全8件 (8件中 1-8件目)
1
城東貨物線淀川橋梁のつづき。せっかくなので渡ってみました。近くに他の橋がないため、けっこうな数の人がこの橋を渡っていました。鉄道橋に木製の歩道が付いているのはある意味異国情緒溢れる雰囲気。ちなみに人道橋は赤川仮橋という名前が付いています。反対側まで来ました。こちらは大阪市都島区。見学者もけっこう多く、この橋の人気ぶりがわかります。おおさか東線の工事が始まれば、この人道橋も廃止になってしまうとのことなので、最近は訪れるファンや物好きも多いのでしょうか。トラスの橋端には銘板が付いていました。汽車製造株式会社架橋と読めるのですが。ワーレントラスが18径間も連なっているので荘厳ですが、1径間は意外と短く、100フィート級(30m強)です。このような径間が短い鉄道橋が多く架かっているのが淀川の特徴でもあります。まっすぐに架かっている橋は端から端まで見通せて気持ちがよい。列車が来ました。轟音をたてて走り抜ける貨物列車を間近で見られる所もなかなかないです。以上、城東貨物線淀川橋梁でした。
2010.09.09
コメント(0)
橋めぐり、今回は大阪市にある有名な橋梁の紹介です。阪急京都線淡路駅を出て南東方向に歩くと、淀川に架かるトラス橋が見えてきました。これが、城東貨物線淀川橋梁です。下路ワーレントラスの鉄道橋、もともと複線用として作られていますが、現在は単線のみ使用しています。DD51型機関車が牽引するコンテナ列車がやってきました。そして・・・複線用トラスの片側だけを貨物線が使用し、もう片方は人道橋になっています。こんな風景、ありそうでいてなかなかないです。トラス左側の数字からもわかるように、18径間からなる雄大な鉄橋です。こんな鉄橋を歩いて渡る機会もそうそうないと思いますが、地元の方々にとっては大切な生活道路なのです。今回はここまで、つづきはまた今度。
2010.08.23
コメント(0)
橋めぐり、前回に引き続き江ヶ崎跨線橋、今回は各橋桁のトラスについて。横浜側の大きい2連は、200フィート級の平行弦プラットトラス。一見普通のプラットトラスですが、その素性は意外と古いのです。この橋桁は、常磐線の前身である日本鉄道海岸線の隅田川橋梁に使用されていたトラスで、1896年(明治29年)に製造された古いトラスです。すでに100年以上も使用され続けているのですね。昭和2年まで常磐線で使用されたのち、この江ヶ崎跨線橋に転用され今日まで至ります。一見平凡なトラス橋に見えますが、色々な部分に特徴が見られます。まずは有効高さ。トラス全体の高さは高く、巨大に見えますが、その有効高さは低く、電化は困難だったと思われます。上方に網のように張り巡らされた鉄材が美しい。斜材にも特徴があり、板状の鉄材を使用しています。橋台に乗るシューはローラ支承と呼ばれるものを採用。長い橋になると温度の伸縮を吸収するためにローラーになっています。橋台の上の部分。100年以上も使用されているので、錆で穴が開いている箇所があります。歴史を感じます。さて、江ヶ崎跨線橋の川崎側には、ポニーワーレントラスが架けられています。こちらも元鉄道橋の転用です。100フィート級のポニーワーレントラスですが、元は日本鉄道(東北本線の前身)荒川橋梁の渡河部分に架けられていたものだそうです。以前紹介した十条跨線橋と同じ橋梁からの転用です。トラスの接合部はピンを使用したピントラスです。おそらくは十条跨線橋と同じ1895年(明治28年)製造。COCHRANE製。19世紀のイギリス製の橋桁が、21世紀の現代でもひっそりと現役で使用されています。十条跨線橋と同じ場所に銘板が貼付けてありますが、割れてしまっています。隣に平行して仮設橋が設置されたため、このような写真を撮ることができます。橋の幅は複線規格。明治時代にこのような複線規格の橋梁が使用されていたのですねえ。ちなみに荒川橋梁時代は同型のポニーワーレントラスが4連あったとのことで、そのうち半数が十条跨線橋とこの江ヶ崎跨線橋に転用されていることになります。以上、江ヶ崎跨線橋でした。(参考HP) GNR - Golgodenka Nanchatte Research JR 東日本旧新鶴見操車場構内【江ヶ崎跨線橋】 歴史的鋼橋集覧 江ヶ崎跨線橋 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2009.01.20
