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パチンコの話の中になぜかしら、 飛行機の話が出てきて・・・・・ 理等に再度行ったとき割と近くに空港があったので、時々は 飛行機を見に行った。 自分では絶対乗ろうとは思わなかったが、・・・ けど、時々、YSが飛んできて、懐かしく・・・・・ わざわざ、YSを見に・・・・・ たまたまその日は、休みの日に、行ってみると、 忌まわしくも、懐かしい、コマドリが来ていた。 よく見ると、隣にビーチも並んでいたが、(詳しい名称は知らない) コマドリは確か、富士重工の機体だったと思ったが・・・ ビーチは人一目で徳島から来たのだと判った。 なぜ、こんなところに来たのかは判らないが、 たまに、ナビの訓練で遠くに行くことがあったので、 それかなと・・・ そこで思い出すのが、航空機事故のこと・・・・ 忘れもしない、確か4月の終わり、当時は 天皇誕生日のときだった。 福岡県の宗像大社のの祭礼の記念に、 大社上空を、九機のダイヤモンド編隊をを 見せるということで、 ある、飛行場を離陸・・・・ その日は、晴れだったが若干ところどころに厚い雲が 出ていました。 それでも、視程20(20キロは見渡せる)あったはずですが、 あまり、天気予報がよくなかったので、 午前中に、ウエザーチエックにも確かメンターが(飛行機の1種) 上がっていたと思います。 結果、よかったので午前10時半ごろ、九機と予備機、計十機で 離陸、大社上空を正午ちょうどに通過する予定でしたので 玄界灘上空で待機・・・・・ 遥か右手に、北九州の町並み、関門海峡などが見えて 本当に快適でした。 で、11時半頃隊長機から集合の指令があり、 集合、ホーメーションを組んだ。 そのまま、宗像大社上空までわずかな時間のはずでしたが、少し 時間があったので、編隊を組んだまま、玄界灘を旋廻・・・・ そのときだった。 目の前におおきくて厚い雲があったのは・・・・・・ 編隊のままくもの中へ 雲の中でも全く見えないわけではないのですが・・・ 雲の中はやはり気流が悪い・・・・・・・ 飛行機が雲の中で上下・・・・・ ソロであればそんなにたいしたことはないにしても、 翼端数メーター(と言っても、3メーターも無かった) 前後も数メーターしかなかったので、 飛行機が上下すると言うことは本当に、ひやひや物・・・・ 映画なんか見ているとカッコいいが、操縦している人は 神経を使う・・・・・ その時のパイロットは10人全てベテラン教官・・・・ 安心していいはずが、 私の飛行機が急に左下方に旋廻した。 急なことなのでなんだ・・・・と と、目の前に二機の飛行機が、・・・・・ 一機は横向きに、もう一機はプロペラで左翼を切られ・・・・ 玄界灘へ真っ逆さま・・・・ 幸い、もう一機は旋廻しながら下降していくが・・・ 真っ逆さまに落ちた飛行機は大きな水しぶきを上げ水中へ・・・・ と、隣を見ると、パイロットが顔を真っ青にして・・・・ 「メーデー、メーデー」 と大声でイマジンシーコール・・・・ すぐに隊長機から、「散開、ホーメーションブレイクの指示」 その後、誰の機だったか・・・・ 一機だけ残し、飛行場へ・・・・・・ 着陸して、タクシーウエイから帰るときも帰った後も 整備の人間に声を掛けられるまで、 茫然自失・・・・ やっと整備の人間に助けられ、飛行機を降りることが できたが、 ひざがガクガク・・・・・ 立っているのがやっとだった。 しかし、私の本当の仕事はここから、 直接の上司が、私の乗っていた飛行機のパイロットだったし・・・ 指示を仰ぐわけにもいかず・・・・ すぐに事務室にとって返し・・・・ 次席に報告・・・ 次席はイマージンシーのことは知っていたし、 編隊の中に私と、総務班長が乗っているのを師っていたので、 こちらも心配・・・・・・・ 私が帰ってきたときには、もう空自のレスキュウ、や下関の 掃海艇も救難に出ていたが、 一機はすぐにヘリに回収され、けがもそんなに無かったが もう一機の所在が確認されず・・・・ 墜落者3名(一機に2名、もう一機に1名)のうち2名は 無事救出。 しかし1名は、真っ逆さまに落ちたため絶望視・・・・ 翌日下関の掃海艇の人が発見、遺体は無事収容・・・・ 詳しく聞いてみると、操縦かんで胸を強く打ったのが・・・・ 事故当日は、当然、救出本部が設けられ、 私も、総務班の一員として、 対外折衝(主にサブのサブとして)など寝る暇も無かった。 次席が心配して、「お前も当事者の一員だから少し休め」と 気を使ってくれたが、そんな気は全くおきなかった。 次席が心配したのは、体のこともあるが、 その後ある航空機事故調査のこともあったらしい・・・・ しかし、幸か不幸か私は少し話を聞かれただけで、 終わった。 一番つらかったのは、その後行われた、葬儀・・・・ 私も、本部の(群)管理と一緒に葬儀の実施に携わったが、 死んだ人の奥さんを見るのは、とても耐えられなかった。 押さない子供をつれ、おなかの中には子供が・・・・ それでも必死にみんなに挨拶して・・・・ 私は言葉も出なかった・・・・ それと、普通のお葬式と違い、 儀杖隊は最初から最後まで、棺の前で厳粛に立っているし・・・ 葬儀の時は、空砲とはいえ発砲するし・・・(礼砲) 音楽隊の葬送曲がなんとも言えず・・・・ ハンガーの中が(飛行機を入れる格納庫)一種別世界のような・・・ そんな雰囲気に、私も葬儀が終わるまで、 前後何日かは、ほとんど不眠不休・・・ 目の前で飛行機が落ちるのを見るし・・・ 自分も当事者の中で、もしかしたら自分の乗ってた機が・・・ なんて考えると・・・ もう二度と飛行機に乗ろうとは考えられない。 ただ、その時の飛行機は、4人乗りでレシプロ機・・・ めったなことでは落ちないから安心していい・・・・ なんて聞いてたし、 現実に、その何年かまえ、メンターでプロペラがはずれ、 日本海側から瀬戸内海沿岸にある空港まで帰ってきたと 当時の運用班長から聞かされていた。 確かに、ジェットや回転翼(ヘリ)ではトラぶったら 一命にかかわることが多いだろうが・・・・・・ それで私の記憶している限り、落下傘など持っているパイロットは いなかった。ような記憶が・・・・ それまでは、班長がパイロットの教官だったことをいいことに 教官訓練といえば、必ず同乗・・・ 離着陸はさせてもらえなかったが、上空で 何度か操縦かんを握ったことも何度か・・・・ また、本部勤務をいいことに、 シュミレーターに乗ったことも、またダッチング訓練なども勝手に させてもらっていたが・・・ 二度とそんな気は起こらなくなった。・・・
2008年10月30日
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再度、離島へ来て、丸3月 やっと、波もなく、お客さんが常時総台数の40%をキープ できるようになった。 九州あたりで40%なんていうと笑われるかも知れないし、 現実に、盛況な店では常時、70%以上の客数を もっているところは多い。 しかし、離島で、漁師相手の店では、 普通の店でも、やっと30%を確保し、多いときで、 60%~70%のほうが普通であると思う。それでも、 田舎のことですし、農繁期、漁の最盛期は やはり客数はがた落ち・・・・・ それでも、過去からのデーターを比較してみると、 新規でオープンした時と比べても遜色無いところまで もってきたと思う。 やっと、やれやれである。 私が、予想していた回復期まで、約半分で達成・・・・ しかしここからが問題。 元に戻った、客を減らさない・・・・ 固定客をがっちりつける・・・・ そこが一番大切な仕事で、また一番難しい・・・・ 毎日が苦労の連続・・・・ ただ、お客に言わせると、 私は、島のどこの店長に比べても、 変わっている・・・・・らしい。 何故かと聞くと、 他の店に行ってもあまり遊べない。 勝つことはまれだと・・・・ あなたの店は、よく遊べる・・・・・ また金額は少ないけど勝つこともh他の店と 比べて多い・・・・ 店はやっていけるのですか?・・・・ 多きにお世話である。 最低限の利益は、しっかり確保しているし、 儲けもかなり増えたはずで・・・・・・ その分他の店がかなりあこぎな営業をしていることになる。 お客さんは敏感だ。 ただ、困ったことがおきた。 私が以前いた店と部長の店が、あおりを食って若干 客数が減ったと・・・・ 考えてみると仕方がない。 車で20分も走れば、姉妹店に着くのだから、・・・ お客もよく知っているものだ。 そこの島は、1市2町、私が以前いた店は島の南端。 再度行ったときは、中部の店だったから・・・ 部長は以前から、 島の北端の市内の店だった。 ま、何はともあれ、3店合計も、以前よりかなりよくなった ので、良しと・・・・・ 私の仕事も半分は済んだみたいなもの・・・・・ しかし、約束の1年が近くなった時、 意外な問題が起きた。 結局その問題が発端で、その会社とは 二度と付き合うのはこりごり・・・・・・・・・ 見たいな感じに・・・・・ ある店長会議の席で、若い総務部長が(オーナーの甥だと思う) 全店、一発機を導入、全て一回交換にして欲しい。 当然、売り上げは、以前と比べて、 かなりあがるはずだから、利益率を、 今と、同じにしても、利益はかなり多くなるはずですから 頑張って売り上げを伸ばして下さい。云々・・・・ 確かに、一回交換にすれば、掛かったら、玉を交換して また打つ、・・・・・ 売り上げは、倍以上に伸びるだろう。 ただ、打ってる人間は変わらない。 交換して打ち、また交換して打ち、そのたびに、売り上げは 伸びるが、人間が変わらない以上、 負ける人は、同じ人。 お客にしてみれば、かかる回数は多くなっても、 負ける金額はうなぎのぼり・・・・ お金が続くはずがない・・・・・ 都会の駅前の、一見さんが多い店はそれでいいかも知れないが・・・ 田舎の、なおかつ島の中で、そういう考えは、 結局店をつぶす元だと・・・・ 私は理を分けて説明したが、 聞き分けない・・・・・ 結局、他の姉妹店は、押し切られ、・・・ 私一人が、反対、・・・・ ただ、機械そのものには私も必要だと考えていたので、 機械は仕入れてもらった。 台の入れ替えで、私が関与しなかったのは、 最初に来たときと、この時だけだった。 そして開店、 確かに姉妹店全店、売り上げはかなり上がった。 儲けが増えなかったのは私の店だけだった。 早速、電話 「店長、売り上げがかなり上がりましたね。いいですね。この調子で」・・・ 私は、言いたいことはわかったので、 「粗利はあまり期待しないでください。」と 最初に断ってしまった。 向こうは他の姉妹店は、かなり粗利が上がってることを告げて、 さも、あなたはいうことを聞かないのか。・・・・・ といわんばかり。 さすがに私も、若干頭にきて、 「店が後半年でいいなら抜きますよ」 相手は、それで黙ってしまった。 少し、言い過ぎたかなと思ったが、 約束はあと少しだから・・・・ 案の状、他の姉妹店の売り上げが、急速に、落ちてきた。 しかも、一発機にはお客さんがいないことが多くなった。 逆に、他の機械でそこそこだったお客が、 帰り際に、少しだけ打っていく。 それが掛かる。 店は一発機のおかげで、赤字を打つことのほうが多くなった。 確かに、若い部長の言うことは一理あるし、 私も、久留米あたりの店で、営業するときは、 大いに賛成したかも・・・ ただ、コップの中で、水を取り合いしても、 中の水だけでは、どうしようもない。・・・・・ 外から新しい水が入って来ての取り合いなら・・・ そういう考えもよかったのだろうが・・・ 店を任されている他の店長も、店長 毎日営業していて、 お客の、顔が変わらないのに、 島の人口が変わるはずないのに・・・・ もう少し考えて、釘を調整すれば・・・ 結局、一発機を最後まで、残したのは、 私の店と、私が以前いた店だけ。 さすが私が育てた店長と 自画自賛・・・・・・ 自慢話はこれくらい・・・・ これが、若い部長には嫌われる元になったばかりに・・・・・ 店は元に戻したが、 最後はあまり、面白くなく、 約束の日を待つばかり。 しかしこんな約束は向こうは、覚えてないから・・ 困ったものだ。 仕方ないから、約束の1月前に辞表を出し、 次の店長を至急探してくれるようこちらから頼む羽目に・・・ 何はともあれ、1年間を無事過ごしやっと終わった。 それが実感であった。・・・・ 次は飛行機事故のことを少し・・・・
