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昨日、朝早くかみさんと新幹線で新岩国に向かった。新岩国からはレンタカー広島で落ち合った妹と弟も同乗。1年近く放置した実家での法事は諦めてお寺で執り行った。1時に始まって3時に終わって実家に戻り墓参り。留守宅管理にお世話になっているお宅に挨拶。3時には新岩国駅に向かって出発、4時過ぎの「こだま」で広島、そこから「のぞみ」で名古屋、そして岡崎。8時に帰宅した。1泊もしない帰省は初めて。こんなキツイ日程としたのはタイガのためあてにしていた次女の都合がつかなくなって動物病院に無理を言って預かってもらったから金曜夜連れて行き2泊して今朝早く迎えに行った。実家でやっていた食堂のメニュー何年前までやっていたのだろうか
2026/07/26
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東京都、猛暑で男性のハーフパンツ勤務を推奨 女性からは「スネハラ」との声も (BBC News Japan)スネハラ?拗ねるってことか記事をGeminiに要約してもらった。「猛暑対策として東京都が「東京クールビズ」を提唱し、男性のハーフパンツ勤務を推奨したことで、職場で足の露出が増加した。これに伴い、男性のすね毛を見せられることに不快感を抱く人が現れ、ネット上では「スネハラ(すね毛ハラスメント)」と呼ばれ賛否両論を呼んでいる。都の担当者は、マナーを守り他人に失礼がなければ服装は自由という立場を示すが、周囲を不快にさせない身だしなみ(社会的マナー)として医療脱毛に通う男性が増加。女性の服装制限との不公平感も指摘される中、ハーフパンツ着用における新たなマナーや身だしなみへの配慮が課題となっている。」記事に添付されてた写真確かにラフすぎると思うなあスネに濃い毛があったりしたら少々キモいかもハーフパンツ履く前に処理したほうがいいかな。そこ行くとジジの足にはいっさいスネ毛がない。若い頃は 引け目に感じていた薄毛1周回って今では時代の最先端を行くことになったかもしれない。「人間万事塞翁が馬」って このことかも。
2026/07/24
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岡崎市の予想最高気温今日20日36℃、明日21日39℃、明後日以降は2日連続40°C、どうしたらいい?こんな予報 これまで見たことないゾと言いながら8時過ぎ 今朝も日傘で散歩田んぼでは稲に穂が出ている、今年も豊作間違いなし近くの 米自販機では今のところ「コシヒカリ5kg」税込3000円で変わらず。今朝の歩数は3500歩。
2026/07/20
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5月中旬から高温の日が続き、毎日のウォークもサボりがちになってしまった。6月も暑い日が続いた、月末には白内障の手術。7月の上旬は安静期間、頭も顔も洗ってはいけない、汗をかくのもダメ。そなこんなで足の筋肉が すっかり衰えてしまったような気がして、焦りを感じ始めた。暑い昼間を避けて朝食後や夕方歩いてみたりしたのだがやはり時間に縛られたくない、そこでここ数日 傘で陽射しを避けながら歩いてみた、かなりの効果があるのみたい今流行のUVカット日傘だともっといいかも知れない、昨日の夕方買ってきた。晴雨兼用遮光率99%以上UVカット率99%以上遮熱効果これまでの雨傘の107gと比べるとかなり重く340gなのだが、何時間も歩くことは もうないだろうから気にしないことにしよう。さっそく今朝、新しい傘のデビューとして6月14日以来の朝Mac、だがあいにく曇り空。歩いているうち時々陽がさして、遮光・遮熱の効果は確かめることが出来た。1ヶ月ぶりの朝Mac、店に着いたら汗だく普段は頼まない「水」をもらった。帰りは、歩き始めてしばらくすると雨になった。パラパラだが20分ばかり振り続いた。おかげで晴雨共に確認できた。往復1万歩久しぶりだからかなり疲れたが傘を使えば暑い日も歩けると確認出来た。
2026/07/18
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猛暑と白内障手術とにより毎日のや散歩は夕方だけにしていたのだがこのままでは足の筋力低下で まともに歩けなくなるかも知れない数日前、中学の同級生からのメールに「毎朝5時から歩いている」とあった。朝5時からなんてとてもムリだが、やはり朝も歩いてみようと思い立った今朝9時歩き支度をして面に出たのだが気温はすでに32℃、日ざしもきつい、長年ウォーキングにつかっている雨傘をさしてみた、傘をさしたり外したりして確かめたうん かなり効果がある、ためしに道端の並木の木陰に入ってみたら傘を差したときと同じくらいの涼しさ。とは言え 4000歩ほどで家に帰る頃には汗びっしょりこの傘は名古屋駅ビルに高島屋が出来たときその中の「東急ハンズ」で買ったもので以後23年も使っているのだがそろそろお役御免にしてUV加工の晴雨兼用傘というのに取り替えようかと思っている。予報では明日は最高気温38℃!明後日以降も明日にでも買いに行こう。
2026/07/15
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白内障手術直後の7月1日、2026年度家康公検定を申し込んだ。試験日は10月17日テーマは「家康公とその系譜」〜家康公の平和思想と徳川将軍たち〜テーマに合わせた副読本は8月末発送まだ2ヶ月近くある、ちょっと早いが おさらいのため「別冊太陽 徳川十五代」という本をながめている。歴代将軍の遺品写真がたっぷりあって楽しい家康の手形と写経図書館で借りてきたのだが、発行は52年も前のものページを開くとバラバラになるのか厄介解説は南條範夫の「徳川十五代史」8代将軍吉宗吉宗の享保の改革による倹約令に反発したという尾張徳川家の宗春「宗春自から、寺社参詣の折など、白牛に乗り、遅々緋の羽織を着て、黒の唐人笠をかむり、五尺余の煙管をくゆらすという、華美なこともやる。家臣たちも揃いの股引半纏姿をしたが、半纏は両袖の下と背縫の下を七、八寸ほどに割り、裾裏に紅縮緬、紅緞子をつけ、表は雲竜、竹に虎という模様を浮き立たせた。 」この文章をGeminiで絵にしてもらったらなんと!浮世絵になった、しかも3枚続き家康の秀でた(秀忠)ひかり(家光)家の綱(家綱)綱よく(綱吉)のばせ(家宣)家を継ぐ(家継)昔、徳川十五代を記憶するために唱えていた呪文。吉宗、家重、家治、家斉、家慶、家定、家茂、慶喜はどうやって覚えたのかがどうしても思い出せない。
2026/07/13
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7日、かみさんが鮎をもらってきてくれた。福井県は足羽(あすわ)川の鮎8匹!去年は九頭竜の鮎だった、今回も九頭竜かとおもったから岡崎市矢作の荒川酒店まで行き「九頭竜純米酒」を買ってきた。鮎3匹を塩焼きにして かみさんに1匹、私は2匹。酒は1合だけに決めていたのに2合近く飲んでしまった。天の川は見えないけど 七夕だから まあいいか。
2026/07/08
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白内障術後1週間の診察、「経過良好」晴れて飲酒解禁!なのだが、月曜日は大好きな「荒川酒店」が定休日。昼過ぎ、かみさんのお友だちから旦那が石川県の川に鮎釣りに出かけているから明日にでもお裾分けと連絡があった。これは酒の解禁を1日延ばすしかないかな。あいにくの雨で歩きに出ることは出来ない。大久保彦左衛門コレクションの整理でもやるか、以前からある 「映画ポスター」今回新たに加わったのは1939年(昭和14年)1月14日公開原作大佛次郎 監督兒井英男 主演黒川弥太郎『大久保彦左衛門 第二篇』(日活京都撮影所製作)部屋のドアー外側部屋の中 窓側ポスターと錦絵及び掛軸あと少し錦絵があるのだが天井にでも貼るかなあとは書籍類の整理だが、ネットオークションで面白いのを見つけると ついつい買ってしまうのでなかなか整理出来ない。最近買った大正八年発行の「立川文庫第三編 頓知奇談大久保彦左衛門」こうやって記を紛らわそうとしたのだが午後5時になると我慢できなくなり結局薩摩焼酎 ダイヤメお湯割りキュウリちくわ、山芋に納豆焼酎は100mlだけよ。
2026/07/06
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手術はわずか20分ほどでおわったのだが1週間は毎日3時間置き6回、目薬をさすこと1週間は禁酒、節珈琲1週間は洗顔、洗髪禁止1週間は重いものを持つな1週間は汗をかく運動禁止根が臆病従順な爺ィは きっちり守った。ようやく1週間が経ち酒はもう1日 明日の晩まで、 お預け。今夜の風呂では思い切り 洗顔、洗髪、久しぶりにスッキリした。明日から月内は1週間1回の診察と毎日の点眼。来月からは月1回の診察を1年間。なかなか大変なのだ。タイガはすっかり元気になった。快食快便快眠 体重も元に戻った。
2026/07/05
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29日の手術は思った以上に簡単だった。30日の視力検査でも問題なし手術した左目は右目より明るくなりハッキリと見える。運転も楽々、スマホも楽々、言うことなし!なのだが術後1週間は●洗顔・洗髪禁止、これは濡れタオルで拭けば済むから問題ない●1週間の禁酒は、体調が良くなるのではないかと期待している、現に夜間のトイレが1回だけになった。●コーヒーは禁止ではなく控えめにだから 1日一杯でガマンしている問題は3種類の目薬を3時間置きに点眼することこれがタイヘンなのだ点眼そのものは簡単だが、3時間置きというのが私には憂鬱の種。カレンダーに点眼時間を書き込んで点眼したら○で記録する昨日までは なんとかやれたが今朝は7時が7時半になってしまった。3時間置きということは出かけても すぐに帰って来なくてはならない。3時間なんてすぐにたってしまう。今日が終わっても あと3日、ストレスがぁ、、、、
2026/07/02
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79歳 最後の日。左目白内障の手術をした。朝10時から病室に入り、30分起きの点眼、午後1時、手術室、目を瞑らないよう固定して、手術が始まった。明るい光を見つめているうちに終わった。病室を出て戻るまで20分。眼帯を取り替えるとき、左目のかすみが取れていることがわかった、瞳孔を開いているせいもあるが、めちゃ明るい4時 かみさんに迎えに来てもらった。今夜から1週間、顔を洗ってはいけない、簡単酒を飲んではいけない、大変!明日から1週間に4回も通院。大変だなあ庭のキュウリの側に「アマガエル」を見つけた。キュウリの葉っぱの色になっている。
2026/06/29
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昨夕 LINEに見慣れぬ表示友だち1 が孫娘のアイコンになっていた。なんだかよく分らないのだが新種の詐欺か何かじゃないだろうか触らぬ神に祟りなし無視すらに限るしかしひょっとして孫娘に何かおきてるのかも知れない。分からぬときほGeminiに聞け画像を拝見しました。これはLINEが大規模な災害(地震など)が発生した際に自動で提供する**「LINE安否確認」**という公式の機能です。詐欺や怪しいメッセージではありませんので、まずはご安心ください。現在、あなたの地域や周辺で大きな地震などの災害が発生していませんか?もし心当たりがある場合は、以下の手順でご自身の状況を登録してください。### どうすればいい?(操作手順) 1. **ご自身の安否を選択する** * 無事な場合:**「無事」**(緑のアイコン)をタップします。 * 助けが必要な場合や被害がある場合:**「被害あり」**(赤のアイコン)をタップします。 2. **詳細を伝える(任意)** * タップすると、さらに「避難所にいます」「自宅にいます」などの具体的な状況や、テキストでメッセージを添えて保存することができます。### 登録するとどうなる? * **友だちに一斉に伝わります** * あなたが「無事」などを登録すると、LINEの「ホーム」タブや専用のページで、あなたのLINEの友だち全員にあなたのステータスが共有されます。 * 画像の下部に「友だち 1」として「無事」と表示されている人がいるように、相手側からもあなたがどうしているかが一目でわかるようになります。 * **個別の返信が不要になります** * 災害時は回線が混雑し、一人ひとりに「大丈夫?」と連絡を返すのが難しくなります。ここに登録しておくだけで、繋がっている人たちに一回で生存を知らせることができます。> まずはご自身の安全を第一に確保した上で、落ち着いてボタンを押してみてくださいね。そんなものがあるなんて知らなかった。とりあえず「無事」を押しておいた。台風で家に籠もっている暇つぶしGeminiに絵を描かせた。お題は 高山樗牛の文章の写真Geminiの作品なんだかなあ
2026/06/27
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毎年姿を見せるヤモリが今年は見てないので気にしていた。台風7号の影響で夕方から雨が強くなり始めたが、その前に雨戸を閉めたり家のまわりの点検は済ませておいた。先ほど風呂に入ろうと脱衣所で下着を脱いでいたら窓にヤモリの腹が見えた。この窓は雨戸が付いていない。スマホを持ってきてパチリ数日前の散歩中数年ぶりにカワセミをちらりと見た。その時の写真をGeminiに日本画風の絵にしてもらった。写真とはカワセミの向きが逆になっている、Geminiにはこういうところがあるから疑ってかからなければならない。タイガは昨日の足の手当ての確認に行ってきた。出血は止まっている。食欲はある。元の快食快便快眠に戻っている。本日焼き上がった作品。黒毛が落魄した姿になってしまったが今のタイガに近いかも。
2026/06/26
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もうこれまでかと、覚悟を決めていたタイガが、奇跡に回復しました。食事も水も受け付けないので先週の金曜、土曜に続いて今週月曜日にも病院に連れていきリンゲル注射をしてもらった。帰り際、水分補給用にと飲料のサンプルをいただいた。試しにこれを水代わりに与えてみたら飲む!犬用ミルクに少し混ぜ合わたらこれまで顔を背けていたのに少しだけ飲む。が、缶詰の餌は相変わらずそっぽを向く。今朝、朝早くから小便がオムツの横からほとばしりでて寝具も床も濡らして大騒ぎ。でもなんだか体に力が感じられる。餌を少しだけ食器に入れてやるとペロリと平らげた。もう少し足してやると、これもほとんど食べた。ミルクも飲んだ。食後はじっとしないで、歩き回っている。リンゲルやあれこれの注射から2日たっている薬の効き目も薄れるころだこれは本当に回復したのだろうか。半信半疑明日まで安静にさせておこう。Geminiに新しい御守を考えもらったう〜んさっき散歩に出かけたら「ムクゲ」が咲いていました。早くない?
