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進んだ分だけは使える。認めた分だけは使える。放した分だけは使える。だが可能性はとても大きく深く広い。まだまだまだ、ほんの一部だ。ワシはかなりイイカゲンだ。それでも固い部分が沢山ある。意識の話だぜ。筋肉、その他の部分はプヨプヨ・・・。その他が何処だか詮索してはいけない。意識が柔らかくなった分、使える。和らいだ分、応用もきく。これは「生き方」と同じだと思っている。ワシは「氣使い」となって生き方が見つかった。誰でも、その人にあった仕事で生き方が見つかると思う。この世は・・・多分、そういう風に出来ている。この世は、優しく出来上がっていると思う。結構、マジに感謝だぜ。
2007/01/31
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理解してもらおう。何処かにそんな気持ちがあった。だが、それは無理。無理でなくても、とても大変。中途半端に理解すると、後でツケを払う。まして見えないモノを扱っているのだ。見えないモノを観てしまうのだ。更にワシのヒネクレた生き方があるのだ。これで解ってもらおう、なんてズウズウしい。解らなくて結構なのだ。解らないままで、認めてくれれば嬉しいぜ。この世は解らない事だらけだ。その最たるモノが心だ。自分の心が解っている人などいないぜ。心は宇宙と同じ大きさだ。だから心は理解する相手じゃない。そのまま愛して(認めて)しまえばいい。
2007/01/30
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生きる。幸せに生きる。自分が幸せに生きる。それは他の自由を侵(犯)さないという意味だ。ワシは自分が幸せに生きたいのだ。「氣使い」になって気づく事は多い。「気づき」は神様からの御褒美だ。努力して自分で求めるモノじゃない。感謝で授かるモノだ。だからナマケモノでも受けられる。むしろ・・・ナマケモノだから多いかも。幸せに生きるコツがある。そう気づいた。それは「調和」が鍵となる。ワシは「氣」から教わった。しかも・・・ほぼ万物事に応用がきく。ナマケモノにはうってつけのグッズ?だ。
2007/01/29
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見えないモノが観える。だが、それは大した事じゃない。観えるといっても、ほんの一部だ。しかも勘違いかもしれない・・・。肝心なのは現在の状況じゃない。状況がどうであろうと変えればいいのだ。常に未来は変える事が出来る。肝心なのは変える事が出来ると知る事だ。そして、変える方向に行動する事だ。この世は意識だけでは変わらない。意識と行為で変わる。ワシのようなナマケモノでも変わる。よりナマケモノで生きるように工夫する。ワシは世界平和を行うタマじゃない。自分の平和を行いたいのだ。ワシの器量ではそれで精一杯・・・。
2007/01/28
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嘗てキリちゃん(イエス)は言った。「神を信じられない者に未来はない」キリスト教を信じられない者の事じゃないぜ。(教会関係者は自分勝手に解釈しているようだ)頭のいい人は自分を信じ込んでしまうのだ。それは神(光・未来・自然)を信じてないのだ。当たり前なんだが、当たり前は理解し難い。当たり前の言葉は理解し難いのだ。だから「神」というだけで過剰反応する。関係している「宗教の神」の固定概念になる。キリちゃんは、もっとスケールの大きいオッサンだった。教会関係者だけの「神」なんて説明してないぜ。未来を信じられない者に未来は無い。当たり前の言葉だ。生命を信じられないのなら未来は無い。
2007/01/27
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現在と未来。延長上だが変化する。予測できても仮の予測だ。未来は予測以外の変化が可能なのだ。その変化は明るいモノだ。未来は不明ではない。未来は光明なのだ。当たり前なのだが、当たり前は理解し難い。人間の意識が歪んでいるからだ。人間は不完成だから人間なんだ。未来は意識で方向が決る。変化が起こるか否かは意識の方向だ。現在の延長上だけだと思っては変化しない。つまり・・・頭のいい人の未来は無いに等しい。
