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元笠松競馬所属の安藤克己騎手がJRA通算1000勝を達成した。記事安藤勝己騎手騎手は地方時代に3229勝を上げており。地方と中央両方での1000勝達成は史上初めて
2010年01月31日
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農林大臣賞典・帯広競馬場 第二障害での右ヒカルテンリュウと左イエヤスの激闘万年2着を返上しラストの大一番を制したヒカルテンリュウばんえいNO1金山明彦騎手優勝ヒカルテンリュウ父マツノコトブキ母第二太陽<父パンツバメ母太陽>騎手金山明彦、調教師大友榮司、馬主阿保勝衛、生産者中川郡池田町牧野一
2010年01月30日
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あるレースでの事、スタート前、ある馬が、騎手を振り落とし放馬した。コーナーに向かう馬を、競馬場の馬場係がロープを持って止めようとするが、そこは悲しいかな公務員。馬の勢いにロープを放してにげてしまった。馬はどんどんスピードを増し向正面に(このままではいつ発走できるかわからなかった)。 気持ちよさそうに疾走する馬、そのとき向正面にある小天狗(海岸厩舎の厩務員さんが調教やレースを見る場所)から一人の厩務員が馬場に飛び出してきた。Mだ。Mは暴走してくる馬の前にスックと立ちはだかると、ぶら下がっていた手綱をやおらつかむと強引に馬を止めてしまった(馬のすべてを知っていなければ出来ぬ芸当)。そしてなにもなかったかのように、車で送られて来たジョッキーをのせてやりポンと馬の尻を叩いて馬を逆周りでスタート地点に向かわせ、さっと馬場の外に消えた。 最近、馬を止められない厩務員が急増していると聞く。中央競馬のように厩務員学校を作って学問・理論から厩務員を作り上げるのもいいが、それでは職人気質の馬人は出来ない。体で覚えてこそ、ではないか。厩務員は職人であってサラリーマンではないのだから、理屈はいらない。 そうすると常識はずれの人間ばかりできると世の常識人?たちは言うだろうが、何でも、その分野で頂点を極めるためには、『非常識と言う土台の上』に乗ってこそ可能なのであると自分は思います。そのラデイカルな部分が常識人?たちには認められないのである。職人気質の馬人が減ってから競馬人気が下降したと思うのは自分だけですか?
2010年01月30日
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第二十回高崎大賞典・高崎競馬場アームアニエリがミサトメモリーとカツサニーの追い上げを封じ逃げ切って大賞典連覇してやったりの工藤勉騎手とアームアニエリ優勝アームアニエリ父マタボーイ母アームタヒチアン<父ドン母アームストン>騎手工藤勉、調教師周藤清、馬主丸橋信男、生産者静内藤沢牧場
2010年01月30日
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第十九回樹氷賞・上山競馬場連勝ストップの鬱憤晴らしの圧勝優勝スルガスペイン父フィリップオブスペイン母ダイトクホマレ<父セルテイックアッシュ母エロイーズ>騎手野元栄二、調教師宗形建次、馬主伊藤昭次、生産者静内飛野牧場ベテラン野元栄二騎手とスルガスペイン、この後大井に転厩していった
2010年01月30日
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NARの頁
2010年01月29日
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第三十七回東京大賞典・大井競馬場二番手以降は一団だったが、この前に…大逃げを打ったダイコウガルダンがいた後方一気の末脚でゴールセイフに1馬身1/2の差をつけて優勝したボールドフェイス。優勝ボールドフェイス父サンエイソロン母アンザラ《父ヴェンチア母V.I.P》騎手堀千亜樹、調教師飯野貞次、馬主増田陽一、生産者静内守山牧場*新(ハシルショウグン)旧(ダイコウガルダン)対決と注目されたが、激しい先行争いに二頭とも飲まれてしまい35・0秒~60・3秒で、ハシルショウグンが四角で一杯となりダイコウガルダンも直線で失速した。その間隙をついたのが王冠賞で追い込んで3着したボールドフェイスだった
2010年01月29日
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第三十七回善意本アラブ大賞典・大井競馬場コスモノーブルは好位のインで時をうかがう。外から園田の王者インターロッキー(緑帽)も脚を伸ばしてきていた圧倒的な強さでゴールするコスモノーブル優勝コスモノーブル父タイムライン母カワチアロー<父エルシド母コンドルジー>騎手石崎隆之、調教師岡島茂、馬主フジオカ、生産者静内秋田春蔵「長距離に不安はあったが、スローで上がりの競馬にあり克服できた。馬がピークの状態で、四コーナーでは、手ごたえ十分。負ける気がしなかった。」*八歳馬の優勝は史上初の快挙
2010年01月29日
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91年12月31日の第九レースがラストランとなった。このときには着外ではあったが、入線後、そのまま走路を1周してファンに”別れを告げた”・見た目からは想像できぬ厳しさとか執念とかを持った女性騎手でした。898戦76勝、2着102回<名騎手揃いの船橋競馬が主戦場ですよ!>五年九ヶ月の現役でしたが、今も忘れてはいません!