2008年10月29日
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やっと、久留米の生活を満喫しようとしていた矢先 なんと、再び、離島へ・・・・・ 泣く泣く、荷物をまとめ、宅急便で送り、 翌日、また、トッピーに・・・(高速船) 船旅3時間やっと島につきました。 見ると、前にいた店の主任(現店長)従業員、部長と 迎えに来ています。 懐かしいのか、また来てしまったの後悔か・・・・ なんとも複雑な思い出・・・・・ しばらく喫茶店で話・・・・ 任せられた店に・・・・・ 夕方6時頃だったと・・・・・ なんと、店はガラガラ・・・・ お客さんが4~5人いるかどうか・・・・ 早速、主任を呼んで、 過去、1年の売り上げデーター、と集客データーを見せてもらい 愕然・・・・・ 私が島にいた頃そこの店は、私の店に比べて、集客3分の2、 売り上げが半分より少し上だったように記憶してますが、 データーを見ると、私が島を出た後、急に落ち込んでしまったようでした。 主任に「急に落ちているけど、何かあった?」と聞いても 要領を得ません。 近くに新規の店ができたわけではないし・・・・・ どうも、判らないことばかり・・・ 競合店が、あるにはあるが、そんなにいい店ではないし・・・ 情報の収集からはじめなければ・・・・と。 その日は、釘を叩く気もしないまま、 部長に電話して、何でこんなに落ちたのか・・・・と 聞いてみてもなんとなく要領を得ません。 仕方なくオーナーに電話をして、4~5日様子を見る旨 連絡をして、その間に、情報収集、そして、打開策を探って・・・ しかし、結局、台の入れ替えしかありません。 そこまで腹を決めて、店の中を見渡すと、 何か、以前より、暗くなったような感じ、 よく見ると、鏡はニコチンだらけ、島の飾りは汚れっぱなし・・・ お客を迎える以前の問題・・・・ そこで、至急台の選定を行い、 このときは都合2回分の台を選定したが・・・ 1回の入れ替えでは、多分、だめだろう、日にちをおかず 2回目も考えておく・・・・ それで、2週間後に第二回の入れ替えをするということで、 オーナーに話しましたが、 予算の面で苦労の連続、 2回分の台を購入する、代金の問題で頭を悩ませましたが、 結局、よく知った、業者に涙を呑んでもらい、 2回分の台を手当てし・・・・ やっと、金額の面でオーナーと折り合いが・・・・ 大至急日程を決め、3日ほど、無理を言って、 店を休み、(開けててもあまり・・・) 店内の大掃除からさせました。 従業員に、聞いてみると、 今までの店長は、入れ替えでもあまり掃除のことは言わなかった。 また、ほとんどホールに出ず、釘もあまり叩かなかった・・・・・ こんな店でやる気を起こすのはどうかと思ったが、 給料をもらい、1店舗の管理を任され、 それではどうかと?・・・・ オーナーは隣の島だしめったにこないから、 横着を・・・・・・ しかし、店長の仕事というのは、毎日の、 データーが正直に物語っている・・・ 結局、お引取り願ったわけだが、 その次の仕事が、簡単に見つかるとは・・ 私には思えない。 なぜなら、やはりこの世界広いようで狭い・・・ 店をつぶしたなんて言う、風聞が流れると他の店のオーナーは 雇わないだろうし・・・ 結構うわさは流れるものである。 それはさておき、店内、店外の掃除を徹底的にさせやっと 台の入れ替えを済ませ・・・ 折込チラシの確認・・・・ 今回の入れ替えは、台そのものよりも 店長が変わった・・・・・と言う事を宣伝しなければならない。 今までとは違う・・・・・ これを印象付けなくてはならない・・・・ そこで、チラシを、少し多めに・・・ 私が前にいた店のある地域にも、そして部長の店のある地域にも 若干配布した。 これには、部長も、以前いた店の店長も 嫌がったが・・・・・ そこで、開店。 私は、昔に戻って、ホールに出っ放し・・・ お客さんに、私の顔を印象付けることが第一だから・・・・ 幸か不幸か・・・お客さんに名前も、顔も覚えられ、 やっと当初の目論見を達成・・・・ それからしばらくは、儲けを半分に減らし、 ただ、半分といっても私が来る以前と比べてはかなりの 大幅アップ・・・ 2回目の開店(入れ替え)でだめを押した。 1月が過ぎた頃やっと私が、いた頃の店に戻り、 やや、上向いてきた。 従業員はと見ると、 私が来てから、口やかましく、接客態度、掃除、などなど・・・ 言うものだから、最初は嫌気がさしているみたいだったが、 私も、一緒にホールを回り、掃除をするものだから、 いやもおうもない。・・・ ただ、その頃になると(お客が増えてから) 従業員もかなり、 やりがいができたみたいです。 やはり、頭が、適当だと、下も適当・・・・・に お客も、従業員もかなり、意識改革ができたみたいで、ホッと ただ、生活面では、以前と変わりなく、 以前より面白みがなくなったみたいで・・・・ 打ち上げ場はないし、(ロケットの)海は以前の店と比べて 遠くなったし・・・ ただ、空港は近くなった。 私自身は、飛行機には、乗るつもりはなかったが・・・ 船と比べて、飛行機だとかなり時間短縮ができるなんて・・・言われたが 私は以前飛行機で、死ぬ思いもしたし・・ その時、上司の一人が死んでいたので、 飛行機は怖くて乗れなかった。 こういう風に言うと、 飛行機事故のことが思い出されて、・・・・ また、聞きたい人も多いと・・・ パチンコは1回休んで、 飛行機事故のことを書いてもいいかな・・・・ 請う、ご期待。
2008年10月28日
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主任を育て、店も以前とは、 かなり変わって、それなりの実績を作るようになりました。 そこで、もう、そろそろ帰っても・・・・・ ということで、辞めさせてもらい久しぶりに、久留米へ・・・・ やっと久留米に帰り、しばらく都会生活を?・・・満喫 そろそろ仕事を始めようかと、 失業保険も切れたし・・・・ で、友達や、先輩、に相談・・・・ やっと仕事にありつきましたが、 そこは、営業成績もそこそこ・・・・・ 日々客を落とさないように気をつけるだけの、平々凡々と・・・ すごさせてもらいました。 ある日、事務所でのんびりモニターを見ながら、 一服していると、見かけないお客さんが、・・・・ いや、見たことはあるのですが・・・・ 一瞬気がつきませんでした。 すると、従業員を掴まえて、何か話している様子、 何かあったかな・・・と 見ていると、従業員が事務所のほうへ・・・ 「店長お客さんです。」 私は何事か、誰かな、・・・と 出てみると、 かの、離島で世話に成った部長・・・・ その部長は当時60歳を過ぎていたような記憶が・・・・・ そこそこに挨拶を済ませ、 何で自分がいるところがわかったのか? 何の用事で着たのか? 不思議に・・・・ 言葉に出るのがそのこと(失礼だったが) すると、私が育てた主任に(今は私の後の店長)聞いたのだという。 用件に関しては、ついでがあったから、顔を見に来たと・・・・ そこで、ホテルを紹介し、 喫茶店へ・・・・ 2年以上お世話に成った上司であるし・・・ その後の店の様子も気にかかるし・・・で、 話をいろいろ聞いたが、 何か、全ての話が、上調子で、 何かほかにいいたそう・・・・・・・・。 そこで、「部長、何か心配事でもあるんですか。」と 聞いたところ、やっと本題に入った。 「申し訳ないが、もう1軒見てもらえないか。どうしても店が・・・・」 しかし、私も就職してまだ、半年、 急に辞める訳にも行かず・・・・ 「部長、行きたいのは山々ですが、この店を急に止めるわけには・・・」 はっきり断ればよかったのですが、 行きたいのは山々・・・なんて言ってしまったのが、失敗 次の日、オーナーに呼び出され、 何かと思い、本社事務所へ、 と、そこに夕べあったばかりの、部長が・・・・・ オーナー曰く「この会社の社長は以前から知っている。君も内に来たばかりで 大変だろうが、しばらく応援に行ってやってもらえないか。」 何のことはない、オーナー同士で話して、決めてしまったらしい。 私が、はっきり断っていれば、そこまでしなかったが、 行きたいのはなんて言った手前・・・・・ そこで、店の引継ぎをそこそこに済ませ、 また、もう一度、いくは目になってしまった。 大体の事情はわかっているので、 どこも店か聞いてみると、私が以前いた店の隣町の店らしい。・・・ そこで、前の店に電話し、以前の主任にそこの店の状況を聞いてみた。 すると、かなり、悪いらしい。 冗談で、「お前、そこの店の店長で行ってみないか」 すると「私が行ってもだめです。いやです」 あっさり・・・・・・ 最初、そこの島に行ったときよりかなり不安にさせられる。 両方のオーナーとは、1年間ということで約束し、 帰ったら元の店か、姉妹店にいけるように約束して、 やっと、離島の店に行くことを・・・・・・・決めた。
2008年10月27日