2007/01/26
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故御師匠様が言った。「病は生きてりゃ何とかなるなぁ。死んでしまうと治らないぞ」その時は軽口かと思った。プロとして仕事(ライフワーク)をする。不マジメでナマケモノのワシだ。それでも毎日が真剣勝負となる。毎日が真剣勝負だからこそマジメでは出来ない。プロだからこそナマケモノだ。毎日、抜く、捨てる、離れるモノを探す。すると、毎日のように「気づく事」がある。10年経って、故御師匠様の言葉に気づく。「生きている事」の重要さ。「生きている事」の深遠さ。「生きている事」の未来。病(闇)をどうするか、は未来だ。「生きている限り」未来は変われる。
2007/01/25
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感覚は伝えきれない。まして感覚を超えた直感は説明できない。直感より「直観」の部分があるかもしれない。その真偽も説明も証明もできない。そう観えてしまうのだから仕方ない。ワシは自分の感覚を正しいとは思っていない。いつでも間違いがある、と思っている。それでも感じた事でしか判断できない。仮の判断でも現状ではそれ以外が無いのだ。アイマイに感じているわけでは無いのだ。(アイマイな時もあるなぁ・・・)感覚や直感はクリアだ。だが未来ではない。未来は変更が可能だからだ。現在の延長上だが変化する。その変化は「生きている」からだ。
2007/01/24
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相手を脅かすタイプがいる。占い師や霊能者ばかりじゃない。(ほとんどがインチキか妄想か勘違いだぜ)医者や先生や○○指導者も多い。最低の伝え方だ。脅かすタイプとは縁を切った方がいい。そんな伝え方しか出来ないのなら見限ろうぜ。宗教組織への勧誘。健康食品への勧誘。○○への勧誘。相手を説得するのに脅しを使うタイプは多い。全て縁を切った方がいい。どんな道も最終決定は本人だ。幾つも選択肢があるのだ。それが命に関わっていても・・・。もどかしい、と思っても・・・。ワシは伝え方が下手だと思う。それでも、脅しはしない。
2007/01/23
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氣使い時、自分の意識が薄れている。まぁ、ボ~としているようなものだ。ん?普段と変わらない?だから、ワシは天職と出合ったと思っている。ワシは、ボ~の素質があったのだ。ボ~としていると、観えてしまう事がある。ワシ自身の事じゃないので、どうでもいいのに。相手のイロイロが観えてしまう事があるのだ。だが、伝える事は出来ない。余計なお節介は趣味じゃない。余計なお節介は仕事でもない。だが・・・命に関わる事がある。これは・・・仕事の部分でもある。それとなく・・・伝える。ストレートでは、キツイだろう。怖がらせるわけにもいかない。ワシは元気になっていただくのが仕事だ。怖がらせては生命力が萎縮する。○○になりますよ、などど脅すのは最低だ。ワシは無責任だが、卑怯なマネは出来ない。
2007/01/22
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ワシは根性無しだ。自分の意識を捕まえておけない。意識を守る根性が無い。どうせ意識なんて変わる。寺山修司氏も指摘した。だけど~心は~すぐ変わる♪そんなアテにならない意識だ。本気で使えない。一般的な中国気功はエライのだ。意識で「氣」を使っている。ワシには出来ない、わけでないが・・・本気で使えない。アテにならない意識を除ける。すると「何も無い結界」が出来る。そこを通る「氣」がある。(注:周波数合わせは必要)そいつ(氣)を自動的に働かせるわけだ。ワシは他人?のフンドシ(氣)で報酬をいただく。フッ・・・わるくない仕事だぜ。。。
2007/01/21
