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東海 橋めぐり、今回は名張川に架かる五月橋。国道25号線といえば、名阪国道で名高い高規格道路、しかし、その旧道にはこんな橋が架かっていました。国道25号線旧道が名張川を渡る橋、それが五月橋です。名阪国道の五月橋インターの名前にもなっています。110813-01 posted by (C)Mishizawaメイン三重県側から奈良県側を見た五月橋。その幅員は狭く、普通車がすれ違いできません。対向車を待っている間に撮影した一枚がこれ。110813-03 posted by (C)Mishizawaメイン五月橋の全景です。全部で3径間。中央は下路平行弦プラットトラス。その両側にポニートラスが架かっています。110813-04 posted by (C)Mishizawaメイン中央のプラットトラス部です。平行弦ですが、戦前の味のあるリベット止め鋼材で組み立てられたトラスはまだ健在です。道路橋としては幅員が狭く、鉄道橋のような印象ですが、完成当初はこれでも十分だったのでしょう。110813-05 posted by (C)Mishizawaメインポニートラス部。こちらもなかなか味があります。110813-02 posted by (C)Mishizawaメイン奈良県側から。親柱が立派です。110813-06 posted by (C)Mishizawaメイン110813-07 posted by (C)Mishizawaメイン親柱に埋め込まれた銘板。こちらもブロンズ製の立派なもの。110813-08 posted by (C)Mishizawaメインポニートラスに貼ってあった製造銘板です。「昭和二年 株式会社横河橋梁製作所 大阪工場製作」と読めるようです。110813-10 posted by (C)Mishizawaメイン中央部には、トラスに直接国道標識が貼られています。この幅員の狭さからもわかる通り、国道25号線の旧道はかなりの酷道とのこと。名阪国道を利用する時は、ちょっと寄り道して五月橋を訪れてみては如何でしょう。以上、国道25号線旧道 五月橋(名張川)でした。
2011.08.30
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東海 橋めぐり、今回は明治村に保存されている新大橋。かつて隅田川にかかっていた新大橋の橋桁が(一部だけ)保存されています。旧帝国ホテルの向かい側にかかる古めかしいトラス橋。これがかつて隅田川に架かっていた新大橋の橋桁です。新大橋という名前から、新しい橋を想像してしまいますが、その歴史は古く、最初に架設されたのが元禄6年(1693年)、江戸時代である。この明治村の新大橋は明治45年(1912年)に架けられたピントラスで、昭和51年に現在の橋に架け替えられ、その役目を終えました。ちなみに現在の新大橋は斜張橋の近代的な景観で、まさに新大橋の名に相応しいという印象です。この橋端のデザインがすばらしい。橋の中央には都電の軌道敷が再現されています。幅員も広め。新大橋のプレート。「橋大新」と書いてあります。周りの装飾も細かい。所々にある太陽のような装飾は、もしかして昔の東京都のマークでしょうか。残念なことに、この明治村に復元されたのは全体の8分の1程度。トラスは途中で切断されています。トラスの形式は下路プラットトラス。橋端が垂直なのは旧国道1号線に架かる「大井川橋」等に似ています。隅田川の要衝にかつて架けられていた橋を見に、明治村を訪れてみるのは如何ですか?明治村のつづきはまた今度。
2009.03.11
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東海 橋めぐり、今回は東海道線大井川橋梁。東海道線が大井川を渡るために架けられた橋です。単線の曲弦トラスが2本並んでいます。一見同じ形式のトラス橋が並んでいるようにも見えますが、上下線で架設時期が異なります。下流側に架けられた下り線に現存するのは1915年架設のもの。大正時代の橋桁が東海道のメインルートで今だに頑張っています。同じ東海道線の長良川橋梁の上り線が1914年架設なので、同時期の同タイプのようですね。トラスは下路曲弦プラットトラス。橋脚は1888年(明治21年)に竣工した煉瓦製のものが補強の上再利用されています。上流側には上り線が平行していますが、こちらは1959年(昭和34年)のものです。トラス形式は下路曲弦プラットトラス。ところで、東海道線では木曽川橋梁の下り線が1957年(昭和32年)に、長良川橋梁の下り線が1960年(昭和35年)に平行弦ワーレントラスとして架設されています。1959年架設の鉄橋であればこの大井川橋梁も平行弦トラスとして架設されてもおかしくないのですが、下り線の旧橋に合わせて敢えて曲弦トラスを採用し、景観に配慮しているという話もあります。