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今日の夕ご飯4杯おかわりしたターシャが「ごちそうさま」とお茶碗を台所に運びながら、「ねえママ。もしもさ、もし死んでもさ・・・・」「(はぁ??死ぬ話ぃ~?)うん、なになに?」「もしも死んでもね、またもう一度この心で生まれたいなぁ。」「へ、へぇ~~。」・・・・・なんですか?ターシャ6歳。謎めいた発言をする幼児です。まさか遺言じゃあないよね(゜_゜;)ご飯がおいしかったのかなぁ。だから単純に生きる気力が死んだ先にまで及んだ、とか?この前の母の日は、紙で作ったカーネーションとママとターシャが並んでる絵に「ままだいすきだよ」と書いたお手紙と、学校の先生が用意してくれた「お手伝い券」10枚くらいをもらいました。ターシャが幼稚園の頃も何かしら毎年くれましたが、私も小学生の頃母に手作りのお手伝い券や肩たたき券をあげていたことを思い出し、もらった後、うるうる涙がでました。ターシャはお手伝い券などなくとも、いつも本当によく私を助けてくれるのに・・・。昨日初めてお手伝い券を使いました。私が夕食後の皿洗いをしている間にお布団をキレイに直して、とお願いしました。(ひいてあったものの、その後兄弟で布団の上で遊び回りぐっちゃぐちゃになっていたので)お手伝い券に「ふとんしき」と書き込んで渡すとターシャは大喜びで布団に向かい、悪ふざけで行く手阻む下のおチビ達と格闘しながら頑張って敷いてくれました。それが終わって券を「これどうすればいい?」と聞くので、「うん。ママ今手が濡れてるから、そこにおいといてー。」と言うと「そうだ!もったいないから、次のふとんしきの時また使おう!」とターシャ。元の封筒に戻してくれました。偉いよ・・・。このチケットは永久パスポートだってよ。大盤振る舞いだよ。。今日も自分から布団敷きを買って出てくれました。いつまで続くのかわからないけど、ターシャにはほんと感謝感謝なのです。もし、また生まれ変わっても、その優しい心はそのままに生まれてきておくれ。ところで、今日私はヨガに行ってきました。ここのところ、家を建てる方のいろんなやらなきゃならないことを手に負えなくなってきたおちびー’Sの育児をしながら、合間合間にやって、体も頭も疲労して、体がガチガチになってました。ヨガを一時間半やり、その最後にみんなで車座になって座ったところで先生が、「最後に自分の体に感謝して ありがとう を言いましょう。 いつも家族の事や人のことばかりで自分の体に感謝することって忘れがちですよね? 人に対してばかりエネルギーを出しています。でも自分に感謝することで またエネルギーが内からあふれてきて、家族がみな満たされ、 上手く循環していくことができます。 幸せの源である自分、一番大事な自分に感謝しましょう」 (うろ覚えの文句ですが、このようなことを言われました。)目を閉じ両手をすり合わせ「自分への感謝の気持ちを両手の間で練るような気持ちで、あたたかくなるまで・・・」片手を胸に、もう一方の手をお腹にあて「声に出しても心の中でもかまいません。自分の名前をフルネームで呼んで、 いつもがんばってる自分の体に ありがとう を言ってください。」私は、むかしから虚弱で、そんな自分の体を恨みこそすれ、ありがとうなんて言ったことはなかった。どうせ弱いのだからと、 疲れたら休む 疲れたら休む なんていうのは当然のことで、ナマケモノ慢性化で。むしろいつもやけっぱちにいじめていたように思えた。気が付いたら涙がどんどんばんばん落ちていた。自分自身に「ありがとう」を感謝の気持ちをこめて言う、なんてなんだかびっくりした。自分以外の家族にはいつもいつも感謝の気持ちを抱いて、時に心の中で、時に声に出してはいるが。そうか、きっと今の私には これがとっても必要だったんだな。ヨガって自分の体に向き合うこと。自分の体に向き合うことはもちろん精神にもつながっていることです。しばらくヨガ通いしたいと思います。
May 14, 2008
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GWに日本のとある城を見に行きました。これから家を建てる身としては、昔の建築の深さ・すごさにうなるばかり。そして古いものが好きな身としても、古い木や壁のにほひにうっとりでした。地の利を活かした城があって、その周りに町ができる、道ができる。歴史には全くうといながらも、その頃の日本に思いをはせてみる。人々の生活のにおいや音に耳を済ませてみる。。。それでも。と、私は思う。もう今は平成の世なんであります。城っていうのは、今や過去の歴史資料館以外のなにかではない・・・ってね。歴史・日本の城LOVEなヨーゼフは、わたしがそういう事を言うと熱く語って説明してくれるのだが(男のロマンですか?笑)わたしにとって「城」はバベルの塔だ。映画「どろろ」で中井貴一が演ずるお殿様が戦いに勝ってゆくたびにおどろおどろしく城を増幅させて行くように。人の能力に違いこそあれ、人を見下すような立派な人間なんて本当にいるのだろうか?って思うよ。見下してる時点でどうなん?建物は時代背景、機能もあるのだけど、その象徴としての役割が大きいのだろうと思う。(確証はないらしいが、戦国時代での話。なんでも城の周りにはもちろん城より高い建物はなかったらしいが、その城は大国主命-オオクニヌシノミコト-がまつられてる出雲大社より高くは建てちゃいけなかったんだって。その昔出雲大社が今よりずっと高く造られていたという説によると、ね。)もう、城 は要らないね。ここで一句。ああかなし 背比べして 勢比べ (オソマツ笑)それから唐突に話題変わるんだけど、大学受験のための勉強、っていうのも もう要らないんじゃないかな。どんな仕事だって立派な仕事なのに、なにかと学歴や職種に優劣を付けたがる人々。もっと本当の意味で、その人、その人、をリスペクトするほうがいい。そういう世の中の方がいい。親が金庫にいくらあるか、とかどこの大学出たから年収がどれぐらい、とかそういうのって本人の「何をどれだけ勉強したいか」に関係ないじゃない。大人がそうだと子供は見失っちゃうよね。思いつくまま、いろいろ書いてみました。
May 9, 2008
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母は、あなたたちが私の子供であることに誇りと喜びを感じている子供たちは、自分たちの覆いであり他に代わりのない存在の母をただひたすら慕ってくれる母は、それでも同時にあなたたちに罪悪感を持っているいたらぬ自分が母だと言うことに母のその悲しみをみた子供たちは 自分が母を悲しませたことを 悲しんでいる母が悲しんでいると 悲しいなぜ罪悪感を持つのかなぜ子供に罪悪感に似た悲しみを背負わせるのかそこにはお互いへの思いやりの気持ちがある愛情があるかけがえのない家族の愛情がある愛しいから とっても とっても愛しいから。愛しい気持ちが 時々 伸び縮みして日々の生活にぴったりと くっついて呼吸してくれなくなるとなんだか 急に こんな自分が母で申し訳なくなるんだそんなことを申し訳なく感じる 自分にさえ申し訳なくなるんだそういう息苦しさはちゃんと子供たちに伝わってしまって母は置いて外にいけないから 布団に隠れようかななんて思ってみても 誰も母を放ってはおかない私たちを見てよ お母さんでも 伸び縮みはちゃんと 心得ていて一時たてばはいはい わかっていますよ 子供たちすぐに家族は笑い合えるんだ愛しいと思う気持ちにはキリが ない
April 26, 2008
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ネット回線つながりましたです。引越しと今の家で暮らせるように作業に没頭していました。間が空いてしまいましたが・・・前回の3番目ちゃん迷子事件から、私は今回起こった事がどういうことなのか、考えていました。というか、起きてすぐその直後に考えていましたが、ネットがつながらないし、なかなか文にまとめられる感じではなかったので(日々慌しくて・・)。うまくまとめられるかわかりませんがー(^^;今回の事を体現したことで私は、つまり、スピリチュアルなことというのは自分のうちで祈ることだけではなくまずは目の前の私を囲む人々に面と向かって行動しなくてはならないんだ、ということ。面と向かって言葉を発し、心を持って接し、触れ、思考・心・体、区別無く全てを使って「生活・環境」「人とのつながり」「物事」を見つめて動かないと意味無いじゃん!!!ってことでした。「よりよく」していかな!って。祈るにしたって(もちろんいつも心に平和の祈りはあるのよ^^)、それが心底、自分のことと重ねて、本当に心底祈らなけりゃ~・・・。なんかね、私はスピリチュアルって本当に全部で今この瞬間を感じることにつきると思うのです。私には正直前世については知らないし、ましてや死んだらどうなるとかガイドとか・・・よくわかんないんです(笑)わりとどうでもいいんです。スピリチュアルグッズとか興味もないし。だからって、もちろんそういうのを否定してるんじゃないですよ。人間の目に見える世界なんて限られています。科学で証明できることなんてちょっぴりだと思っているんです。当たり前に、目に見えない大事な事も、そして目に見える大事な事も(ちっちゃなことも)、みんなみんなが自分の肌で心で手で足で、めいっぱい感じて、素直になって、今を紡いで生きていくこと・・・。上の空で無しに。自分が体験できる日々の中から。何事もなかったように思える日でもなんにもできなかったように思える日でもいいんです。きつい時もあります。嬉しい時もあります。以前は「頑張る」ことにたいして抵抗していた私も(笑)最近は、「頑張ってるわたし、いいじゃん」って素直に思えるようになってきました。まだまだな私ですが、ますます日々を大切にしよう。と。まずは子育て。家事。ね。フハハハ。腰がいてぇ~。
February 19, 2008
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我が家は明日お引越しです!・・・子供たちは祖父母が今夜預かってくれました。結構前から整理整頓も兼ねて手をつけていたけど、子供のおもちゃやお皿類はギリギリでないと手がだせないためとっておいたのですがしかしまぁ、、、、なんてモノが多いこと!おもちゃと格闘しています。そんなわけで皆様の温かいコメント、とっても嬉しかったです。ありがとう~。私も前回日記のこと、よくよく考えます。今しばらく、ちょいと時間がないためレスが遅くなります。ごめんなさい。引越し先は、光回線になるようですが、一週間くらいかかりそうです。今後ともよろしくお願いいたします。
February 9, 2008
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「楓ちゃーーん!楓ちゃーーーん!」大声で叫びながら、いろいろな事を考えていました。「どうせすぐに現れてくれる」「こんなに探しているのにもし誰かにさらわれていたら」「ターシャたちを責める事は到底できない。私のせいだ・・・」「甘えてきた時に邪険にしてしまった・・・」「私の日頃の子育ての適当さがこうなった。」「心の中で「どっか行ってよ」って思ってたからだ。」「後悔してる場合じゃないよ」「あー本当に私って馬鹿」・・・・本当に日が暮れる。これはやばい。まずヨーゼフに電話し、それから110番にかけました。「無事でいて。とにかく無事でいて。ごめんね。ごめんね。ごめんね。」祈りながら・・・・ほどなく異常な速さでヨーゼフが合流。今日は自転車で会社に行っていたので、でも見るとカバンも持っていないし社員証を首から下げたまま。本当にパソコンもつけっぱなしで文字通り飛んできてくれたヨーゼフ。「おれ、コンビニの方まで走って行ってみるよ。」そう言って自転車をすっとばしていくヨーゼフの背中に「ありがとう。見つけてね。楓ちゃん、無事でいて。」とただただ祈りました。数分後携帯電話が鳴り、「いたよ!」のヨーゼフの声。。。。。。小さく息を切らしている3歳のニキの手を握りながら「楓ちゃん、見つかったって!」と私は泣いてしまいました。ターシャとニキが見失った地点から2~300m離れたコンビニのそばの道路にひとり立っているところを警察が保護してくれたのだそうです。楓ちゃんはというと全く泣くでもなくケロっとした表情でおまわりさんにもらった棒付きキャンディーをぶらぶら揺らしながら「これー、楓タンの?(ニヤリ)」と言っていました(^^;おまわりさんもヨーゼフも子供たちもみんなが口々に「よかった。本当によかった。」と何度も言いました。お巡りさんにお礼をいって別れると、私たちはみんなでコロッケ屋さんに最後の弁当を買いに歩き始めました。お巡りさんに楓ちゃんを引き渡してもらったところからすぐそこです。「そういえば、楓ちゃん玄関先に干してあったパパの革靴を持って出たって言ってたよね?今、持ってないよね?」「え~~?俺の靴~?どっかおいてきちゃったのかなぁ・・・。」コロッケ屋さんの隣の電気屋さんの店先に籐でできた大き目のキリンちゃんが立っているのですが、その足元にお行儀良くパパの革靴が並んでいるのを発見!@@!「楓ちゃんはここでキリンちゃんとお話をして靴を置いてきちゃったんだねぇ~」とみんなで笑い合いました。みんなでおうちでお弁当を食べてほーーーっとすると私の体中が・・・・痛い。寒さと緊張と何度も坂道を上り下りしたので急に体の力が抜けたらなんだか体中がヘロヘロになってしまいました。ヨーゼフは再び会社に戻りました。お風呂に入れて、3人をお布団に入れて絵本を読んで・・・今日のドタバタが少しでも癒されるように心を込めて子守唄を歌いました。するといつもに増して子供たちは私にひっつき「ママ愛してるよ~ぶちゅぅ~^^」と言って甘えてくれました。寝かしつけながら、私は子供たちに「今日はごめんねぇ。ママちゃんと見てなくて。。。ごめんねぇぇ。楓ちゃんママはなれちゃってごめんねぇ。」「でも本当にありがとうね。ターシャもニキも精一杯一緒に探してくれて本当にありがとう。ターシャ、いつもおチビちゃんたちのお姉ちゃんえらかったね。ありがとうね。楓ちゃん無事でいてくれてありがとう。本当にありがとう。」「ママ、みんなのこと愛してるよ。」そう言っていました。これは本心からその時そう言っていました。こじつけて言ったのではなく自然に。しかしまー・・・あまりにもはまり過ぎてこじ付けであるかのようだ(笑)子供たちが寝てから、「早速体現しちゃったなー。。。」なんて(笑)***もうちょっと今日の出来事をよくよく考えて自分の内側を見てみようかな。(長文読んでくださってありがとう)
February 7, 2008