コメント(0)
橋めぐり、今回は江ヶ崎跨線橋。かつての巨大貨物ヤード、新鶴見操車場跡に架かる跨線橋。新鶴見操車場は国鉄時代の巨大貨物ヤードであった。ここでは、貨物列車から切り離された貨車が1両ずつ行き先ごとに仕分けされていた。国鉄の貨物方式が貨物がヤード式から直行式に転換され、操車場はその役目を終えたが、その広大な跡地は今もなお残っている。この操車場が作られた昭和4年から、当時の姿のままで残っている跨線橋が、この江ヶ崎跨線橋である。広大な操車場跡地は現在、再開発の計画があり、この跨線橋も架け替え工事が始まりました。以前は橋の高さの築堤の上を道路が走っており、車の通行が可能だったようですが、すでに橋への車道によるアプローチはできなくなっていました。築堤は取り除かれ、歩行者のための階段と橋が取り付けられています。車道は橋の下を通るように改良されています。かつての築堤部分にはさらに新しい道路が工事中。歩行者は難なく通行できます。トラス部分の入口は高さが低いのが気になります。この跨線橋に平行して、仮設の歩道橋が架かっています。仮設の歩道橋があるので、この古い方の跨線橋は意味がなくなってしまいます。反面、平行して歩道橋が架かっているので、古い方の跨線橋をじっくりと観察できます。古い跨線橋上にも車が来ないので、この江ヶ崎跨線橋を訪問するのは今がチャンスです。ちなみに跨線橋の全景は、近くのホームセンターの屋上駐車場から眺めることができます。色々な意味で今がチャンスの跨線橋でした。アクセスJR南武線 矢向駅より徒歩。今回はここまで。次回はトラス部分の詳細について。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2009.01.05
コメント(0)
橋めぐり、今回は飛鳥山下跨線人道橋。2008年9月撮影。JR京浜東北線王子駅の東京寄りの改札口を出ると、飛鳥山方面へ渡ることができます。この歩道橋が飛鳥山下跨線人道橋です。王子駅のホームからも良く見えます。橋は東北本線の複々線部分を渡っています。京浜東北線の高架下の改札口から橋を見上げます。改札口を出ると橋までは階段で上がります。橋は鉄材を組んだアーチ橋。1925年(大正14年)竣工。中路ブレースドリブ固定アーチという形式だそうです。橋上はこのような感じ。もちろん車は通れません。また、道路ではなく王子駅の施設として位置づけられています。鉄材を曲げて組んだアーチが美しい。飛鳥山側から見上げました。実はこの跨線橋、古レールを再利用しています。古レール好きにもたまらない跨線橋です。以上、飛鳥山下跨線人道橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.11.20
コメント(0)
橋めぐり、今回は十条跨線橋。2008年9月撮影。JR京浜東北線東十条駅を降り、東京寄りの改札口を出るとこの跨線橋が現れます。跨線橋のたもとの交番前から。一見するとただの道路橋が線路を渡っているようにしか見えない。実は私も通勤でこの駅を利用していた時はあまり気にも留めなかった跨線橋なのですが、この跨線橋は東北本線の歴史を語る上で非常に重要な文化財なのです。ちなみに奥に見えるのは東北新幹線の高架橋。道路部分は鉄橋になっています。ポニーワーレントラスのこの鉄橋は、1931年(昭和6年)竣工。実はこのトラス、ピン接合で組まれたピントラスなのです。もともとは東北本線の荒川橋梁として使用されていたトラスを転用したものです。下部の接合部分もピンによるもの。接合箇所は旧東海道本線の揖斐川橋に似ています。また、斜めの鋼材の補強の組み方も独特です。鉄骨部分には銘板が貼付けてあります。1895年(明治28年)製造。COCHRANE製。19世紀のイギリス製の橋桁が、21世紀の現代でもひっそりと現役で使用されています。東北本線の前身、旧日本鉄道時代の荒川橋梁がこんな形で残っているのも喜ばしいことで、我が国の鉄道の黎明期を物語る貴重な文化財でもあります。以上、十条跨線橋でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.10.20
