「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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大泥棒の路地裏
第八章 前編
「ラシアの民の遺産」
「おぉ~」
森林に囲まれ、その表面のほとんどをツルやコケで覆われた灰色の大きな建物を見上げてカンは歓喜の声を漏らした。今までだって、他の密林で古代遺跡を見つけてきたわけだし、もういったことにはもう慣れているつもりであったが、今回見つけたこの灰色の遺跡はそれよりもずっと年季があり、規模が大きかった。
この密林の四分の一が遺跡だとしてもおかしくはないほどの大きさだ。そしてその中で一番高い塔と呼べる場所は、これまたてっぺんまでツルやコケに覆われているのだ。
「おお!」カンの後にモートレスが大声を上げた。「素晴らしい遺跡だ! こんなに大きな遺跡は他では見れない! いやいや、実にすばらしい!」
これまで異常に興奮したモートレスの声は辺りに響いたが、カズキとカンはそれをあまり気にかけないことにした。こういうモートレスの危険な行動を何度も見てきたが、なぜだかイーオス一匹の鳴き声すら聞かない。辺りに足跡や糞などがあるものの、全くといっていいほど大型生物の気配を感じなかった。
「しかしまあ、これは国の書記とか学者とか大変だろうな。またハンターでもやとって、ここまで来ていろいろ調べなきゃいけないんだからよ」人ごとのようにカズキが言う。
「にょほほほ、私達はこの遺跡の第一発見者となったわけだな! 素晴らしいことだ!」
「まあ…一応ここのことは書き留めておくけど、実際に中を調査するのはオレ達じゃないんですけどな」
「わかっておるとも」
「じゃあ先に進もうぜ」遺跡に圧巻してはいたが、結局はここを調べることはない。それが依頼でもなければ、特に興味があるわけでもないからだ。カンは早々に依頼を終わらせたいと思い、そう二人を急かした。
「まあまあ、たまには仕事の事も忘れて、こうした偉大な文明に足を踏み入れてみるのもいいのではないか?」
心にもない事をモートレスが言い、カンの苛立ちは格段に上がった。
「あのなぁ、モートレスさん。そんなことしている間にも時間は刻々過ぎてることなんだしよ。こんなところで時間つぶれちまったら、俺達もあんたもいい利益にはならんだろ?」
「いやいや、こうした文明を味わうことも大切なことだ。にょほほほ、まあ安心したまえ。そんなに時間はとらせんよ」
モートレスは癖のいつもの両手を肩まで上げるしぐさのまま、にょほほほと笑いながら止めようとするカズキの手を振り切って遺跡に向かって走っていった。
そろそろ慣れ始めたころだと思っていたが、やはりモートレスのこの自分勝手な行動には嫌悪しか感じない。カズキとカンは同時に息をついて、お互いの顔を見た。
「やっぱ、こっちのほうがハードだよな」カズキは諦めた声で言った。
「だな」
二人はそのまま奥へ進んでいった。
遺跡の周りは棘の生い茂る枯れ木のようなもので策が作られており、高さで言うとだいたい一メートル半くらいだろうか。カンの胸にもとどかない程度のものだ。
しかしモートレスにはかなり高いようで、結局カンとカズキの二人がかりでなんとか策の上によじ登らせ、その先の遺跡の庭まで降ろすことができた。
続いてカンとカズキが策を越え、二人を待たずして進むモートレスの後を追う。そこには遺跡の石造りのアーチ型入口があった。その先は光がまったく射していないようで、沈黙の暗闇が広がっているだけであった。カンはなんだかこの奥へ行くのが嫌になり、胸にむかむかとした感覚がするのをしっかり認識した。
モートレスは相変わらず耳障りな笑い方をして意気揚々と進みです。
まさか、この中へも入っていくつもりか? おいおい冗談じゃないぞ。