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私は昨日知人にこんな癒しがあることを聞きました。「ごめんなさい。愛しています。ありがとう。」ふぅ~ん、なるほど。やってみよう。寝る前にこの祈りを少しやってみました。それは決して嫌な作業ではなかったけれど、少し痛い、切ない、けれど優しい祈りでした。そうして他者への祈りから始まり茫漠とした世界の人々、最後に自分の家族・子供たちと身近な者たちになるにつれ、やはり強い感情が働きました。私の中には多く「罪悪感」があることを発見しました。「ゆるしてもらいたい」と思ってること。などなど・・・。明けて今日の午前中はまたその話について洗濯物干し干し考えていました。最近は引越しの作業なんかで余裕も無く、子供たちに怒り過ぎている事も反省して心の中で、集中できないながらも「ごめんなさい。愛しています。ありがとう。」と繰り返してみました。わかる気がする。私がいつも思う世界観ににている。でも本当のところ、こういうのってどういうものなの?そんな気持ちを抱えつつ。。。ただ繰り返してみたりしてました。それでも午後になって時間がたつにつれ、子供たちに次々増やされる仕事。。。やれ、こぼした。やれ、ケンカになった。おしっこトイレにまき散らした。オムツ換えずに逃げ回るチビッコ・・・。また汚した。ママーあれどこー?本当に引越しの作業や手続きの電話もなかなかスムースには進まないのです。「はいどうぞ」「はい、はいー」がやがて「えーまた?」「あーもう!」「あーもう!ねぇっ!ちょぉとぉぉっ!」と怒りに変わってくる私。イライライライラ・・・・・「ねぇねぇ、ちょっとさ、またお外で遊んでおいでよ」長女のターシャを促す。私のイライラモードを敏感に察知した長女は、私が自分を落ち着かせるためにガシガシとヤカンを磨き始める様を横目で見つつ下の子たちと共にお外へ。うちの前は車が通らないので、いつも家の前の通りや坂道で遊んでいるのですが、時折目の届かない坂の下のほうまで行ってしまってハラハラさせることがあるのでいつも「おうちの見えるとこにいてよー。お姉ちゃん、よろしくね。」と言っています。ヤカンがピカピカになってきて(引越しの作業の中やらんでもいいことだけど)やっと心も落ち着き、磨きながら「もっと子供たちを包んでやらなくちゃなー、最近かまってあげれてないから。子供たちだって引越し前で落ち着かないんだし。」と考えていたので仕度をして子供たちを迎えに出ました。「そうだ。あの角のコロッケ屋さんのお弁当を引越しする前に食べたい、って言ってたターシャのために、みんなでお散歩がてら仲良く買いに行くんだ。」そう思って。。。。表に出るとターシャの大声が聞こえてきた。「楓ちゃーーーん!楓ちゃーーーーん!」・・・「!!!!」走って行くと「楓ちゃんがいなくなった!」と息を切らしたターシャが。「なんでちゃんとくっついてないの!?どこまで一緒にいたの??」とターシャを少し責めながらそれでも内心私は「またその辺の庭先に入り込んで、ぴょこっと門から顔を出すんだろう」そう思っていました。けれど、探しても探しても見つからない。。。日がどんどん暮れてくる。暗くなったらやばい。ターシャもニキも必死で大声で名前を呼びながら家の前の坂道をのぼったり降りたり・・・降りたり登ったり・・・・ニキはだんだん息がぜぇぜぇしてきている。喘息のけがあって。それもあって、子供たちに楓が帰ってくるかもしれないから家でお留守番して待っていてくれないか?と頼むけれど、子供たちは「いやだ!一緒に探す!」と言い張る。***ちょっと長文になりそうなので一旦ここで。
February 7, 2008
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賃貸の平屋のぼろーい一戸建て。それが我が家。もうすぐお別れです。。。メモリアルに思い切って大公開です。アルバムにしましたので、よかったら見てね♪懐かしさいっぱい、胸いっぱいであります。アルバム「ナーナ的昭和レトロ廃盤生活」『今すんでいる賃貸の平屋一戸建ては、なんだか昭和~な家でそういうのが好きな私は、たとえ隙間風があろうとも、屋根裏になんか住んでいようとも、それはそれで結構気に入っていたものでした。が、この家は私たちが出た後、土地ごと売りに出されます。その後、ここに人が住むことはもうないでしょう。。。。引越すまであともうちょっと。記念に写真を残しておこうと携帯カメラ片手に(散らかった)我が家を歩き回ると、、、やっぱりそこには昭和ワールド(笑)もうお別れだ。。。』※このアルバムって、アップした順にならないで、後からアップした写真が上に来ちゃうのね。。。なので「おまけ」が最初のページに。
January 31, 2008
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我が家は引越し準備 真っ最中です。出るわ出るわ、ゴミ、粗大ゴミ。なんでももったいない星人なので、今までなるべくフリマなんかして「拾う神」さんに引き継いでもらいたい。。。そう思ってなんでも取って置いていた私ですが、次に住むところはとても狭くて、収納も半間の押入れしかないため全部はもっていけない。当分使わないものは夫ヨーゼフの実家に置かせてもらうため、週末ごとに小分けして運んでます。それでも、子供の成長と共に不要になったものや、壊れて使えないもの、リサイクルショップに査定に来てもらっても、よほど綺麗で元が良い物でないと今は「物余り状態」でただででも、引き取ってももらえないものもある・・・。「有料で処分しますよ」なんてのも、市に出すより2倍ほどの金額を取られるので、それなら自分で市の粗大ゴミに出すことになるのですが、それだってリサイクル屋さんにしてみれば「安くて体力使うだけ」のお仕事でしょう。私がこれから越す自然の多い土地は少し前は不法投棄問題があって・・・ダイオキシンの検出量も工場も少ない田舎の割には多目なんです。いろいろ心が傷みます。私はモノを作ることが大好き。娘も工作大好きな子です。なるべく取って置いてありますが、でも、今回の大掃除でやはり捨てなければならないものが出てきますね。(もちろん大好きなおもちゃもこれほど増えていては泣く泣く手放してもらうモノも・・)「モノを作る時に」、それが大きいものであれ、小さいものであれ、お料理であれ、または、「モノを買うときに」。本当によくよく考えなければいけないですね。いつか壊れる。いつかゴミになるかもしれない。。。我が家はどこに引っ越そうとも、この地球。地球のゴミ箱は満杯。これから家を建てようとする私は、真剣に「サスティナブル」な物選びをしなくてはならないですね。建材を調べると「我が家の快適」を謳う製品は数知れずあれど「地球の快適」を考えてる製品って(今はどこも「エコです」って付け加えてあるけど)・・・どうなのかな・・・??結局、建主が(いや家を建てない人でも)生活の価値観をもっともっと必要なものだけにしぼって、いつも心に「自分の我が家は地球」って思ってないと、ですね。スローライフ、スローライフってのんびり優雅に生活することじゃないですよね。何をこなすにも時間が手間がかかること。「便利」なだけじゃない生活をめざします。(ぐーたらだけど)できることからやります。きっとできることは(または削れる事は)もっともっとあります。またきっと家具や物を増やすことにはなるでしょう。(家自体がでっかいモノだ)なるべくリサイクル品、なるべく土に帰るか回収できる品。考えて。よく考えて。
January 30, 2008
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我が家はもうすぐ引っ越します。来月になるかな。引っ越そうと思う土地が今のところから結構~~遠くて、パパの会社も通勤に時間がかかるようになるし・・・で、いろんな迷いもあったしわたしたちなりに考えて、考えて、それで決めたんです。家を建てます。自然のある土地に。なので、ここのところ何度も週末のたびに物件を見に行っていて。だいたい決まってきたところで、ヨーゼフの父もそこを見てみたいと言うので不動産屋にも用事があったし、去年の暮れ近くのある日みんなで行く事になりました。高速で目的地に近くなった時、窓の外に・・・おお~~~~きな虹がかかっているのが見えました。その時、「あぁ、ここに住むことに決めて良かった、ってことなんだなぁ」って思いました。そういえば。今の昭和な平屋の賃貸に移り住むことを躊躇していた時もそうでした。今のところは家賃も安いし希望通りの広さもあるけれど、車が家の前まで入ってこられないのでちょっとした坂の下にある駐車場に停めてこなければならず、幼稚園も遠く、当時真ん中のニキが1歳直前くらいで3人目を妊娠していた私は悩んだんですよね。修行のような日々が確実に待ってるだろうと(笑)「もう一回見に行ってみようよ」と不動産を介さずに2度目にこの家を見に行って「ここでがんばろう」と決めたその帰りです。車を出してちょっとして家の方向を振り返り見ると・・・空には大きな虹が二重になってかかっていました。それはそれはパーフェクトな虹でその時も「ああここに住むんだなぁ」って思ったのでした。この時は後日談があって。物件に寄る前に古本屋に本を売りに行っていて、そこで前から欲しかった「スーホの白い馬」という絵本を見つけたので即買ったのです。(ターシャもその頃4歳になるころだったのでもうわかる内容かなぁ・・・と)その夜家で買った本を開くと、その最初のページにはその日の昼間見たのと全く同じ虹が!二重に大きくかかる虹が描かれていたのです。驚きましたねぇ~^^ってなことで、今までと違う環境に思い切って移り住むときにも背中を押してくれるなんらかの計らいがあるんではないかなーと思うんですが。それが我が家の場合、虹?なーんてね。アハハ。なんかかわゆくていいでしょう?^^
January 8, 2008
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先週のことです。先週から今もちょっとひきずってるんですが、心身ともに疲れちゃってた私は風邪も長引きヘロヘロでした。(今は心のほうはもうかなり復活っです。咳と鼻水がまだね~^^;)夜中に一番下の楓ちゃんが起きてきて 寝かしつけていた時のことです。私は楓ちゃんの横に肩肘をついて自分の頭をささえた状態で、寄り添い楓ちゃんの背中をトントンしていたのです。私もついトロトロとしていると、夢というか、一瞬のことだと思うんですが。。。わたしが楓ちゃんにしているように、私を覆うように頭上にふわりと優しい女性が寄り添っていて、耳元で子守唄を歌ってくれているのです。聞いたことも無い言葉、聞いたことも無いメロディ。優しい淡々とした繰り返しの唄。ハッと目が覚めて、ゆっくりと唄を思い出してみました。でも、なんせ聞いたことの無い言葉。。。はっきりとはわからないんですがこんな感じ。「♪ゆーとみーてやらーわー あなーーためてとー (または、 ゆーとみーてやらーやー あまーためてとー) ゆーとみーてやわーわーー あなーためてとー 」まだ歯を磨いて寝なおす時にも そのことがきにかかり 目をとじながら「その先は?どんな唄?」と考えてみました。「 ♪うんーもるぐじー うんもるぐじーー(最初の旋律より低い音で) 」「うん」と書くより「UN」と書きたい感じです。「うんーもじーくやー」だったかもしれない。まーそれが夢でもガイドさんでもなんでもいいんですが、私は心地よく疲れた気持ちを癒されたので、ほわりと温かい気持ちになれたので。よかった。よかった。うふふん♪ところで、こんな言葉、何系に思います
October 10, 2007
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その一 今朝、出かける準備をしているわたし。その足元で散らばった絵本をせっせと本棚に戻してるターシャ。するとターシャが本を戻しながら「ゆにくろ」と一言。わたしが「え?え?なんで今ゆにくろ、って言ったの?なんでそう言おうと思ったの??」聞かれたターシャは、モジモジ・・・「え~、なんかわかんないけど言っちゃった・・・」と自分がいけないことでも言ったのか、とはにかみながらというか、バツ悪そうに、というか。ちょうどその時、私は自分の洋服ダンスの前で「う~ん、どれ着よっかな。ユニクロのシャツでもいいか。。。」なんて考えていたのです(笑)もちろんターシャはそんなこと知るわけもないし、わたしも口に出して言ってない。少々びっくりです。その二 昨日、今日とターシャは3歳の頃以来ごぶさたしている東京ディズニーランドの思い出話と「今度行こうね!今度行ったらね・・・・」などとやたらうるさかったのです。今日も終わりになる頃の子どもたちも寝た後、わたしの友達からメールでその子の娘さん(ターシャも赤ちゃんの頃からの仲良し。つい先日もうちにお泊りにきた女の子)が明日誕生日なので、今日お祝いとしてディズニーランドへ行っていた・・・という事が判明。「あぁ~、なるほど。それでか。」と思う(笑)ターシャ・アンテナはすごいな。
September 30, 2007
