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GE、IBM、モトローラー、ボーイング少し古いかもしれないが、これらの企業は、名著『ビジョナリーカンパニー』(ジェームズ・C. コリンズ )で、時代を超え際立った存在であり続ける偉大な企業(ビジョナリーカンパニー )と定義されている。ビジョナリーカンパニーの共通点は、経営理念が深く浸透しており、長い歴史の中で、幾度となく、経営者が交代し、業績が悪化しても、乗り切ることができたことである。こうした企業の特徴は、カリスマリーダーやスーパーマネージャーに頼らず、組織全体が常に学習を続け、次々に起こる新たな経営課題を臨機応変に解決することができることではないかと思う。では、どのような方法で、こういう組織を育てることができるのだろうか?上記の4社には共通のチーム学習方法があった。アクションラーニングである。アクションラーニングとは、現実の課題をグループで検討し、解決策を立案し、実施(行動)する過程の中で、組織、チーム、そして参加する個人の力を育成していくチーム学習と問題解決の手法。・4名から8名ほどのメンバーが集まり、ひとりが問題を提示し、他のメンバーが質問をする。・問題提示者は、質問により、より問題を明確に理解したり、他に根本問題があることに気付く。・根本問題を発見したら、問題提示者は、問題を再定義して、メンバーから合意を得る。・そして問題提示者は、問題解決の目標を設定し、また、質問を受ける。・目標が定まったら、問題提示者は、行動計画をたてる。そして、また質問をうける。・そして行動計画の合意を得、セッションは終わる。・セッションは、コーチ(ファシリテーター)がしきる。・コーチは、ときどき対話をさえぎって、リフレクション(振り返り)の時間を設ける。・セッションが終わると問題提示者は、セッションで定めた行動計画を実行する。・そして結果を得て、次回のセッションに臨む。この繰り返しにより、メンバーは実際の業務課題の解決を実行しながら、活発に振り返り(思考)、併せて学習する。一挙両得というわけだ。通常のミーティングは、メンバーに解決策を考えさせることから始まり、質問が少なく、意見や弁護ばかりが目立つ。権威者や専門家が議論を牛耳って、狭い枠組みの中で、結論を出してしまう可能性がある。(複雑系の問題の場合、良い答えが出ない)問題解決より、個人攻撃や弁護に思考力を費やして時間の無駄になる可能性がある。一方、アクションラーニングは、質問が中心となる。質問には下記の効果がある。・真の問題を発見し、問題を明確にする。・質問に答えることで、グループは整合性と矛盾に気付く。・注意深く聞く態度を養う。・相手への関心を高め、相手を重要視されている気にさせ、グループの結束力を高める。・人間の脳のシナプシスは拡大し、より結合する。この結果、メンバーの学習意欲と思考力が高まる。・優れたリーダーを育てる。 優れたリーダーは「巧みな質問」をする (MSのビル・ゲイツ、ノキアのジョルア・オリラ、シスコシステムズのジョン・チャンバース)そしてアクションラーニング全体としては、下記の効果があるという。・複雑な問題に対して創造的解決が生まれる・個人の能力の向上(システム思考、チームワーク、質問と洞察力)・リーダーの育成(メンバーの力を引き出す支援型リーダーを育成する)・自律型チームの育成(自ら考え、行動するチームを育てる)・活気ある風土づくり(学習する組織の構築)ビジネスにおける問題は、簡単に答えが出ない、複雑系の問題が殆どである。ひとりこもって狭い枠組みで解決方法を探っても、問題の全体像が見えず中々解決しない。アクションラーニングのようにチームメンバーが多様な視点から質問をすることにより、問題の全体像を明らかにしていく方法は、複雑なビジネス課題ほど有効だろう。また、人は知識を詰め込むだけでは学習できず、問題解決スキルは向上しない。学習とは、新しい知識・スキル、行動の変化、思考・態度・信条を獲得したり創出すること新しい体験が自分の既に持っている情報と密接にリンクされ、意味づけがなされた場合に人は学習する。この意味づけを行う過程で必要なものはリフレクション(振り返り)である。リフレクションにより、体験と、蓄積された情報がリンクする。質問中心のセッションと行動を繰り返すことにより、リフレクションが活発に行われ、学習が促進するという。メンバーからの意外な質問により、ブレークスルー(新しいフレームワークの獲得)が生じることも期待できる。僕は、自分のプロジェクトにおいて、ビジョンの共有と自律型人材と自律型チームの育成を目指していることをメンバーに伝えてきたが、共有できる具体的なアプローチがなく、メンバー個人の理解の差と温度差について問題意識を持っていたが、アクションラーニングを知って、これにかけてみようと決意した。プロジェクトのビジョンを達成する上での問題をリーダーひとりひとりに提示させるという方針の上、昨日、プロジェクトのリーダークラスを集め、第一回目のアクションラーニングセッションを実施した。結果は上々。問題提示者は、自分が提示した曖昧な問題を何度も修正し、自分の言葉で一生懸命論理的に話そうと努力し、メンバーは、問題提示に耳を傾け、真剣な顔で考え、普段あまり話さないメンバーから質問が繰り返し出てきた。問題解決には至らず、次回に持ち越されたが、これを継続すれば、下記の2点を達成できるような手ごたえがあった。・自律型チームの育成(自ら考え、行動するチームを育てる)・活気ある風土づくり(チームメンバーの相互理解、学習する組織の構築)この結果は、また報告したい。
2007.07.06
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日本経団連が発表した新卒者採用に関するアンケート調査では、企業が「採用選考時に重視する要素として、3年連続で『コミュニケーション能力』が選ばれている。また、チャレンジ精神、主体性が続いている。 (1)コミュニケーション能力 (2)チャレンジ精神 (3)主体性こういった要件を満たす人物像を一言で言うと『自律型人材』ということだろう。もう少し詳しく自律型人材を定義すると下記のような要件になると思う。 (1)組織ミッションと自己の役割を理解し、役割を担うことができる。 (2)自ら直面した問題を積極的に解決していくことができる。 (3)自発的に目標設定、進捗確認、活動管理、そして見直しが行える。(PDCAをまわせる) (4)組織の役割やルールを守り、属人的でなく、自ら善悪の判断が行なえる。 (5)論理的に他人と情報交換できると共に、自他双方の感情を尊重し円滑な人間関係を構築できる。まぁ、すべて揃った人は、なかなかいない。かと言って諦めてしまっては企業は成長しない。こうした人材を育成していくことは、当然の経営努力だろう。昔ながらの「いいから黙って俺について来い」のボス型マネジメントでは、自律型人材は育たない。「自分は部下をコントロールできる」と考える上司の下には、「自分は上司によって支配されている」と考え、自ら考えようとしない消極的で無責任な部下が増える。自律型人材を育てるには、できるだけ部下に裁量を与えなければ駄目だろう。しかし、放任してしまってはチームはバラバラになり、チームとして成果をあげることはできない。組織としてパフォーマンスを上げるには、ビジョンとミッションの共有、組織への参画意識、個人の自律的な行動、チームメンバーとの共感により、チームワークを高め、チームとしての問題解決能力を高める必要がある。(チーム脳の強化)チームメンバーが連携して複雑な問題の全体像を正確に捉え、思考を深め、問題解決していく。ビジネスの問題は、殆どが複雑系の問題。いろいろな要素が複雑に絡み合って動的に状態は変化していく。こういう問題を解いていくには、多様な視点が必要になる。ひとりの狭い枠組みで思考するよりも、多様な視点を持つチームメンバーが集まって考えた方が良い。では、どうすればチームは結束し、チーム脳を鍛えることができるのか?やはり個人の資質なのか?これが僕の重要課題だったのだが、ようやく答えが見えてきた。アクションラーニングというグループ学習の手法だ。次回はアクションラーニングについて説明したい。
2007.06.28
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今日は、『キャリア論』(高橋俊介著)の紹介。慶応大学SFCのキャリア・リソース・ラボの調査(一流企業14社、2400名の最新人事調査)をもとに、企業における個人のキャリア形成と経営との関係を分析している。まず、個人の視点から。・今日、個人が自分の将来像を明確に描くことは不可能であり、キャリア構築は予定通りにはいかない。・であるならば、自分にとってより好ましい変化を仕掛ける能力(キャリアコンピテンシー)を高める必要がある。・キャリアコンピタンシーは、結果として自分で満足できるキャリアを切り開き続ける行動能力である。・キャリアコンピタンシーを高める行動(キャリア自律行動)は、「主体的ジョブデザイン行動」「ネットワーキング行動」「スキル開発行動」 がある。主体的ジョブデザイン行動とは、自分の価値感・ポリシーを持って仕事に取り組むこと、積極的に周囲を巻き込みながら仕事をすること、自分の満足を高めるように仕事の仕方を工夫していることなど。ネットワーキング行動とは、積極的に人脈作りを行い、自分の問題意識を社内外のキーパーソンに共有してもらうようにしていること。スキル開発行動とは、積極的に自分のスキル・能力開発に取り組むこと企業の経営側から見れば、・自律型人材のリテンション対策として、社内でのキャリア自律を支援していくことが重要である。・何故なら今求められている自律型人材は、自己のキャリアも自律的に選択する特性があるから、社内でキャリア選択の自由度が低ければ、外部に流出する結果となるから。・こうしたことから職務の自由裁量度を高めると共に、社内でのキャリア選択の自由度が高い人事制度作りと、社員に対してキャリアカウンセリングなどキャリア形成支援を行うことが、リテンション対策として有効である。・一方、職務の自由裁量度が低い状態で、社員の「スキル開発活動」(MBA留学等)ばかり奨励すると人材流出リスクが高まる可能性が高い。なるほど。統計的に傾向を説明していることから、納得させられることが多い。今は、人材流動化が当たり前の時代。自発性ではなく、外部からの強制により、社員を支配しようと考えている経営者は、いつか見捨てられる。そもそも人と企業は対等な労働の契約を結んでいるわけで、社員を我が物のように考えている経営者がおかしいということだ。これからは、いかに社員がやる気を起こさせるか工夫をしている会社に優秀な人材は集まる今後、ますます人材面で企業の勝ち組・負け組みの格差が広がるように感じる。
2007.06.15
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終身雇用、年功序列から、実力主義の世の中と変わっているが、そういう中で、個人は、エンプロイアビリティ(雇われる価値)の向上が求められている。要はひとつの会社に依存するのではなく、どこの会社でも通用するような実力をつけるということ。一方、今、日本企業は、少子高齢化、団塊世代の退職、景気の回復等により、事業を維持・拡大するには、優秀な人材を確保しなければならず、エンプロイメンタビリティ(雇用主としての魅力・価値)が問われている。企業側も、社員が自分のキャリア形成のため退職することを否定的に考えるのを止め、いかに優秀な人材を集め、長く働いてくれるか?努力しなければならないということ。今、退職者の急増に悩む会社が多いように思うが、こうした企業の経営者は、相変わらず過去の精神論から抜け出せていないように思う。『今の若い社員は根気がない。すぐ逃げる』などと考え、説教すればするほど、社員は逃げていく。おそらく今後は、社員と企業がWIN-WINの関係を構築できるよう、メンタルケア、キャリア形成支援、教育研修など魅力ある社員サポートを実施する会社が伸びていくであろう。
2007.05.21
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組織のメンバー同士が互いに信頼し合い、円滑かつ正確にコミュニケーションをとり、共通の目標達成に向けて課題共有し、協調して解決に取り組む。こういうことができる組織は、おそらく良い成果を上げることができるだろう。高業績組織の条件を定義することは簡単だが、こういう組織を実現し維持することは、とても難しいことだと思う。何故かと言えば、人は信念と感情とエゴをもった生き物であり、自分の信念と異なる信念を持った他人や、自分の信念上、許されない行為をする他人に、怒りや不安や嫌悪感を持ち、しばしばコミュニケーションを避けたり、対立が生じて組織の問題解決が棚上げされためである。こういう傾向は多かれ少なかれ人間である以上、誰でも持つもので、長く組織運営を行うと、こういう問題は避けて通れない。では、こういう問題は為す術がなく、高業績組織の実現はメンバー次第、運に頼るしかないのだろうか?僕はそうではないと思う。組織のリーダー、メンバーが、こういう人間の傾向を理解した上で、日頃の業務の中で、自分の信念の傾向や自分の感情が生まれるメカニズムに気付くだけで、多くの問題が解消されるのではないかと思う。人の感情は出来事により生まれるのではなく、出来事が自分固有の信念というフィルターを通すことにより、それぞれ異なる感情が生まれる。例えば、他人の笑い声などが聞こえる騒がしい職場環境を活気があって良いと感じる人もいれば、うるさくて不快だと感じる人もいる。逆に、静かな職場を、寂しく孤独を感じる人もいれば、落ち着いて心地よく感じる人もいる。この例は、感じ方は人それぞれの信念により異なることを示している。どちらが良いという例ではない。問題なのは、その信念を固定化し、排他的になることである。「職場は静かでなければならない」「職場は活気がなければならない」こういうふうに「~ねばならない」「~すべきだ」と思いこんでしまうと、もし、そうでない結果だったり、そうでない結果が見えてきた場合、怒りや不安や失望感が自分を苦しめ、時にはパニックに陥り、他人に不適切な対応を行ったり、自虐的になったり、無気力になったりする。しかし、この世の中、無条件に「~ねばならない」ことは殆どない。「~にこしたことはない」が、そうでなくても我慢できるし、代替できることが存在するケースが殆どである」仕事の中で不適切な信念は山ほどあるだろう。「部下に仕事をふれない。自分以外に、この仕事に適任者は無く、私が頑張るしかない。」「上司は自分より優秀でなければならない。そうではない上司といっしょに仕事をしたくない」「今の仕事は私の能力やスキルに値しない。この職場では一生つまらない仕事しかできないに違いない」「クライアントから緊急の依頼があった。必ず、これに応えなければならない。」これらの信念が絶対に正しいということは、論理的、科学的に証明は可能か?どの教科書に書いてあるのか?自分ひとりの信念で判断できることか?おそらく「ねばならない」「ちがいない」を証明することは不可能なはずである。このように、「~ねばならない」傾向に陥っている自分の感情に気付き、「~にこしたことはない」と、願望に過ぎないことを自覚するだけで、心は落ち着き、冷静な判断が行えると思う。また、自分ひとりで判断するのではなく、まわりに相談してみると認識のズレがわかる。こういう完璧主義的な不適切な信念により、他人や自分を責め、問題を起すのである。実際に完璧な人間はひとりもいない。しかし、諦めることはない。人間は気付きにより良い方向に変容する能力がある。人間関係のトラブルの多くは、誤解により生じると思う。互いに、相手は完璧ではないが、変わる可能性がある。自分も完璧ではないが、変わる可能性がある。相手にも相手の立場があり、言い分がある。自分にも相手の立場があり、言い分がある。といった自他尊重(I'm OK. You areOK)の姿勢で、話し合えば解決することが多いと思う。こうした考え方が浸透した組織は、メンバー同士が互いに信頼し合い、円滑かつ正確にコミュニケーションをとり、共通の目標達成に向けて課題共有し、協調して解決に取り組むことができる。その結果、高業績をあげることができるだろう。
2007.05.05
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今日は前回の日記の続き。全米で200万部をこす大ベストセラーとなった、トーマス・フリードマン著の『フラット化する世界』。著者は本の中で、今後、世界中の人間を巻き込んだ競争が始まり、先進国のビジネスパーソンはインド、中国、ロシアと言った発展途上国のエリート達との戦いを強いられると警告している。この戦いの中で、先進国の中間層の殆どは、崩れ、下級へ落ちてしまう....では、そういう『フラット化する世界』で、生き残れる人材は、どんな人か?フリードマンは、下記のタイプだと言う。(1)偉大な適応者・何でも屋になる・常に新たな知識を身につける・幅広い視野を持つ(2)偉大な、てこ入れ役・問題の根本原因を突き止める・完全な解決策を編み出す・実行して再発を防止する(3)熱心なパーソナライザー・顧客のことを深く知る・パーソナルな味付けをする・熱心で客を喜ばせる(4)偉大な、まとめ役・社内の共同作業をまとめる・多元的な労働力を管理する・ローカル向けに微調整する(5)偉大な説明役・複雑なことを簡単に説明する・モノではなく助言で稼ぐ・人に説明するのが上手(6)偉大な合成役・異種の専門分野を合成させる・異種の人間を融合させる・異種のサービスを合成するなるほど、もっともだと思う。僕も仕事の経験から、具体的なロールモデルが浮かび上がってくる。僕の会社のAさんは『偉大な適応者』BSCや内部統制、ホットな経営課題については、いつも第一人者になり、社内プロジェクトを推進する。クライアントXX社のBさんは『偉大な説明役』子会社の経理のおばちゃんに業務改革の内容を例え話を交えて、上手に説明し、抵抗勢力から味方に変える。共通点はコミュニケーション能力。しかし、これだけでは、もたない。一時的に成功しても継続して活躍するには、メンタルのタフさが必要。逆に、上記のどれにも該当しないが、メンタルが強く、決してへこたれない人は、いつか認められるように思う。『メンタル・タフネス』(著者: ジム・レーヤー )
2006.12.11
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■落ちる中間層・あなたにも突然訪れる「中間層」からの脱落・「象牙の塔」も今は昔、大学教授もクビになる時代・公務員200万人がワーキングプアになる日・グローバル化の総本山を歩く・これが日本の5年後?沈みゆく米国の中間層今週の東洋経済によると、日本の中間層の殆どは、年収がじわじわ下がり、下級に落ちてしまうそうだ。原因は、グローバリゼーションとIT化。インターネットの普及などIT化が進み、今では、コールセンターやシステム開発など、中国やインドといった低所得の国家に移行が進んでいる。企業間の競争がグローバルで激化すれば、当然賃金の低い国に業務がアウトソースされる。日本はマイナーな日本語が公用語なので、外人にサービスを任せられないと思ったら大間違い。グローバルに展開する日系企業にとって、日本人を多く抱えることは、コスト面で競争力を失う。国際競争の中で生き残るには、やはり、日本語教育をしてでも、賃金の安い海外に移行していくだろう。僕も、コンサルティングの仕事をしていて、この方向は残念ながら間違いないと思う。グローバル化だけでなく、企業のIT化は確実に加速する。日本版SOX法(金融商品取引法、新会社法など)により、企業の内部統制に関する報告義務が課されると、ITによって企業グループ全体の業務プロセスのリスクを削減していかないと、内部統制の業務負荷や人件費が大幅に増加してしまう。おそらく人を多く抱えるよりは、IT化した方が長期的には割安になる。となれば、定型業務しかこなせない人材は、ますます不要になり、業務改革をリードできる人、プロジェクト管理ができる人など少数の人材が高く売れる時代になっていく。二極化は避けて通れない。これが僕の実感である。では、日本人はどんなスキルを身につけるべきか?次の日記で書きたいと思う。
2006.12.05
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近頃、つくづくと感じることは日本の企業は、リーダーが育ちにくいということ。「出る杭は打たれる。」残念ながら、これが今でも日本の社会では成り立つことわざだ。クライアント企業の中で、ビジョンを持った頭の切れる次長クラスの人が左遷されたケースを何度か見てきたし、僕の会社の中でも、非常に優秀な人材が上とぶつかって辞めていくケースが多い。部下から信頼され、業務改革プロジェクトを成功に導き、会社に大きく貢献しているにも関らず、自分の考えを正直に主張することにより、上と衝突して、出世の機会を潰してしまう。おそらく経営者には、YESマンを好む人と、意見をズバズバいう人を好む人の2つに分かれるのではないかと思う。YESマンを好む人は、物事を考えるときに、経営という目的に対してどうすべきか?ではなく、自分の立場を守る上で、どうすべきか?を第一に考え、反対意見を言う部下を活かす努力はせず、安直に敵とみなして対処してしまうのではないだろうか?どうもこういうことをする経営者は団塊世代に多いように思う?まぁ、これは僕の経験だけ言っていることで根拠はないが。しかし、古い体質の大企業には、実力があるのに経営者にまで昇っていけない人材が非常に多いように思う。一方、中年の人材の流動化は、まだまだで、名の通った企業に勤めている中年サラリーマンは、転職は、家族や年収など経済的な条件を考えると躊躇して、現状に甘んじてしまうことが多いように思う。しかし、今は景気が回復して優良企業は、人材不足が深刻な状況。人材募集に年齢制限をしている会社が今でも多いが、年齢制限はやめて、40代の優秀な人材探しを積極的にやるべきではないか?中年・管理職クラスの人材の流動化は、長い目で見れば、優秀な人材を活かせない会社は淘汰され、活かせる会社が成功することになり、日本経済界の活性化のため良いことだと思う。■なぜあの人は「イキイキ」としているのか 「この日本の現場に活力を取り戻すために何をなすべきかを考えようとした書であり、実務家が書いた手づくりの処方箋」人材紹介会社社長のかずめさんと、かずめさんが参加されているAPO研(人と組織の活性化研究会)の有志の方が書いた本。
2006.11.26
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ソフトバンクがシステムトラブルを繰り返す理由【コラム】ソフトバンクモバイルが10月28日と29日の両日に携帯電話のMNPに関する申し込みを含めた受付業務を停止したシステム障害に関するコラム。なるほど、もっともだと思う。僕は昔、Yahoo! BBに申し込んだが、半年経っても連絡がないのでキャンセルした経験がある。だから今回の予想外割引も何かあるのではないかと疑いを持っていた。案の定、「予想外」ではなく予想通り!孫正義は、ホリエモンとは違い、孫子を実践している非凡な戦略家で、嫌いではないのだが、どうもワンマン社長的な面があり、暴走して、何かしでかすのではないか?と不安を感じる。今回の予想外割引も、孫子の「兵は奇道なり」を実践して、弱者がドコモやAUといった強者に挑んでおり、拍手を送りたいところだが、やはり準備不足。ワンマン社長の強引さで無茶をしてしまったのではないか?まぁ、これも戦略ならたいしたものだが、まわりは大迷惑、フェアではない。「孫正義はITに強いはず」と思う人もいるかもしれないが、ITに詳しいことと、ITマネージメントに長けていることは、まったく違う。おそらくカリスマであり、戦略家の孫正義を抑えるだけの管理職が、まわりにいなかったのではないか?かずめさんの日記では、「中間管理職が崩れている」というショッキングな問題を取り上げているが、IT業界も同様。大規模なシステム構築は、プロジェクトマネージメント力にかかっているが、プロジェクトマネージメントを任せることができるマネージャーは絶対的に不足している。ITの進歩によって中間管理職はいなくなるという予測をした人がいるが、大間違いだと思う。今ほど、戦略家を支える管理職が必要な時代はないように思える。
2006.11.08
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『人間の自由の最後の拠り所。それは、ある特定の状況において、自分の態度を選ぶ能力のことである。』(ヴィクトール・E・フランクル)僕が仕事や家庭の問題にぶつかり、悩んでいるときに、いつも思い出す言葉である。普段、清く正しい生き方、態度を心がけても、いざとなると人間は弱い。時には、言い訳を考えたり、こっそり自分だけ得をしようと考えたりする。誘惑に負けそうになるときもある。そういうときは、この言葉を思い出す。人間は他の動物と違い、本能や欲望だけで行動するわけではない。今自分が考えていることは、自分の信念に基づいているのか、目先の欲望に基づいているのか?人間は、行動する前に、冷静に考える力を持っている。ヴィクトール・E・フランクルは、アウシュビッツの強制収容所を経験し、あの20世紀を代表する名作夜と霧を書いた心理学者だ。心理学者のフランクルが好きになったのは、十年程前、コヴィーの『7つの習慣』の中に、上記の言葉が引用されていて、感動したことがきっかけだ。そのとき僕は、システム開発プロジェクトのプロジェクト・マネージャーをやっていて、システム障害を、どのように、解決し、乗り切るかを必死に考えていた。今考えれば、7つの習慣とフランクルの言葉があったから、問題を解決することができたのではないかと思う。追い詰められたときこそ、人間の真価が問われる...まぁ、アウシュビッツに比べれば、まったく大した話ではないが....
