ラムは頼んでないし」「何言ってるの。いーのよ、飲みなさいよ。 この人が全部ごちそうしてくれるから大丈夫よ」今日は、ただ酒にまみれる一日らしい。サンドラに促されるまま、ラムのボトルを受け取って、自分のコーラに足し、キューバリブレにしてぐびぐびとやる。このライブ入場料は、たったの10ドル。しかし、平均月収6ドルとか7ドルといわれているこの国では破格の高さといっていいだろう。このドイツ人おやじは、なんの痛みも感じることなく、5人分の入場料をまとめて払って入ってきたに違いない。ラムのボトルを頼んだから、さらに10ドル追加。おまけに、見ず知らずの日本人の飲み代まで、払うはめになる。「じゃあ、日本のマヤのために、カンパーイ!」しまった。いつの間にか、見知らぬキューバ人に囲まれて飲み会モードに突入。昼間の軍人ダンスの疲れがたたって、私は急速に酔っぱらいの世界へと誘われていく。開場から2時間経っても、ミュージシャンは、いっこうに現れない。まったく、いつになったらライブが始まるんだ!~つづく~
2004.09.28
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最近、マリンバを習い始めた。ラテンダンスを習っていた頃は、コンガやボンゴなど皮の太鼓を手で激しく叩くのに強烈に憧れたけど、このごろは体力がめっきり落ちて、とてもそんな気になれない。温かい静かな音で、しっとり癒しのメロディでも奏でられるようになりたい・・・という単純な動機で、ヤマハ大人の教室の扉をたたいた。そこに待ち受けていたのは、松村繭子さんという癒し系の美人先生。マリンバを叩いてみせてもらう前から、すぐれた音楽家独特の強烈な波動が出ている人だった。私は、自分が弾けるようになれるかどうかということよりも、この先生が無意識に放つ、底知れないオーラの謎が知りたくて、毎回レッスンに通っているようなもんである。「マヤさん、今度ね~、内輪で発表会をやろうと思うのよ。 もちろん初心者の方も、みなさんご参加されますよ。 発表会用の曲をそろそろ決めないとね。どんな曲やりたいですか」「えっ、まだ初めてちょっとしかたってないのに・・・」発表会なんていうものは、小学生のピアノ教室ぐらいなもんかと思っていたら、いきなりこのマリンバ教室でも企画中だという。ヤマハは油断ならない。「そうですねぇ、まだ何も弾けないんで贅沢言えないんですけど、 あえていえばラテンっぽい雰囲気がいいですね。 ラテンダンスが結構好きなんです。 でも、マリンバでは、どんな曲が合うかどうかわからないから、 選曲は先生におまかせします」次の回にレッスンに行くと、さっそく先生が選んだ曲の楽譜が手渡された。「マヤさんには、こんなのが合うかしら、って思って」タイトルを見て、一瞬よろめいた。『コンドルは飛んでいく』「・・・せ、先生~。コンドルは、やばいです。 実は、この曲・・・私、思い入れが強すぎて ちょっと、その・・・あの・・・練習するのが辛いです。 なんていうか、簡単にいうと、冷静になれないっていうか、 スペインに征服されたインカの悲しい歴史が 思い浮かんでしまって・・・」何も弾けないくせに、文句だけは一人前の、生意気な生徒。何が「インカの悲しい歴史」だよなぁ。「昔、ペルー男とつきあって、散々すったもんだしたんです~」って言えればよかったんだけど。「そうですか。そういうことってありますよね。 思い入れが強すぎると、かえって楽器って弾けないんですよね。 ・・・じゃあ、こっちにしましょうか」先生が勧めてくれたひとつの候補は、カルメンの「闘牛士の歌」。インディヘナのもの悲しいメロディとはうってかわってもろマッチョな勇ましい曲。(作曲者はフランス人だけど)被征服者側の悲しいメロディも、征服者側のマッチョなリズムも、どっちも似合ってしまいそうなところが、マリンバの懐の深さである。マリンバは、見かけはシンプルだけれど、楽器の生い立ちは、意外と複雑だということがわかった。9月2日の朝日新聞夕刊に「民族楽器の旅」という特集でマリンバがとりあげられていた。それによると、マリンバの原型は、すでに数百年から千年くらい前のアフリカにあったそうだ。民族楽器のお店などに行くと瓢箪のような共鳴菅がついた、西アフリカの「バラフォン」というミニチュアの木琴をよく見かける。あんな形の木琴が奴隷とともにアフリカから南米に渡り、のちにアメリカで改良されたという。しかし、マリンバが今のような形になったのは、中米のグァテマラという説もあるとか。グァテマラ? そういえば、グァテマラに近い、メキシコ・ユカタン半島のメリダの広場でも、インディヘナの大道芸人が巨大なマリンバを2人組みで連弾していた。親子連れのような子どもと大人が、三つ編みをして民族衣装を来て、半ば暴力的なぶっきらぼうさで、しかも目もとまららぬスピードでマレットを鍵盤の上で転がしていた。あれは何の曲だったんだろう。その時は、なんで野外でマリンバなんて弾いてるんだ、と、すごく不思議に思っていた。もともとマリンバは、中米地域の民族楽器だったんだ。さて、あとは肝心の弾き手が、おぼつかない腕でどこまでラテン性に迫れるか。それ以前に、曲が弾けるようになれるのか。マリンバのマレットさばきは、サルサステップよりも難しそうだ。~つづく~
2004.09.15
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きのう、ある全国紙の地方版に、高校時代のコージ先輩の記事が出た。「きょうの新聞で、俺の話が掲載されたからさ、よかったら読んでみて 君のことがヒロイン扱いになってるから」とのメールが来たので、さっそく記事を取り寄せて読んでみた。私の職場には、幸運なことに関東地域のほぼすべての全国紙の地方版が手元に届く。先輩が載っている記事をさがしてさっそく読んでみた。テーマは「母校とわたし」という学校にまつわる思い出企画。6段のスペースを取り、ドラムの前でニッコリ微笑むコージ先輩の写真まで入っている。破格の大きさのコラムだった。キューバ音楽奏者として生きるコージ先輩のキューバとの出逢いについて書いてあった。とても新聞記事とは思えないようなドラマ仕立ての内容だったので、なんだかおかしくなって職場でいきなり噴き出してしまった。まるで自分が書いている、この今の日記のようなストーリー展開。丸写し、実名出しは出来ないのだけれど、筋書きはこんな感じ。===========================・・・現在、ドラマーとして活躍し、ラテンバンドを率いて、全国でライブ活動を続けているコージさん。しかし、高校時代はそれほどキューバ音楽は好きな方ではなかった。そんなコージさんのその後の人生を大きく変えたのは、こんな同窓生の一言だったという。「キューバ音楽に詳しい友人を紹介します」。95年の年末、コージさんはキューバに旅行する直前のライブを終えると、ある一人の女性に話しかけられる。高校時代の後輩のマヤさんだった。コージさんは、キューバに音楽短期留学に行った際、すぐマヤさんの友達で、キューバの日本大使館に勤める日系キューバ人女性、ルミコ・オノさんと会う。そして、ルミ子さんに紹介されたのが、打楽器奏者のロベルト・ガルシアさんや、ルバルカバ一家だった。いずれもキューバを代表する有名な音楽家だった。彼らの音楽を聴き、「他のラテン音楽とも違う。『この音楽だ』」と直感した。その後、音楽家一家と個人的な交流が始まり、ピアノや打楽器のレッスンを受け、技術を磨くようになる。「あの時、マヤさんの紹介がなければ、現地の音楽学校に 通うだけですぐ帰国していたでしょうね」とコージさんは振り返る。その後、コージさんは何度もキューバを訪れ、「黒人独特のリズム感とヨーロッパの洗練されたハーモニーが絶妙に絡み合う」音楽のとりこになった。============================・・・・えっ、そーだったっけ?と いまさらながら、書かれていたエピソードに驚いてしまった。私の一言が、彼の人生を変えたなんて、ちょっと大袈裟だよなぁ。新聞記者さん、話作りすぎだよ。たしかに、コージさんはキューバに一人で旅立つ前、偶然、その直前のライブに私が顔を出していた。たしか、割とシンプルなスタンダードジャズのトリオだった。コージ先輩とは、高校時代以来、先輩後輩としてのつきあいは長かったけど、社会人になってからは、初めて聴きに行ったライブだった。ライブが終わって、ドラムを解体している最中のコージ先輩と、こんな雑談をした。「オレさあ、こないだ、ロスのジャズフェスに行ったんだけど 西海岸って南の方に行くにつれて、どんどんヒスパニックが 増えていくのね。それにしたがって、音楽も変わっていく。 あれは面白かったなぁ。結構ラテン、いいかな、って ピンと来てね、そのころ偶然あっちで、 キューバで打楽器の夏期レッスンやるっていう 案内チラシ見つけてさ、この夏に行こうと思ってる」まさか、コージ先輩の口から「キューバ」という言葉を聞くとは、思いもよらなかった。高校時代のコージ先輩は、私にとって打楽器の神様のような人だった。クラシックピアノやコンサート打楽器のみならず、ドラムも天才的にうまかった。高校時代から、音楽的に何でも吸収するクロスオーバーな人だった。彼が、ジャズのルーツのひとつでもあるキューバ音楽に惹かれるのは、至極当然の流れだったのだ。だから、私の一言が彼の人生を進路を大きく変えたわけでは、決してない。「・・・へぇ、そうですか、偶然だけど、私もこないだキューバに 行ったんですよ~。 あたしは単にサルサが好きで、踊りに 行っただけなんですけど・・・」「おーそうなんだ! 向こうで何かバンド聴いた?」「初めて生で聴いたバンドが、ロス・バンバンだったんです。 いやもー、サイコーでした。言葉が出ないほど」「・・だろ~。キューバってすごいよな。 その夏期講習だと、イラケレのドラマーの エンリケ・プラーとかに習えるらしいんだよ」「え~、イラケレ! 何それ! 信じられない! すっごーい」「でもさぁ、オレ、スペイン語できないのよ。授業は 英語でやってくれるらしいけど、あっちで 英語だけだと、やっぱつらいかなぁ。マヤちゃん 誰か、むこうに知り合いいない?」「いい人いますよ。ぜひこの人を訪ねてみてください。 日本語がちょっとしゃべれる日系キューバ人ですから」と、私はルミ子の住所と名前を紹介した。その後、キューバに渡ったコージ先輩は、ルミ子とルミ子ママとまるで親戚のように仲が良くなり、ルミ子や音楽家の知り合いを通じて、出逢いのチェーンをどんどんつなげ、信じられないほど広い人脈を築いていった。音楽は国境を越えるとはこのことだ、と痛感した。まったくのゼロだったコージ先輩のスペイン語は、キューバ通いを続けている間に、みるみる磨かれていった。あまりに短期間でスペイン語がうまくなったので、一時は「先輩ったら、実はルミ子と恋人になったのでは?」と、私は密かににらんでいたのだが・・・。そのへんは、立場の弱い後輩なので、ぐっと我慢してあえて聞かないようにしていた。時制や動詞の活用なんておかまいなしの、独学スペイン語で、音楽家たちと、長年の友達のように渡り合うようになっていった。耳がいい人は、語学の習得も驚くほど早い。スケベで下品な業界用語も、いつの間にかいっぱい覚えてしまったようだ。ハバナ滞在中のコージ先輩については、まだほかにもいろいろエピソードがある。また改めて紹介しようと思う。~つづく~
2004.09.10
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タクシーに乗って帰宅していた真夜中に、エルネストから電話がかかってきた。声を聞くのは、久しぶりだ。「仕事が忙しくてさ、今日はさっきまで トラベルエージェントの営業と、飲んでたんだよ」日系人向けに航空券や個人旅行の手配をする仕事をしている彼は、いまやすっかり旅行業界の人。「営業と飲んでた」いっぱしのサラリーマンのような口振りである。彼はもう4年も日系人の彼女と暮らしているが、まだあえて結婚はしていない。最近は、結婚しないことの方が、不自由に感じるようになってきたという。生命保険の申込をして、受取人を同居の彼女の名前にしようと思ったら、「ご結婚されていない場合は、10年以上同居歴がないと・・・」と、担当者にやんわり断られたという。「この生命保険の件で、彼女はよけい結婚にこだわるように なったんだよね。結婚、結婚、ってうるさくて・・・。 今は、まさにentre la espalda y la paredという感じ。 マヤ、この意味わかる? 『肩と壁の間』ってどういうことか」「うーんと、 結婚するかしないか、決めなくちゃならない瀬戸際まで、 追いつめられている・・・ってこと?」「そうそう、そのとおり。オレ、このごろずっと 壁際に立たされてるんだ。 そこから一歩も動けないの。 オレには、今、自由が全然ないの。踊りにだって全然行ってないよ。 来月は、コロンビアからグルーポニーチェが 初めて日本に来るっていうのに、 コンサートなんて冗談じゃないって感じ。 仕事休みたい、なんて言ったら、彼女に軽く笑われたもんね」あなたの国では、オリンピック選手だって、もっと踊ってるよ。キューバチームの野球選手たちって、ウォーミングアップがわりにサルサ踊ってるっていう噂じゃん。金メダルの打力と脚力は、日頃の過激な練習に加えて、さらに姉ちゃんたちとダンスを楽しんでるからだと思うな。人生には、緊張と弛緩のバランスが大事なのだ。キューバじゃ兵隊だって、あなたよりうんとまっとうな週末を過ごしているよ。軍事訓練の後は、たくさん飲んで、たくさん踊る。明日のことなんて考えずに、狂ったように踊る。だって私は見たもん。踊りまくるキューバの兵隊たちを。私と最初に踊ってくれた、ちょび髭の兵隊のアントニオは、革命だ、自由だ、チェ・ゲバラだ、カストロだなんだ、ってイデオロギーに染まった石頭だったけど、裸足にサンダル履きで、ステップをばかばか踏んで土ぼこりを上げてた。ダンスパーティというより、キャンプファイヤーみたいだった。そんなことはどうでもいいんだ。踊れさえすれば、彼らは何もない砂漠の上でだってご機嫌になれる。そんなご機嫌な彼らといると、私もつられて気分がよくなる。赤く充血した目でじろじろ見つめられて、酒臭い息を吐きかけられるのは、たまんなかったけど。隣では、ふとっちょのお父ちゃん兵士が、3歳ぐらいのかわいい女の子を肩ぐるましながら、奥さんと踊っている。肩車をしてるから手をつながずに、それでも、ちゃんと手をつないでるかのごとくペアで息を合わせて、シンクロして動いてるところが夫婦の年期を感じさせる。ステージ、というにはおこがましいほどの、ボロっちい木の高台でメンバーたちが、次々にソンやボレロ、チャチャチャやマンボを奏でる。ホセを見やると、秋葉原で買ったというヤマハの電子ウッドベースをブンブン鳴らしている。別人のようにキリッとしまったいい男。目が合うと時々、ニカっと歯を出して笑う。あいつは、ベーシストでいる限り、一生女に困らないだろう。私は2,3曲で一気に疲れて、一人で座り込んでラムを啜っている間、痩せた足の長い褐色の少女が踊るのを眺めていた。ふと、長時間踊れるひとつのコツを発見した。足を地面からあまり離さずに、ずるずる引き吊り歩きをするようにステップを踏を踏めばいいんだとわかった。上半身はほとんど動かさず、大股で引き吊るように歩きながら、重心を移動させる。ステップ踏む、というより、足だけ見ると、単にだらしなく歩いてるだけ。歩いていても、全身はちゃんとリズムにハマってる。ここじゃ、ダンスレッスンを受けてるヤツなんて、誰一人いないだろう。見てくれをよくすることよりも、自分がどう踊れば気持ちいいかだけを考える。気どったハイヒールなんてはかず、長時間踊れるサンダルを選ぶ。派手に大きく踊るのが好きなやつもいれば、だるく緩めに踊るやつもいる。褐色の少女が、大股の引き吊り歩きで、延々と緩く踊っているところを、写真に撮ろうと思ってカメラを構えたら、アントニオに怒られた。「なぁ、セニョリータ、ここは、写真を撮るのは禁止なんだ。 軍事基地だからな。わるいね・・・ほら、もう一度 オレと踊ろうぜ」あわててカメラをナップサックの中にしまい、アントニオに引っ張られて、またの輪に加わる。アントニオに次ぎ、おやじ兵隊たちとかわるがわるペアを組み、私も負けずに土ぼこりを上げる。酔いが回った頭で朦朧としているうちに、辺りはすっかり日が暮れて、いつの間にかパーティはお開きになった。帰りがけにメンバーたちに住所をメモしてもらおうと思って、テーブルの上に置きっぱなしにしていた黒いナップサックのファスナーを開けた。ノートとペンを探そうと思って、手を伸ばしたら、指先に何かひやっとした液状のものが触れた。中を覗くと、たぷたぷした水のような何かが暗黒の底に漂っている。ナップサックの底は、ハバナクラブ3年物の海と化していて、なにもかもが酒浸しになっていた。それまで何枚も写真を納めていたコンパクトカメラも、お気に入りのキューバンサルサCDも、CDウォークマンも、皮の財布も旅行ガイドブックも、携帯用スペイン語辞書も、なにもかもぐじょぐじょ。中味を取り出したら、プーンときついアルコール臭を放つラムのしずくがぼたぼたと、したたり落ちてきた。全てのものを取り出して、ナップサックを逆さまにすると、ラムがじゃーっとこぼれて、乾いた土の上に黒い大きなシミができた。ホセが近寄ってきて、悔しそうに言い放つ。「あ~あ、なんてこった! オレのラムのボトル、 割れちゃったのか。 誰かが、君のカバンを床に落としたんだ。ひどいな。 君のカバンが、ラムを飲んで酔っぱらってるぜ」っていうか、あんたが欲ふかして、ラムのボトルなんかを、あたしのカバンに入れるから、こんなことになったんだよ。日本人なら、こんな時、めちゃくちゃ謝るぞ。ホセは、悪びれる様子もなく、ナップサックの底から、割れたガラスの細かいかけらをひとつひとつ拾い上げている。「アイッ・・・!(イタタ!)」と叫んで、血がにじんだ指をあわてて大袈裟に舐める。<オレはちっとも悪くない、ほら、こうして指まで切ってもちゃんと片づけを手伝ってやってるぜ>といいたげに。カメラの中にまでラムが入ったらしく、レンズが水滴で曇ってる。シャッターを押したが、もう音がしない。バンドのメンバーや兵隊の家族たちが、一緒になって私の荷物を、ティッシュやタオルを総動員してふき取ってくれた。持ち物まですべて、キューバの味になってしまうとは。ラムで濡れて自然乾燥させた、スペイン語の辞書はミルフィーユのパイ生地のように、細かいしわがよった。今でもよれよれのページを、はがすようにめくるたびあのラムと土ぼこりにまみれた、兵隊パーティのことを思い出す。~つづく~