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ターシャは普通の子のようであり、クリスタルチルドレンといわれればそのようでもあり、チャネリング少女といわれればそのようであり・・・(笑)ただの子供らしい想像力(妄想力?)の女の子といえばそれそのままである。けれど、以前にも書いたことがあるように、時々ふっとこちらをドキリとさせるようなことを言うので、親としてというよりは ひとりの人間としてこの子から学ぶことは多いのである。子供を持つ人はみな子供の存在にそういう事を感じる事でしょうが。最近のターシャさんの興味深き発言など記録しておこうと。まず何気ない我が家での昼食時の一言。「ねーママ、人の心はね、ひとりひとりみーんな違うんだよ。」(ご飯食べながらこの子はこんなことも考えてるんだ?突然話の脈絡もなく言うからドキッとするじゃないか。笑)それとその数日後家族で丹沢の山の麓にある川のせせらぎや子供がのびのび遊べる遊具のある自然公園にて。川辺とその側のこども広場へ降りていく前に事務所と休憩所のある建物で飲み物を買い、さあいくぞーという時にターシャがさも面白おかしそうに「ターシャね、なんだかわからないけど頭に浮かんでどうしてもいいたくなった言葉がある。」というのできくと「おといっ!」と。。。(笑)「はあ?なによそれ」「わかんない~キャハハハ~。」「・・・・」川へ降りるにはそこから長い坂道を下っていくだけなんだけど、その前にその川を大きくまたぐ吊り橋も渡ってみたい。で、遠回りして橋を渡って向こう岸の坂道を下って、足首ほどの深さで子供も渡れるであろう川を越えてこどもの広場へ、というルートをとることにした。実際フーフー息切れしながら川辺に着くと(距離があるのよ)、上から川を見下ろした時に気づかなかったのだが、その日は数日前にきた台風と続いた長雨で増水しており川に入るのは禁止、となっていた。見ればだいぶ増水も落ち着いているものの、流れは速目だし、中州に大きな流木がゴロゴロしていて、おそらく1日2日前ならばものすごい濁流だったんだろうと想像できた。渡れない事もなさそうだったのでターシャとは手をつなぎ、楓ちゃんをだっこし、ニキはヨーゼフにまかせ、何度か足をとられそうになりながらも向こう岸に無事着くことができました。家で夜中になってふと「オトイの謎」を思い出し調べると、全然わかんね~(笑)しかし適当にあたりをつけながら調べるうちに、アイヌの言葉で「オトイ」というのは「泥で汚れた川尻」「泥の川」などの意味を持つことが判明。なぜ丹沢でアイヌ?でもどれも、あくまでもひとつの説、でしかないのですが、むかし丹沢にまでアイヌはきていた(ヒグマまでも!)説、「ヤビツ峠」の語源にもアイヌ説、丹沢のタンもアイヌ語が語源説(朝鮮古語説もあります)・・・・ ・・・古代アイヌ人がターシャに話しかけた?川辺危ないよ~、とでも??(笑)おもしろいので、あくまで私の中だけですが「それ、採用」(笑)またその数日後「ママ、次の時代にはどうなると思う?」「え、人間の時代が終わってってこと?」「うん。なにがくると思う?」「どう思う?人間はみんないなくなっちゃう?」「わかんない。いなくなっちゃうかも。・・・うーん、でもいなくならない。続いてく。と思う。」なんて会話とか。(だって幼稚園児よ?笑)またその数日後「ママ、みーんなにおじいちゃんやおばあちゃんはいるんだよ。そのおじーさんやおばーさんにも、ね。そうだよね。」とか。最近はちょっとターシャの幼稚園の事でいろいろとあり過敏になっているのか、夕刻から夜寝るまでの時間に時々様子に変化がある。ちょっとしたことがきっかけで大げさに泣き喚いたり、不自然なほどに私に甘えたり、夜を怖がったり・・・・。この子をもっともっと深く受け入れて包んであげないと・・・なー。と、思った次第。
September 23, 2007
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ウォルドルフ人形制作記録のその2☆女の子編とその3☆ヘアスタイル編アルバムアップできました~。その2☆女の子編その3☆ヘアスタイル編ページはとおし番号順になってますので、そんな感じでみてください。その4☆お洋服編がそのうちできる予定です。
July 24, 2007
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今日はターシャが幼稚園にお泊り保育です。シュタイナーでないどころか、なんでも早期系の幼稚園に通ってるターシャ。水族館でイルカショー(を見ながらランチ!捨ててもいい包装で捨ててもいいお手拭のランチを持って行きました。エコじゃないなぁ。しかもご飯の時間を大切にしてないなぁ)の後、老人ホーム慰問、入浴、それから園に帰ってキャンプファイヤーとカレー。朝起きたらプールにお楽しみ会。子供たちはドキドキ楽しみにしていて、きっとそれはいい思い出になるのだろうけれど・・・・ハードだよなぁ。ハードスケジュール。園児の数もものすごく多いし、先生達だってハードだろうに。それじゃ時間に追われて、子供たちとまったりゆっくり会話もできないだろうに。はぁ。シュタイナー系に入れてあげたかった・・・なーんて今更言ってもね。^^;ターシャを送り出した後、手芸店に行って子供部屋にピンクの布を飾って、せめても家ではまったりできる空間を作ってみようと、布選び。ピンクの無地。それだけなのに、なかなか丁度いい具合の色が見つからない。近場を3軒回って、ニキと楓ちゃんを代わるがわる抱っこしたり、ぜーぜー言いながら悩んだあげく、やや薄めのやわらかいピンクに決めた。あんまりケバケバしい濃いのは嫌だったしね。かと言って、草木染で家庭のおなべで染められる長さじゃないし。(実は今草木染を少しずつ習いに行っている)ところが、家で開けてみると、お店でみた時よりずっと薄い少しくすんだ感じの色合いだったーーー!お店では照明の加減なのか、もうちょっと鮮やかに見えたんだけどな。ショックで・・・家でおもちゃ部屋にたたずみ、ひとり「う~~~ん」とうなっています(泣き笑い)一応拡げてポールにかけてみたんだけど・・・確かにやわらかい感じはするものの、あんまり美しい感じがしないんだよなぁ・・・。さて、どうするかしら。染め直す?(いやー素人には無理だね、あの量は)シルクのもう少し濃いピンクの布をアクセントに足してピンク感を出してみる?布を買いなおす?がまんする?むーーー(--)
July 23, 2007
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最近のナーナかあさん、ブログもアップせず、というか、PCの電源を入れる日もかなり減少してナーナが何をしていたかといいますと、一ヶ月コツコツ夜なべをしてターシャとニキのお誕生日プレゼントにウォルドルフ人形なるものを作っていたのでした。手芸は昔から好きな方ではありましたが、こういうお人形さんを作ったのは初めてです。先日二人の誕生日に(二人は誕生日が一日違いなのです)無事渡すことができました。喜んでましたよ~~。よかった!最終仕上げの二日間に疲れが出て、ついに熱を出してしまいましたが、最後の気力をふりしぼり(笑)「おたんじょうびのおはなし」という星の子の小さな絵本を手作りして、簡単なケーキを作って、とってもすてきなお祝いができました♪そんなわけで、コツコツが苦手な私の、ある種修行の日々を記録に残しておきたいわけです。これから作る人にも「こんな感じかぁ~」って見てもらえるといいな、と思って。キットを購入して作りましたが、人形の実物もみたことのない、講習も参加したことのない初心者が作るには、これ「ウォルドルフ人形の本」だけじゃ、絶対作れなかったです。「アトリエノートV」なるものが必要!すごく丁寧に説明されてます。はじめて楽天のアルバムを作ってみたので、まだ慣れてませんが、ひとまずおチビさんの方の男の子の髪の毛をつける前までアップできました。ではでは、こちらに。ウォルドルフ人形制作記録☆その1☆B体男の子編※あくまで私のはじめて奮闘日記です~。わからないで間違ってるところもいっぱいあるかもしれません(^^;)これからお作りになる方はぜひ本とアトリエノートちゃんとお読みになって下さいね~。
July 22, 2007
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ニキはもうすぐ3歳。彼はチョキができない。そのくせ最近じゃんけんがお気に入りのよう。「じゃーーんけーーん、、、、、ぽん!」で出すその手は握ったこぶしの親指を立てたかたち。まさに「GOO!」ってところだ。それがおっかしくて、じゃんけんに付き合う私とターシャも「なんだよそれ~~爆笑)」と言いながら、みなで、GOODサインでじゃんけんだ。だれが勝ちとかそういうことじゃないんだよ。みなでニコニコと笑いあえるじゃんけんをしていて思ったこと。というか、ここ最近どうもこの手の話題が心にひっかかることが多く、うまく文章にできないでほったらかしていたけれど、ちょっと書いてみよう。先日、もう午後にさしかかる、という時間にヨーゼフが茨城の牛久大仏に行ってみたいと言い出した。なんでも世界一でっかい大仏だそうで。ギネスにのってるそうで。たぶん会社の同僚との話のネタ、とかそんな感じなんだろうと思った。普段はそんなに自分から行きたいとか言わない夫だから。。。けれど、この時間にうちからかなり遠い茨城に行くことは子供たちも疲れるし(前日近所にホタルを観に行ったので、ちょっと夜更かしだったのだ)、長時間の車の移動中で愚図る子供たちの面倒をみるのも疲れの溜まった私は避けたかったし、なによりも「大仏がでっかい」ことに興味がわかなかった。だから、乗り気がしなかった。もうひとつ、なにかが気に入らなかった。結局「いつも私のわがまま聞いてもらってるしなぁ」と、折れてしぶしぶ行ったのだけれど。何がこんなに気に入らないんだろう。行ってみて、この大仏を大きく作った意味はなんとなくわかって飲み込めたものの、私にはやはり大きいことは感動ではなかった。(緑が多くていいところでしたよ、実際は)鯉が大きかった事や、今現在PCの横になぜか悠然と歩く超ビッグサイズの殿様バッタなどには「でっけ~~!」と感動するのにね。(目が合ってる!見つめ合ってるよ!!)友人の子供が学年の平均身長より小さいから、と言って旦那さんの家族にあれ食べさせろこれ飲ませろ、とうるさく言われるのだそうだ。愛情からきてる心配とはいえ、まだ幼い子供なのにちゃんと食事たべてるのに「平均」で問題視するのはどうかと思った。体の事を。小さな頃から闘争心がなかった。まったく負けず嫌いじゃなかった。絵をほめられることや賞をもらったことは嬉しかった気がするが、不思議な気持ちの方が強かった。「大人はどうやって選ぶんだろう?」って。成績は特に勉強しなくてもまあ平均点はとっていたので通知表をもらうことも楽しみでも苦しくもなかった。自分の気に入らない絵を「うまいね~!すごいね~!」言われるとむしろ腹がたったような嫌な感じの子供だったからな・・・。笑それなのにいつの間にか大人に褒められるコツを覚え、専門学校でも「この先生が好きなのはこういうタッチ」みたいなせこい課題を提出していたな。そしてただの小器用な人間になり、自分の心からの絵が存在しなくなっていた。長い事・・・。絵を描くのは頑張ることじゃない。だから私の書く絵はゲイジュツじゃない。描いてる時間が行為が好きなだけ。落書きなんだろう。うまく言えないな。とにかく絵や文章や人生には数学や社会のテストと違って一番なんてない。順位も大きさも勝ち負けもない。確かに「正当な評価」による人間の成長や向上はあるだろうと思う。問題点を見直すこともできるし。必要なんだと思う。うん、必要だ。人ががんばることはいいことだもの。勝負にも種類があって、切磋琢磨ということもある。ナショナリズムを高めるとか交流を高めるとかいろいろ、ある。ただたぶん、、、何に頑張るかってところ。欲がくっついたもの。所有欲?とか。優越感?とか。たぶんそういうもの。本末転倒になって結果を求めるばかり入魂を忘れてしまったもの、とか。征服欲、とか・・・。いろんな人がいるんだけれども。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。だ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと云へり・・・さらば天より人を生ずるには万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく~されどもいま広く此人間世界を見渡すにかしこき人あり愚かなる人あり貧しき人あり富めるものもあり貴人もあり下人もありて其(その)有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや其次第甚だ明あり実語教に人学ざれば智なし、智なき者は愚人なりとありされば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由てできるものなりby諭吉空からみたらばどんぐりのせいくらべ かもしれないよそれでも人はかわいいものよ、と思えるのよ大きいことの安心感 小さい事の安心感それでも結局最後は自分のミクロに向かわなければ宇宙のマクロに近づけないのbyナーナ
July 3, 2007
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先日お友達のちゃーみぃちゃんのキリプレで、妖精のカードを届けていただきました。ちゃみちゃんありがとっ!で、早速説明書を読んでみる。フムフム・・・・「同じような質問を何度も繰り返してカードをひくと不思議と同じカードが出てきます。 このオラクルカードを全く初めて手に取った人も、長年使っている人も、結果は びっくりするほど的を得ているのです。・・・・・・・」「ふぅ~~ん(半信半疑)」YA!ほんとでしたよ。同じカード出た出た。私がひいた時に一回、次にヨーゼフにひいた時に一回、その他シャッフルしてる時に4回同じカードが飛び出てきたからね(笑)なんじゃこりゃこりゃ(笑)私の妖精アンテナ(妖怪っていうな)と妖精さんとちゃんとつながったようです。今までそれほど占いに興味のなかったナーナですが、やってみると不思議で面白いです。一日に一度または二度ほどひいて、いつも自分が思っていたことと合うので毎日楽しくひいてます~~。
June 14, 2007
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私は宇宙にいる小さな小さなチリのようなものそして宇宙のひとつぶである布団にはダニやダニの死骸ダニのフンが目に見えないけれどむっちゃくちゃいるという・・・(なんて例えよw)たぶん私は宇宙の中で 布団という宇宙で言うところのダニのフンよりももっとずっと微小な存在それでも毎日汗流したり笑ったり涙したり怒ったり、私が生んだ小さな小さな人たちのことを真剣に考えたりしている自分らが小さな宇宙であることの なんと愛しきことよ なんたる安心感その小さき人々が 夕方の薄闇の空の下でピンク色の大きな布をはためかせ走り回り大笑いしている姿はなんて、なんて美しいのだろう私たちはみな宇宙に漂うチリのひとつぶそのものなのだからそのことを思えばなんでも 誰でも かわいいし すごいし おっきいし 小さいね遠くから見たら ここで愛をしてる私たちは大きく光っているんだろうとけあって つながっているんだろう
June 7, 2007