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鹿児島の離島の店にいた頃、 苦労したのが台の入れ替え、 離島と言っても、台の入れ替えは、考えざるを得ません。 初めの入れ替え、2回目の入れ替えは、 本社サイドで台の選定、発注をしてくれましたが、 3回目になると、勝手にやってくれ・・・・ そんな感じでした。 自分で、台を選定し、稟議書を上げ、 決済が降り次第、発注・・・・ そんな感じでした(大体どこでも同じですが) 1回目、2回目はまだ離島に慣れてない・・・と 言うことから、本社サイドで、全て、やってくれましたが、 3回目となると、やはり、自分でしなければなりません。 それで、大まかな台の選定を行い、根回し、 すると、希望する台は高い・・・・というクレーム 聞いてみますと、さらの新台は1機種、2~3機種は中古 ということで、中古の価格が高い、 他の台に・・・と言う。 価格を聞いてみると、確かに高い。 そこで、いくらぐらいまでならいいか聞いてみたところ、 私の思っている値段の役1.5倍・・・ それなら、その範囲で買えればいいんですね。と念を押し、 自分で、交渉することを認めさせ、 早速、私の知っている業者に電話、 その機種があるか確認したところ、「ある」と・・・ いくらで卸すか交渉したところ、 かなり安い値段で手に入った。 条件は、入れ替え時に立ち会わない・・・という条件。 それで、整備だけお願いし、発送を依頼・・・ すぐ、本社に稟議書を上げると、 オーナーがびっくり・・・ なぜ、こんなに安いか・・・ そのときの値段が、鹿児島の業者に比べて、半額以下、約3分の1程度 大いに喜び、即、OK そんなわけで、それ以降私の店は、値段の交渉から、 全てやる羽目になってしまった。 また、そのおかげで、他の店が入れ替えを2回するところ 私の店は3回と、入れ替えの回数も多くなった。 その上、姉妹店の店長が、台を紹介してくれと、くるものだから 姉妹店の分まで交渉する羽目に・・・・ 口は悪いが、根っからの離島の店長とは機会やさんとの付き合いが まるで違うし、また九州や中国の情報はこちらが多いし、 入れ替えのときは、何かと相談をうけたものです。 そんなある入れ替えのとき、 全台の3分の1ほど入れ替えたのですが、 どうしても、もう1機種欲しかった。 それで、入れ替えて、検査が済んだ後、 もう1機種倉庫に眠っていた。台を活用した。 当然、違反、無許可ですが、・・・・ それで、3ヶ月ほど営業したし、 そんな台ほど、客付きはいい・・・利益は上げてくれる。 次の、開店のとき外すのが、勿体無い・・・・ ただ、その台は、中古を探してもなかったし、 新台としてもなかったのでやむなくあきらめたが・・・ さすがに、私も、次の入れ替えまでは、内心ビクビク物でした。 離島だったからこそできたことですが、・・・ 当然、オーナーも知らないことに・・・・・ そこの、島では、めったに経験することのないことを いろいろしましたが、 特に、「ひまわり」の打ち上げには、 無理を言って、近くで見せてもらいました。 前の、宇宙開発事業団の方には、感謝してます。 また、釣りにも行きましたし、貝も採りにいきました。 ただ、いやなことも、・・・ 相撲、・・・・鹿児島は相撲の盛んな土地柄で、 特に、田舎に行けば行くほど・・・ そんなことで、秋祭りといえば、奉納相撲・・・ 春祭りといえば奉納相撲・・・・ 体育祭といえば、相撲・・・・ 誰が言ったか、私が田舎相撲の経験者、中学時代は、 県でもいいところまで行った事を、オーナーに話したものだから、 祭りのたびに出場する羽目に・・・・ もう、30の声を聞くというのに、若い者と一緒に 相撲をとらせられて・・・・・ これだけは、いやでした。 その、店で足掛け、2年弱いましたが、 その間に、主任を育て、 釘を任せられるようにして、やっと開放されましたが、 もう、二度と行くことはナイト思っていた、 所に再度行くことになろうとは、思っても見ませんでした。
2008年10月25日
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離島に住む皆さんには、大変悪いんですが、 離島の生活自体は、かなり不便を感じました。 不便というより、都会で(久留米)生活したものが、 何かと贅沢ということでしょうか。・・・・・ そこに住む人は、そんなに、不便を感じてなかったのではないか・・・ 私が一番困ったのは、食料品である。 単身赴任だから、まず、買い置きは無駄ですが、 買い置きしていなければ、いざというとき、 何もない。下手をすると、おかず無しでご飯を食べることに・・・ 食堂に行けば・・・・なんて思う人もいると思うが その食堂が近所に無い・・・・ 次に困ったのが、停電・・・ 今はどうか知らないが、私がいるときは、 何回も停電したものです。 勤務して初めての頃、 家でテレビを見ていると、 停電・・・・・ はっとして、即ホールへ、 久留米や、日田、宗像などは、下手に停電しようものなら、 セブンが掛かっていた・・・保障してなんて・・・ 店の責任ではないので、当然保障はしないのだが、 負けている人、初めて掛かった人、何かあれば文句を・・・なんて 言う人が本当に多かったし、対処に苦労したものだ。 で、慌ててホールに顔を出すと、従業員も、お客も みんなで和気アイアイ・・・・ 私は、狐につままれたようで、・・・ 従業員は、私が慌ててホールに駆け込んだものだから、 逆になんかあったかと、心配してくれる始末・・・・ こっちは停電で、みんな苦労していると思って ホールに行ったのだが、それを聞いて、従業員も、お客も ここはいつもだからみんな慣れてますから、・・・・・ なんて。・・・・・ その時、私は本当に離島に来たんだなあ・・・・と つくづく思い知らされました。 反対に、いいこと・・・・楽をしたことは、 いくら、絞ってもお客からの苦情があまり無かったこと・・・ 福岡あたりでは、当時売り上げの10%以上抜けば・・・儲けが お客さんが来なくなる。・・・そんなときに、毎日の営業が 50%カット(儲けが5割)・・・ その上、いくら負けても、1回掛かれば、喜んで帰っていく・・・ そんな土地柄でした。 正月、お盆、それと6月くらいのモジャコの(養殖用のぶりの稚魚) 季節は輪を掛けて6割、7割の営業・・・・ こんな商売なら本当に楽・・・・ 私が赴任したときはあまり、お客がいなかったが、 私自身、そんな商売になれてなかったことが、幸いし、 約3割営業で(内心は恐々)いったのですが、 結局それが、評判を呼び、かなりのお客の回復を見たものでした。 その上、お客が増えたから、当然売り上げが増える・・・ 3割の営業でも、以前の(私が赴任する前)儲けをかなり 上まっているので、オーナーも、変に感心するし、 喜ぶし・・・・・ その意味では本当に楽でした。 もう一つ、私が困ったのが、(贅沢で)本の発売がかなり遅い その上、読みたい本があまり無い、注文すれば、 忘れた頃にやってくる。・・・・・ 笑い話ですが、 私が久留米に帰って、週刊誌を買って、もっていくと、 それを、お客や、従業員が見る。 島の発売日よりかなり前だから、 島では、今週号と、来週号を一編に見るようなものである。 おかげで、島の本屋さんから、支配人が家に帰ると、 売り上げが、半分以下になる。なんてやわらかい苦情が来た。・・・・ これは北九州の人はよくわかると思います。 門司の発売日が、水曜なら、下関の発売日は月曜・・・・ この差が福岡と、鹿児島の離島では、4~5日から1週間も違うし しけでもあったときは、発売日が、10日以上贈れるなんて事は ざらでしたから・・・・・・。 一時が万事そんな調子・・・・ 時間の概念が、九州と離島では、かなり違ってました。 さすがに、仕事に遅れるなんて事は無かったが、 飲み会の時間、会合の時間などは、30分くらいはさばを 読まなければ、頭にくることが多かった。 さすがに、今はそんなことは無いと思うが・・・・・ そこの店で、私が唯一違法な営業をしたことがあった。 それは、ひやひや物でしたが、 ばれずにすみました。 そのことについては、もう時効ですので、次回白状します。
2008年10月24日
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私は、計3回ほど、離島を経験しました。 日田の店を、なんとかきどうに乗せ、 少し、体を休ませている頃、 コンピーター屋さんが、ある店を、紹介してくれました。 それは、鹿児島の、ある店でした。 どうも最近調子が悪いので、 しばらく、様子を見てもらえないか。 との事、私は、田舎の店は、初めての経験ですし、 なおかつ、鹿児島から、船で、かなりの時間がかかる・・・・ 二の足を踏みましたが、どうしてもというので 恩を売るつもりで、面接だけとの約束で 久留米の自宅から、鹿児島のある離島へ・・・・ 面接は、勤務する場所とは別の島で行いました。 わざわざ、港まで迎えに来られ、 面接は、ホテルの、食事つき・・・・ 確かに給料は安かったけれど、なかなかオーナーの 人当たりがよさそう・・・・ それで、返事を保留し、 翌日かえって相談して返事をすることにしました。 その夜は向こうが用意したホテルに泊まり、 寝ようとすると、統括部長という人が訪ねてきました。 何の用か聞いても、少し体を貸して・・・・・と 言うだけ・・・ 何のことかわからず、ついていくと、 島のわびしいスナック。 つまり、飲みに誘い出した訳ですが・・・ 私は、一面識もない人がなぜ・・・・ すると、オーナーから一緒に飲んで来いといわれたとか・・・ しょうがないので少し付き合うつもりが、 なんと4時間・・・・おかげであくる日は二日酔い・・・ 帰りの船が、きつかったこと、きつかったこと・・・ 生まれて2回目の船酔いを体験しました。 おまけに、帰るまえ、面接の旅費だということで、 封筒を渡されました。 旅費なら、最初約束していたので、 受け取りましたが、・・・・・ かえってあけてみると、旅費の数倍のお金が入っています。 受け取ったときなんで気がつかなかったのか・・・ 二日酔いと寝不足で・・・・・ しかし、受け取ってしまったのは仕方ない・・・ 紹介者に、どうしたものか相談したところ、 受け取っておきなさい・・・・ やむを得ず、受け取りましたが、 今度は、断るに、断れず、仕事に行くことにしました。 それで、離島のことゆえ、住まいが心配で、そのことを 訪ねたところ、店の隣に家があるとのこと。 やむなく数日後に赴任することにしました。 離島の生活はある意味面白かったし、楽しさを満喫しましたが 離島ゆえの、困難さが多数・・・・ それはまた・・・・・
2008年10月23日
