大泥棒の路地裏

大泥棒の路地裏

第十章


「幸運の短剣」


「ほら、あれを見てごらん」

 セイドの言葉通りにルセスは城の屋根を見上げた。セイドは若いわりに、歴戦の戦士のようにがっしりとしており、鎧で着痩せしてはいるが、腕を上げた時に袖がめくれ、たくましい腕をあらわにしていた。

 天井には滲んだ茶色い旗が風に波打っている。あまりにも離れているため、旗に紋章が描いてあるがはっきりとは見えなかった。しかし、旗の支柱となっている金色の棒の先端は鋭く輝いており、それが何なのかを教えてくれた。

「アーチェルドの金色槍!」ルセスは興奮して叫んだ。

 感心してセイドは目をキラキラ輝かせる少年を見下ろす。

「ほう、あれを知っているのかい?」

「はい。昨日の夜、ピーターが教えてくれました。アーチェルドの初めの国王の槍で、八百年経った今でも錆び一つ見せないで輝き続けているって!」

「そうだ」セイドは城の屋根をもう一度見上げた。球状の屋根が規則正しく並び、左右対称の屋根の中心に立てかけられ、まるで天を貫かんばかりに伸びる金色槍の穂先は、雨上がりの日射しで鋭い光を反射している。「金色槍はアーチェルドを常に見守り、アーチェルドの危機を貫く光を放つのだ。あの光が途絶えない限り、アーチェルドは不滅だ」

 少年は金色槍を見上げて、じっとはためく旗を見ている。

「あの旗には何が描かれているのですか?」

「初代のアーチェルドの旗だ。槍と同じく、旗も初代の国王のものだ。戦場では、あの旗は敵の矢を防ぎ、主を守り続けたそうだ」

 守りと攻めを同時に秘めた伝説の槍。今では高らかとアーチェルドの一番高い場所ですべてを見下ろしている。

 ランスロットが国王と城へ入り、約一時間が経過した。ルセスは城の外に残り、セイドからアーチェルドの歴史や伝統について学んでいた。少年が一人城の外で待たされるのはかわいそうだと思い、気を紛らわせようとセイドが話しかけたわけだが、見た目に反して少年は好奇心旺盛で国の事などについて質問を浴びせてきたのだ。と言っても、今度は説明するセイドも熱が入り、今では二人とも熱心にアーチェルドの文化について話をしているのわけだが。

 城の分厚く硬い木製の大門が開き、大きくきしむ音と石を削る音が響いた。扉は鎖の仕掛けにより整った速さでゆっくり開いていく。話に夢中になっていたセイドもルセスも大門が開くのを黙って見守っていた。

 大門が開き、奥から人影が二つ見える。ルセスは人影をみただけでそれが誰だかわかっていた。

「ランスロット師匠!」

 少年は嬉しそうに駆け寄る。ランスロットが大門から出てきて、それに続いてルウェン将軍が城を出てくる。

 二人の足とりは重く、二人の間に漂っていた空気もどんよりとしていた。最初は気づかなかったルセスも、ランスロットのもとへ走りより気づく。

「同盟はどうでした? アーチェルドはどうなるんです?」

 ランスロットは深く息を吸い、少年を見下ろした。しかし言葉を出さず、考え事をするような表情でいる。

「何かあったんですね?」少年の顔はくもり、不安に目がよどむ。

「将軍?」セイドはルウェンを見た。彼もまた、ランスロット同様難しい表情をしている。

「これから忙しくなるぞ、セイド」ルウェンは重い口調で言った。「我々とアーチェルドの存続をかけた、歴史上もっとも激しい戦いが始まるかもしれん」

 彼の言葉を聞いて、ルセスの表情はさらに曇った。

「どういうことです?」

「ルセス、これから私はアーチェルドに協力して、この国の再建に力を貸すつもりだ。君は先にユーリンドに戻ってくれ」

 ルセスの顔は落胆でさらに曇った。

 首を振ってランスロットは子供を落ち着かせる母親のように穏やかで優しい声になった。「ルセス、君も知っているだろう? ここは危険だ。昨日のように、命をしつこく狙われる事もめずらしいものじゃなくなる。私はそこへ自ら飛びこむことになるのだ。命の保証なんてできない。だから君を連れていくわけにはいかないんだ」