2010年01月28日
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大記録6500勝達成した佐々木竹見騎手6500勝目のレース○竹見騎手には珍しいガッツポーズ語録「馬は話してくれない。だから愛情を持って接してやらないと…」 『馬に乗るのには運転免許はいらないし、ゴルフもマージャンも必要じゃないね』 『6500勝の半分は母さんのもの』○苦楽を共にした師弟がファンに6500勝を報告青野調教師と佐々木竹見騎手。「自厩舎の馬でダービーを!」のお二人の執念が実った昭和40年の東京都ダービーのヒガシユリは記憶に新しい!
2010年01月28日
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○川崎記念というとこの場面が浮かびます!!98年10月30日にぶっ倒れて入院、5日後?に気がついたらしい。入院は年を超し、ある日右隣のベッドの方がつけていたテレビでやっていたのが、この場面。11月以降初めてみた競馬でした”騎手の勝負服を見て石崎という名前が浮かびました。その後アブクマポーロという馬名を思い出したのです。なぜ、自分のテレビでなく隣の方のテレビ化と説明しておきます。脳出血の後遺症で左半身麻痺となり、左目も視野欠損になり左側が見えない。=意識できない状態だったので、右側のテレビの画面は見えたからです。左の方は自分と逆で右が目が不自由になっていたので、左目で見るため左側にテレビを置いていたんです。このとき実況していたのが、及川尭アナウサーだったと思います?妙に懐かしい声が聞こえたので超えの方向を見たら、この場面でした。石崎さんの名前とアブクマポーロという馬名を勝負複だけで、認識(思い出す)したことに自分でも、”すごいいこと”ではないかと感動したとかすかに記憶しています。このときのことを退院のコロに担当ナースが話してくれたのですが、『この日まで、はっきり言って目の焦点は定かじゃなかったのね。馬を見た途端目が光って?テレビをじっと見つめたので驚いたわ。それからは、意識の方はどんどんよくなって行きました。よほどけいばがすきなひとなんだとおもったわ。」と。アブクマポーロと石崎隆之騎手と及川尭アナウサーは、いわば”命の恩人”といえそうです。二人と一頭に感謝です。
2010年01月27日
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NARのページに詳細
2010年01月26日
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第十四回北上川大賞典・水沢競馬場スイフトセイダイが疲労のため回避。(中山<芝>⇒北海道⇒岩手)一枠から逃げたグレートホープが、直線で更に加速し二着シャドウイメージに9馬身差をつけて圧勝
2010年01月26日
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○兵庫の三野孝徳騎手と笠松の川原正一騎手です「中央競馬競馬騎手招待』で嘗て優勝した三野孝徳騎手1000勝達成------------川原正一騎手1000勝達成*奇しくもお二人とも現在は兵庫県所属
2010年01月26日
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第十八回北海道三歳優駿・函館競馬場スガノスキーが抜け出す優勝スガノスキー父ストラビンスキー母プリンセスライン<父ロイヤルスキー母アリゾナリマ>騎手柳沢好美、調教師成田春男、馬主菅原元秀、生産者鵡川市川寿夫
2010年01月25日
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第二十四回青雲賞・大井競馬場優勝ナイキゴージャス父スルルショー母ブーニーズ<父Honey Jay母Outakirts》騎手的場文男調教師長沼正義、馬主小野誠治、生産者千葉社台ファーム
2010年01月25日
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第二十八回東京王冠賞・大物登場!アーバントップの大逃げにも動ぜず直線独走となったハシルショウグン春のクラシックを骨折で棒に振ったが、無傷の六連勝で四歳NO1に優勝ハシルショウグン父メンデス母ハイビクター<父ツイッグ母マンノージョウ>騎手的場文男調教師赤間清松、馬主渡邊典六、生産者門別森孝志
2010年01月25日
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○第二回サラブレッド大賞典・荒尾競馬場優勝リキマナード父マナード母リキフジヤス<父ヴィミー母フリツメイジ>騎手古泉悟、調教師宮本芳吉、馬主吉田光徳、生産者浦河小椋孝弘古泉悟騎手○第一回サラブレッドグランプリ・佐賀競馬場優勝レオライト父レイズユアスピリッツ母バーバーアリア《父インデイアナ母ミスバーバー》騎手大垣敏夫、調教師徳吉義巳、馬主河野豊、生産者岩手山内牧場
2010年01月25日
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第二十一回新潟グランプリ・10連勝でV逃げたのはタケデンファイター四歳秋に新潟転入以来10連勝で新潟グランプリも制したシヨノサンワード優勝シヨノサンワード父ターゴワイズ母ニシノマルチャイナ<父チャナロック母マジェステイ>騎手根岸良昌、調教師河内義昭、馬主庄野昭彦、生産者門別庄野牧場
2010年01月25日