2006.09.18
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村上氏が会見、インサイダー取引疑惑認めるやっぱり...さて、この世の中で成功する人は大きく下記の2タイプにわかれるのではないかと思う。 (1)人に希望を与え喜ばすことが得意な人 (2)人を追い込むことが得意な人(1)の典型は長嶋とか、たけし、さんまのようなスター。この人といっしょに仕事をすると楽しい、幸せと感じさせる魅力的な人。この人についてゆけば何かきっと良い事がある、感動できると期待させてくれる人。(2)の典型は、村上ファンドの村上氏とか、ホリエモン。人にプレッシャーを与え、退路を断たせて、追い込み、自分の都合の良いように操ることが得意な人。阪神株TOB、村上ファンド応募へ…経営統合固まるまぁ、こんな人達を例に挙げても、身近ではないのでピンとこないかもしれないが。(1)のタイプは残念ながら、なかなかお目にかからない。僕の会社では唯一社長ぐらいだろうか?一方(2)のタイプは多い。村上ファンドの村上氏の場合、奇麗事を言っても、心の奥には企業を追い込んで、良い条件を引き出し、儲けようという魂胆がミエミエである。こういう手口を使う企業は一流企業にも多い。聞いたところ、ある銀行は、取引先のシステムベンダーに「XXXができなければ、ここにX百億積んでくれるんでしょうね?」とか、直接金融での資金調達を増やし、銀行借入を減らしている取引先に対して「明日X百億円用意できるのは、弊行だけです」といったゾッとするような台詞を行員が皆、口癖のように連発するらしい。会社の中の上下関係においても、上司が部下にプレッシャーをかけ、追い込んで、言いなりにさせようとすることはよくある。売り上げのノルマなど短期的な成果を得ようと思ったら、人を追い込んで必死にさせることが一番てっとり早いから。自分も、そういうプレッシャーの中で育ってきている場合は、それが当たり前だと思って、部下を追い込む。しかし、こういうやり方は続かない。万年、背水の陣では、人は参ってしまう。だから、人を追い込むことだけで成功した人は、長続きしないように思う。危機感を共有するのであれば、信頼関係が生まれるかもしれないが、一方的に相手の立場を追い込み、脅すようなことをすると、二度と信頼関係は回復しないだろう。まして、今の日本で、こういうやり方をしては、若い人たちは皆辞めてしまう。しかし、人を追い込んで成長してきた会社で、踏ん張り生き残ってきた人は、なかなか発想の転換ができず、繰り返してしまう。夢だけで人を導き成功することは難しいかもしれないが、それ以上に危機感だけも難しい。まして人を追い込み、恐怖心だけで長く統制することは不可能だと思う。長続きするには、人の心を掴んでいるかどうか常に気を配る努力が必要。知能指数が高くても、こういう当たり前のことを、わからない人が多いように思う。
2006.06.04
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日経ビジネス5/1号に気になる特集記事があったので買って読んでみた。タイトルは『社員が崩れ、会社が崩れる。憂鬱なオフィス。何のための管理強化か?』今、大企業は個人情報保護法などの影響で情報セキュリティ対策を強化したり、内部統制の監査が義務付けられたり、社内管理が厳しくなっている。企業によっては小学校、ひどいところは監獄並に厳しい業務ルールが作られているようだ。例えば、・ファックス送信時、上司の承認が必要・異性の部下を飲みに誘う場合、上司の許可がいるこのためストレスがたまり、心身に問題が発生したり、やる気がなくなる従業員が増えているとのこと。成果主義で、売り上げノルマが厳しくなり、一方、業務ルールがどんどん細かくなり、ついていくのも大変。これには身につまされる思いがある。企業の不祥事が続く以上、内部統制強化の方向は当面変わりないと思うが、程度は考えなければならないと思うし、一方、企業は、メンタルヘルス対策を併せて強化しなければならないと感じた。また、コンサルタントのひとりとして、企業に無意味に厳しい管理方法を提案することが、どのような悪影響を及ぼすか?十分注意する必要があると責任を感じた。
2006.05.01
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徹夜続きのプロジェクトが一段落したかと思えば、夏季賞与評価の提出締切日が来週月曜日と迫っている。僕は今回4つのプロジェクトを管理し11人の評価を行なう。ひとりひとり評価面接を行なうので3日がかりの大仕事になる。昨日中に終えることができず、今日は、残りの評価シートを作成することになった。評価は勿論、公平でなければならない。公平な評価をするため注意すべきことは何か?評価をする上で人が陥りやすい傾向は、(1)ハロー効果 一部についての印象が、その人の全般的な印象を作り上げ、個々の要素の評価が狂ってしまう傾向。ひとつ優れた(劣った)面があると、他も優れている(劣っている)と勘違いして評価してしまう。(2)寛大化・厳格化傾向 一般的な管理者が評価するレベルより高めに評価してしまう(寛大化傾向)逆に低めに評価してしまう(厳格化傾向) (3)中心化傾向評価段階の中心、あるいは特定の評価段階に評価結果が集中してしまう傾向。評価者が自信がなかったり、部下を知らなかったりして評価結果を説明ができないため、人の優劣の差をはっきりさせない傾向。 (4)自己投影効果 自分と似たような志向性、価値観をもっている人に対しては評価があまくなり、そうでない人には厳しく評価をする傾向 これはうちの会社には、よくあるパターン。(5)論理誤差 本来ならば、評価に影響すべきではない要素が評価に影響してしまう傾向。社交性がある人は交渉力もあると勘違いするなど。 (6)遠近誤差評価期間全体の評価をすべきものを直近の仕事ぶりだけで評価してしまう傾向。直近で頑張ったとき高く評価し、失敗したとき低く評価するなど。こういうことは、理屈でわかっていても、実際、客観的に行なえる管理者は少ないのではないか?事業部内で評価調整を行なうときも、こういう傾向が強いマネージャーを多く見かける。特に転職して間もない中途採用の人や、経験の浅い若い人。まぁ、僕も人のことを言える程確かかどうかわからないので、いつも自問自答している。さて、評価の季節になると、いつも評価とは何か?考えさせられる。賞与評価は実績を評価するもの。会社の賞与原資は当然限りがあるので、貢献度に応じて賞与原資を配分する必要がある。このために段階的な相対評価を行なう。相対評価というものは本当にむなしいものである。閉塞的で、狭い世界での競争心により人間関係がぎすぎすする。僕は、ずば抜けて優れている人とずば抜けて劣っている人以外は大差をつけない方が良いのではないかと思っている。それよりも、もっと大切なことがあると思う。評価は、単に過去の結果をフィードバックし、優劣を判定するに留まるものではなく、未来に向かって個人の成長の方向性を明確に示し、組織の方向性と合致させ、個人のモチベーションを挙げることが重要だと思う。そのために個人の伸ばすべき長所や、解決すべき課題を示す。こういう評価を行なうには前提がある。普段の仕事の中での信頼関係を構築しておくことが重要。魅力のあるビジョンを示し、部下の喜びと辛さに共感し、思いやること、その上で厳しい指導が受け入れられる。これが成り立たなければ、部下は冷静さを失い、自分自身の課題に目を背け、自己防衛と上司の批判に終始するだろう。
2006.04.08
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僕は昔、巨人ファン、今はアンチ巨人長嶋が監督を辞め、松井がメジャーリーグに行った頃から覚めてしまい、昨年のプロ野球再編問題でのナベツネの傲慢な態度に腹が立ち、逆に巨人に反感を持つようになってしまった。それにしても、巨人は何故、ここまで弱くなったのだろうか?今更、くやしいなんて気持ちはないが、ちょっと酷過ぎると思う。やはりフロント、経営の問題だろう。ホームランバッター至上主義、他の個性を持った選手を無視。金にものを言わせ、外部からスターをかき集め、若手を育てない。若手選手は、どうせ他球団からスターを引っ張ってくると思っているのか、レギュラーになろうという意欲がない。チームにブランド力があるので、レギュラーになれない選手も危機感がない。これは低迷する会社組織にも当てはまる。そういえばコンサルティング会社でもそう。重要クライアントや新規の大手クライアント向けに、優秀なベテランのコンサルタントを集め、ドリームチームを作ることがあるが、それがうまくいくとは限らない。普段はプロジェクトリーダーを務める優秀なコンサルタントを集めても、それぞれプライドが高く、自分の考えを持っているので、意見が対立して、会社としてまとまった案を出すことができなくなる場合がある。それよりも軽快に動き情報収集したり、専門分野について地道に分析する若手コンサルタントがいた方が、役割分担がはっきりして、うまくいく。また、ベテランの中途採用者を優遇しすぎると、若手の元気がなくなる。ベテランのコンサルタントを高待遇で採用し、重要なポジションを与えてばかりいると、若手コンサルタントは、自分にはチャンスがまわってこないんじゃないかと不安になる。実際にそうだったとすると、確実にモチベーションの低下、モラルダウンが起こる。しまいには上に頼ってばかりで、自分を磨こうとしなくなる。外資系の大手コンサルティング会社の場合、会社のブランド力に頼った中身のない、かっこだけの「なんちゃってコンサルタント」が量産される。そして、仕事の欲求不満を合コンで解消する。う~ん、業界は違っても結局、組織は人の集まりだから共通点は多い。巨人を反面教師としなければならない企業は結構多いのではないか?
2005.09.23
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今、ある企業の事業計画の有効性、投資対効果の妥当性の評価を行なっている。グループ企業に、あるサービスを提供する事業会社を設立する計画。最大の課題は、『目的の明確化・優先順位付け』もともと事業の目的は明確だったのが、構想を策定する中で、試算した投資対効果が十分でないからか、いろいろな定性効果を目的として後付にしたため、目的が増え、一体その事業の最優先の目的が何なのか?曖昧になってしまっている。調べてみると、その事業が直接、問題を解決しないものまで目的として挙がっている。目的が拡大し、事業の価値が過大評価されてしまっているのである。目的が拡大し曖昧になっているため、プロジェクト関係者間で事業の範囲や導入プランの考え方にズレが生じている。手段がいつのまにか目的になり、手段ありきの議論がなされ、根本の問題を解決し目的を達成するため、何が最適な手段か?見失ってしまう。こういうことは、よくある話。さて、もうすぐ選挙だけど郵政民営化の話も同じ。一体どれだけの人が郵政民営化の目的を理解しているのであろう?自民は郵政民営化という手段は、あらゆる問題を解決する万能薬のようなことを言っているが、本当だろうか?民主党は、郵便貯金の限度額を500万円に押さえ、事業を縮小すると言っている。これも手段だ。では、貯金を500万円に制限した場合、どのようなインパクトがあるのか?手段だけ提示して目的も実現可能性も曖昧である。今回の選挙は、自民党から抵抗勢力が切り離されたという意味では画期的であるが、争点が、これで良いのか本当に疑問である。
2005.09.07
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人間は、納得感も持って行動する場合と、嫌々行動する場合とではパフォーマンスに大きな差が開く。改革を行う時、組織のリーダーが、何故こうしなければならないのか?納得感のある説明をしなければ、組織の構成員のモチベーションは上がらず、どんなに正しい改革であっても形骸化してしまうだろう。外面が良いだけでは駄目なのである。しかし、最近、日本の政治や経営の世界を見ていると、組織のミッション・ビジョンに基づいて、何故そのような戦略を採用したのか?を説明しない(できない?)リーダーが多いように思う。国家・地方自治体・企業・その他...日本中の組織体のリーダーがこうだと日本の国力は下がる一方だろう。僕は、これは日本にとって深刻な問題ではないかと思う。日本企業の場合、昔から稟議制度という制度がある。要は、下から上へ企画を提案し、上が決裁するという仕組み。トップダウンの米国型企業経営に対し、個人の主体性を重視した良い制度だと思うが、環境変化が激しい時代には、気をつけないと、うまく機能しなくなる。組織全体の進むべき方向性が社員に浸透していれば、ひとりひとりが、その方向性に基づいて、自分達は何をすべきか考え、明確なアイディアを出すことができる。しかし、、組織全体の進むべき方向が見えないとき、社員は、自分勝手な思いで、局所的な課題解決策しか出すことはできない。高度経済成長期の日本は進むべき道が見えたが、今は大変複雑な環境にあり、組織毎に進むべき道を考えなければ生き残れない時代。こういう時代こそ組織のトップのリーダーシップが大変重要である。では、どのようなリーダーシップが求められるか?勿論、組織の構成員に対して組織全体の進むべき方向性を明確に示さなければならない。最も重要なポイントは、プライオリティの判断基準を示し、組織の構成員各々が判断できるようにすることだ。そのためには、まず、『組織のミッション・ビジョン・価値観』と、『採用した戦略』の整合性・有効性を明確に説明する必要がある。『我々は、こうなりたい。そのためには、こうしなければならない。何故なら.....』上記の....をちゃんと説明しなければ、組織の構成員は戦略の意義や有効性に対して半信半疑になってしまい、応用もできない。しかし、僕の経験から、多くの大企業では、ミッションが非常に抽象的で、社員に浸透しておらず、経営トップもや明確なビジョンを描いておらず、部下である中間管理職に示していないため、中間管理職が、何が重要なのか迷ったり、自分が責任取らされないか不安に思ったり、嫌々、企画を策定し、稟議にかけている。経営トップや執行役員は、もともとビジョンがないし、専門知識もなく、その企画の重要性を判断する力が無いから、結局、部下の基準で試算した費用対効果だけで、投資するかどうか判断してしまう。偉そうにしていても、自分の考えがないから部下の言いなりになってしまう。中間管理職が護身のため改革に反対であれば、当然、改革案は骨抜きになる。つまり、リーダーが本来やるべきことをやっていない(または、できない)ため、改革が中途半端に終わってしまうのである。日本企業の場合、役員になると、逆に戦略を考えることから遠ざかり、金融機関などの企業の関係者の接待やご挨拶など表面的な人脈作りに時間を割いていて、肝心なことを下に任せているケースが多いように思う。政治の世界も同じように思える。官僚に何でもまかせて法案自体読んでいない議員も多いようだ。郵政民営化法案も何故良いのか?何故駄目なのか?抽象論ばかりで具体論を語る人が少なすぎる。国民も勉強不足だと言われるが、政治家が本来やるべきことをやっているのか?疑問である。
2005.08.12
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昨日は久しぶりに産業カウンセラー講座の実習に参加した。終了後は、勉強会と称して、会場の近くの焼き鳥屋で集まり、ビールで乾杯!考えてみると講座が始まってから3ヶ月、半分が過ぎた。僕のグループは13人。27歳から60代の方まで年齢層は広い。僕が丁度中間の世代。男女も半々。職業は、技術者、医療関係者、経営コンサルタント、公務員..と幅広い。いろんな世代や立場の人が集まっている。こういうバラバラな人達が短期間で仲良くなるなんて難しいことのように思うかもしれない。しかし、互いに実習で、クライエント役、カウンセラー役をやり、相手を尊重し、相手の悩みに共感することを心がけて、実習を行なっているうちに年齢差、男女差、立場の違いなど何も気にせずに、心が打ち解けて自然に接することができるようになってきた。だから最初は緊張していたのだが、今は、なんだか実習に参加し、受講生が集まるとホッとするような雰囲気になっている。だが、実習のときは、相手を評価したり、評価されたりする間なので甘えた人間関係ではない。ときには厳しい評価をされることもあるが、これは相手を引きずり落とすための批判ではなく、もっと頑張れ!といったメッセージとして自然に受け取ることができる。産業カウンセラーは現在不足しているため、資格試験は、合格基準を満たした人は全員合格。だから受講生は勝ち負けを争うライバルという関係ではなく、互いに情報・ノウハウをシェアし、励まし助け合う仲なのだ。まてよ、こういう関係を作ることができたら、会社は強くなるのではないか?個人の成長が組織の成長につながる。組織の成長が個人の成長につながる。皆がこれを信じることができれば、きっと強い組織ができあがるだろう。組織が成長し、明るい未来が展望できると、目指す役割やポジションは増えていくと期待できるし、そうなれば社内で足を引っ張り合わず、互いに協力しあう雰囲気が醸成される。だからこそ経営者は社員にとって魅力あるビジョンを考え、語らなければならない。しかし今の多くの企業はリストラや減給など社員が会社の成長を信じることができない。個人間は、成果主義、生き残り戦争...これでは、ますます悪循環。何も利益アップだけが会社の目標ではないし、給料アップだけが社員の目標ではないだろう。社会貢献も社員の求心力になると思う。経営者は、社員が希望をもてるビジョンと、それに対する社員共通の行動目標を明確にする必要があると思う。中間管理職は、諦めてはならない。辛抱強く経営者の気付きを促し、自分の部下には自分の考えや思いを伝えよう!