「でも……」

「私でも君の命の保証はできない。それに、本来なら君がここにきてはいけないんだ」ルセスの反論を阻止するようにランスロットは口調を強めて言った。

 ついに少年は口をつぐんで言葉を出せずにうつむいた。セイドは少年のこの姿が哀れっぽくて見ていられなかった。ランスロットは厳しくルセスが何も言わないよう神経を張っている。よほどのことなのだろう、ルウェン将軍がこれから行うことは。

「将軍、これからどうするのです?」

 ルウェンは石像を思わせる重い表情のままだ。現に彼の石像がここから遠く離れた町に立てられているそうだが、多分その石像もこんな表情をしているのだろう。

「セイド、君はなかなか口が達者であったな?」

 何を突然言い出すのやら、ルウェンの質問はセイドの意表を突き、たじろがせた。

「どうしたのです、突然?」

「ちょうど今交渉に向いている人間を探している所なんだ。君は口がとてもうまいし、物事を冷静に判断できて、自立心もある」

 交渉? 嫌な予感がセイドの頭を過った。似たような体験を昔した覚えがある。それも、ルウェンの命でだ。あれは確か、都で大掛かりな工事を行う時だ。どうしても人手が足らず、南の里ボービードに使者として送られ、応援を頼まされた時だ。道は険しく、そしてようやくたどり着いたが交渉は失敗に終わり、なぜか里の人々に追いかけられることになってしまった。

 馬を失い、食料も尽き、諦めかけていたときにルウェンが来てくれて助かったものだ。もう二度とあんな体験はご免だ。寒さで肌は焼け、視力は低下し、いまでも後遺症で体の一部が時たまに鈍くなる。

 念のために、セイドは何が目的で、誰が相手なのかを聞くことにした。

「その…それで、私が交渉する使者として認められるのは光栄ですが、どこへ行けばいいのですか?」

 この時ルウェンが一瞬苦い顔をしたのを見逃さなかった。「君には南の里へ向かってもらう」

 嫌な思い出が突然鮮明に蘇る。セイドの直感は嫌な方向へ向かってきた。

「そこでセイド、君に里の長と交渉してもらい、ある条約を結んでもらおう」

 条約――少なくとも、前の一件より過酷なのは確かだろう。あの里の長は頑固で人の話を聞かないので有名だ。前回もそれで大分苦戦をして、結果怒らせてしまった。その上条約を結ぶ? 一度交渉を試みた同じ相手で? セイドは不思議と笑いがこみあげてしまいそうになって、顔をゆがませた。

「…どのような条約ですか?」

「王都マルチェルダとの統一――つまり、また一つになるということだ。四つの勢力をまた一つに集めるという、な」

 なるほど。これだけでセイドはこの国が作った対策を想像した。つまり、一つにすることで紛争をなくし、協力することによって食料難と賊に対応する。となると、今自分が命じられているものは国の歴史を変える偉大なものとなるのだろう。

 やりがいがある。しかし前の失敗と後遺症は、その気分を萎えさせる。唐突に、じわじわと。まるで背中でナメクジが張っているような気分だ。

 不敵にセイドは笑いがこみ上げるのを感じた。国を動かす大役に自分も参加する。その使命感と責任感で表情が揺らいだのか、それとも恐怖により笑ってしまったのか、どちらかもわからぬがセイドは笑いをこらえていた。




 宮廷は夜中になると静まりかえり、大理石の床が月の光を反射してやわらかい光で辺りを満たしていた。雨上がりの夜空には星が見えていた。大小さまざまな星が、宝石をちりばめた貴族の悪趣味なドレスの何百倍も綺麗な光を放っている。

