おでかけしましょいっ!~Part2~

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11月13日のお出かけ … New! かりんママ0529さん

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2021.12.29
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カテゴリ: 旅日記
​​​​​​​​​​​​​​​​​​京都の2日め。
寒波はひとまず一段落して、今日は少し気温が上がるのか?
今日は1日京都をめぐります。
まずは課題の2ヶ所を済ませようかと。
京都市内を動くため、宿舎の近くのセブンイレブンで、バスと地下鉄のフリー券を購入しました。


まずは四条大宮を出発して、東寺までバス移動します。
四条大宮からそのまま大宮通りを南進して東寺東門前へ。

​[教王護国寺(東寺)]​
真言宗の総本山になります。
平安建都の際に羅城門の東に作られたのが起源で、後に空海が賜り、真言密教の根本道場として今日に至ります。

まずは東大門を観察して塀の内側へ進みます。
目の前に講堂、金堂、五重塔といった大きな建造物が広がります。
拝観料を支払って建造物群の敷地に入ります。
まずは講堂から。
空海が一番伝えたかったとされる密教の中心的な建物として位置づけられるのが講堂です。
それは立体曼荼羅というかたちで具体化されています。
講堂自体は重要文化財ですが、立体曼荼羅として配置された21の仏像のうち、16体が国宝、5体が重要文化財に指定されています。
1体の菩薩像が修理のため不在でしたが、国宝16体はすべて平安期に造られたもの。
撮影できないのが残念ですが、時を経つのを忘れて見入ってしまうほどの重厚な雰囲気がありました。
続いて金堂へ。
こちらには、東寺の御本尊である薬師如来像、そして日光菩薩、月光菩薩が配置されています。

金堂は豊臣秀頼により1603(慶長8)年に再建されたもので、御本尊の薬師如来像は薬壺を持たない古い形式の像とのことです。
大きな金堂を3体の大きな像が占有する空間に圧倒されました。
そして五重塔へ。
国宝です。
落雷による消失などから、現在の塔は1644(寛永21)年に徳川家光により再建された5代目とのこと。

特別公開の時に見てみたいと思いました。
ひととおり見学した後、有料区域から出て、食堂へ。
「じきどう」と読みます。
こちらが御朱印所になっています。
8種の御朱印がありますが、御本尊である薬師如来の御朱印をいただきました。
北大門を出て、北側にある観智院へ。
観智院は、真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出している別格本山。
寺院内を見学しました。
再び北大門から境内に入り、南に向かって歩きます。
右手の大師堂(御影堂)や回向院、そして毘沙門堂を見学しました。
国宝の大師堂は生身供が運ばれるところです。
さらには、潅頂院へ。
中にこそは入れませんが、伝法灌頂や後七日御修法などの儀式を行うための堂とのことです。
そして南大門へ。
九条通りに面する当時の正門にあたります。
重文に指定されている南大門を見学しました。







ひととおり、東寺を見学して、南大門から西へ進みました。

​[矢取地蔵尊]​
地蔵堂がありました。
矢取地蔵とよばれる石像が安置されています。
東寺の空海と西寺の守敏僧都の対立から空海の身代わりとなった僧が地蔵菩薩であったという伝承があるそうです。
地蔵菩薩の右肩には矢傷があるとのことでした。


その横を入ると石標がありました。

​[羅城門跡]​
かつての朱雀大路の南端に建てられていたのが羅城門で、平安京の南の入口にあたります。
現在は石標だけですが、毘沙門堂に安置されていた兜跋毘沙門天像が配されていたそうです。
兜跋毘沙門天像は、東国で起きた平将門の乱の時に、都を守る守護神として安置されたもので、現在は東寺の宝物館のあるそうです。


