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とんでもない大きな台風のようですが、早め早めの対応が必要な様ですね。 自分のところは大丈夫と思ってついつい安心して大きな被害を受けることもあるようです。 何事でもその様ですね。自分だけはとか思い込んでいることが多すぎないでしょうか。 自らの心の備えというか、自分の基盤をしっかりとしていくことが大切だと思います。 北朝鮮がまたとんでもないことをやってしまいましたね。報道では必要以上に日本が右往左往しているかに見えますが、国としての基盤がはっきりとされて居ないからではないでしょうか?有名人とか文化人とか言われる人たちが勝手なことばかり言っていますが、自分の国ぐらい自分で摩耗としなければならない時代ではないでしょうか?平和ボケの文化人のきれいごとでは済まないのじゃないかあ Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2017年09月16日
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『感謝こそ、最大の根源』 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ 今日も素晴らしい一日でした。 心から「ありがとう」と感謝せずには居られません。 今朝起きた時、ちょっと血圧が高かった。 でも、すくっと立ちあがれてああ今日も元気で一日が過ごせるなと思った 時、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 昨夜、床に就いた時、ドキドキッと胸が痛み、不安がよぎりました。 それを否定することなく、いまそうなのかと、それも私の中の一部なのだ、 とスッ~と受け入れました。 そうすると何のためらいもなく自然と受け入れることが出来ました。 これが自然と言うことなのだなあと感じました。 この今が続いて行って、日が来るのですね。その時、今はもう過去になって いるのです。 ですから過去などに振り回されることこそ無駄なことです。 今まで人生って一本の線に書いてきましたが、そうじゃないのですね。 皆その時々の点なのです。 だから、その一点一点が大切のだとつくづくと思わされました。 そう思うと、今何にもしないでいることは、その点を無為に過ごしている ことになってしまいます。 「人生に於いて恐れることは、行うことによって生じてくることではなく 為さないことによって生じていることである」 と英国の首相であったチャーチルが言っていたのは、このことだったのか と気づかされました。 私達は、ややすると目に見えるものだけをみていて、目に見えないものが私達が生きて行く上で、如何に大きな支えになっているかを感じ取り、感謝していかなければならないとということを忘れてはいないでしょうか。 生きて行く上で、目に見えるものだけを信じている様な今日的な風潮を、 今一度考えなおす必要があると思います。 目に見えない大きな力が、私達の生きると言うことに働き掛けていること、 この偉大なる力の存在に感謝することこそ、 生きる証であるように思います。そう思うとこの世に無駄なことは一切存在 しないのです。 人を愛する事も、人を憎むことも、全て私たち自身なのです。そのものを 率直に受け入れ、その様な自分の存在に感謝し、精いっぱい生きているのだ と思うと、いつしかその憎しみすら人そのものであると言う思いから、愛お しくなってくるものです。 そうなった時、愛も憎しみもなくなり、自然の存在として全ての事が受け 入れられるようになってくるのだと思われます。 どの様な小さなことでも今に全てを打ち込むことが出来るのです。 行うことに大きいとか小さいとか、良いとか悪いとかではなく、自からを 燃焼させる時に、それらが全て昇華され永遠のエネルギーと化していくの でしょう。 この世に生を受け、皆この人生を必死に生き抜いています。 苦しいことや、死にたと思うくらい辛いことがあっても当然です。 私も、50年の企業経営を通じて、社員への給料だけは払わなくてはと、 質屋に飛び込んだこともありました。 だがそんな時にも決して私は「ついていない」と思ったことは一度もありま せんでした。 これも企業を経営していく上での、試練なのだと感謝してきました。 自分に課せられたこの人生を、精いっぱい生きておれることを、私は感謝 していました。 私は自分の人生を精いっぱい生きることを、心のおき所にしてきました。 宇宙の流れの中で思えば、私達の人生は一瞬にしか過ぎないのかもしれま せん。 それだからこそ、大切なのだと思います。 常に自分を最高の気持ちに置くことが、自分を最高に生かして行くことだ と思っています。 常に自分の存在を問い、自分のあるべき姿を求めて、精いっぱい行動しま しょう。 どんな苦しい中にも、必ず為し得た喜びが生じてくるはずです。 そうして、そこに自分の生きる目的がはっきりと見えてくるのです。 自分自身を不幸だなどと思ってはいけません。 不幸になるために生まれてきたな人なんて居ないのです。 もし自分が不幸だと思うなら、それは自分の心が不幸にしているのです。 最近、益々いろいろな情報が溢れています。 2020年の東京パラリンピックを目指して頑張っている若いアスリートたち の姿から、目に見えない素晴らしい姿が見えてきます。 自らの目的をはっきりと意識し、そのための目標をしっかりととらえ、常に 精一いっぱい打ち込んでいる彼らの姿の裏に、目にこそ見えませんが大きな 未来を感じます。 もう一度目に見えるものだけではなく、目に見えない真実の姿に目を向けて、精いっぱい自分の人生を謳歌しましょう。 Windows 10 版のメール<https://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=550986>から送信
2017年09月14日
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『自分を信じて、常にポジティブに行動する』 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━◇ 「俺は出来る俺はついている」と言うことを、自信を持って行動出来るようになるま で、 毎日何回でも自分を信じて口にしろ。 と中学時代の先生から言われ、ずっとその言葉を忘れず、心の支えとして来ました。 そのことが今日までの私に、大きく影響しているのだと思います。 昭和23年6月28日福井地方を中心に起きた北陸大震災(当時その様に言っていた)の 時、 中学2年であった私は自分から言い出し、学校の行事として初めて街頭に立って募金 活動 を行う様になりました。 当時、吃音(どもり)が酷かった私は恥ずかしくて、中々思う様に見ず知らずの人に 呼び かけることが出来ませんでした。 その時、担任の先生から言われたのが先に挙げた言葉です。 それから先生から言われたことを信じ、何度も何度も自分に呼びかけながら頑張りま した。 3週間の募金活動が終わりに近づいた頃には、不思議と吃音を気にすることも無く、 堂々と大声 を張り上げることが出来ていました。 それ以来いつの間にか私は対人恐怖症も無くなり、自信を持って自己主張ができるよ うになって いたのです。 今にして思えば、「自分を信じて、常にポジティブに行動することの大切さ」を、先 生は教えて 下さったのだと思っています。 それ以来、私はその様な「自分を信じて、常にポジティブに行動する」自分になる、 ことを目標 として生きてきました。 そのセルフイメージが常に私を支えてきたのだと思っています。 本来の自分がどんな自分であるかはわかりませんが、それを自分だと信じています。 人は生きていく時、自由だ、自由だと言いながらも、いろんな制約の中に生きている ように思い ます。 制約の中での自由であるに過ぎないのだと思います 過去の経験から生じてきた一般的な評価からの行為を「常識」と言い、それが大手を 振っている ようにも思います。 自らこの人生を本当に自由に生き抜こうとしても、そのような制約の中での抑圧が あったりで、 完全な自由などあり得ないのかも知れません。 もし完全な自由があるとすれば、それは自分の心の中だけではないでしょうか。 心の中では何を思おうが、それを外に出さない限り誰にも知られることはありませ ん。それこそ 完全な自由なのだと思います。 思ったことを行動に出さない限り、何の評価も無く、賞罰も受けなくて済むのです。 例えそれが常識としてはしてはいけないことでも、思うことは自由なのです。 極端なことですが、人を殺すそうと思っても行動に移さない限り何の罰もございませ ん。 それだけに心を大切にしなければならないと思うのです。 吃音で苦しんでいたころは、何でこんなに苦しまなくてはならないのかとか、人の目 を気にして、 恥ずかしがったり、自分を卑下したり、ある時には人を憎んだりもしていました。 その様に心が貧しいと、貧しいことしか考えられませんでした。 その貧しさから逃れんとして、いろんなことを考えましたが、ポジティブな思考は出 来なかった のです。 中学時代に先生から頂いた「俺は出来る・俺はついている」というこの一言が、私の 中にポジティブ な思考を生み出し、育ててくれたのでした。 大切なことは、常に心を前向きに、しかも美しく、思いやりのある温かい心に育てて 行くことだと思 います。 心が豊かになってくると、経済的な貧しさなども、どこかに飛んで行ってしまい、豊 かな心で自分の 人生を謳歌できるようになるのだと思います。 本当の自分がどうであるかは分かりませんが、自からイメージする自分に向い、積極 的に生きていく ことによって心は更に成長して行くように思います。 またユングの言うシャドーの中に、無意識の内に抑圧していた中に、成長のチャンス が隠されている ようにも思います。 それらを顕在化して、積極的に自分の心の中の思いとして育てることによって、人は 自らの成長を得る のだと思います。 自分は「ついている」と思えば、決して他人を責める必要は無いのです。 他人を批判する必要も無いのです。他人を認め、他人を受容できる心さえ有れば、自 分自身も明るく、 今に感謝して生きていくことが出来ます。 『上求菩提(じょうぐぼだい)』と言う言葉があります。 これは、今やるべきことを今やり、今やるべきではないことはやらず、きちんと二つ の判別を行い、 欲に引き回されず、与えられている現在に感謝し、今に生きる自由を大切にすること です。 人間性回復運動は、あくまでも他人に求めるのではなく、自分自身が、より良く充実 した人生を、 生き抜くための心の成長を図ることだと思っています。
2017年09月11日
