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パンジー 南風一 今日は 成人の日 もう具体的な顔は浮かばないけれど 若々しい乙女や きりりとした若者が うれしそうに式に集う姿が 思い浮かぶ 私や 私の同級生たちが成人式を迎えたのが ちょうど 20年前の今日 正月にあった同窓会では まだ独身の一人が 「二回目の成人式やね」とおどけていたっけ 庭のプランターでは 2日前に買ってきたパンジーが 昨夜の雨にすすがれて みずみずしく 風にそよぐ 紫に黄 青に紺 白に紫 黄に紫 斑の入った花びらは えも言われぬ美しさで たてがみのように すっくと立っている
2005/01/10
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嘘何百回 南風一 暑い日には「もう少しすれば寒い日が来る」と自分に言い聞かせる寒い日には「もう少しすれば暖かい日が来る」と自分に言い聞かせるそう言って日々生きていると暑い日の後には必ず寒い日がやって来て暑い日を乗り切ってしまう寒い日の後には必ず暑い日がやって来て寒い日を乗り切ってしまうけれども暑い日や寒い日には限りがなくて暑い日を忘れた頃にまた暑い日がやって来て「もう少しすれば寒い日が来る」寒い日を忘れた頃にまた寒い日がやって来て「もう少しすれば暑い日が来る」そう言って騙し続けた嘘何回?これからまだ何百回と騙し続けるのだろう
2005/01/08
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ババヌキ七並べはそうでもなかったがババヌキはなかなか勝てなかった何か裏があるのではないかいつもそう思っていた私の姉より2つ年上だったから私より4つ年上だったかな亀の甲より年の功というけれど従姉弟たちの中で年令的に抜きん出ている分なかなか侮りがたかった余り負けが混むと憎らしく思うことさえあった姉御のような存在だったので私も気に入られようとお追従も言った姉だけはいつも反発して張り合っていたもともと仲は良かったので喧嘩をしてもどちらからともなく仲直りするのだったトランプに飽きたら外でバドミントンをしたり羽根突きをして遊んだ私は手先が器用だったので4才上の従姉とも良い勝負だった姉は生来無器用なのでここでも悔しい思いをするのだった正月に従姉弟たちが集まってババヌキをしなくなってもう何年になるだろうお年玉を貰えるおばあちゃんやおじいちゃんは大分以前に亡くなったおじやおばも年老いてきた従姉は美人だったので幸せな未来が待っていると思ったけれどそうでもなかった私の姉はそう美人でもなかったけれどいい旦那さんに巡り会った幸せな生活を送っていたけれど生来の気丈夫さを何処でなくしたのかすっかり気弱になって病院から抜け出せずにいる
2005/01/03
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年の暮れ 南風一年末が近づくとタイミング良く夜中に電話が1回だけ鳴ることがある誰が鳴らすのかは知らない知らないけれど思い当たることはあるもう20年以上前になるそれは祖母が亡くなった日だ私はようやく翌春からの身の振り方が決まり自信を持って彼女に会うことが出来た彼女より祖母に会いに行っておけば良かったが祖母がそこまで悪いとは思わなかった私は久々に彼女に会って腕を引っ張られて歩いたわがままでお天気屋であることは分かっていた私が「そのう あのう もう言わなくても分かってるだろ」と照れていると「ねえ 口に出して言って」とせがむような娘だった私に躊躇は全くなかったし彼女がうんと言ってくれさえすればいつでも結婚するつもりだったその日彼女と別れて家に帰ると母も姉もいなかったどうしたのだろうと思っていると電話が鳴って「祖母が大分悪いからすぐに来い」という呼び出しだった慌てて100メートルと離れていない祖母の家に行くともう祖母は虫の息だった目を開けないし言葉も喋らなかった私の呼びかけにちょっと首だけ振ったように思った私は一旦家に引き上げて一人芥川の小説を読んでいたいつ眠ってしまったのか夢で「火車」が回ったときだった電話のベルが鳴って私は慌てて机から跳ね起きた母の声で「祖母が亡くなった」ということだった時計を見ると午前2時半くらいだった祖母の葬式のあと彼女の両親と会った私はすぐに東京へ帰ったがその初夏にはもう彼女と別れていた
2004/12/28
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鏡 南風一理容室へ行った当座はそう目立つこともないが半月が過ぎるようになると鬢や前髪の中に長い白髪が目に付くようになるもう暫らくすれば理容室へ入ったところで白い髪に変わりがない日がやってくるのだろう余り白髪が増え過ぎると彼女と出会ったときに私とわからなくなるなあと馬鹿なことを考える彼女は26才のときもうおばあちゃんだからと言って私の呼び出しに応じてくれなかった私が恋したときの彼女は16才色が白くて髪が長くてすらりとしていた彼女の姿は16才のままでいつまで経っても歳をとらない
