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今年の夏は(まだ終わっていないが)本当に暑かった。日中ヘタに屋外に長く居ようものなら、いつ熱中症になってもおかしくないほどだ。そんな中であらゆる機関が、猛暑の中での外出はできるだけ控えるように呼びかけていたが、この暑さなら当然ともいえる措置だ。そんな中で夏の高校野球も例外ではなかった。さすがに開催中止、ということにはならないものの、例年以上に暑さ対策などに関する議論が、いろんなところで飛び交っていたような気がする。投手の球数制限を設けるとか、休養日をもっと設けるとか、そんな意見も多かったが、ただそういった意見は今に始まったものではなく、以前から言われていたことだ。しかしここへ来て開催時期を暑くない時期にずらせ、とか、ナイターにしろとか、会場を甲子園からドーム球場に移せ、といったドラスティックな意見も飛び出してきたことが、私には象徴的に映った。図らずも私は14年前の投稿で、「私の高校野球改革試案」と題した提言を行った。当時は自分でも荒唐無稽なものだと思いつつ書いたものだが、いま読み返してみると、内容的に似たようなことを言っている人が増えてきた、と感じる今年の夏だ。手前味噌ではあるが、先見の明があったのかもしれない(笑)。今大会で準優勝した金足農業のエース吉田投手は、大阪桐蔭との決勝戦の途中、「もう投げられない」と漏らしていたそうだ。複数の投手を使い分けながら勝ち上がるスタイルが主流の昨今の大会では、金足農業のように、予選から一人の投手しか投げないで勝ち上がるというのはよほどのレアケースだから、高野連としても想定外だっただろう。ただ起こったことは現実だ。実際に私も県大会に足を運んだ時、足がつって投げられなくなった投手を何人も見た。足がつる程度ならともかく、ぶっ倒れて命に係るようなことがあってもおかしくない。そんな危機意識も徐々に共有されつつあるように感じた。ただいくら危機を声高に叫んだところで、所詮は部外者の戯言と捉える向きも多い。当事者である選手や関係者、主催者を含むマスコミ、そして熱心なファン、こういった方々はえてして「甲子園」という存在の前では思考停止に陥ってしまう。やれ伝統だのやれ聖域だの、そういった論理で返されると話はどこまでも平行線だ。伝統というのはある意味、悪しき因習の連鎖でもある。これから野球をやって行こうという少年たちを守るためには、一度伝統というものを根本からぶち壊す必要もあるかもしれない。
2018年08月30日
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子供の頃、私の家では夏の昼食はひやむぎがド定番だった。当時は市販の「ひやむぎのつゆ」など無かったから、母がその都度作っていた。そこに刻みネギをたっぷり入れて、わさびを溶かして食べるのが我が家のスタイルだった。やがて私が実家を離れると、ひやむぎにはあまりお目に掛からなくなった。昼食は外で食べることがほとんどだったが、夏の麺類といえばもりそばか素麺になった。あとは冷やしうどんといったところだが、原料が違うもりそばはともかくとして、同じ小麦から出来ている素麺とうどんのつゆには、必ずおろししょうがが添えられていた。実家で素麺や冷やしうどんを食べたことがなかった私は、へえそんなものか、と単純に納得した。やがて結婚して所帯を持ったが、妻もひやむぎにはなぜか縁が無く、ずっと食べずじまいだった。そうして何十年が過ぎたが、今夏はなぜか急にひやむぎが食べたくなって、久しぶりに購入した。で、いざ食べる段になって私が当然のごとくわさびを使おうとしたら、妻に怪訝な顏をされた。今まで素麺や冷やしうどんにはしょうがを使っていたから、変に思うのも当然だろう。同じ原料で出来ているのに、太さが違うというだけでなぜ薬味が変わらなければいけないのか。しかし私としても、これには理論的に答えられない。昔からの習慣、というしかない。試しに一度、おろししょうがでひやむぎを食べてみたが、イマイチだった。いまだに自分でもわからないままだ。
2018年08月24日
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100回目を迎えた夏の甲子園の決勝は、大阪桐蔭と金足農業という組み合わせとなった。片や全国から有望な選手を集める常勝軍団、片や地元の軟式上がりの子達で構成された雑草軍団。対照的なチームの対戦となったが、巷では金足農業に対するシンパシーが強かったようだ。実は私も以前は、全国から選手をかき集めるような学校には嫌悪感を抱いていた。ところが最近、考えが変わってきた。特待生とかそういうシステム自体、一時期いろいろ問題になったことはあったが、越境入学自体はそんなに責められるべきものではないと思うようになった。そもそも越境してきた子と地元の子、どちらも同じ高校生なのに出自で区別されるのはおかしい。同じように練習して同じように汗を流し、同じように飯を食って同じように寝る。彼らの中では一体だ。大会自体も「都道府県対抗」ではなく、あくまでも「学校対抗」だ。ナンバーワンの高校チームを決める大会だ。予選をして出場校を絞り込まないといけないから、便宜上都道府県で区分しているだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。ただここで厄介なのが、「郷土愛」とかそういった「観る側のメンタリティー」だ。高校野球人気がここまで大きくなると、老若男女いろんな人が観る。そうなるといつの間にか自分の「ふるさと意識」に火が付いてしまう。この瞬間、甲子園は「都道府県対抗」と化してしまう。その結果、地元出身者で固めたチームが礼賛され、越境者の多いチームは冷たい目で見られる。皆が皆そうとは思わないが、少なからぬ人がそう感じているのはたぶん間違いない。しかしそう感じてしまうのはシステムの問題ではなく、自身の「ふるさと意識」に起因している。要は自分で種をまいているようなものではないだろうか。そしてそれを増長させているのが、テレビ中継の過度な演出だ。試合前には各校のふるさとの様子をまとめたビデオを流し、イニングの合間にはアルプススタンドで見つけた「ふるさとネタ」をここぞとばかりに披露する。一概に悪いとは言わないが、観る側の「ふるさと意識」を醸成するのに一役買っている。観る者が「ふるさと意識」を持つことは勝手だが、それが結果的に強豪校の越境入学選手に対する嫌悪感につながっているとしたら、それは残念なハナシだ。甲子園は、高校野球は、それを観るファンのためにあるのではない。あくまでもプレイする選手のためでなくてはいけない。
2018年08月21日
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