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今度の台風は愛知県をかすめて西の方へ去った。 風は吹き荒れたが幸い被害はなかった。 2階に上がり締め切った雨戸を開けた。 ベッドの横の雨戸を開けようとしたとき、足の指が床にあった何かにぶつかった。 「痛ったた!」 右足の中指だった。 しばらくたっても痛みはおさまらない。 腫れてはいないが痛い。 「折れたんじゃない?」 かみさんが言う。 う~ん、折れてはいないと思う。 湿布だけして寝た。 朝、指の様子を見た。 (薬指の爪は、先日の奥州街道ウォークで痛めたもの、もうじき抜ける。) 「病院に行った方がいいよ。」 骨折していても、痛み止薬と湿布薬を処方されるだけだから病院には行かない。 「クロジリくらい湿布だけして放って置けば治る」 と言ったら かみさん「クロジリ?」 内出血したところが黒く見えるのをクロジリになると言うのだけれど・・・・ クロジリは山口弁じゃろうか
2018/07/30
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陶芸教室の本焼き当番最上段左が私の作品 花入れ、どのような出来上がりになるか たのしみ。9時半に教室に行き 電気窯の扉を閉めてスイッチを入れたらそれで終わりだった。することもないので 碧南市藤井達吉美術館で開催中の「富岡鉄斎展」に行った。鉄斎50代 70代 80代の作品が展示されていた。眼福、眼福。見終わって画集でも買おうかと思ったが 色紙を売っていたのでそちらにした。展示されていた中に欲しいのがあったのだが その絵の色紙はなかった。結局 展示されていない作品の色紙を求めた。「漁夫快酔図」 鉄斎85歳の作品。原画は灘の白鷹酒造の辰馬考古資料館にある。賛は 最初の文字が読み取れない 「雁」の字に似ている「雇」かもしれないその下に「入」あるいは「又」か合わせて たぶん籠の意味の文字か 籠魚樽酒 先須酔 明日愁来明日愁「籠には魚 樽には酒がある先ず酔うべし 明日の愁いは明日のこととしよう」とでも訳すのだろう。中国のことばに「今朝有酒今朝酔、明日愁来明日当愁」というのがあるのを見つけた。明日は明日の風がふく 今は先ず一杯いこうじゃないか
2014/02/07
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朝の散歩を終えて本など読んでいる。時おりタイガのトイレタイム、青空、外は暑い家の中、気温は高いが湿度が低いから爽やか。天気予報を見ると来週は晴れる日が多いみたい梅雨の晴れ間というよりは梅雨明けかももっとも 2週間予測はあてにはならない。タイガ昼寝ちうかみさんはプールへ爺は喫茶店にでも行くかな。
2024/06/26
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昨夜 熊本地震のニュースを見ていたら 熊本震度7これは大変だ 山口県は? 震度2 うん大丈夫。念のため 山口県に住む継母に電話をかけたが 寝ているのか出ない。今朝のニュースで熊本の甚大な被害を知った。改めてかけた電話で継母は 地震のことを今朝のニュースで知ったと言う。熊本の被災者には 申し訳ない気がするが 継母の無事に一安心だった。4月1日の地震。では このあたりも震度2か3で不気味な揺れを経験した。熊本では 震度4クラスの余震が続けざま何度も起きている、つらいだろうな。急を要する救援は政府や自治体にお任せして 我々にできることは経過を見守ることと 「貧者の一灯」義援金募集に応じることくらいか。
2016/04/15
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知多四国弘法巡り 第88番「結願の寺」円通寺でいただいてきたお札。境内の張り紙に「しも・お尻を お守りしていただくお札様。便所の神様」200円と書いてあった。正式には「烏枢沙摩明王」のお札。ご利益が名高く、しもの病に霊験あらたかといわれている。もうひとつ しものネタ(下ネタにあらず)これは 別のお寺のトイレにかけてあったもの。両方に 心当たりがある年齢である。
2010/01/25
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碓氷峠から坂本の宿への道は 先日の台風の影響だろうが荒れ果てていた。峠からの下り半ば 山中茶屋跡の少し峠寄りで道の右上方に 廃バスが置かれていた。こんなところに 一体どうやって運んだのだろうか。道はとても車が走れそうもなく思えたのだが帰宅後の写真を見ると 車1台が通るくらいの幅はある。廃バスの手前で写した写真と 廃バスを過ぎて写した写真。 山中茶屋跡までたどった道は 昔の自動車道だったのではないだろうか。坂本方面から軽井沢への道は 昔の鉄道跡、自動車道跡、現在の自動車道、江戸時代の中山道古道。多くのルートがあるようだ。 家から近くだったら何度も行って確かめたい気がする。
2011/10/22