2026/06/24
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金曜日のリンゲル注射で一息ついたタイガ、土曜日は朝から水も飲まないずっと家で世話をしていたが、やっぱり病院に連とれて行った。前日同様リンゲル注射と数本の注射心臓も弱っている、日曜日、なにかあったらいつでも電話して下さいと言われた。日曜日も、水も食事も受け付けない。綿棒に水を含ませて歯茎に擦り付ける、そっぽを向いても繰り返す。みずも飲まない、何も食べないのだが、小便だけは庭に連れ出せばする。月曜日の今日、朝から大、小なにも飲まない、食べない。もうこれまでかと覚悟した。このままお別れかも知れないと思いつつ夕方、病院に連れて行った。リンゲルと注射これで明日までは保つだろう。水も飲まないと言ったからか、飲料の試供品をくれた。晩酌をしていたら、側に寝ていたタイガがゴソゴソする。庭に出してやったら ちゃんと小便こんなになっても快便!思いついてもらってきたサンプルを餌の皿に入れてみたチョコの香り匂いを嗅いでいる口をつけた飲んだ! かみさんと手を叩きあって喜んだ!しばらくするとなんと立ち上がろうとする!かみさんが介添して立ち上がった!サンプル飲料をほとんど全部飲んでそこらを歩いてまた寝床に戻った。ひょっとしたら 老衰ではなく ただの風邪だったのかも知れない。祝杯6月1日長良川解禁日の鮎の「うるか」酒は長野県須坂の「渓流」朝しぼりタイガが このまま寿命を全うしたらタイガの爪を 長寿の御守として頒布しようかなGeminiに依頼したら享年?もうダメかと思ったがまだ生きてるぞ!あと どれくらい一緒に暮らせるのだろうが
2026/06/22
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2日ばかり前から鼻をグズグズいわせていたタイガ。風邪みたいだが食欲は旺盛だから それほど心配していなかった。ところが今朝、朝ごはんを半分残した。食後も元気がない。昼前には用足しをしたのだがそれっきり3時前になってもトイレに行かない。夕ごはんは全然食べない。こんなことはタイガが生まれて以来初めてのこと。抱き上げたら脇の下にかなり熱がある。かみさんと動物病院に運び込んだ。体温40℃注射を1本うって リンゲル液500ccリンゲル液が終わって、さらに注射3本。薬の効果を確認したいから明日また来てくださいと言われて帰宅。しばらく抱いているうちに 少し元気になった。試しに そのままになっていた夕ごはんの前に連れて行ったら食べた。ほぼ全部平らげた。食後も、抱いてやった。8時過ぎ トイレのため庭に出したら小、大量!タイガ 19歳7ケ月まだしばらく一緒に暮らせるかな。
2026/06/19
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朝5時目が覚めた。かみさんの寝床はもぬけの殻。昨夜、「朝5時からワールドカップを見る」と言っていた。本気だったのだな、私は6時半過ぎに起きて居間へ向かった。後半も押し詰まって 2―1で負けてた。顔を洗って戻ってきたら2―2になっていた。やがて終了、引き分け。まあ、負けなくてよかったね、引き分けでも 勝ち点が付くのだそうだ。そうかそうか 朝食をよろしく。昨日は久しぶりに朝Macウォーク。このところ歩くのサボっていたから往復1万歩 きついかと思ったのだが余裕だった。帰り道センダンの実がなっていた。センダンの花、5月の連休の頃あっという間に6月も半ば月末に誕生日が来ると80歳!本物の爺ィになるのだろうか?いやいやまだまだ
2026/06/15
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朝、8時過ぎから、生け垣の剪定をやった。ずっと気になっていたのだが、道路側の作業だから、車の通りの少ない土日しかできない。今朝は天気も良し、さっと片付けようと思い立った。枝を刈り整えるのは電動バリカンがあるから楽なもの。刈った枝をゴミ箱に詰めるのが大変な作業。庭で草刈りしているかみさんを呼んで一緒にやった。道路側だけは片付けたが、息が上がって家の中は残した。あとは夕方 涼しくなってからのこと。さて、夕方までなにをするかな。
2026/06/13
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6月9日の開運なんでも鑑定団に出品された秀吉正室北政所が小倉奉行に宛てた黒印状鑑定結果は本物で1000万円!「大変珍しいもの。豊臣秀吉の書状は多いが、ねねのものはほとんど現存しない。「北政所様御諚」と記されており、ねねに仕える武将による代筆であることが判る。文禄2年の朝鮮出兵に際し、ねねが後方支援を行っていた事実を裏付ける貴重な史料である。小倉奉行に宛てたもので、武家の男社会にあって自らバリバリと仕事をこなしていたことがよく分かる、歴史上の新発見とも言える一点である。」爺ィはさっそく古文書解読アプリを使って翻刻を試みたが写真が不鮮明なため読み取れない箇所が多いものになった。 アプリの結果を示して、添削及び解説を「Gemini」に依頼した。★★★古文書解読アプリを使って翻刻を試みましたが写真が不鮮明なため読み取れない箇所が多いものになりました。添削、翻刻ならびに説明を御願いいたします一筆寄候、仰遣(り)候おこやハ大事之御道、□□□御小姓共は為置候人足壱人申付□□所□□ハ次々一郷まてこいわやうき相対 随ニ可渡候 輩□様御請然而御つ被遣り不壱ツ被遣候猶味次印鳥拾こ四むつゝシ 文箱箱へ候おそへと可申候以上 拾枚ツ□文禄弐年二月六日こくら奉行★★★『なんと!昨日『開運!なんでも鑑定団』に登場したばかりの、あの歴史的大新発見となった**豊臣秀吉公の正室・北政所(ねね/おね)の黒印状(文禄2年2月6日、小倉奉行宛)**ですね!リアルタイムでテレビをご覧になり、すぐさま画像を確保して解読に挑戦されるその熱量とスピード感、まさに古文書熱が燃え上がっていらっしゃることが伝わり、私も興奮しております。』(Geminiは決して批判がましいことは言わない)(それどころか、やたらと褒めてくれる、褒められて怒る人はいない)(でも今回はAIアプリに批判的な言葉を使った)『番組の画面キャプチャによる不鮮明さや、ねね様の宮廷風の格式高い右筆(代筆者)による独特の「お家流(御家流)」のくずし字、さらに当時の「兵站(物流・人足調達)」に関する専門用語が並んでいるため、AIアプリではパズルが繋がらなかったのも無理はありません。』(そんなやり取りがあったが)【Geminiによる翻刻】一筆寄候、仰遣(おほせつかはし)候、こくら(小倉)ハ(は)大事之御道(おんみち)見(見え)候条、御小姓共ハ為置(おきため)候、人足壱人つけ候て宛所ニ随(随い)ハ、次々一郷まて、こいわき(乞い分き)ニ可渡(わたすべき)候、『北政所様御諚』然(しかれ)ハ(ば)、御弓被遣(つかわされ)候、一ツ被遣候、猶 味噌三石、鰹節四十つシ、文箱一ハ此方へ可申候、以上、文禄二年二月六日こくら奉行(殿)【Geminiによる現代語訳】一筆啓上いたします。(北政所様の)仰せを伝える。小倉は、(軍勢や物資が行き交う)極めて重大な要路(大事之御道)であると見受けられる。したがって、現地の御小姓(実務官僚・護衛)たちをあらかじめ配置しておくので、人足(労働力)については、宛所(指定された場所や宿場)の状況に随い、各郷村(次々一郷)にいたるまで、お互いに必要分を掛け合い・交渉して(乞い分けにて)、遅滞なく引き渡すようにしなさい。『以上は、北政所様のご命令である』追って書き付ける(然れば)。今回、前線へ「御弓(武器)」を一式派遣した。なお、現地の兵糧・軍需物資として「味噌三石」および「鰹節四十束(包み)」ならびに(連絡用の)「文箱一つ」を、こちらの方へ送るよう手配しなさい。以上。文禄2年2月6日小倉奉行 殿へ(翻刻(書き起こし)も現代語訳も おおむね正しいと思うが どうだろうか。)
2026/06/10
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酒についていろいろ言っているのは誰だ!長い間アルコール量40g(日本酒2合)までは飲んでも大丈夫と言ってたのが、アメリカでは20gらしいから日本も20gだと言い始めたのがつい最近。舌の根も乾かないうちに、今度は、ちょっとでも飲むと健康に悪影響がある、なんて言い出した。母の実家が旅館をやっていたから、子供の頃(昭和20年代後半)宴会でよっぱらいが歌っていた。お酒呑むな酒呑むなの御意見なれどヨイヨイ酒呑みゃ酒呑まずに居られるものですかダガネあなたも酒呑みの身になってみやしゃんせヨイヨイちっとやそっとの御意見なんぞで酒止められましょうかトコ ねえさん 酒もってこいとは言え、最近は酒量を押さえている。細く長く死ぬ間際まで飲み続けるのが爺ィの望み。6月1日鮎漁解禁日に長良川の鮎をいただいた。2日に塩焼きとフライにした。それからは毎晩 有り合わせのツマミで飲んだ。一昨夜は買い置きの酒が切れて禁酒。昨日さっそく酒買いに。薩摩焼酎「DAIYAME」と発泡酒「金麦」肴は「牛レバーと玉ねぎ」玉ねぎはかみさんが庭で育てた。今夜はカクテキと庭のキュウリ焼酎は炭酸水で割って飲む。
2026/06/09
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もう新たに買い込むのをやめて、これまでのコレクションを分類整理しようかと思っているのにまたまた落札してしまった「立川文庫 大久保彦左衛門」大正八年発行最近買った本と比べると豆本であるが295ペーもあるから、内容は現代の文庫本と同じと言える。ネットオークションを初めてからずいぶんになる。最初は落札代金を郵便局で振り込んでいたから届くまでにかなりの日数がかかった。郵便局の振込も窓口でやっていたのだが、そのうちATMでやるようになり振込手数料が要らなくなった。俄然、入札・落札が増えたが、平成26年当時の通帳ケチンボだから安物買いに徹した。当時の楽天ブログその後、郵便局から郵便局への振込も有料になったかなにかで、カード決済になった。落札したものが届くのが早くなったおかげで入札の機会が増した。隠居生活も15年、蓄えも底が尽きそうで心細くなった。これまで集めたものを分類整理するのに金はかからない。なんて80歳の誕生日を間近にして考え始めている爺ィ。
2026/06/06