2005.07.31
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企業の不祥事ひとつの不祥事で経営破綻まで追い込まれることもある。これは一体どうすれば無くすことができるのか?米国では2002年、サーベンス・オクスレー法(SOX法)とよばれる企業改革法が制定され施行された。この法律により企業の内部統制に対する経営者の責任が明確化し、内部統制の監査が義務化された。僕の会社のクライアントの中でも米国で上場している企業は、これの対策で大忙しだ。日本でも、JR西日本、三菱フソウ、カネボウ、西武、雪印...米国と同様に、いやそれ以上に企業の不祥事が相次いでおり、問題は大変深刻化している。こうしたことから、日本でも来年、日本版の企業改革法(新会社法)の導入が予定されている。関連記事http://www.asahi.com/business/update/0713/068.html今年はホリエモンのニッポン放送買収騒動があり、企業価値という言葉が流行ったが、継続的に企業価値を発展させるには、単に儲けを追求するだけでなく、内部統制を強化し、リスク管理を徹底しなければならない。ひとつの事件で企業は吹っ飛んでしまうからだ。会社法制定に伴う内部統制監査の具体的な要件については、まだわからないが、大企業は、内部統制のためのコスト負担を余儀無くされることになるだろう。例えば、仕入れ品の注文担当者と検品担当者を分けたり、手形や領収書などの現物を管理する人と会計帳簿を管理する人を分けたり、内部統制を強化すると人手がかかり、人件費がかさむ。また、監査法人の内部統制監査の報酬も増す。一方、我々コンサルティング会社にとって、これはビジネスチャンス。業務の標準化やシステムによる情報の可視化に向けたコンサルティングのニーズが高まる。噂によると、この内部等統制強化対策のマーケット規模は8000億円程になるらしい。僕も当分仕事が無くて困ることはない?それはさておき、本当に今のような考え方で内部統制を強化して、不正が減るのか?という疑問がある。現状の内部統制の考え方は、性悪説に基づいている。人は広い範囲の権限を与えると、ときには悪いことをしてしまう。だから権限を分割し、人と人が互いに目を光らせ、悪いことをしないように監視し合う。不正防止を徹底しようと思ったなら、こうした考え方になるのは、もっともなことだが、これだけで解決するとは思えない。業務や担当者を分割すれば、セクショナリズムや個人主義が蔓延り、全体にまたがる問題の発見や解決に向けての推進力が弱まる可能性がある。アスベストの問題を見ていると、数十年前に問題が報告されていたにもかかわらず、縦割り行政のため、誰もが「俺には関係ない」と考え、放置してきたとしか思えない。僕は、性悪説をベースにした不正防止の仕組み作りだけでは、イタチごっこになり、限界があると思う。併せて性善説に基づいたモラルアップの施策も行わなければ駄目だろう。特に中間管理職クラスのモラルアップとコミュニケーション面のスキルアップが重要。IT革命によって中間管理職不要説が出たが、それは間違い。伝達手段としての管理職は確かに意味をなさなくなったかもしれないが、組織の問題解決を率先して行う役割として確実に需要度が増している。企業は、中間管理職の役割が何なのか?一度見直し、確認するが必要あるように思う。--------------------------ところで、今、愛・地球博の会場で日記を書いている。どこも待ち時間が長く、日記を書くにはもってこい。勿論、愛用のザウルスで。予約しなかったのでトヨタ館、日立館、ドイツ館など人気のパビリオンは入ることができなかった。行く予定のある方はインターネット予約した方が良い。幸い、電車好きの息子はJR東海の超電導リニア館を見ることができて満足している様子。JR東海 超電導リニア館僕は...ちょっと疲れた。でも来て良かった。僕も幼稚園のとき大阪のの万博に親に連れてってもらったが、岡本太郎の太陽の塔とフジパンロボット館は感動して今でも記憶に残っている。息子も超電導リニアや生のマンモスには驚いたことだろう。亡き親にしてもらったことを自分の子供にしてやれて何だか満足している。
2005.07.23
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先週から少しづつ時間を作って、部下と個人面談を行っている。部下と言っても、僕が直接評価を行う直属の部下ではなく、部下の部下にあたる若い人達を対象にしている。彼ら(彼女ら)にとって僕の役割はプロジェクトのミッション、ビジョンを示すこと、職場環境の改善、中長期的なキャリア開発の支援になる。彼らの成長は、僕が目指すミッション、ビジョンを実現するためにも不可欠だ。彼らも成長したいという欲望が強く、どのような分野、方向で自分を磨けば良いか探っているに違いない。だけど部下の部下だと普段あまり話をしないし、会っても「元気?」とか「調子どう?」とか、ちょっとした雑談しかしないし、「何かあったら相談してね?」と言っても、わざわざ相談しにくることは殆どない。本当に同じ方向を向いているのか?いきいきと仕事をしているのか?仲間との人間関係に問題はないか?以前、皆に話したプロジェクトのミッション、ビジョンは覚えているのだろうか?納得しているのだろうか?ということで、非公式に面談を行って確認した。今回は、傾聴に徹し、非指示的に、彼らに質問し、彼らの心を開かせようと思った。さて、結果は?いつの間にか僕の方が質問攻め遭い、話していることが多かった。僕は、やはり、彼らにとって、権限ある立場だし、なかなか弱みや本音は出さない。彼らの優等生的な質問に対して、いつの間にか、僕は、あるべき論を長々と語っていた。う~ん、これはカウンセリングとは違いますな?まあ、良いか。彼らの表情を見ていると、皆いきいきしていて、概ね問題はないということがわかった。中身はどうであれ、僕が部下の話を聴こうという姿勢はわかってもらえたと思う。感謝してくれる人もいた。彼らと約束したコンサルティング事例の勉強会、必ず、やらなければ。信頼関係が大切。
2005.06.13
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先週末、父の葬儀が無事終わり、今週から普段の生活を再開した。産業カウンセラー講座にも久々に出席。テーマは「産業カウンセリングの発展」産業カウンセリングの歴史に関する講義である。米国の産業カウンセリングの歴史は長く、第一次世界大戦の頃から始まったようである。経営学でもお馴染みのホーソン実験など労働者の生産性について心理学的に研究した事例の説明があった。この実験は、照明の明るさなど、労働者をとりまく環境と生産性の相関を検証するための実験であったが、まったく予測していない結果になった。照明を明るくしても、暗くしても労働者の生産性はどんどん向上していくのである。わかったことは、実験をするにあたって研究者が労働者とこまめに相談をし、職場環境の問題について話を聴いてあげたこと自体が生産性の向上につながったということ。意外にもカウンセリングの必要性を証明する実験になったのだ。こういうことが大昔にわかっているというのに、日本企業のどれだけの経営者がこういうことを理解しているのだろうか?日本の企業は米国流成果主義をどんどん取り入れているが、一方、米国程、カウンセリングのように従業員や労働者の精神面のケアを行う制度が浸透していないように思う。制度はあっても浸透していないというのが実態かもしれない。経営者の問題意識はあっても、中間管理者層に、その意義を理解させなければ浸透しない。むしろ本当にカウンセリングが必要なのは中間管理者層かもしれない。 売上あげろ! 人を育てろ!両方必要であるが、短期目標と中長期目標のバランスや評価の仕組みがいい加減であれば、中間管理者層は、悩んでしまうだろう。この日の講師は、長年、産業カウンセラーとして活躍されたベテランだったが、最後にとても良いことを言っていた。自立するとは、どういうことか?それは他人に依存し、依存されることが上手な人。何でも自分でやってしまう人は自立ではなくて孤立する。なるほど 依存すること → GIVE 依存されること → TAKEに置き換えれば、僕が本ブログで主張している『GIVE&TAKE→シナジー』に共通する考え方だ。面白かったのは、なんでも自分でやってしまう人が孤立してしまうということ。自分の力に自信があり、常に主役でなければ気が済まない人。周りがシラケてしまう。あなたの周りにも、こういう人いませんか?以前、僕の部下にも、こういう人がいた。 万能タイプ。 何でも真剣に取り組む。 クライアントからの評価も高い。僕は彼にチームのリードを全面的に任せてしまった。しかし、彼の部下が、どんどん会社を辞めてしまう。辞める人は「僕はXXさんのようにはなれない。」とポツリと言った。重要な仕事は誰にも任せず、クライアントからは常に彼が主役だった。これでは、まわりがシラケてしまうのも無理は無い。やがて、そのプロジェクトは収束し、他の案件がでてきたので、彼に提案を任せたが、その分野のノウハウをもった人は彼ひとりしかおらず、配員に苦労した。今から考えれば僕の判断ミス。これでは、組織は成長しないし、彼も成長しない。 自立と孤立の違いなるほどと思った。クリックで救える命がある
2005.05.24
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尼崎JR脱線事故や羽田空港の航空管制ミスなど、相変わらず、企業や組織の体質が原因と思われる事故やトラブルが相次いでいる。僕は、こういう事件の背景に、中間管理層のメンタル面の問題が深く関係しているのではないかと思う。経営者が共有すべき組織のミッション・ビジョンや危機意識を、従業員に伝える努力をしないと、組織中に閉塞感が漂うと同時に、緊張感も無くなってしまう。こういう雰囲気の中、過去に起こった問題の後始末など、ずっと従業員に苦行ばかり強いていると、従業員の問題意識がボケてきて、逆に犠牲者意識が強くなり、何か問題が起こってもすぐに他人事にしてしまう。そして、本来自分自身で解決できることすら、解決しようとしない無責任状態に陥ってしまう。特に、交通関連の仕事は、非常に責任の重い重要な仕事をしているにも関わらず、明日も明後日も、来年も再来年も、やることは同じ。こういう地道な仕事の場合、従業員が自分の仕事に意義を感じ、プライドを持って仕事に臨めるように、経営者が配慮しなければ、従業員は、簡単に無責任状態に陥ってしまうだろう。特に中間管理職は、経営者のリーダーシップの弱さと、若い社員の個人主義化や帰属意識の低下等の問題の板ばさみに合っており、昔、頑張っていた人すら、「おれのせいじゃない」「どいつも、こいつも」といった気持ちが強くなっているのかもしれない?僕のクライアント企業の中にも、そういう兆候は見られる。企業の業務改革について過去数年間、社内で同じ議論を繰り返していながら、何も意思決定できず、とうとう外部のコンサルタント頼みになってしまうケースが見受けられる。原因は、経営者層と中間管理層のコミュニケーションの問題。経営者層が中間管理層に自分のビジョンや戦略を十分説明しておらず、中間管理層が優先順位をどう考えれば良いか?迷っている場合や、そもそも経営者層がビジョンや戦略を持っておらず、中間管理層に、それを押し付けているが、中間管理層が、それを納得しておらず、組織全体が無責任状態に陥っている場合があるように思われる。酷いときは、業務改革のプロジェクトを起しても、プロジェクトオーナー(役員クラスで、プロジェクトの最終意思決定者)は、月1回の報告会に顔を出すだけで、意味のある発言をしない。その上、プロジェクトリーダー(中間管理層)が急病(精神面?)でダウンし、後任のリーダーのもと、寄せ集めのプロジェクトチームは無気力状態、何を提案しても、うつむいたまま無言という場合もあった。(それを指摘して立ち直らせるのもコンサルタントの仕事)実力主義、成果主義を取り入れるならば、経営者は、もう少しメンタルな面の対策が必要ではないかと思う。もうちょっと、こういう面(心理学的な面)の勉強が必要ではないだろうか?僕は、財務戦略や効率化の仕組を専門にするコンサルタントであるが、本音を言えば、こういうことよりも、孫子の兵法のように軍の士気を高める心理面の戦略が、今の日本の古い体質の大組織・大企業には1番必要ではないかと思う。クリックで救える命がある
2005.05.02
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僕の会社は、今、人事評価の時期。プロジェクト毎にマネージャーが個人の評価を行い、個人の評価を集計し、ビジネスユニット毎に評価の調整(相対評価)を行い、評価を最終化する。今回から僕は、あるビジネスユニットの取り纏めを行なうことになってしまった。クライアントサービスを行いながら、これをやるのは滅茶苦茶キツイ。僕の会社は成果主義で、ボーナス査定は、個人によって大きな差が出るので、本当に神経を使う。ただでさえ大変なのに、評価のプロセスやツールが毎回コロコロ変わる。毎回、新しいツールとマニュアルが電子メールで送られてくる。「おいおい、これを全部読めというのか?」僕の会社のHR(人事)担当は、改善することが使命だと思っているのかもしれないが、根本が変わらないのに、プロセスやツールだけ変えても、現場が混乱するだけだと思うのだが...何か勘違いしている。評価を数値化し、相対評価を行うわけだが、ツールやマニュアルや評価項目が変われば、「大体こういうことができれば、この程度の評価になるのでは?」といった評価担当者の認識が、毎回ズレてしまい、同じ被評価者の評価が毎回安定しない。評価者の理解が毎回曖昧。被評価者の不平不満は耐えない。困った評価者は、自分の部下を全員極端に良く評価する人。部下に好かれたいのか、見る目がないのか勘弁してもらいたい。こんなことをやっていては、毎回、評価調整会の議論が長引くし、被評価者本人は課題認識ができないので、他の仕事に変わったときに苦労する。僕は、コンサルタントの評価を半年に一回行っても、評価の精度には限界があると思っている。(だから短期的で極端に差が出る成果主義には反感がある)かといって評価をしないわけにはいかない。まず、評価者が全員ちゃんと理解し、共通認識を持てるよう、一貫した考え方を定着させる必要がある。僕は、人事の専門家ではないので、良い答えは今すぐ出てこないのであるが、本当に何とかしたい分野だ。(しかし、へたに近づかない方が良い分野なのかもしれない。答えが無い?)こういう社内のHR担当のやり方は反面教師としてコンサルティングの参考になる。僕も気をつけなければ...こういう数値で、どれだけ評価されようが、結局、マーケットニーズのある得意分野、良いクライアント、そして良いボスを持っていないコンサルタントは、のちのち辛い思いをする。いくら上司に良い評価をされようが、満足していては駄目。内省的でなければ本当に成長はしない。結局、自分で自分を評価できなければ駄目。クリックで救える命がある
2005.04.06
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「自分は何のために働くのか?」日経ビジネス(2005/4/4)によると、日本企業に、こういう当たり前のことを悩んでいる社員が増えているようだ。自分の仕事に不満を抱き、自分の仕事に意味や価値観を見失っている、いわば「社内ニート」が増加しているようである。僕の会社も残念ながら、こういう「社内ニート」が少しずつ増えているように思う。・熱中して、がむしゃらに仕事をするようなことはない。・仕事を好きになれず、仕事を覚えるスピードが遅く、得意分野がなかなか見つからない。・会社に対して不満げな言動が多い。白けている。こんな人が増えている。コンサルティング会社も大所帯になって、質が低下している面もある。しかし、高学歴や難易度の高い資格を持っている人の中にも、こういう人が結構いる。これは確かに日本全体の傾向なのだろう。一般的に、この原因は、2つあるのではないか?と思う。ひとつは、経営者側が、社員にとって魅力的なミッション、ビジョン、価値観を提示できていないこと。または、浸透させる努力が足りないこと。(この問題については、日経ビジネスで、いろいろな企業の取り組みが紹介されている。)もうひとつは、社員(特に若い社員)に、生きる意欲、生存の意識(危機から脱出しようという意識)とういうものが希薄になっているように思う。20~30代の若い社員は、小さい頃から豊かな生活に慣れていて貧困に対するリアリティがない。(僕もそうだったけど)自分が食っていけなくなる状態なんて想像できないのではないだろうか?親も、まだ元気で働いていたり年金で豊かな生活をしていたりすれば、なおさらだろう。特に心配なのが若い男性。女性の社会進出が進み、男性の立場、役割の重要性が少しずつ低下していることが原因かもしれない。女性の場合、企業社会で、まだまだ、活躍の場を広げていくチャンスがあるから、「やってやろう!」という挑戦者の気持ちがあるのにに対して、男性は奪われる方だから、何となく閉塞感を持ってしまうのかもしれない。また、生き方が多様化し、選択の自由度が高まっている点もあると思う。例えば、結婚して家族を持つ生き方じゃなければ駄目だと誰も言わなくなっている。僕の場合、結婚したり、子供が生まれた時など、背負っていかなければと責任を感じ、身が引き締まったものだが...人には、それぞれ事情があるので、良し悪しについては何ともいえないが、「背負うもの」が生きる力になることは確かだろう。今の若い人の仕事の目的は、「生き残ろう」とか、「家族のために働こう」というよりも、「大金持ちになって楽して生きよう」とか、「生きがいのある仕事がしたい」といった一段上の目的が強くなっているのだろうが、その前に、生存への意識が希薄になっているので、パワーが不足で、空回りしているのかもしれない。こういう状況で、会社に入って、その会社のミッションやビジョンがぼやけていたり、建前になっていたり、浸透していなければ、「自分は何のために働くのか?」と悩むのは、当然かもしれない。僕は管理職なので、経営者側、社員側、両方の立場で考えてしまう。まず、経営者側から見た場合、こういう「社内ニート」に対して「けしからん」と精神論を押し付けても駄目だということ。「社内ニート」の心の問題について冷静に分析し、「社内ニート」が生まれないような環境を作らなければ、結局、企業の競争力が無くなってしまう。「社内ニート」を生まないようにするには、どうすれば良いか?これが経営者にとって最も重要な課題になってきたのではないか?ITによる効率化だけでなく心理学をベースに人や組織の活性化に対して科学的なアプローチが必要だと思う。社員側に立ったとき、やはり、どうしても、おじさんの立場から見てしまうのであるが、若い社員に対しては、「ちょっと甘いんじゃないの?」「危機感がないのでは?」というのが本音である。すべてを経営者に委ねているようでは、一生、出世できないし、会社を変えていくこともできない。自分がミッション、ビジョンに呼応する会社を探しまくっても、入れるかどうかわからないし、自分が、そこで活躍できるかどうかもわからない。迷っていても時間が過ぎ歳をとっていくだけ。今の会社に何か柵があっても、有志を募って、会社としてやるべきことは何かを議論し、経営者に対して提案をしていけば良いのではないか?と思う。どうも、「社内ニート」には、問題をすべて会社のせいにして、自分はどうすべきか?について真剣に考えていない人が多いように思う。そういう人には以下の本を勧めたい。7つの習慣 成功には原則があった! ( 著者: スティーヴン・R.コウヴィ / ジェームス・スキナ...僕が、この本を読んで関心するのは、日本人の書く本は難解な精神論が多いのに対して、アメリカ人は、論理的に何故そうすべきなのか?説明することが上手だという点。わかりやすくて説得力がある。また説教調になってしまった....さて、僕は、今カウンセリングの勉強をしているのであるが、僕の問題意識は、このような説教調では、「社内ニート」には効き目がないということ。自分が上司から受けてきたことを、そのまま部下にやってもうまくいかない時代なのである。そのことをよく理解しなければならない。難しい時代である。勉強勉強クリックで救える命がある
2005.04.05
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実は、今月から産業カウンセリングの講座を受講することにした。産業カウンセラーになろうということではない。今の仕事に役立てたいというのが理由。僕はコンサルティング会社に務め、主に財務・経理系の業務プロセスやシステムのコンサルティングを行っている。コンサルティングという仕事は、クライアントに専門的な知識・ノウハウを提供し、クライアントの問題を解決するため有効なアドバイスを行うの仕事である。しかし、専門分野の知識・ノウハウだけでは限界がある。コンサルタントは経験を積み重ねることにより、問題解決方法の仮説を沢山持つことができるが、それを、そのままクライアントに適用しても、うまくいかない。クライアント企業の組織、企業文化、経営者や改革プロジェクトの担当者の思い、これらは案件毎に違う。こういうことを無視して、一方的に、こちらの仮説を当てはめても、うまくいかない。結局、仕組みを変えても、人が、それについていかなければ、何も改善しないのである。コンサルタントは、クライアント企業の経営者、従業員の気持ち、そして、その中での人間関係を把握し、十分配慮しなければ、クライアント企業を成功に導くことはできない。また、大規模なプロジェクトになればコンサルティング会社側のプロジェクト体制も大きくなる。コンサルタント個々のモチベーションや心のケアもプロジェクト成功のため大変重要になる。僕も、これまで、こういう心の問題について、いろいろ苦労してきたので、何とかしなければと問題意識は持っていたのだが、いまだにちゃんとした答え(方法論)を持っていない。チェンジマネージメントといった方法論はあるにしても、では具体的に、どのようにクライアントや部下に接していけば良いか、あくまで自分の経験を通して得たノウハウであって、それが客観的に見て正しいのかどうか?、より良い方法があるのかどうか?わからない。こういう理由から、心理学を学びたいと、ずっと思っていたのであるが、健常者のやる気を高め、能力を発揮させるという目的が主なので、産業カウンセラーの講座を受講するのがもっとも近道ではないかと考たのである。今後、この講座を通して学んだことを、日記に書いてみようと思う。クリックで救える命がある
2005.04.02
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ニッポン放送が、ソフトバンク・インベストメント(SBI)にフジテレビ株を貸し出し、SBIはフジテレビの筆頭株主となったが、ソフトバンクグループのSBIは、はたしてホワイトナイトなのだろうか?僕が、この事件を知ったとき、中国兵法の「連環の計」を思い出した。「連環の計」とは、敵に対して陰謀をめぐらせ相手を翻弄し混乱させる戦略。敵の弱みや不安につけこみ、いかにもそれを助ける振りをして、自分が都合の良いように相手を動かし支配する。例えば、三国志の赤壁の戦いにおける「ほうとう」という人の戦略。魏の曹操と呉の周瑜が、赤壁で対決した際、「ほうとう」は、水上戦に慣れておらず、船酔いによって病人が続出している魏軍に対し、船と船を鎖で繋ぎ、板で船の間に橋を作れば安定し、水上で快適な生活ができると提案した。その後、魏軍の船に火をつけさせ火計を実行し、魏軍を散々に打ち破った。ソフトバンクグループの狙いは、フジサンケイグループが所有するコンテンツ。これはホリエモン率いるライブドアと変わりない。しかし、ホリエモンと同じような態度では、フジサンケイグループから反感を買い、提携は難しい。そこで、SBIの北尾氏は、困っているフジテレビを応援するかのごとく、提携関係を持ち、ホリエモンを批判。その批判の内容が素晴らしい。「他人の家を土足で入る」「ホリエモンはビジョンを示していない」これまでのニッポン放送、フジテレビの経営陣、従業員の不満を、そのまま代弁し、更に上手い言葉で強化している。フジサンケイグループの経営者・従業員から見ると、とても頼もしく見える。ニッポン放送の従業員に対する路上インタビューを見ても、それがわかる。恐らく、北尾氏は、以前の日記で書いた「心の理論」の能力がとても優れているのだろう。今後、ソフトバンクグループは、ライブドアからの圧力を上手く使って、フジテレビジョンに戦況が厳しいことを強調し、自グループに有利な妥協案を提示し、合意に持っていく戦略になるだろう。ホリエモンもフジテレビも、これにまんまと乗ってはいけない。しかし、この戦略は昔と同じようにはいかない。現代社会はマスメディアを通して世論を味方につけなければ、戦況が不利になる。プロ野球問題のときも、楽天批判があった。北尾氏は、当然、世論に対しても配慮しており、インタビューに答えている。しかし、この人、顔が悪い。ブ男という意味ではなく、何となく胡散臭く見えてしまう。言うことも、ちょっとオーバー。あれが北尾節なんだろうが、女性の視聴者が多いテレビ向けではなさそうだ。楽天の三木谷社長だったら、もうちょっと謙虚に話し、主婦層の心を掴むかもしれないが、北尾氏は?本人にとって、これは想定外なのかもしれない。(しかし、孫正義を批判のリスクにさらさないところは上手い)僕は、ビジネスの世界は戦いだと思っているので、北尾氏を批判するつもりはない。ソフトバンクグループの参戦により、メディア業界が変わっていくことに期待している。また、毎日、いろいろ勉強させてくれて、ありがとうと言いたい。関係者の皆さん、人生後悔しないよう一生懸命頑張ってください!僕は、北尾氏の名前や立場は前から知っていたが、プライベートでどのようなことをやっているかまでは知らなかった。3月29日の日刊スポーツの記事「北尾氏の横顔、私財数十億円で福祉施設」によると、数十億円以上とされる私財を社会に還元する福祉活動に熱心に取り組んでおり、親から虐待された子供たちの支援をしていると言う。欧米では、ジョージ・ソロスやビル・ゲイツなどお金持ちは慈善活動に励んでいるが、日本の資産家にしては珍しい。大義があって戦う意味があり策略も許される。強くて優しい男、僕もこれを目指したい!日本にも、こういうお金持ちが増えてほしい。ホリエモンはどうだろうか?
