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先週の土曜日には道路側の樫の木に枝払いをやり、昨日の土曜日朝は庭の樫の木と木蓮の枝払いをやった。ついでに大きくなりすぎたキンカンの木を根元から切り倒した。BeforeAfter夕方、涼しくなるのを待って、お隣に飛び込んだ枝をかみさんと片付けた。かみさんがTVの大相撲を観ている間にトゲのあるキンカンの枝を短く切って厚手の肥料袋に入れた。こうして置かないとごみ袋がトゲで破れる。このあとは自分へのご褒美に金麦を買いに走った。つまみは金麦と一緒に買った鶏唐揚、カクテキそしてキュウリのラオガンマー和えはんらさんの「ハマってるラオガンマー」を見てさっそくアマ●●から取り寄せた。辛さほどほどで金麦によく合う。今朝は朝食後、かみさんと昨日の枝をごみ袋詰め、なんだか「やる気満々」今日は気温32℃予報だったので中止にした「Macモーニング」昼前までは20℃台だから、往復1万歩行ってくるかな。なんてやたらテンションUP!いやこれがまさに「年寄りの冷水」やめておこう やめておこう。
2026/05/17
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壮にして学べば、則ち老いて衰えず。 壮年の時学んでおけば、老年になっても衰えることがない。来月の誕生日で八十歳になるのだが、Geminiを使って古文書を読み解くたのしさに目覚めた爺ィ、まだまだあと5年は壮年のつもり。というわけで14日も古文書解読をAIを使って楽しんだ。一通目は5/14の泰巖歴史美術館Facebookから同館所蔵「有馬晴信宛家康書状」古文書カメラ「ふみのは」で読み取り後、爺ィが修正従船本御使者并ひいとろの鍋蓋五色縄送給候者之至候猶田左近可申候条 令言謹言六月十四日 家康花押有馬修理大夫殿これを「Gemini」に全文添削依頼【Gemini添削と説明】従船本御使者、并ひいとろの湯蓋・五色綾、送り給い候、悦び至り候、猶本多左近可申候条、不宣、謹言、六月十四日 (家康花押)有馬修理大夫殿【現代語訳(参考)】船便にて、お使いの者とともに「びいどろの湯蓋」と「五色綾」を送っていただき、手元に届きました。大変喜ばしく思っております。細かなことは、(私の家臣の)本多左近から伝重させます。六月十四日 家康(花押)有馬修理大夫(晴信)殿家康が有馬晴信からの南蛮由来の珍しい献上品を喜び、信頼する本多正純(左近)を通じて返事をしたためた、当時の外交・貿易の様子が伝わる素晴らしい書状ですね。本当に あっという間に解読出来た。続いて同じ秦厳美術館所蔵の「武田四天王図」こ解読これはGoogleレンズで読み取り自分なりに修正をしたのだが、なんとなくしっくり来ない。Geminiに書き起こしを依頼した。ずっと良くなったのだが、自分で調べた語句だけはGeminiに訂正を頼んでみたら すんなりと従ってくれた。「Geminiに訂正依頼」方圃→方圓=陣形内史→御史=高坂弾正の弾正(日本の律令制)は中国の御史にあたる虚実変不明→虚実克不明【Gemini訂正版】巌哉甲斐公 節制方圓中治国主人和 戮力攻取雄勇哉馬濃陽 每戦必有光褒書二十一 至死未少傷仁哉左典廐 善悌為公副十九垂訓辞 徳全斃越冠信哉御史也 好謀審取捨虚実克分明 軍鑑斯書写知哉道鬼齋 韜略巻而懐武教賜萬世 隕命名不埋嘉永七甲寅仲冬應需越水軒噐泥摩(舟)書【現代語訳(訂正版)】厳かなることかな、甲斐公(武田信玄)。その軍法、統制と陣形は整然と保たれている。国を治めれば領民は和み、力を合わせれば攻め取る勢いは英雄そのものである。勇ましきかな、馬場美濃守(馬場信春)。戦うごとに必ず輝かしい武功を挙げた。(主君より)二十一通もの感状を授かり、最期を遂げるまで戦場で体に少しの傷も負わなかったという。仁愛深きかな、左典廐(武田信繁)。兄によく仕えて従い、副大将として尽くした。十九か条にわたる訓辞(武田信繁家訓)を遺し、徳を全うして越後の敵(上杉謙信)との戦いで散った。誠実なるかな、御史(高坂弾正昌信)。深く智謀を巡らせ、状況に応じた取捨選択を慎重に見極めた。戦の虚実を克(よ)く明らかにし、その知略を『軍鑑(甲陽軍鑑)』として書き記した。知略に長けたることかな、道鬼斎(山本勘助)。優れた兵法を深く胸中に秘めていた。その武士の教えは万世にまで授けられ、命を落としてもその名は埋もれることなく語り継がれている。嘉永七年(1854年)寅年 十一月、求めに応じて。越水軒 器泥摩 がこれを記す。一日に2つの古文書を解読出来るとは「AI」さまさまだなあ。
2026/05/16
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先日17回忌をやったので、命日の今日は改めての墓参り。朝9時に着いたのに、すでに墓前に花束が置いてあった。毎年墓参りしてくれる長女の同級生。花束の花も合わせて墓前の花を取り替えようとしたら花入れの中からカエルが3匹。何代目かの墓守り。こちらは墓守りの犬の置物と大河。昼、かみさんはプールに出かけたのでノンシンのキムチ辛ラーメン!肉、野菜、とうふも入れてスン豆腐チゲ風。初めての味だが、いつもの辛ラーメンより こちらの方が好きだな。
2026/05/15
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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」を毎週見ている。一昨日の放送は木下藤吉郎秀吉が小谷城攻略の褒美として長浜の城主となったばかりの頃のこと。(2025年11月)天正元年9月浅井長政が切腹して小谷城は落城したのだが、その前から秀吉は横山城番として、その地を宰領していた。弟の小一郎は兄を助けて領国経営に取りかかったところである。天正元年8月の羽柴秀吉と秀長の書状が長浜城歴史博物館にある。古文書カメラ「ふみのは」とGeminiを使って解読してみた。秀吉書状[書き起こし]各早々令還住尤(?)之下ニ様之族一切之停止候也羽柴藤吉郎(天正元年)八月十一日 秀吉花押古橋郷名主 百姓中[意味]「古橋の村人が村に戻って住むことについて、今後は誰であっても(兵士などが)村に入り込んで邪魔をしたり、乱暴をしたりすることを一切禁止する。 羽柴藤吉郎秀吉」木下小一郎秀長黒田郷宛書状秀長が「木下小一郎長秀」として初めて登場する書状(天正元年1573年)小一郎が任されていた黒田郷の百姓の頭に宛てたもので、他郷へ逃げていて帰還した百姓に乱暴狼藉をするなという通達のようだ。[文字起こし]黒田之百姓衆 何れも令還住上者乱妨狼籍 之儀有間敷候若違乱之族 在之者急注進可申越被存候木下小一郎八月十六日 長秀花押 (当時は長秀 後に秀長)黒田郷惣百姓中[現代語訳]黒田の百姓(農民)たちが、みな元の住居に戻ったからには、彼らに対して乱暴な振る舞いをしてはならない。もしこれに背いて妨害を加える者がいれば、すぐに報告しなさい。長浜の城下には秀吉の像などたくさんあったが、秀長の像などはなかった。長浜の駅前には秀吉と石田三成の像があった。傍らの説明板によれば「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」鷹狩の途中に寺へ立ち寄った秀吉公に対し、寺の小姓であった佐吉(14歳、後の石田三成)は、相手の様子を察して三段階にお茶を出し分けました。一杯目は、喉の渇きを潤すための「ぬるめをたっぷりと」二杯目は、喉を潤した後の「少し熱めを半分ほど」三杯目は、味を楽しむための「熱いお茶を小さめの茶碗で」この細やかな気配りに感心した秀吉公は、佐吉を家臣として召し抱えました。この逸話は「三献(さんこん)の茶」として今に伝えられています。ドラマでは片桐且元、藤堂高虎らと共に羽柴秀吉の採用試験を受ける成人姿の三成だった。まあフィクションだから 良しとしよう。
2026/05/12
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連休最終日、重い腰を上げて庭木の刈り込みを始めた。まずは、道路側の伸び過ぎた樫の木、脚立に乗っての作業は平衡感覚のないジジには荷が重いのだが落ちたらすぐ救急車を呼んでくれるよう かみさんに見張りを頼んだ。脚立に昇り左手は枝をつかみ、右手でのこを使う。案の定、2回ほどぐらついて脚立が傾いたが、左手でつかんだ枝のおかげで体勢を立て直した。高さを揃える余裕がなかったが、こんなもんだ。外の光が入って家の中が明るくなった、いや 明るくなりすぎた。切り終えた枝を短かく切ってごみ袋に詰めるのは夫婦共同作業。予定では庭のの隅の樫の木と木蓮の枝も短かく切るつもりだったが、慣れぬ仕事に疲れて、本日はこれまてとした。あれから3日目、今朝は天気は良いのだが風が強いからやめておこうか。にわのアロエに花が咲いていると かみさんが呼ぶ。しごいすごいと騒いだが、散歩に出かけて見つけたのはう〜ん 上には上があるものだ、ね。
2026/05/09
