2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1

父方の祖母は、現在、岡山で一人で生活しております。と、申しますのも・・・父が5歳の折、祖父の浮気が原因にて、離婚致しておりまして父と、二人の妹を残し、祖母は家を出てしまいました。その後、祖父は、芸者さんだ仲居さんだとあちらこちらで、出会い頭に恋をしちゃ~幾度となく恋愛を繰り返し、その度に、責任を取りたがるので計6度、離別婚姻を繰り返し、戸籍は真っ黒××だらけの人生で、ございます(余談:父には、腹違いの、弟、妹もおります)ま、物腰も柔らかく、お洒落で、話し上手な祖父がモテるのは、納得なのですが・・・現在90に手の届こうかという祖父は、未だ杖をついて歩くのは、年寄りみたいで恥ずかしいと、晴れでも、雨傘を持ち、元気に、単身散歩へでかけます。90歳は、完全に年寄りであるしチャップリンよろしく、雨傘散歩の方がよっぽど、恥ずかしいと思うのですがそれが、祖父なのでしょういかんっ思わず、主役が祖父へと転換しかけましたがタイトルにも、つけました通り、今回の、ヒロインは祖母叩けばネタの出る体の、祖父の話は、また機会がありましたら、ゆっくりさせて頂くとして・・・さぁ、祖母です。あの親父を、この世に生み出した女です。確かに、尋常な女では、ありません離別してからというもの、女手ひとつでありとあらゆる事を、バリバリがんばってきた女です。そんな祖母は、確か、現在は82、3歳・・・未だ、現役バリバリ仕事を持ち、一人でがんばっております。ワタシは、そんな祖母が好きですし、尊敬もしております。ただ、1点を覗いては・・・どんな理由があるにせよ。まだまだ、幼い、小さな子供を3人も置いて家を出るというのは(一番下の叔母は、まだ1歳半程度だったと聞いております)やはり、理解のできない部分であります。時代も違い、祖父の浮気癖以外にも、姑との同居だなんだと私達には、わからぬ苦労もたくさんあったでしょう。ですが、ワタクシも母親となった今やはり、益々理解のできない1点であります。ま、そんな事も、今は昔別離後、理髪店の経営を始めた祖母。その店へ、九州より、修行に出て来た母。そこへ、母親求め、訪ねた父。そこで、二人が出会わなければ、現在のワタクシの人生はなかったものと思われます。現在は、祖母に感謝し、今日に至るワケですが・・・数年前、自分の郷の岡山へ戻るまで祖母は、理髪店の後、食事処を経営し大阪でがんばっておりました。十二分な貯えもでき、余生は地元に戻りのんびり暮らそうと、岡山へ戻ったハズなのですが働き詰めの祖母の人生。今さら、のんびりするなど、無理なのでしょう。すぐに、近所の会社の社員食堂のおばちゃん、と、言う職につき「若い子らと、接してると元気でおられる」と少しの労働時間ですが、毎日、元気に勤めているようです。幼い我が子を置いて家を出た祖母。それからも、一人で生き抜いた祖母。老後も誰の世話になる事も考えず一人で、がんばる祖母。それが、祖母の人生です。そんな祖母も、裁縫が得意で、よくお手製の鞄を作り、ワタシ達に送ってきてくれます。和裁の仕事もしていた祖母。ワタクシ嫁入りの際の、振袖のお直しも祖母の仕事であります。しかし、いくら腕が良いとは言え、あの年齢で、針仕事を達者にこなすとは、全く、恐れ入る話です。正直、老女のセンスゆえ、おでかけに持つには少し、悩む作品ではありますが・・・こちらの鞄も、別布の境目は全て、ポケットになっていたりこちらの巾着の、組紐も、大したモノだと思います。裏地は、半布も無駄にする事なく、全てツギハギ。このように、頭を使い、手先を使い、ボケるヒマなくコレが、祖母の元気の要因のひとつであるならばどんどん、製作してもらいたいものであります。少し、褒めると次から次に送ってこられ実際、活用しきれていないのが現状ではありますが祖母の元気を確認できる宅配便。これからも楽しみにしております。おばぁちゃーん。まだまだ、元気で、がんばってよー。
2007年08月31日
コメント(23)