「なあ、モートレスさんよ! これ以上進むのは時間の無駄だ! いくら依頼主だからって、俺達の仕事の邪魔をされたとなっちゃ契約金も戻すわけにはいかなくなるぞ!」肉のたっぷりついたモートレスの肩にカンは手を置く。汗が服に滲んでいて、市場で買う袋にぱんぱんに詰まった生肉の感触でカンはさらに悪寒を感じた。
「安心したまえ、じきに終わるよ」モートレスは何を思ってか微笑を浮かべて振り返った。「もし私が原因でこの依頼が時間切れにて終わるようであれば、君の言うとおり契約料なんていらんよ。だから少しでいいから、私のわがままを聞いてもらえないだろうか?」
そういう問題じゃない。契約料を取られるよりも、この依頼の達成金額を失う方がずっと痛い。だから何かある前に早く終わらせたいのだ。
「だからぁ、俺達は……」
そこまで言いかけたところで、突然カズキの手が伸びてきて、カンの首を掴み引っ張った。突然首を締め付けられる感覚に焦り、カンは両手を子供に捕まえられた昆虫の足のように機械的にばたつかせた。
「な、な、な…!」一瞬とはいえ人一人引きずる力で突然首を絞められたことにショックが隠せず、カンは涙目になって張本人のカズキを見た「何すんだよ、びっくりするだろ! ケホッ」
「もういいから、ここは何も言わずにこのおっさんの好奇心に任せとこうぜ」カズキはひそひそと囁くような声で言った。勿論モートレスには聞き取れないくらいの。
「なんでだよ? 俺達だって依頼が…」
「だから、だよ。このおっさんをここでいいようにさせて満足させりゃ、他に行こうなんて思わないかもしれないだろ? 今このおっさんを無理にでも引っ張ったら、勝手にここまで戻ってきたりしかねないからな。だから、ここでおっさんの好きにさせて、後は文句を言わせなけりゃいいんだよ」
「だ、だけどよぉ…」
「わかってるって。オレも我慢の限界なんだ」
この一言でカンはカズキも抑えているんだと知った。確かに握った拳はクロオビグローブで覆われてよく見えないが、ぎりぎりと音を立てているし、歯なんか安くて硬い肉を噛んでいる時みたいに食いしばっている。まあ、誰が見てもいらつくかもしれないが、自分達はそうではない。
カズキ、カン、シュウゴは同じ村の出身で、好き嫌いが似ている時がよくある。その三人の共通して嫌いなものの中で最も代表的なのが『貴族』だ。
貴族は傲慢で、上から物を見た態度が目立ち、人を見下し、金持ちだ。三人が嫌いなワードを全て取り揃えたのが貴族だ。だから、身分が貴族というだけでも嫌悪を感じるし、関わりたくもないと思っている。
存在そのものが三人の心を嫌な方向へ刺激するのだ。
モートレスはたいまつを持って奥へ進んだ。モートレスのたいまつでそれなりに暗闇の道が見えるようになったが、奥まで光が届くことはない。まるで自分達のモートレスに対する嫌悪感をそのまま表しているようだ。
三人は遺跡の奥へと進むが、なんということだろうか、ずっと一本道が続いている。通路の壁には何かの象徴ともいえる絵も模様もなく、いったいどういった生物がここを作って住んでいたのかわからなかった。
クリップボードに記入しようにも暗がりで手元が見えず、何もできない状態だ。何かがここに立ち寄ったような跡はなく、モンスターがいる事は考えにくい。かといって人間なんかの生物もいる様子はない。ここは長い間、生き物は一匹も足を踏み入れていないのだ。
じゃあ、ここってかなり危険なんじゃね? ファンタジーな思考を持っていたカンはふと思った。もしかしたら、侵入者に対する大きな岩が突然通路を転がってくる罠があるだとか、突然足元に穴が空いて下の隠し通路へ案内されるだとか、または仕掛けがありその謎解きをしながら進むなどなど、そういった子供に聞かせる冒険話に出てきそうな罠を想像してわくわくもしていた。
