大泥棒の路地裏

大泥棒の路地裏

第二章


「女王と僕」


 行きの馬車で、必ずといっていいほどいつもアニスターを送り届ける馬車の御者の長話を適当に流しながら、彼は茫然としていた。馬車の御者の話なんて、ほとんど耳に入らない。

「この辺りも物騒になったもんだよ。なんたって、グラベリスの残党が賊となってこの辺をうろついてるって噂だからね。ハンターも結構襲われたらしいよ。だからあんたも気をつけておくれよ。俺は狼煙が上がるまで安全なところで待機してるからさ、どうせすぐ終わるだろ? それと、賊を見たら迷わずあんたの剣でやっちゃいな。賊だってハンターの装備品で太刀打ちされちゃかなわんだろうしな。とにかく気をつけるこった。

 ――んで、今日はなんの依頼? キノコ? えっ、いいたくない?」



 馬車で川沿いまで送ってもらい、そこからは自分で小舟を使って川を渡る必要がある。川を西に進むと、その先にはベースキャンプとして役割を果たすつかわれなくなった船が設置されてある。

 密林は確かにキノコ狩りをするとして、なかなか収穫できる場所の多い地区なのだが、もっと近い森と丘と呼ばれる丘陵地区のほうがはるかに手ごろで、時間もかからない。ここ最近アニスターは密林に来ていなかった。

 高々とそびえ立つ切り立った絶壁を見つめ、アニスターはため息をもらした。絶壁には丈夫なツルが垂れ下がっており、そこから登って奥の飛竜の巣である、洞窟へ入ることができる。

 だが絶壁は息を飲むほど高く、登っている間に足を滑らせれば大怪我で済まないのは確かだろう。ここから登るのが、アニスターの対象の獲物への一番の近道となるのだが、彼はここを登るのを断念した。

 アニスターは一度もここを使ったことがなかった。理由は簡単だ。単純に怖いからだ。

 支給品ボックスに収めてある支給品をいくつか取り出し、腰のポーチに終うと、アニスターはなんの躊躇もなく海岸沿いのルートへと向かった。




 海岸沿いを進み、奥の密林地帯へと足を踏み入れたアニスターは、その密林のありさまをみてゴクリと唾を飲んだ。

 なぎ倒された木々、大きく抉れた地面、そして焦げた臭気。こんなこと、人間や、この辺を徘徊しているランポスやコンガなんかにできる芸当じゃない。湿気の多い暑さにじっとりとした汗をかきながら、アニスターは身震いした。

 これは対象の雌火竜リオレイアが暴れた痕だ。だけどなぜこんなところで暴れる必要がある?

 繁殖期のリオレイアはかなり気性が荒いとはいえ、意味もなくこんな場所で暴れる必要はないはずだ。アニスターは強張った首を動かし、周囲をうかがった。

 リオレイアがこうやって派手に暴れるとすれば、彼女から見て外敵に位置する何かがいた時だけだ。そしてそれは、ハンターである可能性が最も高い。

 自分以外にここに訪れたハンターがいたのだろうか? だとすれば、そのハンターは無事なのだろうか。

 再び妙な絶望感がゆっくりこみ上げてきて、アニスターは強く首を振った。酒場を出る前に、ヴィネーダは優しい声で「無理しないで、危なくなったら帰ってくるのよ」と言ってくれた。だが、アニスターはそれをなるべく行いたくないと思っていた。

 逃げるのは嫌だった彼の思いも、この現状を目の当たりにすれば少し考えてしまったりする。他にハンターがいるのであれば、手伝ってもらえるかもと考えた自分が情けない。

 アニスターは自分に逃げるべきじゃない、ここで逃げたら父さんのようにはなれない、と言い聞かせながら、一歩一歩慎重に歩きだした。

 なぜリオレイアはここで暴れたのか。アニスターは答えがすぐに見つかるのを予想していなかった。

 飛竜の巣へと続く洞窟の入る瞬間、入口の前に青い巨体をのけぞらせ、口を歪めながら開くランポスの死骸があった。体の半分以上は焼きただれており、肉は腐り始めている。

 やがてランポスは砂浜で作った砂の作りもののようにもろく崩れ、アニスターの目の前で散り散りになっていった。

 アニスターはぽっかり口を開けたまま、暫くそこで立ち尽くしていた。




 洞窟へ入るには二つの通路がある。ひとつは右手の洞窟で、飛竜が外敵を迎え撃つ時によく使われる場所だ。天井には大穴が空いており、そこから大型の飛竜は洞窟の中に入ることができる。