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2000勝達成のレーススタンドにステッキを投げ入れる古川騎手
2010年01月25日
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第四回全日本サラブレッドカップ先手を取って逃げ切ったタイプスワロー一番人気だった僚馬マックスフリートは右前靭帯炎で競走中止優勝タイプスワロー父ラッキーキャスト母ミセスジェネラル<父コントライト母ジネヴラ>騎手井上孝彦、調教師荒川友司、馬主水野俊一、生産者早来吉田牧場タイプスワロー号井上孝彦騎手
2010年01月25日
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第六回ダービーグランプリ・水沢競馬場一旦交わされたがもう一度迫るケイワンハート(6番鷹見浩)をハナ差振り切って優勝はリバーストンキング(9番松本隆宏)優勝リバーストンキング父フェートメーカー母ナカヤマルーラ<父Researching母ルーラースフィドル>騎手松本隆宏調教師鈴木亮平馬主石川武、生産者新冠山内武男*ケイワンハートからの馬券もリバーストンリバーは、強行軍だったため嫌い一枚もなし。単勝勝負で、差し返したときには気合が入りました!でも………
2010年01月24日
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○91年WSJSの面子○レース前にアメリカ西海岸のNO1捨ステイーブンス騎手と○シリーズ外ではあったが、12月1日の第一レースで武豊騎手との競り合いをハナ差制し勝った○シリーズ第四戦の三頭の叩き合いの後、掲示板に…
2010年01月24日
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田中道夫騎手惜敗!!シリーズ最終戦、橙帽の田中道夫騎手(ブレエトワール)は追い上げていきエデリー騎手と武豊騎手との叩き合いに持ち込んだがハナ差及ばず2着だった。シリーズでも総合第二位と健闘した89年とは違いくじ運に恵まれず九位と不本意な成績に終わった。総合優勝は南井騎手。
2010年01月24日
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事件の発端は1月30日第七レースの「アラブオープン戦」午後三時でギャンブルホリデーだけあり二万五千人のファンの中スタートが切られた。が一枠から四枠までのゲートが開かず、ポンと出て来たのは後枠から外の五頭だけ。カンパイ。この年の園田競馬は、正月以来、カンパイが続いており『カラスの鳴かぬ日があっても園田でカンパイのない日はない!」とまで言われていたほど…でした。ゲートのテストをして、五分後再スタートが切られた。ファンは「内からスマノダイドウが逃げ、それをタイムラインが追いかける」と予想していた。ところが、その二頭が出て来ない!怪訝に二頭の姿を探すファンの前にスマノダイドウとタイムラインがゲートから飛び出してきた。すでに他の馬は20メートルも30メートルも先を走っていた。再度カンパイかと思われたが、旗は全く振られない。スマノダイドウ、タイムラインの騎手も馬を押さえようとはせず、前を行く馬たちを追走うる。日本を代表するアラブだけにあっという間に追いついたが、その脚色は1000メートルの競馬のようだった。スタンドからは”ウオーツ!!”とうなり声が上がった。が、レースは続けられた。ナスチカラが逃げ、追いついたタイムラインが追いかける。追いついたスマノダイドウが好位につけた。このままでいけば何ごともなかったのだろうが…。前半の無謀なペースが響きタイムラインが三角で一杯となり、スマノダイドウも直線伸びを欠き、逃げたナスチカラもハイペースがたたり末脚をなくし一杯に。その間隙を衝いたのが好位につけていたシンコウオーザとホクセツエリートの二頭で入線順位は1)シンコウオーザ、2)ホクセツエリート、3)スマノダイドウ、4)タイムライン5)ナスチカラだった。場内は騒然!。すぐに審議のランプがついたが……。ファンは「大穴や!」、「八百長や!」と口々に発しながら9レースのパドックへ、馬券売り場へ向かっていた。場内放送で「ただいまのレースは審議いたします」というアナウスがあったのは、このコロだった(遅過ぎる!)。パトロールビデオを確認し協議の結果”レース不成立”が決定。その旨の放送がすぐに行なわれたが、その前に「3-421160円』と場内には知れ渡っていた。気の早いファンは、すでに馬券を捨てて次のレースの馬券買いに走っていた。底に前代未聞の「レースは不成立、馬券は買い戻し!」のアナウンス。待っていたように一番警備の薄い二階席で騒動屋が騒ぎ出し、一般のファンを煽り立てた。別の実行隊が1階西端のゴミ箱に火をつける。これを、警官隊が消しにかかったことから騒ぎはさらにおおきくなり、騒動屋の現金強奪実行隊が、各所の払い戻し所の窓を破って火のついた新聞紙を放リ込む。逃げ惑う女子職員、アワを喰った払い戻し所の客。お金や馬券を持って逃げようとする女子職員を騒動屋に煽動された一般ファンまでが襲う。昭和49年1月31日付け日刊スポーツ紙より
2010年01月23日
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事件の発端は1月30日第七レースの「アラブオープン戦」人気を被った一頭タイムライン午後三時でギャンブルホリデーだけあり二万五千人のファンの中スタートが切られた。が一枠から四枠までのゲートが開かず、ポンと出て来たのは後枠から外の五頭だけ。カンパイ。<続く>
