大泥棒の路地裏

大泥棒の路地裏

第十二章


「決断と僕」


 夜明けの酒場には客どころか従業員もほとんどおらず、静まり返っていた。

 この時間帯の酒場は閉店扱いで、人は出払っている。こんなに静まり返った酒場も、普段騒がしく耳鳴りの止まない夜と比べると不快なほど違和感がある。

 ヴィネーダが常に仕事をしているカウンターに腰を添えて座っている竜人族、ギルドマスターを見下ろして、フレイドはそのしわから何か読み取れないものかと目を細めた。しかし、まるで岩を見つめているように何もわからない。

 突然呼ばれたかと思えば、五分ほどの沈黙が続いている。いい加減用件を聞きたいところだが、どういうことかそれを躊躇している自分がいた。その理由が未だにわからない。自分の事なのに、自分の事でないような、そんな不可思議な感覚が頭に入り込んでいる。

 すっと黙っていたギルドマスターが顔を上げ、細めた目に光が少し入るのをフレイドは見た。

「…ふむ」ギルドマスターはベージュ色の指を突き出したかと思うと、髪の薄くなった頭を丁寧に撫でた。「そろそろ、時期がきたのかもしれんのぅ」

 そう呟くように言うギルドマスターの言葉に、フレイドはろっ骨を突き破りそうなほど激しく鼓動する心臓を感じた。まるでこれを聞くのが怖かった、または待ち遠しかったというような動きだ。

「お前に試験をしてもらう」

「本当か!?」突然こみ上げる嬉しさをフレイドは抑えきれず、身を乗り出してギルドマスターの小さな肩を掴んだ。「ってことは、俺もギルドナイツになれるってことか!?」

「あぁ…うむ。試験に合格さえすれば、お前も晴れてギルドナイツの一員じゃ」

 待ち遠しかったこの瞬間がついに来た! フレイドは喜びのあまりそのままギルドマスターと踊り出したい気分になっていた。

 しかしその思いを一蹴するように、ギルドマスターはふらりとフレイドの手から離れ、厳しい目を向けた。

「じゃが、その前にお前にはまだパートナーとなるべき者がいない。試験はそこから始まる」

「それなら心配ないって!」フレイドは振り返り、酒場の入口に向かって「おおい、ア――」

「それは正しい選択かの?」

 ギルドマスターが問いかけるような目をしてそう言い、フレイドは言葉を止めた。

 ここがギルドで、彼がギルドマスターならそれは聞くべきことではない。ギルドマスターにしてはあまりにも信じられない言葉だ。

「アニーを選ぶ気なのじゃろう?」ギルドマスターが相応しくない言葉一歩手前の言葉を言った。

「だとしたら?」

「その選択が正しいのか、自分でも考えてみたか?」

 ギルドマスターの相応しくない言葉が思ったより重く、フレイドの嬉しさ余った熱気を一気に冷ましてしまった。

 ギルドナイツになるためには、今の現状だとパートナーが必要になる。そしてそのパートナーはギルドが選ぶのではなく、ギルドナイツ志願者が選ぶという手段になっている。

 それがこのギルドの掟の一つだ。

 志願者にはさまざまな能力が求められる。狩は勿論、それ相当の応用や判断も必要となる。

 このパートナー選びは、それらを考慮する上でよく出来た試験だとも言えよう。ギルドナイツとなるものが、それに相応しいと思う者を招き入れる。誘いを受けたパートナー次第でその後のギルドナイツとしての仕事がどうなるかを物語っている。

 ギルドはパートナー選びに“あえて”口出しはしない。その者が相応しいと思える者が入るということは、ギルドが口出ししては試験にならないからだ。

 それにギルドは、誘いを受けたパートナーにあまり能力を期待していない。ギルドナイツとして勧誘をした者の能力を信じるからだ。

 だからギルドナイツ次第で、パートナーが必要か必要でないかが決まる。それにギルドが口出す事はまずない。

 それなのに、ギルドマスターはまるでアニスターを引き入れることを拒むような目をしてフレイドを見上げている。

 彼は何を訴えかけてくるのだろうか? アニスターはギルドナイツに相応しくないと? 英雄の子供であろうと、何も引き継いだ様子を見せない未熟者は選ぶなと?

