大泥棒の路地裏

大泥棒の路地裏

第八章


「王都マルチェルダ」


 霧がだんだん薄くなり、道筋がはっきり見えるようになった。空は相変わらずうす暗く、にじんだ灰色の雲がすっぽりと覆っていたが、霧の中でみるより幾分綺麗に見える。ランスロットは激しく咳をして、馬車の中で仰向けに倒れていた。

 ルウェンは霧が完全に晴れた頃に馬車の後ろから顔を出し、追手が来ているか確認をした。今のところ、誰も来ていない。まだ少しは安全のようだ。彼は振り返り、息の荒いランスロットの前に座り込んだ。

 この男は本当によくやった。あのミホークの大剣相手に、あれほどの勇士を振るえる人間は他にはいない。ランスロットは一隊の騎士隊長で納まるような器ではないことを改めて思い知った。この男はもっと上に行くべき人間だ。

「大丈夫か、ランスロット」

 返事はないが、ランスロットは確かに頷いた。あれだけ激しい動きをしていれば、いくら訓練を積んでようが無理はないのだろう。必死に跳躍したり、身をよじったり、何度も繰り返し、さらには追い詰められたどん底でもさらに諦めず。

 彼はしばらく安静にしておいたほうがいい。ルウェンはそう思い、次に馬車を操るルセスを見た。この少年は確信を持ってこの通路を選んだ。その言葉にも、瞳にも曇りはない。彼は見たところ九歳か十歳そこらの少年だ。ピーターよりも幼い。それなのに、あの賊の一団を蹴散らしここまで逃げる事が出来た。

 まったく、このユーリンドからやってきた二人はなんという勇士であろうか!

 それから数分が経ち、背後から誰も追ってこない事を確認してルウェンはルセスの馬車を操る座席へ身を乗り出した。ランスロットももう落ち着いているが、苦しそうな表情は消えていない。怪我を負ったのだ。外傷的なものではない、プライドだ。彼はプライドに深い傷を負ったのだ。

 今はそっとしておいた方がいい。ルウェンはルセスに向き直り、彼の持っている手綱を代わりに持って上げた。

「どうやら追手はもうやってこないようだ。君の判断のおかげだな。だが、どうしてこの場所なら安全だと思ったのだ?」

「ランスロット様がいたからです」ルセスは子供らしくない、落ち着いた様子で答えた。

「ランスロットが? いったい、それはどういうことだ」

 するとルセスは困ったように眉を上げて、やがて自身ないように首を振った。それを見て、ルウェンは彼はただ勘に従っただけだと悟り、笑みがこみ上げた。この少年の引きのいい勘に我々は救われたのだ。

「とにかく、礼を言おう。あの馬車で乗り込んでくるタイミングといい、絶妙だった。少し遅れていたら、君の師は真っ二つになっていたかもしれない」

「間に合ったようでよかったです」

 少年は無邪気に笑った。青い瞳がルウェンを映しているのがはっきりとわかった。なんともまあ、不思議な少年だ。金色の髪の毛は、そんじょそこらの貴族が染めているものより美しい。大きい瞳の少年だが、少し見方を変えれば女の子にも見えなくない。だが、その見かけに騙されてはいけない。この子供は、ランスロットのようにこれから先大きな可能性と未来を秘めている。ルウェンはそう直感した。

「ピーター」ルウェンは振り返らず言った。「地図を持ってきてくれ」

 短いピーターの返事が聞こえる。少し経って、ピーターが座席まで飛びだしくるくる巻きにした地図を持ってきた。

「ありがとう」ルウェンは地図を受け取り広げた。そしてネーミヌドから来た道のりを指でなぞり、辺りを見渡し景色を確かめる。「うむ、どうやら、ネーミヌドの領土から離れたようだ。ここから先ずっと街道で、しばらくするとマルチェルダへ着く」