ご無沙汰しております。ここのところバタバタしており親の都合で、あちらこちらへ息子をひきずり廻した挙句昨夜より発熱させてしまいました。高熱で、昨夜は、ほとんど寝ることのできなかったカマ太朗は、薬のせいか、今は熱もなくただいま、スヤスヤ就寝中でございます。おかげで、こうして更新できる時間が持てたというのも皮肉なハナシでございますが・・・昨夜は本当にキツかった40度近い高熱にうなされ、寝れずに泣き喚くのでずっと抱いていたのですが、これまた座ると泣く夜鳴きのシーズンには、夜通し抱っこやおんぶも経験済みではありますが、現在、彼は15キロいくら、頑丈な造りのワタクシといえども夜を徹しての、立ち抱っこはキツウございます。手も足もぷるぷる、完全な筋肉疲労を患っております。ですが、不思議なことに、15キロのダンベルは上げれなくとも我が子なら、何時間でも抱いていられるのがかぁちゃんでございますでは、本日は、ワタクシも少々、睡眠不足ゆえ最近の近況をザッと報告致しましたらとっとと休ませて頂きましょう。なんだかんだと、言っている間に、お盆も終わってしまいまして「じぃたん、らいねんもまたきてね。」「おかえりの、おふねのよういが、できまちたよ。」「おみやげも、わすれずにおもちくだちゃい。」仏事好きの息子は、オトボケ旦那より、数段役に立ちました。育児サークルでは、キャラ弁教室を開催お題は「バイキンマン」みなさん、お上手“し~ちゃんママ作、双子バイキン”中でも、ワタクシが強く興味を惹かれましたのが“ミユウちゃんママ作、血眼バイキンマン”です。期待の大型新人、ミユウちゃんママ今後も、期待大ですそんな感じで、毎日、プールだ、フリマだ、サークルだなんだかんだと、やはり、夏は楽しく、忙しく少し、ハシャギ過ぎたようですので、ここらでチョット息子ともどもゆっくり休養致しましょう
2007年08月23日
コメント(17)

3日間の夏休みが取れた旦那。今年の夏休みは、広島の旦那の親戚宅にGO千葉から帰省中の旦那従兄弟家族とみんなで、ワイワイ楽しいお泊り会カマ太朗も同い年の、マタ従姉妹ちゃんとラブラブまだまだ自然が残り、空気がキレイで、見晴らしの良い素敵な叔父様宅のテラスが、すっかり気に入ったカマ太朗いい風に吹かれながら、おもちゃを、空に向け「ピッ!ピッ!」どうやら、風に流れる雲をリモコンで動かしているつもりらしい人見知りの激しいカマ太朗が、私達を離れみなさんによくなついてくれたおかげで久しぶりに、私達も、ゆっくり、ゆったり、のんびりよく飲み よく喋り よく笑い楽しい、夏休みを満喫させて頂きましたPS.本場の広島焼きは、本気でうまかったぞー
2007年08月12日
コメント(11)