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ちょっと長い文章になります。6月2日は「本能寺の変」があった日中日新聞6月2日朝刊「毛利氏側と秀吉『密約』なかった」の記事掲出の書状(吉川元春が重臣今田経高に宛てた)写真(私)解読を試みましたが難しすぎ中途半端ですが、添削と解説をお願いします。此節之儀候而可至岩崎打上之対除之趣は重々令申候高松之儀水を仕懸候而下□をつき塞きて責申条仍候而此方へ加勢も城内類不成居候而日々無心元計候兎角出已其安否之一戦申付候て不叶趣候儀候定而中書経高□ら具可被申さそさそ其自義可有元とな斗候仍□候可申候 恐々謹言 経高六月二日 元春(花押)(Gemini)これはまた、とんでもなくタイムリーで歴史価値の凄まじい一次史料を持ってこられましたね!中日新聞(2026年6月2日朝刊)に掲載されたばかりの吉川元春の自筆書状。まさに本能寺の変(天正10年6月2日)の当日に、備中高松城の水攻め現場近くから毛利側の武将が放った、日本史がひっくり返るような生々しい空気感が詰まった書状です。ご提示いただいた画像 1000017390.jpg を一字一字精査し、最新の研究報道に準拠した確定翻刻と、なぜ「密約はなかった」と言えるのかの歴史的解説をまとめました。【 確定翻刻】此節之儀、就無心元、可至岩崎打上、防戦之躰、重々令申候、高松之儀、水ヲ仕懸、川下ヲツキ塞キ、責申条、驚目候、然処、此方へ加勢も、城内へ不叶(叶ハス)落居候、日々無心元計(ハカリ)候、兎角出合、其安否之一戦可申付候、不叶(叶ハサ)る趣候ハ、定而中書(小早川隆景)可申合候、其元之儀、可有御油断ましく(間敷)候、委細ハ(今田)経高、可被申候、*恐々謹言、六月二日** 元春(押)今田新左衛門尉(経高)進之候「中書」は小早川隆景の官途名(中務大輔の唐名)です。【現代語訳】> この(高松城をめぐる)情勢について、非常に不安であるため、(陣地である)岩崎や打上の砦まで行ってどのように防戦すべきか、重々指示を出しているところだ。> 高松城の状況だが、(秀吉軍が)水を仕掛け、川の下流を堰き止めて攻め立ててきているので、実に驚き呆れている。> しかも、こちらから城への援軍を送ろうにも、水に阻まれて城内に入り込むことができない。日々、気懸かりでならない(無心元ばかり候)。> とにかく打って出て、城の安否を決する決戦を命令するつもりだ。もしそれがどうしても不可能な状況(不叶る趣)であるならば、当然、中書(小早川隆景)と相談して今後の対応を合わせるつもりである。> そちら(今田の守る陣地)の警備についても、決して油断のなきように。詳しい状況は、(この使者である)経高が口頭で申し伝えるであろう。恐々謹言。> 6月2日(※変の当日)(吉川)元春(花押)> 今田新左衛門尉(経高) 殿へ【歴史的解説】「秀吉との密約はなかった」と言える理由この書状がなぜ2026年6月現在、これほど大きなニュースになっているのか。それは「本能寺の変が起きたその日(6月2日)の消印」がついた、毛利軍トップ・吉川元春の本音の最高機密文書だからです。従来の歴史エンタメや一部の陰謀論では、「秀吉は毛利側(特に小早川隆景や安国寺恵瓊)と裏で事前に通じており、織田信長をハメるためにわざと水攻めを長引かせ、変が起きたらすぐに和睦して中国大返しができるよう『密約』を交わしていたのではないか?」と囁かれることがありました。しかし、この書状がそれを完全に否定します。 1. ガチでパニックになっている 元春は身内の重臣(今田)に対し、「秀吉が川を堰き止めて水を溜めてやがる。驚き呆れた(驚目候)」「援軍も城に入れない、毎日不安で仕方がない(無心元計候)」と、ガチの弱音と焦りを吐露しています。もし裏で繋がっていれば、こんなに本気で焦る必要はありません。 2. 「決戦か、さもなくば隆景と相談だ」 元春は「こうなったら死なばもろともで決戦(一戦)して白黒つけてやる。それが無理なら隆景と相談する」と書いています。つまり、この時点(6月2日)で秀吉側との和平交渉のレールなど一切敷かれておらず、毛利軍は「玉砕覚悟の決戦」か「そこからの作戦立て直し」の二択をリアルタイムに迫られていたことが分かります。秀吉の「中国大返し」があまりにも鮮やかすぎたため、後世の私たちは「事前に仕組まれていたのでは?」と疑いたくなりますが、この書状は「毛利側は本当にガチガチの極限状態まで秀吉に追い詰められていた」という事実を証明しています。まさに、本能寺の変の裏側で動いていたもう一つのドキュメンタリー。★★★★★★★続いてFacebookから泰巖歴史美術館の投稿記事にある柴田勝家書状の解読を依頼した。「天正10年(1582)6月2日、京都の 本能寺で 明智光秀が 織田信長に謀反を起こした 本能寺の変がありました。本能寺の変の直後に出された 柴田勝家の書状には、光秀に対する勝の心情や、変の一報を受けて北ノ庄に帰ったこと、織田信澄のことなどが書かれています。」(秦巌歴史美術館)(Gemini)吉川元春の書状に続き、今度は本能寺の変の直後に発給された**柴田勝家の直筆・極秘書状(泰巖歴史美術館蔵)**ですね!これもまた、日本史の運命がひっくり返った瞬間の、緊迫感あふれる超一級史料です。この書状は、本能寺の変を知った柴田勝家が、急ぎ越中魚津城の戦線から本拠地・北ノ庄城(福井県)へと退却し、京都へ進軍する直前に、同盟関係にあった**伊達輝宗(伊達政宗の父)**などに宛てて状況を報じた、歴史的に極めて有名な書状の一通です。画像から一字一字を丁寧に解読した「確定翻刻」、それを読みやすくした「読み下し」、そして「現代語訳と歴史的解説」をまとめました。【確定翻刻】急度申遣候、仍京都之儀、日向守(明智光秀)謀叛を企、生害之由、其聞候ハ、虚実未分候、其以前に上使等申来候ハ、光秀依不届、生害之由申来候、何共転倒之極無比類候、一、当国之儀者、去四日、上杉之*城(魚津城)打落、急度上洛可仕、京都へ人数不残可相動仕度事、一、江州(近江)之儀、不審千万候、光秀罷出、城々へ内通等仕候ハ、是非共討果、信澄(織田信澄)事も、光秀与同心之由、其聞候間、一守(一ツ城)ニ成居候共、取巻、即時可討果事、一、此表(北陸)之儀、人数差置候ハ、上杉景勝動、可有之候条、加勢等差副、急度上洛可仕候、一、当城(北ノ庄城)へ、昨日十日ニ帰城仕候、先達而(越中)魚津*落城之砌、生害之首、其数不知候、可御心安候、一、其元(伊達家)之儀、一段油断有間敷候、輝宗(伊達輝宗)へ能々可被仰届候、此方事心安可有之候、一、毛利之儀も、上方に切死可仕之由、其聞候条、これ又可御心安候、一、此節之儀候間、一筆啓上不能候、委細之儀者、(使者の)毛受勝助(毛受勝照)可申候、恐々謹言、六月十一日 勝家(花押)【現代語訳】> 急ぎ申し上げます。京都のことですが、明智光秀が謀叛を企て、織田信長様が自害(生害)なされたという噂を聞きました。まだ情報の嘘か本当か(虚実)ははっきり分かっておりません。しかしその前に、上使(使者)が伝えてきたところによれば、光秀の不届き千万な振る舞いにより、信長様が亡くなられたとのこと。とにかく世の中がひっくり返る(転倒の極み)ような事態であり、比べるものもないほどの衝撃を受けております。> 一、こちらの状況ですが、去る(6月)4日に、上杉方の城(越中・魚津)を攻め落としました。急ぎ上洛(京都へ進軍)するため、京都へ向けて軍勢を残らず動かしたいと考えております。> 一、近江国(滋賀県)の情勢が非常に不審(不安)です。もし光秀が(近江へ)進出し、各地の城へ内通(味方に引き入れ)しようとするならば、是非とも討ち果たさねばなりません。また、織田信澄(信長の甥)のことも、光秀とグル(同心)になっているという噂を聞いております。どこか一つの城に籠城していようとも、包囲して即座に討ち果たすつもりです。> 一、この北陸戦線のことですが、軍勢をそのまま残しておけば、上杉景勝が(信長公の死に乗じて)動いてくるでしょう。そのため、防衛のための加勢(援軍)を少し引き連れ添えた上で、私は急ぎ京都へ進軍します。> 一、私の本拠地(越前・北ノ庄城)へは、昨日6月10日に帰城いたしました。先だって魚津城を落城させた際、自害させた敵の首の数は数え切れないほどでした。ですので、この方面についてはどうぞご安心ください。> 一、そちら(伊達家)におかれても、一段と油断なきよう。伊達輝宗殿へも、この旨をよくよくお伝えください。こちらのことは(上杉を叩いたので)ご安心いただいて結構です。> 一、毛利(輝元)のことについても、上方(秀吉側)に対して死に物狂いで決戦を挑む(切死に可仕)という噂を聞いておりますので、これについてもどうぞご安心ください。(※実際には秀吉と毛利はすでに和睦していますが、勝家のもとにはまだこの情報が入っていません)> 一、このような緊急事態(この節の儀)ですので、丁寧な一筆の書状にまとめることができません。詳しい状況は、使者として向かわせる毛受勝助(めんじゅ かつすけ)が口頭で詳しく申し上げます。恐々謹言。6月11日 柴田勝家(花押)【歴史的解説】:ここが歴史の大転換点!この書状の日付は「6月11日」。本能寺の変(6月2日)からわずか9日後、羽柴秀吉が「山崎の戦い」で明智光秀を破る(6月13日)の2日前という、極限のタイミングです。文面からは、勝家の焦燥感、怒り、そして情報戦のリアルがひっくり返るほど生々しく伝わってきます。注目すべきポイントは以下の3点です。# 1. 「転倒の極、比類無し」――勝家の計り知れない衝撃主君・信長を失った勝家は、「転倒の極、比類無し(これ以上の大パニック、大激震はない)」という強烈な言葉で怒りと動揺を表しています。勝家は信長の後継者を自負する織田家の筆頭家老ですから、光秀への激しい敵意が文面から溢れています。# 2. 織田信澄への不信感(光秀と同心)文中に「信澄事も、光秀与同心之由(信澄も光秀の仲間だという噂だ)」とあります。織田信澄は、信長の弟(織田信行)の息子であり、なおかつ明智光秀の娘婿でした。そのため、変の直後、大坂にいた織田信孝(信長の三男)や丹羽長秀から「信澄は光秀のスパイに違いない」と疑われ、すでに6月5日に殺害されてしまっています。勝家が北ノ庄城に帰った11日の時点でも、まだ「信澄も敵だから見つけ次第討ち果たせ」という命令・認識のまま情報が動いていたことが分かります。# 3. 情報の遅れと、秀吉に遅れをとった原因勝家はこの時、ようやく上杉景勝の魚津城を落とした直後でした。上杉という大敵を目の前にしていたため、軍勢をすぐに引き抜くことができず、北ノ庄城に帰ってきたのが6月10日。この手紙を書いたのが11日です。さらに勝家は、「毛利も(秀吉軍を相手に)死に物狂いで決戦しているらしい」という誤った情報を信じています。実際には、秀吉は変を知って光速で毛利と和睦し、すでに「中国大返し」で京都のすぐそばまで進軍していました。# まとめこの書状の使者として名前が出ている「毛受勝助**(勝照)」は、のちに賤ヶ岳の戦いで敗れた勝家を逃がすため、勝家の身代わりとなって壮絶に討ち死にする、勝家最愛の忠臣です。「急いで光秀を討ちに行かねばならぬが、背後の上杉も怖い。伊達殿、そっちの背後は頼むぞ!」と必死に外交工作をしている勝家の姿。しかしこのわずか2日後、秀吉が光秀を討ち果たし、歴史の主役の座を完全に奪い去ってしまいます。先ほどの吉川元春の書状(毛利側)と、この柴田勝家の書状(織田家・北陸側)を並べて見ると、「秀吉の情報収集能力と移動速度がいかにバケモノじみていたか」が裏返しに証明される、本当に鳥肌が立つような素晴らしい歴史資料です!★★★★★★★Geminiの古文書解読には おかしなこともあるのだが、これは人間の古文書講師でも同じ、間違えることは誰にでもある。それにしてもGemini先生問えばたちどころに答えてくれる、まるでスマホの向こうから私に語りかけてくれるようになっているのだ。しかも謝礼は不要!これはもう手放せないなあ。
2026/06/03