2004.08.27
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ホセが、またわけのわからない提案をしてきた。「きょう、俺たちのバンドは、 軍事施設でライブの仕事があるんだ。よかったら 連れてってやってもいいぞ。軍人の家族たちが集まる 内輪の慰労パーティなんだ」そんなものに、一般の旅行客が紛れていいものなのか?っていうか、そんなにゆるいセキュリティで、キューバ軍は、大丈夫なの?「俺たちのバンドが、マヤを招待したことにすれば 大丈夫、大丈夫。No te preocupes」ホセの家の庭で待つこと2時間以上、バンドメンバー10人ほどを乗せたマイクロバスがやってきた。20人乗りぐらいのオンボロバスの後部座席は、毛布に包まれた楽器ケースが、無造作に積み上げられている。舗装の悪い道を走るたび、楽器ケースはガタガタと震え、まるで学生の音楽サークルが、合宿で遠出するようなラフな旅。とてもプロミュージシャンたちの移動手段とは思えない。高速道路をグングン飛ばし、ウトウト居眠りしている間にハバナ郊外の、とある軍事施設のゲートにたどり着いた。いや、厳密にはどこの街だったのか、よくわからなかった。軍事施設というから、横田とか横須賀レベルの本格的な米軍基地を思い浮かべていたけれど、そんな大規模なものではなかった。軍人専用の住宅地区のような施設なのかもしれない。いつの間にか、オンボロのマイクロバスは、小さな屋根のついた、野外集会所のような所にたどり着いた。学生時代の癖で、そのまま楽器運びを手伝おうと思ったら、セニョリータ、そんなこと、とんでもない、と、どのメンバーにも断られてしまった。「君は大事なゲストなんだから、 座って見ているだけでいいんだよ」集会所に、ポツポツ人が集まり始め、暇そうに椅子に座って待っている、軍人家族とおぼしき聴衆たち。ざっと見たところ、10家族程度の少人数のパーティーである。みんな普段着で、サンダル履きだったりして、軍服なんて着ていなかった。小さな子どもや若い娘さん風の人もいる。軍人の家族たちは、不思議そうな顔をして、遠巻きにチラチラ私を見ている。極度に居心地の悪くなった私は、時々、野外集会所の周りをウロウロ歩き回ったり、隅の方で目立たぬように、一人で座ったりして時間をつぶした。口ひげの痩せたおやじに話しかけられた。「やぁ、きみはどっから来たの~? ハバナに住んでるのかい? 俺は軍で働いてる アントニオっていうんだ」私も、何で自分がこんなところにいるのか、うまく説明できないので「バンドメンバーの友だちなんです」とだけいってお茶を濁す。しばらくすると、キューバ式のランチボックスが配られた。茶封筒のような色をした、紙の弁当箱が手渡される。湿り気で、大きいシミが広がっている。中をおそるおそる開けると、キューバ式のニンニク味赤飯アロス・コングリと、ゆでたユカ芋(キャッサバ)だけが入っていた。芋とご飯。これだけである。炭水化物弁当。パサパサで食べにくいが、腹にたまること、この上なし。のどが渇いて食べにくいなぁ、と思っていたら、同じ茶封筒色をした、よれよれの紙コップに、並々とビールが注がれた。気の抜けた泡のないビール。注いだだけで、ぐにゃりとゆがんでしまう情けない紙コップ。その姿は、ほとんどまるで尿検査。そのぐにゃりとした紙コップは、捨てずにそのまま次は、ラム酒用コップに早変わりする。ラム酒をちびちびやっていると、またさっきの髭面のアントニオが赤い顔をして近づいてきて、ひとしきり、キューバについての演説を勝手に始めた。いわく「キューバは、小国であるけれども、アメリカに唯一ノーを言っている、大変勇敢な国である」「革命の理念は、今も何一つ変わっていない。 ヒューマニズムに支えられた、平等な教育、福祉、 医療システム。 君、キューバでいつ革命があったか知ってるか? あの59年の革命のおかげで、今の俺たちが いるんだ・・・・」云々。・・・途中で何を言ってるのか、わからなくなってきたけど、笑顔で適当に頷くしかない。待てども待てども、ライブはなかなか始まらない。バンド連中は、もうとっくに楽器を並べ終わっているのにチューニングを始める気配がまったくない。何事もすぐに物事が前に進まないのが、キューバ式。ハバナクラブ3年もののボトルが、どこからともなくケースごと現れ、各テーブルに配られた。ホセは、「頼むっ。俺の分、カバンの中に入れておいてくれ」といって、有無を言わさず、私のリュックを勝手に開け、ものすごい素早さで、ボトルを1本つっこんだ。 ホワイトラムの香りがあたりにたちこめ、私の酔いも適当に回った頃、ようやく兵隊とのダンスパーティが始まった。~つづく~
2004.08.16
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アルバムを見ているときに、ルミ子が言った。「私のような日系キューバ人は、他にもいるの。 ほら、この女の子もそうよ。 同じようにパパが日本人の漁師だったという友達のレイナ。 今、コヒマルに住んでるのよ。マヤはコヒマル、興味ある? もしよかったら一緒に行ってみない?」コヒマルは、ヘミングウェーが長期滞在して、『老人と海』を執筆したことでもよく知られている小さな漁村。ヘミングウェーファンに限らず、ハバナからのエクスカーションをする観光客に、わりと人気の町だ。バラデロでバカンスするほどお金も時間もないけど、ちょっとした小旅行で気分転換をするにはもってこいの場所。コヒマルの漁港、マリーナ・ヘミングウェ-の近くに、日系キューバ人のレイナさん家族が住んでいるという。ルミ子とちがうのは、レイナは、小学校時代、両親とともに長年日本に住んでいた経験があり、ごく自然に日本語がしゃべれることだった。日本で両親が離婚してしまい、今は、母と弟と一緒にここに移り住んでいる。「コヒマル、いいね!行こう! ルミ子、連れてってくれる?」「もちろん! じゃあ、明日のなるべく早いうちに出かけましょう」翌日、ルミ子は、キューバ式に易々とオンボロの車をヒッチハイクでつかまえて、私が米ドルでお金を払うことを約束し、コヒマルまで高速を飛ばしてもらった。ハバナ旧市街から約16キロ。ものの10分ぐらいで静かな町が現れる。たどりついたのは、人の住んでいる気配の感じられない無機質な集合住宅街だった。同じような5階建ての四角い団地が延々と続いている。日本でいうなら、郊外にある一大市営団地という感じ。私も小学校まで、こんな無機質な一大市営団地の5階に住んでいた。キューバだからきっと国営なんだろうけど。団地というものは、なんて表情に乏しいのだろう。ここが東京、モスクワ、北京、ベルリンと言われても、まったく違和感はない。国や文化のにおいがするものを、外観からは何も感じとることができない。レイナさん家族も、私が小さいときと同じ最上階の5階に住んでいた。階段をのぼっている間、無性に団地の感触が懐かしかった。呼び鈴の音まで同じだった。ブーという音を2度ほど鳴らすと、レイナのママと弟が応対してくれた。案の定、電話もしないで突然訪問したものだから、レイナ本人は、外出中で夜にならないと戻らない、ということだった。レイナのママは、白人で栗色の長い髪をして、本当ななかなかの美人なのだろうが、化粧もせず、目の下にくまを作って、とてもやつれた顔をしていた。弟のアレハンドロが、なめらかな日本語で話してくれた。顔がママそっくりで彫りが深く、日本人の面影がない。「僕は見かけはキューバ人そのものだけど、 小さい頃、日本にいたから、中味が日本人なんだ。 だから、今でもキューバの習慣になじめない。本当は日本で ずっと暮らしたかった。日本の方が楽しかった」何だろう・・・・うまくいえないけどこの家族と、ルミ子の親子には、共通していることがあった。何となく同じような響きの通奏底音が流れているのだ。うまく言い表せないのだが、陰鬱で暗い、寂しげな、諦念的なやるせない空気がどんよりと漂っているのだ。もしかすると、私が日本人であることが、彼らの陰の部分を引き出してしまっているのか。笑顔がとぼしく無表情な親子としばし会話を交わし、レイナへの置き手紙を手渡して、その場を辞した。ルミ子と2人でコヒマルの有名レストラン「ラ・テラサ」でシーフードを食べた。味はキューバにしてはまずまず。昼間でもソンの生演奏があって、雰囲気はすごくいいのだが、しごくサービスがのろかった。帰りがけに注文シートを見ると、意外なほど高い。よく見ると一番高いメインディッシュの料理が2重にチャージされていて、レジ前で一悶着することになった。多分、わざとじゃない。単に店員が注文を書き間違えていたようだ。『老人と海』の老人サンチャゴのモデルになったという、グレゴリオ爺さんが時々、このレストランに姿を現して、ありし日のヘミングウェーのエピソードを語る、と、もっぱらの噂だったが、彼らしき老人に会うこともなかった。グレゴリオさんも、もうとっくに亡くなってしまったから、2度と会えないのだけれど。コヒマル、と聞くと、今でも真っ先に思い出す。太陽の光が燦々と輝くのどかなマリーナ・ヘミングウェーではなく、瀟洒なレストラン「ラ・テラサ」でもない。あの無機質な団地群と、笑顔のない親子の顔を。~つづく~
2004.08.10
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「・・・私のパパはね、昔、漁師だったの・・・。 キューバの漁業関係者に技術を教えに来て、ハバナに 何年か住んでいたのよ。 その時に、私のママと知り合って結婚したの」数少ない、モノクロ写真の中に、ルミ子のママ、マルガリータのウェディングドレスの姿があった。まだ若くピチピチしていて、だいぶ体型も細く、情熱的な目をしたラテン美女である。幸せいっぱいに微笑むマルガリータの隣には、やせ形で目が細く、大人しそうな、いかにも典型的な日本人男性が立っている。これが、ルミ子の日本人の父親、ナルヒコだった。花嫁姿の頃とはうってかわってすっかり、ふくよかな肝っ玉おばちゃんになったマルガリータが、ルミ子の言葉を引き継いで、はっきりしたスペイン語で説明してくれた。マルガリータは、さすが日本人と結婚していただけあって、わかりやすく話すのに相当慣れている。「ナルヒコはね、とてもやさしくていい夫でした。 でも、ルミ子が生まれて3歳ぐらいになった頃、 彼は、突然、日本に帰ってしまいまいた。 その後、20年間、私たちに1度も連絡をくれなくなりました。 どうしてだか、わかりません・・・ その後、2度と、キューバには戻ってきませんでした。 私たちは、何度も何度も、ナルヒコの日本の実家に手紙を送りました。 でも、ナルヒコからは、返事は一度も来ませんでした。 私たちのことを捨ててしまったんですね・・・」そうか、だからこのアルバムには、ルミ子親子3人の写真が1枚もないのだ。20年間もの間、音信不通、理由もわからぬまま、完全に断絶してしまった夫と妻、父と娘。父ナルヒコは、事故や事件に巻き込まれたのではない。蒸発ではなく、どうも意図的な逃亡だったらしい。何も言わずに、突然、キューバを離れてしまったので、ルミ子親子には、理由は、さっぱりわからなかった。しかもキューバからは、日本に国際電話をかけて、消息を確認することも、ままならなかった。今のように、携帯やメールも発達していなかった。社会主義国キューバから、お金をかけずに外国に連絡を取る唯一の手段、それは、手紙を送ることである。日本からの手紙の返事を待ちわびて、むなしく流れ去った20年の月日・・・。ルミ子が大学生の頃、ある日本のテレビ製作会社が、ルミ子の生い立ちに関心を持ち、ルミ子の父親探しの番組を企画した。テレビクルーがキューバからルミ子を連れ出して、成田空港までやってきた。空港ロビーで、父と娘が感動の再会を果たしたという。もちろん、ルミ子にとって、生まれて初めての海外旅行。一般のキューバ人にとって、海外を旅することは、経済上、想像を絶するほど大変なことである。しかも、生まれて初めて日本人の父親と、つたない日本語で言葉を交わした。すき焼きやそばやてんぷらなど、親子一緒に日本の料理を食べたという。ルミ子のアルバムには、最後の方に、だいぶ老けた日本人男性の姿が、何枚か映っていた。「これが、日本で会ったときのパパ。それから、これが パパの双子の弟。双子だから、そっくりでしょう。 私はパパの弟の家に泊まったの。 日本は、とても楽しかった・・・ もう一度、日本に行ってパパに会いたいわ」「マヤ、これを、日本のパパに送ってほしいの」ルミ子から、日本語で書かれた手紙を1通受け取った。ノートのページを破ったような、罫線入りのうすっぺらい紙ににょろにょろ這うような青いペン字で、ひらがながいっぱい並べてあった。「私の日本語、正しいかどうか、チェックしてくれる?」20年も断絶している親に、どんなことを書いて伝えるのだろう、と思って開いたら、内容は単なる時候の挨拶だった。「おとうさん おげんきですか」に始まり、「からだに きをつけて、これからもおげんきで」と、他人行儀の締めくくりで終わっている。あっけないほど短い手紙。何度読んでも、20年の重みなど、これっぽちも感じないつたない文章。長年の断絶は、これほどまでに言葉を奪ってしまうのか、それとも、単にルミ子の日本語力が足りないからなのか、または、極端に筆無精なのか。それでも、ルミ子は、今まで何度も日本人旅行者を探しては、こうして父親宛の手紙を託し続けているという。今まで父親からは、1度も返事が届かなくても、あきらめずに何度も、何度も。今、私の手元にある1枚は、いったい何通目の手紙なのだろう。~つづく~
2004.07.31