2010年01月22日
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2010年01月22日
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★大本命の落馬・昭和54年の「第二十三回金盃」・圧倒的な一番人気に支持されていた前年の三冠馬ハツシバオー(63キロ)が雨の中、落馬。重発表もこんな田んぼのような馬場でした。(当時は重までしかなく不良はなかった)アクシデントは、スタンドから最も遠いい三角過ぎで雨で煙る中で起きました。実況アナもハツマモルが軽快に三角を回ったため?気付かず。馬群が四角を回ったコロ、突然「ハツシバオーは落馬しています!!」と実況された。そのため、レース前宮浦騎手が「63キロだから良馬場でやりたい」と言っていたこともあって、”被った泥と雨水でどんどん重くなっていく斤量による脚元へのきつい負担を嫌ってハツシバオーのために自ら命がけで飛び降りた”と言うまことしやかな噂まで流れました。??逃げ切ったハツマモルと福永二三雄騎手この後の、帝王賞でも再びハツシバオーを破るのだが…。
2010年01月22日
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最後の直線で落馬がありましたが、川原騎手のコロニアルペガサスが優勝しました表彰式・川原正一騎手 <園田大好きさん撮影>頂き物
2010年01月21日
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<悪夢?>レース中第四コーナーで外コースに逆走した馬 思い出したくありませんが大井競馬で本当にあったことです。 昭和60年代の大井競馬場。追い切りや厩舎情報からK記者は人気薄のN号(ニシノ○○)に目を付けぞろ目も含めて(まだ枠番連勝式だけだった)総流しをしていた。どの組み合わせが来ても20倍前後の配当。 緊張の中スタートが切られ、好スタート決めたN号が先手を取って逃げる。単騎でマイペースに持ち込み手応え充分で3~4コーナーにさしかかる。後続との差は5~6馬身。単はもう決まったも当然でK記者はニンマリ。 まさか! あんなことが起ころうとは?……。 ★四コーナーを先頭で悠々と回ったN号だったが、突然”くるり”と向きを変えると内コース、外コースの境目にある置きラチを除けて外回りコースに入って行き外回りの三コーナーに向って走って行ってしまった。レースは内回りの1500メートル戦だった。騎手がどうにかN号を直線走路に戻した時には殆どの馬がゴール寸前。N号流しの馬券が一瞬にして紙屑となりK記者『死んだ!!』。(完)。
2010年01月21日
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大井の三坂博厩舎に在籍した女性騎手の澤江鮎美騎手がそうです。生涯成績:一戦0勝<1987年7月27日 大井第3競走 エドサンホマレ号 結果12着>出遅れではなかったがいいスタートでも無かった。1400だけに新人でダッシュをつけられなかったことは致命的だった。ポジション取りの激しい最初のコーナーですでに最後方。勝負どころから徐々に離されてしまう。直線で追ってはいたが馬を動かせるほど、彼女自身に余力が無かったようで殿り負けであった。検量所前で下馬したときにすぐ”初騎乗”の印象を取材したのだが、「大井競馬場の直線が本当に”長いなあ”と実感しました。だって追っても追ってもゴールに辿り着かないんだから…」と息が上がりながらも答えてくれた。この時、「この子は埴谷君以上だな?」と筆者は確信。それから数ヶ月して「澤江が男と逃げた」という噂が立ちました。真相は、騎手はあきらめたが、馬が好きなので馬からは離れられないという事で、厩務員さんと、馬輸送をやっている東都輸送の社長の宮城にあった牧場に転職ということでした。騎手生涯で一頭も馬を抜けなかった。折角、騎手免許を取得したのにたったの一戦で自分に見切りをつけてしまった潔さには頭が下がる?。
2010年01月20日
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○13回(昭和42年東京ダービー優勝馬ヒカルタカイこの馬は国営移籍後の天皇賞(春)や「他の馬はなんのためにでたんだろう」と絶賛された、この東京ダービーのように物凄く強い時とこれがヒカルタカイなの?と思うような辛勝するときと二面性を持っていた馬だった。走破時計にもムラがあったように記憶しています。このダービーでは”強い”ヒカルタカイでした。ハナを切るや全く危なげない逃げ切りで優勝。「何もなければ勝てる「。と自信をもって騎乗した」(竹山騎手)レースはこの馬が強かったとしか書くことがありませんので今回は怪物の影の悲喜交々を…。書いておきます。地方競馬時代騎乗したのは竹山現調教師だが、能力試験前まで調教に騎乗していたのは福永二三雄騎手であった。竹山騎手が韓国に行っていたので、福永騎手で能力試験に騎乗する事になっており能力試験に騎乗していればレースでも騎乗する予定だったのに、能力試験当日が大雨でゲートまで故障して中止になり。そのうちに竹山騎手が帰国してしまい福永二三雄=ヒカルタカイのコンビは実現しなかった。これを、後々まで福永二三雄調教師は残念がっていた。ヒカルタカイのために泣いたもう一人は赤間清松現調教師で、羽田盃、東京ダービーがビューテイーブラザーで2着に。東京王冠賞ではマーブルアーチでまたも2着だというのだから…。「痛手が大きかった」というのも納得できる。因みに、ヒカルタカイ、ビューテイーブラザーで決着した東京ダービーの配当は170円だった。天皇賞→宝塚記念を連覇した時の”強さ”を考えると最後のミノルのしんがりに負けたオープン戦で後方をトボトボ走る姿に情けなくて見てて涙が出ました。天皇賞で大差勝ちはこの馬だけですよ