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通常「氣」は固定してない。だが「氣」は「気マグレ」ではない。気マグレなのは、意識の方だ。「氣」は自由なのだが、変わるわけじゃない。「氣」が変質するわけじゃない。意識に対応する「氣」と入れ替わるのだ。「変わる」のではなく「替わる」のだ。ワシの扱う「氣」は別物だ。「調和の氣」は「替わる」必要がない。「氣」が変わるわけでもない。「氣」によって、その結界内が変わるのだ。調和に向かって変わるのだ。意識で呼び出さない「氣」だ。意識を使わない時に飛び込んでくる。だから意識によって替わることもない。もともと意識は隅っこで大人しい・・・。
2007/01/20
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未来を今の階段から判断している。今の概念の範囲で想像している。それは間違いだろう。下手な想像は未来を縮小するだけだ。(未来については、改めて書くつもりだ)「氣」を使っているわけじゃない。「氣」がワシの身体を使って(通って)いるのだ。それでも長年親しむから影響を受ける。この「氣」は明るい。ある意味、未来からのモノだ。未来は・・・ノーテンキな性質がある。ある、ような気がする。ワシが未来を信じられるのは、この「氣」の影響がある。何かが観える。それが当たっているかどうかは知らない。だが、その人の未来が判るわけじゃない。現時点が観えるだけだ。先のことなど、判らない。判らないという事が、解ってくる。ますます、ワシは判らない事が増えている。だから未来は愉しい。
2007/01/19
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遥か彼方に続く階段だ。自分がいる階段からしか観る事はできない。それを概念という。だから、その時点の概念は誰でも持っている。だが、概念(階段)を固定したらそれまでだ。他の景色を観る事はできない。階段を上がる機会を放棄してしまう。自分の考えなどアテにしない。他人の考えもアテにしない。社会の常識など、もっとアテにしない。科学の常識など、アテにする方が無謀だ。アテにしないが、現時点での判断はする。もっと素敵な未来を信じている。信じるのは未来であり、現在ではない。現在は仮の通過点なのだ。未来の別名を「神」といってもいい。(自分の未来ではない。全ての未来だ)
2007/01/18
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使う範囲?量?。それはワシの意識で広がる。ワシの固定概念が外れた分が可能になる。簡単というか、難しいというか・・・。この「氣」に限らない。あらゆる能力などは、そんなものだ。使えないのは、自分が鍵をかけている。どんな人も同じだ。能力は誰でも最初から備わっている。自分で規制しているだけだ。ワシは多少、常識外の世界に触れてきていた。異世界に通じていた母方の祖母の血が流れている。その分、常識は外しやすい。それでもワシなりの固定概念がある。その概念で解析してしまう。(自分の)解析をするのは仕方ない。だが、その解析を固定しまっては先に進まないのだ。
2007/01/17
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「氣使い」といえば、そうとも言える。自由に使えるか、となると・・・半分だけ。ワシの身体と意識を貸しているのだ。ある意識状態で(氣は)勝手に降りて来る。意識で自由になる分だけは使える。自由にならない分は使えない。身体は基本的にワシの分野だ。だから何処に行くのもワシが主体だ。その分はワシが使える。だが「氣」を働かせようとしても無理だ。「ワシの氣」ではないからだ。例えば・・・宝くじを当てる・・・無理(実は・・・やってみた・・・)。他(人や動物)を操る・・・。これも無理(やったことはない)。
2007/01/16
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使っているワシだって解らないことだらけだ。使っているうちに少しだけ解る事もある。それを説明するのは難しい。これは理屈などではない。体験だけでもない。一瞬にして解る分だけ解る。理解してもらおうなんて思わない。理解をさせたくても出来ないのだ。理解しなくても認めてくれる人が依頼人だ。理屈でなく、結果で示す。結果は簡単に出る場合と、長くかかる場合がある。(結果まで待ってくれる人ならいいんだけど・・・)ワシへの依頼人の多くが、そのままで依頼する。アレコレ理屈を聞かない。何だかわからないけど、必要な人は来るようだ。最近は、双方とも理解出来ない事を理解してくれている。ありがたい。