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レッスンが終わると、ホセがいった。「よし、これから俺の娘に会いに行こう。俺の元妻と 一緒に住んでるんだよ。紹介したいんだ」ホセの娘、ルイサはまだあどけない、4歳の娘だった。肌は、ホセほど黒くはない褐色、ウェーブがかかった、真っ黒な長い髪に、すでに少女のようなしっとりした瞳、バレリーナのような細長い手足をばたつかせて、堂々たるカリブの美女の卵である。ルイサをすぐさま抱き上げ、ほおずりをしながら、甲高い声で話しかけるパパモードのホセ。あまりのかわいさに、ヨウコは、すぐにルイサに向かってカメラを向けた。ピタッと動きを止めてポーズを取り、長いまつげの目をパッチリ開いて、微笑むルイサ。「うっわ~、もうプロのモデルみたいだね」「そう、ルイシータは、俺に似てエンターテイナーなんだ」娘とあまり似ていない、というか、お世辞にも美人といえないホセの元妻は、テーブルの上で、もそもそご飯を食べていた。「えっとこちらは、 日本から来た友だちのマヤとヨウコだよ」「・・・どうも。はじめまして~」頬におきまりのキスして挨拶をしたはいいものの、私たち日本人は、元妻の家に突然の訪問、という状況になじめない。さらに、日本人として耐えられないのは、目の前に今の夫が、でーんと座っていることである。とにかくキューバ人は、誰のうちにでも思い立ったら突然、訪問してしまうのである。友だちのうちだろうが、元妻のうちだろうが、愛人のうちだろうが関係ないようだ。「夫がいないタイミングを見計らって」という気遣いは、彼らにはない。第一、タイミングを見計らうための電話とか携帯メールとかの連絡手段がない家がほとんどだから、突然訪問するしかないのである。ルイサのあまりのかわいさに、親バカな嬌声をあげるホセと、それに同調するしか、やることのない私たち。同じ部屋で、その光景を所在なさげに遠巻きに見ている、無愛想な元妻とその夫。(夫もまるで笑顔なし)なんだか気まずい雰囲気。こんな所にホントに来てよかったの?「・・・あなたたち、ロンは好き?よかったら飲んで」雰囲気を和ませるためなのか、単にそれが習慣だからなのか、元妻がラム酒のボトルを出してきた。ホセが受け取り、私たちに振る舞ってくれる。「まず、1杯目は大地のサント(サンテリアの神)に。 ・・・こうするのがキューバ流だ」といいながら、ホセは、アパートの床にラム酒を、大胆に垂らした。ホセ、ホセの元妻と現在の夫、ヨウコ、私の5人でロンを少しずつグラスに入れ、生のままちびちびやる。奇妙な光景。パパが身近にいない人、両親の離婚や死別で父親の存在を知らずに育った人というのには、何人も会ったことがある。一番身近なところでは、私の母親。3歳のときに、舞台役者だった父親が病気で急死した。顔は、まったく覚えていないという。「片親で育った子は、かたわになる、といわれて、 最初は結婚を反対されたのよ」といっていた。初めてつきあったボーイフレンドは、母子家庭で育った私生児だった。父親は在日台湾人だったそうだが、父の本名すら知らない、と言っていた。「おやじなんて、どーでもいい」からだそうだ。「おやじが、毎日家に帰ってくるなんて、うざったくないか?」と常々言っていた。大学のとき、音楽仲間だった男友達は、「ボクの父親は、桜の木で首をつって死んだ」と言っていた。その男友達は、大学で数学科を専攻したけれど、父親の自殺が心にひっかかっていたのか、精神科医になろうと思い立ち、大学を中退してしまった。その後、2年ぐらい引きこもりのような状態になり、結局、医師になる道はあきらめた。大学で、よく一緒にお弁当を食べていた女友達は、「父親はね、昔、病気で亡くなったの」と言っていたが、数年経って「実は、あれはウソ。うちの両親、離婚だったの。恥ずかしくて、離婚したって言えなかった」と、告白した。小さいとき、父の日やバレンタインデーが辛かった、と言っていた。父親を失ったせいで、傷ついている人がたくさんいた。こんな風に、あどけない娘が2人のパパに同時に囲まれている、あっけらかんとした光景を、私は生まれて初めて見た。昼間からラム酒を酌み交わし、たわいない談笑をかわす2人の父親。これがキューバの離婚家族の典型なのだろう。日系キューバ人の小野ルミ子も、父親を失って傷ついた一人だった。「私のパパ、今ごろ、どうしてるんだろう。何年も連絡を 待っているのに、手紙ひとつくれないのよ」私は、ルミ子の家で、アルバムをめくりながら、父親の話を聞くことになった。~つづく~
2004.07.28
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ホセの友だちヨウコは、ダンスレッスンをするためにキューバに来たわけではなかった。なのに、私とホセに同時に会うことになったせいで、いきなり、一緒に踊るはめになってしまった。フリーカメラマン兼ライターの彼女は、ラフなTシャツとジーパン姿、肩に本格的な一眼レフカメラをかけ、さっそうと、ホセの親父のアパートにやってきた。キューバの人々や音楽シーンなどを撮影するために、何度もこの国を訪れているという。カメラが好き、が出発点ではなく、キューバがものすごく好きだから身の回りの人々にこの国のおもしろさを伝えたくて写真を撮るようになり、やがてそれが仕事の一部になってしまった、という。目の前に、まず、どうしても記録しておきたいものがある。一番ふさわしい記録手段として、カメラを選んだ。私なんか、まったくその反対だ。たまたまカメラが手元にあるから、じゃあ写真でも撮ってみるか、旅に行くから、ついでに持っていってみるか、というていたらく。ばかすかシャッターを押しまくる割に、出来上がった写真の出来映えには、毎回、失望のため息をついている。私にとって、旅写真というものは、人に何かを伝える手段、というより、自分がこんな所に行った、と見せびらかして独りよがりに自慢をするためのツールでしかない。キューバで踊る人を見ると、カメラを構えて真剣にフレーミングを練るのが、アーチスト、ヨウコで、踊る人を見ると、カメラなんか忘れて一緒に踊りだしてしまうあほが、私だ。どっちがいいとか悪いとかじゃないけれど、凡人と生まれながらのアーチストでは、こうも発想や行動の出発点が違う、という見本。「なんでまた、ダンサーでもないホセに 習うことになっちゃったの? 彼、ちゃんと 教えられる?」ホセが目の前にいるにもかかわらず、日本語がわからないのをいいことに、はっきり聞いてくるヨウコ。しかも、今日は、ヨウコと初対面でいきなり、3人で踊る練習なんだけど、つきあってくれる?「いや・・・悪いんだけど、私は、 練習を見てるだけで十分だわ。ダンスなら プロに習いたいし、今まで日本でも何度か 習ったことあるから、別にいいの」 と、椅子に座ってカメラのキャップを取り、傍観者を決め込もうとしたヨウコを、ホセが、ねぇ、君も一緒に踊ろうよ、今日は3人で踊る練習がしたいんだよ、な、女2人同時に踊れる男なんて、日本にはめったにいないだろ、と半ば強引に誘う。ホセの右手にヨウコ、左手に私。3人同時に手をつなぐ。1人ずつ別々のタイミングで、くるりとターンをしたり、2人同時にターンをしたり、1人が男に近づいてステップを踏んでいる間、もう1人は、ちょっと離れて、男を軸に一周したり。ヨウコのステップには、ぶれがない。どんな合図が来ても、そつなく反応し、優雅にターンを決める。ホセは右利きだからか、どうしても右手につながったヨウコの方が、ターンが多くなる。いや、ヨウコの方がいい女で踊りがうまいから、自然とそうなるのか。「あれっ、3人で踊るのってどうやるんだっけ・・・ しばらくやってないから忘れちゃったぜ」視線が合わず、上の空のホセを見ると、まるで、自分だけがほったらかしにされているみたいで、つまらない。ヨウコに嫉妬? いや、まさか。もっとこっちもターンさせてよ、ほら、早く~、私も気持ちよくさせて・・・みたいなじれったい気分。まさにこれぞサルサの3P。端から見ると、男が女2人にはさまれて、おいしいことをしてるように映るが、実際はとんでもなく大変。女は、ひたすら男の手から出される合図通りに踊っていればいいのは、ペアの時と同じだが、男の方は、まるで千手観音のような複雑な腕さばきになる。3人だと、女の運動量は半分になるが、男は倍になる。1曲踊っただけで、すでにホセはぜいぜい肩で息をして、汗をかいていた。レッスンが終わったとき、ホセが疲れ切った顔で言った。「今日は、俺はいつもの2倍踊ったんだ。料金は 10ドルじゃ安すぎるな。1人ずつ10ドル もらいたいところだけどさ、 2人分合計で、15ドルにしてやるよ」ヨウコと私は、なんじゃこいつ、という表情で一瞬、目配せをした。次の瞬間には、何も言わずにお互いの財布をがさがさと漁り、2人で15ドル分のお札をみつくろって、テーブルの上に出した。汗だくの千手観音・ホセは、ぱっと笑顔になって、ありがたそうに、しわくちゃのお布施を受け取った。~つづく~
2004.07.23
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「男がどんな動きをしてるか、知っておくともっと カシーノ(ペアダンス)が楽しくなるぞ」ホセの説得は本当かどうかわからないけれど、翌日、私はサルサの男性パートを踊ることになった。どんなペアダンスでもそうだと思うが、男役は女役の何倍もむずかしい。基本を覚えるだけでものすごく時間がかかる。「でも、私、男役なんて踊らないから、覚える必要ないと 思うんだけどなぁ。むずかしいからできないよ・・・」「いや、覚えた方がいいって。 もし、マヤの女友達が、『サルサ踊れるようになりたいわ』 って言ったときに、君が男性役になれば、すぐ練習できるだろ」って、なるほどうなづけることを彼は言う。確かに、今まで何度か女の子に「サルサ教えて~」と言われたとき、ただ手をつないでひたすらステップを踏むだけで、全然先に進めなかったから。大男で角刈りのホセを女役にして、私が男役として彼をリードする。なんだか変な気分。キューバ男を女役に踊るなんて、そうめったにできる体験じゃないよな。ペアを組むと、左右逆に構えただけなのに、たちまちなんともいえない奇妙な感覚に襲われる。何てたとえればいいんだろう。右利きの人が、左手でお箸やハサミを握ったときのように自分がものすごく不器用になった感じ。日本車しか運転したことないのに、急に左ハンドルの外車のハンドルを握らされる違和感。左右逆で踊るというのは、日常を打破する小さな革命だった。音楽がいやおうなく流れ、ステップのノリは調子いいけれど、どのタイミングで、どっちの方向にターンの合図を出していいか、まったく検討がつかない。1,2,3、1,2,3 ハイ、あれっ失敗。1,2,3、1,2,3ハイ。あららら。ひぇ~。こんなはずでは、と焦り始める。長なわとびの順番が回ってきているのに、回転し続けるなわとびを眺めるだけで、なかなか中に入るタイミングがつかめない。わかっているのに、全然できなくて気持ちばかりが前のめりになる感じ。私が中途半端なタイミングで、ターンの指示をするたびに、ホセの長い腕が、空中でねじれる。「あのさー、もっと合図はハッキリ出さなくちゃ。 どっちに動いていいか、わからないよ。 男はね、迷いがあったらダメなんだ。失敗したからって 止まってもいけない。だって、止まっちゃったら 女の子がせっかく気持ちよく踊っているのに、 気分が萎えちゃうだろ。はい、もう一回最初から!」は~。これはかなり手強い。とんでもなくむずかしい。ホセは、どうだ、俺はこんなむずかしいこと、今までやってたんだぞ、と言わんばかりに、些細な失敗でも得意になって揚げ足を取る。確かに、今までいかに男性パートに頼って踊っていたのかが身にしみてわかった。今まで、サルサパーティーで踊ったとき、相手の男性がまごまごしていて、いまいち、リードがうまくなかったりすると、「あ~、この人はずれだわ~下手くそ・・・」なんて密かに思ったことがあったけど、とっても失礼なことだった。ターンの指示一つが、こんなにむずかしく、失敗すると、こんなにも気恥ずかしいものだとは、思わなかった。何事も、人の立場に立つということは大事。男性は、片方の手でターンの指示を出し、もう片方の手は、女性の腰にそっと置いて、さりげなく体重を支える。女性がくるっと回転するときは、動きがスムーズになるように、腰に当てた手を動かして、回転する方向に体を導いてあげなければならない。この両手の使い方が、とにかくむずかしかった。ダンスがうまい男性は、確かに両方の手のホールドが力強く、指示の動きがハッキリしていて、こっちが下手なのにたちまちスムーズに踊れてしまう。キューバ人と初めて東京で踊ったとき、なんで私でもすぐに踊れるようになったか、というと、このわかりやすく力強い手の動かし方のおかげだったのだ。手の動きにばかりとらわれていると、今度は、足の動きがおろそかになり、リズムが狂って、何度もホセの足を、思い切りふんずけてしまう。もうボロボロ。特訓しないで、自然にこれを身につけてるキューバ人男たちは、たいしたものだ。ひととおりのパターンを覚えたはいいけれど、常に頭で1,2,3,1,2,3とカウントしながら踊らなければならないのが苦痛でしょうがなかった。あ~、もうイヤだ。あたしは女に生まれて本当によかった。男って、ダンスするのもセックスするのも大変だ。次は何、次は何、と、繰り出すワザを瞬間で決断して、ノンストップで動き続けなければならない。苦労が多いわりに、見た目の動きはグッと控えめ、主役の女の子に、花を持たせてあげなくちゃならない。自ら気持ちよくなるより、相手をいかに気持ちよくさせるか、という裏方に徹したダンスができないと、男役は務まらない。私には絶対無理。「ま~、基本はできるようになったし、 それでいいんじゃない。日本に帰ったらちゃんと 友だちと試すんだぞ。誰に教わった? と聞かれたら、 俺から教わった、ってちゃんというんだぞ」私からレッスン代の10ドル札を受け取り、満足げに微笑むホセ。「じゃー、明日は3人でいっぺんに踊る練習するから。 今、俺の彼女の友だちのヨウコが、日本から来てるんだ。 男1人、女2人の3人で踊るスタイルがあるんだよ。 女1人、男2人、っていうのはないんだけどね。 それを練習した後は、 ヨウコと君がペアになって踊る。今日の男役の練習の成果を 彼女に見てもらおう」ホセ先生、「男女逆転」の次は、「3P」ですか・・・。~つづく~
2004.07.16
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「例えばね、こういうターン。 男からこういうメッセージを 伝えられたとき、女はどうするか、なんだ」 たちまちホセが器用に手を動かして私を回転させる。くるっと180度後ろを向けられた。その瞬間、ホセが私の肩越しに腕をしゅっと伸ばしてくる。距離を取ってるけれど、もう少しで手が胸に触れそう。私は、その腕を振り払うかのように、ホセの手を握って、またくるりと180度ターンし、元の向かい合わせに戻る。このターン、一度どこかで習ったことがあるけど、何か意味があるのかな?私には、特に深い何かがあるとは思えないんだけど。「そう、この腕を払う瞬間に、君は 相手の男に自分の気持ちを伝えるんだ。 Si(イエス)なのか、 No(ノー)なのか」「えっ、Siか Noか、って・・・・」「相手とつきあっていいか、ダメなのか、 もっと簡単にいうと好きか嫌いか。そーいうこと」「・・・えっ、そんなことするの? ど、どうやって?」「腕を思い切り強く、冷たく振り払えばNoっていう意味だし、 そーっと優しく払えば、Siの意味になるじゃん。 『いやよ、触っちゃ~。でもいいわよ』っていう、 Siを含んだNoもあるだろうし、 『やめてよ、なにすんのよ。バカ!』っていう、 完璧なNoもあるよね。 ・・・ま、とにかく、気持ちを思い浮かべながら踊れば、 自然と、そういう動きになるはずだよ」「へえ・・・おもしろいね~、キューバ人は みんなそんなことしてるの?」「当たり前だろ。キューバ人ならみんなやってる。 じゃあ、まず最初はSiの練習からやってみっか」「・・・うん。できるかなぁ~」ホセがデッキの再生ボタンを押す。サルサが流れ出す。ホセと私は、すました顔をして、出だしは静かなステップから踊り始める。どの瞬間に、ホセが例の180度くるり胸さわりターンのワザを出してくるかわからないので、内心、冷や冷やしながら踊る。ホセが、何度目かのターンをかけてくる。私の肩の上にしゅっと右腕を伸ばしてきた。よし来た。私は、一呼吸おいて、彼の手を肩越しに握り、元の向きにくるりと振り返る。「あ~、そうじゃない。もっと優しくしないと。 それじゃ、Noの意味に取られちゃうぞ」「もっと優しく」をスペイン語ではmas suave(マス・スアーベ)とか、suavecito(スアベシート)という。彼の口から何度、この言葉を聞いたことか。「・・・Mas suaveねぇ。じゃあ、こんな感じ?」「あっ、そうそう、そんな感じ! もう一回やってみて。 ・・・・それそれ、できたじゃん! じゃあ、次は、Noの返事をしてみてごらん」今度は、やや強めに彼の腕を振り払って、ターンする。「う~ん、さっきのSiとの区別が付いてないなぁ。 今のだと、どっちだか、返事を迷ってる感じだな。 もっとはっきりNoっていわないと。もう一回!」 Siの次は、No、その次はSi、また再びNoと、交代に練習しているうちにだんだん、どっちを練習しているのかわからなくなり、2人とも「あれ? 今のどっちだっけ?」と混乱してきた。サルサでは、後ろ向きにターンしたときに、女性が、男性の膝の上に、ちょこんと腰掛けるワザもある。もちろん、座っているのは、ほんの1拍分、時間にすると0コンマ何秒レベルの一瞬なのだが、このワザの時も、膝の上にどのぐらい座っているかで、Siと、Noの区別がつけられるという。こっちがその気がない相手なら、女性はさっさと男性の膝から離れるべし。好きな相手なら、ほんの少し長く座って好意をアピールすればいいんだよ、と、ホセがいう。次に、腰を大きくグラインドさせる、「デスペローテ」の練習。男女ペアでやるときは、いろんな方法があるけれど、一番盛り上がってきたときは、女性が男性の前に、同じ方向を向いて腰をかがめて立ち、2人の股間をくっつけるようにして、腰をぐりぐり擦りつけあって回転させる。日本人的には、この動きだけですでに男女がやってる最中としか思えない卑猥な振りなのだが、微妙に男性から距離を置いてぐりぐりさせれば、Noの意味になる。恋人同士で常にSiの熱い関係なら、本物のセックスをするように股間を擦りつけあってぐりぐり。あ~、公衆の前で、こんなやばい動きをするなんて。暑い国の人はやることが大胆すぎる。そっか、サルサは、セックスの代償行為なのか。腰ぐりぐりで、私はすでにかなりの体力を消耗してしまった。エッチな気分どころか、すっかりばててしまい、意識がもうろうとしてきた。疲れた~。ホセは、汗こそかいているけれど、全然疲れた様子がなくまだ踊り足りないとでもいいたげな、余裕の表情をしている。SiとNoの区別なんていう微妙なテクニック、猛練習したはいいけれど、はたして、これを本番で発揮するチャンスは私に訪れるのだろうか?デスペローテに至っては、キューバ人のスタミナについていける自信なし。「・・・じゃあ今日はこれで終わり。 明日は、マヤに男性パートの振りを教えるから。 男のパートが何しているかわかると、 もっとペアダンスが楽しめるようになるんだ」ひぇ~、男女のかけひきのあとは、男女逆転ですか。翌日も、ホセとの珍妙なレッスンが展開した。~つづく~