「マルチェルダ…王都マルチェルダですね!」

 少年が嬉しそうに反応するのを聞いて、ルウェンは頷いた。

「うむ。私の主がいる都だ。あそこはまだ賊の影響を受けていない。その領土へ入れば、ここよりずっと安全だ。マルチェルダは初めてか?」

「はいっ。ユーリンドのレヴァン、アーチェルドのマルチェルダは一度行っておきたかった場所なんです。こんな形でも、行けるのはとてもうれしいです」

 ピーターとはえらい違いだ。彼は外れの田舎村で暮らしていて、徴兵されて初めてマルチェルダへやってきたのだが、その時は恐怖で強張っていた。初めて行く土地に慣れないからだろう。この少年はまるで脅えもみせていない。肝が据わっているのか、好奇心旺盛なのか。

「レヴァンへは行ったことがないのか?」

「ええ、まだ…この件が住んだら、ランスロット師匠が連れて行ってくれるそうなんですが」

 ……なに? ルウェンは何か矛盾が生じているような気がして、一瞬返事に戸惑った。

「君はランスロットとともにレヴァンからやってきたのではないのか? 騎士団はレヴァンを中心に集まっていると聞いたのだが」

「知り合ったのは三日前です、将軍」落ち着いた大人の声が背後から聞こえた。ランスロットだ。

 ルセスもルウェンも慌てて振り返り、先ほどまで息を切らし苦しそうに喘いでいた騎士を見た。その時ルウェンは手に持った手綱の方向を間違え、危うくギモリに振り落とされそうになったが何とかバランスを戻し、馬車をそのまままっすぐ進めた。

「ランスロット師匠! もう大丈夫なんですか?」ルウェンは座席から身を乗り出してランスロットのもとまで行った。ランスロットは上体を起こし、壁に背を預けている。

「ああ、心配かけてすまないな、ルセス。それにピーターも。二人とも、助けてくれてありがとう」

 突然名前を出され、ピーターは一瞬戸惑ったが短く「はいっ」と返事すると頭を下げた。ピーターもルセスも見事な働きをしたのは確かだ。ランスロットはそれをちゃんと知っている。やはり、ルウェンの見込んだ男だ。

「元気そうでよかった、ランスロット。君は大切な客でもあるんだ。こんなところで息を詰まらせて死んでもらっちゃ困る」

「そうですね。見苦しい所を見せてしまいました」

「なに、気にするな。さあ、もうすぐでマルチェルダの領土へ入る。そこへ入れば、もう安全だ。だが入る前に、賊の追手が来るかもしれない。君には後ろの見張りをしてもらいたいのだが、どうかね?」

 ランスロットは頷き、返事をする前に振り返って馬車の後方に目を光らせた。「了解です――なっ」

 異変に気付き、ルウェンは振り返る。「どうした!」

「急ぐべきです。あなたの言う、追手がやってきました」

 ルウェンは座席から馬車の後部越しにランスロットの視線が向けられた場所を見た。馬に乗った男が一人、こちらへ向かってものすごい勢いで迫ってきている。よくは見えないが、賊の一人であることは間違いない。

 その後ろに、もう一人賊が現れた。同じく馬を駆り、右手にクロスボウを持っている。距離がまだあるためまだこちらへ向けていないが、距離が縮まるころにはあのクロスボウの引き金を引いてくるだろう。

「る、ルウェン様! 急いで!」叫ぶようにピーターが言った。

 わかってる! だが、馬車で、それも老いた馬一頭と納屋の馬一頭で引いている馬車だ。それに人間が四人もいる。いくら馬が二頭で引こうが、どう見てもあちらの人間を一人ずつ乗せている馬の方が早い。みるみるうちに、馬は距離を縮めてきた。

 今のところ二人しか見えない。こちらに武器はない。ルウェンの武器はランスロットに貸し、先ほどのミホークとの決闘のドサクサで失くしてしまった。ピーターはなぜか腰に剣を挿していないし、もはや逃げる以外に道はない。