2004/12/25
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受験 南風一ほんの6時間ほど隣り合っただけだった26年経った今でもつい昨日会った人のように鮮やかに思い出す人がいる私にしてみれば一浪して滑り止めに受けた大学本命でもなかったから気楽に受けることができた試験の休憩時間に彼の方から自己紹介して来た彼は両国高校の学生ということだった私は両国という言葉から墨田川とか永井荷風とか相撲なんかを思い浮かべた彼の方は至って大真面目で私の出身地やら試験の出来具合やら他の志望状況を尋ねてきた試験が終わって別れ際に「僕も一年頑張ってみようかな・・・」彼はそう呟いた私は「受かってるかも知れないじゃない」そんな風に応えたのかも知れない合格発表の当日私の受験番号は幸いに見つかった彼のことを思い出して彼のは・・・と眺めたけれどやっぱりなかった礼儀正しいちょっと気弱そうな性格に見えた彼名前を知らない住所も知らない受験した大学に問い合わせたところで今更分かるはずもない彼とはたった昨日出会ったばかりのように思えるけれど最早彼と出会う術は何処にもない
2004/12/23
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駅 南風一むかしむかしもう何十年もそのむかし駅らしい駅があった東京丸の内なんて目じゃないそれはそれは駅らしい駅だった改札を抜けると正面にロータリーの噴水があった信号が青のうちにぎっしりと詰まった車の間を噴水の向こう側まで辿り着かなければならなかったから親に手を引かれた小さな子供にとってそれはそれは大変な道のりだったでも大抵噴水のそばにトイレがあったから親たちはそこに駆け込んだその間だけさーっと上がっては途絶えるまたさーっと上がっては途絶える噴水やらクラクションを鳴らして気忙しく走り過ぎるタクシーやら排気ガスを上げて走る大きなバスをぼおーと眺めていたロータリーの噴水をつき切ると今度は人でごった返す商店街だったお祭りでもあるまいにこれだけの人たちは何処から集まって来たのだろうというくらいの賑わいだった到るところがこれ喧騒だった人々の顔は活気に溢れ急ぐ必要もないのにみんなせかせかとして気忙しかったデパートの食堂は子供連れの家族で溢れかえり屋上はゴーカートに乗った子供たちで賑やかだった今はこんな駅らしい駅はないそこに至り着けば喧騒があり楽しみがあり家族の賑わいがあり人々の活気があるそんな駅は最早何処にもない
2004/12/17
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インターネット通販これまでインターネット通販の便利さから、本やパソコンソフトはほぼインターネット通販を利用してきた。探し物を見つけ出すのは早いし、商品が届くのも早い。代金決済もクレジットカードでOKなので、極めて利便性が高い。ところが、最近中古パソコンをあるオークションで購入したところ、トラブルに見舞われた。こんな経験は初めてだ。まず、落札したので、OKの返事が来るかと思いきや、該当商品を店頭で売ってしまったので、同機能の代替品でいいか?と質問が来た。機能と価格が同じならばよいと答えたところ、それでは代金の入金先を教えると、口座を連絡してきた。指定口座に代金を振り込むと、3日経っても何の音沙汰もない。商品はどうなったのか?メールを出すと、入金は確認した、パソコンのソフトをインストール中でそれが終われば、すぐに商品を発送すると回答したきた。それから、3日後、私が仕事に出かけた留守のときに、家に宅配屋が来た。「代引きです」と言って、商品と引き替えにお金を要求した。家人が確か代金は支払い済みと言ってましたがと答えると、明日また来ますと言って帰ったという。その夜、私が帰宅して、それはおかしいとインターネット通販で中古パソコンを購入した業者に電話をかけると、すぐ調べると言って、その後、宅配便には連絡しましたからと言ってきた。それで安心したかと思いきや、翌日は一日中待っても、宅配便屋はやって来なかった。どうやら私に届くはずのパソコンは再び業者の元へ返送されたらしい。なかなか思うように事が運ばないモドカシサ。インターネット通販でこんなことを経験したのは初めてだ。利便性の落とし穴といったところか・・・
2004/12/14