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パチンコ屋の従業員の、一般的な生活・・・ いろんな、形態があると思うが、私の知ってる 一般的な、生活を書いてみよう。 私はおおむね関西以西しか知らないが、どこも似たりよったり・・・ だと思う。 鹿児島や熊本南部、大分や宮崎の郡部に行くと 自宅から通う、従業員も多い。 昔はそれが大半だったと思う・・・ なぜなら、台数規制が解除になるまでは、 郡部で100台、市内で150~200台の店が多かった。 その中で寮を完備することは、難しかったと思う。 その点、北九州、福岡、佐賀、長崎、や中国地方の台数が 300台以上の店は、従業員を確保するためにも、 寮が必要不可欠。 店の2階がおおむね寮というところが多かった。 従業員の大半、大体全ては、寮の中で生活・・・・ 食事は大体2食のところが多い。 朝食が(一般的な)昼の時間帯、 夕食が、一般家庭より、早い時間帯(5時から7時頃) 夜食は、残り飯に、おかずは自分もちというところが 多いみたいですが、 一番困るのが、朝食、 早出で朝8時半ごろ出勤する人は、 朝ごはん抜きである。 慣れたら、そんなに感じないが、 慣れるまでは、朝大変です。 近所の店でパンを買い、それで済ますなんて事は、 日常茶飯事・・・・・ 私がパチンコ屋さんにお世話になった頃は、コンビニなんてなかったから・・・ また、部屋は、6畳くらいが多かったような・・・ 独身者は、2人・・・ 夫婦者は、夫婦で1部屋・・・・ 薄い壁今で仕切っているから、夫婦の人は 大変だったと思う。 今ではいろんな意味で改善されてきたが・・・・ また、特筆は、パチンコ屋さんに入ると 毎日、タバコが現物支給・・・ 吸う一も吸わない人も、1箱・・・ タバコを吸う人は大変助かったものだ。 ただ、今では、タバコの現物支給はなくなった店が多い。 そんなわけで、お金を使い切って、飛び込みで面接に 来る人も多かった。 また、江戸っ子ではあるまいし、 給料日からわずか、1週間程度でお金を使い切ってしまう 人間も多かった。 食事と、タバコの心配をする必要がないから・・・ 古い、オーナーの中には、従業員確保のためには、 お金を持たないほうが止めずにすむと・・・ せっせと前借をさせたオーナーもいたものです。 そして、前借をしなくなると、 止めるのではないかと心配する。 こんなことは、今の店ではほとんどなくなったが・・・ 第一、飛び込み面接なんて、ほとんど通用しなくなった。 そんな人ほど、店がことわってしまう。 そういうわけで 現在のパチンコの従業員は昔と比べても、 かなり質が上がってきていると思う。 次は、離島や、昔の郡部のパチンコ屋さんの生活を・・・
2008年10月21日
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唐突ですが、皆さんは、 松方弘樹主演の最後の博徒・・・・ 見たことがあるでしょうか、・・・・ 私もこんな世界に身をおいていたものですから、 よくビデオを借りてみてましたが・・・・・ 計らずもこんなところで・・・と・・・ 日田で営業を始めてから、しばらくして まだ、私が赴任してまもなくだったと思いますが・・・ 店で何かトラブルが、・・・ その時、私を呼ぶより早く、古参の従業員が事務所に来て 電話を掛けている。 私に断りもなく・・・・ それを、横でなんとなく聞いていると ある組の(丸暴の)事務所みたいで、 「すぐ来て欲しい」みたいなことを言っている。・・・・ 電話が終わり、なんかあったのか聞いてみると、 ホールに、その筋の人間が来ている。 問題を起こす前に、呼んだ。と 私は、あきれるやら、びっくりするやらで・・・・ この店は、なんと言うことをやっているのだろう・・・・ そのときは、従業員を入れ替えるつもりでいたので、 何も言わなかったが、 ある機会にオーナーに聞いてみた。 確かに付き合いはあったみたいだが、 それを、幹部でなく、一従業員に教えていることを それとなく注意したが(オーナーに)判ったのだろうか そのときはなんとなく、その組の県北支部長という人が来て 収めていったらしいが、いくら取られたのか・・・・ 何がしかのお金が動いているのは、なんとなく・・・・ ただ、そのときは、私も紹介してくれただけなので、 黙っていたが・・・ そのことは改装から、開店にいたる忙しさで忘れていたが、 開店から3~4日経った頃、 支配人といるかと訪ねてきた人がいた。 誰かと思ったら、くだんの県北支部長、・・・・ 「支配人、忙しくなかったら、しばらく付き合って・・・」と 何かと・・・ 私も面と向かって、人前で付き合うのはいやだと思ったのですが、 「今回だけ、損はさせないから」というので ついて行った。 すると、一軒の小料理屋に入って行く。・・・ 何かな・・ すると、一人の小柄な男を紹介された。 ついていくとき、何かしら、あたりに その筋の、しかもかなり上の幹部と思しき人間が、かなりいたので 何か変・・・・ 自分でも不安に感じていたので・・・ 「それで」と自分で納得。 で、もう一つ疑問が、 関西でもかなり有名な、大幹部を私に紹介・・・・ 最後の博徒(松方弘樹主演の映画の主人公)でモデルになったほどの・・・ 紹介、・・・なぜ・・・ いくらパチンコ屋の支配人と言っても住む世界が違う私に・・・ その、疑問は程なく消えた。 何のことはない、紹介して一緒に食事をするだけで、 その料亭の勘定がこっちに回ってくる ただそのことだけのために・・・ 少し頭に来たが、文句も言えず・・・ ただ、ここで、私のそのときの正直な気持ちを言うと やはり、大幹部になる人間は違う・・・・ 言葉では言い表せないが・・・ また、物腰も、言葉遣いも、大会社の社長か・・・・と 思えるほど・・・ しかし、連れてきた下の人間に対しては一瞬本当に怖くなるような 態度であったが・・・・それも私に気づくと一瞬で 普通に戻った。 後にも先にも、そんな大幹部、大御所に会ったのは その時だけ・・・・ 以後も何度か、組長とか言う人種にあったことがあるが、 そんなに、畏怖することはなかった。 どちらかというと、心の奥では、いやな気持ちのほうが 先だったような・・・ しかし、こんな経験二度とごめんだ、と・・・ ま、酒の席では、その話が好きな人には、 話して聞かせることもあったが、・・・・ そんな人ほど、俺はどこどこの組の人間を知っている・・・・ なんていうけど、その話をすると なぜか黙ってしまう人が多い。
2008年10月19日
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日田に行って、初めての開店(入れ替え) 支配人になってはじめての開店・・・・・ なんか、感慨ひとしお・・・・ 今は、そうではないんですが、 昔は、夕方の開店が多かった。 6時、6時、6時、3時、12時と来て、 土曜日にやっと定時、10時開店なんてこともままあった。 従業員は喜びますが、私たちは、それだけ、釘の調整が 難しくなります。 夕方の開店はそれなりに、出さなければ、見栄えが 悪いし、 3時になって前日のままにしておくと、大赤字になります。 また、定時開店で、そんなに早く閉店するわけにもいかないし それなりに、釘を閉めていくわけですが、 これがまた、急激に閉めると、評判が悪くなるしで、 ここが本当に、腕の見せ所、・・・・・ 今は、メーカーの釘師さんが、最初の何日かは叩きますが・・・ 私みたいな、昔気質の釘師は、最初の1日だけ メーカーの釘師さんに頼んで 後は自分で叩く人が多いと思う。 何はともあれ、入れ替えのときにどのくらい お客さんの心象を良くするか・・・ これが一番です。 ただ、出玉だけでなく、従業員の応対 これもまた大いに関係があります。 私は、オーナーの許可をえて、 福岡の、有名なホテルの、支配人を呼び、 一日、接客の教育を受けさせました。 やはり、ホテルマンは接客のプロ、 かなりの効果があったように感じましたが、自画自賛?・・・ 今では、大きな店ほど、 ホテルマンや、銀行マンを呼んで、教育しているところが 多いみたいですが・・・・・ ま、つつがなく開店を済ませ、 翌週には、平常営業。 お客さんに、支配人が替わったこと、 従業員を入れ替えたこと・・・ などなど、大いに宣伝し、かなりの好評を得たと・・・ 営業成績も以前と比べ、かなりな大幅アップ・・・ まさに、順風満帆・・・ ただ、一つ、事件が・・・ この世界、切っても切れない、事件が・・・・ また次回
2008年10月19日
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翌日から、即改装に入るわけではないのですが、 改装前、大工さんが入る前に、ホールの片付け・・・ パチンコ台を全台、撤去・・・ 全台替えるわけではないので、残す台、また、姉妹店で使う台、 中古屋さんに売る台などなど、 全て、選別しなければなりません。 また、ホールに在る、備品類、 カウンターの景品など全て倉庫にしまいこんで、最後に 椅子の撤去、幸い、椅子は新しい椅子と交換するので、 そんなに気にせず、従業員に任せてました。 そうこうしていると、続々新規採用の従業員が、 やってきます。面接は済ましているので、 寮の部屋割り、・・・ 布団の手配、 食事の手配・・・・・ 何かと忙しい一日でした。 一段落して、ふと時計を見るともう夕方、 次の日は、休むことにしていたので、 身銭を切って、 食事会・・・・ まだ、従業員が、しっくりいってない事もあって、 懇親会こそが一番の急務だったような気がしましたし、・・・ 案の常、前からいる従業員と新規採用の従業員との間がなんとなく 隙間風・・・・ しかし、そこを何とか埋めてやるのが、 小生の仕事・・・・ 改装の作業中に、チームワークができれば、よし・・・ そんな感じでした。 ただ、主任を早急に決めて、やる必要もあったのですが・・・ (主任は決めてあったのですが、発表はまだ) その日は、飲むことだけに、重きを置いて、心行くまで 飲ませました。 おかげで、私の小遣いは無しに・・・ 次の日、早速前借なんて・・・・ おかげで、時間が経つに連れて、 従業員の中も、割りとしっくり来た様な・・・ まあ、ひとまずホッと・・・・ 翌々日からはまた、機械の(パチンコ台)の整備、掃除、 特に、カセット(玉込めの部分)掃除 セル掃除、・・・ セルというのは、パチンコ台の正面、釘がたくさん打っているところ。 この掃除が大変、水につけるわけにもいかず、 セルブラシで、(刷毛みたいなもの)釘に当たらないように こする。手首が痛くなります。 当然、その日から、大工さんも工事にかかっていますので、 大工との、折衝、指示等何かと、忙しい毎日でした。
2008年10月18日