 ギルドマスターの考えが読めるわけではないが、なんとなく感じるような気がしてフレイドは気に食わなくなった。このじじいの鼻を明かしてやりたい、そんな強い思いが思考を焦がす。

 ――が、ここは冷静になろう。フレイドはアニスターを信じている。だから彼と共にギルドナイツになりたいと願った。彼には素質がある。彼もまた、他のハンターの鼻を明かしてやりたいと思っているに違いない。

 気が合う者同士だ。何も躊躇する必要はない。ギルドマスターに遠慮する必要もない。

 フレイドは再び振り返り、アニスターのいる酒場の入口に向かって声を上げた。

「おい、アニー! 来てみろよ」

 フレイドを見上げながら、ギルドマスターはニコリと笑った。




 フレイドが自分を呼ぶ声がして、アニスターはびくりと肩を上げた。フレイドがギルドマスターに呼ばれる事になり、なぜか自分がそれに付き合うことになるのだが――。

 付き合ってくれと言われて実際来てみれば、酒場の外で待っていろだなんて勝手な話だと思わないだろうか。だいたい、なぜ付き合ってくれなのだ? こんなところに今の時間来たって、ハンターは何もすることができない。なぜならこの時間は休業扱いなのだから。

 夜明け前のレヴァンはとても静かで、巨大な城壁に囲まれているせいかとても深い暗さをしている。

 この時のレヴァンが一番不気味だ。なんだか、常に何かに見られているような気分だ。

 月も見えない、夜より少し明るい程度の空がアニスターは不気味に感じていた。

「おーい、アニー。聞こえないのか?」

 フレイドの少しいらついた声がドア越しに聞こえ、アニスターは慌てて考えを振り払い酒場へ入った。




 初めてみる光景のようで、じつはそうでもないような、そんな錯覚にアニスターは襲われた。

 誰もいない酒場に一人の少年ハンターとギルドの統率者。こんな光景、見る事があるはずがない。

 まず、誰もいない酒場を見る事がほとんどないなか、その中でフレイドとギルドマスターだけが残っている様子なんて想像もできなかった。

 それはあまりにも凄惨に見えて、ひどく滑稽に見えた。

 そんな二人が何も言わずに自分に視線を注いでいるのがなんだか居心地悪くなり、アニスターは目を反らしてしまった。

「あの…、それで、なに?」

「アニー、ちょっとこっち来てくれ」フレイドの声はいつになく真剣で、凄味があった。

 いったい、こんな重い空気の中なんの用なのだろう。気になるが、知りたくないという思いもどこかにあった。

 言われた通りフレイドとギルドマスターの前に立つ。カウンターに座っているギルドマスターはフレイドとアニスターを見比べるように交互に見る。

「えっと、それで…」

「なあ、アニー。俺が昨日の夕方に話した事を覚えているか?」

「ギルドナイツがどうとか言ってたこと?」昨日の話でもう忘れるわけないだろ、と思いながらもその気持ちを抑えてアニスターは答えた。

「パートナーの件もか?」

「うん」

「俺がお前と一緒を相棒として引き入れようとしていることも知っているよな?」

「う、うん」

 フレイドの口調が強い気がする。それに変だとも思った。いつも変だが。まるで、カウンターのギルドマスターに知らしめようとしているような…。

「あっ」そこまで考えて、もしかしたら、と思えるものが浮かんで思わず声が出てしまった。

 案の定フレイドは気づいたアニスターににんまりと屈託のない笑顔を浮かべる。

「気づいたか?」

「えっ、でも、そんな事…」

「そんなことあるんだよ!」フレイドは嬉しそうにアニスターの首に手を回し、力強く引き寄せた。フレイドの顎が頭に当たる。「ついに俺の実力が認められて、ギルドナイツとしての試験を受ける事ができるんだよ!」

 フレイドがギルドナイツに認められた? それは凄い事だ。ギルドナイツはエリート中のエリートと聞くし、ハンターのリーダー的存在でもある。どんなにランクの高いハンターでも、ギルドナイツという肩書があるハンターには頭も上がらないという。

 そんな凄い存在になる準備が、フレイドには出来ているという事だ。それが心のどこかに突きささる。

 アニスターは自分自身に劣等感を持っていた。なぜなら、自分はハンターの歴に対して成長が普通より遥かに遅く、才能がないとすら言われているちっぽけな人間だ。

 それなのに自分の周りにいる人、自分を支えてくれている人はみんな凄い人ばかりだ。

 父ブルームはレヴァンの英雄。応援してくれるハンターのうち数名は高ランクハンター。そして友人のフレイドは将来有望のギルドナイツになる存在。

 なんだか恥ずかしくなってきた。なぜ自分なのだろう。フレイドがこれから何を言うか、わかっていたのでなおさらだった。

「なぁ、アニー。これから試験を受けるんだが、お前を相棒として迎えたい。一緒に試験を受けようぜ」

「む、無理だよ」即答、というほどではないが、タイミング的にもかなり早くアニスターは首を振って言った。

 フレイドはいったい自分の何を求めてギルドナイツというエリート集団へ自分を入れようというのだろう。ブルームの才能を引き継げず、ハンターとしてなんの役にも立てない弱いアニスターに彼は何を期待しているのだろう。