だが、そういった冒険心くすぐる興味深そうなものはいっさいなく、ただただ一本道の通路があるだけであった。
どのくらい歩いた事だろうか。中は意外に涼しく、汗は流さなかったが、かなりの距離を歩いたことだろう。しかしいい加減あきてきた。
カンはうんざりして息を吐き、のっしのっしと歩くモートレスの後頭部を見た。
「なあ、モートレスさん。もう大分歩いた事だし、多分何もないんだよここ。だから外に出て、仕事を続行しようぜ」
涼しいというのに汗ばんだ額をカンに向けてモートレスは言った。
「いいや、まだだ。まだこの先に何があるかわからんからな。ぜひとも見てみたいのだ」
「だーから何もないっての。どうせこうやって一本道が続いて、反対側に出るか行き止まりになるかのどっちかなんだよ、きっと」
「そうかな? 私にはそうは思えないのだけどな」モートレスは汗でぬれた指を暗闇の底へ突きだし、もう片方の手を自分達が通ってきた場所に差し出した。「見たまえ。我々が通った道はまだ入り口の光が見える。反対に、こっちは見えない。しかし行き止まりというわけではない。先ほどから、入口に向かって吹く風は明らかにあの暗闇から通ってきているのだ。間違いなく、この先に何かがある」
微かに冒険心がくすぐられ、カンは一瞬ひるんだ。
「で、でもよ…この先に何があるか、なんてわかんねぇもんだろ。もしかしたら、すっげえ罠があって、そこまで行って疲れた俺達を仕留める大岩が転がってきたりとか…」そうであれば、なんとも素晴らしいものだろう。カンは自分で言いながらそう感じていた。「だから、危険そうだし戻った方がいいと思うんだ、俺は」
「ふむふむ、確かにそうかもしれないな…」
珍しくまともな納得をしてモートレスは頷いた。肉のたっぷりついた顎に人差し指と親指をうずくめる。
その初めて見せたモートレスの理解に半分歓喜しながら、カンは残った半分をがっかりにつぎ込んでいた。
「君の意見にも一理ある。確かに、この先は何があるかわからんからな。戻るとしよう」
「ほ、本当に戻るのか!?」カンがもったいがるような声で言った。
隣のカズキがにやりと笑うのが見えず、カンはモートレスに歩み寄る。
「本当に、本当にか?」
モートレスは驚いたようで目を丸くしてカンを見ている。やがて彼は口もとに笑みをたたえて、カンに背を向けた。
「私の足はまだ使えそうだ。もう少し先に進んでみるとしよう」
このモートレスの言葉に心底ほっとして、そのあとなぜだか後悔に似た感情が生まれる事になった。
結局何もなかった。通路の行く先は本当に行き止まりで、風の正体は人が一人入れるか入れないかくらいの大きさの通気口のようなものがいくつも通路の奥にあったからだ。その先を調べる手段は、今のところそこを通るしかないということだが、さすがにカンもモートレスもそこを通る事には抵抗を覚え、これ以上の冒険を断念した。
いつの間にか、冒険心を持つ少年カンとモートレスは気が合うようになり、お互いの冒険話を披露しあう仲にまでなってしまった。
カズキはその光景を見てはいるが、話に入る気はさらさらなかった。他に気を集中させる所があるからだ。さて、これからどうしたものか。
今現在外へ出るためにこの暗い通路を歩いている最中なのだが、あの行き止まりの通路に着くまでざっと二時間近く消耗してしまった。となると、やはり戻るのにももう二時間はかかる事になる。そしてそれは依頼がかなり厳しくなる事を告げている。
たった一日半の時間しかないというのに、そのうち四時間を無駄に過ごしてしまった。ここからは予定していた通りに進めても、間に合うかわからない。カズキとしては、いや、真夜中突撃団としてはこの依頼はなんとしても達成して、大金を得たい。
これから依頼の失敗で失望することよりも、何とかして達成する手段はないかと彼は考えていた。
