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「迷説幸福論・43」 「興の項・7」和の国・・・。日本の真髄は和・・・。真髄が何か知らないが、和は得意だった。そして、和の意味と価値は大きい。他と和する。すると、問題が解決する。新たなる、何かが生まれる。生命力が増える。日本は和によって、繁栄できた。それは結果を求めたからではない。和する事に意味と価値があったのだ。興は和の一部分だ。だから、日本は力を合わせるのも得意だった。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/28
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「迷説幸福論・42」 「興の項・6」力を合わせる。1+1だ。結果はどうでもいい。2でも5でも1.2でもいいのだ。結果ばかり求める風潮がある。ツマラン風潮だ。そんな事ぁ、どうでもいいのだ。合わせるところに、何かが生まれる。それが、合わせる意味だ。結果は、常に変わるものだ。意味も価値も無い。そんな事も判らなくなったのかなぁ。日本人は、退化しているんだなぁ・・・。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/27
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「迷説幸福論・41」 「興の項・5」生命の為に世界がある。この世(肉体界)とあの世(精神界)がある。どちらも生命の為の舞台だ。そして、我々は、この世にいる。あの世の事は、一時棚上げだぜ。この世は、個と社会で成り立っている。全ての個が何らかの繋がりに加わる。個だけでは、存在できない世界だ。多分・・・あの世は、個だけで存在できるだろう。個が基本なのは、当たり前だ。個の集まりと、個の支え合いが社会だ。この世での生命は、個と社会で活性する。生命の活性が幸となる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/26
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「迷説幸福論・40」 「興の項・4」興するには、他と会わなくてはならない。そして、心に感じる何かが生まれる。個のまま閉じこもっていては興にならない。それでは、心に感じる何かは生まれない。個の世界はとても大切だ。自分が自分に向き合う世界だ。自が回復する時間だ。だが、個の世界だけでは生命は萎む。他と出会う。出会うだけでは足りない。一緒に、力を合わせる。すると、個の世界では気づけない何かが生まれる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/25
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「迷説幸福論・39」 「興の項・3」興によって創られた社会。社会によって個にもたらす苦と喜。興が幸の一面ならば・・・苦と喜も幸に内蔵される。興は共同力。そして、心に感じる作用。誰かと、あるいは、何かと興する。すると、新たな何かが出来る。一人では出来ない何かが起きる。それは、同時に、個の心にも起きる。興の意味は深い。知が「心に感じる」意味ならば・・・知行一致という言葉が当てはまる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/24
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「迷説幸福論・38」 「興の項・2」社会は個の幸に関与する。個の苦にも関与する。個だけでは変化が出来ないからだ。他との摩擦や刺激があって、個が変わる。社会が幸をもたらすわけじゃない。幸は自分で観つける(気づく)ものだ。だが、関与はする。大きく関与する。興という共同力。それは社会を創る。多分・・・苦と喜を比較したら・・・喜の方が多いし大きいのだろう。だから、社会は続いている。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/23
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「迷説幸福論・37」 「興の項・1」興(こう・きょう)。力を合わせて何かを興(おこ)す。同時に協力する。そして、心に感じる、という意味もある。生物は個で存在する。そして、お互い協力して生きている。存在は個だが、個では生きられない。それぞれが影響し合っている。ただ影響しているだけじゃない。協力する事で、新たな出来事が始まる。個と個が協力する。個の集まりが協力する。社会という世界が始まる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/22
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「迷説幸福論・36」 「行の項・9」努力精進推進派は異論があるだろう。行は精進の為の行いである、と。そんなこたぁ、無ぇ。精進は趣味だぜ。行は行だけだ。立派になる為に存在しているんじゃない。魂を磨く為に生まれたわけじゃない。生命を謳歌し、様々を体験する。そして、やわらげば、上出来。目指すとすれば、幸。正しさでもなく、聖でもない。純でもなく、頂点でもない。優しさ、やわらかさ、嬉しさだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/21
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「迷説幸福論・35」 「行の項・8」楽なはずの行が苦行になる。自分を素直に観るのを忘れる。理想の自分を追いかける。そりゃ、無理も出てくるさ。精進だ、努力だ、聖なる行だ。誤魔化す言い訳はある。誤魔化すのは他を気にするからだ。自分の内を観るのに、誤魔化す必要はない。行は幸への歩き方の一つ。ならば楽に歩こうぜ。自分を観るのに、力はいらない。肩の力は抜かなきゃ、瞳は開かない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/20
