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さて、ひなひよママさんからの要望によって、京都でのエピーソードを書きます・・・実は、もう半年ほど前なんですが、京都へ一泊二日の旅行へ行きました。私と、妻、椿紀に加え、妻の父・母・義姉夫婦と甥、義姉2番目・義妹(妻は4姉妹)の総勢10名、車2台で京都遠征に行きました。椿紀はまだ1歳になったばかりで、ちょっと早いかなって思いつつ、出発したのであります。京都に着き、様々な観光地を回りました。私自身、京都と言う町が好きで、凄く楽しみにしておりました。ねねの寺、本能寺など、様々な目的地を決め、出発したのでありました。1日目の観光を終えた私達は、あらかじめ予約をしていた料理屋さんへ行き、食事を取っておりました。すると・・・どうも椿紀の様子がおかしいのです・・・機嫌が悪く、ずっと泣いてばかり・・・私は、何か、物凄く不安になりました。私はいち早く食事を終え、椿紀を抱きしめて、外へ行き、ずっと抱いていたのです。少し落ち着いたのですが、何かが違いました。そして、みんなが食事を終え、ホテルへと向かう為、車へ。その時、妻が椿紀を抱けばいいものを、ちょっとお酒の入った義父が抱いたのです。その瞬間から、またグズグズ・・・しかし、もう車に乗ったので、そのまま出発しました。椿紀はウトウトし始めました。「ちょっと落ち着いたかな?長旅だったから疲れたのかな?」そう思いつつ、車を走らせました。その時!!前の車が急ブレーキ!!私もとっさにブレーキをかけました。事故こそは起こしませんでしたが、結構な重力が掛かりました。すると、椿紀が異常なほどに、見たこと無いほど暴れ、泣き叫び、私は、物凄く驚きました。が、みんな、気にもしてないのです・・・妻も・・・「もっとブレーキゆっくり踏みなよ!!」妻が一言、そういいました・・・「カチーン!!」(ーー;)流石に頭にきました・・・私に対して言ったその言葉に対してではなく、娘の異常さに気づかないみんなに頭にきました。とにかく、頭にきたのですが、冷静を取り戻し、ようやくホテルへ到着しました。椿紀もすっかり落ち着いた様子で、スヤスヤと眠り始めました。私は、ホッとしたのですが、やっぱりイライラはつのったまま・・・夜の京都の町を見てくると言って、外へ頭を冷やしに向かいました。ホテルから歩いて15分ほどすると、京都駅でした。お店も何もかも閉まってたのですが、頭を冷やすのにはちょうど良かった。そうやって、フラフラと夜の京都をはいかいし始めてすぐでした・・・携帯電話が鳴りました。「椿紀が痙攣を起こして、泡吹いたから、救急車を呼んだ!!すぐホテルまで帰ってきて!!」2番目の義姉からでした。義姉は看護師なので、対応は早かったようです。私は目の前が一瞬真っ青になり、猛スピードで、京都の町を走りました。必死でした。今まで感じたことの無い不安と、娘の安否を考え、無我夢中でした。頭の中は「椿紀!!椿紀!!」ただそれだけしか考えられなかったです。なんでそばで居てやらなかったんだろう!!腹が立ちました。ホテルまで走り、到着すると、すでに救急車が到着してました。椿紀が担架で運ばれてきていました。私は救急車に飛び乗り、娘を見て、思わず涙が出てしまいました。目を見開き、右方向を見たまま、体をがちがちにして、「ヴ~ヴ~ヴ~」うなってました。私と妻は椿紀の手を握りしめ、「椿紀!椿紀!」それだけしかいえませんでした。そういう状態の中、ゴールデンウィーク中で、なかなか搬送先の病院が決まらず、私は、本当に不安になりました。とにかく早く!早く病院へ!!5分ほどして、ようやく、京都医大が受け入れてくれ、病院へ向かいました。病院へ着いて、先生に診てもらうと、幸い大したことなく、「突発性発心」だと言うことでした。まれに、急に熱が上がると、痙攣を起こすことがあると、そう聞かされました。妻も意外に冷静だったので、気づくと、私一人がアタフタしていたようでした。