さて、ひととおり当時周辺を探索したので、次の目的地に向かいます。
今日の2つ目の目的地は知恩院。
羅城門からバスで移動します。

大宮通りを北進して七条通りへ。
東進して東大路通りを北進します。
昨日立ち寄った豊国廟入口や清水入口を通過して知恩院前まで。

​[浄土宗総本山 知恩院]​
新門から参道を歩きます。
正面には巨大な三門がそそり立ちます。
三門前の土産物屋(三門亭)で土産物の下チェックをしてから三門へ。
まずは国宝の山門を見学。
徳川秀忠により築造された日本最大の木造の門で、三解脱門から名前の由来があります。
内部は非公開ながら、三門上部からは京都市内が一望できるとか。
知恩院の正式名称は、華頂山知恩教院大谷寺といいますが、上部の華頂山と書かれた額は畳2畳の大きさとのこと。
山門をくぐって急な階段を息を切らして登ると境内が広がっています。
まずは左手の御朱印所で御朱印をいただきました。
知恩院の本尊は、浄土宗の開祖である法然上人像と阿弥陀如来像。
法然上人の御朱印をいただきました。
阿弥陀堂を見学。
明治に再建された新しい建物ですが、後奈良天皇の勅額と知恩院の文字が書かれた瓦を見学。
そして国宝の御影堂へ。
現在の御影堂は1639(寛永16)年に徳川家光によって建立されたもの。
最新の修理で2017年に瓦の修復が終わりましたが、大棟の中央部に2枚の瓦が2セット残されたままになっています。
「葺き残しの瓦」と呼ばれる瓦で、諸行無常の習いから、あえて未完成であることをあらわすために置かれているものです。
御影堂に入り、参拝。
入口を出て左へ進むと見上げた軒下に「忘れ傘」があります。
傘が置かれた理由には諸説あるようですが、いずれにしろ知恩院を守るとの伝承から置かれたものと信じられているそうです。
金網越しで見つけるのが大変ですが、何とか見つけることができました。
御影堂を出て、納骨堂と経蔵を見学。
重文の唐門を見学した後、御廟へと続く石段を登ります。
左手に知恩院最古の建造物である至勢堂があります。
門をくぐって進むと、右手に法然上人著作の「一枚起請文」が書かれた掲示がありました。
至勢堂は1530(享禄3)年に再建されたもので、法然上人が念仏を広めるために最初に建てた禅房の跡地に建てられたもので、知恩院発祥の場所になります。
至勢菩薩像が御本尊ですが、御影堂の法然上人像は、もとはこちらの御本尊だったとのことでした。
そしてもう少し石段を登った先に法然上人の御廟があります。
御廟拝殿からお参りさせていただきました。
境内に戻り、最後に南側の坂を登って大鐘楼を見学しました。
知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘です。
確かに大きい鐘でした。
今回は大方丈には行きませんでしたが、知恩院の七不思議にも興味があります。
また改めて来てみようと思います。








三門へ戻り、三門亭で数点の土産物を購入しました。
そのまま神宮道を北へ歩きます。

少し歩くと、右手に大谷本願寺跡の石標がありました。
元大谷崇泰院とあります。
浄土真宗の開祖である親鸞上人の廟堂は、江戸時代はじめに現在の東山五条坂西大谷に移されましたが、もとは、こちらにあったそうです。
本願寺の起源である親鸞の廟堂跡を示す本願寺発祥の地として石標があるようです。
あわせて、親鸞聖人旧廟所、蓮如上人生誕地の石標がありました。
大谷本願寺を再興させた蓮如上人の誕生した場所でもあります。
門が閉まっているので中までは入れませんが、それらの石標見学しました。


さらに先へ進むと、知恩院の黒門があります。
七不思議の1つがこちらにあるということを後になって知りました。
次回訪問時の課題ですね。


さらに先へ進むと、花園天皇陵(十楽院上陵)参道入口がありました。
土日祝は閉門ということで、参道への入口は閉まってました。
実際に見に行くことはできませんでしたが、円丘状の墳墓があるとのこと。
平日に訪問する機会があったら、また行ってみようと思います。


その先にも青蓮院門跡という石標がありました。
青蓮院は、三千院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院(天台三門跡)のひとつになります。
もとは比叡山東塔の最長が建立した青蓮坊が起源とのこと。
江戸時代には仮御所になったことから、粟田御所とも呼ばれているとのこと。
日本三不動のひとつである青不動があることでも知られているそうです。