「ギルドナイツになろうとするお前がさそう責めるべきものではない。じゃが、それを受け止めるかどうかはパートナー次第じゃ。無理意地をする事はできん」

 どんなに誰が願おうと、どんなに求められようと、当人に気がないのなら諦める以外の手は無い。ギルドマスターはそう伝えている。

 フレイドはギルドマスターを見るが、すぐにアニスターに視線を戻した。

「アニー。俺が組んで一緒にギルドナイツをするとすれば、お前だけだ。ずっとお前と組みたいと思っていた。ハンターとしての相棒だけじゃなく、一緒に戦うギルドナイツとして」

 フレイドの目は真剣そのもの。本気で説得している目だ。それほど、この少年はアニスターを求めている。

 …………しかし、それでもアニスターは自信が持てなかった。その壁になっているのが、やはり自分自身であった。

「でも、僕なんかじゃ…それに、僕の目的はギルドナイツじゃない」

「親父さんが目標なんだろ? だったらなおさら、ギルドナイツになるべきだ」

「それは、どうして?」

 と、アニスターが聞くと、フレイドは得意げに腕を組んでにやりとした。それから何か一言言葉を出そうとした瞬間、何かに気づいてフレイドは口を閉じた。

「なに、どういうこと?」

「あ~…いや、これは俺から言ってもいいもんだろうか…」了解を得るようにフレイドはギルドマスターを見る。ギルドマスターは表情こそ変えぬものの、厳しい顔のまま頷いた。

「本当にどういうことなの?」

「アニー、ギルドナイツってのは普通のハンターじゃ受けられないようなかなりレベルの高い依頼なんかもやっていくんだ。それがどういうことかわかるか?」

 それなら昨日聞いたし、忘れていない。

「危険度が高いってことだよね?」だからなおさら無理なのだ。アニスターは思った。

「そうじゃない」それなのにフレイドはそうではない、と否定をした。「それだけ深刻に困っている人を救えるってことだよ」

 アニスターは彼の言葉にはっとした。アニスターの目標は父のようなハンターになること。人を救うため、助けるためのハンターだ。それならそれ相当に強くなければならないが、強かろうと手の届かない所もある。

 それを可能にしているのがギルドナイツだ。

 心が揺らぐのを感じていた。ギルドナイツになれば、父のようになれる。人を救えるハンターになることができる。それだけで父のように強くなれるとは思えないが、少しでも近づける――。

「でも…」それなのに決めかねている自分に腹が立った。自分のどこかが、そのままフレイドに任せておけと言う反面、もう一面が本当にそれでいいのかと問うてくる。
「それに、お前の親父さんもギルドナイツだったんだぜ」

「………え?」

 フレイドの言葉が思ったよりずっと重く感じた。

「お前の父、ブルームもギルドナイツの一員だったんだぜ。ほとんどの奴は知らないけどな」

「君の父親は優秀なナイトであった」ギルドマスターがカウンターからひょいっと飛び降り、音もなく猫のように背中を丸めて着地した。懐からゴブリの杖を取り出して床を突き、こつこつと気持ちのいい木の音を立てる。「ギルドナイツのなかでも彼は優秀で、皆の手本となるハンターであった」

「ギルドナイツは本来お互いがギルドナイツだってことを知らないんだけど、ブルームだけは別でギルドナイツは誰もが彼を知っていたそうだ」と、フレイド。

「その通り。一般には知られる事はなかったが、彼の行動は並のハンターとしては目立ちすぎるからのぅ」

 そんな話、聞いた事もなかった。父がギルドナイツだったなんて、恐らく母も知らなかったことだろう。だからあまり信じられないのだが、ギルドマスターとフレイドが嘘をついているようにも見えない。