2004.07.15
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窓を開け放したにもかかわらず、蒸し暑いアパートの部屋。音楽が流れはじめてからのホセは、真剣だった。「マヤ、音楽からクラーベ(鍵)のリズムが聴こえるか? キューバ音楽はこのクラーベが、 すべて核になっているんだ。 どんな曲でもどんなときでも、クラーベが絶え間なく流れている。 まずは、クラーベのリズムと、ベースの低音を 体にしみつけるんだ」カンカンする甲高い乾いた音を出す、拍子木のクラベスは、スペイン語で「鍵」という意味だ。このクラベスのシンコペーションにぴったり結合するように、全ての楽器が音を奏でる。体を動かす前にまず、クラベスの歯切れよいアクセントを頭に刻み、次に、うねるようなベースの低音に慎重に耳を澄ます。クラベス、ベース、コンガ、ボンゴ、マラカス・・・・渾然一体としていたリズムの塊が、だんだん粒がひとつひとつ分離して耳に入ってくる。最初は、両足を小刻みに踏みしめ、徐々に腰も振り動かして、足と腰を連動させる。歩くような自然さで、でもひざをややかがめ、常に腰を低く。私の足のリズムを確認したホセがオーケーと、うなづき、いったんテープを止める。入門試験にパス。次に2人で寄り添い、両腕を上げて、がっちりペアを組む。「マヤ、ペアで踊るときは、まずは男の動きにすべてを預けろ。 女は男を信じることが必要なんだ」背の高いホセと私がペアを組むと、大人に子供がぶら下がっているみたいな、まぬけな体勢になってしまう。スポーツ選手のように筋肉質でのっぽのホセにしがみつくと、まるで大木に止まる蝉のような気分。目の前には、広々と広がるホセの胸。あたしこんなところで何やってるんだ。つい2日前に会ったばかりの男にしがみついて必死こいて、誰もいない部屋で踊るなんて。しかし、彼の顔は、こっちが吹き出しそうなぐらい真剣そのものだった。ホセが再びデッキの再生ボタンを押す。サルサが勢いよく流れ出す。男性を信じる、という感覚が、よくわからず、私は、日本で習ってきたステップのまま、自分から進んで得意げに踊ってしまいそうになる。「あ~、ちがうってば。そうじゃない。俺を信じて 体を預けるんだ。もっとしっかり手を握って 体重を思い切りかける。大丈夫。重くないから。 もっともっとぐーっと体重をかけて。 そうすると、相手がどんな動きをするか、手から伝わってくるんだ」。 音楽が始まったからといって、自分から動いちゃいけない。まずは、相手の動きをよく感じてから、そのリズムに合わせて動き出す。「このタイミングが大事」と、ホセは強調した。う~ん、難しいんだってば、それが。初心者向けのダンスレッスンに通っていたせいか、男性パートが何かワザをかけようと手を動かすと、こっちは、気を利かすつもりで、要領よく移動しようとしたり、ターンしたりしてしまう。それがすっかり癖になっていた。そのたびに、ホセは「ちがう、ちがう」と、半ばあきれた顔をして、すぐに動きを止める。「あのな~、いいか、 キューバ人にとってダンスはコミュニケーションなんだ。 そう、会話と同じさ。会話するときは 相手がどんなことをしゃべるかまず聞いてから、 返事するだろ。ダンスも同じなんだよ。相手がしゃべってないのに 勝手に一人でしゃべってたら、すごく変だろ」キューバ人にとってダンスは会話だ。なるほど。文法や発音をひととおり知っていても、会話のキャッチボールの仕方にセンスがないんじゃ、ステキな出逢いにめぐりあえない。その会話の仕方をホセは、身を持って教えてくれようとしている。彼に言われたとおり、意図的にぐっと体重をかけて、ペアを組む。男性に身を任せる、という心の感覚までは習得できないけど、体重をかけるコツはなんとなく覚えた。相手に体重をかけると、自分の足が軽く動くことがわかった。テンポが速くなってくると、まるで自分が宙に浮いた振り子みたいになってくる。あれ、ふわふわして何だか気持ちがいい。サルサは、曲の途中で、ボリュームやスピードがコロコロ変わる。そういう場合、ステップをどう変えるのか、男のリードの合図にどう反応すればいいのかを繰り返し練習する。相手の手の返し方を感じ取り、次のステップがどうなるかを正確に読み取る練習をする。私が彼のリードを読み間違えたり、ターンのタイミングが合わなかったりすると、「ちがうちがう、どうした? そうじゃないぞ」と、元のポジションに戻ってしつこくやり直し。顔から汗がぼたぼた落ちてくる。ホセもシャツの背中にびっしょり、汗のシミが広がっている。1,2,3,1,2,3と、カウントする声も、息が上がって、とぎれがちになり、体育会系、競技ダンスの世界にあと一歩、というところで、10分間休憩にする。ペットボトルのミネラルウォーターが一気になくなる。ふーっ、鏡で自分の顔を見たら、すでにほてって真っ赤になっている。きつい。「よし、これで、ペアの基本ステップはだいたいわかったな。 じゃあ、次は男と女のかけひきを練習する。 キューバの男と女は、言葉を交わさずに、ダンスで 微妙なやりとりをするんだ。 デスペローテだって、単なる友だち同士で やるときと、恋人同士でやるときとでちゃんと 違いをつけないと、相手に誤解されるぞ。 ・・・な、そんなこと教えるヤツ、他にいないだろ」男女のやりとり? そういうもんなのか。キューバの男女は、ダンスを通じて、言葉を使わずに心を交錯させるんだ。休憩後は、デスペローテの動きも含め、ちょっと危険なレッスンに突入した。~つづく~
2004.07.12
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初めてのキューバ旅行の時に話を戻そう。ひょんなことから、知り合いのキューバ人の彼氏、ベーシストのホセに、1時間半10ドルで、ダンスのプライベートレッスンを受けることになってしまった私。「よし、じゃあ練習は、明日の午後からやろう。 その前にお昼御飯を食べに来なよ」翌日のお昼、ホセのうちにいくと、カルメリーナおばちゃんが、さっそく出迎えてくれた。夜、ホセを訪ねて行ったときに、頭一面にカーラーを巻き付けてパジャマ姿だった、おしゃべりおばちゃんだ。今日は、ちゃんと青いワンピースを着て、くりくりにウェーブがかかってばっちり決まった髪型で小さな台所を動き回っている。彼女は、最初は、ホセのおばあちゃんなのかと思っていたが、実は、叔母さんで、事実上、育ての母親だとのことだった。ホントの母親は、詳しくは知らないが、すでに離婚して今はメキシコに住んでいるという。キューバでは、犬も歩けば離婚経験者に会うというが、まさにそのとおりだった。ホセも私と同年代だが、すでに1度離婚していて、近所に元妻と娘が、新しい夫と共に暮らしているという。「食い終わったら、俺の親父のアパートでレッスンするから。 親父は、そこで奥さんと暮らしてるんだ」えっ? 親父の奥さん、というのは、つまり義理の母親じゃないのか。しかし、ホセはそこで、su mujer (彼の奥さん)という言葉を、ごく普通に使った。「俺の親父の奥さん」・・・なんてまどろっこしい表現だ。あ~もう、誰が家族で誰が家族じゃないのか、わからなくなってきた。いや、離婚しても再婚しても、みんな家族であることには変わりないのか。キューバ人の家族観は、日本人とはかなり違うんだろう。「ところでマヤ、いま、食事はどうしてるんだ?」カルメリーナおばちゃんの作ってくれた豚肉のスペアリブをかぶりつきながら、もごもご答える。「えっ、あ~、今泊まってる民宿だとね、 朝食は1回2ドル、夕飯は1日5ドルっていわれてるんだけど。 でもまだ1度も食事は頼んだことないよ」「な、なんだって? そんな高い金を取るのか!信じられない。 そこの民宿は1泊いくらするんだ?」「一晩、25ドル」「25ドル! お~、なんてこった。高すぎるっ!」手で顔を覆い、絶望的な表情で嘆くホセ。そうかなぁ、日本人としては破格の安さで、キューバ基準でも、そんなに高くないと思ったんだけどな。あまりの深刻な反応の大きさに、うろたえる私。値段を教えたのはまずかったか。キューバ人の結婚観は、あまりにユルユルで超いい加減だが、こと生活にまつわるお値段となると、とたんに、ビシビシ厳しくなる。「・・・こうするのは、どうだい、マヤ。 うちでメシ1食を2ドル50セントで食べさせてやる。 昼でも夜でも同じ値段にする。 その家では、昼メシは出ないんだろ。 それに晩メシは5ドルもするんだろ。 俺は、おまえをこれからいっぱい助けてやる。 その代わり、おまえもカルメリーナを、少しでいいから 助けてやってほしいんだ」カルメリーナは、ホセと私の顔をちらちら様子見しながら、テーブルの上で、黙々とスペアリブをかじっている。あたしゃ、どっちでもいいんだよ、別に、と言いたげな素知らぬそぶり。ホセはマメで、お人好しでいいヤツなんだけど、どうもこの現金収入に対する抜け目のなさがたまにキズだ。ちゃんと相手の値段を事前に聞いて、それよりちょっと値引きした商品を宣伝する。商魂のたくましさにホレボレする。ひょっとするとミュージシャンより、商売人の方が向いているんじゃないか。「う、うん。い、いいよー。1回2ドル50ね。 じゃあ、今食べているご飯から、ちゃんと払うよ」「いや、金は、次回の食事からでいいよ」とさすがにホセは断った。昼食後、ホセと私は、同じセントロ地区にあるホセの親父のアパートへ歩いていく。キューバの家の入り口には、たいてい、隣近所の友だちどうしが暇そうにたむろして、おしゃべりに花を咲かせている。カセットデッキをかついだホセは、道すがら、何人もの知り合いに声をかけられる。そのたびに、彼は何人もの誰かに向かって手を振り、でかい声を上げて近況報告をする。街ゆく人のほとんどが、知り合いのような顔の広さだ。親父さんが留守中の殺風景なアパートに上がり込み、窓を全開にして風を通す。デッキをセットしてサルサを大ボリュームで鳴らす。騒音を迷惑がる隣人は、この国にはあまりいない。ホセと私は少し距離を置いて向き合い、まず、腰を低くかまえて、リズムを体全体で感じ取るレッスンから始めた。大して動いてもいないのに、たちまち顔から汗が噴き出してくる。私にとっては、10ドル以上の価値のある、内容の濃い特訓だった。~つづく~
2004.07.07
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ダンスフロアの出逢いというのは、おもしろい。最初は、なんの脈絡もなく雑多な人間たちがフロアに集まる。同じ音楽のリズムに乗って踊ってはいるけれど、動きは勝手気まま、歩く方向も見てる方向もテンでバラバラ、そのうちに、何度か視線が合い、肩や足がぶつかり合い、あらごめんなさい、へぇ、あなた踊りが上手じゃん、ちょっと教えてよ、あのボーカル、うまいね~、何ていう曲かな、なんてたわいもない話をしているうちに、なんとなく顔を覚え、ふと気づくと、お客どうしで、すっかり仲良くなっている。そんな風に脈絡もなく顔見知りになった客どうしが、また別の日に、ダンスフロアで再会し、やがて旧友のようにテーブルで酒を酌み交わすようになる。いつ、誰と会ったか、どんな風に踊ったかなんてどうでもいいことだから、細かいことは覚えていない。けれど、あの1度きりの夏のパーティーのことは、今でも鮮明に覚えている。キューバ・ハバナのカフェ・カンタンテというサルサディスコ。その日は確か「革命殉教者の日」とかいう記念日だった。街のホテルやディスコに今夜のイベントを尋ねると、「今日は、喪に服す日なのでイベントはありません」と言われて、びっくりした。喪に服す、なんてスペイン語でいきなりいわれても意味が分からずホテルのフロント係に、辞書を手渡して、単語を指さしてもらったぐらいだ。とにかく、その夜は、そんな理由で、カフェ・カンタンテでしか、まともなライブがなかった。私と、私の彼氏タカ、高校時代の先輩でドラマーのコージ、日系キューバ人のルミ子、踊りが下手なふとっちょメガネのロランド、のっぽのベーシストホセ、ホセの日本人の彼女ミキが集まった。申し合わせたわけではなかったけど、日本人の私たちはたまたま同じ時期にハバナで夏休みを過ごしていた。目の前のテーブルで、そろって缶ビールを飲む彼らを見ていると、なんだか六本木のサルサディスコにいるような錯覚がした。いつも強烈な腰振りで周りの注目を浴びる、サルサ女王トモちゃんも、テーブルでコーラを飲んでいた。トモちゃんも、偶然、私たちと同じ時期に、ダンスパートナーとキューバに来ていた。彼女のダンスパートナーは、キューバ人並みに踊りがうまい日本人の男チコ。チコとトモちゃんがペアを組むと、何だかかわいい少年と少女が無邪気に踊っているように見える。しかし、キューバ人もビックリの軽やかなステップさばきと絶妙なリズム感。ターンを決めるたびに、キューバ人たちから拍手や口笛を浴びていた。トモちゃんは、大胆に背中の開いたノースリーブの黒いワンピースを着ていた。「この服どうよ? セクシーやろ。 こんなにうまく着こなせる女、そうおらん」切れ長の目尻に力を込め、関西弁で自画自賛のトモちゃん。どんな時でも予測不能な言動を取る、魔女のようなヤツだった。酒がまったく飲めないらしいから、酔っぱらってるわけではない。私のような凡人には解読不能な、複雑な思考回路とおそるべき才能を持った魔女だった。昼間は、イラストレーターや切り絵師や、ライターを生業とし、守備範囲は、音楽雑誌や女性誌からSM専門誌まで。スペイン語を駆使して、キューバ人ミュージシャンの取材もしていた。出会い系サイトで、大量の書き込みをするサクラのバイトもやっていたことがある。「どう? マヤちゃんも一緒にサクラ、やってみない? これ、結構、官能小説書く練習になるんよ~」冗談かと思っていたら、本当に有名文芸誌に小説を発表してしまった。官能SM小説ではなかったようだけど。とにかく、無類の音楽好きで、バンドでアコーディオンを弾くかと思えば、インドの太鼓タブラにハマっていたり。そして夜は、キューバ音楽のリズムでセクシーに腰をくねらす、サルサクイーンに豹変。あまりにダンスがうますぎて、キューバ大使館主催のサルサコンテストで優勝。賞品の招待旅行でパートナーの彼とキューバへやってきた。彼女はまるで、ブレーキの壊れたスポーツカー。ダンスフロアで暴走しだしたら、もう誰にも止められない。ついさっきまで、パートナーのチコと抱き合って情熱的に踊っていたと思っていたら、いつの間にか彼から離れ、何かがしゃくに障ったのか、ぶんむくれてフロアから引き下がってきた。コーラの缶をテーブルに打ち付けて、私の耳元でわめく。「も~、いややっ! あの男、あったまに来た! ええわ。マヤちゃん、あたしと一緒に踊ろ~」何があったのか、よくわからなかったけど私は、トモちゃんに、半ば強引にフロアに引っぱり出され、やけくそ気味に女どうしのペアで踊った。トモちゃんは男役だって、セクシーにかっこよく踊れる。知らない男の人と踊るより、よっぽど照れくさい。チコは、日系キューバ人ルミ子といっしょに踊っている。「彼の踊りすご~い。キューバ人みたい! このままずっと踊っていたいわ」ルミ子は、チコのリードのうまさにウットリしていた。ハデな柄シャツを来たホセは、テーブルでもフロアでも、ミキとべったり寄り添ってラブラブ。あれよあれよという間に、トモちゃんは私の手を離れ、今度は、見知らぬ黒人キューバ人と踊ったり、ドラマーのコージ先輩の手を引っ張って誘ったり、目まぐるしくパートナーを変えていく。トモちゃんから切り離されてさびしくなった私は、ダンスが苦手でテーブルの花になっていた彼氏のタカやロランドの手を、かわるがわる引っ張って踊る。「・・・あ~どうしよう。俺、さっきトモちゃんに キスされちゃったよ~!」ドラマーコージは、突然の魔法に、どぎまぎしていた。おお、トモちゃん、今日も暴走してるな。ふと気づくと、トモちゃんは、一人でライブの舞台へフラフラと上がっていってしまった。「バンボレオ」の坊主頭の女性ボーカルに寄り添って、スタンドマイクにつかまり、半ば狂ったように腰を回転させている。デスペローテの嵐。バンドの男たちや、フロアの客に向かって扇情的な視線と微笑みを投げかける。すでに眼がうつろで、やばい。お~い、ここは東京じゃないんだぞ~。キューバ人の男が、トモちゃんを指差して、笑っている。「ほら、あのチーナ(東洋人)を見て。 なんてロカ(クレイジー)なんだ!」キューバ人に「ロカ」と笑われるなんて、さすがトモちゃん、あっぱれな才能である。こんなに大胆にはしゃいだトモちゃんは久しぶりに見るな、と愉快になって、私はステージに近づき、カメラのシャッターを何度か切る。私が撮った、最初で最後の彼女の写真だった。あの夏のパーティから、数年が経った。ブレーキが壊れたスポーツカーは、突然闇の中でエンジンストップし、部品がバラバラに壊れてしまった。人生という名のフロアで爆走し続けたトモちゃんは、去年の7月、あっけなくあの世へ行ってしまった。今まで、チコやコージ先輩や、私と手をつないで、夢中で踊っていたと思ったのに、いつの間にか、彼女だけ一人で離れていき天国の舞台に上がっていってしまった。ちょうど去年の7月、キューバの歴史本を読んでいたころ、私の携帯にトモちゃんの妹から「姉が亡くなりました」と、悲しい知らせが入った。亡くなった日の夜は、友だちとダンスレッスンに行く約束をしていたという。最後のフロアを踏むことなく、彼女は自分の部屋で一人でこの世を去った。過労で無理がたたったという。あんなにタフで、パワフルだったトモちゃんが? まさか。・・・棺桶の中で眠るトモちゃんの顔は、いつもの不敵な魔性は消え、幼い美少女のようだった。トモちゃんに最後の別れを告げたとき、痛いほど思った。<もう、あなたと、一緒に踊ることはできないんだね。 あのハバナの夏の夜は、もう2度とやって来ない。 同じメンバーで、同じフロアでダンスを踊ることは、 絶対ないんだね>出逢いは、いつだって2度と繰り返されることのない、一瞬の光なんだ。無我夢中で踊っている最中は、誰もその光には気づかない。相手や自分が、「生きている」なんてことも気づかない。誰かを永遠に失って初めて、刹那の輝きをいとおしむ。トモちゃんは、サルサの殉教者として私の記憶の中で、いつまでも狂おしく踊り続けている。~つづく~