2010年01月20日
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毎晩、この人の歌を聴きにスナックへ!そこでみんなに”白!を薦めていました…?一番磨り減っているLPです。新宿紀伊国屋ホールでのライヴ版です。独自の価値観を持ったシンガーでした。売春婦やどうしようもない男の歌を唄ったらNO1だと思います…。LP「浅川マキの世界」の帯です。ちっちゃな時から~朝日楼~かもめ~少年~死春記~ピアニストを撃て~オールド・レインコート~ガソリンガレイ~赤い橋~さかみち、みんないい歌でした。このライブの共演者がすごい。つのだひろ、いなばくにみつ、いまだまさるなど…
2010年01月19日
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昭和44年のAJC杯(2500メートル・別定)・良馬場は一月遅れの昭和43年日本一決定戦 暮の有馬記念が酷い不良馬場で、重上手のリュウズキ、ニウオンワードが1,2着。年明けのこのAJC には、1,2着のほか 有馬で不良馬場に泣いた馬たちも出走して来て、真の昭和43年日本一決定戦 の様相を呈した。逃げたのが、悲運の名馬モンタサン で、そのモンタサンが三角でズルズル後退《実は油木騎手の策戦だった》。スピードシンボリはすでに好位に上がってきており、菊花賞馬アサカオーはまだ最後方。直線の勝負となったこのレース 。先ず先頭に立ったのはスピードシンボリだった。そこに一旦下がったモンタサンが内からグイグイ差し返してきた 。モンタサンがシンボリを交わして先頭に一旦は立ったが、外を突いて追い込んできたアサカオーが内の二頭を差し切ってゴールに飛び込んだ。油木騎手が最高のレースをして負けたモンタサン、悲運の名馬といわれる由縁だろう。スピードシンボリも良馬場なら、この後有馬記念二年連続優勝する実力を見せた。こんな強豪たちを外から豪快に追い込んだアサカオーは、菊花賞馬の実力を発揮してくれた。三頭が並んでのゴール前の争いは間違いなく名勝負だった。菊花賞馬が一番強いを証明したアサカオー。ヒンドスタン産駒が優勝といい時代だった
2010年01月19日
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必ず、取り出して聴くCDがあります。それは、山崎ハコさんの『山崎ハコライブ2』⇒<歌在りて>です。79年銀座博品館劇場のもの収録されている一曲が…。「テンポイントの詩」、競馬好きの天才詩人寺山修司氏の詩にシンガーソングライターの山崎ハコさんが曲をつけたものです!*「日経新春杯」がこの時期に思い出されるので聴くのです。*この曲で気に入っているトコは、グリーングラスはでてきてもあの馬が出てこないトコです!
2010年01月17日
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新春特別対談・大井競馬の初期を語る その2 出席者・江馬嵩(特別区競馬組合事業所長)・遠藤桂(全国公営競馬主催者協議会事務局長・鈴木勇(元東京都競馬事務所長)・中山肇(競馬保安協会地方業務部長.)・山田実(全国公営競馬主催者協議会事務局次長)・松崎勇(特別区競馬事業所調査課長)==司会 <役職は対談時のもの>○収録 昭和48年5月1日 《特別区競馬組合発行「大井競馬重賞競走優勝馬の全て」より》---------------------・江馬=ヤミ競馬とは旨い表現で、終戦後は全てヤミだった。ヤミ市が戦後の社会世相と経済をあらわしていたと思うな。新宿のヤミ市では組と称するものが「光は新宿から」と言う大きな看板を出していたが、たしかにすべてがヤミだったから光という字が光っていた。当時は経済社会の構成に、町のボスが大分関与していたからね。・鈴木=そのとおりだ。物資の不足時代だったから 物資のヤミ取引で品物を右から左に移しただけで 2割も3割も儲かる。こんな時代に低配当の競馬を やってもお客はつかない。大衆を競馬に繋ぐには高配当でなければならないと思いついたのがフォーカス(連勝式馬券)と言う投票方法です。今、競馬懇談会で問題となっているシード式で、このフォーカス採用もヤミ競馬の特徴であり今にして思うと大英断だった。・司会=当時の配当はどのくらいでしたか・鈴木=馬券は単と複に限られていて払戻金は200円で押さえられていて普通は単で50円どまり、複にいたっては20円から30円と言う低配当だった。・司会=馬券は……。・中山=あのころは10円でしたか……。・鈴木=フォーカスのことだが31とおりの馬券になるので確率は31分の1となる。一度当たれば損は取り返し手おつりが来る。馬資源が少ない上に各馬の力が比較的はっきりしているので、これはいけると思って実施したわけです。それにフォーカスと言う名前がどうしてもバターくさい。そこで1着馬と2着馬が連続して入ってくる姿からして「連」と言う言葉がよい。その上この字が馬連の「連」にも繋がるので連勝式と名づけたのです。連勝式は画期的発売だったので反対意見も大分ありましたよ。・中山=反対と言うよりも初めてのことでもあるし、心配だった。と言うのは今の連勝式と違い1枠から5枠までは強い馬を1枠一頭 づついれ、残りは全部6枠に入れる。その作業を主催者が行なうので馬主、ファンに対し明朗を欠くし、もし6枠が勝てば八百長臭いと痛くない腹を探られる。そんな、こんなで連勝式に不安を抱いていましたね。そのかわり6-6とでも入れば高配当になるのだがね。・司会=売り上げは変わりましたか?・中山=一開催六日間で一千何百万円程度だったものが、連勝式採用を始めたら最高売り上げは三千万円台だったから倍以上の伸びになった。・司会=所得倍増と言うところですね。 <続く>