ただ、本当に思ったのは、あんな辛い思いをしている娘の顔を2度と見たくない。あの時の顔は生涯忘れることは無いでしょう。父親として、本当に娘を心から心配し、何も考えられず、ただ、無事を祈った自分の事も忘れないと思います。現在、椿紀は異常なほどの元気を見せ、私を困らせるばかりですが、健康で居てくれているので、これ以上望むことはありません。世間では、虐待だ、親が子供を殺すだ、いじめを苦に自殺する・・・様々な事件があります。子供はまだ、何も知らないのです。それをなんで分かってあげられないのでしょうか?泣くこともある、いたずらをすることもある。時には悪いことだってする。それは私たち親もしてきたことです。子供を叱ったり、叩いたりする権利があるのでしょうか?自殺している子供達・・・なんで全てを自分自身で背負ってしまうのでしょうか?親である以上、子供を、どんな時も守り抜いて、暖かく見守り、時には抱きしめてあげる、それが親としての義務なのではないのでしょうか?今のニュースを見ていると、子供達はあまりに可愛そうです・・・子供を、自分達の子供をもっともっと抱きしめて、甘やかせてあげたっていいんじゃないでしょうか?今、苦しんでいる子供達へ・・・もっと心を開いてくれませんか?きっと誰かが助けてくれます。今虐待している親へ・・・子供は、虐待されようとも、あなたが親だと言うことを分かっています。どんなに殴られようとも、親の愛情を欲してると思います。どうか虐待、やめてあげてください・・・自分の子供は、命を懸けても守らなきゃいけません。私は、今腎臓が悪く、将来、透析をすることになるでしょう。今の医学では、透析を始めると、それほど長生きは出来ないといわれています。まだ、私は27歳ですよ・・・後何年後に透析始まるのか分かりませんが、今、物凄く不安です。娘が嫁に行くまで生きられるのか・・・そう考えたら、今、何を子供にしてやれるのか・・・私は、何を子供に残してやれるのか・・・子供は人類の宝です。守ってあげてください。ちょっと湿っぽくなったけど、これで、今日の日記を終わります。
2006.11.19
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先日、愛娘の通っている保育所の遠足へ同行しました。ここのブログを始めて、いつの間にやら、娘が生まれ今は、もう1歳6ヶ月を過ぎました。早い物です。で、遠足で向かったのは、香川県で唯一ある遊園地、レオマワールドでした。前に一回連れて行ったことがあるんですけど、まだ1歳前・・・覚えてるわけ無いですよね(笑)で、今回、行くと、娘は大はしゃぎ(ーー;)娘は元気いっぱいですが、両親共に、ヘトヘト・・・子供の元気には勝てません(^^;)そういえば、わが娘、椿紀ちゃんにまつわるエピソードがあるんです(^^;)1歳になって、すぐの出来事なんですけどね(^-^)その話は、また今度と言うことで(^-^)
2006.11.08
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皆さんは私の事を、まだ覚えていてくれているのでしょうか?本当にお久しぶりです。この9ヶ月間、実は、本当に本当に沢山の出来事がありました。以前更新して、このブログを開くことすらしてなかった私ですが、今になって、久々に更新しようと思ったのには、理由があります。皆さんはニュースをご覧になったでしょうか?宇和島市の腎臓移植のニュースです。初期の腎臓癌患者の腎臓を摘出し、それを、腎臓の悪い患者へ移植すると言うニュースです。私は生まれつき腎臓が悪く、現在、クレアチニンの数値は2.89です。健康な人は0.4~1.10です。このクレアチニンとは、腎臓の状態を表す数値で、数値が高いほど、腎臓が悪いと言うことです。まだ透析をしてはいませんが、40日ほどに1回の定期健診により、尿検査、採決をし、診察をし、薬も5種類(血をさらさらにする薬・血圧を下げる薬・尿酸を下げる薬・毒素を排出する薬・カリウムを下げる薬)を飲み続け、食事制限もしています。