大泥棒の路地裏

大泥棒の路地裏

第十一章


「北の森ベリグ」


 ランスロットと二十名の優秀な兵士達はマルチェルダを囲む林の小道を抜け、南の海まで続く大河の流れる丘陵地帯に差し掛かった。緑と岩に囲まれた大河の流れは常に緩やかだ。あらかじめ用意されていた三艘の小舟でこの大河を渡り、反対側に出る必要がある。

 隊は一艘に四人ずつで別れ、交互に使うことにした。最初に隊長のレンメール。彼は今回のベリグ調査隊の隊長で、若いというのに優秀な兵士である。

 彼と部下二人で河を渡り、安全を確認して合図をして、小舟を部下の一人が戻しに行く。同時に運べて二人までで、全員が河を渡るまでかなりの時間が過ぎた。時間にして一時間弱。
その一時間弱の間にランスロットはベリグ調査隊に参加した名簿とにらめっこし、完全に顔と名前を一致させることができた。この長い待ち時間のちょっとした暇つぶしくらいにはなった。

 太い眉毛に丸っこい鼻のデグ、明るい赤髪の目立つモールド、髭の濃いデミロール、黒い肌のセイーン、そして隊長のレンメール。レンメールは部下にも信頼されている。そして基本は温厚で、情に熱い。もとはユーリンドの使者で、突然隊長と同じ位になったランスロットにも敬意を払っており、従順に対応している。

 彼の部下も同じだ。上官と変わらない。ランスロットの指示を仰ぎ、従順に動き、礼もしっかりしている。彼らはルウェンの部下でもあり、将軍の思いを受け継いでもいるのだ。

 彼らもアーチェルドを救いたかったのだ。それだけは確かだ。ランスロットは彼らの存在を心強く感じた。確かに一人の方がやりやすい。しかし、そこには暗雲の中をゆらゆらと揺れる小さな光の松明一つを進む自分一人がいるだけだ。今は、二十人もの仲間が松明を持って、光を集めている。窮屈だが、あたたかく、安心できる。

 全員が河を渡った頃には、ランスロットは全員の特徴を覚え始めていた。




 大河を越え、岩と丘、そして絶壁が複雑に入り乱れる丘陵地帯に入る。しばらくは、この面倒な地形の中進むことになるだろう。ランスロットはギモリに乗せた荷袋から地図を取りだした。ギモリが老いた馬でよかったと心底思った。ギモリは他の馬より体重が少ない。だからあの小舟に乗り、なおかつ大人しくしていてくれたのは彼だけだった。とはいっても、大河を渡る事を知っていた他の兵士は馬を連れてこなかったわけなのだが。
これから長い旅になる。だいたい、このまま丘陵地帯を突き進み、その先の大沼地を抜け、さらに広がる平原からベリグの森に入るまで丸四日はかかる。もうすでに長い旅になれていたランスロットはそこまで苦にはならないが、ギモリには続けて働かせ過ぎてしまった。こうして連れてきて、正直少しだけ後悔している。

 このベリグへの行き道では、町は愚か村などの集落もない。ベリグ以外に、まともな寝床なんてありはしないのだ。

 丘陵地帯を抜けるのに丸一日を費やした。兵たちにはまだ疲れの色が見えない。この日は夜たき火を囲み、交代で見張りを用意して眠りについた。

 翌日には大沼に入った。大沼は地形の荒い丘陵地帯と比べて平地に近いが、沼に囲まれたぬかるみをたっぷり含んだ地面を進むのはかなり難儀した。網のように広がる小道は一列で進み、隊列を乱さない事に集中をした。

 ギモリや兵士が足元を崩し、底なしと言われる大沼に足を膝までどっぷりと沈ませるなんてこともめずらしくなくなった。ランスロットも気をつけてはいたが、目だけではとてもじゃないがこの地の本質を見破ることはできない。

 平気だと思っていた小道が突然くぼんだと思うと、たちまち柔らかい土からぬかるみのある深い沼に変わり、注意をする前にその膝はずるりと沼へと吸い込まれる。まるで沼の底に大きな手を持つ悪魔がいて、罠にはまった小鹿をいっきに引きずり込もうとしているようだ。

 沼は淡い茶色をしており、水面は濁っていて何も見えない。これ以上、この沼が濁る事はないだろう。沼は動物の腐臭を放っており、その周辺を歩いているだけでも臭いで気を失いそうだ。足場は丘陵地帯よりもひどいもので、その日は予定していた距離の半分しか進む事ができなかった。ランスロットはまだ平気だ。しかし兵士達は少しうんざりした様子だった。

