さるのちえ

さるのちえ

2010年03月05日
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カテゴリ: 伝統文化芸能
 正面の暖簾口(のれんぐち)から「いやだ、いやだ」と大声が聞こえ、やがて、浴衣(ゆかた)がけの湯上り姿で頭へ濡れ手拭(ぬれてぬぐい)をおいた「かんぺら門兵衛(もんべい)」が遣り手(やりて)のお辰の首筋をとらえて出てくる。門兵衛は意休の子分の一人である。風呂に入って女郎たちに背を流させようとしたが、だれも来ないので湯にのぼせたと怒っている。

 その騒ぎの最中、下座の音楽が急調子となり、花道から、うどん屋・福山の担ぎ(かつぎ・出前持ち)が登場。往来で立ちはだかって因縁(いんねん)をつけている門兵衛に、うどんを入れた箱をぶっつけてしまう。平身低頭(へいしんていとう)謝る担ぎに門兵衛は八つ当たりし、怒鳴りちらす。下手(したで)に出ていた担ぎは、「どうでも勝手にしろ」と地べたにあぐらをかく。

 「廓(くるわ)で通った福山の、暖簾(のれん)にかかわることだから、けんどん箱の角(かど)だって、言わにゃあならねえ喧嘩好き、出前(でめえ)も早いが気も早え、担ぎが自慢の伸びねえうち、水道(すいど)の水で洗い上げた、胆(きも)の太打ち(ふとうち)細打ちの、手際はここで見せてやらァ。憚り(はばかり)ながら、こう、緋縮緬(ひじりめん)の大巾(おおはば)だァ」と、啖呵をきり、両手で縮緬の下がりをひろげて反り返る。新進気鋭の若手の役者か、助六役の後継ぎが演じる慣わしになっている。気持ちのいい役である。

 これを聞いて、いよいよ門兵衛は収まらない。「耳の穴をかっぽじって、よく聞けよ。これにござるが俺(おら)が親分、通俗三国志(つうぞくさんごくし)の利者(きけもの)、関羽(かんう)、字(あざな)は雲長(うんちょう)、髭(ひげ)から思いついて、髭の意休殿。その烏帽子(えぼしご)に、関羽の関をとって、かんぺら門兵衛、ぜぜ持ち様だぞ」と威をはるが、助六は「ゆわれを聞きゃァ有り難い(ありがてえ)が、こんたの長台詞(ながぜりふ)のでうどんがのびる。早く行け、早く行け」と、うどん屋を促す。門兵衛は頑として聞き入れない。

 助六は「ははあ、貴様、ひだるな(腹が減っているの意)。ちょうどよい時分に担ぎが来たので、一杯やろうというのだな。はて遠慮深い男だ。俺が振る舞ってやろう」と、担ぎからうどんを受け取り門兵衛の鼻先へつきだすが、「俺(おらあ)いやだ」と駄々をこねる。助六とやりとりがあるが、とうとう「どうとも勝手にしやがれ」と門兵衛の頭へうどんをぶっかける。

 担ぎは、それを見て「ざまあ見やがれ」と捨て台詞を浴びせて退場。そこへ、「親分、親分」と言いながら、門兵衛の子分・朝顔仙平(あさがおせんぺい)が出てくる。うどんをかけられた門兵衛は斬られたと早合点している。仙平が調べても、どこにも怪我はない。この二人が助六に立ち向かうが歯が立たない。

 門兵衛が着替えに奥へ入った後、仙平は助六に向かって名乗りをあげる。「やい、青二歳め、三歳野郎め、仔細(しさい)らしいやつだ。およそ親分に刃向かう奴は覚えがねえ‥。この上はこの奴が料簡ならぬ。おれが名を聞いて閻魔(えんま)の小遣い帳にくっつけろ。ことも愚かやこの糸鬢(いとびん)は、さとうせんべいが孫、薄雪(うすゆき)せんべいはあらが姉、木の葉せんべいとはゆきあい兄弟。塩煎餅が親分に、朝顔仙平という色奴さまだ」と名乗り、助六に向かうが、手もなくやられてしまう。

