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テレビや新聞で大きく取り上げているから、皆さんもご存じであろう。青色発光ダイオードのメーカーを、元従業員が、発明に対する貢献度を認め、対価を払うよう訴えを起こし、地裁判決で、満額の200億円の支払いをメーカーに命じた。メーカーは、当然即日控訴した。そんなもん、払えるものか。まあ、そう考えるのが常識だろうな、今までは。 この件については、別のところ=私のホームグラウンドの『GAJIN』でも書いている。『GAJIN』表紙:http://www.geocities.co.jp/Bookend/7289/ 『コラム ゆうてもええかな』直接ジャンプアドレス: http://www.geocities.co.jp/Bookend/7289/geobook.html 私も、理系出身で、昔は企業内研究者の端くれであった。だから、その扱いはよく知っている。企業は、従業員を雇うとき、特許権から利益から、すべてを企業側に帰属させ、企業秘密という名目で、成果が外に出るのを縛る。そして、その対価としては、報奨金数万円と表彰状、場合によっては昇進や昇給(それも10%程度でしょ)を与える、という形だった。喩えて言うなら、企業は親で、従業員は子。その代わりに終身雇用を原則とする体制であった。 企業の論理もある。設備や資金、物的・人的資源を企業側が与えた上での発明だから、企業側がその利益を得る権利がある。今回の発光ダイオードの場合は、発明がユニークで、それがもたらした利益が大きく、また元従業員の独自の発想で、人的・物的資源に関して企業側の寄与が少なく、元従業員の貢献度を50%以上と認定したから、とんでもない金額になった。この貢献度に対して、企業側の貢献度が低すぎる、安定雇用と利益分捕りの二重取りは許せん、と。 しかし。時代は、すでに終身雇用が通用するものではない。理系の人間として、このような形で貢献度を評価し、対価を受け取るというスタイル、突き詰めていけばプロ野球選手のような年俸制契約という雇用体系になるのかも知れない。 いずれにしても、企業内研究者に陽の目があたるのは、嬉しいことである。
2004年01月31日
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病気になって、完治していないが病状が落ち着いたので、このたび職場に復帰することとなった。だから、スーツを買った。紳士服専門チェーン店で、年末バーゲン、スーツ二着目千円などという商売をするくらいだから、決して高級な店ではない。国道沿いにでっかい看板を出しているような店だから、ターゲットも一般サラリーマンであって、間違ってもブランドもののスーツなど置いているような店ではない。 それでも、スーツを買うとなると、一万円やそこらで足りるわけがない。店がターゲットとしている庶民層にとっては、大きな買い物である。その辺を考慮してか、スーツを買いに来た客には必要以上に丁寧だ。特に、買うものを一着決めると、さらに丁寧さがアップする。千円にしかならないスーツを、あれこれ出してきて勧める。もともと、着回し用に二着買うつもりだったから、あっさりと決まる。すると、店員の態度が、折り目正しくも、犬が尻尾を振って喜んでいるときのような、舞い上がった感じになる。私を、下へも置かぬように扱う。「お裾直しはいかが致しましょう」「長さはこれくらいでよろしゅうございますか」「はい、お疲れ様です、どうぞおかけになってお待ちください」「仲江様、ネームはお入れいたしましょうか」「失礼ですが、お直しはいつまでに、といったご希望の日はございますでしょうか」「はい、確かに承りました。当日、三時以降でしたら、いつお越しいただいても結構です」「仲江様、ワイシャツなどはお揃いでしょうか」 これだけ丁寧な扱いをされることがないから、わきの下から背中にかけてがむずかゆくなってくる。上客扱いをされるのが面はゆくて、椅子に座っていても腰が浮く。さっさとカードで支払いを済ませ、さっさと帰ろうとドアに向かう。「ありがとうございました」 後から声が聞こえる。振り返ると、最敬礼である。尻のあたりがこそばゆくなって、さっさとドアをでた。「ありがとうございました」 ドアまでお見送りである。恥ずかしくて居たたまれなくなり、とっとと車に乗り込んで走り去った。 裾直しが済んで、取りに行ったときのこと。「仲江様、仕上がりを確認していただいてよろしいでしょうか」「このたびはどうもありがとうございました。こちらは入り口までお運びいたします」 スーツ二着を持ってドアまで行こうとする。「いいです」 一言言って、その場で受け取って帰った。ドアまでの十メートルを、いくら店員といえど、人に自分が買ったものを運ばせる根性はない。人に世話されるとか、かしずかれる、頭を下げられる、そういうことに慣れていないのだ。だから、人にそんなことをさせてはいけない、という気になって、自分がへりくだってしまう。 パソコンを買ったときもそうだった。これは重いから、台車で車まで運んでもらったが、帰るときに店員はドアで最敬礼。恥ずかしくて、逃げ帰った。 大きなスーパーやデパートに、開店時間に行くと、店員が通路に出てきて、「いらっしゃいませ」 と、お辞儀をする。通路の左右から、四十五度のお辞儀が、まるで踏切の遮断機みたいに、私が行くのを先回りして次々と伝搬していく。こちらは、たいそう困る。頭を下げてもらうつもりできたのではないし、そんな待遇を受けるほどの上客でもない。頼むから止めてくれ、と言いたくなる。 慣れていないから、対処に困るのだ。堂々としていればいいのだろうが、店の人に申し訳ないし、過剰な待遇をされると、体中がむずがゆくなる。 頼むから、普通に扱ってくれ。荷物の一つも持とうというなら、そんな気を遣わなくていいから、千円でも二千円でも値引きしてくれ。その方が、よっぽどありがたい。 (了)
2004年01月30日
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仕事に復帰してから、いかに仕事というのが疲れることなのかを痛感している。 仕事といっても、まだ、会社運営に必要な業務など、していない。休んでいた空白期間の情報を穴埋めすることと、試験出勤が終わり、本格的に復帰したときに配属されるであろう部署に関する資料を読むこと。要するに、デスクにすわって、一日中、パソコンや資料とにらめっこしているだけなのである。もちろん、残業なし。始業時に仕事を始めて、終業のチャイムと共に、デスクを片付ける。紅茶の飲みながら。 でも、めちゃくちゃ疲れるのである。気が張っているというのか、テンションが上がっているというのか。頭が回らないくせに、仕事のことに関していろいろ考えようとする。同僚とも話をしなきゃいけないし、積極的に病気の宣伝をする必要はないが、かといって暗く沈んでいては、職場の雰囲気が悪くなるから、できるだけ自然に振る舞おうとする。どうやら、そういうことが、相当な負担になっているらしい。 帰り、車に乗って、アイドリングをさせていると、ぐったりと疲れがのしかかって、シートが少し沈む気がする。ここでぼんやりしていては、片道15分の車の運転がおろそかになるし、それでなくても薄暗い夕方だから、さらに運転に気を遣わなければならない。 気を遣う、ということが、こんなに精神に負担を掛けるものだとは分からなかった。でも、そういうのに慣れないと、仕事ができなくなるし。困ったもんだ。 これで、実作業が入ったらどうなるか。自分でも、予想が付かない。ええい、なるようになれ、だ。
2004年01月29日
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わたわたしている間に、もう来月は2月。世間では、確定申告で頭を痛める人が増える時期である。実家の両親は、毎年うんうん唸っていた。別にごまかそうとして唸っていたわけではない。計算が面倒で、慣れないことをするから、頭が痛くなったんだろう。会社員である私には、関係のないことだけど。 でも、今年、私の方はちょっと事情が違う。まず、去年はずっと、休職ライフを送っていたから、給与所得がなかった。だからもちろん、給与所得に対する所得税は払っていない。しかも、国土交通省の土地収用のため、国に家と土地などを買い取られた。その補償金の一部で、新しい中古の家を買った。 さあ。不動産を売買したのだが、相手は国で、しかも任意売買の形式を取ってはいるが、実体は土地収用である。まず、国からもらった補償金は、所得税の対象となるのか。そして、その補償金の一部で、新しい中古の家を買った。土地取得税の関係はどうなるのか。そして、家を買って差し引いて残った補償金がある。これは臨時所得となるのか。 税金の関係になると、分からないことだらけである。知り合いのHPで、土地収用の場合はいくつかの特別控除があることを教えてもらった。と、いうことは、控除されるなら、控除前の所得を申告しなければならない、ということになる。 そしたら、私も確定申告しなきゃいけないわけ? ねえねえ、確定申告ってどうするの? ここへきてあたふたしている私である。 誰か、分かりやすく教えてくれ~!