2004.07.03
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「よ~君たちは、日本人か?」こんな暗がりの人混みでも、やっぱり聞かれるこのセリフ。銀縁メガネをかけた、のっぽの黒人が声をかけてきた。日系キューバ人のルミ子と私が2人一緒に並んでいると、どんなキューバ人でも、日本から来た旅行客2人組と見間違うみたいだ。「いいえ、私はキューバ人よ。彼女は日本人だけど」いつものことなのか、すました顔で答えるルミ子。「俺は、ミュージシャンなんだけど、音楽の仕事で トキオ(東京)に行ったことがあるんだ。 えーっと、どこだっけな、 何とかいう立派なホテルで演奏したんだよなぁ。えーっと えーっと、チンザノとかいう所」「チンザノ? チンザノロッソ? チンザノ・・・チンザノ・・・ウ~ン、知らないなぁ」「すげ~、有名なとこなはずだよ。チンザノは」・・・チンンザノ・・・チンザノ・・・あ、チンザンソウ?目白の椿山荘じゃないすか、もしかして?「そーそー、そいつだ。チンザンソウ! わりぃわりぃ、全然違った。 それと、おまえさん、作家の村上龍は知ってるか? 俺はあいつとも友だちなんだよ。彼はキューバ音楽の 事務所をこっちに持ってるんだ。おまえも村上の友だちか?」・・・って、私が、そんな有名作家と友だちなわけないでしょ。キューバのミュージシャンの間では、ムラカミの名がよく知れ渡っているようだった。『コインロッカー・ベイビーズ』や『トパーズ』や『KYOKO』の作家としてというよりはキューバ音楽の愛好家として。また、日本にキューバのミュージシャンを招聘しライブを企画する、お金持ちの興業主として。村上氏のレーベルから出ているNGラバンダのアルバムでは、「ムラカミ・マンボ」という曲も捧げられているぐらいだ。そのメガネの椿山荘ミュージシャンとべちゃくちゃしゃべってたおかげで、私たち4人は、関係者のような顔をして、すんなり入場制限のロープの中に入り込むことができた。その頃には、ちょうど、チャランガ・アバネーラが派手なティンバの曲を演奏していた。ステージが遠くて顔はハッキリ見えないが、野球帽のようなキャップをかぶった男たちが、フロントにずらりと並んで、気が狂ったように踊りまくっているのが見える。こんなところで本物が見られるとは。曲のクライマックスになると、でこぼこの芝生の上で、歓声を上げて腰を振る若者たち。バンドは2、3曲ほど演奏すると、すぐにひっこみ、たちまち次のバンドに交代する。まるで年末の紅白歌合戦のような目まぐるしい展開だった。ステージに新しいバンドが登場するたび、ホセとロランドが指さし、あれは○×、と、耳元で名前を教えてくれる。ロヒータ・イ・ス・ソンカラチアダルベルト・イ・ス・ソンNGラバンダイサック・デルガードエル・メディコ・デ・ラ・サルサバンド名は全然チェックしなかったけれど、英語のロックやカントリーのバンドもあった。踊れない曲になると、たちまち群衆は地べたの上に直に座り込み、退屈そうにひざをかかえて惚けている。野外ライブで、ロックに反応しない聴衆というのを初めてみた。ロランドもホセもルミ子も、ロックになるとサッカーのハーフタイムのように、地べたに座ってのんびり休憩を取るので、私も真似をして体育座りをした。星空の下、冷たいビールでも飲みたいけど、ここにはそんなモノは売ってない。ここはサッカースタジアムじゃなくて、革命広場だからな。そして、サルサになるとまたみんな、ぞわぞわ立ち上がり、はじけるように腰を振り出す。贔屓のサッカーチームが得点したときに一斉に飛び上がって踊るサポーター集団と同じだ。ロックのバンドから、イラケレだかユムリ・イ・スス・エルマノスだか忘れたが、ダンス音楽のバンドに切り替わったときだった。まだあどけない顔をした、白人の若い男の子2人がさっと近づいてきた。痩せてるインテリ風の彼が、ルミ子に手をさしのべ、私の方には、太ったお笑い系の男の子が、「カシーノは踊れる?」と言いながら、抱きついてきた。しばらくペアでくるくるターンしながら踊る。彼ら2人のうち一人のやせっぽちのインテリ風が、曲の最中に、何かを叫んで合図を出す。すると、くるりと身を翻して、男2人が突然メンバーチェンジをする。あっ、やせっぽち君が目の前に来たな、と思ったら、また彼が合図の声を出し、メンバーチェンジ。また目の前はふとっちょ君。曲の間、やせっぽち、ふとっちょ、やせっぽち、ふとっちょ、と頻繁に相手が変わる。チェンジするときに、彼らは手を叩いたり、回転したり、女の方の頭をなでたり、必ずおそろいの振り付けをする。こ、こ、これは何だ~?おもしろいぞ、この振り付けは。シンクロナイズド・サルサ・ダンス?振り回されてひぃひぃ言ってる私を見て、ロランドとホセがへらへら笑っている。これが初めて体験した、ルエダ・デ・カシーノ(車輪のペアダンス)だったのだが、最初は、何が何だかわけがわからなかった。ルエダは、大勢で輪になってやる踊りだと思っていたが、キューバ人は、たった4人でも踊ってしまう。しかもこんなでこぼこの、土と雑草だらけのしょぼい芝生の上で。引き続き、オルケスタ・レベパウリート・イ・ス・ソンと、ステージは盛り上がり、おおとりは、やっぱり大物ロス・バンバンが登場。が、最後の方はずっと踊っていたので、バンドを見ていた記憶がない。きら星のごとく光輝く、20バンドほどがバリバリ爆音かきならして生出演、観客の腰の振りも歌声も絶頂を迎えたのち、ステージの照明は暗くなった。ふと腕時計を見ると、もう夜の12時半。盆踊りの帰りは、たいてい下駄を履いた足の指が痛くなって、歩けなくなるもんだ。ラテンの盆踊り帰りも、足腰がとてつもなくだるい。汗まみれになったTシャツを夜風にさらし、酔っぱらいのように、ふらついて帰った。~つづく~
2004.07.02
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今夜は、革命広場で大々的な、無料コンサートがある。その情報は街中に広まっていた。日本語クラスの生徒たちが教えてくれた情報は本当だった。キューバのとっても不思議なところ。それは、ぴあのような雑誌もインターネットも発達してないのに、誰もがコンサート情報を事細かに知っていること。キューバ社会の強力なメディア、それは口コミ。はやりの音楽やダンスの情報はもちろんのこと、日々の死活問題である配給品の最新動向、惚れた別れたの男女の恋物語、ミュージシャンのバンド移籍話も飛び出す。(キューバ人ミュージシャンは、 本当にしょっちゅうバンドの結成と解散を繰り返し、 移籍もしょっちゅうらしい)あとは、カストロ政権の悪口、アメリカの経済封鎖へのはち切れるような不満、テレビドラマ「おしん」の詳しいあらすじ、とにかく、オールジャンルてんこ盛りの、巨大かつ伝達迅速なメディア。それがキューバの口コミ。「集団伝言ゲーム」のスピードと正確さを競うオリンピックをやったら、日本人はキューバ人に負けると思う。黒人のふとっちょメガネのロランドが、革命広場のコンサートに誘ってくれた。あの大使館員F氏宅のパーティーで、NGラバンダの歌を一緒に叫んだ、お笑い系の男。彼とは、酒を飲んで片言でバカ話をしているうちになぜか意気投合してしまった。ならばみんなも一緒に行こう、ということで男女4人でホテルカプリの前で待ち合わせをした。日本人よりも日本人らしいルミ子、キューバに来たばかりで右も左もわからないのに踊る意欲だけは満々の日本人の私、お笑い系で怪しい日本語をしゃべる、踊り下手なメガネ男ロランド、背高のっぽでハンサム、ちょっと強引で図々しいベーシスト、ホセ、という珍妙な組み合わせ。4人を結びつける共通点は・・・・「日本」というキーワードである。通りかかるタクシーはどれも満車。暮れなずむ道を、30分ぐらいかけてとぼとぼ歩いていく。人の群れが一斉に、ゾロゾロ革命広場の方角へ向かっている。さながら、隅田川花火大会のような、集団そぞろ歩き。歩くのにうんざりした頃、煌々と光る野外ステージから聞こえてきたのは、盆踊りの音頭と和太鼓、ではもちろんなく、金切り声でまくし立てる、女の司会の声だった。「新年を間近に控え、共産党青年部がお送りする、 大スペクタクル・・・・キューバ革命○周年記念を祝い、 我が国が誇る、偉大なスターたちが今夜、ここに集います」ステージ脇には、共産党のスローガンがカラフルに書かれた巨大な壁が立っている。会場の周りはロープで入場制限がされ、すでに満員なのか係員が、なかなか中に入れてくれない。ボーっと立っていると、自転車で芝生につっこんでくる黒人の兄ちゃんがいる。「ほら、あれがNGラバンダのホセ・ルイス・コルテスだよ」ロランドが指を差して教えてくれて唖然とする。えっ、超有名ミュージシャンが、じ、自転車で現場入り?ベンツとか、外車に乗って来るんじゃないの?「マヤ、この男はイラケレのメンバーだよ。こっちの彼は オルケスタ・レベのボーカリストだ・・・ この人は、NGのピアニスト」ホセは、自分の知り合いのミュージシャンと、すれ違うたびに次々に私に紹介してくれる。いったい何バンド出演するんだろう。人混みにもまれる中で彼らミュージシャンと握手をしても、名前と顔が全然覚えられない。しかもあたりは盆踊り並みの暗がりなので、顔がハッキリ見えない。カメラで記念撮影できないのが、これほど悔しい時はなかった。ステージから離れた芝生の上で、しばらくしゃべくって時間をつぶしていたミュージシャンたちは、いつの間にか姿を消し、ステージの準備に入ったようだった。その後、夢のような野外ライブが展開した。~つづく~
2004.06.29
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遠いカリブの島国に上陸したつもりが、狭い世間をグルグル散歩していただけのような錯覚。翌日の昼間、私はミュージシャンのホセの家に一人で出直した。ホテルの演奏の仕事で、昨夜の帰宅が遅かったのか、ホセは寝ぼけまなこで部屋から出てきた。バスケットボールの選手か何かのように、ぬお~っと背の高い大男だった。バンドではウッドベースを弾いているという。なるほど、彼自身がまるでウッドベースみたいな感じ。「おー、君は俺の彼女ミキの知り合いなのか。 なんという偶然なんだ。俺は、去年、日本に公演の仕事で 行ったときに、たまたま彼女と知り合った。 そのころ、あいつが別のキューバ人とつきあってたことは 知ってる。その男は俺の知り合いだから。 でも、やつらはその後で別れたんだ」えっ、そんな狭いところで、ミキは新しい彼氏を作っちゃったんだ?「その後も何度か彼女がキューバに来て、 俺とつきあうようになったのさ。あーでも、 今月は彼女に会えなくて寂しい。ミキは元気なのか?」って、同じ街での男女の恋の物語みたいに簡単にいうなよ。日本とキューバ、って飛行機で何時間もかかるんだぞ。と思いつつ、頭の中では「どこでもドア」でつながった同じ街なので、あたかもご近所の恋物語のように、普通に話を進める。うん、彼女はとっても元気だと思うよ。あいにく最近、私も会ってないけどね。で、あなた、来日公演したっていうけど、それって去年の何月ごろ? 何て言うバンド? あなたたちのバンド聴いてみたいなぁ。なんて、世間話をしているときに、また偶然に出くわす。「日本に行ったのは、去年の秋。ボレロ歌手で有名な エレーナ・ブルケと一緒にあちこちを回ったツアーでさぁ。 毎日のように移動、移動で、体きつかったよ」「・・・エレーナ・ブルケ? えっじゃあ、私そのライブ 東京で見た! あ~っ、あの時一緒に出てたソンのバンド! 覚えてる~っ! ごめん、でもステージが遠くて あなたの顔、覚えてなかった!」そう、そのライブは、エルネストと2人で、聴きに行ったんだった。まだ彼と別れる前だったな。ゆうちょのホールだか厚生年金会館だか、結構渋めの会場で、ボレロの女王エレーナ・ブルケがメインゲストとあって、客層もかなり渋めだった。2人で「今日のお客さん、いつものサルサと違って、おじさん・おばさんばっかだね~」と、会場でささやきあったんだ。ますます私の世間は狭くなり、散歩する街並みは見慣れた景色で埋めつくされていく・・・。「ところで、ホセ、相談があるの。 ダンスレッスンできる知り合いはいない? ビギナーだけど、基本からプロの人に習いたいんだ」「いくらぐらいで考えてる?」「1時間で10ドルぐらいかな? もっとするなら ちゃんと払うよ、もちろん」・・・ホセは、しばらく黙り、そして何かを思いついたように言った。「・・・マヤ、俺がレッスンしてもいいけど、どう思う? 俺はダンサーじゃないが、キューバ人だから何でも踊れる。 しかも音楽は完全に理解しているプロさ。 ベーシストだから、リズムも完璧だぞ。ダンスを覚えるには 音楽がわかってないとな」「は、はぁ・・・? ホント? ホントに教えられる?」「ああもちろん。俺はキューバ人のミュージシャンだぞ」困ったな。こういう展開になるとは想像してなかった。先に値段言ったのが、まずかったかなぁ。「・・で、あなたなら、いくらでやってくれる?」「君は俺の彼女の知り合いだろ。だから、特別プライス。 1レッスン1時間じゃなく、1時間半で10ドルでどうだ?」うーやっぱり、現金収入にこだわってるな。どこが特別プライスだよ。でもまぁいいや。友だちの彼氏だから、こっちもむげにはできん。しかも音楽のプロだと思うと、これ以上、値切るのもちょっと気が引ける。日本でのプライベートレッスンを考えたら、10ドルなら破格の安さ。よし、それで乗った、お願いします。お互いの両手の手のひらをパチンと打ち合い、商談成立。「そのかわり、いろんなステップ みっちり教えてやるから。俺はカセットデッキ持ってないけど、 明日までに誰かに借りて、デッキとテープも用意しとくから。じゃあ明日の午後、さっそくやるぞ」結局、彼から特別プライスで、キューバンサルサのプライベートレッスンを受けることになった。あ~、なんてこった。友だちのカレシを先生役に、2人で手を取りダンスで汗だくになるとは。~つづく~
2004.06.27