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ある方からウッシーさんは運の良い方ですね といわれました。 運とはどのようなことをいうのでしょう。私自身確かに運のよい人間だと思っていま す。 ところで運とは何なのでしょう。よく、天運、努力運などといわれます。 私は20代に起業してから、いろいろな方に出会ってまいりました。 ソニーの創業者盛田さん、この方もよく運の良い方だったといわれますが、決して天 運の方だとは思いません。 自ら運を開いていかれた方だと思います。 確かに盛田さんを取り巻く方々を思いますと、それらの方々に支えられてきた盛田さ んは天運の方だと言えるかもしれません。 しかし私の知っている盛田さんは、それらを決して運とは見ず、それらを活かそうと 努めておられたように思います。 本田宗一郎さんにしても然りです。あれだけのことをなされた本田さん、きっと運の 良かった人だと思う人も居るかもしれません。 私は本田さんこそ、そのような天運などに固執せず、自ら自分の道を切り開いて生き た人だと思います。 天運の人とは、そのことに満足し、現状に諦め、それ以上道を高めようとしないで生 きている人のことをいうようです。 それで生きていけるから運の良い人というのでしょう。 世間一般に言われている運の良い人とは、現状に満足せず、自らの努力によって、自 分の人生を切り開いていった人の結果を 見て言っているようです。 努力をするということは、その先に何かを求め、何かを描いている、夢のあることの だと思います。 即ちその人にロマンがあるのです。運とはロマンを求め、ロマンに生きる人の特権の ようにすら思えます。 盛田さんにしろ、本田さんにしろ、常に順風満帆ではなかったのです。 本田さんは社員の給料が払えず、家屋敷を担保に入れられたこともあるそうです。盛 田さんにおいても然りです。 ただお二人を見ますと、何かに失敗された時、それを失敗とせず、次へのステップと して活かされていたのです。 失敗すら運として活かす、即ちそのことを反省し幸運とされるのです。 多くの人に見るのは、失敗を反省することなく、次への工夫も充分せず運が悪かった のだと諦めてしまうことです。 失敗こそ幸運への先導者なのだと思います。 私もいろんな事にぶつかってきました。上手く行った時は本当に運がよかったなと思 いました。失敗した時は、それなりの 努力が足りなかったような気がします。 ある事業を起こそうとした時、その製品メーカーの会長がアメリカから来られ帝国ホ テルに逗留し、大手の商社と殆ど交渉が まとまりつつありました。私はどうしてもそれが欲しかった。 毎朝会長が起きて来られる前に部屋の前に行って待っておりました。やっと一週間後 に会っていただきました。 そうしてその製品の販売権を頂くことが出来ました。 その方が東京に来られた事は運でしょう。後は何とかしてそれを日本で売りたいとい う私のロマンと努力です。 そうしてそのことを受け容れて貰えた幸運です。本当に運がよかったのです。 ただ、私はそれでよかったと満足できませんでした。そこまでしたのだから、もし もっと大手のように情報を早く手にしていたら、 もっと効果的に話を進めることが出来たのではないかと反省しました。 そうして次への布石をいたしました。 自分が幸運であろうと願うならば、先ず人を好きになることです。人を信頼し、人に 頼られ、人を頼り、自分で精一杯努力すること だと思います。 私は今多くの友人たちに支えられております。一人一人の友人が皆素晴らしい人ばか りです。私は本当に幸せものだと思っています。 私が成功した仕事の多くは友人が持ってきてくれたものです。そうしてそれらを成功 させたのは私ではありません 。私が頼った人たちです。 人の運とは、生まれながらのものであるかもしれませんが、それを活かそうと努める かどうかであり、それらを一緒にやってくれる 人が居て、お互いが頼り合い、信頼しあって努めるかどうかで幸運となってくるのだ と思います。
2017年02月21日
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一昨日、昨年度の確定申告に役所まで出かけて行った時の感じです 担当の女子職員さんに、にっこりとして「お寒いところをご苦労様です」言われびっ くりしてしまいました。 私の頭が古くなったのか、役所の職員さんが・・・という思い込みがあったのでしょ うね。 確定申告の用紙に必要事項を記入して下さっていて、またその女子職員さんから、 「あら~うちのおじいさん と同じお歳なのですね。お若く、見えて驚きました」と褒められちゃいました。 そうかこの歳じゃ、これでも若く見えるのかなと、何となく自分の83年間を振り 返ってみました。 83年間いろいろありましたが、我ながら良くやってきたものだと、自分を褒めてや りました。 だが振り返ってみて、何と幸せな83年間であったかと思うだけで、少しの苦労も思 い出せませんでした。 よそ様からは、よくご苦労様とか大変でしたでしょうと言われますが、私にはその苦 労ということがなく、 みんな楽しい思い出ばかりなおです。 私は山が好きで若い時から随分いろいろの山を登ったり、散策したりしました。 富士山に初めて登った時、途中で息切れがして、ふうふう言いながらやっと頂上に登 り着きました。 眼下に広がる素晴らしい眺めにただただ感動したことを今でも忘れません。 あの時あの苦しさを体験して、もう2度と登らないと思ったかな~? いや次の年もまた昇り、あの眼下に広がる素晴らしさに再び感動したのだか ら・・・。 人間とは素晴らしい存在だと思うのです。 自分がどのように苦しく、辛い思いをしても、それが素晴らしい結果をもたらした時 には、苦しみとか辛さ等 を全て浄化してくれて、楽しい思い出にしてくれるのですね。 人生の振り返りは、その過程がどうであったにしろ、そこから新たな発見があり、苦 しみを浄化し楽しみに、 喜びにしてしまうのでしょうね。 人間の思考とは、その様に積極的に前向きに思考する限り、「苦」を「楽」にするも のなのでしょうね。 自ら主体的に行動したとき、新たな気づきがあり、「苦しみ」は「楽しみ」に変わっ ていくものなのですね。 私が勝手にメンターと思っている方々は、何事も楽しく積極的に生きている方々でし た。 私もこの83年間、本当に楽しい83年間でした。 83年間と言ってもまだそんな意識もないころは、親兄弟との想い出ばかりで、きっ と周りから可愛がられ、 すくすくと育って来たのだと思います。。 自分なりに自立してからこの方、いろんなことにぶっつかったが、無理だとか、出来 ないなと思ったことは、 一度も有りませんでした。 会社を経営しておりましたときも、「ムリ」と言う言葉は禁物だと思っていました。 「ムリ」と言ってしまうと、その出来ない理由のみを探し出そうとするからです。 部下を育てる時も同じです。あいつにはムリだとか、あいつには、そこまで任せられ ないと思うと、彼の足り ない面だけが見えてくるものです。結果せっかくやろうとする彼の気持ちまで、押さ え込んでしまうのです。 人生に於いて大切なのは、何事も出来ない理由を考えるより、可能性を見出す事です ね。 自分を信じ、他人を信じて、常にポジティブに前を向いて生きることだと思います。 今までのやり方や、考え方を時には否定してみて、新たな考え方で見直してみること も必要かもしれません。 必ずそこに、新たな道が見えてくるからです。 どんな時にも、ネガティブな思考や行動からは、新たな道は生まれて来ないようで す。 どんなに辛いと思っても、決して弱音を吐かずチャレンジすることだと思います。 そこに必ず大きな喜びと感動が待っているのです。 生きている限り、思いもしないような事が起きてくるものです。 その時に慌てず、じっくりとそのことを見つめ、一喜一憂することなく、今自分のな すべきことを誠心誠意に、 果たすようにすることだと思います。 後になって振り返ってみますとその時どきに、必要なことが起きていたのだと思われ るのです。 起きていたことに迷わされず、自分の信じることに誠心誠意立ち向かったことで、そ の問題を解決していたと 思うのです。 そうしてそれが後々大きな力になっていたのです。 お天気に良し悪しはありません。晴れた日には晴れた日なりの、雨の日には雨の日の 生き方があると思います。 人生にも「すべて良し」の気持ちで、勇気を持って進むことが大切なのではないで しょうか。 それが若さの秘訣です。人生って素晴らしいものですね。
2017年02月18日
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『奇跡は起こすもの』 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━◇ 「奇跡は親の子を思う気持ちから生じました。」 フランスにいる友人の医師から先日「奇跡としか言えない」という電話を頂きまし た。 何事かと思いましたら患者さんのことでした。 彼は脳神経外科の医師で、随分長い付き合いのある友人です。非常に真面目で私とは トランスパーソナル 心理学を一緒に学んだ仲間です。 彼の言う奇跡とは。彼の患者さんで遷延性意識障害、いわゆる重度の昏睡状態にあっ た方が、2年ぶりに 目を覚ましたとのことでした。 2年も昏睡状態にある人が、眠りから覚めるなどは信じられないことだと彼は言うの です。その患者さん が目を覚ましたというのは、奇跡としか言えないと彼は言っていました。 彼が言うには、その患者のご両親がこの2年間、毎日の様に病院にきて彼に声をかけ ていたとのことです。 “みんな元気で、お前の目覚めを待っているよ”“大丈夫だよ、神様が守って居て下 さるよ”と声をかけ 続けていたのだそうです。 医師ですら、もう覚醒することは無いだろうと諦めていたのに、子供を愛する両親は たとえそうであって もと、最後の最後まで諦めずに子供に呼びかけて居たのです。 その親の気持が奇跡を起こしたのです。通じないと思っていた両親の声は、子を想う 親の気持として子供 の気持に通じていたのです。 その気持ちが、その子の心に響き奇跡となって目を開かせたのです。 その後その子は2年間の昏睡状態から、退化した脳神経の復活に手を尽くし、頑張っ ているとのことです。 友人の医師からはその後の経過として、少しずつ声を出すようになってきたし、両親 を意識しだしてきた という知らせを受けています。 奇跡は起きるものではなく、起こすものだと私は気づきました。 人の意思は、それほど強いものなのです。 どんな辛いことがあっても、自分がどのように報われないことがあっても、決して自 ら諦めたり、投げ出 すようなことをせず、最後の最後までやり通すことです。 今年も今日で終わりですが、明日から新しい年が始まります。 今年出来なかったことも、決して諦めたりせず、投げ出すことなく、再度チャレンジ していきましょう。 争いのない平和で安らかな気持ちで、毎日を過ごせるような世の中にして行くには、 一人一人がそう願う ことです。 そうしてそれぞれの人が、精いっぱい自分の人生を、より人間らしく生きようと頑張 ることによって、 奇跡を起こすことが出来るのだと信じています 私の「人間性回復運動」の根底にある気持ちなのです。 私は、毎日毎日を最初の一日と思って、その日その日に自分を燃焼させながら、生き てきています。 来る年も精いっぱい生きていこうと意を強くして新年を迎えます。 良いお年をお迎えください。(^_-)-☆
2016年12月31日
