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もう、あってはいけないことですね、子供にキレる、、、なんて。良かったことは、一瞬キレたけど、すぐに自分を取り戻せたことです。今日も幼稚園でした。今まで1年半一緒にやってきたパナマ人の同僚(同僚?!ってほどでもないですが)が、今日で幼稚園の仕事を引退。それで、最後なので私と一緒にチームを組んで、年中のクラスを教えていた。最後だし、彼にリードしてもらおうと思って、伝えておいた。しかし、こう言ってはなんだが、1年半もやって来たのに、レッスンをリードすることもまとめることも出来ず、しかも彼のおおらかな素晴らしい性格が災いしてテンポが悪く、レッスンはすっかりまとまらなくなっていこうとしていた。と、言うことは、もう私がこのレッスンのリーダーになるしかなく、彼に最後の花を持たせられない状況になっていっていた。仕方ない、、、。テンポが悪いと、子供たちは急速に興味を失って、走り回ったり、寝転んだり、しますからね!どうにか、私達についてきてもらってクラスを進めないと、、、。ネームタグのピンで、お友達を刺す子まででてきて、3クラス終わった時はへとへとになっていた。と、一緒にランチを採るクラスに入っていくなり、一番後ろの方に座っていた男の子が、わざわざドアのところにいる私のところまでやってきて、いきなり私のみぞおちをパンチした。絶対に子供たちの前でしてはいけない顔を、私はしたと思う。ものすごく、怒った顔をしたと思う。一瞬、むっちゃくちゃキレた。あまりの痛さに、一瞬自分を失いかけて、怒鳴りそうになったけど、それはいけないと思って、自分を取り戻した。静かにその子の名前を呼んで、廊下にひっぱりだし、人を叩いたらいけない。お友達も、だれも叩いたらいけない。叩かれたらすっごく痛いんだから。二度としないで欲しい。そして、私に言うことがあるでしょ?と言うと、目のフチを真っ赤にして涙をためながら、ごめんなさい、、、と言った。実は、この幼稚園は5年目で、初めの年は子供たちの”カンチョー”で、私達は相当悩まされた。ここに一緒にやってくる先生たちは、色んな国の人で、彼らの文化に”ドリフのカンチョー”は無い。今までに、カンチョーされて本当にキレて、子供の手をぐんぐん引っ張って職員室に連れて行った先生もいる。幼稚園にも”カンチョーは絶対にしないように、子供たちに言って下さい”とお願いし続け、気がつけば、この幼稚園でカンチョーをする子は、この数年間いない。それは本当に、驚いた。でも、最近、叩く子が増えている。レッスン中も、お友達を叩くのはもちろん、私達の気を引こうとものすごい力で叩いてくる。なんでなのかな~、、、と思う。思いたくはないけど、親が叩いているのかな?と思うこともある。ただ単に、気を引きたいだけなのかな~?ここまで書いて、読み直してふと思ったのだが、“おおらかな素晴らしい性格、でも、リーダーにはなれず”最近お辞めになったどっかの国の首相みたいだ。
2007.09.13
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は~、夏休みも終わりました。早速幼稚園のクラスも始まったわけです。昨日は、休み明け、、、ということで、毎年恒例、おみやげ渡しの儀式の日。今回はIKEAで購入した、カラフルな子供用のプレート、ボウル、カップ、そしてスプーン、フォーク、ナイフを、1セットにしてあげることにした。色は、ピンク、水色、青、緑、オレンジ、黄色の6色で、このクラスの生徒も6人。(私は手が回らなくなるのと、ひとりひとりをちゃんとケア出来るように、グループのレッスンの時は、6人を上限にしている。)それで、このグループに、女の子はひとりで、きっと彼女はピンクが欲しいだろう、、と想像していたし、男の子がピンクを欲しがらないだろう、とタカをくくっていた。で、いよいよおみやげを渡すとき、、、。ギラギラする子供たち。それなに?それなに?いつ使うの?と質問攻めのこどもたち。始めは、“緑のセット”“青のセット”などなどとして、渡そうと考えていたんだけど、そうだ、子供たちが選ぶ好きな色で、カラフルなセットにすれば良いんだ!と思ったので、“次はフォークよ。青がいい人!?”と聞いて、二人以上が手を上げれば、ジャンケンさせていた。と、いつもいつもよくおしゃべりをして、そして、泣くととんでもなく手を付けられなくG君が、カップを配っている時に、気がつくとジャンケンに負け続けていて、残りの黄色しかなくなっていた。”あ、黄色が最後の色で、これがG君のだ!”と言うと、彼の顔はみるみる引きつり、ほおが真っ赤になり、目に涙が浮かび、”うわ~、どうしよう。これで泣かれたら、これから先の、ボウルとスプーン、フォーク、ナイフも、ケンカになるのかな?”と、ドキドキしながら彼を見ていると、ちょっと泣きべそ声になりながら、“違うもん!”と言いきった時点で、私は”うわ~、来た~!”と思ったのだが、G君は夏休みの間に成長したらしく、ぐっと、涙をこらえ”それは、それは、、、黄色じゃない、薄い黄色なんですからね~”と、なんだか良くわからない一言を叫んで、どうやら自分の気持ちをおさめたようである。あ~、びっくりした。けど、よかった。驚くことに、ジャンケンで勝っても負けても、誰も文句を言わず、泣かずに、みんながニコニコとおみやげを受け取って、帰って行った。
2007.09.04
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うん、レストランじゃないかな。カフェですね。金曜の夜は8時から、主に幼稚園の先生をしていらっしゃる方々のクラスがあって、もうかれこれ4年ほど続いているクラスで、英語版”せっせっセーのよいよいよいっ!”を教えたり、英語の歌を教えたり、はたまた早口言葉を教えたり、ゲームをしたり、、、と楽しくやっています。昨日は、レッスンが終わったあと、お腹がすいていたのでみんなで”おまめ”という名のカフェに行ってきました。カメラをもって行ってなかったのが残念。なんだか、懐かしい雰囲気のカフェで食器をも昔、おばあちゃんの家に行くと出てきたようなものばかり。お水のグラスも、花の絵がプリントされた、本当に見たら”そうそう、こんなの使ってたね~!”と、誰でもが思えるような、昭和な雰囲気。私達は4人だったので、お店の中の一番奥にたたみがひいてあり、丸いカワイイちゃぶ台で、私は和風麻婆豆腐定食。他は、明太高菜チャーハン定食、なすのみそ炒め麺定食、沖縄そばを堪能。それぞれ食べてみたけど、どれもお~いしかった。電器もレトロな感じで、懐かしさ満点。今度行く時は、写真撮ってきます。
2007.09.01
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生まれてこのかた、飛行機に乗ることはあっても、ヘリコプターに乗ったことがなかった私。義妹から、“バンフに行ったらヘリコプター、乗ってみたい?”と、聞かれ”それはぜひぜひ!”と言っていた。こんな返事が出来たのも、去年の旅行でバンクーバーからウィスラーまで、水上飛行機に乗っていって、それがとても素晴らしく、安全で快適だったからの返事。で、出発前に私なりに調べていると、やはりお値段もいいですね~!20分で149ドル!プラス税金とか。うひゃ~。で、私達が乗ったのは12分で99ドルというもの。12分、、、、、何とも半端な数字ではあるのですが、予算上それでもオーケーということで、いざヘリコプターライドへ!家を出る前、義妹が”酔い止め、飲んどく?”というので、万が一のことがあってはならないと思い、ありがたく頂戴する、、、も、この薬、全てのことがどうでも良くなるほど、頭が働かなくなる!そんなぼんやりした頭を抱えて、ヘリコプター乗り場へ。乗る前に5分くらい、ビデオを見せられ、羽の下を歩く時は頭をさげて、、、というのだけを、しかと覚えて、12分の旅へ。12分か、、、と私も思ったのですが、意外や意外、12分ってたくさんのモノが見えるんですね~!とても長く感じました。天気もよく、雪や氷河を抱えたロッキーの山々が連なり、スリーシスターズ(山の名前)のてっぺんの砂礫のようなものもすぐ眼科に見下ろし、なんか動物いないかな~と思ったり、湖もきらきらと輝いて、ああ、色んなことを経験するって、素晴らしいな~、もっと、いろんなことやってみたいなあと、あらためて考えさせられる12分でした。
2007.08.14
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ああ、渋滞してるな~、止まったり進んだり、いったいSquamishまでどのくらい時間かかるのかな~、、、、と思っていると、いきなり私たちの目の前の車が、そのまた前の車にぶつかって、バウンスして私たちのほうに跳ね返ってきた!うわあああああ!幸い、私たちは車間距離を保っていたこと、R君がハンドルを切って止まったので、玉突きになることはなかった。が、その瞬間、ああ、今度は私たちの後ろがぶつかってくるかも~!と思って、それが怖かった。が、後ろもうまいことハンドルを切ってよけてくれていた。私たちの前の車は真っ赤なフォルクスワーゲンそしてその前はブルーのトラックと、ここまでの事故だろう、、と思っていた。残念なことにこの真っ赤なフォルクスワーゲンのリアウィンドウには"N"のマークが。この”N”マーク、“初心者マーク”なのです。ああ、、、、ものすごくお気の毒。免許取ったばかりで、、、。私たちもびっくりして、しばらく車の中にいたのだけど、青いトラックの青年は、車から降りて、頭を抱えてそりゃーののしるののしる!で、赤いフォルクスワーゲン君は出てこず。見かねたR君が出ていった。私はとてもじゃないけど、こんなフェンダーベンダーでも事故現場に降りていく気持にはなれず、車の中にいた。先をみると、赤いフォルクスワーゲンの下から水が出ている!ええええ、ガスが漏れてるの?と、なんだか段々いやな気分に、、、。誰もタバコを吸いませんように!と思っていると、すぐにR君が手で触って、匂いを嗅いでいた。そして、すぐにどこへやら電話をしていた。その間の私は、道路中に散らばったガラスの破片や、私の位置からも見えるフロントガラスにバリバリとひびが入っているのを見て、吐き気がしてきて、ビニール袋を探す始末。よりによって、私の目の前で事故が起こるなんて、、、その状況は、ダンナJの事故にすぐに結びついてしまった。それから、R君が赤いフォルクスワーゲン君のところへ行き、ドアを開けると、ようやく出てきて、それはそれは、信じられない!という顔をしていた。と、気がつくと、もう一人、両手を拡げて、それこそ”ちょっと、どうしてくれるんだ!”と言わんばかりの、30代後半くらいの男の人が前方からやってきた。って、ことは、この2台だけじゃないわけね、、R君は、初心者のフォルクスワーゲン君を慰めて、肩をポンポンと叩いて、戻ってきた。”誰も怪我してなかったよ。この、ワーゲンの子、2日前に、この車の支払いが終わったばっかりなんだって”うわ~、そりゃショックだよ!それで、その場を私たちは過ぎたのだか、通り過ぎる時に見えたものは、その新車のフォルクスワーゲンのボンネットが押されて無残に縮んでおり、道はガラスの破片だらけで、トラックのおしりには赤い塗料がつき、そして、そのトラックの前にはとてもかっこいいシルバーっぽいブルーのBMWが、これまたバンパーがへこみ止まっていた。そしてR君がここで、ひとこと。”あのワーゲン、あんなにぶつかってるのに、エアーバッグが出てなかったよ。それも良くないねえ”う~ん、、、、まあね。そこがポイントか、、、やっぱり男の人はそういうメカニックな部分が気になるのか。女の私は”彼ら、保険にちゃんと入ってた?!”だったのに、、、。そして、この後、私のこの動揺が怒りに変わる出来事が起こるのでした、、、つづく
2007.08.12
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カナダに行って、何より楽しみしていること。それは、キャンプ!初めてカナダでキャンプをしたのは、3年前の夏。あれは一体、どんなふうにしてキャンプに行くことに話が決まったのか、全然覚えていないのだが、、、その時は、もちろんダンナJも一緒だったわけで、たぶんJとshimaちゃん夫のDが決めて、キャンプに行くことになったのだろう。その時に行ったのは、ウィスラーよりさらに北にペンバートンという町があって、そこに私は住んでいたのだけど、そこからさらに山の中に入って、舗装されていない道をガタガタいくと”スクーカムチャク”というところがある。本当に素晴らしい場所で、いまだに夢見てる所。ネイティブカナディアンの人たちがひっそりと住んでいるところで、奥に奥に行くと彼らの小さな小さな町がある。それ以来、カナダに帰るときは”キャンプしたい~!”と、Shimaちゃんに訴え、去年も今年も連れて行ってもらった。ああ、近くに住んでれば、頻繁に行けるのにね~!が私たちの合言葉。いつか、その夢がかないますように、、、で、今回行ったのは、バンクーバーとウィスラーの間にある町、Squamishのキャンプサイト。Shimaちゃんはこの日仕事だったので、私とR君が先行して行っていたのだが、、、私を動揺させる出来事が起こってしまった。つづく。
2007.08.12
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私の好物。そう、それはお寿司!どんなに機嫌が悪くても、ひとたびお寿司を目の前に出されれば、たちまち微笑みに満ちた顔に戻ること間違いナシ!で、バンクーバーの私のお楽しみの一つ。それはおいしいスシロールを食べに行くこと!これは、絶対に外せない行事のひとつ!今回は、わが友Shimaちゃんが、考案した"Shima Roll"を食べにAlfaへ。ウキウキしながらレストランへ。なかなか素敵な雰囲気で、でも、窓も大きく、天井も高く、エントランスも大きく開いていて(という、イメージだったけど果たして本当だろうか?)開放的。この日、私たちがオーダーしたのはShima Rollカリフォルニアロール明太子うどんスパイシーツナサシミ揚げだし豆腐タコのカルパッチョ(でしたっけ?)そして、もちろんビール。どれも、激うまうま!Shimaロールも、チーズと、うなぎのたれがまっちしてて、ああ、とろける~。でも、何より衝撃だったのは、博多っ子の私も”そうか、こんな食べ方があったのか、、、”と感心させられた明太子うどん。もう、ひとりでボールを抱えて食べたいくらいのうまさでした。そして、後半に飲んでた梅酒マティーニ。ああああああ、、、こんな風に飲むと、こんなに違ったものになっておいしい、、、、。と、超ご満悦でした。つづく
2007.08.11
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で、しばらくすると、ウィニペグからの人たちは2番テーブル行け!というアナウンス。この日、私を迎えに来てくれてたのは前述のR君。この人、絶対と言っていいくらい遅刻する。今までに、飛行機を降りて外に出て”あ!、久しぶり!元気だった?”と、ハグしたのは今回の旅行で、私が日本からやって来た時のみ。(あ、いま思い出した。ダンナJの遺骨を持って帰った時も、さすがにちゃんと着いていたっけ。)それも、私の友人が私と入れ替わり、この日帰国で、しかも私が乗って来て飛行機で帰るから、彼が彼女を連れて来てくれてたおかげ。いつもいつも、飛行機を降りて、まず私がしていたことは、きょろきょろと見渡し、公衆電話に向かうことだった。そして、一度は、私が飛行機に乗りそこないそうになったこともある!見送りに来て”時間あるからビール飲もう!”という、甘い口車に乗り、セキュリティーから搭乗口まで走るはめに。しかも、こんな時に限って、搭乗口は遥かかなた、一番遠いやつ。搭乗口に近づくにつれ、自分の名前が呼ばれていることに気づく、、、。だからこの日、ウィニペグを出る前に電話で、到着時間を20分早く伝えておいた。しかし、2番テーブルに変更のアナウンスがあるまで、彼に会うことはなかった。でも、彼曰く、彼は彼で捜していたらしい、、、私を。どうだかね。つづく
2007.08.09
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バンクーバーに到着すると、バゲッジクレイムのターンテーブルが人の山の黒だかり。それも、そのはず。どのターンテーブルも、動いてないんですもの。WestJetの職員が、バッグが出てくる滑り台を登って行き、スーツケースを手でひっぱってる、、、今日は、手作業?はははは。さすがカナダ!いつも、何か問題あり!で、私たちのウィニペグからの到着便は3番テーブルで、カルガリーからの到着荷物と一緒に出てくるらしく、待てども待てども出てこない。20分経過。さっきのWestJetのお姉さんが、今度は私たちのテーブルにやって来て、またまた滑り台を上がっていくと、いくつかのスーツケースをひっぱりだしていた。と、見かねたおじさまが、同じく滑り台の下まで登って行き、お姉さんを手伝い始めた。いつになったら、バッグが私の手元に来るのだろう、、、つづく
2007.08.09
