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先週末、父の葬儀が無事終わり、今週から普段の生活を再開した。産業カウンセラー講座にも久々に出席。テーマは「産業カウンセリングの発展」産業カウンセリングの歴史に関する講義である。米国の産業カウンセリングの歴史は長く、第一次世界大戦の頃から始まったようである。経営学でもお馴染みのホーソン実験など労働者の生産性について心理学的に研究した事例の説明があった。この実験は、照明の明るさなど、労働者をとりまく環境と生産性の相関を検証するための実験であったが、まったく予測していない結果になった。照明を明るくしても、暗くしても労働者の生産性はどんどん向上していくのである。わかったことは、実験をするにあたって研究者が労働者とこまめに相談をし、職場環境の問題について話を聴いてあげたこと自体が生産性の向上につながったということ。意外にもカウンセリングの必要性を証明する実験になったのだ。こういうことが大昔にわかっているというのに、日本企業のどれだけの経営者がこういうことを理解しているのだろうか?日本の企業は米国流成果主義をどんどん取り入れているが、一方、米国程、カウンセリングのように従業員や労働者の精神面のケアを行う制度が浸透していないように思う。制度はあっても浸透していないというのが実態かもしれない。経営者の問題意識はあっても、中間管理者層に、その意義を理解させなければ浸透しない。むしろ本当にカウンセリングが必要なのは中間管理者層かもしれない。 売上あげろ! 人を育てろ!両方必要であるが、短期目標と中長期目標のバランスや評価の仕組みがいい加減であれば、中間管理者層は、悩んでしまうだろう。この日の講師は、長年、産業カウンセラーとして活躍されたベテランだったが、最後にとても良いことを言っていた。自立するとは、どういうことか?それは他人に依存し、依存されることが上手な人。何でも自分でやってしまう人は自立ではなくて孤立する。なるほど 依存すること → GIVE 依存されること → TAKEに置き換えれば、僕が本ブログで主張している『GIVE&TAKE→シナジー』に共通する考え方だ。面白かったのは、なんでも自分でやってしまう人が孤立してしまうということ。自分の力に自信があり、常に主役でなければ気が済まない人。周りがシラケてしまう。あなたの周りにも、こういう人いませんか?以前、僕の部下にも、こういう人がいた。 万能タイプ。 何でも真剣に取り組む。 クライアントからの評価も高い。僕は彼にチームのリードを全面的に任せてしまった。しかし、彼の部下が、どんどん会社を辞めてしまう。辞める人は「僕はXXさんのようにはなれない。」とポツリと言った。重要な仕事は誰にも任せず、クライアントからは常に彼が主役だった。これでは、まわりがシラケてしまうのも無理は無い。やがて、そのプロジェクトは収束し、他の案件がでてきたので、彼に提案を任せたが、その分野のノウハウをもった人は彼ひとりしかおらず、配員に苦労した。今から考えれば僕の判断ミス。これでは、組織は成長しないし、彼も成長しない。 自立と孤立の違いなるほどと思った。クリックで救える命がある
2005.05.24
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今日、父は息をひきとった。仕事中、兄から携帯に電話があった。麻酔が効いていたので、最後は苦しい様子もなく、安らかだったそうだ。入院してからずっと父は苦しんでいたし、兄嫁の献身的な看病も体力的にいつまで続くか心配だったので、連絡があったときは、これで良いと納得した。僕は今、実家に向かう電車の中で日記を書いている。今は冷静だが、父の姿を見たときは、感情が込み上げてくるのだろうか?見たくない...父は昭和一桁生まれ。子供のころは文武両道で神童と呼ばれていたそうだ。戦争中、陸軍幼年学校に入学し、軍人の道を歩もうとしたが、在学中に終戦。大学では物理を学び、高校の教師になった。そして母と出会い、母の父が経営する会社の跡を継いだ。先々代が成功し富を得た老舗の中小企業だったが、先代の消極経営がたたって低迷し、父に代わって積極経営に切り替えても、事業規模が大きくなった分、負債が増えるだけだった。考て見れば、プライドが高く頑固で正直で短気な父に商売は向かなかったように思う。得意先に頭を下げることができず、どうして商売できるの?僕が経営コンサルタントを目指したのも、父の会社経営に対する問題意識からであった。しかし、父は長年、地域の小中高校のPTA会長や、家庭裁判所の調停委員を務め、地域社会に貢献した。これは立派だったと思う。父は説教が大好きで、酒が入ると、僕たち子供に延々と説教をしていた。僕はうるさい父から解放されたいという一心で東京の大学に入った。兄も同様だったと思うが、長男として父の後を継ぐことになった。親子がいっしょに仕事をすることは本当に難しいものだ。厳しいようで甘い。すぐ感情が表れてしまい論理的な議論ができない。経営方針について父と兄は、いつも対立していた。対立というよりも意地の張り合いと言った方が良いかもしれない。僕は監査役という立場だったが、離れた場所で生活するサラリーマンの僕には、この溝を埋める力は無かった。中小企業の、年に数回行われる役員会で、いくら良い意見を言って、良い結論が出ても、いつのまにか忘れ去られている。僕が心理学やカウンセリングやコーチングに興味を持つきっかけは、父と兄の感情コントロールの仕方や人間関係に対する問題意識だったのかもしれない。僕も長年コンサルタントをやっていて大企業の成功事例がいくつもあるが、もっと身近な、この中小企業を変えることができない。父と兄を見て、いくら結論を出し、その場で合意しても、結局、本人が気付き、自覚しなければ、何も変わらないということを思い知らされた。僕もようやく、カウンセリングやコーチングに目覚めたところだったので、父の死は、子としての悲しみだけでなく、仕事の面でも大変残念。兄が父に尊敬の気持ちを表し、父が兄を認め、互いに協力し合う様子を見たかった。父は、どのような思いで死んでいったのだろうか?結局、自分の分身なんて作ることはできないことを悟ることができたのだろうか?もう少し時間が欲しかった。僕が真のエグゼクティブコーチになるまで、待って欲しかった...
2005.05.18
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先週、仕事中に父が危篤との連絡があり、急いで実家に帰った。深夜、病院に駆けつけ父の様子を見たら、何とか持ちこたえていた。父は母が死んだ5年前に肺癌になり手術をしたが、医者からは、「再発は免れない。あと1年と覚悟した方が良い」と言われていた。それから父は医者の言うことを信じず、プロポリス、ロイヤルゼリー、野菜や玄米の入った健康食品を使った独自の健康法により、癌の進行を抑えていた。今年の3月まで父は元気だった。しかし、4月に風邪をひいてから急に癌の進行が進み、ゴールデンウィークに、いっしょに旅行に行ったときは痩せ細り、食欲がまったくない様子だった。言葉にしないが、これが最後の旅行かと誰もが感じただろう。それから数日後、何も食べることができなくなり、点滴で栄養補給しないと生きていけなくなったので、先々週、諦めて入院した。しかし、点滴による栄養補給は、同時に癌を急激に成長させてしまった。そして、先週、とうとう意識が無くなり、危篤状態になったので、医師から親族は集まるよう指示があったのだ。僕が駆けつけたときは、何とか意識を取り戻し、危篤状態は免れた。翌日は、人工呼吸器をつけながらしゃべったり、テレビを見たりすることができるようになった。父は医師に「このままじゃ死んでしまう。治療方法を代えろ!」と訴えた。末期の癌で医師は見放しているが、父は生きようとしている。僕達は、苦しみに同情し、頑張れと励ますしかない。しかし、癌の進行は止めることができず、状態は序々に悪化し、呼吸が苦しくて暴れるようになった。苦しみを和らげるにはモルヒネの入った麻酔で寝てもらうしかない。止めると苦しむだけ。意識のある状態は父にとって地獄と変わりない。麻酔で表情が和らぐのを見てホッとした反面、もう望みは捨てなければならなかった。僕は、とうとう覚悟のときが来たと思い、かみさんと息子を東京から呼んだ。息子が「おじいちゃん!」と叫んだら、目を閉じた父は力を振り絞って息子の名前を呼んだ。かすかに意識があったのだ。しかし、それっきり、父は、目を閉じたまま、呼吸を繰り返すだけになってしまった。父は心臓が強いのか、何とか持ちこたえている。僕は、万が一のため、産業カウンセラー講座を欠席し、会社も数日休み、看病を続けた。かみさんと息子は一旦、東京に帰らせた。産業カウンセラー講座の先生からメールが届いた。その先生も昨年、母が危篤になり、僕と同じ経験をしているとのこと。良いアドバイスをもらった。「人は最後まで耳の機能は失わない。いろんなことを、そばで語ってあげなさい」僕は、無言の父の耳元で、「ありがとう」と感謝の気持ちを何度も伝えた。僕も仕事をしているので、見通しが立たないのに、ずっと会社を休むわけにはいかない。母は5年前、心筋梗塞で急死したので父の最後は見届けたいと思っていた。しかし、これ以上会社に迷惑をかける訳にはいかない。父の死に目に会うことは諦めざるを得なかった。僕は実家の兄夫婦に任せ、東京に帰ることにした。父は一生懸命頑張ったし、僕も兄弟も精一杯のことはやった。この数日間で父の死を現実のこととして自分自身を納得させた。あとは天命に任せるだけ。しかし、父は意識はないと言え、まだ生きている。どんな状態なのか?夢を見ているのであろうか?苦しんでいなければ良いが...
2005.05.17
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子供の日、上野駅で、鉄道祭りを行なっていたので、鉄道マニアの息子とかみさんといっしょに上野駅へ行ったのだが、着いたときには満員で入場を断られてしまった。息子は、ずっとこれを楽しみにしていたので、悲しみがこみ上げてきてはまずいと思い、とっさに「秋葉原の交通博物館へ行こう!」と、息子の手を引っ張って秋葉原へ向かった。秋葉原にある交通博物館。ここは鉄道オタクのメッカ。息子が鉄道に目覚めてから何度もここへ来ている。休みの日は、いつも満員。館内は、ちょっとオタクっぽい真面目そうなお父さんと、そっくりな息子、それにお母さんの組み合わせで一杯。中でも人気なのが鉄道の運転シミュレータ。電車でGoの世界が、もっとリアルに体験できる。山手線、東海道線、新幹線など充実しているが、どこも長蛇の列で1時間待ち。今回は、僕とかみさんが、それぞれ並んで息子は山手線と東海道線の運転士になった。親子連ればかりではなく、中学生、高校生の電車マニアも多い。観察していると面白い。友達が運転している間、携帯をマイク代わりにして「間もなく1番線に快速東海道線直通小田原行きが参ります。黄色い線の内側にお下がりください。...」よく見ると、運転士さんがはくようなズボン。これは、どこで買ったのだろう?完全になりきっている。ちょっとついていけない世界。うちの息子も、こうなるのであろうか?ちょっと心配になってきたが、まぁ悪いことしなければ良いだろう。この後、有楽町のビックカメラで、かみさんのお父さんの誕生プレゼント(デジカメ)を買って、銀座をぶらぶらしていたら、エバーグリーンショップという店のディスプレイに目が止まった。鉄道模型が飾ってあったから。息子のため、ちょっと寄ってみよう。僕は、運転士には興味はないが、ジオラマの世界には惹かれるものがある。昔から庭や盆栽など鑑賞するのが好きだったが、鉄道模型のジオラマの世界も実物をイメージしながら架空の世界を創造する楽しみという意味では共通するものがある。その店にはZゲージという世界最小の鉄道模型が展示していた。メルクリンと言うドイツのメーカーが充実。機関車も精巧にできているが、まわりの田園風景も本当によくできている。ヨーロッパで鉄道の旅をしているような夢を見させてくれる。Zゲージを見るのは、これが最初ではないが、息子に影響されてか、何だか完全にファンになってしまったよう。Zゲージなら小さいので僕の書斎の本棚に飾ることができる。うう、欲しくなってきた。でも、Zゲージは高い。とりあえず、DVDでも買って、構想をたてよう。(まだ、かみさんには内緒)ビコム海外鉄道シリーズ ミニチュアワンダーランド ドイツ発! 世界最大の鉄道ジオラマこれなら買えるか?アタッシェレイアウト・ブルーメナウやはり、これから始めようか?メルクリン・ファンスターターセット息子に影響されて鉄道マニアになる親父は珍しいのかな?
2005.05.07
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尼崎JR脱線事故や羽田空港の航空管制ミスなど、相変わらず、企業や組織の体質が原因と思われる事故やトラブルが相次いでいる。僕は、こういう事件の背景に、中間管理層のメンタル面の問題が深く関係しているのではないかと思う。経営者が共有すべき組織のミッション・ビジョンや危機意識を、従業員に伝える努力をしないと、組織中に閉塞感が漂うと同時に、緊張感も無くなってしまう。こういう雰囲気の中、過去に起こった問題の後始末など、ずっと従業員に苦行ばかり強いていると、従業員の問題意識がボケてきて、逆に犠牲者意識が強くなり、何か問題が起こってもすぐに他人事にしてしまう。そして、本来自分自身で解決できることすら、解決しようとしない無責任状態に陥ってしまう。特に、交通関連の仕事は、非常に責任の重い重要な仕事をしているにも関わらず、明日も明後日も、来年も再来年も、やることは同じ。こういう地道な仕事の場合、従業員が自分の仕事に意義を感じ、プライドを持って仕事に臨めるように、経営者が配慮しなければ、従業員は、簡単に無責任状態に陥ってしまうだろう。特に中間管理職は、経営者のリーダーシップの弱さと、若い社員の個人主義化や帰属意識の低下等の問題の板ばさみに合っており、昔、頑張っていた人すら、「おれのせいじゃない」「どいつも、こいつも」といった気持ちが強くなっているのかもしれない?僕のクライアント企業の中にも、そういう兆候は見られる。企業の業務改革について過去数年間、社内で同じ議論を繰り返していながら、何も意思決定できず、とうとう外部のコンサルタント頼みになってしまうケースが見受けられる。原因は、経営者層と中間管理層のコミュニケーションの問題。経営者層が中間管理層に自分のビジョンや戦略を十分説明しておらず、中間管理層が優先順位をどう考えれば良いか?迷っている場合や、そもそも経営者層がビジョンや戦略を持っておらず、中間管理層に、それを押し付けているが、中間管理層が、それを納得しておらず、組織全体が無責任状態に陥っている場合があるように思われる。酷いときは、業務改革のプロジェクトを起しても、プロジェクトオーナー(役員クラスで、プロジェクトの最終意思決定者)は、月1回の報告会に顔を出すだけで、意味のある発言をしない。その上、プロジェクトリーダー(中間管理層)が急病(精神面?)でダウンし、後任のリーダーのもと、寄せ集めのプロジェクトチームは無気力状態、何を提案しても、うつむいたまま無言という場合もあった。(それを指摘して立ち直らせるのもコンサルタントの仕事)実力主義、成果主義を取り入れるならば、経営者は、もう少しメンタルな面の対策が必要ではないかと思う。もうちょっと、こういう面(心理学的な面)の勉強が必要ではないだろうか?僕は、財務戦略や効率化の仕組を専門にするコンサルタントであるが、本音を言えば、こういうことよりも、孫子の兵法のように軍の士気を高める心理面の戦略が、今の日本の古い体質の大組織・大企業には1番必要ではないかと思う。クリックで救える命がある
2005.05.02
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今日からゴールデンウィーク。僕は、かみさんと息子といっしょに愛車のセレナで金沢までドライブ。東京の練馬インターから、関越自動車道→北陸自動車道で金沢西インターまで約450キロの道のり。広い砂浜を車で走ることができる「なぎさドライブウェイ」で能登へも行く予定。ちょっと遠いが、ひさしぶりのドライブなので楽しみ。ひさしぶりに、仕事から心を解放し、自然を満喫しよう。それでは、また
2005.04.29
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昨日受けた産業カウンセラー講座のテーマは「傾聴」講師は、横浜で長年活躍されている女性の産業カウンセラー。年齢は60代後半のように見えた。とても優しそうで、どんな悩みを話しても受け入れてくれる雰囲気を持った方だった。これまでの講座が理論中心だったのに対し、今回は、傾聴(クライエントに耳を傾けること)の心構えや、クライエントへの接し方など非常に実践的で興味深い内容だった。カウンセリングの代表的な理論はロジャーズのクライエント中心療法であるが、その中でも「傾聴」は、最も重要な技法である。【送料無料商品】ロジャーズ クライエント中心療法の現在傾聴を技法というのは正しくないかもしれない。どちらかというとスキルに近い。「きく」には、訊く(ask)、聞く(hear)、聴く(listen)の三種類あるが、カウンセリングの「きく」は、聴く(listen)である。自分の価値観や思い込みを排除し、クライエントの言葉(様子も)に耳を澄まし、クライエントの気持ちを心から理解しようという心構えが必要である。カウンセリングを進めるにはクライエントとの信頼関係を築くことが第一歩。相手を全面的に受け入れる姿勢がないと駄目。クライエントは問題を持った人が多いから、これを実践することは大変難しいと思った。カウンセラーは、問題行動や犯罪を犯した人を素直に受け入れることができるのだろうか?しかし、心の中に偏見が存在すればクライエントとの信頼関係は築くことはできない。問題のある人程、他人の様子には敏感だから、すぐに見破られてしまう。「こんなこと本当にできるのか?」ある受講者が質問した。講師は、「どんな悪いことをしても、それを好んでする人はいない。様々な理由から、そうせざるを得なかったんだと信じて、接している」とおっしゃっていた。僕は、カウンセリングをマスターする上で最も重要なのは人間観だと思った。人は、誰も、自分を良い方向へ修復する力を持っている。今は、一時的に脱線しているだけなんだということを心から信じなければ、クライエントは不信感を持ち、信頼関係は築けないのだろう。これをマスターすることは大変なことだ。何だか修行僧になったような感じ。なるほど、講師の方は、珍しく裏表のない、言葉と心が一致している、優しい素敵な方だった。受講者からの、あらゆる難しい質問に対して、誠実に心をこめて答えていた。この方を見ていると、顔は似ていないのに、なんだか、死んだ母を思い出してしまった。そういえば母も、僕が成人してからは、何も指示的なことを言わず、僕の仕事や家庭の問題について、よく聴いて、楽しいとき、辛いとき、同じ気持ちを共有してくれたように思う。何だかこれは技法というより心の勉強、人生の勉強をしているような気がしてきた。う~ん、奥が深い。やる気が沸いてきた。クリックで救える命がある
2005.04.24
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皆さんご無沙汰しています。このところ、僕の部署の賞与査定の取り纏めや、新プロジェクトの立ち上げなど、寝る暇もない日々が続いていて日記もずっとさぼっていたが、ようやく書く時間を作ることができた。とは言ってもネタを考えていない。そうだ!産業カウンセラー講座の宿題があった。土曜日までに「子供の頃1番楽しかったこと」というテーマで作文を書かなければ...今日は、それを書こう。う~ん、子供の頃の楽しかった思い出は沢山あるが、ただ単純に楽しいということだけでなく、生き生きとしていたという意味も含めると、小学校5年生頃の思い出かな?その頃、1番好きだったスポーツは野球だった。僕は巨人ファンで、王に憧れていた。(1番好きだったのは、やはり長嶋だったが、その頃は既に引退していた。)また、パリーグでは阪急(現在のオリックス)の黄金時代で、山口という速球ピッチャーが僕のヒーローだった。その頃、1番楽しかった遊びと言えば、兄弟といっしょにやった野球ごっこ。僕は、3人兄弟の次男で、その頃、兄が6歳年上の高校生、弟が3歳年下の小学生だった。野球と言ってもフニャフニャのゴムボールとプラスチック製のバットを使って、父が経営する狭い駐車場でやった独自ルールの遊び。3人兄弟のうち、ひとりがピッチャー、ひとりがバッター、ひとりが外野兼内野、隣の家との仕切りのフェンスがキャッチャー?だった。軟らかいゴムのボールなので変化球を簡単に投げることができ、プロ野球のピッチャーになったつもりでカーブやナックルボールを投げて楽しんでいた。体がふたまわりも違う高校生の兄を三振に討ち取ったり、兄からホームランを打ったりしたときの快感はたまらなかった。また、同じ小学生の弟に、格好いいところを見せ、兄として尊敬されたいという気持ちもあったように思う。僕は小学生の頃、身体が比較的早熟だった。小学校の3~4年生頃に思春期のような精神的に不安定な時期があったが、5年生頃には落ち着いてきて、性格も明るくなっていた。体の方も、急に背が伸びだし、クラスの中でも大きい方だった。(今はちょっと小柄だけど)その頃は、自分の運動能力が日に日に増し、運動会の短距離走・リレー、放課後のサッカーや野球で活躍していた。その頃は、スポーツや遊びを通して自分の成長が実感できる時期だったし、まだ勉強や進学のことを真剣に考えることも無かったので、毎日が楽しく、悩みは殆ど無かったように思う。毎日、寝るとき、「早く明日にならないかなぁ」と思ったものだ。中学生になってからは、まわりの同級生も体が大きくなっていき、自分は、そんなに大した事はないんだということを納得しなければならなかったし、部活や勉強でプレッシャーも感じるようになったので、心の中も複雑になり、単純に喜んでばかりいられなくなった。今から考えると、小学5年から6年生頃の1~2年は、自分の限りない可能性を感じることができた貴重な時間だったと思う。こんな内容で評価してもらえるのだろうか?クリックで救える命がある
2005.04.21