 門兵衛も出てきて、「重ね重ねの曲手毬(きょうでまり)、ウヌはまあ、何という野郎だええ」と詰め寄ると、じっと目を瞑る(つむる)助六は、カッと大目玉を剥き、「いかさまなあ、この五丁町へ脛(すね)を踏込む(ふんごむ)野郎めら、俺が名を聞いておけ。まず第一におこり(マラリア性の熱病)が落ちる。まだいいことがある、大門をずっとくぐるとき、俺が名を手の平へ三遍(さんべん)書えて嘗めろ(けえてなめろ)、一生女郎に振られるということがねえ。

 見かけは小さな男だが肝(きも)は大きい。遠くは八王子の炭焼き売炭(すみやき・ばいたん)の歯っ欠け爺(はっかけじじい)、近くは山谷(さんや)の古やり手(ふるやりて)、梅干婆(うめぼしばばあ)にいたるまで、茶飲み話の喧嘩沙汰(けんかざた)、男伊達(おとこだて)の無尽(むじん)の掛け捨て、ついに引けをとったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪(かみ)は生締め(なまじめ)、そうれ刷毛先の間(ええだ)から覗いてみろ。安房上総(あわかずさ)が浮絵のように見えるわ。



 初演のニ世團十郎が「外郎売」(ういろううり)を勤めたとき、上方の客が意地悪く、つらねを先取りしてしゃべったとき、ニ世は直ちにその長台詞を逆から言って、上方の客を沸かしたというエピソードがある。

 助六のこのつらねは、劇中もっとも酔うところである。最後の「面像拝み」で、右足を踏み出し(ここで、門兵衛と仙平の二人が左右に尻餅をつく)助六は拳(こぶし)を握り、顎(あご)の下から「カッ、カッ、カッ」と拳をこきあげ、息を吸う荒事特有のこなしから、「奉れッ、べー」と、叫んで、ツケを入れた大見得となる。

 二人は白刃を抜いて斬りかかるが、助六の相手ではない。たちまち刀の長さを測られて、峯打ちにされてしまう。「寄りゃあがると、叩っき殺すぞ」と白刃を振り上げ、左で褄(つま)をとって見得をきる。傾城たちが「助六さん、大当たり。ヤンヤ、ヤンヤ」と囃す。

 助六は、子分がやられているのを見ていた意休に「そこな、撫付けどん(なでつけどん)、此方(こんた)の子分という奴は、みんなあの通りだ。定めて、此方料簡(りょうけん)なるめえ。斬らっせえ、どうでんすな。なぜものを言わねえ、(ここで「差別語」があるが、現在では言わないようにしているようである)はて、張り合いのねえ、猫に追われた鼠同然、チュウの音(ね)も出ねえな」とけしかける。

 しかし、何故か意休は黙殺している。助六は「可哀や(かわいや)こいつ、死んだそうな。どれ俺が引導(いんどう)を渡してやろう」と、下駄を脱いで、意休の頭上にのせ、「如是畜生菩提心往生安楽(にょうぜちくしょうぼだいしんおうじょうあんらく)いよお、乞食(こじき)の閻魔様(えんまさま)め」とけしかける。意休は頭の下駄を投げ捨て、たまりかねて刀の柄に手をかける。助六は、ここぞとばかり「さあ、抜け、抜け、抜け、抜かねえか」と詰め寄るが、意休は「抜くまい」と刀を納める。意休は「鶏(にわとり)を裂くに、なんぞ牛の刀を用いんや」などと、わざと平気を装うて、子分どもを引き連れて意休は奥へ入る。

 入れ替えに若い衆が助六にかかるが、みな花道へ逃げてしまう。そこに一人の男が座っている。助六は「口ほどにもねえ、弱い奴らだ。どりゃ、揚巻の布団の上で一杯やろうか」と、暖簾口へ行こうとすると、その男が「兄さん、兄さん」と呼ぶ。

 「兄さん、ちょっと待ってもらいましょう」「何だ、兄さんだ。しゃれた奴だわええ、ここへ出やがれ、男伊達の総本寺(そうほんじ)、揚巻の助六だぞ、エエ、つがもねえ」と、足をポンと蹴り上げて花道のほうへ行く。「もし、男伊達の総本寺さま、ちょっと待ってください」「こいつ、俺をバカにするな。悪く傍へよると(そばいやがると)大ドブへ浚い(さらい)こんで、鼻の穴へ屋形船(やかたぶね)蹴こむぞ、コリャまた、なんのことったい」という。