 夜になると沼地はすっかり冷え込み、空は暗雲に包まれ光をいっさいさえぎってしまった。気味の悪い雲が頭上を漂い、時には不気味な形に変わり、まるでこちらを見て笑う怪物のような形に変わり、そして溶け込むようにまた形を変えてゆく。ランスロットは空を眺め、雲が形を変え、空が色を変える光景を楽しむことがしばしあったが、この日はそんな気にはならなかった。

 あの雲を眺めていると、その模様そっくりに胸がもやもやする気がするからだ。ベリグまでの道のりはまだ遥か遠い。

「ランスロット隊長」部下の一人、モールドが言った。

「ああ、どうかしたか?」

「あれを…」

 モールドは北の方を指した。丁度自分達が目的地としているベリグの方角だ。沼地のさらに先、そして平原よりもっと先から、光の筋が空に向かって伸びるのを見た。流れ星が地表に落下し、それからまた星に向かって帰って行ったような、おぼろげな光だ。

「あれはなんでしょう?」兵の中で一番若い青年、グリヲが言った。

「わからない」正気な答えだ。アーチェルドにきてまだ間もないのだし、あれはアーチェルドだけの不思議な何かだと、一人なら思うだろうが、他のアーチェルドの兵士全員不思議そうに眺めていることから、そうではないらしい。そんなものを、自分がわかるものだろうか? よそ者の自分が。「ベリグで何かが起こっているのかもしれない」

 自分で言っておきながら、言い切りたくはなかった。あれがなんであれ、ベリグへ行く事に揺るぎはない。兵士の中には不吉なものを見るような目で光を眺めている者もいれば、使命感に燃えた目を持つ者もいる。

「ベリグには最低でも後四日はかかります」レンメール隊長が威厳のこもった声で言った。

「もっと早くつきたい」ランスロットは自分で言っておきながら、それが無理である事を承知していた。だがやはり、急ぐに越したことはない。こうしている間にも、帝国グラベリスは何万という兵をひきつれてこのアーチェルドへ進軍しているのかもしれないのだ。

 もしかしたら、明日には到着しマルチェルダを襲撃しているかもしれない。あの国が本気で動けば、ユーリンドもアーチェルドも抵抗する間もなく潰れてしまうだろう。あの国がまだこの国やユーリンドを攻めないのは、根拠がないからだ。

 あの国は何よりも国を滅ぼすことに貪欲で、狡猾だ。確実にその国を落とせるという確信がない限り、攻める事はない。しかし一度確信さえつく事ができれば、一瞬にして国一つを灰に変える力を持っている。これが、この長い間他国を滅ぼし続け、なおかつ生き延びた国の経歴だ。

 いつの日か――恐らくさけられないだろう、あのグラベリスとの戦いがやってくると思うと背筋が凍りつく思いだ。この大陸に、いや、同じ世界にいるかぎりグラベリスとの戦いは絶対。だからこそ、こうして同士を集め、協力をして対抗していく必要があるのだ。

 暗く濁った空、漂う腐臭、先の見えない暗闇、踏み外す事を許されない小道、すべてアーチェルドとユーリンドの様子を縁取って作られた物のようだ。昨日までは意気込んでいた兵士も、何名かは疲れ切った表情を浮かべ、目には絶望に似た暗い感情がありありとにじみ出ている。

 急がねばなるまい。ランスロットは思った。何よりも、苦しむ人々の為に。ランスロットは民を助け、虐げられし者達を守る騎士道に入り込んだ人間。ユーリンドで騎士の誓いを立て、騎士の歌を歌ってからは、誠実で騎士道を信じる者へとなった。今も昔も、変わらぬ忠誠を持っている。

 たとえユーリンド以外の民だとしても、放っておくわけにはいかない。その点についていえば、ルセスも似たようなものだった。彼もまた、本気で困っている人間を助けたいと願っている。そして、実行力もある。

 つくづくランスロットはルセスの先を期待してしまっていた。彼を弟子に迎えたのも、場の流れでもない。彼に自分の命より大切な父の形見をさし出したのも、いい加減な気持ちから生じたものではない。

 すべてはなるままに。ルセス、彼はルウェン将軍のお荷物になるどころか、大きな助けになるはずだ。信じているわけではない、これは確信だ。グラベリスが他国を滅ぼすと決めた時と同じ、確かな確信だったのだ。