 ルウェンとランスロットはアーチェルドを包む星空を眺めていた。男二人で、こんな時間にこうして星を見上げるような――なんというか、気持ち悪い状況ではあるが、涼しい風は気分を大分楽にしてくれた。

「君には感謝してるよ、ランスロット」ルウェンは振り向きざまにランスロットに言った。「君のおかげで、陛下は正気を取り戻した。我が王は戻られた。おかげでわたしはアーチェルドに貢献することができるようになった」

「礼には及びません」ランスロットは旅人の服装から礼儀正しい整った制服で、彼の気品の満ちた雰囲気で、どこからどう見ても上流の貴族にしか見えなかった。「私も、ユーリンドの為に動いたにすぎません」

 こうして二日ほど彼と一緒にいるが、ルウェンはまだランスロットの考えていることがわからずにいた。彼は常に落ち着いて、知性を感じる光を目にたたえていて、表情もまるで変わらない。しかし、忠誠心が高く強い志を持っているのは確かだ。それでいて騎士道に通じて律儀で、正義がある。

 散々、アーチェルドを代表する騎士の一人として名も知れ渡っていたルウェンだが、それ以上の存在を垣間見ている気がした。ルウェンですら、彼を尊敬のまなざしでみるほどまでに。

「明日には君もベリグへ発つのだろう。だが、私は反対だ。第一あそこはもともと山賊の集まりのような場所だ。野蛮で、アーチェルドに相応しくない飢えた獣のような連中しかおらん。マルチェルダから離れて逆によかったと思っているくらいだ。それに連中ももとは賊のはしくれ。今ミホークの賊達と組んでいても、なんら不思議ではない。つまり、あそこほど危険で行くに値しない場所は他にはないということだ」

「たとえそうだとしても、もとは一つだった四大勢力です。アーチェルドの民というのであれば、そして誰も行きたがらないのなら、私が行くまでです」

 ルウェンはつい笑ってしまった。「君を説得する言葉を私は持ってないようだ」しかしある事を思い出し、顔をしかめてしまった。「本当に行くのか?」

「ええ、もう決めた事です」

 ランスロットは真っ直ぐな男だ。一度決めた事は絶対に曲げないだろう。それはわかっている。

「あのベリグはロイモンという首領が統治している。森の民はこの男の支配を受け、指示に従う。野蛮で卑劣な賊だ」

 彼はこの言葉に妙なニュアンスを読み取ったのか、見守るような目でルウェンを見てきた。ルウェンは言葉に詰まり、しばらく喉が熱くなるのを感じた。言葉に詰まると言う事は、本当に喉で言葉がつまり首を拘束しているのだと考えたくらいだ。

「……私の兄だ」ようやく押し出した声でルウェンはそうランスロットに告げた。「私の兄は私と同じく騎士に憧れていた。私も兄も平民出だ。かなわぬ夢だとわかっておりながらも、毎日剣の稽古をやってきたものだ。そしてチャンスが巡る巡る周り、私は念願の騎士になりアーチェルドと王に忠誠を誓った。

 ――しかし兄は、ロイモンは騎士になれなかった。それから彼はベリグの賊を制圧し、手柄を立てて騎士になろうと考え……なぜかマルチェルダを捨てた賊の首領にまでなってしまった。笑える話だ。奴はマルチェルダを捨て、ベリグを選んだのだ。賊の集まり、野蛮な連中のもとへ行った」

 兄の事を蒸し返すと腹立たしくなる。なぜマルチェルダではなくベリグを選び、騎士を侮辱するような選択をしたのかと。

「ですがあなたはまだ兄を愛しておられるのですね?」ランスロットは穏やかに言った。

 ルウェンは口を開いて何かを言おうとしたが、何を言おうとしたか忘れてしまった。そして、この言葉になにも言い返せなくなった。最後に見た兄の顔を思い浮かべると、それが最後の肉親であり兄である愛おしさまで生まれてきそうになる。彼は首を振ったが、肩にも首にも力は入らず動いたとも認識できないほどしか動けなかった。