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中日新聞のこんな記事を見つけた、この史料は1590(天正18)年12月、秀吉の家臣・伊藤秀盛が白山中居神社の神職に送った文書の写しで、文中に「関白様 酉之御年(とりのおんとし) 御年五十四歳」と記されており、秀吉が酉年(とりどし)生まれの数え年54歳であったことが分かる。逆算すると、秀吉の誕生年は天文5年申年ではなく6年の酉年となる。ということなのだが、ジジの関心はそこにはなく、この古文書の文字起こしをしたいのである。どうしたわけか、スマホのストレージ容量不足かも知れないのだが 古文書カメラ「ふみのは」が不調で、GoogleGeminiだけを相手に文字起こしした。白山御建立祈祷之事関白様 酉之御年 御年五十四歳大政所殿 丑之御年 御年七十四歳若君様(鶴松)丑之御年 御年 二歳小政所様若君様御誕生ニ付御祈祷 以上右ハ御祈願之次第を以、御武運長久、家門安全、息災延命、寒之内 毎落合御祈祷也 如件 伊藤加賀守 秀盛花押 天正拾八 十二月吉日 平泉寺内 松本坊素人の趣味としては上出来ではないか。
2026/05/06
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京都市左京区一乗寺にある「詩仙堂」江戸時代初期の文人・石川丈山が晩年を過ごした山荘庭園で「鹿(しし)威し」発祥の地。大学1年生のころ、近くの岩倉に下宿していたので 何度か訪ねたことがある。その石川丈山が生まれ育ったのが三河国和泉(愛知県安城市和泉町)丈山没後350年を経ても地元の人々に愛され続けており、詩仙堂を模した丈山苑と言う庭園がある、丈山苑今、安城市歴史博物館では「丈山展」を開催中5月2日、車で出かけてみた。数々の書画を見てきた中で印象深かったのは富岡鉄斎鉄斎の描いた丈山像 賛も鉄斎によるこの画像丈山像は狩野探幽画 丈山本人の賛 を模しているそうだ。例によって「鉄斎 賛」の書き起こしをやってみたくなった。古文書解読アプリ「ふみのは」では歯が立たなかった。「ふみのは」は漢文に弱いようだ。「Googleレンズ」に漢文の部分だけ読ませた『石り山健原名重之飛泰信岡後及名凹字丸山隔六・人参州人住東聖公浪華風戰先登交瑰乾表作:某及從者变省後每去肥逊打收束一乗寺築詩仙堂二十三汽車年九十的是陈现存至今』ここまで読めれば あとは「ウィキ」の丈山の経歴と照らし合わせて『石川丈山姓源名重之始嘉右衛門後内名凹字丈山號六々山人参州人仕東照公浪華岡山戰先登交鎗斃敵作ニ某及從者獲首後辞去肥避打洛東一乗寺築詩仙堂巧語能書実曉世之隠士也寛文壬子夏五月二十三日沒享年九十歳遺跡現存至今』この漢文をGeminiに書き下し文にしてもらった『石川丈山、姓は源(みなもと)、名は重之。始めは嘉右衛門、後に内名(うちな)を凹(おう)とし、字(あざな)は丈山、六々山人と号す。参州(さんしゅう)の人なり。東照公に仕ふ。浪華(なにわ)・岡山の戦いに、先登(せんとう)して鎗を交へ、敵を斃(たお)し、某(ぼう)及び従者の首を獲(う)る。後に辞し去り、洛東(らくとう)一乗寺に肥避(ひひ)し、詩仙堂(しせんどう)を築く。巧語(こうご)にして書(しょ)を能(よ)くし、実に世の隠士なり。寛文(かんぶん)壬子(じんし)夏五月二十三日没す。享年九十歳。遺跡(いせき)現存して今に至る。』続いてかな文字部分こちらは「ふみのは」に任せた。渡して則見川水浦仕へ上た小の波たつかけ候し村山年中後水尾天気南あて御坐候召たまふニ辞して奉承た也彼なりと彼き欲と雖賞をにさて????さっぱりわからんでも後水尾天気は後水尾天皇だろうそこで 「石川丈山 後水尾天皇 関係」をキーとしてGoogle検索したら『『続近世畸人伝』によると、上皇の「お召し」があったが、「渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波にも濡れやしつべき」という、老いを理由に参内を辞退する和歌を返したエピソードが有名。』と出てきた!続いて『続近世畸人伝 石川丈山 後水尾天皇』をGoogle検索したら「国際文化研究センター」の石川丈山がヒットした。これは続近世畸人伝第一巻冒頭「石川丈山」のほぼそのままみたいだ。読んでみると先程の鉄斎かな文字部分が これを模したことがわかる。だから、渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波たつかげははずかし丈山後水尾天皇勅ありて翁を召たまふニ辞して奉れる也波たつを波そふと雌黄をなし 賜わりしとぞ前出の漢文と このかな文字を合わせてGeminiに現代語訳を依頼した。[現代語訳]石川丈山は、姓は源、名は重之、通称を嘉右衛門といい、のちに凹、字、丈山、六々山人と名乗りました。三河国の人で、徳川家康公に仕えました。大坂夏の戦において先陣を切って敵某及び従者二人の首級を挙げました。しかし家康公の命(抜け駆け禁止)に背いたとして官職を辞し、京都に隠棲しました。のちに京都の一乗寺の地に「詩仙堂」を築きました。そこには、中国の優れた詩人三十六人の肖像を掲げ、自らも詩歌に耽り、清貧な生活を楽しみました。丈山は巧みな詩文を綴り、書道にも通じ、まさに世の真理を深く悟った、本物の隠者でありました。寛文12年(1672年)5月23日に没しました。享年90歳。その高潔な足跡は、今もなお人々に語り継がれています。なんとまあ 八十歳のジジィが スマホだけを頼りに富岡鉄斎の難解な書を解読出来てしまった。すごい武器を手に入れた心地!ついでに狩野探幽画 石川丈山賛の「石川丈山像」も解読してみた。こちらはGoogleレンズとGeminiだけに頼った。レンズで読み取った文に手を入れた加賣隱几招禍忌巾 黙上霄貌昭上精魂交游造物涵籠道真 八秩滙走三陽逸民逸民謂誰六々山人盲書これをGeminiに添削依頼したら[ ]の文字が直された加[帽]隱几招[提]忌巾[点]上霄貌昭上精魂交游造物涵[養]道真八秩[矯]走三陽逸民逸民謂誰六々山人盲書Geminiが要約してくれた。帽子を被り、机に寄りかかり、隠遁の身で静かに暮らしている。探幽がその姿を描き出し、私の精神をここにはっきりと映し出した。私は万物の創造主(自然)と遊び、真理を心に養っている。八十歳になっても健やかに過ごす、この三陽の隠者は一体誰か。それは、この「六々山人(丈山の別号)」である。(目がかすむなか書いた)盲書である。丈山が80歳のときに、自身の肖像画に寄せた自嘲気味ながらも誇り高い言葉です。お手元の資料と照らし合わせてみてください。
2026/05/05
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予約しておいた「こうはな」(シキミ)の苗を受け取りに行くと言う かみさんを乗せて片道40km先の新城まで行ってきた。こうはなとは、墓や仏壇に供える常緑樹2本で1000円お友だちに頼まれたものだ。大きくなるとわが家の庭の「こうはな」(植えてから7年)東三河の新城まで行くのだったら、昼は「猪鍋」にするかと 思ったのだが老犬「大河」を3時間以上 ひとりぼっちにして行くのはチョット無理。連れて行くことにした猪鍋屋に犬は連れていけないからパス結局、時々行く「だわり屋酒店」に立ち寄り岩国の酒 五橋純米酒と猪肉ソーセージを買って帰った。晩酌は 豊橋市「ヤマサ」の豆ちくで300mlソーセージはまたのたのしみ。飲んでいて次女からのLINEに気がついたヤモリの写真窓ガラスにくっついたヤモリの腹はよく見るが背中の写真は貴重大河 介添記録毎回、庭に出しているのだが、待ちきれず家の中で用足しもある。
2026/05/04
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NHK大河ドラマの影響か このところ同時代の古文書のニュースをよく見かける。古文書の解読に興味はあるのに実力の伴わないジジィ最近見つけた古文書アプリ「古文書カメラ ふみのは」で「文字起こし」これをGoogleGeminiで「読み下し」と「現代語訳」不鮮明な新聞の写真を撮影して、それぞれ読み取らせるのだから、完璧ではないが、素人の古文書解読としては上出来だと思う。ジジの興味を引いたのは、まずは 秀吉が長浜城主の時代、弟(秀長)当時木下小一郎長秀が黒田の百姓一同に出した「禁令」〈書き起こし〉黒田之百姓衆 何れも[令]還住上者乱妨狼籍 之儀有間敷候若違乱之族 在之者急[注進]可申越[被存]候〈読み下し文〉黒田の百姓衆、いずれも還住(かんじゅう)せしめの上は、乱妨狼藉の儀、あるまじく候。もし違乱(いらん)の族(ともがら)これあらば、急ぎ注進申し越されるべく存じ候。木下小一郎 長秀花押黒田郷惣百姓中〈現代語訳〉黒田の百姓(農民)たちが、みな元の住居に戻ったからには、彼らに対して乱暴な振る舞いをしてはならない。もしこれに背いて妨害を加える者がいれば、すぐに報告しなさい。次に「小牧長久手の戦い」の最中、兄秀吉から弟秀長への手紙これは写真が不鮮明な上長文のため かなり手こずった。尚以城留守善丈大々可申存候●●有●●●昨日十七日事状并 海道より折帋●●令披見候此 さ●も其通申去ニ而則●●● 人料者差遣候黒田一宮迄之 ●●ニ候煙可被●●此方ニ●● 不入候間秀吉廿日此方者可罷上候 廿一日ニハ日野にて被●●越候 可有候其方之儀者状者儀 可被相越候舟手之儀無由 断可被申付候事●●尚 廻●●●●●●●盛●寺三十八長 花押美濃守殿昨日十七日書状并 厩屋より折帋具被見候此 まても其通申来候則此面へ 人数を差遣候黒田一宮迄之 放火上之煙可相見候、此方ニハ人数 不入候間秀吉廿日ニ此方を可罷上候 廿一日ニハ日野マテ被差越候(1行不明)其方之儀者弥其 城へ被相越候や舟手之儀無[由] 断可被申付候事肝用候尚 上之可(以下不明)(1行不明) 筑前守 花押美濃守殿(袖書き)尚以城ゝ留守居太夫々可申付候被●●不可由断候読み下し文】昨日十七日の書状並びに厩屋よりの折紙、具(つぶさ)に拝見せしめ候。