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「患者懇談会での一言」 ここのところ、ちょっと体調を崩し病院にお世話になっていました。たまたま院内で の患者懇談会があり、 担当の先生からゲストスピーカーとして参加してくれと依頼されました。 20代から50代くらいの人が中心でした。20数名の方が参加されていました。そこでの ことです。 司会の先生から、私達医者は皆さん方が退院後、幸せになって頂きたいと願っていま す。 それで、今日は「退院したら、どんな気持ちで毎日を過ごしたらよいか」ということ でお話し合って頂き たいと思います。と話題提起がなされました いろいろな意見が出てきました。 40代のAさん方から「人は幸せになるためには、苦労は買ってでもしろ」と言われて いますが、どう思い ますか? 私はその通りだと思って、辛いけれど耐えていこうと思っています。と言 われました。 それに対して 20代のBさんから、「そうかもしれないが我慢して頑張っても、根治する保証も無い ので、幸せなんかには なれないのではないかなあ」 同じく他の40代のCさん、「耐えることなんか無駄ではないかなあ、先が見えてい る私ににとっては・・・」 と否定的な発言が続きました それまで黙って聞いていた30代のDさんが「確かに人生には、いろいろなことがあり ます。私も思いがけず 癌で入院しました。辛いことばかりでした。 こんなに苦しいのなら、死んだ方がましだと思ったこともありました。そんな時、看 護師さんから、治って 退院したら、したいと思う楽しいことをイメージして頑張ると、結構辛さも和らぐわ よ、と言われました。」 「そう思って頑張って来ました。だが2週間後に退院できるようになって、そんな楽 しいことばかりを願って いても、そう行かなかった時のことを思うと挫けてしまうのではと心配になって来ま す。」という発言でした。 しばらく、皆さん黙っておられました。多分皆さん同じようなお気持ちだったのかも しれません。 司会の先生から、ゲストの牛島さんはどうお思いになりますかといわれました。 私は次のようなことを話しました。 皆様のお話をお聞きしていて、現状の皆様からのご発言、尤もなことだとも思いまし た。 しかしそのような状況なのだから、よけいポジティブにお考えになって欲しいと思い ました。 人生って、そんなに難しくお考えにならず、楽しく生きたいと思いませんか? 私は自分の人生を、耐え忍んでいかなければならない様な大変なものにしたくはあり ません。 確かに苦しく、大変な事もあると思います。泣きたいような辛いこともあると思いま す。そんな時、 耐えようとすると、反って苦しくなりませんか?辛くなりませんか? そんな時、耐えることより、今こうして先生方が一生懸命私たちのために、頑張って 下さるのです。 そう思うと、そのことに感謝したく思いませんか? 感謝しましょうよ。 また、今こうして生きているということにも、喜び感謝しましょうよ。 人生における喜びとか、生きがい等は、辛い苦難の中に在るのではなく、今お一人お 一人の手の内に、 足元にあるのだと思います。 あなたが今をどう感じ、どう生きようとしているかが大切なのではないでしょうか。 あなた方は、今の自分をどう感じていますか? 本当に不幸だと思って居ますか? あなた方が幸せになろうと、今こうして生きていることに感謝して、一生懸命に頑 張って居るのだと 思うと、先生方やご家族もきっと、喜んでもっともっとあなた方の力になろうと思っ て下さいますよ。 そんなことって素敵なことじゃないですか・・・幸せなことじゃないですか・・・ 私は悟りを得た、聖人君子じゃありません。煩悩に悩むことがいっぱいです。だから 自分の気持ちを ポジティブに、前向きに持とうと努めています。 幸せとか喜びとかは、外から与えられるものでなく、自分が感じ取るものだと思って 居ます。ですから 苦難を耐えなくていけないとか、辛いと感じるようなら、そんなことは捨ててしまお うと思ってます。 自分から苦痛も辛さも、回復への道しるべだと思い、喜びに変えて、敢えてチャレン ジしています。 すると辛さも苦しみも、大きな喜びに、幸せに感じられる様になるのです。 私も今は皆様と同じような、病に冒されていますが、反って今までよりも、生きてい ることに喜びと 感謝の気持ちでいっぱいになっています。 どんなに経済的に、肉体的にも恵まれていても、心に感謝の気持ちが無く、人を妬ん だリ、諦めて いるような人には幸せなどないと思います。 人生とは与えられるものではなく、自分で築き上げていく、喜びの中にあるものだと 思います。 そこに私は生かされているのだという感謝の気持ちが生じてくるのです 今日、皆様とお話が出来て、同じような悩みや苦しみを持って、生きようとなさって いる仲間を得て、 心強く嬉しく思っています。 一緒に精いっぱいお互いに感謝し頑張りましょう。素敵な人生を生きましょう。 有難うございました。また笑顔でお逢いしましょう。
2016年09月21日
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『「運」は自分から拓くもの』 私の過去を振り返ってみると、全て順風満帆であった事なんか無かったように思いま す。 何度失敗したことか。 ただその時、私は多くのことを学びました。そこには人に言い尽くせない苦しみもあ りました。 しかしそこから、これじゃいかんのだ、こうしたからこうなったのだ、何がそうさせ たのか、 反省をして来ました。 そうして、じゃどうやるのだ といろいろと考えました。次から次と思いつくまま書 き出し たりしました。 そのうちに、とんでもないことがふっと浮かんできました。 それをやるかやらないかが運=チャンスなのです。 やってみて失敗すれば、又ひとつの大きなチャンスが与えられたのです。 失敗も、新たな試みに対するチャンスであり、成功への運の入り口なのですね。 失敗したときに、決して投げ出さず「自分の工夫、努力が足りなかったのだ」 と思 えば次への エネルギーが生じてきます。 自分が出来なかったからと言って、他人の所為にしたり、状況のせいにしてもどうに もなりません。 人のせいにしたりするよりも、こんなチャンスを与えて呉れたのだとその人に感謝す る方が、大きな 気づきになるものです。 私達は失敗するたびに、大きな運を目の前にしていたのだと思います。その運を見逃 さずに自分の方に 手繰り寄せる力を発揮するのです。 私は仕事でも人でも、ものごとでも、自分から必死になって手に入れようと、手繰り 寄せないと来て 呉れないと思って居ます。 運だってそうだと思います。運の方から来てくれたりはしません。 不平不満ばっかり言っていて、どうせ自分は運が悪いのだといっている処に、運の方 から来てはくれる はずは無いと思います。 人間関係だって、不平不満ばっかり言って、人の悪口ばかり言って居るような人の所 なんかに、進んで 近寄りたいと多くの人は、思はないのではないでしょうか。。 「運」だって同じことだと思います 自分の目の前には、何時もチャンスがあるものです。ただそれに気付かない人が多い ように思います。 気付かず鈍感になっていているのは、ものごとに対しも、周りの人に対しても、自分 自身に対しても、 関心が薄くなって居るのではないでしょうか。 他人が自分にやってくれたことに対して、自分が今この仕事をこなせたことに対し て、今自分がこう して生きていることに対して、感謝の気持ちも持って接していると、そこに必ず何ら かの気付きが あるはずです。 その気付きが、人に対する、ものごとに対するする、状況に対する感性を、高めてく れるのです。 運=チャンスは、自分ひとりで掴むことは出来ません。 あの人が、あのようにやってくれたからこんなことがあるのだと・・・ あの人が、あのようなことで困っているのだ、何か手助けすることは無いかと・・・ あの人が、あのように私のことを想って呉れて居るのだと思うことによって・・・ あの人が、あのように支えてくれているのだと感謝することによって・・・ 周りの状況も、起きていることも、変わって見えてきます。 その時、気付いたことをポジティブに行動を起こすか、ネガティブに捉えて、に止ま るか違いが、 チャンスを生かすかどうかの違いではないでしょうか。 運は、チャンスは待っていて呉れません。 自分から積極的に求め、行動する時に起きてくるものなのです
2016年09月14日
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『もとホームレスだった人から学ぶ』 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━◇ 「あなたは、ずいぶん運の良い方なのですね」と再三言われます。 私はいろんな人にめぐり合い、いろんな方から学び、いろんなチャンスにめぐりあっ て来ました。 そのことを運がいいと言えるのなら、確かに運がいいのだと思います。 83年という歳月に、いろんな経験が出来たことは、この時代に生きて来たからかもし れません。 それを運と云うならば運が良かったのかも知れません。だがこの時代にめぐりあった のは私一人じゃ ございません。何億何千という人が生きて来ているのです。 その一人ひとりに運があったはずです。それを私は天運と言って居ます。 その天運を、俺は運が良いのだなと、自分から運を開いていく人と、 俺はこれだけの人間でしかなかったのだと、諦めてしまう人とでは、 大きな差が出来てしまうのだと思います。 運とはそういうものではないでしょうか。どんな恵まれた環境に生まれ育っても、 その環境に甘んじて生きていく限り、その人の運は開かれていかないと思います。 運とはそう言うものだと思います。 自分の置かれている環境や周りに頼って、運とかなんとか言って居る限り、 その人の人生は開かれて行かないと思います。 大切なのは自分からどれだけ積極的に自分の人生を、切り開いて行こうと 努力をしているかだと思います。 努力こそ、その人の道を開く「運」だといえると思います。 天運に諦めて生きている人には、輝きある運など、期待するのが無理なのです。 なぜなら自分の人生を他人事のように投げ出しているからです。 ただその様な人でも、自分から何かに気づいたときには、「運の女神」はその人を 見落としたりはなさいません。 私の友人で、かってホームレスだった人がいます。 今は私の第一の理解者であり、私の心底のサポーターです。 ホームレス時の彼は、全く死人と同じでした。 目に輝きも無く、口にする言葉はいつも「どうせ、俺は・・・」でした。 薄汚く、悪臭を放ち、そのくせ目はきょろきょろと落ち着きのない、 どこにでもいる、浮浪者に過ぎませんでした。 ある日、私と言い合いになり、「お前に、俺の気持ちなんかわかるか」 と食って掛かって来ました。 その時の彼の目には、私に対する憎しみからか、真剣さが漲って居ました。 その時私は彼に次のようなことを言ってその場を立ち去りました。 「今のその怒りを俺ではなく、自分に向けてみろ、 今の自分が、本当の自分なのか、 そんなに、自分が憎らしいのか、 そんなに、自分を愛せないような奴の顔は、二度と見たくもない。」 それから3年ほど経ったある日、JR平塚駅の改札を出た時に、ある方から声を掛けら れました。 すっかり忘れていましたが、あの時のホームレスの彼だったのです。 貴方に「自分も愛せない奴の顔も見たくない」と言われてびっくりしました。 自分を愛するとは何だろう・・・? 愛するとはどういうことを言うのだろう? とその時以来、考え続けて居ました。そうこうしている内に私は働き出していたので す。 いつの間にか今の店で認められ、今は店長に引き立てられています。 そんな自分に気付いた時、いつしか自分を好きになっていました。愛して居ました。 と話す彼の目はキラキラとしていました 彼は、にこにことし目には自信に満ちた輝きさえ見えました。 私はそこに、彼の生き様を見ました。 そこには果てしない彼のロマンさえ感じました。 私は彼から多くのことを学びました。 自分とは何かを知ろうとする時、自分は生きなくちゃならない、と気づいた・・・ そのためには食べなくちゃならない、そのために働かなくちゃならない。と気づい た・・・ 働いていると、いい加減な気持ちが薄れ、一生懸命働こうと言う気持ちになれ た・・・ そうして働いている内に、自分が見えてきた、そんな自分を無性に好きになり、愛し ていた・・・ そこに生きる希望を見出し、真剣に生きるエネルギーを得ることができたのだ・・・ と彼は私に教えてくれたのでした。彼こそ、私にとって最高の友であり、最高の師で す。 「運とは自分で切り開いていくものであって、与えられるものじゃないのですね。 私は運のいい人間です。自分の人生を自分から掴むことが出来ました。 生ある限り、私は私を愛し、周りを愛し、世の中を愛し 精いっぱい自分の人生を生きていきます。」 彼からの最近頂いた手紙です。