「みんな何かに掴まれ! 少々荒っぽい運転になるぞ!」

 ルウェンは馬に鞭打ちさらにスピードを上げようと努力した。が、それもむなしく片方の馬の動きが鈍くなってくる。確かこれはランスロットの馬だ。老いた馬だと思っていたが、まさかここまでとは。ルセスかピーターかはしらないが、こんな馬おいていけばよかったのだ。

 二人の男が馬車を挟む形に広がる。まずい。二人とはいえ囲まれては、どうしようもない。抵抗するために馬車を傾けてどちらか一方に当てるか? いや、そんなことをしては馬車のバランスが崩れ、横転してしまう。ではそうするべきだ。

 ランスロットが座席に乗り出してきた。

「まいったな。たった二人だというのに、絶体絶命の危機に追い込まれてしまった!」そこでルウェンはふと思った。ルセスがあの山道を選んでいたら、もっと深い絶望の淵を味わったのかもしれない。なら、これはマシな方だろう。

「武器もなく、抵抗も出来ない今はただ逃げるしかないでしょう」ランスロットが言った。その声には、この現状にふさわしくない落ち着きがあり、ルウェンは眉をしかめた。ランスロットのこの落ち着きようは異常だ。「まっすぐ突っ切りましょう。敵はボウガンを持っています。当たらぬよう、祈るだけです」

 その通り。正しい結論だ。それを受けて身を縮めるほど、ルウェンは草食的な人間ではない。

「戦うべきだ!」

「剣をぶつけあわせるだけが戦いとは限りませんよ、将軍。すでに戦いは始まっているのです。私たちが逃げ切るか、殺されるかの戦いが」

 なおさらランスロットの落ち着きに納得がいかなくなった。ユーリンドは興奮という言葉を知らないのだろうか。少なくとも、ランスロットからは想像できない。

 二人の賊に馬車が挟まれる数歩前、正面に大きな森が見えた。ルウェンはランスロットを見る。彼も同じ考えを持ったようで、同意するように頷いた。ルウェンはそのまままっすぐ馬を走らせた。賊が追いつく前に、なんとか馬車は森の中へ入る。段差がひどく、入った瞬間車輪が柔らかい土に埋まって大きく沈み、再び浮き上がって馬車を大きく揺らした。

 ピーターのか細い悲鳴が聞こえたが、このさい気にするべきではない。二人の賊も追って森の中へ入ってきた。森に入ったからと言って安全ではない。むしろ、状況によっては最悪の選択になったのかもしれない。馬車よりも、馬一頭の方が確実に小回りが利いて森の中を動き回れるからだ。

 だが森の中の道は木々のおかげで狭く、挟まれるという心配はなかった。

 空気を裂くような音が聞こえた。と同時にルウェンの真横を何かが通り抜ける。ボウガンの矢だ。短い矢はすぐ横の木に深々と突き刺さった。そうだった。敵は飛び道具を持っているのだ。四人は同時に身を低くして、ボウガンの脅威から逃れようとした。次々と矢は放たれ、惜しい所で当て損なう。

 当たらないのは必然だとルウェンは思った。ここは森で、木々の邪魔が入る。それに、自分達が馬車のどの辺にいるか見当もつかないだろう。しかし安全というわけでもない。ここはランスロットの言うように、ただひたすら逃げるしかないのだ。

 森の中心に入った所だろうか。木々の密集率が上がり、道は狭くなっていく。馬車でもかなり際どい幅で、少しでも方向がずれれば木々に打ちのめされたちまち横転して賊に追いつかれてしまうだろう。

 すぐ先に、竜の首を思わせるほど大きくたくましい二つの木々がもつれ合っているのを見つけた。その下はまるで洞窟のような通路を作っており、暗く狭そうだった。木々はコケをはやしている。何百年も人の侵入を許さなかったようだ。

