カナダ人ダンナJとの生活

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munch8

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2006.12.01
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カテゴリ: 日々のこと
ナデシコさん

なぜかと言うと、人は一人でいて、怒るようなことはないし、原因があるからこそ怒るんですよね。
と、当然のようなことを書いてしまいましたが。

私の怒り。

それはもちろん、ダンナJを轢き殺したヤツへの怒り。
でも、それよりももっともっと強く私が怒っているのは、その子の母親への怒り。

時々、ふと、この母親に電話をかけて、私のこの気持ちをぶちまけたい気分にかられる。
思いっきり罵倒し、本気で謝らせたい気分になる。
それでも、私は押さえている。



同じレベルの人間になりたくないからだ。
もっともっと、この母親よりも気高い人間でいたいからだ。
それに、今、私がこの人生で求められているのは、こういうことなのかもしれない。
怒りを相手にぶつけず、許すこと。
自分だけの考えを押し付けず、相手の状況がどうであるか想像し、その怒りを抑えること。

私のダンナJを轢き殺した子の父親は、今はいない。
事件当時は、いた。
Jの搬送先の病院にもやって来て謝罪もしたし、私の実家にも来て謝罪もしたし、とにかく”遺族である私に、どうにかしてでも償いたい”と言っていた。
Jのお葬式のときも、必ず来いと言っていたので、ちゃんと来てくれた。
加害者は見るべきだと思ったからだ。この一人の人を亡くして、どれだけの人が悲しみ、どれだけの人に影響を与えるのか、見るべきだと思った。私達の悲しみを見ずして何がわかると言うのだ、、、と思ったからだ。
それに関して、不満はない。


加害者側の気持ちに立てば、それはそれは怖かっただろうと思う。
Jを偲んできている250人の中に、そのJを殺した張本人がいるのだから。
そこで、罵声を浴びるかもしれない、ものすごい目で見られるかもしれない、、、それでも、ちゃんと来た。

そして去年の末。
この子(加害者)の父親は自殺した。



それを聞いた時、私は、なぜ、これ以上、私が嫌な思いをしなければならないのか、、、とおもった。
どうして、そんな嫌なニュースを、聞かなければならないのか、、、と思った。
こういう事故は、全てを狂わせる、、、

ただそれだけだった。
その時は、、、


そして、この父親の自殺の原因を知り、私の怒りの矛先は、この加害者の母親へと移って、以来変わることはない。
その原因がこの母親にあるからだ。
この母親さえ、家族を本当に心から愛し、家族のことを考えていれば、すべて起こらなかったのではないかとさえ思う。

この母親が、自分のしていることに後ろめたさを感じなければ、既に一度、事故を起こした息子にすぐに車を買い与えるようなことはしなかっただろうと、想像する。
人は、誰かに後ろめたさを感じている時、その人に対して一生懸命、なにか償おうとする。そして、自分の気持ちを安定させる。そして、また過ちを犯し、後ろめたい相手に奉仕する、、、、自分の心の平安を取り戻すため。

私の想像はそんなところである。

だから、してくれるなと言ったのに、カナダにまで行って、自分の息子のために”刑務所に行く代わりに、ボランティアをして欲しいと一筆書いてくれ”と、遺族であるJの兄に頼んだ。
自分がやったことが、全てに繋がり、今こうして、息子が刑務所に行かなければならなくなってしまっているから。
自分がやったことで、自分の息子には父親がいなくなってしまったから。その償いにどうしてでも、恥を忍んででも、息子に償いをしたい。

その必死さが見て取れた。

私は母親になったことがないから、そこまでの子供に対する愛をまだ経験したことがない。
でも、やっぱり、母親になったら、子供のために一生懸命やるのだろうと思う。
だからこそ、私は、怒りに震えながらも、彼女を非難することはなかった。
どんなにしたかったか、、、、。今でも、その衝動に駆られる。

私は知っているのよ、、、どうしてあなたのご主人が自殺したか。
あなたが原因でしょ?
本当に図々しい人ね、、、、その図々しさがあるから、カナダの家族にまで減刑を望むようなことができたのね。

そして、Jが亡くなってから、もう来ないで欲しい、と頼んだのに、自分たちは仏教で四十九日を終わらせるまでは供養をさせてくれ、と言って、私達のお願いを尊重してくれなかった。家に入れてくれなくても、外からでも良いのでお参りさせて下さい、とまで言って、家に来ていた。
その仏教徒だから、仏教徒のやり方でやらせてくれと、図々しく押し掛けてきていた人が、お盆には何もせず、Jの一周忌にも何もしてくれなかった。裁判が終わったからなのだろう、、、と私は理解している。
裁判までは、誠意を尽くすように、、、そう弁護士から言われたのだろう。
裁判が終わって、息子が刑務所にいってしまえば、もう何をしても一緒、、、そんな風に思っているのではないだろうか、、と、私は想像している。
事故現場には未だにお花を持ってきてくれる人がいる。
私の家からは遠く、加害者宅からは近いので、事故直後、うちに来て”何かさせて下さい”と言われた時、私は、ぜひ、掃除をきちんとしてください。お花が枯れたりしたら、それを掃除して下さい、、、とお願いしていた。しかし、今は花が枯れてもそのまま、掃除されている感じがない。それも、私の怒りをかっている。自分たちから何かさせてくれと言ったのに、始めはちゃんとしてくれていたけど、今は全然されていない。裁判が終わったからなのか?また、この思いが頭をもたげる。


それとも、、、、息子が人を轢き殺してしまい、ご主人を自殺でなくし、そして今、息子は刑務所に入ってしまい、彼女は心身共に疲れ果て、病に伏しているかもしれない。本当に、彼女が言ったように、自分たちは仏教徒なので、それでやらせてくれと、私達に言ったように、お盆にも一周忌にも、本当は何かしたかったのかもしれない。でも、物理的にできなかったのかもしれない。お盆のときは、彼女の家も初盆だったので、忙しかったのかもしれない。事故現場の掃除も、行きたいけれど、行かれないのかもしれない。彼女が、もう辛くて何もできなくなってしまっているから、、、

私は、そう思いたい。
そう信じたい。
そう信じて、怒りを彼女にぶちまけずに今に至っている。

もしかしたら、そうなのかもしれない、、、と、違う想像を働かせて、自分の気持ちを楽な方に持っていっている。


と、この文章を、何度も何度も、実は書いては消してきた。
怒りの文章を、書いては、消し、また時が経ち、怒りが湧いてきては書き、そして消してきた。
彼女にぶちまけたい色んな怒りのパワーも、彼女には彼女の苦悩があり、私が彼女や彼女の息子を痛めつけなくても、世はなるようになる、神様がいるのならば、神様がすべてなるようにしてくれるだろう、、、と気持ちを落ち着けてきた。

こういうこと、被害者だけが被害者ではない。
加害者は、これからももっと、苦悩の道を歩まなくてはいけないかもしれない。
その家族もまた、以前のように普通の人では、やはりいられなくなるのが現実。
加害者の子には兄弟がいる。
その人にとっては、本当に迷惑な話しだと思う。
兄が人を殺してしまい、父は自殺。
その人は、何もしていないのに、やはり世間の目はそうさせてくれないのも現実。
それが現実。

だから、そう思うと、どうしても、この怒りをぶちまけられない。

ここには書いてしまったけれど、、、、。





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Last updated  2006.12.01 15:45:30 コメント(6) | コメントを書く


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