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今月は4月、節目の時期。僕が管理しているプロジェクトの部下に、プロジェクトのミッションを確認すると共に、今後のビジョン(中期計画)について説明した。また、このビジョンを実現するための人材育成の方針についても説明した。コンサルティング業界も環境変化の激しい業界で、頻繁にM&Aが起こる。そんな状況で、目先の仕事に追われる日々が続き、若いコンサルタントの中には、自分はこの先一体どうなるのだろう?、こんな仕事を続けていて優れたコンサルタントになれるのだろうか?と不安になっている人も多い。こういうときこそ、リーダーは、明確なビジョンと人材育成への思いや期待をしっかり伝える必要がある。先日、事業部長から、今後、事業部として、僕が任されているビジネスを強化していきたいとの嬉しい言葉をもらった。それが自信になったのか、今日の僕の話には力が入っていたと思う。あとで、リーダー格の部下に「どうだった?」と聞いてみたら、にっこり「良かったですよ」と答えてくれた。いつも無表情な彼だけに嬉しかった。望む方向は同じである。彼らがレベルの高い仕事を通してスキルアップすることは、僕のビジネスにとっても、会社にとっても望むこと。道は険しいかもしれない。ときには彼らが望む仕事を与えられないときもあるし、彼らが失敗することもある。しかし、今日、確認したミッションとビジョンを信じ、互いに信頼しあって乗り越えて行きたい。クリックで救える命がある
2005.04.07
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僕の会社は、今、人事評価の時期。プロジェクト毎にマネージャーが個人の評価を行い、個人の評価を集計し、ビジネスユニット毎に評価の調整(相対評価)を行い、評価を最終化する。今回から僕は、あるビジネスユニットの取り纏めを行なうことになってしまった。クライアントサービスを行いながら、これをやるのは滅茶苦茶キツイ。僕の会社は成果主義で、ボーナス査定は、個人によって大きな差が出るので、本当に神経を使う。ただでさえ大変なのに、評価のプロセスやツールが毎回コロコロ変わる。毎回、新しいツールとマニュアルが電子メールで送られてくる。「おいおい、これを全部読めというのか?」僕の会社のHR(人事)担当は、改善することが使命だと思っているのかもしれないが、根本が変わらないのに、プロセスやツールだけ変えても、現場が混乱するだけだと思うのだが...何か勘違いしている。評価を数値化し、相対評価を行うわけだが、ツールやマニュアルや評価項目が変われば、「大体こういうことができれば、この程度の評価になるのでは?」といった評価担当者の認識が、毎回ズレてしまい、同じ被評価者の評価が毎回安定しない。評価者の理解が毎回曖昧。被評価者の不平不満は耐えない。困った評価者は、自分の部下を全員極端に良く評価する人。部下に好かれたいのか、見る目がないのか勘弁してもらいたい。こんなことをやっていては、毎回、評価調整会の議論が長引くし、被評価者本人は課題認識ができないので、他の仕事に変わったときに苦労する。僕は、コンサルタントの評価を半年に一回行っても、評価の精度には限界があると思っている。(だから短期的で極端に差が出る成果主義には反感がある)かといって評価をしないわけにはいかない。まず、評価者が全員ちゃんと理解し、共通認識を持てるよう、一貫した考え方を定着させる必要がある。僕は、人事の専門家ではないので、良い答えは今すぐ出てこないのであるが、本当に何とかしたい分野だ。(しかし、へたに近づかない方が良い分野なのかもしれない。答えが無い?)こういう社内のHR担当のやり方は反面教師としてコンサルティングの参考になる。僕も気をつけなければ...こういう数値で、どれだけ評価されようが、結局、マーケットニーズのある得意分野、良いクライアント、そして良いボスを持っていないコンサルタントは、のちのち辛い思いをする。いくら上司に良い評価をされようが、満足していては駄目。内省的でなければ本当に成長はしない。結局、自分で自分を評価できなければ駄目。クリックで救える命がある
2005.04.06
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「自分は何のために働くのか?」日経ビジネス(2005/4/4)によると、日本企業に、こういう当たり前のことを悩んでいる社員が増えているようだ。自分の仕事に不満を抱き、自分の仕事に意味や価値観を見失っている、いわば「社内ニート」が増加しているようである。僕の会社も残念ながら、こういう「社内ニート」が少しずつ増えているように思う。・熱中して、がむしゃらに仕事をするようなことはない。・仕事を好きになれず、仕事を覚えるスピードが遅く、得意分野がなかなか見つからない。・会社に対して不満げな言動が多い。白けている。こんな人が増えている。コンサルティング会社も大所帯になって、質が低下している面もある。しかし、高学歴や難易度の高い資格を持っている人の中にも、こういう人が結構いる。これは確かに日本全体の傾向なのだろう。一般的に、この原因は、2つあるのではないか?と思う。ひとつは、経営者側が、社員にとって魅力的なミッション、ビジョン、価値観を提示できていないこと。または、浸透させる努力が足りないこと。(この問題については、日経ビジネスで、いろいろな企業の取り組みが紹介されている。)もうひとつは、社員(特に若い社員)に、生きる意欲、生存の意識(危機から脱出しようという意識)とういうものが希薄になっているように思う。20~30代の若い社員は、小さい頃から豊かな生活に慣れていて貧困に対するリアリティがない。(僕もそうだったけど)自分が食っていけなくなる状態なんて想像できないのではないだろうか?親も、まだ元気で働いていたり年金で豊かな生活をしていたりすれば、なおさらだろう。特に心配なのが若い男性。女性の社会進出が進み、男性の立場、役割の重要性が少しずつ低下していることが原因かもしれない。女性の場合、企業社会で、まだまだ、活躍の場を広げていくチャンスがあるから、「やってやろう!」という挑戦者の気持ちがあるのにに対して、男性は奪われる方だから、何となく閉塞感を持ってしまうのかもしれない。また、生き方が多様化し、選択の自由度が高まっている点もあると思う。例えば、結婚して家族を持つ生き方じゃなければ駄目だと誰も言わなくなっている。僕の場合、結婚したり、子供が生まれた時など、背負っていかなければと責任を感じ、身が引き締まったものだが...人には、それぞれ事情があるので、良し悪しについては何ともいえないが、「背負うもの」が生きる力になることは確かだろう。今の若い人の仕事の目的は、「生き残ろう」とか、「家族のために働こう」というよりも、「大金持ちになって楽して生きよう」とか、「生きがいのある仕事がしたい」といった一段上の目的が強くなっているのだろうが、その前に、生存への意識が希薄になっているので、パワーが不足で、空回りしているのかもしれない。こういう状況で、会社に入って、その会社のミッションやビジョンがぼやけていたり、建前になっていたり、浸透していなければ、「自分は何のために働くのか?」と悩むのは、当然かもしれない。僕は管理職なので、経営者側、社員側、両方の立場で考えてしまう。まず、経営者側から見た場合、こういう「社内ニート」に対して「けしからん」と精神論を押し付けても駄目だということ。「社内ニート」の心の問題について冷静に分析し、「社内ニート」が生まれないような環境を作らなければ、結局、企業の競争力が無くなってしまう。「社内ニート」を生まないようにするには、どうすれば良いか?これが経営者にとって最も重要な課題になってきたのではないか?ITによる効率化だけでなく心理学をベースに人や組織の活性化に対して科学的なアプローチが必要だと思う。社員側に立ったとき、やはり、どうしても、おじさんの立場から見てしまうのであるが、若い社員に対しては、「ちょっと甘いんじゃないの?」「危機感がないのでは?」というのが本音である。すべてを経営者に委ねているようでは、一生、出世できないし、会社を変えていくこともできない。自分がミッション、ビジョンに呼応する会社を探しまくっても、入れるかどうかわからないし、自分が、そこで活躍できるかどうかもわからない。迷っていても時間が過ぎ歳をとっていくだけ。今の会社に何か柵があっても、有志を募って、会社としてやるべきことは何かを議論し、経営者に対して提案をしていけば良いのではないか?と思う。どうも、「社内ニート」には、問題をすべて会社のせいにして、自分はどうすべきか?について真剣に考えていない人が多いように思う。そういう人には以下の本を勧めたい。7つの習慣 成功には原則があった! ( 著者: スティーヴン・R.コウヴィ / ジェームス・スキナ...僕が、この本を読んで関心するのは、日本人の書く本は難解な精神論が多いのに対して、アメリカ人は、論理的に何故そうすべきなのか?説明することが上手だという点。わかりやすくて説得力がある。また説教調になってしまった....さて、僕は、今カウンセリングの勉強をしているのであるが、僕の問題意識は、このような説教調では、「社内ニート」には効き目がないということ。自分が上司から受けてきたことを、そのまま部下にやってもうまくいかない時代なのである。そのことをよく理解しなければならない。難しい時代である。勉強勉強クリックで救える命がある
2005.04.05
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実は、今月から産業カウンセリングの講座を受講することにした。産業カウンセラーになろうということではない。今の仕事に役立てたいというのが理由。僕はコンサルティング会社に務め、主に財務・経理系の業務プロセスやシステムのコンサルティングを行っている。コンサルティングという仕事は、クライアントに専門的な知識・ノウハウを提供し、クライアントの問題を解決するため有効なアドバイスを行うの仕事である。しかし、専門分野の知識・ノウハウだけでは限界がある。コンサルタントは経験を積み重ねることにより、問題解決方法の仮説を沢山持つことができるが、それを、そのままクライアントに適用しても、うまくいかない。クライアント企業の組織、企業文化、経営者や改革プロジェクトの担当者の思い、これらは案件毎に違う。こういうことを無視して、一方的に、こちらの仮説を当てはめても、うまくいかない。結局、仕組みを変えても、人が、それについていかなければ、何も改善しないのである。コンサルタントは、クライアント企業の経営者、従業員の気持ち、そして、その中での人間関係を把握し、十分配慮しなければ、クライアント企業を成功に導くことはできない。また、大規模なプロジェクトになればコンサルティング会社側のプロジェクト体制も大きくなる。コンサルタント個々のモチベーションや心のケアもプロジェクト成功のため大変重要になる。僕も、これまで、こういう心の問題について、いろいろ苦労してきたので、何とかしなければと問題意識は持っていたのだが、いまだにちゃんとした答え(方法論)を持っていない。チェンジマネージメントといった方法論はあるにしても、では具体的に、どのようにクライアントや部下に接していけば良いか、あくまで自分の経験を通して得たノウハウであって、それが客観的に見て正しいのかどうか?、より良い方法があるのかどうか?わからない。こういう理由から、心理学を学びたいと、ずっと思っていたのであるが、健常者のやる気を高め、能力を発揮させるという目的が主なので、産業カウンセラーの講座を受講するのがもっとも近道ではないかと考たのである。今後、この講座を通して学んだことを、日記に書いてみようと思う。クリックで救える命がある
2005.04.02
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SBIの北尾氏が慈善活動に熱心ということで株を上げているようである。彼が、人格者なのかどうか、本意なのかどうかは、わからないが、実際に支援を受けた子供たちが感謝しているならば、彼の活動は大いに賞賛すべきだろう。 マズローによれば、人は金銭的な欲求を満たせば、次は名誉への欲求が高まるようである。この名誉への欲求は、悪く言えば偽善かもしれないが、どういう目的であれ、それが社会に貢献する活動となれば評価すべきだし、名誉を獲得しようと競って慈善活動を行うことは、社会のため大変良いことだと思う。偽善を批判し、何もしない人より偉いに決まっている。欧米は日本より階級社会で貧富の差が大きいが、一方、キリスト教の精神が根付いており、お金持ちで慈善活動に熱心な人が多いようである。あのビル・ゲイツも彼の慈善活動が評価されエリザベス女王から「名誉ナイト」の称号を授かっている。日本の場合どうだろうか?日本は、今のところ全体的に所得水準は高く、比較的貧富の差が小さい。多くの人が中産階級 ⇒ サラリーマンしかし、中産階級の人で、慈善活動を積極的に行える程、時間やお金に余裕のある人は、少ないと思う。一方、数少ない日本のお金持ちは、一族への財産相続のことばかり気にして、慈善活動に励んでいる人は少ないように思う。こういうことから、日本は、社会的な弱者への支援が見落とされる傾向が強いように思う。 国は国で、弱者に冷たい。サリン事件の被害者に対する保障はしないし、軽度発達障害など、近年わかってきた新しいタイプの障害者への支援制度やノーマライゼーションの状況は欧米より、随分遅れているようである。こういう国策は、民意が反映されているわけであるから、結局、国民の問題意識が低いことが原因と言えるだろう。この状況で、日本も欧米社会のような少数の勝ち組みと大多数の負け組みで構成される社会になった場合、社会的な弱者への支援はどうなるのか?とても心配である。 そういう中で良い傾向だと思うのが、日本でもCSR(企業の社会的責任)が注目されている点である。ライブドア対フジテレビ問題でも、企業の社会的責任について議論がなされ、国民も、これを意識するようになってきているのではないか?しかし、社会的責任は、企業だけでなく、勿論、個人も問われる。ネットで何かできないか?ということで、こういうのがある。株式会社ディ・エフ・エフが行っているクリック募金クリックで救える命がある ネットユーザーがクリックすると、企業がネットユーザーの代わりに献金する仕組み。ネットユーザー、企業、NPO、そして救いを必要としている人達の四者、それぞれの欲求を満たすことのできるWin-Winの形である。ネットユーザーは、何かしたいという気持ちを実現でき、また社会貢献をしているという実感も得られる。クリック型の募金であれば、非常に気軽に、簡単に、そして毎日できる。企業は、ネットユーザーの代わりに募金をするということで、社会貢献活動をネットユーザーに伝え、企業イメージをアップすることができる。NPOは、企業から、手軽に、より多くの寄付金が集められるようになる。そして、NPOの活動が活発化し、社会的弱者が受益者となる。ネットを使うことにより皆がハッピー!これは面白いと思う。楽天は何かできないか?例えば、楽天のアフェリエイトで獲得したポイントの何%かを自分が支援したいと思っているNPOに寄付でき、また、寄付していることを表すロゴを自分のブログに貼ることができたら、どうだろうか?何に何%を寄付しているかを表すロゴならば、同じ問題意識を持っている人は、そのブログを通して商品を買うだろう。そして募金額が1番多いブログユーザーに「楽天広場 募金大賞」を与えたらどうだろうか?楽天は、プロ野球に参入し、社会貢献の意識が強いと思うから、きっと何か考えているに違いない!?期待したい。
2005.03.31
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今日は、恐怖の人間ドック。生まれて初めて胃カメラを飲む。数日前から、ずっと憂鬱だったのだが、とうとう、その日が来た。今年は、六本木ヒルズクリニックを予約した。あのライブドアや楽天の本社があるビルだ。このクリニック。新しく、応対も丁寧。近頃、新設の診療所は、どこも”お客様”という対応で、気持ちが良い。僕の会社の健康保健組合の場合、HPから都内にあるクリニックを自分で選んで、予約できる。昨年は溜池にある山王病院を予約したが、そこも、まるでホテルのような内装で、受付もホテルのロビーのようなのでビックリした。終わった後の食事も、フランス料理が出て、味もまずまずだった。これでは、無愛想で古臭い診療所はどんどん廃れて行くだろう。今年も山王病院にしようか迷ったが、山王病院で出た結果(肥満・高血糖・高血圧・心拡大の疑い)が悪夢のように蘇ったので、今回は、変えてみた。今年は六本木ヒルズクリニック。このクリニックは、とても手際が良かった。殆ど待たせることなく、担当の人が流れ作業のように案内し、検査を行う。このため、1時間程度で殆ど終わってしまい、最後に胃カメラが残った。正直言って後悔していた。僕は、これまで胃カメラの経験がなく、バリウムが大嫌いだったので、何も知らず、胃カメラを軽はずみで選んでしまった。しかし、それが甘かった。会社の同僚の体験談やネットに載っている体験談によると、どうも、これは拷問らしい。麻酔のスプレーを喉の奥につけ、管状の胃カメラを喉を通して胃まで押し込む。大半の人は、これに耐えられずオエ~と吐き出すらしい。バリウムでさえ、最後まで飲むのが辛い僕が、こんなことできるのか?想像しただけでもぞっとする。自分の番がまわってくるまで、怖さを押さえるため、しばらく目を閉じて深呼吸をした。こういうときに腹式呼吸が役に立つ。そして、とうとう「サバイバル父さん!」とお呼びがかかった。「初めてなんです」泣きそうな顔で医師に訴えかけたせいか、いろいろ親切にアドバイスしてくれた。「肩の力を緩め、リラックスして!」そのとおりやろうと思ったが、胃カメラを喉に突っ込んだ瞬間、それが無理だとわかった。「オエ~」もう一度やり直し。これは地獄だと思った。しかし、僕も男だ!2回目は必死に頑張った。なんとか喉を通り抜け胃に到達したようだ。その後、何だか胃が空気で膨らみ、ちょっとした不快感があったが、何とか我慢し、無事終了。我ながらよく頑張った。これで検査はすべて終了。検査結果は、CTスキャン以外、ほとんど当日にわかる。先生から検査結果のお話を聞きたい場合、2時間後、また来てくださいと言われ、食事券を貰った。食事券は、隣接するグランドハイアット東京内の4つのレストランから選べる。僕はイタリアンレストランを選んで、スパゲッティでも食べようと思ったのだが、料理は決まっていて、パニーニのサンドイッチだった。ちょっとがっかりしたが、生ハムとズッキーニなどの野菜がマッチしていて旨かった。さて、検査結果はどうだったか?前回の結果は、この日記で何度も書いたが、 肥満・高血糖・高血圧・心拡大の疑い、善玉コレステロールの不足と最悪だった。これが、僕のダイエットのきっかけとなり、腹式呼吸ウォーキングと玄米菜食によって回復したのだが、実は、このところ花粉症によって運動不足気味。また、肉やビールの量が増え、ちょっと太ってきたように感じていたので少し不安だった。しかし、結果はGOOD!体重は前回より13Kg少ない60Kg、血圧、血糖、コレステロールすべて良好。(A評価)胃の写真もキレイだと褒めてもらった。前回の再検査のとき、血糖値は、一度上がると、なかなか改善しないと医者から聞いていたので、今回の結果には驚いた!かみさんに早速電話したら、すごく喜んでいた。食べ物については、かみさんに、いろいろうるさく言ってきたけど、この結果から、かみさんの献立が正しかったことが、よく分かった。なんだか感謝の気持ちが込み上げてきた。とりあえず電話で「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。これから会社に戻って憂鬱な課題のミーティングだけど、なんだか心は爽やか。やっぱり健康が一番!
2005.03.30
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僕は偉そうに日記でテレビの批判を行っているが、正直言って、この分野は素人。テレビが面白くなるよう一視聴者として素朴な意見を書いている。 今日のテーマは、近頃、新たに生まれたテレビに関する疑問について。ご存じの方、教えてください! 疑問: 「ビデオオンデマンドは何故、映画ばかりなのだろう?」 日本もやっと、見たい番組を見たい時に見れるVOD(ビデオ・オン・デマンド)というサービスが普及しつつあるが、何故か提供されるコンテンツは映画ばかり。 しかし、映画よりも、むしろ過去にテレビで放送された番組を後で見たい人が多いのではないか? ・昔放送されたドキュメンタリーやスペシャル番組の名作、スポーツの名試合・懐かしいドラマやアニメ・最近放送され、好評だった番組、波紋を呼んだ番組で、見逃したものいろいろ見たい番組はあると思う。 見たい番組があれば、録画予約すれば良いではないか?との意見もあるだろうが、録画予約をするにはハード(ビデオレコーダー)を買わなければならないし、記録媒体(テープ、DVD、ハードディスク)にもお金がかかるし、第一、面倒臭い。忙しくて忘れてしまうこともあるだろう。 こういう過去のコンテンツをしまって置き、随分時間が経ってから、ほんの一部のコンテンツだけDVDにして高い値段で販売するよりも、全部、テレビ局側のサーバーに蓄積し、視聴者が、見たいときに有償でダウンロードできる仕組みにした方が儲かるのではないか?と思う。勿論、著作権者やスポンサーに利益を配分する仕組みが必要だと思うし、権利者が望まないのに、すべての番組を提供することはできないと思うが、合意できるものは、どんどんやったら良いと思うのだが...こうなるとハードディスクレコーダーが売れなくなるかもしれない。しかし、そもそもハードディスクは一時的ばバッファーだから、いつでも自分のお気に入りの番組が見られるサービスがあれば、視聴者が持つ必要はない。永久保存が必要であればテレビ局(またはASP業者)のサーバーから直接コンテンツを転送してDVDに書き込めば良い。そのために何百ギガの容量はいらない。ネットを前提にした世界で、データを格納する場所(サーバー)は一箇所で良く、視聴者がハードディスクを買う必要はない。個人の嗜好(お気に入り)情報を格納するデータベースだけ、視聴者個別にあれば良い。ネットと同じようにキーワード検索して、好きな番組を見つけて観ることができたら便利なんだけどなぁ。いまやブロードバンドも光1ギガの時代。技術的には、できそうなのだが、そういう構想はあるのだろうか?それとも変化を嫌う抵抗勢力からの圧力があるのだろうか?事情をご存じの方、教えてください!話は変わって、SBIの北尾さん。前回の日記でちょっと失礼なことを書いてしまったが、3月29日の日刊スポーツの記事「北尾氏の横顔、私財数十億円で福祉施設」によると、とても良い人らしい。数十億円以上とされる私財を社会に還元する福祉活動に熱心に取り組んでおり、親から虐待された子供たちの支援をしていると言う。欧米では、ジョージ・ソロスやビル・ゲイツなどお金持ちは慈善活動に励んでいるが、日本の資産家にしては珍しい。大義があって戦う意味があり策略も許される。強くて優しい男、僕もこれを目指したい!日本にも、こういうお金持ちが増えてほしい。ホリエモンはどうだろうか?