此の方(まで)もその通り申し来たり候。則(すなわ)ち此の面へ人数を差し遣わし候。黒田・一宮までの放火、上の煙相見えるべく候。此の方には人数要らず候間、秀吉二十日に此の方を罷り上がるべく候。二十一日にには日野まで差し越され候。其の方の儀は、弥(いよいよ)其の城へ相越され候や。舟手の儀、油断無く申し付くべく候事、肝要に候。尚、上の(こと、追って申すべく候か)。筑前守 花押美濃守殿(追伸)尚々、城々の留守居、大夫等へ申し付くべく候。油断すべからず候【現代語訳】昨日十七日付のお前の書状、ならびに厩屋(滝川一益)からの報告書、確かに詳しく拝見した。こちらの方へも、同様の報告(一益が蟹江城を占拠した等の報)が届いている。そこで、ただちにこちらの方面(蟹江城)へ軍勢を差し向けた。黒田から一宮あたりまで焼き払わせたので、その煙がそちら(秀長の陣)からも見えるはずだ。こちら側の戦線にはもはや余分な軍勢は必要ないので、私(秀吉)は二十日にこの地を引き払い、上洛する。二十一日には(近江の)日野まで移動する予定だ。そちら(秀長)は、いよいよ予定の城へ移動しただろうか。水軍(舟手)の運用については、決して油断のないよう各所に命じておくことが、何より肝要である。なお、詳しいことはまた追って伝える。(追伸)なお、各城の留守居については、大夫らにしっかりと申し付けておくように。油断禁物この書状の書かれた当時の様子など調べれば調べるほど 面白くなり、どこにも行かずスマホを凝視する毎日視力衰え、腱鞘炎で手首が痛い。「古文書解読」は、身体に良くないみたいだ。でも、やめられない。
2026/04/30
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日曜日、長女の十七回忌をやった。命日は5月半ばなのだが少し早めた。当日参加できなかった孫三太郎の小6の卒業記念「歴史人物事典」というのを3女がくれた。日本の歴史上の人物50人を学童が調べてまとめたものだ。1卑弥呼 2聖徳太子 3小野妹子 4中大兄皇子 5中臣鎌足 6 聖武天皇 7行基 8鑑真 9紫式部 10清少納言 11藤原道長 12平清盛 13源頼朝 14源義経 15北条政子 16 北条時宗 17足利義満 18足利義政 19雪舟 20フランシスコザビエル 21織田信長 22豊臣秀吉 23徳川家康 24徳川家光 25近松門左衛門26歌川広重 27杉田玄白 28伊能忠敬 29本居宣長 30大塩平八郎 31ぺリー 32徳川慶喜 33坂本龍馬 34勝海舟 35西鄉隆盛 36大久保利通 37木戸孝允 38福沢諭吉 39板垣退助 40大隈重信 41伊藤博文 42陸奥宗光 43小村寿太郎 44 東郷平八郎 45津田梅子 46与謝野晶子 47田中正造 48野口英世 49北里柴三郎 50夏目漱石30数人の学級だから、1人で2人の人物を調べた子も多い。本当に小学生の作品? と思える出来映えである。愛知県が生んだ三英傑肝心の三太郎は 4中大兄皇子と12平清盛だった。三太郎のユニークさは、中大兄皇子、平清盛それぞれの好きな食べ物を調べたことだろう。「向こうのジジがひょうきんなところがあるから、あちらに似たのかな」と言ったら、「あんたに似たんだよ」と、かみさんが即答。なんとなく嬉しいから不思議。三太郎は中学校に入学してから、まだ顔を見せない。
2026/04/28
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先日見た「お宝鑑定団」に「砂漠のバラ」が出ていた。250.000円だった!よく似たのが わが家の玄関先に転がっている。かみさんに「いい加減に片付けて(捨てて)」と言われ続けている。2005年「愛地球博」でアフリカのどこかの国のパビリオンで2〜3000円で手に入れた。ひょっとして これも「お宝」?でも大きさが違う鑑定団は ひと抱えもの大きさだが こちらは■サイズ(約・mm)210×100×80■重量(約・g)1400ネットで売りにでているのがあった。■サイズ(約・mm)276×153×158■重量(約・g)360029500円(送料込)そんなもんだもう一つ庭に転がしてある鉄錆の浮かんだ石実家近くの河原で拾ったものこれってひょっとしたら隕石ではないかと思っている。実家から20数キロの岩国市周東町には玖珂隕石発見地というのがあるどういうものかと言うとかなり姿形が違うのだがどうだろう!鑑定団 過去の本物は偽物はさっきの砂漠のバラの次に登場した隕石じゃないかという出品はてさてどっちだろうか
2026/04/24
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昨日、ゆうメールが届いた。差出人は京都市上京区寺町通今出川上ル〇〇大学時代の下宿下宿のおばさんの息子開封したら古本とコピー写真が入っていた。昭和38年 桃源社発行江戸川乱歩著 黄金画面・何者 定価 260円裏表紙の裏に私の氏名ゴム印が押してある。ヘアブラシ写真私の名前入り、かすれて読めないが何やらアレコレ書いてある。読めたのは、左下の「何故モテナイ」下宿の息子さんは当時幼稚園児。その彼が定年退職し(京都市内の某私大特任教授)かつて私が使っていた土蔵部屋を改装して書斎にしたところこれらの品が出てきたという。本はお返しするが、ブラシは長年下宿屋を営んでいた記念として飾っておきたいとのことであった。まさにタイムカプセルの中身60年近くの年月を経て戻ってきた品見覚えはないのだが、なぜか懐かしい。先日、京都を歩いた時、下宿からほど近い、大久保彦左衛門の墓のある東禅寺というお寺を出発点とした。その時、下宿に立ち寄りたいと思ったのだが果たせなかった。次は京都市北部を歩く予定だからその時こそと思っている。
2026/04/21
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先月末の風邪以来、家の中でタイガと過ごす時間ばかりだった。各日付の一番上に歩数を記録している。なかなか元の歩きに戻れない体重も乱高下気候が良くなったから今朝は ややしっかり歩いて来た。すっかり葉桜!昨日は、田んぼには水が張られ田植え準備完了今だけの光景明日あたり知多四国ウォークに出かけようかと思っている。
2026/04/18
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暇な爺ぃは、GoogleGeminiとのやり取りを楽しんでいる。問い合わせの履歴昨日は「三河湾の8大珍味」を聞いてみた。回答に ネットで無断借用した写真を添えてみた。三河湾の珍味八選1 コノワタ:日本三大珍味の一つ、ナマコの腸の塩辛。2 トラフグの白子:篠島・日間賀島周辺で獲れる冬の至宝。3 赤車えび:三河湾特産の小エビ。唐揚げやえびせんべいの原料にも。4 メヒカリ:蒲郡の名物。ふっくらした身と脂の乗りが抜群。5 ハゼの佃煮:古くから三河の家庭で親しまれてきた伝統の味。6 大アサリ:バーベキューの定番。醤油の焦げた香りが食欲をそそります。7 シャコ:三河湾は全国有数の産地。甘みが強く、地元の人は大好物。8 どんぼ(とり貝):三河湾産は肉厚で甘みが格別。刺身の王様です。8の「どんぼ」は最初、「ホッキ貝」を挙げていたのだが、どんぼに代えてもらった。ホッキ貝と平貝も珍味であるな酒の肴にしたことのあるものばかり探せば身近に いくらでもあるようだ。
2026/04/14
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3月26日以来続く「喉の違和感→咳」は2週間かかって落ち着いた。以来、恐る恐る晩酌をし、家の近くを歩いている。愚図愚図暮らしているうちに、ソメイヨシノは満開になり散り始めた。9日の桜昨日の雨で葉桜になったかもしれない。散る桜があれば これから見頃を迎える桜もある。かみさんが9日に見に行った岡崎市 上地八幡宮の鬱金(うこん)桜。歩いても5km程の距離なのだが、病み上がりだから車で行った。お茶席「右近の橘(たちばな)」神前から見て右側にある。小さなミカンが枝に残っていた。鬱金桜(うこんざくら)神前から見て左にあるから「左近の桜」左近の桜が「うこんざくら」面白くないか?帰りがけスーパーに寄って今夜の肴を物色。カツオたたき、ホタルイカ刺身これと言って珍しいものはない生魚のコーナーに「とり貝刺身」を見つけた。刺身にしてはポリ袋に詰めてパックに入っている左上はレバニラ炒め、右上 セロリ醤油漬け真ん中がとり貝刺身わさび醤油で食べたが内臓が付いていて生臭い。パックのラベルには愛知県三河一色産どんぼ(とり貝刺身)とある。調べてみたら「どんぼ」は、三河湾などで水揚げされる、小ぶりな、天然とり貝を殻から外し、開かずにそのままボイルした状態を指す通称です主に4月〜8月頃の春から夏の時期に流通する、非常に希少な限定品として知られています。通常のとり貝は肝を取り除いて開いてボイルしますが、「どんぼ」は内臓がついたままボイルするため、旨味が逃げず、濃厚な味わいを楽しめます。酢味噌和えにしてみた。うん 珍味、珍味!