「お任せください、ルウェンどの。必ず、あなたの兄ロイモンを無事救出することを誓いましょう」

「馬鹿げておる」ルウェンは力ない声で言った。「奴は死んだか、ミホークの賊と組んでいるに違いない。もとから屈強はしない男だ。ミホークと組むことはほぼありえないことだ。となると、きっと戦い賊なりの名誉ある死を遂げたのだろう」

「あなたの兄なら、生きているはずです」彼の声は変わらず、暗闇のように落ち着いている。しかしその声には確かな光がある。

 ルウェンは一瞬、救われた気持ちになった。胸が清々しくなる。ランスロットは本当に正直な男だ。ルウェンのランスロットへの尊敬の念は確信へと変わった。

「……兄を、頼む。ランスロット」

「お任せあれ、将軍」ランスロットはまじめな顔になったと思うと、不思議な笑みで口角をわかるかわからないくらい広げた。

「明日には発つのだろう? ベリグはさすがに一人では危険過ぎる場所だ。何か必要なものがあれば、なんでも用意しよう。馬でも、食料でも、兵でもな」

「では一つ……いえ、二つほど用意してもらいたいものがあります」

「うむ、すぐに用意する」

「鍛冶屋は開いていますか?」




 宿屋でろうそくを消し、ルセスは眠りについた。夢の中で、また父の輪郭が浮かんだ。酒好きのシャスだ。シャスは振り返りルセスに笑いかけ、林の中を走って行った。ルセスもそれを追ってついていく。

 木の葉に隠れた、地面に深く沈んだ岩の先端につまずき、ルセスはシャスの姿を見失った。彼はシャスの姿を探した。ほんの数分で彼は見つかった。丁度、大きな男数人と争っている所だ。シャスは剣や斧を持った大男に追い詰められ……抵抗する前に胸を剣で貫かれた。ルセスは大声で悲鳴を上げたが、賊には聞こえていないようで彼らはどこかへ行ってしまった。

「父さん! 父さん!」

 少年はシャスへ駆け寄る。シャスは口から血を垂れ流し、開いた無力の瞳は空を見上げている。その瞳にはルセスの姿は映っていなかった。

 彼がもう死んでいることはわかっていた。ルセスは泣きながら村へ戻り、もともと自分とシャスの家だったはずの場所に山積みにされた瓦礫に横たわった。体中の水分を全て流してしまうのではないかと思うほどの涙があふれる。

 泣くルセスの視界が突然暗くなった。まるで目の前に人が来て、その人影が自分を覆っているような。

 その通りだ。正面には人がいて、その人影がルセスを包んでいた。

 少年の前に、一人の男が立っていた。男はぼろぼろのシャツの懐から細長い長方形の金属質のお守りのような物を取り出し、嬉しそうな顔をしてルセスに渡した。

「きっと君の家族のものだ。もしくは、君のものだ」

 ルセスは受け取り、それを眺めた。そしてそれを渡してくれた人物を見上げる。「ありがとう…父さん」

 夢の中のシャスは穏やかな顔をしている。いつも眠った時に、寝顔を見守るような安心する穏やかな顔だ。

「ルセス、お前はなぜこんな危険な所までやってきたのだ? 私の仇討か?」

 違う、違うよ父さん。僕はそんなんじゃない。口を開いた瞬間、扉を開くきいいい、とした音が耳に響き、ルセスは意識を取り戻した。そしてこれが夢だということを今はっきり認識した。



「もう寝たのか、ルセス?」ランスロットは真っ暗になった宿の部屋を見渡して囁くように言った。あれからルセスを宿に残してかなり時間をとってしまった。食事をとらせ、セイドとしばらく行動したそうだが、あの一件から彼とは顔を合わさなかった。