それから、もうひとつ悩むべき事がある。
なんの突拍子もなく、モートレスの手に握られたいたたいまつの明かりがふっと消えて三人は暗闇に飲み込まれた。
「お、おいおい、どういうことだよ」暗闇の中からカンの声が聞こえる。
同じように暗闇からモートレスの喉太い声が聞こえた。
「暗い、暗いぞ!」
「…モートレスさん、もしかしてたいまつはそれ一本だけなんですか?」それから返ってくる返事は知っておきながらも、カズキは念のために訊ねた。モートレスの背中に入った大きな荷袋に、換えのたいまつがあってもおかしくはないはずだが。
「いいや、これ一本だ」
なんともまあ…。カズキは針のように小さい入口の光――それさえなければ、本当に絶望するところだった――を見た。
「明かりもなし。じゃあここは、あの光に向かって歩くしかないな」
「あ、ああ。そうだな」カンが同意する。
「見えないぞ! 暗闇ばっかりだ!」混乱した様子でモートレスが叫ぶ。どうやら明かりを失ったことが相当ショックなようだ。これだから貴族というものは。
「カン」カズキは最後にカンがいた場所に向く。「手でも握ってやったらどうだ?」
少しだけ間があって、カンの声で返事が返ってきた。
「…遠慮する」
「それじゃ、行くぞ。モートレスさん、大丈夫か?」
「あ、ああ…だけど、何も見えん。せめて誰か、私を先導してくれないか?」モートレスの声はさっきより穏やかになっているようだが、まだきょどってる。
「手は握らんが、俺の肩くらいなら貸すぜ?」
意外なカンの声が耳に入り、カズキは思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。
「なんだよ、依頼主がここで立ち往生してたら仕事できねぇだろ?」とカン。
「おお、ではすまないな。君の肩を借りるぞ」
モートレスはそう言い終わると、肉のたっぷりついた腕をカズキの首に回してきた。カズキは唐突過ぎて一瞬固まり、次の瞬間には腕を思いっきり突き飛ばしていた。
「お、お、オレじゃねぇよ! カンだろ!」
「なにやってんだよ、モートレスさん。こっちこっち」もぞもぞとカンの声のする方から聞こえる。その位置は丁度モートレスが突き飛ばされた位置だ。
「おお、おお、すまんな。やれやれ、とんだ遺跡だったわ」
モートレスの声を聞いてカンは笑う。
「でもおかげで冒険できただろ?」その声には満足じみた響きがあった。
「ああ……うむ、そうだな」
暗闇で何も見えない事をいいことに、カズキは自分でも意識して顔をひきつらせて二人の会話のする場所を見た。…なんだこれ。
三人は同じ足とりで歩き始めた。暗闇なので、モートレスがどういう風にカンの肩を借りているのか想像できなかった。まあなにはともあれ、カンに貴族のお友達ができたことに変わりはないだろう。カン本人がどう思っているかわからないが、客観的にはそう見える。
シュウゴが聞いたら驚くだろう。怒っていいのか笑えばいいのかわからず、今の自分のように顔をひきつらせる事になるだろう。
一時間ほど歩いたころだろうか。先の入口の光も徐々に大きくなり、出口がもうすぐだと言う事を教えてくれる。
あれからかなりの時間が経った。入口から射す光が、カズキの目には徐々に薄くなっていくように見えた。それは一秒一秒流れるにつれ、はっきりとした確信に変わった。
光に少しの間薄い影が射す。それから、ぱっと明るくなると思うと、再び影が入口を覆う。
その異変について最初に意見を出したのはモートレスだった。
「なんだあれは……なぜ暗くなる? ………そうか、入口でモンスターが待ち伏せしているのだな! ハンター! 出番だぞ!」
モートレスの怒鳴り声が通路を響き渡り、耳をキンキンと痛めてきた。カズキは片耳に手を当てて冷静な口ぶりで言う。
「いや、モンスターじゃないと思う。…多分」