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久しぶりに日記更新です。久しぶりにここにやって来てび~っくり。5月から、何も書いていなかったのですね。しかも、タイ旅行のことなんか書いてるし、、、ひひひひ。ところで、カナダに行っていました。今回は15日間の旅行でした。泣く子も黙る、チャイナエアラインで台北経由でバンクーバーへ。バンクーバーでは、Shimaちゃん、R君、そして私の友人が夏休みでカナダに来ていたので、3人でお出迎えしてくれました。このお友達、私とお休みを合わせてカナダで遊ぼうと思ってたのに、どうしても休みが取れず一人で参上。ひとりでバンフまでいき、バンフからはバスでバンクーバーまで帰って来て、ShimaちゃんやR君とあそんでもらったようです。そして、私の到着日が彼女の帰国日。空港で30分くらい一緒に過ごせました(ってビールを一緒に飲んだだけですけど。)それから、数時間後、夫の故郷、ウィニペグまで飛び、アホらしいことに翌日にはカルガリーに飛び、バンフに住む義弟に会いに行き、ヘリコプターに乗ってロッキーマウンテンズを眺め、そしてまた飛行機に乗り、ウィニペグに戻り、義両親のいるNeepawaという小さな町に行き、湖に行って遊んだりしてる間に、あっという間に日は経ち、またまたバンクーバーへ。つづく
2007.08.09
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さっき、かなり書いていたのに、このおバカなコンピューターが固まってしまいました。タイから早1ヶ月。本当に楽しい旅行でした。行く前に楽天で知り合って、本当に良くして下さってるある方から”楽しむことに罪悪感を感じないで!”って、言われて、そうか、、、どうして、楽しめない、、、と思ったり、行く直前になると、ものすごく不安になったりしていたのか、わかったような気がして、本当に助けになりました。お陰様で、久しぶりに”ああ~、楽しかった!”と思える旅行になりました。そうなんですよね。自分で気が付いてなかったんです。罪悪感を感じていた事に。別の考え方をしていたんですよね。”夫がいないんだもん、どこに旅行に行ったって楽しめるわけない”って言うのも、まんざらはずれではなかったのですが、でも、旅行は私の大好きな事の一つ。旅行が大好きだったからこそ、Jともつながりがあったと思うし。すきあらば、どこかに行きたい人なのに、どうして、こんなに不安になったりするのだろう、どうして、こんなに行った事に後悔するのだろう、、、”未亡人になって、そんなに何年も経っていないのに、よくそんな事できるわね”なんて、思っているんだろうな、、、人は、、、と思っていました。確かに、思っている人もいるでしょう。でも、どんなに楽しそうな事をやっていても満たされないことだって、あるんですよ~とも思う。ま、とにかく、タイは楽しくて、うまかった!毎日毎日、トムヤムクンを食べ続け、パッタイを食べ続け、マッサージに現を抜かし、呆けまくり、トゥクトゥクに乗って悲鳴を上げ、でも、雨に沢山降られてパタヤビーチまで行ったのに、泳げず。しかも、パタヤに行く時、うっかり騙されそうになったり。タイの人のステキな微笑みに心もとろけ(でも、どこに行くのか怪しげなバスに、必死に私達を乗せようとしたのも、微笑みの国タイの人!)、その一方では目を覆いたくなるほどの売春が盛んな事実。他のところに旅行記を書いてしまったので、ここに同じようには書けないけれど、、。(あまりにも沢山のことがあって!)とにかく楽しむことに集中してきました。munchは生きて帰ってきています!
2007.05.29
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今日は、本来ならば我がボスDと幼稚園での英語教室の今年度初日。あ~っと10っぷん!あ~っと10っぷん!と、起き上がる前の10分を楽しんでいると、電話が。誰かい、こんな早くに~~~!!!と、着信を見ると我がボスD君。ふ~ン?電話をとると、彼のパートナーが”Dさん、ケガをしたので、今日、幼稚園キャンセルしてって”イッイエ~イ!どうしてかわからないんだけど、昨日の夜から、どうしても今日の幼稚園に行きたくなく、ドキドキして眠れなかった私。あげくの果ては、私の犬ではないけれど、私の目の前で子犬が痛めつけられるという、もうむちゃくちゃな夢を見てびっくりして目が覚めた私。やった~~~!ありがとう!ケガをしてくれてありがとう!どんなケガか知らないけど、大したことないケガで、彼もちょっと今日サボりたかったくらいのケガだったら良いな~。ちょっと、うきうき気分になってしまった私は、つい調子に乗って”ねえねえ、ケガのDさん、写メールして!”などとと言ってしまい、こんな私の暴言には慣れているDが、横でグズグズと文句を言ってるような気がした。と、言うことで、急に仕事がなくなり、朝から今まで、天神をブラブラしていた私なのでした、、、。Munch先生は、5月から頑張って、幼稚園キッズと英語教室がんばりま~す。
2007.04.26
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タイへ行ってきます。キャンセル待ちだったので、行けないだろうな~と思っていたのですが、12日前にして取れました。このタイ行きを決めた時は、それはそれはワクワクしていたんだけど、なんだか、やっぱり、、、、、、なんでだか、今となっては、あまりワクワクもせず、楽しみは楽しみなんだけど、うっひょひょ~という気分になれず、不安がこみ上げてくるのですよ。何かが私を、この福岡に留めているんですよね。いつか、この気持ちがなくなればいいな~と思っています。と、言うのも、もう本当にどこに行くのも、決めた時はものすごくワクワクしているのに、段々としぼんでいって、それが嫌な事に不安になっていくんですよね、最近。それは、カナダに行くにもそうなんですよ。ま、長距離、一人で飛行機に乗るのは楽しくないですものね。一度、二人で乗る飛行機の楽しい気持ちを味わってしまっているので、なかなか若い頃のように、無鉄砲に”行けるだけでうれしい!”みたいな気持ちになれないのが、ホントに嫌ですね。でもでも、、、実は最近、気が付いた事があるので、今まで私を心配してくださって読んでくれていた皆様にも報告します。私の今の気持ち。最近よく、振り返ってみると、”ああ、あの時の私は本当に無気力だったんだな”と思える段階と、”ああ、あの時の私は、本当に悲しくて仕方なかったんだね”と、自分をいたわってみたり、”ああ、あの時は、壊れてたな、、、”と思ってみたり。でも、最近新たにわきおこって、わかった気持ち。それは、、、、あきらめた。という事です。2月に具合を悪くして、もう、本当にJのところに行きたくなってしまった日がありました。もう、いいよ、わたし頑張ったし、もう楽しい事絶対ないし、もう、この先、私の将来なんてさびしいままに終わるし、もう、この人生は終わりにしよう。とぼとぼと、我が家に帰りながらそう決めたなら、悔しいけど、同じ土俵に上がるつもりで、加害者にあてこすりの手紙だかなんだか書いて、とにかく”あんたのせいで私の人生終わった”って事をお知らせして、それからこの先、呪い続けると書いてやろう。怖いですね。で、そこまで決めて、Jに”もう、だめだと思う。本当に楽しくないし、もう幸せになれないわ。頑張ってきたけど、私の気持ち、全然いい方にいかないの。1年以上たって、みんな、時間が癒していくのよって言うけど、私、まだ癒えないのよ。傷ついたままだし。だから、もういいわ。この先何も状況が変わると思えないし”なんて報告した。で、その後すぐに友人Bにばったり会うと、彼は”Jがね、君にメッセージがあるって。幸せになってって。幸せになってって言ってるよ”と言って、彼は泣き出した。いや~な感じがした。こりゃ、”なるようになってる”って。私があまりに不平不満ばかり溜め込んで、自分は幸せにならないと決め付けていたので、それが本当にJからのメッセージかどうかはわからないけど、私は信じて、今、ここにいるわけです。で、それから色々と自分なりにも考えてみて、なんとなくそれ以来、もう本当に我が夫は死んで、私は自分で幸せにならないと、夫は私をここで物理的に(?)幸せにすることはできない。とにかく、彼は逝ってしまったのだから、、、と、なんだか急にモノがわかったような気がしてきた今日この頃。やっと、もう1ステップ上がれた様な気分がしています。呪いの手紙を書きたいと、Jの妹に言ったら、”そんな気持ちを持っててもなんの救いにもならないよ”と、言った。全くその通りで、その言葉はJが”やきもち”について語るときに必ず言っていた言葉だった。タイ旅行、ホントにホントに楽しめたらいいな~。でも、今日気温をチェックしたら39度ですって。こわい。
2007.04.24
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お久しぶりに日記を書きます。どうしても、これは書かねば!と思うことが本日ありました。と、言うのも2005年の11月の朝、私は不思議なごろにゃんごろにゃんおじさんに遭遇していたのでありますが、今日、1年5ヶ月ぶりに再会!相変わらず、自転車に乗って、ごろにゃ~んごろにゃ~んと、つぶやいておりました。おわり
2007.04.17
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私の日記のトラックバックにこんなん、ありました。クリスマスはどうしますか??って私から聞くのもなんだけど・・・(2007年03月15日 19時00分57秒)日付見てくださいませ。数ヶ月前に終わったばかりのクリスマス。もう、今年の予定ですか~?んなもん、わかりません!と、思いつつ真剣に、”そうだね~、なにしましょうか?”と、考えてしまう私。って言うか、誰か知らんけど、聞いてくれてありがとう、こんなに早々と。でも、まだ決まってないから答えられないし、決まってもこの方には教えたくありません!ごめんね。でも、今回のゴールデンウィークにタイに行こうと思っていたら、時すでに遅し、、で、飛行機は満席、キャンセル待ち状態です。これを教訓に、早め早めに準備します。特に飛行機は。おわり
2007.03.19
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今朝、ダンナJの夢を見ました。が、私はむかついていました。なぜって。最近、この夢、実はよく見るんだけど、我がダンナJ殿に、ガールフレンドがいたり、、、我がダンナJ殿が、昔のガールフレンドと、仲良くべらべら喋っていたりいや、別に喋るくらい全然いいんですよ。私も彼女の事知っているし、Jが亡くなったときも、今はシンガポールに住んでいる彼女にメールをしたのは私で、そして、ワンワン泣きながら空港に行き、エコノミークラスがいっぱいだったので、”ビジネスクラスでいいから、乗せてくれ~。私を福岡に連れて行け~!”と泣きじゃくり、文字通り、飛んできてくれた人で、その後も色々と手伝ってくれて、本当に感謝している人ですから。でも。夢の中の我が夫は、私を無視してベラベラベラベラ彼女とばかり喋っていたので、ムカついたのですよ。う~ん。今年に入って、こんな夢が多いな~。香港に行ってる夢を見たときも、ダンナJがガールフレンド(私が全然知らない人)と歩いていて、それを私が見つけて、”あれ、あなた、こんなところにいたの!!!!”と怒る。これって、どんなメッセージがあるのでしょうね。彼が、天国で楽しくやっていて、それでいて、なんだか気が合う人がいて一緒にいて、楽しくやってくれているのであれば、それはそれでいいのだけれども、まだまだダンナJの事がだいだいだ~いすきの私にとっては、微妙に複雑な心境なのです。
2007.03.15
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私の愛犬、かえでちゃん。今、横で買ってあげたばかりの洋服のボタンを、ガシガシ噛んでおります。ま、いいでしょう。ちびっこだから歯もとがっているし、何か、硬い物が噛みたいのでしょう。お利口な事に家具を噛んだりはしません。いつもは、ロープやおもちゃを噛みかみしています。本当に手がかからない、いい子です。トイレの場所も一日で覚えてしまったし。車に乗れば、すぐに寝てしまうし。何よりうれしいのは、吠えないし。かわいいかわいいで日々過ごしております。さて、今日、ちょっとお買い物に出かけたら、アメリカ人の友人B君とその妻で中国人のLちゃんにバッタリ出くわしました。で、途端にBが泣き出して言うには、、、、”Jから、あなたにメッセージがあるよ”と、留守番電話のメッセージを伝えるような感じで”メッセージがある”と、言われたわけなのですが、”Jが、幸せになって。一日一つでいいから、何かに感謝してハッピーな気分になってって言ってるよ”うー、、、。一瞬、そんなこと、誰にだって言えるしね、、、と、思うかもしれませんが、実はものすごく思い当たる節があったので、ありがたくそのメッセージを聞いて、Jが亡くなった時に感じていたような”彼の分も精一杯生きる”と、生に執着したように、これからはもっと、生きている事に感謝しよう、、、と思った次第です。と、言うのも、先日、久しぶりにどっか~んとすごく落ち込んでいました。もう、毎日楽しくないし、、、笑っていても、私の人生は楽しくない。この楽しくない気持ちは、Jが亡くなって間もないからだ、、、と思っていたけど、なんとなく、”これは一生、続くかもしれない”という気持ちに押されていた、今日この頃。そしたら、私のこれからの人生は、本当につまらなく、むなしく、ただいたずらに時を過ごし、死に行く日を待つんだな、、、、と、覚悟のような物を決めて、その気持ちをJに報告していたのでした。もう、元気を取り戻すエネルギーも無く、元気を取り戻す努力もしたくなく、もう、すべてにおいてエネルギーを使い果たし、”もういいじゃないか、、、”という気分にさえなっていた。夫よ、天国に行ったのに、心配させてごめんよ。まだまだ時間はかかるけど、かえでちゃんに前よりは笑いをもらいながら、あなたの分も生きますよ。忘れかけていた気持ちを取り戻させてくれて、ありがとう。
2007.03.14
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私のではありません。ダンナJです。生きていたら、今日で41歳でした。41歳のJ。一体、どんな感じになっているのかな~なんて考えてしまいます。髪の生え際には、白髪が出ていたから、この1年半でもっと増えてたかもね、、、とかね。煙草を吸うから、目尻の皺が更に増えてるかも、、、とか。子供が生まれてて、ニコニコしすぎて、更に更に皺が増えてるかも、、、とか。まあ、色々です。思うところは、、でも、彼の姿は永遠に39歳のままで皆の心に残っているでしょう。私は、自分が天国に行くとき、Jが亡くなった時の私の年、30歳の姿で天国に行きたいわ。と、言う事で、午前中にお墓参りを済ませ、今日は彼を偲んで、よく二人でてくてく歩き回った場所を散歩してきました。天気もよかったしね。でも、今日の散歩にはかえでちゃん(ポメラニアン)という、お伴もいて、そこまで淋しくなかったわ。途中で、我が友イギリス人のクリス君(仮名)にも偶然会ったし。最初に行ったのは、アートギャラリー。このアートギャラリー、古いアパート全室をギャラリーにしていて、それぞれの部屋で、何かしらエキシビションがあっている。私の友達、スイス人のMちゃんの写真の展示は402号室で、、、みたいに。今年は、Jの写真のショーを、ここ、福岡でも開催したいと思っているので、下見がてら行ったけど、その建物や雰囲気はなかなかかわいくて素敵なんだけど、きっと、Jは好きじゃないわね、、、と思いながら帰ってきた。どちらかと言うと、女の子アーティストがすきそうなギャラリーだった。それに、彼にはすごいこだわりもあるし。さて、本年度の抱負でもあります”日本文学を沢山読む”は、静かに実行されています。今のところ、川端康成を四作。森鴎外を一作読みました。今現在、読んでいるのは”島崎藤村”です。なかなかおもしろいです。さてさて、私の生徒さんの一人が、貴重な1週間の休みを使ってニュージーランドにホームステイに行きます。彼女はかなりドキドキしてるけど、絶対に楽しいはずだし、帰る頃に”もうちょっといたかったな~”って思うと思う。でも、何よりも”高いお金払っているんだから、このホームステイを良くするのも、悪くするのも、自分次第なんだから、払った分、取り返すつもりで頑張れ~!”と、わけわからないエールを送って、本日のクラス終了。
2007.03.09