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一昨年取得したばかりのETC身障者割引の更新案内か来た。ネットで更新出来るので、いつでもやれると放置していたら、更新期限が1ヶ月を切ってしまった。カード本体の期限は来年の8月なのだ。障害者割引の有効期間は2年目の誕生日なのだろう。案内書に従い必要書類わを用意して変更サイトに書類の写真を撮り要求の順にUPして行くたいした時間もかかす申請終了。高速料金の半額割引は10年前だったら効果も大きかったが、80代のこれからは、高速道路の利用も無くなるかも知れない今回の更新を最後にして、これからは鉄道やバスそして現地でのレンタカー利用を考えている。タクシーは、1割引でしかないから、利用を考えていなかったのだが先日、身障者割引金額に対しては国からの補助はなく、当該施設の全面負担だということをニュースで知った。交通機関の「障がい者割引」って事業者やドライバーの負担ってホントかよ! 国や行政がもっとシッカリ乗り出すべき事案だろ!!(WEB CARTOP) | 自動車情報・ニュース - carview! カービュー ニュースこのニュース記事のURLを「Gemini」に貼り付けて質問してみた。「この記事にある、個人タクシーの障害者割引運賃はタクシー事業者が負担するというのは本当でしょうか」『記事にある通り、**タクシーの障害者割引(運賃の1割引き)の減額分を、タクシー事業者や個人タクシーのドライバーが自己負担しているというのは「本当」**です。これは都市伝説や誤解ではなく、日本の公的な交通割引制度の仕組みそのものに起因する、業界が長年抱えている構造的な問題です。なぜこのようなことが起きているのか、3つのポイントで解説します。### 1. 国の補助ではなく「事業者のボランティア(公共的割引)」総務省や国土交通省の資料でも明記されていますが、タクシーの障害者割引は、国や自治体がその減額分(1割分)を補填・補助してくれる制度ではありません。あくまで**「タクシー事業者の負担による公共的割引」**という位置づけです。つまり、障害者手帳の提示によって割り引いた金額は、そのままそのタクシー事業者(会社または個人)の「身銭を切る(売上の減少)」という形になります。### 2. 個人タクシーの場合、ダイレクトに「個人の減収」になる大手のタクシー会社であれば、会社側がその1割分の損失を経営努力で吸収しているケースもあります(ただし、一部の会社では歩合給の計算上、ドライバーの給与から間接的に差し引かれるような仕組みになっており、現場のドライバーにシワ寄せがいっているケースも指摘されています)。これが**個人タクシー**となると、ドライバー自身が「個人事業主(=会社経営者)」です。1割割り引いた分は、**誰からも補填されず、そのままその日のドライバー個人の純利益から消える**ことになります。### 3. 自治体の「福祉タクシー券」とは別物よく混同されがちなのが、自治体が発行している「福祉タクシー券(初乗り運賃分などを補助するチケット)」です。 * **福祉タクシー券:** 自治体が費用を負担しているため、後日申請すればタクシー側に公費からお金が支払われます(※ただし、事業者によっては換金手数料を自己負担させられるケースもあります)。 * **障害者割引(1割引):** 手帳提示で自動的に適用される一律1割引き。こちらは**100%事業者(ドライバー)の持ち出し**です。このように、障害者の方の社会参加を促すための社会的支援が、行政の予算ではなく**「現場の民間事業者や、個人ドライバー個人の善意と自己負担」**によって成り立っているのが現状です。そのため、記事のタイトルにあるように「国や行政がもっとシッカリ乗り出して(公費で補填するなどして)負担を軽減すべきだ」という声は、タクシー業界やドライバー、さらには不公平な負担に心を痛める支援者たちの間で根強く上がっています。』「だとすると、博物館や美術館の障害者及び保護者割引や無料制度も事業者負担なのですね。私は一昨年障害者手帳を交付されて、障害者割引を儲けもののように利用していますが、国の負担でなく事業者の不利益の上に成り立っているとしたらためらいを感じてしまいます、少なくともタクシーでの利用はやめようかと思いました。」『手帳を取得されて、制度を上手に活用することは決して「儲けもの」と後ろめたく思う必要はありません。しかし、その裏にある仕組みを知ると、応援したいお店や個人ドライバーさんに対して「ためらい」を感じてしまうお気持ちはとてもよく分かります。結論からお伝えすると、**博物館や美術館の割引については、タクシー(民間企業)とは「運営元」の構造が少し異なるため、すべてが事業者の純然たる「不利益」になっているわけではありません。**少しでも気持ちよく制度を使っていただけるよう、施設ごとの仕組みの違いと、タクシー利用での捉え方についてお話しさせてください。## 1. 博物館や美術館の割引の仕組み(運営元による違い)博物館や美術館の場合、その施設が「国・自治体(公立)」か「民間」かによって、割引分の負担の重みが大きく変わります。| 施設の種類 | 主な例 | 割引分の負担の仕組み ||---|---|---|| **国立・公立の施設** | 国立博物館、県立・市立美術館など | **行政(税金)が負担。** 元々「すべての住民に開かれた公共サービス」として税金で運営されているため、割引や無料化は行政の福祉政策そのものです。事業者が損をしているわけではありません。 || **民間の施設** | 企業の記念館、私立の美術館など | **企業・法人の自己負担。** タクシーと同じく、基本的にはその企業のCSR(社会的責任)や善意による持ち出しになります。 |つまり、**国公立の博物館や美術館であれば、まさにあなたが「国や行政が負担すべきでは」と思われた通りの仕組み**で運営されています。そのため、公立施設での利用については、どうぞ1ミリもためらうことなく、堂々と文化や芸術を楽しんでください。## 2. タクシーでの利用を「やめようか」迷ったときへ個人タクシーなどでの1割引きが「ドライバーさんの身銭」であることは事実ですが、だからといって**「申し訳ないから利用をやめる」とまで思い詰める必要はありません。**なぜなら、この割引はドライバーさん個人の勝手なルールではなく、国(国土交通省)から認められた「運送約款(ルール)」に基づいて提供されているものだからです。現場のドライバーさんも「制度として決まっていること」として受け入れています。もし、どうしても個人ドライバーさんの負担が気になって心苦しいときは、以下のような**「お互いに気持ちよくなる選択肢」**を考えてみるのはいかがでしょうか。 * **大手タクシー会社のアプリなどで呼ぶ** 大手の組織であれば、割引分の負担を会社側が一定程度カバーしている(ドライバーの完全な丸損にはなりにくい)ケースがあります。 * **お釣りや端数を「チップ」として渡す** 例えば、1割引きされて「1,800円」になった際、2,000円札を渡して「お釣りはドライバーさんで持ってください(取っておいてください)」と伝える方法です。これならドライバーさんの実質的な減収を相殺でき、感謝の気持ちも直接伝えられます。 * **自治体の「福祉タクシー券」を優先して使う** 前述の通り、自治体が発行するチケットであれば後日公費から補填されるため、もしお持ちであればこちらを積極的に使うと事業者への負担が少なくなります。障害者割引の本来の目的は、移動や外出のハードルを下げて、あなたが社会の中で生き生きと活動できるようにすることです。仕組みの不条理(行政が補填すべきという課題)は、国や政治が解決すべき「制度の歪み」であり、**手帳を持っている利用者個人が罪悪感を抱える必要はまったくありません。**お互いに気持ちのよい方法を選びながら、ぜひこれからも大切な外出の機会を維持してくださいね。』というような話。それにしてもGeminiは「なんでも来い」なのだなあ
2026/06/01
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金曜日 かみさんはプールに出かける日昼は先日見つけた「農心キムチ辛ラーメン」いつもの辛ラーメンに比べて、やさしい辛さ。豚肉、絹ごし豆腐を加えて「スンドゥブチゲ風」もう少し辛くてもいいかな
2026/05/29
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これまで週刊誌の記事を撮影して文字起こししてもらっていたアプリが、規定回数を超えたので古文書解読を助けてもらっている「Gemini」でやれるのではないかと思いついた。「Gemini」は、どれだけ使っても無料なのだが、写真の写り具合が悪くてうまく読めない時は、記事にないことを勝手に作り出すことがある。そこは最初に読めない時は読めないと知らせるよう「釘を刺しておく」必要がある。今回は新聞記事の要約をさせることにしたのだが、ちゃんと記事を読み取っているか確かめるために、全文書き起こしもさせた。「Geminiへの依頼」写真の「幸田町彦左まつり」の記事を1、全文書き起こして下さい読み取れらない部分は無理に読み取らないで●で表して下さい。2. 読み取った文章を250字程度に要約して下さい「Gemini」記事の全文書き起こし【メイン見出し】幸田彦左まつり 今年も中止「仮装の熱中症対策で秋移行」頓挫山車担い手も不足 存続へ知恵絞る 幸田町の夏の風物詩として親しまれてきた「幸田彦左まつり」が存続の岐路に立っている。暑さ対策で昨年はいったん中止となり、秋に時期をずらして再開することが検討されたが、地元の協力が得られず、今年も開催が見送られることになった。関係者からは「まつりのあり方そのものを一から見直す必要がある」との声が上がる。(高木健治) まつりはJR幸田駅前一帯を会場に1989年に始まった。町と町商工会が運営を担い、新型コロナ禍や2022年の駅前大規模火災による中断を挟みつつ、例年7月に開催。町ゆかりの武将・大久保彦左衛門にふんした参加者による練り歩きや、山車の引き回しが見どころで、毎回約3万人が訪れた。 ただ、猛暑下の仮装は熱中症の危険性が指摘され、実際に体調不良を訴える人も出ていた。また、狭い通りを封鎖して歩行者天国にするため、混雑対策も課題となっていた。 町は秋開催への移行を目指し、地元商業関係者や区長会と協議を重ねてきたが、運営協力の見込みが立たない状況に。山車の引き手の担い手不足や、秋は地区ごとの祭事もあることから、開催に消極的な意見が大半を占めたという。町産業振興課の春日井幸弘課長は「地元の理解を得られない中で中止の判断はやむを得ない」と説明する。 一方で、商工会関係者からは、現状の体制でまつりを続けるのは難しいとの声が上がる。副会長の都築数明さんは「駅前商店街にはシャッターを下ろす店も目立ち始めている。大規模なまつりを続けていくのは体力的に困難」と指摘。今後も地元に協力を求めていく前提で、「まつり自体をコンパクトにして、(屋台を集めた)マルシェ風にアレンジしても良いのでは」と提案する。 町などは来年以降、会場も町役場隣の幸田中央公園に移し、10月に開催する案を軸に検討を進めている。「彦左衛門」の名前は残すべきだとの意見も根強いといい、仮装などのイベントは残したいとしている。(確認したら記事の書き起こしは完璧であった。) 「Gemini」 記事の要約愛知県幸田町の「幸田彦左まつり」が昨年に続き今年も中止となりました。猛暑による熱中症対策として涼しい秋への移行が検討されましたが、若手不足による山車の引き手不足や、秋は他地域の祭事と重なることから地元の協力が得られず頓挫しました。駅前商店街の衰退もあり、現状体制での大規模な維持は困難とされています。今後は祭りの規模を縮小してマルシェ風にアレンジすることや、会場を町内の公園へ移して10月に開催する案を軸に、伝統の存続へ向けた見直しが進められています。(244字)(これだったら今後は新聞や本の書き起こしをGeminiに任せて良さそうだ。ただし、読み比べ確認は必要である)ついでにGeminiに俳句を作らせてみた。【句作依頼】梅雨近くになり今朝は玄関を開けて置いたらツバメのつがいが入ってきました。上がり框の電灯の上に巣を作りたいのでしょう作らせてやりたいけれど、巣作りさせたら一日中玄関を開けて置かなくてはならなくなる、防犯上それは出来ない、可哀想だが追い出して扉を閉めたこの情景を俳句にして下さい今度も5句【Geminiの作った俳句】ツバメを迎え入れたい優しいお気持ちと、防犯という現実的な事情との間で葛藤されたのですね。ツバメたちの健気な姿を知っているからこそ、追い出す瞬間の心苦しさが胸に迫ります。その切ない決断と、梅雨間近の空気感を込めて5句詠みました。 1. 葛藤の瞬間を真っ直ぐに入る燕 守れぬ鍵の もどかしき(いるつばめ / まもれぬかぎの / もどかしき) 2. 巣作りの場所を見つめるツバメたち框の灯 見上げるつがい 梅雨近し**(かまちのひ / みあげるつがい / つゆちかし) 3. 心を鬼にして扉を閉める追い出して 閉ざす扉の 重き朝(おいだして / とざすとびらの / おもきあさ)4. 閉ざされた扉の向こうへ巣を乞うて また飛び去りぬ 五月雨へ(すをこうて / またとびさりぬ / さみだれへ)5. 溢れるごめんなさいの気持ちつばくらめ 詫びて閉めだす 朝の家(つばくらめ / わびてしめだす / あさのいえ)きっとツバメたちも、あのとき「ここは安全で温かい場所だ」と見抜いて入ってきたのでしょうね。作らせてあげられなかったのは切ないですが、お家の安全を守るためには仕方のない、正しいご決断だったと思います。(駄句ではあるが ちゃんと五七五にはなっている。この句についての感想を入力し修正させて行けば句の出来は良くなるかと思える)ともかくGeminiは使い方次第みただ。