2016年09月11日
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久しぶりにエピクテートス(哲学者)を読んでいました。 幸福って何だろうと、本当に幸せなんだろうかと、ここのところ心の何処かに ひっかかって居たのです。 癌の手術で入院中、いろんな事を思いました。 いろんな方から励ましの言葉も頂きました。家内の献身的な看護も非常な喜びでし た。 そんな自分が幸せであることを強く感じておりました。 幸せって、人それぞれがその状況の中で、掴んでいくものだと思っていたのです。 私は幸せの道は幾つもあり、確かに幸せに対する考え方は人それぞれ違うと思いま す。 お金に幸せを感じる人、地位や名誉に幸せを感じる人、 好きな事に没頭できている 時幸せを感じる人、 最愛の人に全てをささげる事に幸せを感じる人、 愛されていることによって 幸せを感じる人、 ただ私は思うんです。本当の幸せってそんなことなのだろうかと。 エピクテートスはこの様に言っています。 「幸福への道はただ一つしかない。それは。意志の力でどうにもならない物事は悩ん だりしないことである。」と エピクテートスの言っているのは「幸福への道」だが、そこに私は幸せというものを 観るような気がするのです。 本当の幸せって何かを問うことすら無意味な感じがしますが人が、人として生きてい く時、一番大切なことは何を得たかとか、 何を学んだかではなく、自らの心にどれ程恥じなく生きて行けたかにあるようです 自分の心に平安を見出すことが出来なくては、幸せってどこにも無いのではないで しょうか。 エピクテートスが言っているように、「意志の力でどうにもならないものごとは悩ん だりしないことである。」 と言うことは、自分の意思で自分のあるがままの生き方を選択していくところに、 幸せってあるんだと納得る自分がありました。
2016年09月01日
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最近の世の中には、余りにもひどい事が多過ぎますね。 ヨーロッパ各地でのテロによって多くの人の命が奪われています。 シリアでのいつ終わるとも分からない破壊と殺人が今日もまた 行われているのでしょう。 国内に目を転ずると、親が子を道連れにした、友人をいじめ殺した等という悲惨な ニュース、 親の不注意から幼い子供の命が失われるなど、耐えられない気持ちです。 スポーツの祭典オリンピックでのドーピング疑惑によるロシア選手の参加剥奪 一体何故このようなことが生じてくるのでしょう。 自分の中にもいろいろな、他人に対する羨ましさ、ねたみ、彼より上に立ちたい という競争心 等、いろいろな争い心を感じることがありました。 そのことが自分の進歩のエネルギーになっていたことも否定できません。 しかし自分の中にうごめく、ねたみや競争心を測りだすようなものがあったら、 私はきっと生きていけなかったような気がするのです。 その余りの怖ろしさに、自ら命を絶つかもしれません。 そのくらい人の内面にあるものは、醜いものであるかもしれないのです。 私たち人間は長い歴史を経て今日の文明社会を築き上げてきました。 その過程は決して美しいものではなかったと思います。 他国を自分の支配下に置きたいという欲望が、あの国からあれを得ようと いう損得から、お互いが戦い合って文明社会をつくってきたように思うんです。 そこから得たものがどんなに素晴らしいものであっても、その心の中に生じて いたものは決して素晴らしいものとは言えないように思えます。 また私は今日の自分を築いてくるまで、あそこの学校に行こう、あそこで学位を取ろ う、 あそこの会社に入ろう、あいつには負けたくない、あそこの会社には負けられない、 あそこの会社を買収しようと、あるときには相手を蹴落とす競い合いを繰り返してき ました。 そのために勉強もしました。そのための教育であったのかもしれません。 今もそうです。自分勝手な基準を作り、他人を評価し、あなたのためだと言いながら 他人を追い立ててはいないでしょうか。。 このような自分に、苛立ちと自責の念に攻め立てられることが日々の生活の中にあり ます。 本当は人を愛し、人と共に心から信じ合い、お互いがお互いの人生を尊びあい、妬み や競争のない、 お互いが楽しく、活き活きとその毎日を謳歌出来るような世の中にしたいのです。 そうなれたとき、世界中に争いがなくなり、お互いが一緒に生きていける社会が出来 るのでは ないでしょうか。それを「共生の社会」というのではないでしょうか。 (ウッシー 拝)
2016年08月30日
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平塚から帰りのバスに乗った時のことです。後ろの席で、中国からの観光客の方でしょう、何やら楽し気に話して居られました。話されていることは全く分かりませんが、よっぽど楽しかったことでもあったのでしょう、喜々として話されて居ました。終点で降りようとしたとき、先に降りた中国の人に、もう一人の女性が慌てた様子で先に降りた人に何やら言って居ますが、聞こえないのか外の人は手を振って居ました。どうしたのだろうとふと、バス運賃の精算機を覗くと-180と見えました。運賃が180円足りない様です。それでどうなさいましたと尋ねると、彼女が慌ててNo money No money と泣き出しそうな顔で言われました。それでそっと200円をお渡ししましたが、見ず知らずの日本人の行為に驚いて受け取らずにいました。にっこりして、どうぞご遠慮なくと申しましたら、照れながら受け取って呉れました。それをどう処理したらよいのか戸惑って居られたので、精算口に入れる様に示しますとそこにいれて、返ってきた20円を私に返して呉れました。最後に私も降りましたら、先に降りた方とご一緒に待っていて呉れて、片言交じりの日本語で、何度も何度も「ア リ ガ ト ウ、ア リ ガ ト ウ」と私の手を取り、お礼をいって呉れました。その時の彼女たちの嬉しそうな顔が、とてもチャーミングだったのが思い出されます些細なことですが、私達の周りにはこのようなことがあるのではないでしょうか?そんな時、私がしなくてもとか、乗る時にお金ぐらい確かめないのかねと、第三者的に眺めずに、困っている人の、お役にたとうという気持ちになることが大切だと思います。第三者的に、冷静に観察することも大切ですが、人として更に大切なことは、常にその人の立場に立って、気持ちを共有することの出来る心が必要なのではないかと思います。私が掲げている人間性開発運動とは、理論理屈を問うものではありません。単にこうすべきだとか、こうあるべきだとかを頭で理解するのではなく、行動に移すマインドが必要なのだと問うているのです。知識だけでは何も生まれません。 自分の中に今までの自分の価値観にとらわれない新しい価値観を創造する行動力を養うことです。理屈をこね回して、立派なことを言う人のことを「口舌の徒」と言われています。私も「口舌の徒」と言われないように、心に従って何時でも行動できるようにしています。人間が生きていることに喜びを感じて、生きていける世の中って、そういう一人ひとりの行動から創られていくのだと思います。
2016年08月29日
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平塚から帰りのバスに乗った時のことです。 後ろの席で、中国からの観光客の方でしょう、何やら楽し気に話して居られました。 話されていることは全く分かりませんが、よっぽど楽しかったことでもあったので しょう、 喜々として話されて居ました。 終点で降りようとしたとき、先に降りた中国の人に、もう一人の女性が慌てた様子で 先に降りた人に何やら言って居ますが、聞こえないのか外の人は手を振って居まし た。 どうしたのだろうとふと、バス運賃の精算機を覗くと-180と見えました。 運賃が180円足りない様です。それでどうなさいましたと尋ねると、彼女が慌てて No money No money と泣き出しそうな顔で言われました。 それでそっと200円をお渡ししましたが、見ず知らずの日本人の行為に驚いて受け取 らずにいました。 にっこりして、どうぞご遠慮なくと申しましたら、照れながら受け取って呉れまし た。 それをどう処理したらよいのか戸惑って居られたので、精算口に入れる様に示します と そこにいれて、返ってきた20円を私に返して呉れました。 最後に私も降りましたら、先に降りた方とご一緒に待っていて呉れて、片言交じりの 日本語で、何度も何度も 「ア リ ガ ト ウ、ア リ ガ ト ウ」と私の手を取り、お礼をいって呉れました。 その時の彼女たちの嬉しそうな顔が、とてもチャーミングだったのが思い出されます 些細なことですが、私達の周りにはこのようなことがあるのではないでしょうか? そんな時、私がしなくてもとか、乗る時にお金ぐらい確かめないのかねと、第三者的 に眺めずに、 困っている人の、お役にたとうという気持ちになることが大切だと思います。 第三者的に、冷静に観察することも大切ですが、人として更に大切なことは、常にそ の人の立場に 立って、気持ちを共有することの出来る心が必要なのではないかと思います。 私が掲げている人間性開発運動とは、理論理屈を問うものではありません。 単にこうすべきだとか、こうあるべきだとかを頭で理解するのではなく、行動に移す マインドが 必要なのだと問うているのです。 知識だけでは何も生まれません。 自分の中に今までの自分の価値観にとらわれない 新しい価値観を 創造する行動力を養うことです。 理屈をこね回して、立派なことを言う人のことを「口舌の徒」と言われています。私 も「口舌の徒」と 言われないように、心に従って何時でも行動できるようにしています。 人間が生きていることに喜びを感じて、生きていける世の中って、そういう一人ひと りの行動から 創られていくのだと思います。
2016年08月28日