さらに北進して、三条通りを越えて二条通りに出ました。
正面には平安神宮の鳥居がありますが、平安神宮はまたの機会に。
二条通りを西へ進みます。

​[西身延 本山 妙傳寺]​
鎌倉に東身延本山妙覚寺がありますが、そちらと同じく日蓮上人の真骨が分骨されているお寺になります。
交差点側に日蓮上人の像がありました。
西側の門から入り、本堂を参拝。
位置情報を取得してチェックインを済ませました。
本堂を右手にぐるっと回った先に寺務所がありました。
寺務所に入ると、お寺の方が年末の大掃除中でした。
御首題を申請すると、仕舞い込んだ朱印を改めて出していただき、御首題を書いてもらえました。
あわせて 妙傳寺の五十七路巡りの本山カード をいただきました。



二条通りをさらに西へ進むと、頂妙寺駐車場というパーキングがありました。
そちらを左手に入ると頂妙寺の境内に入りました。

​[聞法山 頂妙寺]​
まずは本堂に参拝して位置情報を取得。
チェックインを済ませました。
境内を南に進んで山門を撮影して改めて境内へ戻ります。
二天門をくぐって境内へ。
祖師堂を参拝して、本堂右手奥の寺務所へ向かいます。
入口には不在の時は駐車場受付に声をかけるように書かれています。
駐車場の経営は頂妙寺なんですね。
インターフォンを押すと応答がありました。
入口を入って御首題を申請します。
御首題をいただき、申し出て頂妙寺の五十七路めぐり本山カードをいただきました。



二条大橋で鴨川を渡ります。
京都市役所前に出て、ここからバス移動します。

河原町通りを北進して下賀茂神社参道前へ。
葵橋手前を左に入ります。
携帯のナビに従い路地を進むと山門がありました。

​[広布山 本満寺]​
南西側の山門から境内へ。
駐車場になっている先の本堂で参拝を済ませます。
本堂左手の七面堂の先に寺務所がありました。
インターフォンを押すと、お寺の方が出てきてくれました。
御首題を申請。
御主題を書いていただいた御首題帳を受取り、本山カードをいただきました。
本満寺の五十七路巡り本山カード を入手しました。
七面堂の左側に妙見宮があり、そのさらに左手の駐車場先に山門がありました。
こちらが正面の山門になるようです。
道路側に出て写真を撮影してみました。
境内に戻り、本堂前で位置情報を取得してチェックインを済ませました。



来た道を戻って、再び葵橋のバス停へ。
再びバス移動します。
北大路堀川へ。
堀川通りを南へ徒歩移動。

​[後花園天皇火葬塚]​
天皇陵によくある宮内庁管理という看板がありました。
室町時代に在位した第102代の後花園天皇が火葬された場所のようです。
後花園天皇陵(後山国陵)は京都市右京区にあるとのことです。


水火天満宮横を通って脇道へ入ります。
駐車場らしきところを通って境内に出ました。

​[叡昌山 本法寺]​
横のほうから境内に出てしまったようです。
本堂横を通って、西側の門を見に行きました。
その後、正面の本堂に参拝。
位置情報を取得してチェックインを済ませます。
本堂前を左手に進み、寺務所へ。
国指定名勝「巴の庭」、そして長谷川等伯「涅槃図」が公開されています。
「巴の庭」は、安土桃山~江戸時代にかけて活躍した本阿弥光悦が築造した庭で、三箇所の築山で巴紋を表現することから「三巴の庭」と呼ばれます。
そして本法寺には、長谷川等伯が60代のときに描いた『佛涅槃図』(重文)が所蔵され、公開されています。
実際には複製が展示されていますが、春には真筆が公開されるようです。
げんざいはちょうど新春特別展示として「寅」が公開中のようです。
寺務所入口を入った右手奥に受付がありました。
そちらで御首題をいただきました。
他にも摩利支天の御朱印もいただけるようです。
あわせて 本法寺の五十七路巡り本山カード をいただきました。
御首題をいただいている間にも、見学者が数名入館していきました。
本堂西側の多宝塔、大摩利支尊天前を通って、東側の本法寺仁王門へ。
こちらが正式な山門のようです。
こちらにも「寅」の案内を見ている人がいました。