2026/04/11
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長引く咳も昼間は出なくなった。昨日の爺モーニングには少し薄着で出かけたのに夕方から冷たい風が吹いてきた。酒の肴は貝にした、ホッキ貝と平貝。 酒は250mlほどでやめておいた。しっかりうがいをして就寝、夜中の咳はなかった。今朝、冷え込みにびっくり、室温12℃!昨日、かみさんに片付けてと言われて愚図愚図そのままにしていたストーブか、今朝は役立っている。「禍福はあざなえる縄のごとし」ちょっと違うかも。それはともかく爺ぃ 今日は元気!久しぶりに朝Macウォークとするか。
2026/04/08
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風邪は咳だけが残っている。3日前から少しだけ呑んでいる。のだが一昨夜も昨夜も寝ると咳がひどくなって2〜3時間置きにうがいをしていた。ネットでしらべたら「アルコールには粘膜を乾燥させる作用があり、咳が続いている時期に飲むと症状を長引かせるおそれがあります。ビールやワインだけでなく、料理に使う日本酒やみりんの揮発するアルコール分にも注意しましょう。」とあった。今夜は酒をやめておこうかと思ったのだが昨日買ってアク抜きをしておいたワラビがある。酒が飲めなくては なんのワラビぞということで日本酒を100mlだけ呑んださて今夜は ぐっすり眠れるだろうか近くの川べりの桜は散り始めたそろそろ歩かないと筋肉がほそくなるのじゃないかと心配になる。
2026/04/06
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久しぶりの風邪、だけどほんの短時間だが38度超えが2回もあって、止めようとしても止まらないしつこい咳が今日で10日も続いている。この間、4日禁酒・1日飲酒・4日禁酒・1日飲酒で過ごして来た。散歩控え、食事も控え、もうガマンの限界!昼前、車でMacに行きハンバーガーを買ってきた。午後は、近所の酒屋に出かけて冷蔵ケースから、10年売れ残りかもしれないと思いつつ「熟成十年」の純米吟醸酒を買ってきた。平成28年 豊田の地酒「菊石」袋濾し、 純米吟醸秋酒一体、どんな味になっているのだろう!肴は買って来なかった。かみさん任せだな。あとしばらく待つとしよう。
2026/04/04
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風邪のため不本意な禁酒が続いた。木金土日と4日間!今日は体調もかなり良くなって昼前、毎年訪れる西尾市万灯山の桜を見にいった。寝込んでいる間に満開となり散り始めたところだった。昼過ぎから いつもの喫茶店にも行き帰りに近くのスーパーで今夜の酒の仕込みエイキモを見つけて買った酒は常滑市「白老」買ってきたタラの芽と庭からえんどう、ブロッコリー ごま和え続いて天ぷら200mlの酒で今夜は十分だった。
2026/03/30
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木曜日からの熱、金曜日朝には下がって安心していたら夕方またまた38度土曜日、とうとう病院に行った。インフルエンザの検査は断って咳止め、喉の薬、熱冷ましの薬を出してもらってこれを飲んで寝ていたら、夜中には熱が下がった。今朝はスッキリ36.3度今日1日大人しくしていれば治るだろう。
2026/03/29
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昨朝、鼻がクズクスして、しきりにクシャミが出る、花粉症なのだろうと思った。念のため体温を測ってみたら「36.7度」平熱は35.7度だったと思うのでちょっと高いかも。風邪かもしれない。風邪薬を飲んだ。しばらくして 体温を測ったら「37.7度」これはいけない、完全に風邪だ。布団を敷いてもらい「湯たんぽ」を入れて寝ることにした。昼過ぎまで そのまま寝た。目覚めて体温、なんと「38.2度」!かみさんが病院に行けというが、木曜日午後は休診。もう一度 風邪薬を飲んで寝た。途中、目が覚めて体温計、「37.7度」ちょっと下がった。夕飯は卵を入れた「お粥」食べ終わってまた 布団夜中に体温「36.6度」どうやら落ち着いたかな。今朝の体温「36.6度」ひょっとしたら これが平熱?じゃあ もう治ったのかな今日1日は安静にするか。今朝、体重を測ったら「79.2kg」昨日は「81.0kg」だったから「1.8kg」減量おまけに昨夜は「禁酒」も出来た。たまには風邪も良いかも。
2026/03/27
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大阪の陣ウォークで立ち寄った「一心寺」ここでたしかめたかったのは、「大久保彦左衛門の玉椿」のあった場所は今どうなっているのか戦前、一心寺が発行していた絵はがき(私のコレクション)このハガキについては 以前、楽天ブログに書いた昭和20年の空襲で焼失したそうである。楽天ブログ絵はがきを発行するくらいだから、焼失したとはいえ何か手がかりが残っているのではないだろうか。寺の案内所で聞いてみたのだが、職員2人のどちらも「聞いたこともない」との返事。境内には今ではコンクリートの台だけになった「真田の抜け穴」の表示は残っている。墓地の清掃をしている職員に聞いてみたが分からないけど、あの人だったら分かるかもと、年配の職員のところに連れて行ってくれた。が、やはり分からないけど、椿はあるよ、と案内してくれた。確かに椿ではあるが 若木。「大久保彦左衛門の玉椿」について調べたら『樹木大図説』(上原敬二)に「大阪市では天王寺一心寺境内の大久保椿が 幹周2.7m、高9m、彦左衛門が家康に伴して一心寺に参した時小枝をさしたものの生育と伝へ、傍に『浪速江に二枝ともなき玉椿幾代栄えん君とこの寺』という自作の歌が石に刻まれてたっている。」高さ9m! 昭和20年当時 樹齢340年程だろうから うなずけるな。結局、玉椿の場所は分からなかったが 満足。絵はがきをGoogleGeminiでカラーにしてもらった。椿の奥に見えるのは屋敷の瓦みたい。まだまだわかることがあるかもしれない。
2026/03/24
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1日目は大阪城と大坂の陣に活躍した真田幸村(信繁)が築いた「真田丸」の辺りを歩き回った。午後から雨の予報だったので、スピードを上げて歩いたら昼過ぎには歩き終えて満足だったのだが「老骨にムチ打つ」ことになったと見えて2日目は、出発時から判断ミスが続いてしまった。朝方の雨が上がるのを待って宿を出た、最初の訪問予定は冬の陣で徳川秀忠将軍が陣を敷いた岡山。歩いて行こうかと思ったのだがバスにした。バスの系統は73番.鶴橋駅前で73番のバス停を探してそこで待った。73番のバスに乗った、10分ほどで着くはずなのに着かないそこで行先をみたら「あべの」終点で降りて鉄道で天王寺に戻り2番目の予定地「四天王寺」まで歩いた。そこからは、なんとか予定通りに歩けた。白丸で囲んだのが前日の大阪城と真田丸赤丸が2日目の予定地、夏の陣の戦闘のあった所岡山陣地はあきらめて最初に行ったのは「四天王寺」豊臣方が南大門前に展開徳川方は少し南の庚申堂周辺本多平八郎忠勝の次男忠朝がこの地で戦死その墓は西方の「一心寺」にある。一心寺の辺りも激戦地で寺の北門には真田幸村に追い詰められた徳川家康が松の根元に隠れていたら、松から霧が噴き出して、幸村は家康の姿を見失ったという「霧吹きの松」追い詰めた家康を見失った幸村は、その後も猛烈に働いたが疲れ果てて一心寺北にある「安居八幡宮」で休憩しているところを越前松平忠直の家臣、西尾宗次に討たれた。幸村死地から もう一度一心寺に戻る、一心寺には興味深い墓がある。家康の8男仙千代(6歳)の墓は1600年3月家康自らが建てたという同母弟は順調に育ち、後に名古屋藩徳川義直となる。本多忠朝の墓の立派なことに驚いた。この墓だけが塀で囲われている、酒封じ祈願本多出雲守忠朝の墓本多出雲守忠朝は徳川家康公四天王の一人といわれた本多忠勝の第二子で関ヶ原の合戦に武功をあげ大多喜五万石に封ぜられていたが酒を過ごしたため大坂夏の陣(一六一五)において戦没した。死に臨んで深く酒弊を悔い、将来酒のために身を誤るなるものを助けんと誓って瞑目したと伝えられる。爾来、酒封じの神として酒に苦しむ当人や家族の多数参拝するところとなり酒弊の除滅に信を得ている。墓碑周辺の杓文字は参拝者による酒封じ祈願墓碑は元和二年(一六一六)に建立されたものである。身につまされるけれど 爺には「今のところ」用がないなあ!一心寺と彦左衛門については日を改めて書こうと思っている。
2026/03/22
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水曜日、大阪の天気は午後から雨となっていたが新幹線を利用して、朝9時過ぎ大阪城に入城。大阪城に何度か訪れているが、天守閣に登るのは初めてだった、身障者手帳で入城無料。5階までエレベーター、そこから階段で7階。天守を一周して下りは各階で展示物をざっと見て降りた。二の丸隅の秀頼と淀君自刃の地を見て極楽橋を渡った。城外に出たらちょうど11時、コンビニのおにぎりで昼食休憩。次は、大坂夏の陣より15年前、関ヶ原の戦い当時の細川ガラシャ夫人殉節碑細川忠興夫人秀林院殉節之遺阯この辺りは関ヶ原の戦いから大坂冬の陣まで、大坂城内だったのだ。そして冬の陣で真田信繁(幸村)が築いた「真田丸」(大坂冬の陣両軍陣立て図)真田丸の跡と言われる「三光神社」なぜか外人の親子連れが前を行く境内にある幸村像と「抜け穴跡」大阪城に通じていたと言われる。それほど深くはない抜け穴このときフラッシュONにしたままだったためこのあと撮ったはずの付近の真田丸跡写真は全滅だった。気がついたのは鶴橋駅側のコリアンタウン。ホルモン定食 1500円。小雨が降り始めた。3時に東横INN チェックイン。
2026/03/20
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次女からのLINEラスト ランドセル!二姫卒業!こんなだったのだって3女からも三太郎卒業!6年経った!!爺は今年 八十歳になる。爺はランドセル、1年生の時だけで2年生から「手提げカバン」だったよ。
2026/03/18
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大阪城と大阪の陣旧跡を歩く予定は明日なのだが狙いすましたように雨予報。昼前までは曇り、午後は15時まで小雨18時くらいから本降り1泊して翌日も歩き回る予定だが19日は「雨のち晴れ」さてどうしたものが19日の何時ごろ雨が上がるのかは明朝の予報を待つしかない。雨の中を何時間も歩きたくはない明日大阪城までは行き、宿はキャンセルして15時くらいに帰りの列車に乗るか明後日の朝から歩き回れるのだったらそのまま1泊するかどうなるかな今夜は早く寝るので土手煮で軽く飲んだ写真ではよくみえないが、椀の中は土筆とえんどう春だ!