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人事というものは、本当に難しいものである。 新聞にもよく出ていますが、 自民党の役員人事、大臣新聞辞令が出ると流れるなんて・・・・ 大会社から、中小の会社にいたるまで・・・・ そんな大それたことではないにしろ、 主任、一人、副主任一人、指名するのがまた大変。 どうでもいいや・・・・という人間もいるし 我こそはなんていう人間もまた必ず・・・・ そんな人間が、真面目で、仕事に精を出してくれればいいが・・ そんな人に限って、名誉欲だけなんてことも・・・ 私の考えの中にもう一つ、重要なことがありました。 従業員を大半入れ替え・・・・ 店の改装と同時に、中身も大幅に入れ替える・・・・ ただ、このことは胸の奥にまだしまったままでしたが・・・ それで、店休日のある日、二人を呼んで(副主任代理の) 当人の考えを聞きました。 一人は、年配で、考えもしっかりしてましたが、 いかんせん、上昇志向がまるでなし・・・・ もう一人は、若かったけれど、パチンコ狂い・・・ 休み、休憩のときは必ずパチンコ屋さん・・・・ それで、いろいろ話しましたが、私は、もうこの際、 外部の血を入れるべきだ、・・・・と心に決めました。 そう決めると日時もあまりないし、すぐ行動を起こすこと・・・・ そう決め、直ちに前の店の支配人に相談して、 私が前の店にいた頃、頼りにしていた従業員を くれるよう頼み込みました。 許可が出て、本人に話し、快諾を得て、やっと人心地つき・・・ 次は新しい従業員の手配 新聞広告に求人案内を載せ、 また、知った人間に声をかけ、何日か後には、従業員の 目鼻も立つようになりましたが、 今度は、現従業員を転勤させるか、止めさせなければ、 寮の方が間に合いません。(パチンコ屋さんの生活についてはまた) 従業員の過半数を辞めさせる。もしくは転勤させる。 これは、やはり人間として、かなり苦悩しました。 同じ釜の飯を、わずかな間とはいえ食べた中ですし・・・ しかし、ここで決断しなければ、決して店はよくならない そんな気持ちで 心を鬼にして・・・・ まず、配転からはじめました。 都合のいいことに、その店には、姉妹店が4~5軒ありましたし。 転勤は、かなり速いペースで実行できました。 ただ、その後が、大変、 従業員の補充をしませんでしたので、何日かの間は、 半分の人員で店を回さなければなりません。 話が、後先になりましたが、 姉妹店の店長のご好意によって、止めさせる従業員がなかったことは 大いに助かりましたが、・・・・ 新しく採用した従業員は、改装に入るまでは、 勤務させませんでしたので、何日かは、支配人自ら 表回りをしました。 表回り自体は、前の店の延長みたいな感覚で大して苦にならなかった。 そうこうして、やっと改装前日、 早めに店を閉め、 その日は翌日から、改装作業の旨通達し、閉店作業もさせずに、散会。 翌日から肉体労です。
2008年10月16日
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私も、初めての経験ですが、(当然) 主任といえば、ホールの現場責任者・・・・ それが、責任を放棄し、 夜逃げ・・・ 「止めたい」といって止めれば、 その日までの給料は、当然支払われる。 が、夜逃げで止めるなんて、自分の働いた分の 給料を捨てるということ・・・ 店側としては、給料は、給料日に、用意してますが、 夜逃げで止めた人間が給料を取りに凝れるでしょうか?・・・ 私の考えとしては、 職場を放棄し、責任を遺棄する・・・ その上、給料も放棄・・・・ それは、いかに不真面目に、仕事をしていたかの 証明にほかなりません。 不真面目で、適当にその日をすごしているから、 自分が、居心地が悪くなると、 職場放棄みたいな止め方をする・・・・ 店にとっても利益こそあれ、不都合は何もない そんな主任みたいな人間が、 止めるとき「俺がいなくなると、店が困る。困らせてやれ」・・・ どの職場も、そのようなことはないから、本人だけがピエロ・・・ その証拠にどの店、どの職場でも 従業員が辞めて、店を休んだなんていう、話は聞いたことがない。 とは言っても、私にとって、初めて支配人と言う仕事・・・ 店の、配電盤一つ要領を得ない。 苦労していると、中に気の利いた従業員が、 開店準備をしてくれた。 聞くと、主任とはそりが合わなかったという。 その、従業員に、その日の段取り等を任せ、 何事もなく終わったし、 私も、一日あればなんとなくでも、仕事に不自由しないくらいは 覚えることができた。 しかし、いつまでも、その従業員を重宝するわけにもいかず、 従業員名簿を、引っ張り出して、 時期主任候補を考えた。 が、個々の性格もわからず、熟練度も判らず、 ほとほと困ってしまった。 それで、一応、そのときの次席、三席を副主任代理として 1月後くらいに、主任を決めようと、・・・・ これには、従業員も、全て賛同してくれて、当初の 難場を乗り切った。 しかし、1月後に主任を決めるということも、 また、・・・・・苦労。 その上、着任後早い時期に、新台の入れ替え、若干の 改装をすると、決めていたので、これも 早く、考えをまとめなければ、・・・・ 改装の方は、オーナーに任せても、 新台の方は、自分で決め値段交渉からしなければならない。 何かしら、一編に仕事が押し寄せて、来たような感じだった。 それから急務は、従業員教育、・・・・ これは、従業員の反発を買うのは必至・・・・ ある程度血を流すことを覚悟で、 副主任代理2人から話すことにした。
2008年10月15日
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大分の小京都、日田・・・・ そこが私の第二の勤務地でした。 実を言うと、私が若かりし頃、 日田には何度か足を運んだことがありました。 日田の隣町、(町というか田舎というか) 高校を卒業し、大学も二期校とは言え国立の試験に合格し 大学に行けという親や、高校の先生の説得にも耳を貸さず・・ 国家公務員の初休職(今はなんと言うのか?)に合格していたのを 幸いに、就職の道を選びました。 その最初の勤務地が下毛郡のある田舎町・・・・ 2年ほど、真面目に勤務しましたが、 出世欲、名誉欲につられ、組合の幹部に・・・・ 村山元総理が、自治労の委員長(大分県本部)をしていた頃ですから・・・ 元総理とは、大分の飲み屋で、(いっぱい飲み屋さん) 一緒に飲んだこともあります。 当然、総理は覚えてないかと思いますが・・・ 方や地本の委員長、私は県北の青年部長では話す機会もあまり・・・ そんなことで、元総理が、大分1区から衆院選に出たときは いつか俺も。・・・・・・・・なんて そういうわけで、下毛、日田あたりは、組合のオルグでよく行った 物でした。 ただ、それから、約7~8年 日田の町もかなり変わっていましたし、 何かこう、 自分でやる気を起こしての始めての職場・・・ パチンコやさんがある所・・・・ 本当に新鮮に感じたものでした。 ただ、福岡から日田英彦山線に乗ってかなり長く感じたことも 鮮明に覚えています。 早速オーナーに挨拶しょうと思い事務所に行くと、 「オーナーは自宅だと思いますが、どちら様ですか」 私は「今日からお世話に成る○○です。」というと 「ああ聞いてます。アパートにお連れします。」 それからアパートに荷物を置いて、また店に帰っていくと 「仕事は明日からでいいですよ。今日はゆっくりして下さい」 「今日の釘は誰が叩くんですか。なんなら私が叩いても・・・」 と聞いたところ、 「明日は休みですから、明日の夕方叩いてください。今日は 従業員に紹介だけしておきます。」 それで、店を後にし、アパートに・・・・ その後、近隣の、パチンコやさんを回ってみました。 近所に、4~5軒あったと思いますが、1軒だけ、 これは、という店が、・・・ そこは、見るからに新しく、設備も立派で、お客さんの多いこと・・・ それを見て、前の支配人が止めたわけがなんとなく判ったような また、今後の自分の仕事が、大変厳しいことが・・・・ で、夕食を済ませ、店に顔を出すと、まだオーナーは 来ていません。昼間の事務所にいた女の人に聞くと、 「オーナーは来ません。毎週、日曜日に来ますのでその時挨拶を」 なんて、言いますが。私はそれでいいのか不思議に・・・ 後で聞くと、オーナーの自宅は私が以前勤務していたパチンコ屋の近くで 私を何度も見に来たと・・ 私はそんなことは、知らなかったので、本当に後で冷や汗をかきました。 夜、閉店後、従業員が呼びに来たので、ホールに出てみると 私を紹介するはずだった、女の人は、いなくて、 私も一瞬戸惑いましたが、 従業員を前にして、「私が今度お世話になる、○○です。新規の店も 近所にできているみたい、きついとは思いますが、頑張りましょう」 と、簡単に自己紹介・・・ 従業員の面々を見ると、半分は私より年長・・・・ 女子従業員の顔を見ると、化粧っケなし 本当に、田舎のパチンコ屋さんだなと・・・・ つくづく思い、従業員教育から頭を悩まさなければ・・・・ しかし、来た早々からやかましく言うのもなんだし、 しばらく、様子を見ることに・・・・ そして、閉店作業が終わったのを確認し、 従業員を帰し、主任に「今夜急いで帰るの」 主任は「特に用事はありません。」 「ちょっと2~30分いいかな」 主任は私より年長そうに見えたのですが、わざとぶっきらぼうに すると「いいですよ」 それから、ビールとつまみを買って来てもらい、 事務所でいろいろ話を聞きましたが、なんとなく要領を得ません。 なんと次の日、黙って退社・・・・ 昔のパチンコ屋さんには、黙って夜逃げをする人が多かった・・・ しかし、主任が黙って夜逃げ・・・・・ 信じられませんでした。 次の日から、大変・・・・ 主任はやはり、気心の知れた者がいたほうが・・・・ 奮闘記は次回・・
2008年10月14日