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先週嬉しいことが有りました。長い間音信が途絶えて居た友人から携帯に電話がかかって来ました。どうしているのかなと最近気にしていたのでびっくりするやら嬉しさで電話に出ました。そうすると懐かしい声でご「無沙汰してました。お変わりございませんか?私は結婚して子供が二人になりました。今は埼玉の方で元気に過ごしていますと言うことでした。いろいろ話している内に、彼が今私のかっての勉強仲間と一緒に仕事をして全国を飛び回っていると言う事を聞きました。いろんなご縁も有って彼が元気でいることを知って嬉しくなりました。人ってご縁を大切にしていると自分にも幸せが帰ってくるものなのですね。これからも多くの方との出会いを大切にし自分も明るく楽しい人生を謳歌しようと思いました。
2016年06月28日
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英国のEU離脱の投票結果が気になりますし、参議院議員選挙の行方も気になります し、 北朝鮮のミサイル発射、九州・中国・四国各地区の重なる風雨による被災者の方々へ の 心配といろいろなことが重なっては居ます。 しかしそれ等のことによって自分自身がネガティブな思いに押しまくられたらそれこ そ 大変です。こういう時ほどポジティブに積極的に行動する時だと思います。 82歳の私でも今出来ることを精イッパイ頑張ります。 皆さんもどうぞどうぞ明るく元気に今自分が為すべきことを精いっぱい頑張りましょ う。 今日も素敵な一日になります様にと祈念しながら。 82歳の夢中塾の一人
2016年06月23日
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先ほどのTVニュースで熊本での被災の情報をしり、いたたまれぬ想いで胸が痛みま す。 年老いて何ら力のもなれませんが、お亡くなりになった方々のご冥福を祈るばかりで す。 政府や自治体もいろいろとやって下さっているのでしょうが、まどろっこしく感じま す。 そこにはいろんな利権や主義主張の違いもあるのでしょうが、起きていることに対し ては もっと単純なことだと思います。 本当に被災者の気持ちになって考えるとやるべきことは単純なことではないでしょう か。 もっと人間性を持って率直に関わって欲しいものです。 政策やルールや政府や自治体の立場ではなく、今早急に打つべき手を打つことじゃな いでしょうか 一市民としてやるせない気持ちで書かせて頂きました
2016年06月21日
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今日も嬉しいことが有りました。 『木を植えた男』(ジャン・ジオノ原作)の絵本が送られて来ました。 素晴らしい生き方をした一人の男のことがフレデリック・バックの絵で心を打たれ ちゃった。 こんな人になりたいなあと思わされちゃいました。 あすなろ書房の出版です。 是非読んで下さいね -----Original Message----- From: ??????@mkrm.rakuten.co.jp [mailto:??????@mkrm.rakuten.co.jp] On Behalf Of Sent: Monday, June 13, 2016 9:27 AM To: ??????@mg.scn-net.ne.jp Subject: 13日の日記
2016年06月13日
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幸せだから、スッキップしちゃった。 こんな日って、外に出てスキップしながら自分の人生を楽しまなくちゃね。 人生なんて、きざなこといっちゃたかな・・・ 暑くもなく、ちょっと冒険でもしたくなるような気分だな・・・ いつだって冒険心を持っていた方がいろんなことが楽しめて良いよね 幸せって、あんまり気張らなくてその時を楽しんでいたらくっついて来るんだよね ルンルンきぶんでね
2016年06月12日
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最近嫌なことばっかしニュースで聞いていて、いろいろ考えるんだよね だって、人って思いもしない様なことをやるじゃない! いじめだの、オレオレ詐欺だの、本当に嫌になっちゃうね。 でもさ嫌なことばっかし思って居たらこっちまでおかしくなっちゃうよ だから反対のことばかっし思うことにしたんだよ! そうしたら楽しいことや嬉しいことが山ほど思い出されすごく幸せだなあと 思えてきたんだよ。 それでいいんだよね。難しく考えるわけじゃないけど、人の一生ってそうじゃなく ちゃと 思うんだよ。世の中が皆んなそんなふうに考えて生きて行けるような世の中にしたい ね。 今日も皆が幸せである様に祈ろう じゃまた明日ね ウッシー です。
2016年06月11日
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80歳となり、今迄の会社も後輩に譲り、今迄充分に出来なかった 人間性回復運動に専念する事にしました。 その運動の拠点として「夢中塾」を発足させました。 夢中塾!何と素敵な響きでしょう!何とロマンを感じさせる言葉で しょう。 夢中塾はロマンを求め、人が幸せを求め、それ等を手に入れていく 場にしたいと思います。 最近巷で良く耳にする「コトバ」で“やる気がない”“やる気が出 ない”ということを聞きます。家庭で、学校で、職場で、本当にそ れでいいのでしょうか? そもそも「やる気」とは何なのでしょう?そのやる気という木はど こにあるのでしょう? 家庭なのでしょうか?学校なのでしょうか?職場なのでしょうか? はたまた海や山に有るのでしょうか? それはどこにもあるのじゃないではないでしょうか? 即ち皆さま 一人ひとりの中にある木なのです。 木の種を蒔き、芽を出し、幹として成長し花を咲かせ実を実らせて行くのです。 その種はどこにあるのか?その種を探しだして行くのです。 そもそも「やる気は」は何処から生じて来るのでしょう? 皆さんはご自分がやる気を感じて、「やったな~」と言う時が必ずあったはず です。目指す高校を大学を受験する時、体育祭での対抗し合いの時、友人と登 山した時、目指す会社への就職活動の時、QC活動でデミング賞をま座した特と 必ず一度や二度は夢中になってやった時があるはずです。 それはその目指す目標がはっきりしている時に“よし、やるぞ!”というやる 気が生じて来たのではないでしょうか。 それでは今はどの様な目標をお持ちですか? 体育祭で「お前はA組の誰々に 勝手必ず優勝しろ!」と言われて本当にやる気になったでしょうか?それは自 分から必ず優勝してやるぞと言う気持ちがあってこそ「やる気」は生じて来る ものではないでしょうか。 人から与えられるものじゃないと思います。 人生とは人のためにあるものでは無いと思います。自分自身の人生です。 その自分の人生を生き生きと自分自身が生きていくために人生の目標があるは ずです。かけがえのない自分の人生を全うするために自分の人生目標をはっき りと掴んで行きましょう。 そのためにお互いが率直に自分の思う事を語り合い、多くの人から学び合いお 互いの人生目標を形成して行く場に夢中塾があるのです。 夢中塾とは人間形成の相互啓発の場でありたいと思います。 同志を求めます 牛島 日出男
2013年10月30日
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随分ブログを遠ざかっていました。ファイスブックとかツイッター等いろいろと情報交換が簡単にできる様になって、ついついそちらに夢中になっていました。ブログを書き始めた時、一体何を訴えたかったのかを思い起こして見てハッと気づかされることがありました。二兎を追うものは一兎をも得ずと言われている諺です。ブルグで訴えようとして居たことは人としての素晴らしい生き方を共に求めあって行きたいと言うことでした。それを単なる情報発信と言うことにだけ置き換えていた様に思うのです。それも必要ですが、多くの方に呼びかけ、多くの方の賛意を得て自分のあり方を見つめなくてはならないとすれば、情報発信と言うだけではなくフィードバックを受ける場でなくてはならないと思います。フェイスブックもそれなりのフィードバックはありますが、もっと手厳しいものも欲しいものです。“いいね”だけじゃ解らない事が多いものです。またこのブログを通して皆様方からの温かいフィードバックを頂きながら自己成長の場にしていきたいと思っています。今後とも宜しくお願いします。私事ですが、社長を退任し、ホームページも更新致しました。 http://jinzaikaihatsu.jp です宜しくお願いします
2011年09月25日
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と言ったら家内に笑われましたが、自分なりにいやいやまだ若いなあと思って居ます。今日帰りの電車で優先席の前に立ったら、学生さんらしい20代の男性が「どうぞ・・」と席を譲ろうとしてくれました。とっさに「結構ですよ、折角お座りになっているのですから、大丈夫ですよ」と言ってしまいました。これから1時間以上も立って行くのは決して楽じゃないのに、やせ我慢なんかしちゃってと頭をよぎるものもありました。結局新宿から伊勢原まで1時間10分立っていました。しかし、背伸びをしたり、立禅をしたりしていたせいか少しも疲れませんでした。反って何となくすっきりした気分でした。いつももう78歳になるんだからと、当然の様に優先席に座っていたが、明日から気持を入れかえて、できるだけ立って乗ることにしよう。折角与えられた1時間10分、甘やかさず自分づくりの時間としようと思いました。
2011年02月18日
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パソコンに不得手の所為かどうしても自分のブログが解らなくなってしまいました。やっと見つけホッとしました。何事もそうなんでしょうが、基本を理解していないととんでもないことになってしまうものですね。今パソコンでのブルグの基本を理解したと言うのではないのですが、続けていれば自然と解ってくるのかも知れません。今日は税金の確定申告に行きますが、自分達の納めた税金がどの様に使われたのか、確認できないと言うことは日本の特徴らしいですね。もっと国民の政治に対する認識を高まれば、税金がどの様に使われ、無駄がないかどうか自分達で追求できるのですがね・・・民主党の事業仕分けなど党のパホーマンスの様で、本当に我が国に今必要なことにお金が流れて行って居ない様で嫌ですねエジプトじゃないけど、今の日本の政治の様は国民がひと騒動起こさないと変わっていかないのでしょうかね。飽き飽きしたと言って投げ捨てる訳にも行きませんしねこんな状態の中でも多くの国民は「素晴らしい自分の人生を生き」抜けようと必死なんですけどね。
2011年02月16日
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私も今年で78歳になります。元気でこうして居れることに感謝しここのところボランティアみたいなことで追われて居ます。 40年近く続けて来たヒューマンリフレッシュプログラムという私独自の公開講座も今回3月で最終とします。どうぞご参加ください ushijima@jinzaikaihatsu.jpにお問い合わせください最後と思うとちょっと寂しい気もしますが、新たな一歩を踏み出す事にしました。 今後はヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間性回復運動)の日本版として「今出来ること、身近なことで小さいことをみんなでやっていこう」といううたい文句で働きかけて行こうと思って居ます。 親が子を殺すとか、子が親を殺すとか、考えられないことが多すぎます。みんなの心がすさんでいます。 今だからこそ皆が人間ってそんなものじゃないでしょうと、皆で幸せになりましょうよと呼びかけ、少しでも今の世に幸せを取り戻しましょうと働きかけて行くことが必要だと思います。 皆さま一緒に力を貸して下さい。