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福岡、寒いです。もう、私の周りは体調を崩している人が山ほどいます。そりゃそうでしょうね、、、この前の日曜日、24度くらいあったのに、今日は7度ですよ。今日は、朝から我がワンちゃん、楓ちゃんをつれて近所の量販店にいき、やっとリードを買いました。あれ、、、、そうか、、、。ず~っと日記をここには書いていませんでしたね。実は、日記を書いていない間に、ポメラニアンを買いました。4ヶ月の赤ちゃんです。名前は、10月10日、秋生まれという事と、ダンナJの代理という事で”楓”という名前にしました。私の実家には、2005年の1月に亡くなったおばあちゃんの飼い犬だった、ポメラニアンのモモがいて、私もモモが来るほんの1週間前まで、ジョン君というミックスの犬を飼っていました。この子は、おばあちゃんが亡くなる1週間前になくなりました。14歳でした。ジョン君と同時期、ジョンの1歳下のジュリちゃんという、これまたミックスの犬を飼っていました。この子は2004年の9月に亡くなっています。ジョンは、私が中学3年生の3月、校庭でお母さん犬について回っている、生後1ヶ月くらいの真っ白な小さなかわいいワンちゃんで、学校のシスターが(シスターがですよ!、、おっと、これを言うと、私がどこの学校に通っていたかすぐにわかりますね。でもとにかくシスターが)”この野良犬たちを処分します!”と、決めたとかなんとか言う話を聞きつけて、私がもらって帰ったのです。それから1年後、学校帰りのバスから私が降りた私が見たのが、これまた茶色のかわいい赤ちゃん犬。そして私が近づくと、後ろの右足がだら~んとしているではありませんか、、、。車にはねられたのか、足の骨が折れてブラブラしていたのです。でも、うちにはすでにジョンもいるし、、なんて考えていると、涙が出て止まらなくなって、土曜日で両親とも家にいたので”小さい犬が、足がブラブラになって、バス停にいた~~~!!!”と訴えると、今すぐ連れておいで、、というのが、ジュリちゃんが私の犬になった始まりです。2匹ともとても健康で、強い犬で、頭がよくって、顔もすごくハンサムと美人でした。でも、あるときから、どういうわけか2匹ともひじに腫瘍ができてしまったのです。ジュリちゃんのほうがひどくて、死ぬ前は野球のボールほどになっていました。かかりつけのお医者さんは”取る事ができない”の一点張りでした。その腫瘍が大きくて、どうしても寝る時に床や地面に当たって、そのうち皮がむけて、血は出ないまでも、透明の汁(体液?)が出てくるようになっていたので、私達は必死にケアをしていました。それでも、お医者様は何もできない、、、といい続けていました。その時点で、現在のかかりつけのお医者様のところに連れて行っていればよかったのですが、私達は、このとき、このお医者様を信じて、信頼していました。そして、ある日の昼。その腫瘍から大出血。すぐに、かかりつけのお医者さんに電話したのですが、なんと、受診を断られたのです。それで、やっと、今のお医者さんのところにつれていったのですが、このお医者さん、実は、盲導犬の赤ちゃん達を育ててる里親さんたちの間でかなり評判がいいのを、私は聞いていたのでした。だから、どうして、すぐにこのお医者さんに変えなかったのか、自分の馬鹿さ加減にあきれます。しかも、ジュリちゃんを我が家に連れてきた時、あの足のぶらぶらの骨折を治してくれたのも、このお医者さんだったのに。この先生、私達が”あそこの先生は、この腫瘍は取れない、取るってことは、断脚する事だって言いました。でも、前足なので、断脚した場合、体重を支えきれなくなるといったのですが、、”というと、”いや、僕は、取れますよ。今日、手術しましょう”と、言ってくれました。手術は成功。あんなに大きかった腫瘍を取ってくれた先生。心配で、ご飯も食べられなかった私。昼過ぎに、ジュリちゃんに起こったことを聞いて、すぐに私の実家に来てくれて、私のそばにいてくれたJ。でも、その日の昼の出血があまりにひどく、結局、ジュリは朝が来ると共に、天国に行きました。腫瘍がきれいになくなった足で、天国に行ったジュリちゃん。私は泣きながら”よかったね、痛いの無くなって、天国にいけて良かったね”と、何度も言いました。それからすぐに、ジョンの方の腫瘍もとってもらいました。ジョンの腫瘍はみかん大。でも、手術に当たって検査した結果、彼には心臓肥大という、別の病気があることがわかりました。先生は、腫瘍の方が問題ではなく、心臓の方がダメかもしれない、、それは覚悟しておいてください、、、といいました。ジュリが死んでから、ジョンもすっかり元気がなくなり、追い討ちをかけるように、私がJとの新しい生活のために、家を出て行ってしまいました。そして、2005年1月。私の弟の誕生日の食事に行き、帰ってきた家族ひとりひとりのところにジョンは行き、皆になでてもらい、いつもの心臓の薬をやろうとした時。妹のひざの上に頭を乗せて、なでてもらっていたジョンが大きく伸びをした途端、おしっこが出てしまったので、私は”ああ、逝ってしまうんだ!”と思い、急いで動物病院の先生のところに電話をしていたけど、土曜の夜で通じず、急患の病院に電話をしていたけど、それも通じず、”もう、逝かせてやろう、、、”と、決めました。ほんの数分の間だったのに、ジョンの舌は出てしまい、手足はすでに冷たくなっていました。だから、もう、逝かせよう、、、と。家族みんなが帰ってくるまで待っていたと思う。ジョンの大きらいな雷が鳴っていたので、早く帰ってあげなきゃ、と思い帰ってきたとき、彼は精一杯頑張って、死ぬ前に家族に会って死のう、、、と待ってたのみたいに、みんなになでてもらってから、天国に行った。2匹を半年のうちに亡くし、病気の犬2匹がいなくなった事で、これからは、おばあちゃんにもっと何かしてあげられる、、、と思っていたのに、ジョンが死んで1週間後に、朝、私のおじが目を覚まし、いつもだったら先に起きているおばあちゃんが起きていない事に気が付き、おばあちゃんを見に行くと、もう、すでに亡くなっていた。ふとんのなかで、静かに死を迎えていた。おばあちゃんも心臓が少し悪かった。でも、入院するほどでもなかったし、いつも家にいて、家事もしていた。近所のばあちゃん友達は、”彼女のように、家で、布団の中で、あんなふうに穏やかに死にたい”と、しきりに言っていた。本当に、おばあちゃんの死は、神様が”さあ、行きましょうか”と、さっと連れて行ったような静かな、穏やかな死だった。そして8ヵ月後、私の主人Jが天国に行った。全てなるようになってるのかな。2匹の犬の死、おばあちゃんの死、それはJの死への練習だったのかしら?と思えてならない。この2匹とひとりの死のとき、Jはいつもそばにいてくれてた。そして”目には見えなくなったけど、み~んな、心の中にいるんだよ。それは永遠なんだよ。体は無いけど、魂はいつも一緒にいるんだよ”と言ってくれた。その言葉を3回、Jの口から聞いた。それは、本当に、今の現在の私に向けられている言葉だと思う。2匹の死と、そこに至るまでの看病の日々は、思い出したくないくらい、辛かったんです。2匹の死も、心をズタズタに引き裂くほど、悲しかったから。だから、犬はもう、飼わない、、、と決めていたけど、やっぱり飼ってしまいました。かえでちゃん、笑いを運んできてくれてます。
2007.03.06
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暖かい日が続く福岡Cityです。あと、2ヶ月弱でこんな風に、また、桜が咲きますね~。今年は、例年より早いのかしら?この写真は舞鶴公園の桜です。2年前、この満開の桜の木の下でプロポーズされ、指輪をもらいました。ホントにステキなステキな夜でした。
2007.02.11
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先日書いた日記の中で”私が行きたい所”にあげていた幾つかの場所のひとつ、バンクーバーアイランド。トフィーノへは2002年に行って以来、行っていません。ダンナJと一緒に、一番行きたかったところ。新婚旅行で行こう!と言っていたけれど、ウィニペグの両親や家族に会った彼は”やっぱり、旅行はこれから先、いつでも一緒に行けるから、今回は新婚旅行なしで家族と一緒に過ごしていい?”と言ったので、私はもちろん!と言っていた。そうしておいて良かった。まさか、家族とまたね!と別れて日本に戻ってきて2週間後に、Jが私達の元を去るとは思っていなかったから。あの時、私がわがままを言って、どうしても新婚旅行がしたいと言い張って、彼の家族と過ごす時間を取り上げていたら、私は悔やんでも悔やみきれないほど後悔し、Jに申し訳なく思い、自分のことが大嫌いになっていたかもしれない。今でも、いつかトフィーノに行きたいな~と思っているいつかここに住みたいな~。
2007.02.09
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常々、夫婦生活においても、日常の事においても、ま、なんにおいても、モノは言い様ですよね。怒った感じで言えば、そりゃ”ま、怖いわ、あの人”見たいに思われて然り。でも同じ事でも、ちょっと言い方を変えると、人と言うのは結構受け入れてくれる物です。そんな事をダンナJは、良く教えてくれてました。で、私の好きなサインはこちら!タバコ、吸わないでくれてありがとう!なんてステキなんでしょう!要するに禁煙!って事なんだけど、こんな風に言われると、はいはい、気持ちよく受けいれらる気がします。
2007.02.09
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以前、私が愛読しているmaiaさんの日記で、クリスマスだけの特番を激写した写真が載っておりました。で、私は、彼女のページのコメントにそのDVDが売っているのよね~と、言っていたのです。で、今日、写真の整理をしていたら、なんと、わたくし、その写真を撮っておりました!これは、カナダ、アルバータ州バンフにあるクリスマスグッズが沢山売っているお店での写真で~す。じゃーん!
2007.02.07
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最近、私が考えに考えていて、そして決めきれないでいたことがあった。それは、運転免許の取得。そう、私は運転免許を持っていません。春休みに取りに行こうかな、、、と思っていた20歳のある日の夜、塾でアルバイトをして10時半過ぎに帰宅していた私は、車に轢かれ、そして、そこに置きざられた。命に別条が無かったものの、それから1年くらいは自転車にも乗れずにいた。そうやってチャンスを失くしていた。それでも、やっぱりいつの日かカナダに帰り、子供がいれば車は運転できた方が良いのでは、、と思い、それならば、日本で免許を取らずにカナダに帰った時に取ろうと思っていた。そして、ダンナJの事故。加害者は法定速度40キロの道を、120キロで走りハンドル操作ができなくなり、歩道に乗り上げ、私の愛する人の命、人生、私達の幸せな生活、私達の将来、希望、夢、全てを一瞬にして奪った。やはり、私は運転しない、、と思っていた。最近、日本のお墓に納骨を終え、思い始めたのが”好きな時にひとりでここに来て、夫と話がしたいな、、、、”と言う事。地下鉄の駅が、霊園の4キロくらい先にあって歩こうと思えば歩けない距離ではない。私は、そのくらいの歩きはへっちゃらなので、気にはならないけれど、そうなると一日を墓参りに費やす気持ちで行かなければならないような気がする。そこで、やっぱり車の免許を取ろうかな、、、でも、どうしよう、、、で1ヶ月過ぎていた。そして先週の土曜日。ふと、カナダ人の友人Cさんにその事を相談した。そして、二人とも同じ意見に至ったのだけど、、、。どうしても決めきれない理由。それは、運転の怖さ、もし自分が加害者になってしまったら、それと、車への依存。車の維持費。そして、今、盛んに言われている地球温暖化の理由の一つCO2の排出に加担する事。私が最初にカナダに行った時に驚いた事は、一家に一台の車でなく、家族それぞれが持つ勢いであること。近所にちょっと出かけるときも、車に乗ってしまう事。(ま、これは色々理由もあるので、一概に言えないのではあるけれど、それは今度話すとして)夏でも、洗濯物を外に干さず、安易に乾燥機で乾かしてしまうこと。冬は、室内はどこもとても暖かく、半そででいられること。それほど、暖かくしている=エネルギーを使いCO2を排出している。そして、私がクリスマスプレゼントにセーターをあげようとしようものなら、”暑くて着ていられないから、セーターは着ないと思うよ”という一言。意味、わかります?要するに、どこもここも室内は暑いのでコートの下は厚着はしないと言う事。屋外に出ても、すぐに車に乗るから、セーターなんかいらないって事。ま、これは私の周りにいた人々の話で、全員が全員そうではないけれど、こんな人が多いと言う事。で、アメリカが1997年の京都議定書に同意しなかった時、私は笑った。おいっ!車に乗って、いっぱい二酸化炭素だして、エネルギー沢山使ってるのに、どうにかしようと思わないのかい?って。Shimaさんの日記にも書いているけれど、地球温暖化。これはもう、他人事でもなく、よその国の話でもなく、私達の地球の話。今日の福岡の気温は、なんと17度。2月ですよ。ありえないでしょ?”やっぱり、寒くなったね~”と言うのが、本来の2月だった。この暖かさを喜んでいる人は、どうだかね、、、と思ってしまう。これを”おかしい”と思わないでどうするんだ!と。異常気象が頻発するこの頃。大きなハリケーンが次々とやってきたり(海面の温度が上がり、雲を作りやすくしている)、今まで高地では発生しなかったマラリアが発生したり(気温があがっているので、今まで蚊が行けなかった高地にも飛んでいけるようになった)、急に雨がザーッと大量に降って水害になったり、暑い暑い日が続く夏だったり、、、。北極の氷も南極の氷も溶けてきている。北極熊が、氷を求めて泳ぎ続け、見つけられず溺死したりしている。実際、簡単に見られる所で言うと、観光地であるカナダ、バンフからジャスパーに行く間にある、コロンビアアイスフィールドのアサバスカ氷河の1年の溶け具合を見てみると、年々、溶ける長さが長くなり、ゆくゆくはこの氷河も消えてしまうだろう。Shimaさんも言っているように、私達にはまだチャンスがあって、いろんなことができると思う。私も"An Incovenient Truth"を観た。使わない電気はプラグから抜いておこう!リサイクルしましょう!木を植えましょう!車はシェアして乗りましょう!肉を食べるのを控えましょう!近隣でできた野菜を食べましょう!(遠くの物は運搬に石油を使い、運んでくるまでにCO2が排出されるから)などなど、、、と、ある雑誌にこんな記事もあった。南米の森が1時間に、サッカーフィールド1面分、無くなっていっている。マングローブの森がなくなってきている。それは、エビ漁のためにマングローブを切り倒してしまったから。結果、インドネシアの地震のとき、津波が押し寄せ、とどめる物が無く、街中にも水がなだれ込んできた。私達の子供や孫が大人になった時、この地球はどうなっているのだろう?私達大人は、もう死んでいるかもしれないから、別に良いんじゃない?なんて、絶対思わないで欲しい。それ以前に、このまま放っておくと、さらに暑い夏がやって来て、人は自然災害や、病気の蔓延で死んでいくだろうと思う。できることをしよう!だから、私は相変わらずマウンテンバイクに乗って、バスや地下鉄に乗り、歩く生活をすることに決めた。車の免許は、やっぱり取らない。
2007.02.06
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3ヶ月に1度くらい、猛烈に”どこかに行きたい病”にかかる私。我が友Shimaさんも近々どこやら暖かいところに行くらしく、私にどこかへ行きたい病に火をつけたのでありました。で、私が行きたいところはずばりここ!ハワイバンクーバーアイランドギリシャロンドンなのであります。でも、とにかく今イチバン行きたいところは、ハワイです。やっぱり寒いと暖かいところにいきたいですねえ。で、私の旅計画実は上記の”行きたいところリスト”には、入っていないのですが、7月にプリンスエドワードアイランドに行きます。でも、ぜひともその前にどこかに行きたい私、、、。でも、仕事をそうしょっちゅう休んでいられないし、お金も貯めなきゃいけないし。宝くじでも買いましょうか?で、思い出しました。私の夢。全然、話は違いますが、たくさんの黄金のへびに囲まれて、噛まれる夢を見た私。砂漠の中に横たわる私。足元に黄金のへびたちがたっくさんいて、しかもその1匹にかまれてしまう、、、と言う夢。これは一体、何を暗示しているのでしょうかね!?”へびの夢は良いよね!”と言う、我が日本人に対して、”へびの夢はなにか、不安や恐怖があるんだよね”と言う西洋人たち。さて、どちらがホントでしょう?それから、私の初夢はなんと、あのイチローとデートをする夢だったのです!イチローとの楽しいデート。彼の住む豪華マンションにも連れて行ってもらい、そのあまりのゴージャスさに驚く私。本当に本当に楽しい気分のまま目覚めた私は、”ああ、、続きが見たい、、”と思いましたね。それで、そうこうしているとまた眠ってしまったのですが、なんと!続きが見れたのですよ!で、その夢の中でイチローは言うには、、、この前、君とデートした事で僕の息子がすねているんだ、、、実際、イチローに息子がいるのか、それどころか子供がいるのかいないのかさえ知らない私。それほど、イチローに興味がない私、、、なのに、なぜ?それで、夢の中で私はイチローの息子という少年と、対決しましたよ。イチローの息子”あなたは、Jの事を愛してるのに、どうして僕の父とデートするんですか?!”私”Jへの愛は永遠で、あなたのお父さん(イチローですね)への愛は、また別の形の愛なの。わかる?”と、説明する私。そして、子供を交え楽しそうにデイトする私、、、たち。何ですかね?この夢は!!!