「ではなんだというのだ?」
「雨だ。このジャングルに雨が降るんだ。雨雲が太陽の光を隠したんだと思う」確信はないが、今外に出て最悪だと思われる事態は遺跡の入口でモンスターが待ち構えていることではなく、最もひどい障害を与える雨が降り注ぐ事だ。最悪の事態を最初に予想しておいたほうが、あとあと精神的には楽だ。
「ならまだ安心だが…」
「いや、雨が降ったら今の足元はさらに歩きづらくなるし、余計にジャングルが暗くなる。オレ達のモンスターの痕跡も雨で流れ落ちるわけだから、どこから襲ってくるかもわからない。それに……」
雨が降れば河が広がる。河が広がれば、河で生息しているモンスターの活動区域が広まる。それが今回恐れていたことだ。雨の中ほど、危険なことはない。あのモンスターはかなり厄介だからだ。
それにシュウゴとビスケのことが心配だ。あの二人は比較的河の多いとされているルートを通った。二人がへまをやらかすことはないと思うが、やはり心配だ。
「どうするよ、カズキ?」同じ事を考えていたのか、カンが簡潔に訊ねる。
「そうだな……外に出て考えよう」
「了解。――ほら、モートレスさん。ぼさっとしてないでいくぞ」
立ち止まっていた足とりが早まり、三人はここへくる片道より早く進んでいった。
「おおっのわわわ……!」
モートレスが突然奇声を発したと思うと、でーんと大きな音を立てて倒れた。暗がりで最初は倒れた音かどうかわからず、カズキは思わず背中に挿した斬破刀の柄を握ってしまった。が、カンの声で柄から手を話す事になった。
「おいおい、モートレスさん。足元気をつけなきゃいけないぞ? いくら俺が肩貸してるからって油断すんなよな」
もぞもぞと音が聞こえる。多分カンが倒れたモートレスを起こしているのだろう。それからばたばたと騒がしい音がする。
「しまった、荷物を落としてしまった!」モートレスが言い終わると同時に、騒々しい金属の音が響く。モートレスが倒れたあとに、荷袋から荷物が落ちたのだ。下に落ちた何かを拾っているようだ。
「ったく、なにやってんだよ、モートレスさん」カンも荷物を拾い上げているようだ。カズキもそうすべきか迷ったが、思ったより落ちた物がすくないようで二人はしゃがんで取っただけの少しの時間しか経たなかった。
「いやいや、感謝してるよ。ありがとう」
素直にモートレスが礼を言った。カズキとカンはこの事になれず、一瞬別の言葉を言われたのではないかと疑ったが、耳は正常でそれをしっかり聞きとっている事に気づく。
「まあ、早く進みたいからな…」この声で、カズキはカンが照れ隠しに鼻の頭を掻いている様子が目に浮かんだ。伊達に長年一緒だったわけではない。
カンはまた照れ隠しをするように早々に歩き始めた。その瞬間、こんどは何かに滑るずるっという音とカンの倒れる悲鳴と鈍い音が通路を響いた。
「おいおい、お前こそなにやってんだよ、カン」
「あいててて…いやさ、なんか変なもん踏んだみたいで…」カンの声の調子からして、まあ大丈夫なようだ。それから本のページをめくるような紙のこすれる音が聞こえた。「……ん? これもモートレスさんのものか? なんか紙の束みたいだけど…」
「おお! まだ何か落としていたのか! ありがとう、拾ってくれて」
「いや、まあいいけどさ。またモートレスさんの事だし、落とす前に俺が持っておこうか?」
「おお、それはぜひとも頼むよ。さっきこけたせいで、荷袋の絞め縄が切れてしまったみたいでな。これ以上入れると、荷物が溢れてしまいそうなんだよ」
「なんでそんないっぱい持ってくるんだよ」カンは笑った。「こういう時シュウゴがいてくれたら、それもどうにかなったかもな」
「シュウゴ、とはさっき娘と一緒に別のルートへ言った少年かね? 彼は裁縫が得意なのかい?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。あいつ、結構妙なもんいっぱい持っててな、そんなかで鉄の縄を持ってるんだよ」