昭和30年代にすでに景観に配慮した設計が行われていたとは。橋脚は鉄筋コンクリート製。上り線で特筆すべきことは金谷側の鉄橋。3径間分が曲線部分に架けられています。さらに道床付きでもあります。上下線のシルエットです。大正時代と戦後の昭和時代に作られた鉄橋のシルエットが合っています。橋脚のアップ。手前が1888年製の明治時代の煉瓦製。上部に鋼板補強が行われています。さて、この大井川橋梁でかつて使用されていた橋桁が各地で再利用されています。長良川鉄道第5長良川橋梁(1960年移設)神岡鉱山専用線高原川橋梁(1966年移設)京葉臨海鉄道村田川橋梁(1963年移設)越美北線第一九頭竜川橋梁(1962年移設)JR米坂線第四荒川橋梁(1968年移設)以上は同型のシュウェドラートラスと思われる。(元大井川橋梁上り線、1898年クーパーシュウェドラー設計1911年アメリカンブリッジ製)東海道線大井川橋梁の歴史をまとめると、下り線の橋脚が1888年製、上り線の旧橋が1911年製、下り線の現橋が1915年製、上り線の現橋が1959年製。上下線はそれぞれ少なくとも1回は架け替えを行っているようです。東海道線の橋梁は歴史も古く、色々なエピソードもあり、調べてみるとおもしろいかもしれません。以上、東海道線大井川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.12.12
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東海 橋めぐり、今回は大井川橋。旧国道1号線が大井川を渡る橋です。金谷方面から旧国道を走ると見えてきます。昭和初期の厳つい鉄橋のようです。下流側から見たトラス1径間分の全景。橋端部が垂直になっています。トラスの構造はプラットトラス。後年取り付けられたと思われる歩道部分が残念。金谷側の橋のたもとにはこのようなモニュメントが建てられていました。黒御影石を使用した立派なものです。モニュメントに貼付けられた橋の諸元です。------------------------------------------道路の名称 一般県道島田金谷線(旧国道1号)所在地 静岡県島田市稲荷~金谷町金谷河原橋 長 1026.4m橋の形式 17径間下路式プラットトラス橋下部工 橋台2基 橋脚16基建設期間 大正13年~昭和3年------------------------------------------金谷町は今では島田市と合併しているのですが、こんなところにも市町村合併の影響が・・・ともあれ、昭和初期に完成した大井川に架かる永久橋は、地元の人々のみならず、東海道を行く旅人たちにとっても悲願だったことでしょう。もっとも、完成当時は東海道線が開通しており、東海道ルートは鉄道がメインになっていましたが・・・「箱根八里は馬でも越すが 越すに越せない大井川」と昔から言われるとおり、この大井川を渡ることは古の時代から困難の象徴でした。もともと島田と金谷はともに東海道の渡津(としん)集落として栄え、川を渡るために形成された町という歴史があり、かつての渡し場は今でも名所となっています。歩行者から見た橋のたもとはこんな感じになっています。上流側には橋門に銘板が貼付けられています。橋桁にも製造会社の銘板が残ります。------------------------昭和二年六月横浜船渠株式会社製作------------------------橋脚部分は石積みで中央がアーチになっています。これが16個も並んでいるので、まるでトンネルのような印象です。先ほどのモニュメントはこの橋脚をモチーフに作られたのでは・・・トラス部分のディテールも、リベットが目立つ昭和初期の厳めしさがなかなか良いです。以上、大井川橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.12.05
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東海 橋めぐり、今回は樽見鉄道揖斐川橋梁。樽見鉄道の東大垣-横屋間にある揖斐川に架かる橋。開通年:1953年この橋は開通前に一旦新品の橋が架設されたのですが、開通前に戦時不急路線となり橋桁は撤去されたそうです。戦後、橋桁を御殿場線から転用し復旧したとの事。このため、トラス部分は明治時代の製造です。揖斐川に架かる単線のトラス橋です。6連のトラス橋、曲弦トラスが並んでいます。曲弦トラスはピントラスとなっています。接合部がピン接合。東大垣側の1連は平行弦プラットトラス。写真奥の下流側には以前紹介した揖斐川橋と東海道線揖斐川橋梁が並んでいます。曲弦トラス部分は「シュウェドラートラス」と呼ばれる形式。設計がクーパー・シュウェドラーによるトラス橋で、同型の橋としては以前紹介した東武佐野線渡良瀬川橋梁や向野跨線橋などもシュウェドラートラスとなるようです。