 最後に見たルセスの表情を思い出した。落ち込んで、マルチェルダの民と変わらない絶望のまなざしになった表情の少年。賢い不思議な少年で、今ではもう信頼しきっている。この少年もそうなのだろう。

 ランスロットはルセスが眠っているベッドに腰掛け、彼の寝顔を見た。幼い子供むき出しの表情で、無防備に寝ている。驚くほど冷静で、臨機応変なこの少年でも寝顔だけはその年齢にあっている。白い肌に大きな目を閉じ、長い金色の綺麗な髪を流している彼の顔はまるで女の子だ。ちらっとランスロットはそう思った。

 この少年には強い才能がある。英雄としての才能が。勇敢で、全てを見透かすことのできる洞察力もある。もしベリグにまで着いてこようとものなら、残念なことにランスロットには彼を守り抜く自身はない。

 だから絶対、明日出立するベリグへ彼を連れていく事はできない。彼をユーリンドに送り、騎士の訓練を積ませる。彼はきっとユーリンドの大きな存在となるだろう。

 少年の寝顔を見守るうちに、そんな期待を強く寄せている自分がばからしくなった。

 この子は純粋なのだ。無垢な子供。この時代にいては、嫌でも汚れてしまうというのに、ルセスはまだ純白そのもの。幼い子供にすぎない。そんな少年に何を期待しているのだろう。

 穏やかな寝息を立てる少年は寝返りを打ち、ランスロットと反対の方向へ向いてしまった。

 やっぱり、この少年を危険にさらす事はできない。このままマルチェルダへとどまらせるか、ユーリンドに送らせるか、だ。




 翌朝、ランスロットは国王アイゼルに呼ばれ、彼と墓地で二人っきりになった。アイゼルは湿った土の敷いてあるメーズリ王妃の墓標の前で腰かけていた。そのまなざしは、メーズリの眠る地面の下へ向けられている。

「…余は間違っておった。しきりに振りかかるこの国の問題に押しつぶされ、複雑に絡まり、混乱が混沌に変わる様から逃れるため、何もかも投げ出してしまった。結果、彼女を苦しませ、アーチェルドをむしばんだ」

「すぐに取り戻す事ができます、陛下」ランスロットは国王に歩み寄る。

「失った代償は大き過ぎる……余の代で全てを償うことはできぬかもしれん」

「できますとも」ユーリンドの騎士の手が国王の手を持つ。温かい大きな手だ。「アーチェルドの戦士は、あなたのために立ちあがってくれるでしょう」

 そうであると信じたい。そして、彼らの願いが叶う事を祈る。アイゼルはメーズリの墓標に目を落とし、彼女の生前の姿を思い浮かべた。

 美しく、母親のように強い母性を持った彼女の愛らし笑顔を思い出す。アイゼルは彼女の事をあまり理解できていなかったのかもしれない。しかし愛すべきメーズリは、アイゼルについてなんでもわかっているようだった。

 彼女の墓は、王族の墓地の一番端――それも、城の影が一日のほぼ全部振りかかり包むほど質素で目立たない場所に作られていた。これは彼女の要望だったという。

「彼女は昔から、余が涙もろいのを知っていたのかもしれんな」彼はランスロットに振り返った。目頭が熱くなるのを感じる。「余が涙を流す事も知っていたのだろう。彼女を失い、悲しみに涙を流す事を知っているだろう。だから、人目につかないここを選んだのだ。最後まで、他人を――救いようのない、余を想って逝ったのだ」

「ご自分を責めてはなりません、陛下。あなたのせいではないのです」

「愛すべき人の最期をみとれなんだ」強い力のこもった目がランスロットに向かれる。「妻の容体をわかっていながら、呆けていた。狂っていた! 王が妻の最期に立ち会わぬなど、あってはならぬ……死んでから彼女の優しさを感じるなど、あってはならぬ…」

