三重動物学会
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11月8日、松阪市の阿坂にある標高300mの白米城での観察会が開催されました。当日は、天候も良く10時に浄眼寺駐車場に集合。参加者は9名でした。普通に歩けば30-40分で城跡に着きますが、観察しながらなので、時間がかかります。写真は、ジムグリの子どもです。小さいうちは、きれいな色彩です。途中、オオスズメバチが乱舞していました。おそらく、先に通ったグループが刺激したものと思われます。このまま、通るのは危険と言うことで、あきらめて帰るグループもいましたが、そこは生物にかけては百戦錬磨の先生方がおられますので、道からそれて山中に分け入り、迂回して元の道に出ました。ようやく到着した城跡で昼食です。白米城は、別名で本来は阿坂城と言います。初めてれしきに登場するのは、南北朝時代の1352年のことです。しかし、1414年の戦いで世に知られます。世の中が、南北朝に分かれて戦っていた時代、伊勢の国司であった北畠満雅(みつまさ)氏は南朝最後の天皇である後亀山天皇の皇子、小倉宮恒敦(おぐらのみや つねあつ)に応えて兵をあげ、阿坂城に立てこもりました。それに対して北朝方の足利幕府軍が攻めこんで来ましたが、北畠軍の守りは堅く、なかなか攻め落とせません。そこで、足利軍は城が山中の高台であることに目を付け飲み水を絶つ作戦をとりました。それに対して北畠軍は、城内に軍馬をならべ、その背中に白米をどんどんかけさせました。その光景は敵陣から見ると、馬を水で洗っているように見え、けっして水不足では無いとの判断させたのです。ここから白米城と呼ばれるようになりました。実際の城跡は、辺りの見晴らしはいいのですが、軍馬をたくさん並べるほどの広さは感じられません。城と言っても大阪城や名古屋城のような立派なものでは無かったと思われます。その後、白米城は、1569年に織田信長の大軍によって落城しました。このような歴史のある場所でのピクニック的観察会も無事終了し、午後には下山?しました。
2009.11.09