このトラスは1898年(明治31年)イギリスペンコイド製。隣りの揖斐川橋から見たシュウェドラートラス部分。真横からの撮影も可能です。シュウェドラートラスの特徴は、上弦の曲線部分を工夫する事により、斜材に引張力のみかかるような設計にしたこと。また、上弦の中央部分が直線のため、斜めから見ると中央が凹んでいるように見えるようです。斜材に引張力しかかからないためでしょうか、鋼材が細く、全体的に繊細に見えます。トラスの入口部分には銘板が貼ってありますが、線路のため近づけません。列車が通過しました。この長い橋を渡るのが単行のレールバスとは、もったいない気がしますね。ちなみに一番端の平行弦プラットトラスは1916年(大正5年)川崎造船所製。これも御殿場線からの転用。この付近は明治時代の橋が並んで架設されているため、見どころがあります。以上、樽見鉄道揖斐川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.26
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東海 橋めぐり、今回は衣浦大橋。愛知県は尾張と三河の境、衣浦港にかかる橋。1956年(昭和31年)完成(旧橋)開通当時は有料道路でした。1978年(昭和53年)新橋完成。新橋は高浜から半田方面への上り線、旧橋は半田から高浜方面への下り線となる。今回は主に旧橋をめぐるのが目的でした。2008年1月 撮影半田から高浜方面へ、国道247号線を走ると衣浦港を渡ります。そこに架かる橋が衣浦大橋です。旧橋は1956年(昭和31年)完成のカンチレバー型(ゲルバー型)トラス橋。この橋の架かる衣浦港はすでに海上という位置付けのようですが、境川の流れる延長上にあります。尾張と三河の境界が境川なので、その延長上の衣浦港も尾張と三河の境界線になっているようです。ちなみにこれより海側には橋はなく、海底トンネル(有料道路)があります。カンチレバー型(発案者の名をとってゲルバー型とも呼ばれる)は、橋脚部分が高くなっているシルエットが特徴的で、美しい。以前紹介した鹿島橋もカンチレバー型ですが、この衣浦大橋は径間数が6径間と長く、優美です。また、カンチレバー型の特徴はその力学構造で、普通のトラス橋が橋脚部分に継ぎ目があるのに対し、このカンチレバートラスは橋脚から離れた所に継ぎ目があり、橋脚に乗っている橋桁(定着桁)の上にさらに橋桁(吊り桁)が乗る構造になっています。よく見ると橋脚より斜めの部材2つ分手前の下弦部分にその継ぎ目があるのがわかります。カンチレバー型(ゲルバー型)トラス橋の力学構造については、長岡市内にある同型の長生橋の項が詳しくわかりやすい。橋を歩いて渡ってみます。歩道は旧橋部分に取り付けられています。部材部分は細かく見ると梯子状に組まれています。旧い鉄橋では部材は長い鋼材を細い鋼材が細かくトラス状に組んでいる例を良く見ますが、この橋では二本の長い鋼材を細かい鋼材で梯子状に組んでいます。昭和30年代に入ると、このような簡素化されたシンプルなディテールになるようです。このディテールは矢作川の高橋でも同様のものを見る事ができます。車で渡ってみます。縦の鋼材が単なるH鋼の部分もあります。このようなトラス橋を渡るときは、独特の雰囲気があります。以上、衣浦大橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.18
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東海 橋めぐり、今回は揖斐川橋。揖斐川に架かる人道橋です。揖斐川橋の全景。手前のクリーム色のトラス橋が揖斐川橋。奥の緑色の鉄橋は東海道線の揖斐川橋梁。人道橋なので奥の鉄道橋と比べるとやはり小さいなと思いますが・・・鉄材の組み方はダブルワーレントラス。しかも接合はピン接合。鉄橋の中ではかなり旧い部類になります。それもそのはず。この橋は1886年(明治19年)、東海道線全通時に鉄道橋として架けられたものを人道橋に転用した橋なのです。1886年(明治19年) 東海道線揖斐川橋梁として架けられる。1913年(大正2年) 道路橋に転用。1997年(平成9年) 自動車通行止めとなる。100年以上前に架けられた鉄道橋が、道路に転用されたとはいえ当時の場所で現存している事は実に運が良く、近代の産業文化財としても貴重な存在です。この形のダブルワーレントラスは、東海道線全通時に架けられた鉄橋の標準的な形式だそうです。同じ形式の鉄道橋は他には箱根登山鉄道の早川橋梁(1888年製造 旧東海道線天竜川橋梁を転用)、山形鉄道の最上川橋梁(1886年製造 旧東海道線木曽川橋梁を短縮のうえ転用)、JR左沢線の最上川橋梁(旧東海道線大井川橋梁を転用)が現存するものとして有名のようです。