2005.03.28
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プロ野球参入問題と言い、ニッポン放送参入問題と言い、ホリエモンが何故、こんなにメディア業界の人達から反感を持たれるのかというと、ひとつは日本が村社会であって異質な者を受け入れない面があること。もうひとつは、ホリエモンが、頭が良い割に対人力が弱い点にあると思う。では、対人力とは何か?このスキルを身に付ける上で、大事な素質があると思う。それは、人の心を見抜く力である。健常な人には、「心の理論」と言う機能が備わっている。「心の理論」とは、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことである。この機能は、通常4歳頃から発達するが、知能指数と同様に人によって、この能力は差がある。この能力を具体的に説明するためによく用いられるのが「サリーとアンのテスト」である。 サリーは、カゴと玉を持っている。 アンは、箱を持っている。 サリーは、持っていた玉をカゴの中に入れて、部屋を出る。 アンは、その玉をカゴから出し、自分の箱に入れる。 箱を置いて、アンは部屋を出る。 そこへ、サリーが帰って来た。 さて、サリーは、玉を出そうとして、どこを探すか? といった問題。このテストは、自分の視点以外(サリーの視点)に立てるかどうか、そして、サリーが持っている「玉は、カゴの中にある」という信念を理解できるかどうかを、テストする課題である。この問題は、3才位だと、自分が見たとおり「サリーは箱をさがす」と答えるが、4~5才位になると「サリーはカゴをさがす」ということがわかる。このように健常な人は、自分以外に、「心」を持ち「信念」を持てる「他者」が、存在していることを理解し、年齢を重ね、経験を積んでいくと共に、他人の心を読む力も更に成長していく。ひとりの他人だけでなく、複数の他人が、ある状況で、どのように考えるか、それぞれの人の性格や価値観から推測できるようになっていく。自閉症の人は、この力が極端に弱い。健常な人でも、人によって大差がある。この力は、知能指数とは無関係のようだ。自閉症の人の中には非常に高い知能を持った人もいる。この能力が優れた人は、どういう職業に向いているかと言うと、政治家、営業職、コメディアン、ホストなど人の心を掴むことが重要な職業だろう。では、この能力が優れた人は、良い性格か?というと、そうとは限らない。この能力が優れており、かつ、悪人であれば、詐欺師になるかもしれない。逆に、この能力が弱い自閉症の人は、嘘がつけない純粋な心の持ち主だったりする。結局、この能力を正しく活用しなければ駄目だと言うこと。三国志に出てくる名軍師 諸葛孔明は、単に論理力があるだけでなく、ずば抜けて心の理論に強い人だったのではないかと思う。戦いの中で、敵を次々と欺き、省エネで勝利をものにする。ホリエモンは理科系で元エンジニア。とても知能指数が高く見えるが、それに比べ、ちょっと心の理論的には弱い面があるのかもしれない。僕が以前、ホリエモンを社長ロボットに例えたのは、そういうイメージがあるからかも...(凡人よりは優れているだろうが)そういう点で楽天の三木谷さんは、この能力が、かなり優れているように思える。経済や政治の世界は、騙し合いの世界。腹黒い人達の中で、ときには協力し、ときには対立し、自分の生き残りのため戦っていかなければならない。SBI 北尾吉孝氏の登場で、何だかホリエモンが純粋な若者に見えてきたのは僕だけだろうか?
2005.03.26
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昨日の記者会見でホリエモンに対してフジテレビのアナウンサーが「会社は株主のものか?それとも従業員のものか?」と質問していた。今日のテレビ朝日の報道番組で、テリー伊藤は「会社は従業員のものだ!」と主張していた。このようにライブドアvsフジテレビ問題において、テレビ関係者は、「会社は誰のものか?」という課題に拘りがあるようである。 僕は、この課題を投げかけて一体どうするの?と疑問に思う。誰のものかといえば、株主のものである。そういう所有という意味ではなく、誰の利益が優先されるべきか?との課題であれば、それは一言で答えるべきものではないと思う。経営者が、これに答えてしまっては波紋を呼ぶに決まっている。そういうことをわかっていて、揚げ足を取るために質問しているのであれば、まだ意味はわかるが、本気で質問しているなら極めてナンセンスな質問だろう。 テリー伊藤のような芸能人であれば、話を面白く、分かりやすくするため、問題を○×的に単純化し、視聴者の感情に訴えることができれば成功なのだろうが、それで世論が誘導されることになれば問題だと思う。 経営というものはバランスをコントロールすること。経営者の役割は、株主、従業員、顧客、仕入先・外注先、債権者、政府・行政、そして社会といったステークホルダー(企業の利害関係者)間の利益調整を行うこと。この中のひとつでも無視した場合は、会社は存続することはできない。 顧客を無視すれば、売上は落ちこむ。 従業員を無視すれば、良い商品・サービスを顧客に提供できない。 仕入先・外注先も同様。 債権者を無視すれば、事業に必要な資金を調達できない。 行政や社会を無視すれば、規制や損害賠償により事業がストップしてしまうかもしれない。 だから経営者は、そのとき、そのときの、ステークホルダーのニーズ、問題意識を察知して、全者が納得できる提案を行い、合意できるよう調整する使命がある。会社を経営することは、天秤のバランスが崩れないように、ステークフォルダー間の利益調整を継続することだと思う。 しかし、誰の利益を優先すべきかという課題に、敢えて答えるならば、やはり顧客ではないだろうか?というのは顧客が存在し価値を認めてもらわなければ、ビジネスは成り立たないし、企業も存在する意味がない。まず、顧客に価値を提供することが起点になるのではないかと思う。ステークフォルダーに対する企業の考え方として良い参考例がある。前にも紹介したが、例えばジョンソン&ジョンソンの我が信条これは今流行りのコーポレートガバナンス(企業統治)、CSR(企業の社会的責任)という概念を、いち早く取り入れた良い例だと思う。ジョンソン&ジョンソンは、ヘルスケア関連の製品を提供する老舗企業である。この会社は、昔、同社の主力商品であるタイレノールという鎮痛剤に何者かが毒物を混入し、死者を出してしまい、企業として重大な危機にさらされたが、社員全員が一丸となって、対策を講じ、迅速な対応を行ったため、見事に復活した。何故、このような復活ができたかと言えば、経営者が、この我が信条に立ち返り、顧客への責任を最優先にして意思決定を行ったからである。どこかの某M自動車工業とエライ違いである。株主というものは、企業の飼い主であるから、企業が、他のステークフォルダーへの責任をちゃんと果たすことを約束した上で初めて、企業を飼い、利益を得る権利があるということだろう。今日の記事中島みゆき、タモリら堀江社長を拒否 買収ニッポン放送には出演しないを見ると、何だか寂しくなる。ホリエモンの経営に何か問題があるなら仕方がないが、何も起こっていない状況で、拒否反応を起すとは、ちょっと大人げないのではないか?リスナー(顧客)が可哀想だ。
2005.03.24
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日経ビジネスによれば、やはり楽天が、ライブドアvs.フジテレビ問題においても水面下で動いているようだ。 楽天の三木谷氏は、随分前から、楽天の時価総額が1兆円レベルになればメディアとの提携・融合に動き出そうと考えていたらしい。 そういうことを知ってか、ライブドアがニッポン放送株を買い始める前に、村上ファンドの村上氏は、所有するニッポン放送株を楽天の三木谷氏に売却を持ちかけた。 三木谷氏は、フジテレビとの関係悪化を懸念して日枝会長に相談したところ、日枝会長から情報提供に関して感謝され、業務提携についても前向きに進める話をしたそうである。その後、ライブドアがニッポン放送株を買い占めた直後に、楽天は「大丈夫か?」と確認したが、そのときもフジテレビ側は楽観視していたようである。 これ以上書くと日経ビジネスに怒られるので、知りたい人は、買って読んでください。 この記事が本当であれば、やはりネットポータルの王者達にとってネットとメディアの融合は当然の方向であり、特にテレビ放送は、非常に魅力的なビジネスとして写っていると言えるだろう。 おそらく、フジテレビに限らず、他のテレビ局は夫々、近い将来、ライブドア、楽天、ソフトバンクといったネット企業との提携を余儀無くすることになるのではないか? その中で脱落組は、更にM&Aにさらされる?こうして考えると、ネット企業間の競争は、互いに良い結果をもたらしていると言える。プロ野球問題では、楽天が勝利したが、ライブドアの知名度は高まったし、業績にもそれが反映されているだろう。 今回も、どのような形で収まるかわからないが、いずれにしてもネット企業にとっては、未開の土地を開拓することで事業規模拡大が狙えるわけである。この件も2番手、3番手が楽天、ソフトバンクとなれば、ネット企業が裏で結託して役割り分担 しているのではないか?と疑ってしまう。まぁそういうことはないと思うが六本木ヒルズあたりで互いの間者が探り合った結果、そうなっているのかもしれない。しかし、僕は、素人なのでよくわからないのだが、テレビを新しいネット対応双方向端末に変身させるには、ソニーや松下といったメーカーが絡まなければ話は進まないのではないかと思う?結局、ソニーや松下といった大物は、経済界の批判を浴びるリスクを抱えてまで急ぐ必要はなく、ホリエモンのような無鉄砲な若者が、突破口になることを待って、しょうがないなとホワイトナイトになり、最後に果実を得ようとの魂胆ではないか?その前に、失敗と言われているBSデジタル放送関連の製品をもう少し売っておかないと。戦わずして勝つ。強者は孫子的。さて、BSデジタル放送が始まって随分経つが、以下の記事を読むと、やはり普及していないようである。BSデジタル放送、「1000日で1000万世帯」の半分以下僕も昨年からJ-COM(ケーブルテレビ)で、BSデジタルを見ているが、正直言って、双方向性のある番組といえば、バラエティや子供番組など限られており、内容もクイズの答えを求める程度で、この程度しかアイディアがないものかとガッカリしている。今のところ唯一、デジタルのメリットは、ノイズがないので目に良いということだけだろうか?一方通行のメディアとしてはテレビ、双方向性メディアとしてなインターネットが支持されているので、BSデジタルによる双方向番組は非常に中途半端な位置付けになっていると思う。情報発信者が限定されており、日本だけの閉ざされた世界で展開されているので、意外性のある面白いコンテンツが生まれてこない。やはり製作者側、経営者の努力不足は、明らかだろう。この機会に、放送業界も、ネット企業、IT企業との再編により変わってもらいたい。ところで、あるテレビのコメンテーターが、米国では、敵対的買収はうまくいっていないと言っていたが、本当だろうか?オラクルによるピープルソフトの買収は、敵対的買収だけど、オラクルは業績が向上している。(以下の記事参照)PeopleSoft、対Oracle訴訟を拡大 ↓Oracle増収、PeopleSoft買収経費除くと利益も増大一方、AOLとタイムワーナーの合併を、ネット企業とメデイア企業の合併の失敗例として強調しているコメンテーターが複数いるが、こちらの方は、実は友好的な合併だった。(以下の記事参照)米AOLと米タイム・ワーナーが合併、インターネット戦略を強化ちゃんと自分で調べず、コメンテーターの言うことを鵜呑みにすると怖い。気をつけよう。
2005.03.23
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今日は朝から、某ITベンダーの部長と打ち合わせ。このベンダーは、ある業務パッケージのシェアNo.1の優良企業。数年前、伺ったときは、ボロいオフィスビルに社員がギュウギュウ詰めだったが、今は、都心の大規模高層ビルの3フロアを独占している。今日は、この会社のソリューションに関する情報提供を求める交渉話。しかし、この会社にとって僕の会社は敵なのか味方なのかは微妙。我々は顧客の利益最優先だから、必ずしも、この会社のソリューションを使った提案をするとは限らない。ときには、ライバル会社のソリューションで提案することもある。一方、この会社が、我々が提供しているサービスと同様のサービスを顧客に提供し、競合することもありうる。案件(顧客)によって、ライバル会社、協力会社、立場は、ころころ変わる。これまでの実績を総合すると、このベンダーにとって我々は、邪魔者かもしれない。我々は、どちらかというと大企業に強く、それに合ったソリューションを中心に提案を行うが、彼らのソリューションは中堅・中小企業をターゲットにしている。戦略が合わないと感じているかもしれない。しかし、今回は、ある顧客のため、協力を依頼しなければならない。僕は、今回の案件で、我々と協業するメリットを説明した。我々は、顧客にとって最適な提案をする使命があるが、かといって、世の中にあるすべてのソリューションを把握することはできない。当然、我々が彼らのソリューションを理解し、それが確実な方法だと悟れば、顧客に対して自信を持って提案できるので、彼らにとって悪い話ではない。しかし、このノウハウが我々に流れ、他の案件においてライバル会社と組まれては困ると考えるに違いない。この当たり、先方としても総合的な判断が必要だ。我々としては、顧客の利益を最優先にして、どのベンダーとも良好な関係を保ちたい。このようにIT分野には規制がなく、様々なプレーヤーが、それぞれの思惑で、自由自在に動き回る。あるときは敵だし、あるときは味方だ。また、あるときは元受け(顧客)になったり、あるときは外注になったりする。それぞれGIVE&TAKEが成り立つ場合、手を組む。人と人の表向きの接し方は、どちらも丁寧、どちらか一方が偉そうにしていることはない。ドライだけどフェア。敵であっても特別な恨みを持つことはない。負けた時、敵から学ぶことも多い。自由競争の業界とは、こういうものだ。僕の顧客の中でもグローバルに展開している製造業の人達も、こんな感じだ。しかし、規制の多い業界だと違う。取引相手が固定されている。顧客はいつも顧客。業者はいつも業者。顔触れも殆ど変わらない。人間関係はドロドロ。昔の恨みや不満を引きずる。GIVE&TAKEが成り立っているとは限らない。メディア業界はどうなのだろうか?僕は放送業界の仕事はしたことがないので、何とも言えないが、昨年のプロ野球問題やライブドアvsフジテレビ問題の報道を見ていると、何だか共通点が浮かんでくる。経営者は、企業や人の格にこだわり、それを満たしていなければ話し合いすらできないようだし、敵が時には味方になることも想定していないようだ。敵であっても相手の手の内を読むために、時には接することも必要だと思うが...経営者のプライドがとても高いようだが、勝つことや生き残ることについて本気で考えているのだろうか?自分は退職が近く、嫌であれば辞めれば良いと考えているのかもしれないが、若い従業員は、まだまだ働かなければならない。従業員の将来のため本当に正しい判断をしているのだろうか?互いの企業価値を落とし合ったならば、そのツケは残された従業員にかかってくる。今頃、提携話をしても遅すぎるかもしれない。
2005.03.22
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ホリエモンは、歴史上の人物で誰に似ているのだろうか?信長に例える人がいるが、なんだかピンとこない。では誰がピッタリか?と言われても、なかなか思い浮かばない。それはホリエモンに、良くも悪くも人間味が感じられないからだろうか?この人、謀略を考えるようなタイプではないと思うし、お金で贅沢するようなことにも本当は興味がないような気がする。ひょっとして、ホリエモンは何かミッションを果たすために宇宙か、または、未来から送られてきた経営者ロボットなのかもしれない!?宇宙人か未来人(ひょっとしてロボット?)は、何かの実験のため、彼に経営ノウハウと意思決定を行なうプログラムを埋め込んだ。「社長ロボット」ホリエモンのミッションは、起業し、経営者となり、最短の期間で、グループの企業価値を世界一にすること。ホリエモンは、これのみを追求する。最短の時間で企業価値を世界一にするには、何か特定の事業に思い入れがあってはいけない。あらゆる合法的な手段により、企業を買収していく。ホリエモンの頭の中で、ワーストケースを含め、あらゆる戦略シナリオのシミュレーションが済んでおり、すべて”想定内”。しかし、”ロボット”ホリエモンは、人間の心を読む力が弱く、人間は、ときには自分の価値観を守るため、損を覚悟で非合理的な意思決定を行なうことまで予想できなかった...ホリエモンは自己学習するロボット。ホリエモンは、最後に何を学習したのだろうか?以前、確かフジテレビで「ダニエル・キイス」の「アルジャーノンに花束」という小説をドラマ化していた。このドラマの主人公は知的障害を持ち、幼児なみの知能しか持っていなかったが、自分の愛する女性を掴むため、手術を受け天才に変貌した。超知能を手に入れた彼は、果たして幸せになったのか?といった話。人間の心の真実に迫る問題作。ホリエモンに反感をもつフジテレビの従業員が、こんなドラマは作ったら面白いかもしれない。アルジャーノンに花束を( 著者: ダニエル・キイス / 小尾芙佐 | 出版社: 早川書房 )冗談はさておき。このライブドアvsフジテレビ問題は、経済・社会・企業経営とは何か?人は何故働くのか?など、いろんな面で勉強させてくれる。どちらに転ぼうが、国民にとって大変勉強になり有益な事件ではないだろうか?僕も、企業向けのコンサルタントという仕事をしていながら、これまで知らなかったことが結構あったし、新たに考える機会を貰ったような気がする。さて、この問題で、近頃、考えさせられていることは、今流行の”グループ経営”とは何ぞや?、グループ経営戦略とは何ぞや?ということ。メディア界の人がホリエモンに対して、メディアに対するビジョンが見えないとか、思い入れがあるのか?ということをよく口にするが、では、企業グループのトップが、これに答えるべきなのか?ということを考えさせられた。グループ経営というのは、持ち株会社が、複数の事業会社を傘下にして、グループ全体の企業価値を高めていくことを目指すものである。持ち株会社は、持ち株会社の株主や金融機関に対して、グループ全体のミッション、ビジョン、戦略を説明し、グループを代表して資金を一括調達し、各事業会社の事業に重み付け(ポートフォリオ管理)を行い、それに従って資金を配分する。そして各事業のパフォーマンス(業績)を監視し、将来性のない事業は手遅れにならないように撤退し、将来性のある事業に対しては、より多くの資金を供給し、成長を促す。持ち株会社はグループ全体でのキャッシュフローを最大化するように効率的に資源を管理する。こうしなければ、持ち株会社の株主や金融機関に対して責任を果たしたことにならない。従って、持ち株会社の経営トップは、冷静な判断ができない程、個別事業に、思い入れを持ってしまっては務まらないのである。例えば、三菱商事のような大手商社の経営トップに、個別事業に対して、どれだけ具体的なビジョンがあるのか?と言われても、おそらく、「それは事業会社(子会社)の経営トップに聞いてくれ?」ということになるだろうし、「お前は、この事業のノウハウがない。」と言われても困るだろうし、「金儲けが目的だろう?」と責めても、「それはビジネスだから当たり前だろう」という答えになるだろう。実際、大手商社のように多くの事業を行っている企業グループの場合、独自の撤退ルールというものがあり、一定の収益をあげない事業(子会社)は、どれだけ事業会社の経営者や従業員に思い入れがあろうが、ドライに撤退する。そうして事業ポートフォリオを組替え、グループ全体の成長を維持する。では、持ち株会社のトップはどのような能力が必要で、どのようにグループ全体を統制していけば良いか?僕は、生き物の生態を管理するようなものではないかと思う。多くの生き物(企業)が生息するジャングル(産業界)で、自グループに属する生物(子会社)全体が繁栄するように、雨をふらしたり、餌を与えたり、互いに補完関係にある生物(子会社)同志、シナジーが生まれるように住家を近づけたり、あまり目立たないように後方支援を行うノウハウが必要ではないかと思う。やるべきことは、病気を持っって死にそうな生物(子会社)を早く除外し、他の生物に病気を移さないこと。逆にやってはいけないことは、生態の中に入ってしまうこと(各事業の詳細に中途半端に口出しすること)例えば、NTTグループなんて、分社後、グループ企業同士が、似たようなビジネスを行っているため、ときにはグループ内で競合するようなことがあるが、持ち株会社は、中途半端に仕切ると各事業会社のやる気が損なってしまうから、殆ど介在しない。グループ内で切磋琢磨することになってもNTTグループ全体としてははメリットがあると考えているのかもしれない。グループ経営とはこういうものである。だからホリエモンとしては、IT・フィナンシャル・メディアグループ?としてのビジョンしかなく、メディアとITの融合という変化によって何かが生まれることに期待を持っているだけで、報道が一方的であること以外に問題意識は余りないのかもしれない。「自分が気に食わないこと以外、貴方達に任せます」というのがホリエモンのスタンスだろうか?そうであれば、メディア業界の人からの批判については、的外れであり、話し合えば良いのである。困るのは既得権の恩恵を直接受けてきた一部の人だけではないだろうか?ただ、忘れてはならない点は、グループとして共通のミッションや社会貢献の考え方を持ってなければ人の求心力は無く、巨大企業グループは維持できないということ。グループ内の事業間、企業間でシナジーを生むことがなければ、グループ全体の企業価値を高めようと思っても限界があるだろう。お金だけでなく、各グループ企業に勤める従業員達に共通の価値観、誇りというものがなければ、協力しあってシナジーを生み出そうとするインセンティブは働かないだろう。ホリエモンには、メディアというよりもグループとしてのミッション、ビジョンを示して欲しい。