前回このブログを更新した時点の体重は64キロ。現在51キロまで体重は下がりました。私の腎臓は、皆さんの腎臓の5分の1程度の機能しか働いていないのです。生まれつき、片方の腎臓が萎縮していて、たった一つの腎臓で27年間生活してきました。その残された一つの腎臓も萎縮してきており、将来の透析は、余儀なくされております。ただ、これは運命・・・っと、ここまでの文章を読んでいる方は、そう思うかもしれません。しかし、私が、ここまで悪くなったのは、一人の医師のせいでもあるのです。そりゃ、その医師は、沢山の患者を治してきた、優秀な医師かもしれません。確かに、新聞に載ったり、沢山の実績を残しているようです。しかし、私にとっては、最悪の医師でした。その医師は香川でも大きな総合病院の泌尿器科の部長を務めるN医師。私は高校時代からその医師にかかり、ずっと診察を受けていました。診察をしても、別に何も変わらず、同じ薬を山のように出されるだけでした。変わったのは、腎機能が低下し続けるだけでした。そうしながら月日が経ち、クレアチニンが2を超えた時、この医師は、私を、同じ病院内にある内科のY医師へと渡し、結果的に「さじを投げた」のです。結局何一つよくならず。何一つ治療せず・・・そしてY医師の診察が、前回のブログ更新直後から始まりました。Y医師は、私の検査結果を見て・・・「もう少し早くこっちへきてくれれば・・・手の施しようもあったのに・・・」と言いました。泌尿器科で貰っていた薬を見て「この薬は飲まない方がいい。こっちの薬は飲みすぎだよ」とも言いました。なんとN医師は、私の腎機能低下を早めるような処方箋を出していたのです。その上、以前N医師が言いました。「お前、焼肉やビールばっかり食べてるんじゃないだろうな?このままだと、40で死ぬぞ。ここまで腎臓が悪いと、背中から、針をさして、腎臓の組織をとって、調べなければならないな」私は、背筋が凍るほどの恐怖を、その時覚えました。が、それをする前にY医師のほうへ回されました。で、私はY医師に言いました。「私は、背中から針を刺して、腎細胞を取って、調べるんですか?」Y医師は言いました。「君のように腎臓が一つしかない人は、そんな危険なことをしません。もし、背中から針を刺した時、腎臓から出血し、その出血が止まらなければ、その時点で透析が始まります。もし、組織をとるのなら、お腹を切り、組織を採取します。そうすれば、腎臓から出血しても、すぐに止血できるから。残された腎臓を大切にしないとね」と・・・私は、やっと自分のことを、親身になって治療に当たってくれる医師に出会えた瞬間でした。その後、薬も変わり、Y医師が担当してくれるようになって、腎臓は、良くは成りはしませんが、悪くなるのも収まり、今に至っております。さて、で、今回ブログを更新しようと思ったきっかけですが・・・最初に書きました腎移植の件です。実は、この事件にはN医師がかかわっております。N医師が摘出した腎臓を提供し、その腎臓を移植していたのです。確かに、本当に腎臓が悪く、透析を余儀なくされれば、普通の生活が出来ません。健康な腎臓を移植して、普通の生活が出来るなら、私でも欲しいです。でも、どうでしょう・・・腎臓癌の腎臓を移植する・・・透析をしていれば、普通の生活は出来ません。でも、生きてはいけます。が、腎臓癌の腎臓を移植し、その腎臓が癌を再発したら・・・ひょっとすると死んでしまうかもしれません。N医師のように、患者の気持ちを考えず、思い込みで治療をしているような医師を私はどうしても許せません。それが例えよい結果を得たとしても、患者を、腎臓を物のように扱うのだけは、許される物ではないと思います。長い話になってしまいましたが、以前の更新から、今日までに起こった沢山の出来事の中から、一つ書き込みをしておきます。
2006.11.06
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