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何から話そう。。。GWですね。数日山と海に囲まれた友人宅にステイしてました。カラリ晴天の海の目の前の芝生の広場でアートフリマに出店しました。この旅で得た濃い内容をまだわたしの中で学びとして消化出来ていないし、言葉にも出来てませんが。まず頭の整理をするためにひとつ書き出してみようかな、と。睡眠不足と慣れない海風と日差しにやられて、しばらく車で休ませてもらっていた時に、頭の中で『見えないものについての認識』という小難しい講義が(笑)勝手に流れてました。こんな感じです。目で見える三次元の世界が私たちのいるところの現実で、その現実世界は、肉体でいうと眼球の表面にあたります。(あくまで説明するための表現ですけど)しかし 『見えないもの』の存在を「見てる」人もいますよね。こちらは、「心の目」から眼球までの表面まで行かない地点で焦点があって「見える」のです。(「心の目」というのも、他に言葉が見当たらないので不適切なのかもしれません。。人間が本質を認識をする部分、ということです。)そして、それは、見えない人もいるけれど、他の人に見えないからといって、「存在しない」という事にはならないのです。見える人は、見えないと思われてるモノをその眼球の表面の手前で既に見えてしまっているから。私は見えない人だけれど、心の目から眼球表面までの距離の間にはいくつもの層というのか次元というのか、世界があるのだそうです。(もしかしたら人間のわかる範疇を超えて、もっと無限に「それ以上」の次元や世界があるんでしょうね)つまりは現実に見えないモノについても、それを見ることができない人も「見えなくても在る」と認識しなければならないのです。「見えないものが見える人」にとって、「見える」以上、それは存在するのです。スピリチュアルな方々が大手を振って「見えちゃいまーす!」と言ってもいいってことかも?(笑)見える人には当たり前っちゃ当たり前?(笑)本当はもうちょっと複雑なところまで細かく説明があり、(図説もあった)「その先」もあった気がしますが、覚えてるのはこれくらい。本当のところはわかりません!あはは。それは「死後の世界」とかじゃなかったと思います。今、この場であって、です。ただ、今までに見聞きした知識や他の人が言ったことを自分の中で想像をふくらませて「在る」と信じるのは違うだろうと思います。それはそれで、方便というか、楽しく生きる智慧というか、全然否定はしません。「目に見えるものしか信じません!」という方が、つまらないんじゃないかな、と思うくらいです。その翌日の午後、一緒にアートフリーマーケットに出店したアーティストの方が友人宅にて子供たちになぞなぞを出していました。「目には見えないけど ほんとにあるもの な~~んだ?ちゃんといつもみんなが知ってるものだよ~。」子供たちはそれぞれ陳回答を口々に言って盛り上がってました(笑)だんだん近くなってきて「空気!」「酸素!」も出て、もちろんそれも正解の答えのひとつでしたがどうやら彼の答えは「音」「声」というところだったようです。もちろん私は横で聞いていてわかりましたよ~。そう。音、音は見えないけどその振動がなんらかのカタチを作る事もできるでしょうし、確かに我々のまわりでちゃんと存在しています。講義の意味がなんだったのか、未だに自分でもいまいちわかってない私ですが、つまりは「見えなくても存在するモノ」はフツーーーにいっぱい身の周りにありますよー、ってな簡単なことなんでしょうかね・・・?目の能力・機能にはきっと限界があるのです。目に限らず、耳も鼻も。目はコンタクトだし、鼻は鼻炎だし、耳は中耳炎ってこともあるし(いや、今、私がそうなわけじゃないですって。目悪いけど)心で感じる。自分の芯のところで感じる日々を過ごしましょう。うう~ん、こんな締めですみません。たははは ^^;それにしてもこの一緒に出店したアーティストの方(私の友人の友達で以前から数回会ったことのある方でしたが)、すごくサーフィンの上手なカッコイイお兄さんですけど、中身もすごく熱くて濃い~方で(笑)いろいろ刺激を受けました。(子育てのこととかも。)ああ!書き忘れていた。そのなぞなぞの直後に友人が魚や野菜の入ったホイル焼きを出してくれたのね。お兄さんはそこでも子供たちに「さあ!子供たち、開ける前に透視クイズ~!中には何が入っているかな~?ニオイでわかるかな~~??」ってのもやってました。この方は子供たちの感覚を育てる、ってことを実践してる方です。ほんとに。まずはそんなGWの前半。
May 3, 2007
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本当の自分を探したり しない。なぜならここにいる私が今の本当の私だからだ。此処以外のどこかに本当の私などいない。この ここに居る ちっぽけな 私が。今日も一日 子供たちが大けがすることもなく 無事に眠りに就いた。ふーやれやれ。よかった。私の小さな人たち。弱くても 小さくても 意地悪なところがあってもこれが 今の私の全てだ。それでも 私はいつも変化していくから。その変化を味わおう。子供たちとパパと友とスクスクして行こう。育って行こう。そう「此処」 が いつも 私について来る。「今」 が 私について来る。わざわざ探さなくても 泣いても 笑っても ほらね。本当の自分なんて 遠いどっかにいるわけじゃないのよ。
April 23, 2007
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夕方、友達と長電話をしていたんです。それで教育の話になり(っていってもそれほどたいした話でナイ。もちろん。)、「テレビを全く見せないってわけにはいかないよねー。見せ過ぎはもちろんよくないんだけどさー。」と、NHK教育を並んで座ってみているターシャとニキをキッチンから眺めながら話していました。楓ちゃんは私の足元にからみついていました。(そういえば、今日は雨だったしテレビ、見せ過ぎだな・・・・)なんて考えながら。。。そのとたん!テレビがバシッと消えました。びっくりして周りを見回す子供たち。リモコンは子供たちのところから1mくらいのところにあり、触っていない。自動オフのタイマーなんてついてない。ね、念力か??すぐにスイッチを入れたらまたつきましたけどね。いや~~びっくりしたよ~。思考とテレビの情報が瞬時にリンクするようなできごとは昔から多いんですが、「テレビ見せ過ぎ」と考えたとたん切れるなんて初めてです。関係ないんですか?たまたまなんですか?その後ヨーゼフから「今残業です」のメールが届き、残業だと9~10時かそれ以降のことが多いので「ふー。子供たちが寝るまでもう少しだ。頑張ろう。」と家事と子供の世話をすすめるも、夜8時くらいになって、ふと「ヨーゼフ何時になるかな?」となんとなく気になり携帯にかけたんですが、数回呼び出し音の後、玄関の鍵が開く音が聞こえました。ね、念力か??(笑)さて、昨日までのブログの続きになります。私の好きな忌野清志郎さんは、癌療養に入る時こう言いました。「人生経験と考え、新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できれば」アンケートとして、結構な苦労人だと思う父と母にも「ストレスがありますか?」と聞いてみました。すると母「う~~ん。あんまりストレスとか思った事ないわねぇ。^^」父「あんまりないなぁ。」ぷぷぷ。やっぱりなー。人生には人それぞれで、たくさんの小さい事や大きい事の経験の連なりであるけれど、それを自分がどう受け止めるか。ストレスを見ないフリをするのではありません。大変な時「今が我慢のしどころ。」「ちょっとした試練」「新しいハードル」「人生のスパイス」 ・・・なーんて、どうでしょうか。つまりは柔軟に受け止めるってことなのかな。。。なにかを「責めない」というのも、大切なキーポイントになってきそうですね。
April 17, 2007
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昨日「都合」の話をしましたが、今日そこから思いをめぐらせていて、ストレスのある人生とおさらばするいい方法が見つかりました。私たちは自由です。まず、それを信じましょう。自分で選んでいる、ということをずっと考えてました。よく 「子供は親を選んで生まれてくる」だとか「次の人生設定を選んで生まれてきた」だとか・・・聞きます。私にはそんなとこまで、実際どうなのかわかりませんが、何をするにも私たちは「選択」して生きているんですね。自分にかかる全ての事を どう受け取るか・・・。受け取り手(わたしたち)の都合なんですよね。幸せは目線を変えれば そこにあるもの。究極「生まれて、今、生きているすばらしさ」だけでも充分です。みんな「ストレス」の存在に怯えすぎていると思うんです。それが心苦しい。。。確かにありますよ、いやなこと。私自身「自分はなんてストレスに弱いんだ」って、いつもストレスがなるべくないように、ないように、と選んできたんです。だから、へなちょこ野郎なんです。でも とにもかくにも今日私の辞書から「ストレス」という言葉を消したらいいって、思ったんです。私は自分の都合で病気にもなれるし、(今本当に病気の進んでる方がいたら、これはひどく聞こえてしまうかもしれませんが・・・私の今の状態でのことで、話を進める上で引用したいひとつのエピソードとしてご了承くださいね)自分の都合で ささやかに築いてきた家庭を崩壊させることだって。。。。自暴自棄になって「ストレスが溜まったんだ!!」って主張して。年始から「自分に向き合う」といい、かえってわからなくなってしまっていた時、そんな自分がここに居ようと日々の育児家事はたんたんとやってくるし、世の中はそんな私をおかまいなしで置いてけぼりにしていく・・・。私は正直「もう・・・病気になってふて寝していたい。病気になれば、おかしくなってしまえば楽なのに。この辛さを人にわかってもらえるのに。」なんて、どこかで思っていたような気がします。そんな思いは体調を実際に悪くしました。今思えば、あほですね^^;私は、全てを「自分で」選べる自由を持っているんだ。そう強く信じる事は、どんな逆境をも、心強く渡って行けるキーワードです。たとえば、「私は育児ストレスに悩まされている。辛い。抜け出したい。」なんて思っているよりも、「私は今育児が大変だけど、捨てることもできるのに、そうしないのは、これは自分で選んでいることで、自分が育児をしたいからだ。」って思う方がずっと楽しく当たり前に幸せで、合点がいくんです。「ストレス」なんて言葉さえ知りません。そんな言葉は存在しないんだったら私の人生には「ストレス」なんて最初から無いんですよ。苦しいことだって、自分でそれを受け入れてくぐるか、逃げ出すか、選べることなんだ。それから、「ストレス」と言えば、「癒し」のお話。自分以外の誰かや何かに癒される事実はありますが、あくまでそれは「ギフト」として、最大感謝することで、基本的には、「自分が癒しの存在」になる方がいいです。まず、いつもいつも自分から与えたい、そんなスタンスでいればよいのです。関わる人々、地球・宇宙・自然。それから自分に対しても。癒す側に自分がいるように心がける。あなた自身が「癒し」であり、あなたが自身が「クリエイション」です。もう外にそういうものを求めてさまよわなくていいんです。お手軽です。でも、きっともっと強く、しなやかに、私たちは自由と愛を実感して、幸せで、感謝して、生きていけるのです。「カルマ」なんて在りません。人は「罰を与えられるから善い行いをしたい」のではありません。「罪を改めたいから善い行いをする」のでもありません。そうであってはなりません。「愛」でいたいだけです。うまく伝えられなくてやたらと文章が長くなってしまうので、この辺にしておきますか。。。「そんな簡単に行かないよ。。。」と思った方は、もしかしたら・・・・「そんな簡単に行って欲しくない。もっと悩むべき。悩む事で実感したい。」と思っているのかもしれません・・・よ??人によって進度も環境も宗教も違いますから。ねぇ。。。こういうの理解してもらえないかもしれません。。。でも、もしもっと自分を信頼してあげられれば、そう願えば、意外にすぐ「ストレスの全くない今日」がくるかもしれません。私はそう思います。そう願います。
April 15, 2007
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今日の夕方子供たちと買い物に行きました。一軒目の自然食品スーパーで、ホントは眠い2歳児のニキが、くだもののカップゼリーこれ買って攻撃で、大音量の叫び泣きをはじめ・・・まあ、私もニキが眠くて抱っこしてほしい事や本人もわけわからない状態なんだろうな、とわかっていたので、なんとかなだめながら買い物終了させ、お店の外に出たら、抱っこしたりおんぶしたりしてあやしながら歩きました。そういえばおやつを食べてなかったので、数分歩いたマックで気分治しにサンデーを食べさせました。ニキもちょっとは元気が出たようでニコニコ。マックと併設されてるスーパーでもちょこっと買い物があったため、「ニキ君元気出た?ここから自分で歩けるかな?もうちょっとお買い物あるからね?」と聞くと、ニコニコ顔で「うん、いいよ!」の調子いい返答。またスーパーでほどなくして、アイスを見つけて「これがいいっ!これ買って~!」の嵐。(さっき食ったろ??)まあ、どうやったって眠さ限界なんだから仕方ないか、となだめつつ買い物をすすめていたのですが、(車に抱っこ紐わすれちゃったし。ニキ君相当重いし。ベビーカーは楓ちゃんだし。)あんまりタックルしてきたり足にしがみついて暴れたり、しつこいので「ニキくん!いーかげんにしないとぉー、ママおこっちゃうよ~」とタックルを撥ね退けたりして怒り口調になってきたり無視したりになってきたところ。。。通りすがりのおばさんに(その様子をいつから見ていたのか知らないのだけど、見てたんでしょうね)とつぜん話しかけられた。「この子眠いのねー?大変ねぇ。 私も子供3人育てたのよ。たくさん手をあげてしまった事もあったのよ。 今はその事が後悔しきりだわ。。。もっと優しくしてあげればよかった、って。。 抱っこしてあげればよかったーって。。。 あらー、お姉ちゃん(ターシャはベビーカーを押すのを手伝ってくれていた)も、 えらいのねーー。 おかあさん、がんばってね。^^」と。子供をぞろぞろ連れていると、ご年配の方にはよくこういう風に話しかけてもらえるのだけれど、すっごくありがたかったなぁ。うれしかったなぁ。心に響いたんですよ。。。その後、駐車場まで戻り、そこを出る時に車がせまい道路と出入り口のところで、ごちゃごちゃして私もバックしたり、後続車がどんどんくるので運転にアセアセしていたのです。それなのにその間ターシャはずっと大声で話しかけ続けていたのです。「ねーママ○○したらさ~・・・・ねーママ○○い~い?ねー!ねー!ママ!ママ!」(こう聞こえる^^;)「ちょぉっと!ママ運転してる時は静かにしてねって言ってるでしょう?!ママ、今運転大変なの見たらわかるでしょう!(怒)」とプチギレしたんですよ。イラっときたもんで。。。道が直進でほーっとしてから、ターシャの手を握り「さっき怒ったのは・・・」と冷静に伝えられましたが、後からよくよく考えてみると、ここんところのメッセージの続き?っちゅうか。昨日はわりと世の中に向けてきたメッセージのように書いたのですが・・・・自分に具体的に向かって帰ってきた感じ。確か「病院の都合で・・・」のようなくだりがありました。今日の出来事も、考えてみりゃー「大人の都合」大人の都合で子供が愚図りやすい夕方のお買い物になってしまって、大人の都合で普段は「ダーメ」と言われるアイスクリームで持ち上げられ、大人の都合で抱っこして欲しいのに抱っこしてもらえず大人の都合で「うるさい」と怒鳴られた・・・・子供の気持ちを汲んでやらないで、怒ったりシカトしたりしたらあのデパートのオバサン店員と同じだ・・・今日の私はいつもにくらべれば子供に当たる事は少なかった。。。子供たちといてとっても楽しかったし、子供だって自分だって、とっても頑張ってる。できることなんて、やろうと思ってたことの半分しかなくても、そういうもんだもの。反省点はあれど自分を責めてるわけじゃなく。でもね、ここに示されてるのは、自分の子育ても、もういーかげん、今までのこのイライラシステムから出た方がいいってこと。たぶん、目線を変えれば。もうちょっと子供の状態に沿った考え方をすること。怒って(大人の都合的な事までも母親風吹かして)子供を強制的にしつけようとしたって、その先にいいことは何もないってこと。みーんな、今までもちろん頭でわかってたことなんだけどね。ずしっときた。そんな今日の出来事。