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「はじめまして、マヤさん。ルミ子です キューバへ、ようこそ」ルミ子は、想像していたとおり、本当に日本人女性の姿そのものだった。抱き合ってあいさつしたとき、あまりに、まんま日本人なので、初めて会った人とは思えなかった。彼女が話すつたない日本語の発音が、なんだか顔とつりあってなくて、不思議でしかたがない。日本語、という言語と、人間の姿形、というのが強固に結びついている国に暮らしていると、こういう人物に出会うと、違和感を感じてしょうがない。ルミ子のママは、スペイン系のパッチリした大きな目で瞳の色も薄い灰色。ルミ子は切れ長の目尻、真っ黒な瞳、髪も真っ黒。ママは小太りだが、ルミ子はスリムな体をしている。そのまま日本の街を浴衣でも着てスタスタ歩いてもおかしくないぐらい、ルミ子は日本的な姿だった。もしママと親子で歩いていたら、日本では親子と思われないだろう。父親の姿が強く遺伝したのかもしれない。ココリコ田中から預かったお土産包みを、ルミ子に、やっと手渡すことができた。地球の反対側まで、このお土産と一緒に旅をしてきてよかった。預かったときは、こんなものどうしてわざわざ渡さなきゃいけないの、と億劫に思ったが、持ってきてホントによかった。初対面で言葉がうまく通じる自信がない相手の場合、お土産、というツールは、緊張の居心地の悪さをすーっと和ませる。ココリコ田中のお土産は、日本のインスタントみそ、のり、しょうゆ、せんべいなどが詰まっていた。ルミ子と、お互いの仕事の話や、ココリコ田中のことを話す。今私が泊まっているホテルについて、ホテルから1泊25ドルの民宿に移る計画について、大使館員F氏と会ったこと、日本語学校に見学に行ったことなどを一通り、こちらのつたないスペイン語で報告する。ルミ子は、普通のキューバ人と違い、自分からガンガン話しかけてくる、人なつこさは全然ない。どちらかというと、相手の様子を見ながら、ポツポツと慎重に言葉を選び、余計なことは一切言わないタイプ。相手が話し終わると、しばらく黙ってしまうシャイな性格だった。かといって相手に冷たくして不快感を与えるとか、わざと無視しているとかそういうことはない。ママと彼女が話しているときでも、ママがペラペラ、ラテン的な明るさで長くしゃべるのに対し、ルミ子は、言葉少なに一言二言相づちを打つ。声を立てて笑ったりはあまりしないが、常に口元にはアジア的な曖昧な微笑みを浮かべている。こんなシャイで口べたそうに見える女性が、高校で英語の教師をやっているという。英語教師と言えば、ひっきりなしに口を動かさなくちゃいけない仕事なのに。「・・・そうだ、マヤ、ハバナで どこか行きたいところありますか? もしよかったら 連れていってあげます」「ん~、もしできればでいいんだけど、私、キューバの ダンスを習いたいんです。 もしダンスの先生をしている知り合いがいたら、 紹介してくれませんか」「うーん、ダンスね~。ダンサーの知り合いはいないのよね、 あっそうだ、彼に聞いたらわかるかも。 一人、ミュージシャンの知り合いがいるのよ。 ミュージシャンなら、ダンスと関係があるから情報あるかも。 彼のうち近所だから、今から行ってみない?」ルミ子に促され、あたりはもう夜で、暗くなっていたが、黒人男性で、ホセという名前のミュージシャンが住んでいる古い集合住宅まで、2人でてくてく歩いていった。髪の毛をことごとくカーラーで巻いた、パジャマ姿のメガネのおばあちゃんが、薄暗い玄関先に出てきた。強烈なキューバ訛で、ガンガンしゃべるおばあちゃん。いや、実はまだ、おばちゃん、なのか。そのへんの境目が暗がりのせいで、よくわからない。「あっら~、今ね、うちのホセは、今日はホテルに演奏の仕事 行ってて、帰りが遅くなるのよ。明日の朝ならいるわ。 あなた、どこから来たの? 日本人? 日本人よねぇ」もう、完全におばちゃんのペースに飲まれている。おばちゃん、カーラーを巻いてパジャマ姿でいるということは、明らかに就寝体制なはずなのだが、それでも玄関先のおしゃべりは止まらない。「日本人といえばねぇ、うちのホセには、 日本人のガールフレンドがいるのよぉ。 ノビアよ、わかる? ノービア。恋人ね。あっそうそう、 ついこないだまで、そのノビアがキューバに来てたわよう」「へぇ~、日本人の彼女が? お名前は何て言うんですか」「あっら~、名前なんだったかしらん。えーと、えーと、 ニキ、とかいうのよね、ニキよ、ニキニキ!」<ニキなんていう名前なんて、日本人じゃ いないんだけどなー?>「・・・・あっ、思い出したわっ。ミキよミキ、ミキ! そうだわっ。確かミキの写真があったわ。 持ってくるから待ってて」おばちゃんが、部屋に戻ってなにやら、バタバタ探している。玄関先に戻ってきて、ほらっ!と差し出してくれたのは、1枚の男女のツーショット写真。それを見たとたん、私は声が震えそうになった。まさか・・・・。いや、見間違えかもしれない。薄暗がりでよく見えないしな。息を詰めるようにしてもう一度よく写真を見つめる。写真に写っていた女性は、私の友だちだった。あの、キューバ娘のような日本娘のサルサ仲間、ミキだ。いつもキューバに通い詰め、スペイン語をまるでネイティブのように流ちょうにあやつり、顔つきも体つきもラテン女のようにセクシーで、ダンスも華麗なミキ。今つきあっている彼氏はキューバ人の誰々、とか日本人の誰それとか、具体的な実名入りでの噂が、常に絶えない彼女。その彼女が、またここで彼氏を作っていたとは。誰もあずかり知らないところで、私一人、見てはいけないスクープ現場を、勝手にのぞき見したような気がしてドキドキした。ちょっと大げさだけど。もしかして、この暗がりの玄関は、ドラえもんのどこでもドアなのかも? カリブの島国キューバと、アジアの島国日本はどこでもドア1枚で、つながってるんだ。いや、自分では遠くに来たつもりが、単に、一人で狭い世間をグルグル散歩していただけなんだ。遠いところに行っても、一カ所にとどまっても出逢いの磁石は、同じ力で作用する。~つづく~
2004.06.24
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初日に泊まったミラマールの「コパカバーナ」は、ガイドブックによると、確かリゾートホテル、と書いてあった。しかし、ここがホントにリゾート?という、かなりしょぼい代物だった。社会主義国のホテルは、旧ソ連時代のモスクワで何度か経験していたから、驚くことはなかったが、ここのサービスの悪さもモスクワ並み。しかし施設は一応日本のビジネスホテルをクリアしている。中庭にプールもあるから、まだがんばっている方なのか。あー、これが、キューバのコーラか。部屋の冷蔵庫から取り出した、赤い缶を開けて中の甘ったるい液体を飲みほし、目の前の古ぼけたテレビをひねる。観光客向けなのか、英語のニュースしかまともに映らない。ホテルを出てタクシーを探す。玄関を出たとたん、案の定、ヒネテーロらしき男に呼びとめられる。「ハロー!ハロー! 君、君、どっから来たの?」棒高跳び選手のように背が高く手足も長い、黒人の男。来た来た来た。「俺、ロベルトってんだ。君は? おー、マヤっていうのか。よろしくな」こっちが、ぼーっとしているうちに、むんずと握手をされ、なれなれしく話しかけられる。「あのさ、今日、明日、あさってと3日間、 向かいのネプトゥーノってホテルでさー すごいいいバンドが、ライブやるのよ。 で、一緒に行かない? 俺、おごるからさぁ」キューバ訛りのスペイン語は、初心者にとって非常に聞き取りづらい。わけが分からぬうちに、勝手に何かが展開していく。しかし、初対面からピンときていた。昼真っから、外国人専用のホテルの前でたむろしてるヤツ、空気を読まないで外国人に対してガンガンしゃべってくるヤツ、それも、真っ昼間から夜のライブ行こうとか、しつこく誘ってくるヤツ、これはまちがいなくヒネテーロ。東京のキャッチセールスよりも手荒い手法だ。「タバコ買わないか」とか「ラム酒安く売るよ」とか物品の押し売りならどの国にもあるけど、「一緒にライブ行こうぜ」っていうのが何とも音楽の国キューバらしい。君もきっと音楽が、すっごく好きなんだろう。ダンスも華麗に踊れることだろう。「な~、マヤ、ロス・バンバンって知ってるだろ? そうなんだ、キューバでナンバーワンのバンドが 出るんだぜ。すっげ~ご機嫌な音楽なんだ。 今日の夜、一緒に行こう。なっ」・・・ん? ロス・バンバン? 今、あなた、確かにロス・バンバンって言いましたね?聞き返すかわりに、自分の手帳とペンをにゅっと彼に差し出す。ちょっとセニョール、今言ったこと、悪いけどもう一度、ここに書いて教えて、ポルファボール!おお、わかったわかった、と、黒人ヒネテーロが、私のノートに得意げにペンを滑らす。Los VanVan , Hotel Neptuno28,29, 30. a las 8「Los Van Van・・・!! このライブ、いくらすんの?」「入場料、一人10ドル。心配すんなって、 俺、おごるから。 今晩ホテルの前で君のこと、待ってるからよ。 8時にホテルの入り口な。絶対来てくれよ。 楽しみにしてっから。な、俺の友だち、マーヤ」初めて目にした、ヒネテーロの満面の笑み。彼の言っていることの半分はおそらく本当、もう半分は全くのでたらめだろう。本当のこと、それは、隣のホテルで、かの有名な老舗バンドロス・バンバンがライブをやるらしいこと。3日間も連チャンで、しかも一晩たった10ドルで聴けるなんて、信じられないけど。全くのウソ、それは、2人分の入場料計20ドルを彼自身が「おごる」と、と威勢のいい約束をしていること。平均月収6ドルとかいわれているこの国で、20ドルなんて破格の大金だ。友だちだからおごるよ、なんて誘っておいて、実は「ごめ~ん、今手持ちがないんだ」とか土壇場で言い訳して私に全部払わす目論見にちがいない。第一、そんなに自分がライブに行きたいなら、会ったばかりの外国人の私にわざわざ声なんかかけないで、自分の彼女でも誘って、勝手に行けばいいのだ。計算高い日本人女、しばし沈黙。・・・・いや~ありがとう、セニョール・ヒネテーロ。ヒネテーロくんからライブ情報だけ、ちゃっかりいただき。彼に書いてもらった手帳を、にんまりしながら閉じる。痛いぐらいに、もう一度しつこく握手をされたのを振り切って「じゃ、今、急いでるからバイバーイ。 今日の夜は時間ないから、明日にでも行くわ。 教えてくれてありがとう! まったね~」と、そいつに向かってにこやかに手を振り、待たせておいた白タクにそそくさと乗り込む。行き先は、日系キューバ人、小野ルミ子の家だ。満面の笑みをたたえ、長い腕を振るけなげなヒネテーロくんを、ちらっと横目で確認してから、えっと、この住所までお願いしたいんですけど、と、メモを運転手に渡す。白人のぎょろ目の親父運転手アンドレアは深々と頷き、俺にまかせとけといわんばかりにオンボロの焦げ茶色の旧ソ連製ラダをぶんぶん飛ばす。初めて一人で乗ったキューバのタクシーで、白タクなんてどうかしてると思ったけど、この国の無秩序な雰囲気になじんでしまったのか、そんなことは、どうでもよくなってきた。ちゃんと走れそうな車を見かけたときが拾い時、っていうぐらい、この街には移動手段が不足しているのだ。「ガソリンが極端に不足していて、 今は、障害者の移動にも支障をきたしています」障害者国際会議のときの、理事長の言葉が頭をかすめる・・・。「君はどっから来たんだ? おー日本からか。 俺はよ~、元漁師で、若い頃は、いろんな国に行ったよ。 でもアジアには行ったことがないな。 今は、リタイアして、タクシーで生活してる。 こっちの生活は、ほんと大変よ。 君はどのぐらいハバナにいるんだ? もしタクシーが必要なときは、いつでも うちに連絡してくれ。どこでもかけつけるから。 観光案内もするから」白タク運転手アンドレアも、べらべらまくしたて、私に住所と電話番号のメモをくれた。一人旅で、ふと誰か知らないキューバ男と一緒になり、ちょっと心細くなったら、情報を集めるふりして、相手に名前や連絡先を聞くといいかもしれない。最初から相手の名前を聞いて、先手を打ってこっちから呼ぶようにすると、その後、あまり悪いようにはされない(たぶん)。なれなれしくしすぎて、別の方向で悪いことをされることはあっても。ハバナの中心地区、セントロの大通りに面したスーパーマーケットの前で、車を降りる。スーパーの上階は、普通のアパートになっていて、ルミ子の家は、スーパーのすぐ上の2階あるとこのことだった。まるでお化け屋敷のように古ぼけた、廃墟寸前の建物。スーパー脇の薄暗い階段を、下からのぞき込む。上の方で人の話し声が、わやわやとこだましている。誰かが住んでいることを確かめてから、階段を上り、やけに高い天井の細い廊下をしのび歩く。廊下の左右のドアを順にたどっていくと、ルミ子の部屋番号は、廊下の一番奥にあった。~つづく~
2004.06.23
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大使館員F氏宅でのホームパーティが始まった。ダンス教えてあげるよ、と白いTシャツとジーパンを着た手足のひょろ長い褐色の肌の青年が誘ってくれた。ペアでユムリ・イ・スス・エルマノスというバンドの曲で踊った。・・・・え~、なんで、君は踊れるんだ、ブラボー、日本人なのにすごいすごい、信じられないよ~、ねぇ、見て見て、ほら!ほとんど見せ物のような状態になっている。遠心力が効いた速い回転を何度もさせられ、目が回りそうになる。じゃあ次はボクボク、と、白人のカーリーヘアー君にバトンタッチ。この子は、ステップとターンさばきは完璧なのだが、曲のテンポと踊りのテンポが違うので、踊っているうちに、どんどんずれてきて混乱する。一緒にデュエットで歌おうと思ったら、一人だけ勝手に歌い進めていってしまう感じ。あれっ?今、どこ?取り残された気分を味わう。キューバには、踊り上手のリズム音痴がいることを、初めて知る。・・・次は、ふとっちょでめがねの黒人君。「ごめーん、ボク、ネグロ(黒人)なんだけど、 踊りが下手なんだ。 女の人を回せない。ステップだけしかできない」つまり、彼は普通に手をつないでペアで踊れるけど、女性をくるくる回す回転ワザができない、という意味だ。自分で「黒人なのに踊れない」って言い訳してるのがおかしかった。キューバでも黒人=ダンスの天才、と思われているが、やっぱり例外はいるんだな。しかし腰つきは相当アフロが入っている。しかも、このふとっちょの黒人君がすごいところは、どんな歌でも全部、ペラペラと空で歌ってしまうことだ。自分の好きな歌謡曲なら当たり前なのかもしれないが、カラオケに毒された私には、歌詞も見ないで歌ってることにかなり驚いた。特にさびの部分になると、絶叫して歌いながら踊っている。君、歌うの好きなんだね。じゃ~これ一緒に歌ってくれない?私は、NGラバンダの『魔女』というタイトルのアルバムを自分のカバンから取り出した。空で歌う自信がないのでCDをかけながらでいいかな、と、デッキに入っていたCDを取り出し、新しい1枚をセットする。アルバムと同タイトルのメインナンバー『魔女』は、まるでラップのようにしゃべって歌うティンバの曲だ。意味もろくにわからないけど、早口言葉の感覚で日本で覚えてきた。黒人キューバ人と一緒に叫んで歌った、いかれた曲。きっと2人とも、ラム酒をちょっと飲み過ぎていたんだ。--------------------------------『魔女』La Bruja----------NG La Banda退屈な気分でイライラしながら家を出る君の影を探しに 失望しながら俺はつくづく孤独で疲れている所詮 人生はサーカス 俺たちはみんなピエロなにもかも魔術師のせいなんだ君がいないから俺はこんなふうになっちゃうんだ君は自分が一番だと思ってるんだろうアーチストかなんかだと思ってるんだブエナ・ビスタの街を 君がツーリストタクシーで行くのを見たよ不可能なことを求めてね君には俺が必要なはずなのに君は俺の愛を安っぽい娯楽と交換してしまった。心の値段は競売にはかけられないというのにだから君を魔女にたとえてやる・・・君は魔女・・・感情のない魔女 いかれた女・・・君は魔女-----------------------------舌がもつれそうになりながら、やっと歌い終わって、見つめていた歌詞カードから目を離し、彼の顔を見上げたら、うっひょ~、と、まん丸な目になってわっはっはと天を向いて笑い、手をパチパチたたいていた。あれ、一瞬、相当変な歌い方だったのかな?と思ったけどあまり深く考えないようにした。とにかく今はパーティなんだから。人生なんてサーカス 僕たちはみんな踊り狂うピエロなのさすべてはみんな魔術師のせいなんだそう こうやってキューバに来たのもこんなところで キューバ男たちと手をつないで腰をくねらせているのも・・・まるで魔法がかかったような、わけのわからない熱帯の夜だった。ホスト役の大使館員F氏は、白い上下のスーツ姿で、さっそうと現れた。顔つきが昼間と全然違う。どこか焦点の合ってない、怪しい視線を泳がせている。「サルサはまだ習ってないけど、 タンゴならやったことありますよ」と自信たっぷりに近くにいた女の子の手を取り、狂ったように踊り始めた。かつて見たことのない、はっきりいってかなり妙で卑わいなステップだった。自己流だけど、狂い方は堂々キューバ人並みである。会場には、ホルヘ・ペルゴリアというキューバのヒット映画『苺とチョコレート』でゲイの役で登場した、屈指の有名俳優が来ていた。キューバ人の女の子たちと私は、キャーっ、本物よ~と叫びながら彼に群がり、ちゃっかり誰かが撮った集団写真に収まった。「映画の時とはちょっと雰囲気が違いますね」といったら「新しい役作りのために、今、イメージを変えているところなんだ」といっていた。さすがにもうゲイっぽいしゃべり方ではなかった。なのに彼と踊ろうとする、果敢な女の子は一人もいなかった。ラムやビールをさんざん飲むわ、へんな日本語とスペイン語でしゃべるわ、CDかけてサルサ踊るわでみんなのバカ騒ぎがピークに達していた頃、キューバ人嫌いのF氏の奥さんがもうやんなっちゃう、という露骨に迷惑そうな顔をしながらキッチンに姿を現し、みんなの前で大声で何かを言った。「今日は、なんのおかまいもできませんけど、 みなさん、どーぞ楽しんでいってくださーい。 私はホントになーんにもしませんのでー」そして、本当になんのおかまいもせずに、さっさとどこかに消えてしまった。---------------------------------君とはもうごめんだ 消え失せろ俺の前から消え失せろ魔女は ほうきを持って どこかへ消えてしまえほうきを持って 月にでも行ってしまえ--------------------------------その後私は、一緒に踊った白人カーリー君や黒人ふとっちょ君たちと、日本語とスペイン語チャンポンで、いろんなことを話した。社会主義や資本主義について、アメリカが好きか嫌いかについて、日本語やスペイン語の文法、エッチなスラングについて。月と海が見える夜の庭で、ラムやコーラを飲みながら、熱に浮かされたように、夢中で話した。魔女が消えた後の饗宴は、いつまでも続いた。~つづく~