コメント(4)
橋めぐり、今回は立川市内の中央線に架かる跨線橋について。立川駅から高尾方面へ少し走ると掘割状の線路の上に旧い跨線橋が架かっています。2008年5月撮影。地元では「めがね橋」と呼ばれているこの橋、以前は違う名前だったとの事ですが、立川市に管理が移管されてからはかつての通称「眼鏡橋」がこの橋の名前になっています。写真は立川寄り。下を走る電車はすでに新型のE233系が主力になっていました。中央線複線化工事後の昭和10年(1935年)に開通とのこと。橋梁形式は中路固定アーチ。反対側は橋桁と同じレベルに水道管が渡っています。橋脚がまた味のある鉄骨組み。橋の鉄骨は古レールを再利用したものです。昭和10年の時点で古くなっていたレールなので、かなり古いレールが使われているようです。古レールを使用した橋梁の例は鉄道の跨線橋に良く見られますが、その他には駅のホーム上屋の骨組み等にも古いレールが使われている事が良くあります。稀に刻印が打ってあることもあり、19世紀のレールの刻印が見つかることもあるようです。上を走る道路は狭く、片側交互通行になります。なお、眼鏡橋は2008年8月現在、架け替え工事中です。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.08.17
コメント(0)
橋めぐり、今回は関東地方の珍しい橋。東武佐野線の渡良瀬川橋梁です。曲弦トラスが2スパン、その他はプレートガータ橋で構成されています。建設は大正3年(1914年)、アメリカン・ブリッジ社製。トラスの橋脚部分。レンガ積みで、アーチ部が土に埋まっています。レンガ積みの橋脚は古めかしい雰囲気がいっぱいです。トラス部分。どこが珍しいのかというと・・・このトラス、一見よく見かける曲弦トラス橋ですが、実はトラス橋の基本であるピン接合を用いたピントラスなのです。部材の接合部のアップ。接合には一見ボルトみたいなピンを使っています。こちらは橋脚の直上の接合部。ピン接合です。上弦から下がる垂直部材もピンで接合されています。また、斜めの細い補強鋼材も一緒に接合されています。ピントラスの接合部は一般的には自由に回転する構造なのですが、これらの部材が三角形のトラス構造を取ることで回転を制限しています。トラス橋はもともとこのようなピン接合だったのですが、メンテが大変なので、のちにガセットによる接合が一般的となり、我々が良く目にするトラス鉄橋へと進化したようです。下からのアングル。レールの直下に二本の鋼材が走っており、この鋼材を横方向の鋼材が支えています。さらにこの横方向の鋼材は上弦から垂直に降りた鋼材によって支えられています。これらの基本となる太い部材の間を、細い補強鋼材がつないでいます。このようなメリハリのある部材の太さの選択により、一見無骨ながらどこか繊細さが感じられます。太い部材自体も細かい鋼材を組み合わせて作られています。このあたりが昭和初期以前の橋の魅力でもあります。プレートガータ部分はこのようになっています。プレートガータは二枚の鋼材の上に線路が乗っかっている構造です。この二枚の鋼材をつなぐ補強材も細く、多くのリベットで組まれています。なお、この鉄橋は最近塗り替えられたようです。以上、東武佐野線渡良瀬川橋梁でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.10
コメント(3)
全8件 (8件中 1-8件目)
1