2005.03.29
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ニッポン放送が、ソフトバンク・インベストメント(SBI)にフジテレビ株を貸し出し、SBIはフジテレビの筆頭株主となったが、ソフトバンクグループのSBIは、はたしてホワイトナイトなのだろうか?僕が、この事件を知ったとき、中国兵法の「連環の計」を思い出した。「連環の計」とは、敵に対して陰謀をめぐらせ相手を翻弄し混乱させる戦略。敵の弱みや不安につけこみ、いかにもそれを助ける振りをして、自分が都合の良いように相手を動かし支配する。例えば、三国志の赤壁の戦いにおける「ほうとう」という人の戦略。魏の曹操と呉の周瑜が、赤壁で対決した際、「ほうとう」は、水上戦に慣れておらず、船酔いによって病人が続出している魏軍に対し、船と船を鎖で繋ぎ、板で船の間に橋を作れば安定し、水上で快適な生活ができると提案した。その後、魏軍の船に火をつけさせ火計を実行し、魏軍を散々に打ち破った。ソフトバンクグループの狙いは、フジサンケイグループが所有するコンテンツ。これはホリエモン率いるライブドアと変わりない。しかし、ホリエモンと同じような態度では、フジサンケイグループから反感を買い、提携は難しい。そこで、SBIの北尾氏は、困っているフジテレビを応援するかのごとく、提携関係を持ち、ホリエモンを批判。その批判の内容が素晴らしい。「他人の家を土足で入る」「ホリエモンはビジョンを示していない」これまでのニッポン放送、フジテレビの経営陣、従業員の不満を、そのまま代弁し、更に上手い言葉で強化している。フジサンケイグループの経営者・従業員から見ると、とても頼もしく見える。ニッポン放送の従業員に対する路上インタビューを見ても、それがわかる。恐らく、北尾氏は、以前の日記で書いた「心の理論」の能力がとても優れているのだろう。今後、ソフトバンクグループは、ライブドアからの圧力を上手く使って、フジテレビジョンに戦況が厳しいことを強調し、自グループに有利な妥協案を提示し、合意に持っていく戦略になるだろう。ホリエモンもフジテレビも、これにまんまと乗ってはいけない。しかし、この戦略は昔と同じようにはいかない。現代社会はマスメディアを通して世論を味方につけなければ、戦況が不利になる。プロ野球問題のときも、楽天批判があった。北尾氏は、当然、世論に対しても配慮しており、インタビューに答えている。しかし、この人、顔が悪い。ブ男という意味ではなく、何となく胡散臭く見えてしまう。言うことも、ちょっとオーバー。あれが北尾節なんだろうが、女性の視聴者が多いテレビ向けではなさそうだ。楽天の三木谷社長だったら、もうちょっと謙虚に話し、主婦層の心を掴むかもしれないが、北尾氏は?本人にとって、これは想定外なのかもしれない。(しかし、孫正義を批判のリスクにさらさないところは上手い)僕は、ビジネスの世界は戦いだと思っているので、北尾氏を批判するつもりはない。ソフトバンクグループの参戦により、メディア業界が変わっていくことに期待している。また、毎日、いろいろ勉強させてくれて、ありがとうと言いたい。関係者の皆さん、人生後悔しないよう一生懸命頑張ってください!僕は、北尾氏の名前や立場は前から知っていたが、プライベートでどのようなことをやっているかまでは知らなかった。3月29日の日刊スポーツの記事「北尾氏の横顔、私財数十億円で福祉施設」によると、数十億円以上とされる私財を社会に還元する福祉活動に熱心に取り組んでおり、親から虐待された子供たちの支援をしていると言う。欧米では、ジョージ・ソロスやビル・ゲイツなどお金持ちは慈善活動に励んでいるが、日本の資産家にしては珍しい。大義があって戦う意味があり策略も許される。強くて優しい男、僕もこれを目指したい!日本にも、こういうお金持ちが増えてほしい。ホリエモンはどうだろうか?
2005.03.28
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いやぁ~、今日の花粉は本当に凄まじかった!今日はショッピングに街へ出かけたのだが、出かけるんじゃなかったと後悔した。マスクをしても駄目。鼻がかゆくてマスクをつけたまま、くしゃみを連発。目もじわじわかゆくなってきて、しまいに思いっきり手で擦ってしまって、鏡を見たら眼が真っ赤。僕は、5年程前から花粉症だが、今年の花粉は最悪。神様、助けてください!帰りに、ロフトに寄って、ハーブティー、鼻スースー、竹酢綿棒を買った。近頃、花粉対策グッズを探すのが、楽しみになっている。(寂しい~)歩いている人を見ると、4~5人にひとりは僕と同じようにマスクをしている。辛いのは僕ひとりではない。皆我慢している。昔は、この時期、一番爽やかな気候だったように思うが、いつからこうなったんだっけ?戦争、林野庁奨励のもとスギの植林がなされ、戦後の復興に大きな働きをしたが、そのために花粉の絶対量は増加。林業の不振により、スギ林の管理が行われおらず、枝が伸び放題。このままだと、あと50年、この状態が続くようだ。調べてみると日本に花粉症の人は10人にひとりだが、東京は5人にひとりらしい。東京に花粉症が多い原因は、大気に含まれる細かいダスト。スギ花粉にディーゼルエンジンから出た微粒子が付着すると、抗原性が増すとも言われている。温暖化も進んでいる。東京における2004年の真夏日(日最高気温30℃以上の日)の日数は70日と1961年以降過去最多となった。このままだと今世紀末には真夏日が100日を越えるという。快適に過ごせる日はどんどん少なくなっていく。このままだと、息子の子供が老人になる頃は、宇宙服のような酸素ボンベ付きの服を着て外出するようになるのでは!?どうも、京都議定書の発効だけでは、大きく改善はしないようだ。最大の2酸化炭素排出国の米国が参加せず、中国に排出量制限の義務がないのだから、本当に困ったものだ。環境に配慮した製品を、世界中の企業が競って開発するようにならなければと思うが、結局、消費者の購買基準が変わらなければ何も変わらない。少子化問題もそうだけど、根本の問題に目を向けなければ、悪化のスピードを遅らせることができても、改善にまで至らない。これはもう、環境団体だけでなく、一般市民も、立ち上がらないといけない時期に来ている!
2005.03.27
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プロ野球参入問題と言い、ニッポン放送参入問題と言い、ホリエモンが何故、こんなにメディア業界の人達から反感を持たれるのかというと、ひとつは日本が村社会であって異質な者を受け入れない面があること。もうひとつは、ホリエモンが、頭が良い割に対人力が弱い点にあると思う。では、対人力とは何か?このスキルを身に付ける上で、大事な素質があると思う。それは、人の心を見抜く力である。健常な人には、「心の理論」と言う機能が備わっている。「心の理論」とは、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことである。この機能は、通常4歳頃から発達するが、知能指数と同様に人によって、この能力は差がある。この能力を具体的に説明するためによく用いられるのが「サリーとアンのテスト」である。 サリーは、カゴと玉を持っている。 アンは、箱を持っている。 サリーは、持っていた玉をカゴの中に入れて、部屋を出る。 アンは、その玉をカゴから出し、自分の箱に入れる。 箱を置いて、アンは部屋を出る。 そこへ、サリーが帰って来た。 さて、サリーは、玉を出そうとして、どこを探すか? といった問題。このテストは、自分の視点以外(サリーの視点)に立てるかどうか、そして、サリーが持っている「玉は、カゴの中にある」という信念を理解できるかどうかを、テストする課題である。この問題は、3才位だと、自分が見たとおり「サリーは箱をさがす」と答えるが、4~5才位になると「サリーはカゴをさがす」ということがわかる。このように健常な人は、自分以外に、「心」を持ち「信念」を持てる「他者」が、存在していることを理解し、年齢を重ね、経験を積んでいくと共に、他人の心を読む力も更に成長していく。ひとりの他人だけでなく、複数の他人が、ある状況で、どのように考えるか、それぞれの人の性格や価値観から推測できるようになっていく。自閉症の人は、この力が極端に弱い。健常な人でも、人によって大差がある。この力は、知能指数とは無関係のようだ。自閉症の人の中には非常に高い知能を持った人もいる。この能力が優れた人は、どういう職業に向いているかと言うと、政治家、営業職、コメディアン、ホストなど人の心を掴むことが重要な職業だろう。では、この能力が優れた人は、良い性格か?というと、そうとは限らない。この能力が優れており、かつ、悪人であれば、詐欺師になるかもしれない。逆に、この能力が弱い自閉症の人は、嘘がつけない純粋な心の持ち主だったりする。結局、この能力を正しく活用しなければ駄目だと言うこと。三国志に出てくる名軍師 諸葛孔明は、単に論理力があるだけでなく、ずば抜けて心の理論に強い人だったのではないかと思う。戦いの中で、敵を次々と欺き、省エネで勝利をものにする。ホリエモンは理科系で元エンジニア。とても知能指数が高く見えるが、それに比べ、ちょっと心の理論的には弱い面があるのかもしれない。僕が以前、ホリエモンを社長ロボットに例えたのは、そういうイメージがあるからかも...(凡人よりは優れているだろうが)そういう点で楽天の三木谷さんは、この能力が、かなり優れているように思える。経済や政治の世界は、騙し合いの世界。腹黒い人達の中で、ときには協力し、ときには対立し、自分の生き残りのため戦っていかなければならない。SBI 北尾吉孝氏の登場で、何だかホリエモンが純粋な若者に見えてきたのは僕だけだろうか?
2005.03.26
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日本と欧米の文化の違いは、いたる所で見られるが、僕が普段仕事をしていて一番感じる点は、契約に対する考え方の違い。僕の会社は、外資系コンサルティングファームとの提携関係が長いせいか、グローバルの基準に合わせて契約書の雛型ができあがっている。しかし、実際に契約を結ぶクライアント企業は、殆どが日本企業。グローバルに展開している企業だけでなく、ローカルな企業もあるし、親方日の丸系企業もある。こういう日本的企業との契約では、欧米との契約に対する考え方の違いがはっきり表れるので交渉に大変時間がかかる。日本と欧米の主な違いは以下の2点のように思う。(1)トラブル発生時の取り決めの詳細度(2)売り手・買い手の平等さ加減欧米型の場合、何かトラブルが発生した場合、誰にどのような責任があり、どの程度の賠償責任があるか、事細かに記述する。一方、日本型は、曖昧で漠然としており、双方協議により解決するような記述が多い。また、欧米型は、売り手と買い手は互いに平等な取引(GIVE&TAKE)をしていることが前提であるから、責任に対する考え方は平等であるし、売り手側に無茶な制約まで求めない。一方、日本型は、買い手に都合良くできている。例えば、何か相手に損害を与えた場合、欧米型は、甲(買い手)、乙(売り手)共に、契約金額を上限に損害賠償を限定する場合が多いが、日本型の場合、甲(買い手)にはまったく賠償責任がなく、一方、売り手の賠償責任を限定しない場合もある。(さすがに、こういうケースは少なくなっていると思うが)また、プロジェクトの成果物(報告書や仕様書等のドキュメント)の著作権や当該プロジェクトにおいて生まれたアイディアの知的所有権を、すべて買い手に譲渡するよう書かれていたりする。以前、同種のコンサルティングを他社に行ってはいけないということを要求する会社もあった。(これはさすがに断ったが)双方の考え方に大きな違いがあると契約交渉は大変時間がかかる。冷静に交渉できれば、まだ良いが、たまに、こちらが作成した契約書ドラフトの内容や修正案について、感情的になり、怒ってしまうクライアントがいるので困る。欧米型の契約書は、問題が発生しても裁判にならないよう、起こりえる様々なリスクに対して取り決めを書く傾向がある。例えば、瑕疵に対する責任も、ケース別に事細かに責任範囲を記述する。日本の場合、今まで裁判は殆ど起こらなかったので、こういうことが馴染まないようだ。そのせいか、こちらが作成した契約書ドラフトに対して、クライアントから「こんなこと起こり得るのか?」と怪しまれ、怖い顔で追求されることがある。(欧米では滅多に起こらないトラブルについても、リスクヘッジのため、契約書に責任範囲を記述する場合が多い)日本の企業社会の場合、何か問題があっても裁判までは発展せず、売り手が殆どの責任を負い、決着するケースが多いので、細かく書くことが不自然に写るようだ。僕は、欧米流が一方的に良いとは思わない。僕も日本人なので、欧米型の契約については、「何もここまで取り決めは必要ないのでは?」と思うこともあり、ときには自分の会社の法務部と議論し対立することもある。僕の会社の法務部トップは、ある分野で独占的なシェアを持つ外資系ハイテク企業の出身者なので、殿様商売に慣れてきたせいか、無茶苦茶強気。(手ごわい)法務部の案を見て、日本の企業社会の中で、ここまで売り手が主張しては、商売にならないと思うこともある。しかし、法務部門の審査が通らなければ、契約は結べない。クライアントと法務部との間で板ばさみになることも、しばしば。(これは結構辛い)まぁ、これをうまく調整し、合意に持っていくのがプロのビジネスマンなのだが。日本もグローバリゼーションの波が押し寄せて随分経ち、欧米流の制度が次々とできあがっているが、まだまだ多くの日本人は、経験が浅く、頭の方がついていってないように思う。今後、ライブドアvsフジテレビ問題のような企業間の紛争はますます増えていくだろうから、明日はわが身と心の準備をしておかないと大変なことになるかもしれない。僕もお陰様で今まで裁判には縁がないのだが、この先無いとも言えない。心を引き締めてリスク管理をしなければと思う次第である。いずれにしても契約とは最低限の約束。普段の仕事の中でクライアントと信頼関係を築くことが最高のリスクヘッジであろう。(やはり僕も日本的?)
2005.03.25
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昨日の記者会見でホリエモンに対してフジテレビのアナウンサーが「会社は株主のものか?それとも従業員のものか?」と質問していた。今日のテレビ朝日の報道番組で、テリー伊藤は「会社は従業員のものだ!」と主張していた。このようにライブドアvsフジテレビ問題において、テレビ関係者は、「会社は誰のものか?」という課題に拘りがあるようである。 僕は、この課題を投げかけて一体どうするの?と疑問に思う。誰のものかといえば、株主のものである。そういう所有という意味ではなく、誰の利益が優先されるべきか?との課題であれば、それは一言で答えるべきものではないと思う。経営者が、これに答えてしまっては波紋を呼ぶに決まっている。そういうことをわかっていて、揚げ足を取るために質問しているのであれば、まだ意味はわかるが、本気で質問しているなら極めてナンセンスな質問だろう。 テリー伊藤のような芸能人であれば、話を面白く、分かりやすくするため、問題を○×的に単純化し、視聴者の感情に訴えることができれば成功なのだろうが、それで世論が誘導されることになれば問題だと思う。 経営というものはバランスをコントロールすること。経営者の役割は、株主、従業員、顧客、仕入先・外注先、債権者、政府・行政、そして社会といったステークホルダー(企業の利害関係者)間の利益調整を行うこと。この中のひとつでも無視した場合は、会社は存続することはできない。 顧客を無視すれば、売上は落ちこむ。 従業員を無視すれば、良い商品・サービスを顧客に提供できない。 仕入先・外注先も同様。 債権者を無視すれば、事業に必要な資金を調達できない。 行政や社会を無視すれば、規制や損害賠償により事業がストップしてしまうかもしれない。 だから経営者は、そのとき、そのときの、ステークホルダーのニーズ、問題意識を察知して、全者が納得できる提案を行い、合意できるよう調整する使命がある。会社を経営することは、天秤のバランスが崩れないように、ステークフォルダー間の利益調整を継続することだと思う。 しかし、誰の利益を優先すべきかという課題に、敢えて答えるならば、やはり顧客ではないだろうか?というのは顧客が存在し価値を認めてもらわなければ、ビジネスは成り立たないし、企業も存在する意味がない。まず、顧客に価値を提供することが起点になるのではないかと思う。ステークフォルダーに対する企業の考え方として良い参考例がある。前にも紹介したが、例えばジョンソン&ジョンソンの我が信条これは今流行りのコーポレートガバナンス(企業統治)、CSR(企業の社会的責任)という概念を、いち早く取り入れた良い例だと思う。ジョンソン&ジョンソンは、ヘルスケア関連の製品を提供する老舗企業である。この会社は、昔、同社の主力商品であるタイレノールという鎮痛剤に何者かが毒物を混入し、死者を出してしまい、企業として重大な危機にさらされたが、社員全員が一丸となって、対策を講じ、迅速な対応を行ったため、見事に復活した。何故、このような復活ができたかと言えば、経営者が、この我が信条に立ち返り、顧客への責任を最優先にして意思決定を行ったからである。どこかの某M自動車工業とエライ違いである。株主というものは、企業の飼い主であるから、企業が、他のステークフォルダーへの責任をちゃんと果たすことを約束した上で初めて、企業を飼い、利益を得る権利があるということだろう。今日の記事中島みゆき、タモリら堀江社長を拒否 買収ニッポン放送には出演しないを見ると、何だか寂しくなる。ホリエモンの経営に何か問題があるなら仕方がないが、何も起こっていない状況で、拒否反応を起すとは、ちょっと大人げないのではないか?リスナー(顧客)が可哀想だ。
2005.03.24
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日経ビジネスによれば、やはり楽天が、ライブドアvs.フジテレビ問題においても水面下で動いているようだ。 楽天の三木谷氏は、随分前から、楽天の時価総額が1兆円レベルになればメディアとの提携・融合に動き出そうと考えていたらしい。 そういうことを知ってか、ライブドアがニッポン放送株を買い始める前に、村上ファンドの村上氏は、所有するニッポン放送株を楽天の三木谷氏に売却を持ちかけた。 三木谷氏は、フジテレビとの関係悪化を懸念して日枝会長に相談したところ、日枝会長から情報提供に関して感謝され、業務提携についても前向きに進める話をしたそうである。その後、ライブドアがニッポン放送株を買い占めた直後に、楽天は「大丈夫か?」と確認したが、そのときもフジテレビ側は楽観視していたようである。 これ以上書くと日経ビジネスに怒られるので、知りたい人は、買って読んでください。 この記事が本当であれば、やはりネットポータルの王者達にとってネットとメディアの融合は当然の方向であり、特にテレビ放送は、非常に魅力的なビジネスとして写っていると言えるだろう。 おそらく、フジテレビに限らず、他のテレビ局は夫々、近い将来、ライブドア、楽天、ソフトバンクといったネット企業との提携を余儀無くすることになるのではないか? その中で脱落組は、更にM&Aにさらされる?こうして考えると、ネット企業間の競争は、互いに良い結果をもたらしていると言える。プロ野球問題では、楽天が勝利したが、ライブドアの知名度は高まったし、業績にもそれが反映されているだろう。 今回も、どのような形で収まるかわからないが、いずれにしてもネット企業にとっては、未開の土地を開拓することで事業規模拡大が狙えるわけである。この件も2番手、3番手が楽天、ソフトバンクとなれば、ネット企業が裏で結託して役割り分担 しているのではないか?と疑ってしまう。まぁそういうことはないと思うが六本木ヒルズあたりで互いの間者が探り合った結果、そうなっているのかもしれない。しかし、僕は、素人なのでよくわからないのだが、テレビを新しいネット対応双方向端末に変身させるには、ソニーや松下といったメーカーが絡まなければ話は進まないのではないかと思う?結局、ソニーや松下といった大物は、経済界の批判を浴びるリスクを抱えてまで急ぐ必要はなく、ホリエモンのような無鉄砲な若者が、突破口になることを待って、しょうがないなとホワイトナイトになり、最後に果実を得ようとの魂胆ではないか?その前に、失敗と言われているBSデジタル放送関連の製品をもう少し売っておかないと。戦わずして勝つ。強者は孫子的。さて、BSデジタル放送が始まって随分経つが、以下の記事を読むと、やはり普及していないようである。BSデジタル放送、「1000日で1000万世帯」の半分以下僕も昨年からJ-COM(ケーブルテレビ)で、BSデジタルを見ているが、正直言って、双方向性のある番組といえば、バラエティや子供番組など限られており、内容もクイズの答えを求める程度で、この程度しかアイディアがないものかとガッカリしている。今のところ唯一、デジタルのメリットは、ノイズがないので目に良いということだけだろうか?一方通行のメディアとしてはテレビ、双方向性メディアとしてなインターネットが支持されているので、BSデジタルによる双方向番組は非常に中途半端な位置付けになっていると思う。情報発信者が限定されており、日本だけの閉ざされた世界で展開されているので、意外性のある面白いコンテンツが生まれてこない。やはり製作者側、経営者の努力不足は、明らかだろう。この機会に、放送業界も、ネット企業、IT企業との再編により変わってもらいたい。ところで、あるテレビのコメンテーターが、米国では、敵対的買収はうまくいっていないと言っていたが、本当だろうか?オラクルによるピープルソフトの買収は、敵対的買収だけど、オラクルは業績が向上している。(以下の記事参照)PeopleSoft、対Oracle訴訟を拡大 ↓Oracle増収、PeopleSoft買収経費除くと利益も増大一方、AOLとタイムワーナーの合併を、ネット企業とメデイア企業の合併の失敗例として強調しているコメンテーターが複数いるが、こちらの方は、実は友好的な合併だった。(以下の記事参照)米AOLと米タイム・ワーナーが合併、インターネット戦略を強化ちゃんと自分で調べず、コメンテーターの言うことを鵜呑みにすると怖い。気をつけよう。