思いだして、カズキは「あー」と声を上げる。「持ってた持ってた。便利そうだよな」
「そうそう。かなり丈夫なやつでさ、モンスターだって噛みきれないほど硬いらしいぜ。で、それで縛ったり結んだり、いっぱい活用してる便利なものでよ。それなら、あんあたの切れた縄の代わりができそうだなって」
「ほうほう、ハンターとは私の知らないものをたくさん知っているようだな。いつか、是非教授してもらいたいものだな」
またカンは笑った。
「そうするといい。なんたって、あいつは頭良いからな」
最初はポツポツ。それから日にさらされるもの全てが鈍い光を反射するほどずぶ濡れにする雨が降り注いだ。通り雨でもなんでもない、豪雨そのものだ。
完全に太陽を隠した雨雲の黒々とした反転を眺め、シュウゴは後ろで背中を合わせるビスケを見た。
「さて、いよいよ大ピンチだ」
出来るだけ安全な場所へ引く予定だったが、どういうことかさらに密林の奥深くまで入ったようで、今ビスケとシュウゴが立っている位置以外ほとんどが木々や陰で囲まれていた。
影からは獣めいた甲高い鳴き声が聞こえる。反面、こちらは雨にさらされ、微かな日にもさらされた身だ。困ったことに、逃げ場がない。
ビスケは注意をそらさず、影のいたるところを警戒しながら視線だけシュウゴに投げた。
「だんちょーにカン君は遠いところまで離れていることだし、あたし達だけでどうにかするしかないわね」
もっともだ。助け船はなし。自分達の力だけでどうにか退かなければいけない。問題は、どうやってそうするか、だ。
木々や陰に隠れたモンスター――主にイーオスだろうが――がいつ襲ってくるかも、そしてどこまで来ているのかもわからないこの状態では身動きができない。どうしたものだろうか…。
「ビスケさん、俺が最初に切り込む。援護、頼めるかな?」
「う、うん…」さすがに類稀なるボウガンの腕前を発揮する名手だとしても、何も見えない状態で援護するのには抵抗があるらしい。
だけど、名案がある。
シュウゴはさっそく行動に移った。一番広くて視野のありそうな影に走る。そして予感は的中。やっぱりそこにはイーオスの並んだ牙があった。しかもタイミングのいい事に、すぐ目の前で口を広げていたようだ。
咄嗟に抜き身のインドラを振る。目の前でずらりと並んだ牙の先端がパンケーキを切り取る時のように綺麗に切断され、その奥の腐臭漂う喉の奥を貫く。と、同時に刃との摩擦で生まれた稲妻が一瞬輝いた。
ドン、ドン、ドン!
火薬を爆発させた轟音がビスケの銃口から響く。シュウゴにやられたイーオスが悲鳴を上げると同時に、三頭正面で待ち伏せをしていたイーオスの頭が紫色の液体と同時に飛び散った。
赤い液体と紫色の毒々しい液体が木々にかかり、じゅうっと音を上げる。シュウゴはもう一度インドラを振り、摩擦により生じる稲妻を起こした。
一瞬だが周りが青白い光で照らされる。その一瞬の好機をビスケが逃すはずもない。
ドン、ドン、ドン!
再び火薬が爆発した音が轟く。それから後に、イーオスの悲鳴。
シュウゴはビスケを信じて振り返らず、突き進んだ。近くの木を切っては一瞬の光を一瞬作りだし、ビスケに任せる。後方にいる彼女からしたら、視野も広くどこに敵がいるかわかりやすい。
「シュウゴ君、右へ!」
迷わずシュウゴは右に曲がり、ついで木を切りつけた。一瞬だけ光が満ち、その間に暗がりの道のなかで正しい通路を探す。
ビスケはけん制で数発撃ってくれたおかげで、イーオスは少し広がったようだ。イーオスは追いかけてきているようだが、道を探しやすくなった。
暗がりの奥で、微かに光を持っている柱状のものがいくつも見える。あの場所までいけば、あとはこっちのものだ。
……あれ?