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その、2年間は本当に充実してました。 真剣に仕事に打ち込む、 こんなことが過去に在ったかどうか・・・・ 本当にその2年間は、睡眠時間を削り、パチンコの いろはから覚えました。 特に、データーの見方、 釘の叩き方、 初めは、若干馬鹿にしていましたが、 習い始めてから、本当に奥が深いと・・・・ 今の、釘師さんは確かに、データなども読むし、 釘の調整もうまい人が多いが、私の知っている 釘師さん方は、本当の意味で、お客さんとの修羅場を 経験していないみたいに思えてならない。 時代は流れて、パチンコ業界にもパソコンが普及し、 その結果、詳しいデーターやお客の動向など 欲しいデーターがすぐに手に入る。 また、お客さんには悪いが、 いろんないたずらが(出玉カット、遠隔操作など) できるように成り、釘一本の勝負なんて、今の若い 釘師さんには経験しようにもできないのかも知れないが・・・ 私が習った店は、店そのものは時代の最先端をいくものだったが そういうことが一切なかった。当時は・・・ ただ、スロットは別でしたが・・・・ スロットは尚玉社の{ナイト}という機械でしたが その当時唯一島管理設定をできるようにしていたと記憶してます。 が、パチンコはそんなことが一切なく、 釘の叩き方一つで、出玉が変動し、 赤字も、黒字も支配人の腕一つでした。 当然、釘の叩き方ひとつで、集客状況も変わってくる・・・ 本当に毎日が勝負でした。 特に、玄海の漁師町でしたから、 やばいと思ったときは早起きして、天気を見ながら 釘を叩いたものでした。 今ではある程度の天気予報を見て、 釘を調整し、朝起きて叩きなおすなんてことはないと・・・・ そんな厳しい中、ある日支配人に呼ばれ 「主任、今夜から1列お前に任す。大よその割りだけ言うからそれで 叩いてみなさい。」 私は驚きましたし、正直天まで上るような気持ちでした。 それから、約半年、 1列から、1島になり、2島になり、・・・ 最後は、普通機(チュウリップだけの機械)を除いて全て 叩くように・・・ 半年が過ぎ、普通機も叩かせてもらうようになったある日 支配人の容態が優れぬようになり、 何日かは自分で、叩くようになりました。 支配人の容態も回復し、以前のように二人で叩くようになったある日 「主任、お前は首だ。」と突然宣告され・・ 私は何のを言われたのか、一瞬わかりませんでした。 「はあっ」 すると支配人は 「お前は明日から仕事をしなくていいから、荷物の整理を しなさい。首だから。」 「冗談でしょ。支配人」 こう答え、何か、へまをしたか一生懸命考えましたが、 何も思い当たりません。 支配人もしばらく黙って私を見ないようにして、 勝手に仕事をしてますし。 私は、何がなんだかわからなくてボオッと立ったまま・・・ そんな私を見て、支配人がかわいそうに思ったのか、 また当初の驚かそうという魂胆が達成されたのか・・・ 私の顔を笑いながら見て、 「主任、お前には俺が教えることはなくなった。来週から 俺の知ってる店に行って店長として頑張れ」 それを聞いて、私は驚くやら、喜ぶやら、不安にやら・・・ ただ、オーナーや常務には内緒だという。 支配人は、主任がここの店にいるといつまでも主任どまり・・・・と かわいそうだからと、知ってる店に紹介してくれたのである。 それから、翌日、常務のところに行き 「常務、大変お世話に成りましたけど、やめさせて下さい」 常務は大変びっくりした顔をして、 慰留に努めてくれましたが、 支配人との約束もありましたので、 止めるの一点ばリでとうしました。 本当に世話に成って、勝手に止めるなんて、申し訳なく 思いましたが支配人の 「チャンスは絶対に生かせ、次のチャンスはあると思うな」の 一言で意を決した。 その後は、店始まって以来の送別会・・・ パチンコ屋には珍しく、退職金代わりの金一封・・・ 涙が出るほど、感激・・・・ 前の主任が止めるときもそんなことはなく、私一人が いい思いをしたみたいで・・・・・・・・・・・・・ 何はともあれ、やっと卒業した・・・・・ そんな気分でした。 その後の店での、奮闘記は次回以降・・・
2008年10月12日
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そもそも、表回りなんていわずに、 単に従業員、もしくはカウンターなどと区別 するなら、ホール担当者でもいいと思うが・・・ なぜ、表回りが通称だったのか・・・ それは、それ以前のパチンコやさんには、 ホールにいる男性と、パチンコ台の玉を 裏のケースに入れる、もしくは、おろす台の裏に 裏周りの女性従業員がいたからである。 年配の方は覚えている方も多いと思いますが、 電動式以前のパチンコ、・・・ 要するに、右手親指でばねをはじいて玉を打ってた頃、 台の上の方に鏡がついていたのを、 覚えている方も多い・・・・ 鏡に映る、玉、 台の裏に玉が乗っているがそれが多いと、玉がこぼれてしまい、 その台の玉の収支が判らなくなる。 それでその台にいくら玉を補給したか、かつ、玉をいくら おろしたか、必ず1台、1台玉を計っていましたが、 その、係りが、裏周り、コンピューターが登場する以前は 彼女たち、裏の係りが一番重要であったわけです。 台の収支が判らなければ、釘調整のしようがありませんし・・・・ その彼女たちに対して、表にいる従業員が、表回りということです。 昔のパチンコを打った人は覚えていると思いますが、 裏に玉が載りすぎると、玉の出が悪くなると、 よく言われてましたので、 お客さんによっては、鏡を見ながら、裏玉が多いと ランプをつけて、裏の玉を下ろすことを、何回も要求したり、 よく出る台は、何回も補給させたり、・・・ まあ、それはそれで大変だったと思います。 表回りがなぜそういわれているか、 大体判ったと思いますが 昔のパチンコは、風流だったような気がします。 今みたいに一回かかるといくらなんていうことではなく チュウリップめがけて、天4本の釘の左を狙い・・・・ こつこつとためていく。1台終了させてやめるなんて・・・ それが、チュウリップから、二連、三連のチュウリップ・・・ 次に飛行機、次にセブン、果てはカード機・・・・ 私みたいな昔ながらの釘師は、昔のパチンコのほうが よかったような気がします。 軍艦マーチに誘われて、 今日も来ました・・・・・ 開け、開け、パッと開け チュウリップ これは、間 幹平の歌の一節だったと思いますが、 本当に懐かしくなるときがあります。
2008年10月11日
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いろいろありましたけど、 開店から3ヶ月を経過しますと、 いろんな意味で落ち着いてきます。 この間新台も入れ替えましたし、 いろんな経験をしました。 特筆することは、 支配人に気に入られ、 なぜかしら馬が合ったというか・・・・? 少しずつ、パチンコの釘調整を教えてくれるように なったことです。 正直、閉店後夜遅く深夜まで、釘の調整をして 馬鹿らしいなんて・・・・思ってましたが・・・ 実際やってみるとこれがまた楽しく、面白い。 そして、一番興味を持ったことは、 釘師になると、かなりのお金を手にすることができる。 と、言うこと・・・・・・ 例えば、当時の学卒の初任給がまだ、20万円無い頃 腕のいい釘師は、ン~百万。 そのときの支配人でも、当時年収1千万は軽く超えてた。 そんな、こんなで、釘調整を自分のものにするため、 必死に支配人について勉強しました。 ただ、一点いやなこともありましたが・・・・ それは主任が、焼きもちを焼く・・・・ 確かに、長く、支配人についていってますと、 支配人も、私を当てにして、何かと、直接私に 言ってきます。それがやはり気に入らない。・・・・ 結局主任は、開店3ヶ月くらいでやめましたが・・・・ その後は、当然主任に・・・・ 営業中は、通常の表回り、従業員の管理・・・ 閉店後は支配人について釘の勉強、・・・ かなりな重労働だったと思いますが、 夜の分は、残業手当なんて出ませんし・・ 本当にきつい毎日でしたが、やはり人間、 何かを得ようとするときは本当に頑張るものです。 きついのもあまり気にならなかった。 また、従業員の楽しみに、第三日曜がありました。 大体、日曜日は閉店時間がかなり早く、 通常は、11時まで、日曜は9時弊店が当時九州地区の 決まりでした。 で、第三日曜は毎月、飲みに連れて行ってくれるか、 食事会があったので、みんな無礼講で結構楽しんだものでした。 また、先日話した彼女との付き合いも楽しかったし、ここの店に 勤務していた頃は、本当に楽しい2年間でした。 さてさて、先日来、表回り、なんて言う言葉が 結構出てきていますが、 当時はなぜ表回り、というのか、 よく判りませんでした。 単にパチンコ台の向いてるほうを回る(巡回)から・・・ 表回り・・・・という・・くらいしか思っていませんでしたが、 なぜ表回りと、言うかその支配人との 話の中で、やっと判りました。 なぜ表回りというか、明日でも書いておこうと思います。 若い人は絶対知らないことですし、・・・・ 私も、高校を卒業した頃、わずか1~2年 しか見たことはありませんから、 現在、約55歳以上の人しかわからないと・・・
2008年10月10日
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久しぶりに本題に戻ります。 その日は主任が休みで、 当然、私はパチンコのホールに居ました。 その店は、主任がパチンコ、副主任が、スロットのホール そのときの主席が、パチンコ、次席がスロット・・・と で、その日は主にパチンコのホールに居ました。 約350台の店を、ホールの表回り(当時は男性の従業員を表回りといいました) 7人でやってましたので。忙しいときは、足がくたくた・・・ そんな中、ふと見ると、島のランプが点滅。 お客を待たせると悪いので、急いでその島に急行・・・ が、・・・ランプの場所にお客は居ません。 頭をかしげながら、その島を出ると、また反対の端の島にランプ あわてて飛んでいくとまたお客は居ません。 また、首をかしげて、島を出る。 そのときはその2回だけだったので、忙しさにかまけて 忘れていました。 しばらくすると、またランプ、 急いでいくと、今度は、いっぺんに4~5台ついています。 その時、いたずらだとわかったのですが、・・・ ランプを消して、島を出ると、今度はまた反対の島にランプ・・・ あわてて、そちらに急行・・・ やはりまた5~6台ランプがついて・・・ で、その回りのお客さんに聞くと、若い男がやっていった。・・・と そんなことで、従業員を両端の島に立たせて、様子を見させることにした。 しばらくは落ち着いていたが、 今度はあろうことか、カウンターの目の前でランプをつけて回る 男が居た。早速「当店の主任と」呼び出し カウンターに行くと、女の子がランプをつけて回っていた男を 教えてくれた。 そのときは、もう他の従業員が、 注意をしていたので、黙ってみていた。 他の従業員が、注意をしているとき、そばに行くと、 威圧的な態度に見られがちですから・・・ 任せておくことに・・・ そのときはそれで収まったかに見えたが、 しばらくするとまたはじめた。 そのときは従業員が見えるところでやっていたので、 すぐに注意・・・・ と、今度は初めからけんか腰で、無視・・・ 注意した従業員もかなり腹を立て、大分きつく言ったみたいだった。 すると、今度は大声、 他の従業員が2人で外に連れ出し、 外で注意する始末 挙句に、その従業員に向かって「俺は、○○組の者じゃ てめえはどこの組の者じゃ」・・・ 当然従業員はそんなところに入っているはずはありませんが・・ 「俺か、俺は1年桜組じゃ」なんて 後で聞いて大笑いしました。 その後、その男が今度は変な年寄りを連れてきました。 本当に、やせて、見るからに貧弱な体・・・ けど、その男が、私を呼び出し、 「わしは、○○組、○○支部の者じゃが、うちの若い者に」・・・ なんて言い出す。喧嘩して巻けるような相手ではないと思ったが、 後々が面倒なので、丁重に接したが・・・ ようは、態度が悪い、金を出せということらしい。 馬鹿馬鹿しいが、丁重に断っていると、 40ぐらいの割りと身なりのいい男が、 その年寄りに、耳打ち、 とたんにその年よりは、ぺこぺこ・・・ 頭を下げながら帰っていった。 聞いてみると、 何か有名な、右翼の団体員だったみたい。詳しいことは判らなかったが。 ただ、誤解を招くといけないので断っておきますと、 その店は私の知っている限り、 身か締めを払ってはいなかった。 その人が勝手に、追っ払ってくれたみたいでした。 その筋の、いろんな人を見てきたが、 まず、一番困るのが、若い不良。 ある程度その筋にかかわっている人間のほうが 話がわかる・・・・ こんなことを言うとまた誤解が・・・