橋の入口には自動車の通行を禁止するための杭が立っています。それにしても低い橋です。道路のコンクリート部分がかさ上げされたとしても、当時ここを鉄道が走っていたとは想像できません。実際に同型の箱根登山鉄道早川橋梁では、架線に地下鉄等で使用される剛体架線を採用した上で電車がパンタグラフをほとんど折り畳んだ状態で通過するという事なので、現代の電車にとってはかなり窮屈な鉄橋です。銘板です。英国パテントシャフト製。トラスは細かい鉄材を組んだ構造ですが意外とすっきりとした印象。斜めのトラスが交差する部分が独特。鋼板1枚分ずらして交差しています。かつてはここを陸蒸気が走った事でしょう。橋脚の上部を撮影。橋桁の間隔が広いのが気になりました。なお、橋脚の上側は後年コンクリートで補強されています。トラスのピン接合部分。下弦の鉄材の上が開いたコの字型断面になっているので、色々なものが溜まりそうです。橋脚部分は下部がレンガのオリジナル。上部がコンクリート補強。東海道線全通当時の面影を残す明治時代の鉄橋が今でも見られるおすすめの鉄橋です。また、隣りに架かる樽見鉄道揖斐川橋梁も明治時代の橋桁を使用していることで有名。この付近は鉄橋好きには「聖地」となり得る場所でしょう。以上、揖斐川橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.13
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東海 橋めぐり、今回は忠節橋。岐阜市内を流れる長良川を国道157号線(忠節橋通り)が渡る。下路ブレースドリブタイドアーチと呼ばれるアーチ橋。隅田川に架かる白髭橋等に似たシルエットは古めかしく重厚。古く見えますが架橋は戦後、1948年開通。外見の割には意外と新しい橋です。信号待ちの車から見たアングル。橋幅は4車線分ですが、かつては中央2車線部分に名鉄岐阜市内線の路面電車が走っていました。2005年に路面電車は廃止され、軌道も撤去されています。以上、忠節橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.08
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東海 橋めぐり、今回はJR東海道線の長良川橋梁。この橋は東海道線が長良川を渡る鉄橋で、「前野橋」という別名があるようです。上流側からの眺め。上流側の上り線は、曲弦トラスが並んでいます。日本土木学会の歴史的鋼橋集覧によると、こちらの上り線は1914年架設。大正時代の鉄橋が東海道本線の橋梁として現役です。ちょうど列車が渡っています。こちらの曲弦トラスは単線曲弦プラットトラス。1914年石川島造船所製。現在は架け替えられていますが、東海道線木曽川橋梁の上り線の2代目も同時期の架設なので、同型の橋梁が架かっていたのかもしれませんね。岐阜側はポニーワーレントラスが3径間。こちらも1914年製とのこと。汽車製造製。こちらは下り線の鉄橋。上り線とは異なり、1960年架設の平行弦ワーレントラスとなっています。岐阜側には上り線と同じく、ポニーワーレントラスが3径間あり、こちらは1914年製。中央部のみ架け替えたようです。上り線と下り線がこのように並んでいます。橋脚部分はレンガ造の重厚なもの。ポニーワーレントラスとプラットトラスの境目。橋脚の高さが違います。ポニーワーレントラスの接合部。この時代になるとピン接合ではなくガセットを介したリベット止めが主流となります。無数のリベットが厳めしい。上り線の橋梁をEF66牽引の貨物列車が通過していきました。・・・近過ぎ。下り線を長良川橋梁へアプローチする列車。以上、東海道線長良川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.04
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東海 橋めぐり、今回は長良大橋。名前の通り、長良川に架かる橋です。岐阜市と大垣市の境を県道31号線が渡っています。遠景。曲弦トラスが隙間なく連続しているのが特徴。昭和8年 完成。橋桁は曲弦ワーレントラス、6連。昭和初期建造の道路橋としては幅はかなり広い。実はこの橋の広さにはワケがあります。それは、この橋が鉄道線との併用橋として建築されたことに起因します。この長良大橋の建設当時、養老電気鉄道(のちの近鉄養老線、現在は養老鉄道)が岐阜延伸の計画を立てており、この橋は道路と鉄道の併用橋として南側(下流側)に複線の鉄道線を敷設する計画で建設された。しかし、養老電気鉄道が破綻状態となり、さらに交通量の増加から昭和39年に道路部分を拡幅し、現在の幅になったといわれています。信号機のぶら下がっている梁が、電車の架線用の名残りという話も。無数のリベットが厳めしい。鉄道部分と道路部分で橋の下の構造が異なるらしいですが、今回は撮影しませんでした。以上、長良大橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.27