2010年01月16日
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コレクション園田大好きさんよりも頂き物
2010年01月16日
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アラブの思い出今はまだ、年はいかないけれどたった57だけれども、11歳のときに競馬場に行ってから46でぶっ倒れるまで競馬三昧の日々。倒れて10年以上もたってまだ、競馬にしがみ付いていられることが不思議でしょうがない? だから、アデルバウエルもミヤマシューホーもタガミホマレもオーバーマインもリキスユリもマスタングもセンジュスガタもグリンバーデーもダイニヒロボシもタイムラインもスカレーもイナリトウザイもグリンファストもスマノダイドウもホクトライデンもエビタカラもポートスーダンも見ることが出来た。これこそが誰よりよりも幸せな人生だったと思います。”アラブの怪物 とよくマスコミに書かれる事あります。 アラブの怪物こそが真の怪物と言えるのではないだろうか。四歳牝馬でありながら古馬に伍して重賞三連勝した馬。常に63キロ以上の斤量を背負いながら連対を外すことなくファンの期待に応えた馬。牝馬なのに60キロ以上の斤量で好レースをした馬61キロで重賞を勝っている。大雨の不良馬場の中72キロを背負って完走した馬。関東の実力馬を全く寄せ付けずねじ伏せ続けた馬。この馬が馬券に絡まないと必ず万馬券となった馬。みんな忘れられない怪物だ。
2010年01月15日
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新春特別対談・大井競馬の初期を語る その1 出席者・江馬嵩(特別区競馬組合事業所長)・遠藤桂(全国公営競馬主催者協議会事務局長・鈴木勇(元東京都競馬事務所長)・中山肇(競馬保安協会地方業務部長.)・山田実(全国公営競馬主催者協議会事務局次長)・松崎勇(特別区競馬事業所調査課長)==司会 <役職は対談時のもの>○収録 昭和48年5月1日 《特別区競馬組合発行「大井競馬重賞競走優勝馬の全て」より》----------------------------------------------------・司会=本日はご多用のところお集まりいただきありがとうございます。本年(昭和48年)4月から大井競馬も当特別区営競馬の単独開催となり、一段と責任を感ずる訳ですが、この際、大井競馬の生い立ちとその初期の歩みを記録保存するため企画した次第であります。そこで大井競馬と苦労を共にしてこられた皆様から、過ぎたことを承りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。・江馬=温故知新と言うところだね。なにしろ出席の皆様は「生きた大井競馬史」ですからね。・司会=座談会の進め方として大井競馬の生い立ちと現在までの沿革、それに今後のあり方に分けてみました。今回は時間の都合もありまして大井競馬の初期について話して頂きたいと思います。▼八王子競馬で初の連勝式採用鈴木=競馬法の施行を近代競馬の原点としているがそのとおりだと思う。終戦後はさておき、公営競馬を起点として南関東一都三県の競馬関係者は非常に意欲的に行動したのですが、その公営競馬の下地を作ったのがヤミ競馬です。この辺の事情からみていくひつようがあるとおもいます。第二次大戦末期までは軍馬資源保護法により鍛錬馬競走が実施されてきたのです。終戦で同法が失効し競馬の開催は中断されたのですが、民心の安定にも資するため一部有力者が競馬の再開を考え、神奈川県の馬連が県から人寄せの許可をとり戸塚競馬を開催したのが、ヤミ競馬の発端だと思います。・司会=終戦直後ですか?・鈴木=昭和21年7月ごろですね。そこで、南関東ではこの戸塚競馬を皮切りに競馬をやることとなったわけです。東京都の場合も都の馬連が興業取締り規則により警視庁から競馬開催許可を受け八王子でやったのが都のヤミ競馬の最初になる訳です。・司会=混乱した時代だから大変だったでしょう。・鈴木=とにかく走る馬は全然ないというくらいなので、馬集めに一番協力し、また実力があったのはいわゆる筋の人だったので結果としてはボスの競馬になったのだが、これがヤミ競馬の大きな特色だった。 <続く>
2010年01月14日