 暗い沼地でも、ランスロットは希望の光をたたえたまなざしをしていた。




 切り立った谷に囲まれたベリグの聖地は、今では荒れ地のような光景に変わっていた。滝のしぶきで常に濡れ、輝かしい虹を冠にしていた森の守り神の銅像の首はなくなっており、その手に持つ槍は折れている。

 美しい湖はいまや人のばらばらになった四肢や血で汚れ、遥か遠くの大沼地のような汚れた水であれ帰っている。滝を見上げ、その先の切り立った大きな谷のさらに奥を見つめると、残酷にもはつらつとした太陽の光が降り注いでいた。

 ロイモンは太陽がこれほど憎くなる日が来るとは思ってもいなかった。ベリグのどこよりも安全で、人々のすがるこの聖地がたった一夜で何年も戦争の続いた地のように凄惨な光景で埋め尽くされている。たった半日あけただけで、奴らはすぐに対処に取りかかったのだ。

「ロイモン大隊長」見回りを頼んだ部下の一人が後ろから自分を呼んだ。だがあまり、その声を意識できなかった。あまりの光景と事実に、頭が揺らいだ。「生き残りは…いません。皆、逃げる間もなく…」

 奴らは狡猾だ。抵抗できない民を囲み、一気に襲いかかったのは目に見てわかる。聖地の外へ向けられる足跡は一つもなかったからだ。

「なんてむごいことを…」胃と喉が締め付けられる思いでようやく口に出して言えた言葉はこれだった。胸も、まるで心臓をわしづかみにされたような痛みが走る。

「我々が留守の間を見計らって、奴らはここを攻めたようです」

「わかっておる」怒りと悲しみが入り混じり、ロイモンはもうこうして立ってこの光景を見ている意識を保てなくなってきた。

 いっそのこと、このまま死んだ人々の眠る冷たい地面にばったりと倒れ、動かなくなってしまいたい。しかしそれが許されるはずがない。なぜなら、自分はこのベリグの森の民全てを統率し、導く頭領ロイモンなのだから。

 何とかほぼ根性と言えるそれで足の筋肉を強張らせ、体を支える。それだけの動作でも、胸はひどく傷んだ。痛みはやがて、怒りに変わる。

「おのれ、コルテックスめぇ…わしの居ぬ間に聖地を襲撃するなど、見損なったぞ」

 ベリグの聖地は、ベリグのどこよりも美しい場所であった。それが今では血で濡れた戦場よりひどい眺めになりはてている。ロイモンが昨日の夕方から部下数名をひきつれて狩に出ていくまでは、無力な民達の希望の地として活気のある場所であった。

 森の住民は皆家族だ。ベリグという森に住む者全てが、ロイモンにとっては大切な人間であった。しかしそれが、ここ数年、いや、この一夜であっというまに壊されてしまった。深い絶望、怒り、負の感情が取りまき、頭が今にも沸騰しそうになった。

 気がつけばロイモンはその手に剣を持ち、豪快に振っていた。

「今日という今日は許さん! コルテックスを討つ! ハビー、連中の足跡からその生き先を探せ。他のものは支度しろ。ハビーが戻ってくると同時に、出立するぞ!」

 怒りや悲しみにうたれていたのはロイモンだけではなかった。他の部下の兵士達も、同じく目に怒りの炎をたぎらせている。兵士達はロイモンの声に威勢よく雄叫びを上げると、自分達の仕事――支度にとりかかろうとした。

 思い出したように、ロイモンは手を上げて合図し、皆を制止した。

「あ、いや、まずは民の埋葬だ。それが先だ」





 ベリグの森には二年ほど前からウジ虫が住み着きだした。自分達の領域を侵し、この森を乗っ取ろうとする、今アーチェルドを最も脅かしている勢力だ。ロイモンはこの勢力と森での攻防を繰り広げてきた。二年という短くも永遠に等しく長い戦いだった。賊はベリグの各集落などを襲い、日に日に活動区域を増していた。

 それを抑えていたのがベリグの頭領ロイモンとその部下から構成される<森の騎士団>である。二年間あの賊と戦い続け、森の状況を把握していたロイモンの部隊は強かった。しかし、賊も知識をつけつつある。今や賊は森の大半で活動をするようになり、今日という日には民の最期の希望、聖域まで汚されてしまった。