2005.03.20
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ライブドアは、とうとうニッポン放送を抑え、今度はフジ買収に動いている。ライブドア、フジ買収検討=LBO2千億円調達―発行済み株30%取得へこのようにライブドアのフジサンケイグループ支配が現実味を増しているが、支配権を得たとしても、ホリエモンにとっては、これからが勝負だ。ライブドア・フジサンケイグループ全体の収益が増加し、企業価値が高まって、初めてM&Aが成功しと言える。お金で財務諸表上の資産は買うことができても、従業員の心までは買うことはできない。従業員を統制して、はじめて企業は機能し、価値が出てくる。ベンチャー企業の若手経営者が、長い歴史の中で独自の文化を築いてきたフジサンケイグループの従業員を手懐けることは容易ではないだろう。僕は、この様子を見て、三国志の蜀による南蛮征伐”を思い出した。蜀の軍師 「諸葛孔明」が、「孟獲」率いる南蛮国を征伐した話。孔明は、異文化の南蛮国を平定するには、南蛮国を粉砕し、全滅させるのではなく、仁をもって蜀に従わせなければならない。そのためには孟獲を殺さず、その心を本当に掴む必要があると考え、実に7度にわたって捕らえ、丁寧にもてなし、解き放った。そして、とうとう孟獲は心服し、孔明の「これから共に栄えよう」という言葉に泣いた。孔明は、引き続き孟獲を南蛮国の王とし、蜀に従わせた。これは三国志演義の話なので史実かどうかわからないが、人の心をどう掴むかという点で、とても参考になる。50年の歴史を持つ放送業界の人たちは、ベテランが多く、皆プライドが高いだろう。ホリエモンが、放送業界におけるビジョンだとか戦略だとか偉そうに語ったところで、聞き入れようとしないだろう。力を持った若者は、権限や論理で強行に攻めるよりも、逆に、何を言われようが、ベテランをたて、頭を下げて協力をお願いするような姿勢を貫いた方がうまくいくのではないか?(結構、辛抱が必要だと思うが..)もし、ホリエモンが、この方法でフジサンケイグループの実力のある経営陣や従業員をキープし、グループ全体の企業価値を高めることができたとすれば、”平成の孔明”、”名経営者”として賞賛されるだろう。しかし、現実にホリエモンの言動を見ていても、そのような雰囲気はない。ただ、ホリエモンが、これまで買収してきた企業については、下手に口出しをして失敗したケースはなさそうだ。もともとインフラ屋だから、彼のビジョンに、個別事業への拘りはないのかもしれない。また、フジサンケイグループの経営者・従業員が「(放送事業の)ビジョンが見えない」と批判することは的外れなのかもしれない。だから本当によく話し合えば互いに納得するのではないかと思うのだが...まぁ、どうなるか?見守っていきたい。三国志(7)吉川英治
2005.03.18
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先日、久しぶりに昔の部下に会った。彼は、数年前、大手外資系銀行へ転職し、ある法人向け商品の営業企画部門で仕事をしていたのだが、その銀行が、その事業から撤退することに決めたため、また転職することにしたそうだ。撤退する事業の競争相手は邦銀であるが、邦銀が企業に対して採算度外視の価格で提案するため、邦銀相手に競争しても、本社から要求される事業の収益性を満たさないため、撤退せざるを得なくなったようだ。彼は、ぼやいていた。邦銀は日本企業とは昔ながらの持ちつ持たれつの付き合いの中で、シェア割といった明文化されていない暗黙の約束があり、その中で採算を管理しているため、時にはシェアを守るため、個別の商品を採算度外視の価格で提供することがある。また、無償で至れり尽せりのサービスをすることがある。外銀から見ると、こんなことに付き合っていては経営が成り立たない。欧米は直接金融が発達しており、銀行貸付の依存度は低いので、外銀は、金利収入以外に様々な商品・サービスを開発し企業へ提供している。いわゆる手数料ビジネスが発達しており、収入比率も高い。だから、邦銀のように手数料をディスカウントしては商売上がったりになってしまう。グローバルに展開している外銀は、収益性の低い地域から撤退し、より見込みのある地域に拠点を移す。だけど、彼は長男。日本で仕事することが条件。外国では働きたくない。だから転職する。ま、彼は優秀だから何処行っても大丈夫だろう。さて、この話を聞いて、僕は、日本の銀行と企業の付き合い方は、これで良いのか?と疑問に思った。外銀が、ある事業を撤退するわけだから、一見、邦銀にとって囲い込み戦略に成功したかのように見えるが、僕の経験から、これは、そんな簡単な話ではないと感じる。日本の場合、企業の資金調達は間接金融(銀行借り入れ)が中心なので、銀行も、その金利収入に頼っている。しかし、近年、大手企業は資金管理を効率化し、借り入れをどんどん返済しているため、銀行の金利収入はどんどん減っている。したがって他の手数料収入を増やしていかなければ、収益性はどんどん悪化するのだが、一旦、低価格で提供した商品やサービスの値上げを大胆にできない。そんなことをすると取引が他行に切り替えられてしまう。今の優良企業と銀行との力関係は、こんな感じだ。(明らかに企業が強い。まだまだ銀行が多すぎるのかも?)どうも、今の銀行と企業の関係は険悪な場合が多いバブル崩壊後、銀行の貸し渋りによって痛い目に遭った企業は、その恨みを忘れていないようだ。銀行が、何か新しい提案をして、価格を提示しても、「もっと安くしないと他行に代えるよ」と強気。企業から見れば、あの辛い時に冷たかった銀行からは、どれだけ貰っても貰いすぎとは思わないようだ。銀行も辛い。あとで両者から個別に話を聞いても、互いの文句ばかり言っている。銀行と企業は切っても切れない関係だと思うが、どうも腐れ縁のような関係になっていて、見ていて寂しい。以前の日記「「他人任せ」に未来はない! (崩壊するアウトソーシング) で書いたITベンダーと企業との関係と同様に、どうもべったりとした関係は良くないようだ。ひとつひとつの取引をうやむやにして丼勘定でやってしまうと何が得して何を対価として支払ったのか、わからなくなって、相手のありがたさが実感できなくなる。やはり、企業がGIVE&TAKEで良い関係を築くには、ある程度距離をおき、ある程度の緊張感を持って接し、ある程度の競争相手や代替する取引先が存在し、ひとつひとつの取引について、公平に競争し、そして選定し、互いに納得した形で契約することが大事なのではないかと思う。昔のことを持ち出してケチをつけ、甘えあって、足を引っ張り合っては、互いに国際競争の中で生き残っていけないだろう。自滅を待って、外資が再参入することもありうる。本当に自覚するには、やはり規制をできるだけ少なくし自由競争できる産業を作っていく必要があると思う。こういうことが日本の経済界の大きな課題だと思う。これは、個人同士の人間関係にも言えるし、日本と中国の関係のような国家間にも言えるのではないか?
2005.03.17
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今日は、2月21日に発売された日経コンピュータの記事崩壊するアウトソーシング「他人任せ」に未来はないについてお話したい。この記事、正直言って、かなり過激な内容である。内容を要約すると、IBMがシステムのアウト-シングを行っているJPモルガン、神戸製鋼所、日産自動車など大企業が、数年経って、期待程のコスト削減効果があらわれていないことに大変、不満を持っている。システムの開発・保守・運用を丸投げしており、費用の内訳をIBMが明らかにせず、不満が貯まっている。JPモルガンに至っては、アウトソーシング契約を解消し、インソーシング(自前主義)に完全回帰する方針といった内容。驚いたのは、クライアント企業のIT企画責任者が自分の名前をハッキリあらわにして「IBMとはまったくかみ合わない。」といった批判的なコメントを記事に載せている点である。その会社は、まだIBMと契約を解消していないので、日頃、顔をあわせて仕事をしているはずだから、「ハッキリとよく言えるなぁ。かなり気まずい雰囲気でいっしょに仕事しているんだろうなぁ?」と想像してしまう。この問題、僕の以前の日記(2月14日)でも取り上げた問題と同じである。サービスをビジネスとして確立するためには(その2)IBMお得意の「ソリューションビジネス」の失敗例である。ただし、この記事は、少し冷静に見た方が良いと思う。(この記事に限らないが)このところ僕が批判しているメディアの問題が、この記事にあらわれている。メディアというものは視聴者や読者を増やすためインパクトのある見出しにしがちだし、内容も何かひとつの対象に問題を集中させる傾向がある。ひとつの文章が同じ事実を表していても、言い方によって随分印象が変わるものである。この記事を読むと明らかにIBMなどのITベンダーに問題があるような書き方だから、これを読んだ読者は、ITベンダーは駄目だ!、アウトソーシングは駄目だ!なんて単純な判断をする人も多いだろう。(事実を冷静に分析できるように論理力を鍛えましょう!→ 2月26日の日記)僕の2月14日の日記を読んでもらうとわかると思うが、これはIBMとクライアントの、お互い様の問題であり、どっちが一方的に悪いということではない。GIVE&TAKEが成り立たなくなった一例ということに過ぎない。そもそもアウトソーシングとは、自社の強みではなくなった業務を外部業者に委託することなのだが、この記事を読むと、強みでなければならない部分もアウトソーシングして、失敗したという事例である。「わが社の本業は×××であり、ITを売って儲けている会社ではない」と言う考え方は間違っている。その本業を支えるITを丸投げしては本業がガタガタになる危険性がある。少なくともIT戦略やシステム構築・導入のプロジェクト管理は、ユーザー企業が主体となって行うべきだし、そのために必要な人材を確保しておく必要がある。もし、そういう人材を確保できないのであれば、少なくともアウトソーシング業者とは無関係なコンサルティング会社のアドバイスを受けるべきである。システム部門を分社化しITベンダーに売却するまでは良いかもしれないが、ユーザー企業の中で、成功への強い思い入れを持った優秀なリーダークラスまでITベンダーに売ってしまっては、うまくいくわけがない。一体誰が責任を持ってシステムを守っていくの?と聞きたくなる。また、ITベンダーをひとつに絞ってしまっては、競争心がなくなり怠慢になることは明らかだ。これでは規制産業で胡座をかいでいる企業と変わりない。案件毎に必ず他のITベンダーと競争させるべきだ。どうも、上場して歴史の長い大企業は、経営者が、お役人かサラリーマン化する傾向があるように思う。任期は数年、この間、無事務めたら多額の退職金を貰ってオサラバ。企業の長期的なビジョンやCSRなんて形だけ。こんなところが見え見えだと中間管理職のモチベーションも下がる。何でもかんでもアウトソーシングして、誰もその会社のために責任を持とうとしない。そういう会社は結構あるんじゃないかなぁ~ホリエモンが狙っている会社はどうだろうか?長い間、コンサルティングをしていると、?だと思う会社に出会うことがある。我々は戦略を提案しているはずなのだが、我々の戦略の背景にあるビジョンが消極的過ぎるので、もっと積極的なビジョンを示して欲しいというのである。クライアントの要望が戦略策定だったので、クライアントのビジョンに基づき戦略を提案したはずだ。そのビジョンが消極的であっても、そのビジョンを確実に実現するための戦略を策定すべきなのだが...どうしてか尋ねると、その会社の場合、経営者が当り障りのない不明瞭なミッションやビジョンばかりを口にするので、従業員が何を目指すべきかわからず困っていて、コンサルティング会社に提案してほしいということである。確かに、ミッションやビジョンの作り方をコンサルティングする会社もあるが、中身まで考えろということになると、しまいには「我が社の存在理由まで教えてくれ」(私って誰?)ということにならないか疑問である。やはり、その会社は規制で守られ平和ボケした大企業だった。日本の将来のため、こういう寂しい会社が少しでも減ってほしいと願う。
2005.03.07
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「ライブドア vs フジテレビ」問題について、僕は、どちらかというと「ライブドア派」である。この理由は、 (1)資本主義のルール(現行法)上、ライブドアはセーフだけど、フジテレビジョンはアウトだということ (2)既得権を牛耳るメディア業界の首領達の傲慢な態度と偽善 (3)メデイア業界全体の改革が、顧客(視聴者、読者)にとってメリットがあることである。僕は前からテレビ業界について不満があった。たまに病気で会社を休んで寝ながらテレビをずっと見ているときがあるが、チャンネルを切り替えるとワイドショー、ニュースの内容が他局と調整しているのではないかと疑うほど、同じタイミングに同じテーマを取り上げることが多い。この横並び加減は、護送船団時代の銀行以上ではないかと思う。健康ブームの中、血液型ダイエットをいろいろな局が取り上げていたが、そのまま素直に受け入れると健康を害するのではないかと疑うような内容があったし、血液型による性格診断に関しては、差別的な内容があった。占いや超能力についても同じ。社会や政治の問題については国民を雰囲気で都合よく誘導するような意図が感じられる。この手の問題は、今まで数え切れないほど批判され続けているだろうが、規制で守られた業界だから、倒産するリスクもなく、アナウンサーが「反省します」と言えば済んでしまう。何の危機感も存在しない。貧乏父さんの企業別年収ランキングによるとランキング1位は、フジテレビで、平均年齢39.8才で年収1,529万円。その他、 3位 朝日放送 1,485万円 4位 日本テレビ 1,481万円 5位 TBS 1,429万円 9位 テレビ朝日 1,357万円 19位 ニッポン放送 1,164万円である。これはメディア業界だけのランキングではない。全業種のランキングである。業界全体が横並びで、こんなに良い待遇であれば、フジテレビの従業員も、わが身を守るため、ライブドアの買収劇に反対するだろうし、他局の従業員も内心は同じだろう。銀行業界は、金融ビッグバンにより、競争にさらされ、合併、破綻により多くの従業員がリストラに遭った。殆どの銀行員は、わが身のことを考え、金融ビッグバンに賛成しなかっただろう。通信業界も同様。しかし、国民はこれらの規制緩和に反対しただろうか?顧客サービスのレベルアップには必要だと多くの人が考えたはずだ。それなのに何故、メディアだけは、会社も従業員も、ぬるま湯につかっていても良いと考えるのだろうか? 僕は、ナベツネに始まり、NHK海老沢元会長、そしてフジテレビジョンの日枝会長の傲慢な態度を見ていると、メディア業界は、株主や顧客(視聴者)の利益ではなく、自分達(従業員も含め)の利益しか考えていないのではないか?と疑ってしまう。確かにライブドアのやり方は、合法とは言え、社会の道徳上、問題があると思う。しかし、フジテレビ側も、目には目をで、明らかに自分達を守るためだけの理由で、安定株主にリスクを背負わせる第三者割り当て増資を行おうとしている訳だから、どっちが汚いとは言えなくなってきている。(法的にはライブドアは○でフジテレビは×だと思う)だったら、ライブドアの経営戦略が、どうこうではなくて、この閉鎖的なメデイア業界に風穴を開けることだけでも意義があるのではないか?というのが僕の考えである。
2005.03.01
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ライブドアの堀江社長は、政財官やメディア業界からバッシングに遭っているようだ。まぁ、メディア業界からのバッシングは当たり前だろう。既得権益を維持したい経営トップの考えがメディアに表れるのは当然。フジサンケイグループが改革されることになれば、他社も変わらざるを得ない。それでは胡坐をかいていた他社の経営陣も困るだろう。政財官からのバッシングも、権力を握っているお年寄りから見たら、礼儀作法の知らない成金の若者の挑戦は不愉快に感じるだろうし、脅威だろう。それにしても森元首相の発言は相変わらず笑ってしまう。”お金で何でも片付けるのは、日本の教育の成果か?”なんて発言をしていたけど、この人こそ、お金に関して悪い噂しか聞いたことがないのだが...文部大臣を務め、首相になってIT(イット)改革をやった自分が堀江社長を生んでしまったと自分自身に怒っているのだろうか?(くだらないので、これで止めておこう)さて、どうも、この政・財・官・メディア業界のバッシングと世論には大きなズレがあるようだ。若手経済人57%がライブドア支持=JC調査 (Yahoo! News)BIGLOBEニュースのアンケートこの結果を見ると、以下のとおり、意見が真っ二つに分かれているように思う。 (a)権力の座に居座る人と恩恵を受けてきた人 (b)権力の座を狙っている人、奪えず負けた人、まだ権力に届かない人(関係のない人)BIGLOBEニュースのアンケートを見ると、全体的に若い世代はライブドア派、古い世代はフジテレビ派だが、40代にフジテレビ派が多く、50代にライブドア派が多い結果になったところが面白い。50代は学生運動の世代だから?それともリストラの恨み?僕自身は、どちらかというとライブドア派かな?堀江社長の哲学は、よくわからないが、こういう人が出てこないと、閉鎖的な業界は、まったく進歩せず、顧客(視聴者)にとって不利益だと思う。既得権を握った一部の人だけが努力もせず甘い汁を吸い続けるよりは、ずっとマシだ。堀江社長も村上ファンドの村上さんも、自分だけのために金儲けをしているわけではなく、投資家の期待に応えなくてはならないのだから、責任をまっとうしようと必死だろう。それを単純に私利私欲のような言い方をして大衆に同調を求めようとする政治家や財界人の方が、ずっと、胡散臭く見える。フジテレビの日枝久会長も、毎日、テレビのインタビューに答えて、ご苦労だと思うけど、話のレベルが低すぎる。”金があればなにをしてもいいというわけではなかろう””社員は堀江社長を嫌っている””礼儀がなっていない”これが大メディアのトップの発言だろうか?これでは、そこらへんのオヤジと変わりない。自分の経営哲学が何なのか?何が堀江社長と合わないのか?自分の経営戦略が何なのか?何が堀江社長と異なるのか?何故、堀江社長に変わると企業価値が低下するのか?これらの問いに明確に答えられなければ、第三者割り当てによる新株予約権を発行する理由は私利私欲としか言えないのではないか?曖昧な精神論で、ごまかすのは止めてもらいたい。
2005.02.27