2004年01月28日
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休職が解けて、今日、試験出勤発令後、初めて職場に出勤した。社内の、今日顔を合わせた人たちは、みな温かく迎えてくれた。仮のものではあるが、社内LANの端末になるパソコンも、私が使えるように設定して準備してくれていて、ありがたさに頭が下がる思いだ。 最初から、仕事を与えられているわけではなくて、まずは体慣らしが第一。職種が変わることもあって、まずは関係資料を準備してもらって、それを読んで勉強することとなっていた。 しかし。しかーし、である。LANを使ってサーバーにアクセスし、メールボックスの私宛てのメール一覧を見て……めまいがした。既読は黒字、未読は赤字で示されるのだが、赤字のメールがずらーっ。メッセージ欄には「823の未読文書があります」……おいおい。休職してる人間宛にメールを送ってくるなよ。ダイレクトメールを除いて、社内のメールはほぼ全部がCCで、TOのメールは数通だったが。しかし、これらのメールは、休んでいた間に、社内で何が問題になっていたか、会社の浮沈の流れを読み取るには格好の素材だから、古いものから順に読んでいった。そして……。 終業時間を過ぎても、赤いメールはどっさり。「96の未読文書があります」やった、残りは二ケタになったぞ、というところで、疲れも感じたし、ギブアップした。後かたづけや、緊急のメールだけを開いて読んで、半時間ほどオーバーしてパソコンの電源を落とした。 なんだか、めちゃくちゃ疲れた。一日中パソコンでメールを読んでいたのだから。肉体的にも、精神的にも疲れがどっと出て、今、実をいうと、大変眠い。 早寝しようっと。とりあえず、復帰初日を乗り切ったんだから。
2004年01月27日
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本を読む暇がない。一時期は、読書だ読書ぉ! てな勢いで、がつがつ読んでいた。それが、最近はなかなか読めない。 ちょっと本を読むのに疲れたかなあ、という気分はある。それまで、空き時間のほとんどを読書に使っていたから、飽きてきているのかもしれない。また、ライトノベルを挟んでしまって、一般の文芸作品に頭を切り換えるのが遅くて、今読みかけの本に熱中できていない。数ページ読んでは閉じ、また数ページ読んでは閉じ、という具合だ。 何より、今、一番時間がかかっているのが、仕事である。休職が解けたわけで、今まで休んでいた分の文書や、現在回覧中のメールなどが、一気にどっと押し寄せてきて、そっちを読むのに忙しい。ただし、これらは、私のメールボックスに届いている分だけであって、まだ、自社自前のサーバーに、各部署がフォルダーを作って、各種文書を格納している、それを読みに行く暇が、まだない。読まなきゃいけない資料の中には、440ページという大作もあるらしく、実際、読書どころではないのである。 おまけに。文芸Web雑誌『GAJIN』に参加しているが、次号の発行が3月1日。それに向けて、作品を書かねばならない。間に合うように先にある程度書いておいたのだが、小説が、思った以上に長くなってしまい、書き終わるめどが立っていない。だから、夜はテレビも見ずに本も読まずに、パソコンの前でうんうん唸っているのである。 仕事と、創作。パソコンの前を離れる時間が無くて、本をじっくり読もう、本の世界に浸ろうという時間が、今は取れない。困った。未読の本の山が小さくならない。 え? 新着メール? ネット書店から、ご注文の商品を発送しました? うわー、未読の山が高くなる……。
2004年01月26日
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藍青。人気コミックである。青年誌に約4年連載が続いており、百話を越えた。アニメ化もされ、不動の人気を得た。 このマンガ、主要登場人物の中で、男は花菱薫ただ一人である。そこへ、子どものころの結婚の約束を頼りに、桜庭葵が転がり込んできて、物語がスタートした。 このコミックの人気の大半を、この葵が背負っていると言っていい。創業200年のデパート、桜庭グループの経営者の一人娘として、典型的なお嬢様教育を受けた葵、常に和服で、清楚で可憐、ショートの髪が似合うかわいい女の子、家事一般や、お茶お花、およそ花嫁修業と言われるような稽古事もこなす。初恋相手の薫を一途に想い、健気で、純粋。非の打ち所のない女性像、なのである。 物語は、薫と葵の純愛物語なのだが、桜庭家としては薫の立場が気に入らない。花菱財閥の継承権を持つが、母親が花菱家跡継ぎの父親との結婚が認められず、母親を邪険にした花菱家に反発し、すべて投げ打って出奔している状態である。桜庭家としては薫を葵の相手と認められない。が、葵が薫の元にいると言って聞かないので、桜庭の空き家に葵と秘書が住み、薫が下宿する事となった。こう書くと、シリアスな話かと思いきや。ワキを固める薫の大学の同級生や後輩とその妹達が、次々と薫の下宿先に住み着く。それらがみな女の子。みんな、薫を想うという、うらやましい設定で、この子達がドタバタ騒ぎを起こす、純愛ラブコメ・お色気付きコミックなのである。 12巻では夏、プールだ温泉だとサービスシーン満載。そして、葵の母が様子を見にやってくるが……という展開。とにかく、女の子のかわいさで人気を保つ作品なのである。
2004年01月25日
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休職が解かれているので、日記も「休職日記」から、「『回復への道』日記」に、看板を掛け替えた。 休職は解かれたが、病気が完治したわけではない。対人恐怖症で、今まで営業職という、対人ストレスのかかる仕事をしていたが為に、ストレスが高じて病気になった。で、その病気は、休職してストレスフリーの状態で療養し、薬を飲んで、落ち着いている、というのが現状で、休職が解かれるにあたっての医者の診断書には、「元の職種にての復職は、ストレスがかかるため、再度病状が悪化する可能性がある。対人ストレスの少ない職種であれば復職可能」と書かれていて、会社もそれに沿って、部署替えの上、試験出勤開始の辞令が出た。3ヶ月の試験出勤の後、職務に耐えうると判断された場合は、正式に社員として復職する、という段取りになる。 今の第一優先事項は、私自身の健康維持である。試験期間中にもし病状が悪化したり、発作を起こして倒れるようなことがあれば、また休職し、規定の休職期間が終わる7月に退職、となる。上司もそれを最も怖れていて、とにかくこの3ヶ月は絶対に倒れるな、との命令を受けている。 が。そんなこと、自分の意志でコントロールできるくらいなら、とっくの昔に復帰しているのである。実際に仕事をしてみないと分からないところが、本人もつらいところである。 さて、どうやって乗り切ろうか。とりあえず、この3ヶ月は、風邪も引けないくらいに微妙な立場なので、慎重に、でものんびりとやるしかない。ま、なるようにしかならないさ。
2004年01月24日
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素人の手慰みでエッセイを書いているが、書いたら誰かに読ませたくなるというのが人情というものである。ありがたいことに、昨今はインターネットなるものが、我々の生活の一部となっているから、人の目につきそうなところにぶら下げておけば、全国の人に読んでもらえる。中には感想を寄せてくれる人もいて、読まれている実感も味わえる。たまには厳しいことを言ってくる人もいるが、そこはそれ、一つの勉強と思えば、こんなにありがたいことはない。 書いていて、ほめられればうれしい。豚もおだてりゃ木に登る、で、もっとほめてもらいたくなる。だから、いろいろ書く。どう書いたらほめられるだろう。こんなこともやってみよう。素直に感じたままを書いたり、工夫したり、ひねったり。たかだか原稿用紙にして五枚程度の短い文章だが、もっとうまくなりたい、と思いつつ、書いている。うまい文章とはどのようなものなのか、よく分かっているわけでもないのだが。 素人の浅知恵であれこれ悩んでいても、下手の考え休むに似たり、で、上達してるのかどうかさえ分からない。ただ、いわゆる文章読本のたぐいを読むのが嫌いだから、始末が悪い。