2011年01月21日
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「いつになったら貴方とゆっくり老後の生活に入れるのでしょうね」と言って居る家内と久しぶりに出掛け買い物に付き合いました。よっぽど嬉しかったのか、「これどう?」「何が食べたい?」「一つにしようかしら・・・」等と話しかけて来ました。そうねと言うだけでしたが、家内は、これにしようと相談したものとは違うものを買っていました。聞いてもらって居ると言うことだけで嬉しいのでしょう。悪かったなあ、今まで自分のやりたいことばっかりに夢中になっていて、家内に対する想いがどこか欠けていたのでしょう。今年4月で結婚50周年、金婚式になるのだと思うと、今まで我が儘いっぱいで生きて来た私に良くも付いて来てくれたものだと感謝の気持ちでいっぱいになった。これから先そんなに長い年月ではないかもしれないが、もう少し家内の人生にも寄与出来なくちゃと思わされました。こんな贅沢を言っている私は本当に幸せですが、世の中にはどん底の中で、苦しんでいる人たちが世界中に一杯いるのだと思うと、自分の満足だけに浸っている訳には行かない、世のため人のために、どんな小さなことでも良いから今日もやろうと寒い中をバス停の掃除と、その道筋のくず拾いをして来ました。でももっと直接的に手も差し伸べなくちゃならない人が居るのだと衣類の整理をしています。明日新宿のホームレスの人達に着て貰おうと思って居ます。でももっとやれることがありそうです。世界中の人が心から幸せだと思える様なその時が来るまで、幸せの配達人になろうと思って居ます。寒い一日ももう昼過ぎです。裏日本や中国地方では雪で大変なようですが、ここ湘南のこの地ではまだまだ陽がさしています。皆さん風邪をひかない様に。
2011年01月16日
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昨日、ある方から人間性回復運動って素晴らしいけど何をすれば良いのか解らないと言ってこられました。私の言って居る人間性回復運動って、そんな難しいことじゃなく一人ひとりが、もっと周りの人に気を配り、積極的な関心を持って接して行けるような世の中にしましょう。と言うことです。あなたが今、自分の周りにいる人に、もっと愛情を持って関わっていけば、その人の苦しみが解消されるかもしれませんその方が勇気を持ってもっと積極的に生きようと思われるかも知れません。難しいことじゃなく、今あなたが出来ることを優しい思いやりの気持ちで関わって行きましょう。と言うことですその様なな方々がお互いにネットワークを作り皆で今の世の中の何となく乾燥した人の心に、少しでも潤いを与えて行こうと言う運動です。一人の力では出来ないこともあるかもしれません。そんな時に同じ気持ちのある方々で話し合って出来るものを見出し力になって行くましょう。そんな方はhmou-krktmhi3574@mg.scn-net.ne.jpにご連絡下さい
2011年01月10日
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今日、ガン検診に行ってきました。結果はどうであるか解らないが今の私には心に決めたことがあります私の敬愛する友人に谷口貴彦さんという実力派コーチが居ます。彼が「決断とは心に決めたこと、だから実行するんだ」との様な事を言っていました。その言葉が今の私には、凄い力となって返ってきています。長年、人間性回復運動を言いながら、私にはそれらしい行動が伴って居ませんでした。今やっと、決断することが出来ました。自分の心にやるぞと決めることが出来たのです。その為には多くを知ることより、必要なことのみを残し、あとは捨てることも必要な気がします。あれもこれもと思っていたので、自分の思いに集中できていない私があったのだ思います。難しいことではなく、私の着こんだもの、飾り立てたものが行動の邪魔をしてました。ガン検診の結果が最悪の状態であったとしても、今の私は何にも恐れることなく、躊躇することなく、今なさんとすることに邁進できる勇気と力を全身で感じています。今年こそ最高の年になる喜びが、ひしひしと感じられます。
2011年01月08日
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人間性回復運動、または、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(Human Potential Movement / HPM)とは、1960年代のアメリカ合衆国、それも主として心理学分野において生じたムーブメントです。「幸福」「創造性」「自己実現」の主体である人間の「人間性」や「人間の潜在能力」を、回復・発展させることを主旨として起きて来た運動です。行動主義心理学に対する反省や、実存主義の影響などを、背景として挙げることができると思います。しかし私が提唱しておりますのは、その様な学問的なことではなく、今日巷にあるれている人と思えない様な行動をとるこの現状を、少しでも人間として、安心して、幸せに過ごせるような社会にいて行こうと言う運動です。どんな小さなことでも良い、満員電車の中でご老人に席を譲る人がいても良いじゃないですか、バス停でおはようと声をかけるだけでも良いじゃないですか。こんなことが必要じゃないですかと声を掛け合うだけでも良いじゃないですか。人が人らしく堂々と生きていける様な同志が声を掛け合い、ネットワークを作り、少しづつでも皆が明るく人間性を取り戻し、話しあって行ける社会にして行きませんか。難しいことじゃなく、政治や制度に頼るのではなく、お互い同士が信じ合い、協働し合って行きましょう。人間であったことを心から喜べるような社会にして行きましょう
2011年01月04日
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人間性回復運動、または、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(Human Potential Movement / HPM)とは、1960年代のアメリカ合衆国、それも主として心理学分野において生じたムーブメントです。「幸福」「創造性」「自己実現」の主体である人間の「人間性」や「人間の潜在能力」を、回復・発展させることを主旨として起きて来た運動です。行動主義心理学に対する反省や、実存主義の影響などを、背景として挙げることができると思います。しかし私が提唱しておりますのは、その様な学問的なことではなく、今日巷にあるれている人と思えない様な行動をとるこの現状を、少しでも人間として、安心して、幸せに過ごせるような社会にいて行こうと言う運動です。どんな小さなことでも良い、満員電車の中でご老人に席を譲る人がいても良いじゃないですか、バス停でおはようと声をかけるだけでも良いじゃないですか。こんなことが必要じゃないですかと声を掛け合うだけでも良いじゃないですか。人が人らしく堂々と生きていける様な同志が声を掛け合い、ネットワークを作り、少しづつでも皆が明るく人間性を取り戻し、話しあって行ける社会にして行きませんか。難しいことじゃなく、政治や制度に頼るのではなく、お互い同士が信じ合い、協働し合って行きましょう。人間であったことを心から喜べるような社会にして行きましょう
2011年01月03日
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ずいぶん長い間ブログを失礼して居りました。新しい年を迎え気分新たにまた私のその時々の気持ちを綴って行きたいと思います。宜しくご支援下さい昨年は民主党政権の迷走から内外にいろんな影響を与えて居りました。日本の危機感を感じる様な年だった様な気がします。今年は愚痴を溢さず自分が今出来ることを身近なところから行動を起こして行きます。人間性回復運動の一環として、人の気持ちを解り合える様なプルグラムを創り、再度挑戦します。また教育の原点に戻って頂くための試みを起して行きます。とにかくこのままじゃいけないという危機感を持って、心ある人々とネットワークづくりを進めて行きます。どうぞ手を挙げてご協力下さい。
2011年01月01日
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PTTが云々されているが、反対する方々の思いも解りますが、幕末当時の黒船襲来のときもそうでした。大きな変化を起こす時、当然いろいろな問題が生じて来ますでしょう。大切なことは今目先のことではなく、将来の日本を想ってのことではないでしょうか。日本が農業国として本当にやって行けますか?農業の大切さは解ります。それなら、何故今まで塾小農家と言われる方々は外国に太刀打ちできるような努力をして来られなかったのですか?国の補助を頼み、一家に何台も車を買い、農業に必要も無い高級車を子供たちに買い与え言いきになって居ませんでしたか?言いすぎかもしれません全ての農家がそうだとは言って居ません。そんな農家を見逃して来ていた仲間内にも問題があったと思うのです。それを支えて来た地盤を気にして心から日本の将来を考えることが出来なかった政治家にも問題があります。農家を食い物にしてきた農協幹部にも問題があります。農協は農民の能を狂わせて来た<脳狂>になっていませんでしたか。もっと日本の将来を考え今、世界から取り残されない様な施策を国民一体となって考える時でしょう。 菅さん平成開国に勇気を持って対処して下さい。
2010年11月13日
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成城学園の中等部に通って居る友人のお子さんが今日、学園祭でバンド演奏をやると言うので、出掛けて見た。日頃、フェンシングをやっている少年なのだが、ドラムに打ち込んでいる姿もまた格別に眩しかった。良いなあ~若いと言うことは・・・いや素晴らしい家庭の姿が目に浮かんできた。きっとお父さんもお母さんも、子供を信じているんだなあ~愛しているんだな~だからこんな素晴らしいお子さんがすくすくと育つんだなあ~世の中の親達が、子供たちが皆んなこうだったら、世の中もっと住み易くなるんだろうなと感じながら帰ってきた。夜は夜で久しぶりに家内と世界女子バレーのセルビヤとの試合を観戦していた。2対1で迎えた第4戦ジュースに持ち込んで最後まで緊迫する試合だったが、最後まで諦めず最後まだお互いを励まし合って試合に打ち込む女子バレーの選手に感動と感激をいっぱい頂いた。これらの人たちが幸せに、それぞれの道に打ち込んで行ける様な日本をそして世界を創り上げて行かなくちゃと熱い想いを胸にすることが出来た。本当に素晴らしい一日だった。さあ!明日も素晴らしい世界を目指して頑張ろう。今自分に出来ることを精一杯やり、更にチャレンジしよう。77歳まだまだ頑張らなくちゃ!世界中が本当に幸せになるまで!!
