「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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大泥棒の路地裏
第十三章
「決闘」
ベリグの賊の頭は、両手を組んで自分の部下を見回した。数は圧倒的で、今でもロイモン達を囲んでいる。ロイモン達はまさに袋の鼠状態で、自分達から何かをしかける様子はなかった。
ロイモンの頭から丁度森の木々が地平線の形で境界線を作り、てっぺんから青い清々しい空を浮かべている。これがベリグの空だ。
「よぉ、ロイモン。最後に会ったのはいつだっけなぁ? お前老けたんじゃねぇかぁ?」
「約二年振りだろうな、山猿。お前こそ、ますます毛深くなったようだな」彼は丸太のように分厚い剣を下げてはいたが、挑戦的で敵意を込めた瞳はますます強くなっているようだった。
「じじぃが偉そうに吠えるもんだなぁ」デルマング・コルテックスが合図するまでもなく、賊達は次々と武器を上げ始めた。「今の状況をわかっていっているのかぁ? それとも老いて周りが見えないかぁ?」
こげ茶色のロイモンの目がコルテックスを捉え、虫を捕らえた食虫植物のようにしつこく離さない。どうやらこの男は、ここでベリグの賊頭と刺し違える気でいるようだ。
しかしそれが実現することはないだろう。コルテックスはつまらなそうに首を振った。
「よせよせ、老いぼれが俺に剣を突き出したところで、逆に首が飛んでいくだけだぞぉ?」
「どちらにしても、お前を倒さなければベリグは滅ぶ」
「合図すれば俺の部下が一斉に攻撃を仕掛ける。それを掻い潜ってまで俺の懐まで入り込んで、首をはねようってかぁ?」
「そうだ! 首が駄目でも、胸を貫く!」
不敵にコルテックスは笑った。それがひどく気に入らないのか、ロイモンは剣を上げて叫んだ。
「何がおかしい!」
「なぁ、ロイモンよぉ」コルテックスは暗闇から聞こえてきそうなほど重く、浸透してくるような声で言った。「首をはねない限り、俺は死なねぇぞぉ?」
一瞬空気が凍りついたと思うと、アーチェルド兵士達の間に絶望という深い谷が気づかれていた。全員が武器を構えてはいるが、その目に戦意は感じない。
動揺して震えている者もいれば、諦めて剣を下げている者もいる。レンメール達も嫌な汗を背中に感じながら、いつ賊が仕掛けてくるか見ていた。
そして、ランスロット隊長がいない事に気づく。彼は進軍の殿を務め、背中を守ってきた。今ではその姿も見えない。彼は死んだのだろうか? それとも…。
嫌な予感がレンメールの頭を横切った。彼はもともとユーリンドの人間。アーチェルドに命がけでつくす必要などない。もしかしたら彼は、逃げたのかもしれない。彼ほどの腕があれば、彼一人が逃げるのはわけないだろう。
それから首を振り、レンメールはその考えを振り払おうとした。仮にそうだとしても、今それを考えたところで何が変わるわけでもない。まだ希望を残せるなら、ここをどう切りぬくか、だ。おそらく、自分を含む大勢の人間が死ぬ。
それでも、賊の頭の首をとることができれば…。
「わし達をどうする気だ、コルテックス?」一行に指示を出さないコルテックスにロイモンが言った。
確かに、囲まれてかなりの時間が経つ気がするが、コルテックスはまだ何も賊達に告げない。他の賊もいらいらした様子でコルテックスの指示を待ち、目の前の標的達を今にも崖から突き落とすような絶望的な殺気を持っている。
「あぁ?」コルテックスは顎の無精ひげの一本を引き抜き、ふぅっと吹いて飛ばした。「そんなに死にたいのかぁ?」
動揺を顔に隠せないままロイモンは眉をしかめた。
「まるでわしらを生かそうとでもするような言い方だな?」
「あぁ、そのつもりだが?」
「何!?」
一瞬だが兵士達の間に希望が生まれた。レンメールですら、助かる可能性が少しでもあるとしたら、それにすがりつきたい気分であった。が、その気持ちを抑えてコルテックスを睨んでいた。
コルテックスは笑った。「冗談だよ」
一気に兵士達の顔は絶望に沈む。目を見開いたモールドが低い唸り声を上げた。