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昨日、とうとう京都議定書が発効されたが、環境保全も含め、「企業の社会的責任」(CSR)がますます問われる時代になった。同じ日、週刊誌「東洋経済」(2005/2/19)で「企業の社会貢献力」という興味深い特集記事があったので買って読んでみた。昨今、三菱自動車や西武鉄道などの不祥事が続き、法令順守・企業倫理などが問われ、大企業の間では、CSRがブームになっているが、先進的な企業は、社会に対して責任を果たすだけでなく、積極的に社会に貢献する活動を行っているようである。この理由は、「社員が誇りを持って働けば、良いサービスが提供できる。それが顧客満足を生み、ファンを作り、企業の長期的な繁栄に繋がる」ということだろう。企業は、具体的にどんな社会貢献活動を行っているのだろうか?例えば、富士ゼロックス 端数倶楽部給料と賞与の『端数』(100円未満の金額)に、個人の自由意志による拠出金をプラスし、継続的に拠出してもらい福祉、文化・教育、自然環境、国際支援で、その資金を役立てる。マイクロソフト「 Unlimited Potential」(UP)高齢者、障害者向けにITスキルのトレーニングや人材育成を行い自立を支援するプログラム住友化学 WHOの要請により、マラリア撲滅のため防虫剤処理蚊帳を製品化アフリカは毎年、100万人以上がマラリアで死亡する。その大半は幼児。住友化学は、開発した製品の技術を無償でタンザニアの蚊帳メーカーに供与。「製品の利益はミニマム。事業継続に必要な分だけ」がポリシー。このように社員個人の自発性を促すものから、事業そのものが貢献するものまで様々。仏教には「陰徳を積む」という考え方があるが、それは個人の生き方の問題。資本主義経済の中で、社会を改善するには、企業が競って徳をアピールする仕組みが必要だろう。「東洋経済」は、連結売り上げ4000億円以上の会社130社を対象にアンケートを行い、その回答結果から社会貢献度を評価している。評価基準は、年間活動支出額、社会貢献活動に関わる方針の有無、専任者の数、予算、事後評価の有無、情報公開の有無、社員活動の制度の有無、NPO支援の有無、新潟中越地震・インド洋大津波の支援額など。上位8社は、以下のとおり 18ポイント NTTドコモ(なんと年間支出額は100億円) 18ポイント 資生堂 17ポイント イオン(なんと専任者は100人) 17ポイント イトーヨーカドー 17ポイント アサヒビール 17ポイント トヨタ 17ポイント 高島屋 17ポイント デンソーやはり、個人向けの商売をしている会社が積極的なようである。まあ、中身が重要なので、これだけでは判断できないが、このように企業が競って社会貢献をしようという気にさせることは重要だと思う。意外だったのが、下から2位(4ポイント)の信越化学工業。社会貢献活動の方針は無し、専任者無し、予算無し、事後評価無し、NPO支援無し、インド洋大津波支援額0円とは寂しい。この会社、財務内容が健全で、ムーディーズが、最近、格付けをA2からA1へ引き上げたところ。HPの社長の挨拶では、「信越グループは、これからも多彩な技術と素材で、人々の暮らしや産業、そして社会の発展に貢献していきます。同時に、「安全」「環境」「企業倫理」を最優先に推し進め、良き企業市民として社会の信頼に応えていきます。」と書いてあるのだが、会社全体に浸透していないのだろうか?僕は、信越化学工業を会計面で支え、現在、日本CFO協会の最高顧問である金児昭さんの本を何冊か読み、立派な方だと思っていたので、ちょっとショックだ。頑張って頂きたい。
2005.02.17
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ライブドアの堀江社長がまたやってくれた。ライブドアのニッポン放送株買い占めに関わる一連の報道を見ていると、まるで三国志を読んでいるみたいで面白い。フジテレビジョンという平和ボケした大国の隙をついて、ライブドアという振興勢力が奇襲にでて、無力の皇帝 ニッポン放送を奪い取り、まずは大成功。しかし戦いは、そう簡単には終わらない。これから、他の勢力(プレーヤー)も交えて持久戦が始まる。他のプレーヤーがどう動くか?心理戦を制した者が勝者になる。さて、真面目な話に変わりたいが、近ごろの経済関連のニュースを見ていると、どうも日本企業の経営者には、本音では資本主義を認めておらず、封建的で、自分とその仲間の利益しか考えない人が多いのではないか?と疑ってしまう。近年、連結決算制度の導入などにより、グループ経営が重視されているが、日本の企業グループの形態を見ると、どうもスタンスが曖昧な感じがする。というのは、親会社が完全に子会社を支配したいなら、上場せず大半の株式を所有するのが欧米では常識だが、日本の大企業グループの場合、子会社が上場している場合が多い。これはリスクの高い事業を分社化し、資金を借り入れではなく株で調達したいからだろう。しかし、上場するということは、同時に、経営者の専有物では無くなることを意味する。従って、当然、経営者は、他の株主に対する経営責任というものが問われるし、乗取りのリスクだって覚悟しておく必要がある。しかし、経営者に、そういう責任感や覚悟があるのだろうか?。事業失敗のリスクを他の株主に負わせておきながら、支配だけを主張するとは都合が良すぎる。フジテレビジョンの会長はライブドアの堀江社長と会う気もない言っているらしいが、内心はどうであれ、これは資本主義や株主を馬鹿にした大人気ない態度ではないか?しかし、堀江氏も堀江氏で、おじさんの評判が悪すぎる。(楽天の三木谷社長と対照的)若者のカリスマで終わるのなら良いかもしれないが、大志を貫くなら、嫌でも、頭の固いおじさんが拘るネクタイぐらいすれば良いのに...買収がうまくいったとしても、それで終わりではない。買収というのは経営のスタート地点だから、これから経営者としての真価が問われる。人を統率していくには戦略だけでなく人徳やミッションやマネージメントの力量が問われるが、果たして大丈夫だろうか?アメリカンオンラインの失敗を考えると、簡単なことではなさそうだ。株主は、目先の損得だけでなく、テレビやマスメディアが、どうすれば良くなるのか?フジテレビジョンの現在の経営陣に任せた方が良いのか、堀江氏に任せた方が良いか?よく考えて判断してほしい。
2005.02.15
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将来、日本が知力国家として生き残っていくには、ハイレベルな製品・サービスを提供できる企業や人材を育成していかなければならない。 僕は、特に付加価値の高いサービス産業の発展が不可欠だと考えるが、実際に、日本は、もの作りにおいてはトップレベルだけど、サービス産業の方は先進国とは思えない。 日本はチップを払う習慣がないこともからもわかるように、そもそもサービスにお金を払うことについて馴染みがない国だ。 人だけが資源である日本が、本当に、これで良いのだろうか?考えてしまう。 何故、こうなってしまったのか? 僕は、公共事業中心の資本整備といった経済発展の歴史が長いため、お役所や、規制に守られた大企業のような買い手の立場が非常に強く、弱者である売り手(業者)を、我が物のように支配してきたことが原因ではないかと思う。買い手企業が規制によって競争にさらされていない場合、売り先が他にないから、限られた巨大な買い手の機嫌を伺わなければ商売が成り立たないからである。 資金決済の条件(売掛金の回収期間が長い)など、日本は、買い手に非常に有利な商習慣が多いことからも、買い手が売り手より強い立場であることがわかる。昔から商人が「お客様は神様です。」という言葉をよく使うことからも、それがわかるだろう。 このため、売り手は商品の受注につなげるためなら、何でもやる(無償でサービスする)という習慣が根付いてしまっている。営業担当が、何でも屋(情報屋さん)になって初めて、ものが売れ、資金を回収できるといった関係だ。買い手は、「ものを買ってやってんだから、もっと奉仕しろ。やらないなら仕入れ先代えるぞ」と売り手に要求することが習慣になっている。 しかし実際に、買い手が本当に得をしているのかというと、そうとは限らない。(売り手は馬鹿ではない) 日本の情報処理産業の場合、市場規模は世界第二位であるが、業務系システムにパッケージを利用するケースは欧米に比べ非常に少なく、手組み(1から作り上げるシステム)のシステムを利用するケースが多い。これは同じ業界で業務の内容が殆ど変わらない企業が複数あっても、パッケージは使わず、似たようなシステムを、その都度ベンダーに作らせているということだ。似たようなシステムをそこら中で作るより、新たな価値を生むシステムに投資した方が競争力がつくはずだが、何故、そうするのか? これは顧客がベンダーのいうことを鵜呑みにしているからである。当然、パッケージの方が安いから、企業は無駄なコストをかけていることになるが、ベンダーにとっては、その方が売上が上がる。だからベンダーは「パッケージでは貴社の要件を満たしません。」と言って、導入効果の低い機能を捨て切れない顧客を丸め込み、何でも作ってしまうのである。ベンダーから無償で提供される情報というのは自分にとって都合の良い情報であり、買い手にとってベストの情報ではないということである。 買い手企業が、自分自身のプライオリティをちゃんと整理せず、また、ものやサービスの価値を正しく評価できなけば、専門的ノウハウのあるベンダーの言いなりになってしまうのだ。 僕の経験では、こういう裸の王様化したお役所や大企業は非常に多い。実際に、こういった企業では、過剰なシステムの運用コストや複雑化したシステムのメンテナンスに悩んでいる場合が多々ある。 一方、日本のITベンダーは、こういう商売に甘んじてきた結果、優れたパッケージソフトの開発を怠り、近年、グローバル企業を目指す大企業においては、外国製の業務パッケージに置き換えられ、外資系企業にシェアを奪われている。 これは、売り手も買い手も互いにぬるま湯に浸かり、互いに競争力がなくなってしまった悪い例である。 ビジネスの世界では、売り手も買い手も互いにWINーWINの関係を築くことを目指すことが原則だ。不明瞭な依存関係を作って、互いに、こそこそと得をしようと意識していては互いに足を引ってしまう。 僕は、買い手と売り手は取引の当事者として対等に向き合って、製品は製品、サービスはサービス、それぞれの価値を認め、それぞれ正当な価格で取引を行うことが、両者とってメリットがあると思う。GIVE&TAKEによりシナジーを生み出すことを互いに目指し、真のパートナーになるべきである。 特定の業界の話をしてしまったが、個人においても、近い例はあるだろう。例えば、FP(ファイナンシャル・プランナー)という仕事がある。これは個人のライフプランに基づいて最適なファイナンシャルプランを策定する仕事。その人に最適な資産運用、金融商品の活用法などのアドバイスを行う。FPには、独立系と金融機関系が存在するが、日本で、独立系FPにお金を払う人は、まだまだ少ないのではないか?それよりも無償で相談にのってくれる金融機関系を利用しがちだろう。しかし、金融機関系FPは自社の金融商品を売ることが本来の目的だから注意する必要がる。(表向き違っても)僕は、必ずしも独立系FPが良いとは思わないが、いずれにしても、ちゃんと自分の頭で、そのサービスの出来を評価することができなければ、顧客が、丸め込まれてしまう危険性があることを忘れてはいけないと思う。 前回の日記でIBMのソリューションビジネスについてお話したが、こういうことを考えていくと、顧客にとて、サービスと製品が一体となったソリューションというビジネスが、本当に最適な方法なのかどうか、考えてしまう。また、IBMにとってソリューションビジネスが本当に付加価値の高いビジネスなのかも。これは、一見、目新しい方法論のようだけど、単に土俵を変えただけで、従来、日本のベンダーがとってきた囲い込み戦略と変わりないのではないか? もし、IBMが、ちゃんとサービスに対して正当な対価を請求せず、コンピュータの販売を目的にしたならば、従来の日本のベンダーがやってきたことと変わりないだろう。 これでは、IBM自身の収益を圧迫することに成りかねないし、優秀なコンサルティング部門の人材を維持できるのかも心配である。また、顧客の方は、すべて一ベンダーに任せて、中身がブラックボックスになってしまうと、必要なタイミングに最適な方法・手段を選択する機会も失ってしまう。 恐らく一長一短があるだろう。この心配が本当がどうかは現時点では判断できない。これからのIBMのやり方とIBMの顧客の態度次第であり、互いの業績が証明するだろう。 話は長くなったので、もうそろそろ、まとめたい。 政府は、特許や著作権など知的財産権の保護に力を入れているが、こういうものだけ保護しても、サービス産業が発展するとは思えない。もの作りだけで、知力国家なんて無理。 買い手(顧客)が、サービスそのものの価値を認め、それをちゃんと評価すする力を養い、サービスの価値に見合った適正な報酬を、きっちり払う、こういう習慣を根付かせることが、良いサービス業者を育てるために必要である。得に情報・ノウハウを提供するサービス業の発展が鍵である。(コンサルティングのことだけではありません) これは買い手が企業の場合も個人の場合も同じ。では、どうすれば良いか? う~ん 買い手企業の意識としては、好業績をあげている進歩的な会社の多くは十分わかっているし、一方、規制に守られた権威主義的な会社の多くは全然わかっていないので、これを放っておくと勝ち組・負け組という形で表れてくるし、実際に表れている。日本の産業全体の発展、国力の問題として、このまま企業を放っておいて良いのか?という課題がある。政府がすべきことはあるのか?とりあえず規制緩和の促進により、自由競争できる環境を企業に与え、権威主義を崩壊してしまうことが改善の第一歩だろう。
2005.02.14
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昨年の年末、中国のPCメーカー 聯想集団(レノボグループ)が、IBMのパソコン部門を買収するとのニュースが話題になった。(現在、この商談は、米政府から安全保障上の懸念があるとして待ったがかかっているようである)この出来事は、中国企業のパワーを世界に見せ付けたと言えるが、一方、パソコンの製造販売というビジネスが、IT業界の巨人IBMにとって収益性の低い魅力のないビジネスになったとも言える。IBMは、今後、付加価値の高いソリューションビジネスに力を入れるそうだが、このソリューションビジネスとは一体何だろうか?これを一言で言うと「顧客の課題に対する解決策を提案し、それを実現することで顧客のビジネスを支援すること」になる。もう少し具体的に言うと、顧客の既成概念上存在する定型的な製品やサービスを顧客に言われるがままに提供するのではなく、顧客のビジネスの問題を分析し、そして、それを解決するための製品・サービスの構成(組み合わせ)全体を提供するビジネス。ビジネスのコンサルティングから、ソフトウェア・ハードウェアの提供、ソフトウェア・ハードウェアの運用、顧客の業務の代行(アウトソーシング)まで通して提供するビジネス手法。では、何故、ソリューションビジネスが付加価値が高いのか?顧客が目指していることは自社のビジネスの成功(業績の向上)である。使用する個々の製品・サービスが、いくら優れていようと自社のビジネスが成功しなければ意味がない。優れた製品・サービスを上手く使いこなして初めてビジネスは成功する。しかし、どんどん高度化する製品・サービスを顧客が使い方を学んで、管理することは容易ではない。そこで、ビジネスの成功に直結するソリューションの提案を行い、かつ、ソリューションを提供し、ソリューションを代わりに使いこなしてくれる業者がいたら、顧客は多少高いお金を払っても良いと考える。だからソリューションビジネスは収益性の高いビジネスになる。しかし、こういう一連の製品・サービスを提供する企業は、顧客のビジネスに対する影響度も高くなるため、失敗した場合のリスクも当然高くなる。また、顧客のビジネス上の問題を解決できる優れた人材が大勢必要になってくる。従って、こういうビジネスを展開する企業は、相当体力が必要だし、大量の人材も必要になる。IBMは、このビジネスを展開するため、数年前、自社のハードディスク部門を売却し、代わりに、弱かったコンサルティング部門の補強のため、PWCという大手コンサルティング会社を買収している。ソリューションビジネスが成功したか、どうかは、提供先の企業のビジネス成功(業績改善)という形で表れてくるはずだから、結果はすぐには出てこない。もう少し様子を見る必要があるが、今のところ、このビジネス手法は大企業に受け入れられ、IBMはIT業界No.1の地位を不動のものにしている。このように人件費の高い先進国の企業は、より付加価値の高いビジネスにシフトしなければならない。もの作り大国 日本も中国の台頭により、品質だけでなく、より高い付加価値を提供しなければならなくなってきている。製品作りであれば、より革新的な技術の開発が必要になるだろうし、サービスであれば、顧客個々の既存ニーズに答えるだけでなく、新たな価値を提供する必要がある。僕は、製品作りの面で日本は先進国だと思うが、サービスをビジネスとして確立するという点で、いろいろな課題があると思う。次回、その課題についてお話したい。つづく。
2005.02.08
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今、アップルコンピュータが活気付いている。 iPodが売れに売れ、そして今度はMac Miniが注目されている 【送料無料!】Mac mini 1.25GHz [M9686J/A]【送料無料!】Mac mini 1.42GHz [M9687J/A]Mac Miniは、幅・奥行がCDのケースと、さほど変わらないミニサイズのPC。その小さなサイズに、 以下のスペック。http://www.apple.com/jp/macmini/僕は、CDを借りてきてPCに音楽をため込んで聞いたり、オリジナルCDを作って楽しんでいるのだが、ひとつのPCで仕事をしながら、これをやるとちょっとパフォーマンスがしんどくなる。このMacMiniを知ったとき、ミュージック専用サーバーとして使ってみたいと思った。さて、このMac Miniアップル復活の救世主になるのだろうか?ちょっと前までは、Macは使い易くて、おしゃれだけど、仕事ではWindowsを使っているし、まわりにMacを使っている人は少ないし、アップル社の将来も不安なので、一台を選ぶなら、どうしてもWindowsになってしまうと言う人が多かったのではないか? しかし、いつの間にか日本では、PCは一家に一台が当たり前になっていて、PCの価格も下がっているので、家族ひとりに一台を通り越して、ひとりのユーザーが、用途別に一台を所有する時代に近づきつつあるように思う。実際、僕も会社に1台、自宅に3台のPC、上着のポケットにはZaurusが有り、これらを使い分けている。 このようにPCの使い方が変わってくると、新たなビジネスチャンスが生まれる。これまで、PCメーカーは、ひとりのユーザーを独占するか、されるかしかなかったが、今後は、ひとりのユーザーの多様なニーズに合わせて”分かち合う”というパターンが生まれる。孫子的に言えば、分断戦略が可能な状況になったということ。これはアップル社にとって復活のチャンスだ! さて、実は、僕は10年ほど前まではMac派であった。90年代前半は、アップル社にとって輝かしい時代だった。マイクロソフト社は、Windows3.1という、明らかにMacより劣るOSしか提供していなかった。デザイン・アート系以外のビジネスの世界でも、Macを使っている会社は多かったので、自宅のPCをどちらにするかは、あくまで個人の趣味という時代だった。その頃、大勢のMac信者がいた。 Macは、長いものにまかれない、自由や創造性の象徴のようなイメージがあり、Windowsが動くIBM互換機より値段は高いのに無理して買って自慢する人が大勢いた。実は僕もそのひとり。会社の同僚のMac信者にMac教を説かれ、僕もMac信者になった。Macの、美しいデザイン、オブジェクト指向的なユーザーインターフェースに惚れ、かみさんにMacの素晴らしさを説得して、ボーナスをつぎ込んで念願のMacを買った。しかし、その後、Macに近いユーザーインターフェースを備えたWindows95が爆発的にヒットして、仕事ではEXCELやWordが標準のツールとなり、オフィスからMacは消えていった。僕も、PCは値段が高いし、大きなPCを家に何台も置くと、かみさんに怒られるので、アップルを裏切り、DELLのWindows PCに置き換えてしまった。 なので、何だかアップル社には、今でも、うしろめたい気持ちがある。こういう気持ちにさせるのもアップル社のブランド力かもしれない。その後、Netscape、JAVA、Linuxが出現し、インターネットが普及し、PCの環境も、どんどん変わっていくのだが、、ビル・ゲイツの戦略は鋭く、相変わらずマイクロソフト帝国は健在である。その間、アップル社は、創始者のスティーブ・ジョブスが解任、ペプシコーラのスカリー氏がCEOになり、ニュートンというPDAを開発したが不発に終わり、低迷を続けることになる。そして、アップル社を追い出され、ネクストというコンピュータの開発で失敗したスティーブ・ジョブスがアップル社に復活。この人は、経営者としてどうかわからないが、商品開発の天才なのか、モニタと一体型のMacをヒットさせ、今度は、iPodという、まったく新しい分野のマーケットを切り開き、アップル社の業績は回復した。PCの業界の中で、このスティーブ・ジョブスとビル・ゲイツは、2大カリスマと言えるだろう。ふたりはとても対照的なキャラクター。スティーブ・ジョブスは、商品のコンセプト作りの天才、気さくで子供のような性格。熱狂的な信者が多い。(僕は、以前、スティーブ・ジョブスの基調講演を見に行ったのだが、ある観客が「あんたは偉い!」と叫んだところ、「Very Good!」とか、何とか言って上機嫌だった。)一方、ビル・ゲイツは、優れた商品作りよりも、ビジネスの勝者になることを目指す戦略家。ちょっと無愛想。このふたり、三国志に例えると、スティーブ・ジョブスがコンセプトの人「蜀の劉備」、ビル・ゲイツが"大戦略家、独裁者「魏の曹操」と言ったところか?Mac Miniにより、天下三分の計にさらされ、ビル・ゲイツは苦戦を強いられるのか?諸葛孔明が誰だかわからないが、今後のPC業界が楽しみである。