2010年11月03日
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先週金曜日から土、日と3日間コーチングの鹿児島大会に参加して来ました。参加者の熱心な眼差しと、一つひとつのワークに真剣に取り組む姿勢に、感動に近い嬉しさとこみあげてくる思いに胸が熱くなりました。マザーズコーチの方々の子供たちを想う気持ちと、一人ひとりが、真剣に自分の更なる向上を目指す想いが会場全体を熱気に包んでいました。人との関係がいろんな問題を起こしており、誰もが、その解決を図りたいと一生懸命なのです。また一人ひとりが自分が人生の目標を設定し、その達成と幸せを求めて頑張っているのだとつくづくと感じさせられました。政治がどのように乱れていても市井の人たちがこの様に真剣であれば、世の中捨てたものじゃないと言う思いがさらに強まりました。いろいろと問題の山積する今日の日本ですが、今私達が出来ることを身の回り着実に実行していき、喜びに満ちた日本にして行きましょう。きっとこの世はもっともっと活き活きとした喜びに満ちた状態になりますともならないでどうしましょう。政治家さん達が、やれ民主党がどうの、小沢がどうのと自分たちの売名か、金儲けに血眼になっている時、私達は着実に子供たちのために、自分達が生きて行くために精一杯、今ここに打ち込んで頑張りましょう。
2010年10月27日
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この3連休は風邪気味で外に出ることも無かったが、学びの多い日であった様な気がする。日頃あんまり体調など気にしない性質だが、床に付くとやっぱり気になることが多いものだ。血圧はどうだろうかとか、この汗は何なのだろうとか日頃気にしないことが気になってくるものだ。そうして自分に目を向けると、なんと弱い自分であったかと反省しきり。自分の長所とか短所とかを気にするのではなく、もっと自分をしっかりと捉えどんどん進んで行かなくちゃと思わされた。お陰で書斎の気になっていた部分の未完了も完了させた。結構良い3連休だった。 謝々
2010年10月11日
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昨夜から寒気がして風邪がまだ治っていないなと思い、思いっ切って荒治療をと思い、葛根湯をふうふう言ってのみ冬布団を2枚も重ね、じっと我慢する。汗が出るかなと思っていたが、それほど出ず、血圧が上がっただけだった。えい!面倒だと起き上がり、PCに向かう。ところがどうしたことかインターネットが繋がらない。何度やってもおかしい、どうも素人には無理だなと湘南ネットのサービスセンタのお世話になる。ところが折角息子が付けてくれた無線RANがおかしいとのこと、取り外す、余計なものをみんな外しすっきりしたら、繋がった。人生ってこんなものかな、要らないものは外してしまうことだ。捨てることも必要だなあと変なところで思い至る。まだまだ不必要なものが身に纏いついている様だ。目指すはただ一つ、平和な、自由な、あるがままに生きること。
2010年10月10日
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連休と言うとあれもしようこれもしようといつの連休でも思うものです。終わってみればいつも未完了、自分に意志の弱さに舌を巻く。今回こそはと先ずは書斎の整頓、行方不明になったデジカメを探し出そう!と思っていたら大変なことが舞い込んできました。FXでこの1年間で200万が320万までなったと昨夜喜んでいたのに、香港の依頼先が運用金をだまし取っていた事実が判明し、なけなしのお金がどうなることやら・・・お金のこと等余り気にしていなかったのに、こんなことになると心がぐらつく。まだまだ未熟な自分に呆れかえってしまう。これも良い経験だと感謝しよう。二度と金欲に走ることも無いことでしょう。口ではいろんなことを言って居りながら、誘われると弱い自分があることをもっと真剣に見つめていないといけないものだと思い知らされました。完全な自分等存在しないことは解っていても、少しでも近付こうとすることが必要なのでしょう。そのためには先ず身の回りで出来ることからやることですね。キリストに近づかんとして、身にまとうものまで捨ててキリストの言葉に従った聖フランシスコザビエルの様には出来ないけれど少しは自分に正直に生きたいものです。 懺悔
2010年10月09日
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何だか最近考えられない様な犯罪が起き、てこの世の中どうかしていると思わされることが多かったが、そうでもないじゃないかと思わされることがありました。何でもないことだが、当たり前のことなんだが嬉しく感じられました。今日、いつもより早く帰りの小田急線に乗った中での出来事です。そんなに混んでも無かったが、一応席はほとんど埋まっていました。何するともなく、周りを見渡していたが時間帯の所為か、高齢者と思われる方が7割ほどを占めていました。高齢社会とは良くいったものだと思いながら私もその中に入るのかと自分ながら可笑しくなりました。下北沢に来た時、一人の老婆が、孫と思われる6歳位の少女を連れて乗って来られました。するとその少女が小走りに空いていた席に駈けより、「おばあちゃん、ここ空いているよ。おばあちゃん掛けて!」と声をかけました。老婆はにっこりとして、「〇〇ちゃんありがとう」と腰掛けました。よく老婆が孫の小学生を掛けさせ、若い人が席を譲ってくれるのを待っているのを見かけます。今回の老婆は孫に高齢者に対する思いやりの姿勢を自ら示していたのが凄いなあと思う反面、こんな家庭があるんだ、まだまだ捨てたものじゃないなと嬉しく思わされました。
2010年10月07日
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終戦の玉音放送を拝聴したのは、遠く異国の空の下でした。良く聞き取れなかったが、隣に並んで聞いていた兵隊さんが泣きだされた。どうしたんですかとお聞きしたら、頭を撫ぜながら、日本が負けたのだよ。天皇陛下が耐え難きを耐えてくれと仰って居られるのだよ。と教えてくれました。ああこの樹ももう日本のもので無くなるのかと思うと思わず涙が流れて来ました。外地で迎えた思いがけない8月15日でした。でもそれから今日までいろいろと体験してきました。引き上げて来て、佐世保の港に入った時の日本の美しさ!そこで会った官憲の酷い仕打ち、そこから私の戦後は始まりました。全ても没収されてからの日本での最貧の生活、人に対する不信感、権力に対する反抗、それらが私の少年時代、青年時代を築いて行きました。お金さえあればと言う思いが私を支配しました。そうして若くして会社を興し、次々とその規模を広げて行きました。そうして私にも32歳で大きな転換がきました。「人に関心を持つこと、関心とは愛することです」と説かれたマザーテレサの一言で、私は人として生きる尊さを教えられました。それから人に真心から接し、人を信じ、人を愛することを信条として生きて来ました。今、多くの方々から支えられ、精一杯自分を生きて行く幸せを感じています。世界中の人がお互いを信じ、活き活きと人として生きられる様になり、世界中が幸せで満たされている様に祈りながら、今日の日を迎えています。
2010年08月15日
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短い夏休み2日目、古くなった冷蔵庫をエコタイプに買い替えようかと朝、起きがけに妻と話し合う。二人っきりの生活になり、15年にもなるのに子供たちと4人での生活時の600リッターの冷蔵庫はまるで物入れと化し所狭しとなっている。でも妻にしてみれば皆要冷蔵のものばかりと言う。結局、妻の言い分に負け、新規を買い入れることにした。古いのは引き取ってもらおうと思ったら、妻にしてみればそれは困るという。両方必要なんだの事。全然エコにはならないじゃないかとひと悶着、まあいいかと妥協する。こんなことを言い合いながら、今日は家電販売店に出かけることになった妻は嬉しそうにしている。こんなことを言い合いながら、まだ元気で居られることが幸せなのかも知れない。少し妻のことを考えてやらくちゃな・・・金婚式を目前にして、いろいろと考えさせられている。
2010年08月14日
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最近、高齢者の行方不明、不信死が問題になり、世界から日本の高齢化に不信と疑問が投げかけられています。昭和28年に日本ウエルエージング協会なるものが故吉田寿三郎先生によって発足しました。吉田先生の傍で教えを受けていた私には、今日の高齢化には耐えきれないものを感じます。私達は、高齢社会に対して必要なものは、先ず世間一般の高齢者に対する愛情ある対応をと唱えて来ました。そう言う中で初めて高齢者は活き活きと終生を生きることが出来ると訴えて来ました。勿論それに伴う制度、施策の必要性も問いかけて来ました。今日、政府に於いて不十分なれどそれなりの制度は打ち出されて居ます。しかし、その根底にある愛情の欠けたもので、その実は今日の様な結果を招いています。社会全般が自分のことだけに走り、親子兄弟においてすら親や祖父母がどうしているかにも関心が薄まった仕舞って居るのでしょうかこれは、政治の問題ではなく、教育の問題でしょう。今こそ真剣に我が国の教育を全国民が真剣に考えて行かなければならないと思います。教育とは学校だけの問題ではなく、一人ひとりが、人に関心を持ち愛情を持って生きて行くことがどういうことかを考え行動することだと思います今私達一人ひとりが出来ることから、愛情を持って積極的に行動に移しましょう。先ず周りの人に、愛情を持って関わって行きましょう。隣近所の方に心から挨拶できる様にしましょうどんなことでもどんな小さなことでも行動を起こして行きましょう。日本人の誇りであった親切心と細かい心づかいを再度取り戻しましょう。
2010年08月10日
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今朝、友人の<たぬきコーチ>の行動語録を読んでいて、そうなんだよなと感じました。私も日頃から言って居ることですが、「自分を愛せない人は他人を愛することなんか出来ません」と言うことでした。愛すると言う言葉自体が、皆それぞれの取り方をしています。LoveであったりAffectionであったりします。それも愛でしょう。だがもっと大きな愛もあるのだと思います。自分が周りに対してどのような影響を与えているのかどれ程周りを幸せに出来ているのか、そんな愛だってあるはずです。その様に周りに対して考えて行った時、自分の存在が大きく浮かび上がってきます。その様な自分を愛せないよう自分であったら、周りにも愛して等言えないはずです。自分が生きると言うことが、ただ生存していると言うだけではなく何らかの意義を見出すことが出来た時生きていると言えるのではないでしょうか。自分が本当に生きて行くために、そんな自分を好きになりましょう。好きだから愛せるのです。何だか今日一日を精一杯自分を生かす喜びと自信を得た様な気持ちです。まとまりのない文ですが、自分を愛し、他人を愛し、精っぱい生きようとする77歳の率直な気持ちを書いてみました。info@c-youme.com