2007.01.31
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結構、私の生徒さんにはおもしろい子が多いな~、と言うのが私の感想なのですが、、、この、るーちゃん。以前にもここに登場しました。その時は、たしか”今度のレッスンはカナダから帰って来てからだから、その間、アルファベットのロウワーケース(小文字)を覚えておいてね。テストするよ~!”と、言っていたら、手のひらにぎっしりと大文字のアルファベットが書かれていた、、、という、あの彼女です。で、このるーちゃん。今、8歳。ブーたれる事、しばしば。それは、本当に些細な事。しかも、このるーちゃんは、同じ事を5回言って、やっと動き出すという、まあ大人泣かせな性格を持っていらっしゃるのでございます。その日もとても些細な事から、彼女はブーたれてしまった。彼女のピアノのノート(五線譜)に、相合傘が書いてあり、そこには、るーの名前と彼女の好きであろう、男の子の名前が。それを見て、”おう、これ、ルーちゃんの好きなこの名前?”と、言った私にブーたれ、機嫌を損ねたのである。で、私は手紙を書きましたよ、このるーちゃんのお姉さんのピアノレッスンをみながら、、、”るーへ。るーは、ピアノもエイゴも一生懸命頑張っていますね。でも、ブーって怒らなかったら、もっと良いのに。これからも頑張ってください”というような事を書きましたよ。そのお返事、、、、”munchちゃんへるーが、プリプリしないのは、無理だと思うよ!でも、これからも、英語とピアノ教えてください。お願いします”と、書かれていた。私は、、、、大爆笑!私が8歳の時、習い事をしている先生に向かってブーたれるなど、もってのほかだった。師匠には、何はともあれ”はい、はい”と付いていっていた。私がしていた習い事というのは、5歳からはじめたお習字とピアノ・エレクトーンで、この二つは大人になるまで続け、ピアノに関しては大学までいき、お習字もカナダに行く24歳までとにかく続けた。ピアノにいたっては、何人かの先生に付き、大学ではそれはそれは怖くともユニークな先生達に教わり、ブーたれるなどもってのほか!だった。そして、このるーちゃんは”(先生に向かって)プリプリしなくなるのは無理!”とのたまった。ははははははは!こうやって、はっきりとモノを言えるって素晴らしいと思う。もしかしたら、”この子は大人に敬意を払っていない”なんて、思う人もいるかもしれないけれど、私は長い事、彼女の事も知っているし、信頼関係もできていると思うので、それでいいと思っている。私が、彼女のように8歳の時、近い大人に”私はこれはできない!”ってはっきり言えたかな?と思う。私もまた、返事を書いた。”るーちゃんへそうですか、無理ですか。でも、前に比べると、るーのプリプリの時間は、短くなりましたね。それは、るーがお姉さんになっていってる証拠だと、思います。これからも英語とピアノ頑張って、英語ぺらぺらでピアノが上手に弾ける、ステキなお姉さんになるように、頑張ってください”るーは、この返事を恥ずかしそうにしながら読んで、どこかに行ってしまった。私は、このるーちゃんからの手紙を大事に大事にとっています。子供ってホント、かわいい。
2007.01.30
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わお、香港の続きを書いているわ、私!そして、もちろん朝ごはんにはおかゆですよ。おいしいおいしいおかゆを食べようと思い、ホテルのお兄さんに”あなたお勧めのコンジーの店を教えてくれる?ヌードルも一緒にあるところがいいです”と、言うと、と~ってもラフな地図でこのあたりと言うのを頼りに歩いていくとありましたりました。何も考えず入ってしまい、席について気が付いた事は、、、”麺”の文字。oh, no!しまった。おかゆが食べたかったのに。でも、もしかしたら最高においしいヌードルが食べられるかも、と思い、私とママはもちろんえびワンタンヌードル。友人の母は、魚介のワンタンヌードル、友人はえびとイカのワンタンヌードル。そして、そのおいしかったこと、おいしかったこと。これで私の機嫌も直り、さて、今日はセントラルに行ってみよう、と地下鉄に乗って行きました。まあ、人の多い事。そこで、このセントラルの帰りにちょっとしたおもしろい事が。香港の人の多さには、慣れていたはずの私。そして、時折起こる、彼らのrudeさにも”ま、これぞ、香港”と思い、気にせずにいた私。しかし、この日は、ちょっと違った。確かにこの電車(地下鉄)はすごく混んでいて、東京のラッシュ時のようだった。私も、乗り遅れまいと、乗り込んだら、私の前で何やら自分のセーターのリボンを一生懸命に結んでいたおねいさんがいきなり振り返り、”よくも、私のリボンを結ぶスペースを侵害してくれたわね!”と、言わんばかりに私に掴み掛かって、ホームに突き出そうと押してきた。私は、”なにやってんだ、この人。こんなに混んでるのに仕方ないじゃんか”と、思い、一歩もひかず。腕をものすごい力でつかまれて、押されていたけれど、しっら~ん顔していた。ドアも閉まり、あきらめたのかおねいさんは再びリボン結びに余念が無かった。しかし、、、、普通、そのくらいで、人を押すかい?でも、他に理由はまったく考えられず、やはり、この人はリボンが気になって仕方ない時に後ろからどんどん人が乗ってきて、リボンが結べない事に相当ご立腹だったのだと思う。ほかに理由があるかしら?
2007.01.19
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年末に香港に行っていました。やっぱり、旅行は計画を立てているときや、航空券がいくらするのかな~とか、ホテルはこんなところに泊まってみたいわ、、、とか考えている時が、どうやら私にとってはイチバン楽しい時間のよう。いざ、行くとなって、あらら、これしなきゃ、とか、家が心配になったりとか、植木は枯れないかしら、一番ひどいのは”どうして行くって決めたのかしら、、、”なんて、思っている。でも、行けばいったで楽しいのが旅行!のはずが、今回はなぜか、早く帰ってきたかった。それも、もしかしたら彼是、8回だか9回目の香港だからかもしれない。空港からダウンタウンへは、エアポートエクスプレスでたったの20分。今回、初めて乗ってみたけど、早いし快適!しかも、4人だと”4枚切符”のような割引切符があってかなり安くなる。そしてカオルーン駅に到着すると、ホテルまで無料のシャトルバスまであるではないですか!ホントにすばらしい!荷物を置いて早速出かけたのは女人街。道の両脇に露天が連なっていて、それはそれは派手派手なピンクや赤や蛍光色の下着や、バッタ物のブランドバッグやら何でもありまっせ~!ここで私が唯一買ったのは、ガラス製のネックレス。赤にマーブル模様が入っていてホントにきれい。でも、、、これ、福岡にも売ってるのよね、、と思いながら見ていると、お店の女の子が”180ドル!”と言うので、すかさず”90ドル!”と私。この女の子、とってもかわいくてフレンドリーで、私の肩に腕を回して、これまたかわいい日本語で、”ウソ~!ちがう。これ、すごく安い!160ドル!”と言うので、いやいや、福岡では本当に1000円で売っていたので私は”これね、日本で1000円で売ってたのよ。ホントに。香港ドルだと60ドルくらいかな。だから買わないわ”と言って立ち去ろうとすると、”わかった90ドルでいい!”と、言うので、90ドルで買いました。その日の夜はShimaさんと、かつて一緒に行った"Red Pepper"と言う、エビチリが有名な四川料理のレストランで、たっらふくおいしいものをたべました、、、。たぶん つづく。
2007.01.18
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続きを書きま~すといって、もう何日経っている事やら。すびばせ~ん、、、。相変わらず、忙しいのです。でも、私が愛読しているまるさんは忙しいのに、いつもこまめに書いていて、”これではいけない、、、”と思った次第であります。さて、この前の日曜日、日本のお墓に納骨しました。お骨になっていたダンナJ。それでも、手元にあるだけで気分は違っていたのに、またさらに私の手元を離れて、お墓に入りました。本当に、胸がぎゅーっと締め付けられるような日々を過ごして、覚悟しつつ、でも、こうしなくては、、、と思いながら納骨に踏み切りました。火葬場で、Jの棺が炉の中に入って行く時も、それはそれは、言葉にはできないほどの悲しみ、なんと言っていいのかな、、本当に本当に彼の姿を見るのが、これが最後、、と思うと、手放したくなくて、でもそうしないといけなくて、心をバラバラにされた気分でした。また、その気持ちが甦ってきたこの納骨。カナダの墓地には、すでに葬儀で連れて帰った時に、葬儀の前に家族みんなに見守られてお別れをしました。すでに穴が掘られていて、そこだけが茶色く、芝生の青々とした上にきれいな磁器の骨壷に入ったJが置かれていました。その時も、あの土に返っていくんだわ、、、と、胸が締め付けられました。カナダにも日本にも、本当に骨を埋めた我が夫。この先、私がどのくらい生きるかわからないけど、カナダのお墓にも一緒に入りたいし、日本でも一緒に入りたいわ、、と思っている。さて、、、話は変わって、最近私がはまっている物、、それは、消しゴム版画!楽しいです。10分とか15分で彫れて、好きな色のインクを塗ってぺた、、、っとやって出てくる絵を見るときのあの感動よ!素晴らしい作品ができたら、ここで紹介いたします。そして、、、最近、はまってはいないけど、今年は日本文学を沢山読もうと思っています。その第一番が、川端 康成くん!実は、本好きなのに、恥ずかしながら川端康成は読んだ事がありませんでした。日本文学全集、全50巻くらい持っているのに、本当に宝の持ち腐れでした。でも、今年は読むぞ~!で、新年の抱負は去年に引き続きフランス語。日本文学をたくさん読む。ってところでしょうか。
2007.01.16
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ハッピーニューイヤー!今年も、よろしくお願いいたします。さっき、かなりの量を書いていたのに、またまた固まってしまいました。本当に、ガックリ。さて、ようやく落ち着きコンピューターの前に座っております。私、香港に行っていました。アメリカから、友達も来ておりました。3週間。しかも、フィアンセを連れてきていました。翻訳コースの締め切りに追われていました、、、。ざっと、こんな感じで忙しかったわけです。でも、またこのコンピューターが固まるのでは、、と、ドキドキしながら書いております。明日、我が家に戻ったら、もっと詳しく書きます。まるさん、、、、香港から、はがきを送っています。着いたかな~?香港からだけに、心配。お金だけ取られて、送ってなかったりしそう、、ははははは。いつ行っても、何度行っても、香港はいつも香港。なにか、やらかしてくれる国です。だから大好き!