2005.03.23
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今日は朝から、某ITベンダーの部長と打ち合わせ。このベンダーは、ある業務パッケージのシェアNo.1の優良企業。数年前、伺ったときは、ボロいオフィスビルに社員がギュウギュウ詰めだったが、今は、都心の大規模高層ビルの3フロアを独占している。今日は、この会社のソリューションに関する情報提供を求める交渉話。しかし、この会社にとって僕の会社は敵なのか味方なのかは微妙。我々は顧客の利益最優先だから、必ずしも、この会社のソリューションを使った提案をするとは限らない。ときには、ライバル会社のソリューションで提案することもある。一方、この会社が、我々が提供しているサービスと同様のサービスを顧客に提供し、競合することもありうる。案件(顧客)によって、ライバル会社、協力会社、立場は、ころころ変わる。これまでの実績を総合すると、このベンダーにとって我々は、邪魔者かもしれない。我々は、どちらかというと大企業に強く、それに合ったソリューションを中心に提案を行うが、彼らのソリューションは中堅・中小企業をターゲットにしている。戦略が合わないと感じているかもしれない。しかし、今回は、ある顧客のため、協力を依頼しなければならない。僕は、今回の案件で、我々と協業するメリットを説明した。我々は、顧客にとって最適な提案をする使命があるが、かといって、世の中にあるすべてのソリューションを把握することはできない。当然、我々が彼らのソリューションを理解し、それが確実な方法だと悟れば、顧客に対して自信を持って提案できるので、彼らにとって悪い話ではない。しかし、このノウハウが我々に流れ、他の案件においてライバル会社と組まれては困ると考えるに違いない。この当たり、先方としても総合的な判断が必要だ。我々としては、顧客の利益を最優先にして、どのベンダーとも良好な関係を保ちたい。このようにIT分野には規制がなく、様々なプレーヤーが、それぞれの思惑で、自由自在に動き回る。あるときは敵だし、あるときは味方だ。また、あるときは元受け(顧客)になったり、あるときは外注になったりする。それぞれGIVE&TAKEが成り立つ場合、手を組む。人と人の表向きの接し方は、どちらも丁寧、どちらか一方が偉そうにしていることはない。ドライだけどフェア。敵であっても特別な恨みを持つことはない。負けた時、敵から学ぶことも多い。自由競争の業界とは、こういうものだ。僕の顧客の中でもグローバルに展開している製造業の人達も、こんな感じだ。しかし、規制の多い業界だと違う。取引相手が固定されている。顧客はいつも顧客。業者はいつも業者。顔触れも殆ど変わらない。人間関係はドロドロ。昔の恨みや不満を引きずる。GIVE&TAKEが成り立っているとは限らない。メディア業界はどうなのだろうか?僕は放送業界の仕事はしたことがないので、何とも言えないが、昨年のプロ野球問題やライブドアvsフジテレビ問題の報道を見ていると、何だか共通点が浮かんでくる。経営者は、企業や人の格にこだわり、それを満たしていなければ話し合いすらできないようだし、敵が時には味方になることも想定していないようだ。敵であっても相手の手の内を読むために、時には接することも必要だと思うが...経営者のプライドがとても高いようだが、勝つことや生き残ることについて本気で考えているのだろうか?自分は退職が近く、嫌であれば辞めれば良いと考えているのかもしれないが、若い従業員は、まだまだ働かなければならない。従業員の将来のため本当に正しい判断をしているのだろうか?互いの企業価値を落とし合ったならば、そのツケは残された従業員にかかってくる。今頃、提携話をしても遅すぎるかもしれない。
2005.03.22
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ホリエモンは、歴史上の人物で誰に似ているのだろうか?信長に例える人がいるが、なんだかピンとこない。では誰がピッタリか?と言われても、なかなか思い浮かばない。それはホリエモンに、良くも悪くも人間味が感じられないからだろうか?この人、謀略を考えるようなタイプではないと思うし、お金で贅沢するようなことにも本当は興味がないような気がする。ひょっとして、ホリエモンは何かミッションを果たすために宇宙か、または、未来から送られてきた経営者ロボットなのかもしれない!?宇宙人か未来人(ひょっとしてロボット?)は、何かの実験のため、彼に経営ノウハウと意思決定を行なうプログラムを埋め込んだ。「社長ロボット」ホリエモンのミッションは、起業し、経営者となり、最短の期間で、グループの企業価値を世界一にすること。ホリエモンは、これのみを追求する。最短の時間で企業価値を世界一にするには、何か特定の事業に思い入れがあってはいけない。あらゆる合法的な手段により、企業を買収していく。ホリエモンの頭の中で、ワーストケースを含め、あらゆる戦略シナリオのシミュレーションが済んでおり、すべて”想定内”。しかし、”ロボット”ホリエモンは、人間の心を読む力が弱く、人間は、ときには自分の価値観を守るため、損を覚悟で非合理的な意思決定を行なうことまで予想できなかった...ホリエモンは自己学習するロボット。ホリエモンは、最後に何を学習したのだろうか?以前、確かフジテレビで「ダニエル・キイス」の「アルジャーノンに花束」という小説をドラマ化していた。このドラマの主人公は知的障害を持ち、幼児なみの知能しか持っていなかったが、自分の愛する女性を掴むため、手術を受け天才に変貌した。超知能を手に入れた彼は、果たして幸せになったのか?といった話。人間の心の真実に迫る問題作。ホリエモンに反感をもつフジテレビの従業員が、こんなドラマは作ったら面白いかもしれない。アルジャーノンに花束を( 著者: ダニエル・キイス / 小尾芙佐 | 出版社: 早川書房 )冗談はさておき。このライブドアvsフジテレビ問題は、経済・社会・企業経営とは何か?人は何故働くのか?など、いろんな面で勉強させてくれる。どちらに転ぼうが、国民にとって大変勉強になり有益な事件ではないだろうか?僕も、企業向けのコンサルタントという仕事をしていながら、これまで知らなかったことが結構あったし、新たに考える機会を貰ったような気がする。さて、この問題で、近頃、考えさせられていることは、今流行の”グループ経営”とは何ぞや?、グループ経営戦略とは何ぞや?ということ。メディア界の人がホリエモンに対して、メディアに対するビジョンが見えないとか、思い入れがあるのか?ということをよく口にするが、では、企業グループのトップが、これに答えるべきなのか?ということを考えさせられた。グループ経営というのは、持ち株会社が、複数の事業会社を傘下にして、グループ全体の企業価値を高めていくことを目指すものである。持ち株会社は、持ち株会社の株主や金融機関に対して、グループ全体のミッション、ビジョン、戦略を説明し、グループを代表して資金を一括調達し、各事業会社の事業に重み付け(ポートフォリオ管理)を行い、それに従って資金を配分する。そして各事業のパフォーマンス(業績)を監視し、将来性のない事業は手遅れにならないように撤退し、将来性のある事業に対しては、より多くの資金を供給し、成長を促す。持ち株会社はグループ全体でのキャッシュフローを最大化するように効率的に資源を管理する。こうしなければ、持ち株会社の株主や金融機関に対して責任を果たしたことにならない。従って、持ち株会社の経営トップは、冷静な判断ができない程、個別事業に、思い入れを持ってしまっては務まらないのである。例えば、三菱商事のような大手商社の経営トップに、個別事業に対して、どれだけ具体的なビジョンがあるのか?と言われても、おそらく、「それは事業会社(子会社)の経営トップに聞いてくれ?」ということになるだろうし、「お前は、この事業のノウハウがない。」と言われても困るだろうし、「金儲けが目的だろう?」と責めても、「それはビジネスだから当たり前だろう」という答えになるだろう。実際、大手商社のように多くの事業を行っている企業グループの場合、独自の撤退ルールというものがあり、一定の収益をあげない事業(子会社)は、どれだけ事業会社の経営者や従業員に思い入れがあろうが、ドライに撤退する。そうして事業ポートフォリオを組替え、グループ全体の成長を維持する。では、持ち株会社のトップはどのような能力が必要で、どのようにグループ全体を統制していけば良いか?僕は、生き物の生態を管理するようなものではないかと思う。多くの生き物(企業)が生息するジャングル(産業界)で、自グループに属する生物(子会社)全体が繁栄するように、雨をふらしたり、餌を与えたり、互いに補完関係にある生物(子会社)同志、シナジーが生まれるように住家を近づけたり、あまり目立たないように後方支援を行うノウハウが必要ではないかと思う。やるべきことは、病気を持っって死にそうな生物(子会社)を早く除外し、他の生物に病気を移さないこと。逆にやってはいけないことは、生態の中に入ってしまうこと(各事業の詳細に中途半端に口出しすること)例えば、NTTグループなんて、分社後、グループ企業同士が、似たようなビジネスを行っているため、ときにはグループ内で競合するようなことがあるが、持ち株会社は、中途半端に仕切ると各事業会社のやる気が損なってしまうから、殆ど介在しない。グループ内で切磋琢磨することになってもNTTグループ全体としてははメリットがあると考えているのかもしれない。グループ経営とはこういうものである。だからホリエモンとしては、IT・フィナンシャル・メディアグループ?としてのビジョンしかなく、メディアとITの融合という変化によって何かが生まれることに期待を持っているだけで、報道が一方的であること以外に問題意識は余りないのかもしれない。「自分が気に食わないこと以外、貴方達に任せます」というのがホリエモンのスタンスだろうか?そうであれば、メディア業界の人からの批判については、的外れであり、話し合えば良いのである。困るのは既得権の恩恵を直接受けてきた一部の人だけではないだろうか?ただ、忘れてはならない点は、グループとして共通のミッションや社会貢献の考え方を持ってなければ人の求心力は無く、巨大企業グループは維持できないということ。グループ内の事業間、企業間でシナジーを生むことがなければ、グループ全体の企業価値を高めようと思っても限界があるだろう。お金だけでなく、各グループ企業に勤める従業員達に共通の価値観、誇りというものがなければ、協力しあってシナジーを生み出そうとするインセンティブは働かないだろう。ホリエモンには、メディアというよりもグループとしてのミッション、ビジョンを示して欲しい。
2005.03.20
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今日、息子の幼稚園の卒園式があった。僕は午前、会社を休んで卒園式に出席した。理事長先生、園長先生はともに挨拶の時、涙ぐんでいた。ふたりとも優しいおばあちゃん(失礼?)年少さん、年中さん、年長さんの3年間。担任の先生、学年主任の先生、全員が本当に息子を可愛がってくれたと思う。息子の幼稚園は、どちらかというと自由保育。習い事よりも、自発性を大切にして自由に子供を遊ばせる。かみさんからすれば、ときには、ちょっと物足りないところがあったようだが、どの先生も子供をよく観察し、親に丁寧に様子を伝えてくれたし、子供同士、問題があっても公平に対処してくれた。みんな若いのにしっかりしている。本当にありがとうと言いたい。練習したのか、どの子も、名前を呼ばれ、修了書をもらう時、「はい!」「ありがとうございます!」と元気に返事をしていた。みんな本当に純粋な目をしている。素直に育ってほしいと願う。しかし、この子供達が大人になるころ、日本はどうなっているのだろうか?卒園式中に楽しそうにゲームボーイアドバンスで遊んでいるお父さんがいたのだが...世界は、国家間の紛争、環境問題、社会保障問題、教育問題など問題が山積みだ。もうちょっと日本の大人は、他人事のようにしていないで、こういう問題に対して真剣に考え、責任をもって対応しなければならないのではないか?と思った。それにしても今日の花粉は凄まじかった。(僕は花粉症)昔、春は最も気持ち良い季節だったのに、何故こうなったのか?環境を、これ以上悪化させては子供達に申し訳ない。ガチャピン チャレンジシリーズ 2ndステージ
2005.03.18
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ライブドアは、とうとうニッポン放送を抑え、今度はフジ買収に動いている。ライブドア、フジ買収検討=LBO2千億円調達―発行済み株30%取得へこのようにライブドアのフジサンケイグループ支配が現実味を増しているが、支配権を得たとしても、ホリエモンにとっては、これからが勝負だ。ライブドア・フジサンケイグループ全体の収益が増加し、企業価値が高まって、初めてM&Aが成功しと言える。お金で財務諸表上の資産は買うことができても、従業員の心までは買うことはできない。従業員を統制して、はじめて企業は機能し、価値が出てくる。ベンチャー企業の若手経営者が、長い歴史の中で独自の文化を築いてきたフジサンケイグループの従業員を手懐けることは容易ではないだろう。僕は、この様子を見て、三国志の蜀による南蛮征伐”を思い出した。蜀の軍師 「諸葛孔明」が、「孟獲」率いる南蛮国を征伐した話。孔明は、異文化の南蛮国を平定するには、南蛮国を粉砕し、全滅させるのではなく、仁をもって蜀に従わせなければならない。そのためには孟獲を殺さず、その心を本当に掴む必要があると考え、実に7度にわたって捕らえ、丁寧にもてなし、解き放った。そして、とうとう孟獲は心服し、孔明の「これから共に栄えよう」という言葉に泣いた。孔明は、引き続き孟獲を南蛮国の王とし、蜀に従わせた。これは三国志演義の話なので史実かどうかわからないが、人の心をどう掴むかという点で、とても参考になる。50年の歴史を持つ放送業界の人たちは、ベテランが多く、皆プライドが高いだろう。ホリエモンが、放送業界におけるビジョンだとか戦略だとか偉そうに語ったところで、聞き入れようとしないだろう。力を持った若者は、権限や論理で強行に攻めるよりも、逆に、何を言われようが、ベテランをたて、頭を下げて協力をお願いするような姿勢を貫いた方がうまくいくのではないか?(結構、辛抱が必要だと思うが..)もし、ホリエモンが、この方法でフジサンケイグループの実力のある経営陣や従業員をキープし、グループ全体の企業価値を高めることができたとすれば、”平成の孔明”、”名経営者”として賞賛されるだろう。しかし、現実にホリエモンの言動を見ていても、そのような雰囲気はない。ただ、ホリエモンが、これまで買収してきた企業については、下手に口出しをして失敗したケースはなさそうだ。もともとインフラ屋だから、彼のビジョンに、個別事業への拘りはないのかもしれない。また、フジサンケイグループの経営者・従業員が「(放送事業の)ビジョンが見えない」と批判することは的外れなのかもしれない。だから本当によく話し合えば互いに納得するのではないかと思うのだが...まぁ、どうなるか?見守っていきたい。三国志(7)吉川英治
2005.03.18
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先日、久しぶりに昔の部下に会った。彼は、数年前、大手外資系銀行へ転職し、ある法人向け商品の営業企画部門で仕事をしていたのだが、その銀行が、その事業から撤退することに決めたため、また転職することにしたそうだ。撤退する事業の競争相手は邦銀であるが、邦銀が企業に対して採算度外視の価格で提案するため、邦銀相手に競争しても、本社から要求される事業の収益性を満たさないため、撤退せざるを得なくなったようだ。彼は、ぼやいていた。邦銀は日本企業とは昔ながらの持ちつ持たれつの付き合いの中で、シェア割といった明文化されていない暗黙の約束があり、その中で採算を管理しているため、時にはシェアを守るため、個別の商品を採算度外視の価格で提供することがある。また、無償で至れり尽せりのサービスをすることがある。外銀から見ると、こんなことに付き合っていては経営が成り立たない。欧米は直接金融が発達しており、銀行貸付の依存度は低いので、外銀は、金利収入以外に様々な商品・サービスを開発し企業へ提供している。いわゆる手数料ビジネスが発達しており、収入比率も高い。だから、邦銀のように手数料をディスカウントしては商売上がったりになってしまう。グローバルに展開している外銀は、収益性の低い地域から撤退し、より見込みのある地域に拠点を移す。だけど、彼は長男。日本で仕事することが条件。外国では働きたくない。だから転職する。ま、彼は優秀だから何処行っても大丈夫だろう。さて、この話を聞いて、僕は、日本の銀行と企業の付き合い方は、これで良いのか?と疑問に思った。外銀が、ある事業を撤退するわけだから、一見、邦銀にとって囲い込み戦略に成功したかのように見えるが、僕の経験から、これは、そんな簡単な話ではないと感じる。日本の場合、企業の資金調達は間接金融(銀行借り入れ)が中心なので、銀行も、その金利収入に頼っている。しかし、近年、大手企業は資金管理を効率化し、借り入れをどんどん返済しているため、銀行の金利収入はどんどん減っている。したがって他の手数料収入を増やしていかなければ、収益性はどんどん悪化するのだが、一旦、低価格で提供した商品やサービスの値上げを大胆にできない。そんなことをすると取引が他行に切り替えられてしまう。今の優良企業と銀行との力関係は、こんな感じだ。(明らかに企業が強い。まだまだ銀行が多すぎるのかも?)どうも、今の銀行と企業の関係は険悪な場合が多いバブル崩壊後、銀行の貸し渋りによって痛い目に遭った企業は、その恨みを忘れていないようだ。銀行が、何か新しい提案をして、価格を提示しても、「もっと安くしないと他行に代えるよ」と強気。企業から見れば、あの辛い時に冷たかった銀行からは、どれだけ貰っても貰いすぎとは思わないようだ。銀行も辛い。あとで両者から個別に話を聞いても、互いの文句ばかり言っている。銀行と企業は切っても切れない関係だと思うが、どうも腐れ縁のような関係になっていて、見ていて寂しい。以前の日記「「他人任せ」に未来はない! (崩壊するアウトソーシング) で書いたITベンダーと企業との関係と同様に、どうもべったりとした関係は良くないようだ。ひとつひとつの取引をうやむやにして丼勘定でやってしまうと何が得して何を対価として支払ったのか、わからなくなって、相手のありがたさが実感できなくなる。やはり、企業がGIVE&TAKEで良い関係を築くには、ある程度距離をおき、ある程度の緊張感を持って接し、ある程度の競争相手や代替する取引先が存在し、ひとつひとつの取引について、公平に競争し、そして選定し、互いに納得した形で契約することが大事なのではないかと思う。昔のことを持ち出してケチをつけ、甘えあって、足を引っ張り合っては、互いに国際競争の中で生き残っていけないだろう。自滅を待って、外資が再参入することもありうる。本当に自覚するには、やはり規制をできるだけ少なくし自由競争できる産業を作っていく必要があると思う。こういうことが日本の経済界の大きな課題だと思う。これは、個人同士の人間関係にも言えるし、日本と中国の関係のような国家間にも言えるのではないか?