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東海 橋めぐり 今回は渡橋。愛知県一宮市と岐阜県各務ケ原市の境を流れる木曽川南派川にかかる橋。このあたりの木曽川は3本に分かれて流れており、南派川は愛知県と岐阜県の県境になっている。本流が分かれているので幅が狭い。昔からこのあたりでは木曽川はたびたび洪水を起こし、そのたびに流れを変えていたのですが、大正時代にその流れを3本にまとめる治水事業が行われたという。渡橋は車道橋と歩道橋に分かれています。車道橋だけだと歩行者が歩くには危険です。車道橋は曲弦ワーレントラス。垂直の補強鋼材がないタイプで、すっきりしています。1964年(昭和39年)完成。この橋の完成以前は洪水によってたびたび橋が流されたという話です。地元の人々にとっては悲願の永久橋だったことでしょう。歩道側は平行弦ワーレントラス。2006年(平成18年)完成。つい最近の完成。車道側のメーカーズプレート。1964年9月 建設省製造。橋端の銘板です。実は通りすがりに訪れたので、この銘板を見るまではこの橋の名前を知りませんでした。河川敷には巨大な鯉のぼりがありました。この周辺は木曽三川公園になっており、ツインアーチ138が立っています。この鯉のぼりはツインアーチ138から見下ろすことができるようになっています。参考「国営木曽三川公園」以上、渡橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.23
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東海 橋めぐり、今回は東海道線木曽川橋梁。東海道線木曽川-岐阜間に架かる木曽川の橋。上下線2本のトラス橋が架かっています。どちらも平行弦のワーレントラスの模様。右が上り線、左が下り線。2つの橋は似ているようで異なります。下り線はトラス橋がつながった連続トラス橋。橋脚の部分でもトラスがつながって見えます。資料によると下り線は昭和32年、横河橋梁製。供用は昭和33年とのこと。上り線は普通のワーレントラス。下り線よりも背が高い。ちょうど列車が渡っている所を撮影しました。1径間の長さが電車が3両分(1両は20m)なので約60mであることがわかります。これより、トラスは200フィート級と推測されます。資料によると上り線は昭和46年供用とのこと。この木曽川橋梁は上り線が3代目、下り線が2代目らしいです。沿革(資料:Wikipedia)1885年(明治18年)着工1887年(明治20年)完成1909年(明治42年)下流に下り専用の橋が完成(下り線初代)。 従来の橋は上り線用となる。1914年(大正3年)上り線の橋梁架け替え。橋脚は再利用。(上り線2代目)1958年(昭和33年)下り線の橋梁架け替え。別線で架橋。(下り線2代目)1971年(昭和46年)上り線の橋梁架け替え。別線で架橋。(上り線3代目)このような歴史から、上下線の橋梁は架橋時期がずれています。そして、岐阜側に架け替えの遺構が残っています。岐阜側の堤防道路をオーバークロスする部分。通過列車は上り線(左側行き)。中央の橋脚が3本ありますね。手前の1本が橋脚跡。その橋脚跡の延長上には、古びた橋台が残っています。位置から推測すると、上り線のさらに上流側に残るこの橋台は初代橋梁の跡と思われますが・・・詳細不明です。以上、東海道線木曽川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.20
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東海橋めぐり、今回は名鉄木曽川橋梁。名鉄名古屋本線、木曽川堤-笠松間に架かる木曽川の橋。木曽川を渡る特急列車。ポケモンのカラーリング。橋梁自体は曲弦ワーレントラスなのですが、橋端が垂直な構造で、斜めのトラス鋼材が普通のトラス橋とは逆に組まれているのが面白い。1934年(昭和9年)完成。木曽川が一番狭くなっているところを選んで架橋したとのことです。愛知県側は木曽川堤駅が近くにあり、ちょっとした撮影の名所となっているようです。この時もホームでカメラを構える人がいました。写真は木曽堤駅を発車したばかりの普通列車2両編成が橋を渡るところです。木曽堤駅と橋の間には踏切があるので、こんな写真も撮れます。パノラマカーでこの橋を一直線に駆け抜ける快感は名鉄ならでは。以上、名鉄木曽川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.16