2004.06.20
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ハバナ上陸初日のメインイベントは、障害者の国際会議という思っても見なかった経験だったが、次の日の大使館員F氏提供のメニューも、想像を軽く裏切る、ユニークなものだった。「・・・今日は、日本語学校に見学に行ってみませんか? キューバで観光業界に就職するための生徒たちが、 日本語を勉強しているんです。 学校はここからちょっと遠いですが、 もしご興味があったら、ご案内します」日本語教育には、学生時代から興味津々だった。一時は、日本語教師になろうかと思ったこともあるぐらい。これは絶好のチャンスだ。カリブの若者がどんな風に日本語をしゃべっているのか、実際に見てみたい。雨の降る中、養護学校の中沢先生と私は、運転手付きのF氏の車に乗せてもらい、20分ほど走っただろうか。古ぼけた平屋の建物がいくつか並んでいるのが見える。教室にこわごわ入ってみると、そこにはたった7,8人の若者が座って、羽田先生という中年の日本人男性から授業を受けている最中だった。本当はもっと生徒がいるらしいが、今日は雨でバスの運行が大幅に狂い(というかバスが来ない)出席できない気の毒な生徒もいるとのこと。キューバの交通事情はおそろしい。雨は命取りだ。大使館の車なんかで、悠々と飛ばしてきたことが、何だか申し訳なくなった。ここは、「クバナカン」というキューバの観光公社の養成機関だという。生徒たちは皆、観光名所の知識やホテル業務などの他、外国語を最低2つ学ぶことになっている。この教室にいる生徒たちもすでに必須の英語のコースを終え、第2外国語として、わざわざ日本語を選んだという。なんの予備知識もなしにキューバを訪れている、私のような観光客が、彼らの未来のターゲットなのだ。2年目に入る上級クラスとあって、授業中の先生の会話はすべて日本語で進められていた。ゆっくりした話し方ではあるが、むずかしい漢字の熟語も、次々に登場する。漢字の復習に時間をかなり費やしているようだった。まず、先生が、漢字を一つ使って訓読みの動詞を挙げる。すると、同じ漢字を使った熟語の例を、生徒たちが思いつくままに口頭で言い、先生が板書していく。生徒たちがアイデアに詰まると、先生がすぐさま例を付け足して、ボキャブラリーを増やしていく効率的な方法を採っていた。留める-----留学、保留、留意・・・解る-------理解、解説、解釈・・・済む-------返済、経済、救済・・・修める-----研修、修飾、修行・・・定める-----定価、予定、決定・・・先生が新しい言葉を書くたびに、みんながぺちゃくちゃにぎやかにしゃべってスペイン語で意味を教え合っているのがほほえましい。しかし、みんな表情は真剣だ。ラテンだからのんびりだらだら、なんてことはありえない。社会主義とはいえ、観光立国を目指すこの国の業界での競争は非常に厳しいのだ。しばらくすると、一人が名前を呼ばれ、教室を出ていく。その一人が戻ると、今度はまた別の生徒が立ち上がり、また退室。いったい何をしてるのかと思ったら、隣の部屋で、ホテルや旅行会社へ就職するための面接が行われいるとのことだった。羽田先生が、相当日本語教育に慣れているベテランだということは授業を見ればすぐにわかった。以前は、メキシコで2年ほど日本語を教え、キューバには3年ほどボランティアとして教えているという。40歳を過ぎて日本語教育の勉強を始めたそうだ。キューバで日本語教える最大の難点は「教材不足です」とぼやいていた。「もうとにかくね、この国には日本語のテキストや本、雑誌、 ビデオとかが、全然ないんですよ。 生の教材を与えようと思っても、入手が ものすごく大変です。 あと、漢字を読ませるのがやっぱり一番むずかしいですね。 でも、漢字を覚えると、言葉の広がりが出てくるからね」<日本人としては、サルサダンスの方が、 数倍むずかしいですけどね。 日本には生の教材は、なかなかないですし。 でもダンスを覚えると、人生の広がりが出てくるからね>なんてことは、もちろん言わなかったけど。これ事実。授業が終わり、では、ご見学のお二人、生徒たちに自己紹介をしてくれませんか、と羽田先生に促された。私は、自分の名前、職業、ダンスが趣味、スペイン語を勉強しているのでみなさん教えてほしい、などと通りいっぺんのあいさつを、つたないスペイン語で済ませた後、最後にこう付け加えた。「キューバスタイルのサルサダンスを覚えたいのですが、 どなたか、デスペローテのやり方を教えてください」・・・一同、ゲラゲラ大爆笑。なぜ・・・?私のスペイン語、一応キューバでも通じたみたい。デスペローテとは、キューバ独特の踊り方で、腰を円状にくねらせる、とってもエッチな動きのことである。キューバの若者は、ライブが盛り上がって音楽がクライマックスに達した頃、この動きをみんなで思い切りやる。本場のデスペローテを、ぜひとも教えてもらいたかったのだ。なのに、こんなに笑われてしまうとは。「ダンスが好きなら、明日とあさっての夜 革命広場でコンサートがありますよー!」おお、さっそく、貴重な口コミ情報。しかも日本語で。しかし、革命広場でライブって?革命広場でデモ集会ならわかるんだけど。「私たちと一緒に踊りましょ~う!」やった~。うれしいダンスのお誘い。エッチなデスペローテの指導も一つよろしく。この上なくいい気分で、日本語教室を後にした。その夜、またF氏宅の立食パーティに呼んでもらった。私が初めでキューバで踊った相手は、このクラスで出会った、日本語ペラペラの男の子たちだった。初めてのキューバン・サルサ・ナイトの様子はまた次回。~つづく~
2004.06.17
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ハバナの日本大使館でワープロと格闘している間、大使館員F氏は、私にとって大切な情報を教えてくれた。「先ほど、日系人リストを調べてみたら、 あなたが探してらっしゃる 日系キューバ人の小野ルミ子さんという方のお名前が、 確かにありました。 『あなたに会いたがっている日本人が 今キューバに来ている』ということも、すでに 私から彼女に電話で伝えてあります。 彼女も、ぜひあなたに会いたいそうです。 よかったら、今、ここからお電話してみますか」東京で出会ったココリコ田中から、日本食のお土産包みと手紙を預かっているので、それをぜひともルミ子に渡さなければならないのだ。まさか、こんなささいな頼まれごとのせいで、わざわざ日本大使館から電話をすることになるとは思わなかった。お言葉に甘えて、F氏に通訳をお願いし、明日の午後、ルミ子の自宅を訪ねる約束をした。初めて聞いたルミ子のスペイン語は、非常に聞き取りやすかった。相手が日系人だと思うからだろうか。ルミ子も日本語を勉強しているから、外国語が聞き取れない人間の立場がわかるのかもしれない。夕方、海外沿いのホテル「コパカバーナ」でチェックインをすませた後、夜は、F氏の自宅でディナーをごちそうになることになった。F氏夫妻、大使館公邸の調理人S氏夫妻、養護学校の中沢先生と私でテーブルを囲む。初対面にもかかわらず、自宅に招かれ晩御飯までごちそうになって、あまりに恐縮していたため、この時食べたものがなんだったか、どんな会話を交わしたのか、ほとんど何も覚えていない。ただ、強烈だったのは、S氏の奥さんが、キューバ人全般に対して相当腹を立てていたこと。これだけは、かなり鮮明に記憶している。「キューバ人って、すごく卑しいのよ。 立食パーティに呼ぶと、 食べ物を勝手に持って帰っちゃう。 両手でがばがばつかんで、袋詰めにするのよ。 ホント常識がないし、品もない。犬猫と一緒ね」「革命で、優秀な人や金持ちは、もうみんな海外に 逃げちゃったの。 だから今、国に残っているのは、 劣等なキューバ人ばかりなのよね」「キューバの連中は、男はたいていヒネテーロ、 女はみんなヒネテーラ(キューバの俗語で 『たかりや』『売春婦、売春男(?)』の意味)。 外国人をみると、たかるばかり考えている。 ホント図々しいったらありゃしない」この奥さん、いったいどうしたのだろう。曲がりなりにも、私や中沢先生は、初めてキューバに来た観光客。これからこの国の姿を自分なりに見つめようと思っている人間の前で、自分勝手なキューバ人観を、まくし立てている。では、奥さん、あなたは、どれだけキューバ人とつきあってきたんです?彼らを理解しようと、一生懸命努力したことはありますか、スペイン語やキューバ音楽の魅力には、敬意を払わないのですか?キューバがこういう現状になっている、歴史背景にはまったく思いを馳せないのですか?聞いているうちに、爆発して泣きそうになったが、相手は外交官の妻、しかもごちそうになっている身なので、そのまま苦笑いを作って涙をこらえ、無言でやり過ごした。夫のF氏は、反論しないのかというとそうでもなく、「うん、そう、確かにそういう面もありますね。 キューバ人で、まともに知的な会話ができる人間は なかなかいないんですよ・・・」などと、相づちを打つ始末。妻に右へ倣えで情けない。初日から、こんなに胸くそ悪くなった旅も珍しい。公邸調理人Sさん夫妻と一緒に乗った帰りのタクシーで、私は、唇をふるわせてつい本音をもらしてしまった。「・・・実はさっき奥さんの話を聞いて、 がっかりしてしまいました。 キューバにすごく魅力を感じてわざわざ来たのに。 キューバ人って、本当にそんな感じなんですか・・・?」「ああ、あの奥さんの言ってたことでしたら、 気にされない方がいいですよ。 長年住んでいると、不満も溜まってきているのでしょう。 キューバ人の悪いところばかり見えてしまって、 気の毒ですね。 でも、私たち2人は、キューバが大好きだし、 キューバ人の友だちもたくさんいます。 いい人もたくさんいます。 あの奥さんは、出会った人がたまたま 悪い人ばかりだったのかもしれないですね」大使館員妻の愚痴は、苦いお茶を飲まされた気分だったけど、S氏のクールな言葉にほっと救われた。ふくらんだ偏見の中にも、1ミリの真実が潜んでいるのかもしれない。ほんのささいな偶然の出来事がその後の全体の認識をゆがめてしまうこともあるかもしれない。ここでは、日本式の認識のメガネはいったん外してすごした方がいいのだろう。大使館員妻の「キューバ人は男も女もみんな、たかりや」のメッセージはしばらく私の頭の中をこだましていた。それが、100%偏見ともいえない事態に、後で何度か遭遇することになった。~つづく~
2004.06.15
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メキシコシティから4時間のフライトで、いよいよキューバ・ハバナ上陸。燦々と輝くカリブ海の日差しを、ほおに受けたのもつかの間、いつの間にかたどりついた場所は、見知らぬ大会議場だった。老朽化した鉄筋の建物に入ったとたん、強い日差しは急に影を潜め、なまぬるい風が窓から、ぼわ~っと吹き込んでくる。横断幕がはられた薄暗い舞台上では、なにやら真面目なシンポジウムのようなものが開かれ、講演者が、早口のスペイン語でスピーチをしている。車椅子に乗った、派手な夏服のおじちゃんやらおばちゃんやらが、次々と目の前を、スルスルと通り過ぎていく。つえをつきながら体をよじらせ、一歩一歩踏みしめるように歩いている若い人もいる。私は、いったい、こんなところで何してるんだ?会議場奥の狭い一室に案内された私は、吹き出す汗をタオルで拭いながら、堅いパイプ椅子に座る。スペイン語から日本語に通訳される言葉を聞きながら、なぜか必死で、ノートにメモを取っている。目の前には、今日の国際会議を主催する団体の理事長らしきキューバ紳士が座っている。「キューバで国際会議を開催するのは、 今回が初めてです。 障害者人権国際会議は、中南米諸国を中心に、 参加は14カ国。 イギリス、イタリア、ロシア、アメリカなどからも 参加があります。 でも、あなたの国、日本や、他のアジアからは まだ参加はないですね。 今後、日本とも友好関係を結べればいいのですが・・・」一人旅の場合、飛行機で、誰と隣の席になるか、という問題は、意外と重要である。さっきのフライトで、たまたま隣り合わせになったのは、養護学校の中沢先生という男性だった。名刺交換して、べちゃくちゃ話しているうちに、たちまちハバナ到着となり、荷物が出てくるコンベアーまで2人で歩いてきたら、中沢先生の友人だという、日本大使館員F氏が空港の中まで入って、出迎えにきていた。大使館員の人と知り合うチャンスもなかなかないだろうと思い、図々しく自分の名刺を渡して、日本式のあいさつをした。喜怒哀楽の表情が今ひとつ読みとりにくい、しかしどことなく、人好きのする大使館員F氏は言った。「これから私たちは、ある障害者の国際会議に 見学に行くんですよ。今ちょうど会議の最中なので、 もしご興味があったら、一緒にいかがですか? そのあとで、ホテルまでご案内いたしますから」キューバのような国では、まずなにはともあれ「ちょっとそこのおねえちゃん、 もしよかったら、俺と踊りにでも行かない?」と誘われるのが普通なのかと思っていた。それなのに「ご一緒に障害者国際会議はいかが?」とは・・・。「いえ、それより私はサルサに興味があるので」と答えると、ひどく場違いな感じがしたので、急にまじめな顔を作って「もしご迷惑でなければ、 ぜひ、同行させてくださいっ!」と威勢よく答えた。一人旅の醍醐味、それは出逢いによる急展開。あやしい男についていくのは危ないけれど、日本政府のお役人による急展開、っていうのは大歓迎。「キューバでラテンダンス」は、誰でも経験できる。しかし、「キューバで障害者会議見学」というのはそうそう簡単にできるとも思えない。ホテルにチェックインする暇も惜しんで、そのまま彼らと一緒に大使館の車に荷物もろとも乗り込み、着いたばかりの国で、国際会議場に足を踏み入れた。生ぬるい空気がよどむ会議場奥の一室で、理事長のスペイン語の説明と、在キューバの日本大使館員F氏の通訳は、カリブの風のようによどみなく流れていった・・・。「キューバは、今、経済危機のため、 足の不自由な障害者たちは、交通の問題にぶつかっています。 ソ連と友好関係だった頃は、3輪オートバイが 援助支給されていたのですが、今はなくなりました。 1州に1台、キューバ製のリフトバスがありますが ガソリン不足で、移動に支障をきたしています」「キューバ革命以降、孤児院は縮小化する方向にあり、 現在では、養子制度を積極的に取り入れています。 80年代以降、アメリカへの亡命者が大幅に増えた頃は、 子供が置き去りにされることも多く、孤児も増加しました」・・・・あぁ、メモが追いつかない。疲れた。だんだん、キューバ政府の広報担当者のような気分になってきた・・・。その後、中沢さんと私は、F氏に日本大使館まで案内してもらった。パスポートをなくしてもいないのに、いきなり現地の大使館訪問である。しかも、「私はまだしばらく仕事があるので、 今日の国際会議で聞いた話を、お二人で協力して 文書にしておいてください。 できあがったら、本国にファクスしますから」とF氏に言われて、あっけにとられた。中沢先生と私は、代わる代わる日本語ワープロ専用機の前に座り、変換効率の悪さにブツブツ文句を言いながら、半ばやけくそ気味にキーボードを打って、簡単な報告書を作った。キューバで初めて真剣に取り組んだことは、サルサダンスを特訓するのでもなく、ラム酒におぼれるでもなく、暮れなずむ夕日を浴びながら大使館で古いワープロの変換キーと格闘することだった。報告書の最後に、障害者会議の理事長が言っていた締めのセリフも、きちんと打っておいた。「現在のキューバ社会にとって、 日本はひとつの夢、目標です」~つづく~
2004.06.09
