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松山市北条米之野の段々畑では、今年もお彼岸中日に沢山満開の曼珠沙華が咲き乱れていました。 仏さまとあなたの心が一つになれるときが、少しでも多くなるよう歩んでみましょう(仏道)。 【全日仏「仏教ポケットカード1「ありがとう」】より引用
2008年09月23日
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お互いに支えあい、生かされている生命の有り難さを忘れず、すべてのものへ正しく心やさしい行いをしましょう(布施)。 他へ正しい思いやりある行いが自然にできたとき(利他)、仏さまの心とあなたの心が一つになれるのです(自淨)。
2008年09月22日
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「わたし」が「おれ」が、という「「我欲(自我)」におぼれてしまう心を常に振り返り(懺悔)、 明るく正しい(知慧)、思いやりあふれる(慈悲)、仏さまの教えに帰りましょう(帰依)。
2008年09月21日
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「ありがとう」 こころやさしき人生を 毎年秋のお彼岸の楽しみの一つに彼岸花があります。お彼岸のはじめの日のことを「彼岸の入り」と呼びますが、今年も彼岸の入りにはぽつぽつと彼岸花が咲き、それにしても彼岸花ってどうしてこんなに律義にお彼岸に必ず咲くのでしょうか? 多くのいきものの中でにんげんとしていのちを授かり、おしゃかさまのおしえ(仏教)にめぐりあえたことに、喜びと感謝の気持をもちましょう。秋 彼 岸 青く澄み渡った秋空に彼岸花の赤い花が映える季節になりました。 彼岸花(曼珠沙華)は少し変わった植物で、開花期には葉がなくなります。葉がある時に花がなく、花がある時に葉がないことから、「葉見ず 花見ず」とも呼ばれます。お隣の韓国では、葉は花を思い、花は葉を思うことから彼岸花を「相思華」というそうです。 葉と花は同時に生きることがなくても、お互いを思いやる。これはお墓に眠るご先祖さまと、今を生きる私たちの関係にも重なるものがあるのではないでしょうか。 お墓に眠るご先祖さまは、わたしたちの安穏な暮らしを願いやさしく見守ってくれています。そして私たちは、ご先祖さまから受け継いだいのちに感謝し報恩の祈りを捧げます。 私たちは花なのでしょうか、葉なのでしょうか。いずれにせよ、葉のこころを知る花でありたい、花のこころを知る葉でありたいものです。 ・・・・(日蓮宗新聞9月10日 2014号 P1より引用)
2008年09月20日
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『人生の絨毯ハタ織り』 そうと気付けば【仏様の教えは宇宙に張り巡らされた真理の縦糸】 機(はた)を織るには先ずこの縦糸を張り次ぎに横糸を織り込んでいきます。この事から縦糸は常に真っ直ぐに通った道・即ち不変の道理という意味に転じ教えを表す書物を経と呼ぶようになったのだそうです。そして糸を織り込むのは、今生かされている私達?、 どんな真理でもそれを活用する者がいなければこの世には現れません。そしてそのバラバラな横糸を纏めてくれる縦糸の仏様の心は私達に信仰の機織りを託されているのですね。 日蓮聖人は釈尊の悟りの世界が妙法蓮華経の五文字にあるとし、南無妙法蓮華経と唱えるべしと、教えられました。 エネルギッシュなハスのパワーを更に貰って、絨毯のようにバラバラな横糸を纏める縦糸となる法華経(太陽と蓮華の教え)をに心に仏様とのご縁を結び、それぞれの人生模様を織り込んで参りましょう。
2008年09月17日
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平成8年11月には遠く遥かな国・仏教の郷「憧れの天竺」法華経の聖地である印度へ1週間程行って参りました。インドの国土は日本の9倍ですが、人口も9倍です。その主な宗教は、ヒンドゥ-教徒が82%でイスラム教徒が11%。シーク教・キリスト教がそれぞれ3%で仏教徒は〇.7%にも満たないように聞いておりましたが、実際にインドに行ってみると形としての仏教は無くなったようだが、その生活の中にお釈迦様の教えが今なお生きている事を感じました。何故なら82%ヒンドゥ-教徒のその又80%の方がお釈迦様は神様の九番目最後の生まれ変わりとしてお釈迦様を信仰の対象として礼拝して仏教は今も生活の中に生き続けているのです。先ずインドへ行く時に、エア・インディアの飛行機に乗りますと、美人のインド人スチュワーデスが合掌して「ナマスティ(南無の語源)」と言って迎えてくれます。