2007.01.09
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昨晩、我が友、サンドラ(仮名)の家での毎年恒例”本物のカナディアンクリスマスパーティー(Real Canadian Christmas Party)”なるものに行ってまいりました。ま、要するに、ターキーですね。大きな違いは。でも今年は、ついこの前の感謝祭でターキーを食べた、と言うことでターキ-に代わって登場したのが、ローストビーフ。4キロのローストビーフはデカかった。そして、ポテトにヨークシャー・プディング、グリークサラダ、ブロッコリサラダ、カボチャとサツマイモのサラダの3種類のサラダにマクロビオティックの玄米コーンスープ。う~ん、ヤミー!(Yummy!英語で”おいしい!”ですね)ローストビーフには、ダ~イ好きなホースラディッシュ(西洋わさびです)をたっぷりかけて、私は、そこにサワークリームとグレービーをかけて、おかわりを1回にとどめつつ、クリスマスディナーを堪能しました。で、そこにはカナダ人、イギリス人、日本人が昨晩はいたのですが、奥様たちで話題になったのが夫のこんなところに笑っちゃった話し。そこにいた夫たちに日本人はおらず、これは”何人はどうだ!こうだ!”と言う話しではなく、我らが愛する夫たちの、ひえー、うける~!と言うお話し。と、言うことで、我が夫、J君にも面白い話しはいっぱいあるのですが、、、、ある雨がザンザン降りの夜のこと。Jが仕事に出ていってしまってから、雨がものすごく降り出していたので、私は”あらあら、彼、傘持って行ってないね~。、、、、ま、でもあの人のことだからオフィスを出たらすぐにタクシーつかまえて、帰ってくるわね~”と、思いながらも、わが愛する夫が濡れていたら、走って降りていって傘に入れてあげよう!と、その時住んでいたマンションの6階の窓から行き交う人を見ていた。と、タクシーがちょうど反対側の車線を走ってきて、止まった。上から見ていても、その中にかなり大きな人が乗っていたのがわかったので、おお、Jが帰って来たぞ!と、見ていた。颯爽とタクシーから降りる彼。とても背が高く、カッコ良くスーツを着込み、一緒に行った上海で買ったカシミヤのロングコートを着て、本当に我が夫ながら、ああ、、、、かっこいいわ~と、思いつつ、一瞬キッチンの鍋に目をやり、火が消えてないことや、煮えたぎって吹き出していないことを確かめ、また、外に目をやると、我が夫がちょうど横断歩道をわたってこちらにやって来ているところだったのだが、、、、、、、先ほどから言ってますように、Jは本当に背が高くて、かっこいいんです!その我が夫が、雨に濡れないように、、、、、ビニール袋を頭にかぶっているではありませんか。抱腹絶倒。それも、頭にだけす~っぽり、ビニール袋!歩くビニール袋ヘッドマン!そう言う事をものすご~くおもしろがる私。ワクワクしながら彼が部屋に帰ってくるのを待ち、そして、”お帰り~”と言う代わりにねねっ、ビニール袋、どこやった?Jはうれしそうに”見てたの~!ビニール袋は、下のゴミ置き場に捨ててきた~!”我が友、Cちゃんの夫の話し。この彼、Tくんはお料理があまりできないながらも、彼にはたったひとつの自信作があるらしい。その日、Cちゃんは仕事が忙しく、帰りが遅くなったのでお弁当屋さんに寄っておかずだけを買って帰りました。”ごめんね~。おかず買ってきたから食べよ~!”と言うと、夫Tくんはそのおかずをチラリと見て、”僕は、自分で作るから良いよ”と、言ってフライパンに湯を沸かし、そこに焼きそばの麺ふたつ投入。そして、そこに焼きそば麺についている粉ソースをふり入れ、なんと、なんと!その、ちょっと焼きそばの粉ソースを溶かすには多かったよね、そのお湯の量、、、という、そのソーススープの焼きそばをザルにあげ、ツナ缶を2つ、油も切らずに、焼きそばにのせ、そして、またまたなんと!!!そこにタウザンアイランド(ドレッシング)をかけて食べるのだとか!これは、彼のとっておきメニューらしく、彼女が病気の時、忙しくて食事が作れない時に、彼が作る唯一のお料理なのだとか、、。彼女曰く、”いいよ、いいけどね、子供にだけはそれ食べさせないでね!”
2006.12.26
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皆さんが、平和な気持ちで今日この日を迎えられていたら、、、と思います。私は、クリスマスイブの昨日、私とダンナJの城で静かに過ごしておりました。えっ?違うな~。朝からばたばたと掃除機をかけて、近所のとってもおいしいチョコレイトショップにケーキとブッシュド・ショコラ(これはあれですね、ブッシュド・ノエルのように薪の形のチョコレイトでできた入れ物にさらにチョコレイトが入っているという、鼻血ブー物です)を買いに行きました。12月なのに外はぽかぽか。お天気もよくって、幸せを感じました。そして、一日早いけどいいや~!と、プレゼントを開けてしまいました。Jの家族は大変多いので、何しろ5人兄弟にそれぞれに嫁または夫がおり、そして子供達、、、今のところ総勢17人家族(J込み)プラス犬5匹分(そうなんです!犬もお互いにプレゼント交換するんです!このうちは!)なので、毎年、誰が誰にクリスマスプレゼントを買うか、くじ引きで決めるわけです。じゃないと、破産します。クリスマスプレゼントだけで。そして予算は、150ドルから200ドルで、、、という風に決めてるわけです。でも、やっぱり子供達には何か、送りますね。私は、もう、子供達がどんどん成長して、欲しい物も好きな物もどんどん変わっていくので、日本からカナダの本屋さんのウェッブページに行って、ギフトカードを送りました。と、言うわけで、私は今年、くじ引きどおり、Jの妹にプレゼントを送り、私はJの兄の嫁からプレゼントが届きました。私がコソッとJママに”私、ダーマ&グレッグのDVDが欲しいわ、、、”と言っておいたので、義母はコソッと、兄嫁にそれを伝えてくれていたらしく、DVDが届いていました。(ダーマ&グレッグ。私達二人を見ているようなカップルで、私達二人で一緒に見ていた番組です。いつも、この番組を見ると笑ってしまうし、今でも、この番組を見ると、幸せだった私達を思い出せます。だから、思い入れが深いのです。)昨日は、ビールを飲みながらそれを見て、ピザを食べて、ひとりなんだか楽しく過ごしました。こんな事をしても、まあ、楽しいわ、、、なんて思えるようになったなんて、寂しいけど慣れですね。ま、仕方ありませんね、夫がもうどうしたっていないんですもの。慣れなければ。そして、実家にケーキを持ってくると、父からは、某有名化粧品のアイシャドウをもらい、母からは、近々二人プラス私の友達親子でする旅行先で何か買ってあげる、、、という確約を得、私のクリスマスイブは終わっていったのでありました。
2006.12.25
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早速ひいてしまいました、、、やっと、少々長くコンピューターの前に座れています。そもそもこの風邪。思い当たるふしは幾つかあるのですが、実家のおバカちゃんコンピューターが、日記を書き終わって、さて、書き込むをクリックしよう!とした途端、固まったり、、、そしてまた書き直しているうちに、固まったり、、、、そんなこんなを繰り返している間に、どうも私の頭の中はヒートアップしているのに体はそうではなかったようです、、、または、、、やっぱりハナタレお嬢ちゃん、おぼっちゃまがこの時期増える、幼稚園に行ってもらってきたのでしょうかね、、、。と、言う事で、不調です。そして、今日もまた実家のコンピューターが固まる前にこれにて失礼。
2006.12.21
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カナダと言えば!玄関口であるバンクーバーだったり、ロッキーマウンテンズの町バンフやジャスパーだったり、ナイアガラの滝に近いトロントだったり、はたまた赤毛のアンのファンが多い日本人にとっては、プリンスエドワードアイランドだったりですが、今日は、我が夫と、Shimaさんの夫の故郷、マニトバ州ウィニペグの写真を載せたいと思いま~すまずはマニトバ上空です。はい、真平らです。本当にず~っと、こんな風景が続きます。時々、丘程度の起伏はありますが、概ねこんな感じです。Jは”手放しで運転できるよ”なんて、良く言っておりました。初めてJの家族に会いに行ったとき、”Munch、こんな景色は珍しいでしょう?”と言って、ウィニペグから、バンフまで2日かけて車で連れてってくれました。行っても行っても、キャノーラ(菜の花)畑で、眠くて眠くて仕方ありませんでした。これはJのお姉さんの家からの風景です。ずっと、こんな感じです。そして、ウィニペグの街中は、と、思って写真を開いたら画像が大きすぎて、載せられませんでした。縮小の仕方がわかりません!これにて今日はおしまい。
2006.12.10
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先日、書き終わってやれやれ、、、と思って何故か下の方にある”登録する”を押さずに、”戻る”をクリックしてしまった私。もういじけて書き直しをしておりませんでしたが、気を取り直して書きますよ~!さて、このB&Bでの出来事。私は一応”エイゴ先生”として、生徒さんたちに少しでも会話をしてもらいたい、という事でB&Bに泊る事に決めていた。朝食の時間、色んなところから来ている人と、”どこに行った””何をした””今日はこんな事をする予定””私達は日本のこんな場所から来た”なんでもいいのです!とにかく何かおしゃべりをしてもらいたかったのです。そして、私のかわいい生徒さんたちは、ちゃ~んと頑張って今までに習った英語をつかっていましたよ~。エライエライ。私も、自分の言葉で会話をして、それが通じた時のうれしさ、会話できた時のうれしさ、あれがあったから今の自分がいるのですから。良くも悪くも、いろんな人の考えをを知るという事、素晴らしい事だと思います。私にとっては、このエイゴという言語を通して、色んな知恵をもらっていると思っています。さて、そのB&Bの朝食のテーブルでの事。私の隣には、イギリスから来ていた初老のご夫婦がいました。ご主人の方が”あなた達は日本人かな?”というところから会話が始まり、彼が”私の奥さんは香港人で、国際結婚です”なんて言ったので、私も”私も夫はカナダ人です”などと話していると、”カナダのどこの出身ですか?”と言うので”ウィニペグです。ご存知ですか?すごく寒くなるところです”と言うと、彼は”僕の奥さんの兄、義理の兄がウィニペグで医者をしているから、もちろん行った事もありますよ~”なんて話していた。それから、ウィニペグのことなどを話していると、彼は”実はウィニペグにいると言うのは正確ではなくて、ウィニペグから車で2時間半くらいの町で医者をしているのです”と、言うのでもしかしてもしかして、それは、ダンナJの育った町、今でもJの両親が住んでいる町ではないか?と思って聞くと、驚く事に、本当にそうだったのです!私達は、本当に本当に驚いて、なんて世界は狭いんだ!と言っていた。彼は”なんてすごいんだ!僕はイギリス人で、香港で出会ったこの妻と一緒になり、イギリスに住んでいて、その妻の兄がマニトバ州の小さな町で医者をしていて、あなたは日本人で、日本で出会ったカナダ人のご主人がいて、その人が育った町の医者が私の義兄で、そして私達はいま、バンクーバーで出会って、一緒に朝食を食べているんですね~!”って。感無量。おもしろいですね。旅っていいですね~。不思議な事が起こりますよ、ホント。こんな巡りあわせがあるから、私もJと出会えたと思う。こんな巡り合わせがあるから、ちゃんとしてなきゃ、、、とも思った。そして、その後すぐに私の義母に電話して”ねね、Dr.Lee(仮名)って知ってる?彼の妹さんとそのご主人が、私達と同じB&Bに泊まってるのよ!”と言うと、義母は”彼は私のお医者さまだった人よ!”だって、、、。ホントに、おもしろい。ディナークルーズ出発のとき。コールハーバー素晴らしい青空のもと、Queen Elizabeth Parkを散策。お花がとってもきれいでした。初めてここに行ったのは6年前。その時、ハチドリが飛んできて、花の蜜を吸っていました。カナダで初めてであったハチドリ。すごい羽ばたきで空中に停止できる、コガネムシのような緑色とオレンジ色の小さな鳥です。羽ばたきが早いだけに、すごい音が聞けます。
2006.12.09
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はるか昔に#2まで書いていたカナダ旅行記。写真を載せる技を習得しましたので、写真を載せながら書きたいと思います!それで、ガラガラガッシャ~ン、、、とTV台を壊してしまったB&Bは、バンクーバー観光をした人なら必ず通った事があるであろう、ロブソンストリートから一本南にあるHaro St.にある "West End Guest House" でございます。それからそれから、昨日も書いておりましたが、バンクーバーからウィスラーへのフロートジェット。ここにもオチがついてしまうのですが、、、飛行機の出発時間は9時でした。乗り場まではそう遠くないし、ある程度乗り場も地図で調べていたので私の中では”楽勝”だと思っていたのです。しかし、、、、いけどもいけども見つからない乗り場。そして、とうとう出発時間の9時になってしまい、同行の生徒さんたちもだんまり。一応、ガイドの私は平静を装い、”いや~、なんでこんなに見つけられないの?おっかしいね~。でも大丈夫。待ってくれてるはず!”と、何も根拠が無いのに、待ってくれてるはず!とみなを励ましていたのでした、、。そして、ようやく乗り場を見つけたのは9時15分過ぎ。カウンターで、”ウィスラー行きに予約入れてたんですけど。”と、私の中では、大変大変珍しい事にとてもフレンドリーじゃないカナダ人のお姉さんが”えっ?9時に出発する、ウィスラー行きのこと?””そう”と、私”えっ?今、何時よ?””9時15分だけど”と、私。そこで、いつもの事ながらフレンドリーなカナディアンのお姉さんが”大丈夫よ!まだ、飛行機、停まっているし、ほら、彼がパイロットよ!”と、指差す方には、おじさまが。私はその”フレンドリーな優しい”お姉さんに、”よかった~ありがとう!実はね、そこで大きな工事をやっていて、全然この場所が見えなかったのよ!”と言ったら、そのおねえさんも同情してくれた。ま、とにかく、15分出発時刻より遅れたものの、ちゃんと待っててくれたパイロットにとてもとても感謝し、そして、ここで”結構、あてにならないガイド”という烙印を押されたであろう私は、ニコニコしながら生徒さんたちに”さすがカナダ!待っててくれてよかったね~!ま、これも、思い出の一つですな!”と、汗を流しながら言ったのでありました。そして、皆さんもほっとし、互いに”カナダって素晴らしい!”と再認識し(TV台を壊しても温かく許してもらえたので)、飛行機に乗って飛び立ちました、、、。私は、、、というと、これはこの遅刻の原因では絶対に無いのですが(だって、早くからB&Bをちゃんと間に合うように出てたんですもの)、前日の夜、Shimaさん、ShimaさんダンナDと、友人、そして私達で行ったディナークルーズで、しこたまワインを飲み、かなりの二日酔いである中、フロートジェットに乗るのは大変苦しい状況で、もう、ひどい事に上空でなるだろうと、覚悟していたのでありました。でも、ゆれることなく、素晴らしい景色を見ていると、いつの間にか二日酔いも吹っ飛んでしまいました、、、。氷河です。こんなに近くに見られるのです。本当にきれいなブルーでした。