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モンキー乗り誕生の裏 現在、地方・中央問わず全ての騎手が行っている騎乗方がモンキー乗りだ。これを発明した(ノーベル賞やってもいいくらいだ)のは米国のトッド・スローン騎手である。この発見が全く偶然のことであったこと。ある日のことトッドは馬に引っ掛けられて鞍からずって、馬の首に乗ってしまった.トッドは全力で手綱で、足の先で、膝で落ちないよう頑張った。これを見た競馬場のお客たちは「モンキーが馬に乗ってるぜ」と大笑いした。だが、トッドハ馬が非常に自由に大きな歩幅で乗り手の体重移動を楽しんでいるように走っているのに気がついた。トッドは朝の追い切りで短い手綱とアブミで実験を試み調教師に披露。その後毎日練習して、実際にレースで試みる事に。1894年。ドット20歳のときだった。翌年には本格的にモンキー乗りで騎乗をはじめ1895年は442回騎乗して勝率30パ-セントを得た。 もしドットが引っ掛けられることなくフッ通にあの時騎乗していたならばモンキー乗りは誕生はしなかった。「偶然が生んだモンキー乗り」でした。《佐藤正人競馬研究ノートより)*日本に本格的なモンキー乗りを持ち込んだのは、ハクチカラでアメリカ遠征して帰国した保田隆芳であろう。
2010年01月14日
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手前味噌ながら最も思い出深い馬を取り上げました。当時筆者はトラックマンとして現場に出たての超新米記者であった。仕事が面白くて面白くて連日分場の小天狗(厩務員が調教を見学する所)に通っていた。当時は、分場に常駐の記者は居らず筆者一人だった(他社の記者は追い切りが始まってから集合)。 日に焼けたその頃の調教取材ノートを読むと*12月14日ハクバネプチューが初めて時計を出す。388~◎(初時計とは思え ぬ動きだ)*12月21日ハクバネプチュー試験用の追い切り443~◎(もったまま素軽い動 き)*12月24日ハクバネプチュー能力試験合格(馬群に入れる感じで楽に)*1月2日ハクバネプチュー中間追い切り528-389強目(追って伸びよし)→ テキからこれを本追い切りにするが公表を控えるよう要請有。馬主が時計を見てそ の気になっては困るから。前肢の左右の長さが違っている馬だからデビューできれ ば上々とのこと。TM全員が揃った10日以降*1月13日ハクバネプチュー追い切り582-438~◎(乗り手が押さえるのに 苦労?) 調教師は「足もとがあれだから使ってみないと?」と言うが、あの初めて時計を出 したときの動きと時計。正月明けの追い切りの動きからいって5歳の最下級条件な ら初戦からイケルと自分は確信した。自慢させてもらいますと、ロングジェットという一本被りの人気馬がいたのだが、強気で◎を打った。このレースでハクバネプ チューに◎を打ったのは、専門紙、スポーツ紙をあわせて予想を打っている記者で は自分ひとりでした。 馬券でも、当然大勝負をした。買い目の詳細は忘れたが、単・複・連全て的中して 受け取った茶封筒のなかには年収の半分近い払い戻しがあった。ハクバネプチューと いう馬は体高が高いので馬群に入ってもすぐわかる。武井(現早田)騎手が向う正 面でまくって出たときにもはっきりとわかった。 *注)あぶく銭は、吉原や南町(川崎)、金津園にて<泡と消えた>。 大勝ちして『馬券というのはこんなに簡単に取れるものなんだ!』と筆者は思い込 んだ→借金500万まではあっという間だった(バクチで儲けるのは不可能・バク チ=バテ朽ちる)当時の筆者の<競馬記者心得>は「自分の取材に責任を持つ意味 からも勝負勝負!」と「馬券で大勝負できないトラックマンは信用するな!」だっ た。
2010年01月14日
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2010年01月13日
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▲第一回地方競馬競走のときのいい話を…。 当時の年間最多勝の世界記録505勝を持つ佐々木竹見騎手が選定候補馬にお手馬画おらず出場できないのでは?と言われていた。そこで、ある調教師が東京ダ-ビ-馬リュウトキツに騎乗すればいいと言ってきた(竹見騎手を記念すべきレ-スに出場させてやりたくて)佐々木竹見騎手は「あの馬はヨッちゃん(佐々木吉郷騎手)がずっと乗ってる馬だから」と言下に断っていた。そのあとで、オ-ナ-ズタイフウが東京盃を勝ったので竹見騎手は自分のお手馬で出場できたのだった。、佐々木竹見騎手の人柄が表れたと言っていい。だろう。レ-ス当日には事件もあった。地方競馬では重量調整用の鉛は各競馬場に用意されてあるものを使用するが、東京競馬場に鉛は用意されておらず、騎手個人が用意することを竹見騎手は知らず加賀武見騎手から2キロの鉛を借りて騎乗した(武見×竹見の友情)が見せ場すら作れず後方のままに終わってしまった。地元に戻った竹見騎手は、レ-スの敗因を地方競馬担当記者に「レ-ス前にはじめてみた坂と長い直線をあまりに自分が意識し過ぎてしまって、それに坂の手前で追った馬は必ずゴ-ル前でばててしまうと聞いていたので坂を目標にレ-スをしようとした。これが、結果的に見せ場も作れず惨敗した原因だろう」と話し、さらに、「雨の不良馬場でなければ逃げることも出来た。当日を入れて三度の輸送。さらに広いパドックと大観衆で馬がかなり疲れていたのも事実だが、雨で滑る芝でなければ無理すればハナに行くことは出来た。ただあの時のユウシオやト-ヨ-アサヒと逃げ争いを演じてなお逃げ粘ることは難しかったでしょう。それでも見せ場くらいは作れたはず。ガンガン逃げてそれでバテたらもう終わりだと言うようなレ-スを今度はしたい」と珍しく口惜しさを吐き出した。実際に府中でレ-スを見たのだが、パドックに整列した顔なじみの騎手たちに違和感を覚えた。いつもの勝負服(騎手服)でなく情けない貸し服であったのが原因だった。「何で騎手服じゃあだめなんだろう」と思ったことをはっきりと覚えている。貸し服で優勝写真撮っても嬉しくはないだろうとも思ったが、幸い???中央馬が勝ったが….
