公式サイトによると
未来に平和への思いをつないでいくために、大きな力となるのが「歌」であり「エンターテインメント」です。“うたの力”でひとりでも多くの人に「平和について考えるきっかけ」を届けます。
という番組です。
先に中国地方で放送された番組の全国へ向けての放送でしたが遅い時間だったので好きなアーティストさんが出ているという人くらいしか見ていないのではないかと思います。
私も自分の好きなグループのメンバーがMCを務めていて、グループとしても歌わせてもらっているから見たわけで、去年まではその番組の存在も知りませんでした。
放送中、放送後のつぶやきはほとんどファンの方のものだと思いますが、「戦争について知るきっかけ」「平和について考えるきっかけ」になったと言っている方がたくさんいらしたので番組を作られた方々の思いはちゃんと伝わったのかなと思います。
でも、あの時間っていうのが残念です。
もっとたくさんの人に見てもらえるとよかったのに。
毎年この時期になると戦争について扱った番組が多くなります。
特に戦後70年だった2年前にはドラマもいくつかあったような気がします。
でも今年は少なかった気がするのは私が関心を持って見ていなかっただけなのかな?
そんな中、私の身近なところを取り上げた番組がいくつかあったのですが、やっぱり夜遅い時間だったりローカルだったりしたのでこの機会に少しお話したいと思います。
私はふだんは子どもたちに向けての絵本の朗読をしているのですが、時々戦争体験者の方の手記の朗読などもしています。
きっかけは1冊の小さな日記帳でした。
全国のいろんな方の手記をもとに朗読会をされている方があるとき題材に選んだ手記、それは若い兵士の戦場での日記でした。
日本を出発してから戦地で亡くなるまでのわずか10日間を小さな手帳に綴った日記。
その方の縁の地だったことがきっかけで私たちのサークルがその朗読会に参加させていただくことになったのです。
最初の朗読会では日本各地の方の手記を読ませていただきました。
長崎の原爆の様子が書かれたものもありました。
当時私は友人を水害で亡くしたばかりで、人が亡くなるという話はどうしても辛すぎで読むことができず裏方に回らせてもらったのですが、練習を含め何度も何度も仲間たちが読む悲惨な戦争の体験を聴くうちにまるで自分がその経験をしてかのような気持ちになり、耐えきれなくなって席を立ったことも何度もあります。
その後私たちは地元の方の戦争体験の手記から選んで朗読会を行ったり、実際に戦争を経験された方にお会いしてお話を聞き、それをまとめて朗読したりという活動を続けています。
時にはどこかに呼ばれて朗読をさせていただいたり、その土地の方の体験談を読ませていただくこともあります。
その活動でご縁があった方々のことがこの夏テレビで取り上げられていました。
それは開拓団として満州に渡った方々が、無事に日本に帰るために行ったこと。
開拓団の少女たちに「接待」と称して外国兵の相手をさせたというものでした。
私の両親も満州開拓団の一員でした。
なのでうちの開拓団ではないですが身近なところで行われていたこの事実はとてもショックでした。
うちの開拓団とその開拓団と何が違っていたんでしょう。
それはきっとたまたまであって、もしかしたらうちの開拓団で起こってもおかしくなかったかもしれません。
集団自決の話はうちの開拓団でもあったようです。
でも無事に日本に帰ってきました。
両親が開拓団員だったと言いましたが当時はまた子どもです。
でも大人と一緒に頑張って大陸を歩いてくれたのです。
すでに母親を亡くしていた私の母は歳の離れた姉たちは一緒に日本に帰ることができなかったので誰を頼りにしていたのでしょう。
5人兄弟の長男だった父もやはり姉は一緒に帰れず、小柄であまり身体も強くない母親に代わって3人の弟たちの世話をしながら歩いたのかもしれません。
もっとしっかり話を聞いておかなかったことが悔やまれますが、様々な困難を乗り越えて無事に生きて日本に帰ってきてくれたおかげで今私がいます。
そのことに気づいた時、自分の命を粗末にすることはできないと思いました。
今生きている人はすべて戦争を体験された方の子孫です。
戦争なんて知らないという若い世代の方もおじいちゃん、おばあちゃんやひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんがその時代を生きてこられているのです。
だから決して自分には関わりのない話ではないのです。
朗読会では戦地の様子だけではなく家族を戦場に送り出した人、女性ばかりの家族で肩身の狭い思いをしたという人、疎開先のこと、いろんな体験を読ませていただきました。
そんな中から特に心の残っている話をいくつかお伝えしたいと思います。
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