文章なるもの十人十色、百人の書き手がいれば百通りの文章ができあがる。文章読本は、その著者の好みであって、それが正しくて、そこから踏み外せば正しくないなどというのは、大きなお世話だと思っている。 だから結局、あちこちで読んでもらって、感想をもらうのが得策だと思っている。いろんな人に見せて、教えを乞うている。その中で一つ出てきたのが、擬音語や擬声語、擬態語といった類の言葉の問題である。いわゆるオノマトペと呼ばれる言葉は、基本的には使わない方がよい、というのが常識らしい。情景描写などに便利に使えるから、文章が安っぽくなる。どうしても必要な場合は、点を打って強調すること、とされている。 こっちは教わる方だから、なるほどそうですか、という態度で聞いているのだが、内心では、あかんべーをしている。私は、オノマトペを使うのが大好きなのである。 エッセイを書き始めたころ、あまり深く考えず、見たまま、聞こえたままを書こうとして、乏しい語彙の中から一番適当だと思う言葉を探して使った。さらに、私が高校のころ、放送部に所属して、小説の朗読なぞをやっていたものだから、書く方も、口に出して調子が出るように、音読しながら書いていた。そうすると、表現をするのに、文章で持って回った言葉を並べるよりも、オノマトペを使う方が、情景を表現するのにぴたりと合う。だから、オノマトペを常用していた。あるエッセイなど、原稿用紙五枚の中に、オノマトペを十二回使ったものがある。 例えば。パン屋に行ったとき、ちょうど焼きたてのフランスパンが店に出された情景を描写してみよう。『フランスパンが棚に置かれた。耳をすますと、きつね色に焼けた皮がひび割れて、音を立てている。手をかざしてみると、温かい。バターの匂いが鼻をくすぐる。思わずのどが鳴って、躊躇なしにフランスパンを一本、トレイに乗せた』 と、こう書くのが標準的らしい。私が以前書いていた表現は、これとは異なる。『フランスパンが棚に置かれた。きつね色に焼けた皮がひび割れて、小さくぴきぴき鳴っている。手をかざしてみると、ふうわりと温かい。バターの匂いがほわほわとわき上がって鼻に入る。ごくりとつばを飲み込んで、躊躇なしにフランスパンを一本、トレイに乗せた』 後者の方が、私の好みなのだが。今は教えを乞う身であるのだから、しかたなく、オノマトペは封印している。極力使わないように、使うときは効果を考えて、必要最小限にする。 ただ、それで納得しているわけではない。オノマトペはダメ、という一般論をかざして、その効果を見ない人がいるから、当面は使わないで表現する方法を勉強しよう、と自分に言い聞かせている。 その代わり、もし私が、押しも押されもせぬ書き手になれた時には、思う存分オノマトペも使って表現してやろうと思う。今は雌伏の時である。オノマトペよ、いつか陽の目を共に見ようぞ。 (了)
2004年01月23日
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こんなに情けない気分になったのは、いつ以来だろうか。 この日記、だいたい800字前後のものを毎日書いている。原稿用紙にして2枚。それなりに労力も時間もかかっている。 なのに・・・なのにぃ~。単純なミスで消してしまった。ほとんど書いてた、あと数行で終わるはずだったのに。ちょっと疲れたから横になろうとして、パソコンを『スタンバイ』状態にしようと思ったら・・・間違って『終了』を押しちゃったよー(/_;)。 あー、もう、今日は止め止め。今から同じ事書きたくないよーっ!
2004年01月22日
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私の姉には、四年生の女の子と、今年小学校に入学する男の子がいる。私から見れば姪っ子と甥っ子だ。 姪っ子は、国立大学附属小学校に通っている。姉の姑が、子どもの教育に熱心で、いわゆるお受験をさせたがっていた。あまり勉強ができる子どもではなかったが、運良く、附属幼稚園に入ることができて、そこからエスカレーターで付属小に上がれた。さて、中学はどうするのか、まだ聞いてないが。 甥っ子も、お姉ちゃんと同じ道を進ませようと、幼稚園の試験を受けた。で、本人は試験に合格した。けど、公立だからか、私立もそうなのか知らないけど、公平性を出すため、一次試験の次は、抽選で合否を決める。親がくじを引くか何かして、それで子どもの合否が決まるのである。姪っ子の時は、一発合格だった。甥っ子は、一昨年の受験でも、昨年の受験でも、親がはずれを引いて、涙を飲んだ。 幼稚園児が、お姉ちゃんと同じ幼稚園に通えない理由を、理解できるはずがない。小学校からは同じところに行けるとか、なんだかんだと説得して、別の幼稚園に通わせた。 さあ、小学校の受験が、いわばラストチャンスだ。今度こそ、お姉ちゃんと同じ学校に通わせてやりたい。姉、義兄、姑さん、揃って気合いを入れてお受験に備えた。 その試験日が先週あって、面接でちょっと躓いてハラハラさせたらしいが、今日、合格発表があって、姉から「一次試験は合格」とのメールが来た。で、次の関門が、また抽選である。即日、合格者の親が抽選に臨む。結果は……不合格だった。 甥っ子の心中やいかに。6歳児にして、受験成績3戦全敗。早くも挫折を味わってしまったのである。 私なんかだと、最初から公立の、一般と同じ小学校に通って何が悪い、と思うのだが、姑さんは、小学校の学級崩壊とか教諭の犯罪とか、そういうのを見聞きするにつけ、かわいい孫には安全で静かな環境で勉強させてやりたいと思う、その気持ちも分からないではない。が、結果は残酷なものになった。 甥っ子が、立ち直って公立の小学校で元気に勉強できるよう、気持ちの切り換えができたらいいが。叔父としては、入学祝いをはずむくらいしかできないのがもどかしい。
2004年01月21日
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上岡龍太郎という人の知名度は、どの程度だろうか。関西では、相当な人気を誇っていた。いた、と過去形なのは、3年前に"隠居"してしまったからだ。だから、人気がある、というのは当たらない。知名度が高いことには代わりがないが。 芸能界では、横山ノック、青芝フックと「漫画トリオ」を結成、風刺漫才で、関西で相当な人気を博したところから、表舞台に現れた。ノックの参院選立候補を機に解散し、一人で芸能活動を開始した。主に司会業でテレビ・ラジオに出演、滑らかな弁舌と毒舌トーク、圧倒的なディベート能力を生かし、引っ張りだこの人気者となり、漫才落語漫談といった旧来のカテゴリーに入らない独自の話芸で、上方お笑い大賞を受賞している。一時期、東京でも仕事をしていたから、見知っている方もいるかも。上岡流の哲学でもって、世の中の様々なことを斬ってみせる切れ味は、その鋭いこと芸能界一だったろう。 それが、58歳で芸能界を引退し、隠居する、と公言した。周囲のほとんどがまさか、と思っていたが、実に見事にスパッと引退して見せた。その後は、若干の著作物などの活動をし、あとはゴルフ三昧の日々だという。 で、本書になる。3年間の隠居生活を綴ったエッセイをまとめたのが、本書である。曰く、隠居はすばらしい。できるだけ若いうちに隠居するべきだ、と。隠居とは、発想の切り換え、なのだそうだ。金が欲しいから仕事をする。生活のために金が要る。そう思うと、隠居できない。実際に隠居してみると、金は面白いほど使わない。金が必要なのは、子育てと見栄のため。見栄を捨てると、金は要らない、という。 以下、隠居がどのようにすばらしいかを説いている。とはいうものの、そういうことは、現役時代に成功して、金も知名度も貯蓄がある人だから言えることであって、一介の素人が気軽に隠居できるものではないのが、今の世の中である。事実、上岡本人も、こうやって本を出すくらいだから、隠居とて働いていて、収入を得ている。一回の素人の隠居は、年金と、子に養ってもらう。出費を考えると、若くして隠居、などと考えられない。 そこを、考え方を改めて、思ったことを実行せよ、というのが上岡流である。その気になれば、隠居もできる。そういった、ひねくれた考えでないと、隠居はそうそうできないだろう。
2004年01月20日
