♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2006.06.17
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日本全国に

多数存在している、という話を

むかし鎌田トウジの本で読んでいて
そのことを
今朝思い出した。

「神島」という島の共通点は
人の住む集落から程近い
海の中に点在する島で


あちらからこちらも見ることができるもの、で
あるらしい。

私はこのおはなしが好きで
時々、思い出す。

それで
神島に渡った私を
想定してみる。

するといつもの日常から切り離されて
まったく別の視点で
自分自身の生というものが
見えてくるはずだ。


少し彼岸的な視点であるはずだ。
現世的ではない
あちら側に近い視点。

生身の私が
生身であることから

彼岸的立ち位置から
日常生活を眺めている視点。

客観的永久中立の視点。

これは「神」と呼ばれている存在の視点に
より一歩近づいている視点であることが
わかる。

この視点は
ある意味生身であるけれど
現世からは切り離された存在者の視点で

巫女さんとか
9.隠者とか
出家者とか
0.愚者とかの視点でもあると
言うことができるだろう。

この視点を
どのように使うか、ということは
今を生きる私たちには
一人一人が問われていることなのだと思う。

まったく「神島」の視点は
シャットアウトして
生きている人も多数居る。

逆に、限りなく「神島」で
生きている人も居る。

そしてまた
行ったり来たりしている人も居る。

それではわたしは、というと
限りなく「神島」的視点に
自身を同化させた生き方が
好きなんだと思う。

逆に言うと
対岸での生身の生活者として
「神島」の存在無く
生きることはできないのだと思う。

そしてまた、このふたつは
統合も
可能だと思う。
対岸での実生活の中で
毎朝夕「神島」とのアクセスを導入するような
生き方。

神島に渡ると
今まで見えてこなかったことが
見えてくる。

じっと対岸でのありさまを見ていると
みんな、あんがい実は好きに生きているんだな、とおもう。

蜘蛛の糸のお釈迦様に譬えるのなら
糸は目の前に
ひょっとしたら無数にさがっている。

けれども
それを見ようとしない。
別の言い方をすると
救われようとはしない。

その理由は
さまざまなんだろう。

変化を恐れる人も居るだろうし
だけどあんがい
実は
今を楽しんでいるのではないか。

どろどろの苦しみ
悲しみ
悩み、という
ネガティブといわれているもの。
そこには
存在のリアリティーという
何物にも変えがたい
味わいが隠されていて

逆に言うと
それは
生きている実感に
通じているのではないか。

「救われたい」
つまり、
ほとほと現状に苦痛を感じるので
この状況からは脱したいと
真に願うのであれば

目の前に垂れ下がっている
蜘蛛の糸が見えないはずが無い。

それを見ようとしないのは
何故なのかを
じっと静かに観察していると

実はそれが好きなのだ、
ということがわかる。

そして、
自分は動かずに
一緒にそのティストを味わってくれる
同類を求めているに過ぎない、ということが
見えてくる。

「自己憐憫」
「かわいそうな私」には
独特の味わいがある。
それと自分自身を同化させている
そこにこそ
その人という存在が
居たりもする。

その人=あなた=ひとりのわたしでなければ
そうはしていないだろう。

ここに書いた、これは
私自身を「神島」に移行させた時の
「なにさま」の視点である。

生身の私が
舟で元の対岸に戻り
実生活者になった時は
私はみんなの中に
溶け込んだひとりとなる。





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Last updated  2018.11.25 12:14:29


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