April 14, 2007
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世の中のよくない体制を打破していくこと。古き良きは伝えていくこと。(愛、優しさ、そのための厳しさ、技術、など)現在、世の中で一般に「良し」とされて、私も幼い頃からそう教えてこられた事の中にも、もう打破して捨てて変えていかなきゃいけないことが、たくさんあるようで。で、今日は思いきって書きたいこと書いちゃおう。たとえば、病院。医学。難しい事はわかりませんが、悪いところは切り取る、部品を替える様な治療、副作用を軽視したような、その場だけよくなる処方。うちの両親はふっつーーに、どこか悪くなれば「病院いけ」「お医者様のいうことは絶対」「薬は出された分飲み続けないとだめだ」と妄信してますが、実際は自分になんという名前のどんな作用でどんな副作用のある薬なのか、なんてことは知りません。うちの3人の子たちは、アトピー性皮膚炎でこれまでいろいろな病院に行ったり、(しかし「子供は小さいうちは肌が弱いけど成長すればよくなる。一概にアトピーとは言えない。」と診断され、今までアレルギーだなんて言われませんでした。)ステロイドじゃない薬を・・・と思ってたら、悪化してカキコワシからトビヒになり・・・などの症状を繰り返してきました。先日は特にひどかったので、病院を替え、どんどんだされる抗生剤とステロイドでだいぶ肌がよくなりました。うちの両親は「やっぱりちゃんと薬やればきれいに治るじゃない~」とほくほく笑顔。うん。確かにひどくて私はストレスたまりまくり、子供たちは本当にかわいそうでしたから、「こうなったら確かにそう思うよね。うん。きれいになったし。」・・・なんだけど、お医者様さまさまなんだけど・・・なーんか腑に落ちない。今日は中国人漢方の違う病院に行ってきました。薬湯と塗り薬、飲み薬を処方してもらって、その代金が3万円弱(!!)飲み薬は保険の利くものだけど、他は中国漢方が日本の保険で認められていないためバカ高いのです。まだその漢方の効き目はわかりません。ただ、日本の薬会社の漢方は認められているのに、どうしてこれだけ口コミで「効果」があると言われてる中国の漢方はだめなんだろう。薬害のあるかもしれないタミフルとかみんな飲んでるのになー。整体なんかもそうじゃないですか?高いよね・・・。きっと東洋医学を認めると日本をしめている西洋医学の病院が揺らぐからだー、なんて思っちゃいますが。もちろん現代医学の全部を否定してるわけじゃない。だけど、病院に行くとなんだかいつもひっかかる気持ちがあるのです。大病院とか2時間待って診察3分。とか・・・あるし。出産だって仰向けで生むの不自然でしょ?あれは病院の都合だと思います。だいたいが病院の都合なんじゃない?薬屋さんの都合とか。利権・・・そんな言葉が浮かんでみたり。かと言って、いち小市民のわたしが病院にかかるとき(まーかからないようにすればいいわけですが)、やっぱりお医者さんを信用してみるしか手立てないわけですよ。今のところ。。。利権。。。新作の映画『ブラッド・ダイアモンド』というのも、なかなか宝石業界と密輸のシステムにバシッと切り込んだ作品のようですよ。そのために紛争の絶えない国のお話だそうで。初めて、苦情の電話、というのをしました。いや~後味は確かによくない。ははは。先日買い物をしたデパートのお店で、年配の店員が年下の店員をいじめて、いびっている。。。接客態度は決してひどくはないけれど、ツンケンしたいじめの態度がお客に丸見えで、あんまりにも買い物していて嫌な気持ちになったから。わたしが電話したことであのオバサンはどんな処置を受けるのだろう・・・。もっといじめがひどくならないかな・・・。だまって通り過ぎてしまえばいいのかな・・・。いろいろ考えましたが、スタッフを管理している会社に電話しました。若い新人に質問されても、無視。あるいは「ご自分でお調べになればっ!プイッ!」とか、目上の人間がする態度じゃないものね、お客の前で。これもメッセージなんだと思います。年取ったオバサンは注意されてももう変われないかもしれないけれど、私は「反省して良くなって欲しい。」と思いました。政治。レジャー。テレビ番組。食品。警察。教育。様々な楽しげに見える商品。私たちは、もう一回普段なんとも思っていなかった日常の中に変えるべきところがないか、見つめなおす時なんですよね。古いいろんな業界の利権が絡んだシステムに乗っかって、自分ももしや加担しているのかもしれません。もしそれが崩壊すれば、底辺で職についていた悪気のない人から落とされていくのかもしれない。うちの旦那さんだって職を失うのかもしれない(?!)それでもね、もう見ないようにしていくわけに行かない時代になったんじゃないでしょうか。今夜私は子供たちに毎晩即興で聞かせているお話の中で、本当の「勇気を持つ」ということは、危険が迫った時に「人に弱虫と思われるかもしれない。」と我慢して勇敢に見せる事ではないんだよ。危険と判断したら、「勇気があるフリ」なんかはとっととやめて命を守ることが、本当に勇気のある賢い人間なんだよ。という内容のお話を作りました。(即興でその場で作ってるお話なのにスラスラその内容が出てきたので、「あ、これが今のメッセージなんだ。」と気がついて、ブログを書こうと思ったのでした。ジャングルのお話ね^^)ひとりひとりが、勇気を持って、行動していかないとー。です。さあ、何をやめて、何をはじめようかな。
April 13, 2007
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この前「今日のジェムストーン」のネットのカード占いをひいて、翌日すごい確立でひいたカードの石ジャスパーに出会った日記を書きました。石屋さんに調べに寄ったときに、ターシャとニキにねだられてアメジストの磨き石をお守りとして買ってあげて(300円のね)紐を通して首からさげれるようにしてあげたのですが、一昨日ターシャが買って次の日なのに「お守りがなくなった~~><」と大騒ぎ。着替える時にどこかに置いて、わからなくなってしまったようで。もう泣きながら半狂乱。下の子のお昼寝の寝かしつけ中だった私もいつまでもさわぎまくるターシャにちょっとイライラ。手が空いて一緒にさがし始め・・・それでもなかなか見つからない。ターシャは泣きつかれて眠りそう。。たまたまPCをつけていたので、「そうだ。なんかヒントがあるかも。」と「今日のジェムストーン」カードをひいてみました。出ました!「アメジスト」(笑)いや~。カードで出てもな~。ブツが見つからないとなぁ~~。なんて思っちゃったけれど。カードが探し物そのものの石を表示してくれるのもスゴイ話よね。しかしまぁ、ターシャが泣き寝入りして起きてまた探し始めた時、あっさりオモチャのキッチンの上に置いてあるのが見つかりました。これって不思議?不思議もだんだん当たり前になってくるよ。ほんと。^^
April 12, 2007
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不思議で素敵な事が起こりました♪そう、まず、先日お友達のちゃーみぃちゃんのブログで44444キリプレを踏ませてもらいました!あの日、前夜に「まだキリ番じゃないかな~」なんてじりじりしてましたが、翌日はすっかり忘れ、家事がひと区切りついて「ハッ!」と思い出し、慌ててPC起こしてちゃーみぃちゃんとこに直行。イキナリ[44444]で自分の目を疑いました。(ありがとうございました!ウレシカッタ(T-T)ううっ)しかもお友達に言われてびっくりしたのですが、足跡の記録が10:16:16ってこれまたぞろ目だったそうで(笑)オラクルカードをいただけるということで、まだそういったカードを持っていない私は、金曜日の夜にお友達にいろんなタロットカードをお試しでひけるサイトを教えてもらったのです。その中で、今日のジェムストーン(44枚からなる) なるカードをひきました。「その日の自分に必要な1つのパワーストーンのエネルギーによって自分自身を整えることができるのです。」というカードらしい。わたしがひいたのは 『 ジャスパー 』カードの名前は「壮大な計画」 メッセージは「常に大地の美しさに触れながら、自分が演じている役を大切にしなさい 」この石の解説は長いので抜粋してみると、(時間のある方はこちらをご覧あれ)『「壮大な計画」のカードは、私たちがアセンションと呼ぶプロセスのエネルギーを開きます。これは全ての人間がスピリチュアルな存在になるための、最終的な変容です。・・・ピクチャージャスパーは一方ではグラウンディングを、そしてもう一方でインスピレーションを刺激する創造的なエネルギーをもたらすのに助けになる道具です。・・・・・ピクチャージャスパーは絵を描く人々と強くつながるため、多くのアーティストやデザイナーたちがこの石に惹かれます。』私は絵を描くので、お友達にも「ぴったりの石が出たね」なんて言ってもらったのでした。そして次の日の土曜日。私は都内最大規模のフリマに出店してきました。いっぱいお店みて掘り出し物探検に行きたかったけど、なんてったってヨーゼフが二日酔いで寝てる( -_-)・・・店番を代わってもらえない。同じ並びの3軒先のところで「今なら洋服どれも100円のタイムセ~ル~~!!」の声を聞いて、そこで洋服を2枚とその手前に紙袋に入って置いてあったネックレスをしめて400万円也で購入したのみ。アクセサリーをほとんど買う事のない私がそのネックレスを気に入ったのは、ボールチェーンや その長さ、全体がゴロッとした感じ、惑星みたいなデザインとシックな色合い。しかも200円!という、なんかバチッと好みにはまるところがあったんですね。コレ↓ですー。 写真がよく撮れなかったけど、なーんか、ほら、ぶらんぶらん揺らせてたら「これヴィヴィアンのよん。」とか言っちゃえそうでしょ?(だめ?ちがうって?笑)首にかけたら、なんだか手放せないいい感じの重み。。。中の石がくるくる回せます。その帰りに、ふと昨日のカードの石の事を思い出して・・・・そう!もうおわかりですねーー。調べたら、これジャスパーだったんですよ。この真ん中の石。ジャスパーにはいろんな色・種類があって、これはピクチャージャスパーではないですね。どうも石屋さんによると「オーシャンジャスパーでは?」とのこと。すごい確立で出会った私とこのジャスパーのネックレス。きっと全く高価なものではないでしょうが、フリマ出店全600店のうちのたった1店のお店でだけ買い物をした私が、1分とかからず迷わず買った石ですよ。44枚のカードの中から前日にひいたカードの石ですよ。ロマ~ンチックなご縁を感じます。 カードが教えてくれた。。。 でもそのカードはわたしが選んだものだ。 石が私を呼んだ? 私が石を呼んだのか?とにかく。ますます「私は絵を描けばいいんだ。。。」と思えました。それに、「常に大地の美しさに触れながら、自分が演じている役を大切にしなさい 」のメッセージ。子供を見守り続けたいひとりの母親として。(大地のごとくですなー^^)それから絵や言葉で人々に伝えたい事があるひとりの人として。たくさんの方法がある中で、私は私の役を、その役目を大切にしてゆけばいいね。不思議だねぇ。いや、これって不思議じゃないのかもねぇ。(笑)素敵だねぇ。
April 9, 2007
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時間を見つけては、水彩画の練習をハガキサイズでちまちまやってます。だいぶ、水彩と仲良くなってきたかな?水と絵の具と紙と私の中のなんかとが起こす、ささやかな アクシデントを楽しめるようになってきたように思います。ぎゃらりーの水彩練習帳のページを少し更新しました。これ以上の成長があるのか・・・う~ん、あるのか?ないのか?つまりは私の内面の成長にかかっているのか(笑)まだ少し苦手意識があるように思いますので、いい絵が描けるようになるように 自分のことながら応援してます(笑)と、いうわけでご興味のある方はのぞいてやってください。ぎゃらりーいまじょん
April 2, 2007
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私は時々 「自分」という入れ物 または かぶりもの の中に「自分という中身」が 入っているような そんな感覚になっている実際 概念的には それほどおかしいことではないと思うけれどかなり感覚的に そーいうのが ある映画 マルコビッチの穴 みたいだ私は 「私の目」のカタチの 穴から 外の世界をのぞいて 見回しているまるで ガンダムの操縦席まるで 覆面レスラー だまーその覆面は それこそ 唯一無二の 「ワタシ」の形なわけだけどで、うちの1歳の おチビちゃんと見詰め合っている時彼女の外側は ふつうの赤ちゃんなんだけどその瞳 眼差し は それこそ 誰かが 覗いているようだ と しばしば感じる「誰かが」というのは もちろん彼女本人なんだけどなんというか 赤ちゃんでない人間のように 思えるのでこの感覚は みな持っているものでしょうかもしそうなら 覆面かぶると 二重にかぶっているようで 暑苦しい視界もせまくなる のだからできるだけ覆いはのけて 素直な情報を 中身に届けてあげてほしいなんて思うこの目の中に 美しいものを映したい そう思うそしてどこもここも 美しいものは たくさん あるものだ