2026/03/17
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昨夜、かみさんに「明日は豊橋市の渡し船に乗りに行く」と言っておいた。★★★★★★★★牛川の渡し★★★★★★★★岡崎816〜839豊橋駅≒市電≒0市役所前〜吉田城〜2.0km牛川の渡し==舟==大村側〜4.0km豊橋駅今朝、起きたら寒かったの延期。家の周りの散歩で お茶を濁す川沿いのソメイヨシノ2・3日前には硬かったつぼみがピンクになっている。今年は休耕田の田んぼでは、麦が穂をだしていた。来週は★★★★★★★★大坂城 1泊2日★★★★★★★★3/18-19岡崎63岡崎638〜710名古屋726〜(新幹線)〜813新大阪827〜832大阪842〜851森ノ宮森ノ宮・大阪城大手門・天守閣・伏見櫓・山里丸極楽橋・森ノ宮越中公園(越中井)ガラシャ夫人 三光神社・宰相山公園(陸軍墓地)・心眼寺(真田丸跡)・明星学園・真田山公園鶴橋コリアンタウン・ソウル酒場 御勝山古墳 冬の陣徳川秀忠岡山陣地(ホテルから徒歩26分)生野区役所〜12番〜勝山住宅四天王寺南大門 日本仏法最初の碑 南大門より南200m 穴山小助死地 本多忠朝激戦地 四天王寺庚申堂 安居神社 真田幸村終焉の地茶臼山(ちゃうすやま) 冬の陣 家康本陣 夏の陣 真田幸村本陣一心寺 真田の抜け穴 本多忠朝墓 徳川家康八男仙千代墓 彦左衛門手植の梅 霧吹きの松(北門近くの階段の途中)通天閣(天王寺駅から徒歩10分)天王寺1537〜1552大阪1600〜1725米原1730〜1804大垣1812〜1824岡崎1845★★★★★★★★切符も宿の手配もバッチリなのだが天気予報が ままならぬ。よりによって18日19日だけが雨!どうするカッパ着て歩くさ今夜の酒は常滑市の「白老」夢吟香 純米吟醸やや辛口
2026/03/14
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昨日より少し暖かい日だった。朝9時、市民病院の耳鼻科で定期検診、帰宅後家の周りを歩いた。風穏やかで暖かい、調子に乗ってスロージギング400m。昼食後、腰に張りを感じた、年寄りの冷や水か。午後はどうするか迷ったが、1日1万歩達成のため歩いた。歩いているうちに「腰が入った」感覚腰の痛みも解消。田んぼの畔を歩いていたら「モグラの巣穴」発見!ここしばらく寒かったが、ようやく本格的に春が来たのだ。歩くぞ3日は終日雨だった。目標は1日1万歩なのだが、なかなか難しいものだ。
2026/03/11
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満開情報のあった家の近くの河津桜を 昨日、かみさんと見てきた。7台分の駐車場しかないところなので朝9時過ぎに到着、すでに3台停まっていた。今年も タイガを連れてこれた。今朝は近くの川沿いにたった1本植えられたサクランボ、これも満開!去年の5月上旬には実がなった。小さな実だが甘かった。ここ数日 風が強い。4日に取替えた掛け軸「江南春望<杜牧>千里鶯啼いて 緑紅に映ず水村山郭 酒旗の風南朝 四百八十寺多少の楼台 煙雨の中」次は同じ西尾市の源空院 枝垂れ桜毎年、月末に見頃を迎える。
2026/03/07
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日曜日、中野の渡しウォークを終えて名鉄電車に乗り一の宮市石刀(いわと)駅に降りた。一の宮市にただ1軒残る酒蔵の酒を買うためだった。その酒蔵は「金銀花酒造」創業は400年以上まえの享保年間、将軍吉宗の頃だという。GoogleMapで調べたら駅から近い、側に「石刀(いわと)神社」と言う お宮がある。石刀駅(左)、金銀花(A)、石刀神社(B)神社の御祭神は天の岩戸(あめのいわと)を押し開けた手力男命(たぢからおのみこと)愛知県一宮市今伊勢町馬寄に位置する石刀神社は、約2000年の歴史を持つ古社です。慶長5年、「関ヶ原の戦い」では、徳川家康公がここ石刀神社に参拝し、境内に陣を敷いたと言われています(神社由緒)徳川家康の陣場跡。これは行かずばなるまい。絵馬は徳川家の葵の紋所家康の関ヶ原合戦勝利に因んでいるのか合格祈願ばかりさて慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の戦いまでの、徳川家康の軍勢の動きを調べてみた。慶長5年7月25日、会津の上杉景勝征伐に赴いていた軍勢が下野国(栃木県)小山評定の後、反転して先鋒が西へ向い、家康は江戸城へ戻った。8月初め、池田輝政、福島正則らが先鋒として清須城に入った。8月22日、池田輝政隊が木曽川を挟んで岐阜城主 織田秀信の軍と合戦(河田渡河の戦い)織田勢を破って木曽川を越えた。翌23日、福島正則隊が岐阜城を攻撃、織田秀信は降伏9月1日、徳川家康の軍勢が江戸を出発9日、岡崎城到着(江戸〜岡崎320km 1日平均35km)10日、熱田(岡崎〜32km)11日、清須(熱田〜13km)12日、ウィキペディアには情報なしだが 石刀神社(清須〜14km)13日、岐阜(石刀・河田〜20km)14日、美濃赤坂(岐阜〜22km)15日、関ヶ原石刀神社からの推定経路木曽川の河田渡船場(弘法堂)まで7km木曽川向こう岸から岐阜城まで17km神社の由緒書きの通り家康本隊は石刀神社に滞在したのだと思える、そして、その日は9月12日に違いない。8月には先鋒の軍勢がこの辺りに滞陣していたのだろう。疑問解消!買ってきた「金銀花」純米吟醸永吉を飲んだ。1日目(3月1日)焼き鳥、アジの唐揚げ、セロリ漬け2日目(3月2日)太刀魚刺身3日目(3月3日)コンニャクの焼き鳥風ひな祭りの寿司 4日目(3月4日)鍋なのにノンアルデイ5日目酒買いに行ってこなくては。
2026/03/05
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日曜日、JRで尾張一の宮、名鉄本線に乗り換えて笠松、竹鼻線に乗り換えて羽島市役所前(岐阜県)で降りた。「濃尾大橋」の渋滞解消対策として2025年5月『「新」濃尾大橋』が開通した。この「新」濃尾大橋の開通により、400年の歴史を持つという西中野渡船が3月25日に廃止されるというので乗ってみるかというわけ。地図の上方に濃尾大橋中間に新濃尾大橋下方に県営西中野渡船羽島市役所前を9時50分に出発、竹鼻街道を歩いて新濃尾大橋のたもとを経由して西中野渡船まで約7km竹鼻街道沿いの水除神社境内で芭蕉の句碑を見た。近在の文人が嘉永元年、ペリーの黒船来航5年前に建てたものだが、今の場所に落ち着くまで転々としたとのことで磨耗して字は読めない、「市人にいで是うらん雪の笠」と書いてあるそうだ。新濃尾大橋には11時ちょうどに着いた。ここから堤防道路を下って30分ほどで「西中野渡船場」に到着。乗船場所まで行くと看板に何やらいろいろと書いてある。12時30分まで休憩一度の乗船は船頭を入れて14名乗船希望者は旗を揚げる一番乗りのジジイが揚げた!12時になると客が集まってきた渡しを入れて15〜6人。12時45分、川向うから船が到着4人降りたが残りはそのまま往復乗船、ジジイと老夫婦が乗ったが、残りは数組のグループ、離れ離れは嫌だというので残った。ほんの10分で愛知県側に着いた。船には次の客が乗って すぐに出発。ここから最寄り駅の萩原まで4.5km歩いて名鉄電車に乗った。このあと一の宮市石刀(石刀)神社に行ったのだが、その話は次の機会に。
2026/03/02