 ロイモンは覚悟を決めた。もうこれ以上、連中の好きにさせるわけにはいかない。連中が森のどこへ行こうと、かならず追い詰めて報復をしてみせる。他の兵士も同じ気持ちだ。

 賊に住処を荒され、この聖地しか行き場所がなくなった民達をこうも無慈悲に虐殺するなど、あってはならぬことだ。今後このような事が繰り返されないうちに、対処する必要がある。すなわち、賊の殲滅だ。

 このベリグを襲い、民を震え上がらせた賊の頭――正確には、ミホークだとかいう男が頭なのらしいが――コルテックスは頭が切れる。そして、驚くほど強い。あの男はその身一つで統率も忠誠もない賊を従わせ、まとめあげてきた人間だ。もし彼が賊という立場でなければ、尊敬に値していたはずだ。

 しかし今では、残虐な行為を指一本の指示で行わせる恐ろしい脅威だ。彼を野放しにしておいては、いずれベリグは森の形を失うだろう。

 昨晩、聖地から発される閃光の光を利用した信号弾が空に撃ちだされていなければ、もっと遅くにここに到着していただろう。ベリグの東で狩をしていたロイモン達はその非常用の信号弾により危機を察知し、戻ってきたのだ。戻ってきた時のありさまは、それはもう見るに耐えがたいこの現状だ。

 奴らがどこにいるかはわからない。だが、必ず見つけ出し、これまでの対立に終止符を打つ。ベリグの自由を取り戻すのだ。

 埋葬を終え、身支度を整えた頃には夜中になっていた。しかしロイモンは日を改めるつもりもなく、隊を率いて賊討伐の遠征へと旅立った。




 アーチェルドの賊全てをまとめあげた大頭ミホークは霧の晴れたネーミヌドの街並みを眺めつつ、アーチェルド全体の地形が記された地図に目を落とした。王都マルチェルダは森や林に囲まれた天然の要塞だ。この国を完全に落とすには、王都を奪い、正気を失ったと言われる国王の首をはねるしかあるまい。

 そのためには強力な軍隊がいる。たとえこの賊達をまとめあげ、統率した力を得た今でもそれは難しいことになるだろう。まず、アーチェルド事態を侮ってはならない。脅えた人間達の中にも、牙を隠している曲者もいるかもしれない。思い当たる人間は数名いるが、あえて名前を出すとしたら北のベリグへ送った――帰した、といったほうが妥当であろうが――コルテックスだろう。

 コルテックスはミホークがアーチェルドへやってきて賊をまとめあげるまでは、実質賊の一番上の存在であった。もとはベリグを故郷としていたそうだが、ミホークが上についてからはベリグから離し、村や町の襲撃へと身を投じさせ働かせてきた。ミホークの右腕のように扱い、かなりの地位も与えた。賊で与えられる地位などたかが知れているが、彼を自分の次に力のある位に着かせてからは、彼の好きにさせておいた。ある程度では、の話だが。

 だがミホークは知っていた。コルテックスが自分に対して嫌悪を抱いており、隠したその牙をいずれ剥いて襲いかかってくるだろうと。だからこそあえてそばに置き、重宝し、その時を待った。彼は必ず確実な力をつけ、賊というこの下賎でひもじい集団の底上げをするだろう。現に彼の功績で、賊はみるみるたくましくなってきた。コルテックスを好きにもてあそばせたのもそのためだ。

 何もかも計画通りだ。コルテックスがあの賊に相応しいさびれた斧を自分に向ける時、勝利と同時に全ての力が自分に吸収される。そうなれば、もうマルチェルダなど恐れるに足らない。このまま自分の目的を果たすまでだ。

 四大勢力――しょせんはアーチェルドの意見の相互で対立し、分散してしまった個々ではなんの役にも立たない勢力という名の町民。現にネーミヌドは簡単に落ちた。生き残りの民も、絶望に喘いでいる事だろう。だが民は民。いずれこの国を乗っ取る覚悟を決めたのだから、少しばかりは生かしておく必要がある。ネーミヌドではやりすぎたが、次に乗っ取るベリグとモネルダ、そしてボービードでは自重しよう。

 ミホークはにやりと笑った。全てが順調だ。ベリグはもうすぐコルテックスにより落ちるだろう。他の残った勢力も、同じ事だ。そして完全にマルチェルダを囲んだ陣形を作り、一気にたたみかける事ができる。