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東海橋めぐり、今回は木曽川橋。名前の通り、木曽川に架かる橋です。愛知県一宮市と岐阜県笠松町間、県道14号線が渡る。木曽川は県境なんですね。・・・ところでこの県道14号線は愛知県?岐阜県?一宮側より。上流側には歩道用の橋が併設されています。銘板(メーカーズプレート)は車道橋、歩道橋ともにありました。車道側の橋はタイドアーチ、昭和12年 横河橋梁製作所 大阪工場製。歩道側の橋はワーレントラス、昭和39年 横河橋梁製作所製。橋のたもとには木曽川橋の銘板があります。上流側には名鉄木曽川橋梁が見えます。また、手前の川の中に木が生えていますが、これは昔の橋脚跡のようです。昭和12年開通以前の木造の橋の跡でしょうか?木造橋は明治43年に造られています。笠松側へ渡りました。こちらはちょっとした公園のようになっており、橋の全景が見渡せます。歩道のない側はオリジナルな姿を見ることができます。かつて名岐バイパスが開通する以前は、この道が国道22号線であったという。以上、木曽川橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.14
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東海 橋めぐり、今回は名古屋駅にほど近い跨線橋の紹介。前回、東武佐野線渡良瀬川橋梁のピントラスを紹介しましたが、ピントラスが実は名古屋駅から徒歩圏内にありました。JR関西線やあおなみ線、近鉄名古屋線、更にはJRの車庫(名古屋機関区)を跨ぐこの大きい跨線橋が向野跨線橋です。奥に見えるのは名古屋駅のツインタワー。以前は車が通行できたようですが、老朽化のため車両の通行はできなくなりました。ちなみに立っている標識は車両通行止めではなく駐車禁止(原付を除く)・・・この場所にみんなで原付を停めましょう。歩行者の通行はけっこう多いようです。名古屋駅方面から関西本線の南側へ抜ける時に一番便利な跨線橋なのです。向野橋の銘板。昭和5年6月竣工。これだけでもかなり歴史のある橋だということがわかりますが・・・実はこのトラス部分は、京都にあった山陰線保津川橋梁を再利用しているのです。トラス桁データ1899年(明治32年) 京都鉄道が保津川橋梁として米国に発注。 A&Pロバーツ社ペンコイド工場製おそらくは名古屋市内の鉄橋の中では一番古いものと思われます。1930年(昭和5年)トラス桁を転用し現在地に移設。トラス桁長:85.3m保津川の急流を橋脚なしで渡すために、このような長大トラス橋となったそうです。詳細はこちらのHPが詳しいです「弥生の森の散歩径(向野跨線橋)」(近年まで、照明塔が乗っかっていたようです)実は橋梁上で脱線事故があり、一部を補修してあります。補修箇所が今でも残る。ピンの接合部。鉄道橋のまま使用されていたらこのような部分は撮影できませんね。JR関西本線の列車。鉄道ファンの間では良い撮影地となっています。こんな列車もいたりします。キヤ95系電気軌道試験車。時刻表に載っていない列車なのでなかなかお目にかかれない。名古屋駅側の入り口部分に、銘板を取り外した痕があります。かつては米国製のメーカーズプレートが貼付けてあったのでしょう。トラス桁以外の部分は昭和5年の移設時に作られたものと思われますが、こちらもいい味が出ています。トラス以外の橋脚部分。なお、この跨線橋の近くに地下道が作られるそうですが、地下道が完成した後のこの橋の処遇が気になります。以上、向野跨線橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.11
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東海 橋めぐり、今回は伊勢大橋。伊勢大橋は長良川と揖斐川にかかる国道1号線の橋である。この付近は長良川と揖斐川、二つの大河が堤防を挟んで平行して流れているため、橋の中央には堤防道路との交差点があることが特徴。このようなアーチ型の鉄橋が15連も続いている。(ちなみに奥に見えるのは長良川河口堰)基本的なシルエットは隣りの木曽川にかかる尾張大橋に似ている。Wikipediaによると、供用開始は昭和9年(1934年)橋梁形式は尾張大橋と同様の下路ランガートラス鋼橋。国道1号線を愛知県から三重県へ走ると、このような旧い大規模鉄橋が2つ連続している。長良川側より望む。基本的には尾張大橋と全く一緒のように見えるが、細部が異なる。また、全体的なシルエットが尾張大橋より細身に見えるのは気のせいか。橋梁を形成している鋼材も、細かい鋼材を緻密に組み立てている事がうかがえる。無数のリベットが埋め込まれているが、無骨な感じはあまりなく、むしろすっきりとした印象さえある。長良川の対岸が見えるが、橋はさらにその向こう側まで続いている。スケールの大きさがお判りだろうか。次回に機会があれば揖斐川側や中央の交差点にも行ってみたいです。以上、伊勢大橋でした。