 もうひとつは正面の入口から入る洞窟で、そこから奥の飛竜の卵が置いてある、飛竜の巣がある。繁殖期のリオレイアは主にそこで卵を守り、ほとんどをそこで過ごす。したがって、あの雌火竜と対峙するならその飛竜の巣ということになる。

 アニスターはついに意を決して正面の入口に突入した。正面の入口から入るとさっそく、ベースキャンプ前の絶壁ほどではないが、切り立った崖がある。アニスターはそれに垂れるツルを丁寧に伝って降りながら、胸でムシムシと湧いてくる不安に居心地の悪さを感じていた。

 勢いで受けた依頼とはいえ、やっぱりもっと考えるべきだった。人には向き不向きというのがあり、アニスターにはまだこの依頼は不向きなものと考えるべきだ。

 一度だけ彼は飛竜の討伐に赴いたことがある。それはヴィネーダの紹介で、それなりに実績を持つハンターチームに入れてもらい、沼地にて毒怪鳥ゲリョスの討伐を受けたのだ。

 その時は――当時、彼と組んでいた仲間はまだ早いし、やめておいたほうがいいと止めたのだが――仲間がゲリョスと戦っている時、周りの雑魚、イーオスやブルファンゴといったモンスターを相手にするのが彼の仕事だった。アニスターは自分からそれを志願した。

 だが結果は散々なもので、モンスターの相手どころか注意を引くことすらできなかった。結局ゲリョスは討伐できたものの、アニスターは何一つ役に立てず己の未熟さと無力を味わっただけであった。

 その時仲間の倒したイーオスの素材を使って作ったのがこのイーオスシリーズの防具だ。アニスターのランクにしては上々の品物で、武器のコロナと合わせると上級ハンターとしても通じる。が、彼はひどく臆病だった。

 今はまだリオレイアに立ち向かう気持ちはある。しかしもし標的を目の当たりにし、いざ戦うとなればその臆病の本領を発揮し、気分を萎えさせ全力で逃げかねない。

 それが一番の不安だった。ヴィネーダや酒場のみんなは彼の決断に驚き、そして応援してくれた。それを踏みにじるのが一番嫌だった。成功させなくても、それなりに結果を残せればいい、なんて考えじゃだめだ。

 ここは、何がなんでも成功させてやるという意気込みを強く持つべきだ。

「よおし!」

 崖を降り、堅い地面に足をおろしてアニスターは声を張り上げた。イーオスアーム越しの手で頬を軽く叩く。結構痛いが、そのおかげで気合いが入った気がした。そのまま彼は決意を固め、歩き出す。

 今までにないほどの強い意志が存在しているのをアニスターは感じていた。この依頼は、なんとしても成功させてみせる!

 ガッ。

「おわっ」

 ドサッ。

 突然足元に何かが引っ掛かり、アニスターは仰向けに倒れた。最初にイーオスメイルに囲まれた胸を打ち、衝撃の反動で額をぶつける。それだけなのに鈍い痛みが残り、アニスターはうずくまった。

 せっかく決意を固めた時だというのに、なんでこういう時まで僕はドジなんだ。アニスターはまた自分に嫌気がさし、足元を引っかけたと思われる場所を見た。

 そこにはランポスの死骸があった。半身を食いちぎられ、首から繋がる胸のあたりまでを残した死骸の腕がアニスターの足元を引っかけたのだ。血は黒ずんでいるが、殺されてそう時間は経っていないようだった。ランポスなどの死体は、すぐに腐り果て、分解して消えてゆくからだ。