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かつて私が初めて社会人になった頃はボーナスといえば、月給の3.5カ月分くらいあった。それも1回の支給あたりだったから、年2回とすれば1年に7カ月分も出ていたのである。今や、ボーナスは1カ月分の給料と同じかちょっと多い程度である。今の若者にしてみれば、考えられないことだろうと思う。金額も大きかったから、ボーナスを貰ったときは本当にうれしかったけれど、今ではそんなうれしい感覚も感じられなくなった。今は昔の物語・・・
2004/12/10
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「クリスマス」 南風一 今日はクリスマス 街を歩くと 長いブーツにタイトスカート姿の女の子たちが歩く 彼女もあんな風に着飾って彼氏と歩くのかも と考えている それとも 今日は特別寒いから さっさと家に帰って 家族と賑やかな夜を過ごすのかなあ それとも 本当に聖夜を過ごす彼氏がいなくて 俺のことを思い出したりして・・・ まさか そんなことは絶対にあり得ないね ・・・ また 相変わらず手前味噌な空想をしている私
2004/12/08
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1「玉手箱」浦島太郎は乙姫様から貰った玉手箱を開けてしまったので髪も髭も真っ白なおじいさんになりました金木犀は花が膨らみ始めるや香りの粒をあたり一面にばら撒く金木犀のすぐ下でかけっこや体操をしていた頃は淡いオレンジ色の花に目が止まらなかったたまにいい香りだなと気付いても花の在りかまで気に留めなかった木から少し離れると香りの在りかや鈴なりの花の姿に気付くように35年が過ぎ去って小学生時代の運動会や校舎をまざまざと思い出している2「ジュンコ」昔好きだった女の子にこんな女の子がいた友だちに囲まれると彼女はひどく子供っぽく振舞った自分のことをジュンちゃんと呼んでみたり昨日の瑣事をことこまかに話すのだったその癖たったひとりでわたしの前に立つときはツーンとお澄まし屋さんになったいきいきとした笑い声は失せ顔はぎこちなくこわばったわたしの前に立つときだけ自分の魅力を無くしてしまう女の子だった3「柿」木の天辺に柿が一個ぶら下がっている畑にはぱっくり口を開いた無花果が2つ、3つ残る農家の人たちは鳥たちにも取り分があることをそうやって子孫に伝えて来たのだろうそんな知恵に比べたら叶わなかった恋なんて一体何ほどのものだろうと思うきみと私の恋だけが特別だったのではない私は特別な男でも何でもなかったしきみも特別な女ではなかったのかも知れないきみはその後誰かと結婚したのかも知れないもう子供も大きくなって私のことを思い出すこともないだろうきみの今の生活私の今の生活それらが望んだ生活だったのかどうかは分からないはっきりしていることは私はこれからも年を重ねていくそしてお爺さんになっても若いきみの姿を思い出しているのだろうか
2004/12/07
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SONYっていう会社は、音楽CDさえ売れれば、著作権なんて平気の屁の会社なんですね。自分の会社が作ったCDの著作権を購入者や視聴者が犯そうとすれば、躍起になって侵害を排除しようとするくせに、他人の著作権を侵害することには、全く寛容です。オレンジレンジ「花」の歌詞が、私の詩の著作権を犯した可能性があることを指摘して、調査を依頼したのに、なしのつぶてです。どこのアホか知らないけれど、ほおっておけくらいにしか思っていないようです。訴訟でも起こしてきたら、仕方なく対応するよというつもりなのでしょう。SONYの出井会長は政府の財政諮問会議や戦略会議など当局の色々な会議の委員をされているわりに、遵法精神がないようです。自分の関係会社のソニー・ミュージック・エンタテインメントが作るCDが他人の著作権や複製権を侵害している可能性があることにも、誠実な調査さえやったともやらないとも返事を寄こしてきません。
2004/12/06
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以下の文章をあるところに掲示しました。オレンジレンジ「花」の嘘 南風一近頃オレンジレンジの「花」をよく耳にした。この歌を聴いたとき、ピンと来るものがあった。確かに同じ想念だった。しかし、そこには嘘があった。その嘘というのは、若者に受けがいいように、別れた恋人のことを歌っているにもかかわらず、相変わらず図々しく生まれ変わっても恋人のそばで花になろうと歌っている矛盾である。想像上は、男が別れた女のことをまだ恋し続けているということで、女性にとってそういう状況は極めて気持ちがいいだろうし、男たちにも過去の恋人のことを思い出したりして自己投影しやすいということがある。しかし現実には、そんな歌詞のような想像の産物はありえない。