多発性硬化症(MS)日記[現病名は、視神経脊髄炎·初見はPC版ページ推奨]

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2010.01.26
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『難病東大生』を読む
この続きは、「 『難病東大生』を読む3 」に続きます。



難病東大生
を読んで、正直、戸惑っている。
自分の読後感と、アマゾンの高評価のレビューがかみ合わなかったからだ。
ひょっとしたら、自分の読みが間違っているのかも知れないと思い、読み返すことになった。
また、自分がそれらのレビューのような感銘を持てない理由を考えてみることにした。

妻とは、障害の程度への

という話をした。
妻は加えて、
「このような人の本を読んで、嫉妬や羨望をさせられる自分に気付かされ、それが嫌になる」
とか言っていた(苦笑)。


結局、『難病東大生』を読んでみて、闘病記とか患者のエッセイというものは、自分との違いを感じつつ、読むものだろうと思ってしまった。

健康な人から見れば、
「難病の人でも頑張れるんだ。だから、(健康な)自分も頑張らないと」
など、
「自分が難病でない」=「恵まれている」
ということを前提としつつ、つまり難病患者と難病でない自分との距離を保ちつつ、難病でない自分への激励として読むのだろうと感じた。
「自分はもっと頑張れるのでは」=「私は頑張っていない」=「私も頑張らないと」

この手の本は、自分と著者との差を感じつつ読み、この差と読後の感慨が一定、比例するのだろうと思う。
例えば、ごくごく軽い症状、例えば風邪をひいてしんどいが頑張った、とかいうのは、よっぽどの文才がないとあまり共感を得られないだろうと思う。

しかし、同じ難病患者の目から見れば、この本の場合、著者と読んでいる自分との差は健康な人の場合と逆に感じる。
私の方が重い。
体の痛みとか自覚的なものを除いた他覚的な症状、例えば下肢障害、排泄障害、右目の弱視に限っても、どうやら私の方が重い(ようだ)。

「そのくらいの症状なら、まだましだ」
とか映っても不思議でない。
嫉妬とか羨望とかの感情に近いとしても。
難病患者とか身障者からの共感という意味では、まだ読み掛けだが、

車椅子の高さで
の方が得られそうな気がする。

もう一つ思うのは、この本のテーマの「思いこみの壁」である。
自己啓発の本なら良いと思うが、というよりも、この本はどちらかと言うと自己啓発の本でないかと思っているのだが、この言葉には少し抵抗がある。
少し、と書くように、全面的にではないのだが。
難病患者、とりわけ後遺障害が残っている場合、必要なのは「思いこみの壁」と言った心の問題でなく、具体的な「援助」である。
例えば、多発性硬化症の場合、ステロイドパルスとか血漿交換、さらには再発予防のインターフェロン、或いはノバントロンとか、実際に払うとなると、かなり大変である。
また、「『難病』=『不便』といった『思いこみの壁』を作ることはない」(P.80)と言うが、実際には就労とかもそうだが、後遺障害まで持つとかなり『不便』である(特に、田舎。駅もエレベーター以前に無人駅とか)。
私は、不便なものは不便だと思うし、不利なものは不利だと思う。
「思いこみの壁」というような、心の持ちようの問題でなく、難病患者とか障害者の社会参加をどう援助するのか、根本には人として社会で生きるとはどういうことか、という問題だと思う。
考え方を変えて頑張れば何とかなる、という問題でもないと思う。

ゆえに、私はむしろ 難病研究会 の資料を読み、今までの難病運動の概要を読んだときの方が感銘が深かった。
難病に苦しみつつ、それを乗り越えようとして歩んできた苦労、公費負担の難病を増やすための考え方、これからの難病対策のあり方。
こちらのほうが勉強になったし、感動を覚えた。


以上の点で、
「まだまだ難病で苦しんでいる人はたくさんいる。
そんな人たちにとって、私の経験が少しでも励みになって、今よりも充実した人生を歩んでくれたらいいなと思う。」(P.107)
という内藤さんの思いと、読む難病患者の思いに差ができても仕方ないだろうと思った。

また、この本は会話に近い文体で書かれているので読みやすいのだが、ちょっとこれは、という表現もある。
後半頻出する「だんな様」とかは、のろけを見せられている気分になるし、その他にも表現で気になるところもあった。


しかしながら、以上のことがあるからと言って、内藤さんが自分の体験を書くことは否定とか批判はできないと思う。
大体、
「まだその症状では軽いので、共感できない」
と言い切ってしまうと、その病気で一番症状が重い人しか、その病気について書くことができなくなってしまう。
それに実際によく知っているのは自分の症状である以上、自分の症状を中心に書かざるを得ない。
プラスマイナスで言えば、難病への理解の大きな助けになる方が大きいだろうと思っている
また、ネットで調べた印象では、実際に会ったらきっと素敵な人なんだろうと思う。


私自身は、条件が合えば「思いこみの壁」を突破したりとかすれば良いと思うが、そうでなくても、日々生活したり、日々命をつないでいるだけでもすごいと思っている。





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最終更新日  2010.02.03 10:25:02 コメント(10) | コメントを書く


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