2004年05月20日
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ども。ファシリ子です。


今日は笑いゼロ、モテ道も完無視ですのでご了承ください。
なぜそんな事を書くのか、と言われてしまえばそれまでですが、
知ってもらいたい事があるのです。




私はミレニアムの頃に読んだ本を急に思い出しました。
まさか、こんなことでまた読み返すことになるとは思いもしませんでした。



文芸春秋出版【私の死亡記事】


この本です。
各界の著名人が自分で自分の死亡記事を書き、それを102人分編纂したものです。


私は金田一春彦死亡のニュースを知り、またこの本を広げたのです。



私の言葉は先生によって育てられました。

「絵本の次は金田一」、いや「母乳の次は金田一」、くらいのお付き合いなのです。

今もこの日記を一文字一文字書く度に胸がつまってしまっております。



今日は、先生の書かれた死亡記事を読んでもらいたくて、この場をかりて紹介させていただこうと思うのです。




金田一春彦の死亡記事


【探し続けた生涯に幕】金田一春彦著


1913年4月3日、東京生まれ。国語学者。


金田一春彦がこの度心不全により、永眠いたしました。八十八歳でした。
ここに生前のご厚情を感謝し、皆様に心よりお礼を申し上げたいと思います。

春彦は生前、無くし物が多い人でした。書斎で一日原稿を書いているかと思いきや、
それがなくては公演も放送も出来ない、大切な資料がどこかに行ってしまっておお騒ぎしていることが多かった。
また、せっかく書き上げた原稿そのものを捜すというようなことも多かったようで、
本人は探し者をする為に生まれてきたような人生だ、と言っていましたが、これはまさに至言です。



学者になってからの春彦は、まず辞典や教科書の編修に携わり、貧乏学者の父と同じ轍は踏むまいとしてました。
そして、言語の中でも音楽と関係の深いアクセントの研究を専門分野としました。
古いお経や平家琵琶の楽譜を調べ、平安朝以来のアクセントの歴史を明らかにしたりして、
それなりに学者としての地位も得たのでした。
しかし、根が軽佻浮薄の気味がある春彦には、書斎で古い本を読むことは向きませんでした。


ついに春彦は晩年になって、一番なりたかった作曲家としてデビューすべく、作曲集「白いボート」を出しました。
八十歳を過ぎても夢を捨てない生き方に拍手を送ってくれた人もありましたが、内容の方はやはり時代遅れといわざるを得ないものだったようです。

全生涯捜し物の人生でしたが、最後まで捜し物は見つからなかったのでしょうか。




全文はこちらで






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最終更新日  2004年05月22日 21時13分58秒
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