 ようするに真実だということだ。アニスターはギルドナイツの息子だったのだ。

「お前が親父さんを目指すんなら、自然にお前はギルドナイツになる道を選ぶはずだ。ああ、そうに違いないね」

「で、でも…」それでも、たとえそうだとしても、まだまだ自分の実力では相応しくない。

 そんなアニスターを気遣うように、フレイドは優しく肩に手を置いた。

「アニスター、ギルドナイツになる条件は、優秀であり忠実であることだ。お前はまだその条件に見合っていない。だけどな、ギルドナイツのパートナーとしてなら、誰も能力を問う事はないんだ」

「えっと、それはつまり…」

「パートナーとしてなら、お前は無条件で合格なんだよ」

 つまり、こんな自分でもギルドナイツになれる、とフレイドは言っている。

「で、でもなんで僕なんか…」

「お前は自分を過小評価しすぎだ。ランポスだってちょっと教えただけで完璧に対処できたのは誰だ? キノコ狩りしか受けられなくても、めげずに励んできたのは誰だ? ブルームという英雄を真面目に目指しているのは誰だ?」

 全部、アニスターだ。

「そう、お前だよ! お前は俺と同じように夢を必ず実現させたいと思っている! お前のその光の道が何よりも俺といる理由になる。同じ志を持った仲間を持っているから、前に出られるもんなんだ!」

 フレイドから彼自身の夢を聞いた時、最初は馬鹿らしいものだと思っていたが、誰かに憧れ、目指す彼を見て勇気付けられたような気もする。

 片腕のフレイを目指すと聞いた時、なんだか嬉しかった。自分のような目的を持っていて、恥ずかしげもなく告げてくるその堂々とした夢を持つ人を見て。

 それがフレイドも同じだとしたら、自分を誘う最大の理由になりうるかもしれない。それに二人はもう友達だ。友達と一緒にいたいという思いは、別に不思議でもなんでもない。

「わしらギルドナイツはパートナーに対して口出しはしない。ギルドナイツの能力が問われる試験の一つでもあるからのう。それからギルドナイツになり、どうなっていくかはギルドナイツだけでない、パートナー次第じゃ。君がやりたいというのなら、わしらは拒みもしない、応援さえする」

 ギルドマスターの言葉と、フレイドの意思が背中を押す。アニスターにフレイドの誘いを断る道理はないし、臨むべき事だ。目的に向かう最初の一歩でもある。

 ――だが、アニスターはその場で立ち止まり、首を振った。

「それじゃあ、違うと思うんだ」




 アニスターの迷いのない声が耳に届き、フレイドは少しだけ不安になった。

 彼はフレイドにとって友であり仲間であり、同じ夢をもつかけがえのない存在であった。もしパートナーを選ぶとなると、他の誰でもない、アニスターと組みたいと思っていた。

 自分の出来る限りの説得はした。ギルドマスターだって、架け橋を渡してくれた。もうこれから言葉は浮かばない。あとはアニスターの返事を待つだけだ。

 それなのに、いざアニスターの返事を待つとなると不安でならなかった。
もし、断られただどうしよう。子供染みた不安が胸を押しつける。

『それじゃあ、違うと思うんだ』

 と、アニスターが言い放ち、フレイドは飛竜とにらみ合っている時よりずっと居心地の悪い空気が支配を始めるのを感じた。これから彼はなんと言うのだ。やっぱり、断るんだろうか。

「違うって…どういうことだ?」

「僕みたいなハンターに、君みたいなハンターがそんな事を言うのはおかしいよ」

 そう、アニスターはそこばかりを気にしていた。だから説得が難しかった。

 おだてても本人のためになるわけがない。ありのままの事実を突きつけ、それでもやってくれるよう頼むしかなかった。

 でもアニスターは強い。そこはわかってくれると思っていた。わかってほしかった。

「僕達は友達だけど、だからってそんな頼み方はないと思うんだ」

「…え?」

「僕はこんなんじゃないと思う。僕がフレイドに頭を下げられるようなことじゃいけないんだと思う」アニスターは言いながら手を突き出し、フレイドの前にだした。「だから、僕がお願いするんだ、――僕はフレイドと一緒にギルドナイツになりたい。だから、僕をパートナーにしてほしい」