「あの木の間を通りましょう」ランスロットはあの洞窟のような通路を指した。

 ためらって、ルウェンは言うとおりに馬車を進めた。大丈夫だろうか、馬車でも通れる道だろうか。

 木々の通路に入る。馬車は無事だ。どうやら何とかぶつけずにすんだらしい。振り返ると、回り込もうと左右に広がっていた賊が太い木々の通路一本道に気づき、方向転換を始めていた。これで少しだけ時間が稼げる。

 安心してルウェンは息を吐いた。しかしその横でランスロットが首を振る。

「安心できませんね。奴らは応援を呼んだようです」

 振り返ると、賊のいた位置から煙が上がっていた。灰色の薄汚い煙はもくもくと上がり、空の雲と一体にならんとばかりに立ち上ってゆく。あれは賊の狼煙だ。

「忌々しい。奴らのしつこさときたら、鋼の筋金入りだな」

「応援が来る前にこの森を抜けられたらいいのですが…」

 ランスロットが辺りを見渡し、ルウェンもつられて見渡した。どこを見ても、木ばっかりだ。このまままっすぐ進んで、抜けられるか問題だ。だがここで賊に捕まるよりは全然マシだ。

 やがてしばらく走ると、木々の間から光がこちらへ向かって射し込むのを見つけた。その光の先は、自由な青い大空が浮かんでいる。森の散歩が怖くてたまらなかったピーターが喜んで身を座席に乗り出した。

「出口だ! ルウェン様、出られますよ!」

 ルセスも顔を出す。一番幼いが、この中では一番冷静だったのかもしれない。

「この先は、どこへ出るのでしょう?」

「私にもわからん」ルウェンは答えた。「戻っていない事を祈ろう」

 ここへ来るまで何度も方向を変えてきた。森の中をやみくもに走るのはとてもよくないが、賊から逃げる為には致し方ない。

 馬車は森を抜け、大きな平地に出た。森はとても大きなものらしく、平地の周りは森しかなかった。が、もうすでに抜けたのだとルウェンは確信を持って喜んだ。

「もう安心だ」

「安心? 賊はまだ近くにいるのかもしれないのですよ?」ルセスが言った。

「そうだとしても、ここは安全な場所だ。見たまえ!」

 ルウェンは平地のずっと先に手を向けた。広大な平地が広がるなか、その奥には大きな山が見える。その隣にも山。そしてまたその隣にも山。それから森が連なり、円状に広がって自分達が出てきた森へ繋がっている。だがルウェンの示したのはそれではなく、ぽつんと立った建物だった。いや、よく見るとあれは都だ。灰色の建物がいくつも密集して一つの建物に見えたのだ。

 外壁で覆われ、複雑に建物が入り乱れ、人々の賑わいがここまで響いてきそうな活気を感じる。

 ルセスはルウェンを見上げた。

「あれはなんです?」

「我が主の住む家、王都マルチェルダだ」ルウェンは誇らしげに胸を張った。

 突然少年の顔が輝いた。「マルチェルダですって!」

「となると、ここはもうマルチェルダの領土で、賊は侵入できないということですね」隣のランスロットはルウェンを見た。その目にはルセスと同じように希望の輝きがある。

「うむ。さすがに奴らでもここまで侵入はできはしまい。各勢力の力は衰えていても、ここは最後まで健在だ」

 広大な大地はよく見ると、森と山で囲まれた天然の要塞であった。円状に広がる草原はどこまでも見渡すことができ、その中心にたたずむ王都は威厳を見せている。なるほど、確かにここなら敵の侵入がはっきりわかるし、距離もあって対応ができる。この場所は王都に相応しい隔離された空間だ。