 それからコルテックスは牙をむき、返り討ちにあい死ぬ。ミホークは新たなアーチェルドの王となり、グラベリスに次ぐ――いや、それ以上の暴力を加え、国を広くする。いずれユーリンドも取りこんでくれよう。他の小さな国々も、吸収してくれよう。

 それがミホークの野望だ。いつかマルチェルダの王宮で腰をおろし、金色に輝く王館をかぶって国を見下ろす自身の姿が目に浮かぶ。何もかもここまでうまくいったのだ。これから先も全てがうまくいく。

「頭ぁ」

 ベッフィの声でいい気分が台無しになった。振り返ると腰の丸まった醜い男、ベッフィがいつにもまして醜くしかめた面で見上げている。役に立つ男だが、何かと目について気に食わないところが目立つ。しかし、これでも有能な男だ。

「最高にぶったまげた事態ですぜ」ベッフィは皮肉のこもった声で言った。

 この男は、自分達にとって最悪の情報を「最高にぶったまげだ」から切り出す。せっかく野望に浸り、夢見心地を味わっていたミホークに相応しくない言葉だ。この男から出る最悪の情報は、毎回気分をぶち壊してくれる。

「いったいどうした、ベッフィ」

 ベッフィは醜い顔を寄せ、耳元まで口をやった。鼻息が荒く、息が耳にかかり凄まじい不快感を覚えたが、その時ミホークは我慢する決意をした。そして彼の言葉に最後まで耳を貸す。

 ミホークはにやりと笑った。なるほど、面白くなりそうだ。ベッフィもたまには役に立つ情報を持ってくる。退屈しのぎになるし、もっと面白い事になりそうだ。

 最悪の情報にも関わらず、笑みを絶やさないミホークを見てベッフィは畏怖の念を唱えて後ずさった。




 ロイモンは各集落に配属させた兵達を集め、隊を組んだ。全部でだいたい五十人は集まった。ベリグの兵を集めればもっと行くはずだが、やはり戦えない人を置き去りにしていくわけにはいかず、その大半を集落においていった為、この人数しか集める事しかできなかった。

 ベリグに巣食う賊の数がどれほどかはまだ正確にはわかっていないが、おおよその見当はつく。数にして数百。こちらより少数なはずだが、広域のベリグでは見つけるのも中々苦労する。それに連中は隠れるのが得意で、奇襲なんてお手の物だ。それを踏まえたうえで、慎重に行動する必要がある。

「全員整列だ!」ロイモンは叫ぶような声で命令した。

 兵士はきびきびと行動に移し、横に並ぶ。全員腰に剣を挿している。この森で槍は不要だ。長いものは森では邪魔になるだけだ。

 一人ずつ兵士の顔を順番に見ていく。どの顔も、小さい子供の時から知っているものばかりだ。それなりに歳のいった兵もいるが、どれも顔見知りなのにかわりはない。不思議と安心し、頼りがいがあるように見えるが、実際はあどけない青年ばかりだ。戦場に出るにはまだ早いという若者が多い。

「お前達の目は怒りで燃えたぎっている!」ロイモンは兵士一人一人の様子を眺めながら言った。「気持ちはわかる。わしも同じだ! 諸君、怒りの矛先はどこへぶつける!」

「敵の心臓です!」兵士は声を揃えて大声を張り上げた。

「その手綱は誰が握っている!」

「冷静さを失わない自分自身です!」

「その背には誰がいる!」

「愛すべき人!」

「では何のために戦う!」

「大切な人々の為に!」

 ロイモンは頷いた。「諸君、今日から奴らの侵略に終止符を打つ! お前達の力が必要だ! この戦いでは、わしも命の保証はできん。それでも復讐の為、愛すべき人の為、立ちあがると言う者はわしの背中についてこい!」

 兵士全員が剣を掲げ雄叫びを上げた。ロイモンはその雄叫びを浴び、心地よさを感じた。森じゅうに獣のような遠吠えが響く。この大音響が、賊へ伝わっただろうか? 伝わらなかったとしても、必ず恐怖で顔をゆがませてやる。これは報復と同時に、自由を勝ち取る為の戦いでもあるのだ。

 声を轟かせながら、ロイモン率いる部隊は前進した。目指す場所などありはしないが、目的はある。ベリグ最大の戦いが今切って落とされようとしていた。




 進軍して部隊はいくつかに別れた。ロイモンの率いる部隊は約二十人を残し、他は分割し偵察へと行かせた。ベリグの森は広い。賊のいる場所のおおよその見当はできていても、その見当つく場所は広がりすぎているため、慎重に進む必要がある。警戒を怠ってはいけないのだ。