「どちらにしても、だ。わしはお前をここで倒す」彼の声がそこまで動揺しているように聞こえないのは、コルテックスが冗談で言っていた事を見破ったからなのだろうか。
「まぁ、そお逸るなって、ロイモン」コルテックスはまるでなだめるかのような少し穏やかな声で言った。「俺がこうしてこいつらに指示を出さない理由を考えてもみろよぉ?」
ロイモンは顔をしかめた。
「わしらを人質にでもとるつもりか?」
「そんな事をしても身代金を払う相手がいねぇ」コルテックスは肩をすかして笑った。囲んでいる賊達も嘲笑している。「俺にぁ、でっかい野望ってもんがあるんだよ」
「このベリグを乗っ取る事か? 大した野望だな」
「それだけが俺の求めている野望だよ、ロイモン」コルテックスは真顔になっている。「俺ぁ心底お前が羨ましいよ。もともと俺達ぁ一つだった。マルチェルダと分離して、また俺達の二つになった。俺ぁそれを一つにするのが夢だった。もう少しで実現するところだったんだ」
彼の声には先ほど言った冗談のようなふざけた口調ではなく、暗い谷から這い上がってくるようなものがこもっていた。青空の下に相応しくない声だ。
「そこでお前が現れた、ロイモン。そして、忌々しいミホークが散らばった賊を一つにまとめ、俺達をも掌握しやがった。事態は時間と共に進展して、悪くなる。――だがそれもそろそろ潮時にするべきだ。そおは思わねぇかぁ、ロイモン?」
「そうだな」静かに同意し、ロイモンはコルテックスを見た。「だがわしはベリグの民の為に努めている。貴様がやっているのはただの虐殺だ。わしとお前では、意見がまず違うのだ」
「だよなぁ。そうなんだよなぁ。だがなぁ、ロイモン。これぁ戦争だ。国も大荒れ。今だからこそ、こうして手段を選ばず早いうちから支配する必要があるんだよ。誰が上かを思い知らせるんだよ。また一つにして、争いをなくすためにはなぁ」
「言いたい事はそれだけか」ロイモンは怒りをあらわにして剣を突き出した。その狙いは、迷うことなくコルテックスだ。「民を救うための統治で、民を虐殺してはなんの意味もなさない。やはりわしはお前を許す事はできん」
「やるかぁ? 老いぼれ、俺がこうしてお前達を生かしているのは、こんなぐだぐだ話を聞かせるためだけだと思っていたかぁ?」
言い終わるとコルテックスは背中にある二本の斧に手を伸ばし、取り出した。斧の刃は錆びついているが、ロイモンの剣のように分厚く、威圧を感じさせている。鉄の塊を振るようなものだ。
「簡単な話よぉ、ロイモン。ここにいる人間は誰も死にはしねぇ。死ぬのは、たったひとりだ」
「なんだと?」
「俺ぁミホークを討つ。奴が生きている限り、ここを支配した所で自由も何もあるもんじゃねぇ。その為にはなぁ、兵隊が足りねぇんだよ。このベリグの賊全員かき集めても、まともにたちうちするこたぁできねぇ」
「――つまり、わしらをお前達に引きこもうというのだな?」
「早い話がそういうことだぁ。このまま無理やりここを俺が支配してもいいが、そうなると兵力がなくなる。俺はお前達の兵力がほしい。それでも人ではかなり足りねぇんだ。このベリグでは力強き者が長となる。一つになるのなら、長は二人もいらねぇ。どちらが最も強いか、全員の前で知らしめる必要がある」
つまり、ここで全ての権利をかけて一騎打ちを申し出るということなのか。コルテックスは確かにたった一人で分散したベリグの賊をまとめ、頭になった。しかしそれはロイモンも同じ、ベリグをまとめる頭領だ。この二人がまとめていなければ、ベリグは滅んでいたのかもしれない。
二人のうちどちらが優れた長か。それは決めかねる問題の一つであった。
「わしとお前が戦い、勝った者が全てを統べる」ロイモンは思い出し笑いでもするようにくすりと笑った。今、アーチェルドがしようとしていることはすべての勢力の統一化だ。それと同じような事を、ベリグという小さな箱庭で行おうとしているコルテックスがおかしく見えたのだ。「いいだろう、コルテックス。ここで決着をつけようではないか」
「あぁ、ギャラリーは十分にいる」
二人は武器を手にしたまま前に出た。自然に賊と兵士達が道を開け、彼らの戦う空間を作る。
「だ、大隊長…!」ハビーが心配するような声で言った。