2005.03.17
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本日の産経新聞の記事自己中心で刹那的-日本の高校生 米中に比べ際立つ低さ日・米・中三カ国の高校生を対象にした意識調査の結果である。僕が気になった結果は、以下のとおり■「国に誇りを持っている」 日本の高校生は51%で、米国、中国に比べて二割以上少ない。■「親の面倒をみたくない」 日本は三カ国中で最も多い■「将来を思い悩むより、その時を大いに楽しむべきだ」 日本は三カ国中で最も多い■「どんなことをしても親の面倒をみたい」 日本は三カ国で最も低い■「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたい」 日本は18%と、米国9%、中国12%を大きく上回った。■「平日、学校以外でほとんど勉強しない」 日本は45%と米15%、中8%を大きく上回った。この結果、産経新聞は「刹那(せつな)的、自己中心的に生きる日本の若者意識が浮かび上がった。」としている。本当だろうか?まぁ、大きく外してはいないだろうが、そのまま、この情報を受け入れ、極端に考えてはいけないと思う。まず、自己中心的かどうかといえば、ちょっと?である。個人主義的になったことは事実だと思うが、果たして日本人は昔に比べ自己中心的になったのだろうか?今の大企業の経営者達の不祥事やナベツネなどのメディア界のトップの言動を見ていると、昔から何も変わりないのではないかと思う。これはアンケートの結果だから、心の中身まで正確に表していない。ある意味で、建前を言わない文化が根付いたと解釈することもできるのではないか?こういうアンケートの結果というものは、現状の裏返し(無いものねだり)を表しているとも言える。子供の自立心がないと嘆く背景に、親が子離れしていないケースもあるだろう。そういうベッタリの関係に、子供が親に対して、うんざりしているのかもしれない。その結果が「親の面倒をみたくない」「介護は他人に頼みたい」に表れている可能性もある。また、今の日本の親達は、平均的に米国や中国に比べ、経済的に恵まれているから、そういう親を見て、世話をしたいとは実感しない面もあるだろう。「刹那的」「ほとんど勉強しない」僕は、これが一番心配である。この原因が、よくわかる。今の日本で起こっている経済・社会問題の深刻さを考えると、僕が高校生だったら、ひよっとして刹那的な価値観を持ってしまうのではないか?と感じる。僕は、子供の無力感を作っているのは大人なのだから、大人が変わらなければ何も解決しないのではないかと思う。森隆夫・お茶の水女子大名誉教授は、親を啓蒙する必要があると言っているが、国が親に教育法について説教をし、親が子供に国や家の大切さを説教することによって、この問題が解決するとは、とても思えない。まず、互いの信頼関係を回復することが先決だろう。僕は、子供の教育以上に、日本の経済・社会の問題解決や、大人の価値観を変える必要があると思う。年金問題や環境問題は、現在(大人)vs 未来(子供)の戦いのように思う。現在を支配している大人が、未来を支える子供のために譲歩し、子供の将来のことについて真剣に考えてあげなければ信頼も尊敬も得られないだろう。経済問題においては、本当に実力がある人が企業のトップになれる環境を作らなければ経済は活性化しないだろう。どうもメディア業界を見ても、経営トップは60以上のお年よりが多く、現状維持を貫こうと頑張っているが、これは経済発展のためには好ましくない。資本主義経済というものは硬直化すると負のスパイラルに突入する危険性があるので、とにかく変化を起す必要がある。僕は、年齢で制限するといったやり方には反対だ。年齢に関係なく、アイディアを持って実行力のある人が報われる環境を企業社会の中に作る必要があると思う。発展のためのアイディアがない経営者は長く居座らず、違った分野で新たな挑戦をすれば良いと思うのだが、どうも日本の一部の業界は違うようだ。一生暮らしていけるだけの富を得、まだまだバイタリティのあるお年寄りは、例えばNPOなどを設立して、社会のための活動に励んではどうか?経営のトップの座に居座って、煙たがれるより、ずっと美しい人生だと思うのだが...話はちょっと脱線したが、とにかく若者が活躍できるチャンスを作らないことには、未来の成功に向けて勉強する意欲が生まれないのではないかと思う。
2005.03.16
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「他人の欠点はよく気がつくが自分の欠点は気がつかない。」人はそういうものである。近ごろのマスメディアの報道姿勢を見ていると実感する。社会保険庁や大阪市の職員の無駄遣いについては徹底的に批判し改革を迫っているのに、一方、ライブドアvsフジテレビ問題になると、既存メディアを守っていこうという私意がみえみえである。これは、フジサンケイグループに限ったことではない。例えば、今日のテレビ朝日のワイドショーでも、重要な話題が沢山あるにも関わらず、番組のトップに、ライブドアの顧問弁護士の辞任のニュースを持ってきて、その理由がなんであるか正確な情報を掴んでいないのに、既存メディア派の弁護士に「何か問題があるに違いない」といった推測レベルのコメントをさせる。番組を見ていると、一応、ニッポン放送の焦土作戦など、フジサンケイグループの経営姿勢に関する問題点に触れているが、番組トップに持ってくるインパクトに比べると弱い。先日の産経新聞の「ライブドア “提携先イーバンク株”、無断で株主に譲渡交渉」という記事にしても、あたかも違法行為が行われたかのようなショッキングな見出しだが、内容を良く読むと違法性はないのである。このように、一応事実を伝えたかのようにして、結局は、世論誘導まがいのことをしている。何を強調するかは、製作者の判断次第。文句を言われる筋合いはないと考えているのだろうか?しかし、今、メディアのあり方が問われている状況であるから、一層、公共性、中立性を心掛ける必要はないだろうか?そうしないと、ますます既存メディアの報道姿勢には、「偏りがある」、「一部の経営者の私意が反映されている」と非難されるように思う。我々コンサルティング業界もエンロン事件以降、監査とコンサルティングの分離が求められ、監査法人との資本関係を解消しなければならなくなり、生き残りのため必死である。事業を拡大していくには資金が必要だから、上場したり、コンピューターメーカーやSIベンダーとの提携に走っている。業界トップクラスの大手コンサルティング会社であったPWCはIBMの傘下になりIBMビジネスコンサルティングに社名変更した。しかし、IBMビジネスコンサルティングがIBMのソリューションがベストだと言っても、それを裏付ける客観的な情報と論理がなければ、クライアントは信用しなくなるし、そういうことはIBMビジネスコンサルティングもわかっているだろう。こういうことは、どの業界も同じだと思う。メディアも本当に顧客(視聴者)の利益を考えていかなければ、自分たちの立場を追い込んで行くのではないか?しかし、人は自分が可愛いものである。まず自分の生き残りを最優先に考えるのは、皆同じではないだろうか?ライブドアvsフジテレビ問題における、フジテレビの日枝会長やニッポン放送の社長(名前なんだっけ?)の言動を見ているとそれがよくわかる。この人達個人の立場を考えると、そんなことは言ってられない。このままでは自分の地位や仲間たち(自分の派閥や恩恵を受けている人達)が危ういことは事実だ。何とかしようと思う気持ちはわかる。しかし、利害が異なる立場の人が、それを許すわけにはいかないだろう。焦土作戦などやられてニッポン放送の企業価値が下がっては、ニッポン放送の株主は怒るに決まっている。人は当事者になると公平な判断ができなくなる。だから権力を牽制する仕組みやルールが必要なのだが、現状、メディア業界を牽制する仕組みは十分ではないと思う。これはフジテレビがライブドアの傘下になっても問題は残る。しかし、横並びではいられなくなるから、他局も自ら改革していこうという空気が生まれるだろう。(実は、これを期待している)さて、ライブドアvsフジテレビ問題において、議論をおかしくしているのは、「フジテレビ側」と言ったように会社全体で立場を表すことで、あたかも経営者と従業員が一体となっているように錯覚してしまうことではないかと思う。現行の経営者と従業員とは、必ずしも利害は一致していない。社長は、従業員の選挙で選ばれるわけではない。一致しているのは、現行の経営陣や、派閥など恩恵を受けている従業員である。派閥に属さず実力のある人の中にはチャンスだと思っている人達も多いだろうし、メディアのあり方に問題意識を持っている人も多いだろう。(従業員の平均年収が1500万円だったら不満を持っている人は少数派かもしれないが...)それは、テレビ出演者や取引先にもいえることだ。今、テレビでコメントをしている人達は、現行の体制における売れっ子、勝ち組であるから、本人達が現状維持しようと考えるのは当然であり、公平なコメントを求めることは、そもそも難しいことであろう。我々、国民、視聴者は、そういうことを十分考慮して、メディアから発信される情報を受け止めるべきだろう。しかし、近ごろの世論調査等を見ると、国民も大分そのことがわかっているような気がする。国民は賢い!ネットの貢献もあるだろう。やはり、国民を見下し世論誘導を思いのままやろうとしている既存メディアの経営者達の方が時代錯誤、勉強不足といえるのではないだろうか?僕も、こうならないように気をつけよう。
2005.03.15
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今日の「発掘!あるある大事典」 あなたを襲う腰痛の真犯人解明1回3分(秘)体操で腰の老化&肥満予防▽疲労回復野菜&むくみ解消は、納得の内容だった。このところフジテレビの批判ばかりをしているが、良い番組も、ときどき作る。テーマは腰痛解消。腰痛の原因は、腹横筋の衰え。腹筋には、中央にある「腹直筋」、脇腹に繋がる「腹斜筋」、内側にある「腹横筋」の三つから成り立っているが、歳をとると共に腹横筋が衰え、腰痛の原因になる。これを鍛えるエクササイズが、「腹横筋エクササイズ」このエクササイズは、腰痛だけでなく、ダイエットにも効くという。やり方は、以下のとおり。 (1) きおつけの姿勢で、両手をお尻にあてる。そして肩幅より少し足を広げて立つ。 (2) お尻をキュッと締め、鼻で息を吸い、お腹を膨らませながら、ゆっくり腰を落とす。 (3) 口で息をふぅ~と吐き、お腹をヘコませながら、ゆっくり腰を上げ、腰の位置を元に戻す。これだけ。これを1回につき3分、1日3回、朝、昼、晩やる。試しにやってみたが、簡単な運動のわりに、あとでジワッと脚とお尻の筋肉に効いてくる。何故、これが納得かと言えば、僕が習慣にしている腹式呼吸ウォーキングに原理がよく似ているからである。僕のプロフィール(年表)を見てもらうとわかるとおり、1年ちょっと前まで、肥満と腰痛に悩んでいた。とにかく減量しようと腹式呼吸ウォーキングを始めたわけであるが、その結果(今となっては途中経過)を見るとわかるように、めざましい成果をあげることができた。腹式呼吸ウォーキングのもともとの狙いは減量であったが、同時に腰痛まで治ったのである。これまで僕は、腰痛が治った原因は、体重が減って腰の負担が無くなったからだと思っていたが、今日のあるある大辞典で、この腹式呼吸ウォーキングによって脂肪を燃焼するだけでなく腹横筋まで鍛えられていたことがわかった!腰痛に悩んでる人、減量したい人腹式呼吸ウォーキング、腹横筋エクササイズどちらもお勧め。これは、間違いないと思う。
2005.03.13
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ホリエモンがメディアやジャーナリズムの世界のベテラン達(50代以上の世代)からバッシングされているところを見ると、なんだかクライアントから僕の部下に対する苦情を聞いているような錯覚がある。 僕の直属の部下は大体30歳前後のマネージャーかコンサルタントになるのだが、そういえば、この世代はホリエモン世代。実際に、団塊世代以上のクライアントから、僕あてに、部下の態度や言動に対して苦情がくることが、たまにある。 (そういえば、規制に守られた大企業が殆どだなぁ)話しを聞いてみると、論理的には概ね部下の方が正しいのだが、どうも、クライアントの立場からみて、「あのタイミングで言わなくても良いだろう」とか、「もうちょっと言い方に気を使ってほしい」とか、「生意気ではないか」といったような、配慮が欠けた失敗が多い。さすがにホリエモン程ではないが...クライアントもいっしょに仕事をしているので本人には、なかなか言いにくく、ときどきやってくる僕に対して愚痴のようにボソッと言う。 そういうときは僕からクライアントに部下の失礼に対して謝り、部下には、「言っていることは間違ってないが、もうちょっと気遣いをしなさい」と注意をする。 しかし、なかなか自分の非を認めようとしないし、認めても不服そうである。なんだか、これはもう世代間の文化の違いのような気がする。 僕はバブルが崩壊する前に入社した世代。バブルの頃は、よく会社で宴会をやって昭和一桁のお偉い方や団塊世代の上司から自分たち栄光、自慢話や説教を聞かされて育った。また、そういう経験の中で目上の人に対する気遣いを学んだ。 景気は良いし、嫌でも、上司のやり方が正しいと認めざるを得なかった。一次会の費用は会社持ちだし、二次会は上司の財布からお金が出た。飲みに誘われて断るということは、よほどの事情がない限り、ありえなかった。バブルの頃は、経済は成長することが前提で、資金はいくらでも調達できたので、目先の儲けよりも、資産の大幅な拡大やや、社会貢献のような大義名分を事業の意義として掲げた。しかし、そういう大義のもと、無防備でだらしない経営をやっていたし、一部のリーダー達が「こうだ!」と生産者の論理で顧客の本意を確認することもなく一方的にものやサービスを作り上げた。それがバブル崩壊で一転した。企業は財務重視の時代。いわゆるキャッシュフロー経営の時代に入った。経費節減。飲ミニケーションはすっかり衰退してしまった。 僕より上の世代も、僕達の世代も、部下や後輩を飲みに誘うことは大幅に減った。ホリエモン世代は、バブル崩壊以降の入社だから、飲ミニケーションを通して、年配の人達の本音ベースの価値観をあまり聞く機会がなかっただろうし、価値観を植え付けられてもいないのではないか?それどころか、そのような価値観や、やり方を疑っている世代なのではないかと思う。 大企業の倒産、経営者の不祥事、中高年のリストラこういう悪いイメージしかなく、中高年が考える哲学や美意識や大義名分が、みんな嘘臭く見えるのかもしれない?僕のような両世代の間の世代(中途半端な世代?)から見ると、このギャップは調整不能なのではないか?とちょっと心配。僕の部下(ホリエモン世代)の特徴を整理すると以下のようになるのだが、これは一般的な傾向なのだろうか? 正直(媚びたりしない、建前をあまり言わない、納得いかないことには上司に対してもハッキリNoと言う) 冷静(淡々としている) 個人主義(他人の価値観に口出ししないし、されるのも嫌) 表面的平和主義(仲間同士喧嘩しない) 曖昧なことを嫌う 勉強熱心(僕の部下の場合、証券アナリストなど金融分野が人気) あまり会社の行事に参加しない。 同年代で飲むのが好き ネット株投資がブーム(だった)僕から見ると良い面も悪い面もある。こういう人達だから、上司は精神論を言っても通用しないし、説得するには、相当、論理武装しないといけない。僕らは、団塊世代の上司から、相反する2つのことを同時達成することを「何とかしろ!」と命令され、しょうがないなぁと一生懸命考えたものだが、この世代に、同じことを言っても、相当説明しなければ応じない。考えてみると、僕の会社の、この世代は、あまり社内での自分の売込活動が得意ではない。団塊の世代の役員クラスと中の良い人もあまり見たことが無い。やはり、世代のギャップだろうか?こういう融通の利かない面や対人戦略が弱い面は、将来、クライアントの矢面に立ったとき、本当に通用するのかどうか心配になってくる。しかし、これも固定観念かもしれない。彼らは、人付き合いが嫌いな訳ではない。論理性が無く、精神論ばかり説教するオヤジが嫌いなだけだと思う。将来、こういう世代がビジネスの中心になってくれば、そういう人達の中で、新しいタイプのリーダーが生まれ、新しいタイプの組織ができあがるように思う。そのリーダー像とは、僕が以前に日記で書いた古田のような調整役タイプなのかもしれない。昔のリーダーは、おれがリーダーだ!といった態度で声が大きく、議論をしても、声の大きさで強引に主導権を握るタイプだったのかもしれないが、恐らく、そのようなリーダーはもう通用しないのだろう。今生きている青年達が急に変わるわけは無いから、いずれそういう時代になる。今、テレビでホリエモンを批判し、ジャーナリズムはこうであるべきとか、自分達が世論をリードしなければならないと思っている既存メディアのリーダーたちも、最後の悪あがきをしているのかもしれない。双方向性のメディアが登場すれば、テレビのキャスターや、ラジオのパーソナリティーのタイプも変わっていくのだろう。ホリエモンが勝とうが、フジテレビジョンが勝とうが、ホリエモンが言うとおり近い将来、メデイア業界の変革は必ず始まるのだろう。僕ら金八世代が橋渡し役(調整役)となってソフトランディングでいくべきか?
2005.03.11
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今日は僕の経験を通して大手コンサルティング会社に就職して、成功する方法についてお話したい。ここでいう成功とは「長年、コンサルタントとして活躍し続け、自分もハッピーであること」としたい。コンサルタントにとって活躍とは、やはり、会社とクライアントの両方から高く評価をされることであろう。おそらく以下の2段階のゴールがあると思う。 (1)コンサルタントとしてのゴール ⇒ マネージャーとして活躍すること (2)ビジネスマンとしてのゴール ⇒ パートナーとして活躍することコンサルティング会社は、一般的に、顧客の課題に対して解決案を策定するためプロジェクトチームを編成する。そのひとつひとつの案件(契約)のプロジェクト管理を行うのがマネージャーの役割りである。ひとつの案件においてクライアントとの契約を履行し、かつ、会社が求める水準の収益をあげる使命を持つ。プロジェクトチームと言っても戦略やリサーチなどは比較的規模は小さく数名で構成されるケースが多いが、ERPシステムの導入や新事業立ち上げの支援など大規模なプロジェクトになると数十名のチームになる場合もある。大規模なプロジェクトになると、上位クラスのマネージャー(シニアマネージャー)が全体を統括し、サブチームに分け、下位クラスのマネージャーがサブチームのリーダーになる場合もある。前回の日記でも書いたとおり、僕は、自立したコンサルタントとして認められるのはマネージャーになってからだと思っている。コンサルティングもビジネスである。(奉仕活動ではない。)クライアントに価値を提供し、それに見合う対価を貰って初めてビジネスが成り立つ。従って、このバランスをうまくコントロールして初めてプロのコンサルタントと言えるだろう。当たり前のことのように思うかもしれないが、これができる人は、そんなに多くない。ひとり当りの単価が高いからだ。(おそらくコンサルタントの下位クラスであっても上級SEより高い。)仕事をずっと獲得できなければ厳しい評価になり、会社にいづらくなるので、どんどん辞めていく。本を書いたり専門の雑誌に寄稿したり、セミナーを開いているコンサルタントも多いが、暇なコンサルタント(稼働率が低く売上の少ない人)がやらされているケースもあるので、単純に活躍していると思ってはいけない。僕も暇な時、本を書いていた。(共著ですけど)パートナーとは執行役員を指す。ひとつの事業の責任者である。パートナーがコンサルティング会社における出世の最終ゴールと言える。パートナーになると、多くの案件、多くのマネージャーを従え、事業全体の責任を負う。事業の業績が良いと多額の役員報酬が貰える。しかし、契約期間が定まった役員なので業績が悪いと契約を更新できない。つまりクビ!(僕の会社の場合、契約期間は2年間)おそらく、大手コンサルティング会社の、パートナーひとり当りの年間売上目標は5億円以上だろう。ものを売っているわけではないので、この数字は結構キツイ。生々しい話であるが、コンサルティング会社で、長年、活躍するとは、こういうことをずっとクリアし続けなければならないということだ。しかし、その危機感を持つようになるのはマネージャーになってから。(これは僕の会社だけだろうか?)平のコンサルタント職は、こういう財務的な数字を殆ど意識していないし、仕事は与えられるものだと思っているので、危機感が乏しい。目先の仕事に追われ、ただひたすら、がむしゃらに仕事をしている者もいれば、専門分野の資格取得に励んでいる者もいれば、合コンに励んでいるも者もいる。それはそれで良いが、マネージャーになる前に、よく考えて、時間を過ごさなければ、あとが大変である。マネージャーは、大企業のエリート達を相手に、矢面に立って、専門分野の知識・ノウハウを使って、クライアント自身では解けない問題の解決策を提案する訳だから、中途半端な勉強をしていても通用しない。今時、ネットを調べれば、かなりの情報が得られるし、市販の書籍に書かれていることは、クライアントだって知っている。難しい資格を取得しても、それだけでは弱い。オープンにされていない独自の知識・ノウハウを蓄積しておかなければ通用しない。しかし、正直言って自分ひとりの力だけで獲得することは難しいだろう。やはり、先進的でマーケットニーズの高い仕事のチャンスを得て、仕事の中で習得した専門分野の知識を生かしながら、独自のノウハウを育んでいく必要がある。そういう良い仕事に関わるには、やはり人脈作りが重要である。クライアントと仲良くなり信頼関係を構築することは勿論大切である。マネージャーになるまでは、クライアントから「彼をどうしても使いたい」と指名されることを目指すべきだろう。また、コンサルティング会社においても、上司との良好な人間関係や社内の有力者との人脈作りは大変重要である。組織で仕事をしている以上、良い仕事をしたい場合は、それができる人脈の中(パワーベース)に加わらなければならない。非公式にでも、何らかの方法によってキーとなるパートナーやマネージャーと接点を持ち、心理的GIVE&TAKEの関係を築くべきである。また、社内で、どのような人材、スキル、ノウハウが求められているか情報を収集し、研究しておくことも重要である。このような社内活動を軽視する人は伸びない。マネージャーになるまでは営業活動には殆ど関わらないが、関係ないと思ってはいけない。社内で自分を売り込む活動は、マネージャーになってから必要とされる営業スキルに繋がっている。クライアントに対して頭があがらず、上司に対して甘える人が、ときどきいるが、これは駄目。社内での自分の売り込みは営業活動の予備練習でもある。直属の上司や他の上位者に対してもクライアントと同様に考えた方が良い。(憎たらしい上司でも、そう考えればスッキリするかもしれない。)これは犬のようになることではない。キーパーソン(良い仕事を与えてくれる実力者)の相談相手になり、その人の個人的な成功のために何が必要かを考え、それに自分が、どのように応えられるか考え、そして実行することだ。これを繰り返しキーパーソンと心理的GIVE&TAKEの関係を築くのである。そして与えられた良い仕事の中から、成功事例を多く作り、自分自身の方法論を築き、その分野の権威になり、業界で知るひとぞ知る存在になる。そして自分自身の力で仕事を開拓できるようになる。ここまでくれば、マネージャーとして安泰である。パートナーとして成功するためには、特定専門分野のノウハウだけでは駄目である。クライアント企業全体の経営課題について相談相手になれる幅が必要である。長い経験の中で、うまくバランスを取って幅広い仕事に関わっていくよう計画とコントロールが必要であろう。また、優秀な部下(マネージャー)を多く育て、また、獲得しなければならない。そのためには、人事部門や配員管理の権限がある人物との人間関係は大変重要である。結局、コンサルティング会社の場合、プロジェクトが成功するかどうかは、人次第。いかに多くの優秀な人材を自分の配下におけるか?これにかかっている。勿論、人望がなければ無理。ここまで読めばわかると思うが、実は、大手コンサルティング会社も普通の会社とまったく変わりないのである。結局、大組織で成功する人は、ポリティカルな面で強い人。対人力、対人戦略に長けた人。論理力だけでは駄目なのである。僕の会社で成功しているパートナーを見ると、一見、ごく普通の人当たりの良い紳士が多い。大前研一や堀紘一のようにタイプは殆どいないし、ホリエモンのようなタイプもいない。 大体、テレビであれだけ好きなことを言っていたら、クライアント企業は怖くて本音で話すことはできないのでは?あと、お分かりだと思うが、体力と忍耐力は半端じゃ駄目。何だか当たり前でつまらない結論になってしまったが、それが現実ではないだろうか?