 ベリグの部隊は東へ向かった。そして他の十名ずつで別れた部隊は北と南に広がった。何かがあれば、信号弾で知らせる事になっている。

 森の中は静けさで満ちており、とても賊が住んでいる場所とは思えないほどだった。人の通った痕跡は残っているが、それが賊なのかはわからない。方角を見失わないよう気をつけて進むが、この森では方向感覚などあてにならないことはもう十年以上前からわかっていることだ。

 やがて夜が来て、ロイモンの部隊は天幕を張った。いつ賊と遭遇するかもわからないこともあり、十人を見張りにし、もう十人はその間に就寝をとることになっていた。

 そして朝になり、再び賊討伐の旅へと出発する。これが数日ほど続いた。




 賊討伐の旅に出て二日後、初めての信号弾が空高くに打ち上げられた。それも夜中に。場所と方角からして、かなり近い場所だ。

「大隊長」兵士の一人が指示を仰ごうとロイモンを見た。

「うむ」ロイモンは頷き、信号弾が見えた場所を睨んだ。「行くぞ、みなのもの! すぐに支度を整えろ!」

 兵士達はその言われた通りすぐに準備を済ませた。天幕も畳み、兵装を揃え、整列する。ロイモンは隊を率いて信号弾の発射された場所へと前進した。

 森の中を走り続け、三十分ほど経過したとき、信号弾の発射されたその場所に到着した。比較的木々が少なく、近くには湖がある場所だ。この湖の水は、聖地の切り立った谷から流れる滝水のものだ。

 そこには聖地と同じ光景が見られた。荒された天幕の張った拠点に、戦いの痕。血の流れ切った兵士の無力な瞳がロイモンを見つめているように見えた。そこにいた兵士の全員が死んでいた。

 一番若い集の部隊だ。ロイモンは彼らを生まれたての赤ん坊の時から知っていた。ベリグの民は自分の子供のようなものだった。ロイモンは膝をつき、怒りと悲しみで絶句した。




 その日の夜は星が見えていた。大小さまざまな星が夜空を照らし、一つ一つが確かな輝きを放っている。四日目の野宿の中、ランスロットは一人夜空を見上げていた。この星をルセスは見ているだろうか。たとえ文化や考えが違っても、必ず共通する点はある。それがこの星空だ。誰もが、この空の下にいる。

 この四日間は過酷な旅だった。沼地を抜けるのに三日もかかり、予定よりかなり遅れてしまった。この三日の間にも、例のまばゆく輝く空に伸びる閃光は二回ほど上がっていた。二回目の閃光は夜に。そして三回目の閃光は昼間に上がった。あれは何か意味があるのだろうか。遠く離れたベリグから打ち上げられたものだとわかるが、それが意味するものはわからない。よからぬ何かが、ベリグで起こっているのだろうか。

「ランスロット隊長」調査隊の兵士の一人、セイーンがたき火越しに言った。「また星を見上げているのですね?」

 ランスロットと兵士達はたき火を囲んで座っていた。いざベリグが近くになると、皆眠れなくなったようだ。ランスロットも、緊張で胸がそわそわしている。

「うむ。今夜は綺麗な星が輝いている。見ていて心が安らぐよ」

「ここ数日はよどんだ景色をうんざりするほど見てきましたからな」レンメール隊長が笑った。

 たき火の火が少しだけ揺らぎ、モールドは薪をくべた。「俺は星を見るよりも。こうして火を見ている方がいい。温かいし、安心する」

「俺もそうだ」デグがたき火に近付き、両手をたき火の前まで伸ばした。赤々とした炎の色がそっくりそのまま掌にうつる。

「その様な考えでは、到底女はよりつかんだろうな」

 レンメールの言葉に一同が笑った。

「ではレンメール隊長とランスロット隊長は、女性にさぞよりつれるのでしょうな」とモールド。

 ランスロットは鼻で笑った。ここ数日で、アーチェルドの兵士とは大分うちとけることができた。

「でも、ランスロット隊長がそうやって空を見上げているのを見ると、なんだか空にも希望があるような気がしますね」セイーンはランスロットと同じく真上の星を見上げた。

「希望か…」モールドはまた薪を火にくべた。「俺は正直、怖いよ。いままで散々やってきた賊をぶったおすのは待ち遠しく思ってたし、やっと動けることで気分が高揚してたけど、今冷静に考えてみると、俺達は明日には殺し合いの渦に巻き込まれているかもしれない。明日には、俺の胸に剣が突き立てられているかもしれないんだ。……俺はランスロット隊長のように、星を見上げている余裕は持っていない」