ロイモンは振り返り、髭いっぱいの口に笑みを浮かべた。
「心配するな。わしは必ず勝つ」とは言ったものの…。
コルテックスの体はとことん筋肉質で、ロイモンより明らかに厚い。さらに彼は動きが俊敏で、頭が切れる。ロイモンは腕っ節でなら負ける気はしないが、速く動くとなると少々苦しいものがある。
「ついにこの時が来たなぁ、ロイモン」賊の頭は分厚い斧を交差させ、お互いを打ち付けて金属音を鳴らした。「俺達がずっとやりたがってたことだ。お互いの殺し合いをなぁ」
「わしは決着をつけたかっただけだ。お前と一緒にするな」
「もう一度だけ確認をしておこう。俺が勝てばお前の兵士達全員が俺のものになる。お前が勝てば、残った連中を好きにすればいい。こいつらぁ抵抗しねぇ」いい終わるとコルテックスは振り返り、右目に眼帯をした賊に向いた。「なぁ?」
眼帯をかけた賊――副頭のジンベは頷き、周りに指示をだした。賊達は次々と武器を降ろし始める。
「決着がつくまで、一人以外は血を流す事はないのさ」コルテックスの声は響いた。「始めようかぁ、ロイモン。誰がこのベリグを収め、誰が力を得るか、二度とないベリグ同士の戦いをよぉ」
「ではその決闘、私が受けよう」
突然場を一蹴する声が周囲に浸透し、その場にいた全員が声のする方へ振り返った。自然に決闘の空間への道が、賊や兵士達から開いている。
そこには一人の騎士の若者がいた。先ほど殿を務めていた時扱っていたスティレットは腰の鞘に収められており、傷一つついていない。それにあれほどの戦いを切り抜けていたとは思えないほど、涼しい顔をしている。
まるで別の世界からやってきた人間のようだった。
「あ? 誰だ、お前」コルテックスが言った。
「隊長、ご無事でしたか!」レンメールが歓喜混じりの声でそう言う。
それを聞いたコルテックスは騎士に向かって「で、隊長。お前は今なんと言ったぁ?」と問うた。
「その決闘を私が受けると言ったのだ」
妙に落ち着いている騎士の態度が不可解に感じたのか、コルテックスは顔をしかめて首をかしげた。
「お前なにもんだぁ?」
「ユーリンド王立騎士団のランスロットだ」ランスロットは答えた。
つかの間静寂が訪れ、賊の群衆は唖然として彼を見、コルテックスは肩を落として眉を吊り上げた。
「それがなんだぁ? お前がこの決闘の何に関わりがあるんだぁ?」
「ベリグはマルチェルダと組み、統率されることになっている。そして私達ユーリンドは、アーチェルドの同盟国だ。話を聞くに、今からベリグの長を決める戦いをするそうだが、それは無意味になるぞ」
ランスロットが言い終わると同時にコルテックスはロイモンを睨むような目つきで見た。
「今の話はどういうことだぁ?」
「聞いたとおりだ」ロイモンは答えた。「我々はマルチェルダと一つになる」
「話が違うんじゃねぇのかぁ?」
「そちらの都合は知らないが、わしはお前を倒す為に決闘の条件を入れたのだ。文句なら私を倒した後、あの男に言うのだな」と、ロイモンはランスロットに顎をしゃくった。
「…訳がわからん」しぶしぶとコルテックスは言った。しかしそれから閃いたような顔になると思うと、再び真顔に戻ってランスロットへ向き直った。「つまり、あれかぁ? マルチェルダと一つになるってこたぁ、兵が増えるってことかぁ?」
「そういうことだな」ランスロットが答える。
「つまり、今ここでこの老いぼれを倒した所で、あまり意味はねぇってことか…」
「そうだ。だが私ならどうだ?」
全員が一斉にランスロットを見た。レンメールやグリヲ達も彼の言葉を疑い、目を見開いて見ている。
念のためにランスロットはわかりやすい説明を下そうと口を開いた。
「私はこのベリグとマルチェルダの統率の第一人者だ。私を倒せば、その力量があるとされ私の後を継ぐことになるだろう。そうなれば、本格的に兵力を得る事ができるぞ」
彼の提案は最もなものだ。ランスロットは今回のこの任務の最高責任者でもある。王がそれを任命したからだ。そしてそのあとを継ぐようならば、やろうと思えばマルチェルダやベリグの兵力全てを掌握する事が出来る。
だからこそ、全員がその場で凍りついたのだ。なんといっても、ランスロットがその条件を出したのだから。