2008.03.15
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東海 橋めぐり、今回は豊田市の矢作川にかかる橋、その名も「高橋」です。鞍が池公園へ向かう途中に渡った橋です。川の中央にクリーム色のトラス橋が2連あります。ちょっと渡ってみましょう。この橋は道路橋の脇に歩道用の橋が併設されており、徒歩でも簡単に渡れます。撮影日は08年2月24日。この日は風が強く、吹きさらしの橋はかなり寒かったです。トラス部分の撮影は、歩道用の橋桁が邪魔なため北側からの撮影となります。逆光になってしまいましたが、このトラス部分の特徴がわかると思います。下路曲弦ワーレントラスのようですが、曲弦部分(上弦)のカーブが緩いです。ワーレントラスとはトラス橋の鋼材の組み方のタイプで、上弦と下弦の間の斜めの鋼材が橋の外側に傾斜している物と内側に傾斜している物が交互に組まれるタイプです。また、このワーレントラスでは、上弦と下弦の間を斜めの鋼材のみで組むタイプと、斜めの鋼材の間に垂直の補強材が入るタイプがあり、この高橋では後者のタイプになっています。ワーレントラスの他にプラットトラス、ハウストラス等の組み方があるようです。鋼材のディテールを見てみます。基本的にはH鋼やアングル鋼、チャンネル鋼をプレート状の鋼材で止めてあります。旧い橋に見られるような斜めの細かい鋼材は使用されていないのでちょっとすっきりしています。トラスの始まりの鋼材には銘板が貼付けられています。歩道のない側なので接近はあきらめました。北側の全景は木が邪魔して思うように撮れません。橋の下からのアングル。トラス桁以外の部分はプレート桁のようです。良くある事ですが、桁下には水道管が併設されているようです。また、橋脚の歩道部分は増設されたような感じです。橋下のプレート桁部分にも銘板がありました。「昭和30年(1955年)愛知県建造」とあります。トラスの鋼材のディテールが昭和30年代の鉄橋に良くあるタイプのように思います。歩道部分の銘板は昭和45年(1970年)にできたようです。以上、高橋でした。
2008.02.24
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東海 橋めぐり、今回は鹿島橋。昨年、峰の沢鉱山住宅を訪れたときに渡った橋です。国道152号線、秋葉街道が天竜川を渡るところの橋です。車で渡ります。鉄骨が細かい鋼材をリベットで組んだ構造なのが古めかしくもメカニカルな印象。弥生の森の散歩径 -近代土木のサイト- によると、この鹿島橋は1936年(昭和11年)製造の下路カンチレバートラスとのこと。長さは57+102+57mの3径間カンチレバートラスのカンチレバーは片持ちはりのこと。発明者の名からゲルバートラスとも呼ばれ、橋脚の部分が高くなった吊り橋のようなシルエットが特徴的で美しい。実は、私はひそかにこのゲルバートラス橋が何処かに現存していないか、気にかけていた。私の育った長野市には、かつて丹波島橋というゲルバートラス橋があり、小学校の頃、気になっていた。ところが、程なくして新橋に架け替えられ、取り壊されてしまった。取り壊しの時の新聞記事に、「ゲルバー型トラス橋」とあったのを覚えている。以来、何処かに同型の橋が残っていないか、ドライブのたびに気にかけていた。今回の鹿島橋も、その橋の一つ。ゲルバートラスとして国内で有名な鉄橋としては、大阪の港大橋が挙げられる。こちらは港をまたぐ長いスパンが特徴で、トラス橋としては世界第3位の規模を誇る。ちなみに第1位はカナダのケベック橋、第2位はイギリスのフォース鉄道橋、いずれもカンチレバートラス(ゲルバートラス)構造。この吊り橋のような優美な曲線がたまらない。実は、このカンチレバー型トラス橋には、実際に橋桁を吊っている部分があります。帰り道。橋のたもとに信号があり、橋の上で信号待ちで止まります。ここで細部を観察。アングルやチャンネルの鋼材を細かい鋼板をトラス状に組んで骨組みにしています。戦前の鉄橋には良くあるディテールです。以上、鹿島橋でした。
2008.01.30