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2月10日中日新聞朝刊「西三河版」に こんな記事が出た。概要は豊川の旧家に保管されていた古文書の中から旗本大久保彦左衛門が書いた三河物語の写本を発見江戸後期文久元年(1861年)にかかれたものらしい表題に「参河記」とある、このような表題のものは少なく貴重な資料ではないかえらいものを発見したよう記事なのだが大久保彦左衛門は「三河物語」の中で この書は大久保彦左衛門家の子や孫・自分の子孫のために書き残しておくもので 「門外不出」と書いているのだが最初から「拡散」することを狙っていたようで存命当時から写本が出回り年を追って広まった。記事にある文久元年のような幕末の頃には日本中に出回っていた。従って「三河物語」写本は珍しくもなんともない。そんなに好評だったのにどうして印刷本にしなかったのかについてはまたの機会に書いてみたい。表題は筆写する者がそれぞれ勝手につけたようでネットで古書をさがすと「参河記」というのに出くわすこともある。つまり 記事にする価値もないものを載せてしまったということ。爺がネットオークションで手に入れた「三河記 巻の下」巻の上・中が欠けているから 千円もしなかったように思う。三巻揃っていれば1万円くらいの値はつくかもしれないが爺のようなマニアでも新聞の写真にあるような汚いものはいらない。ちなみに彦左衛門の直筆 「原本三河物語 影印篇」第三下三河物語は徳川3代 家康・秀忠・家光に仕えた旗本大久保彦左衛門忠教(ただたか)(1560~1639)が その晩年に書いたもので 大久保家が代々保管して250余年。明治13年 勝海舟の周旋により、主家徳川家が買い上げた。後、昭和9年大久保家に返されたのだが その後他人の手に渡り 以降持ち主が転々として現在は豊川市の穂久邇文庫が保管しているという。実物をひと目見たいと思っているがまるで手蔓がない。「原本三河物語 影印篇」「研究・釈文篇」(勉誠社)これは穂久邇文庫の原本を撮影したもので爺などは これで十分満足ではある。写真左の日本戦史材料 三河物語は明治天皇が徳川家所蔵本をご覧になりその思召しにより明治23年に出版されたもので爺の一番の宝。ネットオークションで300数十円だった。この本には 上の写真にある文章 そのままの活字文が出ている。手に入れた当初は 読めない仮名がいっぱいあったのだが この頃 読めるようになってきた。「六十の手習い」おっと 去年から七十翁であった。
2017/02/10
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JRさわやかウォーキング「新幹線なるほど発見デー2013」浜松駅夏場だから距離は7Kmと短いが コースにJR東海浜松工場見学が組み込まれているのが魅力。歩き始めて5Km足らずで会場に到着。ここは 東海道新幹線の車両整備工場。今日は 夏休みの子供たちのための施設内解放デー。子供連れの親たちに混じって 鉄道オタクも大勢詰めかけている。最初に見学したのは 車台整備工場。整備が済んだ車台に 車両を載せる工程を実際にやって見せてくれる。車両は N700A。工場の外には ドクターイエローが待機している。間近で 写真撮り放題に感激。撮りまくった割には これはという写真はないのが不思議というか残念。広い工場内を 1時間以上 うろついて 浜松駅まで 2Kmを歩いて終了。新幹線の最新車両もいいが 往路 堀留ポッポ道という公園に展示してあった 大正時代のSL。かわいらしくていいなあ。
2013/07/20
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昨夜 テレビで 月の裏側の念写写真というのをやっていた。こんな話 好きなのです。超能力者 三田光一氏が 人類の誰も見たことのない月の裏面を透視し、それを念写したという。1931年(昭和6年)の話である。月の裏側というのが 当時として 実にいいではないか。だれが その真贋を確認できたのだろうか。今だから 出来る、念写と実写とを並べてみた。
2008/12/17
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今日の行程は37キロもあった。 7時15分宿を出てすぐ山道。 峠越えはないが坂を上ったり下ったり。 街道は西南戦争の戦跡が続く。 田原坂と並ぶ激戦地、山鹿口の戦跡。 激戦地には戦死した政府軍墓地。 南関というところを過ぎると福岡県に入る。 瀬高の船小屋公園の宿には5時少し前着いた。
2018/10/28
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昼間は咳もおさまってのんびりと休養を取れているのだが、夜になると喘息みたいな咳き込みが続く。 昨日はとうとう耳鼻科医院で喉の処置をしてもらった。 だが、昨夜も咳に苦しんだ。 咳以外はどこも悪くない。 痰がうまく切れないのがいかんと、かみさんは言う。 久しぶりの風邪だから、ただただ体を休めるだけ。 することもないから血圧でも測るか。 135/82 こんなもんだろう。 体温も測るか 6度4分。 最近、体温を測らないから平熱がわからない。 以前は5度8分くらいだったから6度4分は微熱か? 喫茶去 お茶菓子が見当たらない。 まあいいか あっそうだ、山口の外郎があった! もう一服