「…お前、ランスロットと言ったなぁ?」その提案にいかにも賛成というようにコルテックスは笑った。「俺はこのベリグの賊頭のデルマング・コルテックスだ。このベリグの前頭領の息子だ」
「うむ、覚えておこう」
二人は真っ直ぐお互いを見合った。まず最初に目と目が合い、それからお互いの得物を見比べる。
「俺が勝ったら、お前の代わりに軍の全権を受け継ぐ。お前が勝ったらどうする?」
「このベリグの賊全員を軍に加えたい」あっさりと、迷いのない声で騎士は言った。
兵士達は青ざめ、賊は凍りついた。またもや騎士の言っている事が奇想天外で、面食らったのだ。
しかしデルマング・コルテックスは真っ直ぐランスロットを見ていた。
「それは本気なんだなぁ?」
「ああ。私はいつだって本気だ」
「うむ」
副頭が答えを待つように眉を吊り上げている。「頭ぁ。どうするんです?」
「ジンベ、お前は俺達側の代表の証人だ。そしてランスロット、お前達の代表する証人はロイモンだ」コルテックスの声は歪みなく、全員の耳に届いた。「その条件の決闘、受けようかぁ」
二人はお互い武器に手をかけ始めた。ランスロットは二本のスティレットを抜き、胸の前で十字にして構える。コルテックスは二本の斧を八の字に構え、前かがみになった。
こっそりとロイモンが背後からやってくる。
「ランスロット、場に流されて言えなかったが、お前は正気か?」
その言葉にランスロットはくすりと笑った。
「あなたには気を疑われてばかりですね」
「いいな? お前が今戦おうとしている相手はただの賊ではない。賊になる前は真のアーチェルドの戦士の血を受け継いだ強者と仰がれていた奴だ。賊になった後でも力は衰えてはいない。――わしと同じくらい強いのだ」
ランスロットは何も言わずロイモンを見る。彼はランスロットを止めるには言葉が足りなかったのかと顔をしかめ、諦めたように言った。
「…わしより強い」
「忠告ありがとうございます、ロイモンどの。ですがこうでもしなければ、グラベリスに対抗する体勢はとれません。今はたとえ一人でも協力してくれる仲間が必要なのです」
「だからといって、賊などを引きいれるなんて…」
「マルチェルダも同じ決断を下したのですよ」
それだけを言ってランスロットは前に出た。コルテックルは待ち構えており、堂々としている。
「この戦いの決着は、どちらかが死ぬ事だ。俺達ぁずっとそうしてきたんだ。覚悟はできているなぁ?」
「勿論だとも」彼は自信のある落ち着いた声で言った。
「ならかまわねぇ。お互い、必死にやろうぜ」
コルテックスは走りだした。
ロイモンは今頃になってランスロットを本気で止めなかった事を後悔し始めていた。
改めてランスロットとコルテックスを見比べると、身長差が頭一つ分は離れている事に気づく。それにコルテックスの方が頑強で、持っている武器もランスロットの枝のように細い剣と比べれば大砲のようなものだ。
賊の歓声が上がり、コルテックスの斧がランスロットの頭上をかすめる。ランスロットは身を低くして一撃をかわしており、斧に振りまわされることになったコルテックスの喉めがけて突きを入れた。
しかし寸でのところでコルテックスは足を軸に独楽のように一周し、斧でスティレットを弾いた。
あまりに勢いが強かったのか、ランスロットは弾かれたスティレットに大きく振りまわされ、コルテックスと同じように一回転する。
そしてコルテックスと同じように回転からの一撃を転じた。
スティレットの切っ先がコルテックスの髭に覆われた頬をかすめる。ランスロットの動きにも驚くべきところだが、予想がつかない彼の一撃を紙一重で避けたコルテックスにも一同は驚きを隠せなかった。
コルテックスの二本の斧が左右同時にランスロットに襲いかかる。ランスロットは飛竜の口から逃げるようにして地面を蹴り後ろへ跳び、片足が地面に着き斧が振り終わったと同時に前に駈ける。
スティレットの切っ先がコルテックスの脇腹へ滑るように素早く切りかかるが、斧の柄部分がそれを受け止めた。
再びランスロットは地面を蹴って間合いを取る。コルテックスも少しだけ下がり、ランスロットを観察するように見る。