 無邪気に喜んでいるルセスを見て、ルウェンは頷いた。この少年のおかげでここまで戻ってこれた。彼の判断がなければ、あの山道を選び賊に捕まっていただろう。

「ランスロット、王都に戻ったらすぐに王へお会いできるよう手配しよう」

 ランスロットは一礼した。「助かります」




 狼煙の上がった先を見てミホークは悪態をついて馬を止めた。ランスロットは街道を通ったのだ。まんまと逃げられてしまった。あの先はマルチェルダがある。まだ今の戦力ではマルチェルダを落とすことができない。すなわち、近づく事もかなわない。

 森から二人の賊が駈け出てきて、ミホークはその二人の到着を待った。かなり必死に追いかけていたようで、装備が乱れ汚らしい汗でさらに汚らし顔になっている。

「逃げられたな」ミホークは冷たく言った。

「すいやせん、お頭。この森のなかだと追跡もままならなくって…」

「いや、構わん」にやりとミホークは笑う。その笑みを見て賊は身を縮めていた。「俺がランスロットを一騎打ちで圧倒したのは事実だ。いいか、この知らせを他の連中達に広めろ。そうすれば、この国はさらに落ちやすくなる。どん底まで陥れるのだ」
 ミホークの笑みはやがて歪み始めた。その姿に畏怖を覚え、散々悪事を働いてきた賊でさえ震えあがりそうになった。




 レヴァンほどではないが、王都マルチェルダは立派な外壁で守られた都だった。平原の規模から見たら小さく見えるが、実際マルチェルダの広さときたらレヴァンに近いものがある。地形、位置からみても、賊はここまでやってくることがないのは目に見てわかる。ランスロットとルセスはそのマルチェルダの姿に感銘を覚えていた。

 長い時間をかけてようやくマルチェルダの門まで到着すると、兵士が一人二メートルはある槍を構えたまま近づいてきた。

「そこの者、止まれ。その馬車はネーミヌドのものだな。名を名乗れ」
兵士はきびきびと動いて油断なく間合いを詰めてきた。ルウェンは身を乗り出して馬車から降りると、兵士が気づき慌てて姿勢をただした。

「これはルウェンどの! よくぞお戻りになられました。ネーミヌドの方から上がる煙以外に知らせるものがなく、皆ネーミヌドが落ちたものとばかり思っていました」

「ああ、その見解は正しい」ルウェンは悔しそうに言った。「ネーミヌドは賊の連中に制圧された。生き残ったのは私達だけ。残る勢力はたったの二つだ」

 兵士の顔が絶望で驚愕した。だが彼も数多の修羅場をくぐってきたのであろう、すぐに平常心を取り戻し、冷静になった。それから馬車から降りたランスロットとルセスに気づき、二人に視線を注いだ。

「この者達は?」

「この国にとって大切な客人だ。彼らのおかげで、私とピーターはここまで逃げ延びる事が出来た。騎士の方がランスロット、子供のほうはその弟子のルセスだ」

 ルセスとランスロットは同時に頭を下げた。兵士も頭を下げ、挨拶をすませる。ピーターが馬車から転ぶように降りてきて、危うく頭で着地しかけたがなんとか転がって背中を打つだけにすんだ。

 そんな様子を見て、兵士は呆れたようにため息を吐いたが、すぐにルウェンに向き直った。

「あなたが無事でよかった。王も喜ばれるはずです」

「ネーミヌドが落ちた事については喜ぶべき事態じゃない。それに、多くの兵士を失った。一刻も早くこの状態を打破する必要がある。王はどこにおられるのだ。王と話がある」

「それが、アイゼル国王は…」

「どうかしたのか?」兵士の暗い声を聞いて、ルウェンは眉をしかめた。「陛下に何かがあったのだな?」

 兵士は率直に言った。

「メーズリ様がお亡くなりになられたのです」

「なに!」ルウェンは驚きのあまり体が硬直した。その額にはどっと汗が噴き出している。「どういうことだ!」

「一昨日の晩に峠を迎えて、そのまま…」

 ルセスが誰の事かわからず難しそうな顔をしてランスロットを見た。ランスロットも、この事態に驚き目を見張っていた。メーズリ様と言えば、アーチェルドの女王、王アイゼルの妻だ。女王が死んだ? いったいどうして?