2007/01/15
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出来るだけ余計なマネをしない。依頼されてないのなら手を出さない。引き受けてなければ口も出さない。観えても、見てない。何とか、それが普通に出来るようになった。ワシの氣ではないが「氣使い」だ。特殊能力に属する、ともいえる。まだまだヒヨッコとはいえ、プロ側だ。特別隠すわけではないが、矢鱈に使わない。通常は無能力者だ。まして、人一倍ナマケモノだ。故御師匠様は言った。「出来るだけ、普通にしなさい」そうでなくてもアヤシゲな仕事だ。ヘタな「氣」は出さない。出さない事が出来て、プロだ。どうにか、ここまで来た。
2007/01/14
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通常の「気づかい」は「気遣い」と書く。相手の心を読んで自分の心を配る、という意味だろう。相手を思いやる、という行動だろう。浅い「気遣い」は、返って(少し)迷惑になる場合もある。深い「気遣い」が出来る人は少ない、という現実もある。だが、ワシの「氣使い」は逆だ。相手の心は読まない。読めない、というより、読もうとしない。相手の心に興味が無い。自分の心だってワケが解んない。心を相手にすると、迷宮入りだと知っている。当然、自分の心も配らない。自分の「氣」も配らない。「ワシの氣」なんてロクデナシだ。配られても迷惑だろう・・・。だから使うのはワシの氣ではない。
2007/01/13
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相手を観るのではない。この「氣」は調和力だ。どうやら一定の空間を調和状態にする。(結界を自動的に張るようだ)しようとする。すると違和なモノが浮かび上がってしまう。病(闇)は調和状態で浮かび上がる。原因など知らない。どうでもいいとは思わないが。違和なモノであるのは確かだ。だから苦しむし、困る・・・。違和なモノは形になった病だけではない。形になる前の病も違和なモノだ。その他にもいろいろある。心(意識)の状態とか、余計な霊とか・・・。(ワシの)曲がった根性とか・・・。違和には違いないが、絶対治すモノでもない。違和はいろいろな「気づき」の元でもある。活かせば「学び」にも「幸運」にもなる。治すより「活かす」が優先する。と、ワシは思っている。
2007/01/12
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観てしまった事。伝えるのではない。活かすのだ。だから嘘もつく。正直にも言う。どっちだっていいのだ。活かすならば・・・。アイマイな言い方になる。口ごもる。仕方ないじゃないかぁ。正直に言えるなら楽だ。でも、一律で言うわけにいかないだろ。全員が前向きで意思が強いわけじゃない。生命力は弱っている人が多いのだ。仮に言っても、理解出来ない事柄も多い。と、時々、愚痴りたくなる。観えてしまうのは・・・結構ヤッカイなのだ。
2007/01/11
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観えてしまった事。それを全部相手に伝えるわけじゃない。これでもプロだ。伝える状況に相手があるか、どうかも観る。一律に情報公開する分野じゃないのだ。病院の方針だから、と何でも話すのはなぁ。あるいは秘密にするのもなぁ・・・。どの世界もプロは少ない。医者もプロは少ないようだ。公務員じゃあるまいし・・・。責任逃れをしてはプロ失格だろ?(とゴマメの治療者はこっそり言うのだ・・・権威ある医者に楯突くのは、こっそりとだ・・・)無責任と生涯の友情を誓ったワシだ。責任なんて持ち出したくないけどね・・・。本当の事など話せない。どう話していいのか判らない。相手の生命力が低下しているのだ。応援するにはどうするかだ。観えた事を話しても活かせない。ワシでも(悩むほどじゃなくても)考えるぜ。
2007/01/10