 王は黙ってうつむき、小刻みに肩を震わせていた。透明のしずくが顎を伝って落ち、メーズリ王妃の墓標を濡らした。

「うっうっうっ……」


 出立の時が来た。ルウェンはランスロットに信頼できる精鋭の兵士を二十人も託してくれた。最初はランスロットも反対した。これでは戦だ、と。しかし、ベリグの状況がわからない以上、単独で行くのは自殺行為に近い。ルウェンの説得もあり、承諾させることはできた。

 それからランスロットは奇妙な事を頼んできた。鍛冶屋に、これと同じものを作らせてほしいということで、剣の描かれた羊皮紙を一枚渡された。ルウェンはその描かれた剣に見覚えがまるでなかった。

 細長い刀身で、先は鋭く尖っており、よく見ると刃がない。刀身の刃部分はほとんどが丸まっており、とても何かが切れるようなものには見えない。それどころか、アーチェルドの剣と比べて幅が半分しかなく、剣で何かを防ぐと折れてしまいそうだ。

 ランスロットはこれと全く一緒のものを二本作ってほしいと言っていた。ルウェンは急いで鍛冶屋に駆けつけ、主人を叩き起こしこの細い剣を作らせた。マルチェルダ一の鍛冶屋だ。出来栄えもかなりのもの。朝に鍛冶屋に取りに行くと、見事な仕上がりをみせてくれた。ルウェンはさっそくそれをランスロットへ渡した。

 剣を受け取り、鞘から引き抜いてその出来栄えを確認する。二本の刃を交互に見、感心したように目を輝かせた。

「素晴らしい出来栄えです、ルウェンどの。感謝します」

「感謝なら鍛冶屋の主人にするのだな、ランスロット」ルウェンは寝不足になった鍛冶屋の主人の顔を思い出した。かなり疲れきっているようだ。慣れないユーリンドの剣を作らせたせいだろう。

 二本の細剣を振り、それから一本を鞘に収める。もう一本をまじまじと見た後、さまざまな角度で構えて鞘に戻した。

「二本とも同じ重さ。加えてかなり上質な鉄鉱石を使ったようですね。とても扱いやすい…」

「ランスロット、あー…こういう質問はおかしいだろうが、その剣はいったいなんなのだ? 初めてみる剣だ。ユーリンドは皆、そんな剣を使うのかね?」

「いえ、これは私個人が使っている剣です。スティレットと呼ばれています。最も、私のはかなり長めに作ってありますがね」鞘に収まった二本のスティレットをまとめて腰に射す。先端が地面すれすれで、少しかがんだだけで刺してしまいそうだ。

「ユーリンドはおかしな国なのだな」ルウェンは笑った。

「かもしれませんね」ランスロットも笑った。

 出立の準備をする兵たちの中、その大きく群衆から外れた場所でルセスが立っているのが見えた。

「本当に、彼は連れて行かないのか?」ルウェンはルセスを指した。ランスロットの背中のほうにいる。

「子供が行くには厳しい道です。連れていくわけにはいきません」ランスロットは振り返りもせずきっぱりと言った。

 おどおどとして、暗い表情を浮かべるルセスを見て、ルウェンは哀れっぽく思った。彼はランスロットと共に行きたいと思っている。勿論ランスロットもわかっているはずだ。確かにルセスには危険過ぎるし、かえって足手まといになりかねない。ルセスに命を救われたことを考慮しても、だ。この件については、あまり触れない方がいいのかもしれない。

「私も明後日には西のモネルダへ交渉に向かうつもりだ。あそこは賊からもかなり離れた場所だ。それに、マルチェルダとも友好的だった。昔から、戦とあれば手を貸してくれた場所でもある」