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そろそろ、「休職日記」というのを変えなきゃいけないなあ、と思っているが、なかなかいいのが浮かばない。今の立場は、休職が解けていて、試験出勤の発令が出ている。しかし、同時に職種が変わるというか、営業職から閑職にまわるので、その関連のレクチャーを受けなければならないのだが、いきなりフル出勤すると、体調の方が不安だ。受け入れ態勢も充分ではないため、送られてきた資料で独学している、上司との連絡はメールで行う、という状態である。だから、休職はしていなくて、必要な仕事はしているが、職場に出勤はしていない。中途半端な立場なのである。 もちろん、職場に出勤していないからとて、自堕落な生活を送っているわけではない。きちんと、出勤するタイムスケジュールで生活している。ただし、体力維持のためのウォーキング(これはある意味、会社復帰の準備だから、業務の一環と言えなくもない)と、資料を読む合間にちょっとネットを覗いたり、この日記を書いたり、それくらいのサボリは目をつむってもらおう。 だから、立場上、休職中の身ではない。しかし、見た目は休職中と、あまり変わらない。読んでいるものが、自分の好きな本か、会社の資料か、という違いくらいである。だから、胸を張って堂々と、仕事をしています、と言うのは気が引ける。 さて、この「休職日記」、どういう表題に変えようか。今、なかなかいい表題が思いつかなくて、困っている。 どうしようっかなー。
2004年01月19日
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相撲ファンとしては、なかなか面白い展開になってきた。 朝青龍が、全勝で独走している。ここまで危なげない、盤石の勝ちっぷりで、格の違いを見せつけている。今場所の相撲を見ていると、先場所までと違って、がむしゃらで強引な相撲が見られない。落ち着いて対応している。だから、相手がつけいる隙がない。先行逃げ切りは、朝青龍の優勝パターンである。 一敗で、大関の栃東と千代大海が追う。栃東は、不戦勝をはさむというツキがあって、二日目以降連勝している。しかも、不戦勝後の勝ち方がいい。相手を寄せ付けない強さで、調子に乗ってきた。綱取りを意識しすぎると怖いが。千代大海は、一敗とはいうものの、かつて優勝したときのような強さではない。引いて勝ち、翌日引いて負けた。稽古不足がたたっているか。上位陣と当たるまでに調子に乗れるかどうか。 魁皇、武双山の大関も、まだ優勝圏内だが、横綱の充実ぶりから見ると、やや不利。魁皇が、右手親指を痛めたようだが、今後どうか。 平幕で一敗が、琴光喜と垣添。面白い存在ではあるが、上位陣に当てられると通用しないだろう。 ということで、優勝の本命は、朝青龍になる。が、今まで全勝優勝をしたことがなく、スタミナ不足が心配。横綱はいつも、初日にピークになるような調整をしているが、例えば貴乃花は、序盤は低調で、終盤、上位陣と当たるところにピークになるように徐々に調子を上げていた。朝青龍は、終盤に崩れるケースがあるから、栃東にもまだチャンスはある。終盤まで取りこぼさないことだ。事実上、この二人の争いとみていいだろう。千秋楽の直接対決までもつれる可能性が大きい。半分は願望だが。 千代大海は、立ち会いからの一気の攻めが続かず、上位陣に苦戦しそう。悪癖の引きで自滅しそうな気配だ。あとの二大関は・・・ま、頑張ってちょうだい。
2004年01月18日
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うー、気分が悪い。 久し振りに、体調が悪い。頭痛と吐き気がして、起きていられないというほどではないが、ずーんと気分が重い。 寒い、というのもあるだろう。朝からどんより曇り空、今にも雪を降らせるぞ、とばかりに、全体が暗くなってきている。実際、予報でも夜に降ると言っている。 日差しがないと、身も蓋もなく寒い。それと、昨日出勤だったはずのところが、肩すかしを食らったので、その反動もあるようだ。元気にはなってきているが、医者に言わせると、治ったのではなく、落ち着いているだけ、ということなので、仕事復帰後の体調は、誰にも予想がつかない。やってみなければ分からないという、不安要素をたっぷりと含んでいるだけに、仕事復帰日には万全の体調で臨むよう、調整してきた。それが延期になったのだから、気持ちががくっと落ち込んで、何をするにも体がだるい。 こういう、スケジュールのドタキャンに弱い。一度決まった予定は、その通りにこなしていかないと、気持ちの切り換えがうまくいかない。特に仕事関係のことは、心の準備が大変なだけに、その分、急に予定を変えられると、心の態勢がついていけない。困ったものだ。また、そういうことを平気でやる会社だから、つらい。見方を変えれば、フットワークがよくて小回りが利く会社、ということになるのだが。 そんなわけで、本日は不調なり。GAJINの原稿を書かなきゃいけないのだが、頭が働かないから、進まない。どうせなら休みにしてしまえば、とも思うが、時間の浪費に思えて、進まないなりに、パソコンの前に座っている。貧乏性なのかなあ。
2004年01月17日
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網戸が鳴っている。風の、低くうなる音が、間断なく響き渡る。昼間から風は強かったが、日が落ちてカーテンを閉めると、耳でしか外の様子を探れないから、風の音が、ことさら大きく響いて聞こえるような気がする。風のうなる音が大きくなって、北側の壁にぶつかったような感じがしたとき、部屋が少しだけ揺れた。 私は、先ほどから、こたつの上にあるパソコンに向かっていた。こたつに足を突っ込んで温めながら、考え事をしていた。考えに疲れると、かたわらに置いたミルクティに手をのばして、一口すする。エアコンの入っていない部屋はうすら寒く、ミルクティはとっくに冷め切っていた。 私は、アパートの二階の北側に住んでいる。部屋が三つあって、住んでいるのが一人だから、私がいるところだけが明るい。そして、暖房器具はこたつだけ。エアコンは頭がぼうっとするから、考え事をしたいときはつけない。頭寒足熱の文字どおり。綿入れ半纏をはおって、こたつに向かっている。 天井は、スレートの屋根との間がほとんど無いようで、カラスが屋根に降りてきただけでも、とんでもない音が響く。東側がサッシにベランダ、北側は壁、南は隣の部屋。西に狭い玄関をはさんで、台所と風呂場がある。その風呂場の換気扇のカバーが、強い風にあおられて、金属的な音を響かせている。 私の部屋の下は空き部屋で、空虚な冷たい空間がそこにあるはず。冷気が伝わってくるらしく、トイレに立つと、床が冷たくて、スリッパなしでは歩けない。冷えた足をまたこたつに突っ込んで、ああでもない、こうでもないと、またパソコンの前で考えはじめる。 風が鳴る。大きな建物が近くにないから、渡ってくる風がそのまま吹き抜ける。北から流れてきた、冷たい風。あちこちの家々に当たって音を響かせ、アパートにどんとぶつかって揺さぶる。 あたりの熱も奪っているのだろうか、夜が深まるとともに、部屋の中に冷気が忍んできた。こたつのゲージを上げて、床からの冷えに対抗する。背中からも冷気がすり寄ってくるが、綿入れ半纏の力は偉大である。肩から背中、腰までをすっぽりと覆い、冷気をシャットアウトしている。あとは、外に出ている指先と、顔だけ。指は、冷たくなったらこたつの中に入れる。顔はどうしようもない。鼻の先と、鼻の下から上唇が、特に冷たく感じる。温めた手で顔を包んで、冷えすぎないようにしながら、またキーボードを叩く。考えながら、書いては消し、書いては消し。こたつの上に置いているにもかかわらず、パソコンの、内部冷却ファンが、夕方から一度も回らない。念のために発熱が大きいはずのところを触ると、ほのかに暖かい。冷却の必要がないほど、パソコン周辺は温度が下がっている。ということは、私のまわりの空気も冷えている。 風が、縦横無尽に暴れている。網戸が鳴る。換気扇のカバーが鳴る。頭と目が疲れて、こたつに入ったままの状態で、仰向けにごろんと寝ころんだ。そうして休憩するときのために、座布団の後にクッションを置いている。そのクッションがすでに冷え切っていて、首筋に触れたときに思ったより冷たくて、背筋に寒気が走った。少しそのままでいると、体温で、触れているところだけは温まる。目を閉じると、さらに耳の感覚が鋭くなった感じで、風が吹き抜ける様子や、風玉が壁にぶつかったときの感じが、よりはっきりと分かる。 しばらくそうして目をつむったまま寝ころんでいると、音を立てて吹き抜ける風に取り囲まれた自分は、どこまでも一人なのだという気がしてきた。心の中にも、頭の中にも、風が吹き抜けていって、冷たい風の音が満ちてくるのを感じた。そして、考えていたことが、どこかへ吹き飛ばされた。心も身体も、風だけになった。 目を開いて、起きあがる。スクリーンセーバーに切り替わっている画面を、元に戻して、また一から考え直してゆく。さっきよりも、頭が軽くて、考えが進むような気がする。徐々に寒気が忍び込んでくる部屋で、キーボードを叩き続けた。 北風は吹き荒れていた。夜が深くなるにつれて、ますます強くなるようだった。 (了)