2005.02.07
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サラリーマンの中には、平社員の時、評価が高かったのに、管理職へ昇格した途端、評価が下がってしまう人が結構いるのではないか?要は、自分一人のパフォーマンスか、それとも組織のパフォーマンスか?評価のされ方が異なってくるため、意識改革ができなかった人は躓いてしまうということ。僕の経験では、大学を卒業するまで、殆ど遊ばず、生真面目に勉強をしてきた人達に躓く人が多いように思う。偏差値教育というものは、要は、定まった範囲を網羅的に勉強し、100点満点に近づくことを目指す教育だから、このやり方だけを信仰して育った人は、完璧主義に陥ってしまう傾向があると思う。ビジネスの世界は、常に流動的で、決まった答えはなく、その場、その場で決断を求められる。限られた資源、時間、機会を、どのように有効に活用するか?完璧な答えが無くとも、結論を出さなければならない。何一つ完璧な条件は存在しないし、完璧な結果も存在しない。そういう状況の上、関係者の中で、いかにバランスよく利益配分するか?ということが問われる。まじめに大学を卒業して、会社に就職して、エリートとちやほやされ、自分一人で完結する仕事を任され、きっちりこなし、優秀だと褒められる。ここまでは良い。しかし、他人の管理まで任された途端、計算が狂ってくる。どのような部下がアサインされるかは運であり、自分ではどうすることもできない。できの悪い部下がアサインされると、自分が思い描いていた姿から、かけはなれ、ストレスが溜まっていく。そして他人には任せられないと自分で何でもやってしまい、被害妄想になり、最後は潰れてしまう。本人に言わせれば、うまくいかないのは、会社や上司が良い条件を与えてくれなかったからだとか、部下のレベルが低いとか、自分自身の反省は余り無い。こういうパターンで潰れていく人は、僕の会社の中でも、よく見受けられる。この完璧主義というものは、ある意味、無責任で利己的なものである。まず、自分の理想が、関係者にとって、どれだけ価値のあるものか?よく考える必要がある。己だけの基準で個別最適を目指しているのか、関係者全員が納得する全体最適を目指しているのか?企業は、顧客に価値を提供し、その対価を貰って、ちゃんと利益を出さなければならない。顧客の利益に傾き過ぎては、会社に対して背任行為になってしまうし、会社の利益しか考えなければ、顧客に対して詐欺行為になってしまうし、従業員を大事にしなければ、従業員は去って行く。顧客も複数存在すれば、それぞれ不満のないように対応しなければならない。何かひとつだけを完璧にしようとした場合、そのバランスが崩れる。だから何ができて何ができないか、はっきり示す必要があるし、何が大事で何が不要か?重点管理が必要だ。おそらく起業して経営がうまくいっている経営者は、これを当たり前のことだと思うだろう。しかし、大企業のサラリーマンの中には、わかっていない人が多く、伸び悩んでいるように思う。わかるという意味は、自分自身を省みて、わかるということ。他人の批判は上手だけれど、自分自身の事がわからないという人が多い。おそらく、自分が優秀だという自尊心と自分を守ろうとする防衛本能が働き過ぎて、それを打開し、更に自分自身を成長させようという思考にまで至らないのだろう。結局、それが人の器と言ってしまえば、それまでだが、 内省的であること 視野を広げること GIVE&TAKEの原理をよく理解することこういうことを意識し、経験を積むことで改善されると思う。勿論、こういうことは早くわかった方が良い。そのためには、子供の頃から、机の勉強だけでなく、グループで議論し問題を解決するような経験が必要だと思う。
2005.02.04
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高業績をあげる強い会社とは、どんな会社だろうか? きっと会社のミッションが会社全体に浸透し、経営トップがしっかりしたビジョンを持ち、社員が、それを信じ、実現に向けて、個々の能力を惜しみ無く仕事に注ぎ込むことができる会社だろう。 どうすれば、こういう会社になるのか?ミッションやビジョンというのは、戦略とは異なり、そう簡単に変更されるものではない。10年後、20年後といった長期的な視点で設定されるものである。 社員が、会社のミッションやビジョンに呼応するには、自分自身の10年後、20年後といった長期的な見通しとダブらなければならないと思う。その会社での自分の処遇が不安定だったら、どうだろうか?評価期間によって自分の評価が不安定で、評価と連動して給料も不安定だったら?評価によってはリストラの危機にさらされるとしたら? 殆どの人は、まず、自分自身の生き残りを考えるはずだ。自分自身や家族が、ちゃんと生活していけるのかどうか? この見通しがたっていなければ、会社のミッションやビジョンを考える余裕はないだろう。業績の上がらない社員が解雇されたり、退職勧告されたりする姿を見れば、よほど優秀な社員でない限り、いずれ我が身も?という危機感が募るだろう。そうなれば、多くの社員は、部下や後輩の育成のことや、その会社独自の技術やノウハウの習得よりも、転職に有利な資格の取得に走り、会社として好ましい行動をとるとは思えない。僕は、社員の処遇を安定させることが、会社のミッションやビジョンに社員が呼応することの前提条件ではないかと思う。それでは次に、会社のミッションやビジョンの実現に向けて、社員の仕事のパフォーマンスを向上させるには、どうすればよいのだろう?人は、どんなときに仕事に熱中し、最高のパフォーマンスを発揮するのだろうか? 僕の場合、コンサルティングという仕事をしているのだが、コンサルティングと言っても、経営戦略、人事、業務改善、システムなど、いろんな分野がある。また、対象とする顧客企業の業種は、金融、製造、流通、公共など様々である。従って、これらすべての分野に精通することは天才でない限り難しい。僕の場合、金融・財務系の業務やシステムの構想・計画策定が得意分野であるが、やはり、自分の得意分野において、クライアントから期待され、その課題の難易度が高いときに、最も仕事に集中し、高いパフォーマンスを発揮しているのではないかと思う。こういう傾向は僕に限ったことではなく、誰でも同じではないかと思う。つまり、自分が価値を置く自分のスキルに、他人が期待し、そして、その期待に自分が応えられると信じ、そして期待に応える。こういう過程において人間は集中し、自分の能力を最大限に発揮するのではないか?こういうシチュエーションをいかに多く社員に提供するかということが会社にとって重要だと思う。では、このために成果主義の評価制度が役にたつであろうか?ちなみに僕の会社は、日本企業としては極めて成果主義の色が強い会社である。特に米国のコンサルティングファームと提携してから評価制度は成果主義に大きく傾いた。いろいろな評価項目を数値化し、その数値によって、かなり報酬に差が出てくる。新入社員と経営トップとの間には年収で20倍以上の差がある。短期間であっても”売り上げ”という”成果”がでない社員は、解雇とまではいかないが、非常に低い評価になり、連動してボーナスも低くなり、会社にいることが苦痛になり、どんどん会社を辞めていく。僕は、長年地道に培ってきたビジネスが成長を続けているので、そういう辛い思いは、まだ、したことがない。その間に成果主義が強化されたわけだが、成果主義が、僕のビジネスの成功に何か刺激になったかと言われても、何もないというのが正直な答えである。成果主義の色が強くなって、自分自身、やる気が沸いてくるようなことは、まったく無かったし、今も無い。評価の数値を信用することができないからだ。僕の場合、長年同じ上司と仕事をしているのであるが、上司がいくら僕を評価しても、成果主義による全体の評価調整の中で、個人の売り上げ高に応じて評価は調整される。ビジネス成功のため種を蒔いていた時期(つまり営業活動を活発に行なっても、売り上げが伴っていない時期)は低く評価され、そのビジネスが開花し、売り上げが上がれば、楽していても評価は高くなる。本来、期間評価とは、結果に繋がった行動をとった期間を対象に評価すべきなのに、そうならない。僕の場合、担当者が変わらないから、自分が納得すれば良い話だが、評価制度そのものに問題があることには変わりない。もし、担当者が変わっていたら、宝くじのように得する人もいれば損する人もいる。期間評価の精度をいくら高めたところで限界がある。僕の仕事はクライアントサービスであるから、クライアントに提供した価値の度合いで評価されるべきだと考えるが、その価値を、いつ、どのように測定すべきか?自分の提案が、いくらクライアントに受けて、高く評価されたとしても、本当にクライアントにとって、その提案が良かったかどうかは数年経たなければわからないことが多い。(業務を改善して、どれだけの効果があったのか?システムを導入して、どれだけ効果があったのか?など)結局、本当の評価は、長い年月を振り返ってみないと、誰も、わからないのである。こういうことを考えていくと、半年や一年毎に行なう評価が、どれだけ意味のあることなのか?それによって大きく報酬に差を付けて良いのか?疑問がでてくる。これは僕個人の経験に基いた感想なので、他の人の境遇とは異なると思うかもしれない。人によっては、非常に単純な仕事で、上司から見て、その優劣は明らかである場合もあるかもしれない。しかし、そういう仕事は、そもそも報酬に大差がつくのか?と思うのである。本当にミッションやビジョンを実現することを真剣に考えている会社であれば、そういう不正確な短期の評価に社員を一喜一憂させるよりも、社員に長期の雇用を約束し、長期間の功労により社員を評価することを考えるのではないか?ということは、従来の日本の終身雇用制、年功序列が米国的な成果主義より優れているのではないか?終身雇用制については、かなり確信に近づいている。年功序列については、まだ、わからないが、長期間の功労を、どのように報いてあげるか?に対するひとつの答えかもしれない。
2005.01.23
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人事評価は、企業がミッションやビジョンを実現するため、従業員が、やる気を起こし、組織全体の生産性や創造性を高めることに、つながっていかなければならないと思う。僕は、個人プレーより、チームプレーの方が組織全体の生産性や創造性を高めるので、共同作業をしやすい組織や環境を作ることが重要だと考えている。従って、評価制度も、これに合わせて考える必要があると思う。では、どんな評価制度が良いのだろうか?評価は報酬に結び付くが、報酬といっても、いろいろな形がある。金銭、昇格、魅力ある新しい仕事、表彰、賞賛...この中でも、すぐ目がいってしまうのは金銭だが、金銭は限りがあるので、どうしても相対評価により配分しなければならない。しかし、個人の期間業績が明確に表れる仕事であれば良いが、企業内の仕事の殆どは、共同作業によるものだから、誰かが、その貢献度を評価しなければならない。先進的な会社の中には、同僚が評価する会社もあるようだが、殆どの企業の場合、上司になると思う。いずれにしても、結局、人が評価するわけだから主観が入ってしまう。誰もが認める優等生や劣等生であれば、はっきりしているのだが、殆どの人は、なかなか優劣をつけにくいというのが実態ではないか?特に、これからの知識社会は、専門が異なる人達が集まってプロジェクトチームを編成することが増えていくだろうが、被評価者の職務が異なれば、相対的な優劣はつけにくくなるし、評価者自身のバックグランドや価値感が異なれば、同じ被評価者であっても、評価が大きく変わるだろう。こういう事情があるにもかかわらず、金銭報酬に大差がつく相対評価を行なったら、どうなるだろうか?やはり、お金には魔力がある。従業員は、評価のことを非常に気にするようになるし、地道に努力しているにもかかわらず、評価者が変わる度に自分の評価が大きく変わると、評価制度そのものに疑問を感じるだろう。終身雇用を廃止した会社であれば、その評価によって自分の処遇が大きく左右されるから、従業員は、将来を不安視し、目先の評価ばかり気にするか、逆に、転職を意識し、会社の仕事には直結しない勉強に励むか、いずれにしても、刹那的な考え方が身についてしまう。本来、評価制度は、企業のミッションやビジョンを実現するためにあるものなのに、これでは、台無しである。評価というものは、いくら仕組を工夫したところで、結局、人がするものであるから必ず不満がでてくる。評価によって給料やボーナスに大差をつけると、その不満は増大する。もし、相対評価が、少数の勝ち組と大多数の負け組になるよう分布させた場合、大多数が不満を持つことになる。そういう状況で果たしてチームプレーによる創造的な活動を行うことができるのだろうか?僕は、評価制度には限界があり、それだけで従業員のモチベーションを上げることはできないと思う。だから、金銭的な報酬に大差が付く評価制度は反対である。誰もが認める優等生や劣等生は、ある程度、差をつけて良いと思うが、その他大半の人に対して大差をつけてはいけないと思う。では、どうすれば良いか?次回の日記で書こうと思う。つづく
2005.01.22
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このところ、日記で、青色発光ダイオード訴訟などの問題を通して、社会や企業の在り方について考えている。良い社会の定義は人によって違うと思うが、少なくとも民主主義の国であれば、大半の人が幸せと感じ、すべての人が最低限の生活を保証される社会であろう。良い企業は、社会に貢献する商品・サービスを提供し、多くの従業員を雇用し、雇用を維持し、従業員がいきいきと仕事をし、ちゃんと利益を出し、株主に配当できる企業だろう。多くの従業員がいきいきと仕事をすることは、企業の競争力を増すだけでなく、企業の社会貢献にもつながる。世の中には、いろいろな社会や企業があるが、いずれにしても人の集まりだから、当然、それぞれ共通のミッションやビジョンがあるだろう。それは上記の社会や企業の在り方を、より具体化したものになるだろう。良い社会、良い企業を実現する上で、人の評価の在り方というのも重要な課題である。組織の力は、個人の力を結集することによって発揮される訳だから、個人も、組織と同様に目標を設定し、目標に対して、どれだけ成果が上がったかを評価し、課題を明らかにし、次なる目標を設定し、改善の努力をすることで進歩していく。人は、自分の仕事を他人から評価してもらいたいという欲求があるし、高く評価され、高い報酬をもらいたいという欲求もある。こういう欲求を仕事への動機づけにしていくためにも評価は必要だ。勿論、組織のミッションやビジョンを実現する上で貢献した人を高く評価し、努力が足りない人を低く評価し反省させることは重要だ。しかし、 評価の差をどこまで広げるか、分布をどうすべきか? 評価に対する報酬の形をどうするか?(金銭?、名誉?...)は議論が必要だと思う。評価制度はあくまで、組織のミッションやビジョンを実現するためにあるもので、ミッションやビジョンと整合性がなければならない。評価制度が組織のミッションやビジョンを実現する上で非効率であれば、それは見直す必要がある。少数の勝ち組と大多数の負け組を作った方が良いのか?それとも平均点に集中させるのか?どのような分布にするとミッションやビジョンを実現する上で最適なのか?これはバランスの問題なので0か1かといった明確な答えは、出てこないと思う。どういうバランスにするかは、各々の組織の文化や構成員の価値感をよく見極める必要がある。ただ、大まかな方向性については議論はできるのではないかと思う。次回の日記で、僕の仮説を書こうと思う。つづく。
2005.01.20
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1月16日のサンデープロジェクト(TV朝日)で興味深い特集をやっていた。タイトルは、「ものづくり震災編・神戸製鋼 自力復活への道」スキルより意思が大切、これを象徴する会社の復活劇を特集したもの。バブル崩壊後の構造不況に苦しむ神戸製鋼。ときは1995年1月。ラグビー日本選手権で優勝し7連覇達成。朗報が伝わって、僅か2日後、阪神大震災が神戸製鋼を襲う。高炉は24時間動かし続けなければいけないのだが、その高炉が止まってしまった。これは前代未聞の事態。神戸製鋼が得意としていた線材が作れなくなった。何をして良いかわからない。お客様に材料を届けることが一番大事。成分表などの企業秘密をライバル会社に提供する。苦渋の決断だった。3ヶ月内に復旧ができなければ会社は終わる。経営トップは考えた。1000人を超える従業員の家が全半壊しかし、全員が出社して復旧作業、頑張った。崖っぷちの中、なんとか会社を存続させたいと従業員達は、必死に働いた。そして止まっていた高炉に再び火がともった。しかし、それでも会社の危機は変わらなかった。阪神大震災による神戸製鋼の被害額は1000億円。鉄鋼メーカー最大の被害。どうしていくんだ?トップは悩む。そして、新たな事業の参入を決断。電力事業である。自家発電し、電力を電力会社に売る事業。予算規模は2000億円を超える。失敗は許されない。経営トップは、これに社運をかける。担当者は必死に頑張った。そして関西電力の入札が始まった。ライバルの鉄鋼メーカーを含む29社が名乗りを上げた。結果は神戸製鋼に微笑んだ。最大の決め手は価格。また、70万キロワットの入札枠に対し、他社がリスクを恐れ、少量のワット数しか提示できなかったところ神戸製鋼だけが70万キロワットに近い提案をした。神戸製鋼は、以前から積極的に自家発電に取り組んできた。そのノウハウが生かされたのだ。この事業は、15年連続100億円(利益率17%)の利益を約束するもの。これは神戸製鋼本体が過去7年間に上げた利益にほぼ匹敵。非常に重い数字だ。現在、神戸市の7割の電力は、神戸製鋼が供給している。こうして新たな事業に成功した神戸製鋼だが、間もなく、もうひとつの荒波に襲われる。ゴーンショックだ。日産のゴーン社長が打ち出した部品調達先を絞り、コストを低下させる戦略。すべての製鉄所は値下げ競争に巻き込まれ利益率が落ち込み苦しんだ。特に神戸製鋼の落ち込みが激しかった。神戸製鋼の株価は40円代に下落。また、会社存続の危機が訪れた。しかし、神戸製鋼が長く培ってきたハイテン鋼の技術に光が当たり、何とか切り抜ける。そして中国特需の追い風に乗り、過去最高益を計上。神戸製鋼は完全復活した。阪神大震災、あれから10年、神戸製鋼の社員は一心不乱に走り続けてきた。経営トップふたりがこう語っていたのが印象的だった。「本当に目標・目的をみんなが共有して、ひとつの方向に向かって進みだしたら、凄い、恐ろしいパワーを人間は発揮するなと実感した。いろいろ悩みながら今日の神戸製鋼のいろいろなものにつながっている。」震災がなかったら今の神戸製鋼はあったか?との質問に対して、「変わっていたでしょうね。震災があって、ここまで貶められ、退路はたたれている。間違いはゆるされない。こういう気持ちが神戸製鋼のトップマネージメントと社員全体に漲っていた。このことを忘れてはいけない。」孫子(そんし)の言葉に「兵士たちは危険な目におちいってはじめて、真剣に勝負する気持ちになる」というのがある。一言で言うと「背水の陣」。しかし、神戸製鋼の場合、この格言だけでは言い表せない”意思”というものを感じる。長年、危機状態が続き、長年、頑張り続けたのだから凄い。僕は、前回の日記で日本の将来に対する不安について書いたが、この番組を見て少し希望が沸いてきた。日本は、明治維新、太平洋戦争、数々の困難から復活してきた。この神戸製鋼の例も日本人が土壇場に強いことを物語っている。日本は島国。攻められても逃げ場がない。これは中国と対照的。日本人は、何か問題があると全員が結束して頑張る性質が強いのではないかと思う。神戸製鋼の場合も、欧米大手企業のような事業リスク管理を合理的に行なっている企業にはない精神を感じた。これがいわゆる”サムライ・スピリット”なのだろうか?おそらくこの先、日本は、試練の時代に入ると思うが、この精神があれば大丈夫だろう!だけど、できれば試練の時代になる前に対処したい。誰も敢えて辛い思いはしたくないはずだ。今の日本は一見、危機には見えないところが怖い気がする...