2019/07/20
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コーヒーでも飲もうかと思ったが抹茶にした。 あいにく茶菓子を切らしている。 別になんでも構わないのだがコンビニに出かけて「キンツバ」を買ってきた。 私のお茶は嗜好品 コーヒーと同列で 道具だてもごく簡略なものにしている。 パックから抹茶を茶さじ2杯 ポットのお湯を適当に注いで 茶せんでシャカシャカシャカシャカ泡立てる 釉薬が剥がれ落ちた自作茶碗にキンツバ ちょっと泡が少なかったかな こんな調子で連日の手前点前。 野点茶碗で一服、イチゴ大福。 自作茶碗、黒糖くず餅 かみさんが昔使っていた茶碗、茶菓子を大河に食われてしまい、こんなものになった。 事件を再現してみた。 シャッターを押すスキにキンツバちょっとかじられた。
2020/01/27
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昨日の続き 川端道喜15代目の書いた「和菓子の京都」をAmazonでチェックしていて「御粽司 川端道喜とわたし」という本を見つけた。 ※※※※※※※※※※※※ 〈400年以上も続く「御粽司・川端道喜」の16代当主夫人が綴る、伝統、人の縁、「描く」ことへの想い〉 〈宮中歳時で用いられる菓子をほぼ一手に調製してきた「御粽司・川端道喜」16代当主夫人が綴る日々の暮らし〉 ※※※※※※※※※※※※ 取り寄せた。 奥付けに 2020年1月初版発行。 著者 川端知嘉子 御粽司 川端道喜代表 (故)十六代川端道喜夫人 とある 著者は芸大出であるというのが うなずける感性豊かな文章で一気に読んだ。 16代目は19年くらい前45歳で亡くなっていた。 その後15代目夫人を看取り、女手で道喜の暖簾を守っている。 私がアルバイトしてたときから半世紀 「和菓子の京都」からでも30年。 いろいろあって当然なのかも知れない。 西陣の店でアルバイトしていたとき 粽作りにも加わったが よく粽の配達をやらされた。 配達は自転車だった。 四条の京都大丸には何度か配達した。 大阪梅田の阪急百貨店まで行くときは電車で配達した。 先斗町の歌舞練場に届けたときは 「鴨川踊り」に出る舞妓さんが化粧中の楽屋に 入ってしまうという貴重な経験をした。 「裏千家今日庵」への配達では 間違って隣り合わせた「表千家」に入って案内を乞うた。 坊主頭の人に教えてもらって 茶事に集まった和服姿のお嬢様方の 間を抜けて無事役目を果たせた。 お茶の「お」の字も知らなかったから、 「表千家」と「裏千家」の門を 1日のうちに くぐったことのすごさに気がつかなかった。 気がつかなかったと言えば 500年続く老舗和菓子屋の やがて16代目を継ぐボンを 自転車に乗せて 店から自宅まで運んだという経験は、 16代目が存命のうちに お会いできていたら どんなことになったかと思うと 残念な気がしないでもない。 配達といえば ある日大奥さん(14代目夫人)が 粽を金沢に送るのに 「飛脚に頼みなはれ」と言った。 ものを知らない私は 江戸時代の飛脚を思い浮かべたが なんぼなんでも現代の飛脚だから 鉄道に乗って運ぶのだろうと思っていた。 ずっと後で、 「飛脚」とは当時 京都で創業間もない「佐川急便」のことであったかと気づいた。 大奥さんの口からは いにしえの天皇の名や 千利休から富岡鉄斎 はては浪速千恵子まで ごく親しげに飛び出して来るのであった。 二十歳の4月から7月まで たった4ヶ月のアルバイトの日々は その後半世紀を経て私の中で 夢のような現実離れした思い出に なってしまったのかもしれない。
2020/05/18
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朝刊に今年のお年玉付き年賀ハガキ当選番号が出ていた。50枚に足りないハガキを確認した。切手シートでも当たっていないかと思っていたら、なんと 2等 ふるさと小包などが当たっていた!切手シート以上のモノが当たったことは記憶にない、快挙。カタログから選ぶのだというこれにするかな
2024/01/18
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次女の部屋には ベビーベッドが すえつけられた。周りには おむつ入れをはじめ 赤ちゃん用品が置かれている。予定では 3月末ということだったのだが逆子で 帝王切開に決まった。そのため 生まれる日に 時間までもわかっているのだ。16日午後1時。ようやく 孫が出来る。
2009/03/11
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