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氣功時、自分が自分を離れる。勝手に離れてしまう。どうやら冥想状態に近いらしい。もちろん高僧のする冥想とは雲泥の差がある。高僧は上品で深遠な真実を冥想する。ワシは下品のままだし真実など求めてない。冥想なんてピンからキリまであるんだ。まして冥想に至る方法の一つの瞑想法。これもピンからキリまであるんだ。やればいいってものじゃない。瞑想法をして「冥想」をしない人は多い。瞑想法に「こだわる」人も多い。本末転倒・・・。ワシは下品のままだが、自分を離れる。すると観えてしまう事がある。勝手に観えてしまうのだ。ワシは観たいとは思わない。そんなの興味ない。自分の役は観る事じゃない。
2007/01/09
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使っている「氣」が何処から来るのか知らない。故御師匠様は宇宙の彼方から、と言っていた。証明は出来ない・・・。だが、人のモノでないのは判る。人の範囲を超えているのは判る。鍛えて使うようなモノではない。最初の頃。ワシはワシの身体を通っているのかと思った。ラッキー♪自動的に健康になれる。しかし、それは間違いだった・・・。身体を通ってはいない。身体は止まったままだ。手の表面だけから発光する。あるいは、身体の表面から発光する。表面に扉が開かれるのだ。決して中の(自分の)氣が反応しているわけではない。こういう事も10年以上経って、やっと解ってきた。ワシは何年「氣使い」してもワシの中身が変わるわけじゃない。むしろ時が止まって、変わらないままなのだ。ワシは・・・成長しない・・・。それもラッキーだ。成長したらラッキーだ。。成長しなければ、それもラッキーだぜ。
2007/01/08
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自分は止まっている。自分の氣を使わない。(別な氣を使っているから)だから生命を使わない。自分の時が止まっている。一般的な中国気功は逆だ。自分の氣を鍛え(練功)て使う。だから生命を使う。エネルギーを使う。腹も減る・・・。ワシは他のフンドシ(氣)を使う。エネルギーは使わない。生命も止まったまま。(多分・・・歳をとらないのだと思う)腹も減らない・・・。疲れて眠くなる事はない。気持ち良くて眠くはなる。
2007/01/07
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自分が自分から離れる。離れる時もある。離れるほどじゃないが、薄くなる。どう説明したらいいのかなぁ・・・自分を捕まえている力が弛む。元々しっかりしてないワシだ。自分にこだわるモノは持ってない。立派なモノはない。小ちぇえモノだ。それでも使えるけどねぇ。(勘違いするなよ。心だぜ)氣功時は自分が薄くなる。誰でも自分の氣を使って生きている。ところが、この氣功は自分を空にする。自分のモノは端に寄せている。空いたパイプの中を(氣が)流れて来る。その時、自分の氣(元)は使わない。
2007/01/06
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正体など判らなくても使える。性質が判れば使い方は工夫できる。この世にあるモノなんて、大抵そんなもんだ。判った、解ったと勘違いしているだけだ。例えば・・・人間。夫婦だって、お互いの本当の正体なんて判らない。本当の心なんて解らない。それでも性質は判る。工夫すれば、いい夫婦や家庭は築ける。工夫とは「思いやり」の別名だぜ。「氣」は多種多様の性質がある。荒いのも暗いのも冷たいのもある。突き刺さるのもあれば、切れるのもある。柔らかい、暖(温)かい、明るいのもある。ワシの使えるのは「調和」力だ。調和は自然でもあり、生命でもある。だから、こんなワシでも思い切って使える。調和力なら間違いようがないのだ。
2007/01/05