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日曜日、大和郡山で買ってきた買ってきた「中谷 純米吟醸」720ml月曜日はスーパーで見つけた「アワビの刺身」アワビと言うには小さい、本当は「トコブシ」かも、火曜日は冷凍しておいた五島列島のアオリイカを刺身にしたこれは美味かった。大きなイカだったので天ぷらと煮付けにして夕飯のオカズ。水曜日前夜のイカとエリンギの煮物とイカの塩辛塩辛は市販のものに、前日のイカを混ぜておいたイカとエリンギは見た目はそっくり、食べてみれば別モノ塩辛はほどよい塩加減で旨い酒は3日で空になった1日1合と少し爺ィにはこれくらいが適当。今夜は11月に近江の長浜で買ってきたままになっていた「鮎の焼干し」で雑炊を作った。本当はソーメンの出汁にしたかったのだが、雑炊もアリだった。雑炊はそのまま食べて締めに 山椒ちりめんで缶ビールを飲んだ。
2026/02/25
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土曜日、朝6時半出発新幹線京都経由で奈良県郡山まで行ってきた。郡山城下町を歩く予定。家を出るときは気温氷点下、マフラー・手袋の完全武装。三連休の初日で新幹線は立ったまま、奈良線はなんとか座れたが こちらも満員。稲荷(伏見稲荷)で多くの客が降りてガラガラ、郡山到着は9時45分。駅前から①薬園八幡神社 薬園八幡(やくおんはちまん)神社、創建は奈良時代749年、この地にあった広大な薬草園に由来する名とされる。1491年、現在地に鎮座したと伝わりる。③源九郎稲荷神社 歌舞伎『義経千本桜』に登場する、親孝行な白狐の伝説、佐藤忠信に化けて源義経と静御前を守り、源義経に名付けられた源九郎狐が祀られている。境内に十六代中村勘九郎の襲名記念の枝垂れ梅があった。⑩郡山八幡神社(別名グラブ神社) 郡山はグローブの生産量日本一だとか、年代物のグローブとボールの扁額○近鉄大和郡山駅○大納言塚(地図⑦左側にある) 太閤豊臣秀吉の異父弟で大和郡山城主 大納言豊臣秀次の墓観光客の姿はない。入口に「お願いの砂」というものがあった。「今日、お参りできたお礼を申し上げた後、自分の名前と願い事を言いながら、門前の石の箱へ、お砂を三回通しますと (大和大納言秀次公が)きっと願い事を聞いてくださいます。合掌礼拝」⑦永慶寺 徳川綱吉の側用人柳澤吉保が1704年に甲府に創建し、のちに大和郡山へ移築された黄檗宗の寺院。境内に「秋雨や車なければ歩くまで 高浜虚子」の句碑が建っていた。⑤郡山城天守台○追手門○本家菊屋本店 天正13年(1585)創業の奈和菓子。豊臣秀長の御用菓子司として始まり、秀吉が絶賛した「鶯餅」を原型とする名物「御城之口餅」は、400年以上続く伝統の味として知られている。かみさんへの土産に買って帰った。③箱本館「紺屋」 豊箱本(はこもと)制度は、豊臣秀長が郡山城下町で整備した独自の住民自治組織。13の町(本町・紺屋町・茶町・材木町など)が「箱本」と定義された。○郡山駅 出発時は氷点下の気温だったのが帰る頃には15℃超え、防寒仕度はリュックに仕舞った。いよいよウォーキングに絶好の季節になった。次は大阪城かな、
2026/02/22
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先週土曜日の京都ウォークは計画通り思い切り歩けた。京都を歩いて来た次の目的地は大和郡山、日帰りで郡山城下町を歩く計画大和郡山城は筒井順慶が織田信長の命により築城、豊臣秀吉の弟秀次が大改修、大阪の陣後 水野勝成が城主となり、その後 奥平松平忠明が城主になり伏見城の遺構を移設した。城郭と城下町を回るのは手応えがありそうなのだ。身障者手帳を使って割引運賃の旅の計画は次々と生まれ出てくる。夏までにどれだけ回れるだろうか。
2026/02/20
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この1週間の家飲み写真2月10日酒は焼酎むげつまるみ(日南市)肴はウマヅラハギの刺身スーパーで1匹600円足らずの見切り品を刺身にしてもらった。暑すぎたので削ぎ切りにした。写真の色は良くないが味は最高!2月11日酒は焼酎 赤霧島肴はコンニャクの焼き鳥風板コンニャクを冷凍したのを解凍し短冊に切って水気を絞り串にしたのをフライパンでタレ焼きにした。歯ごたえがすごく良いのだがタレの絡みが足りなかった。次はコンニャクに片栗粉をまぶして焼こうと思っている。2月15日酒は越後鶴亀 純米吟醸肴は味付けホヤ別に好物ではないのだが年に一度くらい食べたいと思っているホヤ。たまたま出来合いのパック入りを見かけて買ってきた。感動するほどのことはなかったが食べ終わるとまた食べたいと思ったから不思議。2月16日酒は前日に続き越後鶴亀肴はクジラの漬けクジラは刺身用のサクで売っていた。刺身にして醤油に漬け込んだ。親父がこうして酒の肴にしていた、ちょっと一味を振りかけて食べる。2月17日酒は焼酎 黒霧島EX肴は豚足の煮物茹で豚足をバラして めんつゆ、砂糖、ニンニクで煮てみた。トロトロ味を狙ったが煮込み時間が短すぎてやや固めの仕上がり2月19日酒は黒霧島EX肴は豚足の煮込み前日の残りの豚足を今度は時間をかけて煮込んだ。狙い通りトロトロに仕上がった。骨を外して器に盛った。量的には物足りないが、このあと かみさんが作る晩飯が待っている。酒も肴も「腹八分」で良しとするのがジジイの健康法。
2026/02/18
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かねて計画していた二条城見物14日(土)午前8時08分京都駅着、河原町通りを市バスで府立医大病院前まで、そこから この日の「歩き」を始めた。8時40分まずは寺町通りの「本禅寺」ここは法華宗陣門流本山で、亀山藩石川家の菩提寺。石川忠総が大久保忠隣の次男であったからか、大久保忠隣の家族の墓があり一族の名物男「大久保彦左衛門忠教(ただたか)」の墓もある。前回の訪問は2013年だった。2013年の日記9時10分清和院御門を潜って京都御所へ9時15分道喜門「御ちまき司 川端道喜」が、戦国時代から明治維新まで、毎朝 御所に「お朝物」と呼ばれる餅菓子を献上するために通ったという門学生時代バイトしていた店である。9時30分蛤御門元治元年(1864)長州軍と会津・薩摩軍が、この門をはさんで激しい戦闘を行い、長州軍は敗退。このときの戦火により市内で三万戸が焼失したという。門柱に残る弾丸の痕跡9時45分 旧二条城跡織田信長が築いた15代足利義昭の居城義昭追放後に破却10時20分旧本能寺跡天正10年、織田信長が明智光秀に襲撃された「本能寺の変」により焼失、同17年再建をしょうとしていた時、豊臣秀吉の命により寺町御池の地に移転させられた。10時40分二条城(元離宮二条城)徳川家康が築いた城1603年 家康が将軍に就任した祝賀の儀1611年 家康と豊臣秀頼対面の儀1867年 徳川慶喜が大政奉還を告げた場所1915年 大正天皇即位の饗宴12時05分京都所司代屋敷跡二条城の北側にあった京都所司代は関ヶ原の戦い(1600年)直後に奥平信昌(長篠城主、徳川家康長女亀姫の夫)翌年、板倉勝重が就任、所司代屋敷は勝重の頃からか。所司代屋敷近くの堀川丸太町バス停から堀川七条までバスで行き12時50分西本願寺昨夏亡くなった継母と実父母に祈りを捧げた。13時15分西本願寺から東本願寺に向かう13時30分東本願寺今度は長女に祈りを捧げる。実家は西本願寺(浄土真宗本願寺派)なのだが、長女が亡くなった時、西本願寺のお寺が見つからなかったため東本願寺(真宗大谷派)のお世話になった。東本願寺からバスで梅小路公園14時00分京都鉄道博物館ふるさと岩国市の「錦川清流線」のディーゼル車両が、山陽線を走って京都の鉄道博物館に展示されているというので会いに行ってきたというわけ。鉄道路線には興味がある爺だが車両には それほどこだわりはない。どこからこんなに集まるのか不思議だが、みなさん古い車両の座席に座ったり立ったり うれしそう。梅小路京都西駅から混雑する嵯峨野線に乗り ひと駅で京都駅14時30分着立ち食いうどんで遅い昼食。京都1500〜米原1600〜大垣1641〜1756岡崎在来線快速電車を乗り継いで帰宅。総歩数 28000歩よく歩いた!