この言葉は「今日は」でも「いらっしゃい」とも「お早う」とも「有り難う」でも、何でも良いから挨拶する時に使うのだそうです。あらゆる人々が合掌して語りかける時、ああお釈迦様を生んだ有難い国だなあ、としみじみ感じました。 日蓮聖人が身延山で弟子門下のために合掌について講ぜられたお言葉によれば「合掌とは法華経の異名なり」とあります。つまり、この合掌の両手を広げた5本の指の節は各14本あり、両手を合わせれば28本、つまり合掌は法華経一部八巻28品となります。お釈迦様の説かれた沢山のお経で法華経は一番有難いお経です。 その法華経は全体が28章で構成され大きくは2つに分けることが出来ます。前半の14品を迹門と言い、その中心が方便品第二です。後半の14品を本門といい、その中心が如来壽量品第16です。皆さんご存じの自我偈はその中にあります。まさに合掌とは法華経の異名なり。
2008年09月16日
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先に掲載した「妙法蓮華経」の原名は、サッダルマ プンダリーカ スートラと言い、このプンダリーカの部分は「白い蓮」で最高の形容詞、スートラはお経の意味。 つまり妙法蓮華経とは、妙なる蓮華の教え。仏教の象徴は蓮華。仏の花、仏花は蓮華である。花はどの花も美しい。めでたい花がある。花の中の花、大王の花が蓮華である。法華経は諸経の王、大王経だから、妙法蓮華経と名付けられた。 日蓮宗ポータルサイトHP『今月の聖語』(6月号)もご参照下さい。 お経と云えば仏様の教えのことです。でも〈 経・ケイ〉という字を辞書で引くと、ちょっと違った意味に出会います。それは〈タテ糸〉という意味、布教という言葉の元になる縦糸の事です。横糸は〈緯・イ〉と言います。現在でも地球上の位置を示すのに経度・緯度という用語にもこの漢字が使われていますね。 さて機(はた)を織るには先ずこの縦糸を張り、次ぎに横糸を織り込んでいきます。この事から縦糸は常に真っ直ぐに通った道・即ち不変の道理という意味に転じ教えを表す書物を経と呼ぶようになったのです。と、大興善寺の界明ご住職の法話、次ぎに訪れた西安絨毯工場で初めてその横糸が1本々がバラバラなのを見て更に驚きました。 詳細は、鳩摩羅什三蔵法師法華経漢訳1600年団参報告へ
2008年09月15日
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この華(はな)は、どうして泥の色に染まらないのだろう?。 善い人に会って考えらされ、悪い人に会って反省する。 善悪ともに有り難う!。 笑うことは共鳴すること、受け入れること、肯定すること。 笑うことは喜ぶこと、人生を楽しむこと。 勿体ない、有り難い、この心を忘れずに、いのちに合掌。 恩師田中守道先生の写花随想 このコーナーは「花を撮る(写花)」についてのエッセイをシリーズで掲載されてます。 興味のある方は読んで見て下さい。きっと貴方の「写心」が変わります。約束します。 もし変わらなければ、それは貴方が頑固一徹の超一級品の心の持ち主だからです。「写心」は知識やテクニックで変わるのではなく、考え方で変わるのですから・・・・・。
2008年09月14日
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日本に自生するスイレンは、ヒツジグサと呼ばれる小ぶりの白花、未の刻(午後2時頃)に花を開くので、そう呼ばれたらしい。 スイレンは復活の象徴 スイレンは花が終わるとハスのように花弁が散るのではなく、花弁を閉じて水に沈む。その様子がまるで眠るように見えることろから「睡蓮」という漢字があてられた。古代エジプトの人々は、花が終わると水中に姿を消し、朝に再び新たな花を次々咲かせる姿を復活の象徴と見た。 その為、蘇生を願ってピラミッドのミイラに添え、神殿の柱に紋様として刻み、神への供物とした。一日三回ほど閉じたり、開いたりを繰り返し、その様子がいかにも眠っているように見えることからだとか。そういえば花の開き方が様々でした。また花の命はよく持って4日、早ければ2日で散ってしまうのですが、蕾の数が多いので長期間咲いてるように見える。初夏の風にゆったりとそよぐ蓮と水面に情緒を添える睡蓮が秘める歴史と浪漫・・・ 来年は暫し水辺に佇み、その清らかな美しさに心を傾けて見ませんか。今治市・市民の森・フラワーパークにて撮影毎夏法善寺境内でも小さな睡蓮鉢で可愛い睡蓮が毎日少しずつ咲いております。 花言葉(純心・清浄)花期は5月~10月まで
2008年09月13日