 途端に兵士達は静かになり、感傷に浸った。明日にはベリグにつくだろう。そこがどうなっているかは定かではないが、どっちにしろ期待はできない。覚悟を決めているとはいえ、いざ直面するとなると不安で今までの意思がかき消されるような気がしていたのだ。

「空を見上げてごらん、モールド」

 ランスロットの言葉通りに、モールドは空を見上げた。他の兵士達も同じように見上げる。

「何が見える?」

「星だ」モールドは答えた。「そして、星より大きい月」

「星だけではない、そこには希望もある」

「どういうことです?」

「我々には常に希望が背中を支えているものなのだよ、モールド。あかるいうちは太陽が希望の光となってくれる。夜には太陽の代わりに、太陽より強くはないが、大勢の仲間を連れた星が希望の光になる。モールド、私達は常に希望と共にあるのだよ」

「俺には暗闇しかないように見えます」

「よく見てごらん」ランスロットは穏やかな声で言った。「星一つ一つの光を見て、一つ一つを線で結んで見るといい。何が見える?」

 しばらく静寂が続いた。モールドははっとして大声を上げた。

「おふくろ!」その声には驚きと、そして希望に満ちた明るい声が混じっていた。「ああ、死んだはずのおふくろが俺を見下ろしている。いつもみたいに、優しい目をして」

「違う、あれは俺の娘だ」同じく空を見上げていたデグが言った。

「俺には、勝鬨を上げるアーチェルドのみんなが見える!」とセイーン。

「なにいってんだ。あれは別れた俺のカミさんじゃないか。どこに行ったかと思えば、あんなところから俺を見守っていたんだな」とデミロール。

「みんなそれぞれ、自分の望むものが見えているようですな」レンメールがランスロットを見た。「私には、私を含む家族の肖像画のように見えます」

 落ち着きを払った目でランスロットは一同を見回した。それぞれが、星の線で自分の希望を思い描いている。彼らのうちの暗闇の気持ちは、これで少し和らいだはずだ。

「隊長の言うとおりだ。空には希望がある。俺達を見守ってくれているんだ」モールドは疑いもない声で呟いた。




 すでにあれから三日が過ぎ、ロイモンは捜索を続けていた。昨日の昼に、また信号弾が上がった。信号弾の上がった場所へ行くと、三日前のと同じ兵士達の残骸だけが残っていた。

 これで残った部隊は、ロイモンの部隊ともう一隊だけ。分割したのがまずかった。人数を割くべきではなかったのだ。飛んだ間違いを犯した。初めから全員で行動をすべきだったのだ。

 奴らはこちらが人数を割いている事を知っている。狩をするように、待っている。まったく、なんたることだ。自分達が行動を起こした時には、もうすでに奴らのテリトリーに入ってしまっているのだ。下手に動けば、奴らに有利が働く。ここまでも考えられなかった自分がとても愚かだと感じた。

「大隊長、どうされますか」兵士が訊ねてきた。

 ここで弱音になってはいけない。指導者として、強気な所を見せなければいけない。しかし半分近く者犠牲が出たうえ、収穫も何もないではそこまで気を強くする気力も芽生えない。

 とにかく今やるべきことは――

「残りの小隊と合流しよう。彼らもここにきているはずだ。それまで遺体の埋葬を済まそう」

 兵士全員で埋葬に取りかかった。無残に散らされた仲間達の遺体は形をとどめているものから原形をとどめていないものまであるが、なんとか一人ずつ穴を掘りそこへ埋めた。また十人、ベリグの民を失ってしまった。

 日が落ち、夜がやってきた。肌寒い風が吹く。天幕を張り、火を焚いたが心は寒いままだった。今自分達は、賊に囲まれているに違いない。奴らはチャンスを待って息をひそめ、じっと観察しているに違いない。

 もう一隊の部隊と合流する? いや、それは叶わないことだろう。なぜなら、最初の信号弾が発射された時にすでにこちらにやってきて、合流していたはずなのだから。あれから埋葬を済ませて、それでも合流しなかったということは、彼らももうすでに賊に……。