先日、高島礼子さんが、「いいとも」で「家事は、料理以外はやりますが、食事は全て外食です。 主婦の皆様は、本当にエライ。買い物して、作って 片付けて・・・終わったかと思えば、また昼食、夕飯・・ と、食事の用意だけで1日が終わってしまう。 私には、到底無理。主婦は、スゴイ。」と、主婦層高感度、グッと大幅UP発言をされておりました。「そんな事ないですよー。女優さんの方がずっと大変です。 でも、ありがとうございます。今日も、がんばります」アホが間にウケ、いそいそと、台所へ立つ野菜を、とんとこ切り刻みながら、ふと思い出す。アレは、小学5年生・・・初めての調理実習の献立は・野菜炒め・粉ふきイモ・かきたま汁クラスメイトと一緒に、ワイワイ楽しく食べたという事もありましょうが、どれもこれも、ビックリするほどおいしくて野菜炒めなどは、ピーマン、玉葱、人参、キャベツを塩コショウで炒めただけのものであります。家で食べる野菜炒めの方が、もう少し手が、かかっていたような気がするのに、なぜか、驚くほどおいしくて「こんなに、おいしい野菜炒めは食べたことがない」と、目からウロコ気分のワタクシは、家庭科教科書野菜炒めのページに、指を挟み「帰ったら、この作り方を、お母さんに教えてやろう」この野菜炒めを口にした、母の驚愕の顔を思い浮かべ小走りに、帰路を急いでおりました。そして、家も近くなった、歩道橋の階段を駆け上がっている時ふと、気付きました。あれから、20数年経った今でも、安い作りのドラマのように、手から教科書がバサッと、すべり落ちた事も鮮明に覚えています。ちゃう・・・。作り方が違うワケとちゃうわ・・・。お母さん、料理、上手やもん・・・。そうです。母はとても、料理上手な人です。家庭料理は、もちろんの事、釣り好きの父のおかげで、魚のさばき方などは完全にプロの仕事です。さばくだけでなく太刀魚の飾り鮨、ふぐは、てっさ、湯引き・・・見た目も味も、プロのそれ。では、なぜ、調理実習の、野菜炒めがそんなに、おいしかったのか・・・できたて、だったからです。ウチの実家は、散髪屋を営んでおります。当時は、今よりも、営業時間も長く、とても忙しくて一旦、店へでると、就業の9時頃まで中へ入って来れない日も、多々ありました。それでも、やはり、子供達には、手料理を食べさせ手作りの愛情をかけたいと、寝る間を惜しみ朝の早くから、朝、昼、晩の三食分を用意し夜は遅くまで、私達の、縫い物をし、母は、働き詰めの毎日でした。いくら、おいしい母の手料理とはいえ食べる時間には、完全に冷め切ったもの・・・。当時は、サランラップの代わりに、ふきんが被せられ電子レンジは、かなりの高級品だったので弟もまだ小さかった、我が家では子供の手の届く場所にはおけず冷蔵庫の上に設置されておりました。時間のある時は、母が駆け込んで来てチン!とやってくれましたが、姉弟3人で冷たいごはんを食べる事の方が多かったように思います。ですが、父からも母からも、たくさん愛情を注いでもらっていたのは、十分感じておりました。そして、家庭科の教科書は母に見せる事なくその頃から、料理や裁縫を少しづつ覚えていったような気がします。それは、母の手助けをし、喜んでもらいたかったからなのですが私達、姉弟は、両親が喜んでくれるサプライズが大好きで「お母さんが上がってくるまでに洗濯物全部畳んどこ!」「お母さんが上がってくるまでにお茶碗全部洗っとこ!」「お母さんが上がってくるまでにキレイに部屋片付けとこ!」と、毎日、なにかしら、自発的に手伝いをし「わぁ~!!キレイになってる~!ありがとう」が、嬉しくて、嬉しくて両親と一緒にいれる時間が短いからこそその時間を、お互い、とても大切にしていたような気がします。親は子供の喜ぶ顔を・・・子は両親の喜ぶ顔を・・・いつも、望んでおりました。なんて事を、ふと思い出しながら、励む弁当作りさすがの、海苔職人も、最近すっかりネタ不足賢く、美しい、主婦連のみなさ~ん冷めても、おいしい、お弁当むけのオカズ何か、オススメがありましたら、ぜひ教えて下さ~い!!
2007年08月09日
コメント(10)

この度、大阪にいる姪のさくらが、めでたく「アフローデビュー」をするというさくら、これも、散髪屋の娘に生まれてしまった宿命だ。叔母たんも、キモチは良くわかるぞ。がんばれ「とうたん・・・じぃたん・・ウチどないなんの・・」「かわいくなるぞーまぁまぁ、アイスでも食べとり」アイスに誤魔化されながら、おりこうさんに頑張ったさくらボンバー完成っっかわいいーかわい過ぎるぞー叔母たん、なんでも買うてやりたいぞーしかし、嫁の友達から「アンタのムスメ、旦那の姉ちゃんにソックリやん」と、言われる度「全然似てない」と、激怒する弟よ・・・。ひとつ嫌な事を教えてやろう。実家に置いてある、ワシの幼少時のアルバムをめくってみろ。オマエのムスメと、同じ頭をしたワシが満面の笑みで写っているハズだ・・・ふっ
2007年08月03日
コメント(11)
全5件 (5件中 1-5件目)
1

![]()