一瞬二人の目が合うと思うと、今度は二人同時に跳びかかり流れるような攻防を繰り広げた。
ランスロットの正確な一撃は必ずコルテックスの急所を突いている。しかし歴戦の戦士であるコルテックスはそれを防ぎ、攻撃に転じる。さらにそれをも流れるような動きで避け、攻撃に生かす。
どちらの体に刃が食い込んでもおかしくない戦いが目の前で繰り広げられていた。
歓声を上げていた賊達は勿論、兵士達も、その場にいる全員は二人の戦いに見入り、ぽっかりと開いた口からは声も漏れなかった。
コルテックスの両手の斧は分厚く、軽く振るだけでもその場の空気を乱す働きをしている。それに加え、彼の経験と戦士としての血が戦いに適応し、相手の波長を壊している。
隙はあるものの彼の荒々しい斧の術は、猛獣だった。人間が猛獣に挑むのをためらうあの威圧と力強さ、絶対的な本能が彼に触れてはならないと告げている。
対するランスロットは――一言でいえば、騎士であった。しかし違う言葉で言いかえれば、騎士とはほど遠い姿に見えた。
彼の両手の二本のスティレットは、殺傷力こそはあるが対人に果たして向いているかどうか疑問に思えてくる。コルテックスの斧の一撃を、それも弾く程度でも受けてしまえば、ねじ曲がってしまいそうな代物だ。
それなのに、彼の二本のスティレットは未だに形を残しており、真の強い彼そっくりに真っ直ぐ伸びている。
かなり高価で貴重な鉱石を使っていたとしても、あれほどコルテックスの斧とぶつかり形を残すわけがない。これは使いでによる力が一番影響を受けているのだ。
ランスロットは斧を受けているのではない。斧の衝撃を逃がし、それを利用した一撃を加えているのだ。
二人の戦いは時間ですると一分半くらいのものであった。しかし一同は、その戦いが十分にも一時間にも感じた。
ランスロットとコルテックス。騎士と賊。ランスロット対コルテックス。
どちらが負けてもおかしくはなかった。
誰もがこう思うだろう。
ランスロットがコルテックスのように雄々しく力強ければ、デルマング・コルテックスに勝ったであろう、と。
コルテックスがランスロットのように賢ければ、オレンジの騎士ランスロットに勝っていたであろう、と。
二人の力は拮抗していた。
何かが変わったとすれば、それはアーチェルドへやってきた時からだ。ルセスという少年と知り合い、自分の中の何かが変わったあの時、すでにオレンジの騎士ランスロットはオレンジの騎士ランスロットではなくなった。
何かが元に戻ったとすれば、それはネーミヌドでミホークと戦った後の時だ。賊達に囲まれ、ミホークと死闘を繰り広げ、本来ランスロットがいたはずの場所の感覚が瞬時に叩きこまれたあの時、ランスロットはルセスの純粋過ぎる瞳を忘れ、オレンジの騎士になっていた。
ルセスの瞳は幼く、脅威だ。あの目は純粋過ぎて透き通っている。底まではっきり見える透き通った湖に泥や血でまみれた体で入るような罪悪感も覚える。
あの目に魅入り、ランスロットの中の忠誠と責任感全てが薄れてしまっていた。
――しかし、今は違う。今ではルセスの瞳も受け入れた。ルセス自信を受け入れた。ルセスがそうしたように。彼を本当に弟子として迎えようと決心した時から。
オレンジの騎士――ユーリンドの賊軍と戦い続け、戦場というものに死の恐怖を忘れたランスロットはあの時に死んだ。
そして今は、無敵の騎士になった。死の緊張を忘れた愚か者ではない。死を知らない者でもない。死と正面から直面しようとも恐れない、無敵の騎士になったのだ。
自分自身を未熟者だと自負しているランスロットでさえ、この時ばかりは無敵だと思っていた。
ランスロットは非常に落ち着いていた。たとえるなら、自室で温かいカップスープを飲みながら吟遊詩人のどこからともなく聞こえる旋律を聞き、デニン・クローム著の貴族の優美な生活の本を読んでいる時のように。
いや、その時よりもっとかもしれない。
まるで体中の力が抜け、リラックスしているようだ。今まで感じた事もないような、そしてどこか懐かしい感覚が全身を包んでいる。
目の前で斧を振るう猛獣を相手にしておきながらも、金属音が不意に頭に響いてきながらも、それが乱れる事はなかった。