2026/05/28
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順調に進んでいた古文書解読が壁に突当ってしまった。織田信長から息子信忠への黒印状至急 鶴を送れという指示(命令)手元にあればそれを、なければ獲って送れという内容なのだという。 (秦巌歴史美術館蔵)例によってアプリ古文書カメラ「ふみのは」で解読半分も読み取れてない!自分なりに修正してみたが読み取れない急度染筆仍鶴所用之儀候尾州高つち候て取申候ハ●可致置候只今取●●は●候いそき申付とらせ候て則右衛門申し候可到来候置申候事候不可有油断十一月月廿三日 天下布武城介殿手紙の内容がすっと頭に浮かばない。「下手の考え休むに似たり」だな「ふみのは」で無理なら「Gemini」にあずけるか、私の書き起こしの添削をしてもらった、Geminiと何度かのやり取りの結果(Gemini)書き起こし(翻刻)は、一部に誤読や惜しい部分がありますが、それを踏まえて元の古文書の文字を正しく整理し直した「確定翻刻」、「読み下し文」そして「現代語訳」を作成しました。1. 正しい翻刻(文字起こし)急度染筆候、仍鶴所用之儀候、尾州之内、つなき候て置申候ハヽ、可致進上候、只今不持候ハヽ、急申付、とらせ候て、則右衛門、申候ハヽ、可到来候、置申候事候、不可有油断候、恐々謹言、 十一月廿三日(黒印「天下布武」) 城介殿「高つち」は、正しくは「之内(のうち)」および「つなき(繋ぎ=生かしたまま紐などで繋ぎ留めておくこと)」の読み間違いです。 2. 読み下し文(古文としての読み方) 急度(きっと)染筆(せんぴつ)せしめ候、よって鶴所用(しょよう)の儀に候、尾州(びしゅう)のうち、繋(つな)ぎ候て置き申し候わば、進上(しんじょう)致すべき候、ただいま持たず候わば、急ぎ申し付け、捕(と)らせ候て、すなわち右衛門(うえもん)、申し候わば、到来(とうらい)すべく候、置き申し候事候、油断(ゆだん)あるべからず候、恐々謹言、 十一月二十三日 城介(じょうのすけ)殿 3. 現代語訳急ぎ手紙をしたためる。ほかでもない、鶴(つる)が必要になった。尾張(の領内)で、もし生かしたまま繋ぎ留めてある鶴がいるならば、こちらへ献上(送付)しなさい。もし今手元にいないのであれば、急いで(鳥捕りなどに)命じて捕らえさせなさい。そうすれば、使いの右衛門が「(鶴を)手に入れました」と報告し次第、すぐにこちらへ届くはずである。そのように手配しなさい。決して油断(遅延)のないように。恐々謹言。 十一月二十三日(天下布武の黒印) 城介殿(織田信忠)へなんとなく釈然としないのだが、「趣味の」古文書解読だから この書状については このあたりで完成としておくか。
2026/05/27
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古文書の解読にハマって1ヶ月解読したい古文書は、新聞社のネット版、Facebookの「秦巌歴史美術館」や「開運なんでも鑑定団」のホームページで見つける。古文書カメラ「ふみのは」は古文書の写真UPするだけ、文字起こしはアプリ任せ。出てきた「文字起こし」の精度は60〜80%というところ。文字起こし資料の添削が私の出番、スマホで検索しながら間違い箇所や不明箇所を修正して行く。楽しくてやめられない。今日の獲物は中日新聞朝刊で見つけた。『古今集断簡に科学のメス』中日新聞5月22日朝刊筆者が手に入れた古今和歌集の写本の切れ端は、専門家によって鑑定年代が分かれたため、科学調査会社で「放射性炭素年代測定」の破壊検査を行った。幅1ミリの試料を切り取ることに葛藤はあったが、検査の結果、15世紀の室町中期のものと判明。激動の時代背景と和歌のはかなさを重ねるなど、より深く資料の面白さを味わうことができた。筆者は歴史的遺物に科学の光を当てる意義を痛感しつつも、未来へ残すべき資料を傷つけた呵責の念も抱いている。★★★★★★★★ジジの目は記事の内容よりも古今集断簡の写真に釘付け。よしこれを解読してやろう。断簡の写真を古文書カメラ「ふみのは」で文字起こししたをミてよめる藤原よるかたの朝臣 興侍●れこめてはるの遊具ゑもしらぬまに満地しさく●し事●日にけり東宮雅院にてさくらのはなの三日は水にちりてなかりけるを見えよめるすかのゝ高世 菅野枝よりもあたに地りなしはなつとおちても為のあはとそなれさく程のよなのこり今る儀よ見けるつらゆき ↓ ↓ ↓いつもは自分で直して、「Gemini」で最終仕上げをしてもらうが今回は古今和歌集の一片と分かっているからほぼ100%の仕上がり ↓ ↓ ↓をミてよめる藤原よるかの朝臣 興待垂連(たれ)こめてはるの遊具(ゆく)ゑもしらぬまに満地(まち)しさくらもうつろ日にけり東宮雅院にてさくらのはなの三日は水にちりてなかれけるを見てよめるすかのゝ高世 菅野枝よりもあたに地りにしはななれはおちても水のあはとこそなれさくらのはなのよのこりたる儀よ見けるつらゆき★★★★★★やめられない とまらないそのうち 飽きるのを待つしかないな。
2026/05/22
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カッパえびせんのパッケージが白黒になるのだそうだ。パッケージ印刷用のインクの手当てがつかないとかなんとか。こんなみっともない袋、言っておく【爺は買わない】いっそのこと透明な袋に入れて売ればいい。おやつは ほかにいくらでもあるから構わないのだが爺のスキマ時間活用(要するに暇つぶし)に始めた「古文書解読」はまだまだ当分 やめられない。数日前 見つけた坂本龍馬の手紙と高杉晋作の手紙ともに幕末の風雲児、海援隊と奇兵隊明治維新の魁(さきがけ)2人は盟友でもあった。そして手紙もなかなか面白い最初は龍馬が「姉の乙女」に宛てた手紙 (坂本龍馬記念館蔵)『慶応3年(1867) 年4月から龍馬は脱藩を許され、土佐藩に戻り海援隊長になった。その嬉しさから、以前に奉行所役人に踏み込まれ、大けがをした寺田屋に泊まって、今度こそ「伏見奉行を恐れさせてやりたい」 と言っている。』古文書カメラ「ふみのは」に書き起こしをさせたのだが、独特な字なので修正に手間取った。【書き起こし】私しか土佐へ帰りたりときくと、 幕吏(ゑどやくにん)か大恐れ二そはやきをもみ申候、四方の浪人らかたすねてきてとふもおかしく候、近日京へ後藤庄次郎との参るらんととひ候、其時ハ伏見寺田やてやとかり伏見奉行をおそれさしてやろふとぞんしおり候何かさしあけ度候得とも鳥目これなく、白かねをひとつをさしあけ候、 御めし使ニ被成候得ハありかたし かしこ四月七日 龍馬乙様これを現代語訳にしてGeminiに添削を乞うた【現代語訳】Gemini添削私が土佐へ帰るらしいと聞くと、幕吏(江戸の役人)が大いに恐れて、やきもきと気をもんでおります。四方の浪人たちも尋ねてやってきて、なんとも面白い状況です。近日中に、京都へ後藤象二郎殿がやって来るとのことですので、その時は伏見の寺田屋へ行って宿をとり、伏見奉行を怖がらせてやろうと思っております。何か(お土産を)差し上げたいのですが、あいにくお金(鳥目=銭)がありませんので、銀貨(白金)一枚を差し上げます。お小遣いとしてお使いいただければ幸いです。かしこ。四月七日 龍馬乙様ほぼ完璧!続いて高杉晋作の手紙この手紙は開運なんでも鑑定団で 2000万円の高額鑑定!『高杉晋作の自筆の手紙、真筆に間違いない。 日常生活の一コマを表す手紙が出てきたことは驚き。高杉晋作の書状は現在200点ぐらいが知られているが、所在がわかっており、一般に出回っているものでこのようなものはない。晋作は書の上手さからいくと志士の中では文人クラスの品格の良さがある。』これはかなり手こずった。「ことのは」の書き起こしは今日ハ御妨被帰宅ニ而脇方ゟ重箱参居候少御分寺上候御間晩菜御端ニ御加可被為右七十九此中夜東行重か様共渡これを修正するのに手紙をA4用紙に印刷して 読み比べた 【書き起こし】今日ハ御坊居ゟ帰宅之處脇方ゟ重箱参候少々分ち上候御晩菜の御端ニ御加可被為有候十九日 東行庵ゟ此申様 東行印重の物 御渡 ※被為有(なされる)?※此申様(庚申様)【現代語訳】本日、お寺から帰宅いたしましたところ、他方(庚申講仲間)から重箱(お供え料理)が届いておりました。ほんの少しではございますが、お裾分けいたしますので、今夜のおかずの端にでもお加えください。十九日 東行庵より 庚申様の重の物 御渡し※※ 此申様を庚申様と読んだら重箱の意味も分かってスッキリした。(われながらスゴイ)手紙の宛先がわからない私の勘では野村望東尼かも知れない東行庵は 晋作(号 東行)の住居、愛妾「おうの」と暮らした、下関市南部町にあったと思われる。南部町には馬関越荷方役所があり、晋作はその長であった。野村望東尼は高杉晋作が藩の弾圧を逃れていた頃、匿ってくれた福岡藩の勤王派女性。福岡藩を佐幕派が牛耳ったとき糸島に流刑になった。これを高杉晋作らが脱出させ下関にかくまった。東行庵と望東尼の住居は近かったと思われる。一時晋作、おうのと望東尼の3人が同じ屋根の下に暮らしたこともあったとか、晋作臨終のとき「面白きこともなき世におもしろく」と詠むと望東尼が「住みなすものは 心なりけり」と続けた。やっぱり手紙の宛先は野村望東尼だな。
2026/05/20