2005.03.10
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昨日、TBSでホリエモンと筑紫哲也とが、ニッポン放送買収の件で議論していた。ちょっと面白かったので、「コンサルティング会社で活躍する方法」については次回にして、今日は、この話をしたい。メディアやジャーナリズムの世界のベテランは、どうもホリエモンに反感を持っているようである。筑紫哲也も例外なくホリエモンに反感を持っていることは、この番組を見た人は全員わかるだろう。まぁ自分たちがやってきたことを否定されているので無理もないが..この番組を見た人は、この勝負、どっちが勝ったと思っただろうか?僕は、この番組を見て、明らかに、ホリエモンの勝ちだと思った。ホリエモンの言っていることは筋が通っていたし、筑紫哲也の反論は、もやもやとしいて、論理性がなく、ただのぼやきのように聞こえた。このふたりの間には、明らかに世代のギャップがある。ホリエモンはコンセプトを説明するのが下手なので、ネットの世界を知らない筑紫哲也を理解させることはできないし、筑紫哲也がネットの世界に触れることは一生無なさそうだから、このふたりが、いくら議論しても歩み寄ることはないだろう。結局、メディア業界の権力者は筑紫哲也のような人ばかりで、ネットとメディアが融合した未来の姿を想像することができず、危機感もないというのが現状なのだろう。今回の対談でわかったことは、ホリエモンのビジョンがわからないとか、事実を正確に伝えるジャーナリズムの精神がわかっていないというのは、ホリエモンに反感を持つ人達の詭弁であることだ。真意を無視し、言葉尻を拾って、揚げ足を取っているだけである。こういうところが見えてしまうと、ますますテレビ関係者達が信じられなくなってしまう。どうも見ていると、筑紫哲也をはじめ、メディアをリードする人達は、自分たちがオピニオンリーダーとして国民を引っぱっていくという使命感があるようだが、ホリエモンから見ると、それは奢りに他ならない。ホリエモンは、一方通行の既存メディアが度々、誤報し、メディアに登場する限られたオピニオンリーダー達が度々、ミスリードすることに問題意識を持っている。ネットとの融合により双方向性を増し、誤報を訂正し、無視された情報を補い、ブロッガーなど、より多くのご意見番を通して、バランスのとれた世論形成がなされるべきだと主張している。それに対して、筑紫哲也は、「ミスが生じるのはしかたがない」といった言い訳しかできず、ホリエモンのビジョンにまったく反論できなかった。昨日の番組を見ると、ホリエモンにビジョンがないと批判する有名人達の実態は、ホリエモンのビジョンを理解する力がないということだったのか?と思ってしまう。やはり、既存メディアの時代錯誤、努力不足については否めない事実であろう。
2005.03.09
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就職活動の季節が近づいてきたので、今日は、僕の経験を通してコンサルティング会社の仕事について書いてみたい。 僕は長年コンサルティング会社に勤めている。いわゆるコンサルタントである。 このコンサルタントという仕事、古い世代や、余り関わりのない業界の人から見ると、得体の知れない、胡散臭いイメージがあるかもしれない。一方、若い世代やIT・デジタル系の人から見ると憧れの職種だったりする。しかし、コンサルティング業界も、一時期大量採用していたせいか、昔に比べ、一般化しており、僕の会社のような1000人を超える規模のコンサルティング会社の場合、新卒の普通の就職先として選ばれているようである。 新人を見ても、昔に比べ、良く言えば”まとも”、悪く言えば”平凡”な人が多くなったように思う。(昔は実力は別にして自意識過剰のコンサルタントが多かったからなぁ。) これは戦略や人事など専門分野に特化した小規模なコンサルティング会社とは事情が違うだろう。 コンサルタントといっても会社や仕事や待遇が様々なので、就職先として、コンサルティング会社を考えている人は、よく注意した方が良い。 中小のコンサルティング会社は、財務的に余裕はないので、おそらく即戦力の人しか採用しないだろうし、即戦力でなければ会社にいることができないだろう。コンサルティング会社にとっての即戦力とは、クライアントから、お金を出す価値ありと評価される人。 僕の会社のように大手コンサルティング会社の場合、プロジェクトの規模が大きく、また、幅広いサービスを行っているので、即戦力でなくても、将来性が評価されれば採用するし、入社してすぐに、やる仕事も沢山ある。だからコンサルタント志望の人にとっては比較的、敷居が低いのではないかと思う。 しかし、ここで注意しなければならないのは、やる仕事が沢山あると言っても、自分が思い描いている仕事ができるということではないこと。正直言って地道な仕事や雑用が多い。 大手コンサルティング会社の場合、規模拡大(売上、利益、コンサルタント数)を目指すことがミッションになっており、また、クライアントの殆どは大企業なので、大勢のコンサルタントがプロジェクトチームを作って組織的にクライアントサービスを行う場合が多い。 ひとりのスーパーコンサルタントがあらゆる問題を解決するようなイメージを持っていると大間違い。また、自分が、そのようなことができると思うことも勘違い。 新人や経験の少ない人は、パブリックデータの収集、報告書の体裁修正、議事録作成、スケジュール調整など雑用が多くなる。 IT系の大手コンサルティング会社はコンサルティングだけでなくシステム開発まで行うので、詳細設計やプログラミングばかりやらされる場合も多いと思う。 こういう経験を何年も積んで、本当の意味でコンサルタントとして認められるようになるのはマネージャーになってからであろう。早い人でも7~8年はかかる道程である。中には5年程で頭角を表す人もいるが稀である。 僕の会社の場合、大手コンサルティング会社の中でも、比較的、離職率が低いらしいが、それでもマネージャーまでたどり着く人は半分以下ではないか?その間に、どんどん辞めていく。それはクビになるのではなくて、自分が思い描いていたコンサルティングの仕事ができないからとか、評価が低くてボーナスが少ないとか、個人的な理由が殆どだろう。 しかし、僕に言わせればマネージャーになるまで我慢して頑張らないと大手コンサルティング会社に入った意味がない。コンサルティング会社の顔としてクライアントと真正面で議論し、意思決定にかかわれるので仕事が格段に面白くなる。また、マネージャーとして業務を成し遂げた経験があってはじめてプロと言えると思うし、プロジェクトの採算まで管理して、はじめてビジネスマンとしても評価できると思う。しかし、マネージャーになると更に立場は厳しくなる。売上の少ないマネージャー程、惨めなものはない。 大手コンサルティング会社の場合、ブランド力があるから実力がなくても仕事が入ってくると思ったら大間違い。 大手コンサルティング会社の場合、チャージレート(時間単価)が高い。チャージレートとは、コンサルタントひとりが、単位時間あたりに請求する報酬額のこと。コンサルタントのランクが上がる度に、チャージレートも高くなっていく。このチャージレートがコンサルティング会社の収益性を表す指標であり、会社として一定の基準を満たさないレートで仕事をすることは許されない。中小のコンサルティング会社に比べ、教育や広告やバックオフィスの維持費は莫大であるから、それを大きく上回る儲けを出すことが求められる。マネージャーの場合、自分ひとりでもチャージレートが高く、クライアントに納得してもらうのが大変なのに、自分だけでなくプロジェクトチーム全体の売上が目標として設定され、その結果が評価に影響するから大変である。駄目部下がいても言い訳はできない。駄目部下の分は、自分の顔、信用や、チーム全体での付加価値で補わなければならない。 チャージレートが高いから、ちょっとしたプロジェクトを数カ月やるだけで報酬は数千万円の見積もりになる。 規制のない業界なので、当然、競合他社と競い、提案内容、価格面で勝らなければ仕事は獲得できない。 クライアントが有名な大企業であれば、競合他社も、世界のトップレベルのコンサルティング会社が名乗りを上げる。 こういう条件で仕事を獲得しなければならない。 また、既存契約の仕事をしながら、新たな案件を開拓し、仕事が途切れ、稼働率が下がらないよう営業面の努力が必要である。 こういうことができないマネージャーは惨めな評価になり僅かなボーナスしか貰えず、どんどん辞めて行く。「君、向いてないんじゃないの?」と肩をたたかれる人は少ないが、そういう雰囲気が漂っているのだろう。 こういう仕事を何年もこなし、マネージャーとして大活躍した人は執行役員(僕の会社ではパートナーと呼ぶ)になれる。これがコンサルティング会社の出世のゴールだ。執行役員まで残る人は、おそらく1割に満たないだろう。 (僕の会社の場合、マネージャーの上にシニアマネージャーというクラスがあり、パートナー候補という位置付け。僕は今、このクラス) 執行役員は、役員報酬を貰うわけだから、その金額は業績次第。(もちろん、ピンキリ)契約期間は2年。 コンサルティング会社は、年功序列ではなく、成果主義なので、早ければ30代半ばで執行役員になれる。しかし、執行役員になると、結果を残さなければ契約は更新できない。つまり簡単にクビになってしまう。30代でリストラは厳しい! 特に戦略系のコンサルタントは、早く出世して早く去って行く人が多い。戦略系の仕事は小規模、短期間のプロジェクトが多いので、クライアントの心をしっかり、つかまえておかないと仕事が続かず、社内失業しやすい。 従って、大手コンサルティング会社に入社しても、コンサルタントとして長続きすることは正直言って難しい。(特に戦略系コンサルタントは)あまり安易な志は持たない方が良いかもしれない。 しかし、活躍している人もいることは事実だし、仕事自体は楽しい!では、どうやれば大手コンサルティング会社で活躍できるか、生き残っていけるかについて次回の日記で書きたい。 つづく
2005.03.08
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今日は、2月21日に発売された日経コンピュータの記事崩壊するアウトソーシング「他人任せ」に未来はないについてお話したい。この記事、正直言って、かなり過激な内容である。内容を要約すると、IBMがシステムのアウト-シングを行っているJPモルガン、神戸製鋼所、日産自動車など大企業が、数年経って、期待程のコスト削減効果があらわれていないことに大変、不満を持っている。システムの開発・保守・運用を丸投げしており、費用の内訳をIBMが明らかにせず、不満が貯まっている。JPモルガンに至っては、アウトソーシング契約を解消し、インソーシング(自前主義)に完全回帰する方針といった内容。驚いたのは、クライアント企業のIT企画責任者が自分の名前をハッキリあらわにして「IBMとはまったくかみ合わない。」といった批判的なコメントを記事に載せている点である。その会社は、まだIBMと契約を解消していないので、日頃、顔をあわせて仕事をしているはずだから、「ハッキリとよく言えるなぁ。かなり気まずい雰囲気でいっしょに仕事しているんだろうなぁ?」と想像してしまう。この問題、僕の以前の日記(2月14日)でも取り上げた問題と同じである。サービスをビジネスとして確立するためには(その2)IBMお得意の「ソリューションビジネス」の失敗例である。ただし、この記事は、少し冷静に見た方が良いと思う。(この記事に限らないが)このところ僕が批判しているメディアの問題が、この記事にあらわれている。メディアというものは視聴者や読者を増やすためインパクトのある見出しにしがちだし、内容も何かひとつの対象に問題を集中させる傾向がある。ひとつの文章が同じ事実を表していても、言い方によって随分印象が変わるものである。この記事を読むと明らかにIBMなどのITベンダーに問題があるような書き方だから、これを読んだ読者は、ITベンダーは駄目だ!、アウトソーシングは駄目だ!なんて単純な判断をする人も多いだろう。(事実を冷静に分析できるように論理力を鍛えましょう!→ 2月26日の日記)僕の2月14日の日記を読んでもらうとわかると思うが、これはIBMとクライアントの、お互い様の問題であり、どっちが一方的に悪いということではない。GIVE&TAKEが成り立たなくなった一例ということに過ぎない。そもそもアウトソーシングとは、自社の強みではなくなった業務を外部業者に委託することなのだが、この記事を読むと、強みでなければならない部分もアウトソーシングして、失敗したという事例である。「わが社の本業は×××であり、ITを売って儲けている会社ではない」と言う考え方は間違っている。その本業を支えるITを丸投げしては本業がガタガタになる危険性がある。少なくともIT戦略やシステム構築・導入のプロジェクト管理は、ユーザー企業が主体となって行うべきだし、そのために必要な人材を確保しておく必要がある。もし、そういう人材を確保できないのであれば、少なくともアウトソーシング業者とは無関係なコンサルティング会社のアドバイスを受けるべきである。システム部門を分社化しITベンダーに売却するまでは良いかもしれないが、ユーザー企業の中で、成功への強い思い入れを持った優秀なリーダークラスまでITベンダーに売ってしまっては、うまくいくわけがない。一体誰が責任を持ってシステムを守っていくの?と聞きたくなる。また、ITベンダーをひとつに絞ってしまっては、競争心がなくなり怠慢になることは明らかだ。これでは規制産業で胡座をかいでいる企業と変わりない。案件毎に必ず他のITベンダーと競争させるべきだ。どうも、上場して歴史の長い大企業は、経営者が、お役人かサラリーマン化する傾向があるように思う。任期は数年、この間、無事務めたら多額の退職金を貰ってオサラバ。企業の長期的なビジョンやCSRなんて形だけ。こんなところが見え見えだと中間管理職のモチベーションも下がる。何でもかんでもアウトソーシングして、誰もその会社のために責任を持とうとしない。そういう会社は結構あるんじゃないかなぁ~ホリエモンが狙っている会社はどうだろうか?長い間、コンサルティングをしていると、?だと思う会社に出会うことがある。我々は戦略を提案しているはずなのだが、我々の戦略の背景にあるビジョンが消極的過ぎるので、もっと積極的なビジョンを示して欲しいというのである。クライアントの要望が戦略策定だったので、クライアントのビジョンに基づき戦略を提案したはずだ。そのビジョンが消極的であっても、そのビジョンを確実に実現するための戦略を策定すべきなのだが...どうしてか尋ねると、その会社の場合、経営者が当り障りのない不明瞭なミッションやビジョンばかりを口にするので、従業員が何を目指すべきかわからず困っていて、コンサルティング会社に提案してほしいということである。確かに、ミッションやビジョンの作り方をコンサルティングする会社もあるが、中身まで考えろということになると、しまいには「我が社の存在理由まで教えてくれ」(私って誰?)ということにならないか疑問である。やはり、その会社は規制で守られ平和ボケした大企業だった。日本の将来のため、こういう寂しい会社が少しでも減ってほしいと願う。
2005.03.07
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トヨタカップが大きく変わる。「クラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005」以前は欧州と南米のクラブチャンピオンチームが世界一を目指し激突していたが、今年からは、アジア、アフリカ、オセアニア、北中米のチャンピオンチームも加わり、真の世界チャンピオンを決める大会となる。しかも、今年も引き続き日本で試合が行なわれる!僕はJリーグが始まる前に何度か国立競技場にトヨタカップを見に行ったことがあるが、その頃は、日本やアジアのサッカーのレベルは非常に低かったので、欧州と南米という限られらた地域間で世界一を決めることに何の疑いもなかったし、それよりも、むしろ日本で世界一決定戦を見れることが幸せだと感じていた。何故、世界一を決める試合をサッカー後進国であった日本で行なうことになったかというと、欧州または南米でやると熱狂的なサポーターが暴動を起こす可能性があるので、サッカー熱の低い日本だったら落ち着いて試合ができるという理由だったらしい。僕は、トヨタカップを見るまで、日本リーグ(Jリーグの前身)のヤンマー対フジタの試合しか見たことがなかったから、その雰囲気とレベルの高いプレーに、これが世界のサッカーか!と感動したものである。そのトヨタカップにJリーグのチームも参加するチャンスが出てきたとは、古いサッカーファンにとっては夢のような話である。我が浦和レッズも出場するチャンスがあると思うとワクワクする。選手も燃えないわけが無い!やはり競争が存在する世界は進歩し発展する。これは真理だ。プロ野球と違い、Jリーグは、弱ければ生き残っていけないし、強ければ世界一になるチャンスがある。サッカー選手には、ナショナルチームとクラブチームの両方で世界一になるチャンスがあるし、一方、負ければ本大会に出られず惨めな思いをする。選手もサポーターも希望と危機感を併せて持ち、選手は真剣に練習し、サポーターは真剣に応援する。こういう環境を作ってこそ、人は燃え、自分の可能性に挑戦し、感動を味わうことができるのである。日本一の人気チームである浦和レッズがJリーグから脱落したとき、僕を含めサポーター達は本当に悔しい思いをしたが、当時から世界レベルの選手であった小野が、海外行きの気持ちを抑え、Jリーグ復帰を誓い、そして見事、復帰に導き、そしてサポーターに別れを告げ、オランダへ旅立っていった。小野って本当に良いやつだと思った。メキシコオリンピック銅メダルの栄光から長らく低迷していた日本のサッカー界の中で、岡野さんや川渕さんなど指導者達は志を貫き、本当によく頑張ったと思う。そして、今回の「クラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005」については、本当にありがとうと言いたい。プロ野球も、ライブドアの参入問題がきっかけになり、顧客(ファン)を無視し自分達のことしか考えていないナベツネや堤義明容疑者の呪縛がやっと解けてきた。ソフトバンクの孫さんや楽天の三木谷さんがどこまでやってくれるか期待したい。次なる改革は、最後の聖域、テレビ業界か!?僕は長年、いろいろな会社の仕事を手伝っているが、規制に守られた業界と、自由競争が行なわれている業界では、企業文化やクライアントの性格が大違いであることを強く感じる。自由競争が行なわれている業界は、付き合っていて気持ちが良い。フェアだし、物事を前向きに考える。厳しさもあるが、それは我々取引先にとってもレベルアップに繋がる。規制に守られた業界は、問題から逃げ、先延ばしする。我々取引先に甘え、傲慢な態度をとる。もともと性格の良い人も、長年そういう環境にいると性格が歪んでいくのだろうか?こういう人は本当に残念である。お父さん、お母さんがせっかく大事に育ててくれたのに...僕も自分のビジネスが確立するまでは、嫌なクライアントでも我慢してきたが、ようやく自分で仕事を開拓し、自分でクライアントを選べる状況になってきた。これからは、付き合っていて気持ちが良い企業を優先して支援していきたい。しかし、社会保険庁やテレビ業界の改革の仕事だったら、心を鬼にして頑張るかもしれないが...
2005.03.05
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もし、ある人が、メディア業界共通の問題を取り上げ、改革のために動き出そうとしたらメディアは、それをどのように扱うだろうか?その問題は、あらゆるメディアから無視されるか、各社が結託して、問題提起した人を徹底的に潰そうするのではないか?フジテレビがライブドアの堀江氏が出演した番組の放送を中止し、出入り禁止したことや、夕刊フジの堀江バッシングを考えると、こういうこともありえるのではないかと心配になってきた。今回のライブドアvsフジテレビ問題は、フジサンケイグループだけの問題なので、他のメディアがそのことを客観的に報道すれば良いが、もしメディア業界全体におよぶ問題になれば、各社とも抵抗し、結託して、その反逆者を抹殺することもありうる。メディアも株式会社である以上、株主が支持すれば、それが可能だということである。(法律に詳しい人がいたらご意見をお願い致します!)実際に、日本の株主は、おとなしいので、株主までいかなくても、こういうことを行うのは簡単だろう。読売グループのナベツネなど、各グループの実質的な首領数名が集まって意見交換すれば簡単に決まる。つまり、日本はメディア業界の数名の首領によって世論をコントロールすることが可能だということだ。幸いにして今はインターネットがある。しかし、将来、ネット業界も含めてメディアが再編されることになれば、どうなるだろうか?批判的なブログは削除されるのか?そのときは政治が動かなければならないだろう。メディアは非常に社会的影響力が大きいから、株主や一部の経営者の考えだけで動いてはならないだろう。経営者を犬、株主を飼い主に例えると、犬が公道でウンチをすれば、飼い主は、ちゃんと始末しなければならない。これが企業の社会的責任というものである。特にメディアは、公共性について、一般の企業よりずっと高いレベルを求められるはずである。フジテレビの日枝会長は、今回のライブドアの買収問題について、公共性の問題を強調しているが、実際に、フジサンケイグループがやっていることはどうなのか?矛盾はないのか?堀江氏を以前と同様に扱うことが公共性というものではないか?考えてもらいたい。土曜日の朝、TBSの、みのもんたの報道番組(番組名何だっけ?)では、社会保険庁のお金の無駄遣いを徹底的にバッシングしていて、僕も興味深く見ているのであるが、そういうテレビ業界はどうなんだろうか?テレビ業界のように規制で守られていて、平均給与が上場企業の部長並というのは、いかがなものか?(フジテレビの平均年収は1500万円を超える。他のテレビ局も同水準)社会保険庁のような悪いことをしていないのか?もし経営者も関わる組織ぐるみの問題があっても、その系列のメディアでは問題として扱わない。せいぜい、里谷多絵の淫行など個人のバッシングで留まる。本当に、これで良いの?と考えてしまう。現状、メディアの社会的影響力は非常に大きいので、国民が、メディアの行動をしっかり監視できる仕組みが必要ではないかと思う。メディアからの一方通行の世論誘導を無くすためにITを活用できないか?例えば、ITを使って、番組放送中に、視聴者が、その番組の評価をリアルタイムに行い、結果をリアルタイムに見ることができたり、クレームも含めて、その番組の個々の評価コメントを検索できたりすると良いかもしれない。まぁ、これはライブドアが参入しない限り、無理だろう。競争のない業界で、自分たちの首を絞めるようなことはありえない。それにしてもホリエモン。強大な力を持つフジテレビジョンに挑戦しているのだから凄い。性格はわからないが、その勇気だけは男として賞賛したい。
2005.03.04
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民放は関東の場合、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の5局。何十年も前から変わりない。それは法律で定まっていて、誰も参入できないから。 生まれたときから、この状態であれば、空気や水のように当たり前だと思ってしまい何も疑わない。 北朝鮮の国民が金正日を支持し、日本が悪い国と信じるのと同じだ。 この数十年の間に、テレビそのものは高画質、薄型、大画面、デジタル対応と進歩しているのに、肝心のソフト(番組)の 進歩はあったのだろうか? 数十年前のドラマをリバイバルさせたりすると、そっちの方が面白かったりするのだが... 僕は、民放テレビが面白くないので、ケーブルテレビに期待して、昨年加入した。何十局もあるので、何か面白い番組があるのではないかと期待して、月5000円近くも払って見ているのであるが、また 見ようと思う番組は、本当に限られている。 できればビデオオンデマンドで見たい番組だけお金を出して見たい。つまらない番組のために5000円も出したくない! しかし、現状、ビデオオンデマンドで見られる番組は本当に限られている。これでは形だけ顧客(視聴者)ニーズに合わせただけで本気ではないことが明らかにわかる。 この状況は昔の銀行や通信のサービスとよく似ている。結局、規制された産業は、銀行や通信と同様に外圧でしか変わらないだろう。 5年ほど前、中国に出張したとき、ショックだったのは、建設中の深浅の大規模団地では、全部屋に、ケーブルテレビがつながり、インターネットとビデオオンデマンドのサービスを受けられると聞いたこと。また、上海のタクシーにADSLの広告が張られていたこともショックだった。当時、日本ではADSLなどまったく普及していないのに中国の都市部ではブロードバンドは当たり前になっていたのだ。僕は、中国に何故ODAが必要なのか疑うと共に、規制に守られた日本の産業がいかに遅れているか強い問題意識を持った。その後、日本では、孫正義がYahoo!BBを始め、ブロードバンドが一気に普及した。もし、孫正義が参入して、この新規事業を行わなければ、日本のブロードバンドの普及は2~3年遅れていたかもしれない。僕は、Yahoo!BBが始まったとき、まっさきに申し込みを行ったが、申し込みが殺到したため、半年経っても契約できず、腹を立てたし、あの店頭でのYahoo!の販売方法はうんざりしたが、孫正義がやったことは大いに評価すべきだと思っている。それは孫正義の人柄がどうかとか、ビジョンがどうかとか、経営戦略がどうかとかとは、まったく関係ない。社会に対して良い結果をもたらしたことについて評価しているのである。今回のライブドア堀江社長の行為を、国民はどう見ているのだろうか?傍観者としてメデイアの報道につられて感情的に考えていないか?この問題は、我々国民、市民の生活に返ってくる問題だと思う。他人事ではなく、どっちの方が社会の発展のために良いか、考えなければならないと思う。そもそも経済とは社会を良くするための仕組みである。資本主義のルールの上で、自由に競争し、勝ち負けを争い、その結果が、豊かな社会作り上げていく。国民、市民は豊かな社会を築くため、消費者、顧客として購買活動を通し、障害となる企業の活動にNoと言わなければならない。また、企業が株主や従業員や一部の顧客のことばかり重視して、社会に対して悪影響を与えるならば、選挙を通して政治により守っていかなければならないだろう。だから他人事のように世論を作り上げてはいけないと思う。青色発光ダイオード訴訟の中村教授の報酬200億円が高いか安いかという議論でも感じたのだが、これが一体、企業経営や給与の制度に、どう影響するか?を抜きにして、「個人の権利をもっと尊重すべきだ!」という意見が多かったように思う。もし、これが成り立てば、給与格差がもっと開き、天才を除く、殆どの人にとってメリットがないことは明らかだ。(このときも大方のテレビ番組では中村教授を支持する内容が多かったように思う。)もう少し、国民は、自分や社会にどう影響があるのかを冷静に考えて経済や社会の問題を考えるべきではないか?勿論、どういう社会のあり方が良いかは、ひとりひとりの価値観によるものだから、他人が、どうこういう話ではないが...