なぜならば、もし男が自分の方から恋人から去って行ったのならば、恋人のことを生まれ変わっても恋人のそばで花になろうと思うはずはないし、また、もし相手の恋人の方が男から去って行ったのならば、去っていくような女のそばで生まれ変わっても花になろうと思うほどお人好しな男はいないということである。結局、オレンジレンジの「花」は聴く者の耳には心地よく聞こえる歌詞だが、その歌詞が表現するような男も女もいないということである。そこに嘘がある。なぜ私がその嘘に気付いたか?それには理由がある。実は、オレンジレンジの「花」には、二つの相矛盾する想念が混在しているからである。まず第一の想念とは、「夢みたいに君に出会えたキセキ」という言葉で表現される一番目の恋。そして第二の想念とは、「生まれ変わってもあなたに逢いたい」という二番目の恋である。二人の出逢いを「キセキ」と表現する場合、そこには結果的に二人の関係が残念な別れに終わったとしても、出逢い自体はほとんど確率的には有り得ないこととして別れを積極的に肯定していきたいという気持ちがある。それに対して、二人の関係を「生まれ変わってもあなたに逢いたい」と表現する場合、たぶんに未練たっぷりなのである。二人の関係がうまく行かなかったから、生まれ変わったときこそもう一度あなたに逢って今度こそうまく行きたいという恨めしさである。上記の二つの恋は一見似ているように見えるが、実は全く違う恋である。第一の恋には諦められる余地があるが(いわば、恋しているといってもまだ余裕がある)、それに対して第二の恋は諦めようにも諦めきれない(いわば、いつまでたっても忘れられない)恨めしさ100%の怨念なのである。通常、一人の相手に対しこの二つの感情を同時に持つことは考えられない。恋人には、忘れようと思えば忘れられる恋人と、忘れようにも忘れられない恋人の二種類しかない。オレンジレンジの「花」の歌詞では一人の君に対して同時にこの相矛盾する感情を表現しているから、嘘がある。つまり、実感から離れた作り物の詞ということである。では、二つの想念を何処から引っ張ってきたのだろう?実は、ここから先は私の推測である。推測ではあるが、以下を読んでもらえば、私の推測がまんざらでたらめでもないと納得されるだろう。オレンジレンジの「花」という歌詞は私の詩集の詩と言葉も想念も非常によく似ている。ただし、惜しむらくは、私の二つの詩集では全く別の女性に対する詩がオレンジレンジの「花」では一つになっている。私にとって、二人の女性は確かにどちらも恋人ではあったが、二人に対する思いは全く異なっていた。その異なる思いを一女性に合体させてしまったところにオレンジレンジの失敗があった。以下の文章は、ある会社のホームページのフォームから実際に送ったものである。平成16年11月23日に送ったものだが、およそ10日が過ぎても、送った先の会社からは何の連絡もない。なお、以下の文章中の私の詩集「雨の約束」、詩集「異国のお姫様」はいずれも、e-ペンギンで読むことができます。---ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------------ソニーミュージックエンターテインメント御中(引用した私の詩に漏れがあったので追加しました。第3回目の訂正メールです。)私は、ペンネームが南風一(みなみかぜ はじめ)というサラリーマン詩人です。本名:○○△△。住所:〒999-9999○○市△△町9999-99。貴社がCDを出されているオレンジレンジの「花」という歌詞は、私の持つ複製権を侵害していると思われます。(著作権法第21条:著作者はその著作物を複製する権利を専有する。)具体的に申しますと以下の詩は私がインターネットで公開している詩です。詩「4.君」、「24.意地っ張り」、「23.蜘蛛」は詩集「異国のお姫様」に所収、詩「16.きみに会えても会えなくても」、「35.きみの笑顔」、「22.笑顔」、「39.以前だって」、「4.秋」は詩集「雨の約束」に所収です。複製権侵害の要件は、判例では「同一性」と「依拠したこと」が必要とされています。オレンジレンジの「花」という短い歌詞の中に、これだけ私の詩と同一の言葉や想念が重なるものでしょうか?著作物の一部であっても、著作物としての価値がある部分の複製は複製権の侵害となります。ご判断は、貴社の誠実な調査にお任せしたいと思います。なお、私の上記詩集はホームページでは2002年から、不特定多数の読者向けには、2003年9月から作品市場(http://www.sakuhin-ichiba.com/index.html)で詩集「雨の約束」を公開し、2004年2月からe-ペンギン(http://www.e-penguin.net/ranking/index.html)で詩集「雨の約束」を公開し、2004年6月からe-ペンギンで詩集「異国のお姫様」を公開しています。