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京や奈良の寺で、多数のハスが育てられているのも、ごく普通の情景となっています。しかし、この「蓮華」という言葉ですが、実は単にハスを指す言葉ではないようなのです。仏教は言うまでもなくインドで生まれたものですが、インドで書かれた仏典が中国語に訳される段階で、もっと細分化された植物名が、「*蓮華」と統一され、また紅蓮華や白蓮華などさまざまな蓮華の区別は、あまり一般的な説明でなされることは無いため、単に「蓮華」という言葉だけが広まったようです。 実際の梵語仏典では白いハスや赤いハスは別ものとして書かれており、またそれぞれ異なる意味も与えられていたようです。先に書いた「妙法蓮華経」の場合、サンスクリット原文は、サッダルマ プンダリーカ スートラといい、このプンダリーカの部分は「白いハス」の意味です。 現在ではその白という部分が省略され、単に蓮華となったわけですね。ちなみに赤いハスは梵語でパドマといいます。・アジアの多くの国々の国花ともなっている。 ・仏教では西方浄土の極楽は神聖な蓮の池、と信じられているため、昔から寺の境内にハス池をつくって植えるようになった。また多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し、仏像の台座や仏具にもその形がよく使われるのは、(”レンゲ草”ではなく、こちらの「蓮」です)因みに古代エジプトで神聖視されたのは、蓮(ハス)ではなく、熱帯睡蓮(スイレン)です。 仏典にも4種の蓮華が登場するが、2種はハスで残りの2種はスイレンともされ、仏教とは無縁ではない。
2008年09月12日
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七つのハスの教訓 このシンボルフラワー【 蓮 華 】には重大な教えが隠されてます。1、七浄華の教訓 七歩の足跡から咲いた七種の蓮華は、戒浄華・心浄華・見浄華・断疑浄華・分別浄華・行浄華・涅槃浄華という悟りの世界に達するための七種の正常なる行を蓮(はす)の華(はな)で表現した。2、七回生まれ変わって耐え忍べの教訓 蓮の種子は耐え忍びのシンボルです。また七歩は七回生まれ変わる輪廻転生の教えです。千葉県の考古学者大賀博士は、弥生時代の蓮の種子の化石に水をやり、みごとに華を咲かせ「大賀蓮」とか、「古代蓮」と命名されていますが、蓮の種は土の中でじっと耐え、水がくるまで何千年間でも耐え忍ぶ性質があります。人生も辛抱が肝心です。お釈迦様はパトナーというところで、「人間は七回生まれ変わる。この輪廻転生の間に必ず解脱する事ができる。」と人生にとって耐え忍ぶ事の大切さを教えています。3、華果同時の教え 蓮の華は、華が咲いたのと同時に果実(種)がなっています。これを華果同時(ケカドウジ)と言います。即ち仏法に接したとたんにご利益があるという教えです。4、人生のはかなさの教訓 蓮の華は三日咲きです。第一日目が三分咲き、二日目が七分咲き、三日目が満開、そして四日目には華は散ります。同様にサラの花は生涯に一日きり咲きません。人生の儚さを表現しています。5、泥水に染まらない教訓 「不染世間法、如蓮華在水」妙法蓮華経『従地涌出品第十五』 蓮の葉は汚い泥水をはじいて、染まらず美しい華を咲かせます。人間も世間の泥水に染まらないで、浄よく美しく生きなさいという教訓です。6、飢饉の非常用食料としての教訓 お釈迦様はクシナガールでいよいよご入滅される時に、食料調達係りの弟子アヌルダに最後のご遺言をされます。アヌルダの先祖は飢饉を救った功績があり、その事をきっかけとしてアヌルダは出家したと言われています。「私が死んでから2500年後に、人類は大変な食糧危機に見舞われるから、このサラの実と、蓮の種を非常用の食料として保存させなさい。」というものでした。7、平和の象徴としての教訓「蓮は平和の象徴であるばかりか、平和の結果としての繁栄・豊穣をも象徴し、しかも、安寧ゆえの堕落を警める品格が具わるので、平和の象徴として最適である」また、2000年蓮(大賀ハス)の開花で有名な大賀一郎博士も、「ハスは平和の象徴なり」の標語を掲げて蓮の研究に没頭されていたのです。 今、世界は自然環境のみならず、テロや戦争という最も醜い人間同士の争いで、人類自ら滅亡の危機を招こうとしています。「蓮は平和の象徴」という、先達らの崇高な想いに謙虚に耳を傾け、人類全てが同胞であるというグローバルな視野を持たなければならないのではと強く感じます。守道先生「蓮は平和の象徴です」より抜粋引用させて戴きました。
2008年09月11日