2026/02/15
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12月から毎日欠かさず、庭木の枝にミカンを吊るして待ってた。でも来るのは「ヒヨ」のバカヤロだけミカンを食い散らかしフンを撒き散らし元日を過ぎ、節分を過ぎ、立春になってもメジロは来ない。親父が亡くなってすぐから46年毎年来てたのに47年目にして絶えてしまうのかそれでも2月になって来たこともあるからと気を取り直してミカンを買ってきた。今日昼過ぎいつものように庭木を見たらやはりヒヨしかいない戸を開けると逃げて行った。喫茶店まで歩いていくかと用意していたらみどり色の鳥がいるよ とかみさん。来た!メジロ、1羽だけど。あわててスマホを取り出しシャッター双眼鏡でも確認!やっと来てくれた。今夜は祝杯明日も冷え込むらしいミカンをもっとたくさん吊るすかな。
2026/02/07
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借りてた本をリュックに入れて朝9時に家を出た。途中でJAに立ち寄り陶芸のガス代を振込んだ。次に市民センターで本を返した。岡崎市は本日から市民センターで期日前投票が始まった。投票にならぶ人の列を見て「明日にしようか」と考えたのだが思い直して列の最後尾に並んだ。思っていたより早く、20分ほどで投票完了。そのままMacに向かった朝Mac、いつもはコーヒーだけだが2日に下調べしたソーセージマフィンコンビと決めていた。ところが注文機で商品を選んだらどういうことかわからないのだがこの金額で支払まあ爺モーニングの560円に比べれば安いもんじゃよ昼過ぎ帰宅午前中に 1万歩超えた!今年に入って かなりよく歩いている、黄色に数字が歩数年寄りの冷や水にならなければいいのだが今宵の酒は冷凍庫にあったイカゲソをかみさんに煮てもらった。酒は酔心純米30年秘蔵古酒う〜ん 旨い!
2026/02/05
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午前7時過ぎに山の頂から昇る朝日を拝んで食事、食後、しばらく日光浴暖かいなあ散歩に出かけてみたら外は やっぱり寒いわい。午後 喫茶店に行っている間に次女が おでんを持ってきてくれていた。一昨夜も おでんだったのだがかみさんの作るおでんには「牛筋」が入らない次女の おでんには入っている。5時ぴったりに 酒の支度を始めるおでんは 味噌おでん焼酎のお湯割りと合う。今日も 1万歩ウォーク達成!明日は久しぶりに 朝Macウォークにするかな
2026/01/31
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昨日の朝、メジロの餌用のミカンを買いにJAの店まで歩いて行った。年末から庭木にミカンを吊り下げているのだが、ヒヨが来るだけでメジロは来ない。30年来のことで、こんなことは何度も経験している。2月半ばになってようやく来た年もあったのだ。水曜日で魚屋は休みだったが、陳列ケースに「ナマコの酢のもの」が並んでいた。前回のは、硬くて良くなかったのだが税込700円につられて買った。家に帰って考えた手元には焼酎しかない、ナマコにはやっぱり日本酒だよね楽天ブログ。ちーこさんのダンナは琉球泡盛の古酒を飲んでいるとかそういえば1990年頃、広島県三原市の料亭で「酔心 古酒」というのを ご馳走になったことがある。あのときは、なんだかホコリくさい味だと思ったのだが、その後何度か思い出すことがあった。「酔心 古酒」でポチったら ヒット!「酔心 純米秘蔵酒 長期熟成 1996年醸造 720ml」「1996年の極寒期に醸造した純米酒です」楽天市場 3000円+送料850円即購入土曜日くらいに届くかとおもっていたら今朝、10時に届いた! Amazonに劣らず楽天もやるもんだ「今夜は古酒にナマコ」午前と午後の散歩にも力が入る。午後5時、タイガのトイレ介助と餌やり酒の支度ナマコ用に大根おろし見事な琥珀色!、薬用酒に似た香り ちょっとヒネた、薬用酒みたいな風味。飲んだあと口中に旨味が残る悪くない。ラベルに書かれた文『醉心純米秘蔵酒 長期熟成(1996年醸造)このお酒は、当社自慢の長期熟成酒です。よく煮込まれたビーフシチュー、新鮮なヒラメの刺身と特によく合います。来年発売される予定の三原のタコの甘露煮とは格別の相性です。横山大観先生は、口当りのやわらかい軟水仕込みの醉心を、終生お召し上がりになりましたが、 酔心の長期熟成酒までは思い付かなかったことを残念に思って居ります。海鼠腸(このわた)を肴としての酒量は、もっと勢がついた筈と思われる故だからであります。当初から、醉心の長期貯蔵を目論んだ訳ではありません。今は故人でありますが、広島の長くのお得意卸の大先輩の趣向から、醉心を10年手元へ置いて験され、飲み心地が倍加したと教わりました。その言を信じ、各年1タンクづつ大切に貯蔵して参り、最古参が四半世紀と相成った所であります。少しづつ少しづつ丁寧に同好の士へお配り致します。お楽しみ下さい。店主頓首』「能書き」も酒の肴なのだ。楽天市場を覗いて見たら在庫はたった1本だったらしい。
2026/01/29
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今日明日は禁酒日の予定だったのだが通販に頼んでおいた酒の肴が夕方少し前に届いた。燻製にしたホヤ、牡蠣、つぶ貝、ホタテそれに鯖 夏場からずっと探していた「ホヤ」これを今夜食べない手はない生のホヤではないが燻りホヤおや このホヤの方がいいかも
2026/01/24
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飲んでいた赤霧島が昨夜で空になったから今夜は禁酒にしようか、スマホのフォトアプリにに残っている2024年1月から2026年1月まで2年間の家飲みのわ写真をアルバムにしてみた家飲み記録たまに禁酒することはあっても年中飲んでいるのだなあ
2026/01/21
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最近、ジジイが見たくなるようなテレビ番組が少ない。バラエティは、ずいぶん前からほとんど見ない。ドラマも新番組は1話か2話を見てやめたものが多い。面白く感じないのは多分年取ったせいもあるだろう。見続けたいと思う番組も、コマーシャルの間隔が短いのわが気になって集中出来ない。最近のドラマはコマーシャルの入る間隔が短すぎると思うが、実際はどうなのでしょうかねと、GoogleGeminiに尋ねてみた【回答】最近のドラマを見ていて「またCM?」と感じる場面が増えた気がしますよね。実はその感覚、あながち気のせいではないかもしれません。結論から申し上げますと、「CMの総時間」は昔からほとんど変わっていませんが、「CMの入り方(回数やタイミング)」が変化しているのが実情です。なぜそう感じるのか、いくつか具体的な理由をまとめました。1. CMの「小分け化」が進んでいる日本民間放送連盟(民放連)のルールで、1時間番組のCM総量は「6分以内」と決められています。この上限自体は昔から変わっていません。しかし、最近は視聴者が途中でチャンネルを変えたり、録画視聴でCMを飛ばしたりするのを防ぐため、**「1回のCM時間を短くする代わりに、回数を増やす」**という手法が取られるようになっています。昔: 長めのCM(3分)が2回入る。今: 短めのCM(1分半)が4回入る。このように小刻みに挿入されることで、ドラマの腰が折れる頻度が高まり、「間隔が短い」と感じやすくなっているのです。2. 「続きはCMの後で!」という演出の増加視聴率を維持するため、物語の盛り上がり(クリフハンガー)の直後にCMを入れ、さらにCM明けに「数秒前からリプレイする」という演出が定着しました。この**「CMをまたぐ演出」**が増えたことで、心理的に「CMに邪魔された」というストレスが強まり、頻繁に入っているような印象を与えています。3. 本編の尺自体はむしろ減っていない?意外なことに、CMの総時間が変わらない以上、ドラマの本編(正味)の時間も昔と大差ありません。1時間枠のドラマ:本編は約45〜47分前後CM・番組宣伝:計13〜15分前後(SB枠含む)しかし、最近はSNSでの反響を狙った「詰め込みすぎ」な展開のドラマも多いため、少しのCM中断でも物語のテンポが大きく損なわれてしまうという側面もあります。4. ネット配信との比較今はTVerやNetflix、YouTubeなどで「広告なし」や「スキップ可能」な環境に慣れているため、テレビ放送の「強制的に入るCM」に対して、昔よりも敏感に反応してしまう(耐性が低くなっている)という視聴者側の心理的変化も大きいと言われています。最近ではこうした不満を解消するためか、あえてCMを入れずに一気に物語を見せる「ノーカット風の演出」を取り入れる作品も稀にありますが、民放ビジネスの構造上、やはりCMを細かく挟むスタイルが主流のようです。だそうだ。今夜は キムタクの「教場」を観る予定キムタクも50を とっくに越えているのだなあ
2026/01/17