 悔やみきれない面持ちでルウェンはランスロットに振り返った。

「すまない、ランスロット。事情が変わってしまった。できればすぐに陛下と話せる時間を設けたいところだが、そうもいかなくなったのだ。今日一日はこのマルチェルダで待機してくれないか?」

 ランスロットは事態を把握して頷いた。

「承知しました」

「セイド、ランスロット達の寝床を用意してやってくれ。私はすぐに陛下のもとへ向かう」

 言い切る前にルウェンは踵を返してマルチェルダの城門をくぐり、その先の建物や人々の入り乱れる広場へと消えていった。セイドと呼ばれた兵士も短い返事を返し、ランスロット達を手招きした。

「こちらです」

「ぼ、ぼくは…?」

 忘れていた。心配そうなピーターの声が聞こえて、ランスロットはこの少年の存在を思い出したのだ。

 ピーターは口をもどかしそうに動かして、言うべきかためらっているように見えた。

「ピーター、君にはまだ礼を言ってなかったね。ありがとう。君のおかげで私もルウェンどのも助かった」

「いえ、でもその…」

「どうかしたのかね?」

「ピーターはここからかなり離れた場所に住んでいるんですよ」ルセスがランスロットの手を引いて言った。「帰る場所がないんです」

 顔を赤らめてピーターが頷く。どうやら彼もここへ来た事がないらしい。まだまだ青い少年だ。それに徴兵されて兵士となったのだから、世間について知らなくても無理はない。

 こんな少年をここへ置き去りにするのも酷だろう。

「わかった。一緒に行こう、ピーター」

 ピーターは明るい顔で見上げた。「はいっ!」




 セイドは申し分ない宿舎を用意してくれた。温かい寝床に食事。ここ数日の旅では一番豪華な待遇だ。ルセスはしきりに話しかけてくるピーターの声に耳を傾けながら、久しぶりにゆっくりとした空間を満喫していた。

 疲れはあまり感じなかった。ピーターは大分疲れ切った様子だが、ずっと一人だった為、ルセスという友達を得た今彼は気分が高揚してとにかく話しをやめようとはしなかった。

 ピーターは中々面白い話をしていくれる。まず、これまでネーミヌドの戦いについてや、自分の生い立ちについてなど。ネーミヌドの戦いはひどかったらしく、ことごとく騎士たちは敗れあっというまに制圧されてしまった悲劇は胸に迫った。それに彼の生い立ちにも興味をひかれた。

 アーチェルドの父とユーリンドの母の血を引いているらしい。幼いころはユーリンドで暮していたが、父親のほうへ引き取られアーチェルドに住むようになったらしい。

 ルセスも父親を失っている。ピーターの気持ちは痛いほどわかった。彼は平気だと言っているが、本心ではユーリンドの母に会いたいと思っているのだ。母が恋しくてたまらないはずだ。ピーターの心は自分と同じ境遇にあるため、容易に読めた。

“読めた”というのが正しいのだろうか。それとも“感じた”というべきなのだろうか。ルセスはピーターの話の下りで、彼が恋しがっている対象が母であるのを感じた。それも確実だという自身がある。

 その一瞬、馬車を操っていた時に目のあった恐ろしい大きな剣を抱えた男の事を思い出した。黒髪、大剣、おびただしいほどの血が男をまとっているように見えた。あの眼。何者も侵入を許さない強固な眼。ルセスはそんな彼から、一瞬の思考を感じた。

 あの男の瞳を通し、自分の瞳から直接脳へ――彼は馬車にランスロットが乗ったのを見た。ランスロットの行くべき道を一瞬で予測した。それを感じた。

 ルセスは自分の力について考えるようになった。相手の瞳から映し出されるあらゆる情報を取り込むこの力を。幼い頃は瞳を通して色が見えるだけだった。赤い色、青い色、緑色、黄色、桃色、他にもさまざまな色が見え、それは一つ一つに意味があるのだと理解した時だ。