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いいかげんなワシでも気づいてしまう。見えるわけではない。感じてしまう、というのとも違う。思い込み・・・とも違う。ワシは思い込むほど、他人に関心がない。解ってしまう・・・のかもしれない。だが正しいかどうかは知らない。勝手な解釈だと思う。当ってるかどうか、なんて知らない。そう気づいてしまうのだから仕方ない。これでも微妙な世界の住人だ。相手はクライアントに限らない。すれ違う人やTVの中の人の時もある。身体の状態、全てではない。もちろん心を読んでいるわけではない。ワシはリーディングには興味ないのだ。他人の事など、知りたいとは思わない。ワシはプロの治療者の自覚がある。説明なんてどうでもいい。(どうでもいいわけじゃないけど・・・)相手が納得する説明をする役目じゃない。健康に戻すのが役目だ。それに納得する説明なんて出来ない。「使っている氣」だって独善解釈だ。
2007/01/04
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人類の方向がある。日本の方向がある。集団が大きくなるほどハンドルは重い。道の修正は難しくなる。個人の方向がある。個人はいつでも方向を決められる(変えられる)。個人のハンドルは軽いのだ。いつでも、やり直しが出来る。集団の修正は個人から発する。個人が思い、行動する事から始まる。集団の修正は難しくても、個人の責任なのだ。卑怯な政治家は個人個人が選んだのだ。戦争や自然破壊などの大きな苦しみは欲得まみれの政治家や官僚だけの責任ではない。生き方の自立をしないと・・・ヤバイかも。自立は「共生の自覚」だ。どんな生き方をしてもいい。だが共生(人類だけじゃない)の自覚は基本だ。ワシのようなナマケモノでも共生の自覚はある。大声は出さない。立派な生き方も遠慮する。出来る限り自由に生きたい。気ままであり独善でもある。それでも「共生の自覚」は基本だ。他を犯す(侵す)なら自由も失う。そのくらいは、知っている。今年も更に自由に生きる。より基本を大切にするから自由になれる。他の自由と自の自由は同じだ。自分の生き方に自信があるぜ。ワシはワガママだ。
2007/01/03
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毎年、何かが始まる。誰でも必ず何かが始まっている。それに気づくか、気づかぬか。それを活かすか、活かさぬか。ただ、それだけの違い。この違いが、一年経つと大きい。道の仕組みは、そんなもんだ。分かれ道(始まり)は僅かな角度だ。同じ道だと思い込めば、同じ道になる。道は毎年違うと思えば、違う道になる。先は判らぬ、と素直に認めればいい。判らない事、解らない事は、面白い。わからないからこそ、ワクワクできる。ワクワクしてれば、愉しい事に出会う。ワシは愉しい事に出会いたい。そういう道を歩いていたい。だから、わからぬ道が好きだ。未熟でいたらぬ自分が好きだ。大丈夫だ。今年も充分未熟なままだ。先は読めない。愉しい事が待っている。未来が誰にもわからないのは神様からの贈り物だと思う。
2007/01/02
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(この世では)時間は常に一方向に流れている。螺旋型に流れている。地球では365日を一周として螺旋が同方向になる。日本(と多くの国)では昨日・今日を境に決めた。昔の日本は境が一ヶ月先(旧暦)だったが・・・。意識は過去・現在・未来に作用する。生き方、感じ方に作用する。意識はキッカケ(印)が無いと変え難い。螺旋上のある一点を境として意識を変える。すると生き方、感じ方が変わる。それは未来的には運命が変わるという事だ。それが年始という境でもある。時間が流れているから事実は変化も常である。基本的には運命が変化しない事はない。固定概念で変化しないように(変えている)しているのだ。生き方は個人が意識で決めている。運命は常に自分で運んでいるのだ。そのほどんどを同じ意識で固定している。境(年始)は運命を変えるチャンスなのだ。年頭の誓い、というほど力まなくていい。意識は力むと変わり難いのだ。むしろ自然体(力を抜く)方が変わりやすい。自然(幸せ)方向には変わりやすい。意識は力を入れれば、目標に近づくが変わらない。力を抜けば(自然・幸せに)変わりやすい。どちらを選ぶのかは、各自の生き方だ。感謝は(意識の)力を抜くのに適している。新たな境を迎えられたのだ。ラッキーだぜ。幸せになるチャンスを迎えられたのだ。ワシは感謝として、言葉にする。明けましておめでとうございます。
2007/01/01
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