2006.12.07
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かねてからやってみたかった事。それはここに写真をのせること。今晩は実家のコンピューターWindowsを使っている私。では、実験開始。おっ!できました!やった~!これは、バンクーバーからフロートジェットに乗ってウィスラーに行く途中で見た氷河です!次は、Shimaさんたちと行ったキャンプGolden Ears州立公園の写真です。すてき、、、、この調子で、写真を載せながら、カナダ旅行日記の続きを書きます。明日は早いので、今日はここまで
2006.12.06
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ナデシコさんの日記を読んでいて、ふと、私の怒りについて、ちゃんとここに書いてみようと思いました。なぜかと言うと、人は一人でいて、怒るようなことはないし、原因があるからこそ怒るんですよね。と、当然のようなことを書いてしまいましたが。私の怒り。それはもちろん、ダンナJを轢き殺したヤツへの怒り。でも、それよりももっともっと強く私が怒っているのは、その子の母親への怒り。時々、ふと、この母親に電話をかけて、私のこの気持ちをぶちまけたい気分にかられる。思いっきり罵倒し、本気で謝らせたい気分になる。それでも、私は押さえている。なぜか、、、同じレベルの人間になりたくないからだ。もっともっと、この母親よりも気高い人間でいたいからだ。それに、今、私がこの人生で求められているのは、こういうことなのかもしれない。怒りを相手にぶつけず、許すこと。自分だけの考えを押し付けず、相手の状況がどうであるか想像し、その怒りを抑えること。私のダンナJを轢き殺した子の父親は、今はいない。事件当時は、いた。Jの搬送先の病院にもやって来て謝罪もしたし、私の実家にも来て謝罪もしたし、とにかく”遺族である私に、どうにかしてでも償いたい”と言っていた。Jのお葬式のときも、必ず来いと言っていたので、ちゃんと来てくれた。加害者は見るべきだと思ったからだ。この一人の人を亡くして、どれだけの人が悲しみ、どれだけの人に影響を与えるのか、見るべきだと思った。私達の悲しみを見ずして何がわかると言うのだ、、、と思ったからだ。それに関して、不満はない。こちらがしてくれと言ったことを、ちゃんとしてくれた。加害者側の気持ちに立てば、それはそれは怖かっただろうと思う。Jを偲んできている250人の中に、そのJを殺した張本人がいるのだから。そこで、罵声を浴びるかもしれない、ものすごい目で見られるかもしれない、、、それでも、ちゃんと来た。そして去年の末。この子(加害者)の父親は自殺した。発見したのは、Jを轢き殺したこの加害者、本人。それを聞いた時、私は、なぜ、これ以上、私が嫌な思いをしなければならないのか、、、とおもった。どうして、そんな嫌なニュースを、聞かなければならないのか、、、と思った。こういう事故は、全てを狂わせる、、、ただそれだけだった。その時は、、、そして、この父親の自殺の原因を知り、私の怒りの矛先は、この加害者の母親へと移って、以来変わることはない。その原因がこの母親にあるからだ。この母親さえ、家族を本当に心から愛し、家族のことを考えていれば、すべて起こらなかったのではないかとさえ思う。この母親が、自分のしていることに後ろめたさを感じなければ、既に一度、事故を起こした息子にすぐに車を買い与えるようなことはしなかっただろうと、想像する。人は、誰かに後ろめたさを感じている時、その人に対して一生懸命、なにか償おうとする。そして、自分の気持ちを安定させる。そして、また過ちを犯し、後ろめたい相手に奉仕する、、、、自分の心の平安を取り戻すため。私の想像はそんなところである。だから、してくれるなと言ったのに、カナダにまで行って、自分の息子のために”刑務所に行く代わりに、ボランティアをして欲しいと一筆書いてくれ”と、遺族であるJの兄に頼んだ。自分がやったことが、全てに繋がり、今こうして、息子が刑務所に行かなければならなくなってしまっているから。自分がやったことで、自分の息子には父親がいなくなってしまったから。その償いにどうしてでも、恥を忍んででも、息子に償いをしたい。その必死さが見て取れた。私は母親になったことがないから、そこまでの子供に対する愛をまだ経験したことがない。でも、やっぱり、母親になったら、子供のために一生懸命やるのだろうと思う。だからこそ、私は、怒りに震えながらも、彼女を非難することはなかった。どんなにしたかったか、、、、。今でも、その衝動に駆られる。私は知っているのよ、、、どうしてあなたのご主人が自殺したか。あなたが原因でしょ?本当に図々しい人ね、、、、その図々しさがあるから、カナダの家族にまで減刑を望むようなことができたのね。そして、Jが亡くなってから、もう来ないで欲しい、と頼んだのに、自分たちは仏教で四十九日を終わらせるまでは供養をさせてくれ、と言って、私達のお願いを尊重してくれなかった。家に入れてくれなくても、外からでも良いのでお参りさせて下さい、とまで言って、家に来ていた。その仏教徒だから、仏教徒のやり方でやらせてくれと、図々しく押し掛けてきていた人が、お盆には何もせず、Jの一周忌にも何もしてくれなかった。裁判が終わったからなのだろう、、、と私は理解している。裁判までは、誠意を尽くすように、、、そう弁護士から言われたのだろう。裁判が終わって、息子が刑務所にいってしまえば、もう何をしても一緒、、、そんな風に思っているのではないだろうか、、と、私は想像している。事故現場には未だにお花を持ってきてくれる人がいる。私の家からは遠く、加害者宅からは近いので、事故直後、うちに来て”何かさせて下さい”と言われた時、私は、ぜひ、掃除をきちんとしてください。お花が枯れたりしたら、それを掃除して下さい、、、とお願いしていた。しかし、今は花が枯れてもそのまま、掃除されている感じがない。それも、私の怒りをかっている。自分たちから何かさせてくれと言ったのに、始めはちゃんとしてくれていたけど、今は全然されていない。裁判が終わったからなのか?また、この思いが頭をもたげる。それとも、、、、息子が人を轢き殺してしまい、ご主人を自殺でなくし、そして今、息子は刑務所に入ってしまい、彼女は心身共に疲れ果て、病に伏しているかもしれない。本当に、彼女が言ったように、自分たちは仏教徒なので、それでやらせてくれと、私達に言ったように、お盆にも一周忌にも、本当は何かしたかったのかもしれない。でも、物理的にできなかったのかもしれない。お盆のときは、彼女の家も初盆だったので、忙しかったのかもしれない。事故現場の掃除も、行きたいけれど、行かれないのかもしれない。彼女が、もう辛くて何もできなくなってしまっているから、、、私は、そう思いたい。そう信じたい。そう信じて、怒りを彼女にぶちまけずに今に至っている。もしかしたら、そうなのかもしれない、、、と、違う想像を働かせて、自分の気持ちを楽な方に持っていっている。と、この文章を、何度も何度も、実は書いては消してきた。怒りの文章を、書いては、消し、また時が経ち、怒りが湧いてきては書き、そして消してきた。彼女にぶちまけたい色んな怒りのパワーも、彼女には彼女の苦悩があり、私が彼女や彼女の息子を痛めつけなくても、世はなるようになる、神様がいるのならば、神様がすべてなるようにしてくれるだろう、、、と気持ちを落ち着けてきた。こういうこと、被害者だけが被害者ではない。加害者は、これからももっと、苦悩の道を歩まなくてはいけないかもしれない。その家族もまた、以前のように普通の人では、やはりいられなくなるのが現実。加害者の子には兄弟がいる。その人にとっては、本当に迷惑な話しだと思う。兄が人を殺してしまい、父は自殺。その人は、何もしていないのに、やはり世間の目はそうさせてくれないのも現実。それが現実。だから、そう思うと、どうしても、この怒りをぶちまけられない。ここには書いてしまったけれど、、、、。
2006.12.01
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この前の日曜日、劇団四季のミュージカル”アイーダ”を観に行きました。福岡には”福岡シティ劇場”と言って、劇団四季のミュージカルが観られる立派な劇場があるにもかかわらず、今まで観に行った事がなかった私、、、。彼らが演ずるミュージカルは、”オペラ座の怪人””ライオンキング””美女と野獣”などなど、有名どころばかり。しかし、、、、私的にこれらのミュージカルを日本語で歌っている事に抵抗を感じていた。どうせ観るなら、英語で歌っているのがいい、、、、。ただそれだけの理由で、観に行っていなかったのです。わかっています、、とっても愚かな理由ですよね。ホントに、、。だって、本当はミュージカルとか大好きなんだもん。で、とうとう私を劇団四季のミュージカルに誘ってくれる人が現れ、ダンナJに学んだ事のひとつ”とにかくやってみよう。おもしろくなかったら、もうそれ以上すること無いけど、もしかしたらものすごくおもしろい物がこの先にあるかもしれない”精神で、行ってきました!でも、正直、あまり期待しておらず、始まってからも、だね、こんな感じだね、でも、アイーダの人、歌がめちゃくちゃうまいわ~、ステキ、と思いつつ、でも、”もしかしたら見終わった後には、会員になって何度も見に来る人になってしまうかも!”と、言う期待もぬぐいきれず観つづけておりました。話の筋はこう時は古代。エジプトの将軍ラダメスが敵国ヌビアの捕虜を連れて帰ってくる。その中にいたのがアイーダ。ラダメスには許婚がいるものの、このアイーダを気に入り、許婚のアムネリスの侍女にする。しかし、どんどん惹かれあうラダメスとアイーダ。とうとうラダメスはアムネリスとの結婚をやめて、アイーダと逃げて二人で暮らそうと言いだす。しかし、その頃、アイーダの父であるヌビア国王が捕まり、エジプトの連れられてきていることをアイーダは知り、どうにか父を逃がそうと計画を立てる。その計画を実行をするには、愛するラダメスと二人、逃亡するわけにはいかず、ラダメスにアムネリスと結婚して欲しい、それがお互いのためだといい、ラダメスはせめて愛する人が生きていて欲しいと、彼女を逃がす事にする。しかし、ヌビアの国王、アイーダの父が脱獄した事がわかると、逃亡を阻止するためエジプト軍が駆けつけるものの、ラダメスはアイーダとともに祖国を裏切った者として捕まってしまう。そこで、エジプト国王の娘であるアムネリスが二人に下したのは、二人一緒に砂漠に埋めてしまう、と言うものだった。(ぱーっと書いたけど、わかるかな?)そして、最後の最後、砂漠の下に埋められたアイーダに言った、ラダメスの言葉に今までボーっと見ていた私は、、、、涙したのでありました。”100回生まれ変わっても、君を探し出すよ”時空を超えて再び巡り合う恋人達。私は、”前世”や”ソウルメイト”を信じているので、これはJからのメッセージのようにも聞こえた。また、必ず会いましょう、J。私は、またあなたをみつけだすよ。
2006.11.14
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今、大好きな歌を聴きながら友人達にメールを書いていて、思わず一人カラオケをしていた私。最近行ったカラオケは、Shimaさんと!彼女の滞在中に何度か、”カラオケ行こうよ”と言っていたけれど、Shimaちゃんの答えは”好きじゃない!”とか、そんな感じだった。でも、滞在最後の夜に、私の友人イギリス人のクリス君と、ケリーちゃんとご飯を食べにいって、さ、Shimaちゃんもパッキングしなきゃいけないから帰ろうか、としたところ、彼女が急に”カラオケ行こう!”と言いだした!!!!二人だけなら歌えるから!というではないか!私も、カラオケにしょっちゅう行っているわけではないけれど、歌うと言うのは本当に気持ちのよいもの。たまに歌うと、気分が良くなる!それで、私が時々行く洋楽が沢山あるカラオケ屋に行った。“1時間でいいね。”と、歌い始めた私達。私は大好きなJanis Joplinの” White Rabbit”を皮切りに、次から次へと大好きな歌を歌いまくっていた。同級生の私達。懐メロオンパレードだったのは言うまでもございません。そして、”あと10分です!”のでんわがかかってきた時に”あと1時間おねがいしま~す!”まあまあまあ、だよね、1時間じゃ足りないよね、、、と、再び歌い始め、またあっという間に1時間は過ぎ”あと10分です!”の電話が再びかかってきた時、”あともう1時間、お願いしま~す!”と、言った私達。イヤダイヤダも好きのうち。3時間のカラオケ。最後には、二人で合唱して終わりました。ああ、、、、楽しかったね!今度行ったら、何を歌おうかな。新曲練習しとくから行こうね、shimaちゃん!