ランスロットは今、何も考えていなかった。ただ感じているだけであった。自分自身が非常にリラックスをしていること。斧の風が肌に触れていること。他にもさまざまな事が、体中を通して感じられた。
それだけだった。たったそれだけのことだ。それだけがランスロットを支える。それだけがランスロットとなる。
今のランスロットの気持ちは空気だ。誰にも掴めず、誰にも乱す事の出来ない空気だ。
斧の流れに沿って動くだけ。風が吹けばそれが一撃へと転じる。
騎士としての戦いも、スティレットを持つことによる戦いも、全て体が記憶している。頭は動かす必要はない。ただこの状態をコントロールするのみ。感情ではない。流れだけがランスロットを動かしているのだ。
――落ち着けば落ち着くほど鍛え上げられた本能と感覚が体をスムーズに動かす。
オレンジの騎士ランスロットは、オレンジの騎士ランスロットへと戻ったにすぎない。
コルテックスが大ぶりで斧を振る。ランスロットはまるで予知していたかのように軽く避け、ついに決定打ともなる一撃を加えた。
ロイモンの右ひざにスティレットの穂先が沈む。コルテックスは苦痛に顔を歪ませて、振り払うように斧を振った。
スティレットはあっさりと抜け、ランスロットは後退する。コルテックスの膝からは噴水のように血が上がった。
「おぉおぉぉぉぉぉぉ!!
低い唸り声を上げてコルテックスは斧を振り続ける。しかし傷を追った足では先ほどより速く動く事が出来ず、のろく感じた。
スティレットが水平にコルテックスへ飛ぶ。コルテックスは斧で弾くが、その瞬間激痛でさらに顔を歪めた。
勝負はあった。誰もが確信していた。コルテックスは足の自由を失い、先ほどランスロットと互角に渡り合ったほどの動きはできない。
「勝負は決まったか…」ロイモンがほっと胸を撫で下ろして呟いた。
「がぁぁぁぁぁああ!」
猛獣の咆哮が森じゅうに響き渡り、その場にいた全員が並に打たれたようにひるんだ。
コルテックスは先ほどより力強く武器を構え、さらに強い鋭い目でランスロットを睨む。気がつけば周囲の空気は緊張で張り、ちょっとした振動でも全身に伝わるようだった。
コルテックスより速くランスロットが走った。コルテックスはすでに斧を振りかざしている。二人が衝突する。
斧が頭上からランスロットを襲い、ランスロットへ身をよじり交わす。同時に突きを入れるが、コルテックスの斧の腹がそれを受け止め反らした。
反らした方の斧がランスロットの脇を叩く。鈍い音がしたかと思うと、二本のスティレットの柄が交差し、その中心に斧が叩きつけられていた。
ランスロットはよろめき、コルテックスが飛びかかる。熊が獲物を狩るときのように恐ろしく速く腕を振る。
誰もが息を飲んだ。
しかしランスロットはその場を動かず、態勢を戻した。
コルテックスの斧はランスロットに届かなかった。足の傷で前に進めなかったのだ。
すかさずランスロットがスティレットを振り、コルテックスの腕を切る。半分近く腕の肉が裂ける
右手の斧が落ちる。鈍い音を立てて、地面に沈む。
「ぉぉぉぉぉぉおおお!!」
片足で跳びかかり、雄叫びを上げながらコルテックスは斧を振りかざした。ランスロットは斧を持つ方の指を切り落とし、次に胸を貫いた。
力なくコルテックスの口から血が細く流れ、茫然として胸を貫くスティレットを見る。そこから視線を伸ばしてスティレットの刀身をたどり、やがてランスロットに行きつく。
ランスロットの頭は夕陽に照らされ、オレンジ色に輝いていた。その光は希望の筋をたたえている。
コルテックスの力なき腕が、落ちた斧まで小鹿のように震えながら伸びる。
ランスロットはスティレットを引き抜き、まだ息をして戦う意思を見せるコルテックスを見下ろした。
「アーチェルドの戦士デルマング。あなたは偉大な戦士でした」
最後に苦痛と敗北がコルテックスの顔に滲み、次の瞬間スティレットが首をはねた。
大きな頭は首のうえで少しだけ跳ねあがるとそのまま真っ逆さまに落ち、遅れて首を失った胴体が崩れるように倒れた。
一斉にアーチェルドの兵士から歓声が沸き起こった。
まるでたった今沸き起こった事のように、ランスロットは自分のどっと流れだす汗に気づいた。体中が水を浴びたように濡れている。