2008年10月09日
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話がパチンコのほうから少し離れている気がしますが・・・ もう少し付き合って下さい。 なんと言っても私にとって、なんと意っていいか・・・ 晴天の霹靂・・・ タナボタ、・・それは相手にとって失礼 それほど、驚愕に値する出来事でした。 私も当時、30前、独身ではありましたが、 浮いた話のいくつかはあったしそれなりの経験もあったのですが・・・ 女の子と付き合った。・・・ 真剣に付き合ったことも何度か・・ でも、生来の人見知り、かつ、人並み以下の容姿では、 なかなか、一生ついてきてくれるなんて人とはなかなか めぐりあえなかったものでした。 それが降って涌いたような、話。 狐につまされたような感じでしたので、今でも当時のことは はっきりと覚えています。 何はともあれ、次の約束の日を心待ち。 確かに不安もあったような・・・ 本当に付き合う気があるのかしら・・・なんて 不安で、不安でどうしょうもなかったような・・・ しかし、約束の日、彼女は本当に待っていてくれたばかりか アパートに行くと、久しぶりのご馳走。 私はパチンコ屋に入る前、調理の仕事もしていたし、 外国要人を招待した、宴会の準備もしたこともありますから、 (当然、使い走りでしたが)いくらくらいかかっているのか 自然と判ってしまいます。 アルバイトをしながら、大学へ通うような女の子の 精一杯の私宅だということはすぐにわかりました。 なぜか、その時初めて、彼女に対して愛おしさがこみ上げて 涙がこぼれそうになったのを覚えています。 不謹慎ですが、そのときまでは、好意は持っていたものの 「好きだ」というまでの気持ちは在ったか、無かったか、・・ 自分でもよくわかりません。 世の男性諸氏は、「カッコつけて、下心見え見えのくせに」と 思うかも知れませんが、そのときは本当にそんな気持ちだったと・・・ その夜は、前のときとは違い、初めから ゆっくりと話し、楽しく過ごしましたし、 当然、最後の一線も越えました。 いうなれば、自分の妻にしているように、・・・ 本当に自然にそうなったと思っています。 ただ、そうなったのはそうなったとしても、 彼女は、生来小学校の先生になりたいという夢があったし、 私は、彼女を自分のものにしてしまおう。(結婚しよう)とは 最後まで、いえませんでした。 何事も彼女の意思を尊重しょうと・・・・ 彼女も、うすうすそのことは感じていたようでした。 彼女が、大学を卒業するまでの、2年本当に夢の 様な日々でした。 しかし、卒業のときは、 不思議と、二人とも泣かずに、自然と別れられました。 そのときは、別れたなんていう、気持ちはなかったように 思っています。自然と彼女は実家に帰り、就職し、 今でも、福岡の某小学校に教職としていると風の頼りに・・・・ 年月というのは本当に残酷なものです。 思いあっている二人を自然と別れさせる。・・・・ しかし考えようによっては、年月ほどやさしいものはないかも・・・ 自然と忘れさせてくれる。 昨今は、女性の方との付き合い方がわからず、 ストーカーや、痴漢行為など・・・ 特に硬い職業の人ほど多いとか・・・ 私みたいな、人見知りの人並み無い容姿の持ち主でも 女の人と付き合うことができます。 女性は、女としてはか弱いもの。(母は別ですが) もっと、もっと大事に扱ってもいいんじゃないかと・・ パチンコファンの諸氏には聞くに堪えがたい話を 延々と、 申し訳ない また、自身のパチンコ放浪紀続けていきたいと思ってます。
2008年10月08日
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私は、最初から気が引けて、どちらかというと 早く帰りたい・・・・ 世の男性諸氏は信じられないだろうが・・・・ 本当に、こちらに負い目があったので、仕方なく付き合った 感じでした。 ただ、彼女も、こちらの負い目を十分認識しているみたいでしたが、 そんなことは臆面にも出さずに、 どちらかというと、こちらが慰められているみたいでした。 が、一晩一緒に飲み明かすと、変な親しみが涌くものです。 正直、彼女が学校を休むなんて・・・・ 考えられなかった。・・・・ ただ、そのときも私は何も言えず、・・・ 本当は学校を休むことはとめるべきかも知れませんが。・・・ ただ、その時は本当に何を言っていいかわからなかった。 後で聞いてみると、彼女も何かしらもう少し一緒にいたかったそうです。 けれど、私の方ははじめての仕事、おまけに副主任・・・ 新規の開店と・・・ここしばらくは緊張の連続でしたので・・・ そんなに酒量は多くなかったのですが、頭が朦朧として・・・ 「ごめん、もちそうに無いので、帰って休みます。」 本当にその時は寝たかった。 すると、「いいよ私も片付けたら休むから。後で飲みなおそ。そこで そこで寝ていいよ。」 毛布まで出してきてくれるし、「今日はいいんでしょ、もう少し居て」 なんていいだすから、私も動きたくなかったので、 その場で、ゴロリ。 何かしら、彼女は鼻歌交じりに何かしているのはを、感じながら 自然と、寝入ってしまいました。 本当に疲れていたようです。 それと、昨夜の不安が払拭され、安心したのもあったかも・・・・ 何時間寝たか、よく覚えてない。 ふと目を覚ますと、見慣れない蛍光灯。見慣れないコタツ布団・・・・ 自分が今どこに居るのか一瞬わかりませんでした。 しかもまだ頭が朦朧と・・・・ 寝ぼけた感じで、ふと横を見ると、私の腕を枕にして 女の子が寝ている。 もう、本当にびっくりしました。 いっぺんで頭が冴え、昨夜からのことを、思い出し・・・ 彼女とは一緒に飲んだだけ・・・ いろいろ話はしたけど、・・・ 男と女の一線は越えていない。 そんなことをいろいろ考えて・・・ホット。 男の方はそんな馬鹿な・・・ と思うかもしれませんが、その時はそんな気は全然ありませんでした。 据え膳みたいなものですから・・・また彼女も、何かしら そんな気があったみたいですが・・・・・ 後で聞いた話・・・・ とにかく、何も無くてほっとしたのですが、 彼女はまだ寝ていますし、 起こすのもかわいそうですし、かと言って 黙って帰るのも気が引けるし・・・ 飲んで寝たのと、寝起きで、生理的な欲求が高まるし・・・ 冷や汗タラタラ・・・・・でした。 トイレを我慢して、しばらくじっとしていますと、 彼女も起きて、「おはよう」 とたんに緊張感がほぐれて・・・ 「ごめん、トイレ貸して」・・・色気も何もあったものでは・・・ ただその時はそんな感じでした。 トイレから出てきますと、タオル、歯磨きを用意して待って くれて「はい、タオル」 一から十まで彼女の思うとおりに・・・ パンを焼き、コーヒーを入れてくれて、一緒に朝食。 なぜか、その時になると、たった一晩だけの付き合いが、 ずっと以前から知っているような感覚。 まだ、名前も知らなかったのに。 で、初めて名前を聞き・・ 当然私も名のり・・・ 二人して、笑い転げました。 そのときからでしょうか。彼女に女を感じ始めたのは・・ 後で聞くと彼女は、スナックの中でもう付き合う。戸決めていた みたいですが・・・・ それで、遮二無二自分のアパートまで連れて来た。 なんていってました。 しかし、私も男ですが、初めて会って、初めての日に ベッドを共にするなんて、やはり躊躇しました。 が、彼女に促され、キスだけはその時に・・・・ それからしばらく、二人して、身の上話・・・ 身の上話なんて事はありませんが、自分のことを話し、 彼女のことを聞き、いろいろ話して、 合間にキスなんて感じでした。 ただ、そのときも、それ以上は絶対に要求しませんでした。 ただ、彼女は不思議そうでしたが・・・・ 女の子と心を開放して、ザックバランに話すこと 時間のたつのが早いこと・・・・ ふと時計を見るともう夕方。 意を決して、「ごめん、もう帰る。また気が向いたら一緒に飲もう」と 彼女は、何か物足りなさそうでしたが、 「今度の土曜日、絶対来てね」と約束させられました。 しかし、私は仕事が終わるのが、午前0時頃・・・ 「いいか」と聞くと、店の前で0時半と約束させられました。 その時はそれで分かれたのですが、・・・ 彼女とは、結構長続きしました。
2008年10月07日
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本当に後で後悔したんです。 仕事中とはいえ、また、自分にそんな意識が無かったとは言え 本当に自分が情けなかった・・・・ だから、会ったときは素直に謝ることができたし、 その後、彼女が無視するのもわかるような気がして、・・・ 邪推すれば、私がうそを言ってるような・・・・ だから、言い訳もしなかったにですが。 それが、部下の従業員が面白おかしく、言い訳をしてくれて・・・ それでも無視は続きましたので、私は帰ることにしたのですが・・・ 考えてみると、彼女の乳房を手の平で思いっきり押したのですから・・ 仕方ありませんが・・・・ それで店を出て帰ろうとすると彼女に呼び止められ、 今から飲みに行こうといわれ、正直面食らいました。 それで仕方なくお詫びのつもりで「いいですがあまり現金は持ってきてない」 と、正直言いました。 少しくらいなら、お詫びをしてもいい気だったのですが、・・・ まさかその日に会うなんて思っても無かったので・・・・ しかし、彼女は「大丈夫、大丈夫。任せて」なんていって 先に歩きだしました。 正直、変な男でも出てくるんじゃ・・・なんて思ったりもしましたが それは私の杞憂でしたが・・・・・。 彼女は勝手に歩いていくし、不安な気持ちを持ったまま ついて行くのがやっとでした。 そのうち変なことに気がついてまたいやな予感が・・・・ なぜなら・・・飲み屋街とは関係ない住宅街の方に・・・・ そのうち、1件のアパートに・・・・ 彼女は勝手に歩いていくし、私はお詫びに行くつもりだったので 不安ながらもついていくしかありません。 で、アパートの玄関にたどり着いた時は不安の極地でしたが・・ 彼女はお構い無しにドアを開け入って行くし、私はそれから 中には入れませんでした。 