難聴者のための喫茶店 『こうひいの木』

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michitomo888

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2007年08月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

連日の酷暑で熱中症に罹る方が増えているようです。
昼間は焼け付くような陽射しで、熱帯夜・・・と体力も低下しバランスが崩れがちです。
こまめな水分補給、適切な休養でこの夏を乗り切りましょう。

夏休みでtomoの子も帰ってきて、娘の子共々、第二の子育て・・かと思うほどの忙しさです。私自身が子育てしていた頃の事が思い出されます。

子供は小さい頃はよく病気をします。風邪、腹痛、怪我等、その度に小児科、外科へ走っていました。まだ赤ん坊のうちは、私も聴力が90dbくらいだったので(それでも軽くは無いけれど)医師の診断の時は、補聴器と、口元を読み取り確認していました。

それでも二人目、三人目とお産するたびに聴力が著しく低下しました。
私の場合、子育てで困ったのは夜泣きと病院の診察です。
夜泣きは、毎晩、何回も泣くたびに主人が起こしてくれていたので、そこまで困らなかったのですが、病院通いは、本当に大変でした。

一番私を助けてくれたのはtomoです。tomoが一歳九ヶ月のときには長女Kが生まれたので風邪を引くと二人とも・・なんてことは、よくあってその度にtomoに言い聞かせるのです。

受付する前に「tomo、〇〇さんって呼ばれたら、必ず教えるのよ」と何回も言ってました。一応、受付の人にも「耳が聞えません」と言っておくのですが、小さな小児科なので、いつも受け付けに担当の人がいたわけではなく、バタバタされていたので(もしかしたら呼ばれたんではないか?)と気が気ではありません。

小さなtomoも自然に私が聞えないことをわかっていましたので、熱でグッタリしながらも呼ばれるのを気に掛けていたようです。

私の手をちょっと触ってくれます。「呼ばれた?〇〇さんって言った?」と tomoに確認して受付に聞きますと、殆ど間違いなく呼ばれてました。今思えば二歳過ぎた頃です。その時は(tomoエライね)なんて思う心のゆとりもなく小さなtomoが私の命綱・・・でした。

診察室に入る前にも、ちゃんと言い聞かせておきます。「お母さんが食べ物は何でもいいですか?とか、お風呂はいつから入っていいですか?と聞くからtomoは先生の言った事をあとでちゃんと教えてね」と何回も言っておきます。

小さいながらも本人が熱がある時でもtomoは大事なことはちゃんと聞いていてくれてました。「お粥」とか「風呂はダメッて」とか「また来なさいって」とか単語だけですが私に教えてくれます。要約筆記を知った今思えば、(何で筆記して下さい)という考えが及ばなかったのだろう・・とつくづく思います。

書いてもらう・・・ことは全く頭にありませんでした。気がつきませんでした。
私の周りに聞えない若い母親は1人もいなかったし、仕方ない・・・といつも思っていました。tomoも(小さな自分が聞いておかなければ・・・)なんて思ってもいなかったでしょう。きっと私が言い聞かせていたので病院へ行けば、自分が聴く・・・ことは当たり前だったに違いありません。このことでtomoから何か不満に言われたことは一度もありません。
きっと我慢していたのでしょうね。

こうしていく内に、今度は長女Kも自然と私に教えてくれるようになりました。
tomoだけに言い聞かせるのではなく、Kにも言ってましたから・・・
二人とも市役所などでも、大人の会話に入って私に教えてくれたものです。
きっと子供心にも世間の見えない差別を感じ取っていたのかもしれません。
以前は今ほど障害に理解が無かったから・・

tomoが7歳の時末っ子が生まれたのですが八ヶ月の未熟児で、又病院通いが続きます。
未熟児網膜症の検査が必要だということで、大きな総合病院へ何回か行かなければなりませんでした。
その時はサラリーマンだった主人が会社を休んで一緒に行ってくれました。
とても安心したものです。
医師の説明も、全て主人が聞いてくれるからホッとしたのを覚えています。

その時はtomoやkの気持ちを思いやるゆとりも無かったのですが、子供が大きくなってKが「お父さんがどこかへ一緒に行ってくれると、すごく嬉しかった。だってお母さんに教えてやる為に、いつも聞き漏らさないようにしてたけど、お父さんがいると何にも考えずに遊べたもん」と言いました。

考えてみればまだ幼稚園に行かないうちから、私に教えてくれていたのです。そして、その頃tomoやkは私に「聞いて教えるのはイヤだ」と言ったことは一度もありません。子供心ながらに私の耳代わりにならないといけないと思っていたのでしょう。

そして末っ子といえば兄や姉が聞いて教えてくれるので(いつも子供達みんな連れて行ってましたから)何も考えないでよかったからか、のほほんと育っています。
勿論、私に教えることもしなくていいので、ごく普通の子供のようにゆったりと遊んでいました。

子供達が小学校に入るようになって他のお母さんと、自分の母親は違う・・・ということに気がついてtomoとkは私が聞えないことを努めて知られないように苦心していたようです。

それに比べ末っ子は平気で「うちのお母さん、耳が聞えないよ」と隠さずに言ってました。(何で隠す必要があるの?悪いことしてるわけじゃないのに・・・)という気持ちだったようです。勿論末っ子も大きくなったら兄や姉が部活などで帰りが遅くなってきて耳代わりをしてくれるようになりました。

こうして三人三様のやり方で私を支えてくれました。
話すときは必ず目を見て話す・・私がわかるまで何回も言ってくれる・・・どんな小さなことでも目を輝かせて話してくれました。
私が一生懸命聞かないと聞き取れなかったからでしょう。

もし健聴だったら、こんな心の結びつきも無かったでしょう。
子供達はそれぞれに家庭を持ち、巣立ちましたが三人共「お母さんのことは私たち全部が大事に思っているよ」と嬉しいことを言ってくれます。
その気持ちだけで充分有難いと思います。

主人が亡くなる直前「みんな仲良く」と何回も言って旅立った最後の言葉を心の支えとしてこれからも生きていきたいと思っています。    では   また・・






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最終更新日  2007年08月12日 10時40分45秒
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