 その言葉にフレイドは安心と同時に喜びを感じた。そして、やる気が湧いてきた。

「ああ、頼むぜ。相棒!」

 二人は手を取り合って握手を交わした。お互いが強く握りあう。が、フレイドのほうが力強く、アニスターは「ぐぎぎぎ…」とこらえた悲鳴を上げて手をよじりだした。

 ギルドマスターはその光景を温かい目で見守っていた。




「さて、お互いの合意も得たということで、早速君達には試験を受けてもらおう」

「試験?」アニスターはフレイドを見る。そんな話、聞いていない。

「ああ、さっきここでその話をしていたんだ。俺もギルドナイツになる試験を受ける時だ、ってな」フレイドは答えた。

「えっ! そうだったの!?」だから唐突だったわけだ。それでフレイドはいきなり自分を誘って…ってそれにしても、本当に唐突すぎる。

「ギルドナイツになるのは容易ではないぞ。なにせ試験は、実際にギルドナイツの仕事をやってもらうことになるからのぅ」

 というギルドマスターの言葉がこれまた唐突過ぎて、アニスターは頭が混乱していくような気がして頭を抱えた。

「なぁ? 結構大変そうだろ?」フレイドは笑う。

 自分はギルドナイツになる、アニスターをそのパートナーに迎えたい、そして喧嘩、仲直り、パートナーになれ、なる、じゃあ試験だ、ギルドナイツの仕事をしてもらう。

 一日で同時にこんなことが起きて、どうにかならない人はいるのだろうか。現にアニスターはどうかなりそうなくらい頭に圧力がかかっていた。

 物事には順序というものがあり、それには時間も比例して必要なわけで、これらの事をたった一日でまとめあげるにはまだアニスターの未発達な能じゃ足りない。

 少しだけでも時間が必要だ。せめて一日、二十四時間くらいは日を置いてほしい。

「あ、あの、それで、その試験ってのはいつ始めるんです?」

「ふむ、そうじゃのぅ」ギルドマスターは短く細い顎ひげを撫でる。答えるのに時間はまったくかからなかった。「今日の朝にはもう出立してもらおうかのぅ」

 理性が崩壊する音が頭の中から聞こえた。頭痛とめまいが同時に襲う。

「今日ぉ!?」

「早いな。上等だぜ」とフレイド。

「えっ、フレイドはいいの!?」

「ああ。早い方がいいだろ、何事もよ」

 早すぎるにもほどがある。それに今日の朝といえば、もうあと数時間もないではないか。いや、今この時間帯が朝と言ってもおかしくは無い。酒場の窓から見える空は青黒く、夜よりずっと明るい。つまり、今行けと言われても不思議はないのだ。

 それにずっと眠ってないない事に気づく。普段ならベッドの上にいる時間帯に、走り回ったりなんだりして、寝る暇なんてなかった。こんなに起きることがないアニスターにとっては、結構辛いものがある。

 ランポス狩りのときだって、かなり無理をして起きていたのだから。

 寝なくては。少しでも寝ないと、これ以上頭が働きそうにない。

 そんな考えお構いなしに、フレイドは腕を組んでギルドマスターを見下ろした。

「それで、どんな仕事なんだ、マスター? ギルドナイツの仕事ってんだから、やっぱり調査依頼だろうけどさ」

「うむ、その通りじゃ」ギルドマスターは頷いた。心なしか、二人ともアニスターの眠気や苦悩に気づいている様子はない。「丁度、新天地での依頼が舞い込んでいたところじゃ。ギルドの試験としては簡易なほうかもしれんが、まだ知られざる地じゃ。それ相当の価値はあることじゃろう」

 新天地――ここ数年で、ギルドは様々な場所まで狩の領地を広めてきた。それは別にモンスターを狩るためだけにやっているのではなく、自然との調和を支えていくためだ。

 人々は住処を広げ、移動して年ごとにいろんな区域まで侵入している。そこにいる、もしくは近くにいるはずのモンスターを調査し、人が適応できる環境にあるかどうかを見極めるのがギルドナイツの役割だ。

 したがってギルドナイツは誰よりも先に新天地に赴き、調査していく必要がある。そしてそういった仕事には大きな危険が潜んでいる。

「新天地か…」興味深々な顔のフレイドは抵抗もなく言った。「いったいどこだよ?」

 その顔には少年っぽい期待がある。英雄の話を聞く子供、おとぎ話に耳を傾ける少女、仕事を見つけた失業者の希望、すべてを連想させる表情をフレイドは浮かべている。ようするに、楽しみなのだ。

 ギルドマスターはゴブリの杖で床をこつこつと軽く叩くと、二人を見上げた。偶然か、カウンターに置いてあった羊皮紙一枚が風で舞い、フレイドの手に納まる。

「君達にはつい最近、猟場として認められた地へと向かい、その依頼を受けてもらう」

 フレイドの肩越しに、フレイドの手に納まる羊皮紙を見ると、そこには見慣れない地名が書かれていた。

「雪山…?」



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