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「迷説幸福論・34」 「行の項・7」全ては行(ぎょう)になる。日常生活全てだ。行は自分の内を観る行いだ。だが、精進や努力じゃない。自然の行いだ。楽になる為の行だ。苦行であったら本末転倒。楽とは自由になる事だ。心身行が柔らかくなる事だ。自分を観る、なんて難しくない。慣れてないだけだ。自分だぜ。そんな大した内容じゃない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/19
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「迷説幸福論・33」 「行の項・6」ワシは精進や努力する事を勧めない。精進は悪い事ですか?努力はいけないのですか?・・・だから、勧めないのだ。努力や精進は趣味だ。好き好きだ。しようが、しまいが、勝手なのだ。そこが理解できないみたい。立派な行為だと思い込むみたいだ。する、しないは好き好きでいいのだが、良い行い、立派な行い、と思い込むと弊害がある。努力や精進で得るモノより、弊害の方が大きい。そんな事も解らないで、他人を煽る人達が多い。胡散臭いんだなぁ・・・(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/18
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「迷説幸福論・32」 「行の項・5」人間の判断は間違いが起こる。間違いは間違い無く起こる。それも、かなり起こる。日常茶飯で起こる。だが、間違っている間は間違いだと思わない。だから正当を主張する。違いがあれば、相手が間違いだと思い込む。自分に正誤や善悪の判断ができていると思い込む。精進する。努力して、精妙に進む。だから、間違いなど更に無いと思い込む。方向に間違いがあるなどとは思わない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/17
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「迷説幸福論・31」 「行の項・4」自分に戻る。自分を観る。それを行(ぎょう)ともいう。修める為の行を修行という。だが修行と称する事は多分にアヤシイ。修行を口にする者はアヤシイ人が多い。修行は個人的な内部の行だ。アレコレ他人に指図するようなモノじゃない。また精進と修行を混同する人も多い。しかも、それが正しい道のようにいう。稚拙か詐欺か勘違いか無知だと思う。そんなことは、他に言うべきことじゃない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/16
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「迷説幸福論・30」 「行の項・3」幸への道。最初から持っている。最初から付いている。そういう表現もできる。だが、それに気づくまで道を行く。気づいてからも道を行く。青い鳥は、自分の家にいる。だが、一度外に出ないと色の区別が出来ない。色々な色を観て、色は判断できる。そして、気づく。な~んだ、青い色なら家の鳥だぁ~道は、自分の中心につながっている。それは、宇宙の中心でもある。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/15
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「迷説幸福論・29」 「行の項・2」幸せは、歩いちゃ来ない。だから、歩いて行くんだね。どこかの歌詞だが、本質だろう。幸は行によって、実現できる。受身で幸が舞い降りる。そんなイメージがある。幸をある状態だと思うからだ。幸を静的な状態だと思うからだ。幸は歩いた行により育つのだ。当たり前だが、意外と忘れがち。幸は動的なモノなんだぜ。幸を感じるのは、そこまで歩いたからだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/14
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「迷説幸福論・28」 「行の項・1」行。「こう」とも「ぎょう」ともいう。行く、という意味だ。進む、という意味だ。道に関係する。道は歩いた後に出来る。だが、歩く先にもある。見えないが、方向はある。未来という未知の道。(ダジャレじゃないぞ)未来の道は意思で決まる。導かれて決まる場合もある。いずれにしても、行かなきゃ道はできない。諦めて止まれば、道はそこで途絶える。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/13
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「迷説幸福論・27」 「交の項・10」淡の交わり。お互いの個を尊重する。お互いの生き方を尊重する。すると、淡という交わりになる。水の如く。淡ではあるが、水の如く。相手の邪魔はしないが、表面の交わりではない。尊重というのは、深い理解があるからだ。理解していても、淡の付き合い。大切だからこそ、淡の交わり。水の如く交わるから、深い。いつまでも、仲間。必要なら、いつでも傍にいる。だが、特に何もしない・・・それが、交淡如水だ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/12
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「迷説幸福論・26」 「交の項・9」交わる方法。交わる型がある。良悪はない。それぞれの状態、立場、目的による。ワシ的にオススメの方法はある。理想というほど遠くない。いつでもできるわけでもない。だが、楽なのだ。お互いが楽なのだ。「交淡如水」という。交わりは淡く、水のように。この意味は深い。淡い、に意味がある。水の如く、に意味がある。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/11
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「迷説幸福論・25」 「交の項・8」他と交わる。他と接触。違いの認識。それらは自由に向かう。ならば縁も同じだ。何故、縁があるか?因果との関係だと思ってしまう。まぁ、それでいいけど・・・因果を過去、現在に絞ってしまう。すると、自由に結びつき難い。因果は未来の為に存在する。すると、自由に関係する事がわかる。縁は、自由になる為のシステムなのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/10
