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2011年05月22日
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 篠突く雨の音が友雅を浅い眠りから揺り起こした。

(雨……)

 手近にある柔い温みをいつもの習いで抱き寄せた。主の求めに抗わない伽の温みを気のない手つきで弄ぶ。艶めいた小さなうめきがあがっても、友雅がそれに動かされることはない。それは単なる習慣に過ぎないから。

「あ……」

 若様、と呼ぶ前に友雅は伽をうち捨てた。立ち上がり、妻戸を押し開け、夜着のまま廂へ出た。
 激しい雨音と雨の匂いに満ちている。友雅は目を上げ、庭を見た。雨の中に混ざるかすかな香り……救いを求めるような。

(私を待って……いるのだろうねえ。)

 友雅は黙って部屋に戻った。几帳の外に控えていた伽に衣の用意を言いつけた。かしこまりましたと差し出された衣に袖を通し、友雅は後ろ髪を束ねた。

「出かけるよ。」



「この雨の中をどちらへお出かけですか、若様。雷まで鳴り出しましたが……」
「だからこそ出かけなくてはならないのだよ、約束をしたのでね。」
「では……」

 友雅を乗せた網代が動き出した。友雅は重ねた袖の端を少しばかり御簾の外へはみ出させた。女車の振りをして門番の目をごまかすつもりだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



(来てくださるのでしょうか。)

 几帳の陰で震える小さな影は、友雅の約束を覚えていた。

(まるで後朝の別れのようだと言ったらあなたの乳母殿に叱られそうですね。)

 あの夜、冗談めかして笑いながらこの単衣を脱ぎ置いていった、優しいけれど悲しそうな色の目をした人。怖いことがあったらこの単衣を抱きしめていなさい、その香りが消える前にきっとあなたを守りに来ましょうと言った。

(恋人をしょっちゅう取り替えるような人です。私との約束なんかきっと覚えてなどいらっしゃいません。)

 それでもこの小さな姫は単衣にくるまらずにはいられなかった。歳よりも大人びたこの姫は、怖いからと仕える者を呼び立てることをよしとしていない。大雨も鳴神もしばらくすれば去る。本当に危険なときは乳母も頼久もきっと助けに来る。怯えに取り憑かれるのは己の修練が足りないから。けれど、怖いものは……怖い!



 昼とも見まがうばかりに庭が白く光った。続いて地を引き裂かんばかりの雷鳴。

(ひっ……)

 叫びたくなるのをぎゅっと食いしばって堪えた。侍従の単衣をいっそう強く引き被った。ぴりと絹の裂けるような音がしたがそんなことは気にならなかった。今はとにかく、あの鳴神から、身を、守りたい。逃げたい。避けたい。

(怖い……!!)

 堪えきれない声が食いしばった唇から漏れる。堪えた分は涙に変わって目から溢れる。堰が切れたらもう我慢はできなかった。姫は泣き出した。激しい雷鳴は姫の声をかき消すほどだったから、姫はもう堪えることをしなかった。







 藤の馥郁とした香りが姫の目を覚まさせた。
 あの激しかった雷雨がなかったかのように外は穏やかな光に満ちているようだった。姫は潜り込んでいた衣からおそるおそる顔を出してみた。

(あら……?)

 確かに引き被り潜り込んでいたと思った衣は、明らかにはじめの物と異なっていた。なのに薫きしめられた香はあの衣と同じ匂いを漂わせている……あの衣よりも新しく濃く。

(何があったのでしょう……何も覚えておりません。)

 立て回した几帳は一つも変わらず、変わっているのは確かに隅で小さくなっていたと思うのに、中央に敷かれた寝衾に常と変わらず横たわっていたことだった。そして上からすっぽりとかけられていたこの衣。昨夜引き被いた衣は桜を思わせる淡い紅だったのに、今手にしているのは姫の好む藤の色を映したかのような紫苑色だった。

「お目覚めですか?」

 乳母が顔を出した。姫は尋ねた。

「これは?」
「あら、覚えていらっしゃらないんですか? 昨夜遅くにおいでくださいましたのに。」

 あの雷鳴の中を乳母を訪ねてきた振りをしてやってきたのだと乳母が話した。几帳の奥で震える姫を抱え上げて寝衾に運び入れ、懐深く抱きしめて何度も背をなでていたと。

「ご覧なさいませ。」

 文机の上に置かれた硯箱の中から、乳母が文をとりだして見せた。
 開けて読むなり、姫は耳たぶまで赤くなった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 土御門から文というので友雅は起き上がった。

(まるで後朝の文のようだね。)

 乳母にはその心づもりがあるのかもしれないなとちらり思いながら、友雅は文を開いた。彼の姫の言の葉が歳よりも大人びた筆跡で、しかし多少の動揺を隠しきれずに並んでいた。

(ふふ。)

 かわいいねと、友雅は文を文棚にしまった。文殻として捨てる気にはなれなかった。どういうわけでこんなに心にかかるのか不思議なほどだった。

(これを「縁」と言うのだろうかねえ……。)

 まだ年端も行かぬ少女だというのに。友雅は持ち帰った単衣を横目で見やった。桜色のそれは一部湿りを帯び、袖の縫い目がほころびていた。さぞかし怖かったのだろう、小さな手は血が出はせぬかと思うほどに固く握られ、友雅の力でも容易にほどけぬほどに強ばっていた。呼ぶまで来るなと言われていると手をこまねいていた乳母が狼狽するほどに蒼い顔をして、震えていた。我を失っている姫をどうしてあれほどに愛しく思えたのか。何か温かい、しかし恋よりもずっと持ち重りのする感情を、なんと呼ぶのだろう。

 我を失った姫を抱きかかえ、背をなでて添い寝した。清らかな乙女に暗い情欲など似合うはずもなく、寝息が穏やかに整うのを聞き届けて友雅は几帳を出てきた。激しかった雷雨もその頃にはすっかりなりを潜め、西の空低く輝く月がもの言いたげに友雅を見下ろしていた。

(目を離せぬとね。)

 誰が誰にと独りごちて、友雅は文机に向かった。今宵行くよとさらりしたため、昨夜自分を駆り立てた藤の花穂に引き結んだ。
友雅はぱんと手を打った。御前にと従者が顔を出した。

「使いをしておくれ。土御門の小さな姫君に。」。 

 どんな顔で出迎えてくれるのか楽しみだった。お出かけですかと女房が差し出す衣に手を通した。





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最終更新日  2011年05月22日 12時23分02秒
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