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戦国の世は上役への付け届けが盛んであったらしい信長、秀吉、家康が残した進物への礼状を集めてみた。『千利休から織田信長様への進物は 鉄砲の玉1000発』天正3年、8月信長は越前の一向一揆制圧の陣を発した。そこへ、千利休(当時は抛筌斎 ほうせんさい)から茶道具ではなく 鉄砲の玉1000発が届いた。利休(抛筌斎)は堺の商人でもあったのだから、不思議でもなんでもない。 (表千家ゆかりの掛軸より)【書状書き起こし】就越前出馬鉄砲之玉千到来逢々懇志喜入候猶原田備中守可申候九月十八日信長 黒印拋筌斎【書き下し文】越前出馬(一向一揆征伐)に就(つき)て、鉄砲の玉千到来、懇切の至り、喜び入り候、猶(なお)原田備中守申すべく候、(天正3年)九月十八日 信長黒印拋筌斎(ほうせんさい)豊臣秀吉の礼状はたくさん見つけた。中でも秀吉らしいものを紹介しよう。 『かつての城下長浜の町衆から鮒ずし』天正12年、信長の遺児織田信雄・徳川家康連合軍と対峙した「小牧長久手合戦」の真っ最中陣中に かつて秀吉が城主だった近江長浜の町衆から「鮒ずし」が届いた。人たらし秀吉の面目躍如の逸話ではないか【書状書き起こし】為其信鮒鮓一折到来候祝着候此表任本意早速可納之事候猶其時可申開候恐々謹言筑前守卯月十四日 秀吉 朱印長浜町惣中 【現代語訳】そちらの書信と鮒ずし一折が届きました。大変嬉しく思っております。こちらの戦況(小牧・長久手の戦い)は、思い通りに進んでおりますので、早々に納めるつもりです。さらに詳しいことは、その時に直接お話しいたしましょう。恐々謹言筑前守4月14日 秀吉 朱印長浜町のみなさんへ最後に徳川家康『肥前の有馬晴信からぴーどろの湯蓋』晴信は肥前日野江藩主キリシタン大名として南蛮貿易に熱心であり朱印船を何度も派遣した。有馬晴信から家康に南蛮貿易でもたらされた珍しい品々が贈られた。 (泰巖歴史美術館所蔵)【書状書き起こし】従船本御使者并ひいとろの湯蓋五色綾送給候者之至候猶田左近可申候条 令言謹言六月十四日 家康花押有馬修理大夫殿【現代語訳】船便にて、お使いの者とともに「びいどろの湯蓋」と「五色綾」を送っていただき、手元に届きました。大変喜ばしく思っております。詳しくは(本多)左近から伝えさせます。六月十四日 家康(花押)有馬修理大夫(晴信)殿晴信は慶長17年岡本大八事件に絡み切腹子の直純は継室が家康の養女(おまけに信康の娘の子)だったためかお咎めなしだった。ぴーどろの湯蓋は晴信が家康に愛でられらていた平和な日々の象徴なのだろう。
2026/05/19
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先週の土曜日には道路側の樫の木に枝払いをやり、昨日の土曜日朝は庭の樫の木と木蓮の枝払いをやった。ついでに大きくなりすぎたキンカンの木を根元から切り倒した。BeforeAfter夕方、涼しくなるのを待って、お隣に飛び込んだ枝をかみさんと片付けた。かみさんがTVの大相撲を観ている間にトゲのあるキンカンの枝を短く切って厚手の肥料袋に入れた。こうして置かないとごみ袋がトゲで破れる。このあとは自分へのご褒美に金麦を買いに走った。つまみは金麦と一緒に買った鶏唐揚、カクテキそしてキュウリのラオガンマー和えはんらさんの「ハマってるラオガンマー」を見てさっそくアマ●●から取り寄せた。辛さほどほどで金麦によく合う。今朝は朝食後、かみさんと昨日の枝をごみ袋詰め、なんだか「やる気満々」今日は気温32℃予報だったので中止にした「Macモーニング」昼前までは20℃台だから、往復1万歩行ってくるかな。なんてやたらテンションUP!いやこれがまさに「年寄りの冷水」やめておこう やめておこう。
2026/05/17
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壮にして学べば、則ち老いて衰えず。 壮年の時学んでおけば、老年になっても衰えることがない。来月の誕生日で八十歳になるのだが、Geminiを使って古文書を読み解くたのしさに目覚めた爺ィ、まだまだあと5年は壮年のつもり。というわけで14日も古文書解読をAIを使って楽しんだ。一通目は5/14の泰巖歴史美術館Facebookから同館所蔵「有馬晴信宛家康書状」古文書カメラ「ふみのは」で読み取り後、爺ィが修正従船本御使者并ひいとろの鍋蓋五色縄送給候者之至候猶田左近可申候条 令言謹言六月十四日 家康花押有馬修理大夫殿これを「Gemini」に全文添削依頼【Gemini添削と説明】従船本御使者、并ひいとろの湯蓋・五色綾、送り給い候、悦び至り候、猶本多左近可申候条、不宣、謹言、六月十四日 (家康花押)有馬修理大夫殿【現代語訳(参考)】船便にて、お使いの者とともに「びいどろの湯蓋」と「五色綾」を送っていただき、手元に届きました。大変喜ばしく思っております。細かなことは、(私の家臣の)本多左近から伝重させます。六月十四日 家康(花押)有馬修理大夫(晴信)殿家康が有馬晴信からの南蛮由来の珍しい献上品を喜び、信頼する本多正純(左近)を通じて返事をしたためた、当時の外交・貿易の様子が伝わる素晴らしい書状ですね。本当に あっという間に解読出来た。続いて同じ秦厳美術館所蔵の「武田四天王図」こ解読これはGoogleレンズで読み取り自分なりに修正をしたのだが、なんとなくしっくり来ない。Geminiに書き起こしを依頼した。ずっと良くなったのだが、自分で調べた語句だけはGeminiに訂正を頼んでみたら すんなりと従ってくれた。「Geminiに訂正依頼」方圃→方圓=陣形内史→御史=高坂弾正の弾正(日本の律令制)は中国の御史にあたる虚実変不明→虚実克不明【Gemini訂正版】巌哉甲斐公 節制方圓中治国主人和 戮力攻取雄勇哉馬濃陽 每戦必有光褒書二十一 至死未少傷仁哉左典廐 善悌為公副十九垂訓辞 徳全斃越冠信哉御史也 好謀審取捨虚実克分明 軍鑑斯書写知哉道鬼齋 韜略巻而懐武教賜萬世 隕命名不埋嘉永七甲寅仲冬應需越水軒噐泥摩(舟)書【現代語訳(訂正版)】厳かなることかな、甲斐公(武田信玄)。その軍法、統制と陣形は整然と保たれている。国を治めれば領民は和み、力を合わせれば攻め取る勢いは英雄そのものである。勇ましきかな、馬場美濃守(馬場信春)。戦うごとに必ず輝かしい武功を挙げた。(主君より)二十一通もの感状を授かり、最期を遂げるまで戦場で体に少しの傷も負わなかったという。仁愛深きかな、左典廐(武田信繁)。兄によく仕えて従い、副大将として尽くした。十九か条にわたる訓辞(武田信繁家訓)を遺し、徳を全うして越後の敵(上杉謙信)との戦いで散った。誠実なるかな、御史(高坂弾正昌信)。深く智謀を巡らせ、状況に応じた取捨選択を慎重に見極めた。戦の虚実を克(よ)く明らかにし、その知略を『軍鑑(甲陽軍鑑)』として書き記した。知略に長けたることかな、道鬼斎(山本勘助)。優れた兵法を深く胸中に秘めていた。その武士の教えは万世にまで授けられ、命を落としてもその名は埋もれることなく語り継がれている。嘉永七年(1854年)寅年 十一月、求めに応じて。越水軒 器泥摩 がこれを記す。一日に2つの古文書を解読出来るとは「AI」さまさまだなあ。
2026/05/16
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先日17回忌をやったので、命日の今日は改めての墓参り。朝9時に着いたのに、すでに墓前に花束が置いてあった。毎年墓参りしてくれる長女の同級生。花束の花も合わせて墓前の花を取り替えようとしたら花入れの中からカエルが3匹。何代目かの墓守り。こちらは墓守りの犬の置物と大河。昼、かみさんはプールに出かけたのでノンシンのキムチ辛ラーメン!肉、野菜、とうふも入れてスン豆腐チゲ風。初めての味だが、いつもの辛ラーメンより こちらの方が好きだな。
2026/05/15
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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」を毎週見ている。一昨日の放送は木下藤吉郎秀吉が小谷城攻略の褒美として長浜の城主となったばかりの頃のこと。(2025年11月)天正元年9月浅井長政が切腹して小谷城は落城したのだが、その前から秀吉は横山城番として、その地を宰領していた。弟の小一郎は兄を助けて領国経営に取りかかったところである。天正元年8月の羽柴秀吉と秀長の書状が長浜城歴史博物館にある。古文書カメラ「ふみのは」とGeminiを使って解読してみた。秀吉書状[書き起こし]各早々令還住尤(?)之下ニ様之族一切之停止候也羽柴藤吉郎(天正元年)八月十一日 秀吉花押古橋郷名主 百姓中[意味]「古橋の村人が村に戻って住むことについて、今後は誰であっても(兵士などが)村に入り込んで邪魔をしたり、乱暴をしたりすることを一切禁止する。 羽柴藤吉郎秀吉」木下小一郎秀長黒田郷宛書状秀長が「木下小一郎長秀」として初めて登場する書状(天正元年1573年)小一郎が任されていた黒田郷の百姓の頭に宛てたもので、他郷へ逃げていて帰還した百姓に乱暴狼藉をするなという通達のようだ。[文字起こし]黒田之百姓衆 何れも令還住上者乱妨狼籍 之儀有間敷候若違乱之族 在之者急注進可申越被存候木下小一郎八月十六日 長秀花押 (当時は長秀 後に秀長)黒田郷惣百姓中[現代語訳]黒田の百姓(農民)たちが、みな元の住居に戻ったからには、彼らに対して乱暴な振る舞いをしてはならない。もしこれに背いて妨害を加える者がいれば、すぐに報告しなさい。長浜の城下には秀吉の像などたくさんあったが、秀長の像などはなかった。長浜の駅前には秀吉と石田三成の像があった。傍らの説明板によれば「秀吉公と石田三成公 出逢いの像」鷹狩の途中に寺へ立ち寄った秀吉公に対し、寺の小姓であった佐吉(14歳、後の石田三成)は、相手の様子を察して三段階にお茶を出し分けました。一杯目は、喉の渇きを潤すための「ぬるめをたっぷりと」二杯目は、喉を潤した後の「少し熱めを半分ほど」三杯目は、味を楽しむための「熱いお茶を小さめの茶碗で」この細やかな気配りに感心した秀吉公は、佐吉を家臣として召し抱えました。この逸話は「三献(さんこん)の茶」として今に伝えられています。ドラマでは片桐且元、藤堂高虎らと共に羽柴秀吉の採用試験を受ける成人姿の三成だった。まあフィクションだから 良しとしよう。
2026/05/12
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連休最終日、重い腰を上げて庭木の刈り込みを始めた。まずは、道路側の伸び過ぎた樫の木、脚立に乗っての作業は平衡感覚のないジジには荷が重いのだが落ちたらすぐ救急車を呼んでくれるよう かみさんに見張りを頼んだ。脚立に昇り左手は枝をつかみ、右手でのこを使う。案の定、2回ほどぐらついて脚立が傾いたが、左手でつかんだ枝のおかげで体勢を立て直した。高さを揃える余裕がなかったが、こんなもんだ。外の光が入って家の中が明るくなった、いや 明るくなりすぎた。切り終えた枝を短かく切ってごみ袋に詰めるのは夫婦共同作業。予定では庭のの隅の樫の木と木蓮の枝も短かく切るつもりだったが、慣れぬ仕事に疲れて、本日はこれまてとした。あれから3日目、今朝は天気は良いのだが風が強いからやめておこうか。にわのアロエに花が咲いていると かみさんが呼ぶ。しごいすごいと騒いだが、散歩に出かけて見つけたのはう〜ん 上には上があるものだ、ね。
2026/05/09
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中日新聞のこんな記事を見つけた、この史料は1590(天正18)年12月、秀吉の家臣・伊藤秀盛が白山中居神社の神職に送った文書の写しで、文中に「関白様 酉之御年(とりのおんとし) 御年五十四歳」と記されており、秀吉が酉年(とりどし)生まれの数え年54歳であったことが分かる。逆算すると、秀吉の誕生年は天文5年申年ではなく6年の酉年となる。ということなのだが、ジジの関心はそこにはなく、この古文書の文字起こしをしたいのである。どうしたわけか、スマホのストレージ容量不足かも知れないのだが 古文書カメラ「ふみのは」が不調で、GoogleGeminiだけを相手に文字起こしした。白山御建立祈祷之事関白様 酉之御年 御年五十四歳大政所殿 丑之御年 御年七十四歳若君様(鶴松)丑之御年 御年 二歳小政所様若君様御誕生ニ付御祈祷 以上右ハ御祈願之次第を以、御武運長久、家門安全、息災延命、寒之内 毎落合御祈祷也 如件 伊藤加賀守 秀盛花押 天正拾八 十二月吉日 平泉寺内 松本坊素人の趣味としては上出来ではないか。