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東海 橋めぐり、今回はJR関西本線木曽川橋梁。前回紹介した近鉄名古屋線木曽川橋梁と平行して、上流側に架けられたJR関西本線の鉄橋です。緑色の鉄橋も迫力があります。平行している近鉄の鉄橋と異なり、一番手前の橋桁がトラスではなくガーター橋になっています。他の橋桁はワーレントラスと思われますが、この鉄橋、完成時期は今のところ不明。ただ、はじめから複線を前提とした設計なので、関西本線の複線化の時期の少し前に完成しているはず。関西本線の弥富-長島間は昭和55年(1980年)に複線化されているので、この橋の完成時期はそれより少し前と推測できると思います。鉄橋を渡るDD51型ディーゼル機関車の重連が引く貨物列車。走行音がまた迫力があり、実際に行ってみることをお奨めします。手前の上流側に架けられた緑色の鉄橋がJR関西本線の木曽川橋梁、その奥に見えるグレーの鉄橋が近鉄名古屋線木曽川橋梁、一番奥のアーチ型の鉄橋が国道1号線尾張大橋です。3つの橋の位置関係はこのようになり、下流側から古い順に並んでいます。鉄橋自体の構造は鋼材を組み合わせたワーレントラスで、トラス橋の中では最もポピュラーな構造です。全体的にリベットが少ないすっきりとした印象。ところで、この橋ができる前の単線時代の関西本線はどういう橋だったのか、興味があります。以上、JR関西本線木曽川橋梁でした。
2008.01.27
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東海 橋めぐり、今回は近鉄名古屋線木曽川橋梁。近鉄名古屋線 弥富-長島間に、木曽川を渡る鉄橋がある。前回の尾張大橋の近くを平行して渡っており、アクセスも容易だ。川幅の広い木曽川を渡る長い鉄橋は見応えがある。完成当時は復線橋では全国で2番目の長さだったそうだ。(ちなみに1番は隣りの揖斐・長良川橋梁)この近鉄木曽川橋梁、完成は昭和34年(1959年)9月なのだが、この昭和34年には、近鉄史上でも重要な大工事が行われた。近鉄は、もともといくつかの私鉄が合併して大きくなった会社なので、軌間(レールの幅)が統一されていない。その軌間は3種類あり、1435mm(標準軌)と1067mm(狭軌・JRと同一)と762mm(特殊狭軌・ナローゲージ)が現在も残る。さて、近鉄名古屋線はもともとJRと同一の狭軌であったため、標準軌の大阪線や山田線と直通運転ができず、乗客は伊勢中川で乗り換えを余儀なくされた。そこで、名古屋線の標準軌化工事が計画された。名古屋線の標準軌化に先立って、木曽川、揖斐・長良川橋梁の架け替え、複線化工事が行われ、木曽川橋梁は昭和34年9月に完成した。ところが、完成直後の9月26日、伊勢湾台風の直撃を受け、近鉄名古屋線は水没、長期間不通となってしまったのである。この復旧工事にあわせ、当初計画していた標準軌化工事を繰り上げ、同年11月に完成、12月には念願の名阪直通特急の運転が開始された。(詳細は近鉄ホームページ中の近鉄資料館へ)ちなみに当時の直通特急には2階建てのビスタカーが使用された。A・B編成C編成そんな木曽川橋梁の現在の姿を紹介する。長島側から橋梁へのアプローチ、築堤を駆け上がる近鉄特急。同じく急行列車。橋梁はワーレントラス橋。鉄橋の中では最もポピュラーなタイプ。鉄橋を渡るアーバンライナー実は、長島側の一番目のトラスは他のものより形態が異なる。橋脚のスパンも短く、リベットが多く、鉄骨の形状も細部がいかめしい。こちらが二番目以降のトラスの形態。長島側から一番目と二番目のトラスの継ぎ目。よく見ると高さが違う。橋の裏側。線路の幅が広く見えるのも標準軌鉄道ならでは。この近鉄木曽川橋梁の上流側にはJR関西線の橋梁があり、さらに上流には近鉄名古屋線が単線時代だった時の旧橋梁の遺構があるのだが、これについてはまた今度。以上、近鉄名古屋線木曽川橋梁でした。
2008.01.24
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先日、三重県の長島温泉へ行く機会があり、時間があったため、木曽川の橋を廻ってみた。そこで新シリーズ「東海 橋めぐり」今回は木曽川にかかる国道1号線の尾張大橋。Wikipediaによると、データは以下の通り。供用開始:昭和8年(1933年)橋梁形式:下路ランガートラス鋼橋この下路ランガートラス鋼橋は、トラスを上弦のアーチで吊り下げる構造で、当時の最新技術とのこと。写真を見ると、確かに下側の低い平行トラス桁を上部のアーチで吊り下げているように見える。アーチは全部で13連あり、桑名側にアーチのない短いトラスが1連ある。アーチのない短い部分は川の上ではなく、河川敷の上のため、スパンが短い。ちなみにこの鉄橋の存在を知ったのは、約15年前、私が某予備校(名古屋市千種区)に通っていたとき。(予備校時代は良く出歩いていた・・・)橋の入り口。細い鋼材や無骨なリベットなどは戦前の鉄橋の魅力ではないだろうか。橋を渡るとまた違った雰囲気。左右のアーチを繋ぐ鋼材も優美な曲線を描いている。そして、これが13連も続いている。実は、この尾張大橋の近辺には、近鉄木曽川橋梁やJR関西本線の木曽川橋梁が平行しており、3本の鉄橋が並ぶ姿は見応えがある。アクセス近鉄名古屋本線・JR関西本線・名鉄弥富線 弥富駅から徒歩。次回は近鉄木曽川橋梁の予定。
2008.01.21
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