2004年01月16日
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昨年暮れから、1月16日から試験出勤に入る、体調を整えて準備するように、という上司からのお達しがあった。言われるがままに、準備怠りなく、生活のリズムも仕事していたころのタイムスケジュールで生活し、風邪などの病気にかからないように健康管理もし、万全の態勢を持って、いよいよ明日から試験出勤に入る、という今朝のこと。 風が強くて寒いけど、ちゃんと目覚ましを鳴らした時間の5分後に起き(こう寒いと、目覚ましが鳴ったら、もう5分だけ寝ていたい、と思うだろう。私もその通りで、だから前もって、起きる時間の5分前に目覚ましを鳴らしている)まだ日が昇らずに薄暗い部屋の中で着替え、厚着をしてサッシを全開にする。うん、気持ちの良い朝だと、顔を洗って、朝食を食べながらメールチェックをしていたら。夕べ、上司からメールが入っていた。『明日からの試験出勤は、課長(仕事内容が変わるので、その仕事を担当している課長から仕事内容の研修を受けることになっている)が急遽海外出張になったため、明日は出社に及ばず。関係資料を送るのでそれを通読し、在宅勤務とせよ。出社日は来週、関係各所と調整して後日連絡する』 見たとたん、気が抜けた。張りつめていた糸がぷつんと切れた。確かに、その課長がいなければ、デスクで資料を読むだけなので、強いて出社する意味はない。それに、試験出勤期間中は、会社もいきなり大きなストレスがかかると病気が再発する危険性があるから、全日出勤スタートはさせず、適度に休みを入れながら、徐々に体を慣らし、試験出勤期間中にフル稼働まで調子を上げていけばいい、という話だったから、別に出勤しなくていいよ、と言われても問題はないのだが。 今日までに気合いを入れてコンディションを整えていたのが、出鼻をくじかれた格好で、気が抜けた。また来週の出勤日に向けて、調子をもう一度引き上げなければならない。ああ、面倒な。
2004年01月15日
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コミックの感想。これは今日、というか、ついさっき書いた。書き立てのほやほやである。 これは、書店で見つけた。何だか絵柄に惹かれた感じで、1巻から3巻(当時の最新刊)まで、一気に買って読んだ。で、強く心に残る物ではなかったが、なんだかほんわかとした気分になって、新刊が出たら、なんとなく買っている。 舞台は、近未来、のはずである。日本でも、有人ロケットを飛ばす計画が実行され、失敗した。被害者も出て、この事故「獅子号事故」は日本中に衝撃を与えた。それから十数年。宇宙開発計画は、反対運動に抗しながらも継続され、専門者養成の宇宙学校も開校された。その、宇宙飛行士コースの一期生、鴨川アスミ(16歳)が主人公である。親を獅子号事件で失いつつも、宇宙飛行を夢見て、訓練に励む。 ……と書けば、SFものを想像されるだろう。確かにSFはSFだが、言うならば、SFファンタジーとだろう。主人公はアスミ、その心の支えになっているのが、幽霊のライオンさん。ライオンの着ぐるみの頭をかぶった姿で、アスミを小さいころから友達であったり、心の支えであったりする。実は、アスミの父の幽霊。その交流がほんわかとしていて、SF作品なのに、ハートウォーミングな作品なのである。絵柄も、どこかノスタルジック。宇宙学校の風景も、現代か、少し以前の風景である。未来を感じさせる物が、ほとんど出てこない。 SFにありがちな、スマートで未来的な、ドライな話ではない。心の交流というか、ウェットで、どこか懐かしい感じの作品である。主人公のアスミ自身、夢は持っているが、バイタリティのあるキャラクターではない。等身大の、悩んだり笑ったり泣いたり、隣にいてもおかしくない、どこにでもいそうな少女である。ま、宇宙飛行士になりたいというだけあって、根性は大したものだが。 ストーリー性があるので、1巻から通して読むことをお薦めする。なに、全部で5冊、3000円である。
2004年01月14日
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昨日は、ズルをした。 実は、昨日はオフ会に出かけた。東京に集まった。片道2時間の旅行は、祖母の初盆に京都の実家まで帰省して以来の旅行である。さぞ疲れるだろうな、日記を書くだけの体力気力が残っているかどうか分からないな、と思って、『ハリガネムシ』の感想を、一昨日のうちに書いて保存し、昨日、さも当日書いたかのように出してしまった。本来、これでは日記の意味を為さないのだが、ここまで毎日書いていたのが途切れるのも残念だし、ズルをしてしまったのである。 しかし、考えてみると、これから仕事に復帰しようというのに、日記のことを気にかけている場合ではないのかもしれない。まず、仕事を済ませて帰ってくる時間は、一定とは限らない。残業もあるだろうし、出張することもあるかも知れない。そうなったら、毎日きっちりと日記を書くこと自体、難しくなるだろう。書き込みの時間が遅くなったり、字数が減ったり。そんなとき、いちいち気にして、前もって日記に書き込む文章を作っておくことなぞ、何の意味もないのではないか。そう思って、少々反省モードに入っている。 明日からは開き直ろう。遅くなろうが、短かろうが、気にしないことにする。そもそも、泊まりがけの出張なんかが入ったら、書き込むこと自体ができないではないか。そういうときは、帰ってきてから遡って書く。前もって日記を先に書くなどという、本末転倒の行為は、これからは避けよう。そう決めた。 そういうことなので、あしからず。とりあえず今日は家にいたから、きちんと書けたけど。今後はどうなるか、成り行きに任せることにする。
2004年01月13日
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芥川賞受賞作である。……だから買った。動機はそれだけ。今まで、この作者の作品を読んだことは一度もない。一応、抑えておこうか、その程度の気持ちで買った。だから、買った時点で、この作品がいかなるものか、まったく知らなかった。一切の先入観なしで読み始めた。 主人公は高校教師。リンチ事件で生徒が停学処分となり、副担任の主人公は校務で忙しい。そこに、一度出会ったソープ嬢、サチコから電話が入る。ずるずるとサチコのペースに乗せられる主人公。ついに、この人生の辛酸をなめてきたサチコと、車で四国へ向かう……。 転落していく様は、パチンコ台に打ち出されて、釘に翻弄されながら、どの穴にも入らず、一番下まで堕ちていくような感じを与える。長い小説ではなく、136ページ、原稿用紙にして180枚。その短い中で、パチンコ玉のように、釘にはねられて右へ左へ、チューリップに入りそうで入れずに、慎重な思考もないまま、己のその場の感情と、まわりの人たちに翻弄されて、キンカラコンと堕ちていく。読者も、同様に揺さぶられて、最後まで引っ張られる。 あり得ないようでいて、しかし、あってもおかしくはない話。自分は絶対に巻き込まれることはないぞ、というくらいに主人公が感情をあらわにし、激しくサチコと関わり、時に虚脱し、結局、自分の力で何かを為すこともできずに翻弄される。自分の感情と、関わってくる人たちに。読んでいて、あまりいい感情を持たない内容ではある。 しかし、力量の程は確かである。読み手に悪感情であれ、感慨を持たせ、それを翻弄させて小説世界に引きずり込むあたりは、さすがと言っていい。 でも、正直なところ、後味が悪いから、私は再読したいと思わないな。
2004年01月12日