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メキシコシティ最後の夜は、サルサディスコに踊りに行くことに決めた。日本のサルサと、ラテンの本場、メキシコのサルサでは、どこがどう違うのか、この目で確かめてみようと思ったのだ。本屋でぴあのような情報誌を買い、まずはディスコの欄を調べる。え~っと、ディスコ、ディスコ、ディスコ・・・あった!ディスコ欄の中から、ロックでも、ヒップホップでもマリアッチでもなく「サルサ」を調べてみる。え~っと、サルサ、サルサ、サルサ。な、ないっ! なんでだろう・・・そんな馬鹿な。メキシコのタクシーだって、ラジオからサルサを流していたではないか。ここではサルサを踊らないのか?情報誌のページをめくっていて、初めて知ったことだがメキシコではサルサ音楽のことを「サルサ」とは呼ばない。もちろん「ラテン音楽」でもない。だって、メキシコのマリアッチやボレロだって「ラテン音楽」だし。では、何と呼ぶか?これは、CDショップに行っても、役に立つ言葉なので覚えておくといいかもしれない。正解は「アンティール諸島の音楽」なのである。アンティール諸島? それっていったいどこ・・・。西インド諸島のキューバ島、ジャマイカ島など、カリブ海の島々のことを指すそうだ。「カリブ音楽」だと、メキシコもカリブ海に面しているから、自国まで含むことになってしまう。そこで、もっと厳密にカリブの中の「アンティール諸島」と細分化しているわけだ。そういえば、日本でもサルサ音楽は、「ラテン」とか「ワールドミュージック」なんていうひどく大ざっぱなジャンル分けの中で、存在している。そもそも「サルサ」ってジャンルも、NYのプエルトリカンたちが相当大ざっぱに呼び慣わした名前なんだけど。同じ音楽でも、国が変われば呼び名が変わるのはおもしろい。「アンティール諸島音楽」という言葉にう~んとうなりながら、最後に、今日の曜日と「生音楽」という単語を探し当てた。事前に電話をかけて場所を確認した。またもや用心棒セニョール古川を誘って、ガリバルディ広場近くの地下にあるディスコ「トロピカーナ」までタクシーを飛ばした。「サルサ? なんすか、それ?」と、タクシーの中で戸惑うセニョールに、これから無理矢理ダンスデビューをさせるのだ。トロピカーナは、なかなか場末チックで安っぽい、いかにも庶民的な、日常的なにおいのするディスコだった。白いフロアの上で踊る人はまだちらほら。バンドもまだちんたら演奏してるだけで、全然盛り上がってない。黒髪で化粧の濃いおばちゃんが、舞台の真ん前でデーンと座り、威勢良くビールを飲んでいる。踊る前のほんのくつろぎのひととき、というやつか。このだるい感じの待機姿勢が、ラテン本場の日常的な光景なのか。わかんないけど。「あら、こんばんわぁ。あなたたち、日本人ですか?」気だるいダミ声で話しかけられた言葉は、なんと日本語だった。メキシコのサルサディスコで日本語で話しかけられるのは果たして、日常なのか、非日常なのか。一瞬、六本木のサルサバーにいるような錯覚を覚える。「あたしね、ブランカ・ロサっていうの。 日本語だと、ブランカが白で、ロサがピンク色。 それであだ名が、ピンクパンサーのおゆき、なのよ。 栃木に住んでて、だんなは日本人。子ども3人いるの。 今、メキシコの実家に夏休みで帰ってきてる」メキシコおばちゃん、あまりに日本語がペラペラで大笑い。しかし、おゆきって時代劇じゃあるまいし。しかもピンクパンサーおゆき? まるでどこかの商売女みたいだ。わけわかんなくて、踊る前から頭クラクラ。栃木のピンクパンサーおゆきさんは、このディスコの常連で、マスターともお友だちらしく私たちに気前よくビールをおごってくれた。飲んだ勢いで、セニョールは、おゆきさんとペアになり、私は見知らぬメキシコ人の若いおにいちゃんに誘われて、白いフロアの上でクルクル回転させられていた。メキシコ人にいちゃんは、軽快なステップでターンを次々に決め、ラテン男ならではの上等な腕前だったのには感心した。時々、私の顔を見つめては興奮気味に、「日本人の子と踊るのなんて、初めてだよ。 君かわいいね~。名前は何て言うの」とお世辞を言うのも忘れていない。ふとセニョールを見ると、彼のステップは、カチコチのロボットみたいで、周りで飲んでいるメキシコ人たちの笑いの的にされていた。野球帽に黒縁メガネで、体操みたいにサルサを踊る日本人は、ここでは非日常的存在のはずだ。しかし、「オレはいつだってチャレンジャー」を身上とする彼は、始終上機嫌なまま、遺跡ピラミッドを上り詰めるのと同じ情熱をもって、延々とステップを踏み続けた。元陸上部の彼にとって、このぐらいのダンスは、何でもない日常的な運動のようだった。日常と非日常を行きつ戻りつメキシコ最後の夜は、あっという間にふけていった。明日の朝は、ハバナに旅立つ。~つづく~
2004.06.07
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古代の遺跡や出土品を見て、感動する心とは、何か。それは、死んだ人の形見を見ただけで、その持ち主の顔かたちや生活をありありと頭の中で再現できる、想起力のようなものだと思う。遺跡好きは、一歩間違うと、フェチの世界に似ている。遠い昔に持ち主を失った、いにしえの石の形見たち。大きなものは床や壁に据え付けられ、小さいものは、ガラスケースの中にびっしりと並べられている。無言で並ぶ、おびたたしい数の形見を、まずはじっと見つめ、それぞれの断片を頭の中で有機的につなぎあわせ、ひとつの壮大な物語を想起できる人間だけが、真の感動を得ることができる。セニョール古川は、石の形見たちを見て、かなり生々しく想像をふくらませることのできる人間のようだった。チャプルテペックの森の中にある、メキシコ国立人類学博物館は、セニョール古川のような人のためにあるところだ。雨の中、タクシーを走らせて、セニョール古川と人類学博物館に行った。建物の前にそびえているトーテムポールのような石柱を差して彼が興奮して言った。「ほら、あれ・・・! 雨の神のトラロックですわ。 今日はちょうど雨で、トラロックはん、ええ感じ」彼は館内を歩くごとに、どんどんマジな顔になっていった。ガラスケースに顔をひっつけて、まるで何かにとりつかれた語り部のように、私に遺跡の特徴と、文化背景を説明をしてくれる。かなりの遺跡フェチ、じゃなくて、マニアだった。私は、巨大なケツァルコアトル神殿のレプリカや、複雑なアステカカレンダーを目の前にして、「わぁ、おもしろい」「何これ~おっきい」「すっご~い」などと素っ頓狂な声を上げるか、もしくは、自分まで石のようになって沈黙しているしかなかった。「ね、ね、古川君、私、メキシコの古代文明、 全然わかんないのよ。悪いけど、超入門編でいいから 教えてくれる?」「はぁ、そんなん、自分でよければ、もうよろこんで。 文明の流れ、最初から簡単に説明しましょかー」セニョール古川は、リュックからノートとペンを取りだして、なにやらコリコリ書き始めた。オルメカ、テオティワカン、トルテカ、アステカ、オアハカ、マヤ、と、各文明の名前をスラスラと書き、流れがわかるように、地図と時代チャートを作ってくれた。どの文明とどの文明が衝突をしたか、支配と被支配の関係にあった文明は何か、この文明でこう呼ばれていた神様は、他の文明では何と呼ばれたか、などについて、早口で説明してくれた。あいにく、私のキャパの少ない頭では、すぐに消化不良を起こしてしまい、後に何も残らなかったのだけれど。人類学博物館の展示は、よくできている。時代の流れが、初心者にも歩きながらわかるように、1室から12室まで、各文明が部屋ごとに分かれているのだ。部屋が変わるごとに、私は書いてもらったチャートを見ながら、時代の位置を確認した。「いよいよ次が、マヤさんと同じ名前の マヤ文明の部屋ですわ。俺もアステカのことは まあまあ極めた方なんやけど、 マヤは、まだ勉強してへんから、 説明まちがってしもたらすんません」「とんでもない。私なんて、マヤ文明が自分の名前の 由来ってこと意外、なんにも知らないんだから。 まるっきり手ぶらのまんま、 こんなすごい博物館に来ちゃって、ほんともったいない」メキシコは思いのほか深かった。この国は、旅人の知力と体力のキャパシティーの分だけしか、心を開いてくれない。私は、どちらのキャパシティーも少ないくせに、いきなり、このだだっ広い博物館に行って、あまりの情報量にめまいを起こしかけている。せっかくマニアの人から、年代物のうまい酒を勧められたのに味も価値もわからず、濃度もわからずにぐいぐい飲み干してしまう。ふと気づいたら、調子に乗って知らない男と、手をつなぎ、知らない道をふらついている。そんな感じだ。セニョール古川と、手をつないだわけじゃないけれど。キューバに行くついでに、何の気なしに寄ったメキシコで、「古代文明」という名の強烈なテキーラを飲まされ、すっかり前後不覚になっていた。10室目のマヤ文明の部屋に着いた頃には、相当酔いが回って、へろへろだった。語り部から昔話を聞きすぎて、耳の穴から脳味噌が出そう。マヤ室では、一度盗まれて、なぜかまた戻ってきたというパレンケ王の翡翠のマスクが、暗いガラスケースの中でライトを当てられて、浮かび上がっていた。きりっとした目尻の、くっつき気味の両目、細長くつんととがった鼻、ぽかんとあいた口、全体的にどことなくとぼけた表情といい、なにもかもがセニョール古川にそっくりだった。あまりに似ていたので、ガラスケースをのぞき込んでボケてみた。「あぁ、こんなところに、古川君おったんか。 こんな姿になってしもて・・・ ・・・ええ人やったのに(泣きまね)」「・・・実はこれ、俺が注文したマスクですねん。 はよ、持って帰ろ(盗んで逃げるまね)」以来、この翡翠のマスクを写真で見るたび、彼の顔を思い出しては、へらへら笑ってしまうのである。~つづく~
2004.06.06
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メキシコのタクシーには、お国柄が凝縮されている。インディヘナの血が濃そうな、肌が褐色の運転手、女性客1人だとセクハラ直前のなれなれしさで話しかけてくるいかにもラテンな応対、(どっからきた? 名前は何だ、何歳だ、と しつこく聞かれる)性能の悪いラジオから安っぽく流れるメレンゲ、サルサ、名前のわからないジャンルの歌謡曲、そして欠かせないのが、ミラーにぶら下がっている場違いなほど、かわいらしいロザリオ。タクシーに乗って、真っ先に目に入ったのが、ロザリオの隣にぶらさがっていた、小さな「グアダルーペの聖母」のお守りだった。どの運転手も必ずといっていいほど、観音菩薩のように後光の差したグアダルーペを愛用している。すっかり色あせてボロボロ。日本だと「成田山・交通安全」みたいな感覚だろうか。この、日本人には観音様にしか見えない、慈悲深そうな女神のご本尊は、シティ北西部のグアダルーペ寺院にあった。セニョール古川と、観光ツアーで寺院に行った。地盤沈下で思いっきり傾いでしまった旧寺院の隣にある新寺院は、巨大なテント型をしていて、あまりに近代的すぎて教会的な雰囲気がしなかった。(が、ここは観光のために存在する場所でなはないから、別にいいのだけど)そもそも、この寺院の裏手のテペヤックの丘に聖母マリアが奇跡の出現をしたという伝説が、グアダルーペ信仰の始まりなんだとか。それはこんな逸話。・・・時は1531年12月9日、キリスト教に改宗して日も浅い先住民フアン・ディエゴがテペヤックの丘を一人でとぼとぼ歩いていた。すると、黒髪で褐色の聖母マリアが突然現れ、こういった。「愛しのディエゴよ、この地に私の教会を作るように みなのものに伝えよ・・・」腰をぬかさんばかりに驚いたディエゴが、さっそくスペイン人の司祭スマラガに報告。「マ、マリア様がテペヤックの丘にお出ましになりました」「・・・んなあほな。そんなこと、あるわけないやんか」と、思いっきり関西弁で(んなわけないか)否定されて、落ち込んだディエゴ、またテペヤックの丘に戻り、マリア様に再会する。今度は、マリア様から証拠にバラを渡され、それをマントで覆って再び司祭の元へ走る。寒い12月にバラなんて咲くわけないから、それだけでもう、大いなる奇跡の証拠品になるのだ。「ほら、これ見てください。これでも信じていただけませんか」スマラガ司祭の前で、ディエゴが広げたマントから浮かび上がったのは、甘く香るバラの花とマリア様の図像。「ほ、ほんまや~、ほんまにマリア様だったんか~」のちに、テペヤックの地に無事、立派な寺院が完成・・・。グアダルーペの聖母が、メキシコの先住民と同じ黒髪、褐色の肌なのはなぜだろう。グアダルーペは、元々は先住民アステカ人たちの女神、トナンツィン(ナワトル語で「我々の母」の意味らしい)だったといわれている。テペヤックの丘は、もともとトナンツィンの霊場だった。スペイン人が先住民たちにキリスト教を布教する際に、地元の女神トナンツィンの存在が、巧妙に利用された、というのが、「褐色の聖母誕生」の背景なんだそうだ。グアダルーペは、今、メキシコ人たちの心の中にしっかり住み着いている。キリストよりも強く深く。いわば、先住民と新住民の、歴史的・精神的統一のシンボルといってもいいだろう。もともと2人の女神が融合したのがグアダルーペだったとしたら、彼女を形取ったお守りが日本の観音菩薩に見えたのも、無理はない。時代や国を超え、世界中の女神たちはみんな、どこかで少しずつ、つながっているのだから。~つづく~
2004.06.01
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ツアーが終わって、ホテルに戻り、夜は、セニョール古川と地下鉄に乗り、ソカロまで行ってみた。メキシコシティのメトロは、私と同じ1968年生まれ。オリンピックの年に開通したという。ぺルーの首都、リマのあの地獄のような交通状況に比べたら、メキシコシティに地下鉄があるなんて、夢のような話だ。ここの地下鉄はゴムタイヤなので、電車らしい金属音がせず、ちょうどパリで乗ったメトロの感覚を思い出す。各駅ごとにメキシコにまつわるピクトグラフ(絵文字)が車内の路線図と、駅構内の看板についている。車窓ごしから見ても、よく見える大きさの絵なので初心者にも、降りる駅が一発でわかってありがたい。ソカロでは、小さな屋台がそこかしこに散らばり、夜だというのに子供連れの家族や、若者の散歩客でごったがえしていた。お菓子のような甘い香りやら、タコスだかなんだかわからないがスパイスの強烈な香りやらが、時々鼻の前をよぎる。誰が買うんだろう、あんな派手でピカピカの風船。今日は12月25日。なのに、広場のどこを探してもクリスマスツリーらしきものがない。その代わり、巨大な星型をしたイルミネーションが、所々にデーンと立っている。星のイルミネーション、というよりは、とげが生えた巨大爆弾みたい。やだなぁ、メキシコ人って、星をこんな爆弾みたいな形にして、ちょっとセンス悪いすぎ~、と思った。光の色が白や赤や緑の原色なのは、確かにクリスマスらしいけど、どことなく昭和の電飾っぽい、レトロな雰囲気が漂う。「ねぇ、この変な形はいったい何?」「はぁ、何やろなぁ、星でっか?」と、セニョール古川と私は首をかしげながら、広場をてくてく練り歩いた。その不思議な巨大爆弾は、後で調べてわかったことだが、「ピニャータ」という、メキシコのくす玉の形だった。メキシコのクリスマスパーティでは、この星形のピニャータを天井からぶら下げ、子供たちがスイカ割りの要領で目隠しして叩き割るという。パカーンと棒が命中して、くす玉が割れると、中からたくさんのお菓子が現れ、天井からバラバラと振ってくる。子供たちがワーイと駆け寄って拾い集め、みんな大喜び、という仕組み。なぜクリスマスの時は星型のピニャータかというと、キリスト生誕の時にベツレヘムの空に輝いた星を象徴しているらしい。あぁ、やっぱりこの形は、「星」でよかったのか。メキシコの子供たちは、雪が積もったもみの木や、お菓子入りブーツよりも、こっちの星型くす玉で、クリスマスを実感するんだな。ソカロに面して、大きなカテドラルがそびえている。セニョール古川を手招きしながら、中をそっとのぞき見ると、せっかくの金ぴかの祭壇が、緑色の鉄骨で覆われていた。地盤沈下で傾いたカテドラルを、鉄骨で支えて修復している途中のようだった。無機質な鉄骨に囲まれた中で、荘厳なミサが行われていた。セニョール古川と私は、中に入ることは慎み、入り口付近に立ち、黙って賛美歌に聞き入った。ソカロのにぎやかさとはまったく違う空気が張りつめていた。「・・・そういえば、クリスマスを 海外で過ごすのは、生まれてはじめてです。 自分、キリスト教とか宗教はなんも関係ありまへんけど、 さっきのミサは、めちゃ感動しました」「私も、海外のクリスマスは初めてだなぁ。 一人だったら寂しかったけど、古川君がいて助かったよ」「ほんま、男一人だったらこんなん、むなしすぎますわ。 自分一人だったら、夜こんなとこまで来て、 教会見てみようなんて発想ないし。 なんだか今日のことは、一生忘れない気がします。 これもマヤさんのおかげです」セニョール古川は、照れくさそうに、ええっと・・・ムチャス・グラシアス、と付け加えた。~つづく~
2004.05.30
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