March 31, 2007
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そうそう。すぴこんで、「なんだかわからないけど「DNAアクティベーション」ってのを受けてみました。DNAを活性化。なんだかがんばれそうな気がして(笑)(中略)その方に「ここ(肉体)にいるのが苦しい時ないですか?ちょっと体感弱くなってるみたいです。もともとふわふわした存在の人ですね。手仕事とか好きじゃなーい?ちょっと自分を閉じ込めてる感じのところがあるから、どんどんやった方がいいわよー。あと、よく眠った方がいいわよ。」と言われました。」って日記にかきましたが、続きがあって。この施術をしてくれた方に「たぶんあなた最初の世代のインディゴじゃないかな。」みたいなことを言われたのでした。ふ~ん?インディゴについてよく知らなかったので、ネットで調べて見ますと・・・う~~ん。こ、これは・・・あてはまる(笑)わたしが生まれた頃にもすでにいたのですねー。ほー!前のスピコンで娘がクリスタルと言われ、その時も慌てて後から本を購入するも、途中までしか読んでねーーー。にゃは。^^;でもインディゴ・・・読めば読むほど思い出す「変わり者」といわれ続け、「平和と自由」をテーマに「自分に素直に」をモットーとし、生きてきた子供時代からの私・・・。途中、自分をおとなしいふりして閉じ込めたり、自分は全てにアンチ派なのか?それって奇をてらってるだけじゃないの?なんて葛藤しつつも私はいつも私だった。まわりの人はなんで私が変なんて言うんだろう。どうして素直にならないんだろう、とか。規則だらけの学校をいつも卒業したかった。。。。とかね。いろいろ当てはまる。そんなに動き回る子ではなかったけどね。忘れ物とか人並み以上に多かったおっちょこちょいさんではありましたけど・・・それは別問題か(笑)「へーー!自分ってそうだったのー??おもしろい!でも、だから?」みたいなのが率直な感想でしたけど(おい!笑)、今日見つけたブログ(ワンダーユッキーさんのブログ)の『レイジング・インディゴチルヂレン』こちらの文章を読んでなんだろう・・・自分が理解された、と感じたのかなぁ・・・。自分でもわからないけど、嬉しくなって喉元に熱いものがこみあげちゃいましたわ。^^いや、実は正直ちょっぴり涙が出ちゃいましたよ。不思議な気持ちで。なんだか本当に素直にみんなにこう思って欲しいよーー。と、思いました。インディゴの子がクリスタル、なんてのもちょっと合点がいくじゃあないですか??ちょい忘れられないエピソード。小学生の1・2年生の頃、テレビかなんかで恵まれていない子供たちが世界にはいてそのために募金活動がある、ってことを知った時、わたしは、近所のともだちを無理やり引き込み、「平和のためにこの活動がどれほど大事か。」と説き伏せ、ただの紙に鉛筆で「記念切手」なる「ただのこまごました汚い絵」を描いて切り抜き、町内の友達の家にそれを売りつけにまわったのでした。「募金してくれたらこの切手シールをあげます。」となんとか説き伏せながら。。。それを大人に頼んで募金してもらうつもりでした。ところが、親にはこっぴどく叱られ、協力してくれた友達にあやまるはめに。そしてお金をだしてくれた友達のうちに(ひとり20円とか50円だったはず)もう日も落ちかけた中泣きながらあやまって返金して回らされた。心の中では「なぜ?なんでいけないの?」と思いながら(笑)確かにおばかさんな行動だったのかな・・。でも子供ながらに一生懸命やったのさ。。。そんなわたし、インディゴってことでガテンガテン。じゃない?(笑)ヨーゼフに理解されないと飛び掛ってぶつし(おい!DV?)。呼び方はなんでもいいんですよ。はっきりいって。わたしが何者にせよ、とにかく、こうして子供の頃からの自分を思い出したりしたもんで、自分って子供時代 結構いづらい場所も多くて、理解されない事が劣等感で記憶を消そうと(笑)してた、、、って、わかりましたし。こういう気持ちの人たちがいっぱいいるんだーって思いました。もしかしたら本当に何かこんな使命で生まれた人種が一時に増えてきたのかもしれませんが・・・私にはその辺の事はよくわかりません。ただやっぱり私は私ってことに嬉しくなりました。わたしはわたしにできることをいつもしよう。感じた事を表現していこう!って思ったのでした。あー・・・なーるーほーどー。(と妙に納得)ざ・わーるど。春の祭典☆ っちゅう感じです。ん~~ざ・わーるど~~(もういいって ((-。-)
March 25, 2007
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私としては二度目のすぴこんに行ってきました。今回は、ターシャとニキを連れて電車で行きました。ニキはアトピーによいかもと思い、レイキヒーリング15分を受けました。予約した時間より、前の方の施術がちょっとずれ込んでしまってたので、その場で待っていたのですが、初老のご夫婦のようで、旦那様の方がお菓子をくれたり遊んでくれたりして、かなりかまってくれたので助かりました。簡易ベッドで施術中、ニキ動く動く。頭を乗せるところにおじサマが来ていろいろ相手をしてくださったのですが、ニキしゃべるわ。うごくわ。それでも、ヒーラーの女性お二人でなんとか手当てをしてくれました。そしてレイキをしながら、私に育児のこと、お母さんがリラックスすることが大事なこと、こうやって手当てしてあげてね、とか、レイキのこととかいろいろお話してくれました。ためになった。最後2~3分は勝手にベッドをおりたニキを後ろから追いかけてきて、それでも背中に手をあててくれたりしました。次はターシャとわたしがオーラ&チャクラ写真。画面で見せてもらったよりも、プリンタのインクの出がいいのか、手元にあるのはとっても濃くでてます。実際はもうちょい色合いが薄かったです。ターシャはこれ↓子供らしく、黄色にちょっとオレンジ。でもほとんどまっきっき。好奇心一杯楽しむ気持ちが出ているのだとか。オーラサイズも80と元気印らしい。気になるのがBody Mind Spritの割合で、マインド(思考)が50もしめていること。これは長女らしく気を張ってここまで来たからかもしれない。。。(ちなみに30,30,30の割合でしめてればバランスがよい、ということらしい)あと、少しのどがいたかったせいか、のどのチャクラが弱い。とのこと。へー。おもしろいなぁ。わたしのはこれ↓内側が創造性・自由を求める人のオレンジで、まわりがお母さんの情愛やまわりを気遣うブルーに包まれており、(ちょっと緑色もあった)で、足元はうすい黄緑色でした。頭頂部はうすい黄色で、アイディアが降って来る~って感じでした。肉体精神魂の割合はターシャと一緒。思考が50。子供たちひーこら言いながら連れて来てるのですもの(笑)その割りにリラックス度も高い(笑)精神と体のブレもあまりないそうです。(あの時計の針みたいな円形グラフ)オーラサイズは90。エナジーレベルもチャクラのレベルもやや活発で元気そうです(笑)ただねー。解説のレポートがつかないお試し価格にケチったため、口頭での解説なんて半分くらい忘れちゃってるんですよ。ニキが「風船ほしー!ほし~~~~!」って話かけてうるさくて。次になんだかわからないけど「DNAアクティベーション」ってのを受けてみました。DNAを活性化。なんだかがんばれそうな気がして(笑)最初にうしろからドレミの音階で「♪へーへーへーへー」って歌声が聞こえてびっくり(笑)そのちょっと後に、通行人の「ほら!あれ見て~。シュッシュッとかやってる~!クスクス・・」って声が聞こえ、恥ずかしくなり(笑)で、私としては特に体感もなく、目をつぶっていると目の前が明るくなって、その後最後の方はめずらしく紫色の光が浮かんでいました。その方に「ここ(肉体)にいるのが苦しい時ないですか?ちょっと体感弱くなってるみたいです。もともとふわふわした存在の人ですね。手仕事とか好きじゃなーい?ちょっと自分を閉じ込めてる感じのところがあるから、どんどんやった方がいいわよー。あと、よく眠った方がいいわよ。」と言われました。そうなんですね。今年はそういう年になるだろうと予感はしていたナーナではありました。自分のやりたいことと育児との葛藤。(オーラにも現れてるよね。。。)でも今は自分のやりたいことは、どうしてもちょっとづつですね。子供たちのアトピーがもう少しよくなってくれれば・・・。帰り道お昼寝してないのに元気よくおうちまでがんばれた2歳のニキはやっぱレイキがよかったのかなぁ。でも、その夜、ニキのかきむしりがひどく・・・また昨日・今日はちょっと足をひきずって歩くように。(痒すぎて足とか書き壊しちゃって血だらけになっちゃうんですよー)おチビには、結局あんまりよくなかったのかなぁ。。。私は、というと特にDNA活性化って感じないなぁ。。。ちょっと鼻かぜひいてるし。そんなすぴこんでした。家に帰ったらご飯も炊いててくれなくてヨーゼフにびっくり!だわよ~。はぁ。
March 23, 2007
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ターシャはお絵かきが大好きで、先日もひとり部屋でカキカキして得意げに見せてくれた。そこにはいつものように、そして多くのこの頃の幼児がかくように、木が地面から生えていて、空の上の方は青く、雲が浮かんでいて、リボンをつけた女の子がいて、ちょうちょうが飛び、鳥がとび、星型やハート型があり、この日は虹がかいてあった。空も青の下は色とりどりに塗り分けてあった。画像はちょっと色がみづらいですね・・^^;で、ここまでは普通なんだけど、こっから左半分がターシャらしさ(?)なんだよなぁ。雲が浮かんだ中に女の人の笑顔。「これはだれ?」『これはね~死んじゃった人。お空からいつも見てるんだよ。笑って。』「ふ、ふ~~ん。死んじゃってお空にいるひとなんだぁ・・・^^;」ターシャは不思議だなぁ。。。
March 22, 2007
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うちのクリスタルチャイルド ターシャちゃん5さいが朝幼稚園へ送る車の中(だったか?)で、突然話したのか、何か「お片づけ」の話だったか・・・・の時に『なぜお片づけをしなくちゃいけないか知ってるよ。 お片づけしないと おもちゃ捨てられちゃうんだよね。 前、ターシャも一緒に捨てられちゃったよねー。』(私の心の声;ぎゃ!それってターシャが今のニキくらいの時の話だよね。 うへ~。そんなこと覚えてるの~??)そう。。。ターシャが魔の2歳児の頃、ニキもお腹にいて、初の軽く育児ノイローゼ状態で、ターシャとの関係が劣悪でした。おもちゃをかたづけなさい~!いや~!絶対かたづけない~!の意地の張り合いをしていて、私は「本当におもちゃ捨てちゃうんだからねっ!」とゴミ袋3つくらいでおもちゃを全部まとめ、アパートの廊下に放り捨て、ターシャも放り出し・・・・(虐待じゃねーか!)ま、そんなことがあったんですね。。。(お恥ずかしい)『すっごい前のことだよね。た、ターシャはよく覚えてるんだね~^^;(そんな母の悪行早く忘れててよ~)』 『なんで覚えてるか知ってる?あのね、寝てるときにね、夢でね、 ターシャ時々「思い出せパーティ」してるの。』『お、思い出せパ~ティいいい??@@』『時々夢に 前にあったことがいろんなこと出てきてね、「思い出せ」って。それで覚えてるの。』(がびーーん。でも、、、すごい!確かにたまに夜夢見てうなされて、しくしく言ってるしな。)子供ってこうやって夢でいやだった事やなんかを整理整頓して処理してるんですかね?これが、だいたい1、2ヶ月前のこと。で、一昨日かな。朝起きて(もう春休みなので)子供たちと布団でだらだらしていた時のこと。ターシャが手をまるめて親指をちゅっちゅっと吸うそぶり。『ねぇねぇ、ママ。ターシャ赤ちゃんでママのお腹にいたころ、こうやって指しゃぶりしてたんだよ。』『へぇぇぇ。そうなの?』『うん!ターシャまた思い出せパーティで思い出した~。(ニコニコ)』すごいな!思い出せパーティ!(楽しいのか?楽しくないパーティなのか?)それにしても・・・このネーミング(笑)
March 18, 2007
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年末・年始からずーっと低迷気味で、あがったりさがったり、凹んで凹んでもがいてもがいて・・・で、今、抜けてみて思うのは・・・・「うーーーん、自分と向き合う、とか言っちゃって、結構無駄な時間だったなぁ。アハ!」ってこと(をいをい笑)スピリチュアルな分野では、どんな事も無駄じゃない、学び、とかそういう表現で大事にするべき日々だったんだろうとは、思っていますがー・・・カラリと晴れてしまった今では、結局もとの素の自分に帰ってきたー。って感じ。心配して応援してくれた友達、迷惑かけた家族。「ただーいまー。ありがとうございましたー。」なにをそんなに自分に自己嫌悪してもだえてたんだか、もう詳しく思い出せないよーぅ。えへへへ。(ゲンキンな私)余分な思いが目を曇らせ、それがどいてくれれば、元素の自分。裏庭の誰も見てないところにフキがはえてるんですよ。もうちょっと寒い頃かわいいベビーなふきのとうが出て、今は花が咲いて丈も3,40センチはあるかなぁ。あのまぁるい葉っぱも出てて。なんつーか、その、全てが完璧なんですよ。誰にも見られてなくっても。(ま、わたしがたまたま見てたんですが)見れば、その向こうの椿もつわぶきの葉も、虫に食われた葉っぱさえ・・・完璧なんですよ。生命あるもの、みな完璧なんですよ。完璧な○とかいうわけでないけど、そのひとりひとり違ういびつさが、完全体なわけで。私はどこも損なわれていない。誰かが私をダメにしたりしない。誰かがきめた偏差値・点数、それが完璧なカタチではなかった。所詮 私はただの私で、だけど、上でもなく下でもなく、真ん中の私だ。世界の争いをなくしたいならば、身近な家庭での争いをなくし、自分の中で自分と争う事をやめ、この地球の上に私という平和なあかりを灯すのさ。
March 17, 2007