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今日から、大相撲初場所が始まる。 今場所は、初日を迎える前から、なんだかいろいろ良くない話題が伝わって来ている。朝青龍、すっかり悪役というか、きかん坊のわがまま横綱、というイメージが定着してしまった感じだが、まだ若い。出世が速すぎて、角界のしきたりに慣れる間が無く幕内に入り、綱の重みを感じる暇もなく上り詰めてしまった。私は、まだ温かい目で見たいところである。ことに、今場所から一人横綱を張る。場所を引っ張っていかねばならない責任がどっさりかかってくるのを、感じていればいいのだが。 さて、初場所。大きなけが人もなく、上位陣が揃っている。一番の注目は、栃東の綱取りがなるかどうか、であるが、その行方を占う好取組が、今日の若の里戦である。低く当たって前に出る栃東は、動きが止まると、怪力若の里に振り回される。ここを含めて序盤の五日を大事に取って欲しい。 優勝候補は、筆頭に朝青龍を上げるのが順当だ。しかし、横綱になってからの相撲を見ると、昇ってくるときのように攻める相撲が少なく、受ける方が多い。これは、朝青龍の相撲ではない。思わぬ伏兵に足をすくわれる可能性は充分ある。 対抗は栃東。二度目の綱取りだから、プレッシャーは小さいと見る。序盤を乗り切れば、有力候補だろう。綱取りも、終盤まで盛り上がるだろう。 他の大関陣は、安定している。武双山、魁皇といったところが、ケガを治して来ているので、地力は発揮できるだろう。だが、優勝となると、どうかな、というところ。先頭を走るのは厳しい。優勝ラインが十二勝くらいだと、争いに絡んで来られるか。千代大海は、どうやら首を痛めているようだ。破壊力のある突進が見られるかどうか。相撲に影響ないようなら、面白い存在だ。 三役以下で、優勝争いに絡んでくる力士は見当たらない。小結に降りた若の里が、どれほど上位を食えるか、くらい。二ケタは勝つだろうが、優勝狙いは苦しい。 平幕のダークホースは、出島くらいか。場所ごとに、本来の当たりが戻ってきている。二ケタは勝って欲しい。 今場所は、増員によって、入幕した人数も増えた。どの程度暴れてくれるか、楽しみである。
2004年01月11日
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いや、太ったことは、前々から分かっていたのだが、食事の量を減らしたりして、減量しようとしていたのだ。おかげで、体重増加にストップはかかったが、減らずに、同じ体重をキープしてしまっている。これはまずい。増加分がかっちりと脂肪になって、腹に定着してしまっている。こいつは困った。 理想体重を、15キロ以上オーバーしてしまっている。これは肥満の部類である。腹に付く脂肪は仕方ないとして、内臓の脂肪が怖い。脂肪肝などになっていると、生活習慣病の怖れも出てくる。 休職ライフは、理想体重マイナス5キロからスタートした。まあ、運動不足が一番の原因だろう。立ち上がるのさえ困難で、立ったらめまいがしてその場で倒れる。運動どころではなかった。 そして、食の方は、できるだけ無理をしてでも食べるようにした。食べられるようなら安心である。実際、最初のころは、食欲がなかったり、食べても吐いたりしていたのであるが、回復と共に、そのようなこともなくなり、一人前とはいかないが、普通の人の八分くらいまで食べられるようになった。 栄養過多か、偏っているのか分からないが、とりあえず体重は少しずつ増えてきた。で、適当なところで止めようと思ったのだが、意に反して体重が増え続け、今に至っている。 休職ライフが終わると、たぶん、体重は落ちると思う。体も頭も動かすし、ストレスも浴びる。そこで、ストレス解消のためにバカ食いする方に走らなければ、体重は自然と減るだろう。 当面は、要観察、といったところである。
2004年01月10日
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最近、ある人が書いたエッセイを読んだ。職場での出来事で、業者が持参したおみやげの中に、性的ジョークを狙った商品が入っていて、男性陣が盛り上がった、という内容だった。そのこと自体はよくある話で、いや、昨今では女性がいる職場ではセクハラと言われるかもしれないから、一頃よりは減った話かもしれない。 私が引っかかったのは、そういうジョークはけしからん、ということではない。ウケを狙って、タブーや秘め事に少しだけ踏み込むというのはよくあることだし、その場のみんながジョークで流してしまえる範囲なら、問題ない。それはいいのだが、私がその場にいたとしたら、どう反応するだろう、と考えてしまった。 潔癖でもウブでもないから、拒否反応はしないだろう。しかし、それのどこが面白いのだろう、と思う。へええ、そんなの売ってるんですね。それで終わりじゃないだろうか。みんなと一緒になって笑えるだろうか。きっと、笑わないだろう。下劣だとも思わないし、笑っちゃいけない、笑うべきでない、という嫌悪感もない。本当に、まったく、ちっとも面白くないのである。 確かに、笑いを誘うツボの一つに、タブーや秘め事に踏み込む、というのがある。権力を揶揄するのもそうだし、皆が守っているしきたりを踏み外すのも笑える。誰でも、葬式の最中に、しびれが切れたまま焼香に立とうとして、すっ転んだのを見たりするなど、厳粛な場での失態に笑いをこらえたことがあるだろう。笑っちゃいけないことほど面白い。笑いを誘う基本の一つである。 だから、性的ジョーク商品は、秘め事とされるべき範疇に少し踏み込んだ、笑いを誘う商品であることは認める。でも、私には笑えない。他人と、笑いのツボが違うのかもしれない。 例えば。以前、仕事上必要と思われる講演会やセミナーに参加したことがある。講師の人が、当然真面目な顔で話をする。しかし、ただ喋っただけでは参加者がだれるので、適当なところでジョークを入れる。会場はどっと笑う。私だけ、きょとんとしている。今の、何が面白かったんだろう、と。そういうケースが多々あった。どんなジョークだったか? 面白いと思わないもの、覚えているわけがない。 あるいは、テレビ番組。特定して申し訳ないが、視聴率二十パーセント以上をたたき出すお化け長寿番組がある。お笑い番組の、老舗中の老舗と言っていいだろう。演芸と大喜利というスタイルを守り、人気を保っている。面白いから、笑えるから、視聴者が支持し続けるのであろう。私も見たことはあるが、今は見ていない。関係者にはまことに申し訳ないが、面白くないのである。演芸は、演者によって差があって当然、面白いと思わないときがあってもおかしくない。私には、そのあとの大喜利も、笑えないのである。 これでも、お笑いは大好きで、東京に住んでいたときは寄席に足を運んだくらいである。その時はちゃんと笑えたから、笑いのツボが無いわけではない。ということは、私の笑いのツボが、世間と違うところにあるとしか思えない。 その番組に限らず、数多いお笑い番組やバラエティ番組でも、笑えるものは少ない。下手なお笑い番組よりも、ニュース番組の方がよほど笑える。作為的な笑いより、無意識な行動の方が面白い。政治家のインタビューや、事件事故の報道、分析、関係者のコメントの中でも、思わず笑うものがある。ハプニング、NGシーンなどを期待しているのではない。例えば、教師が生徒にわいせつ行為をした、というニュース。生徒を呼ぶために、わざわざ専用のアパートを借りていた、などと言われると、こいつ何を考えてるんだろう、と、おかしくて仕方がない。思わず吹き出してしまう。こういう、意表をつく話が、私には大変面白い。 私だけが特殊なのかな、と思っていたら、関東と関西の視聴率を併記した表を見つけた。すると、先ほどのお化け番組は、関東では人気が高いが、関西では、上から二十位までのその表には載っておらず、最高でも十五パーセント以下であることが分かった。笑いのツボは、誰でも同じというわけではないらしい。 では、今日から堂々としていようか。面白くないものは笑えない。文句があるか。 (了)
2004年01月09日