 花道に座り込んでいる新兵衛を発見し、襟を掴んで舞台のなかに連れ出す。浅黄の頭巾(ずきん)、浅黄の石持ち、大和柿色(やまとがきいろ)の袖なしを着た優男(やさおとこ)が「わしでごんす」と言うのを見て、「こりゃ、兄じゃ人ではござらぬか」と、助六は驚く。白酒売りの新兵衛である。弟・助六の噂を聞いた兄・新兵衛は意見をする。

 この「助六」の芝居は「曽我兄弟」をモチーフにしている。二人の兄弟は父・河津三郎(かわずのさぶろう)が不慮の死を遂げた後、源家の重宝・友切丸(ともきりまる)を奪われた。新兵衛、すなわち、兄・祐成(すけなり)は「こなたはどう心得ている。このほどより、この廓に入りこみ、毎日毎日喧嘩ばかりをしやるげな。竹町で竹割にしたのは誰じゃ、助六。砂利場(じゃりば)で砂利へ蹴こんだは誰じゃ、助六。馬道で跳ね倒したは誰じゃ、助六。雷門で臍(へそ)をとったのは誰じゃ、ありゃ助六とまあ、烏の鳴かぬ日はあれど、そなたの喧嘩の噂を聞かぬ日とてはないわいなあ‥」と畳み掛けての意見をする。

 しかし、この喧嘩は親孝行のためと言う助六は「紛失(ふんじつ)の友切丸を一日も早く詮議(せんぎ)し、敵祐経(かたき・すけつね)を討ちたいと、千々(ちじ)に心を砕くも今日まで行方はしれず。幸い廓は人の入りこむところ、無理に喧嘩をしかけ、抜かねばならぬようにして、あれかこれかと詮議しているのでございます。訳もお聞きなされずに、今のようなお言葉。ああ、いややの喧嘩、許させ給え、諸仏諸菩薩(しゅぶつしょぼさつ)、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、喧嘩をやめて坊主になると言い出す。

 事情が分かり、新兵衛は助六に許しを乞う。しかし、助六はそっぽを向いている。「これはどうじゃ。田圃(たんぼ)から拝む観音様、後ろ向きとは曲がない」との言葉に、やっと機嫌を直し、「ならば、喧嘩をしても大事ござりませぬか」「大事ないとも。喧嘩はお前によく似合うておる」と持ち上げ、やがてはともに喧嘩をしようと言い出す。



 「そうこういううち、風吹烏(かざふきがらす)が来るわ、来るわ」と、二人が顔を合わせて、うなづきあう。唄入り、通り神楽(かぐら)の華やかな合方につれて、上手から廓通いの遊び人たちがやって来る。国侍が伴を連れてやって来る。助六は往来の真中に仁王立ちして「股をくぐれ」と言う。国侍は見上げると、いかにも強そうな助六に仕方なく、刀を草履(ぞうり)にとおして、股をくぐる。伴奴も同じようにくぐる。やっと済んだかと思うと、新兵衛が「股をくぐれ」と立ちはだかる。しぶしぶ、同じようにくぐる。花道へ来て、二人が悔しさを仕草で表して去る。

 次に通人(つうじん)と呼ばれる遊び人が来る。今回は「大サービス」で、勘三郎が付き合う。構わず、助六は「股をくぐれ」と両足を広げる。「吉原の真中で、股をくぐれとは、乙(おつ)なものでげすな、と申して、くぐらぬのもまた野暮(やぼ)でげす」とか、なんとか言って、おどけた芝居をする。ここは「なんでもアリ」の場であり、いわば「息抜き」の場面である。通人は当世流行の歌を歌ったり、香水を振り掛けたり、シャレや冗談をさんざん見せつける、いわばちょっとした気休めなのである。この通人は、亡くなった権十郎のが逸品であった。こ





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最終更新日  2010年03月05日 13時09分43秒
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