2006.11.12
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葬儀も終わり、辛い中にも裁判に向けての準備や、保険会社とのやり取りがあって、それはそれは想像以上にめんどくさく、また、ただでさえ傷ついた心でいるところに、更に傷つけられることもあり、どうしてそんなことが起こるのかが本当に不思議だった。いつかは終わる。そう言い聞かせ、頑張ってきた。それでも、どうしてもダメだ、、、と思わされ、くじけそうになった。もう怒りの感情は、どんな時に起こらせれば良いのかさえわからなくなってきた。加害者には、それでも、良い人生を歩んでもらいたいと思っている。バカな人生を歩む人に、私の大事なJを殺されたかと思うと腹が立つからだ。この私達の幸せな生活がどんなに貴重で、どんなに素晴らしく愛に満ち楽しかったか、それを壊されることがどんなことだか、想像してもらいたいと思う。加害者にはぜひとも本当に心の底から愛する人を見つけ、結婚し、その1ヶ月後に自分の大事な人がこの世から奪われる気持ちを、想像してもらいたい。我が子が自分と、大事な人との間に出来たときの喜びを感じる時、私とJが感じることが出来なかった無念さがどんな物であるか、想像して欲しい。我が子が生まれ、その子を腕に抱く時、この子を守ってやりたいと思う、親としての気持ちを想像してもらいたい。加害者の子が39歳になった時、いかに自分が若く、まだまだやれることがあることに気付き、そんな年でこの世を去らなければならなかったJの気持ちを想像して欲しい。年をとった時、無事に健康でこの日まで生きて来れたことに、感謝して欲しい。だからこそ、彼にはこの経験を糧に全うに生きてもらいたい。裁判が始まる前に、”異例なことではありますが、、、”と言って、加害者側の弁護士から、裁判でぜひ証言して欲しい、と言われた。感じていることを、加害者にわかるように言って欲しいと。私達Jの家族は、話し合い、この事故が加害者にとっては2度目だったので、ケジメを付けてもらうためにもやはり然るべきところに行って、罪を償って欲しいと言う結論に至った。当初は、彼が今までに事故を起こしたことがなく、これが初めての事故だと、彼の両親からも聞かされていた。だからこそ、私達は19歳なんて、まだまだバカなこともやってみたくなる年だから、きっと、本当にアクシデントだったのだと思い、彼を刑務所に送る代わりに、もし、そのような制度が日本にあれば、事故被害者のためのボランティアをしてもらっても良いと考えていた。でも事故を起こしたことが無いと言うのは、私達遺族に向けられた、大変に不誠実な嘘だった。Jを殺してしまったこの事故のほんの2ヶ月前に、その時に乗っていた車を破損させるほどの事故を起こしていたのにも関わらず、彼は何も学んではいなかった。その時に、誰もケガをさせず、本人もケガをせず、車だけが壊れた、と言うのを理由に警察にも届けず、またすぐに新しい車を、親がローンを組んで買って乗っていた。そして、1回目のローン引き落としが始まる前に、猛スピードを公道でだし、制御できずに車を横転させて歩道にまで乗り上げてJを殺してしまった。だからこそ、私達家族は、ケジメをつけてもらわねば、と思ったのだ。その後、加害者側の弁護士に”Munchさん、裁判の時、何一つ加害者に対して良いことを言ってくれなかったじゃないですか”と、感情的に言われた。彼が私に証言しろ、こうやって加害者側の弁護士から頼むのは異例ですが、、、と前置きしていたのにも関わらず、私が証言したらしたで、この言いようである。何を理由に加害者に良いことを言わなければならないのか?それでも私は、上に書いたようなことは、裁判中に言っている。是非とも、更生して良い人生を送って下さい、と。これ以上、私に何を言わせたいのだろうか?私が、この私の大事なJを殺した男を無罪放免にして下さい、なんて言うとでも思って私にそんなことを”異例”ながら頼んだのだろうか?そして、加害者には3年半の実刑判決が出たが、それを不服とし控訴した。私達は、3年半でもかなり妥協し、こちら側からは控訴しなかった。そして、加害者の母親がカナダの家族に謝罪に行きたい、と言ってきたので、カナダの家族に聞いて、”来ないで欲しい”旨も伝えたにも関らず、彼女はJの家族が招いていないにも関らずカナダに行き、Jの兄を探し出し”息子を刑務所に送る代わりにボランティアをして下さいと、一筆書いて欲しい”と、遺族に頼むようなことまでしている。兄は、その後あまりのショックに仕事に行けなかった。カナダの他の家族も、相当にショックで、更に私達を傷つけるこの加害者の母親の行動にあきれ果て、怒りでいっぱいになった。それでも私は、控訴審が終わるまで頑張ろうと思った。とにかく、ひとつずつ終わらせようと思った。カナダの兄から、”高等裁判所にこの母親の行動についてと、そこからわき起こった気持ちを伝えたいのと、一審での判決を覆されたくないから、手紙を書きたい”と言うことで、私達は、今となってはこの3年半の判決が覆らないようにと、すがる思いで、意見陳述書を提出した。そして、先日、加害者側の弁護士から来た手紙を見て、驚き呆れた。カナダに謝罪に行って、この母親は何を思ったか、Jの兄に許してもらえたと思っていたらしい。この母親の”許し”の定義は、私達のそれとは全然違っているように思う。Jの家族は、敬虔なクリスチャンである。カトリックにおいて、”許し”と言うのは、”愛”と同じくらいに深い真念であり、”神様が私達を許してくれるように、私達も人を許さなければならない”と、主の祈りにもある。私が、加害者にそれでも、素晴らしい人生を生きて欲しい、と思うのも、この”許し”からくるものだと、私は信じている。私はクリスチャンではないけれど、カトリックの学校で育ったので、怒ることは簡単だけれども、許すことは難しい、だから、これを試練だと思い、それを受け入れ、乗り越えていくことの意味を理解し、やっていこうとしているのである。Jの兄もカナダの他の家族にも、その”許し”の心は、もちろんある。私達が、加害者に刑務所に行って欲しいのは、”けじめ”である。自分で蒔いた種は、自分で責任を取らなければならない。もし、彼が刑務所に行くことがなければ、これから交通死亡事故を起こす人達に、一縷の望みを抱かせることになるのでは?日本の法律はどうなるのか?人を轢き殺しても“大したこと無い”ことになってしまう世の中になってしまうのでは?どうして”危険運転致死罪”ができたのか?この加害者のように、とんでもないスピードを出し、人を殺めてしまった場合、酒酔い運転だった場合などでも、かつては業務上過失致死罪で、済んでいた。でも、それじゃいけないと出来たのがこの危険運転致死罪であるのに、その罪名が付いた彼が執行猶予で普通に生活していては、交通死亡事故はとてつもなく増えていくばかりだろう。だからこそ、けじめなのである。車を運転するからには、それが殺人マシーンになることをも、理解しなければならないと思う。ちなみに私は、運転免許をもっていない。私もJと同じように、自転車に乗っている時に車にひかれ、しかも逃げられたまま、未だにその犯人はつかまっていない。きっと、永久にこの犯人は捕まらないだろうと思う。だって、もう10年まえの事故だから。その被害者である私は、ケガの痛さ、心の傷がどんな物であるかわかっているからこそ、自分では運転しないことに決めたのだ。加害者が逃げた気持ち、、、想像すると、わかるような気もする。ただ単に怖かったのかもしれないし、無かったことにしたかったのかもしれないし、思わず逃げてしまって、後戻りできなくなってしまったのかもしれない。いずれにしても、この人は、自分がとんでもないことをしでかしてしまったことには、十分気がついているはずだと思う。時々やって来ていた、激しい喪失感と鬱。そこから抜け出そうとしても、体が動かない。気を紛らせようとしても、無理な話しである。ただソファーに踞り、TVを見続け、さらに状況を悪くしても、どうにもこうにも気分を変えられないもどかしさ。他人からこう言う気分にさせられている腹立たしさ。早く、色んなことが終わっていきますように!早く、私の気持ちが少しでも楽になりますように!早く時が進んで、めんどくさいことが終わりますように!早く、早く、、、、Jの分も大事に人生を生きたいと思うのとは裏腹に、一日が早く終わって、眠ってしまい、明日が来て、また一日が終わって、終わりの日が来るのをひたすら待つ、悲しい日々だった。
2006.10.29
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カナダ旅行記を書く、、と言いながら#2で止まってしまっていました、、、。が、今日はこの1年を振り返ってみようと思います。その前に、最近の私は、本当に以前に比べると元気で、鬱になる日も無く、ひとりで悲しくて悲しくて泣いたりする日もなく、前向きにこれから先、女ひとりで食べていけるように何か身に付けようと、好きな英語をさらに活用できればと言う思いと、ダンナJがいなくても英語を忘れないように、と言う思いもあり翻訳のコースをとって勉強を始めたり、、、と言う日々です。去年、9月9日、この日記にダンナJがひとりでキャンプに出かけていったことを書いているその時に、ダンナJは時速120キロものスピードを出した車を運転していた、当時19歳の男の子に、歩道にいたにも関わらず轢かれてこの世を去った。何も感じず、まさかそんなことが起こっているなど思わずに、一人コンピューターで遊んでいた私。隣の部屋から微かに聞こえる”福岡大学”と言っている電話がかかってきたときも、留守番電話にしたまま”Jの新しい仕事かな”くらいにしか思わず、まさかそれが”福岡大学病院、救命センター”と言ってるなど思わず、コンピューターで遊んでいた私。それから、短時間の間に何度も何度も鳴る電話。電話で既にJが心肺停止していることを聞き、もう、この世にJがいないことを知り、どんなに考えても、もうここにJがいないことが信じられなかった。何度も何度も何かサインをくれるのではないかと、私の心から彼の魂に呼びかけても、もう声が聞けないことに呆然とし、どうしてこんなことが起こったのか、何がいけなかったのか、どうしてJなのか、どうして結婚したばかりの一番幸せで期待に膨らんでいる私達が離ればなれになるのか、どうしてただのケガではなく、命を奪われるほどの事故だったのか、どうしてJがそこにいる時に、その車はJをめがけて突っ込んできたのか、もう全てが謎のように思えた。救命室に近づくと、毎朝見ていた、ベッドからはみ出している見慣れたJの足がまず見えて、間違いないんだ、と思った。もう、息をしておらず、ベッドに横たわり、耳からも血を流しているのを見て、”耳から血が出るようじゃ、だめだ”と思った。もう、彼の体だけがそこにあり、彼の魂はそこから抜けていた。私の大好きな、愛するJなのに、見かけはケガをしている他、何も変わらないのに、そこに彼の魂は宿っていなかった。”ねえ、起きてよ、一緒にお家に帰ろうよ、、、。ねえ、起きてよ。お願いだから起きてよ。一緒に帰ろうよ。一緒に帰ろうよ。なんで、、、なんで、、、。起きてよ、、、お願い、起きて。いやだよ、こんなのいやだよ、、、”と、彼の胸に顔を埋めて泣いていた。何度か倒れそうになって、吐きそうになって、看護婦さんに支えてもらっていたのを覚えている。Jのゴルフ仲間のSには、すぐに電話していたので、奥さんMちゃんと、私とJのボスにも電話をしていたけど、子供達がいてかれは来られなかったので、奥さんのMちゃん#2もかけつけてくれた。Jの準備が進んでいる間、病院の外に出て、Jの友人数人に電話し、星空を見上げ、彼の魂に私の声が届くことを願いながら話し続けた”何が起こったの?どうしてあなたがこんな目にあわないといけないの?私、一人になっちゃったじゃないのよ。”そこに、加害者の家族が来た。私の父は”あなた方、子供に免許を取らせる時に、無謀な運転をして事故を起こせば、被害者だけでなく加害者の方も大変な目にあうんだってことを、教えなかったのですか?先月カナダで結婚式をして、最近、帰ってきたばかりなのに、もうこんなことになって、どうしてくれるんですか?”と言っていた。私は”息子さんは何歳ですか?”と、まず聞いたと思う。19歳と聞き、Jはたった19歳の子に殺されたんだ、と思った。Jのように、色んなことを良くも悪くも経験してきて、今、それを通して素晴らしい人になったJが、何も経験を積んでないような、今から色んなことを経験していく19歳の子に、殺されたんだ、、、と思った。それから、私は、”今、息子さんはどこにいるんですか?”と聞いた。病院にいます、と言う返事だったので、思わず”人を殺しときながら、病院にいるんですね、、、”と言ってしまった。父は、葬儀屋に電話をかけて病院に迎えにきてもらう段取りをとったりしていた。私には到底できない作業だった。葬儀屋の方々が来たので、“とりあえず、家に連れて帰ります”と言った。どうしてもどうしても彼を一旦、家に帰らせないといけないと思った。私達の幸せのシンボルである、このアパートに連れて帰らないと、そのまま葬儀場に彼は行きたくないと言っている気がした。とにかく、私と家に帰るんだ、と。アパートに着いたのは午前3時くらいだったけど、既に友達のクリス君とKちゃんが待っていてくれて、背が190センチで100キロ近くあるJを葬儀屋の方、父、クリス君で担いで、部屋に連れて帰ってきた。カナダの家族に電話しなければ、、、と、言うと、父が”(Jの)お母さんに一番に電話するのは止めなさい”と言った。彼女は、本当に本当にJのことを愛していて、離れているだけにいつも心配し、カナダに帰るとそれはそれは喜んで、ひたすら息子を愛していることが、私達には十分理解できていたからだ。一睡も出来ず、結局6時くらいに、まずJが一番信頼している妹に電話をしたけれど、家には誰もいなかったので、妹のダンナさんの携帯電話に電話をした。彼はビックリした様子で、どうしたの携帯電話にまで電話してきて、、、と言う感じだった。”Jが昨晩、事故にあって亡くなったの。家に電話したけど、誰も出ないからあなたに電話したの。悪いけど、兄弟の誰かにまず話して、それからヘレン(Jのママ)たちに話してくれる?”ちょうど、彼はJの兄弟達とゴルフのトーナメントを見にバンクーバーに行っていて、兄弟達はそこに揃っていた。Jの兄はとても繊細な人で、だからこそ、もうこのニュースを聞いたとたんに、何も出来なくなってしまったのだと思う。どちらかと言うと、気が強いほうの弟が、ヘレンに電話をした。そして、ヘレンのところにJの妹もいた。”マム。Jが殺されたよ”と、弟は言ったらしい。ヘレンは”Jは殺されてないわよ。誰がそんなこと言ってるの?Munchから電話があったの?Jは殺されてないわよ!殺されてないわよ!”と、彼女が発狂しだしたのを妹が聞いて、電話をとりあげ”あなた誰なの?変な電話はやめてください。なんでJが死んだなんていうんですか!”と言っているのを弟が遮り、”僕だよ、Tだよ。munchから電話があったんだ。Jが事故で殺された”、、、妹も、あまりのことに驚き、ショックを受け泣きながら叫んでいたらしい。義母は、もう耐えきれなくなりトイレでもどしていたと言う。このことは、最近になって漸く聞けたこと。あの日のことは、本当に良く覚えている。私は、逆にひどいことが起こると、体の全神経がそれに集中するタイプなのだと思う。本当にあの日のことは、ショックが大きすぎたばかりに深く胸に刻み込まれている。一睡も出来ず、朝日が昇り始めた時に言った。”J、朝が来たよ。起きよう”どんなにひどいことが起きても、どんなに悲しいことが起きようとも、朝はやってくる。日はまた昇り、沈む。そして、また昇る。朝刊も私達の心とは関係なく、規則正しくやってくる。そして、Jの名前と事故のいきさつが、もうその朝刊にはのっている。それを見た人達が、電話をしてくる。何が起きようとも、一日は、始まる。
2006.10.29
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そして、私達のB&Bに到着し、順番にシャワーをしてブラブラ歩き回ってみよう!と言う事になり、私はキッチンでお茶を作っていると、、、、、ガラガラガッシャ~ンと、マンガに出てくる吹き出しのような音が、、、、と共に同行しているTちゃんが半泣きで”Munchせんせー!物を壊しました!”と。キッチンから出ていくと、ちょうど電気スタンド(おしゃれな)も、ゆら~っと倒れていくところだったので”Tちゃん、アレも壊れるよ!”と言うと、彼女はものすごく素早い動きでそれをキャッチしたのでありました。音の元にたどっていくと、でっかいテレビが床に転がり、テレビが載っていたちょっとアンティ-クっぽいテレビ台は、不思議な角度になって、半分倒れていた、、、その先には折れた2本のテレビ台の足が、、、、。”どうしたの?”と、私。”ちょっと押したら倒れました”とTちゃん。”よかったね、関空で保険に入ってきて”と私。”どうしたらいいですか?”と、震え声のTちゃん。”うん、一緒に謝りにいくよ。”と、私。”いや~ん、どうしよう、、、、、”をくりかえすTちゃん。”やった物は仕方ないよ。とりあえずお茶、飲もう!そして、謝りに行こう!”と私。がっくりと気を落とし、顔面蒼白のTちゃん。そして、笑いが止まらない私、、、、悪いですね~!だって、B&Bに到着して30分しか経ってないのに、もう物が壊れている事実に笑いをこらえる事が出来なかったんですもの!何より、私達はパーティーなんかしてて物を壊したのではなく、ちょっと押したらテレビ台の足が、ちょっと毛足の長いカーペットにひっかかって、その台に対してアンバランスなほど、テレビがものすごく大きかった事もあり、そして、保険に入ってきた事もあり、誠意を込めてお詫びをすればカナダの人は許してくれる!と思っていたので、私はそんなに心配していなかった。さ、お茶飲んで、順番にシャワーして、謝りに行こう!と、言った物の、さて、英語での心のこもったお詫びとは???と言うのが私の中に浮かんできたので、早速、先ほどお迎えにきてくれていて、この時はちょっと外に出ていたR君にお電話をし、”英語でのきちんとした謝り方を教えて下さいませ”と、言うと、すぐ行くよ!と言い、私がシャワーをしている間に既にB&Bにやって来て、事情を説明しお詫びまでしてくれていて、私がシャワーから出てきた時には、B&Bの人と共に壊れた物を外に運び出してくれていた。私も、お詫びを言い、Tちゃんもお詫びを言うと、B&Bの人は大変快く“いいのよいいのよ!こんな事ってあるのよね!”と言って、損害に対して何も請求する事なく許してくれた。素晴らしい!と、私はもちろんの事思ったのだけど、壊した等の本人Tちゃんは感激で胸いっぱいなのでありました、、、。そして、Tちゃんはみんなから”今から買い物に行くけど、Tちゃんはホントに買うって決めるまで、物を触らないのよ!”等と言われ、保険に入ってきた事を心の底から”よかった~!”と思っていたのでありました、、、、。つづく。
2006.09.26
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もう、かれこれ1ヶ月以上になりますね、、私達が旅立って。関西空港まで無事に着き、色んな手続きを済ませて搭乗口に行くと、あれ?エアカナダが2機停まっているではありませんか!なんでやねん?私達のフライトは5時50分だったのですが、3時何分かのが、まだ飛んでいなかったのです。(補足:現在、関空からは1日に2便、バンクーバーに向けて飛んでおります)なんとな~く嫌な感じ。私達の飛行機は、何も問題なく飛べる準備が終わっていたとしても、この3時台に飛ぶはずだった人たちを置いて先に飛ぶのは、なんとな~く申し訳ない雰囲気。3時に飛ぶはずの方達は”私達が先に飛ぶはずなんだから、準備ができてる飛行機に先に乗せてよ!”的気分になっても仕方あるまい、、、とも思うし、たまたま、最近関西空港からバンクーバー行きが、日に2便、飛ぶようになったからそんな気持ちがわいてきても仕方ないわけで、こりゃどうしたものかな、、、と思っていたけど、やっぱり私達が先に飛んでしまいました。バンクーバーに、2時間くらい遅れて無事到着し、さ、みなさ~んリムジーンに乗ってB&Bにいきますよ~!と、到着口を出たら見知った顔が、、、。なぜ君はここにいる?遠い親戚(Jの妹のダンナの弟)兼友人のR君(Shimaさんの日記にも登場アリ)がいるではありませんか!!!!心の中では、”私、生徒さんたちとリムジーンに乗って行くって言ったよね。だって、日本ではなかなか乗れないから、乗せてあげたいんだって言ったよね?”と思いながらも、せっかく迎えに来てくれていたので、そんな事をいきなり言う事ができず、結局B&Bまで送ってもらい、その後も彼は、私のツアーガイドの座を脅かし、素晴らしいドライバー兼ツアーガイドになってくれるのでありました、、、、、つづく。
2006.09.26
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カナダから帰ってきました。福岡はとてつもなく大きな台風が来たので、当然ながら関西空港で足止めをくらい、大阪に1泊して帰ってきました。しかも、カナダからの帰りの飛行機、もちろんカナダの航空会社ですが、最後の1時間半、トイレ全てが使えなくなると言う、大変珍しい状況にも遭遇できました。最後の機内食を食べた直後だったので、苦しい思いをされた方も大勢いた事でしょう、、、、!25日間、とても長かったような短かったような、、、。でも、Jの家族や友人達に会えてとても嬉しかったです。Jと、J兄の写真展には一晩で、約200人もの人が写真を見に来てくれました。その写真展の初日はカナダ時間の9月8日、そう、日本では去年、Jが亡くなった日です。去年のこの日、Jの兄はBlack and White Magazineに写真が選ばれた日です。そして今年、フォトグラファー兄弟の写真展を開催する事が出来ました。また、ゆっくり続きを書きます。とにかく無事に到着致しました事をご報告までに、、、
2006.09.19
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今日は、朝から家族のショッピングについて回っておりました。両親は”ちょっと映画、観てくる~”と言って行ってしまいました。その映画とは、、、、”佐賀のがばいばあちゃん”私も、本を読んだので、おもしろいのはわかっております。だから映画は観ないでおこう、、、、(?)と思い、妹とブラブラしていると、この本の作者である、島田 洋七さんに出会ってしまいました!なんか、見たことあるぞ、なんか聞いたことある声だぞ、と思ったら、ご本人でした。そして、たらふく食べて、おなかが痛い私であります。だから今日はこれでおしまい。
2006.08.20
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同時に読み始めた本、"Burned Alive"と”プリズンホテル 夏”、両方読み終わりました。"Burned Alive"良かったです。この話に出てくる女性の苦悩を、完全にわかってあげられないとは思うけど、それでも、彼女の苦悩がどんな物であるか、それは十分伝わりました。だからこそ、最後はうれしくてうれしくて、感動しました。生きてて良かったね!と思えるお話です。やっぱり、生きてると、すばらしい事があるんだって、思える本でした。"Life of Pi"に続き"Burned Alive"を読んでしまったばかりに、プリズンホテルはおもしろいけど、ちょっと物足りない感じでした。ま、あまりにも、物語が違いすぎますので、比べる方がいけないのだろうけど、、、。それでも続きを読み始めました。2巻目は”プリズンホテル 秋”です。もしかしたら、こっちの方が夏よりおもしろいかも。さて、実は私がだ~い好きな漫画は、なんと”じゃりんこチエ”プリズンホテルを読んでいると、また、あらぬことに”あ~、じゃりんこの方がおもしろい、、、”なんて思う有様。そして、また並行して読んでいるのが”A Bear Called Padington"皆さん、クマのパディントンって、どこの国からイギリスに来たか知っていますか?な、なんとペルーですよ、ペルー!