2010年08月08日
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今朝、TVから流れて来た言葉に、誰だか知らないがスポーツ選手だったと思います。「自分が選んだ道だ、苦しくともやり通す」と言うのが強く心を打ちました。まさに私自身が常に自分にも言い聞かせている言葉だったのです。77年間決して平坦な道ではありません出した。しかしその時々を、「俺の人生」だと生きて来ました。悔いること等ありません。今後とも精一杯生きて行こうと気持を新たにした今朝でした。今日も暑い一日になりそうですが、やりたいことをやり、少しでも、世のためになることだ出来れば嬉しいですね世界中の人が幸せに喜んで生きていける世界にするために今自分に出来ることは何だろうと思いつつ、国境なき医師団への寄付金の振込用紙に金30,000円と書きこみました。
2010年08月01日
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各地で、豪雨や土砂崩れで大きな被害が出ていて悲しみにくれている方や、被害の後始末で大変な方が大勢いらっしゃるのに暑いなんて言って居れない気分です。ボランティアで飛んで行ってお役にたちたいと想うだけで何一つ出来ない自分が情けなく想われます。もと若く、もっと近かったらと思いながらも報道に胸を痛めて居ります。こんな時、政治家の皆さんは、何をなさっておられるのですか?民主も自民もないじゃないですか!日本国民として早急に手を打って下さい。前例とか、法律が等と言って居ずに、思い切って手を差し伸べて下さい。役所の職員さんが手伝ってくれたことに感謝し、ここまでして呉れたらあとは自分たちで何とか頑張りますといって居られたご年配の方、必死で後片付けをして居られた方に頑張ってねとしか言えない自分が悔しい思いです。
2010年07月18日
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私が学生時代、赤い秘密結社に入っていて、それから抜けられずに居る時、国を売るなら死を選べとそっと、熱海の家を抜け出る時送ってくれた兄貴が14年間の闘病生活からやっと昨日解放された。68歳で脳梗塞で倒れ、その後植物人間の様に口をきけず、ほとんど反応も無く生きて来た兄だ。口からものを食べることも出来ず、胃腸に液状のものを流し込まれながら、良く頑張ってくれたと思う。遺体の痩せこけた中にも安らかな表情を見、悲しみと言うより、良く頑張ったねとの言葉しか出なかった。人が死と言う現実に向き合うのは分かっていても、いやそれだからこそ、精一杯生きなくちゃならないと思う。生きている限り、生きることが天から与えられた使命であろう。今日は参議院の選挙、どの様な政権が出来上がるのか分からないが、またどの様に世の中が変わって行くのか分からないが、生きとし生けるものとしてどうなろうと精一杯生きようと兄の死を迎え、更に強く思う自分がここに生きている。兄貴安らかに、神のみもとでお過ごしあれ。
2010年07月11日
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いろんなことがあり過ぎて、にっちもさっちもいかない何て言って来た友人が居ます。人って何でもしようと欲ばっちゃうのかな・・・今自分が本当にしたいことをすればいいのに・・・でもそうは行かないのが普通なのかなあ。あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃと思って居るだけで疲れないのかな・・・無理しちゃいかんよね人って、何かやる時その事から始めるから出来ないことが多いのじゃないかな・・・時間から始めたらどうだろう今自分に有る時間はこれだけだ。この時間を有効に使うには、何が出来るかじゃないかなこんなことを言うのもこの歳になったからかな残された人生は、あとそう永い訳じゃないしね。手放したことでも、したくなったらまた手繰り寄せれば良いことなんだから・・・。 さておやすみなさい
2010年07月07日
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今まで、ある友人から電話があり、いろいろと話しあって居りました。そこで、気づいたことがありました。良いか悪いかではなく、多くの人って同じ様なことで迷ったり、苦しんでいると言うことです。かって私もそうであったからです。それは今にして思えばたあいもないことでした。他人が気になってしょうがないという時期がありました。他人に比べ「自分には、まだまだあれも出来て居ない、あれも持っていない、あれも足りない」と、足りないもの探しばかりをしていたようです。そうして不必要に落ち込んでいたり、自己嫌悪に苦しんだものでした。ある時、今あなたが出来ることは何?今あなたが持っているものは何?と問いかけられたことがありました。何も出来ない、何も持っていないと思っていた私が、その方からあなたはそんに沢山のことが出来、沢山のものを持っていらんですねどうしてそれらを使わないのですか?それを求めている人がたくさんいるじゃないですか!そこにあなたがあるのじゃないですか?大きな驚きであり、喜びであり、勇気を与えられました今ある自分がそうなんだから、それで良いじゃないか!ないものは無いし、足りないものは足りないのだし、今あるだけで精いっぱいやれればそれで良いじゃないかと思えるようになりました。そうしたら、今まで気になっていたことも消え去り、今の力を精いっぱい発揮できるようになりました。人の評価を気にして、今の力を発揮できないより、今の自分を認め、日々向上して行く方が輝いて見えます。そんな自分を認めることの方が、自分を生きているなと感じる様な気がします。 自分と他人とは比べようがない存在なのです。何故なら自分は自分だからです。K・Fさん私と同じ迷いから抜け出して下さい。私はあなたのコーチです。
2010年07月04日
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久しぶりにブログに書き込んでいる自分がある。歳の所為か、最近特に生きると言うことに拘りだしたみたいだ。決して長生きしようとか、そんな事じゃなく、自分らしく生きるということだ。自分らしくとは、いろいろと捉え方や見方があるとおもうが、私は今日が最後の日だと思って精いっぱい悔いなく生きることだと思っている。また生きていることが何であるかを学び続けることだとだと思う。人は永遠に生きることはできないのだろうが、永遠に考え学び続けるのが大切なことなんだろう。生きるのは今日が限りかもしれないが、永遠に学び続けるのがのが人生なのかもしれない。今日を不幸に生きることを望む人はいまい、永遠に幸せでありたいと思い続けながら生きることが必要なのだろう。アーメン
2010年06月20日
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鳩山首相のおじいさんは信頼できる政治家でした。お孫さんは誠実な方かと思っていましたが、全く騙された感じです。政治家ですから、その時々の世論を気にするのは解ります。だが自分の政治的な信念を持って居なくちゃ信じようがありません。決して無いのではないでしょうが、その信念を貫き通して行く姿勢が欠けていて、私を信じて下さいなど言えるはずがないと思います。亀井さんもここまで国の赤字を進めておきながら、まだ郵政との選挙目当てだけしか考えていないようですね、このままですと日本のギリシャ化は目に見えています。これを何とか再生して行くのが政治家亀井のあるべき姿ではないですか。もっと真剣に日本国の将来を考えた政治を行って欲しいものです。小沢さんは問題外です。政治家ではなく、単なる選挙屋に過ぎないのじゃないですか。徒に支持層を自民から奪うために汚い手を使っているようですね。国民もそれほど馬鹿じゃないと思います。いい加減にしてほしいですね。ばらまきやそれなりの報酬?を期待する人ももうここら辺で自分のことばかりじゃなく、日本の将来、子々孫々が堂々と世界で生きていける様な日本を築いて行きましょう。
2010年05月29日
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久しぶりにゆっくり出来た連休でした。めったにない休日を精一杯ゆっくりしようと思って居ても昭和一桁の働き蜂の所為か、次から次とやることを見つけて片付けていました。 先ず書斎がすっきりしてしまったことです。書きかけの原稿も全部片付け、読みかけの本も読み終わり、本棚の整理も済みました。自分ではそうとも思っても居ませんでしたが、この1ヶ月の間によくもも読んだなと思うくらいになっていました。1日2冊くらい読んだ勘定になりました。欲張りなんですね、次から次とつぎ込まないとお腹と同じようにひもじくなってくるのですね。ローラー・バーマンの生き方のコーチングは気楽に楽しく読み返しました。ローラーウヒットワースのコーチングバイブルは読み応えのある再読でした。中国の古典(中庸)も読む度に、新たな気付きがあるものです。今日は最後の夕べ、少々早めに風呂に入り、ゆっくりと家内と一杯やって、連休の仕上げでもしようかなと思っています。連休で得たことは仕事が人生じゃなく、人生の中に仕事があると言うことをじっくりと体験できたことかなあ・・・
2010年05月05日
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亡くなってしまった人のことを想っても仕方がないじゃないかと思う人もいるかもしれないが、そうだろうか!今ここに自分が存在することって、凄いことだと思うのです。父母のこと、祖父祖父母のことそしてその先のご先祖様があって今ここにあること、信じられないほどの奇跡であり、事実です。この存在そのものが私にとっては価値あることなのだと思います。その価値を確認し、更にその価値を高めることこそ、自分の存在を存在たらしめることだと思います。これから富士霊園にご先祖様を想い、自分の存在を祈念して来ようと思います
2010年05月02日
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