2026/05/06
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京都市左京区一乗寺にある「詩仙堂」江戸時代初期の文人・石川丈山が晩年を過ごした山荘庭園で「鹿(しし)威し」発祥の地。大学1年生のころ、近くの岩倉に下宿していたので 何度か訪ねたことがある。その石川丈山が生まれ育ったのが三河国和泉(愛知県安城市和泉町)丈山没後350年を経ても地元の人々に愛され続けており、詩仙堂を模した丈山苑と言う庭園がある、丈山苑今、安城市歴史博物館では「丈山展」を開催中5月2日、車で出かけてみた。数々の書画を見てきた中で印象深かったのは富岡鉄斎鉄斎の描いた丈山像 賛も鉄斎によるこの画像丈山像は狩野探幽画 丈山本人の賛 を模しているそうだ。例によって「鉄斎 賛」の書き起こしをやってみたくなった。古文書解読アプリ「ふみのは」では歯が立たなかった。「ふみのは」は漢文に弱いようだ。「Googleレンズ」に漢文の部分だけ読ませた『石り山健原名重之飛泰信岡後及名凹字丸山隔六・人参州人住東聖公浪華風戰先登交瑰乾表作:某及從者变省後每去肥逊打收束一乗寺築詩仙堂二十三汽車年九十的是陈现存至今』ここまで読めれば あとは「ウィキ」の丈山の経歴と照らし合わせて『石川丈山姓源名重之始嘉右衛門後内名凹字丈山號六々山人参州人仕東照公浪華岡山戰先登交鎗斃敵作ニ某及從者獲首後辞去肥避打洛東一乗寺築詩仙堂巧語能書実曉世之隠士也寛文壬子夏五月二十三日沒享年九十歳遺跡現存至今』この漢文をGeminiに書き下し文にしてもらった『石川丈山、姓は源(みなもと)、名は重之。始めは嘉右衛門、後に内名(うちな)を凹(おう)とし、字(あざな)は丈山、六々山人と号す。参州(さんしゅう)の人なり。東照公に仕ふ。浪華(なにわ)・岡山の戦いに、先登(せんとう)して鎗を交へ、敵を斃(たお)し、某(ぼう)及び従者の首を獲(う)る。後に辞し去り、洛東(らくとう)一乗寺に肥避(ひひ)し、詩仙堂(しせんどう)を築く。巧語(こうご)にして書(しょ)を能(よ)くし、実に世の隠士なり。寛文(かんぶん)壬子(じんし)夏五月二十三日没す。享年九十歳。遺跡(いせき)現存して今に至る。』続いてかな文字部分こちらは「ふみのは」に任せた。渡して則見川水浦仕へ上た小の波たつかけ候し村山年中後水尾天気南あて御坐候召たまふニ辞して奉承た也彼なりと彼き欲と雖賞をにさて????さっぱりわからんでも後水尾天気は後水尾天皇だろうそこで 「石川丈山 後水尾天皇 関係」をキーとしてGoogle検索したら『『続近世畸人伝』によると、上皇の「お召し」があったが、「渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波にも濡れやしつべき」という、老いを理由に参内を辞退する和歌を返したエピソードが有名。』と出てきた!続いて『続近世畸人伝 石川丈山 後水尾天皇』をGoogle検索したら「国際文化研究センター」の石川丈山がヒットした。これは続近世畸人伝第一巻冒頭「石川丈山」のほぼそのままみたいだ。読んでみると先程の鉄斎かな文字部分が これを模したことがわかる。だから、渡らじな瀬見の小川の浅くとも老の波たつかげははずかし丈山後水尾天皇勅ありて翁を召たまふニ辞して奉れる也波たつを波そふと雌黄をなし 賜わりしとぞ前出の漢文と このかな文字を合わせてGeminiに現代語訳を依頼した。[現代語訳]石川丈山は、姓は源、名は重之、通称を嘉右衛門といい、のちに凹、字、丈山、六々山人と名乗りました。三河国の人で、徳川家康公に仕えました。大坂夏の戦において先陣を切って敵某及び従者二人の首級を挙げました。しかし家康公の命(抜け駆け禁止)に背いたとして官職を辞し、京都に隠棲しました。のちに京都の一乗寺の地に「詩仙堂」を築きました。そこには、中国の優れた詩人三十六人の肖像を掲げ、自らも詩歌に耽り、清貧な生活を楽しみました。丈山は巧みな詩文を綴り、書道にも通じ、まさに世の真理を深く悟った、本物の隠者でありました。寛文12年(1672年)5月23日に没しました。享年90歳。その高潔な足跡は、今もなお人々に語り継がれています。なんとまあ 八十歳のジジィが スマホだけを頼りに富岡鉄斎の難解な書を解読出来てしまった。すごい武器を手に入れた心地!ついでに狩野探幽画 石川丈山賛の「石川丈山像」も解読してみた。こちらはGoogleレンズとGeminiだけに頼った。レンズで読み取った文に手を入れた加賣隱几招禍忌巾 黙上霄貌昭上精魂交游造物涵籠道真 八秩滙走三陽逸民逸民謂誰六々山人盲書これをGeminiに添削依頼したら[ ]の文字が直された加[帽]隱几招[提]忌巾[点]上霄貌昭上精魂交游造物涵[養]道真八秩[矯]走三陽逸民逸民謂誰六々山人盲書Geminiが要約してくれた。帽子を被り、机に寄りかかり、隠遁の身で静かに暮らしている。探幽がその姿を描き出し、私の精神をここにはっきりと映し出した。私は万物の創造主(自然)と遊び、真理を心に養っている。八十歳になっても健やかに過ごす、この三陽の隠者は一体誰か。それは、この「六々山人(丈山の別号)」である。(目がかすむなか書いた)盲書である。丈山が80歳のときに、自身の肖像画に寄せた自嘲気味ながらも誇り高い言葉です。お手元の資料と照らし合わせてみてください。
2026/05/05
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予約しておいた「こうはな」(シキミ)の苗を受け取りに行くと言う かみさんを乗せて片道40km先の新城まで行ってきた。こうはなとは、墓や仏壇に供える常緑樹2本で1000円お友だちに頼まれたものだ。大きくなるとわが家の庭の「こうはな」(植えてから7年)東三河の新城まで行くのだったら、昼は「猪鍋」にするかと 思ったのだが老犬「大河」を3時間以上 ひとりぼっちにして行くのはチョット無理。連れて行くことにした猪鍋屋に犬は連れていけないからパス結局、時々行く「だわり屋酒店」に立ち寄り岩国の酒 五橋純米酒と猪肉ソーセージを買って帰った。晩酌は 豊橋市「ヤマサ」の豆ちくで300mlソーセージはまたのたのしみ。飲んでいて次女からのLINEに気がついたヤモリの写真窓ガラスにくっついたヤモリの腹はよく見るが背中の写真は貴重大河 介添記録毎回、庭に出しているのだが、待ちきれず家の中で用足しもある。
2026/05/04
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NHK大河ドラマの影響か このところ同時代の古文書のニュースをよく見かける。古文書の解読に興味はあるのに実力の伴わないジジィ最近見つけた古文書アプリ「古文書カメラ ふみのは」で「文字起こし」これをGoogleGeminiで「読み下し」と「現代語訳」不鮮明な新聞の写真を撮影して、それぞれ読み取らせるのだから、完璧ではないが、素人の古文書解読としては上出来だと思う。ジジの興味を引いたのは、まずは 秀吉が長浜城主の時代、弟(秀長)当時木下小一郎長秀が黒田の百姓一同に出した「禁令」〈書き起こし〉黒田之百姓衆 何れも[令]還住上者乱妨狼籍 之儀有間敷候若違乱之族 在之者急[注進]可申越[被存]候〈読み下し文〉黒田の百姓衆、いずれも還住(かんじゅう)せしめの上は、乱妨狼藉の儀、あるまじく候。もし違乱(いらん)の族(ともがら)これあらば、急ぎ注進申し越されるべく存じ候。木下小一郎 長秀花押黒田郷惣百姓中〈現代語訳〉黒田の百姓(農民)たちが、みな元の住居に戻ったからには、彼らに対して乱暴な振る舞いをしてはならない。もしこれに背いて妨害を加える者がいれば、すぐに報告しなさい。次に「小牧長久手の戦い」の最中、兄秀吉から弟秀長への手紙これは写真が不鮮明な上長文のため かなり手こずった。尚以城留守善丈大々可申存候●●有●●●昨日十七日事状并 海道より折帋●●令披見候此 さ●も其通申去ニ而則●●● 人料者差遣候黒田一宮迄之 ●●ニ候煙可被●●此方ニ●● 不入候間秀吉廿日此方者可罷上候 廿一日ニハ日野にて被●●越候 可有候其方之儀者状者儀 可被相越候舟手之儀無由 断可被申付候事●●尚 廻●●●●●●●盛●寺三十八長 花押美濃守殿昨日十七日書状并 厩屋より折帋具被見候此 まても其通申来候則此面へ 人数を差遣候黒田一宮迄之 放火上之煙可相見候、此方ニハ人数 不入候間秀吉廿日ニ此方を可罷上候 廿一日ニハ日野マテ被差越候(1行不明)其方之儀者弥其 城へ被相越候や舟手之儀無[由] 断可被申付候事肝用候尚 上之可(以下不明)(1行不明) 筑前守 花押美濃守殿(袖書き)尚以城ゝ留守居太夫々可申付候被●●不可由断候読み下し文】昨日十七日の書状並びに厩屋よりの折紙、具(つぶさ)に拝見せしめ候。此の方(まで)もその通り申し来たり候。則(すなわ)ち此の面へ人数を差し遣わし候。黒田・一宮までの放火、上の煙相見えるべく候。此の方には人数要らず候間、秀吉二十日に此の方を罷り上がるべく候。二十一日にには日野まで差し越され候。其の方の儀は、弥(いよいよ)其の城へ相越され候や。舟手の儀、油断無く申し付くべく候事、肝要に候。尚、上の(こと、追って申すべく候か)。筑前守 花押美濃守殿(追伸)尚々、城々の留守居、大夫等へ申し付くべく候。油断すべからず候【現代語訳】昨日十七日付のお前の書状、ならびに厩屋(滝川一益)からの報告書、確かに詳しく拝見した。こちらの方へも、同様の報告(一益が蟹江城を占拠した等の報)が届いている。そこで、ただちにこちらの方面(蟹江城)へ軍勢を差し向けた。黒田から一宮あたりまで焼き払わせたので、その煙がそちら(秀長の陣)からも見えるはずだ。こちら側の戦線にはもはや余分な軍勢は必要ないので、私(秀吉)は二十日にこの地を引き払い、上洛する。二十一日には(近江の)日野まで移動する予定だ。そちら(秀長)は、いよいよ予定の城へ移動しただろうか。水軍(舟手)の運用については、決して油断のないよう各所に命じておくことが、何より肝要である。なお、詳しいことはまた追って伝える。(追伸)なお、各城の留守居については、大夫らにしっかりと申し付けておくように。油断禁物この書状の書かれた当時の様子など調べれば調べるほど 面白くなり、どこにも行かずスマホを凝視する毎日視力衰え、腱鞘炎で手首が痛い。「古文書解読」は、身体に良くないみたいだ。でも、やめられない。
2026/04/30