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★★★★★★★★★トランプ米大統領がフォード自動車の工場を視察中に現場からの罵声に対して「中指を立てる侮辱」で応じたため物議を醸している。スティーブン・チャン大統領補佐官(広報部長)はワシントン・ポストに対し、「怒りに駆られたひとりの狂人が激しく罵声を挙げており、大統領はそれに対して適切かつ明確に対応したまでだ」と明らかにした。★★★★★★★★★というニュースを読んだのだが、写真を見つけることが出来なかったGoogleGeminiに作ってもらった元の写真中指立て右手にしてと言ったのに伝わらなかったついでに、聞いてみた★★★★★★★★★★★『トランプ政策が フォード従業員にもたらした 悪影響、それが今回のトランプへの雑言の原因ではないか』★★★★★★★★★★★【回答】トランプ氏のフォード従業員への訪問、そしてそこで起きた騒動(トランプ氏が中指を立てるなどのジェスチャーをした件)の背景には、ご指摘の通り、トランプ政権の政策が製造業や労働者に与えた「実害」への不満が強く影響していると考えられます。具体的にどのような「悪影響」が従業員や労働者の怒りの原因となっているのか、直近の動向を含めて整理しました。1. 関税政策によるコスト増と雇用の不安定化トランプ氏が掲げる強力な関税政策(特に2025年に発表された「リベレーション・デイ」関税など)は、自動車製造に不可欠な鉄鋼やアルミニウムの価格を押し上げました。コスト増: フォード、GM、ステランティスの「ビッグ3」は、原材料高騰により利益を圧迫されています。雇用の喪失: 2025年4月以降、製造業全体で4万人以上の雇用が失われたとの分析もあり、トランプ氏が約束した「製造業の復活」が、現場では「コスト増による首切り」に繋がっているという実態があります。2. 電気自動車(EV)戦略の撤回による混乱トランプ政権は、バイデン前政権が進めていたEV推進策(インフレ抑制法:IRA)の撤回や、燃費基準の緩和を進めています。巨額投資の「空振り」: フォードはEV生産(F-150ライトニング等)に数十億ドルを投じてきましたが、政策転換によりこれらの計画が白紙化、あるいは大幅縮小されました。これにより、将来の雇用が確保されると信じていた現場の労働者に**「はしごを外された」という失望感**が広がっています。3. 「ラストベルト」への公約違反への怒り2016年や2024年の選挙で、トランプ氏は「雇用をアメリカに取り戻す」と約束しましたが、実際にはフォードの工場閉鎖や海外移転(中国やメキシコでの生産継続)を完全に止めることはできませんでした。今回の騒動で「ペドファイル・プロテクター(小児性愛者の擁護者)」と叫んだ従業員も、トランプ氏の過去の疑惑だけでなく、**「労働者を裏切って富裕層を優遇している」**という労働組合的な文脈での不信感を持っていたことが報じられています。4. 労働組合(UAW)との対立全米自動車労働組合(UAW)の指導部はトランプ氏の政策に一貫して批判的です。トランプ氏が「不法移民が仕事を奪っている」と主張する一方で、労働者側は**「トランプ氏の反組合的な人事や税制が自分たちの首を絞めている」**と見ており、今回の訪問先での暴言・雑言は、こうした積年の対立が表面化したものと言えます。まとめ:今回の事件は、単なる「態度の悪い野次馬」とのトラブルではなく、「トランプ政策によって生活が苦しくなった、あるいは将来の雇用を奪われた」と感じている労働者側の切実な反発が根底にある可能性が高いです。★★★★★★★★★★★AI.恐るべし!!
2026/01/15
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以前から 薄々そうではないかと思っていたのだが今回、確信に変わったことがある。それはネット通販で商品を購入すると迷惑メールが急増するということである。1月9日 孫三太郎へのプレゼントとしてタップボールというものを注文した写真は買った店とは別のとこらから拝借11日に届いた。商品にはなんの問題もなく孫三太郎も喜んでくれた。ここまでは買って良かった良かったところがこの後 メールに届いたのはこうなるのだ!多分 どこかで購入情報が漏れているのだと思う。迷惑メールが増えるくらいはたいしたことではないと言えば言えないこともないのだが便利なネット通販も、この辺りから崩壊するのではないかと危惧しているジジイである。
2026/01/14
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今年は大久保彦左衛門コレクションの総まとめの年にしようと決めていたのに、元旦早々 またまたオークションで落札。さっそく落札額と送料の支払い手続きをした。この時点で送料は180円だと認識していたところが出店者からの連絡欄にはレターパックス利用600円と出ている。取引メッセージで問い合わせたら回答が来た、この後、商品が届いた、レターパックス600というのに入っていた。ひょっとしたら出店者の方が正しいかもしれないと、渋々おさめた。やっぱりコレクションを増やすことは、これっきりにしよう。これが4日のことだった。年末の特売で買った大きめの「明太子」で「カラスミ」を作ろうと干しておいた。頃合いを見てラップして冷蔵庫に入れておいた。ねっとりして酒によく合う。ホンモノのカラスミと比べてどんなのだろうか実際食べたのは大昔のことで覚えていない。食べ比べてみようア○○ンを調べたボラの卵が原料 長崎産 4120円!注文後2日で届いたしかしなんと段ボールにはカラスミ6袋入っている!どうする?とりあえず本物の「カラスミ」と明太子カラスミをたべくらべよう本物のカラスミはねっとり感強く上品な(薄い)味対する明太子カラスミは、ねっとり感は本物より弱いけど 味は塩が効いていて酒の肴にはこっちかな。本物の余分な5袋は返却しよう!ということでア○○ンに連絡その後、商品についての申し出はショップの扱いになるとの回答がありショップではクレームは受付けたが処理はア○○ンの受付にどうぞあれこれ慣れないことをやらされて腹が立ってきた最後通帳を出したら解決さてさて余分な長崎産カラスミはどうするかな
2026/01/12
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朝の散歩今朝は風もなく陽射しがあり暖かい。歩き出して数分ロウバイの咲くお宅だんだんと調子が出る今日は五千歩コースにしよう歩くほど調子が良くなるカニ歩き横向きになって歩く右側へ20歩 左側へ20歩ちょっとジョギング後ろ歩き調子最高ようし ケンケン(片足跳び)右足跳び 一歩二歩三歩あれれ三歩で よろけて両足着いた!左足跳びこれも三歩八十歳 歳のせいかその場跳びはどうだ右足、一 二 三 四 五 、、、十歩 出来た!左足も 十歩 出来た!しばらく普通に歩いてもう一度 ケンケンに挑戦右足、一歩 二歩 三歩 進んだ四歩 五歩 六歩、、、十歩 進んだ!左足も 十歩進めた!やれば出来るのだちょっと調子に乗りすぎたか今夜、足腰 あちこち 痛くならなければいいが〈追伸〉両眼開き片足立ち 20秒以上(70歳以上の目標値)できるようになった。アハハハ カンラカンラ(古い)
2026/01/10
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昨日Macモーニングの帰り道、JA経営のマーケット「ドーム」に立ち寄った果物売り場に並んでいた「文旦」を買った。以前は「土佐文旦」とうたっていたと思うのだが、本当に高知産「土佐文旦」が並ぶこともあるから岡崎市産ということで差別化しているのかもしれない安い!文旦は水分が少ない、味が淡白だから かみさんはほんの少ししか食べないが私には大好物の果物なのだ。もっとたくさん買ってくれば良かった。晩酌は「ドーム」の魚屋で見つけた「赤ナマコの酢の物」このところ あちこちの魚売り場で探していて、ようやく見つけた。ところが これが硬くて 良くないその上 甘すぎて酒の肴には向かない甘酢を捨てて味ぽんをかけた硬いのはどうしょうもないか なんとか食べれた
2026/01/08
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昨日、次女家族4人と3女家族3人か来てくれて久しぶりの大家族。小さなコタツと補助テーブルでは持ってきてくれた寿司や御馳走が並べきれなかったほど。飲み物もジンとウイスキーに炭酸水、ジュースや氷も持ち込みでかみさんは 味噌汁を作っただけ、昼前から夕方まで、賑やかなひと時は少々疲れた一夜明けて今朝はいつものパンとコーヒー窓の外を見ていた かみさん「雪じゃない?」隣の屋根に薄っすらと初雪‼️娘たちに知らせたら やはり薄っすらの雪次女一家は長野県の治部坂スキー場に行くと言っていたが「積雪35センチ」「一部スキー可」の情報。どうしてるかなわが家は ゆったりと「箱根駅伝」観戦中
2026/01/03
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昨夜11時50分に家を出て氏神さまへ向かった。0時00分、初詣第一番!お神酒、甘酒をいただき帰宅今朝、7時半起床。いつも通りパンとサラダとコーヒーの朝食。元日はゆっくりしようと思っていたのだが、9時過ぎやっぱり岡崎城新年初登城と決めた。空のリュックを背負い、ウォーキングポールを手にして出発、3.5km地点のMacで休憩。11時30分到着人出はぼちぼち城内の龍城神社だけは参拝客の列最後尾は二の丸あたり記念写真を撮ろうと思っていた「葵」武将隊は本日休業だった。残念無念、家康公しかみ像そのまま帰路につく帰りも同じMacでコーヒー休憩3時前に家に着いた。喪中はがきを出しておいたので年賀状は数枚、孫2姫からの賀状ずっと習字塾に通っていたのだが今年、突然やめた、それでもなかなかの字だとジジババは思う。明日は孫たちが来るというない袖振って待ってるよ!
2026/01/01
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