「あっ」ビスケの間の抜けた声が耳に入る。
が、その前に景色がいきなりいくつもの線になり、上へ上へと流れていく。妙に不安な浮遊感が全身を包む。神経が足や背中に集中し、刃を突きつけられたような緊張感が走る。
シュウゴは宙に浮いていた。正しくは、落ちていた、だが。
「おぉ! おぉわああああ!!」
本当に瞬間的な事で最初何もわからなかった。最初に両足がずざざざという地割れのような音に吸い込まれ、気がつけば絶壁に向かって落ちている。あまりにも突然過ぎて何をすればいいかわからず、シュウゴはただ叫んでいた。
にも関わらず、本能かハンターとしての感覚か、自然に腰のポーチに手を入れて武具工房に頼んでもらった武具加工用ワイヤー――どういう風に使うかわからないが、熱にも強くそう簡単に切れないということで、便利そうなのでもらった物――を手にかけて、いつでも絶壁にひっかけられるよう準備していた。
しかしそれは呆気なく無駄に終わる。今度は尻に重い衝撃が走り、続いて絶壁を滑った際に削れた拳くらいの大きさの石が頭に降り注いだ。
兜をつけていない状態のシュウゴはもろに岩の一撃を受け、鈍い痛みにのたうちまわる。思ったより絶壁は深くなかった。だいたい六メートルくらいだ。そうでなければ、岩は勢いを増してシュウゴの頭をへこませていただろう。
「シュウゴ君、大丈夫!?」絶壁の上の方からビスケの声がした。
「ああ…大丈夫…。いててて…」
のんきに頭の心配をしている場合ではなかった。イーオスの凶暴な喚き声が聞こえたと思うと、ビスケの短い悲鳴が耳に入ってきた。
「ビスケさん!?」
「へいきっ」
穏やかではない調子でビスケが答え、それから二発ボウガンの弾を撃つ爆発音が響く。イーオスの断末魔がジャングルを満たした瞬間だ。
「ごめん、シュウゴ君っ」まだ彼女はイーオスとの攻防をヘビィボウガンで繰り広げているようで、声は少し荒げている。息遣いもどうしていいか困るほど動いているようだ。「今すぐそっちに行きたいところだけどっ……」
「大丈夫、俺は平気だ! だからビスケさんは、自分の身だけを守って!」
「ごめんね、そうする!」
それだけ変事が戻ってきた後は何も聞こえなくなった。イーオスの悲鳴も、ボウガンの発射音も。
ビスケはうまく切り抜けて逃げたようだ。だが、ビスケ一人ではあの暗闇を移動するのは困難なのではないか? …早めに彼女のもとへ行かねば。
「まったく、どうなってるんだよ」誰もいるわけでもないのにシュウゴは呟いた。イーオスの群衆を直接見たわけではないが、足音や喚き声だけでも相当の数がいるとわかる。数はざっと二十くらいだろうか。ビスケと一緒なのだし、そのくらいの数なら対処できないこともないが、ここは足場も間合いも最悪すぎる。
それにここは未開の地。何が起きるかわからないし、他にどんなモンスターがいるかもわからない。自分の肌と鎧が雨に打たれている事を思い出し、シュウゴは空を見上げた。
一向に止む気配がない。地の利は相手にあり。最悪だ。最低だ。
こんなことを考えていても空が晴れるわけでもないし、上で一生懸命戦っているビスケが有利な立場になるわけでもない。急いでここを登るか、もしくは回り込むかでビスケのもとに辿り着かなければ。
シュウゴは落ちた際に手から離してしまったインドラを柔らかい濡れた地面から広いあげ、ついた泥をレウスアームで拭った。それから天にかざし、インドラをまじまじと見る。
雨に打たれた微小な摩擦が生じ、インドラの刃は小さな青白い稲妻を生じる。調子もいいようだ。
「……よし」シュウゴはインドラを腰に収めて、さっそく歩き始めた。それからすぐに立ち止まる。「………………」
目の前にはまるでずっと待っていたかのように柔らかい地面にしっかり足をうずくめたイーオスの集団が牙をむき出しシュウゴを睨んでいた。しかもそのすぐ後ろには、雨により縁を徐々に削って広がる河がある。
威嚇をするイーオスの数はシュウゴが暗がりで予想した数と同じくらいいる。ざっと見たところで正確な数はわからないが、やっぱり十匹以上はいるだろうし、二十匹に達していると言われても全くおかしくない。
シュウゴは静かに腰のインドラを抜き、続いて盾を前に突き出して構えた。イーオス数頭が、同時に頭上から飛びかかってきた。
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