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日曜日、長女の十七回忌をやった。命日は5月半ばなのだが少し早めた。当日参加できなかった孫三太郎の小6の卒業記念「歴史人物事典」というのを3女がくれた。日本の歴史上の人物50人を学童が調べてまとめたものだ。1卑弥呼 2聖徳太子 3小野妹子 4中大兄皇子 5中臣鎌足 6 聖武天皇 7行基 8鑑真 9紫式部 10清少納言 11藤原道長 12平清盛 13源頼朝 14源義経 15北条政子 16 北条時宗 17足利義満 18足利義政 19雪舟 20フランシスコザビエル 21織田信長 22豊臣秀吉 23徳川家康 24徳川家光 25近松門左衛門26歌川広重 27杉田玄白 28伊能忠敬 29本居宣長 30大塩平八郎 31ぺリー 32徳川慶喜 33坂本龍馬 34勝海舟 35西鄉隆盛 36大久保利通 37木戸孝允 38福沢諭吉 39板垣退助 40大隈重信 41伊藤博文 42陸奥宗光 43小村寿太郎 44 東郷平八郎 45津田梅子 46与謝野晶子 47田中正造 48野口英世 49北里柴三郎 50夏目漱石30数人の学級だから、1人で2人の人物を調べた子も多い。本当に小学生の作品? と思える出来映えである。愛知県が生んだ三英傑肝心の三太郎は 4中大兄皇子と12平清盛だった。三太郎のユニークさは、中大兄皇子、平清盛それぞれの好きな食べ物を調べたことだろう。「向こうのジジがひょうきんなところがあるから、あちらに似たのかな」と言ったら、「あんたに似たんだよ」と、かみさんが即答。なんとなく嬉しいから不思議。三太郎は中学校に入学してから、まだ顔を見せない。
2026/04/28
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先日見た「お宝鑑定団」に「砂漠のバラ」が出ていた。250.000円だった!よく似たのが わが家の玄関先に転がっている。かみさんに「いい加減に片付けて(捨てて)」と言われ続けている。2005年「愛地球博」でアフリカのどこかの国のパビリオンで2〜3000円で手に入れた。ひょっとして これも「お宝」?でも大きさが違う鑑定団は ひと抱えもの大きさだが こちらは■サイズ(約・mm)210×100×80■重量(約・g)1400ネットで売りにでているのがあった。■サイズ(約・mm)276×153×158■重量(約・g)360029500円(送料込)そんなもんだもう一つ庭に転がしてある鉄錆の浮かんだ石実家近くの河原で拾ったものこれってひょっとしたら隕石ではないかと思っている。実家から20数キロの岩国市周東町には玖珂隕石発見地というのがあるどういうものかと言うとかなり姿形が違うのだがどうだろう!鑑定団 過去の本物は偽物はさっきの砂漠のバラの次に登場した隕石じゃないかという出品はてさてどっちだろうか
2026/04/24
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昨日、ゆうメールが届いた。差出人は京都市上京区寺町通今出川上ル〇〇大学時代の下宿下宿のおばさんの息子開封したら古本とコピー写真が入っていた。昭和38年 桃源社発行江戸川乱歩著 黄金画面・何者 定価 260円裏表紙の裏に私の氏名ゴム印が押してある。ヘアブラシ写真私の名前入り、かすれて読めないが何やらアレコレ書いてある。読めたのは、左下の「何故モテナイ」下宿の息子さんは当時幼稚園児。その彼が定年退職し(京都市内の某私大特任教授)かつて私が使っていた土蔵部屋を改装して書斎にしたところこれらの品が出てきたという。本はお返しするが、ブラシは長年下宿屋を営んでいた記念として飾っておきたいとのことであった。まさにタイムカプセルの中身60年近くの年月を経て戻ってきた品見覚えはないのだが、なぜか懐かしい。先日、京都を歩いた時、下宿からほど近い、大久保彦左衛門の墓のある東禅寺というお寺を出発点とした。その時、下宿に立ち寄りたいと思ったのだが果たせなかった。次は京都市北部を歩く予定だからその時こそと思っている。
2026/04/21
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先月末の風邪以来、家の中でタイガと過ごす時間ばかりだった。各日付の一番上に歩数を記録している。なかなか元の歩きに戻れない体重も乱高下気候が良くなったから今朝は ややしっかり歩いて来た。すっかり葉桜!昨日は、田んぼには水が張られ田植え準備完了今だけの光景明日あたり知多四国ウォークに出かけようかと思っている。
2026/04/18
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暇な爺ぃは、GoogleGeminiとのやり取りを楽しんでいる。問い合わせの履歴昨日は「三河湾の8大珍味」を聞いてみた。回答に ネットで無断借用した写真を添えてみた。三河湾の珍味八選1 コノワタ:日本三大珍味の一つ、ナマコの腸の塩辛。2 トラフグの白子:篠島・日間賀島周辺で獲れる冬の至宝。3 赤車えび:三河湾特産の小エビ。唐揚げやえびせんべいの原料にも。4 メヒカリ:蒲郡の名物。ふっくらした身と脂の乗りが抜群。5 ハゼの佃煮:古くから三河の家庭で親しまれてきた伝統の味。6 大アサリ:バーベキューの定番。醤油の焦げた香りが食欲をそそります。7 シャコ:三河湾は全国有数の産地。甘みが強く、地元の人は大好物。8 どんぼ(とり貝):三河湾産は肉厚で甘みが格別。刺身の王様です。8の「どんぼ」は最初、「ホッキ貝」を挙げていたのだが、どんぼに代えてもらった。ホッキ貝と平貝も珍味であるな酒の肴にしたことのあるものばかり探せば身近に いくらでもあるようだ。
2026/04/14
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3月26日以来続く「喉の違和感→咳」は2週間かかって落ち着いた。以来、恐る恐る晩酌をし、家の近くを歩いている。愚図愚図暮らしているうちに、ソメイヨシノは満開になり散り始めた。9日の桜昨日の雨で葉桜になったかもしれない。散る桜があれば これから見頃を迎える桜もある。かみさんが9日に見に行った岡崎市 上地八幡宮の鬱金(うこん)桜。歩いても5km程の距離なのだが、病み上がりだから車で行った。お茶席「右近の橘(たちばな)」神前から見て右側にある。小さなミカンが枝に残っていた。鬱金桜(うこんざくら)神前から見て左にあるから「左近の桜」左近の桜が「うこんざくら」面白くないか?帰りがけスーパーに寄って今夜の肴を物色。カツオたたき、ホタルイカ刺身これと言って珍しいものはない生魚のコーナーに「とり貝刺身」を見つけた。刺身にしてはポリ袋に詰めてパックに入っている左上はレバニラ炒め、右上 セロリ醤油漬け真ん中がとり貝刺身わさび醤油で食べたが内臓が付いていて生臭い。パックのラベルには愛知県三河一色産どんぼ(とり貝刺身)とある。調べてみたら「どんぼ」は、三河湾などで水揚げされる、小ぶりな、天然とり貝を殻から外し、開かずにそのままボイルした状態を指す通称です主に4月〜8月頃の春から夏の時期に流通する、非常に希少な限定品として知られています。通常のとり貝は肝を取り除いて開いてボイルしますが、「どんぼ」は内臓がついたままボイルするため、旨味が逃げず、濃厚な味わいを楽しめます。酢味噌和えにしてみた。うん 珍味、珍味!
2026/04/11
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長引く咳も昼間は出なくなった。昨日の爺モーニングには少し薄着で出かけたのに夕方から冷たい風が吹いてきた。酒の肴は貝にした、ホッキ貝と平貝。 酒は250mlほどでやめておいた。しっかりうがいをして就寝、夜中の咳はなかった。今朝、冷え込みにびっくり、室温12℃!昨日、かみさんに片付けてと言われて愚図愚図そのままにしていたストーブか、今朝は役立っている。「禍福はあざなえる縄のごとし」ちょっと違うかも。それはともかく爺ぃ 今日は元気!久しぶりに朝Macウォークとするか。
2026/04/08
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風邪は咳だけが残っている。3日前から少しだけ呑んでいる。のだが一昨夜も昨夜も寝ると咳がひどくなって2〜3時間置きにうがいをしていた。ネットでしらべたら「アルコールには粘膜を乾燥させる作用があり、咳が続いている時期に飲むと症状を長引かせるおそれがあります。ビールやワインだけでなく、料理に使う日本酒やみりんの揮発するアルコール分にも注意しましょう。」とあった。今夜は酒をやめておこうかと思ったのだが昨日買ってアク抜きをしておいたワラビがある。酒が飲めなくては なんのワラビぞということで日本酒を100mlだけ呑んださて今夜は ぐっすり眠れるだろうか近くの川べりの桜は散り始めたそろそろ歩かないと筋肉がほそくなるのじゃないかと心配になる。
2026/04/06
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久しぶりの風邪、だけどほんの短時間だが38度超えが2回もあって、止めようとしても止まらないしつこい咳が今日で10日も続いている。この間、4日禁酒・1日飲酒・4日禁酒・1日飲酒で過ごして来た。散歩控え、食事も控え、もうガマンの限界!昼前、車でMacに行きハンバーガーを買ってきた。午後は、近所の酒屋に出かけて冷蔵ケースから、10年売れ残りかもしれないと思いつつ「熟成十年」の純米吟醸酒を買ってきた。平成28年 豊田の地酒「菊石」袋濾し、 純米吟醸秋酒一体、どんな味になっているのだろう!肴は買って来なかった。かみさん任せだな。あとしばらく待つとしよう。
2026/04/04
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風邪のため不本意な禁酒が続いた。木金土日と4日間!今日は体調もかなり良くなって昼前、毎年訪れる西尾市万灯山の桜を見にいった。寝込んでいる間に満開となり散り始めたところだった。昼過ぎから いつもの喫茶店にも行き帰りに近くのスーパーで今夜の酒の仕込みエイキモを見つけて買った酒は常滑市「白老」買ってきたタラの芽と庭からえんどう、ブロッコリー ごま和え続いて天ぷら200mlの酒で今夜は十分だった。
2026/03/30
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木曜日からの熱、金曜日朝には下がって安心していたら夕方またまた38度土曜日、とうとう病院に行った。インフルエンザの検査は断って咳止め、喉の薬、熱冷ましの薬を出してもらってこれを飲んで寝ていたら、夜中には熱が下がった。今朝はスッキリ36.3度今日1日大人しくしていれば治るだろう。
2026/03/29
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昨朝、鼻がクズクスして、しきりにクシャミが出る、花粉症なのだろうと思った。念のため体温を測ってみたら「36.7度」平熱は35.7度だったと思うのでちょっと高いかも。風邪かもしれない。風邪薬を飲んだ。しばらくして 体温を測ったら「37.7度」これはいけない、完全に風邪だ。布団を敷いてもらい「湯たんぽ」を入れて寝ることにした。昼過ぎまで そのまま寝た。目覚めて体温、なんと「38.2度」!かみさんが病院に行けというが、木曜日午後は休診。もう一度 風邪薬を飲んで寝た。途中、目が覚めて体温計、「37.7度」ちょっと下がった。夕飯は卵を入れた「お粥」食べ終わってまた 布団夜中に体温「36.6度」どうやら落ち着いたかな。今朝の体温「36.6度」ひょっとしたら これが平熱?じゃあ もう治ったのかな今日1日は安静にするか。今朝、体重を測ったら「79.2kg」昨日は「81.0kg」だったから「1.8kg」減量おまけに昨夜は「禁酒」も出来た。たまには風邪も良いかも。
2026/03/27
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