 シャスが殺され、しばらく林を放浪している間にルセスの中で何かが不規則に変わってきた。それからようやく見つけた村で初めてであった人と目が合った時、その人物のこれまで生きた記憶がすべて頭になだれ込んできた。男は昔賊の一員で、いっぱい悪い事をしてきた。それだけではない。彼には兄弟がいたこと、父に捨てられたこと、騎士に憧れていたこと、もっともっと、覚えられないくらいの事が一瞬で瞳を通して入り込んできたのだ。

 あまりの量にルセスは気を失い、即答してしまった。目を覚ました時に診療所のベッドで、記憶をたどって目にした記憶の数々を口にしてしまった。それを聞いた村人達は自分を気味悪がり、世話してくれる農夫のザペットが見つかるまで孤独であった。

 それからも、人と目を合わせるたびに何かとその人物の過去の記憶が瞳を通して読みとれた。まったく意識もしていないというのに、瞳を合わせただけで。一時期頭が壊れそうになった。だから彼は人気のある場所を避け、農夫に引き取られた後でも人との接触をこばんだ。

 しかし次第に時が経ち、歳が一年、また一年と重ねられるにつれそれは消えていった。つまり、人と目を合わせただけで記憶を読み取らなくなった。だけど、油断しているとまた同じように目を合わせた人物の記憶や思考を読んでしまう。ルセスは成長するごとに制御が利くようになるのを知った。それと同時に、その規則性も学んできた。

 一つは相手が自分の事を“下”に見ている事だ。つまり、ルセスの事を甘く見ている者が対象となる。もう一つは、その人物に強い興味を持つことだ。興味は集中した意識の中でスイッチとなり、いつの間にか瞳は瞳を通してその人物を“読んでしまう”。

 ミホークの思考もそれで“読んだ”。ランスロットの目的もそれで“読んだ”。賊だった男のすべても“読んだ”。ピーターの母への恋しさも“読んだ”。時にはそれが力になるが、それ以外は全てが負担となって幼い体にのしかかる。

 それにこれは相性というものが存在する。これの原理こそわからないが、その相性によって消費する体力がまるで違う。かなりの情報を取り込んで、少し走った時のような疲労感の時もあれば、一日中鞭を打たれて走らされたかのような激しい体力の消耗がある。

 ランスロットの時は最悪だった。ひょんなことでこの瞳の力が発揮されたが、ほんの数日の記憶を取り込んだだけで全身の筋肉がそっくり無くなったかのように力が抜け、心臓が破裂しそうなほど激しい息切れが迫ってきた。あれほどの抵抗は生まれて初めてかもしれない。

 ミホークはほんの一瞬にしても、かなり相性がよかったと見える。今でも頭は冴え、疲れを感じていないからだ。おかげで遠慮なく馬車を走らせることができた。

 この力の事は誰にも話していない。話すとどうなるか知っていたからだ。ランスロットにも話す気はない。こんな不気味な力の事など……。

 ルセスはピーターを見て微笑んだ。この少年は、純粋な気持ちで溢れている。ルセスもまだまだ無邪気で純粋なのだが、少年の心はそれより澄み切っているようだ。

 ルウェンの有名な冒険話を熱心に聞くのは子供のルセスにとってこれほど夢中になるものはなかった。いろんな土地で繰り広げられる彼の活劇。ルウェンはユーリンドでも小話にでるほどの有名人物で、ルセスもいくつか話しを聞いていた。

 だがピーターは直接本人から聞いている。彼の話はどれも新鮮で興奮を誘う。熱心に聞くルセスを見てピーターは気をよくし、さらに話を続けていた。ランスロットはもう疲れを癒すために就寝してしまったが、ルセスとピーターの部屋はその晩ずっと明かりがついていた。



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