 背筋に氷をなでつけられたような悪寒が走り、アニスターは意味もなく走り出した。恐怖に、緊張に、自分の悲鳴に、そこにある物すべてに驚き。

「わあああああああああああああああああ!!」

 彼は叫びながら走っていた。自分でも、叫んでいることを自覚していない。とにかく、走るしかなかった。この不安な気持ちと、決意を揺らがせる恐怖を吹き飛ばすには。

「あああああああああああああああああ!!」

 彼は洞窟の通路をいくつも走り通し、アニスターは着実と飛竜の巣へ向かっていることも自覚していなかった。

 通路を抜け、またひとつ切り立った崖の存在すら気づかずアニスターは走り続け、空中を何度かけっている時に彼はすべてを自覚した。叫びっぱなしだったことも、自分のどうしようもない無力も、そして、ここが目的地の飛竜の巣であるということも。

 アニスターは落ちた。だがそこまで高いわけではなく、すぐに地面に着地することができた。受け身をなんとか取り、体への負担を和らげるも、やはり痛いものは痛いし、あちこちがひしひしと痛んでいる。

 決定的な痛みはないものの、しばらくはまともに動けそうもなかった。

 飛竜の巣は洞窟の中の、広間のような場所だった。天井は例によって大穴が空いており、白乳色の柔らかい光が射し込んでいる。洞窟全体が青白く、外と比べるとうす暗いが、別段視界が悪いわけではない。

 ここの密林とは違った独特の空気がアニスターは好きだった。だが今では血の匂いしかしない。

 アニスターの目の前には複数のランポスの死骸が並んでいた。どれも体のどれかを食いちぎられ、肉は焦げている。アニスターは息を飲んで耳をすませた。

 少し離れた場所には、柔らかい草木で作られた巣がある。周辺にはどんな生き物のものとも分からない骨が散乱している。そしてさらにそこから離れた所には――生きたランポス二頭と、リオレイア一頭がいた。

 深緑の鱗や甲殻で覆われたリオレイアの巨体は軽く暴れるだけで、強固な城をも破壊できそうな迫力を持っている。翼の翼膜には黒い文様のようなものが浮かんでおり、首や翼には鋭い棘が生えている。

 黄色い爬虫類と同じ瞳はランポスをとらえていた。ランポスは威嚇しながら一歩ずつ慎重に下がっていく。だがリオレイアが少し首を伸ばすと一瞬でランポスまで届き、恐ろしい牙を並べた口でその青い体を即座に噛み砕いた。

 最後の一頭は高く跳躍してリオレイアに飛びつくが、あっさり尾でなぎ倒され、どこまで続くのかわからない絶壁から身を投げ出していった。

 すべての外敵を対峙してから、アニスターと目が合うまで時間はまったくかからなかった。リオレイアの黄色い瞳と、アニスターの黒い瞳が合う。

 悲鳴すらでなかった。距離は大分あるが、アニスターの位置から後ろのリオレイアが入れない狭い通路までの距離も大分ある。

 ごくりと生唾を飲み込み、アニスターは硬直していた。リオレイアは新たな外敵を見つけると躊躇もなく地響きを立てて突進を開始する。

 だが不思議なことに地響きが近くなるにつれ、アニスターの硬くなった体は次第に緩み始めていた。それを意識したわけではないが、いつの間にかアニスターは背中に掛けたリオレウスの甲殻で出来た盾と、腰のコロナを手に握っていた。

 地響きがすぐそこまでやってきた瞬間に、アニスターは地面を蹴っていた。と、同時にリオレイアの恐ろしい緑色の巨体が目の前を一瞬で通り過ぎる。

 アニスターは不思議に思った。そして、冷静に。なぜ、自分はあの巨体の一撃を避けられたのだろう。なぜ、この手には父さんの形見のコロナが強く握りしめてあるのだろう。

 リオレイアは咄嗟に突進を避けられたにも関わらず、即座に踵を返してアニスターに振りかえり、突進を再開した。

「いっ!」

 さすがにこの反応にアニスターは焦った。さっきから全身の汗が滝水のように溢れているというのに、頭は冷静でどこへ行けばいいかを教えてくれる。アニスターの頭の出した答えは、とにかく走ることだ。

 リオレイアを背にしてアニスターは走りだす。そして地響きとリオレイアの喚き声がすぐそこまで迫ってきたと同時に、彼は横に飛んだ。

 全身を硬い地面に打ち付けながら転がる。リオレイアは今度こそ突進の一撃を決めるつもりだったのか、避けられたと同時に態勢を崩し、胸を地面に打ちつけながら急停止した。

 そこから態勢を戻すまで、少しだけ時間がかかるはず。アニスターは今は逃げるべきだと思い、リオレイアから逃げた際近づいた出口の通路を見た。

 光が射し込んでいるその通路の先には、ベースキャンプへ繋がるジャングルが広がっているはず。そこへ出れば、リオレイアも飛んでそこに到着するまでしばらく――少なくとも、逃げ切るまでの時間はかかるはず。