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いかん。このままでは、会社で仕事するのが大変つらくなる。 もう、試験出勤の開始日は来週金曜日に迫っている。だから、体内時計を、会社出勤日に合わせるべく、早起きを励行中である。しかし、昨日、寝坊した。三十分以上寝坊して、これはもう、本番なら、遅刻である。いや、朝食を抜いて、新聞も読まず、布団もたたまず、トイレにも行かず、身支度だけして、車を一生懸命走らせれば、ギリギリセーフと言うところか。いずれにしても、失態は失態である。 言い訳をさせてもらえれば、目覚まし時計が鳴らなかった。これは本当である。アナログの、時計の文字盤というか、本体の上にベルがあって、合わせた時刻になったら、金属がベルを叩いて、ジリリリリリリリ、と鳴る、オーソドックスなタイプである。しばらく使わなかったものだから、錆びついたか、ほこりでも溜まったか。とにかく、目覚ましセットの針と短針を合わせても鳴らない。振ったり温めたりして、ようやく鳴るようになった。で、夕べ、きちんと6時よ分にセットして寝た。 今朝は、きちんと目覚ましが鳴って、起きられた。が、異様に寒い。気温は氷点下、窓を開けるのも寒い、洗面台の前に立つと、床が冷たい。寒い寒いといいながら、それでも支度は余裕を持ってできた。これなら遅刻はしない。 が。やはりまだ、どこか緊張感がないのか、薬のせいか、特に午後になると眠い。あまりにも頭が重くなったので、3時の休憩の時、5分だけ寝ようと、目をつむった。・・・起きたら4時だった。 こんなことで大丈夫だろうか。それとも、仕事に入ると、緊張感と、用事で気が紛れて、起きていられるようになるのか。これもぶっつけ本番になりそうだ。ああ、困った。
2004年01月08日
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今日はずいぶん寒い。日差しはあるが、人気の無く底冷えのする寒さは、寂しくもあり、人恋しくもある。 本書の作者は、特段どこが好き、と言うわけでなくて、他の作品名を上げよと言われるととまどうくらい(確か、以前に重松清の作品の感想をここに書いているはずだ)私の中での存在感は薄い。でも、こうして手にとって読んでいると言うことは、何か通ずるものがあるのだと思う。それがなんなのかは分からないし、突っ込んで追いかけたくなるほど、好きでもない。 本書は、連作長編の形を取っている。主人公は、元絵本作家、今は絵本を書けなくなって、フリーライターで食っている中年の男。この男を中心に、九つの章に分け、それ一つで短編と言っていい物語を書いている。設定も同じ。それぞれに絡んでくる人々を描く。そこに、主人公と、各章のメインゲストとを繋ぐアイテムとして出てくるのが、主人公が描き、唯一ヒットした絵本『パパといっしょに』。この絵本自体、というか、絵本の登場人物にもまた、哀しい想い出がついて回り、主人公の、絵本作家としての生命を縮めさせた。そして、やむを得ずフリーライターとして仕事をする主人公のまわりに、『パパといっしょに』が引き寄せたかのように、哀しくも淋しい人々が集まってくる。他人から見たら変に見えるかも知れない、淋しい人生を送ってきた人の後ろ姿を、本書は淡々と描いている。色で言えば、灰色。それも、ぼんやりと流したような、薄墨色が似合う。そう、ちょうど黄昏時の、色彩を失ったビル街のように。 このような哀しい人生は、東京でしかあり得ないと思う。なぜか、そうだ。東京の片隅にひっそりとたたずんでる、暮色をまとった人生が、妙で、淋しい。その中のささやかな光に、ほっとする部分がある。
2004年01月07日
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本日も、勤務時間リズムでの生活、実行中。本当に、昼寝できないのがつらい。特に夕べ、あろうことか夜更かしをしてしまい、寝たのが2時。起きるのは、6時45分。睡眠不足は明かで、眠いのなんのって。いかんね。読書に没頭してしまうと。面白い本は、キリのいいところまで、と思って、二章が終わっても、続きが気になってつい三章をめくってしまう。つい、つい、つい、で、読み終わったら、2時。いかん。月曜日からこれでは、週の後半には、ばててしまう。自制しなきゃ。ちなみに、その時読んでた本が、『黄昏の岸 暁の天(十二国記)』小野不由美、著。「十二国記」シリーズは、もう紹介しているので、詳しいことは書かない。ただ、面白い。 で。午前中に、車でスーパーまで買い物に行った。毎日飲む牛乳が切れたら、スーパーに買いに行く。わざわざそこへ行くのは、低温殺菌牛乳を売っているから。火曜日が特売日で、いろんなものが、ちょっと安い。サンマの焼いたのと、牛乳と、パンと、サラダなどを買い込んだ。あと、練り物が好きなので、そのコーナーへ行く。ここには、業者が入っていて、薩摩揚げとか、魚のすり身を衣にした野菜揚げなんかをその場で揚げている。わりとお気に入りで、かといって毎日食べるという類のものでもないので、うまそうなのが目についたら買う。 今日は、薩摩揚げ三種(紅ショウガ・ネギ・イカ+レンコン)が揚げたてで、躊躇無く買った。そうしたら、店のおばちゃんが「いつもありがとうございます」だって。だいたい、スーパー自体、週一回しか来ないし、その毎回、練り物を買うわけではない。なのに、顔を覚えられてしまっている。ここでの生活が長くなったのだなあ、と、しみじみ思った。 しかし、スーパーのおばちゃんに「いつもありがとうございます」と言われるのも、なんか喜べない。それだけスーパーで買い物している=普通のサラリーマンではない&嫁もいない、と言われているようなものだ。他の某店では、夜の仕事をしているのだと思われていたし。うーむ。複雑。
2004年01月06日
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正月休みも終わったところで、皆さんにお願いです。 私、文芸Webマガジン『GAJIN』で、読者の方からお題をいただいて、そのお題に沿ったエッセイを書く、という企画をしています。いっちょう乗ってやろうという方は、下記アドレスの表紙から、掲示板『広場』に書き込むか、私に直接メールなどでご連絡ください。締切は毎月15日。エッセイのアップは、翌月1日です。ですから、今月のお題締切は1月15日木曜日24時(少々のオーバーはOKです)。どうぞ、下記までよろしくお願いします。『GAJIN』 http://www.geocities.co.jp/Bookend/7289/ さて、宣伝も終わったところで、月曜日。今日から仕事始めの皆さん、お疲れ様です。私はまだ仕事はしないが、休職ライフは残り10日ほどになっているので、きっちりと正月気分を吹き飛ばして、平日は仕事に行く場合と同じタイムスケジュールで生活を始めた。朝、決まった時間にきちんと起き、朝食を食べて支度をして、会社に出かける時間になったら、会社に行く代わりにコンビニまで行って食料を買いだしてくる。午前中はメールの返信や、必要があれば外出して用事を済ませる。昼休みの時間に昼食を食べ、ちょっと休憩。午後も、基本的には午前中と変わらない。昼寝は、今までしていたのだが、そろそろ昼寝なしの生活パターンに慣れないといけない。なにせ、昼寝に2~3時間かけていたので、出勤が始まると、そんなに昼寝したら殴られる。 就業時間に、一応気を抜いて、ほっとする。まあ、あとは自由時間だな。夕飯食べて、風呂に入って、のんびり本でも読んで、面白いテレビがあれば見て。そして、睡眠時間を確保するため、早寝する。 実際に仕事を始めると、通勤時間があるし、残業もまったくなしというわけにはいかないから、ほっとできる時間はそんなに長くない。この日記だって、毎日書けるかどうか。その他にも、文頭に書いたような趣味の活動も、どこまで時間が取れるか分からない。 ま、なるようにしかならないから、できる範囲で楽しみましょう。
2004年01月05日