仁王門前の道を北進します。
右手に妙覚寺が見えてきました。

​[北龍華具足山 妙覺寺]​
西側の門から境内へ。
境内西側の寺務所で御首題をいただきます。
妙覺寺の御首題と、 妙覺寺の五十七路巡り本山カード をいただきました。
そして改めて境内南側の大門を見学。
境内に戻り、改めて本堂にあたる根本御影堂で位置情報を取得。
チェックインを済ませました。
豊臣秀吉の都市改造により、この場所へ移転しましたが、それ以前は織田信長の宿泊所として使われ、信長自身18回宿泊しているそうです。



大門を東に歩きその先を右へ。
正面に妙顕寺が見えてきました。
さらに右手に入ります。

​[具足山 妙顕寺]​
本堂西側から境内に入りました。
16時になろうとしている時間帯なので、まずは寺務所で御首題をいただきます。
御首題料は500円。
御首題帳を受け取りながら確認すると、 本山巡りカードは配布終了 しているとのこと。
事前に聞いてはいましたが、五十七路めぐりをしている中では、配布終了は2寺めでした。
本堂正面にまわり、本堂に参拝。
本堂前で位置情報を取得して、チェックインしました。
境内を南に進み、正面入口にあたる大門を見学。
大門左手には小門があり、「尾形光琳墓在此寺中」の石柱がありました。
大門東側の泉妙院に墓所があるようです。
妙顕寺の客殿には、尾形光琳『松竹梅図』にちなんで作られたとされる孟宗竹の庭や光琳の曲水の庭があるとのことです。




さて、時間的には16時を過ぎると、日蓮宗の寺院は諸業務を終了してしまうようです。
あと1ヶ所を残しましたが、ここから少し離れているので、さすがに今日は無理かと。
明日、訪問することにします。

京都市役所前までバスで移動しました。
河原町通りを御池方面に歩くと道路横に桂小五郎の像がありました。

​[長州藩邸跡]​
京都ホテルオークラの敷地に長州藩の藩邸があったんですね。
桂小五郎像を見学。
京都市内には歩いて分かる史跡がたくさんありますよね。


さらに南進して三条通りを左に移動します。

​[池田屋騒動跡]​
何度となく来ている場所ではありますが、池田屋騒動跡に到着。
今では「旅籠茶屋池田屋はなの舞」という居酒屋になってます。
娘に付き合ってこちらで夕食休憩をとりました。
今回、薄桜鬼とのコラボがあって、娘が行きたい希望の場所の一つになってました。
以前、ここで昼食をとったような記憶がありますが、開店時間は15時とか。
現在時刻は17時になりましたが、予約がない場合は1時間との制約がある模様。
時間的に完全に居酒屋形式になってます。
とりあえず、薄桜鬼とのコラボ商品を注文。
それなりの値段がします。
コラボ商品の代金をそのままとられてるような感じ。
これでは夕食としては物足りないか。
しかもお店側の応対がもう一つのような感じがしました。
娘も同じような感想を持ったらしく、はなの舞というチェーン店ながら、お店の存続が心配されるのは私だけでしょうか?


さて、あたりはすっかり暗くなりました。
新京極から錦市場へ徒歩で移動します。
喫煙所があったので、しばし休憩。
娘はその間にanimateへ行ってきました。

寺町通りから錦小路通りへ。

​[錦天満宮]​
錦市場に来る時はよく寄る天満宮です。
この時間ですが、だいぶ賑わってました。
天神様に参拝。
御朱印は書き置きのものを購入する形でした。


錦市場を西に歩きます。
閉店前の時間帯になります。
途中の漬物屋さんでしば漬けを購入。
うちのから依頼された土産物を確保しました。


錦市場を抜けて、四条通りに出てからさらに西へ歩きます。
そのまま宿まで歩いて帰りました。​​​​​​​

昨日は石段を登り、今日は市内各所を歩き回りました。
だいぶ健康的な1日でした。





本日、新たに入手したカード

<五十七路巡り本山カード>











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Last updated  2022.01.23 23:39:20
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