 アニスターは意を決して立ち上がると同時に走り出した。頻繁に体のあちこちを打ちつけたせいで全身が痛い。だが、それをこらえながら彼は必死に走った。

 後ろではリオレイアが立ち上がり、咆哮しているのが振動で伝わった。背後に神経を集中したような緊張感が走る。出口まであとわずか、今リオレイアが突進を開始しても、この距離まで詰めるころにはアニスターも通路の外だ。

 この時アニスターは一瞬気を緩ませてしまった。本来なら、この気の緩みはハンターの命取りとなり、二度と通路の外へは出られなくなるだろう。だが、アニスターの場合はそうではなかった。

 ガツッ。

 ドサッ。

「あいた!」

 何もない地面でアニスターは踏み外し、思いっきり蹴躓いてしまったのだ。それと轟音が響き、同時に頭上が熱くなるのを感じた。髪の毛がちりちりと焦げ、何本も跳ね上がっている。アニスターは何が起きたのか理解できず、倒れた態勢のまま見上げた。

 彼の少し先の地面にはマグマのような火が溜まっていた。赤々とした地は周囲の景色をうつろにしている。

 目頭が熱くなるのを感じた。リオレイアは火球を吐いたのだ。驚くほど正確にアニスターに飛んでいった火球は、彼が蹴躓いたせいで見事に外れ、正面に落ちてしまったのだ。

 もし、あのまま走り続けていたなら…。

 ぞっとして、アニスターは振りかえった。リオレイアは大きな翼を広げると一回仰ぎ宙を浮くと、もうひとふりした。リオレイアは一瞬で距離を縮め、アニスターの目の前までやってくる。しかもその滑空はまだ続いており、アニスターに激突する瞬間だった。

 この時、アニスターのなかで非常にゆっくりとした時間が流れていた。ハンターになってからのさまざまな場面が、頭の中を通り過ぎてゆく。

 ヴィネーダの優しい笑顔、時折見せるギルドマスターの激励、酒場のみんなのからかう声、情けない自分の姿――

 ああ、これが走馬灯というやつか。みんなには悪いけど、最後には母さんが見たかった。

 一瞬気を失いそうになった。その刹那、母さんの声が聞こえてくるような気がした。

「伏せろ、小僧」

 だがその時聞いたのは母さんの優しくあたたかい声ではなく、少年の命令するような声だった。咄嗟のも関わらず、アニスターは背中を仰け反らせ、伏せるまでもは行かなくても身を低くした。

 太く大きい何かが目の前を凄い勢いで通り過ぎる。その瞬間に見えたのが、淡い赤色の刃だった。

 刃はアニスターを通り過ぎると、激突寸前だったリオレイアの頬を打ちつける。刃は一瞬止まると思うと、リオレイアはハンマーで叩かれたボールのように弾かれ、悲鳴を上げて大きくのけぞった。

 弾き飛ばされたリオレイアはそのままの勢いで叩き落とされ、大音量を響かせて地面に叩きつけられた。

 アニスターは恐る恐る振り返り、声の主を探した。そこには自分と同い年くらいの褐色肌の少年がいた。

 炎のように赤い短髪に、鋭い目に似合わない大きな瞳。口もとには不敵に笑みが浮かんでおり、青い瞳はアニスターを一瞥したあとリオレイアに向けられた。

 少年の両腕には赤い――光の角度で桃色に見える――刀身の大剣が握られていた。これはドラゴンに対して絶大な威力を誇る<付加属性>を持つとされている、ドラゴンキラーと呼ばれる大剣だ。

 さらに防具は全身を雄火竜リオレウスの鱗や甲殻を素材に作り出したレウスシリーズを装備している。

 赤毛の少年はにやりと笑うと、アニスターを超えて倒れてもがくリオレイアに向かって大剣を向けた。

「我が名はフレイド!」

 甲高い声が洞窟中に響き渡った。

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