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仏典に登場する蓮華 蓮という言葉を聞いて、一般の方が連想するイメージといえば、やはり仏教でしょう。泥の中に根を張りながら、泥にまみれることなく美しい花を咲かせる姿が、仏教の教えと一致するとされ、実にさまざまなところで「蓮華」が登場します。たとえば、仏像はハスの花を象った蓮台に座っていますし、真鍮の大きな蓮華、観音像が手にされているのも蓮華の蕾である。釈尊にまつわるハス伝説 釈尊が母親の摩耶夫人の体内に宿った時、あらゆる霊薬もつ蓮華が花開き、月満ちれば再び大地から大きなハスが開いた。 お釈迦様がルンビニーでご生誕された時に、産湯を使われた池に、蔡華(サイカ)というおめでたい蓮の花が沢山咲き、その花の上に蔡亀(サイキ)と呼ばれる年齢一千歳の亀が乗って誕生を祝ったそうです。 またお釈迦様は生まれるとすぐに七歩あるいて、天上天下を指差して「天上天下唯我独尊」と叫んだと言われています。誕生間もない釈迦はこの花の上に立って「天上天下唯我独尊」と第1声を放たれたとされ、極楽にあるハス池では車輪程の色とりどりの花がたとえようのない芳香を漂わせていた。お経によれば、その七歩の足跡からもきれいな蓮華が咲いたといわれ、蓮華が佛教のシンボルフラワーになっています。 また、お釈迦様は八十歳でクシナガールで、サラという木が二本ある根元(沙羅双樹)で、北枕(故郷ルンビニの方角)で、右を下にしてBC486年にご入滅されましたが、このサラの花も佛教のシンボルフラワーになっています。
2008年09月10日
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水辺彩るハス-涼感に浪漫を求めて ハスは私たち日本人の暮らしになじみが深い。仏教の影響は勿論のこと、レンコンは見通しがきく縁起物の野菜としておせち料理に欠かせない。「一蓮托生」や「はすっぱ」(蓮葉)」など、生活に根付いた言葉も見受けられる。その名は、実のなる部分が蜂の巣に似ていることから「ハチス」、それが転じて「ハス」となったようだ。種皮が固く、傷を付けて発芽させるそうだが、その堅き故に長い年月を地の底で眠ることもできたのだろう。 その中国では、ハスは花の中の「君主」として、王侯貴族の庭園には必ず植えられ、装飾画にも描かれた。実は強壮剤として珍重され、泥沼にあって清らかな姿を保つ花は、清純な美そのものであった。唐の玄宗皇帝は楊貴妃をハスの美しさと比べて「解語の花(人の言葉がわかる花)」と称えたほどだ。旅達会員専用村さんの旅達空間・中国旅行記も参照下さい。
2008年09月09日
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「心の処方箋」 疲れること・・・誰にもありますね。いつも元気でいるのが、理想なんですけど、やっぱり、疲れてしまうのは、人間仕方のないことかと思います。 そういう時でも、ニコニコと笑顔でいられれば、幸せなんでしょうけどね。まあ、疲れた時は無理せず、ゆっくりと休んで、先ずはハスの写心を見て心の持ち方を替えてみましょう。 守道先生蓮写心作品ギャラリー
2008年09月03日
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思いやりの一言は 相手の心を温かくする。 先の医座寺さんのブログ『古代ハスと光定』より>「愛媛新聞(6/27)に、「日替わり ピンクの美のタイトル」として、古代はハスの記事がカラー写真とともに掲載された。何でも「大連」で出土した、約1000年前のハスの種が、1996年観光訪問団から松山市に贈られ、その後市農業指導センターが発芽に成功させたそうだ。・・・・・」 を、拝見して、8月8日お盆の棚経中に、農業指導センターへと早速に訪問をしました。親株の立派な古代蓮を見たかったのですが、残念ながら現在はその時の種のみしか有らず、仕方なく子株ハスの有ると言う考古館へと午後に訪れて見ました。松山市考古館蓮情報 詳しい「考古館」の古代ハス紹介は、思いつくままに non nonさんのブログ『千年のロマン 大連古代ハス』をご参照して見て下さい。 先にご紹介をした「光定和尚」の詳細については、四国天台仏教青年会HP・「光定和尚紹介記事」へもぜひご訪問下さい。
2008年09月02日
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損得に心が向かっていると 他人の働きの尊さが見えない。「 忘 己 利 他 」 天台宗医座寺さんのHPへ伊予風早郡(旧北条市)出身僧、比叡山別当大師光定さん紹介HP「古代ハスと光定」・「忘己利他」北条仏教会主催「仏教文化講演会」報告ブログ※日蓮宗新聞掲載・一口説法「別当大師光定和尚」小生記事
2008年09月01日
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