「では共に、成功を祈りましょう」ランスロットはそう簡潔に言い、振り返って準備を整えた兵士達に目を配った。「準備ができ次第すぐに出発だ!」

「僕も…」ルセスはか細い、今にも途切れるような声で言った。「僕も行きます」

「駄目だ。子供のお前ではな」

「僕だって戦えます!」ルセスは声を張り上げて言った。しかし、手には支度を整えたよれよれの背荷物の紐を握っているだけで、武器になりそうなものはなかった。仮にあったとしても、ランスロットの意見は変わらないだろう。

「ベリグは危険な場所だ。お前がいては危険だし、お前も危険なはずだ。わかるね、ルセス?」

「わかりません」ルセスは自分の師をまっすぐ見上げた。うるんだ瞳からは今にも涙がこぼれそうだ。しかし、強情な強い光をたたえている。

「絶対に駄目、だ」ランスロットも負けずに言った。

「あなたは言いました、ランスロット師匠。ここでは教える事はできないから、何を学ぶべきかあなたを見て学べ、と。僕はあなたのそばでそれを見る必要があるはずです」

「今回はその時ではない、ルセス。今は非常事態だ」

「いつからです?」

 一瞬たじろいでランスロットは言葉を返した。「なに?」

「いつから、あなたの言う緊急事態が来たのですか? アーチェルドへ来てからですか? それとも、賊に囲まれてからですか? 僕と会うずっと前からですか?」

「私がここに使者として行くことになるずっと前からだ」

「ではいつだって非常事態です!」子供っぽい涙ぐんだ声でルセスは叫んだ。

 再びランスロットはたじろぐ。どうやら、この少年を丸めこめずにいるようだ。二人はまじめに口論しているのに、ルウェンにはなんだかおかしい光景に見えた。本当に冗談事ではない。子供の命と、ベリグの――いや、アーチェルドの一存がかかっているというのに、その緊張感を忘れてしまいそうな子供同士の口論が今繰り広げられている。

「ルセス、わかってく…」

「僕だってアーチェルドの困っている人を助けたい! 父の仇討ちなんかじゃない、僕は本当にアーチェルドの人々を助けたいんです! その手助けをしている、あなたを僕は助けたい!」少年の言葉とは思えない言葉が、ルセスの口から出てきた。

 周りで見守っていた兵やルウェン、見送りのピーターまでもが驚愕し、少年に注目した。ランスロットは少年と真っ直ぐ目を合わせたままだ。そして、驚いた様子をまるで見せない。

「私が戻ってこないと、恐れているのだな?」今度は穏やかで温かい声でランスロットが言った。先ほどルセスと口論していた時の、ほんの少しの激しい調子はすっかりなくなっている。

「僕は、いえ、ただ…」ランスロットの言った事が図星と言わんばかりにルセスは動揺している。

 そんな少年の肩にランスロットは大きく温かい手を置いて、少年に合わせて膝を折った。

「ルセス、私は必ず生きて戻ってくる。それを約束しよう。何があっても、必ず、だ。だから君は心配なんかしなくていい。絶対に戻って、君との約束を果たそう。ユーリンドに戻り、約束の騎士の訓練をつませよう」

 ルセスは泣きながら首を振った。

「僕は…もう、大切な人を失いたくないんです…。僕が見失って、お父さんは殺された…もう、そんな気持ちにはなりたくないんです…」

 少年は父親を失っていたのか。ルウェンは初めてその事実を知った。そして、それをランスロットと重ねてしまっているのだ。ルウェンは胸が苦しくなるのを感じた。もういっそ、彼を連れていけばいいんじゃないか、とランスロットに直接言おうと足を前に出し、大声で反論するところだった。

「ではもう一つ約束しよう。私は戻ってくる。私は騎士だ、約束は守る。だから、君にも約束をしてほしい」

 少年の涙に濡れた瞳がランスロットに向けられる。その顔には当惑が浮かんでいた。

「これを…」

 騎士は続けた。腰のベルトから一本の短剣を鞘ごと抜き、ルセスに渡す。鞘は木彫りのもので、枝や葉の模様で縁どられ、真ん中には騎士の紋章が描かれている。かなり昔のもののようで、すり減っており、色があせていた。柄も動揺にすり減っている。一見した感想は、ボロい短剣だということだ。