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うちの(たぶん)クリスタル少女、ターシャのひさびさの日記。我が家は毎日ターシャの幼稚園バスのバス停まで車で送り迎えしている。朝はバスが停車する側の路肩に、バスの少し手前に一時停車する。帰りは反対方向から来るので(2ルートあるので時間帯ですいてる道でくる)、バスの停車する場所の道路を挟んだ対角に停める。今朝、送ってターシャがバスに乗る間際にこんなことを言った。ター「ねーママ、今日の帰りはあっちじゃなくてこっちのバス停の方に車を停めてね。」ナー「ふぅん。なんで?だって帰りはあっちからママくるんだよ。」ター「ぅーん、こっちの方がすぐ乗れていいの。。。」ナー「ふぅん。。。じゃ時間があったらね。」で、帰り。時間がなかった。^^;お迎えがギリギリになってしまった。いつものように道路の反対車線の方に停めて、ニキと楓を下ろそうとする間もなく、園バスが来てしまった。ニキに「あ、来ちゃった。じゃここで待ってなさいね。」と言い残し、お迎えに。ターシャを迎え、まだお迎えに間に合わないママがいて出発に3~4分手間取っていると、ニキがいる。え?ニキがもじもじにやにやしながら、ぶらぶらと近づいてくる。え?ええええええーーー?ここにニキがいるということは、つまり、ひとりでロックを開け、ドアを開け、車がびゅんびゅん通るこの広い道路を一人で渡ってきたということだ。あ、あぶないじゃないかー。もう心臓がバクバク言った。反省。どんなにバタバタしていても子供を置いてこないこと。超・反省。。。それにしても、ほんと、ターシャの言う事きいてりゃよかった。この事だったのか。
February 8, 2007
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今まで苦手で使わなかった水彩を今年はやってみたいのです。で、文房具屋で心機一転!買ってきたフツーーーのぺんてる水彩絵の具と筆・サクラの筆・パレット。(笑)試しに落書きしています。これがまた思うようにはいかない。^^;水彩はやっぱり難しい。でも、思うようにいかないところが楽しい。そんなわけで、恥ずかしながらの手慣らしの水彩練習を「ある日のスケッチ」というページにアップしました。それと、これから進むために過去を出そうという段階なので、お蔵に入っていた昔の写真作品のページを作りました。まだまだ眠っている作品があるので、少しずつ更新していきます。ご興味のある方はのぞいてやってください。ぎゃらりーいまじょん
January 30, 2007
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イェイ。サナギでシステム組換え中。さまよえるナーナでございます。まだ言葉が、思考がまとまりません。なーんか。インナーチャイルドまで出てきました。悪い感じじゃないけど、ま、こういう時は長くは語らずに置こうかということで、日記は放置気味です。土曜日にヨーゼフから携帯ストラップを買ってもらいました。選んだのは自分ですけど。石には詳しくないので(種類ありすぎで選べない)、直感的にコレと思ったものを選びました。どれも「この石にはこういう意味があり・・・云々。」「この石は~運がよくなるパワーがあり・・・云々。」という解説がついているのに、わたしが選んだ商品には、何にも書いてくれてなかったんですよ。でも、いろいろ見る中で、金運?欲しい欲しい。(笑)、幸運?欲しい欲しい。と、選び出したらキリがなくなりそうでしたので、かえってよかったわけですよ。で、コレです。(う~ん、うまく撮影できなかった。。) 買ったら、なんの石でどうういうパワーがあるのか説明した紙をつけてくれてました。白くみえる石が(ひびがはいった透明)水晶生命力&集中力UPのオールマイティストーン。他の石のパワーを高め、あらゆるものを清め、浄化。水色のんが ターコイズ勇気とやる気を持たせる。危険から身を守る。孤独感を和らげる。旅の守護石。オレンジ赤っぽい石が、カーネリアン力強さと勇気を与える。好奇心と想像力を養う。実力を発揮させ失敗をふせぐ。無気力を改善し、行動力を高める。あと下の方のグレーの長細いのは、シルバーの葉っぱのモチーフです。ふむふむふむ。受験なんかにもよさそう。今、新しい自分に取り組んで行こう、という私にはまずますいい選択だったのではないでしょうか。旅に必要なのは、ほら、勇気ですし。とっても気にいってまーす。大事にします。まだ石ビギナーな私は石のパワーはわからないけど、かわいいヤツです。
January 29, 2007
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わたしはナニからできている?わたしはあなたからできているあなたってだあれ?地球の全て草や木や、水や空やお日様や夜の闇、父と母、兄弟、夫、みんな、こどもたちの愛、起こる出来事ひとつひとつ、呼吸のひとつひとつ、わたしはあなたたちから出来ているそんなワタシは まちがいなく ワタシでパーフェクトにわたしそのもの全てはあなたたちのためにあなたたちは わたしのために♪ぅわら わんだふぉーわーるど♪
January 13, 2007
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もう予感的中。なかなか今年のキーワード「tryする」「ドキドキする」「自分をのりこなす」に一歩が出なくてモジモジしてるのかと思っていたら、!!そうか。もう既に入ってるんですね。自分の足し場を確認するために。自分に面と向かっていくために。地震が来て、ひとまず解体作業が始まっています。よろけます!(笑)しかもそれは、嫌悪な感じや逃げ出したい感じでじゃないです。半泣きになりますけど(笑)自分の足場を固めるために、その前に自分の足場を確認する。そうそう。私ってこんなヤツだった。こういうイヤ~なとこあったあった。今まで少しでも人にいい人面して見せたこと謝る。メンゴ!って、思っちゃうわ。同時に自分に向かえるいい機会です。もだえつくして見せます!笑まさにtryする、自分をのりこなしていくための必須科目。「自分を知ること」「キャパを広げるための痛みを伴うこと(我慢する、の方がわかりやすいかな・・いや、成長痛ね)」これらを超える事でより楽しく自分の人生を活かしていくことになると思います。背中のかゆ~いところに手が届かなくて、どうしたら届くかわからなくて、人からは踊ってるように見えるでしょうが、ええ、自分でも結構おかしいです(笑)ほんと自分で悶えダンス滑稽ですが、こんな自分かわいいです。はい。なので、ナーナのようすが多少変でも心配はしないでね。たぶんイモムシが蝶になるまえにさなぎの中でドロドロになってるところかもしれない。にゃは。こんな時はこういう歌をBGMに。ザ・昭和歌謡!B面のもだえの方。笑ああ、こんなサイトあるんだ。これもいいかも。白い蝶のサンバ ぷぷぷ。オモロ。ストーンズとかキンクスなんかのモッズ系もいいかも。私、なんだかむしろ若返ったみたいだよ。。。(音楽シーン古すぎだけど)もう次の課題があまりにも明確なので、迷いさえも楽しいという・・・・ドキドキ。ハイ状態でもないですよ。逆にローでもないです。その辺は昨日某チャットでチューニングしていただきました。 足場と覚悟、試されてる。 しかも、かわいさ内蔵して行きますよ。かわいい蝶々になるサナギの中身のように。人間らしく生きていけることの嬉しさ。自分に正直に生きていけることの素晴らしさ。これはみんなといつまでもシェアしていたいですな。
January 13, 2007
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2007ねんかー。私にとっての2007年キーワードは、こんな感じになるんじゃないでしょうか。これは今年の目標というより、予感です。「tryする」「ドキドキする」「自分を乗りこなす」tryする、に関しては、様々な要素が入ってきます。何に?→目標を立てることすらなかなかできないし、好きじゃない私が「tryする」なんて指標を持つ事自体、もう含まれてると思うけど。。。自分のやりたいことにそろそろ向かう一歩を踏み出すんじゃないかな。何かに向かうということは、ドキドキしますね♪主婦になり家事育児に追われている日々ですと、何かにドキドキすること自体あんまりないしむしろある意味邪魔な感情というか・・・(私浮かれやすいし、苦手なのに家事育児やってるんでドキドキに飛びついちゃうと日々の暮らしが簡単にバラけちゃうんですよ。もうドキドキするの大好きなんで♪笑)セーブしてたドキドキをもっと開放して、もっと人生楽しんでいこうかと。真剣に。で、また戻るようですが、主婦というのは子供が何人でも背負ってるもの結構重いですよ。当たり前ですけど。時間も体力も気力も注ぎっぱなしだし、自分のやりたい事なんて実際問題なかなか手がつけられません。それも精神力のあるお方や器用なお方なら、上手にできるのでしょうが。。。私は気まま人間ですから。(ここはキッパリ。笑)これは実際になにかやり進める際に、やりくりして忍耐して乗り越えなければならないこと。それから精神面。つまりは、勘のいい人ならとーっくにお気づきのことかと思いますが、わたし頑張ることができません(キッパリ。笑)短時間とかなら頑張れるんですが・・・頑張ってる自分、うーん、育児ちょっと頑張っているようで、「これは辛い時間帯をなんとか耐えてるだけ、だわ。それでも昔の自分から比べれば随分粘れるようになったんですけど。途中できれちゃいそうになるんですよ。糸が。ああぁ飛んでゆきたい。笑怒ったり、凹んだりすると自分でもどうしたらいいのかわからなくなっちゃう。我慢が苦手。感情をセーブするのが苦手。決まりごとが苦手。日常の繰り返しも苦手。けっこうなヘタレさん。そんなナーナが「自分を乗りこなす」だって。笑はははー。頑張らないでもやってみせますわ。(ハッタリ)口でいろいろ言うのは超かんたんです。でも、いま、実践し、自分の見たくない面と向かい合い、しかも楽しく進んでいくこと!やってみようと思います。あ、急にメキメキ様子が変わることはないでしょう。物事が実際進む速度は遅いかもしれません。子育てがなんていったって大部分ですから。そうそう。やりたいこと。気になりますよね。これはまだ自分の中だけですが、構想がひとつあって、年末朝起きたら、急にだいたいの構想ができていたのです。不思議だ。今まで「自分の目を曇らせないようにすること。」っての以外にやりたいことなんてたいしてなかったんですよ。漠然と「絵をずっと描いていくだろうなー」ってことぐらいしか。そうこうしているうちに結婚して子供産んで(3人も~)・・・人生は楽しいです!年末年始私自身ちょっと疲れがドッと出たのか、首は寝違えて痛いし、心優しくないし、ブログも書く気にならなかったし、低迷気味だったんですが、いつもその時の自分の様子を味わいつつ・・・・・・ナーナいきま~す!2007!笑
January 4, 2007
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いろんな心のお土産があった週末。先週末は家族でお泊りでライブに行ってきました。おチビ3人連れて、どうなることかと思っていたけど、なんとか楽しく過ぎました。(出掛けにヨーゼフと大喧嘩したけど・・・(恥)。ヨーゼフは保守的なので、 こういうイベントで自分が変革されそうな予感がすると、つい、ひどいことを言ったり、 不平不満の言葉を吐いてしまうところがあるのです。。。 でも、帰って来て「行ってヨカッタ~。」とおっしゃってましたので、私もそう思ってマス。 むしろ、喧嘩は家族のことや大切な何かをこの二日間でより実感するための準備だったと思うくらい。)で、そのイベントとは、コレ(↓)。スローマザーギャザリング(お時間のある方はのぞいてみてね。)家族でくつろいで参加できるように、会場席は畳に座布団。ライブのほかに、さまざまな親子参加のワークショップ(うちはわらべうたのワークに参加しました)、天然素材やフェアトレード商品、書籍類の販売、マクロビ食や天然酵母パン屋さんなんかのマーケットが出ました。周りは山に囲まれ、平和ムード、ロハスムード満載の(笑) あったかいイベントでした。そこで、こんなお話と歌が上演されました。知ってる人も多いと思うけどもっとみんなに紹介したいと思いました。このお話しは、南アメリカの先住民に古くから伝わるお話です。『ハチドリのひとしずく』(私にできること -地球の冷やし方-)森が燃えていました森の生きものたちは われ先にと 逃げていきましたでもクリキンディという名の ハチドリだけはいったりきたりくちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます動物たちがそれを見て「そんなことをして いったい何になるんだ」 といって笑いますクリキンディは こう答えました「私は、私にできることをしているだけ」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆森を「地球」に置き換えてみてください。そして、できることをしましょう。そういうお話です。ハチドリ計画というサイトです。わたしが買ったブックレットにキチュア人の人が語ったというこんな一節がありました。「あまりに大きな問題にとりかこまれている私たちは、ともすれば、無力感に押しつぶされそうになります。 でもそんな時には、このハチドリのことを思い出してくださいね。」「とべクリキンディ」という歌の時には、ターシャも他の子供たちと一緒に、色とりどりのスカーフを持って、クリキンディになって飛び回り、歌いました。昨日子供たちを寝かしつける時、絵本を閉じて電気を消すと洗面所の電気がつけっぱなしなことに気がつきました。「ママが後で消しとくね。」とわたしが言うと、ターシャが「つけっぱなしだと、地球があったまっちゃうよ?ペンギンさん住むところなくなっちゃうよ。消してくる!」と布団から飛び出て走って消してきてくれました。子供って・・・・本当に純粋。子供たちが(もちろん私たちも)この物語の続きを作っていくんだな、って実感しました。そして、自分から参加して楽しむことって大事だし、いいなって改めて思いました。この二日の過ぎたあと、自分が今後どう生きていくのか、どう生きて行きたいのか、今の私たちは「できること」もあるけど、まず、「やめること」がいかに多いか、とか、子供たちに愛情をもっともっと注ぎたい~、とか、健康であることの大事さとか、当たり前だけどさ、、、まーそんなことを考えさせられました。大切な心のお土産になったし、実践にうつす私たちの課題を頂戴してきた感じです。本やCDや食べ物や買いました。家計は厳しいけど、こういうことなら、買うことも意義があるなって思いました。家計はちょっぴり厳しいけどー!一緒に楽しんでくれた子供たち、そして朝の喧嘩を仲裁してくれたターシャ(ほんっと困った親だこと。苦笑)、つきあってくれ力を合わせてくれたヨーゼフ、このイベントをしてくれた方々、カンシャしま~~~す!ラブ・リブ・ライフ!