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実は、忘れていた。年末だ正月だと、いろいろ書いていて、本の感想は忘れていなかったのだが、コミックの方の感想が、ずいぶんごぶさたになっている。遡ってみたら、年をまたいで2週間ほど書いていない。実際は読んでいる。ちょっとペースが落ちているけど。以前感想を書いた『十二国記』シリーズを他の本と並行して読んでいるから。 で。フルバである。フルバの12巻の感想は以前書いたから、設定とかは繰り返さない。相変わらず、上質のコメディ作品であることに代わりはない。 13巻の見所は多い。草摩由希と母親の関係。その重い空気に乱入して由希を助ける兄・綾女。由希の心が癒されていく過程。透のお節介と、紅葉・紅野との触れ合い。それに、何といっても、大イベント、修学旅行が面白い。 そもそも、根幹となるストーリーのテーマが重く、登場人物の大半、いや、主人公・本田透に関わる人たちのほとんどが、心に暗い闇や傷を負っている。そして、透に癒されていく。これだけ見れば、読む者の心理に食い込んで、現代社会に疲れている人たちの心に染みるハートフルな展開なのだが、本作品の見所はそれだけではない。 キャラクターが強烈で、それらが絡み合って、大笑いできるコメディになっている。13巻では、特に修学旅行のくだりが笑える。透の友人、うおちゃんとはなちゃんが由希・夾と絡むと、必ずギャグになる。特に、うおちゃんと夾。勝ち気同士でバカにしあう。間でおろおろする透。この図式は、たいていのシチュエーションで笑える。 さらに、由希の三者面談に、いきなり兄・綾女が乱入するところも笑える。綾女は、出てくるだけで笑いを取れる強烈なキャラクターなのだ。 今回も堪能させていただきました。あー、笑った。
2004年01月04日
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三が日のうち、一日はやはり本の感想を書いておきたい。 もちろん、旧年中に買い込んだ未読の山の一冊だ。ちなみに、作者・荻原浩のことは、一切知らない。 本を買うのに、何を基準にするかは、人それぞれだろう。私は、買う動機はいろいろある。①お気に入りの作者の著書は無条件で買う。②広告で目に付いたものも一応買う。③書店の新刊コーナーで手にとって、インスピレーションで買う。④ベストセラーで、好みに合いそうな本も買う。⑤ネット書店でのお薦めコーナーを参考にする。 といったところだが、最近、もう一つ、売れ筋の本を作る手に、書店店員の手作りポップがある。本書は、ポップで「絶対笑えます」と書いてあったから、興味を引かれて買った。 読んで、『吉里吉里国』を思い出した。手法はまったく違うし、方や吉里吉里国独立、此方過疎村の村おこし、設定も似通っていない。が、テイストは似ている。ユーモア小説というのは、似るものなのだろうか。「ユーモア小説の傑作」と、本のアオリ文にはあったが、私にはあまり笑えなかった。ストーリーや設定などが、笑わせよう、ひねって意表を突いてやろう、という意図が、行間のあちこちに見える。もちろん、これだけの作品を構築できる力はすごいと、素直に脱帽するけれど、まわりがアオリ過ぎて、傑作だと期待して読んだだけ、物足りなかっただけだ。先入観なしで読んだら、もっと笑えただろうに。惜しいことをしたと思う。
2004年01月03日
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年の初め。我が実家では、一月一日午前零時、年が改まった直後にご飯を炊く。炊きあがったら、神棚や、鏡餅などをお供えした神座に、ほかほかのご飯と御神酒をお供えして、お灯明をあげて、家族全員がお祈りをしてまわる。狭い家だが、お正月は六柱の神様をお祀りしたから、家族全員が全部拝んでまわると、それなりに時間がかかる。 その後に寝るから、布団に入るのは一時を過ぎる。そして、気が済むまで朝寝を楽しむ。普段早起きを強いられる食堂稼業だから、正月くらいはゆっくりと、というわけである。だから、私は生まれてから一度も、初日の出を拝んだことがない。 京都で育ったので、友人に、おけら詣りや夜の初詣に誘われる機会もあったが、すべて断って、自宅での年越しを続けた。親が厳しいとか、しきたりにうるさいとか、そういうことはなくて、友人達と年越しすると言えば、何も言わずに出してくれただろう。だから、強制ではなくて、なんとなく、自宅でいつもどおりの正月を迎えないと、なんだか尻が落ち着かないような、何か足りないような感じになるような気がして、結局、毎年自宅での正月を迎えている。幼いころから身にしみついた習慣というものは恐ろしい。 転勤でよその土地に住んでも、年末には必ず帰省し、実家で正月を迎えていた。しかし、昨年と今年の正月は、体調の都合で帰らなかった。実家以外で正月を迎えたのである。でも、神様を祀りはしないものの、実家にいるときと同様の過ごし方をしている。 ところが、今年の元旦。一つだけ異変があった。例年なら、存分に朝寝を楽しむはずが、手違いで、普段起きる時間に目が覚めてしまった。もう一度寝直そうとしても、眠れない。思い切って、起きることにした。 元旦の朝はすっかり明るくなっていて、東側のサッシを開けて、流れてくる空気も清々しい。寝るだけ寝て、体が重くなったのをずるずる引きずって起き出すよりも気持ちよくて、こういう元旦の迎え方もいいなあ、と思っていたときである。ご近所の屋根の上から、一条の光が目を刺した。あれ、と思っている間に、するするとお日様が昇ってきて、部屋の中までまぶしい光を投げ込んできた。あっという間に丸い形になって屋根を離れ、お日様はますます輝きを増した。思わず、両手を合わせて目を閉じた。 私の人生の中で、三十八回目にして始めて拝む初日の出であった。幸い、そちらの方角は雲が一点もなく、まばゆい光を存分に振りまいて、お日様は昇っていった。なんだか、得した気分だった。 そもそも、日の出を見るのは好きである。今までにもいろんな日の出を見てきた。早朝の出張で、電車を待つ駅での日の出。夜行列車が海岸沿いを走っていて、水平線から顔を出した日の出。雲に邪魔されて、日の出の瞬間はなかなか見ることができないものだが、幸いというか、それだけ朝早くから活動していることが多かったからか、幾度かの日の出を見ている。それもわざわざ見に行ったのでなくて、たまたまお日様が出るのに立ち会った。 日の出を見に行って、実際に見たことがある。記憶を遡ること二十六年、小学校六年生の時の修学旅行である。当時、関西の小学校の修学旅行は、一泊二日で伊勢・鳥羽の旅だった。伊勢神宮に参拝し、二見浦近辺の宿に泊まる。そして、あらかじめ行きたいと申し出た生徒だけ、先生が起こして引率し、有名な夫婦岩から昇るお日様を見に行った。本当なら、夫婦岩の間にしめ縄が張ってある、その間から出てくるのが見所なのだが、何しろ人が多くて、夫婦岩の付近は後ろから山も迫っているから場所が狭く、我々は出遅れて、海岸に近づくことすらできなかった。そして、海にせり出している山の稜線から、じんわりとお日様が昇ったのを見ていた。それが、人生で初めて見た日の出でもあった。 それらの日の出に比べて、何ら変わることはないはずだし、我が部屋から見る日の出も初めてではないのだが、元旦に見る日の出だけは、まったく違うように思う。思わず拝んで、とってもありがたい気がした。思いがけずに得をして、存分に陽光を浴びて、それから顔を洗った。冷たい水が清々しくて、ますますお正月らしい心持ちになった。 始め良ければすべて良し。今年はよいことがありますように。 (了)
2004年01月02日
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2004年が始まった。喪中なので、特にこれといって正月の準備をしたわけじゃなくて、禁酒だからお屠蘇もなし、おせちも用意せず、ただ好きだからという理由で、かまぼことか田作りとか黒豆くらいは買い込んであったのを食べて、一応、年が改まったことにした。 一年の計は元旦にあり。朝からきれいに晴れた空がまぶしくて、昼前には気温も上がり、鳥の声だけが響くのどかな雰囲気の中で、エッセイを書いた。本を読み、疲れたらこたつに寝そべって、うたた寝をする。テレビは、相も変わらぬ事をやっている。一応新年らしく、演芸番組を少しだけ見て、あとはちらりとニュースを見て、まったり、ゆったり。のんびり過ごした。 喪中のハガキを出していたから、届いた年賀状は、ハガキを出し漏らした来た三通。さっそく返礼のハガキを書く。今日しなければならない仕事らしい仕事は、これくらい。これも正月ならでは。佳きかな、佳きかな。 さて、これから夕食後、何をしようか。一年の計は元旦にあり、だから、やはり、本を読もうか、小説の続きを書こうか。いずれにせよ、今年も読み書きを続けていきたいと誓う、元旦の一日であった。 世はなべて事もなし。やれ、うららかや。
2004年01月01日
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