歓声がランスロットを包み、熱気混じりの風が吹き抜けた。汗に濡れた肌には、この風でも涼しく感じる。
「素晴らしい! 隊長、見事な腕でした!」レンメールが拍手をしながら歩いてきた。「コルテックスはマルチェルダにも知られる凄腕の賊でした。あのミホークと同等の腕を持つとも言われていました。しかし、あなたは勝った!」
今にも喜びに狂いそうなマルチェルダ兵士達はそのまま宴でも始めてしまうのではないかと思われるほど騒々しかった。
「油断はならんぞ」ロイモンが警告するように言った。「勝ったとはいえ、残った者たちがそれに従うかどうかはわからんからな」
はっとして全員が囲む賊を見た。案の定、目は怒りに燃えている。わなわなと震え、いつ襲いかかってきてもおかしくない様子だった。
「君達は立派に戦った頭の命令に背くのかね?」息切れが目立つものの、ランスロットは落ち着きを払って言った。
「俺達は頭についてきた。頭が俺達の憧れであったからだ。そこのロイモンについて行く気はしねぇ」副頭のジンベが言った。眼帯をしていない方の目からは複雑な感情が見える。「だが、そんな頭の命令だ。俺達が従わないわけにはいかねぇんだよ」
「そんな、副頭! こいつはお頭を…!」
「黙ってろ! 頭の最期の命令がきけねぇのか?」
我慢できず抗議する賊の一人をジンベは一喝する。その場にいる賊全員が静まり返り、黙ってうつむいた。
ジンベはランスロットを見る。
「聞いた通りだ。俺達は今日からあんたについていく。あんたの好きにしろ」
再び兵士達から歓声が上がった。
「それで、わしらはこれからどうすればいいのだ?」ロイモンがそう問うた。
「民は全てマルチェルダへ集めるつもりです」と、ランスロットは答えた。「すぐに民を従えてマルチェルダへ向かってください。準備が必要だと思いますので、二日は待ちましょう」
「そんなに待って大丈夫か?」
「ええ。ですが兵の半分を今すぐモネルダまで向かわせてください」
「なに?」ロイモンより早くにジンベが反応した。「あんた、知っているのか?」
「知っているとは?」ロイモンも問いかけるようにランスロットを見る。
「これは推測ですが、ミホークは勢力を一気に落とすつもりです。ネーミヌドとベリグを落として安心するような男ではありません。これに乗じて、対策を練る時間も与えずに全てを飲み込もうとするはずです」
「なぜだ?」
「グラベリスが迫ってきているからです」
グラベリス帝国――それがもし、軍を成してここまで向かってきているのなら、今のアーチェルドでは勝ち目がない。ミホークはすぐにでも国を制圧し、グラベリスを退けたいはずだ。
ユーリンドがアーチェルドの情勢を知っているという事は、グラベリスにもとっくにそれが届いているという事。つまり、確実に落とせると確信したグラベリスはすでに迫ってきているのだ。
「では、やつはどうやってグラベリスを退くつもりだ?」
「それはわかりません」残念そうにランスロットは首を振った。「ですが、ミホークはなんとしてもグラベリスを避けたいはずです。もしかりにこのままアーチェルドから離れてしまえば、再び今のように混乱の渦の中登りあがるのは難しくなるでしょう。ですから、今のうちに全てを終わらせようと考えるはずです」
「お頭も同じような事を言ってた」ジンベが感心して言った。「だから、お頭もミホークをうちとる気でいた。すぐにでも兵隊を集めないといけない、と」
「そういうことだ」ランスロットは踵を返し、兵達を見た。「諸君、これよりベリグはマルチェルダと一つになる。二日間、準備を整える期間を与えよう。その間に荷を整理し、マルチェルダへ移住する準備を整えてくれ! そして今ここにいる兵士と民達といる兵士のうち半分が民を導いてくれ!
――あとの半分は、これより私とモネルダへ行ってもらう!」
「隊長、モネルダへ何をしにいくのですか!」モールドが大声で言った。
「次の交渉が待っている」
マルチェルダの兵士はランスロットについて行く意を表して、高らかに雄叫びを上げた。
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