 豪傑で、気丈なロイモンはさすがにまいってきた。周りは気づかないだろうが――気づかせないよう努力はしている――ロイモンはひどく精神的に弱ってきていた。どんなに豪快に笑っても、どんなに飯をたらふく胃に放り込んでも、それは衰えていくばかりであった。

 この戦いに勝ち目はあるのだろうか。せめて、せめてもう少し兵力があれば、あの賊達を退治する勇気を与えられるはずなのに。ロイモンは持参した酒の瓶を取り出し、一口飲みこんだ。それから獣の毛皮で作ったコートにうずくまり、兵達を見た。

 兵達からも自分と同じような色が見える。あれほど意気込んでいた戦士達が、仲間の死を見る事ですっかり大人しくなっている。何度も賊と対峙してきた兵士でさえ、脅えているようだ。

 このままでは、自滅もしかねない。ロイモンは考えた。どうやって今の状況を打破すべきか。そして、どうすれば賊に打ち勝つ事ができるのか。下手に動きまわるとまた屍の山を築くことになる。

「大隊長、どこにいくのですか?」一人森の方へ姿を消しつつあるロイモンを見た兵士が問うた。

 その答えはロイモンにもわからなかった。なんとなく、一人になりたかった。一人になって、森の茂みに飛び込み、何も考えず横になっていたかった。天幕の中なんかで寝るよりよっぽど気分が晴れるはずだ。

「ああ、ちょっとデザートに木の実でも採ってこようと思ってな。確かこの辺に甘い実のなる木がいくつかあったと思うからな」

「一人では危険ですよ。何人かお供を用意します」

「いや、結構。結構だ」

「しかし…」

「すぐそこなんだ。連中もわし一人の為に危険をさらして姿を現す事はないだろう」

 問い質すような目でロイモンが見ると、兵士はしぶしぶ肩を落とした。

「わかりました。では、お気をつけて」

「うむ。わしにはまだやることも多い。大丈夫だよ」

 ロイモンは踵を返して森の茂みへと足を進めた。それからかなり長い事歩いた。天幕を張ったあの拠点の近くなら安心だったが、今ロイモンが歩いている場所は拠点からかなり離れた場所で、静寂そのものしか残っていない暗い場所であった。

 なぜ自分がここまで歩いてきたのかはわからない。何か対策を考えて夢中になり、兵達が危険だと定めたこの場所に足を運んだ事も気づかなかったわけではなかった。何も考えていなかった。この危険な場所に足を踏み入れたとわかっていても、その進む足を止められなかった。

 ここで賊に襲われる。そして殺される。そんな考えもないことはなかったが、どういうことだかどうでもよくなっていた。今は一人でこうして何一つ考えず歩いているだけでじゅうぶんだ。

 日が完全に落ちた森の中はほぼ真っ暗だった。ほんの少しだけ道が見える程度で、茂みのさらに奥は闇と一体化して何も見えなかった。

 ここまでくるとさすがにロイモンももう戻った方がいいと思うようになった。

「ロイモンどのですね?」

 森の暗闇から突然自分の名を呼ぶ声が聞こえ、ロイモンはほんの少しの間硬直してしまった。それからはっとして腰の剣を引き抜く。

「誰だ!」

 答えはすぐに帰ってきた。暗闇からは一人の若者が出てきたのだ。淡い栗色の髪の毛で、服装はベリグの民のものとも賊のものともちがう、兵装であった。腰には二本の細みの剣を提げている。

「初めまして、ロイモンどの。私はマルチェルダからやってきたランスロットと申します」

「マルチェルダだと?」

 この男がマルチェルダからはるばるここまでやってきた? いったい何を言っているのだ。マルチェルダからは、もうこの土地はすっかり忘れ去られているものと思っていたのに。

「して、ランスロット。お前の目的はなんだ? 今このベリグがどういう状況なのか、わかっているのか?」

「承知しております」

「目的を言え!」

 ランスロットという男は落ち着いた様子で暗闇からまた一歩出て、ロイモンに近づいた。反射的にロイモンな後ずさる。

「このベリグを救う事です」

 ロイモンはランスロットの目を見た。鋭く、油断ならぬ眼をしている。しかしその奥で、まっすぐと輝く正直な光があった。

「救うだと?」ロイモンはランスロットという男の真相がわからなくなり、それでいて奇妙な言葉に眉をしかめた。


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