2005.03.03
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今日は、久々にセミナーを行った。全国から大企業の経理・財務部門の部長、課長クラスが20名余り集まった。ひとり4万5千円の有償セミナーだから、まぁまぁの入りだった。仕事は、これで終わった訳ではない。これが始まりだ。見込客をつかまなければならない。無料セミナーは暇な人達が集まるだけで時間の無駄。テーマを絞った有償セミナーを企画し、お金を払ってでも参加する真剣な企業にターゲットを絞る。セミナーではターゲット企業の課題を鋭く突き、その解決策の触りを話し、ヒントを与える。話が終わったら質問を受け、ターゲット企業の真の課題は何かを掴む。セミナーが、すべて終了したら、参加者が挨拶や質問にやってくる。名刺交換をし、質問に答え、逆に質問の意図を確認する。もっと詳しく知りたい参加者は、セミナー資料記載の僕のメールアドレスに問い合わせてくる。セミナーの内容の善し悪しによって、その反応も大きく変わる。セミナーは、コンサルティング会社にとって新規顧客獲得のための重要な手段。今回は、僕の会社と未だ取引のないグローバル企業が数社参加し、名刺交換することができたし、質問の応答を通して新たなコンサルティングのテーマとすべき企業の課題を発見することができたので大変収穫があった。僕の会社は営業という職種はなく、コンサルタント職の役員や管理職が業務を開拓しなければならない。(本当に大変!)僕の場合、既存クライアントの仕事(数社)を7割程度の時間でこなし、残りの3割を営業活動(業務開拓)に当てる。セミナーも業務開拓の一環。この3割の時間を有効に使わないと、仕事が途切れ、僕をはじめ部下の稼働率が下がり、収益が悪化する。実を言うと、僕の仕事は、既存クライアントからのリピートが殆ど。このようなセミナーのヒット率は、そんなに高くない。セミナーをやれば問い合わせが増え、対応の負荷が高まるが、互いに良い契約ができるまで発展することは、そんなに多くない。セミナーはパートナー探しのお見合いのようなものである。仕事を獲得したとしても、数百万程度で終わってしまう場合もあれば、数億の仕事に発展する場合もある。数億円の仕事になれば、それは、まざに運命の出会いだ。今回は、運命の出会いがあるだろうか?僕の会社の場合、セミナー講師を引き受けることは、有効なマーケティング活動ということで、開催者からの謝礼金は個人の懐に入れて良い。今日も現金を貰った!以前は、かみさんに内緒で部下と飲みにいったものだが、確定申告のとき、見つかって以来、自由にならなくなった。部下も増えたし..きりがない。今回は家族旅行でも行こうか?
2005.03.02
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「ライブドア vs フジテレビ」問題について、僕は、どちらかというと「ライブドア派」である。この理由は、 (1)資本主義のルール(現行法)上、ライブドアはセーフだけど、フジテレビジョンはアウトだということ (2)既得権を牛耳るメディア業界の首領達の傲慢な態度と偽善 (3)メデイア業界全体の改革が、顧客(視聴者、読者)にとってメリットがあることである。僕は前からテレビ業界について不満があった。たまに病気で会社を休んで寝ながらテレビをずっと見ているときがあるが、チャンネルを切り替えるとワイドショー、ニュースの内容が他局と調整しているのではないかと疑うほど、同じタイミングに同じテーマを取り上げることが多い。この横並び加減は、護送船団時代の銀行以上ではないかと思う。健康ブームの中、血液型ダイエットをいろいろな局が取り上げていたが、そのまま素直に受け入れると健康を害するのではないかと疑うような内容があったし、血液型による性格診断に関しては、差別的な内容があった。占いや超能力についても同じ。社会や政治の問題については国民を雰囲気で都合よく誘導するような意図が感じられる。この手の問題は、今まで数え切れないほど批判され続けているだろうが、規制で守られた業界だから、倒産するリスクもなく、アナウンサーが「反省します」と言えば済んでしまう。何の危機感も存在しない。貧乏父さんの企業別年収ランキングによるとランキング1位は、フジテレビで、平均年齢39.8才で年収1,529万円。その他、 3位 朝日放送 1,485万円 4位 日本テレビ 1,481万円 5位 TBS 1,429万円 9位 テレビ朝日 1,357万円 19位 ニッポン放送 1,164万円である。これはメディア業界だけのランキングではない。全業種のランキングである。業界全体が横並びで、こんなに良い待遇であれば、フジテレビの従業員も、わが身を守るため、ライブドアの買収劇に反対するだろうし、他局の従業員も内心は同じだろう。銀行業界は、金融ビッグバンにより、競争にさらされ、合併、破綻により多くの従業員がリストラに遭った。殆どの銀行員は、わが身のことを考え、金融ビッグバンに賛成しなかっただろう。通信業界も同様。しかし、国民はこれらの規制緩和に反対しただろうか?顧客サービスのレベルアップには必要だと多くの人が考えたはずだ。それなのに何故、メディアだけは、会社も従業員も、ぬるま湯につかっていても良いと考えるのだろうか? 僕は、ナベツネに始まり、NHK海老沢元会長、そしてフジテレビジョンの日枝会長の傲慢な態度を見ていると、メディア業界は、株主や顧客(視聴者)の利益ではなく、自分達(従業員も含め)の利益しか考えていないのではないか?と疑ってしまう。確かにライブドアのやり方は、合法とは言え、社会の道徳上、問題があると思う。しかし、フジテレビ側も、目には目をで、明らかに自分達を守るためだけの理由で、安定株主にリスクを背負わせる第三者割り当て増資を行おうとしている訳だから、どっちが汚いとは言えなくなってきている。(法的にはライブドアは○でフジテレビは×だと思う)だったら、ライブドアの経営戦略が、どうこうではなくて、この閉鎖的なメデイア業界に風穴を開けることだけでも意義があるのではないか?というのが僕の考えである。
2005.03.01
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ライブドアの堀江社長は、政財官やメディア業界からバッシングに遭っているようだ。まぁ、メディア業界からのバッシングは当たり前だろう。既得権益を維持したい経営トップの考えがメディアに表れるのは当然。フジサンケイグループが改革されることになれば、他社も変わらざるを得ない。それでは胡坐をかいていた他社の経営陣も困るだろう。政財官からのバッシングも、権力を握っているお年寄りから見たら、礼儀作法の知らない成金の若者の挑戦は不愉快に感じるだろうし、脅威だろう。それにしても森元首相の発言は相変わらず笑ってしまう。”お金で何でも片付けるのは、日本の教育の成果か?”なんて発言をしていたけど、この人こそ、お金に関して悪い噂しか聞いたことがないのだが...文部大臣を務め、首相になってIT(イット)改革をやった自分が堀江社長を生んでしまったと自分自身に怒っているのだろうか?(くだらないので、これで止めておこう)さて、どうも、この政・財・官・メディア業界のバッシングと世論には大きなズレがあるようだ。若手経済人57%がライブドア支持=JC調査 (Yahoo! News)BIGLOBEニュースのアンケートこの結果を見ると、以下のとおり、意見が真っ二つに分かれているように思う。 (a)権力の座に居座る人と恩恵を受けてきた人 (b)権力の座を狙っている人、奪えず負けた人、まだ権力に届かない人(関係のない人)BIGLOBEニュースのアンケートを見ると、全体的に若い世代はライブドア派、古い世代はフジテレビ派だが、40代にフジテレビ派が多く、50代にライブドア派が多い結果になったところが面白い。50代は学生運動の世代だから?それともリストラの恨み?僕自身は、どちらかというとライブドア派かな?堀江社長の哲学は、よくわからないが、こういう人が出てこないと、閉鎖的な業界は、まったく進歩せず、顧客(視聴者)にとって不利益だと思う。既得権を握った一部の人だけが努力もせず甘い汁を吸い続けるよりは、ずっとマシだ。堀江社長も村上ファンドの村上さんも、自分だけのために金儲けをしているわけではなく、投資家の期待に応えなくてはならないのだから、責任をまっとうしようと必死だろう。それを単純に私利私欲のような言い方をして大衆に同調を求めようとする政治家や財界人の方が、ずっと、胡散臭く見える。フジテレビの日枝久会長も、毎日、テレビのインタビューに答えて、ご苦労だと思うけど、話のレベルが低すぎる。”金があればなにをしてもいいというわけではなかろう””社員は堀江社長を嫌っている””礼儀がなっていない”これが大メディアのトップの発言だろうか?これでは、そこらへんのオヤジと変わりない。自分の経営哲学が何なのか?何が堀江社長と合わないのか?自分の経営戦略が何なのか?何が堀江社長と異なるのか?何故、堀江社長に変わると企業価値が低下するのか?これらの問いに明確に答えられなければ、第三者割り当てによる新株予約権を発行する理由は私利私欲としか言えないのではないか?曖昧な精神論で、ごまかすのは止めてもらいたい。
2005.02.27
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平成21年から裁判員制度による裁判がスタートするらしい。裁判員になったらこうなる(弁護士 久保内統 の 法律知識箱)【楽天ブックス】裁判員制度裁判員は20歳以上の全国民からなる選挙人名簿から無作為抽出される。日本国籍を持っている成人は誰でも裁判員に選ばれる可能性がある。学歴、収入、定職、性別、年齢(但し20歳以上)などは全く関係なく裁判員は「くじ引き」で選ばれるという。ある日突然、自分が裁判員に選ばれ、人を裁くことになったら...僕は、自分の部下の評価をするだけで、神経を使い、疲れ果ててしまうので、人を裁くなんて想像するだけで気が重くなる。また、一般的に、論理的というより感情的な日本人が、雰囲気に流れれず、公平な判断ができるのかどうかも、ちょっと心配。刑の重さに関する判断は主観が入ってしまうと思うが、少なくとも事実はひとつしか存在しないわけだから、詭弁に惑わされず事実に基いて論理的に判断しなければならない。決まったことだから、悩んでいてもしょうがない。日本人は、論理力を身に付けなければならない!しかし、大人になってから論理力をどうすれば鍛えられるのだろうか?今更、アカデミックな論理学の本なんて読む気はしないし、ロジカルシンキングの本が沢山売られているが、どうもビジネスよりの内容で退屈。そういう人には、この本が良いかもしれない。頭がよくなる論理パズル ( 著者: 逢沢明 | 出版社: PHP研究所 )論理パズルとは、要は、論理力を試すクイズ。例えば、【問題】3人の美女がいます。実は、「天使」「悪魔」「人間」が一人ずつです。 「天使」は、本当のことを言います。 「悪魔」は、常に嘘をつきます。 「人間」は、本当か嘘か、時によって使い分けます。では、 黒髪の女 「私は天使じゃありません」 茶髪の女 「私は人間じゃありません」 金髪の女 「私は悪魔じゃありません」いったい誰が何でしょう?この問題をすぐに解けた人の論理力は合格。解けない人は、きっと、この本で鍛えた方が良いと思う。答えは、今日の夜、コメントとして書きます。※ヒントは場合分けし表にしてみること。
2005.02.26
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うう、忙しい!このところ、仕事が忙しすぎて日記もさぼりがち。いかん、いかん。僕の場合、何故か、この時期むちゃくちゃ忙しくなる。理由はわからない。タダでさえ忙しいのに、昔、営業したが反応がなかったクライアントから急にお呼びがかかったり、同時に、既存プロジェクトでトラブルが発生したりする。急に、よろしくと言われても困るのだが、お金を沢山出してくれそうな大企業の場合、断るわけにもいかない。しかし、急に言われてもプロジェクトメンバーが集まらない!そんなときはどうするかというと、僕ひとりで、クライアントに伺って、「プロジェクト計画をいっしょにたてましょう」と言って、体制が整うまで、ああだ、こうだ議論しながらしのぐ。これもこれで休日返上で資料の準備が必要。トホホ...僕のクライアントは、企業の経理や財務部門が多いのだが、何故、決算が近づいている、この時期からプロジェクトを始めようとするのだろう?!これをクライアントに聞いても、「そうですねぇ。おっしゃるとおりです」と答えるだけ。スケジュール案を出すと、「この時期忙しくてミーティングはできない」と言う。僕の仕事(コンサルティング)のテーマのひとつが、経理部門の「業務の省力化・平準化」なのだから、笑ってしまう。今日は愚痴で終わってしまいそう。「愚痴」というカテゴリは作りたくはないのだが...誰か、良い方法があったら教えてください。さぁ、仕事に戻ろう。
2005.02.25
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皇太子さまは、今日(誕生日)の記者会見で、ドロシー・ロー・ノルトの『子供』という詩を引用して子育ての考え方について述べられていた。ドロシー・ロー・ノルトが書いた子どもが育つ魔法の言葉という本は、うちのかみさんの子育ての教科書になっている。子育ては難しい。子供の育て方は、親自身のコンプレックスに影響されることが多いので注意が必要だ。押し付けになっていないか、親自身、客観的に自分をチェックする必要がある。そんなとき、この本がお勧め。『子供』という詩は、子どもが育つ魔法の言葉の目次と、ほぼ一致する。けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる広い心で接すれば、キレる子にはならない誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つやさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだとおもえるようになる PHP研究所 : ドロシー・ロー・ノルト著 : 子どもが育つ魔法の言葉これは、まず、親が実践しなければならないことだが、できれば学校の先生にも実践してもらいたい。今、学力の低下、ゆとり教育が問題になっているが、授業の形式よりも、こういうことが一番大事ではないだろうか?しかし、うちの場合、恵まれているのか、息子の幼稚園の若い先生達は皆、本当に熱心にやってくれているように思う。今の先生はけしからん!という人が多いけど、僕の子供の頃の先生は、偏見を持っていたり、とにかく叱ってばかりいたり、結構偏った人が多かったように思う。今の先生の方がバランス感覚を持った人が多いかもしれない?意見がわかれるところだろうが、まあ、あまり偏見を持たずに、子供の成長のため親と教師が協力していくのが一番。もうすぐ、息子も小学生になるけど、良い先生に巡り合うことを期待したいし、良い関係を築きたい。■〈PHP文庫〉 子どもが育つ魔法の言葉
2005.02.23
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今日は、久々に自分の書斎(かみさんは納戸と読んでいる)の整理をしている。孫子関連の本もバラバラになっているので一箇所にまとめよう。それにしても孫子だけで、いろんな本を買ったものだなぁ。これは自分が孫子を、まだまだマスターしていないということか?確かにそうかもしれない。孫子は6000字余りの短文である。その中に人生成功のための知恵が詰まっている。孫子は奥が深い。この短文を覚えたからといって、すぐに使いこなせるわけではない。孫子を役立てるには、孫子を活用した事例を多く学び、いつでも、どのような場面でも、孫子に当てはめて思考する習慣を身に付けておく必要がある。人生経験の豊富な人は、孫子を自分の過去の成功・失敗体験に当てはめ、すぐに、なるほど!と思うかもしれない。しかし、ひとりの人間が経験できることは限られているし、人生経験の浅い若い人は、できれば失敗する前に心得を知っておきたいだろう。そう、この世の中には、孫子でタブーとされていることを平気でやってしまい、失敗する人が余りにも多い。そんな様子を見ると、孫子を早く学んでおけば、失敗しなくて済んだのに...と思う。ゆとり教育を見直すなら、孫子を取り入れ、若いうちから学べと言いたい!?そういう僕も孫子を読んだのは社会人になってから。早く孫子に巡り合っていれば、もっと成功したのにと後悔している。だから、今でも、いろいろな孫子の本を買って読んでしまう。孫子が現代においても多くの人たちから支持される理由は、人間関係において心理の攻防を制することに威力を発揮するからだろう。また、孫子は、相手を侵略するということではなく、相手をリードし、優位なポジションを確保し、生き残る(共存する)ということを主眼においている点が現代の様々な状況に当てはめやすいからだろう。孫子の応用範囲は、ビジネスにおいては、経営戦略、営業戦略、マネージメント、各種交渉事...プライベートにおいても親戚・親子・夫婦・友人・学校などの人間関係、生活設計、資産の運用...など、とにかく幅広く活用できる。今日は、本の整理のついでに、僕が読んだ孫子関連の本を数冊紹介しよう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■歴史や戦争ものが好きな人にお勧め■「孫子の兵法」がわかる本(守屋洋 著)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■孫子といえば、中国文学の第一人者 守屋洋が権威と言って良いだろう。この人は歴史家で、大昔の戦争を英雄達はどう戦ったか?を中心に孫子を解説しているので、歴史や戦争ものが好きな人だったら、興味深く読めるが、こういうものに興味のない人にとっては、ちょっと、しんどいかもしれない。『三国志』の英雄、曹操・諸葛孔明、武田信玄、皇帝ナポレオン孫子を学びたいと考えていて、かつ、こういう人物に興味がある人は、この本をお薦めする。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■手っ取り早く孫子を学びたい人にお勧め■孫子の兵法(著者 福田晃市)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■戦争は興味はないが、孫子のエッセンスを手っ取り早く学びたい人は、この本がお薦め。右ページが孫子のフレーズ、左ページが、訳、解説、中国史のエピソードといった構成。訳が現代にマッチしていて、とてもわかりやすい。例えば、右ページ 「佚(いつ)にしてこれを労し、親(しん)にしてこれを離す。」左ページ 直訳 「元気なら、疲れさせる。仲良しなら、仲たがいさせる」 現代向けの訳 「敵が強いなら、まず、弱める努力をせよ。」 解説「どんな難問でもバラして弱めれば、容易く各個に解決できるもの。」この本は小さく持ち運びに便利。簡潔に書いてあるので、孫子のチェックリストにもなる。ちょっと不満を言えば、どうせ、こんなにわかりやすい本を出すなら、中国史のエピソードよりも、ビジネス上の事例を載せたら良かったのでは?(これは意見がわかれるところであろう) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■経営戦略、マーケティングなどビジネスに孫子を役立てたい人にお勧め■孫子とビジネス戦略(守屋淳 著)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■この本を読めば、いかに成功した経営者の多くが孫子を学び、経営に役立てているかがわかるだろう。マイクロソフト、アサヒビール、ペプシコーラ、3M、こういった大企業の経営者は孫子を活用し会社を成功に導いている。特にマイクロソフトのビル・ゲイツは、現代の曹操(三国志の英雄)といえる程、孫子的な大戦略家だと思う。とにかく彼は情報を大切にする。(特に悪い情報を)そして、内省的で、自分の間違いを認め、軌道修正できる。これは、水に象って柔軟に敵や状況にあわせていくという孫子の心得そのもの。マイクロソフトはインターネットが普及する前に、すでに王者だったが、現状に甘んじることなく、インターネット革命の中、自社の商品の殆どを見事にインターネット対応させ、ネットスケープなどのライバルに、その座を譲らなかった。これはマイクロソフトのような大企業の場合、とても難しいこと。商品をインターネット対応している途中、いわゆるペーパー(蒸気)ウェアという手法で持ちこたえた。競合製品が販売されると、未完成の製品のロードマップを示し、大々的に宣伝し、ユーザーが裏切らないよう何とか待たせた。孫子には「戦いは、正(せい)をもって合(がっ)し、奇をもって勝つ」という格言があるが、これはマイクロソフトという巨人であっても、正攻法だけでなく奇道を使って生き延びたということであろう。その他、この本を読むとマイケル・E・ポーター、フィリップ・コトラーといった経営戦略やマーケティングの権威達の理論が孫子を参考にしていることがわかる。敵を競争相手に例えたら、マイケル・E・ポーターの「競争相手にやけを起こさせると、重大な結果を招く恐れがある」(競争優位の戦略)は、まさに孫子の「窮寇に迫ることなかれ」。コトラーは自著の中で孫子を度々引用している。敵を顧客に例え「敵(顧客)を徹底的に知り、その動きに柔軟に応じて、相手の弱みをつけ」というのがコトラー流のマーケティングの精神ということになる。今、ライブドアのニッポン放送買収劇が話題になっているが、これを孫子に当てはめ、誰が、どんな心得を元に戦略をたて、だれがタブーを犯して失敗したか、考えてみると面白いだろう。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■管理職、プロジェクトリーダーの人にお薦め■『そうなんだ! 「孫子の兵法」のことが、マンガで3時間でマスターできる本』(安恒理 著)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■この本が、一番、一般のビジネスマン、サラリーマンに使える本。部下とのやりとりの中で孫子の心得を具体例とマンガで教えてくれる。例えば、「告ぐるに言をもってするなかれ」 → 指示は一度にひとつこれは管理職にとって基本中の基本の心得。気が付いたことをすべて言ってしまうと、どれも理解できなかったり、うるさいと感情的になったりするからなぁ。この本、楽天ブックスでは、まだ販売されていないようで残念。最近発売した本なので、大きな書店にはあると思う。是非、読んでみてください!
