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八百屋お七と違ってジャンヌ・ダルクの最後の様子は
いろいろと記されています。
処女は火刑に出来ないからと言って牢番に犯されたと
言う本に思春期の心がざわめいたことを記憶しています。
村山かい多は23歳で亡くなったが女性に恋し、失恋して
また酒を呑み、退廃を極め貧しさと肺病で冬2月スペイン風邪
にかかり火の気のない部屋に隙間風が吹き込む中で粗雑な布団に
寝ていたが夜、霙降る嵐の中、外へ飛び出して行く。
やがて、畑の中に倒れていたのを発見されるも、失恋した女の名を
うわごとで呟きながら死んで行ったと言う。
これも、貧しさと結核とがその死を紡いでる。
さて死罪の場合であるが、往生際のよい者とそうでない者に別れるが
わたしはどちらもよろしいと思っています。
”助けて”、”死ぬのは嫌だ”、と叫び、わめいてジタバタするのも人間の
自然な有様であって、何もおとなしく屠所の羊のような最後が立派だと
は思わないし、思えません。
その点で吉田松陰、高橋お伝などは人間的で共感出来るのだ。
拷問で亡くなった人物もいるが小林多喜二は特高(現在の公安
がその流れを引いて日本にいまだ存在している)の狂気の拷問
の為絶命したがここでは詳細は記しません。享年30才。
(参考著書:橋爪健「多喜二虐殺」)
精神に異常を来たした者も多い。
北村透谷(26歳)、佐伯祐三(30才)、ゴッホ(37歳)
にしても、ほとんどと言ってよいほど結核と貧困のうちに
のた打ち回って死ぬ人の多かったことよ。
現在は憎むべきキャンサーでありますが。