2005.01.17
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近頃、インドのIT企業と付き合っている。彼らに任せれば、日本の5分の一から10分の一のコストで高度な業務システムができてしまう。しかも、最新のテクノロジーを駆使しており、生産性が高い。ビジネスは勝たなければならないから、日本企業より外国企業と組んだ方が勝算があれば、外国企業を選ぶのは当然のこと。それが資本主義。しかし、ひとりの日本人として、この先、日本の情報処理産業はどうなっていくのだろう?と心配してしまう。グローバル経済の中で、もの作りでは中国、情報処理はインドが台頭している。共に10億人以上の人口。賃金レベルは、日本の5~10分の一。同じ人間。個人の知能レベルは日本人と殆ど変わりない。グローバル経済の中で、日本は、どうすれば今の地位を保っていけるのか?もの作りやシステムやビジネスのアイディアを提供する知力国家を目指すと言っても、日本国民の中で、ひとりで国際競争力のあるアイディアを生み出す人は何割いるのだろうか?そういうことを考えると日本は、森永卓郎が言っているような、ほんの一握りの金持ち階級と圧倒的多数の低所得層で成り立つ社会に、近い将来なっていくのではないかという不安がよぎる。僕は、前の日記で書いたとおり、日本人の「組織的知識創造」の能力に希望を持っている。「組織的知識創造」とは、ひとりの天才に頼るのではなく、仲間がチームプレー(共同作業)により、新技術や新製品を生み出すこと。これは高度経済成長期の日本の強さの秘訣だったはずだ。しかし、米国型グローバリゼーションとやらの悪い影響で、どうも日本人自体、個人主義に走り、それを否定する方向に動いているのではないかと心配している。最近気になっていることは、日本人の多くが、少数の勝ち組と大多数の負け組で成り立つ社会を容認しているのではないか?ということ。(ここで言う勝ち負けとは金銭的な富の面)つまり米国型の社会を良しとする考え方。 自分は勝ち組に入れると信じている人が多いのだろうか?前々回の日記では、青色発光ダイオード裁判の和解金8億万円が安過ぎるという意見が殆どだったが、ではいくらが妥当と考えている人が多いのだろうか?200億円が適正だと考えることは、徹底した成果主義、つまり米国型社会を良しと考えることと、いっしょではないか?もし、200億円(ひとりの貢献度が50%)で決着した場合、今後の企業経営に、どういう影響を与えるのだろうか?この裁判は、おそらく今後の特許発明の貢献度評価の基準になっていくと思われるが、発明者の貢献度を50%と評価する場合、企業経営に大きなダメージを与えるので、この前提で企業が研究開発を進めるならば、製品の価格をつり上げるか、コストを削減するか、なんらかの対策が必要になるだろう。それは、得意先、仕入先、株主、経営者、従業員などの企業関係者の中で、利害の調整が必要ということ。例えば、 (1)製品価格を上げる場合 → 得意先が困るし、最終製品の負担者である消費者や納税者も困る (2)原価を抑える場合 → 仕入れ先が困る (3)利益が減る場合 → 株主が困る (4)役員報酬を下げる場合 → 経営者が困る (5)全体の給与水準を下げる場合 → 従業員が困る 必ず誰かが困ることになるのだが、(1)から(3)は、外部との調整が必要で面倒になるし、日本企業の場合、(4)の役員報酬はたかがしれているので、一番手っ取り早いのは(5)だろう。やり方としては、成功報酬の割合を高め、給料のベースを下げることが考えられる。そうなると、企業内で少数の勝ち組と大多数の負け組が生まれる。 果たして、これが、社会や産業発展のために良いことなのか?勿論、日本企業の社員に対す発明の報酬は少なすぎた。だから、発明することのモチベーションを上げるために、もっと報酬を増やすべきだろう。しかし、ひとり勝ちにすることは、意味があることなのだろうか?報酬が多ければ多い程、天才は意欲を出し、優れた発明をするのだろうか?心理学者のマズローは、「人は物質的に豊かになり精神的にも成熟してくると、金銭的報酬の重要性は低下し、より高次の報酬(メタ報酬)の重要性が高まる。金銭的報酬が相変わらず重視されているように見える場合もあるが、それは、愛や賞賛や尊敬を勝ち取ることができる地位、成功、自尊心の象徴として重視されることが多い」と言っている。天才に必要以上の報酬を与えるより、地味だけど真面目に働く大勢の人が、やる気を起こすように報酬を分け与えた方が企業にとっても社会にとっても良いのではないか?僕は、日本には日本に合った社会や企業の姿があると思う。僕は、自分が子供だった高度経済成長期の昭和40年代の日本が、収入の格差は少なく、階級や差別も少なく、全員が未来に希望を持ち、一番幸せな国だったと思う。もう、このような社会は幻想なのだろうか? 夢を捨てないのであれば、かつて日本のお家芸であった組織的知識創造を復活させ連続的な技術革新を生まなければならない。しかし、今は昔と条件が違う。高度経済成長期は、今より生活レベルが低くても、経済は成長し将来の生活は更に良くなるという確信があったのでサラリーマンは仕事に没頭できた。今の多くのサラリーマンは、将来の不安、目先の損得、勝ち負けばかり気にして仲間と協力して何かを成し遂げようとする精神が薄れてしまっているように思う。米国型企業は、報酬が多い人ほど結果を早く求められる。結果がでないと去るしかない。高収入でありながら、マズローが言う生存の欲求すら満たしていない人が多い。生存の欲求が満たされなければ、ひたすら金銭を追い求めていくしかない。そんな企業が日本に増えないでほしいと僕は願う。
2005.01.15
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前回の日記で、青色発光ダイオード裁判の和解金8億万円が高いか、安いか?というテーマを取り上げたところ、いろいろなコメントを頂き、考えさせられる事が多々あったので、もう少し突っ込んで書いてみようと思う。もともと特許という制度は、産業の発展を促進させることが目的である。そして、産業の発展は、より良い社会を作ることが目的である。従って、こういった目的を達成するため、どのように社会、発明家、企業関係者等の間で利益調整を行なうか?といった観点で、この結果の良し悪しを議論すべきだろう。まず、どうすれば産業が発展し、豊かで望ましい社会になるか?を考える必要がある。産業の発展のためには、以下のどちらを重視すべきか? (a)天才ひとりの成果 (b)組織的な共同作業による成果僕は、後者だと思う。産業が安定して発展するには、連続的に技術革新が起こる必要がある。偶然に天才が出現することを待っていては、連続的に技術革新など起こりはしない。だから、企業という商品開発を組織的に行なう基盤が必要であり、技術革新を起こすためのマネージメントが必要なのである。では、企業が天才を雇い、個別に、自由に研究させれば良いのでは?といった考え方もあるだろう。しかし、それでは人口の多いアメリカ、中国、インドが確率的に天才の数も多いだろうから、日本の勝ち目はない。でも、まだ日本の経済の方が中国、インドより上。それは、戦後、日本の製造企業が連続的に技術革新に成功し、経済を発展させたからであり、まだ、その貯金があるからだ。では、何故、日本の自動車や家電メーカーなどの製造企業が国際社会のなかで成功したのか?それは、日本の製造企業の組織的な知識創造の技術・技能が優れていたからに他ない。戦後の不確実な時代、日本の製造企業は、外部から必死に情報を収集し、組織内で広く情報共有し、組織的な共同作業により、新技術・新製品を生み出した。知は共有するものであり、独り占めにするものではないという文化があった。この文化は、日本の製造企業の中で暗黙のうちに成り立っていたのだが、その後、欧米企業が技術革新に行き詰まり、日本を見習い、研究したのである。組織的知識創造は、もともと日本のお家芸であり、世界に誇るべきノウハウだったのだ。それなのに、個人に頼った欧米流の古いやり方を見習う必要があるのだろうか?それでは、ゆとり教育と同じ結果になってしまうのではないか?この考え方については、野中郁次郎氏(一橋大学院教授)の知識創造企業という本に影響を受けているので、詳細は、この本を読でほしい。(残念ながら楽天BOOKSには無い。この内容についても今後、日記で取り上げていきたい)こうしたことから、日本の場合、組織的な共同作業による成果が生まれることを目指すべきであり、その考え方に整合する貢献度評価の仕組みが必要だ。ひとり勝ちの評価は、組織的な共同作業の妨げになるので好ましくない。今、問題なのは、企業内特許発明の貢献度評価の基準が確立されていないということ。その評価の基準が欧米と違っても、それは国策の違いというだけ。何でも欧米流のやり方を常識とすべきではないと思う。誤解しないでほしいのは、僕も、これまでの日本の企業内発明は、発明者の貢献度評価・報酬が余りにも低く、今回の中村教授が起こした裁判の意義は大きいと考えていること。ただ、その貢献度評価の基準は、国策であるから日本には日本のやり方があり、欧米に合わせる必要はないということ。あと、企業と社員の対立のような意見が多いが、それは正確に言うと間違いだと思う。対立しているのは、企業ではなく、企業を自分勝手に支配する一部の経営者、大株主。こいつらが悪いことばかりやっている。本来、企業は皆のものなのだ。■イノベーションの本質 ( 著者: 野中郁次郎 / 勝見明 | 出版社: 日経BP社/日経BP出版センター )野中郁次郎氏は、日本のビジネスマンの知恵と、日本企業に宿る伝統の「型」が融合したところに「知識創造」の源泉があると指摘。米国発のマネジメント手法ばかりに頼るなと訴える。
2005.01.13
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青色発光ダイオードを開発した米カリフォルニア大中村修二教授が、勤務していた日亜化学工業を相手に、譲渡した特許権の対価を求めた訴訟は一審東京地裁で過去最高の200億円の支払いを命じ、日亜側が控訴していたが、11日、東京高裁で、日亜側が中村氏に8億4391万円を支払うことで和解が成立した。この和解金8億円は高いか?安いか?あなたはどう思う?僕は200億は高すぎる。その10分の1の20億程度が妥当だと思っていたので、今回の和解金8億はちょっと少なすぎるのかな?と思った。僕は数年前、ビジネスモデル特許の調査をしたことがあるのだが、そのとき、日本企業の社員に対する特許発明の報酬は一時金で数万円程度が多いという事実を知り、これでは搾取ではないか?と問題意識を持っていた。(同時に人は単に報酬だけで努力するのではないという事実にも気が付いたのだが)だから今回の中村教授が起こした裁判は意義があると思っていた。しかし一審の判決の200億円には驚いたし、余りにも高すぎると感じた。というのは、企業内での特許発明の貢献を一人だけに集中させることは、これまで僕が書いてきた会社のあるべき姿と逆行した考え方だと思ったからである。僕が、一審(200億円)の判決を知った時に思ったことは、この人(中村教授)、会社(日亜化学工業)の同僚との人間関係はどうだったんだろうか?ということ。きっと孤立した暗い人間関係ではないか?と想像した。今回の中村教授の主張は、「自分ひとりの力で発明したのだから、ひとりだけ巨額の報酬をもらう権利がある」というものだけど、いっしょに試作を作ったり実験をしたり夜遅くまで汗水流して頑張った仲間はどう思っているのだろうか?モチベーションはどうなんだろうか?そもそも会社というものは、同じミッションを持った同志の集団であるべきだ。そして成熟した会社は、従業員、顧客、取引先、株主、行政など企業を取り巻く関係者(ステークホルダー)全体の利益を考えるものだ。同じミッションを果たすため、中村教授のように創造する役割だけでなく、プロジェクトを管理する役割もあれば、地道に定型的な作業をする役割もある。経理などのバックオフィスがなければ投資した資金を回収することはできない。役割は違っても同じミッションのために頑張っている。この考え方を崩してしまって良いのか?そして事業失敗のリスクを負って投資した株主がいなければ研究開発はできない。そのことは、どう考えているのだろうか?もし、ひとりだけが貢献したとの結論になれば、人が集まって事業を起こす動機が生まれず、シナジー効果など幻想になってしまっただろう。こんなことをしては高業績組織「ゴッタユニット」なんて成り立たない。発明者は確かにMVPかもしれないけど、それを支援した人達が落ち込む程の評価の格差は会社や社会を暗くするし、中長期的に見て発展も難しくなるのではないか?そのバランスを考えると200億円より8億円の方が、まだ妥当だと思う。だけど、僕は、中村教授を責める気持ちはない。考え方が極端だと言っているだけ。これは、あくまでバランスの考え方の問題だ。僕は、数%の勝ち組と大半の負け組で構成される世の中は暗い社会で、経済全体の発展にも好ましくないと思っているから、こう考えているだけだ。また、中村教授の心のうちはわからないが、お金よりも、日亜化学工業や日本企業の、余りにも不公平な常識に、怒りを持っていたことが大きな動機だったのではないかと思う。そういう意味では、ちょっと金額は不満かもしれないが、中村教授の目的は達成されたと思う。日亜化学工業側は、事実上の勝利と言っていたが、そんなことを言う立場じゃないと思う。裁判がなければ、そのまま搾取を続けていたのだから。
2005.01.12
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組織または組織間でシナジー効果を生む条件とは、 (1)ミッション・ビジョンの共有、社員の呼応 (2)ミッション・ビジョンと整合する評価制度 (3)組織の分権化(特に創造性が求められる分野) (4)リーダーはコミュニケーションのプロになること (5)権威主義の排除 (6)自由に議論できる企業文化 (7)多様性の尊重 (8)社員の欲求レベルに応じた適切な配置・役割分担僕は先日の日記で、こう書いた。当たり前のことを書いているようだけど、実現することは、なかなか難しい。僕の経験では、これらの条件の中でも、特に(8)の条件を成り立たせることが難しいのではないかと思う。というのは、そもそも、こういった視点が会社や管理者に欠けている場合が多いと思うからである。 部下は、我が社の社員としての自覚が足りない。 モチベーションの低い社員は本人に問題がある。 説得すれば意識はきっと変わるはず。こう考えている管理職が多いのではないか? 僕も恥ずかしい話だが、マネージャーに成り立ての頃は、熱くなる方で、正しいことはひとつ。正しくないと思った事は、直ぐに駄目だ!と部下に言っていたような気がする。しかし、問題の社員に説教をしても、上手くいく場合といかない場合がある。これは信頼関係が成り立つ場合でも同じ。人間は求める欲求レベルがそれぞれ異なるからだ。 会社のミッションやビジョンには興味が無く、安定した仕事と収入だけを求める人もいれば、自分自身のスキルアップだけを考えている人もいる。創造的な仕事より、定型的な仕事の方が安心するので好きという人も多いと思う。こういう欲求レベルを自己実現のレベルまで持っていき、更に、会社のミッション・ビジョンに自分の価値観を合わせろ!と言っても無理。また、そういう人材ばかりを採用することも無理だろう。本当にシナジーを成功させるには、こういう現実を直視して対策を考えなければならない。これは、 僕だけでなく、多くの企業や、企業の管理職にとって重要な課題ではないかと思う。つづく。
2005.01.11
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シナジー効果とは、人と人が協力して1+1が2になるのではなく、3にも4にもなる効果。 例えば、 ・ある製品のために開発した部品が他の用途にも使え、大量生産により原価を大幅に押さえることができた。 ・ITベンダーがコンサルティング会社と提携し、顧客企業のビジネス計画からシステムの構築・運用までサポートすることにより互いに顧客企業との取引関係を強化することができた。 など。 何となくイメージは掴めると思うが、実際には、そんな簡単なことではない。何故なら、シナジー効果を生むには、多くの関係者が目的や価値観や関連する情報を共有しなければならず、短期的に見れば、時間もコストも多く、かかるからである。個別案件の担当者にとって、その案件以外に任務がなければ、シナジー効果など考えず、その案件だけに適応できるやり方を採用するだろう。(個別最適化)シナジーのため人の根回しに神経や労力を使うよりも、今すぐ使えるリソースでさっさと片付けた方がましだからだ。評価制度が短期的な実績だけしか重視していないなら、なおさらだ。しかし、類似した個別案件が複数あるのに、それぞれ1から始めている会社は、どうなるか?共通部品や情報・ノウハウを蓄積・共有している会社と競合すると、製品またはサービスの品質や価格競争力に差をつけられ、受注することが困難になるだろう。この影響で、将来、仕事が減り、個別案件の担当者も、リストラに遭うかもしれない。だから目先だけでなく将来を見据え、シナジー効果を生み、全体を最適化させる対策が必要なのだが...実際のところ、人は本能的に目先の利益を重視する傾向があるから、シナジー効果を生むことは、よほど人が理性的にならなければ難しい。しかし、人間は地球上、唯一、理性を持った動物と言われているわけだから、その可能性に希望を持ちたい。では、どうすればシナジー効果は生まれるのか?僕は、正直言って、まだ結論が出せない。今まで僕が経験し成功したプロジェクトでは、おそらくシナジー効果と言えるものが、いくつもあったと思う。しかし、それは人材に恵まれていたからかもしれない。なので、成功の秘訣とか必勝法は?とか言われても困る。ただ、ぼやけて考えていることなら少しは言える。思いつくものを羅列すると、(1)ミッション・ビジョンの共有、社員の呼応(2)ミッション・ビジョンと整合する評価制度(3)組織の分権化(特に創造性が求められる分野)(4)リーダーはコミュニケーションのプロになること(5)権威主義の排除(6)自由に議論できる企業文化(7)多様性の尊重(8)社員の欲求レベルに応じた適切な配置・役割分担だろうか?これだけだとわからないと思うので、今後、日記で、もう少し詳しく説明したい。■企業のミッションとは?ミッション、ミッションって言うけど具体的に何?と思う人のために例を挙げたい。会社レベルのミッションとなると、すぐ思い浮かぶのが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの我が信条日本企業に比べ、とても具体的でわかり易い。このミッションが、どの程度、ジョンソン・エンド・ジョンソンの中で浸透しているかわからないが、もっとも有名な例であり、多くの企業の手本となっていることは確かである。問題は、このミッションに、どれだけ社員が呼応するか?ということ。ミッションに社員が呼応し、社員がそれぞれ、ミッションを果たすためには、具体的に何をすべきか?を考え、社員同士が議論し、リーダーが取り纏め、事業化する。そして、顧客、株主、取引先、行政など自分の会社の関係者(ステークホルダー)から賞賛され、社員はそういう自分の会社を愛し誇りに思う。経営者が代わってもミッションは受け継がれ、環境変化やステークホルダーとの調整により最適なものに更新されていく。社員の採用は、入社試験よりも、このミッションに賛同することを重視する。こういう会社はきっとシナジー効果が沢山生まれるのではないか?つづく
2005.01.07
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