彼女は「どうぞ、入って」なんていうけど・・・ 最後に「私一人だから気にしないで」なんて・・・・ 私はどっちかというと古風な人間でしたので、 なおさら、女の子の一人住まいの部屋になんて入れませんでしたが 彼女は、「気にしなくていいから入って」なんて・・・ 覚悟を決めて部屋に上がりました。 すると8畳一間だったと思いますが、机とベッドが置いてあるだけの 粗末な部屋でした。 なんとなく甘酸っぱくて、だけど、何も無くて・・・ なんとなく彼女の人柄が見えるような・・・・ そんな部屋でした。 私は、入ってはみたものの、何もできずに、部屋の入り口に ただ立っているだけ・・・ 彼女は「いいから座って」 仕方なく部屋の隅に座ってますと、彼女は お酒と、つまみを用意してさっさとコタツの前に・・・・ 私は何も出来ずに・・・ すると「さあ、飲みましょう。コタツに入って」 本当に何がなんだか・・・ 仕方なく、なめる程度に飲んでいますと、・・・・ 「誰もこないよ。心配ないから。明日休みなんでしょ?今夜は飲みあかそ」 なんて明るい声で、・・・私もやっと不安から解放・・・ 改めて、「この間はごめん、けどなぜ叩かれたかしばらくわからなかった。 後で気がついて、自分に腹がたった。本当にごめん」 と・・・彼女はそのとき、私がびっくりしているのを見て、 何があったかわかってないことは、おおよそ気がついていたと・・・ でも、自分も胸をさわられて、気がついたら手を・・・ 「お互いごめんね」なんて・・・ それが、夜中の午前1時くらい。 女の子の一人の部屋で話すことではなかったのですが・・・ それから、とりとめも無くパチンコのこと、友達のこと・・・ いろいろ話しました。私も話好きなほうでしたので、気がつけば 朝の7時。一晩中飲んでいたことに・・・ それで、彼女は、「もう朝ね。学校に行かなくちゃ。」 そのとき初めて彼女が大学生で、私よりかなり若いことに・・・・ 「ごめん。ご馳走様。今度はおごるから。もう帰るね」 すると、「ちょっと待ってて、帰らないで」といって 外へ、しばらくして、「今日は休む。友達に電話してきた」と・・・ それから「まだいいんでしょう。もう少し飲も」 仕方ないから、もうしばらく付き合うことに・・・ また明日・・・
2008年10月06日
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先日の開店初日のアクシデント、・・・・ 後日談があると書きましたが、それがまた思わぬところでばったり。 開店から1月ほど経ったある日、翌日が休み。 給料も入ったすぐ後でしたから、2~3人で飲みに行ったところ そこのカウンターの中に彼女が・・・・ 最初は敬遠されるやら、こっちは気まずいわで・・・ ただ、私もまだ若かったし変なところで、気張って・・ 彼女を呼んで、言い訳しないで、素直に謝りました。 ところが、連れの従業員が、私の代わりに言い訳を・・・・ 私は何にも言わずに黙って、飲んでいました。 ことさらに彼女を避けたわけではないのですが、 あまりくどく謝るとかえって変になると思ったのだと・・・・・ しばらくすると、私のほうに視線を感じるようになり・・・ 誰かなと思って振り返ると、彼女・・・ 私はてっきり彼女が気分を害したと思い、長居は無用 もうここには来れないと思い、連れの一人にこっそり 先に帰る。後は頼むと若干のお金を託し店を出ようとしました。 私に悪気があった訳でなし・・ 当然、彼女に非があったわけでもないのですが、 やはり、当方としては、謝っても、気が晴れるわけではありません。 で、やはりいないほうがいいと思って帰ろうとしたのですが、 店のママが気がついて「もう、お帰りですか」・・・ と、声を掛けてきました。 私は何の気なしに、うなづき店を出ようと・・・・ 立ち上がり、頭を下げ、出て行きました。 すると、気分を害したと思っていた彼女がわざわざ店の外まで 送ってくれて、話は連れの方から聞いた。私のほうこそごめんなさい。と 私はいっぺんに胸をなぜ下ろし、「本当にいやな思いをさせてすみません」と もう一度謝って、「じゃあ、今夜はご馳走様」と帰ろうとすると 彼女は「気分を害して帰るのではないの。そうじゃなかったら後で飲みなおそう ちょっと待ってて」と・・・・ そして私が怪訝にうなずくと、「待っててね」と店に帰り 4~5分すると帰り支度で戻ってきました。 後はまた・・・・
2008年10月05日
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開店初日が終わり、打ち上げ・・・ 程よく酔った上に、オーナーや支配人にも誉められ 少なからず、ほっとし、またやったという自己満足の中で 眠りに着きました。 が・・・なかなか眠れません。やはりはじめての経験で 精神的に、若干緊張していたのだと思います。 そして、次の日、開店2日目。 昨日の経験から、若干の余裕があり、また、自信もあり、 それがまた仕事をスムースに運び、精神的にも余裕がありました。 それがわずか、3~4時間で逆転してしまうのですから、 人生何が起こるかわかったものではありません。 本当、好事魔多しとはよく言ったものです。 昨日同様6時開店、軍艦マーチに乗せて、我ながらその日は リズムにも乗って、かなりなできばえなんて自画自賛。・・・・ そして、開店後、30分ほどたったでしょうか・・・ 従業員が私のところに来て「あのお客さんどうかして、仕事の邪魔ばかりします」 こんなことを報告していきました。 私は、気にも止めず、「判った」・・・・ そして、しばらく注意してみると、コインをわざとこぼす。 そのコインを、従業員に拾わせる。 コーヒーはこぼす。嫌がらせのオンパレード。 そのときは、負けたお客の嫌がらせかな? なんて思っていましたがどうも様子が・・・・ 結局、私が、行って注意しました。すると「判った」と・・・ しばらくはよかったのですがまたはじめた。 また行って注意。しばらくはおとなしい。 それの繰り返し。どうも様子がおかしい。 それで、最後に少しきつく注意しました。 それを待っていたかのように、今度はけんか腰・・・ 何のことは無い、最初から喧嘩を売るつもりで着ていたようでした。 私も、当時は若かったし、相手の様子を見ることなんかしなかったので 相手がどういう類の人間かよくわからなかったから、 行け行けで大声を出してしまった。 すると、事務所に連れて行けという。事務所に連れて行くことは 私としては、いやだったので、その場で口喧嘩・・・ すると騒ぎを聞きつけて、常務がやってきた。 常務も私と一緒に研修を受けた仲間でしたから、そんなに詳しくは ありませんし、まだ私より、7つか8つ年下の20歳そこそこ・・・ 彼の姉さんが専務の奥さんだったのでそれの引きで常務に抜擢・・・ そんな感じだから相手が納得するはずがありません。 常務も私以上に若く、もうほとんど手を出す寸前まで行きました。 そんなとき、たまたま、オーナーが様子を見に来て 現場を見てしまいあわててとめにかかりました。 今度は、相手がびっくり、 オーナーの顔を見て、あわてて、自分のほうから下出に・・・ 後で聞いたところによると、 終戦直後、一緒にいた中だということでした。 当然、その筋で一緒にいたのですから、 いうなれば、親筋に当たるなんてことでした。 結局そのお客は某関西系の3次団体の構成員で、 あわよくば、身か締めをなんて・・・・ それが、最後で逆転したものだから、お詫びなんてことで お酒を3本くらい持ってきた。 私はというと、そんなことは知らなかったもので、 後で、肝を冷やし、足が震えたのを覚えています。 この後も何回か、その筋の人間とは喧嘩沙汰も会ったのですが、 このときの経験が大いに役立ったみたいです。
2008年10月04日
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何はともあれ、 新規の開店当日がいやがおうにもやってきました。 2~3日前から並んで待っている客もいましたが、最後開店前には 430台の店に焼く1000人くらい並んだでしょうか。 当時はまだ開店荒らしが多数いた頃ですが・・・ それでも焼く1000人は私もびっくりしました。 それまでは、自身でパチンコをする機会があまり無かったので お客の心理なんてものはあまりわからなかったように記憶してます。 午後6時。定時に軍艦マーチ一斉に各ドアを開けて開店です。 今だから言えることですが、よくけが人が出なかったと 感心して・・・・ なんせ、ドアを開けたとたん、館内は運動場のような・・・ お客がみんな短距離走者のような感じで走って好みの台を 探しますので、一時は本当に修羅場でした。 さて私の持ち場は、スロットのホール。 軍艦マーチとともにマイクで呼び込み放送 いらっしゃいませの連呼 お客さんの方も10分もするとやや落ち着いて、 自分の台を打ち始めます。 ただ、あぶれたお客さんが、 空き台を探して通路を歩きますので、 混雑は尋常ではありません。 笑い話ですが、(後で)コインの補給に走り回っていたのですが 当時のスロットは自動補給が完備してませんでしたし、 1回当たると(ボーナスがかかると)約750枚くらい出ました。 それで、連荘でもしようものなら、すぐにコインの補給をしなければ なりません。コインの詰まったジョッキを持って人と人との間を 掻き分けて、補給に行かなければなりません。 それで、左手でコインを持ち、右手で掻き分けていくのですが、 その右手があろうことか、女の人の胸にもろにさわってしまった ようなのですが、そのときは、こちらも必死で動いてますので なんにさわったなんて意識はありません。 ただ、そのとき、私の腹にその女の方のひじが 思いっきり飛んできました。 当然、私はなぜ・・・・ 何なのか全然判りません。怒るというより、唖然とした感じでした。 しばらくして、はっと気がついたのですが、 もうその女の人はいませんでした。 我ながら、反省もしたし、誤りたい気もあったのですが、 後の祭り・・・・ 従業員には後で笑われ、冷やかされ・・・ なんとも言えぬ気分でした。 その女の人とはまた後日談が・・・・ またいつか書きます。 それで約2時間の営業時間が終わり・・ 蛍の光が流れますが・・・ その店は弊店の音楽が、 尾崎紀世彦の また会う日まで だったと記憶してます。 その曲に合わせての弊店放送も私の仕事、 それが終わるとほっとしたものでした。 ただ、自分では、その日順調に行ったものやら、行かなかったものやら 本当によくわかりませんでした。 後で、支配人が、思ったよりよくできたなんて ほめてくれても、本当に何がなんだかわからないうちに 開店日が終わったというのが、本音でした。 少し自信もついたのですが、・・・・ それが、次の日は、地獄に落とされようとは・・・ 夢にも思いませんでした。
2008年10月02日
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