e-ペンギン及び私のホームページ(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/4377/index.htm)では現在も詩集を読むことができます。YAHOOで「南風」という言葉で検索すれば、私のホームページが表示されますが、同時に沖縄県南風町とか南風通信とか南風荘とか沖縄ゆかりのホームページがヒットします。○「郷里の海」という詩は私のホームページの詩集「メッセージ」の中の詩です。○「君」花を見るように君を飽かず眺めていたかった○「きみに会えても会えなくても」昨夜 きみに手紙を書き始めたけれど 途中でやめにしたきみに望むことも 自分に望むことも 実は何にもないことに気付いたから今日 仕事から帰るときに まだきみの車が駐車してあるのを見て思ったきみに会えても会えなくてもいいそんなことは ちょっとしたタイミングのすれ違いそんなことより きみの車が見えなくなる日がきっと来ることあるいは 私が今歩いている道を歩かなくなる日がきっと来ることどちらが先になったところで きみと私は会えなくなるそう考えたとき ほんの偶然の巡り合わせできみと私が会える日があるそれ自体奇跡のようなことなのに それ以上一体何を望むのだろう? ってねきみに会えても会えなくてもきみに会える日があることが幸せそんなことに気付いたよ○「意地っ張り」きみと出会うのが今だったらと思うきみが18才俺が19才「結論は急いじゃいけないと思うの」そのときは逃げ口上に過ぎないと思った今思い返してみると当たり前過ぎる言葉だった「あなたの思い通りにできると思ったら大間違いよ」そっちがそう思うなら上等じゃないかこっちから願い下げといこうじゃないかそういって自分だけ粋がって悲劇のヒーローになったつもりで きみから去っていったどれもこれも 今から思い返せばきみの言ったことが正し過ぎるほど正しかったあのころ 俺の目にきみの姿はただ生意気にしか映らなかった「四の五の言わず 好きだったら付いて来ればいいのさ」どちらも意地っ張りお互いに背を向けたきみと出会うのが今だったら・・・やっぱり 同じことを繰り返しているのかな○「きみの笑顔」会えなければ会えないで別にどうということはないそのうちきみの笑顔が消える日が来てもなるほどそういうこともあろうと思うくらいかないずれにしろきみの笑顔は永遠に続かない偶然にきみの笑顔に出会うときがあるそれだけで十分だと思いたいきみの笑顔の意味を詮索するのはやめにしよう○「笑顔」数十年ぶりに顔を会わせた小学校や中学校の同窓生のようにただ「会えたこと」が嬉しい笑いきみも僕も最初はそうだったよねそんな笑顔がずっとずっと続いていたら楽しかったのにね・・・○「以前だって」以前だって きみを知る前から生きていたきみを知った後だって 無頓着に生きてきた日の方が多かったこれからは 再び以前に戻るだけ無頓着に生きる期間がちょっと長くなったと思えば 何の変わりもないさ以前だって 生きていたこれからも生きてゆくそれだけのこと○「秋」僕たちは傲慢だから 楽しいことなら ずっと続いて欲しい と思う悲しいことは さっさと忘れたい と思うでもね 長かった夏の日が急激に短くなるように田んぼの稲がいつかしら穂をたわわに実らせているようにじっととどまっているものなんてないんだよ雲がどんどん流れて行くように僕たちもどんどん過ぎ行くさあ 何処へ流れ着くのか いつまで流れて行くのかそんなことは 僕たちの知るところじゃない楽しかった記憶悲しかった記憶それだけあれば 十分さ○「蜘蛛」蜘蛛は糸にぶら下がって空を飛ぶ遠くへ行きたくなったら 糸を伸ばして風に乗ればいいふわり ふわり 風に揺られてさて何処に到着するのか蜘蛛にも分からない誰にも分からない○「郷里の海」波が打ち寄せては くだけ散る白いあわを残してくだけては また 打ち寄せるはるか彼方の沖合には海と空が溶け合う曲線が延びているそこに 達するためにはどのくらい進めばいいのだろう空には頂上にのぼりつめた太陽が輝くいつまでも そのままであれば楽しいのに・・・泡のように消え去ってしまった日々もう十数年の間 顔を合わせない幼馴じみたち散り散りになって会えないことにさえ 慣れっこになった幼馴じみの 幾人かは海を越えて 向こうへ渡ったことだろうまた 幾人かは生まれた土地に 同じように暮らしているのかも知れない彼らのすべてに等しく広がる 青い空この空をたどって行けば見おろすことができるのだろう散り散りになった 友人たちの住む街や町・・・○オレンジレンジの「花」(著作権の関係でここには全歌詞を引用できません。インターネットURL:http://www.usen.com/chart/jpop/lyrics/orengerenge7.htmlを参照してください。)
2004/12/03
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