 この短剣がなんなのか、問い詰めるルセスの表情を見て、ランスロットはあたたかい笑みを浮かべる。しかしその笑みにはものかなしいものが含まれていた。

「これは騎士であった私の父の短剣だ。<幸運の短剣>と私は呼んでいる。その短剣に、今まで何度も命を救われたんだ」

「そんなもの…受け取れませんよ」少年は短剣を差し出した。しかし、ランスロットは受け取らない。

「いいかい、ルセス。その短剣は私の何よりも大事な物で、誰にも渡さないと決めている。私の弟子である君は、その短剣の手入れを丹念にする必要があり、大切に保管しておく必要がある。しかし私はうっかりして、大切なベリグへの交渉だというのにその短剣を忘れてしまう。思い出した私は、その短剣を取りに君のもとまで戻ってくる必要がある――」

 そこまで言いかけた後、ルセスの泣いた顔は微かに笑った。

「弟子である僕は、この短剣をあなたが戻ってくるまで大切に保管しておく必要がある」

「そうだ」ランスロットは明るい調子で言った。「だからルセス、心配はするな。私は必ず短剣の事を思い出し、戻ってくる。いいね?」

 ぼろぼろで古びた短剣を握りしめ、ルセスは涙をぬぐって頷いた。

「お任せください」

 ルウェンは改めて、このユーリンドからやってきた二人の使者の凄さを学んだ。ランスロットとルセス。今ルセスは幼いが、時期にランスロットに引けを取らない立派な騎士になるのだろう。

 なんだか嬉しくなり、ルウェンは二人に間に入るように高らかな笑い声を上げた。

「ではランスロット。私はルセスのアーチェルドを救いたいという意思を尊重しようと思う。明後日発つ、モネルダへの交渉にルセスを連れて行こうと思うのだが?」

「ルセスを? いや、ですが…」

「モネルダはベリグなんかより全然近い場所にある。それに、さっき言ったように友好的だ。交渉だけなのだから、危険はない。だから少しでも役に立ちたいという気持ちがあれば、私はルセスをモネルダへ連れて行こうと思う」

 少年の顔が期待に輝いた。英雄の話を聞く子供のように。

「僕に手伝える事があるなら、お願いします!」それからランスロットに向く。「師匠!」

「うむ…」顎に手を添えて、ランスロットはしばらく考えた。しかし、やはりルウェンの言葉からモネルダは安全だと理解しいて、頷いた。「いいだろう、ルセス。だが、ルウェンどのに迷惑をかけるんじゃないぞ?」

「はい!」少年は嬉しそうに言った。

「うむ」将軍は腕を組む。見事に丸く収まった。一部始終を見ていた兵士達も、安心して胸をなでおろしているようだ。しかもこれら全てを見てきたルウェンは、まるで自分が事態を直したような気分になり、妙に満足感が芽生えてきたのだ。

 ランスロットと兵士二十名は準備を整え出発した。マルチェルダの強固な外壁を抜け、広大な平原から繋がる森に向かって歩みを進める。

「さらばだ、ルセス。約束を果たそう!」ランスロットは最後にそう言い、背を向けてギモリに乗り、出立した。兵士も次々と進む。彼は一度も振り返らなかった。

 ルセスは彼が森に入り、見えなくなるまで見守った。その両手にランスロットの<幸運の短剣>を抱え、朝日と共に照らされる一行の幸運を祈った。

 これで全てがうまくいくといい。ルウェンは思った。北の森ベリグにランスロット、西の都モネルダにルウェン、南の里ボービードにセイドを送る。一番の曲者はベリグだが、もしうまくいけばアーチェルドを救う事ができるかもしれない。いや、救ってみせる!

「さらば、ランスロット!」ルウェンは大声で見えなくなったランスロットに叫んだ。友よ、無事を祈る!


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