2010年01月13日
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当時は、益田競馬場所属だった新人騎手です益田競馬廃止により現在は浦和競馬所属の岡田大騎手です第四コーナー、タイミングよく抜け出したのが、四番の宮下瞳騎手粘る宮下瞳騎手を交わして差し切った下條知之(黄色帽)(争覇戦を射とめ意気揚々と引き上げてきた下條知之騎手、この日は三勝もしました
2010年01月13日
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出場メンバーはこちら
2010年01月13日
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第十二回高知新人王争覇戦・大物登場!前夜祭で橋口アナウサーからインタビューを受ける下條知之騎手(優勝)========まだ、800勝前なのが歯がゆいほど同じく、宮下瞳騎手(二位)===今や、女性騎手最多勝記録更新中(韓国でも大活躍)
2010年01月13日
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第二十四代目若き覇者は伊藤工真騎手(JRA美浦)NRAのページに得点表他---------------自論ですが、優勝劣敗の世界。1着にならずの優勝は、折角二戦のポイント制にしたのならポイントが一番多くても最低1勝しなければ争覇王と認めないと言う条件をつけて欲しかった。一生に一度のチャンスと言う意味でも従来の一発勝負でも良かったと思うのですが…
2010年01月12日
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○96年「全日本新人王争覇戦」に集結した面々 精悍な顔が並ぶ。木村龍二騎手はここでも福永祐一騎手の前にいた(笑)○第四角荒尾の西村栄喜騎手を先頭に直線最内西村栄喜騎手、内加藤和義騎手を一気に捉えにかかる外木村龍二騎手先に抜け出した木村龍二騎手に内から競りかける服部茂史騎手(中津)大外から伸びてきたのが福永祐一騎手(7番)○異常なマスコミに無視されていてもこの淡々とした表情で枠場にて○表彰式優勝騎手は真ん中の木村龍二騎手手前が二位の福永祐一騎手、奥が三位の笠松・水野淳平騎手そういえば、このとき木村龍二騎手でこのレースに優勝した馬の父親は、今回NARグランプリ2009で特別表彰されたタガミホマレだったような!
2010年01月12日
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12日に行われるこのレースは、地方競馬教養センター卒業式でお互いに「高知で会おう」と言われているくらい新人騎手の目標のレースです。----------------------裏話「勝者はどっち?」1996年高知競馬場で行われた「全日本新人王争覇戦」のときでした。高知出身の天才福永洋一騎手の息子祐一騎手の登場で高知競馬城始まって以来はじめての数の報道陣が押しかけていた(ハルウララ騒動などと言う馬鹿騒ぎのずっと以前)。本番前の交流競走と新人王戦の二鞍に騎乗した祐一騎手はさすが血は争えぬと言う騎乗振りを見せてくれ2着2回 とたいした新人ではあった。 二戦ともに勝ったのは浦和の木村龍二騎手だ。祐一騎手の上を行ったのである。▼ところが、報道陣が群がったのは、勝者ではなく祐一騎手であった。(マスコミの報道姿勢の異常さ)ぽつんと一人で鞍を外したりしている勝者木村龍二騎手の周りには数人だけ。記者(反福永発言を口にさせようと目論むJRA御用記者(提灯持ち記者)と地方競馬応援団長の青木娃耶子女史 と自分だけという異常な光景が展開された。祐一騎手に罪はない。ひとえにマスコミの公平さを欠く異常な取材姿勢が問題。この日は、息子の晴れ姿を見ようと父である天才福永洋一元騎手も里帰り来場していた。ゴシップ紙並のマスコミが多いと察した、高知競馬場の好判断により、取材規制が設けられましたので、福永洋一元騎手への無礼な取材は防げました。週刊誌てきなものやフリーのカメラマンはオミット!英断でした高知競馬場 !!!!。
2010年01月11日
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写真満載の前回の成績集今回はLJS特集でした。
2010年01月11日
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