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「迷説幸福論・24」 「交の項・7」交の意味。交の目的。交の存在理由。交の効能。違いを体験する。その違いを受け入れる。違いが解ける。解けた分だけ広がる。広がりは自由度と比例する。自由は幸の一面。解かす能力は柔らかさ。柔らかさも自由度だ。交は自由に貢献していたのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/09
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「迷説幸福論・23」 「交の項・6」誰かと出会う。何かと出会う。お互いに影響を受ける。お互いの違いに影響される。人と人の付き合い。人とモノとの付き合い。この世での出会いの理由。相手を理解すること、という概念があった。それは、固定概念だった。相手は理解しきれない。自分も理解しきれない。理解ではなく、解だけなのだ。違いを解かす為の出会いだった。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/08
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「迷説幸福論・22」 「交の項・5」交わる。個と個だから交わる事ができる。交わる点、あるいは面に違和がある。違和はそれぞれに影響する。それまでの自分(個)と違うモノ。違和を受け入れる。あるいは拒否する。それにより、道の幅が広くなる。相手(他の個)と解けるわけじゃない。だが、違和は解ける。その分、自分が広がる。柔らかくなれる。交はこの世の存在理由の一つなのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/07
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「迷説幸福論・21」 「交の項・4」心は解け合う事が可能かもしれない。遥か遠く、魂も一つに解け合うかもしれない。だが、肉体は一つになれない。この世の存在理由の一つだ。個が個として体験する「場」だからだ。どんなに愛し合っている二人でも無理なのだ。まぁ、大抵は時間が経てば身をもって知る・・・母体の中の胎児も解け合っているわけじゃない。個が個として生きるから、貴重な世界なのだ。解け合えない。一つになれない。だが、交わる事はできる。それが、縁というヤツだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/06
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「迷説幸福論・20」 「交の項・3」この世に生まれる。特徴は一つの肉体。その肉体の限度までが、この世での生命。最初から最後まで、一つの個なのだ。その個が生涯を過ごす。その個の生涯が道になる。どんな生命体にも独自の道ができる。振り返ると道がある。先(未来)にも道はあるが、見えない。道は独自だが、幾つもの他の道と交わる。方向が同じ道もあるだろう。だが、一つの道にはなれない。接する事もあるだろう。だが、溶け合う事はできない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/05
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「迷説幸福論・19」 「交の項・2」この世は物質(肉体)界だ。仏教的には色界という。見える、触れる、聞こえる世界だ。だが、多重世界でもある。見えないモノ。触れられないモノ。聞こえないモノ。それらも、重なっているのだ。交わる、とは、二つ(以上)の世界に触れる。見える(触、聞、香なども)世界だけじゃない。見えない世界だけじゃない。見える世界を通じて、見えない世界にも関係する。つまり、心や魂や霊や過去や未来にも影響する事だ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/04
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「迷説幸福論・18」 「交の項・1」交わる。同種が深く接触する事。ただの接触は交わりにならない。ちなみに、異種だと混になる。ワシは混乱も乱交も混交も好きだけどなぁ。生きていると、何かに接触する。何かに縁がある。モノや機会や人や人以外の生物。だが、縁は深浅がある。袖触れ合うだけの縁もある。肌触れ合う縁もある。もっとアレコレ触れ合う縁もある。そして、心に触れる縁もある。魂に触れる縁もある。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/03
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「迷説幸福論・17」 「康の項・8」虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)。虚しさ、空しさの本質をあらわす菩薩だ。大宇宙、無限の広さをあらわす言葉だ。むなしいとは、本来そういう意味なのだ。康に意味する、むなしさ。幸の一面や一性質を表している。物質(肉体)界においては、諸行無常でもいい。万物流転でもいい。肉体生命は限りある。だから、むなしい、という意識が大切だ。むなしい、は慈悲に通じる。自他共に、あらゆるモノに、むなしさがある。感じる心は、慈悲となる。慈悲は幸に通じている。康は、五方に通じる大きな道なのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/02
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「迷説幸福論・16」 「康の項・7」むなしさ、が何故康(幸)なのか。一般的な理解では、マイナス的なイメージだ。だが、仏教用語としてなら理解できる。空しい、虚しいは、大きな道なのだ。通常の、むなしいという感情。それも空や虚の一部だ。大きすぎるモノ。理解の範囲を超えるモノ。それを空しい、虚しいと表現した。幸の一部分。幸の一面。むなしさはツマラナイのではない。大きすぎるのだ。むなしさ、は最初から生命に付いている。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2026/07/01
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