December 19, 2006
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美しいことを美しいと感じるただそれだけで世界は変わる本当に変わる楽しいことをどんどんしよう 買い求めなくても それは 「ここ」で もう始められるんだよ悲しい しょっぱい涙ばかりでは 誠実とは言えないわたしたちは 生きているんだからどんなシリアスぶったって かなわないおならぷぅ とか あかちゃんのおててぱちぱちとかだれかのエクボとか まんまるい石とか踊りだすリズムとか ありえない爆音のハックションとか あるじゃない楽しいときは 笑おう リラックスして そして生を自分のものにしよう 生きてるその姿 かわいーです嘲笑ではなく 喜びの笑いを もっともっとわたしに届けてくださいあなたのおやじギャグをわたしにください水溜りを 汚れるとか言ってないで ほら ジャブジャブ入って遊びませんかその水は ただの水と ただの土です善い とか 悪い とか 思わなくていい素直な心で 受け取ろう素直に 生きることを 楽しもうしなやかに みずみずしく ささやかに 高く低く 速く遅くそれが ピカリってもんなんです わたしたちの いのち です
December 13, 2006
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大空を見上げるほどに 頬の輪郭を風にさらわれるほどに わたしは ぐいぐいと 土をやわらかく覆う草野原から 離れない。誰一人 欠けては ならないこの瞬間の全存在。愛されている 抱きしめられてる感覚。大空と 地 と その表面を やわらかく覆う このわたし達が その両方をつなぐ愛されるべき存在。溶け合わせ 交じり合わせ 深く美しくて温かい 地球の毛布を織るのがわたし達に できる 感謝の表現なのだ。
December 11, 2006
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今日のテーマ・ソングはこれでいこっかな。『拝啓、JOHN LENNON』歌詞HMVサンプル(後半がいいのに試聴って頭しかないんだよね・・・残念じゃ)by 真心ブラザース僕もあなたもたいして変わりはしない。私もそう思っているんですよね~~。ジョンもそれをみんなに教えてくれた人なんだ。最近はもう普段全然ジョンレノンも真心なんかも聴かないですけどね。たまにゃいいんじゃないかしら。真心のこの曲をサンボマスターが歌っている『真心COVERS』なるアルバムがあるらしく聴いてみたいが、このサンプルでは(ダブなんか?)くらいしかわからん!へにょへにょじゃ!笑それより、このキヨシロウの素晴らしきこの世界がむっちゃよさげなんですけど。買うかな。。。イヤ、その前につたや行ってみよ。(けち!笑)
December 8, 2006
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つぎつぎと浮かんでくる。今日は整理するために書き散らしてみようと思います。読み飛ばしてくれていいです。キーワードは「調和」「怒りの連鎖を止める」「調和」については、最近読んだ本で特に心にとまったものがある。小説「空色勾玉」光と闇のこと。調和の事。光の神と闇の神の戦いが続く中、水の乙女と風の若子の出会いと目覚め、によって調和させ融合させていくファンタジー。すごく面白かったのでオススメです。光だけでもだめ、闇だけでもだめ。もともと光(父神)と闇(母神)は愛し合ってしたのです。。。「怒りの連鎖を止める」については、ちょっと前に観たものになるが、映画「CASSHERN」キャシャーンを思い出した。怒りの連鎖を止める。平和への道。そんなことがテーマだった。これを観た時も、樋口可南子の役どころ「みどり」が言うセリフと同じような事を考えていたりしてかなりシンクロしたことを覚えている。(この映画結構ひどい戦争のシーンなんかも出てくるので、そういうのが苦手な私は少しきつかったが、それよりもメッセージのシンクロが強かったので最後まで引きつけられて観た。宮迫が出てくるたんびに、シリアスな場面でもどうしてもゲラゲラ大笑いしてしまい、和んだ。笑)主題歌は宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」というもの。DVDの映像「誰かの願いが叶うころ」映画には賛否両論あろうとは思いますが、とにかく考えさせられましたね。もうひとつ。ノンフィクション「IT(それ)と呼ばれた子-幼年期」これは虐待された人が書いた本。読むのが辛かった。その後の続編も出ているけれど、わたしが読んだのははじめの幼年期篇。ひどい母親からの虐待。あまりにも壮絶、悲惨。でもあとがきで現在この方がそれを乗り越え自分の子を愛し育てていることを知り、嬉しかった。。。調和。平和。怒りの連鎖を止める。怒りは怒りを産む。デパートの店員にぷちっときたり、幼い自分の子供のそそうにぷちっときたりしてるわたしがとても言えることではないのかもしれないですが(^^;)これは昨日も子供と読んだ絵本『地球のこどもたちへ』 シム・シメールこの中の一節にもあるように『ひとりの人間にとっては小さなことでも わたしには、おおぜいの大きな力となって、感じられるのです。 だからだいじなのは、ひとりひとりが、 わたしや自分の兄弟姉妹である生きものたちを、傷つけないよう、注意すること。 わたしはたったひとつきり。 でも人間は何十億人もいるのだということを、どうか、わすれないで。 あなたが小さな手助けをひとつしてくれるだけで、 ずいぶんとちがうのです。とても、大きく違ってくるのです。』心にとめて少しでもひとりひとりが考える事も大事です。やっぱり。はい。子供にも、地球にも、自分の親にも、誰かにも、自分のできるありったけで、それ以上でもそれ以下でもなく(これは語弊があるかもしれない。でも調和には必要なスタンスだと思うので)、受け入れ愛し、優しくなれたらいいな、と思うのです。怒りをすこしづつでも鎮めていければいいな、と。あなたを傷つけた人、どうやってゆるしていけるでしょうか。。。今朝買った缶コーヒー、ボス・ブラックのおまけに携帯画面に貼るシートがついていて、そこには働く男達への名文(笑)がすかしで入っていたんですが『日の光をかりて照る 大いなる月たらんよりは 自ら光を放つ 小さき灯火たれ 』 森鴎外@@!そーのとーり!鴎外さんよ、わたしより先に言っていたのね!(スンマセン。笑)いいこと言った!光に焦がれても、それをそれ以上にすごいことにしちゃって崇めることなんてないし、闇はただそこにあるのにこれまた自分ですんごいことにしちゃって、それ以上に怖がることはない。バランスがくずれた時、確かにすごいことになってるのかもしれない。その辺のスピ系なシステムや話がわからないので、わたしには詳しいことがいえないけど、たぶん、バランス。調和。人間もいる。生き物もいる。なんだかわからないものもいる。世界はステキだ。
December 7, 2006
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信じる 力何を信じる?自分で感じた見えない愛 とだれかが それを 説明した言葉 「聖なる言葉」や「愛の言葉」もし それと 違ってても何も心配しなくていい 感じた方見えない方をあなたは 信じよう勇気はいらない 疑いはいらないあなたしか 知らない 温かい空の色があるあなたしか 知らない 月影の濃さがあるあなたしか 知らない 涙のぬくもりがあるあなたしか 知らない 真実の 風のにおいがある信じていてほしい最初に感じたあの気持ち迷いは後から やってくる疑いは 恐怖が 連れてくる逃げそうになる誠の光の尻尾を 掴んで 離さないでいてほしいあなたには信じる力が ある いつも 今 がある今を信じていれば 古くなることはなく 先走ることなく あなたは あなたのまま 深く 深く 強く 強くだから 後から 裏切られた なんて 思うことは永遠に ないのだ
December 6, 2006
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答えは あなたが 持っている全部 持っている 誰に もらわずともあなたが 誰かを すごいと思う時同じくらいに あなたは 素晴らしいあなたが 誰かを 悪く言えば自分も誰かに 悪く言われると 怯えることになるあなたが 誰かに この美しい空を見せたいと思った時その誰かは きっと 同じように その美しい空を見上げているそして もちろん あなたが世界を 愛した時同じくらいに あなたは世界から 愛されている!答えを もう 持っている と思って自分をのぞけば ほら 簡単に 本当に 答えはそこに 逃げなければ 目を逸らさなければ 耳をふさがなければ 答えはもう手の中に だから あなたは 自分に 向かって こう言えるのです何ものも 怖れることはない と痛みは痛みの様相をしていても 真実ならば 実を結び涙は悲しみの様相をしていても 真実ならば 喜びの雨となるあなたは なにものも おそれることはない自分のやり方で 自分の感情で 知るんだ自分の愛を 世界の愛を 知っている
December 3, 2006
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3本の大木に囲まれた ブランコを きょう わたしは こいだぐんと漕いだら 風が起こったのでもっと もっと 高く 高く 漕いだ気持ちが 良くて 笑いが 止まらないどんどん 漕いだ 足元では 高く 積もった 落ち葉が舞い上がる幾百も わたしが 強く 速く ブランコを 漕ぐたびに幾百もの 落ち葉が ぶわーっと 舞い上がったなんて 楽しいんでしょう!わたしが 風を 起こしている!冬の空気を わたしの拡げた 胸が ぐーっと 押す蹴り上げた足が 宙を やーっと 打つわたしが 今日 起こした風は今夜辺り 買い物帰りの あなたの 頬を触るのかも しれない衰えることなく 地球を 3周は 確実
December 1, 2006
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やわらかな 夜 をあなたと 分け合いたい明るくない 暗くない暑くなく 寒くない この夜を泣くのを 誰もやめなくていい このやわらかな日には涙だけ流せばいい見つめあわなくても いいしゃべらなくて いいやわらかな 空気と 横たわりあなたと一緒なら それでいないと さびしいですよ
December 1, 2006
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人は死ぬ生きながら死んでゆく死にながらも生きているもしわたしが 病気になったならどうか 生きながらえるような施しをしないで欲しいわたしは 波のように生き 波が運動をやめるように普通に生きながら死んで行きたい死んだわたしは 蘇らない と 思いたいわたしは 死んだら それで終わりでいいわたしは 生まれてくる 以前に 違う生など持っていなかったと思いたいわたしは 生まれて初めて わたしになって そして日々 わたしへ 成っていくのだただ 最初から 知っていたのだ全てとつながっていることを死んだ後も なにかが つながって いくことをでも 今は それしか わからなくていい人々を 風景を 生き物を 世界を尊敬し愛し 悲しみ 受け入れ 笑い合い波のような鼓動と 波のような呼吸と 波のような感情とただそれだけ
November 27, 2006
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