2006.08.19
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今日から、ちょっと字をデカクしてみます。あまりに小さいと、オメメがチカチカしてくるので、、、!さて、最近読み終えた本がこの"Life of Pi"英語で読みました。いつもだったら、英語の本だと、なんとなくいや~になる事が多いのに、この本は次のページをめくるのが、とても楽しみだった本です。話しは逸れますが、読むきっかけとなったのが、私と一緒に幼稚園に行って、英語教室をやっているフランス人のコリン君(仮名)に、バッタリ本屋で出くわし、彼イチオシの本がこれだったわけです。彼はなかなかの読書家で、いつもいつも本を読んでいるのです。更に余談ですが、そのコリン君、お父さんはアフガニスタンの人で、お母さんはベルギーの人。彼は、それはそれは魅力的な目をしたハンサムな人で、髪の毛も真っ黒できれいなウェーブがかかっていて、それはそれは美しゅうございます。そして、超読書家、、、彼にひかれる女の子達も沢山いるようでして、彼が私に”よく、一緒にご飯を食べに行きましょうって誘われるんだけど、どうしたら良いと思う?まだ、誰とも一回も食事に行った事がないの”と、大変驚きの(いえ、驚くこたーないですけど)質問をされたので、私は”そりゃ、なんかおいしいものをおごってもらえば!”などと言ってしまったのであります。だって、あなたは美しいですもの、、、、さて、それは良いとして、彼がこの話しは本当に”びゅーてぃふぉー”と言っていたので、私も楽しみに読みました。お話はこう、、、インドで」動物園を営んでいたパイ君の家族。ある日、カナダに移住することになり、何匹かの動物と一緒に日本の船に乗って、カナダに向けて出発します、、、。そして、その船は残念な事に沈んでしまうのです。そして、ライフボートに乗れたパイ君だけれども、そこには他にも乗客が、、、。それは、ベンガルタイガーのリチャード・パーカー、そしてオラウータンに、シマウマ、ハイエナ。ものすごく大きいとは言えないライフボートに、これだけの動物とパイ君。さて、彼はどうなるのでしょう????後は皆様が読んでからのお楽しみに。そして、コリン君は、次に読む本としてPaulo Coelho の"The Alchemist"を、私にプレゼントしてくれました。これは、カナダに行く飛行機の中で読もうと、まだ読まずに取っています。日本語訳の本の方には”夢を旅した少年”なんてタイトルも付いてますからね、、、。とても楽しみ。そして、さっきから読み始めたのが、"Burned Alive"生きながらにして、ガソリンをかけられ火をつけられた女性の話し。どうしてそんな事になったか?って言いますと、それは彼女が恋をしてしまったから。17歳くらいまでには結婚をしなければ、バカにされる村で育った彼女。女に学問は必要ないと、学校にも行かせてもらえない女性達。唯一、彼女達が夢見ることは、”結婚をすること”そして、彼女は恋をし、罰としてガソリンをかけられ火をつけられた。それでも彼女は生きている。こんな怖そうなの、読まない方が良いよ~と、心の声が聞こえてくる。(まだ、今の私には、残酷な場面や病気や病院、事故、死、そんなものが、ものすごく心に影響を与えているから。)でも、未だに男性優位社会に翻弄される女性達がいるのも事実。それを少し知れたら良いな、、、と思って、読み始めたところ。もうひとつ、平行して読み始めたのが、”プリズンホテル”ヤクザがリゾートホテルを経営。なんだかおもしろそう!と思って、、、。実際、読み始めたばかりだけど、ものすごく面白い。(Shimaさん、この本があなたのところに行く予定!)
2006.08.14
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私としたことが、、、スゴイ!!!!今朝、3時まで友達と飲みに出ていました。あれ、、、アレルギーは?って?今朝、起きたらきっと凄いだろうな~と思っていたのですが、それが全然。一体どういうわけなのだかわかりません。たぶん、私とJの家は、町中にあるにも関わらず、隣にとても大きな公園があって、木々が沢山あるのに対し、実家は田んぼのそばで、稲がすくすくと育っているからかもしれない、、、う~ん、、、。ところで、最近の私はと言うと、12時半まで起きていられるかどうか?と言うくらい、早寝早起きなので、正直、さ、帰りましょう!と、時計を見た時にびっくりした。私だって、友達と楽しく話しをしていると、こんなに遅くまで起きていられるんだ~!とウレシくなった。実は、この早寝早起きの習慣と、なんだかあまり楽しいと思えない毎日のせいで、カナダ旅行で一緒に行く生徒さん達と、思いっきり楽しめるかどうか、とても不安に思っていたところだったのです。時差ボケしまくって、疲れて疲れて、ホテルで休みたい、、、、と思いながら、色んなところに行くのかな~と、カナダに行く日が近づけば近づくほど消極的になってきていたのです。本気で、”どうしよう、私が楽しくなくてエネルギーがなかったら、この旅行は大失敗だ~!”と、行く前から悪い状況を想定していた私。しかも、それは自分の体力のせいだ!と、思い込んでいた私。なんだか、昨日の夜は自信を与えてくれた、よい夜になった。そして、私がエナジェティック(energeticですね。エネルギッシュ)でいられるのは、心の持ちようだ、、、と教えてくれた夜だった。昨晩の同行の友は、おなじみクリス君(仮名)と、彼の友達サチヨちゃん(仮名)、そして私のピアノ科時代の友達で、フレンチホルンが専門だったなおちゃん。この、サチヨちゃんが、とてもパワーのある人で、彼女と話しが盛り上がって私が楽しく過ごせたのか、というと、そうではなく、彼女が私の周りにいる今現在、仲良くしている人達とは全然違うタイプの人だったから、その彼女の話しを聞いているだけで、あっという間に時間は過ぎてしまった。どうしてだかわからないし、今考えても、とても不思議なのだが、では、彼女がものすごく面白い興味をそそられるような話しをしていたか、、、というと、本当に全然だった。だのに~、な~ぜ~?もしかしたら、それが大変、新鮮だったのかもしれない。もしかしたら、私にはそういう人が、必要なのかも?!、、、と、今思い始めている。それは、私の世界が狭くなっていっていた証拠だったのかも!そして、何より、話しがそんなに噛み合うわけではないから、私は聞き役に徹していたのだが、それもまた、全然嫌ではなかった。退屈してなかったから、あんなに長く遊んでいられたのだと思うし、、、。ふ~ん、、、発見だ~!サチヨちゃん、ありがとう!と言いたい!さて、そんな中でも、クリス君と恐妻家、亭主関白の話しになり、それは私に楽しい思い出を思い出させてくれた。なぜそんな話しになったかと言うと、最近このクリス君は、あの作戦で成功し、デイトするようになった彼女と別れた原因を話していたからだった。彼女は、私も気がついてはいたのだが、大変にBossy(威圧的?何でも命令する)な人で、クリス君に色々とお願いする割には、彼女の方も努力が至っていない、、と言うのが、いつもひしひしと伝わってくるような人だった。それと、物事が、彼女の計画通りに進まないと、それはそれはクリス君が大変な目に合うのであった。(でも、彼女は面白い人で、ユーモアもあるので私はとても好きである。)そこで、クリス君曰く ”彼女にはM君(私達の友人イギリス人で、優しさナンバ-1のような人)のような人が合うのだと思う。”私 ”えっ、そうかな~?”クリス君 ”だって、M君っていつも奥さんの言いなりじゃない!彼自身もいつもいつも、僕ん家は奥さんの方が主導権握ってるって言うし~!”私 ”あ~、そうね~、確かにそうかも。ところでさ、私とJ、どっちが強かった(主導権を握ってた)と思う?”クリス君 ”実はね、珍しく君たちはどっちも主導権を握ってないよね”私は、この言葉でものすごくウレシくなった!だって、それが私とJが目指す夫婦のあり方だったから。いつもお互いがイコールであること。クリス君 ”でもね、ひとつ、すっごく印象深い話しを覚えてるよ。でね、それはあなたのものの言い方がすっごく上手だな~と思った事なんだけどね。Jがね、”Munch(私の事)がさ、”私が、今日のご飯、何が食べたい?”って聞いたら、Jは”チキンカレーが食べたい”って言うんだよ!いい?いくよ~!って言って、”J、今日のご飯、何が食べたい?”で、僕はさ”チキンカレー”って言わないといけないわけよ!彼女は、上手く僕をmanipulate(操る)するんだよね~って言っていたよ”すっかり、そんな事は忘れていた。でも、私は、ホントに時々この手を使っていただけに、おかしかった。絶対にJが”嫌だ!”って言うだろうな~、でも、やって欲しいな~と思う時に、直接的に”Munch!(私達はお互いにMunchと呼び合っていた)あれやって!これやって!”と、言うのは、私は好きではなかった。でも、どうしても、Jにそうしてもらいたい時に使っていた手だった。一緒に行きたいショッピングの時なんかが特にそう。彼はショッピングが好きではなかったので、無理に誘うのは、Jに彼の嫌いな事をさせる事になるので嫌だと思っていた。だから、どうしても一緒に行きたい時に”Munch、私がショッピングに行こうって言ったらOKって言ってね。いい?”(結局、無理に誘ってるし!)もちろん、"No! I am not gonna say that!"(嫌だ!言わんよ、そんなこと!)と、言われる時はあったけれど、、、。でも、すっかり忘れていたことを、クリス君から聞いてうれしかった。毎日の生活は、本当に本当に幸せで楽しかったのに、今はまだ思い出せないでいる事の方が多い事を痛感させられた。日々の何気ない生活が、楽しかったな~。それを忘れたくなくて、書き始めたこの日記だったのにね、、、。
2006.08.13
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これがまた、ひどいのですよ。どういうわけだか、かれこれ3週間くらいにはなりますでしょうか、、、。ハナタレ女と化しているわたし、、、。一番ひどいのは、朝。目が覚める瞬間、鼻がむずむずしてハ~ックション!と号砲5連発ほどして、ベッドの中に入ったまま、鼻をかむ毎日。だいたい、ちょっとお掃除をサボると、私の鼻センサーが”掃除しろ!”と、くしゃみをすることがあったのだけど、そうだと思い散々掃除しても、毎日続いているところを見ると、もう埃に対するアレルギーではなさそう。さては、稲に穂が付いてきているからか、、、とも思ったけど、3週間前からだから、違う感じ、、、。ようやく重たいおしりをヨッコラショとあげて、お得意の(?)アロマテラピーの本を開いて、アレルギーの章を読むと、なんと、思い当たる事が!”過度のストレスが、アレルギーを引き起こす”これでしょう!これまで、私のストレス体験によると、あのような過度な長期的なストレスがたまると、だいたい、ヘルペスができたりしていた。でも、今回は、珍しく”できないな~!”とは思っていた。パニック発作も出そうだった、、、でも、乗り切った。と、言う事は、この変なアレルギーはやっぱりストレス?ふ~ん、、、午後にはハナタレは治るものの、鼻が詰まった感じがいつもある。声もすごい鼻声だし。鼻が詰まった状態で、飛行機に乗ると離陸・着陸の時に耳が聞こえなくなってしまった経験があって、大変怖かったので、それだけは避けたい、、、それで、、禁酒!気が付くと、お酒を飲まなかった翌朝のアレルギーは大したことがない。かわいい、お上品なくしゃみで終わる。よし!禁酒!今日で2日目。明日の朝が楽しみ。これで、またすごいくしゃみが出て、ハナタレになったら、明日からまた飲むぞ!
2006.08.10
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