2005.02.20
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昨日、とうとう京都議定書が発効されたが、環境保全も含め、「企業の社会的責任」(CSR)がますます問われる時代になった。同じ日、週刊誌「東洋経済」(2005/2/19)で「企業の社会貢献力」という興味深い特集記事があったので買って読んでみた。昨今、三菱自動車や西武鉄道などの不祥事が続き、法令順守・企業倫理などが問われ、大企業の間では、CSRがブームになっているが、先進的な企業は、社会に対して責任を果たすだけでなく、積極的に社会に貢献する活動を行っているようである。この理由は、「社員が誇りを持って働けば、良いサービスが提供できる。それが顧客満足を生み、ファンを作り、企業の長期的な繁栄に繋がる」ということだろう。企業は、具体的にどんな社会貢献活動を行っているのだろうか?例えば、富士ゼロックス 端数倶楽部給料と賞与の『端数』(100円未満の金額)に、個人の自由意志による拠出金をプラスし、継続的に拠出してもらい福祉、文化・教育、自然環境、国際支援で、その資金を役立てる。マイクロソフト「 Unlimited Potential」(UP)高齢者、障害者向けにITスキルのトレーニングや人材育成を行い自立を支援するプログラム住友化学 WHOの要請により、マラリア撲滅のため防虫剤処理蚊帳を製品化アフリカは毎年、100万人以上がマラリアで死亡する。その大半は幼児。住友化学は、開発した製品の技術を無償でタンザニアの蚊帳メーカーに供与。「製品の利益はミニマム。事業継続に必要な分だけ」がポリシー。このように社員個人の自発性を促すものから、事業そのものが貢献するものまで様々。仏教には「陰徳を積む」という考え方があるが、それは個人の生き方の問題。資本主義経済の中で、社会を改善するには、企業が競って徳をアピールする仕組みが必要だろう。「東洋経済」は、連結売り上げ4000億円以上の会社130社を対象にアンケートを行い、その回答結果から社会貢献度を評価している。評価基準は、年間活動支出額、社会貢献活動に関わる方針の有無、専任者の数、予算、事後評価の有無、情報公開の有無、社員活動の制度の有無、NPO支援の有無、新潟中越地震・インド洋大津波の支援額など。上位8社は、以下のとおり 18ポイント NTTドコモ(なんと年間支出額は100億円) 18ポイント 資生堂 17ポイント イオン(なんと専任者は100人) 17ポイント イトーヨーカドー 17ポイント アサヒビール 17ポイント トヨタ 17ポイント 高島屋 17ポイント デンソーやはり、個人向けの商売をしている会社が積極的なようである。まあ、中身が重要なので、これだけでは判断できないが、このように企業が競って社会貢献をしようという気にさせることは重要だと思う。意外だったのが、下から2位(4ポイント)の信越化学工業。社会貢献活動の方針は無し、専任者無し、予算無し、事後評価無し、NPO支援無し、インド洋大津波支援額0円とは寂しい。この会社、財務内容が健全で、ムーディーズが、最近、格付けをA2からA1へ引き上げたところ。HPの社長の挨拶では、「信越グループは、これからも多彩な技術と素材で、人々の暮らしや産業、そして社会の発展に貢献していきます。同時に、「安全」「環境」「企業倫理」を最優先に推し進め、良き企業市民として社会の信頼に応えていきます。」と書いてあるのだが、会社全体に浸透していないのだろうか?僕は、信越化学工業を会計面で支え、現在、日本CFO協会の最高顧問である金児昭さんの本を何冊か読み、立派な方だと思っていたので、ちょっとショックだ。頑張って頂きたい。
2005.02.17
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ライブドアの堀江社長がまたやってくれた。ライブドアのニッポン放送株買い占めに関わる一連の報道を見ていると、まるで三国志を読んでいるみたいで面白い。フジテレビジョンという平和ボケした大国の隙をついて、ライブドアという振興勢力が奇襲にでて、無力の皇帝 ニッポン放送を奪い取り、まずは大成功。しかし戦いは、そう簡単には終わらない。これから、他の勢力(プレーヤー)も交えて持久戦が始まる。他のプレーヤーがどう動くか?心理戦を制した者が勝者になる。さて、真面目な話に変わりたいが、近ごろの経済関連のニュースを見ていると、どうも日本企業の経営者には、本音では資本主義を認めておらず、封建的で、自分とその仲間の利益しか考えない人が多いのではないか?と疑ってしまう。近年、連結決算制度の導入などにより、グループ経営が重視されているが、日本の企業グループの形態を見ると、どうもスタンスが曖昧な感じがする。というのは、親会社が完全に子会社を支配したいなら、上場せず大半の株式を所有するのが欧米では常識だが、日本の大企業グループの場合、子会社が上場している場合が多い。これはリスクの高い事業を分社化し、資金を借り入れではなく株で調達したいからだろう。しかし、上場するということは、同時に、経営者の専有物では無くなることを意味する。従って、当然、経営者は、他の株主に対する経営責任というものが問われるし、乗取りのリスクだって覚悟しておく必要がある。しかし、経営者に、そういう責任感や覚悟があるのだろうか?。事業失敗のリスクを他の株主に負わせておきながら、支配だけを主張するとは都合が良すぎる。フジテレビジョンの会長はライブドアの堀江社長と会う気もない言っているらしいが、内心はどうであれ、これは資本主義や株主を馬鹿にした大人気ない態度ではないか?しかし、堀江氏も堀江氏で、おじさんの評判が悪すぎる。(楽天の三木谷社長と対照的)若者のカリスマで終わるのなら良いかもしれないが、大志を貫くなら、嫌でも、頭の固いおじさんが拘るネクタイぐらいすれば良いのに...買収がうまくいったとしても、それで終わりではない。買収というのは経営のスタート地点だから、これから経営者としての真価が問われる。人を統率していくには戦略だけでなく人徳やミッションやマネージメントの力量が問われるが、果たして大丈夫だろうか?アメリカンオンラインの失敗を考えると、簡単なことではなさそうだ。株主は、目先の損得だけでなく、テレビやマスメディアが、どうすれば良くなるのか?フジテレビジョンの現在の経営陣に任せた方が良いのか、堀江氏に任せた方が良いか?よく考えて判断してほしい。
2005.02.15
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将来、日本が知力国家として生き残っていくには、ハイレベルな製品・サービスを提供できる企業や人材を育成していかなければならない。 僕は、特に付加価値の高いサービス産業の発展が不可欠だと考えるが、実際に、日本は、もの作りにおいてはトップレベルだけど、サービス産業の方は先進国とは思えない。 日本はチップを払う習慣がないこともからもわかるように、そもそもサービスにお金を払うことについて馴染みがない国だ。 人だけが資源である日本が、本当に、これで良いのだろうか?考えてしまう。 何故、こうなってしまったのか? 僕は、公共事業中心の資本整備といった経済発展の歴史が長いため、お役所や、規制に守られた大企業のような買い手の立場が非常に強く、弱者である売り手(業者)を、我が物のように支配してきたことが原因ではないかと思う。買い手企業が規制によって競争にさらされていない場合、売り先が他にないから、限られた巨大な買い手の機嫌を伺わなければ商売が成り立たないからである。 資金決済の条件(売掛金の回収期間が長い)など、日本は、買い手に非常に有利な商習慣が多いことからも、買い手が売り手より強い立場であることがわかる。昔から商人が「お客様は神様です。」という言葉をよく使うことからも、それがわかるだろう。 このため、売り手は商品の受注につなげるためなら、何でもやる(無償でサービスする)という習慣が根付いてしまっている。営業担当が、何でも屋(情報屋さん)になって初めて、ものが売れ、資金を回収できるといった関係だ。買い手は、「ものを買ってやってんだから、もっと奉仕しろ。やらないなら仕入れ先代えるぞ」と売り手に要求することが習慣になっている。 しかし実際に、買い手が本当に得をしているのかというと、そうとは限らない。(売り手は馬鹿ではない) 日本の情報処理産業の場合、市場規模は世界第二位であるが、業務系システムにパッケージを利用するケースは欧米に比べ非常に少なく、手組み(1から作り上げるシステム)のシステムを利用するケースが多い。これは同じ業界で業務の内容が殆ど変わらない企業が複数あっても、パッケージは使わず、似たようなシステムを、その都度ベンダーに作らせているということだ。似たようなシステムをそこら中で作るより、新たな価値を生むシステムに投資した方が競争力がつくはずだが、何故、そうするのか? これは顧客がベンダーのいうことを鵜呑みにしているからである。当然、パッケージの方が安いから、企業は無駄なコストをかけていることになるが、ベンダーにとっては、その方が売上が上がる。だからベンダーは「パッケージでは貴社の要件を満たしません。」と言って、導入効果の低い機能を捨て切れない顧客を丸め込み、何でも作ってしまうのである。ベンダーから無償で提供される情報というのは自分にとって都合の良い情報であり、買い手にとってベストの情報ではないということである。 買い手企業が、自分自身のプライオリティをちゃんと整理せず、また、ものやサービスの価値を正しく評価できなけば、専門的ノウハウのあるベンダーの言いなりになってしまうのだ。 僕の経験では、こういう裸の王様化したお役所や大企業は非常に多い。実際に、こういった企業では、過剰なシステムの運用コストや複雑化したシステムのメンテナンスに悩んでいる場合が多々ある。 一方、日本のITベンダーは、こういう商売に甘んじてきた結果、優れたパッケージソフトの開発を怠り、近年、グローバル企業を目指す大企業においては、外国製の業務パッケージに置き換えられ、外資系企業にシェアを奪われている。 これは、売り手も買い手も互いにぬるま湯に浸かり、互いに競争力がなくなってしまった悪い例である。 ビジネスの世界では、売り手も買い手も互いにWINーWINの関係を築くことを目指すことが原則だ。不明瞭な依存関係を作って、互いに、こそこそと得をしようと意識していては互いに足を引ってしまう。 僕は、買い手と売り手は取引の当事者として対等に向き合って、製品は製品、サービスはサービス、それぞれの価値を認め、それぞれ正当な価格で取引を行うことが、両者とってメリットがあると思う。GIVE&TAKEによりシナジーを生み出すことを互いに目指し、真のパートナーになるべきである。 特定の業界の話をしてしまったが、個人においても、近い例はあるだろう。例えば、FP(ファイナンシャル・プランナー)という仕事がある。これは個人のライフプランに基づいて最適なファイナンシャルプランを策定する仕事。その人に最適な資産運用、金融商品の活用法などのアドバイスを行う。FPには、独立系と金融機関系が存在するが、日本で、独立系FPにお金を払う人は、まだまだ少ないのではないか?それよりも無償で相談にのってくれる金融機関系を利用しがちだろう。しかし、金融機関系FPは自社の金融商品を売ることが本来の目的だから注意する必要がる。(表向き違っても)僕は、必ずしも独立系FPが良いとは思わないが、いずれにしても、ちゃんと自分の頭で、そのサービスの出来を評価することができなければ、顧客が、丸め込まれてしまう危険性があることを忘れてはいけないと思う。 前回の日記でIBMのソリューションビジネスについてお話したが、こういうことを考えていくと、顧客にとて、サービスと製品が一体となったソリューションというビジネスが、本当に最適な方法なのかどうか、考えてしまう。また、IBMにとってソリューションビジネスが本当に付加価値の高いビジネスなのかも。これは、一見、目新しい方法論のようだけど、単に土俵を変えただけで、従来、日本のベンダーがとってきた囲い込み戦略と変わりないのではないか? もし、IBMが、ちゃんとサービスに対して正当な対価を請求せず、コンピュータの販売を目的にしたならば、従来の日本のベンダーがやってきたことと変わりないだろう。 これでは、IBM自身の収益を圧迫することに成りかねないし、優秀なコンサルティング部門の人材を維持できるのかも心配である。また、顧客の方は、すべて一ベンダーに任せて、中身がブラックボックスになってしまうと、必要なタイミングに最適な方法・手段を選択する機会も失ってしまう。 恐らく一長一短があるだろう。この心配が本当がどうかは現時点では判断できない。これからのIBMのやり方とIBMの顧客の態度次第であり、互いの業績が証明するだろう。 話は長くなったので、もうそろそろ、まとめたい。 政府は、特許や著作権など知的財産権の保護に力を入れているが、こういうものだけ保護しても、サービス産業が発展するとは思えない。もの作りだけで、知力国家なんて無理。 買い手(顧客)が、サービスそのものの価値を認め、それをちゃんと評価すする力を養い、サービスの価値に見合った適正な報酬を、きっちり払う、こういう習慣を根付かせることが、良いサービス業者を育てるために必要である。得に情報・ノウハウを提供するサービス業の発展が鍵である。(コンサルティングのことだけではありません) これは買い手が企業の場合も個人の場合も同じ。では、どうすれば良いか? う~ん 買い手企業の意識としては、好業績をあげている進歩的な会社の多くは十分わかっているし、一方、規制に守られた権威主義的な会社の多くは全然わかっていないので、これを放っておくと勝ち組・負け組という形で表れてくるし、実際に表れている。日本の産業全体の発展、国力の問題として、このまま企業を放っておいて良いのか?という課題がある。政府がすべきことはあるのか?とりあえず規制緩和の促進により、自由競争できる環境を企業に与え、権威主義を崩壊してしまうことが改善の第一歩だろう。
2005.02.14
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昨年の年末、中国のPCメーカー 聯想集団(レノボグループ)が、IBMのパソコン部門を買収するとのニュースが話題になった。(現在、この商談は、米政府から安全保障上の懸念があるとして待ったがかかっているようである)この出来事は、中国企業のパワーを世界に見せ付けたと言えるが、一方、パソコンの製造販売というビジネスが、IT業界の巨人IBMにとって収益性の低い魅力のないビジネスになったとも言える。IBMは、今後、付加価値の高いソリューションビジネスに力を入れるそうだが、このソリューションビジネスとは一体何だろうか?これを一言で言うと「顧客の課題に対する解決策を提案し、それを実現することで顧客のビジネスを支援すること」になる。もう少し具体的に言うと、顧客の既成概念上存在する定型的な製品やサービスを顧客に言われるがままに提供するのではなく、顧客のビジネスの問題を分析し、そして、それを解決するための製品・サービスの構成(組み合わせ)全体を提供するビジネス。ビジネスのコンサルティングから、ソフトウェア・ハードウェアの提供、ソフトウェア・ハードウェアの運用、顧客の業務の代行(アウトソーシング)まで通して提供するビジネス手法。では、何故、ソリューションビジネスが付加価値が高いのか?顧客が目指していることは自社のビジネスの成功(業績の向上)である。使用する個々の製品・サービスが、いくら優れていようと自社のビジネスが成功しなければ意味がない。優れた製品・サービスを上手く使いこなして初めてビジネスは成功する。しかし、どんどん高度化する製品・サービスを顧客が使い方を学んで、管理することは容易ではない。そこで、ビジネスの成功に直結するソリューションの提案を行い、かつ、ソリューションを提供し、ソリューションを代わりに使いこなしてくれる業者がいたら、顧客は多少高いお金を払っても良いと考える。だからソリューションビジネスは収益性の高いビジネスになる。しかし、こういう一連の製品・サービスを提供する企業は、顧客のビジネスに対する影響度も高くなるため、失敗した場合のリスクも当然高くなる。また、顧客のビジネス上の問題を解決できる優れた人材が大勢必要になってくる。従って、こういうビジネスを展開する企業は、相当体力が必要だし、大量の人材も必要になる。IBMは、このビジネスを展開するため、数年前、自社のハードディスク部門を売却し、代わりに、弱かったコンサルティング部門の補強のため、PWCという大手コンサルティング会社を買収している。ソリューションビジネスが成功したか、どうかは、提供先の企業のビジネス成功(業績改善)という形で表れてくるはずだから、結果はすぐには出てこない。もう少し様子を見る必要があるが、今のところ、このビジネス手法は大企業に受け入れられ、IBMはIT業界No.1の地位を不動のものにしている。このように人件費の高い先進国の企業は、より付加価値の高いビジネスにシフトしなければならない。もの作り大国 日本も中国の台頭により、品質だけでなく、より高い付加価値を提供しなければならなくなってきている。製品作りであれば、より革新的な技術の開発が必要になるだろうし、サービスであれば、顧客個々の既存ニーズに答えるだけでなく、新たな価値を提供する必要がある。僕は、製品作りの面で日本は先進国だと思うが、サービスをビジネスとして確立するという点で、いろいろな課題があると思う。次回、その課題についてお話したい。つづく。
2005.02.08
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今、アップルコンピュータが活気付いている。 iPodが売れに売れ、そして今度はMac Miniが注目されている 【送料無料!】Mac mini 1.25GHz [M9686J/A]【送料無料!】Mac mini 1.42GHz [M9687J/A]Mac Miniは、幅・奥行がCDのケースと、さほど変わらないミニサイズのPC。その小さなサイズに、 以下のスペック。http://www.apple.com/jp/macmini/僕は、CDを借りてきてPCに音楽をため込んで聞いたり、オリジナルCDを作って楽しんでいるのだが、ひとつのPCで仕事をしながら、これをやるとちょっとパフォーマンスがしんどくなる。このMacMiniを知ったとき、ミュージック専用サーバーとして使ってみたいと思った。さて、このMac Miniアップル復活の救世主になるのだろうか?ちょっと前までは、Macは使い易くて、おしゃれだけど、仕事ではWindowsを使っているし、まわりにMacを使っている人は少ないし、アップル社の将来も不安なので、一台を選ぶなら、どうしてもWindowsになってしまうと言う人が多かったのではないか? しかし、いつの間にか日本では、PCは一家に一台が当たり前になっていて、PCの価格も下がっているので、家族ひとりに一台を通り越して、ひとりのユーザーが、用途別に一台を所有する時代に近づきつつあるように思う。実際、僕も会社に1台、自宅に3台のPC、上着のポケットにはZaurusが有り、これらを使い分けている。 このようにPCの使い方が変わってくると、新たなビジネスチャンスが生まれる。これまで、PCメーカーは、ひとりのユーザーを独占するか、されるかしかなかったが、今後は、ひとりのユーザーの多様なニーズに合わせて”分かち合う”というパターンが生まれる。孫子的に言えば、分断戦略が可能な状況になったということ。これはアップル社にとって復活のチャンスだ! さて、実は、僕は10年ほど前まではMac派であった。90年代前半は、アップル社にとって輝かしい時代だった。マイクロソフト社は、Windows3.1という、明らかにMacより劣るOSしか提供していなかった。デザイン・アート系以外のビジネスの世界でも、Macを使っている会社は多かったので、自宅のPCをどちらにするかは、あくまで個人の趣味という時代だった。その頃、大勢のMac信者がいた。 Macは、長いものにまかれない、自由や創造性の象徴のようなイメージがあり、Windowsが動くIBM互換機より値段は高いのに無理して買って自慢する人が大勢いた。実は僕もそのひとり。会社の同僚のMac信者にMac教を説かれ、僕もMac信者になった。Macの、美しいデザイン、オブジェクト指向的なユーザーインターフェースに惚れ、かみさんにMacの素晴らしさを説得して、ボーナスをつぎ込んで念願のMacを買った。しかし、その後、Macに近いユーザーインターフェースを備えたWindows95が爆発的にヒットして、仕事ではEXCELやWordが標準のツールとなり、オフィスからMacは消えていった。僕も、PCは値段が高いし、大きなPCを家に何台も置くと、かみさんに怒られるので、アップルを裏切り、DELLのWindows PCに置き換えてしまった。 なので、何だかアップル社には、今でも、うしろめたい気持ちがある。こういう気持ちにさせるのもアップル社のブランド力かもしれない。その後、Netscape、JAVA、Linuxが出現し、インターネットが普及し、PCの環境も、どんどん変わっていくのだが、、ビル・ゲイツの戦略は鋭く、相変わらずマイクロソフト帝国は健在である。その間、アップル社は、創始者のスティーブ・ジョブスが解任、ペプシコーラのスカリー氏がCEOになり、ニュートンというPDAを開発したが不発に終わり、低迷を続けることになる。そして、アップル社を追い出され、ネクストというコンピュータの開発で失敗したスティーブ・ジョブスがアップル社に復活。この人は、経営者としてどうかわからないが、商品開発の天才なのか、モニタと一体型のMacをヒットさせ、今度は、iPodという、まったく新しい分野のマーケットを切り開き、アップル社の業績は回復した。PCの業界の中で、このスティーブ・ジョブスとビル・ゲイツは、2大カリスマと言えるだろう。ふたりはとても対照的なキャラクター。スティーブ・ジョブスは、商品のコンセプト作りの天才、気さくで子供のような性格。熱狂的な信者が多い。(僕は、以前、スティーブ・ジョブスの基調講演を見に行ったのだが、ある観客が「あんたは偉い!」と叫んだところ、「Very Good!」とか、何とか言って上機嫌だった。)一方、ビル・ゲイツは、優れた商品作りよりも、ビジネスの勝者になることを目指す戦略家。ちょっと無愛想。このふたり、三国志に例えると、スティーブ・ジョブスがコンセプトの人「蜀の劉備」、ビル・ゲイツが"大戦略家、独裁者「魏の曹操」と言ったところか?Mac Miniにより、天下三分の計にさらされ、ビル・ゲイツは苦戦を強いられるのか?諸葛孔明が誰だかわからないが、今後のPC業界が楽しみである。
2005.02.07
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サラリーマンの中には、平社員の時、評価が高かったのに、管理職へ昇格した途端、評価が下がってしまう人が結構いるのではないか?要は、自分一人のパフォーマンスか、それとも組織のパフォーマンスか?評価のされ方が異なってくるため、意識改革ができなかった人は躓いてしまうということ。僕の経験では、大学を卒業するまで、殆ど遊ばず、生真面目に勉強をしてきた人達に躓く人が多いように思う。偏差値教育というものは、要は、定まった範囲を網羅的に勉強し、100点満点に近づくことを目指す教育だから、このやり方だけを信仰して育った人は、完璧主義に陥ってしまう傾向があると思う。ビジネスの世界は、常に流動的で、決まった答えはなく、その場、その場で決断を求められる。限られた資源、時間、機会を、どのように有効に活用するか?完璧な答えが無くとも、結論を出さなければならない。何一つ完璧な条件は存在しないし、完璧な結果も存在しない。そういう状況の上、関係者の中で、いかにバランスよく利益配分するか?ということが問われる。まじめに大学を卒業して、会社に就職して、エリートとちやほやされ、自分一人で完結する仕事を任され、きっちりこなし、優秀だと褒められる。ここまでは良い。しかし、他人の管理まで任された途端、計算が狂ってくる。どのような部下がアサインされるかは運であり、自分ではどうすることもできない。できの悪い部下がアサインされると、自分が思い描いていた姿から、かけはなれ、ストレスが溜まっていく。そして他人には任せられないと自分で何でもやってしまい、被害妄想になり、最後は潰れてしまう。本人に言わせれば、うまくいかないのは、会社や上司が良い条件を与えてくれなかったからだとか、部下のレベルが低いとか、自分自身の反省は余り無い。こういうパターンで潰れていく人は、僕の会社の中でも、よく見受けられる。この完璧主義というものは、ある意味、無責任で利己的なものである。まず、自分の理想が、関係者にとって、どれだけ価値のあるものか?よく考える必要がある。己だけの基準で個別最適を目指しているのか、関係者全員が納得する全体最適を目指しているのか?企業は、顧客に価値を提供し、その対価を貰って、ちゃんと利益を出さなければならない。顧客の利益に傾き過ぎては、会社に対して背任行為になってしまうし、会社の利益しか考えなければ、顧客に対して詐欺行為になってしまうし、従業員を大事にしなければ、従業員は去って行く。顧客も複数存在すれば、それぞれ不満のないように対応しなければならない。何かひとつだけを完璧にしようとした場合、そのバランスが崩れる。だから何ができて何ができないか、はっきり示す必要があるし、何が大事で何が不要か?重点管理が必要だ。おそらく起業して経営がうまくいっている経営者は、これを当たり前のことだと思うだろう。しかし、大企業のサラリーマンの中には、わかっていない人が多く、伸び悩んでいるように思う。わかるという意味は、自分自身を省みて、わかるということ。他人の批判は上手だけれど、自分自身の事がわからないという人が多い。おそらく、自分が優秀だという自尊心と自分を守ろうとする防衛本能が働き過ぎて、それを打開し、更に自分自身を成長させようという思考にまで至らないのだろう。結局、それが人の器と言ってしまえば、それまでだが、 内省的であること 視野を広げること GIVE&TAKEの原理をよく理解することこういうことを意識し、経験を積むことで改善されると思う。勿論、こういうことは早くわかった方が良い。そのためには、子供の頃から、机の勉強だけでなく、グループで議論し問題を解決するような経験が必要だと思う。
2005.02.04
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